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Page 1 Page 2 Page 3 一枚の絵がある(図1)。オメガの文学から生えた
\n Title <論文>一盲象を撫でる(スペイン古写本の世界)(2) : 『レ オンの 960 年聖書』彩色絵師と時代 Author(s) 野間, 一正; Noma, Kazumasa Citation 国際経営論集, 16/17: 25-44 Date 1999-03-25 Type Departmental Bulletin Paper Rights publisher KANAGAWA University Repository 盲象 を撫 で る(ス ペ イ ン古 写 本 の世 界)② 『レ オ ン の960年 聖 書 』 彩 色 絵 師 と時 代 野 間0正 エ スカ ラ ー ダ レオン か フ王 国 一 ニ ヤ● ノiレラー 二 糠 ター バ ラ ● ナ バ __ 〇ぞ 麟 , 螺 識 嬢 中世 前期修道 院写字室 瀬 撒 イスラム支配地 zs 盃 1.乾 一 枚 の絵 が あ る(図1)。 1) オ メガ の文 字 か ら生 えた 一 本 の樹 の両 側 に二 人 の 人 物 が 配 され て お り,オ メガ の 下 に は両 名 が 互 い に盃 を掲 げ て い る。 オ メ ガ の下 の各 々 の頭 上 に した た め られ た文 か ら,左 が フ ロ レ ンテ ィ ウス(フ ン シオ),右 ロレ が サ ン クテ ィウス(サ ンチ ョ)で あ る こ とが わ か る。 手 写 本 製作 者 が 自 らの 肖像 を挿 入 した最 初 の聖 書 で あ る。 恰 も嵐 吹 きす さぶ大 海 の長 い航 海 を無 事終 え今 港 に入 った 航 海 者 の よ うに, 「この 手 写 本 の終 りに慈 無 く到 着 す る こ と を吾 々 に許 し給 うた 天 の 王 は讃 え られ よ。」と,盃 を手 に,大 業 を成 功 裡 に果 た した充 実感 に浸 りつ つ フ ロ レ ン テ ィウ ス は叫 び,同 じ く盃 を手 に,弟 子 サ ン クテ ィ ウス は,「 吾 も同 じ く繰 り 返 す 。 神 は永 遠 に讃 え られ よ。 しか して吾 ら両名 を天 の王 国 に導 き給 わ ん こ とを。」 と,応 えて い る。 これ は,『 レ オ ンの聖 イ シ ドー ロの西 ゴー ト ・モ サ ー ラベ聖 書 』 また は ,『 レオ ンの960年 聖 書 』 と して知 られ て い る古写 本 の最 終(514)葉 を飾 る絵 で あ る。 この 聖 書 の製 作 者 フ ロ レ ンテ ィ ウス は,ふ 挿 し絵)の んだ ん に ミニ ア チ ュール(彩 飾 あ る西 ゴー ト聖書 を模 しつ つ も,イ ス ラ ム美 術 の要 素 を加 え,斬 新 な構 図,力 強 い タ ッチ,独 スペ イ ンに生 まれ,2世 特 の色 彩 に あ ふ れ た絵 で手 写 本 を飾 って い る。 紀 も もた ず スペ イ ンで終 った芸 術,10世 最盛 期 を迎 え,次 の世 紀 に は衰 え始 め,ロ 紀 に現 わ れ, マ ネ ス ク芸術 の到 来 に よ り,こ の 新 芸 術 に痕 跡 を残 す こ とな く消 え去 った モ サ ー ラベ 芸 術 。 そ の モ サ ー ラベ 芸 術 の精 華 とい う美術 的価 値 か ら して も,ま た,傍 註 に記 され た ラテ ン語 お よ び ア ラ ビア語 の 内容 の重 要 性 か ら して も,こ の聖 書 は稀 襯 本 中 の稀 襯 本 で あ る。 26国 際 経 営 論 集No.16・171999 講鰯 『 曄恥 鵡鮒 トr 轡 恥御 Y 扉,」 、 張も賭 ご 藁 笠 欝 嘉 ﹃鮎 ㌔ ・ 阪 図1 盃 を掲 げ る フ ロ レンテ ィウ ス とサ ンク テ ィ ウス 一 盲 象 を撫 で る(ス ペ イ ン古 写本 の世 界)② 27 2.聖 イ シ ドー 口参 事 会 聖 堂 縁 起 父 ア ル フ ォ ン ソIII世 存 命 中 か ら ガ リ シ ア の 地 を 統 治 し て い た オ ル ドー ニ ョ II世(914∼924)は,兄 ガ ル シ ア の 死 に よ り王 位 を継 い だ 。 そ し て,ア ゥー リア ス 王 国 の 領 土 が 南 へ 大 き く拡 が っ た た め,王 も,ま た,国 境 を守 る た め に も,オ ス ト 国 全体 を治 め るた め に ビエ ドか ら要 衝 の 地 レ オ ン に 遷 都,レ オ ラ ン王 国 と改 名 した(914年)。 ロー マ時 代 の遺 構 に築 か れ た 当時 の城 壁 の一 部 が今 も残 っ て い る。 3) そ の城 壁 に接 して 王 立 聖 イ シ ドー ロ参 事 会 聖 堂 が建 っ て い る。966年 洗 者 4) 聖 ヨハ ネ に小 さ な 聖 堂 が 奉 献 され た が,988年 た 。 ア ル フ ォ ン ソV世(998∼1028)が (1031年 ア ル マ ン ソ ー ル に よ り破 壊 さ れ こ れ を再 建 。 そ の 息 女 サ ン チ ャ と夫 コ ル ドバ ・カ リ フ帝 国 の 崩 壊 に よ り,イ 王 国 に分 裂 し弱 体 化 した 。 