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第 66号 - 日本民放クラブ
2002年 (平成 14年 )6月 ・民放 くらぶ ・第 66号 サ ウジ アラビアの放 送 局 開 設 に携 わ って 第 4次 中 東 戦 争 に 揺 れ た 8 ヶ 月 TB邑 加藤 卓 ︵ ジ 、 研 修 生 の帰 国後 機 器 据 付 工事 、 隊 が 現 地 入 り し て イ タ リ ア の会 社 が 担 当 し た 総 大 理 石 造 り の局舎 。 の完 成 が近 づ いて いた 私 は完 工 後 の引 渡 し以 降 6 ヶ月 の保 証 を 担 。 当す る任 務 を与え ら れ て いた ジ 1 9 7 3年 8月 3 日午 後 8時 に 助 を 約 束 し た も の で 、 国 際 入 札 に レ バ ノ ン の首 都 ベイ ル ー ト を 発 っ 日 本 か ら 機 材 メ ー カ ー と 商 社 の 四 、 た サ ウ ジ 航 空 7 3 5便 は 間 も な 社 連 合 チ ー ム が 応 札 し て 一番 札 で く サ ウ ジ ア ラビ ア王 国 の東 部 の街 落 札 し た も のだ った 。 ダ ー ラ ン に着 陸 し よ う と し て いた 。 こ の連 合 チ ー ム に東 京 エレ ク ト 、 。 そ れ ま で窓 外 に は 暗 闇 が 拡 が っ ロ ンが 参 加 し て いた 当 時 同 社 は 、 て いた が 機 体 が 大 き く 高 度 を 下 T B S の技 術 局 長 だ った 遠 藤 幸 吉 、 げ 耳 に 痛 み を 感 じ た 時 いく つも さ ん が 社 長 だ った こ と か ら T B S 予 想 外 の電 源 事 故 、 の赤 く ゆ ら ぐ 炎 が 目 に 飛 び 込 ん で に 要 請 が あ り 思 いも か け ず 私 が サ ソリ の 恐 怖 P き た 。 そ れ が 石油 採 掘 サ イ ト か ら 担当を命 ぜら れた。 、 5 8月 4日午前 0時 1 こ の年 の 3 月 に は す で に サ ウ 生 じ る ガ ス を 燃 す 炎 だ と 判 った 分 街 路灯 の 、 。 0 の 時 私 のサ ウ ジ ア ラビ ア王 国 リ ヤ ジ ア ラビ ア 王 国 情 報 省 か ら 1 名 輝 く リ ヤ ド に無 事 到 着 タ ラ ップ ド ラ ジ オ 放 送 セ ン タ ー建 設 の現 地 研 修 生 が 来 日 し て 2 ヶ月 間 のト レ を 降 り ると 深夜 にも か か わ らず む 、 。 っと を じ る中 で の仕 事 の始 ま り を 実 感 さ せ ら れ ー ニングを 受 け て いた で 熱 気 感 仮 設 の荷 。 た メ ー カ ー各 社 の 工 場 で製 造 さ れ 物 引 渡 し 場 の外 か ら ﹁ 加 藤 さ ∼ ん﹂ 、 こ のプ ロジ ェク ト は サ ウ ジ ア て いる機 器 の説 明 お よ び T B S ラ と 呼 ぶ声 が聞 こえ た。 先 行 し て い とし ア ジ タジ ラビ ア て オ オ の ス 近 政 策 一 で の い た 工事 隊 の中島 ・山 本 両 氏 が出 迎 化 環 代 実 機 訓 取 扱 練 。 メ リ カ の故 ケ ネ デ ィ ー大 統 領 が 援 な ど であ る え に来 てく れた のだ 。 総大理石造 りの ラジオ局舎 2002年 (平成 14年)6月 ・民放 くらぶ ・第 66号 ノ 、 ︲ 3 東 京 を 7月 3日 に発 ち ベイ ル いる 1 万 ボ ルト 超 高 圧 も 異 常 は 無 。 