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Page 1 明治大学人文科学研究所紀要 第48冊 (2001) 177ー192 中世
明 治 大 学 人文 科 学 研 究 所紀 要 第48附 く2001)177-192 中世 後 期 エ ノー 伯領 の農 村 共 同体 一 ヴ ァラ ンシエ ンヌ の首 邑慣 習法文 書 と 「自 由と 自治 」一 斎 藤 綱 子 一.幽,,一L一 卿.一 178 Abstract Leslllibert6setautonomieslldeIacommunaut壱rurale dansleschartesdechef・lieudeValenciennes SAITOKeiko Leschartesdecheflieue口esrecordsdecoutumesden14e-15esiさclessoIrtlesdocumentstrey imporセmtspourr6tudedescommunau絶sruralesducomこ εdeHainaut,dememequeleschartes-lois des12e-14esiecles.Onfaitremarquersouventqueleschartesdechef-lieusontraisesencorrelationavec 1eschartes-10童setlesrecordsdecoutumes. Leschartesdechef-lieusontuncodep6naLdonn6aunelocaht6etalig:n6sur童esIoisdesvilles P・issantes,・u・c・ 彗t・u・ceuxd・V・1・n・ienne…d・M・ …C・tartid・f・it・ ・it・an・t・e← 加d・pre・6dent6 surleschartesdecheHieudeMonseIviseamettredavantageenlumi6relescaractさresdes↑11ibert6set ■ autonomies四delacommunaut6ruraleauxl4e-15esi6cles,6nanalysanIleschartesdechef-lieude VaIenclennes. Poudecontenu,cescわartessecomposent,engξn6ra1,desclausesconfirmantlescoutumes existentes(surtoutpreservationdespropri6t6,cloture,warichaix,_).llyapasdoncdegrandediff6rence ・ entreleschartesdechef・lieuetlesrecordsdecoutumes.Pour重ant,ondoitmettreso凱attentio"surle pointqueIescha1でesdeche口ieur691ementenderecoursauxgrandesvmes(aValenciennes,icDquiontle roledechef-sensetordonnentIerespectdespliv㍊ deHainaut=聾it(6chevins)α1∫ 壱gesdecesv刑esetdescout田nesgeneratesdupays σgasseη`seloηleloyetcostumesdupayselcomμ6deHayη especialseloncqle∬oydele{万'ev111eetha〃e{1eValendθ ηaπetpar 刀ηes雷㌧Onyretrouveiciuneintentiondelavme deValenciennesdegarderlemaximumdIautonomlegarantlsdepuislaconcessionde】apaix(1114)etde dominerleplaしpays,aussiquecelu董desprlncesteiTitodauxadoterl「ensembleducomtedluneIoiuniforme, quia6t6amorc逢epadeschal唯es艶odaleetp6naleen1200etavanc6eparlamaisondeBourgogne. Dlautrepart,ilfaudraitsouligneraussIque量aplupartdesv圭h窃gesdotesde璽achartedecettesorte conserv6rentlescoutu且nesparticu1董ercs.Ayant6t6intξ}gr6esdans童esturcturejudiciairecentralisateur, 1escommunaut6sruraleshainuyさresontob亀enuparceprocessuslesgarantiesdeleursprMl6gcsαui leur6taienloc吐roy壱spendantp璽usieurss垂6cles.OnPourraitconstaterainsiunephasedescorrelat藍ons enlreleparticulalismeetle'centralismedanslecomt益deHalnautaubasmoyenage. ■ , 179 中世後期 工 ノー 伯領の農村 共 同体 一 ヴ ァ ラ ンシ エ ン ヌ の 茜 色慣 習 法 文.fと 「[:1由とits',」 一 〈個人 研究 〉 中世 後 期エ ノー伯 領 の農村 共 同体 ヴ ァラン シエ ンヌの首 邑慣習 法文 書 と 「自由 と 自治 」 斎 藤 綱 子 は じめ に 筆 者 は これ ま で エ ノ一 個 領 を 対 象 に,「 白山 と 自治 」と い う言 葉 を キ 一一ワー ドと しな が ら,都 市 と農' 赫 の 共 同体 に関 す る諸 史 料 を検 討 して き た 。エ ノ一 拍 領 の 中 世 農 村 法 に 関 す る従 来 の 整 理 か らす れ ば, ω 12世 紀 初 以 降 出 現 す る 慣 習 法 文 書(cllarこesdelとanchises、char〔es-lois),13世 紀 末 以 降 の 判 告 書(recordsde (2} coutumes)の 検 討 と 続 い た こ の 作 業 は,こ こ で 取 り 上 げ た 首 邑 慣 習 法 文 書(charterdechef-tier)に よ って 一 応 の 区 切 りを つ け られ る こ と とな る 。 首 邑慣 習 法 文 書 と は,詳 細 な 刑 法 規 定 を も た な い 村 落 が解 決 出 来 な い 事 件 に つ い て,首 座 裁 判 権(chef desees)を も つ 首 邑 都 市(villedechef-lieu)の 行 政 機 構(chevllldge)に 諮 問 し,後 者 によ って判決 を下す た め に 与 え られ た 文 書 で あ る 。首 邑 都 市 の 役 人 で あ るエ シ ュ ヴ ァ ン は,諮 問 を 要 請 した 諸村 落 に 類 似 の 刑 法 規 定 を 指 示 した こ とか ら,そ の 首 邑 裁 判 区(chef-lies)に属 す る 多 くの 村 落 が 均 質 的 な 法 を も つ こ と に な り,首 邑 都 市 の 裁 判 を 首 座 裁 判権 と した 領 域 が 形 成 され て い っ た 。エ ノ一 拍 領 で 最 も重 要 な 首 邑 裁 判 区 は モ ン スMonsと ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌValenciOnnesの 裁 判 権 を 核 と した も の で あ る。 12世 紀 か ら13世 紀 半 ば に か け て エ ノー 伯領 の 多 くの 居 住 地 にバ ン 領 主 に よ っ て 発 給 さ れ た 慣 習 法 文 書 は,領 主 と 共 同体 の 同 意 に 基 づ い て 既 存 の 慣 習 法 を成 文 化 した も の で あ っ た 。 そ の 内 容 は 領 主 ・所 領 民 の 個 々 の 関 係 を 固 定 化 した もの で あ っ た か ら,般 点 で 「 特 権priva置alexj,「 法 に み られ る領 主 の 恣 意 か らの が れ る と い う 諸 自 由1ibertates」 を 村 落 に 賦 与 す る も の で あ り,そ 同 体 に 委 託 さ れ た こ とか ら 「自治 」 を 認 め る も の で あ っ た 。 他 方,エ れ らの諸 白山の管理 が共 ノー 伯領 全 体 に 施 行 さ れ る 制 定 法 が ほ とん ど 存 在 しな い 時 代 に お い て,既 存 の 領 主 ・所 領 民 関 係 の 成 文 化 と い う形 で 賦 与 さ れ た これ らの 「自 由 と 自治 」は,共 同 体 の 利 益 を 保 証 す る と 同 時 に,伯 に よ る統 一一 法 制 定 へ の 布 石 と も な った 。 従 来 の 研 究 は,判 告 書 と 首 邑 慣 習 法 文 書 を 慣 嗣 法 文 書 の延 長 に位 置 づ け,慣 習 法 文 書 を 賦 与 さ れ な か っ {3) た 居 住 地 へ の 自由 の 伝 播 と い っ た 捉 え 方 を して き た 。 と こ ろ で,首 邑慣 習 法 文 書 が 起 草 され た19-16世 紀 の 政 治 的 状 況 は,12-1311:紀 の そ れ と は 大 き く異 な って い る 。M世 紀 後 半 以 降 低 地 地 方 は 政 治 的 に 予 想 さ れ な か った よ う な 運 命 に 翻 弄 さ れ る こ と と な っ た 。 フ ラ ン ドル 伯ル イ ・ ド ・マ ー ル の相 続 人 マ ル グ リー トと フ ラ ン ス 王 の 末 弟 フ ィ リ ッ プ(未 来 の 豪 胆 公)が1369年 た こ と か ら,ブ に 結 婚 し,1389年 ル ゴ ー ニ ュ,フ マ ル グ リ ー トの 父 ル イ ・ ド ・マ ー ル の 後 を フ ィ リ ッ プ が 継 承 し ラ ン シ ュ ・コ ン テ,ニ ヴ ェ ル ネ,レ テ ル,フ ラ ン ドル,ア な る広 大 な 領 域 が 一・ つ に ま と ま っ た 。 ブ ル ゴ ー ニ ュ 家 の フ ィ リ ップ 善 良 公 は,ホ ル トワか ら ラ ン トの ウ イ レム6 180 世 の 死 後 生 じた 後 継 者 ヤ コ バ と伯 父 バ イ エ ル ンの ヨ ハ ン との 対 立 に 乗 じて 璽428年デ ル フ トの 和 平 で エ ノ ー,ホ ラ ン ト,ゼ ー ラ ン トの3他 領 と フ リ ー ス ラ ン トの 支 配 権 を ヤ コ バ に 承 認 さ せ,33年 に 一.