クリケットと映画― インドの二大娯楽

特集
クリケットと映画
︱ インドの二大娯楽 ︱
佐藤
創
クリケットの醍醐味がどこにあ
るかと聞かれると簡潔に説明する
﹁ナ﹂はヒンディ語の語尾らしく、
が車に近づいたことに気がつかな
オーストラリアに負けたので、私
えているものの︵球数に制限を設
︵ Twenty 20
︶と呼ばれる一日な
いし数時間で終わる試合形式が増
とがある。ある日の夕方、仕事を
そんな彼が一度だけ私が車に近
づいたことに気がつかなかったこ
ね﹂とか﹁プリーズ・ゴー・ホー
とするためか、﹁アンダスタンド・
げでこちらも同じリズムで話そう
の庶民の大きな娯楽である映画の
Premier League Ｉ Ｐ Ｌ ︶ が 開
催される四∼五月は、もうひとつ
このときの対オーストラリア戦
ングの攻撃を行う形式︶。そして、
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アジ研ワールド・トレンド No.203（2012. 8）
新作封切りも少なくなる傾向にあ
る。ただしＩＰＬの歴史はまだ浅
く、 ク リ ケ ッ ト の 花 形 は な ん と
いってもテストマッチと呼ばれる
正 式 な 国 際 試 合 で あ り、﹁ 今 日 は
車のクラクションも少なくてずい
ぶん静かな午後だなあ﹂と思って
いると、対パキスタン戦が開催さ
れ て い た、 と い う こ と も あ っ た。
みなテレビやラジオに釘付けだっ
ことは難しい。とにかく気の長い
つくようになってしまっていた。
くと、﹁インディア・ロスト・ナ﹂
スポーツで、バッターはアウトに
んだまま、なにやら手で目を覆っ
と い う。﹁ ン、 な ん の こ と だ ﹂ と
な る ま で フ ィ ー ル ド に 立 ち 続 け、
たのだ。
かかっているので運転席側にまわ
怪 訝 な 顔 を 私 が す る と﹁ テ ス ト
ティー・タイムやランチ・タイム
て天を仰いでいる様子である。自
ころにきていたためか、申し分の
り窓をコツコツたたくとようやく
マッチ・ナ﹂というから、﹁オー、
ニューデリー駐在中に雇ってい
た運転手は、日系企業の社長付き
ない働きぶりであった。無遅刻無
気がつき、あたふたと車をおりて
クリケット・ね﹂と納得したとこ
そ れ は さ て お き、﹁ な ん で ア プ
セット︵心を乱す︶なんだ﹂と聞
欠勤︵日本では当たり前だがイン
後部座席のドアをあけてくれた。
分でドアを開けようとすると鍵が
ドでは必ずしもそうではない︶
、
の運転手を長年勤めた後に私のと
運転も安全第一で無理なことはせ
を間に挟んだりしながら何日もか
け て 行 わ れ る。 最 近 は Ｏ Ｄ Ｉ
ろ、﹁イエス、イエス﹂と彼。
体の調子が悪そうでもないし
﹁何か問題でも起こったのか﹂と
ず︵道はカオスであり我先に行か
ねば前に進めないと思っているド
ションも︵インド人にしては︶鳴
日本語の﹁∼ですね﹂とか﹁∼で
いという前代未聞の事態が生じた
け て 試 合 を 短 く 設 定 す る 形 式 ︶、
︶やＴ
︵ One-Day International
らす回数は控えめだった。私が車
すよ﹂といったニュアンスのよう
らしいのだ。心配損と思うなかれ。
テストマッチは一般に五日ほどか
聞くと、彼は﹁アイム・ヴェリ・
なんのことはない、クリケット
の国際試合でインド代表チームが
に向かうと遠くからでも目ざとく
で、独学で身につけたらしい彼の
ことは彼にとってさほどに重大
かる︵二人一組でバッティングに
ヴェリ・アプセット・ナ﹂という。
みつけ、私が座るべき後部座席の
英語は日常生活にはほとんど問題
だったと理解すべきである。
ライバーが大半である︶
、クラク
ドアを開けてくれる毎日であっ
ないほどのレベルだが、なにを話
終えて帰ろうと車にたどり着く
ム・ね﹂と日本語の語尾﹁ね﹂が
しても最後に﹁ナ﹂がつく。おか
と、我が運転手は運転席に座り込
立つ一一人のプレーヤーのうち一
実際、クリケット熱は庶民の間
〇人がアウトになるまでが一イニ
でとても高く、プロリーグ︵
Indian
ングであり、両チームとも二イニ
た。
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途上国の
エンターテイメント
事情
クリケットと映画 ― インドの二大娯楽 ―
