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第90号 - 日本民放クラブ
2008年 (平成20年)6月 民 放 くらぶ 第 90号 〓 森智雅 、 、 、 萩 元 村 木 配置 配転 を拒 否 テ レビ マン ユ ニオ ン の結 成 ヘ 中 川 順 題 字 、 、 7 6年 7月 日英夫 が西 側 テレビ と し て始 め て北爆 下 の ハノイ に入 り 。 0 0日、 0分 の 月3 そ の集 大 成 で 6 今 回 の ﹃み ん な で語 ろ う 民 放 史 ﹄ は ﹃テ レビ マン ユ ニオ ン ニ ュー 一連 の番 組 でそ の実 態 を詳 細 に報 告 1 、 、 ス ﹁静 かな 声 の人 ・村 木 良 彦 さ ん を 悼 む と の追 悼 文 を 軸 に 去 る 1 ﹃ハノイ 田英夫 の証 言﹄ を 放 送 芸 術 祭 テ レビ ド キ ュメ ンタ リ ー部 門 、 、 。 ︲日 月2 他 界 し た 元 テ レビ マン ユ ニオ ン社 長 地 方 の時 代 映 像 禁 プ ロ に参 加 し た こ の番 組 は スタジ オ にプ ロジ ェクタ ーを 持 ち 込 み フィ 、 。 デ ュー サ ーな ど 多 方 面 で映 像 文 化 の発 展 に尽 く し て き た 村 木 氏 を ル ムを 見 な が ら 回が報 告 す る 当 時 と し ては日新 し い手 法 を 取 り 入 れ 、 。 。 た こ の時 の スタジ オ担 当 が村 木 だ っ 以下 敬称略 ︶ 偲 ぶ番 外 編 と し ま し た ︵ 。 た 、 自 民党 は激 怒 す るが T B S社 長今 。 道 は報 道 機 関 と し て当 然 だ と 反論 こ 、 、 う した緊 張 状態 の中 翌年 3月 T B S の取 材 車 が成 田空 港 反対 同盟 の婦 人 た ち を 集 会 場 に 運 ぶ と いう 事 件 が 勃 、 。 発 T BS は自 減 す る 田英夫 は キ ャ 。 スタ ー解 任 村 木 と 萩 元 は職 場 配 転 を ﹃あ な た は ⋮ ﹄ ﹃ 現 代 の主 役 ・日 の丸 ﹄ 、 。 4年 ︶、 ︼ 1 9 5 9年 ︵ ス ンオ東 京 ︵ 昭和 3 現 T B S︶ に入 社 し た 村 木 通告 さ れ 拒 否 全 社 的 な支 持 の大争 、 、 。 レビ ら レビ と な る。 ﹃ T BS 0 は 6 に テ 出 テ 史 部 か か わ ら 版 ﹄ と いう 全 職 場 年 道 部 年 演 報 異 動 議 6 5 ﹃ ﹄ 、 、 によ れ ば 同年 2月 か ら ﹃ の動 き を 伝 え る新 聞 が作 ら れ 全 社 で 現代 の 基ン 。 〃 愛 読 〃 さ れた 、 配 転 は自 民 党 の圧力 と 囁 か れ た が 、7 6 主役﹄ 6 年 月 か ら は ﹃マス コミ 母 輩 Q﹄ が 始 ま る な ど 夜 の テ レビ 報 道 番 組 は 鋭 い切 り 回 の作 品 を 次 々と 。 送 り 出 し た こ こ で村 木 は 萩 元 晴 。 6 ! ⋮ 彦 と ド キ ュメ ンタ リ ー を 制 作 6 、 1 あ な た は ⋮﹄ は 街 頭 年 1月 の ﹃ で ぶ っつけ に ﹁ あ な た は ?﹂ と 問 いか け る斬 新 な イ ンタビ ュー構 成 で 、 。7 2 、 注 目 さ れ芸 術 祭 奨 励 賞 受 賞 6 年 月 建 国 記 念 日を 前 に 今 度 は ″ あ な た は ⋮﹄ の手 法 で 日 の丸 〃 に つ いて問 いか け る ﹃ ﹃ 現 代 の主 、 。 。 役 。日 の丸﹄ を制作 番 組 は閣議 で問題視 さ れ 論 議 を呼 んだ 、 、 、 。 