切 の 権 限 を 放 棄 させ た 結 果,エ ノ一 個 領 も また 広 大 な ブ ル ゴ ー ニ ュ国 家 の 一 部 に く み こ ま れ る こ と と な っ た 。 ブル ゴー ニ ュ家 に よ る 低 地 地 方 支 配 の 経 済 ・社 会 ・政 治 の枠 組 み の 基 礎 とな った の は,共 通 の 法 に よ っ て 支 配 され る 領 邦 や 都 市 で あ り,中 世 後 期 は ブ ル ゴ ー ニ ュ家 の 中 央 集 権 主 義 と 地 方 自 立 主 義 の 相 克 の 時 代 と い わ れ る。 しか も領 邦 自 ・体 が 共 通 の 法 を確 立 す る た め に は,慣 習 法 の 下 に 生 活 して い る 都市 や村 落を統括 す る必 要が あ った 。このよ うな政 治状 況 を考慮 す る と,仮 に首 邑慣 習法 文 書が慣 習 法 文 書 と重 な る 内 容 を含 ん で いた と して も,そ の 文 書 の 内 容 を12-13世 紀 の 観 念 で の 「自 由 と 自治 」の 語 で 呼 ぶ こ とが で き るか は 問 題 で あ ろ う。 (9) 筆 者 は 別 稿 で モ ンス の 首 邑 慣 習 法 文 書 に つ い て 検 討 した が,本 稿 で は,ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の首 邑慣 習 法 文 書 に つ い て モ ンス の そ れ と 同 じ 作 業 を 行 い,両 者 を 比 較 す る こ と か ら,首 邑慣 習 法 文 書 起 草 の 意 味 を 確 認 し,19世 紀 末 か ら16世 紀 半 ば の エ ノー 地 方 に お け る 農 村 共 同体 のr自 由 と 自 治 」の 性 格 を 再 検 討 す る 手 が か り と した い 。, i,ヴ ヴ ァラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 慣 習 法 文 書 の 分 析 (5} ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 裁 判 区 に 含 ま れ る 居 住 地 は,董7-18世 紀 に 作 成 され た リス トに よ れ ば300に 上 り,こ の 時 期 に は,広 稿 で は,L.ヴ く ト ゥ ー ル ネ ジ,カ ン プ レ ジ,リ ー ル の シ ャ テ ル ニ ー に ま で 広 が っ て い る 。本 {6) リー ス トの 『判 告 書 ・首 邑 慣 習 法 文 書 集 成 』 に所 収 さ れ て い る16の 文 書 を主 要 な 分 析 対 象 とす るが,こ れ らの 文 書 を 与 え ら れ た 居 住 地 を 地 図 上 に お い て み て も,ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の プ レ ヴ ォ 管 轄 区 を 中 心 に ア ッ トA由 と ブ シ ャ ンBouchainの シ ャ テ ル 二 一,ル ヴ ォ 管 轄 区 を 覆 っ て い る 。 起 草 の 時 期 に つ い て は,聖419年 早 く,15世 紀 の 文 書 が1],161紀 aPorte-Hεrinnesの の 文 書 が3,1537年 ・ケ ノ ワLeQuesnoyの の ペ ル ー ヴ ェ ル ツPe芭ruwelzの プ レ ものが最 も の ジ ェ ル ミ ニ ・ア ・ボ ル ト ・エ リ ン ヌGerinignies そ れ が エ ノ ー 伯 領 に 残 存 す る 首 邑 慣 習 法:文 書 の 最 後 の も の と な る 。 文 書 め 起 草 状 況 に つ い て は 前 文 も し く は 後 文 に叙 述 さ れ て い る 。 ま ず,各 村 の 領 主 も し く は彼 の 代 理 人 で あ る バ イ イ が 村 に や っ て 来 て,メ ー ル,エ 成 文 化 を 要 請 して い る。 そ の 理 由 と して,い シゴ ヴ ァ ン,住 民 の 前 で,裁 判 を行 う際 の 慣 習 法 の ず れ の 文 書 に お い て も,村 の 裁 判 管 轄 区 で 生 じた 犯 罪 に 対 す る 罰 金 の 規 定 が 存 在 せ ず,そ の 結 果 エ シ ュ ヴ ァ ンが 裁 判 を 行 う際 に 判 決 を 下 す 基 準 が な く,そ れ が 、『公 共 の 利 益biencommun』 dubiencommung』(例 〈例 え ば ヴ ァ ッ ク リVacqueries),『 え ば エ レ ー ムHellemmes)に をか な り詳 し く述 べ て い る の は,ヴ ル ネ の 騎 士 修 道 会)の 住 民 の 財 戸蓋の 利 益 と 保 護prof臼telgarde と っ て 不 都 合 で あ る 点 が あ げ られ て い る 。・ この 状 況 ァ ッ ク リの 文 書 で あ る が,そ れ に よ る と,領 バ イ イ は,『 長 老boImeshommes』 と 『住 民manantsethabitants』 て,『 彼 ら に と っ て 理 に か な っ て い る と 思 わ れ る 諸 点 を 整 理 し,文 escriptpluseurspoinsetarticlesquillsamblolen1elrerajsonables』 主(こ の 場 合 トゥー の 同意に よ っ 書 に さ せ てadvi曲e【faitmettrepar ネ寸落 側 に 呈 示 し た 。 上 記 の 村 落 の 者 達 は 集 ま っ て こ の 文 書 を 検 討 し,満 足 の 意 を 伝 え て い る 。 そ の 後,日 を改め てバ イ イは村 にや って来 て 同 文 書 に 記 載 さ れ た 全 て の点 が 法 と し て 施 行 さ れ る よ う に と告 げ,エ シ ュ ヴ ァ ン た ち に誓 約 を させ る 181 中 世後期 エ ノ一拍領 の農村 共 同体 一 ヴ ァラ ンシエ ンヌの 首邑慣 習法 文書と 「自由 とr3治 」一 フ ラン ドル他 領 ヴァ ランシエ ンヌの首 邑慣替 法文 溌 Aア ッ トの シ ャ テ ル 二 一 Bボ ー モ ン の シ ャテ ル 二 一 陵hプ シャンの プ レヴォーテ BIバ ンシーの ブ レヴォーテ 、 F弱 鋤age5 0Gem重nice 国 A h4モ ー ポ ー ジ ュ の ブ レヴ ォー テ Msモ ン ス の ブ レ ヴ ォー テ Quル ・ケ ノア の プ レ ヴ,i一一テ ・ . ・ 艶 艶Sl ♂' ・ゾ メF…' 気, .Q u フ ランス王国 鵬(耀 ■ 』 ' 」 い 、, \_)嵐.}し ・ 唾 Doq`h・ '∫ プ ラーパ ン ト公 領 博5〆 弩, ∀/2誇 撫 儒 。隙 誌o照 1 ∼ 。購 騨 Bch ハ ㌧■' 。臨 曲1 ズ 、 ♪ 乱 灘 `3・ 捨 欝 ρ 一、 'L9}ノ TUURNλ} テ ど "=ミ OVaquer池 メ の ブ レ ヴa一 、 璽 ヒ 層 OPou…1!c ORo∼!drOMdk Chシ 、 .r , ・.! ごズ醤 癖踊 程 ・ 、 ㌧1 ∼.ノ' 、 ノ k!イ'Ch 》 一 エ ノー 伯 領 の 境 界 線 モンス ・ヴ ァラ ンシエンヌの 首邑 裁判区 の境 界線 . ○ ヴ ァ ラ ン シ ェ ン ヌ の 首 邑 慣 醤 法 文,茎}をも つ 村 落 こ と を メ ー ル に 求 め た の で あ るが,エ シ ュ ヴ ァ ン た ち は 集 ま って 討 議 した 後 に,『 彼 らの 首 邑 で あ る ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の エ シ ュ ヴ ァ ン の 意 見 を 求 め るilrequeroientaavoirleconseildeleurkierlieullesseigneur delehaUedeValenchlel}ne』 こ と を 要 求 し た 。メ 一曹 ル は エ シ ュ ヴ ァ ン を ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に 同 行 し た が, この 日は 支 障 が あ っ た ら し く, 村 に 帰 り,再 び そ の 後 出 か け て い る 。 そ こ で,メ ー ル とエ シュ ヴ ァ ン は,バ イ イ に よ っ て 作 成 さ れ た 文 書 を ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌの メー ル と プ レ ヴ ォ に 示 し,ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の エ シ ュ ヴ ァ ン の 調 査 と意 見 に よ っ て 作 成 さ れ た 文 書 を 自分 た ち の 村 に も っ て 帰 る こ と とな る 。他 の 文 書 の 場 合 も ほ ぼ こ の よ う な 経 過 に よ っ て 作 成 され て お り,ヴ 3通 の 写 し(シ ロ グ ラ フ) が 作 成 さ れ,そ 場 合 は,領 主,エ ァ ラ ン シ エ ン ヌ で は, 2通 も し くは れ ぞ れ, 領 主 と 村 の エ シ ュ ヴ ァ ン(エ ル ク ジHerquegiesの シ ュ ヴ ァ ン お よ び 共 同 体 と さ れ て い る)の 管 理 の も と に お か れ,住 ば ブ ヴ ラ ー ジ ュBeuvragesの 場 合 は 年 に2回, 民 の 前 で,例 え メールが 読み 上 げてい る。 と こ ろ で,領 主 の 代 理 入 た る バ イ イ が 問 題 と して い る の は,戒 文 化 さ れ た 規 定 が な い こ とで あ り,既 存の慣 習 を成文化 した内容 が首 邑の プ レヴ ォとエ シュ ヴ ァンに照会 され,そ れが 今後 当該村 の裁判 に 関 す る規 定 とな っ た とみ られ る 。例 え ば1419年 にペル ー ヴェル ッに一 与え られ た 文 書 は, 戦 争 や 領 ニ ヒ分 塁82 割 に よ っ て 消 滅 した こ と か ら,198年 に バ イ イ の 要 請 で,同 村 の メー ル と エ シュ ヴ ァ ン が そ の コ ピ ー と 文 書 を も っ て ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に 行 き,そ れ ら を ヴ ァ ラ ン シ エ ンヌ の ジ ュ レ と エ シ ュ ヴ ァ ン に示 し てF命 令 ・宣 告 ・判 断ordonannce,d6clarationJugemα1t』 容 に 変 化 は な い.