ート 5 く 日 し 目 目 え に を と ひ で 的 い て 乗 換 地 踏 の つが ひ 暫 分 電 盤 ⑤ し て いる のを した。 どく んだ 安 堵 感 が全 身 を 包 む 。 傷 見 損 発 。 5 セ ンチ ほ ど の 翌 日か らに し い日程 が始 ま った 中 を 見 る と 体 長 1 サ 、 ま ず 東 京 で取 得 した 二週 間 滞 在 ソリ が 二 匹 黒 焦 げ に な って いる 。 、 のビ ザ の更 新 を 行 う べく 情 報 省 に 接 続 ケ ー ブ ルも 焼 け 焦 げ て い て 着 任 の挨 拶 を し身 分 証 明 の発 給 を 絶 縁 不 良 と ブ レ ー カ ー 類 の損 傷 も 、 、 、 。 受 け て 入 国管 理 務 局 出向 き 放 し く 通 電 不 可 能 は 明 白 だ 事 へ 2 ヶ月 間ビ ザ を 取 得 でき た 。 さ ら に局 員 が 告 げ る ﹁ き のう 中 6 ヶ月 の保 証契 約 が結 ば れ て い る の でビ ザ が 切 れ る前 に 一度 カイ ロか ベイ ルート に出 国 し てビ ザ を 再 取 得 す るよう にと の指 示 があ っ 。 ぽ 若 た こ のた め 思 わ ぬ 国外 旅 行 の機 、 会 を 与 え ら れ そ の後 エジプ ト と レ バ ノ ンを 数 回往 復 す る事 にな る。 し か し良 い事 ば かり では な い。 、 、 0 1月 5日 ビ ザ 退避 でカイ ロ ベ イ ルー ト と 回 リ サ ウジ 西海 岸 の都 、 市 ジ ェッダ に 一泊 翌 6 日 にリ ヤ ド に帰 着 す ると 、 ま だ 使 用 開始 前 の スタジ オ の駐 車 場 に情 報 省 の車 。 。 が多 数 止 って いる 私 の顔 を 見 て 東 戦 争 が 始 った ﹂ サ ウ ジ も エジ 、 。 プ ト シ リ アと 共 に 正 式 に 宣 戦 布 局 員 が 一斉 に大 声 で喚 き 出 し た 。 手 を 引 張 って ﹁ 電 源 棟 へ行 け﹂ と 告 を し た と いう お ま け に前 週 の ⑤ 7 日 か ら l ヶ月 の ラ マダ ン に 言 う 現 場 に駆 け つけ ると 焦 げ 臭 9 月 2 く て、 非 常 灯 が ほ ん のり 点 灯 し て 入 って いる か ら 日 中 の飲 食 は 一切 。 いるだ け で照 明 がす べ て消え て い 禁 止 であ る 正 に 三 重 苦 が 一度 に 。 し 寄 せ てき た 。 る は 回 って いな い 非 電 常 用 発 機 押 し 、 市 内 の発 電 所 か ら 配 電 さ れ て こ の時 す で に 工事 隊 は 帰 国 し た 。 後 で私 一人 が残 って いた と にか く 、 電 源 の回復 のた め在 リ ヤ ド の 米 工 兵 隊 の専 門 家 チ ー ム に応 援 を 。 依 頼 す る 翌 日数 名 の技 師 が来 局 し 、 あ り 合 せ の部 品 を 使 って修 理 、 を し てく れ た 。 そ の間 に 局 員 の 手 で非 常 用発 電 機 を 操 作 し 緊 急 送 。 電を 行 いホ ッと 胸 を 撫 で お ろし た 第 4次 中 東 戦 争 身 辺 の安 全 を 確 保 せ よ も う ひと つの大 問 題 ﹁ 第 四次 中 、 東 戦 争 ﹂ の方 は 局 員 た ち の話 で は 緒 戦 で ア ラブ 側 が大 勝 利 と の こ 、 と し か し私 は大 本 営 発 表 を 体 験 し て いる年 代 だ け に 一抹 の不安 を 禁 じ得 ず B B C の地 中 海 中 継 短 波 、 放 送 の ニ ュー スを 聞 く な ど し て 。 