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ジンバブエのエンターテイメント事情

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ジンバブエのエンターテイメント事情
特集
ジンバブエの
エンターテイメント事情
松平 勇二
けるエンターテイメント事情につ
ジンバブエ南部のガンガーレ村
の事例を通して、ジンバブエにお
ターテイメントであるといえる。
歌や踊りは生活に密着したエン
で あ る。 ジ ン バ ブ エ 共 和 国 で も、
﹁アフリカのエンターテイメン
ト﹂といえば、やはり音楽や踊り
現在、首都ハラレでは、冷蔵庫
や 音 響・ 映 像 設 備 な ど が 整 っ た
なポピュラー音楽が生まれた。
族楽器のアンサンブルまで、様々
献 ① ② ︶。 ギ タ ー バ ン ド か ら、 民
がポピュラー音楽である︵参考文
いて、周辺国の音楽や、西洋の音
居住区に住んだ。黒人居住区にお
族をこえた労働者が集まり、黒人
ローデシア時代の首都ソールズ
ベリー︵現ハラレ︶には、国境や民
ガーレ﹂は岩山の名前である。岩
ト ル 行 っ た と こ ろ に あ る。﹁ ガ ン
から、さらに東へ一一〇キロメー
小都市マシンゴ︵人口約一〇万人︶
ガンガーレは、ジンバブエ南部の
ロコシの粉で作った粥を発酵させ
た。どぶろくは、シコクビエやモ
ロっとしたどぶろくが入ってい
はミルクティーのような色の、ト
ように座っていた。容器のなかに
ろく酒屋であった。
いて考えてみたい。
バーやライブハウスなどが、エン
山ガンガーレを囲むように民家が
たものである。
で、テレビやラジオ、CDやDVD
ジンバブエが独立したのは、多
くのアフリカ諸国が独立を果たし
ターテイメントの場である。きら
並び、村を形成している。
は収穫を終え、六月はあまり仕事
がない。そこで、人々は収穫物で
醸造した酒でも飲みながらゆっく
りと過ごしているのである。
ン ガ 支 族 ︶ の 小 さ な 村 を 訪 れ た。
人々は素焼きのつぼや、ブリキ
缶、プラスチックのバケツを囲む
二 〇 一 一 年 六 月︵ 乾 季 ︶、 私 は
ガンガーレというショナ族︵カラ
村部にはある。
それでも、都市部ではあまり見
られなくなった娯楽の風景が、農
が鑑賞されることは珍しくない。
た一九六〇年から二〇年を経過し
びやかな衣装をまとったアーティ
私が村を訪れた六月は乾季で
あった。この地域では五月ごろに
た一九八〇年である。白人の入植
ストが、ショービジネスの世界で
一〇分ほど歩くと、レンガ造りに
る。金のあるものが酒を買い、み
あいさつが終わると酒を飲み始め
村に着いた翌日、友人のファラ
酒場についた者は、先着の客全
イが、村の酒場に案内してくれた。
員とあいさつを交わす。全員との
萱ぶき屋根の丸小屋が二つある民
サン、オバサンが集まり、ワイワ
ジンバブエ地図(筆者作成)
私も輪に加わって、酒を飲んだ。
少し経つと、ひとりのオバサンが
んなで回し飲みする。
こんにち、ジンバブエの農村部
でも、太陽電池や発電機が普及し
イやっている。そこは自家製どぶ
家に着いた。小屋の周りにはオジ
つつある。水道もガスもない田舎
●ガンガーレ村の民謡
楽文化が融合してできあがったの
がはじまった一九世紀末から、一
華々しく活躍している。
めである。
によって既得権益を守っていたた
ローデシアの白人が人種差別主義
呼ばれていた。
独立が遅れたのは、
バブエ共和国は﹁ローデシア﹂と
●ジンバ ブ エ ポ ピ ュ ラ ー 音 楽
九八〇年の独立まで、現在のジン
途上国の
エンターテイメント
事情
20
アジ研ワールド・トレンド No.203(2012. 8)
ジンバブエのエンターテイメント事情
儀礼︵葬送儀礼や農耕儀礼︶でも
る。この歌は、この地域の様々な
コール・アンド・レスポンスであ
の 人 々 が 歌 い 返 し た。 い わ ゆ る