わた し の 史 ﹄ に こう 記 し て いる 事 実 村 木 の配 転 は 彼 の作 品 ﹃ 、 火 山﹄ が スポ ンサ ー から前 衛 的 にす ぎ ると ク レー ムを つけ ら れ 村 木 。 が番 組 を 降板 さ せら れ た のがキ ッカケだ つた 、 。 結 局 闘争 は敗 北 に終 った ハノイ 田 英夫 の証言』 『 一- 14-一 2008年 (平成20年)6月 民 放 くらぶ 第 90号 ン 村木 良 彦 熙熙 ヤ る牛 山純 一を 原点 と す る こと で テ レビ 人 生 を 始 め る こと にな った。 、 そ れ は 君 に負 わ さ れ た宿命 で 、 。 あ った のだ と今 にし て私 は思う 、 純 粋 で スト イ ックな 君 は そ の原 点 を 踏 まえ て テレビ の可能 性 を つ き つめ て いく仕事 を始 める のだ が、 、 そ れ は 同時 に テレビ ヘの闘 いそ のも のと な って いく のは必 然 でも 。 あ った テ レビ 演 出 部 に配 属 さ れた 私 た ち 6人 は ﹁d A﹂ と いう 同 人誌 を 、 作 って テレビ の可能 性 を 日夜 論 じ合 った。 最 初 にド ラ マデビ ューし た のは 。 実 相 寺 昭雄 だ った 大 島 渚 脚 本 の あ な た を 呼 ぶ声 ﹄ は新 し いテ レ ﹃ ビ ド ラ マの時 代 を告 げ る鮮 烈 なも 、 。 のだ った 続 いて君 が 松 本 俊 夫 脚本 の ﹃ 傷 だ ら け の夜﹄ で デビ ュ ーし た 。 硬質 な そ のド ラ マは、 君 、 の テ レビ と の問 いを告 げ る狼 煙 。 であ った 、 入社 五年 後 君 と 私 は新 た な絆 。 で結 ば れ る こと にな った 芸 術 祭 参 加 ド ラ マのデ ィ レ クタ ー に私 が 、 指 名 さ れ アシ スタ ント ・デ イ レ 、 、 と そ し て同 じ ク タ ーと 地 χ 君 く 同期 の吉 川正澄 が指 名 さ れ た の 、 。 だ った 私 に比 べ て ド ラ マ ヘの -15- ヤ 、 村 木 が ﹁T B Sを 退社 し て フリ ー にな る﹂ と 同期 生 の吉 川 正 澄 に決 君 が配置 さ れ た のは 四谷 のビ 、 意 を 明 か した とき ﹁ 集 団 で退 社 し て制 作 集 団 を 作 ると いう のは どう ル の屋 上 だ った 。 や ってく る馬 車 だ ﹂ と 切 り 出 し た の は を いち 早く捕 らえ る こと のでき る , 。 、 。 吉 川 だ った 同 じ く 同 場 所 だ った N H K N T V T ⋮ 期 の今 野 勉 と 三 人 で 基 B S の中 継全 局 が テ レビ カ メ ラを 、 。 本 計 画 を 練 り ﹁テ レビ そ の屋 上 に設置 した 、 マ ン ユ ニオ ン を 設 立 中継 前 日 N T V のカ メ ラが突 ﹂ 。 。 す る こと に な る 然 地 上 に降 ろさ れた 命 じ た のは N T V の中継 の指 揮 を と って いた 、 。 に ぐ 村木 の魅力 は 一貫し て映 メディアのソフト開 に 山純 一だ った ︽ 像 実 発 次 験 牛 。 、 実験を重ね てきたことだ ろう ﹁ パー フ エクト村木﹂と仲間たちに いわ 中継 当 日 N H Kと T BS のカ 、 、 れ て いるよう に 村木 は単な る実験と し て終 わらせず そ の実験を 一 メ ラが いち 早く 馬車 を 捕 らえ た 。 つの成 果とし て結実 させ て いる のが特徴 であ る。実験と いう よりは実 N T V の画 面 には、 空 の道 路 し か 、 践 であり 先行的な意義を追 及した番組制作 のテスト パイ ロットだ っ 映 って いな か った 。 