他 方,オ ー ブ リAubryの を求 め て 与 え ら れ た も の で あ る。 こ の 場 合 は 内 場 合 に は,古 くか ら文 書 を も って い た が,『 古 くな り 語 句 が 簡 略 で メ ー ル と エ シ ュ ヴ ァ ン が 知 識 を 得 る こ と が で き な く な っ て 不 都 合 が 生 じた た め にd:1525年 領 主 が 全 土 地 保 有 農 と,住 民 の 前 で 新 し い 文 書 と 命 令 を 出 し,古 い 文 書 を 廃 棄 した 。 こ の 場 合 も メ ー・ ルと エ シ ュ ヴ ァ ン は ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に 調 査 を依 頼 し,そ の 後 住 民 の 大 半 に よ っ て 受 け 入 れ ら れ て い る 。新 た な 条 項 が 付 加 さ れ る 場 合 も あ る 。例 え ば ロ ジ エ ー ルRosi6reで は,1521年 に 文 書 が 起 草 さ れ た が,154;. 年 メー ル と エ シ ュ ヴ ァ ン は 本 文 書 を 示 した 上 で 記 載 さ れ て い な か っ た2条 項 を 付 加 し,こ の 点 を 首 邑 に 訴 え て 確 認 さ れ て い る。 以 上の 状 況か らす る と,首 邑慣 習 法文 君 の起 草 はい ずれ の村 で も,在 地領 主 が村 落 の現 行慣 習法 の 成 文 化 を 要 請 す る こ とか ら始 ま り,エ シ ュ ヴ ァ ン に よ って ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ へ の 調 査 依 頼 が だ さ れ,木 曜 日 と 決 ま っ た1」に ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の エ シ ュ ヴ ァ ン の 許 に 彼 らが 出 か け て い る 。在 地 領 主 → 村 落 共 同 体 → 首 邑 都 市 ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ と い う経 路 は こ の 時 期 定 式 化 して い る 。他 方 で,ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の エ シ ュ ヴ ァ ン に よ る 調 査 を 通 して そ の 内 容 の 訂 正 が あ った とす る 記 述 は … 切 み ら れ な い 。文 書 の 記 載 形 式 を み る と,村 落 にお け る 法 の 欠 如 の 状 況 を述 べ た 後,す ぐ に 条 項 が 羅 列 さ れ,そ の 後 この 法 に つ い て ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に 諮 問 が な さ れ た こ と を 叙 述 して い る も の と,ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ へ の 諮 問 に よ っ て 作 成 さ れ た も の と し て 条 項 を 記 載 し て い る 場 合 が あ る。 これ らの 記 載 の 順 序 か ら して,各 村 落 にお いて長 い年 月の 中で形 成 され た慣 習 法が 領 主 によ って 成 文 化 され,そ の 内容 は そ の まま ヴ ァラ ン シ エ ン ヌ で 承 認 さ れ,村 の 法 と して 受 容 され た と い え る 。 従 っ て,各 村 落 に お け る 裁 判 は 成 文 化 さ れ た 内 容 と 同 一 内 容 に よ っ て 執 行 さ れ て い る こ と か ら,村 Pouilleの 場 合 に は,ヴ 落 の 生 活が 変 化 した わ け で もな い 。 ブイ ユ ァ ラ ン シ エ ン ヌ へ の 諮 問 が な さ れ た の は1367年3月,ヴ 書 が 与 え られ た の は1年2ヶ 月 後 の13681}=5で ァ ラ ンシエ ン ヌか ら文 あ り,か な りの 時 間 が か か って い る こ と は,文 書 作 成 の 緊 急 性 が 村 落 側 に な か った こ と を 示 して い よ う。 重 要 な の は,ヴ よ っ て 承 認 さ れ る こ と で あ った 。次 に文 書 の 内 容 を 分 析 す る こ とで,こ ァラ ンシエ ンヌの 首 邑裁 判権 に の点 をさ らに検 討 して い く こ と と した い。 各 文 書 に 記 載 さ れ た 項 目 に は,複 数 の 要 素 が 含 まれ て い る こ と か ら,項 目 数 を 正 確 に 出 す こ と は で き な い が,お お よ そ,全 体 と し て30か ら40-50の 項Uが 含 ま れ て い る 。 こ れ らの 項 目 の 内 容 ・表 現 は 各 村 ご と の 個 別 状 況 に よ っ て 微 妙 に 異 な っ て お り,整 理 す る こ と は か な り 困 難 で あ る が,主 は 以 下 の よ う に な る 。 い ず れ の 文 書 に も含 ま れ て い る の は,傷 比 重 を し め て い る も の と し て,他 る 被 害,そ ま ず,傷 要な 内容 害 に 関 す る 条 項 で あ り,ま た,大 人 の 土 地 や 財 産 お よ び 共 用 地(warichaix,communia}の 侵 害,家 きな 畜 に よ し て 農 事 役 人(messier)に 関 す る 条 項 が あ る 。 害 に 関 す る 条 項 は ほ と ん ど の 文 書 で 冒 頭 に記 さ れ て,そ の 手 段(鋭 利 な 刃物,棒,平 な ど) .と,流 手,拳 血 の 有 無 に よ っ て の 罰 金 額 が 設 定 さ れ て い る 。 武 器 に よ っ て 流 血 を 引 き 起 こ した 場 合 に は60ス ー と罰 金 中 極 め て 高 く,類 似 の 額 が 一 般 に 設 定 さ れ て は い る が,全 文 書 で 一 様 と い う わ け で は 183 中 世後 期 エ ノ一拍 領の農 村 共 同体 一 ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 慣 習 法 文1馨}と 「自 由 と 自評宝」 一 な い 。 但 し,死 刑 や 四 肢 切 断 の 対 象 と な る 上 級 裁 判 に 属 す る 犯 罪 は … 切 み られ な い 。 村 落 の土 地保 有 農 やそ の 他の 者が 共 同 で使 用す る場所,例 えば,領 主の森 林,水 流 共用 地 に関す る 多 様 な 権 利(aisenIiae)は,共 同 体 の 生 活 の 中 で 重 要 な 位 置 を しめ る 。共 川 地 と は,具 体 的 に は 道:路の 四 つ 辻,公 共 の 広 場,道 路 端 の 傾 斜 地 な ど で あ る が,ほ 民 は 共 用 地 を任 意 に使 用 す る こ と は で きず,自 ル タ ンSaul電ain,ド ジ ュ),家 ゥ シDouchy,ブ ク リ ー,ド ゥ シ,エ レ ー ム,ベ 分 の 土 地 と の 境 界 に 柵 を 作 り(ペ ル ー ヴ ェル ツ,ソ ー ヴ ラ ー ジ ュ な ど),そ 屋 を 建 設 し(ロ ジ エ ー ル),領 と ん ど の 文 書 で 複 数 の 言 及 が み られ る 。村 落 こ で,勝 手 に 家 畜 を 放 牧 し(ド ゥ シ,ブ ヴ ラー 主 や メ ー ル ・エ シ ュ ヴ ァ ン の 許 可 な く 掘 り返 す こ と(ヴ ル ニ サ ー ルBemissarl,ブ に は 修 復 し,管 理 を 義 務 づ け られ て い る(メ ル,ロ ヴ ラ ー ジ ュ)は 禁 止 さ れ,被 ァッ 害 を与 えた 場合 ジ エ ー ル)。 ま た,村 外 者 が 共 川 地 で 放 牧 す る こ と は 禁 じ られ て い る 。 これ らの 内 容 は 各 村 落 ご と に 重 な り な が ら一 様 で は な く,ま た 同 一 犯 罪 に課 さ れ る罰金 も 同額で は な い。 村 民 の財 産 の保 護 に関 しては,多 様な 内容 につ いて の禁 止条 項 がみ られ る。他 人 の土 地や 菜 園 に無 断 で 侵 入 し,果 実 や 木 や 藁 を と る こ と は 禁 じ られ て い る。 特 に 家 畜 の 侵 入 に よ る被 害 に つ い て は,家 畜の種 類 毎 に罰 金 が設 定 さ れ,家 畜 の監 視 につ いて 重 要な 役割 を果 た す農 事役 人 の任 務 につ いて は細 か く規 定 さ れ て い る 。 彼 ら は 毎 年 メー ル,エ つ い て 罰 金 を 課 し,毎 年3回 シ ュ ヴ ァ ン,住 民 全 体 に よ って 選 出 さ れ,家 畜 の 被害 に 罰 金 に つ い て 報 告 を 行 っ て い る 。彼 ら に対 す る 攻 撃 は20ス ー の 罰 金 を 課 されて い る。農事 役 人に関 す る条 項が 文 書 で大 きな 比 重 を しめて い る こ とか ら,彼 らが村 落 の 生活 に お い て 重 要 な 位 置 を しめ て い る こ とが 窺 わ れ る 。但 し上 記 犯 罪 に 課 さ れ る 罰:金の 額 は 各村 落 毎 に 異 な っ て い る。 村 落 の 食 料 管 理 に つ い て は,ぶ し価 格 を 決 定 す る(ア ど う 酒 や ビ ー ル,そ フ ォ ラー ジ ュ)こ の 他 の 飲 料 を 販 売 す る 前 に エ シ ュ ヴ ァ ンが 検 査 とが 必 要 と さ れ,ア フ ォ ラー ジ ュ を 受 け な い 飲 料 の 販 売 は 罰 せ られ て い る 。 肉 や パ ン に つ い て も 検 査 を 受 け た 上 で しか 販 売 す る こ と が で き な い 。度 量 衡 に 関 して は,秤 は ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 規 範 に 従 っ て メ ー ル と エ シ ュ ヴ ァ ン の 監 視 下 に お か れ,正 規 の 秤 で の 販 売 が 義 務 づ け られ て い る 。 ま た,風 紀 に 関 して は 賭 博 ・賓 子,売 春 宿 が 禁 止 さ れ て い る 。 他 方,領 ・1三 制 的賦課 に関す る条項 は少な く,ペ ル ー ウ ェル ツや メル で 流通 税 が領 主の 流通 税徴 収 人 に よ って徴 収 さ れ,ま た,地 代支 払 いに関 す る違 反 につ いての 罰金 が規 定 され て い るのみ で あ る。 