情 報 の確 度 を 上 げ る努 力 を した 、 、 当 時 リ ヤ ド には 外 国大 使 館 商 社 事 務 所 は全 く 設 置 さ れ て いな 。 か った 局 前 の テ レビ 通 り にあ る ア ラビ ア石 油在 リ ヤ ド事 務 所 と 電 。 話 連 絡 を 密 に行 って いた リ ヤ ド 、 の在 留 邦 人 は ア ラビ ア 石油 の家 。 族 を 含 め数 名 のみ であ った 、 二週 間 ほど 経 ち 東 京 か ら の指 。 身 辺 の安 全 を 確 か 令 が 届 いた ﹁ 、 め ベ イ ル ー ト ヘ出 国 し J N N パ リ 支 局 長 の原 氏 ︵A B C ︶ と スタッフの引継 ぎ ・中央 カロ 藤氏 2002年 (平成14年)6月 ・民放 くらバ 。第 66号 ︶ 。 。 ト イ レ ット ベー パ ー の 合 流 し て様 子 を 見 よ﹂ 送 信 所 は フ ラ ン ス の手 です で に く 曰く ﹁ 、 前 回 ベイ ルー ト で取得 した ビ ザ 4年 前 に完 成 し て い て 中 波 1 2 買 溜 め ﹂ ﹁練 炭 火 鉢 が 大 売 れ ﹂ w、短波 3 5 0 齢 の体 制 が整 等 々 の耳 を 疑 う 話 の続 出 で 日本 の が 一ヶ月 と 短 期 のも のだ った の で 0 0 k 0月 2 4日夕 の って いる。 中 波 と F Mは旧 スタジ ビ ザ 退避も兼 ね て 1 刻 近 未 来 がど う な る のか 不安 な 日 々 。 オ ら 。 。 か 放 送 を し て いた 次 の段 階 を 過 ご し た 次 期 ト レ ー エング の 便 で ベイ ルート に向 け 出 発 し た 、 、 通 常 な ら 二時 間 ほど で ベイ ルート と し て 現 用 スタジ オ の スタ ッフ 交 渉 役 で東 京 か ら来 た 人 の話 で 、 に こ 日 に は にも 新 設 スタジ オ施 設 の運 用 ・保 そ れ ら が 現 実 であ ると 聞 き 石油 輸 る の の す 戦 到 着 争 地 、 、 守 の訓 練 を 実 施 し て欲 し いと 要 請 出 国 の真 ん中 に いる自 分 を 考 え る 域 を 避 け てク ウ ェート イ ラ ン 、 ト ル コ、 キプ ロス の と 雑 な 心 境 であ った 。 を 回 し があ った の で そ の旨 を 上 空 迂 東 京 へ 複 伝 、 、 。 て 四時 間 以 上 の飛行 と な った え これ に応 え る た め の交 渉 を 開 そ んな 日 々 局員 た ち が ﹁日本 。 のタ ンカ ー に石油 を 積 ん で帰 し て ベイ ルート のリビ エラホ テ ル で 始 した 、 、 、 こ の頃 日本 か ら の便 り が 石油 いる﹂ と 私 に話 を し て 多 少 でも 原 氏 と 合 流 し カイ ロ等 への移 動 。 手 段 を 探 す が 海 空 路 共 に運 行 停 止 価 格 急 騰 を 知 ら せ てき た 一バ ー こち ら の気 持 ち が和 む よう 努 め て 。 レ ル 3米 ド ルだ った 原 油 が 四倍 の く れ て いる のが嬉 しか った。 状 態 であ った 、 、 2 4 こ の間 ベイ ルート市 内 にも 空 約 1 日ビ ザ 退避 のた め ベイ ル ■月 1 米 ド ルま で上 昇 し た と の こと 、 。 そ れ が何 を 意 味 す る のか 即 断 でき ート ヘ向 かう これ よ り 先 に東 京 襲 警 報 が 鳴 り 響 く 日も あ った が く ゴラン さ な か った。 