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インド・ケーララの結婚 - アジア経済研究所図書館

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インド・ケーララの結婚 - アジア経済研究所図書館
特 集
︱結婚慣習の変化と現在︱
バンダムを結んだ場合、夕食後に
ケーララのヒンドゥー社会にお
財として最年長男性である家長の
管理下に置かれ、家長の地位と共
に叔父から甥へ相続された。
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アジ研ワールド・トレンド No.226(2014. 8)
大家族のことを﹁タラワード﹂と
呼ぶ。タラワードは母、姉妹、兄
弟を中心として、母の姉妹の子ど
も、その子どもであるうちの姉妹
の子ども、というように母系の血
縁関係によって成り立ち、姉妹の
夫、兄弟の妻とその子孫を含まな
い。娘がなければ家系が途絶える
ため、娘の誕生は財産相続の要で
夫が妻のタラワードを訪れ一晩を
あ り、 喜 び を 持 っ て 迎 え ら れ た。
リムコミュニティでは、夫が妻に
共に過ごし、朝食前に自分のタラ
ティが母系制度下にあったかつて
婚資︵マフル︶を贈与することを
ワードに帰るという妻問婚も存在
の額が上がると信じられている﹂
●はじめに
結婚の慣わしとし、ダウリーの慣
した。妻は夫と別れた後違う男性
婚姻関係は﹁サンバンダム﹂と呼
習化は近年の現象である。本稿で
とサンバンダムを結んだり、夫の
のケーララで、ダウリーは一般的
のように姉妹ばかりだと十分なダ
は、一九世紀末以降の母系制改革
ため、女性は一〇代のうちに結婚
ウ リ ー を 用 意 す る こ と が で き ず、
の歴史を概観し、ケーララに位置
南インドのケーララ州の農村
その親族に渡る財産である﹁結婚
はますます難しい。二〇代、独身、
の 実 態 を 調 査 し た と き の こ と だ。 ﹁ 良 い ﹂ 結 婚 相 手 を み つ け る こ と
持参金﹂︵以下、ダウリーとする︶
三姉妹という﹁悪条件﹂をそろえ
ばれた。地域差はあったが、サン
その村の住民は、筆者に必ず﹁結
た女は、娘の結婚を気にかける村
な慣習ではなかった。また、ムス
婚 は 済 ん で い る の か ﹂ と 聞 い た。
死後に新たにサンバンダムを結ん
を﹁ 済 ま せ る ﹂。 そ の う え、 筆 者
未婚であると分かると、即座に年
する一農村の事例からナーヤル
ンドの他の地域やカーストで、寡
の人々にとって同情に値する存在
の結婚慣習の変化を、ダウリーの
婦が過酷な生活を強いられている
齢を聞いた。二〇代前半であると
ケーララ社会では、法律で禁止
慣 習 化 に 着 目 し な が ら 考 察 す る。
状況に比べると、ナーヤルの女性
だりすることを許されていた。イ
さらに男兄弟がおらず、妹が二人
されているダウリーが近年ますま
なお、本稿での事例は、インド全
︵旧母系制カースト︶とムスリム
い る と 分 か る と﹁ も う 終 わ り だ ﹂
す高額化し、未婚の娘を抱える家
には大きな自由が認められていた
だった。
と言わんばかりの哀れみの表情を
域に共通する現象として一般化で
所︵NCAER︶の調査によれば、
族の心理的、経済的な負担と化し
インドで最も結婚費用が高額な地
みせる。このやりとりは調査の過
インド社会では、人は結婚を経
域はケーララとデリーであり、現
といえる。財産の個人所有は認め
て一人前の男性/女性と認めら
いて、バラモンに次ぐ上位カース
植民地化に際してイギリスより
きないことを述べておきたい。
れ、結婚は絶対視されている。ま
金のダウリーの平均額が最も高額
トであるナーヤルは、かつて母系
司法制度が導入され、母系制度に
ている。インド国立応用経済研究
た ム ス リ ム の 間 で は、﹁ 一 八 歳 を