以 上 の 項 目に つ い て の 罰 金 を 比 較 して み る と,そ れ ぞ れ の 村 落 で 一 様 で な い こ とか ら,ヴ ァラ ンシ エ ン ヌ に お い て 同 一 の 罰 金 規 定 を 提 示 さ れ た の で は な く,各 村 落 が も つ 独 自 の 生 活 規 範 が ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 か ら認 め られ た と い え る 。前 文 も し く は 後 文 で ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌへ の 諮 問 に 至 る 経 過 と 結 果 が 叙 述 さ れ て い る以 外 に は,親 2.首 告 書 と際 だ っ た 変 化 が な い こ と は,こ の ことを裏 付 けて い よ う。 邑慣 習 法文 書 にみ られ る領 主 と共 同体 先 に首 邑慣 習法 文 書 の起 草状 況 につ いて述 べた よ うに,領 主 も しくはバ イ イが 対 象 と した の は村 落 で あ る が,具 られ,さ 体 的 に は,ほ とん どの 文書 で ら に,エ ル ク ジ,ソ ー ル タ ン,ヴ 『住 民 の 大 半saindemamanIelhabilant』 ァ ッ ク リ,エ ス カ ナ ッ フ ル £scanameで と い った 表 現 が と はr共 同 体commUnaut6』 184 の 語 が そ こ に加 わ っ て い る 。 そ れ で は,〈 共 同体 〉 の 名称 で呼 ば れ る グル ー プが この時 期特 に関 心 を も った のは 何か 。先 にみ た 首 邑慣 習法 文書 の内 容の うち,最 も条 項 数 が多 いの は共 用地 の 使川 に関 す る もの で あ り,さ らに,各 人の 所有 地 の安 全 確保 で あ った 。共用 地 の 使用 が判告 書で も大 きな 比重 を占 めて いた こ とは別 稿 で既 に触 れ たが,共 同体 の確 立 は,そ れ ぞ れの 村落 の共用 地 の 範 囲の 明確 化 と内 部の 使 用 に関 す る規 範 の 確立 と平 行 して いる と いえ る ので はな いだ ろ うか 。言 い換 え れ ば,こ の時期 の農村 共同 体 と は共用 地 を利 用 しう る人 々の グル ー プであ り,村 外 者 を 共用 地 の使 用 か ら排 除す る項 目が 多 くの 文 書で み られ る の は こ の 点 を 示 し て い よ う。 こ の よ う な 共 同 体 の 管 理 に あ た っ て い る の が メ ー ル と エ シ ュ ヴ ァ ン で あ る 点 は,慣 習 法 文 書 と変 わ り は な い 。彼 らが 村 落 内 で 重 い 役 割,特 に 裁 判 に お い て 重 要 な 機 能 を 果 た し て い た こ とは,エ シ ュ ヴ ァ ンへ の 悪 口,特 に 彼 らが 裁 判 を行 っ て い る 際 の 悪 口 に つ い て 高 額 の 罰 金(例 え ば,エ レー ム で は9リ ー ヴ ル)が 課 さ れ て い る こ と か ら推 測 さ れ よ う 。裁 判 に 関 す る 彼 ら の権 限 に つ い て み る と,ま ず,上 級 裁 判権 に関す る権 限 は 首邑慣 習法 文 書で はみ られ な いが,傷 害 に関す る裁 判 を主宰 し,罰 金 を課 して い る 。 村 内 の 生 活 秩 序 に つ い て も,公 道,共 用 地 の 修 理 の た め の 出 仕 は,バ イ イ と メール に よ って命 じ られ(メ ル),放 牧 地 の 使 用 開 始 と 閉 鎖,水 門 の 開 閉,共 用 地 使 用 な ど は メ ー ル の 命 令 に よ っ て 行 わ れ, 違 反 者 に は 罰 金 が 彼 ら に よ って 課 さ れ て い る 。ま た,飲 料 水 の ア フ ォ ラー ジ ュ に あ た る の も エ シ ュ ヴ ァ ン で あ る 。 さ ら に,彼 ら は 土 地 の 売 買 に 関 す る 裁 判Ouridldiongracieuse)を 行 い,一 定 の収入 を得 て い る(ド ゥシ 〉。下 部 の 行 政 組 織 と して は 農 事 役 人,地 代 徴 収 人 と い っ た 下 級 役 人 が 文 書 中 に み られ る が, 彼 らは 共 同体 の 全 員 の 同意 に よ っ て,エ ル,エ シ ュ ヴ ァ ン ・メ ー ル の 前 で 誓 約 して い る 。いず れ にせ よ,メ ー シ ュ ヴ ァ ンの 裁 判 権 は 刑 事 関 係 に つ い て は 大 き く 後 退 し,村 の 日常 生 活,特 に土 地 に 関 す る 裁 判 権 に集 中 して い る と い え る 。 こ の 点 も 判 告 書 と変 わ り な い 。 首 邑慣 習 法文 書 に み られ る メール ・エ シ ュヴ ァンの 機能 の 中で 慣 習 法文 書 や判 告 書の 記載 と異 な る の は,後 者 で は彼 らの役 割 の枠 が村 落 共 同体 と在 地 領 主 との 関 係 に限 定 され て いた の に対 し,首 邑慣 習 法 文 書 で は,そ の 起 草 に 際 して,首 邑 と の 関 係 が 強 くf'て い る 点 で あ る 。 ま ず,領 主 の役 人 が慣 習 法 の 成 文 化 を要 請 し に 来 た 際 に メ ー ル と エ シ ュ ヴ ァ ンは 全 住 民 と共 に 召集 さ れ て い る 。領 主 か ら慣 習 法 の 起 草 の 依 頼 を 受 け,検 討 し,村 落 民 の 異 議 を 受 付 け,首 邑 の エ シ ュ ヴ ァ ン の 意 見 を求 め,そ れを 村 落 民 に 周 知 さ せ る の は 彼 らで あ る 。 ド ゥ シ や オ ー ブ リで は 文 書 中 に 彼 らが ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に い く た め の 費 用 が 規 定 さ れ て い る。但 し,メ ー ル と エ シ ュ ヴ ァ ン と の 関 係 は 同 等 で は な い 。エ レー ム で は, メー ル が 領 主 に よ る 法 作 成 の 要 請 に 同 意 す る よ う に 求 め た の に 対 し,エ シ ュ ヴ ァ ン はr集 ま って 慎重 に 審 議 し 』,ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に 諮 問 に い く こ と を 要 求 し,そ の 結 果 メ ー ル は 彼 らの 要 請 を 受 け て ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に 同 行 して い る 。 こ こ で は,村 落 民 の意 見 を 代 表 す る の は エ シ ュ ヴ ァ ン で あ り,メ ー ル は 首 邑 と各村 とを結 ぶ役 割 を果 た して いる。これ ら役 人の 選 出方 法 に つ いて は 首 邑慣 習法 文 書 では問 題 とされ て いな い。 と ころ で,首 邑慣 習 法 文書 の 作成 に形 式的 には全 住 民 の 同意 が求 め られ て い る。首 邑慣 習法 文書 で は,村 落 の 住 民 が 集 ま る 集 会 と し て 全 体 集 会plaidsg6n6rauxが,メ ル と ロ ジ エ ー ル の2村 に み られ る 。 ・ 185 中 世後 期 工ノー伯 領の農 村共 同体 一 ツァラ ンシエ ンヌの 首邑慣 習法文著 と1自 由 と自治」一 全 体 集 会 は, エ シ ュ ヴ ァ ン に よ っ て 行 わ れ る 通 常 の 裁 判 と は別 に,領 主 も し く はそ の 代 理 人 に よ って 主 宰 され, 世帯 主は 出席 を義務づ け られて いる。全体集会 が通 常の裁 判集会 と異な るの は,裁 判以外 に,居 住 地 の 慣 習 法 の 確 認 ・維 持 の た め に,エ:シ ュ ヴ ァ ンが 慣 習 法 を朗 詠 し,そ れ に 基 づ い て 条 例 の 公 布 が 行 わ れ る点 で あ る 。別 稿 で 触 れ た よ う に,判 告 書 は,全 体 集 会 で な さ れ た 領 主 と所 領 民 の 関 係 の 確 認 が 成 文 化 さ れ た も の で あ っ た 。 メル の 首 邑慣 習 法 文 書 に よ れ ば,毎 年,バ イ イ も し くは メー ル に よ って 開 催 の 湖 月が 告 示 され,世 帯 主 は 出 席 の義 務 が あ り,欠 席 は 罰 金 を課 さ れ て い る。さ ら に,他 の 領 邦 君 主(フ ラ ン ドル 伯や ブ ラ ー バ ン ト公)の 支 配 領 域 との 境 に あ る い くつ か の 村 落 で は,franche v6rit6と呼 ば れ る 裁 判 集 会 が 毎 年 も た れ て い る。こ れ は 確 証 の 得 られ な い,ま た は 犯 人 が 判 明 しな い 犯 (7. 罪 に つ いて 開 催 さ れ る,審 問 手 続 き と して の集 会 で あ る。 この 形 は エ ス カナ ッ フル と ジ ェル ミニ の文 書 で み られ, 世帯 主 は 年1回 証 言 を 行 うた め に 出 席 を義 務 づ け られ て い る。 首 邑 慣 習 法 文 書 に お い て は,ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ で 成 文化 され た 内容 が 居 住 民 全 体 の 前 で 公 布 され る こ と とな っ て い る が,全 体 集 会 やfranchev6rit6が こ の 場 と し て 利 用 さ れ る と い う 言 及 は な い 。こ の 点 は 判 告 書 と は 異 な っ て い る 。 首 邑 慣 習 法 文 書 で は 判 告 書 にお け る と同 様 に,行 政 組 織 に関 す る規 定 は 少 な く,さ らに,在 地 領 主 と共 同 体 と の 関 係 を 正 面 か ら問 題 に し て い るわ け で は な い。 また,こ こ で 取 り.とげ た16の 文 書 の 起 草 は15世 紀 初 め か ら16世 紀 半 ば に渡 っ て い るが,そ の 内 容 に顕 著 な 変 化 が あ る わ け で は な い 。 さ らに, 時 期 的 に 重 な る 判 告 書 と も 重 複 す る 内 容 を も っ て い る 。