実 況 中 継 の女 、 〃 たと いう べきだろう︾志賀信夫 ﹃ 映像 の先駆者 125人 の肖像﹄ より まだ見 子 アナ が焦 った よう に 、 え ま せ ん もう す ぐ 見 え る はず で ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 。 す ″とく り返 し て いた 。 ドラマ ﹃ 私 は貝 にな り た い﹄ を 君 は 一瞬 にし て悟 った 何 も 映 。 見 た か ら だ つた 歴史 に翻 弄 さ って いな いN T V の画 面 が 一番 緊 、 れ る 無 名 の人 間 が 描 か れ て い 迫 し て いた 。 そ こ に は 現在 の時 。 た 間 と空 間を伝 え よう と あ がく 人 間 デ イ レ ク タ ー は 岡本愛 彦 だ っ が いた。 やが て N Y V のカ メ ラだ 。 、 た 岡本 の いる テ レビ 局 へ行 こ け が最 も 映 した い人 間 美 智 子妃 。 う と 君 は決 め た 。 の顔 を ク ローズ ア ップ で捕 え た 。 昭和 三十 四年 度 入社 の新 入社 捕 え 続 け た 、 、 。 、 員 のな か に君 も 私 も いた 新 人 そ のとき 君 は 衝 撃 と とも に 、 た ち の最 初 の仕 事 は 四 月 十 日 の テ レビ と は何 かを 感 じ取 った のだ 弔 辞 故 ・村 木 良 彦 ヘ 。 皇 太 子 と 美 智 子 妃 の結 婚 パ レ ー ド った 。 、 君 は映 画 監 督 を 目 指 し て いた の中 の手 いを る こ と だ っ す かく て君 は ド ラ マにおけ る岡 継 伝 、 。 そ の志 を自 ら変 え た のは テ レビ た 本 愛 彦 と ド キ ュメ ンタ リ ー におけ 静 か な 戸 の人 ・村 本 農 諄 さん を常 む 2008年 (平成20年 )6月 民 放 くらぶ 第 90号 、 思 いや業 績 が強く 長 く か つ 一歳 年 上 の君 にと っては不本意 な 人事 、 のはず だ った が 君 はそ んな素 振 。 は一 宅も見 せなか った 、 A Dと し て の君 の役 割 は 沖 縄 戦 で地 元住 民 が籠 も り 日本 軍 に追 い出 さ れ る洞窟 を 探 し出 す な ど 戦 。 闘 場 面 の準 備 だ った 貴 公 子然 と し た 君 には最 も 似 つかわ しく な い 。 役 割 だ と誰 しも 思 った 、 し か し 君 は、 猛毒 の ハブ の い る藪 に分 け 入 って誠 実 に級 密 にそ 。 の役 割 を 果 た した 私 は そ の時 秘 か に心 中 に決 め た 、 、 こと があ った 。将 来 君 と そ し て同 じ よう に エネ ルギ ッシ ュに A Dを つと め てく れた吉 川 か ら何 か 、 頼 ま れ たら 必ず 応 じ よう と いう こと だ った。 、 、 ほ ん り数 年 後 に そ の二人 か ら 、 人 生 の大事 を 相 談 さ れ 私 の秘 か な 決 意 を 試 さ れ る こと にな ろう と 、 、 は そ し て そ の時 のト リオ が 日 本 で最 初 のテ レビ番 組制 作 会 社 を 、 作 る こと にな ると は 想 像 も しな 。 いこと だ った テ レビ 演 出 部 か ら テレビ報 道 部 、 あ な た は ⋮﹄ ﹃ハ へ移 った君 は ﹃ ノイ 田英夫 の証言﹄ など の鮮 烈 な ド キ ュメ ンタリ ー の制 作 にか か 、 わ り つづ いて ﹃ わ た し のト ウ ィ 、 ギ ー﹄ ﹃ わ た し の火 山 ﹄ な ど 従 来 のド キ ュメ ンタ リ ー の枠 を破 る 。 映 像 を 世 に突 き つけ た わ た し の火 山﹄ が君 の非 制 作 ﹃ 。 