な地域もケーララである︵参考文
制度下にあった。ナーヤルは母系
られず、財産はタラワードの共有
超えた女性はなかなか子どもを産
献 ③ ︶。 し か し、 多 く の コ ミ ュ ニ
●ナーヤルの母系制改革
めなくなり、要求されるダウリー
程で何度となく繰り返された。
答 え る と 村 の 人 々 の 表 情 は 陰 り、
で、結婚の際に新婦から新郎また
小林 磨理恵
インド・ケーララの結婚
途上国の
出会いと結婚
インド・ケーララの結婚 ―結婚慣習の変化と現在―
ことも容易なサンバンダムを、イ
層は、一妻多夫を認め、離婚する
語教育を受けたナーヤルの新中間
釈は特に重要な問題とされた。英
で、ナーヤルの間の婚姻関係の解
様々な法的解釈が加えられるなか
て母系制度は法的に廃止された。
家族制度︵廃止︶法﹂の成立をもっ
れ、一九七六年の﹁ケーララ合同
らの法律はその後修正を重ねら
動 と な っ た︵ 参 考 文 献 ② ︶。 こ れ
タラワードを実質的に解体する原
途を決めた﹂と語った。リーラン
の建築費用など全てのお金の使い
父で、大きな権力を持ち、この家
夫も一緒に住んだ。家長は私の叔
母系家族に関しては﹁私の姉妹の
産が渡ることはなかった﹂と話し、
私の家に来たので、彼の家族に財
使い、残りは銀行に貯金したとい
身がイヤリングを購入するために
リ ー で は な い ﹂。 こ の 金 は、 妻 自
て 受 け と っ た が、 こ れ も﹁ ダ ウ
万三七五〇ルピー︶を贈り物とし
は、両親から三〇ソブリン金貨︵九
した。リーランマの妹の息子の妻
ギリス植民地政府に﹁野蛮﹂な慣
強 く 批 判 し た。﹁ 母 系 制 度 は ダ ウ
否 定 し、 ダ ウ リ ー を 社 会 悪 だ と
う。
調査地のN村は、ケーララ北部
現在リーランマは、姉の息子と
リーの慣習をもたなかった。だか
マは六人兄妹︵四女二男︶であり、
否反応を示し、立法によってサン
に位置し、ムスリム、ヒンドゥー、
その妻と子どもたち、もう一人の
らナーヤルには今もダウリーはな
●ナーヤルの結婚慣習の現在
バンダムを法的な婚姻関係とする
クリスチャンが混住する地であ
姉の未婚の娘と息子、妹の息子と
い ﹂︵ 六 八 歳 男 性 ︶、﹁ ダ ウ リ ー は
習とみられたことに対して強い拒
ことを目指した。ナーヤルは一八
る。N村のナーヤルの母系制時代
その妻と暮らしている。一九八五
ムスリムやティーヤルなどの下位
リ ー ラ ン マ の よ う に、 N 村 の
九六年に母系制に関わる最初の立
は、結婚後に夫が妻の家族と共に
年に結婚した姉の息子は妻を迎え
カ ー ス ト に 広 ま っ て い る ﹂︵ 三 七
彼女の兄妹の結婚は全て母系制に
法である﹁マラバール婚姻法﹂を
暮らす妻方居住をとり、結婚の際
入れた。つまり、リーランマの甥
遺産相続権などが法的に定められ
サンバンダムが合法化され、妻子
ララ中部・南部では、婚姻として
献 ① ︶。 一 九 一 〇 年 代 以 降、 ケ ー
分割等を要求していった︵参考文
の移行、タラワードの共有財産の
い て、﹁ ま ず 父 が 選 ん だ 男 性 と 結
九〇歳のリーランマは結婚につ
年齢は調査時点のものである︶。
き取り調査に基づく。名前は仮名、
∼三月の二回に分けて実施した聞
〇一〇年八月および二〇一一年二
稿における被調査者の発言は、二
性の語りを紹介したい︵なお、本
参し、次男の名義で家を買うため
五〇〇ルピー︶を贈り物として持
︵当時のルピー建て価格は一万七
う。次男の妻も一〇ソブリン金貨
名義で家を買うために用いたとい
り、嫁いできた。この金は長男の
いくらか金︵ゴールド︶を受け取
彼女の両親から﹁贈り物﹂として
に、結婚時の財産贈与が新婦に対
当事者がダウリーを否定する根拠
とはできなかった。確かなことは、
したという当事者の証言を得るこ
の結婚慣習に﹁ダウリー﹂が登場
解体された現在、N村のナーヤル