そ の 中 で,判 告 書 と の 明 確 な 相 違 と して 指 摘 され る の が 個 別 村 落 の 規 範 を 越 え る 内 容 を含 ん で い る 点 で あ る 。ペル ー ヴ ェ ル ツ に お い て は.rこ の 日 以 降 ・メー ル とエ シュ ヴ ァ ンは ,エ ノ ー の 邦 と 倍 額 の 全 体 的 慣 習 法,特 ・ ・ 市 と エ シ ュ ヴ ァ ンの 法 に よ っ て,罰 金,賠 に ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の 都 償 金 に つ いて 判 決 を 行 う こ と 』 を要 求 され,ヴ ァ ッ ク リや ベ ル ニ サ ー ル,メ ル で は,『 本 文 書 に 記 載 さ れ て いな い 点 に つ い て は ヴ ァラ ン シ エ ン ヌ の 意 見 ド ウ シ, に よ っ て 行 な わ れ る 』 と さ れ,さ ら に,ヴ ァ ッ ク リ,エ レ ー ム,ベ 邑 に よ っ て 与 え られ る 法 は 『ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の 自 由,法,フ ル ニ サ ー ル の 文 書 で は,彼 らに 首 ラ ン シー ズ,慣 習 を 侵 犯 しな い こ と』が 条 件 と さ れ て い る 。 つ ま り,首 邑 裁 判 を 掌 握 す る ヴ ァ ラ ン シ ェ ン ヌ,そ して,全 体 法 の 制 定 を 志 向 す る 伯 権 力 との 関係 を明 示 して い る 点 に,他 の 文 書 との 相 違 が み られ る の で あ る。 こ の こ とか ら,共 同 体 の 内 部 生 活 に関 す る 規 範 が な ぜ 成 文 化 さ れ る必 要 が あ った の か を 考 え る 場 合 に,ヴ ァ ラン シエ ンヌ との 関 係, 3.首 さ らに 伯 権 力 との 関 係 は ど の よ うな も の で あ った の か が 問 わ れ る 必 要 が あ る 。 邑慣習法文書 とヴ ァランシエ ンヌの法 周 辺 村 落 か らの ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌへ の 諮 問 と い う形 は,首 邑 慣 習 法 文 書 が 出 現 す る は るか 以 前,12 世 紀 に お い て,詳 細 な 刑 法 規 定 を も た な い村 落 に よ って と ら れ て い る。 エ ノ ー 伯 ボ ー ドワ ン6世 が 1176年 に ア ス プルHaspresに 賦 与 した ア ヴ工 職 競 走 で は 『エ シ ュ ヴ ァ ン は彼 が 知 らな い こ と に つ いて (8 は, ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ に 調 査 に い か な け れ ば な らな い 』 と さ れ,1238年 Vicq=Escaupon{に に ヴ ィ ッ ク=エ ス コ ー ポ ン 両 村 の 領 主 が 与 え た 慣 習 法 文 書 で はr領 主 が 必 要 な 調 査 も し くは 裁 判 す る こ との で きな い 他 の 件 で エ シ ュ ヴ ァ ン を 首 座 裁 判sensdoupaisに 派 遣 す る場 合,エ シ ュ ヴ ァ ン は 首 邑 裁 判 に行 く必 要 毎 に28ス ー を使 用 す る こ とが で き る 。 首 座 裁 判 に 行 く必 要 が40回 も し くは そ れ 以 上 で あ って 18E (9) も,28ス ー し か 使 用 す る こ と が で き な い 』 と さ れ て い る 。 こ れ らの 文 書 で は,領 大 き な 比 重 を 占め,刑 事 関 係 に 関 し て は 流 血,喧 主 制的 賦 課の 条項 が 嘩 の 罰 金 の 条 項 に 限 られ て い る。 判 決 を 下 す 規 範 を もた な い村 落 が法 的 知識 を備 え た大 都市 の エ シュ ヴ ァ ンへ 諮 問 にい くとい う道 筋 は この時 期か ら徐 々 に 固 め られ て い っ た と思 わ れ る が,首 邑 裁 判 区 と い う 観 念 は で き あ が っ て は い な い 。大 都 市 へ の 諮 問 を い わ ば強 制 的 手 続 き と して,個 別 村 落 の 慣 習 法 を ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌの 首 邑 裁 判 権 に よ っ て 承 認 し,全 体 法 と 結 び つ け た 点 に 首 邑 慣 習 法 文 書 の 特 質 が あ っ た と 言 え る 。そ れ で は,こ こに み られ る ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 法 ・全 体 法 ・邦 の 慣 習 法 と は 何 を 指 し て い る の か 。 ま ず,ヴ 1114年 ァラ ンシエ ンヌが この時期 まで に農 村 に 行使 して いた 法 的支配 力 か らみて い こう。 ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ は,エ ノ ー一拍 ボ ー ド ワ ン3世 賦 与 さ れ た 。63条 か らな る こ の 文 書 は,エ に よ っ て,「 平 和 規 定 」(1)ax)と よ ば れ る 文 書 を ノー 伯 領 の 都 市 の 慣 習 法 文 書 と し て は 極 め て 強 い 自 由 を市 〔10) 民 に 与 え る も の で あ っ た 。 こ こ で 注 目 さ れ る の は,条 ら に 平 和 の 人 々(=ブ ル ゲ ン セ ス)と 項 の3分 の2が 刑 法 関 係 の 罰 則 規 定 で あ り,さ ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に 到 来 す る 商 人(1,3,42条)の 人身 ・ 財 産 の 保 護 を 目 的 と して い る 点 で あ る 。 ・ 都 市 外 で そ の 平 和 を 遵 守 さ せ よ う と す る 際 に,犯 罪 者 た る 非 市 民 と して 想 定 され て い る の は,騎 も し く は そ の 従 者 で あ る 。す な わ ち,ヴ も し く は 護 衛 は,絞 首 さ れ,否 士 ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 平 和 の 人 を 武 力 で 襲 っ た エ ノー の 邦 の 役 人 認 し た 場 合 に は 法 廷 決 闘 を課 せ られ て い る(第2,4条)。 これ は,伯 が 平 和 の人 に略 奪行 為 を行 った場 合 も例外 で はな く,都 市 は 伯 に損 害 賠 償 を要 求 し,拒 否 された 場 合 に は ジ ュ レ の 前 に 出 頭 させ る こ とが で き る(8条)。 ま た,外 来 者 に よ る 平 和 の 人 々 へ の 危 害 も絞 首 刑 と され てい る 〔61条)。 上 級裁 判 権 に属 す る これ らの条 項 は先 にみた 首 邑慣 習 法 文書 には含 まれな い内 容 で あ る 。 「平 和 規 定 」の 適 用 範 囲(平 和 領 域)が ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 城 壁 内 に と ど ま らず,城 壁 外 に 至 り,ま た こ の 法 が 非 市 民 に よ っ て 市 民 に 加 え られ た 犯 罪 を も規 制 の 対 象 と して い る こ と は,そ の 管 轄 区 に 出 来 る 限 り多 く の 人 々 を 取 り込 み,法 的 支 配 領 域 を 広 げ よ う とす る ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の コ ミ ュー ン の 姿 勢 を 強 く示 し て い る 。「平 和 規 定 」は ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 法 が 周 辺 領 域 へ の 支 配 を 拡 大 し て い く 初 期 的 段 階 と して 注 目 さ れ よ う 。 さ ら に都 市 領 域 を大 き く越 え た ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 勢 力 を 顕 示 して い る の が,ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 平 和 を 破 壊 した 者 に 課 さ れ る 「家 屋 の 破 壊 」 の 罰 で あ る 。311!年 の 文 書 で は,4項 る 者 で あ れ よ そ 者 で あ れ,平 和 を 侵 犯 した 者(49条),特 目 に,都 市 に属 す に ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 外 に};;,住す る 騎 士 層 や 農 民 に対す る罰 と して 言及 され て い る。この 罰 を受 けた 者 は,判 決 の行 使 まで そ の財産 を処 分 す る こ と を 禁 じ られ,都 市 の 条 例 に よ っ て 判 決 執 行 の1,が 決 め られ る と,当1一1は 鐘 の 合 図 で 人 々 は 出 軍 の 時 と 同 様 に旗 の も と に整 列 し,破 壊 さ れ る 家 へ と到 着 す る 。 二 人 の プ レ ヴ ォが 住 人 を 追 い 出 し た 後 に最 初 の 一 撃 を 加 え,破 壊 が 終 了 す る と,人 々 は 持 参 し た 弁 当 を た べ る の で あ る が,こ の よ うな儀 式 は (11. ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ が 農 村 に 対 し そ の 支 配 力 を 誇 示 す る 手 段 と な っ た 。 以 上か らみ る と,首 邑に属 す る村 落 へ の首 邑慣 習 法 文書 の 賦与 は,個 別村 落 の法 を変更 して 画一 化 す ζ こ と で は な く,生 活 の 基 礎 と な る 耕 地 ・共 用 地 響 に 関 す るf鐙 摺 法 を そ の ま ま認 め,上 級 裁 判 に属 す る 犯 罪 に 関 して は ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 法 廷 で そ の 法 に よ っ て 裁 判 す る こ と を 目的 と して い る と い え ・ 187・ 中 世後 期 工 ノー 伯領 の 農村 共 同 体 一 ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 慣 習 法 文fと 「自 由 と 【:1治」 一 る。