現 場 への配 転 の引 き 金 にな った 同 じ部 の萩 元晴 彦 も 同時 に配転 に 。 な った つづ いて日英夫 の ニ ュー 、 スキ ャスタ ー辞 任 成 田空 港 建 設 反対 同盟 の婦 人 た ち を 取 材 車 に乗 、 せた成 田事 件 が 一九 六 八年 三月 、 に集 中 し て起 こり そ の処 分 に反 。 対 す る T B S闘争 が始 ま った 、 闘争 が終 え ん し た 時 君 は挫 折 、 。 感 の中 に いた 君 と 萩 元 と 私 は 闘争 の経 緯 を ﹃ お前 は た だ の現在 にす ぎ な い﹄ と いう 本 にま と め て 。 刊行 し た サブ タイ ト ルは ﹁テレ ビ に何 が可能 か﹂ であ った。 、 非 現場 に行 か さ れ た君 は ひと り の制作 者 と し て生 き て いく には 自 立 し か な いと 決 意 し吉 川 に告 げ 、 。 た 吉 川 は 君 の決 意 に呼 応 す る 、 伸 間 が いる はず だ 制 作 者 の集 団 、 を作 ろう と提 案 した 。 新 宿 のバ ー か ら 二人 の呼 び かけ に最初 に応 じ た のが私 であ った の 。 は光 栄 だ った そ れ は かね てか ら 。 の の決意 のこと だ った 私 かく て制 作 会 社 テ レビ マン ユ ニ 、 、 オ ンは 君 と 吉 川 と 私 と そ し て ロー カ ル局 で苦 闘 す る制作 者 に光 初 代 社 長 萩 元 の 四 頭 立 て の馬 車 と を あ て よう と ﹁﹃ 地 方 の時 代 ﹄ 映 し て出 発 す る こと に な った 。 そ れ 像祭 ﹂ のプ ロデ ュー サ ーを 長 く つ 。 は 既 存 の テ レビ 制 作 シ ス テ ム ヘの と め てき た 。 問 い の始 ま り だ った 制 作 者 の全 国横 断 組 織 ﹁ 放 送人 、 、 君 の間 いは そ れ か ら も 止 ま な か の会 ﹂ にあ って は 幹 事 と し て った 。 テ レビ マ ン ニオ ン のあ と ユ 送 人 が 選 ぶ放 送 人 に与 え る 賞 放 放 送 人 グ ラ ンプ リ﹂ を 提 唱 し自 ﹁ ら運 営 にあ た ってき た。 ま だ道 は半 ば だ った 。君 一 -16- に 生 ま れ た 多 く の制 作 会 社 を 結 集 し て全 日 本 テ レビ 番 組 製 作 社 連 盟 。 を 君 は た ち あ げ た 自 ら 理事 長 も 。 つと め た 東 京 メ ト ロポ リ タ ン テ レビ のゼ 、 。 病 に倒 れた し か し こんな に早 く 君 が いなく な ると は つゆ思 わ な 、 。 か った 昨 年 暮 れ 病 室 のド アを 、 、 、 開 け て お ︱す と 言う と ベ ッ ド に坐 ってパ ソ コンに向 か って い 、 、 た君 は おう と答 え て 例 のは に 。 か んだ よう な笑 みを 浮 か べた 年 明 け には退 院 でき そう な気 配 だ っ 。 た 、 ま ロフィーヤ 地方の時代映像祭ト からプロデュ 『 村木は1992年 倍 一サーをつとめる 年 ネ ラ ル ・プ ロ デュ ー サ ー を 引 き う だ か らあ の日 酔 っ払 って夜 半 、 、 け た のは ビ デ オ ・ジ ャー ナ リ ス に帰 宅 し た私 は 留 守 電 の点 減 を ト と いう 新 し い制 作 者 を 育 成 し 、 無 視 し て寝 てしま った。 、 未 来 的 な メ デ ィ アを 作 ろう と いう 翌朝 そ れ が君 の死 を告 げ るも 、 、 。 