である﹂と主張する。母系家族が
リーではなく、娘に対する贈り物
ナーヤルはダウリーの受け渡しを
成 立 さ せ た 後、 次 々 と 法 案 を 提
に女性の移動はなく、ダウリーの
の世代の結婚は妻方居住ではなく
た。また、ケーララ北部では一九
婚 し た が、 早 婚 で 全 く 幸 せ で な
従って妻方居住をとった。
示 し、 サ ン バ ン ダ ム の 法 的 な 認
慣習も存在しなかった。
三三年に﹁マドラス・マルマッカ
かった。その男性は私の家にやっ
するその両親の自発的な﹁贈り物﹂
まず、母系制時代を経験した女
知、妻子の庇護権の家長︵母系家
タ ー ヤ ム 法 ﹂︵ マ ル マ ッ カ タ ー ヤ
に 利 用 し た。 リ ー ラ ン マ は、﹁ 新
であることと、母系制の歴史ゆえ
族の最年長男性︶から夫・父親へ
ムは母系制の意味︶が制定された。
て 来 た け れ ど、 私 が 受 け 入 れ な
婦の家族に金を要求することは一
にダウリーが根付かないという二
歳女性︶といい、多くが﹁要求し
本法は、サンバンダムに合法的婚
か っ た た め 一 年 後 に 家 を 去 っ た。
切なかった。したがって、これは
点が語られたという事実である。
夫方居住に移行していた。
姻 と し て の 正 当 性 を 認 め た ほ か、
私は一九三五年に一五歳で再婚し
ダウリーではない﹂と強調して話
ていない/されていないからダウ
タラワードの共有財産に吸収され
た。これは恋愛結婚だった。夫が
リ ー ラ ン マ の 姉 の 長 男 の 妻 は、
な い 個 人 財 産 の 所 有 を 合 法 化 し、
アジ研ワールド・トレンド No.226(2014. 8)
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載されることがある。英語のディ
の要求︵ディマンド︶なし﹂と記
と、求婚者のPRの最後に﹁一切
れるナーヤルの求婚広告をみる
ララの言語︶の日曜新聞に掲載さ
一方で、マラヤーラム語︵ケー
的な様相を呈した。
要求するのかを語り、両者は対照
得したか、また、なぜダウリーを
ムはどのようにダウリー資金を獲
為を強く否定する一方で、ムスリ
ていたが、ナーヤルはその授受行
とする認識はN村の住民に一致し
在、マフルが﹁儀礼化﹂し、その
総額のさらなる上昇を招いた。現
高騰の影響を受けて、ダウリーの
だが、二〇〇〇年代には金の価格
せてダウリーとすることが一般的
ケーララでは現金と金を組み合わ
年 代 以 降 は そ の 額 が 高 額 化 し た。
ダウリーの慣習が定着、一九九〇
したムスリム女性が娘のダウリー
へ移住する資金源としたり、離婚
新郎がダウリーを結婚後にガルフ
し て い る こ と が 明 ら か と な っ た。
ウリーの支払いの手段として機能
声が聞かれ、ガルフでの労働がダ
るためにガルフへ移住した﹂等の
金で賄った﹂、﹁娘のダウリーを得
発言を紹介したい。
ことが一般化しているが、八九歳
何倍ものダウリーを新婦が支払う
として働いたりもする。
のために自らガルフで家事労働者
まず、N村のムスリム指導者の
マンドが現地語化してダウリーを
るのだ。また、ナーヤルのカース
﹁毎週金曜日にモスクでダウ
暗に示す言葉として用いられてい
ト組織であるナーヤル奉仕協会
も発生する。次にムスリムの貧困
一方で、貧困家庭では時にはダ
家庭の事例を紹介したい。
の 女 性 は、﹁ 一 九 三 六 年 に 結 婚 し
らもらっただけで、ダウリーはな
一九九八年に一五歳で結婚した
リーは社会悪だと話す。本来ムス
かった﹂と話した。また、一九四
レ ス ラ は、 結 婚 前 に オ ー ト リ キ
︵N S S ︶ の コ ー リ コ ー ド ゥ 支 部
フ︵婚姻︶の際に、マフルを新郎
八年に結婚した男性︵八〇歳︶は、
シャ︵三輪タクシー、以下オート︶
ウリーのために家を売却する事態