そ こに は 伯権 力 との抗 争 の 中 で取 得 した 高度 の 自 由の適 用 範 囲を広 げ,農 村 への 支配 を強 化 しよ う とす る ヴ ァ ラ ン シエ ンヌ の意 図 が現 れ て い よ う。 r平 和 規 約 」は そ の 後 も都 市 の 規 範 と して の 位 置 を し め,[275年 に都 市 に よ って ロ マ ン ス 語 に 訳 さ れ (12) て い る 。 こ の 時 期 工 ノー 伯 領 は フ ラ ン ドル 伯 領 と 共 に マ ル グ リ ー ト ・ ド ・コ ンス タ ンテ ィ ノー プ ル の 支 配 下 にお か れて い たが,2度 世 と 仏 王 ル イ9世 の 結婚 か ら生 まれ た 子 供た ち の 係争 を経 て,教 皇 イ ノケ ンテ ィ ウス4 の 介 入 に よ り,1246年 エ ノ 一 拍 領 は ア ヴ ェ ー ヌ 家 の ジ ャ ン に継 承 さ れ る こ と と な っ た 。ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ は ア ヴ ェ ー ヌ 家 の 到 来 に よ っ て そ の 自治 が 侵 犯 さ れ る こ と を 危 惧 し,マ ル グ リー トは そ のた め の懐 柔 策 と して1275年6月 私 闘 を行 う危 険の あ る市 民 お よび 雰 市民 に対 し休 戦 を課 す 権 {13〕 限 を み とめ て い る 。 ロマ ンス 語 訳 の 平 和 規 約 が 起 草 さ れ た の は こ の 年 で あ り,そ こに は伯権 力 に対 し 平和 と 自由 を守 ろ う とす る都 市 の姿 勢 が くみ取 られ る。ヴ ァ ラン シエ ン ヌ とそ の 勢 力 に 脅威 を感 じた 伯 と の 問 に1280年 か ら7年 間 係 争 が 続 くが,そ れ はfr】に 忠 実 な モ ン ス と の 裁 判 権 を め ぐ る 争 い と も 重 (14} な っ た 。19紀 に お け る エ ノ 一 個 領 の 最 高 裁 判 法 廷 は,封 建 法 廷 にfh来 す る 「モ ンス の 法 廷Coursde 〔15》 Mons」 と伯 の 側近 が 構 成 す る 「エ ノ ー の 評 議 会ConseildeHainauUで あ っ た が,13381Pヴ ァ ラ ンシエ (量6) ン ヌ は 「裁 判 管 轄 文 書ChartederessorUを 与 え られ て,エ ノ ー の 評 議 会 を の み 上 訴 審 とす る と い う特 別 の 地 位 を あ た え ら れ て い る 。 しか し,こ の 姿 勢 は 同 様 の 方 向 を押 し進 め る モ ン ス と の 裁 判 管 轄 に つ い て の 係 争,そ して モ ンス と 親 密 な 伯 権 力 と の 拮 抗 を 引 き起 こ して い く こ と と な っ た 。 こ の 点 は 「邦 の 全 体 法 ・慣 習 法 」 と は 何 か に 関 わ っ て く る。 エ ノ ー 伯 領 全 体 を 対 象 と す る 法 の 制 定 の 最 初 の 試 み は,ジ ス ル ベ ー ル ・ド ・モ ン スGisleberωeMons {亘了} に よ れ ば,1171年 の ボ ー ドワ ン5世 即 位 の 時 と さ れ る 。こ の 時 値 は 臣 ド全 体 の 同 意 と 意 見 に よ っ てrエ ノ ー に お け る 平 和 を 制 定 し たinHanoniapacemordillavit』 す 同 割(タ リ オ)主 義 の 採 用,立 が,そ 証 手 段 と して の 調 査veriIasの 採 川,被 の 禁 止 で あ っ た 。こ の 内 容 が 文 書 の 形 式 を と った の が,1200年 建 法 書charIef60dale」 {18) 「刑 法 法 書chartep6nale」 え る も の で あ る 。 前 者 は 私 法 的 権 利,特 伯 領 の 平 和 と 治 安 の 維 持,私 で あ り,伯 罪 と 同 一・ ・ の 罰 を課 害 者 と加 害 者 の 親 族 間 の 私 闘 ボ ー ドワ ン6量itに よ っ て 定 め られ た 「封 と そ の 封 臣 の 同 意 ・確 認 に よ る 契 約 と も い に 婦 女 子 ・未 成 年 の 財 産 相 続 を 規 定 した も の で あ り,後 者 は 闘 の 禁 止 を 定 め た も の で あ る 。 「刑 法 法tzt.3」 の 冒 頭 で はr死 に は 肢 を 』 と タ リオ 主 義 が 明 記 さ れ,次 行 に つ い て の 罰 金 額,立 の 主 要 な 内 容 は,犯 い で 私 闘 の 禁 止,逃 亡 した 殺 人 者 の 裁 判 権,傷 に は 死 を,肢 害 ・流 血 ・暴 証 手 段 と して の 調 査 の 採 用 が 定 め ら れ て い る 。 フ ラ ン ド ル 伯 家 か ら 離 れ た エ ノ 一 拍 領 で は ジ ャ ン1世(1280-1309),ギ ヨ ー ム1世(1304-37)の 多 く の 法 が 出 され て い く が,伯 領 全 体 に わ た る 勅 令 は 少 な い 。そ の 中 で1323年 治 下で モ ン ス の 宮 廷 で エ ノー (19〕 の バ イ イ の 面 前 で 作 成 され た 『エ ノ ー 地 方 の 慣 習 法 と詔 令 』 は,公 式 の 勅 令 で は な い が,全 体法とし て の性 格 を も って い る。40条か らな る この文 書 で大 きな 比 重 を 占め る の は刑 法及 び 刑 法 手続 き とその 管 轄 に 関す る もので ある 。まず 往 日 され る のは,裁 判 に 関す る伯 とモ ン スの 法廷 の権 限が 強 調 されて い る 点 で あ る 。す な わ ち 第1条 で 殺 人 に 関 し て,裁 判 権 を も っ て い る 領 主 は,r殺 人 に つ い て 裁 判 を 行 う た め に 彼 を モ ン ス の 法 廷 に 連 行 し な け れ ば な ら な い1edoi1ameneren[ecourIdeMonspourluijugierdu faltdelhommcide』 と し,四 肢 の 切 断 に つ い て も 同 様 に 規 定 し,第6条 で は エ ノー 全 体 に お け る殺 人 ・ 188 四 肢 切 断 に 関 して は,宗 主siresouverainた 裁 判 は 『国 の 法 に よ ってparloydupays』 る 伯 の み が 裁 判 を 行 う こ とが で き る と して る 。 こ の よ う な 行 わ れ て い る 。さ ら に債 権 関 係 の 訴 え に つ い て も 同 法 廷 で 裁 判 され,俗 人 に対す る動産 や 土地 を め ぐ る教 会 の訴 え もモ ンスの 法廷 にな されて い る。そ の上 で24条 で 『伯 の す べ て の 裁 判 は 同 一 の 条 件 の 下 に あ り,伯 は 全 て の 宗 主souveraindetOusで あ る が 故 に,公 け に裁 判 管轄 に関 して は,邦 の 慣 習に よ って 伯領 内 の小 裁判 も大 裁 判 と 同様,大 裁判 も小裁 判 と同様,伯 は これ ら を 所 有 す る 』と され て い る 。そ して,『 本 文 書 に 違 反 す る 全 て の 慣 行,全 て の 訴 訟 手 続 き は い かな る場 合 も何 ら力 を もた な い。事 件が 生 じた場 合 に は本文 書 に依 拠 しなけ れ ばな らず,本 文 書は 良 き 状 態 で 遵 守 さ れ ね ば な らな い 』と さ れ て い る。こ の 文 書 が 在 地 領 主 層 に つ い て 言 及 して い る の は,モ ンス の 法 廷 に よ る 死 刑 の 判 決 の 執 行,殺 人 者 の 財'産没 収 の 権 利 に つ い て の み で あ る 。 こ の 時 点 で 伯 の 権 利 と齪話 を起 こす慣 習法 の廃 止 が既 に明 確 に打 ち出 され て い るの であ る. 全 体 法 制 定 を め ぐ る 重 要 な 画 期 を な す の が,伯Gu韮11aumeに よ っ て 公 布 され た141Q年7月7日 の全 {20} 体 法 で あ る.こ れ は,伯 の 権 利 に 反 し,ま た 所 領 の 人 々 の 権 利 に 反 す る 多 く の 慣 習 が あ る と して,エ ノー の 全 体 議 会Elatsの 要 請 に よ り 『悪 し き慣 習 と 慣 行 を廃 し,良 き か つ 合 理 的 法 と慣 行 を 設 置 す る 』 た め に モ ン ス の 法 廷 に お い て エ ノ ー の バ イ イ の 面 前 で 作 成 さ れ た も の で あ る 。36条 か ら な る こ の 文 書 で は,モ ン ス の 法 廷 で の 殺 人 を 中 心 と した 訴 訟 手 続 き,債 権 ・債 務 関 係 の 訴 訟 が 大 き な 比 重 を しめ,モ ン ス の 法 廷 を 「最 終 審 た る 法 廷coursimperiaulssansressortueapplel」 と して い る 。 この 法 は そ れ 以 降 の 全 体 法 の 中 で 伯 に よ って 確 認 さ れ 、 引用 さ れ て い く も の で あ り,エ な 段 階 を な し て い る 。 こ こ で 指 摘 さ れ る の は,刑 事 裁 判,特 ノー 伯 領 に お け る 制 定 法 の 重 要 に 殺 人 に 関 す る 裁 判 と,債 務 関係 の裁 判 が モ ン ス の 法 廷 に 吸 収 さ れ,し か も,モ ン ス の 法 廷 が 他 の 裁 判 権 か らの 上 訴 審 と さ れ て い る(2条)点 で ある。 モ ンス の法廷 は 先述 した よ うに封 建法 廷 に遡 及 す るが 」4世紀 以降 全 体 法 に関 す る法廷 とな り,エ ノ ー の バ イ イ が,『 邦 の 慣 習 法 』coutumesdupaysに が 確 実 な も の と な っ て い た 。 ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ は,1338年 ノー 評 議 会 に属 す る こ と を み と め られ て い た が,1410年 よ っ て 判 決 を 下 す,宗 ∫1… 法廷 として の地位 裁 判 管 轄 文 書 に よ って,上 訴 につ いては エ の全 体法 に よって モ ンスの 法廷 へ の従 属 を余 儀な くきれ たの で あ る。 