そ の 中,ト ス ラ ム 領 は 多 くの 小 タ イ フ ァ レー ド,セ ビ ー リ ャ王 国 な ど を 臣 従 さ せ る ほ ど強 大 な 力 を もつ に 至 っ た レ オ ン ・カ ス テ ィ ー リ ャ王 〉 フ ェ ル ナ ン ド 1齢 源 初 の基 盤 の上 に切 石 の塾 よ り運 ん だ 聖 イ シ ド6)p(イ ェ ル ナ ン ドの 後 を,1085年 を建 て,1・63年12月21日,セ シ ドル ス)の 遺 骸 を 祀 っ た.2年 トレー ドを 奪 取 し,国 次 男 の ア ル フ ォ ン ソVI世(1072∼1109)と ビー リャ 後 に残 した フ 境 を タ ホ 川 ま で 南 進 させ た, 後 継 者 に よ り,11世 紀 初 め に か け改 築 な らび に大 拡 張 が な さ れ,1149年 紀 末 か ら12世 聖 別 され た 。 現 在 の聖 堂 の 基 本 は この 時 の もの で あ る 。 地 下 聖 堂 は レ オ ン王 家 の 霊 廟(パ V世 ン テ オ ン,図2)で お よ び サ ン チ ャ ・フ ェ ル ナ ン ド1世 あ る。 ア ル フ ォ ン ソ 夫 妻 が 最 初 に安 置 さ れ,そ の 他 レオ ン王 家 の 人 々 の 奥 津 城 と な っ て い る 。 ど っ し り と した 円 柱 の 上 の 柱 頭 は 初 期 ロ マ ネ ス ク の 堂 々 と した 彫 刻 で あ る。 天 井 に 描 か れ た フ レ ス コ画 は名 高 く, ロ マ ネ ス ク の シ ス テ ィ ー ナ 礼 拝 堂 と称 さ れ て い る。 ヴ ァ テ ィ カ ン の シ ス テ ィ ー ナ礼 拝 堂 に は旧約 聖 書 28国 『創 世 記 』 の物 語 が 描 か れ て い る が,こ 際経営論集No.16・171999 のパ ンテオ "当繍 壷炉 欄 離審 図2レ L鶴 ・ ず オ ン王 家 の パ ン テ オ ン ン の 画 は新 約 聖 書 の 物 語 を モ チ0フ P に して い る 。 フ ェ 知 ル ナ ン ドII世(1157∼88) の 御 代 に 描 か れ,殆 緊 ど完 全 な状 態 で 保 存 さ れ て い る。 姫 6つ の 弩 薩i(き ゅ う り ゅ う) 天 井 と東 西 の 壁 を覆 っ て い 聾 7) 魏 る壁 画 は,東 側 中央 に 『 全 能 の神 』,南 に 『羊 飼 た ちへ の お 告 げ』,北 に 『 啓 示 』。 啓ン 飾雛 西 側 中央 身廊 に 『最後 の 晩 量 1癖1 餐 』,南 に 『 幼 な 子 殉 教 夢蛇綜 ﹃奪 ー・ 者 』,北 は壁 画 な し。南 壁 面 に 『受 胎 告 知 』 と 『 聖母 マ 1嵐 リアの 訪 問 』,次 い で 『 主の 顕 現 』,『エ ジ プ トへ の 避 銘 図3月 響 緬 暦図 一 盲 象 を撫 で る(ス ペ イ ン古 写 本 の世 界)②29 難 』,『聖 母 マ リ ア の 奉 献 』。 最 後 に, "釦 レ ψ ヨ」 晒 の 騰 西 壁 面 に 『神 の 小 羊 』,『 キ リ ス トの も畠』 礫 』。そ し て,月 々 の 労 働 を12の 円 の ζゐP 中 に 描 い た 月 暦(図3)は,上 酵 ff 画 とハ ー モ ニ ー を つ く りな が ら,当 ㎡.1. l'fザ 幹 τ臨ム磁 述 の 時 の 農 民 の 生 活 を 忠 実 に表 現 して い て興 味 深 い。 二纂 ll!'1残 3.「sso年 聖 書 」 プ ー函 図4西 ㌧ 鴨 ・ な ∫ この参 事 会 聖 堂 の附 属 文 書 館 は, ミニ ア チ ュー ル の手 写 本 を多 数 所 蔵 ゴ ー ト小 文 字 ア ル フ ァ ベ ッ ト して い る。 手 写 本 番 号2号 聖 書 』で あ る。 羊 皮 紙 に書 か れ た 手 写 本 は,サ で あ る 。2列51行 さ れ,旧 書 きで,514フ イ ズ が485×345mm,大 960年6月19日,バ 修 道 士,写 変大型 ォ リオ 。 文 字 は 西 ゴ ー ト小 文 字(図4)で ・新 約 聖 書 全 巻 所 収 。 製 作 者 は,彩 ン テ ィ ウ ス)平 は 『960年 字 サ ン チ ョ(サ 飾 挿 し絵 フ ロ レ ン シ オ(フ ン ク テ ィ ウ ス)神 記 ロ レ 父 。 奥 付 に よ り, レ ラ ー ニ カ 修 道 院 に お い て こ の 手 写 本 が 完 成 し た こ とが わ 8) か る。 聖 イ シ ドー ロ聖 堂 に は献 堂 の の ち 移 さ れ た も の と思 わ れ る。 4.モ サ ー ラベ 文化 ス ペ イ ン の 歴 史 を少 し遡 っ て み よ う。711年 リア 半 島 に 侵 入 し た 軍 勢 は,西 ジ ブ ラ ル タ ル 海 峡 を渡 りイ ベ ゴ ー ト王 国 を亡 ぼ し,数 年 の 間 に半 島 の殆 ど 全 土 を 占 領 す る に 至 っ た 。 た だ,北 部 の 峻 厳 な カ ン タ ブ リ ア 山 脈 の 彼 方 に逃 げ 込 ん だ 西 ゴ ー ト貴 族 の 一 部 は,そ の 地 の ア ス トゥー リ ア 人 お よ び カ ン タ ブ リ ア 人 の 協 力 を え て,イ 30国 ス ラ ム に 屈 せ ず,718年(ま 際経営論集No.16・171999 た は,722年)局 地戦 な が ら,対 イ ス ラ ム 戦 に 初 勝 利 を え,ア い え,圧 倒 的 な戦 力 の イ ス ラ ム に 対 し,ゲ っ て い た,と 一方 ,イ ス ト ゥー リア ス 王 国 を 建 国 した 。 と は リ ラ戦 に よ り細 々 な が ら独 立 を保 い うの が 実情 だ っ た。 