はる か が か ら J N N ベイ ルート支 局 開 設 の の 高 原 遠 攻 撃 。 れ て いる のが散 見 さ れ る程 度 であ スタジ オ の S T リ ンク鉄 塔 か ら 報 せ が 入 って いた 山 陽 放 送 の片 7 日は ア ン テナ ケ ーブ ルを 引 き み、 山 り 市 内 は至 極 平 静 だ 。 0 1月 2 用 込 健氏 ︵ 故 人 ︶ が支 局 長 と し て赴 ラ マダ ン月 が 明 け る ので市 民 の表 短 波 用受 信 機 で ラジ オ ジ ャパ ン の 任 さ れ リビ エラホ テ ル に滞 在 中 と 。 。 情 も 明 るく感 じ ら れ た 毎 正 時 か ら の 日本 語 ニ ュー スを 聞 のこと であ った こ のホ テ ルには ビザ の 日本 人 経 営 のレ スト ラ ンがあ り 在 は 中 な ので 更 戦 争 二 新 週 間 ビ ザ のみと 言 わ れ て困 惑 し た が 留 邦 人 会 の集 合 場 所 にな って いた 。 1 やむ な く 1月 1 日リ ヤド ヘ帰 った ので多 く の商 社 や報 道 関 係 者 間 の 。 情 報 交 換 が行 わ れ て いた ソ フ ア に片 山 氏 が座 って いた 。 初 対 面 の 挨 拶 と 共 に 日本 を 遠 く 離 れ た 地 で の出 合 いの不 思 議 に話 が 及 び協 力 を誓 い合 った。 リ ヤ ド ヘ帰 る前 に、 片 山 氏 と 隣 サ ウ ジ で聞 く トイ レツト ーパー騒 ぎ ベ 、 新 し いスタ ジ オ は 日本 で研 修 0名 の若 者 を 中 心 に 日 々 を受 け た 1 。 操作 訓練 が進 ん で いた ジ 2002年 (平成14年)6月 ・民放 くらぶ ・第 66号 国 シ リ ア の首 都 ダ マスカ ス ヘの日 。 帰 リ ド ライ ブ に行 く 第 四次 中 東 戦 争 が終 結 し た ば か り のダ マスカ 、 ス市 内 は あ ち こち のビ ルが無 残 に破 壊 さ れ て いて近 代 兵 器 の残 酷 さを 実 感 さ せ た。 三 特使来 る 木 報 道 連 絡 回 線 の確 保 を 急 ぐ ■月も 下旬 と な ると 厳 し い猛暑 5度 C 度 と も 終 り 日中 の気 温 は 2 程 、 な り 湿 度 も 極 め て低 く 過 し易 い 。 気 候 と な った スタジ オ のテ ー フ と し てカ リ ー ル君 が赴 任 し てき て 諸 設備 の説 明 に連 日時 間 を 費 やす ジ ェッダ の日本 大 使 館 か ら大 使 と 、 よう にな る。 彼 は ア メリ カ留 学 理事 官 が来 訪 さ れ た と の連 絡 が 入 、 、 帰 り の エリ ート で 奥 さ ん は ア メ り 翌 7 日朝 打 合 せを し た いと の 。F 。 じ 日、 リ ジ カ ラ ら オ の る 人 か 局 で あ 同 M 英 語 番 組 京 電報 事 東 1日 に を 担 当 し て いる女 性 アナ であ る。 が 入 って三木 副 総 理 一行 が 1 情 報 省 が ト ヨタ の四輪 駆 動 車 を リ ヤ ド を 訪 問 す ると いう も のであ 、 。 2名 も 一 で日 専 用車 と し て提 供 し てく れ 彼 が った 同行 記 者 団 1 緒 運 転 し て私 を 送 迎 す ると いう の で 本 と の連 絡 回 線 の確 保 を 希 望 し て 。 。 