について﹁ケーララ南部のナーヤ
が新婦に渡す、そして、新婦の父
﹁ 当 時 慣 習 的 な ダ ウ リ ー は な く、
の運転手をしていた夫から二〇ソ
た際、わずかな金のマフルを夫か
ル は オ ー プ ン。 ケ ー ラ ラ 北 部 の
親が﹃娘を与える﹄と新郎にいい、
二一ルピーのマフルを渡したの
リムの結婚というものは、ニカー
ナーヤルはアンダーテーブル﹂と
新郎が﹃新婦の生活全てを保障す
み﹂と語り、一九三〇年代から一
で働くナーヤル女性は、ダウリー
発言し、ナーヤルの間でも水面下
る﹄と彼に誓う、それだけだ。今
ブリン金貨︵六万ルピー︶と七万
はその時に、ダウリーの授受はな
九四〇年代にダウリーは慣習化し
五 〇 〇 〇 ル ピ ー を 要 求 さ れ た が、
唆した。地元の社会運動家も﹁ナー
いということを確認している。マ
ていなかったことが指摘された。
にダウリーの授受があることを示
ヤルはクリーンなイメージを維持
フルの額は家庭の経済地位が高け
ブリン金貨と五万ルピーを支払っ
するためにダウリーの実態を隠し
に、ムスリムコミュニティにおけ
た。結婚の祝宴はダウリーの援助
全額払うことができずに、一〇ソ
るダウリーの慣習化には、ガルフ
を求めるために大規模に行い、そ
ムスリム指導者も証言したよう
ところが、湾岸︵ガルフ︶諸国
への移住労働者の送金が作用して
こで得たお金をダウリーとして支
れば金だが、貧困層では二〇〇∼
傾向にあると報告されている︵参
へ移住したムスリムが、ガルフの
いるといってよい。ケーララ州の
払った。結婚後も夫の親族は残り
ているのだ﹂という。さらに近年、
考 文 献 ④ ︶。 女 子 を 家 族 に 抱 え る
地元民と交流し、その文化を持ち
海外への移住労働者数は、インド
の額を度々要求し、夫は彼女に暴
三〇〇ルピー程度のものだ。
ことによる何らかの﹁負担感﹂が
帰って、この村に消費文化を築い
力をふるった。その後三回に分け
ナーヤルの間でも女児堕胎が増加
存在する証左であろう。母系制時
の他州と比較しても群を抜いて多
て五ソブリン金貨とオートを渡し
く、海外移住先には圧倒的にガル
フ諸国が多く選ばれる。
N村では、
たが、なおもダウリーの要求は続
ている。これがダウリーの慣習化
N村のムスリムコミュニティで
特にムスリムから﹁ダウリーはガ
き、離婚した。レスラは現在生家
に影響しているのだ。﹂
は、一九六〇年前後にダウリーの
ルフで働く父親/親戚/兄弟の送
代の女児誕生の喜びは、現在、薄
慣習化が始まり、一九八〇年代に
れているのかもしれない。
●ムスリムの結婚とダウリー
ダウリーを根絶すべき社会悪だ
20
アジ研ワールド・トレンド No.226(2014. 8)
インド・ケーララの結婚 ―結婚慣習の変化と現在―
彼 女 の 父 親 は、﹁ ダ ウ リ ー に は
な家族の場合、兄弟ないし姉妹の
は、特にダウリーの支払いが困難
リーを持って嫁いだ。結婚の時期
ウリーを用意できない限り結婚で
﹁ 問 題 ﹂ だ と 考 え る か 問 う と、 ダ
N村の人々にダウリーの何が
学研究﹄第七一六号。
ン ド ゥ ー 化 ﹄ の 狭 間 で ﹂﹃ 歴 史
解 体 と 女 性 ﹃ 近 代 化 ﹄ と﹃ ヒ
に戻っている。
反対だが、全コミュニティにダウ
に﹁娘のダウリー資金﹂が挙げら
の用途には結婚祝宴の費用ととも
したように、受け取ったダウリー
ために妻の家族にダウリーを要求
この事例で兄が妹のダウリーの
ルピーを持参して結婚した。
貨︵六万ルピー︶と七万五〇〇〇
で学校を退学し、二〇ソブリン金
の妹は、兄の結婚と同年に一四歳
むを得なかった﹂のだという。別
スラのダウリーを支払うためにや
結婚後にも要求され続けていたレ
た。これは﹁別の妹のダウリーと、
︵ 七 万 五 〇 〇 〇 ル ピ ー︶ を 要 求 し
〇万ルピーと二五ソブリン金貨
したレスラの兄は、妻側家族に一
れ は﹁ 要 求 さ れ た も の で は な い ﹂