ス ラ ム の 占領 地 に お い て,農 民 の 多 く は イ ス ラ ム に 改 宗 し た が, 9) 都 市 住 民 は キ リス ト教 を保 持 した 。 前 者 を レ ネ ガ ー ド,後 者 をモ サ ー ラベ と 称 す る。 モ サ ー ラベmozarabeと む 人,ま 1.イ は,ア ラ ビ ア 語musta`rab(ア た は ア ラ ブ化 した 人 の 意)に ラ ブ に な る こ と を望 由 来 す る語 で,以 ス ラ ム 支 配 下 の ス ペ イ ン に お い て,都 下 の 如 く用 い られ る 。 市 の 隔 離 地 区 に住 み,教 会 ・ 司 法 組 織 を 含 め 信 仰 の 保 持 を認 め られ た キ リス ト教 徒 。 一 定 の 義 務 と特 別 の 税 が 課 さ れ た 。 イ ス ラ ム 教 徒 との 婚 姻 を認 め ず,ま た イ ス ラム教 徒 の 召 使 を持 つ こ と もで き な か っ た 。 2.イ ス ラ ム の 文 化 要 素 を 携 え,北 の キ リス ト教 諸 王 国 へ 移 住 した 上 記 共 同 体 の キ リス ト教 徒 。 3.10世 紀 以 降 キ リス ト教 諸 王 国 で 発 達 し た,イ ス ラ ム 芸 術 の 要 素 を採 り 入 れ 西 ゴ ー ト様 式 と融 合 し た 芸 術 様 式 。 4.長 年 特 典 に よ りiロ ー マ 典 礼 に対 し古 西 ゴ ー ト典 礼 を 保 持 して い た , イ ス ラ ム 支 配 下 トレー ドの キ リス ト教 徒 。 モ サ ー ラベ が イ ス ラム文 化 の 多 大 な影 響 を う けて い た エ ピ ソー ドを述 べ た い 。 ゆ 1)「 若 者 が ア ラ ビ ア語 しか 知 らな い」 と古 老 が嘆 いて い る。 2)ラ テ ン語 が 理 解 で きず ア ラ ビア語 をマ ス ター す るキ リス ト教 徒 が増 え 11) た た め,モ 3)モ サ ー ラ ベ に よ る聖 書 の ア ラ ビ ア 語 へ の翻 訳 が 行 な わ れ た 。 サ ー ラ ベ の 殆 ど の人 が,ラ い た 。'例え ば,ス テ ン名 とア ラ ブ名 の2つ ペ イ ン人 司 教Recemundoの の 名 前 を有 して こ と を,RabbbenZaidと 一盲象を撫でる(スペイン古写本の世界)②31 い う 名 と ラ テ ン 語episcopus(司 教)に 相 当 す るal-usqutと い う肩 書 で ア 12) ラ ブ年 代 記 編 者 は記 して い る。 ダ マ ス カ ス の 政 変 に よ り,ア ッバ ス 朝 に よ っ て 倒 さ れ た ウ マ イ ヤ 王 家 の ア ブ デ ル ラ フ マ ン(1世,756∼788)は,ス を握 っ て,コ は,モ ペ イ ン に 逃 れ,敵 対 者 を破 り実 権 ル ドバ に 独 立 ア ミー ル 領 を創 設 した 。 彼 が 創 め た 後 ウ マ イ ヤ 朝 サ ー ラ ベ に 対 し弾 圧 を加 え,住 民 の 間 に度 々 反 乱 が 起 こ っ た 。 ア ス トゥ ー リア ス 王 国 の ア ル フ ォ ン ソIII世(866∼909)が で 国 境 線 を拡 大 し て か ら は,イ ド ゥエ ロ 川 岸 ま ス ラ ム 支 配 下 の モ サ ー ラ ベ が 大 挙 し て ド ゥエ ロ川 北 側 に移 住 し て き た 。 先 に2.で 述 べ た よ う に,オ ル ドー ニ ョII世 が レ オ ン に 遷 都 し,国 境地帯 の イ ス ラ ム の 侵 入 に よ り荒 廃 し て 人 の 住 ん で い な い 地 へ の 入 植 者 に特 権 を与 え た の で,有 力 者 や 修 道 士 に 導 か れ て ド ゥ エ ロ 川 流 域 に 入 植 す る者 が 後 を た た な か っ た 。 そ の 地 に 次 々 と修 道 院 が 建 設 さ れ,新 一方 ,南 の イ ス ラ ム 世 界 に 眼 を転 ず れ ば,コ しい 文 化 が 誕 生 した 。 ル ドバ を 中 心 に絶 頂 期 を迎 え よ う と し て い た 。 ア ブ デ ル ラ フ マ ンIII世(912∼961)は,929年 自 らカ リフ と 称 し宗 教 面 で ダ マ ス カ ス か ら独 立 して 絶 対 的 権 力 を有 し た の み な ら ず,政 治 ・軍 事 面 で も絶 大 な 力 を誇 示 した 。 従 っ て,レ 脅 威 に さ ら さ れ た 。 レオ ン王 国 に 属 し,前 ィ ー リ ャ伯 爵 領(889年 し,961年 5.彩 誕 生)は,活 オ ン王 国 は そ の 圧 力 を う け 衛 の 役 割 を果 た し て い た,カ 力 に 溢 れ,す フ ェ ル ナ ン ・ゴ ンサ レ ス(920∼970)に ぐれ た 戦 士 を 生 み,繁 栄 よ り独 立 伯 爵 領 とな る。 飾 挿 し絵 師 フ ロ レ ン シ オ 『960年 聖 書 』 の 製 作 者 の 一 人,写 字 者 サ ン チ ョ神 父 に つ い て は,手 最 終 葉 に 肖像 が 残 っ て い る とは い え詳 細 は わ か ら な い 。 他 方,彩 描 い た フ ロ レ ン シ オ は,10世 32国 ステ 写本 の 飾 挿 し絵 を 紀 初 頭 レ オ ン王 国 に入 植 した 多 くの モ サ ー ラ ベ 際経営論集No.16・171999 共 同体 に混 って,南 か ら北 へ P ' け 霧 移 動 した と思 わ れ る。 