前 述 した よ う に ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ に つ い て 現 存 す る 最 古 の 首 邑 慣 習 法 文 書 はM19年 ツ の も の で あ り,191C年 の 全 体 法 起 草 以 後 で あ る。 す な わ ち,モ の ペ ル ー ヴ ェル ン ス の 首 都 と し て の 地 位 が 確 立 し, その 裁判権 を最 終審 とす る裁判 機構 が形 成 され,エ ノー 伯領の領 邦国 家 と して の政 治構 造が で きあが っ て い く時 期 に,ヴ 領 を2分 ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 慣 習 法 文 書 が 起 草 され た と い え る 。 伯 は,モ ンス と並 んで 伯 す る 形 で 強 力 な 勢 力 を誇 って い た ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ を こ の 組 織 に 組 み 込 む た め に,首 邑 都 市 と して の ヴ ァ ラン シエ ンヌの 既得 の慣 習法 を認 め る と共 に,そ の裁 判 管区 をモ ンス の法 廷 に結 合 させ て領 邦 の制 度 の 申に定 置 させ た と いえ よ う。 亘89 中世後 期工 ノー 伯領 の農村共 同体 一 ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の 首 邑 慣 習 法 文 .誓}とrrl由 とi'1治 」 一 おわ りに 本 論 で は,モ ン ス と並 ん で エ ノー 他 領 の 最 重 要 首 邑 都 市 で あ る ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑慣 習 法 文 書 に つ い て 分 析 し,1A-16世 紀 と い う 低 地 地 方 の 政 治 的 変 動 の 時 期 の 中 に そ れ を 位 置 づ け る こ とか ら,12 世 紀 以 来 の 農 村 共 同 体 の 「自 由 と 自治 」 の 全 体 像 を 捉 え る 作 業 の 一 環 と した い と考 え た 。 ま ず 指 摘 さ れ る の は,ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑慣 習 法 文 書 に つ い て も,モ ンス の そ れ と 同 様 に,成 文化 された 刑法規 定 の欠 如 を理 由 と して,そ の起 草 は村 の領主 も しくは代理 人の 要請 に よって行 われ て お り,上 位 権 力 か らの 主 導 性 が 働 い て い る 点 で あ る 。 領 主 に よ っ て 成 文 化 さ れ た 内 容 自 体 に村 の エ シ ュ ヴ ァ ン が 異 論 を 唱 え た 痕 跡 は な い 。 ま た,か れ らが 持 参 し た 文 書 の 内 容 が ヴ ァ ラ ン シ エ ンヌ の エ シ ュ ヴ ァ ン に よ っ て 変 更 さ れ た 痕 跡 も見 あ た らな い 。 通 説 に お い て は,首 邑慣 轡 法 文 書 は,十 分 な 刑 法規 定 を備 えて いな い村 落 に首 邑裁 判権 の判 断 を示す ため に作成 され た 文警 と規 定 され,同 じ首 邑裁 判権 に諮 問 した村 落が 同一 の刑法 規定 を もつ こ とで首 邑都市 を核 と した統 一 法適用 領域 がで きあが る と さ れ て い る 。 しか し,ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の 首 邑 慣 習 法 文 書 に つ い て み る と,こ の 時 点 で 求 め られ た の は,各 村 落 に確 立 し て い た 慣 習 法 の 内 容 を 首 邑 に 届 け 出 る とい う作 業 で あ り,こ れ ら の 法 を 画 一 的 手続 きに よって首 邑裁判 権 に収敏 させた のが 首邑慣 習法 文書 で あっ た。 と こ ろ で,モ ン ス の 場 合 に は,19世 紀 末 に は諮 問 の た め に到 来 した 村 落 名 と内 容 が エ シ 瓦 ヴ ァ ン に (21)(22〕 よ って 記 録 され,141C年 に は モ ン ス の 都 市 に そ の 権 限 を保 証 す る 文 書 が 賦 与 さ れ て い る 。別 稿 で 指 摘 した よ う に,モ ン ス の 首 曇 裁 判 権 に よ っ て 与 え られ た 首 邑 慣 習 法 文 書 の 内 容 は 罰 金 額 を も 含 め て か な り類 似 した も の で あ り,統 一 法 と して の 性 格 を 強 く も って い た と い え る 。 伯 の 行 政 の 中 心 に あ り,伯 権 力 に 忠 実 な モ ン ス の 首 邑裁 判 区 で は,首 邑 慣 習 法 文 書 の 起 草 は 当 初 か ら伯 行 政 の 一・ 端 と し て 押 し進 め られ,そ れ は,モ ン ス の 法 廷 を 宗 主 裁 判 権 とす る 伯 の 司 法 組 織 の 形 成 につ な が る も の と な っ た 。 そ れ に対 し ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ で 作 成 さ れ た 首 邑慣 習 法 文 書 は,モ ン ス の そ れ が 集 中 的 に 出 現 した 時 期 に 初 め て 起 草 さ れ,ま た そ の 内 容 は モ ンス の 場 合 の よ う な 統 一一 的 性 格 は 薄 い 。こ こ で 往 日 され る の は,と も か く も 各 村 の 裁 判 を そ の 首 座 裁 判 に 制 度 的 に 接 合 さ せ よ う と す る ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 意 図 と,そ の 裁 判 機 構 全 体 を モ ンス の 法 廷 に従 属 さ せ よ う とす る 伯 の 強 い 姿 勢 で あ ろ う。 諸 村 落 が 「ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 法 に 従 っ て 」判 決 を 行 う慣 行 は,12世 紀 以 来 ヴ ァ ラ ン シ:エン ヌ の 農 村 支 配 の た め の 強 力 な 手 段 で あ り,首 邑 慣 習 法 文 書 の 作 成 は これ を ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 権 限 と し て 明 確 に 承 認 した も の で あ った 。他 方 バ イ エ ル ン 家,次 い で ブ ル ゴー ニ ュ家 は この 首 邑 裁 判 権 を文 書 に よ っ て 明 確 に保 証 す る こ と に よ っ て,モ ン ス を 頂 点 とす る 公 国 の 司 法 制 度 の 中 に ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ を位 置 づ け る,換 言 す れ ば,伯 領 最 大 の 都 市 の 地 域 主 義 を 中央 集 権 化 に 結 び つ け る こ とが 繊 来 た と い え る 。 この 首 邑 裁 判 区 の 制 度 は,ブ ル ゴー ニ ュ 家,ハ プ ス ブル ク家 に よ っ て 制 定 され た 全 体 法 の 中 で 以 下 の よ う に 挿 入 さ れ て い る 。ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 裁 判 区 の 慣 習 法 の 成 文 化 は1534年4月12田 にカー 〔23} ル5tarに よ っ て 出 さ れ た 文 書 で あ る。 こ の 文 書 は カ ー ル5世 レ ヴ ォ,ジ の 命 令 に よ っ て,ヴ ァ ランシエ ンヌ のプ ュ レ,エ シ ュ ヴ ァ ン が 作 成 した 彼 らの 慣 習 法 の 草 案 で あ り,そ れ を 補 完 し修 正 す る た め に 2年 間 の 猶 予 が 与 え られ た 上 で そ こに 含 ま れ な い慣'ta'i法 は 全 て 廃 止 され る こ と とな った 。そ の 中 に125 条 か ら130条 ま で の6条 項 に 首 邑 と して の ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 権 限 が 規 定 さ れ て い る 。 孟25条 で は 190 rヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ の 都 市 は 首 邑 裁 判 と い わ れ る 首 座 裁 判 権 の 権 威 と 優 越 権aulori16elpr壱6minenceを も ち,そ の 権 威 は エ ノ ー,フ ラ ン ドル,カ ン ブ レ地 方,ト ゥー ル ネ地 方,そ の 他 の 地 域 の ボ ン ヌ ・ヴ ィ ル や村 落 に い き 渡 り,不 動 産 や 動 産 の 相 続 ・取 得 に 関 して は,ヴ られ て い る,以 ァラ ン シエ ンヌ の都 市 に お いて用 い 下 に の べ られ て い る よ う な 形 式 に よ っ て 規 定 さ れ,手 続 き を と ら れ る の で あ り,彼 ら は そ れ と違 反 す る そ れ ぞ れ の 他 の 慣 習 法 を も っ て は な らな い 』 と さ れ て い る 。 上 記 ボ ン ヌ ・ヴ ィ ル や 村落 が 当該地 の 治 安 や公 共 の利 益 の ため に文 書 を作 成 す る場 合 には,ヴ ァ ラン シエ ンヌ のプ レヴ ォ, ジ ュ レ,エ シ ュ ヴ ァ ン に よ っ て 作 成 さ れ ね ば な らず(12E条),そ こ で2通 の文 書 が 作成 さ れ …通 は ヴ ァ ラ ン シ ェ ン ヌ の 文 書 筐 に,他 は 当 該 村 の 領 主 に わ た され る(127条)。 さ ら に 首 邑 に 属 す る 居 住 地 の メ ー ル ・エ シ ュ ヴ ァ ン は ヴ ァ ラ ン シエ ン ヌ に 来 な け れ ば な らな い が,そ わ れ て い る(128条)。 