連 日お 世 話 にな る事 に し た そ れ いた 飛 び 込 み で通 信 省 へ出向 く 、 ま では タ ク シ ーだ った が メー タ と す で に情 報 省 か ら連 絡 があ った ーも 無 く 乗 車 す る毎 に料 金 交 渉 を と の事 で話 が意 外 と ス ム ーズ に進 強 いら れ法 外 な料 金 を 吹 っか け ら み 二回線 を 4 日間専 用 線 と し て貸 。 。 れ る事 も あ った 与 す ると の許 可 が出 た 、 2 ︲月 に入り 短 波 送 信 機 の テ スト 話 が 一段 落 し た とき 担 当 者 の を 行 いた いの で スタ ジ オ か らプ ロ 一人 が机 の引 出 し か ら 一枚 の写 真 グ ラ ムを 出 し て欲 し いと の要 請 が を 取 出 し て私 に見 せ た 。 そ の年 の 。 あ った 早 速 T B Sか ら 送 っても 春 日本 で研 修 を し た 情 報 省 の若 者 ら つて いた テープ 素 材 を 連 日流 し と 私 が 写 ってるも のであ った 。 驚 、 。 。 た 中 近 東 では 短 波 によ る周 辺 く 私 に彼 が 言 った 習 ﹂の写 真 の 地 域 への放 送 が盛 ん でカ ー ラジ オ 研 修 チ ー ムリ ーダ ーだ つた バギ ー にも 短 波 帯 の受 信 機 が 組 込 ま れ て 君 は リ ヤ ド大 学 の同 級 生 だ ﹂ と 。 。 いる 日本 のプ ラ ント 建 設 現 場 で 何 と 言 う 偶 然 ︱ 思 わ ず 目 頭 が熱 く 。 。 聞 い て いる 人 や ア ラ ビ ア 石 油 の な った ﹁シ ョ コラ ンゲ ジ ー ラ﹂ 、 方 々か ら テ スト放 送 を 聞 いた と の シ ョ コラ ンは ﹁ 感謝﹂ ゲジ ーラ 、 。 電 話 も あ り ま ず は 大 成 功 と 喜 ん は ﹁ア ラビ ア半 島 ﹂ を 意 味 す る 。 だ 現 地 の言 葉 で最 大 級 の感 謝 の辞 を 。 述 べ て別 れ た ハッジ 生 中 継 と 三木 特 使 来 訪 を 明 日 に控 え て の バ ンド 収 録 の 成 功 に 一安 心 。 準 備 が 進 む 通 信 省 の技 師 も 同行 2 ︲月 6日 ア ラビ ア石油事 務 所 に し て記 者 用 の宿 舎 と な る ヤ マ マホ 藤氏 現地 スタッフの研修 ・中央 カロ 2002年 (平成14年)6月 ・民放 くらぶ 第 66号 テ ル の 別 室 に専 用 電 話 の設 置 を 特 。 テ スト に T B S ラジ オ マ ス 完了 タ ー に そ の場 か ら ダ イ ヤ ル し て呼 。 び 出 し てく れ た 専 用 電 話 は 二 回 線 だ った の で 記 者 団 用 と 特 使 随 員 。 用 に そ れ ぞ れ 一台 を 振 り 分 け た 、 後 日 判 明 し た 事 だ が こ の回 線 は リ ヤ ド か ら 東 海 岸 の ダ ン マ ンま で 、 V H F 回 線 で結 び 沖 合 い の隣 国 バ ー レ ー ンか ら 街 星 に 打 上 げ て 日 本 ま で伝 送 す る と いう 特 別 な 回 線 。 で あ った 1 0分 、 三 1 日午 後 3時 1 木特使 が 。 到 着 王 室 か ら フ ァ フ ァド 皇 太 子 。 殿 下 が 出 迎 え 迎 賓 館 に向 う こ の 6 模 様 は 私 の愛 用 の 1 ミ リ カ メ ラ で 。 撮 影 し ベイ ル ー ト の片 山 支 局 長 経 ス ラ ム 円 に 属 く は ず であ る 日本 c 。 由 で T B S 命 送 った でも 受 信 可 能 と 聞 いた 。 2 ︲日 2 5 、 日 日 ら イ ラ ス ム 月 ︲ の ︲ か 月 3 大 晦 日 であ る リ ヤ ド 今 2 。 