幼 時 よ 13} 袖 瀞擁 り写 字 に励 ん だ。 少 年 期 に カ ル デー ニ ャ修 道 院 に入 り,絵 爵膿藩灘州 鴻 糊欄酪轟 脇 膿 娩 儲 、規 端 、 ㌦諏畦為 、施襲 画 の技 を磨 き人格 を形 成 して い った。 カル デー ニ ャ修道 院 の写 字 室 は名 高 く,そ こで 製 14) 作 さ れ た 『ゴ メ ス の 聖 書 』 (910∼914頃)(図5)を 手本 に見 習 い 修 業 し た 。 た だ,こ こ で の 生 活 の 多 くの こ と は わ か らな い。 フ ロ レ ンシオ は司 雷卍 - 祭 に な らず平 修 道 士 で生 涯 を 終 え た。 図5『 ゴメ ス の 聖書 』 フ ロ レ ンシ オが 書 記 として 最 初 に行 な っ た 仕 事 は,19歳 の 折sカ ス テ ィ ー リ ャ の フ ェル ナ ン ・ゴ ン サ レ ス 伯 の 修 道 院 に対 す る 贈 与 文 書 で あ る。最 初 に手 が け た 手 写 本 は ,27歳,『 ー ニ ャ の 聖 書 』(943)で ー ロ聖 書 』 で ,脂 ある の 乗 り切 っ た42歳 名 は,978年11月24日 で,59歳 フ ロ レ ン シ オ は,カ る ほ か,バ 。 最 後 の手 写 本 は最 高傑 作 オ 『レオ ン の 聖 イ シ ド の 時 の 作 品 で あ る。 書 記 と して 最 後 の 署 で あ っ た。 ス テ ィ ー リ ャ伯 書 記 と し て6通 レ ラ ー ニ カ 修 道 院 の 写 字 室 で6つ 完 全 な 形 で 残 っ て い る も の は3つ,2つ の 贈 与 文 書 を記 して い の 手 写 本 を製 作 し た 。 そ の 中 で は数 葉 の み,あ との1つ は行 方不 明 で あ る。 以 下 の 如 し。 『オ ー ニ ャ の 聖 書(943)』(BibliadeUfa),シ 存 。J・Williamsに よ れ ば,こ ー一ロ ス 修 道 院 蔵 。12葉 半 残 の 聖 書 は レ オ ン の 聖 イ シ ド ー ロ に お い て1162年 一 盲 象 を撫 で る(ス ペ イ ン古 写 本 の 世 界)②33 15) 譜 鎌 + 匿 ・L'幣 鱗 念 入 り に コ ピ ー さ れ た(図 醒 難轡 5)0 黙,、 16) 『大 グ レ ゴ リ ウ ス 教 皇 の ヨ ブ 記 註 解(945)』(Moraliadel 麟 JobdelPapaGregorioel 鑑r簗 諮 Grande),マ 、懸 ー ・ 輪繍 軋繰 欝 魁 鞍轄 一 黛 構 、 耀, ド リ ー ド国 立 図 書 館 蔵 。 17) 『カ シ オ ドル ス の 詩 編 註 解 』 {ComentariodeCasiodoro sobrelosSalmos),レ オ ンの 王 立 聖 イ シ ドー ロ参 事 会 聖 堂 所 有 で あ っ た が,前 世紀 末略 奪 に あい行 方 不 明 。 18) 鋤 .燃日ギ 騨 ・一 ・ 『ス マ ラ グ ド ゥ ス の 説 教 集 』 図6「1162年 (HomiliasaSmaragdo),コ 聖書」 ル ドバ 司 教 座 聖 堂 蔵 。 モ サ ー ラ ベ 助 祭 ア ボ ガ レ ブAbogalebhに 贈呈。 19) 『(ミサ 中)副 助 祭 の た め の 読 調 集 』(LiberCommicus),ブ ル ゴ ス司教 座 聖 堂 蔵 。 数 葉 の み残 存 。 そ し て,『 レ オ ン960年 聖 書 』。 フ ロ レ ン シ オ とサ ン チ ョが 働 い て い た バ レ ラ ー ニ カ 修 道 院 の 写 字 室 に つ い て 多 くは わ か ら な い 。 た だ,両 識,技 術,才 能 に 関 し て は,10世 人 の 製 作 し た 上 述 手 写 本 か らみ る と,専 紀 ス ペ イ ン 内 写 字 室 の ト ッ プ に あ っ た と言 え よ う。 同 時 代 タ ー バ ラ 修 道 院 の 写 字 生 エ メ テ リオ(エ 櫻 に 隣 接 す る余 り快 適 と言 え ぬ 写 字 室(図7)に い る。 34国 際経営論集No.16・171999 門知 メ テ リ ウ ス)は,鐘 つ い て,次 の よ うに述 べ て 「タ ー バ ラ の 塔 よ,石 の 高 き塔 よ!エ 腰 を か が め て 作 業 を し,羽 そ こ の 最 も高 き場 所,即 メ テ リオ が3カ 月 にわた り ,坐 し, ペ ンの仕 事 の た め に手足 が 不 自由 に な った の は ち,図 書 館 の 第1室 , に お い て で あ20).」 バ レ ラ ー ニ カ 修 道 院 の フ ロ レ ン シ オ とサ ン チ ョ も似 た よ う な建 物 の 中 で 働 図7タ ー バ ラ 修 道 院 の 鐘 棲 に 隣 接 した 写 享 室 中 世 前 期 ス ペ イ ン 写 字 室 で 残 さ れ て い る唯 一 の 図 。 中 央 に マ イ ウ ス の 弟 子 エ メ テ リオ と左 に助 手 セ ニ オ ー ル,更 に 右 に も う一 人 協 力 者 。 『タ ー バ ラ の ベ ア ト本 』fol.167v. 一 盲 象 を撫 で る(ス ペ イ ン古写 本 の世 界)②35 い て いた と思 わ れ る。 