のであ った こと を 知 った私 は タ 君 の思 いか ら で あ つた さ ら に A T P 理事長時代の村木良彦 2 月号より G A L A C 』) 1 9 9 3 年 F 放送批評』( 現『 2008年 (平成20年)6月 民 放 くらぶ 第 90号 ク シ ー で病 院 に駆 け付 け た。 君 は 。 霊 安 室 に静 か に横 た わ って いた 、 、 、 思 わ ず 村 木 どう し た んだ と 声 を かけ そう にな った。白 布 を と つて顔 を触 ると冷 た か った。 、 信 じ ら れな いこと に 確 か に君 、 。 は 死 ん で いた 。 君 と 知 り合 って四十九 年 君 に と っては ひと と き の休 息 も な い長 。 い長 い闘 いの道 のり であ った 君 、 は 一度 と し て大声 を出 し たり険 し い顔 を し た こと が無 か った。 い つも 静 か にほ ほえ みを 浮 か べ て い 。 た し か し、君 の言 動 は、峻 烈 で妥 協 を 許 さ ぬ純 粋 さ に貫 か れ て い 、 。 た 君 は そ の場 し のぎ の嘘 や方 。 便 を 嫌 った 、 、 今 私 の弔辞 を聞く 君 の思 いが 。 私 には手 にと るよう に解 る 合 理 、 主 義 者 の君 は こう 考え て いる の 。 ではな か ろう か 、 。 今 野 よ 私 は死 んだ のだ 死者 。 に は 生 者 の声 は 聞 こえ な いのだ 私 が何 を 仕 残 し た かを 付 度 す る の 、 、 も 結 構 だ が そ れ より 生 き 残 っ 、 た者 生 か さ れ て いる者 が何 を す 、 、 べき か そ れを考 え 実 行 す る こ と だ よ。 、 。 確 か に 君 の いう 通 り だ 君 に 。 はもう 私 の声 は届 か な い 、 、 村 木 さ ん と 浅 井 カ メ ラ マン し か し 村 木 よ 死者 に生者 の 、 佐 藤 利明 声 は届 かなく ても 生 者 には死者 ﹂え る のだ 。 の が聞 > 木良 さ ん に初 め てお 目 にか 村 彦 声 、 0年 ほど前 、 私 村 木 よ これ か らも 私 た ち に語 か った のは今 か ら 4 り かけ てく れ。 私 た ち は耳 を 澄 ま が勤 務 し て いた テ レビ 局 の報 道 取 、 し て、 の を 聞 く こと にし よう 。 部 に転 任 さ れ 芸 術 祭 参 加 番 組 君 材 声 。 あ な た は ⋮﹄ を 撮 ら れ たと き 君 は充 分 に闘 った どう か これ の ﹃ 、 。 から は 先 に逝 った奥 さ んと安 ら です そ れ 以来 村 木 さ ん の造 った 、 。 か に休 ん でく れ そ し て時 に声 を 番 組 を観 る度 に 私 は絶 え ず 新 し 。 。 聞 か せ てく れ い手 口を示され続けたと いえます これ が私 の君 への最 後 のお願 い カ メ ラ マ ン に と って の 関 心 事 、 。 は 対象 を ど のよう に撮 るか に懸 だ 、 、 、 。 だ から さ よな ら は 言 わ な い か って いる のです が 村 木 さ ん の 二〇 〇 八年 一月 二十九 日 番 組 を身 近 に観 ら れ た のは願 って 。 今 野 勉 も な い幸 運だ ったと思 って います 、 村 木 さ んは 私 の僚 友 だ った浅 井 隆 夫 カ メ ラ マンと 組 ん で最 初 に わ た し のト ウ ィギ ー﹄ を 造 り ま ﹃ し た が、 こ の作 品 で村 木 さ ん の い う アク シ ョン フィ ル ミ ングと [コ 、 ラージ ュ] によ る状 況 論 が 私 に 的 確 に理解 でき たと は 思 いま せ ん が [モ ンタ ージ ュ] を 拒 否 した手 。 