ケットがかほどに人気を博すよう
イギリスから伝わったスポーツ
は い く つ も あ ろ う に、 な ぜ ク リ
ことなのだ。
運転手も例外ではなかったという
トの状態に陥ったのであり、我が
しまったのだ﹂と国民総アプセッ
代表チームはいったいどうなって
全 敗 し、﹁ 世 界 一 の は ず の イ ン ド
トラリア戦でもふたたび無残にも
戦で四戦全敗し、さらに対オース
チ・シリーズで七月に対イギリス
ばかりのインドは、四テストマッ
たワールドカップで世界制覇した
一一年四月にＯＤＩ形式で行われ
月ほどをかけて行っていた。二〇
かかるテストマッチを四回、一カ
呼ばれる形式で、基本的には五日
やはりずっと洗練された印
あるが、ボリウッド映画は
リウッドも基本的に同じで
であることは南インドもボ
で の﹁ ミ ュ ー ジ カ ル 形 式 ﹂
歌や踊りが入っているという意味
ウッド﹂映画がインドでは中心で、
を 中 心 に 制 作 さ れ る 通 称﹁ ボ リ
画であり、ムンバイ︵旧ボンベイ︶
だ し、﹁ ム ト ゥ﹂ は 南 イ ン ド の 映
か若干イメージできると思う。た
方がインド映画がどのようなもの
ヒットして以来、いまでは多くの
ジ ャ﹂ が 一 九 九 〇 年 代 後 半 に 大
日 本 で も﹁ ム ト ゥ・ 踊 る マ ハ ラ
で は や は り 映 画 が 一 番 で あ ろ う。
しむ娯楽という意味では、インド
思う。女性も含めて庶民みなが楽
ただし、クリケットはやはり男
性の娯楽という性格が強いように
と、 主 人 公 が 完 全 無 欠 す ぎ た り、
う。ＤＶＤを買ってきてみてみる
画賞︶にもノミネートされたとい
あり、米アカデミー賞︵外国語映
る。二〇〇一年の大ヒット映画で
を張って行うという筋書きであ
ば倍の年貢を納めると、いわば命
合を、勝てば年貢を免除、負けれ
やったこともないクリケットの試
に、見るのもはじめて、ましてや
たちがイギリス人支配者を相手
定した作品で、年貢に苦しむ農民
ンド時代のとある農村を舞台に設
﹂。﹁ 年 貢 ﹂ と い う よ う な
Lagaan
意味である。一九世紀末の英領イ
大ヒット映画を列挙し、さらには、
明すると、バッチャンが出演した
ブ・バッチャンが務めていると説
リウッド界の大御所俳優アミター
の映画の冒頭のナレーションはボ
もラガーンをみたという彼は、こ
テレビで再放映されるたびに何度
み た の が よ ほ ど 嬉 し か っ た の か、
ルム・ね﹂というと、私がそれを
これを見た翌日、我が運転手に
﹁ラガーン、ヴェリー・グッド・フィ
できた映画であった。
踊りも華やかにあり、とてもよく
織り込まれ、また例によって歌や
様さ、農村の風景などもほどよく
じるインドの社会階層や宗教の多
の、そのあたりはご愛敬、今に通
スティックなきらいはあるもの
いクリケットが彼らの価値観と
で浸透しており、体の接触の少な
では浄不浄の概念が生活の隅々ま
願おう。
我が運転手に今一度ご登場
に つ い て 手 短 に 語 る た め、
愛されているかという体験
すでに紙面もつきたの
で、映画がどれほど庶民に
ばたで子供たちが興じているの
とするボリウッド映画があ
インド人の友人に勧めら
れてみたクリケットを主題
︵さとう
はじめ／アジア経済研究
所 南アジア研究グループ︶
う。
んだのはそのときだったように思
映画の話をしてはいけない、と学
まったのだ。運転中のインド人に
し は じ め、 止 ま ら な く な っ て し
をバッチャンの声色を真似て披露
ら、おもむろにそのなかの名台詞
聞いているか何度も確かめなが
バッグミラー越しに私がちゃんと
プロットの性質上多少ナショナリ
に な っ た の か は よ く わ か ら な い。
象を与えると思う。
は、四テストマッチ・シリーズと
ラグビーやサッカーが普及するに
マッチしやすかったとか、理由に
はインドは暑すぎたとか、インド
ついては諸説ある。サッカーも人
は、ほとんど例外なくクリケット
る。タイトルは﹁ラガーン
アジ研ワールド・トレンド No.203（2012. 8）
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気があるという話だが、実際、道
であった。
筆者所蔵のクリケットを題材とする映画DVD（筆者撮影）