サ ンチ ョは どの位 の期 間 この辛 気 臭 い 仕事 に耐 えた か わ か らな いが,フ ロ レ ン シオ は特 異 の 才 を認 め られ て いた とは言 え,過 激 な 労 働 は心 身 を消耗 した の で,41年 間 仕 えた カ ス テ ィー リャ伯 の供 を して カ ス テ ィー リャの 野 を適 遥 して い た時 浩 然 の気 を養 った に違 い な い。 フ ロ レ ン シオ は手 写 本 をつ くるた め に生 涯 を送 った 。 この 仕事 のた め に苦 心 惨 憺 しi犠 牲 を払 う こ とに よって 永 遠 の 褒 賞 を授 か る こ とを希 い なが ら, 全 身全 霊 を傾 けた 。 読 者 に羊 皮 紙 を丁 寧 に扱 う よ う に と,苦 悩 す る手 写 本 製 作 者 の祈 り とも称 す べ き章 句 を口 ず さん で い る。 「 書 くこ とを知 らな い人 は,こ の仕 事 が 何 ほ どの苦 労 もな い と思 って い る。 そ こで,読 者 諸 賢 に納 得 して いた だ くた め にs写 字 生 の仕 事 の酷 し さ につ い て説 明 した い 。即 ち,眼 り,腹 は膨 み,腰 は霞 み近 眼 とな り,背 中 に は瘤 が で き,肋 骨 は曲 が は焼 け る よ うに痛 み,全 っ て,読 者 諸 賢,一 身打 ち据 え られ た よ うに な る。 従 葉 一 葉 ゆ っ くり と捲 りた まえ。 一 行 一 行 指 で な ぞ っ て は な らな い。 なぜ な ら,雨 あ られ に よっ て折 角 の収 穫 が 台 な しに な っ て し ま う か らで あ る。書 物 に対 す る破 廉 恥 な読 者 の行 動 は呪 わ れ よ。」 フ ロ レ ンシ オ の一 葉.^一 に対 す る愛 情,思 6.ベ ア い入 れ の程 を よ く表 わ して い る。 ト 本 昨 年(1998年)3月 末,カ タ ル ー ニ ャ,バ レ ン シ ア,ク エ ン カ を旅 し帰 国 前 日 の マ ド リー ド。 初 め て 訪 れ た 地 区 の ホ テ ル か ら軽 い 昼 食 を 摂 ろ う と,バ ー ル の 建 ち 並 ぶ プ ア ン ・ブ ラ ー ボ 通 り に 歩 を す す め た 。 偶 々 入 っ た 本 屋(ス ペ イ ン に は 珍 し く,シ エ ス タ の 時 間 に も 日曜 日 に も 営 業 し て い る)で,《El BeatodeSanMigueldeEscalada》 ラ ー ダ(レ ア ト(ベ オ ン市 か ら28km)の ア ト ゥス)本 9世 紀 末,ア 36国 と題 し た 一 冊 の 本 に 出 会 っ た 。 エ ス カ サ ン ・ミゲ ル 修 道 院(図8)で の フ ァ ク シ ミル(複 ル フ ォ ン ソIII世 は,コ 際経営論集No.16・171999 製 本)で 製作 され た ベ あ る。 ル ドバ か ら追 放 さ れ て き た 修 道 士 た ち 継 驚 繊 :∵ 幽;1ジ 触 麟 噸 趨饗 蕪 ∵'m '鶴熱 ・ 幽 ・1盤詑 霜 へ ∵二鋤 図8サ に,荒 .1戒 ㌦ ン .,f嘗 ・ ミ ゲ ル ・デ ・エ ス カ ラ ー ダ 聖 堂 廃 した こ の 地 の 修 道 院 を寄 進 し,再 堂 は,913年 ー チ は ,コ 建 を 托 した 。 木 造 天 井3身 に 献 堂 さ れ た 。写 真 に み られ る よ う に,外 廻 廊 の 美 しい馬 蹄 形 ア ル ドバ の メ ス キ ー タ を 連 想 させ る代 表 的 モ サ0ラ こ の 修 道 院 で 作 ら れ,現 写 本 番 号644号)所 在 ニ ュ0ヨ 廊 の聖 ベ 建 築 で あ る。 ー ク の ピ ア ポ ン ト ・モ ー ガ ン 図 書 館(手 蔵 に な る この ベ ア ト本 は い と も豪 華 な 彩 飾 を施 さ れ た レ オ ン手 写 本 の ひ とつ で,力 ベ ア ト本 と は,ア 強 く神 秘 に み ち て い る 。 ス トゥー リア ス 王 国 リエ バ ナ(カ ト・トリ ビオ 修 道 院 の 修 道 士 ベ ア ト(ベ ン タ ブ リア 州)の ア ト ゥ ス)が,776年 ハ ネ 黙 示 録 註 解 』 の こ とで あ る。 原 本 は 失 わ れ た が ,次 現 存 す る手 写 本 は34で,こ サ ン に 著 わ し た 『ヨ 々 と コ ピ ー が 作 られ, の 他 失 わ れ た 手 写 本 が 少 な く と も半 ダ ー ス あ っ た と考 え られ て い る 。 現 存 す る最 も古 い 手 写 本 は,シ ー ロ ス修 道 院 所 蔵 の 断簡 (ミ ニ ア チ ュ0ル 世 紀 の も の で あ る。 ベ ア の あ る1葉)で,9世 紀 最 後 の4半 ト本 の 優 れ た 手 写 本 の 殆 ど は10世 紀 に 作 ら れ た もの で,数 エ ス カ ラ ー ダ の サ ン ・ ミゲ ル 本 は,写 スMaius(マ ギ ウ ス また は マ ヒ オ)で,製 も多 い 。 字 ・彩 飾 挿 し絵 と も に 修 道 士 マ イ ウ 作 の 年 代 は,註 か ら922年 あ るい は 一盲象を撫でる(スペイン古写本の世界)②37 926年 と読 め るが,ミ ニ アチ ュー ル の ス タ イル か ら判 断 す る と,も う少 し後 の 21>22) もの と考 え ら れ る。 ホ ア キ ン ・ゴ ンサ レ ス ・エ チ ェ ガ ラ イ に よ る と}952年 と な っ て い る。 