5 郊 外 2 キ ロ で精 油 所 建 設 中 の千 代 巡 礼 ﹁ハ ッジ ﹂ の始 ま り であ る 周 辺 諸 国 か ら メ ッカ を 目 指 し て 巡 日 化 工 建 設 の サ イ ト で餅 つき を す 。 。 礼 団 が 訪 れ る 年 間 を 通 じ て最 大 る と の招 待 が あ った 局 員 の マー の行 事 であ る の で放 送 は 五 交 代 の デ ィ君 と オ マ ル君 を 誘 って出 か け 。 。 た 連 放送体制となる 続 、 メ ッカ の カ ハバ神 殿 や メジ ナ の 本 格 的 な 向 と 杵 を 使 って か け 聖 地 か ら 放 送 波 リ レ ー 方 式 で中 継 声 よ ろ し く 元 気 に 餅 を つく 風 景 に 、 。 。 生 放 送 を 行 う リ ヤ ド か ら は 新 二 人 も 飛 び 入 り で 餅 を つ いた 日 w三 波 を 本 式 に いろ いろ と 味 付 け さ れ た ラ 鋭 の短 波 送 信 機 で 3 5 0 k 、 、 。 イ スケ ー キ は 結 構 彼 ら の 日 に合 っ 流 す こ の電 波 は マレ ー シ ア 、 、 イ ンド ネ シ ア フ ィ リピ ン等 のイ た よ う で 何 個 も お 若 り を し て い ジ 。 る のが 微 笑 ま し い光 景 であ った 1 月 3 日 に は 、 ア ラビ ア 石 油 リ 。 ヤ ド 事 務 所 で新 年 会 が 催 さ れ た 、 お 正 月 と い っても サ ウ ジ は 禁 酒 国 な の で 酒 は 一切 無 し の食 事 会 で 。 ある 、 、 一方 村 の方 で は ハ ッジ の特 。 番 リ レ ー 送 出 が 続 い て いた 情 報 省 幹 部 が 黒 いト ー ブ を ま と った 正 。 装 で見 守 って いる 時 期 が 丁 度 日 、 本 の正 月 と 重 な り こち ら も 緊 張 感 を 味 わ い つ つ中 断 事 枚 の無 いよ う 祈 った 。 1 月 9 日 、 ハ ッジ 中 継 が 終 了 し ろ ︶ た 時 点 で情 報 省 技 術 局 に よ る ス タ 、 ジ オ の チ ェ ック が 始 ま った 毎 日 各 ス タ ジ オ の機 能 を 確 認 す る 作 業 。 が 続 いた 2 の ス タ ジ オ と マス タ ー の チ ェ ︲ ック が 終 了 す る と 今 度 は 、 実 際 に 、 録 音 を と る作 業 に移 行 し ア ラビ ック ン ド を る事 にな っ バ す 収 録 。 た 第 一ス タ ジ オ に 0 1数 名 の バ ン ド マ ンが 登 場 。 編 成 は 、 大 、 中 、 小 の大 鼓 の リズ ム楽 器 に ヴ アイ オ 、 、 、 リ ン ア コー デ イ オ ン 笛 カ ヌ ー ンと いう 金 属 の弦 を た た く 楽 器 、 。 な ど であ る テ ー プ に収 録 し コ ピ ーを 情 報 大 臣宛 L 乱し た と こ 、 、 翌 日 大 臣 が スタ ジ オ に現 れ 機器 の取扱 い説明 2002年 (平成 14年)6月 ・民放 くらぶ ・第 66号 ︶ 謝 辞 を 述 べら れ た の で 局 員 た ち か 蛇 足 だ が 新 婦 の姿 は 見 る こ と が で 、 ら 拍 手 が 起 り ス タ ジ オ の空 気 は き な か った 。 。 6日、 2月 1 最 高 に盛 り 上 った 余 勢 を か って 新 設 のホ ー ル でガ ル 、 次 々と ス タ ジ オ で の テ スト 収 録 が フ テ レ ビ 会 議 が 催 さ れ る の で 局 員 。 