法 には虚 を 衝 か れま し た 繋 がり を 求 め るド キ ュメ ンタ リ ー の編 集 、 に あ え て繋 げ な い手 口を 示 し た 。 のだ から衝撃 でした 、 村 木 さ ん の作 品 で 私 が最 も 感 銘 を 受 け た の が ﹃4月 3 2 日 ・駒 ス ター ト当時、TBSの リハ ーサル室 を借 りて 寸 木) 打 ち合 わせの毎 日だった (後列真 ん中 オ (前列 左 か ら 吉 川 、宝官、萩元 、今野) 。 沢 ・金 本 邦 茂 と そ の観 客 ﹄ です [ノ ン フ ィ ク シ ョン に よ る テ レビ ド ラ マ]と銘う た れた こ の作 品 で、 私 が観 たも のは走 り け るサ ッカ 続 、 ー し た 身 で の 選 半 が 主 手 上 題を 時 間﹂ や ﹁ 感 じ た も のは ﹁ 若者﹂ 。 でした 村 木 さ んは浅 井 カ メ ラ マンと 組 、 ん で ﹃フー テ ンピ ロ﹄ や ﹃ク ー ルト ウキ ョウ﹄など [コラージ ュ] 、 の話 題 作 を 次 々発 表 し 報 道 局最 。 わ た し の火 山﹄です 後 の作 品 が ﹃ こ の作 品 は放 送直 前 に音 楽 を差 し替 え 放 送 し た経 緯 があ り ま し 。 た 後 にな って変 更前 の曲 ﹃ 帰っ て来 た酔 っ払 い﹄ に載 せ変 え た村 木 さ ん の意 図 通 り の作 品 を 見 てわ 。 た し は仰 天 しま し た 何 も 怖 いも のが写 って いな いのに恐怖 が追 っ 。 てく る のです これも 私 には初 め 。 て の体 験 でし た こ の件 が引鉄 にな って村 木 良 彦 、 さ ん の職 場 配 置 転 換 があ り 引 い ては テ レビ マン ユ ニオ ン設 立 に結 。 び つ いて い つた わ け です そ し て これ か らと いう 時 にな って唐 突 に 私 の盟 友 浅 井隆 夫 さ んが還 ら ぬ人 と な ってしま いま し た。 、 私が ﹃ 遠 く へ行 き た い﹄ で カ メ ラ マンを担 当 し て気 付 いた のは 2008年 (平成20年 )6月 民 放 くらぶ 第 90号 。 村 木 さ ん の懐 の深 さ です 新 し い 、 村木 さ ん の強 い脳 手 日 例え ば ﹁ 津 和 野﹂ で重 い同 田中直 人 録 カ メ ラを 担 いで自 転車 で狭 い路 、 、 地 を 走 ったり ﹁ 今 野 さ ん の 弔 辞 に ﹁あ の 日 福 山﹂ では フイ ル 、 0分 問 1カ ット のイ ム取 材 限 界 の1 酔 っ払 って夜 半 に帰 宅 し た 私 は ンタビ ユーを歩 き な がら撮 った り 留 守 電 の点 減 を 無 視 し て寝 てしま し て、多 少 乱 暴 でも村 木 さ んは人 った﹂ と あ るが 、 そ の元 凶 は私 で 、 。0 。 一倍 面 白 が ってく れま した 4 年 あ る あ の夜 久 し ぶり に今 野 さ 、 、 、 前 に浅 井 カ メ ラ マンが 急 に水 を んと ワイ ンを飲 み カキを つ つき 、 得 た 魚 の よ う に 活 気 を 帯 び た 訳 話 があ ま り に楽 し か った た め つ 、 、 は 感 性 の 一致 も 在 った でし ょう い つ い深 酒 を し た 。 当 然 な が ら が村 木 さ ん の底 知 れ ぬ探 究 心 に触 私も 村 木 さ ん の計 報 を 伝 え る電 話 、 。 れ た か ら だ と 私 には思 え ま す に 正気 の対 応 は でき な か った 。 、 今 野 さ んか ら 盟 友 の死 の床 に 故 人 の二人 は今 ど んな語 ら いを 駆 け 付 け る 機 会 を 奪 う 結 果 と な し て いる こと でし ょう 。 