『960年 聖 書 』 と同 時 代 で,同 価 値 に よ っ て,モ ウ ス は,こ 映画 術 的,文 書 的 サ ー ラ ベ ・ミニ ア チ ュ ー ル の 双 壁 と考 え られ て い る 。 マ イ の 後 タ ー バ ラ 修 道 院 で 別 の ベ ア ト本 の 製 作 に 従 事 した が,968年 残 し た た め,弟 7.お じ よ う な 特 徴 を有 し て お り,美 わ 子 の エ メ テ リオ(エ メ テ リ ウ ス)が970年 に に完 成 さ せ た 。 り 「十 戒 』 の ク ラ イ マ ッ ク ス で も あ っ た,モ い て 海 を渡 る場 面 を,『960年 ー セ が イ ス ラエ ル の民 を率 聖 書 』 の ミニ ア チ ュ ー ル(図9)で 見 て み よ う。 新 共 同 訳 聖 書 に よ る と, 「モ ー セ が 手 を海 に 向 か っ て 差 し伸 べ る と,夜 が 明 け る前 に海 は 元 の 場 所 へ 返 っ た 。 エ ジ プ ト軍 は 水 の 流 れ に 逆 っ て 逃 げ た が,主 は彼 ら を海 へ 投 げ 込 ま れ た 。」(出 エ ジ プ ト記XIV-27)。 モ ー セ が 大 き な 棒 を持 っ て 海 水 に触 れ る と,大 きな魚 に混 じっ てエ ジ プ ト 軍 の 首 や 手 が 浮 上 して い る。 モ ー セ の う し ろ に イ ス ラ エ ル の 民 。 軍 服 を纒 っ て い る モ,___セ以 外 は,踵 次 に,も まで 届 く長 い 服 の 上 に 長 い マ ン トを羽 織 っ て い る。 う ひ とつ の ミニ ア チ ュ ー ル を見 て み よ う(図10)。 エ ル ・エ ス コ リ ア ル の 王 立 サ ン ・ロ レ ン ソ修 道 院 所 蔵 に な る 『サ ン ・ミ リ ャ ン の ベ ア ト本 』 (10世 紀 末)の 『小 羊 礼 拝 』 の 場 面 で あ る。 両 者 を較 べ て み る とs衣 れ る もの で あ り,眼 服 は 渦 巻 線 も し くは 螺 旋 状 で 渦 巻 様 式 と も称 せ ら は 大 き くア ー モ ン ド形,鼻 か ら眉 毛 へ の 描 き方 な ど とて も よ く似 て い る。 筆 者 は,先 ロ ー ナ)を 38国 述 の 如 く,昨 年3月 訪 れ た 際,司 カ タ ル ー ニ ャ を旅 し た 。 そ の 折 ヘ ロ ー ナ(ジ 教 座 聖 堂 所 蔵 の ベ ア ト本(975年)を 際経営論集No.16・171999 見 る こ とが で き 可.心 'い や 晦 パ ・ 話 ・ 灘 灘灘 ゴ,,' ,`畷 '門 桝^ ' 榊 伽桝 蹴繭 鋤 繕論酬 ㎝ `綴瓢1織 繍 嚇"嚇" 壷 槻欝 繍 壷 が 轟 覧 叶 曳 都 ノ㌍ 岬1・ 醐 Ψ 臨 キ む ρ ゼ1ざ+1 蟷 ∵箒 バ,♂ 嚇 岬 、 メ4 F 蜥 噌 鵡 づ ド ち x,ザ 禦 ドFI・ が ζ1ト 甲 信∴ ' 〆が 与 、.γ 図9「960年 聖書」 r 」 図10「 サ ン ・ ミ リ ャ ン の ベ ア ト本 」 一 盲 象 を撫 で る(ス ペ イ ン古 写本 の 世 界)②39 た 。 これ は970年 の タ ー バ ラ本 を 完 成 さ せ た エ メ テ リオ が 作 っ た も の で あ る。 現 存 ベ ア ト本 は い くつ か の 系 統 に分 け られ て い る が,筆 ば,『960年 見 し た 感 想 か ら述 べ れ 籍撫 擁欝 で は な い の で そ の こ と は論 ず る こ とが で き な い が,一 者 は特 に調 べ た わ け 聖 書 』の ミニ ア チ ュ ー ル の 人 物 像 の 描 き方 は,『 サ ン ・ミ リ ャ ン本 』 の そ れ に 非 常 に近 く,『 ヘ ロ ー ナ 本 』 とは 遠 い とい う こ とで あ る。 『ヨハ ネ の 黙 示 録 』は,新 約 聖 書 の 最 終 巻 で あ り,ベ .㌦ ・ い う説 が あ る。 ア ト本 は そ の 註 解 で あ る 舞 ヶ 翫 難 渉 メ ぐ リ サ . 、、・ 翻 難 戸 . ギ 聡駄 馨 、,,葦 . , タ嘩ジ リ' ∴ 揺 .. . 、. ∵鰭 懸 蠣 舞 "' ∵ . 馨 魂膿 ∴蓄 磐総纏 襲儀メ 豪 ℃ 懸爆 喪 失 した ベ ア ト本 の 中 に フ ロ レ ン シ オ の 作 品 が あ っ た,と 鰯 篤潔 痕 ミ 、︾ 、 窺 ゴ 弘難 ` 概 脚 ・ ﹀ 、 濾 国鵜 ・ぐ 纒 盤 難 韓.課. ㌔懇 礁 , 甑 ㎜ 覗 16 集 論 営 経 際 国 か ら,フ ロ レ ン シオ が 手 写 本 の一 つ を手 に した こ とは充 分 考 え られ る し ,新 た な手 写 本 を作 った と して も不 思 議 で は な い 。 また,モ サ ー ラベ 美 術 とい う点 か らみ る と,レ オ ンの司 教 座 聖堂 に は ア ン(ヨ ハ ネ ス)・ デ ・アル バ レス の 『920年聖 書 』(図11)が ,フ 所 蔵 され てい る。 モ サ ー ラベ 聖 書 の 先駆 け を なす 作 品 で あ る。 10世 紀(中 世 前 期)の レオ ン(・ 本 に共 通 して い る こ とは,す サベ ル女 王 の時1書 カ ス テ ィー リャ)で 作 られ た これ ら手 写 べ て修 道 院 で製 作 され た こ とで あ る。 先 年 《イ 二 つ》 で 論 じた 中世 末 の手 写 本 は ,都 市 の職 人 に よ って 製 作 され た もの で あ った。 