た。すると、それにこたえて周り
それにヤシの葉がとりつけられ
テープ状にした。細い棒を反らせ、
ミ リ メ ー ト ル ほ ど の 幅 に 割 き、
細い棒を作成。次にヤシの葉を五
竹 の よ う な 素 材 を ナ イ フ で 削 り、
の製作に取りかかっていた。まず
私たちが爺さんの家に到着した
とき、彼はすでにチニャマザンビ
発して周囲を笑わせた。
る。このあと、爺さんは冗談を連
き始めた。聴衆はまたも爆笑であ
るかい?﹂といって、また弓を弾
﹁ニワトリも割礼するって知って
は 爆 笑。 ま た 二 分 ほ ど 演 奏 し て、
ギロギロと弓を弾き始めた。聴衆
歌われる、ゴロロンベと呼ばれる
良い気分になって歌を歌い始め
民謡のひとつである。コール・ア
成である。この弓の持ち手の部分
ンド・レスポンスが盛り上がって
くると、最後にはどこからともな
には切れ込みが入れてあり、ギザ
●都市と農村の
て、楽弓﹁チニャマザンビ﹂の完
エンターテイメント
く太鼓が現れ、歌や踊りが始まっ
民謡やチニャマザンビのような
娯楽は、どうして都市で見られな
い、踊った。
と同時に、爺さんの口から﹁ワウ
こする﹁ギャギャギャ﹂という音
ギザをこすり始めた。ギザギザを
手にとり、弓の持ち手部分のギザ
あてた。そして、右手で木の棒を
爺さんは弓の一端を左手に持
ち、もう一端の弦の接合部に口を
代 を こ え て 共 有 さ れ て き た。 チ
の民謡は、村人に幼いころから世
良されてきた。一方、ガンガーレ
り多くの人々に享受されるべく改
る。メロディや歌詞、楽器は、よ
異民族が共生する都市の音楽
は、超民族のポピュラー音楽であ
①
︽参考文献︾
の一体感が生み出す音楽には、圧
●楽弓と 漫 談
ワウ﹂という低音の利いた音が出
ニャマザンビと漫談は、ガンガー
ギザになっている。
別の日、友人のファライは、あ
る老人の家へ私を案内した。その
始めた。この低音は、ギザギザを
レ村の状況をふまえ、村の言葉で
た。男も女も、ほろ酔い気分で歌
老 人 は、﹁ チ ニ ャ マ ザ ン ビ ﹂ の 奏
こすることで生まれた振動が、ヤ
語られるからこそウケる。これら
爺さん﹂とよばれていた。
一分ほど演奏すると爺さん
は 弦 か ら 口 を は な し、﹁ お れ
も必要ない。農村では全ての住民
み出すカリスマ的ミュージシャン
CHIMURENGAINJAPAN
http://www.youtube.com/user/
︽酒場、チニャマザンビの映像︾
Chicago Press.
Zimbabwe , The University of
and Popular Music in
Nationalists, Cosmopolitans,
Music . ORT Printing Service.
② Tu r i o , T h o m a s . ( 2 0 0 0 )
(2005) Zimbabwe Township
Makwenda, Joyce Jenje.
︵まつひら
ゆうじ/名古屋大学大
学院文学研究科︶
じられる。
倒的な迫力と、故郷の温かさが感
者であった。
シの葉に伝わり、ヤシの葉の
は、村内のローカル音楽、ローカ
小柄な老人は、推定九〇才、ガ
ン ガ ー レ 村 民 か ら は、﹁ ゴ リ ア テ
振動が、口のなかで共鳴、増
ル話芸である。
いのか。
ゴリアテ爺さんとチニャマザンビ(筆者撮影)
幅したものである。左指と口
の形、舌の形で音程を調節す
どぶろく酒場には、言葉や文化
の違いがほとんどない。したがっ
が惚れたあいつは、実はくい
が歌手であり、聴衆である。彼ら
て、超民族的ポピュラー音楽を生
しん坊だった﹂と言い、また
アジ研ワールド・トレンド No.203(2012. 8)
21
ることができる。
ガンガーレの酒場にて(筆者撮影)
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