り 、本 当 に申 し 訳 な いこと を し た と 思 って いる 。 が 、 そ の 一方 で、 村 木 さ んが亡 く な った ま さ にそ の 、 、 時刻 今 野 さ んと 語 り合 った のは 他 な ら ぬ村 木 さ ん の エピ ソードだ った こと を 、 私自 身 は尊 い記 憶 と し てひそか に刻 ん で いる。 、 村 木 さ ん の病 床 へは 何 度 か お 、 。 見舞 いにう か が った そ のた び に 一向 に衰 え ぬ気 力 と 知 力 に感 銘 を 、 。 受 け た 最 初 は 肝臓 を 摘 出 し た 大手 術 か ら 2週 間 ほど 経 ったと き 。 だ った 点 滴 を受 け て いた村 木 さ んは 不意 に ﹁ 今 ド スト エ フ スキ ー の企 画 を 考 え て いる んだ け ど ﹂と あなたは…』 『 。 話 さ れ た お茶 の水 の エ コライ堂 を 建 てた ロシ ア正 教 の宣 教 師 エコ 、 ライ ・カサ ー ト キ ンは ド スト エ フ スキ ー の知 己 だ つた 。村 木 さ ん 、 は 最 近 出 版 さ れ た エ コライ の日 、 記 を 題材 に 文 一 象の知 ら れざ る側 面 を 描 く 企 画 を 構 想 し た のだ と い う 。 調 べ てみた と こ ろ、 エコライ が 一時 帰 国 し モ スク ワに行 ったと 、 き た し か に 二人 は出 会 って いた。 会 話 は 日本 のこと にも 及 んだ と 。 想 像 でき る 次 のお見 舞 いでそ の 、 、 こと を話 し た と こ ろ ま た 新 た な アイ デ ィ アを 思 い つか れ た よう 、 だ った が ついに詳 しく 聞く 機 会 を 逸 した。 、 。 最 後 は 亡 く な る 8日前 福 岡 伸 一さ ん の ﹃ 生 物 と 無 生 物 の間﹄ 、 を 持 って い った 。 そ のと き は も う 手 の指 に力 が入 らず 、 よう やく 2∼ 3 ペー ジ を め く った だ け で、 、 枕 元 にお か れ た の で 実 際 にお 読 み に な つた か ど う か は 分 か ら な 。 い 同行 し た是 枝 裕 和 君 の新 作 映 、 画 が 6月 公 開だ と 聞く と 笑 みを 浮 か べ ﹁そ れ な ら ち ょう ど い い﹂ と お っし ゃ った 。 そ の頃 には退 院 し て いると いう 意 思 表 示 。 村 木 さ 、 んは ま ったく 死 ぬ気 ゼ ロだ った。 、 亡 く な った後 遺 品 整 理 のた め 、 0セ に仕事 場 を 訪 れ 驚 いた。 幅 3 ンチほど の歩 け る スペー スを除き、 あ と は 蔵 書 と 書 類 と V T R の堆 、 。 積 村 木 さ ん の思考 の 圧倒 的質 。 〃 量 を物 語 る光 景 であ る 発掘 〃 には 3日 か か った 。 ご遺 族 のお許 しを いた だ き 、 テ レビ論 、 メ デ ィ 、 、 、 ア論 都 市 論 美 術論 写真 論 な 、 ど 貴 重 な蔵 書 お よそ 10 0冊と 、 近 代 遺 跡 の旅 ﹄ を は じ め と す る ﹃ 、 ハイビ ジ ョン作 品 を テ レビ マン ユ ニオ ン の保 管 資 料 と し て譲 り受 、 。 け た 近 日中 に 社 内 図 書 室 の 一 画に ﹁ 村 木 良 彦 ライ ブ ラリ ー﹂ が 、 。 生 ま れ る そ の他 の資 料 はす べ て 川崎市 民 ミ ュージ アム で保 管 さ れ 。 を つ 村 木 さ ん の強 い脳 の中 に は最 後 、 ま で ド スト エフスキ ーを は じ め と し て ﹁やり た い企 画﹂ の数 々が ひし め いて いた に違 いな い。