この 中 間,即 ち,中 世 中期 に お い て 宮廷 にお い て 王 に仕 え て い た画 家 の 製 作 した手 写 本 につ いて も別稿 で取 り上 げ な けれ ばな らな い で あ ろ う。 表1現 製作年代 存 《ベ ア ト本 》 一 覧 衰 所 蔵 施 設 出 IX世 紀 シー ロス修 道 院 シ ル エ ー ニ ャ(リ X世 紀前半 マ ド リー ド国 立 図書 館 サ ン ・ミ リ ャ ン 952 ニ ュ ー 962-970 ヨ ー ク ,モ ー ガ サ ン ・ ミゲ ル 写本/ 断簡 所 オ ハ) ・ デ ・エ ミニ アチュー ル 有/無 断簡 写本 写本 有 有 有 ン図書館 ス カ ラー ダ マ ド リー ド国立 歴 史 文 ター バ ラ修 道 院 写本 有 写本 写本 写本 有 有 有 断簡 断簡 無 無 断簡 写本 写本 無 有 有 書館 970 バ リ ャ ド リ ー ド大 学 バ ル カバ ー ド修 道 院 975 ヘ ロー ナ司 教 座 聖 堂 ヘ ロ ー ナ 司教 座 聖堂 X世 紀 セ オ セオ ・デ ・ウ ル へ 一 ル ・デ ・ ウ ル へ 一 ル 司教座 聖堂 司教座聖堂 X世 紀 マ ド リー ド国 立 図書 館 不明 X世 紀 サ ドゥエ ニ ャス修 道 院 ン ・ペ ド ロ ・デ ・ ド ウエ ニ ヤ ス X世 紀 X-XI世 紀 )q世 紀(初) シー ロス修 道 院 ナーヘ ラ エ ス コ リア ル サ ン 。ミ リ ャ ン マ ド リ ー ド歴 史 ア カ デ サ ン ・ミ リ ャ ン ミー 一 育 象 を撫 で る(ス ペ イ ン古 写本 の 世 界)②41 マ ドリー ド国 立 図 書 館 1047 ド ー ロ ・デ ・ 写本 有 サ ン ・ス ヴ ェ ー ル 修 道 写本 有 写本 有 断簡 断簡 無 無 写本 写本 写本 断簡 有 有 有 無 ア ラゴン 写本 有 ア ラ ゴ ン? 写本 有 写本 断簡 写本 無 有 有 写本 写本 有 有 断簡 有 写本 有 写本 断簡 写本 無 有 無 写本 無 サ ン ・イ シ レオ ン パ リ国立 図書館 !075 院 ブ ル ゴ ・デ ・オ ス マ 司 ブ ル ゴ ・デ ・オ ス マ 司 教座聖堂 教座聖堂 )q世 紀 モ ンセ ラー ト修 道 院 サ ア グー ン修 道 院 XI世 紀 バ リ ャ ド リー ド大 法 官 サ ア グ ー ン修 道 院 1086 廷 ヘ ロ ー ナ トリノ国 立 図書 館 1100 1109 大英図書館 シmス XH世 紀(初) ベ ル リン国立 図書 館 南 イ タ リア XH世 紀(初) バ ル セ ロ ー ナ,ア モ ンタ レー グ レの カ ル ラゴ トゥジ オ修 道 院 ン王国文書館 mマ,リ X皿世紀(初) 修道院 ンチ ェイ ・ ア カ デ ミー マ ン チ ェ ス タ ー,ラ XH世 紀 イ ラ ン ド図 書館 X旺世 紀 サ ラマ ン カ大 学 ボ ブ レー ト修 道 院 X∬世 紀 レオ ン県立文書館 レオ ン 1189 リ ス ボ アyト サ ン ・マ メ ー ド修 道 院 ー レ ・ド ・ トン ボ文書 館 X皿世 紀(終) パ リ国立図書館 ナバ ー ラ XH世 紀(終) パ リ国立図書館 サ ン ・ア ン ド レ ス ・ア ロー ヨ修 道 院 XH-X皿 世紀 1220 マ ド リー ド国立 考古 学 サ ン ・ペ ド ロ ・ デ ・ カ 博物館 ル デー ニ ャ修 道 院 ニ ュ ー ヨ ー ク,モ ー ガ ラ ス ・ウ エ ル ガ ス 修 道 ン図書館 院 X皿世 紀 リスボア国立 図書館 ア ル コバ サ修 道 院 xm世 紀 メ キ シ コ国立 文 書 館 カ ス テ ィー リ ャ 1552 ヴ ァチ カ ン図 書館 プ ラセ ン シア本 の コ ピ 一 XVI世 紀 エ ス コ リア ル べ 一 レス侯 爵 上 掲 表 は,《ObrascompletasdeBeatodeLiebana》BACMaior(47),1995,P・ XXXIIに 42国 基 づ い て 作 成 し た 。 際 経 営 論 集No.16・171999 駐 1)神 で あ る 主,今 お ら れ,か つ て お られ わ れ る 。 「わ た し は ア ル フ ァ で あ り,オ 同 訳 聖 書 。 な ら び に,同 の 文 字 。 す な わ ち,万 2)紀 元68年,ガ ,や が て 来 ら れ る 方,全 メ ガ で あ る 。」(ヨ ハ ネ 黙 示 録1-8)新 書XXI-6,XXII-13。 共 ギ リ シ ア 語 の 最 初 の 文 字 と最 後 物 の 最 初 で あ り最 後 で あ る の 意 ル バ 帝 に よ り 第7軍 能 者 が こ う言 団Legionの 。 駐 屯 地 とな る 。Le6nは これ に 由来 。 3)ReadColegiatadeSanIsidoro . 4)Almanzor(940∼1002)。 ーナ ,レ オ ン,サ コ ル ドバ ・カ リ フ の 宰 相 ・軍 最 高 指 揮 官 ン テ ィ ア ゴ ・デ ・コ ン ポ ス テ ー ラ な ど 破 壊 ,略 は 北 の キ リ ス ト教 諸 王 国 に と っ て 脅 威 で あ っ た 5)FernandoI。 。バ ルセ ロ 奪 。 そ の遠 征 。 レ オ ン ・カ ス テ ィ ー リ ャ 王(1038∼65 ,1029∼65)。 