。 続 く 最 も 大 き い三 百 席 の観 客 席 一同 準 備 に余 念 が な い す べ て の と ス テ ー ジ を 持 つホ ー ル の運 用 テ オ ペ レ ー シ ョ ンを 自 分 た ち で行 う 、 ス ト も 現 地 ス タ ッ フ の努 力 で無 事 よ う 指 示 し た が そ れ を 皆 で 一生 。 に 終 了 す る が でき た 。 で見 事 に や り 遂 げ た 事 懸 命 0 ヶ月 に こ の間 に保 証 契 約 が 1 延 帰 国 が 近 づ いた 3 月 8 日金 曜 日 。 0キ ロ れ 長 された の休 日 に リ ヤ ド か ら 数 1 離 た ド レ イ ブ と いう オ ア シ ス にピ ク 忘 れえ ぬサウジ 。 ニ ック に誘 わ れ た 局 員 全 員 が 集 人 々 と の 心 の交 流 って いる 。 ど う や ら 私 の送 別 会 ら 2 1 日、 し く。 リ ィー と フ ア 月 の い 局 員 君 気 づ 。 の結 婚 披 露 宴 に招 待 さ れ た 夜 8 スー ク ︵ 市 場 ︶ に立 寄 り 小 羊 を 、 時 彼 の家 の前 の空 き 地 にじ ゅう た 一頭 買 い 生 き た ま ま 車 に積 ん で 、 ん が 敦 か れ 多 数 の裸 電 球 が 輝 く 会 オ ア シ ス ヘ向 う 。 ド レ イ ブ に は 、 場 に 1 0 0人 以 上 の男 ば か り が 座 湧 水 の豊 か な オ ア シ スは そ こだ 。 。 っ も る て い け が 緑 の園 であ る 水 の豊 富 な 日 お の 回 が 鉢 渡 香 手 何 し で 回 ってく る 。 本 を あ り が た いと 痛 感 し た 場 面 で 。 。 や が て食 事 が 始 る 私 の前 にも あ った 局 員 の 一人 が 生 き た 小 羊 、 大 皿 に乗 った 羊 の頭 と 胴 が 置 か れ を 料 理 す る と 言 って 小 形 ナ イ フ 。 た 眼 球 を 掘 り 出 し て食 べ ろと 勧 一丁 で皮 を は ぎ 首 を 落 す 様 子 を 6 1 。 ⑤ め る 鯛 の頭 を 思 い出 し て 口 に 入 ミ リ フ ィ ル ム に 納 め る 帰 国 後 T 、 。 れ る と 同 様 の食 感 であ った 次 は B S で放 送 し ても よ いと の事 であ 、 、 舌 そ の次 は 脳 と 順 番 に食 べた が った が 今 も ラ イ ブ ラ リ ー で寝 て 、 。 気 持 ち の悪 さ と 反 対 に食 感 は 決 いる 3 日 よう やく 国 し て悪 く な い。 ア ラビ ア の人 々 が 3月 2 帰 許 可 が出 、 遠 来 の客 を 厚 く も て な す と は こう た の で ジ ェ ッダ と ベイ ル ー ト に 。 いう こと と 実 感 でき た 宴 で あ った 立 寄 り 関 係 者 に挨 拶 を し て帰 国 の 途 に つ いた 。 、 私 た ち の作 った シ ス テ ム は そ 。 の夏 に 稼 働 し た 施 設 の完 成 だ け 、 で は な く 技 術 的 な フ ォ ロー を し 、 た お 蔭 で 現 地 の技 術 者 だ け で 運 用 出 来 る よ う にな って いた のが 嬉 し い。 0 を リ ヤ ド ラジ オ 局 入 札 か ら 3 年 、 経 た 今 日 私 は 国際 協 力 条 件 の コ ン サ ル タ ン ト と し て 西 ア フリ カ の 国 営 ラ ジ オ 局 ほ か の放 送 海 外 支 援 に参 加 し て いる 。 本番 中の現地 スタッフ