物﹂を娘自身に与えているが、そ
定し、娘の結婚時には金の﹁贈り
ダウリーの実態そのものを強く否
る。 一 方 で、 ナ ー ヤ ル の 人 々 は、
時にその新婦に要求することもあ
とし、娘のダウリーを息子の結婚
めにはその支払いはやむを得ない
識しながらも、娘を結婚させるた
習化した。ダウリーの違法性を認
一九六〇年代頃からダウリーが慣
は、ガルフ移民の送金も作用して
実 態 は 異 な る。 ム ス リ ム の 間 で
てダウリーに対する認識やその
村にあってもコミュニティによっ
を﹁社会悪﹂だと捉えるが、同じ
N村の人々は、概してダウリー
もたらしている。
状況と女性の地位に大きな意味を
が、今日、娘を抱える家族の経済
結婚慣習も変化をみた。このこと
い っ た 様 々 な 社 会 変 容 の な か で、
移 動 の 増 加、 消 費 文 化 の 浸 透 と
れる一方、家族制度の変化、労働
結婚を重視する価値観が維持さ
女ともに変わらない。
付され、結婚を重視する姿勢は男
できるという状況は概して不問に
男性が女性に﹁当然﹂金品を要求
と認められないことや、結婚時に
婚しなければ一人前の男性/女性
いうべきものが確立している。結
せ る よ う に、﹁ 結 婚 絶 対 主 義 ﹂ と
額のダウリーを工面して娘を嫁が
は、家計が破綻しても要求された
④
Early
Demography.
Twentieth
in National Research in
for International Cooperation
Guilmoto, eds, Watering the
Neighbour s Garden the
Growing Demographic Female
Deficit in Asia, Committee
India? In I. Attane and C.Z.
the Nairs in Kerala in South
Preference Emerging among
Sudha S. et al. 2007. Is Son
Have No Say in Marriage The
Hindu. 18 Mar. New Delhi ed.
Development Studies.
③ Rukmini S. 2014. Many Women
Century Malabar Working
Paper No.359 , Centre for
in
Matriliny, Men and Marriage
Ground of Fatherhood:
Kodoth P. 2004. Shifting the
きないことや近所の人に借金しな
れることが多い。つまり、
ダウリー
ためにダウリーではないと主張し
︽参考文献︾
① 粟 屋 利 江[ 一 九 九 八 ]﹁ ケ ー ラ
ラ︵インド︶における母系制の
②
結婚時期に規定されるといえる。
ければならないことだという答え
リ ー は 拡 大 し て い る た め、 ダ ウ
リーを無くすことは無理だ﹂と
が新婦自身のために用いられない
た。また、母系制の過去を引き合
が返ってきた。現在のケーララに
ばかりか、そのダウリーは新郎自
いに出したり、ダウリーを他のコ
●おわりに
身やその家族に残る資産ともなら
ミュニティの慣習だと主張したり
語った。実際、二〇〇〇年に結婚
ず、新郎の姉妹の結婚資金として
しながら、歴史的に裏付けられた
の特殊性にダウリーを否定する根
︵こばやし まりえ/アジア経済研
究所 図 書館︶
他の家族に渡るというように、ダ
レスラの妹はわずか一四歳で学校
拠を求める。
ウ リ ー が 循 環 し て い る の で あ る。 ﹁ ナ ー ヤ ル ﹂ と い う カ ー ス ト 集 団
を辞めて兄の嫁が持参したダウ
アジ研ワールド・トレンド No.226(2014. 8)
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