の 費用 は ヴ ァ ラン シエ ンヌで支 払 こ の 文 書 は 長 く は 使 用 さ れ な か っ た よ う で,6年 ヴ ァ ン は メ ヘ レ ン の 法 廷 に 召 喚 さ れ,宗 後 プ レ ヴ ォ,メ ー ル,エ シュ 主 権 と 齪 酪 を 起 こす と み られ る 条 項 が 廃 止 さ れ た 上 で,1590 (24; 年3月231ヨ に カ ー ル5世 財 産 相 続,そ して,都 に よ っ て 新 た に 文 書 が 出 さ れ る こ と と な っ た 。 こ の 文 書 は,都 市 の フ ラ ン シ 一一ズ の 確 認,殺 人 ・追 放 と い っ た 刑 法 関 係 を は じめ 多 く の 内 容 が 162条 に わ た っ て 記 載 さ れ て い る 。 首 邑 に 関 す る 条 項 は5条 領,フ ラ ン ドル,カ ン ブ レ,ト ゥ ー ル ネ 地 方,そ か らな っ て い る が,第195条 に エ ノー 伯 の 他 の 地 域 に お け る ボ ン ヌ ・ヴ ィ ル と 諸 村 落 に 意 見 を 与 え るr権 威 と 優 位 権 』 の 承 認 を 繰 り 返 し,第147条 文 書 の 内 容 が,エ 市 の 裁 判 権, で ボ ン ヌ ・ヴ ィ ル や 村 落 の た め に 作 成 さ れ た ノ ー 伯 の 権 限 に 抵 触 しな い こ と が 付 加 さ れ て い る 。 低 地 地 方 に お け る 全 体 法 は1619 年 に 制 定 さ れ る が,ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑 裁 判 区 の 慣 習 法 に つ い て は241条 に わた って記 載 され て (z5) い る 。 そ れ で は,ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 首 邑慣 習 法 文 書 を 村 落 の 「自 由 と 自 治jに と っ て ど の よ う に位 置 づ け る こ とがで きるで あ ろ うか 。先 述 した よ うに,首 邑慣 習法文 書は 村 落 に新 たな 特権 を 与 え るもの で は な か った し,首 邑 裁 判 権 へ の 諮 問 も従 来 か ら行 わ れ て い た こ と で あ っ た 。 在 地 領 主 と所 領 民 の 黙 契 と して の慣 習 法 の成 文化 と い う点 で は,中 世 盛期 の 慣 習法 文 書 の 「自 由と 自治 」に通 じる面 が あ る も の の,領 主 の 恣 意 の 排 除 と い う所 領 民 の 自 由 に つ な が る 特 典 は そ こ に は な い 。 しか し,多 くの村 落 は 首 邑慣 習法 文 書 にお いて既 存 の独 自の慣 習 法 を保 持 しつづ け,大都 市 に よる農 村 支配,そ して ブル ゴー ニ ュ家 の 中央 集権 化 の 中で 出現 した 制度 の 中 に くみ こまれ る ことで,従 来個別 に賦 与 され て いた法 的 権 利 を保 証 され た とい う側 面 に は注 目 しな け れ ばな らな い。 董2世紀 か ら16世 紀 に い た る 農 村 共 同 体 の 法 の 類 型 を 整 理 し,1200年 き の 中 で そ れ ら を 捉 え 直 す こ とか ら,共 以 降 進行 す る統 一 一法 制 定 の 動 同 体 の 「自 由 と 自 治 」 の 流 れ を 総 括 す る こ と が 今 後 の 作 業 と な ろ う。 注 (1)拙 著r西 欧 中 世 慣 習 法 文 書 の 研 究 』 九 州 大 学 出 版 会,1992年 (2)拙 稿 「中 世後 期エ ノー 伯 領 にお け る農 村共 同体一 人 文 科 学 研 究 所 紀 要 』 第40冊,1996SE一,150-176頁 。 判 告 書に み られ る共 同体 の 「自由 と自治 」一jr明 。 治 大学 191 . 中 世後 期工 ノー 伯領の 農村共 同体 一 ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌの 首 邑 慣 習 法 文 書 と 亀 山 と1「1治」 一 . (3)最 近 の 研 究 と し てG.Sivery,S儲d疋!resag旧 龍 αv'cfu田1e5{珀r}s∫e撫f置1∂1」 械'a∬ η ゴI」mの 加4ge,2vo1.,Li】le,197E, t.1,pp,289-90;J.M.Cauchles,Lescharles-10isdanslecoml色deHal1旧ut:essaidebilan,in正ad'副 舶 励 deハ 細 川 ∼ π置 ∬c伽1e5α1佐}乙offθ ね∫1qγ幽 η(第22-255θ θ`1∼'1血,.Aαe54μco〃oq'・oo碧a'7'》 θdθBeaπ ρ∂r1乳15"ω'd厩d置eκ'∼e囎'oη η∼ α1'θ θ θ5 ∂'e(齢r{〃1'vθ ∬'re ρfθmbπ}'982,Nall〔:y,重988,pp.193-95. (4)拙 稿 「中 世 後 期 エ ノ ー 伯領 の 農 村 共 同 体 首 邑慣 習 法 文 書 と 「自 由 と 自 治 」 」 r明 治 大 学 人 文 科 学 研 究 所 紀 要 』 第44冊,1999年,132-M8頁 (5)Ch.Faider,C加fロme5desμ (6)L.Verr巨es琶,〃 サ5e∼com'6deH3」 η∂'",t.3,Bruxelles,1878,PP.301-305, ∼SII/fl'fα1∫ π∼{5dl{5wヨ'θ5.1}1'r〕dh`'fOf'3ぴ co加6db治",∂ 騨Coη ⊃[1<desrecord〔 北三《:'ors!こm∼05e'dつ∫10'5de5d∼e店 一"eακ"d桧 ∬冶πcゴen 叱MoilsetFramerles,1946:P6川welz(1419):pp,96-106;llerquegies(1423):pp.107-ll2;SaロRain〔1437): pp,124125;LaVacque∫ies(1495):pp.132-37;Do巴{clり ・(1941):ppj38-142;Hellesmes(1447-8):pp.143-48;Melle(1464): pp,童80-92;Bemissa腫(1466):pp.t93-201;PQui皇leetRos【eleur(1467-8):pp.202-213;Beuwages:G473-4):pp.214-235; Rouvignles(1491-2):pp.241-42;CamoyaMoustiers-lez-Flasnes(M98-99):pp.243-246;Esca[聖afne5(1506);pp.247一 251;Rosiξ (7)L.Verr置es建 ∋re〔152'.一31,1543):PP26?一74;Aubly(1525):pp,278-283;Germignies(1537):pp.284-91 。五θ だ8」'ηe5θ 磐 ηθ田fヨ1d旨 η5/ecom'6(ノ M.一A.Amould,Lesく ∼(8)Ch .Duviv王er、Aα くFranchesv6r重 θ 月/a"Jaμ'〔 カL)ぐ7e5fみc1θa1∂1∼6ivo加"α 〔6s>>aChiさvres,β θ∫et〔 拍cσmoη'5a'∼ α'e〃5加f6増 ω1ε伽dε17h5"ωf8rclr601㎏jqi∬ ヨ.Louvain,1961-7,PP,355-56: θ1毎8θoj5,t.98pp.15.29. ∬a'∼"∂ β θ槍1【∼ ε1θ,BruxeHes.1898,p.35L } (9}LVαriest.Tro隻schartesin6di〔es.Bulletinde)acoπ 葺η∫55jo鐸 π脚'ed7}∫5{oj∫ej909,P.12, (1①拙 稿 「ヴ ァ ラ ン シ エ ン ヌ の 「平 和 規 約 」(1114)一エ ノ ー 地 方 の 「都 市 的j自 学 』62号 。1984年,pp」 (11)H.Platellc(d釜r.).〃15foノ 5」∂cle5.ハr'θff加 {(12}Ch.Faider,ρ 1(13)lbid 由 に 関 す る 予 備 的 考 察 一j『 駿 台 史 一28. 配d白V旨'α1c'eη'1e5,L董1Ic,1982,p.66;L.NysetA.Salamagne(dig.),レ 吾1α1de'1ηe5∂ ぞ,κ♪σ>eαXVe ωf囎,Valenciennes,1996,PP.84-86 μd'..し3.pp.367-379. .,pp363-366;HPIatelle,qρ.c'f.,p.57.. (14)HPIatelle,qμclf.,pp.78-79;」.一MCauchies,MonsetValenclennesdevandegrandconseilduducdeBourgogne:巳mconni〔 deTonguedur6e(置394-144f),正 五〃〃θf'ρ(セlacoπ7」'"55fo'1fρy∂"}de5allcfθ'onesetordo1∼'Dance:doβe魯'qびe.L38,且997,PP・99・ 董71. (15)L.Genicoし 置.epremiers童 ξ …dedeIa脇cufia"deHainauI(106Cenv.一1195},Le八 面ycnAge,t.5?,1947,PP.37-60. (16)Ch.Fa毫der,(43.ci∼.,t.1,pp383-388. (17)Gis!ebendeMonsρ1π)η1coη 描 ηoη'θη5e,(ed.)L.Vanderkinderc.Bm×eHes,畳9⑪ (18)Ch.Faider(6d,),qρ.〔'1!」,Bruxelles,1871,pp.3一 知 一106 置7 (19)Ibid.,pp.20-24. (20)L.Devillers,(フaπIf1∂'rede5coη}'e5de1.飴'πaα'.〔 琵'旨 β3v'∼}re,`2,Bruxe1夏es,pp.451-73e【488『92;Ch.Faider,ρ 悟 ηeη肥.udeC召f1'∂ 童mio〃alamor`de/acq召e'jfiede ρ.c'`.,鑑 」,pp80-87et.88一108, (2】)M.VanHaudenard,Chaftes-10isaccoTd6esaux6dlevinagessoumisauchef-1ieudeMonsenllaina[11(1396-45),1;1,11ε 18con∼'η ∫55fOη ∫ρ夘1θ ㎡lris'o're,ユ 」08,pp,61一 伽db 豆26. (22)Ch,Faider,op.c鉱,し3,pp.35-46 (23)Ch.Faider,qμc"..t3,pp.L且5-459. (24}lbid.,13,pp.465.一506 . (25)1b∫dりpp.515-564, (さ い と う ・け い こ ■ 文 学 部 教 授)