ナバ ー ラ の サ ン チ ョ大 王 と カ ス テ ィ ー リ ャ 伯 サ ン チ ョ ・ガ ル シ ア の 息 女 ム ニ ア ド ー ナ の 間 に 生 ま れ た 次 男 。1029年 よ り,カ カ ス テ ィ ー リ ャ 伯(ガ ス テ ィ ー リ ャ 伯 領 相 続 。1032年 と婚 姻 。1035年 カ ス テ ィ ー リ ャ を 王 国 に 昇 格 し て 本 格 的 に統 治 開 か れ る 。1037年 レ オ ン 王h。 6)聖 イ シ ド ー ロIsidoro(560頃 り,古 ,レ 。 サ ン チ ャ持 参 オ ン ・カ ス テ ィ ー リ ャ 間 に 戦 端 翌 年 フ ェ ル ナ ン ド は レ オ ン 王 に即 位 レ オ ン に お い て 残 。 《DiccionariodeHistoriadeEspa飴 deQccidente,1968,pp.63-fi5 。1065年12 ②》 ,Revista . ∼636)。 代 の 学 問 的 遺 産 を 後 世 に 伝 え,中 した 。 著 書 に 『 起 源 論 』 な ど 。 な お,イ ー ドの 守 護 聖 人 死 に レ オ ン 王 ベ ル ム ー ドIII世 の 妹 サ ン チ ャ の 領 地 を ベ ル ム ー ドIII世 が 奪 っ た こ と か ら 月27日 ル シ ア ・サ ン チ ェ ス)の セ ビ ー リ ャ大 司 教 。 該 博 な知 識 に よ 世 キ リ ス ト教 世 界 に 多 大 の 影 響 を 及 ぼ シ ー ド ロIsidroは 別人 。 農 夫 で マ ドリ 。 7}((EspanaGuiaArtisticaencolor ,Everest,1981,pp.330-332. 8)AntonioVifiayoGonzalez《CODEXBIBLICASLEGIONENSIS(Bibia visigotico-mozarabedeSanIsidorodeLeon)》 大 。 旧約 聖 書 ,UniversidaddeLeon。 『出 エ ジ プ ト記 』 の フ ァ ク シ ミル2葉(4ペ ー ジ)の 原寸 註 釈 として 書 か れ た論 文 。 9)レ ネ ガ ー ド=イ の み な ら ず,地 ス ラ ム 侵 入 後 イ ス ラ ム に 改 宗 し た 元 キ リ ス ト教 徒 位 ・財 産 を 守 る た め に 貴 族 ・有 産 階 級 の 者 も あ っ た 。下 層 階 級 。 }盲 象 を撫 で る(ス ペ イ ン古 写 本 の 世 界)②43 マ ウ ラ=イ ス ラ ム に改 宗 す る こ とに よ り自由 を えた 元奴 隷 。 ム ラ デ ィ ー=キ リ ス ト教 徒 と イ ス ラ ム 教 徒 の 間 に 生 ま れ た 子 供 。時 と と も に 増 加 。 J.L.AsianPena((ManualdeHistoriadeEspana)),Bosch,1977,pp.70-71. 10)T.Terrero《HistoriadeEspana》,Sopena,1977,p.73. 11)な お,大 部 分 は 失 わ れ た が,10世 紀 半 ば コ ル ド バ のIsaacb.Velascoに よ り 訳 さ れ の ち コ ピ ー さ れ た 福 音 書 が レ オ ン 司 教 座 聖 堂 に 所 蔵 さ れ て い る 。H. Escolar((Losmanuscritosespanoles)),FundacionGermanSanchez,1996, pp.72-73. 12)《DiccionariodeHistoriadeEspana③ 13)こ の こ と は,モ 》,P・1141・ サ ー ラ ベ 助 祭Abogalebhに 聖 堂 所 蔵 の 手 写 本Smaragdoの 14)ブ 中 で,フ 贈 呈 さ れ,現 在 コ ル ドバ 司 教 座 ロ レ ン シ オ 自 ら述 べ て い る。 ル ブ ス 司 教 座 聖 堂 蔵 。モ サ ー ラ ベ ・ミ ニ ア チ ュ ー ル の 先 駆 け 。《Losmanus- critosespa五 〇les》,P.413. 15)J.Williams((ElBeatodeSanMigueldeEscalada)),Casariego,1991,p. 22. 16)大 グ レ ゴ リ ウ ス 教 皇(在 17)カ シ オ ド ル ス(490頃 位590∼604)。 ∼583頃),聖 人 。 ロ ー一マ の 政 治 家 ・学 者 。 古 代 文 化 を キ リ ス ト教 世 界 に 伝 達 す る の に 貢 献 。 18)ス マ ラ グ ド ゥ ス(?∼82ご ろ 〔マ マ 〕)。 ア イ ル ラ ン ド 出 身 と 推 定 さ れ る ベ ネ デ ィ ク ト会 修 道 士 。 シ ャ ル マ ー ニ ュ と ル ー ド ヴ ィ ヒ 敬 度 帝 の 顧 問 官 。 聖 ベ ネ デ ィ ク ト 修 道 会 則 の 有 名 な 会 則 を 著 わ し た 。 『キ リ ス ト 教 史 ③ の 成 立 』 講 談 社,1981,p.241。 19)《Losmanuscritosespanoles》,p.407. 20)J.E.Nufio《HistoriadeArteespanol》,SGEL,1996,P-56. 21)J.Williams((LaminiaturaespanolaenlaAltaEdadMedia)),Casariego, 1987,p.70. 22)《ObrasCompletasdeBeatodeLiebana》,BAC,1995,p.XXXII. 44国 際 経 営 論 集No.16・171999 中 世 キ リ ス ト教