ヽ 永遠 、 の幻 と な った そ れ ら の企 画 を 心 。 から惜 しむ テレビマンユニオン史 一- 18-一 2008年 (平成20年)6月 民 放 くらぶ 第 90号 記 憶 に残 る ク ローズ ア ップ ︶ ら れ、改 め て色 々な テ レビ論 が各 。 所 で語 ら れ た よう に思 いま す そ れ は テ レビ メ デ ィ ア に か か わ る 人 々ひと り ひと り にと って のテ レ 、 ビ 論 であ り 村 木 さ んが そ れ ら の 触 媒 を 呆 たす よう な永 遠 の人 にな った と いう 思 いが しま す 。皆 さ ん 、 のお言 葉 ほ んと う にあ り がと う ござ いま し た 。 、 私 たち が テ レビ マン ユ ニオ ン を 誕生 さ せ た赤 坂 のT BSも 装 い を 大 き く 変 え ま し た 。新 し いT B Sを みな がら 、 T BS時 代 に生 ま れた村 木 さ ん の美 学 を 今 思 いだ し ま 。 す 、 私 が T B S に入 社 し た 時 は 村 木 さ んは演 出 1部 に所 属す る先 輩 。 でした 私 は放 送 実 施 部 に配 属 さ 。 れま し た 放 送 実 施 部 は放 送 の送 、 出 を す る部 で 私 は月 曜 日夜 9時 に マスタ ー コント ロー ル ルー ムか 、 ら 村 木 さ ん演 出 の ﹃ 陽 のあ た る 坂道 ﹄ と いう ド ラ マの放 送 を 送 出 。 陽 のあ た る坂 道 ﹄ す る役 でし た ﹃ は石坂 洋 次 郎 の小 説 を 脚色 し たも 、 。 のでし た し か し そ のド ラ マの 、 映 像 はま さ に村 木 美 学 であ り 望 重延 浩 遠 レ ンズ を 使 い背 景 の フオー カ ス 、 、 村木良彦さんの逝去 に当た って を 和 らげ た ク ローズ ア ツプ は そ 多く の方 々から追悼 の言葉 が寄 せ れま で の テ レビ に はな い心象 風 景 ︶ 、 を 作 り 上げ て いま し た 。物 語 より 。 心 理を映像化 した村木美学 でした 演 出 家 を 意 し て いた新 人 の私 は 、 そ の映 像 に感 動 し 秘 か にそ の演 出 ぶり を E スタジ オ に覗 き に行 き ま し た。 深夜 の 2時 頃 のこと でし 、 。 た いく つか のセ ット のあ いだ で 演 出 家 は カ メ ラ マンた ち と 延 々と カ メ ラ ア ン グ ル に つ い て語 り 続 、 、 け 出 演 者 た ち が緊 張 し て そ の 。 様 子 を見 つめ て いま し た 凛 と し 。 た創 造 の空 気 でした 私 が よう やく 演 出 1部 に異 動 し 、 、 た と き は 村 木 さ んが そ の番 組 の演 出 を途 中 で降 板 す ると き でし 、 。 た そ の不本 意 な 異 動 か ら 村 木 、 さ ん は 自 己 の テ レビ 論 を確 立 し て い った よう に新 人 の私 には思え ま し た。 理念 の原点 に実 像 が必要 であ る︱ 私 はそ んな 原点 を村 木 さ 。 んに教えられたよう な気 がします 自 分 のオ リジ ナ ル のク ローズ ア ップ を創 る こと 、 そ の原点 を 私 は 。 記憶 します 永 遠 の記憶 です 合掌 写真 ・資 料 提 供 テ レビ マン ユ ニオ ン 東京 放送 吉 川洋子 放 送 批 評 懇談 会 志賀 信 夫 創立 メンバ ー懇親会 (1997.2.26) 故 村 木 良彦氏 (1970,2,26) 創立総会 創立 10周 年記念 パ ー テ ィー で語 り合 う 村木 (左)と 吉川 (右)