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水平社宣言にこめられた思い
6年(
今日の学習のめあて
)組(
)号 名前(
)
宣言に込められた人々の思いや願いについて考えよう。
「 水 平 社 宣 言 」
(やさしく書き直したもの)
全国の仲間たちよ、今こそ団結しよう。
長い間、差別され苦しめられてきた仲間たちよ。
「解放令」が出されてから50年もの間、多くの人々によって差別を無くすための運動
が行われてきたが、差別は無くならなかった。それは、「差別される側」が差別されない
ようにしなければならない、「差別される側」はかわいそうだから何かしてあげよう、と
いう考えで取り組まれたからだった。このような間違った考え方のせいで、多くの仲間た
ちが傷つき倒れていった。差別は「差別する側」がいるからあるのだ。そして、すべての
人が自分の中の差別心に気づき、お互いを尊重し合い、大切にすることで差別は無くして
いけるのだ。このことに気づいた今こそ、私たち自身の手でこの新しい運動をつくりあげ
ていこう。
私たちの先祖は、自由と平等を心の底から願い、差別とたたかってきた人々だった。卑
劣な身分制度に苦しめられながらも、誇りを持って世の中に欠かせない大切な仕事を行い、
社会を支えてきた。
私たちの先祖は、身も心も引き裂かれ、その上につばを吐きかけられるような悪夢の中
でも、生き抜き命をつないできた。誰よりも誇り高く、誰よりも強く、誰よりもあたたか
い。そんな生き方を受け継いできた私たち自身が、差別のない社会をつくる時代がやって
きたのだ。私たちが、差別されてきたことを誇りに思うときがきたのだ。
私たちはどんなことがあっても、自分を見下すような言葉やびくびくした行動で、先祖
をさげすんだり、人間としての誇りを傷つけたりしてはならない。私たちは、この世の中
がどんなに冷たいか、差別された人がどれほどつらい思いをしているかを誰よりもよく知
っている。だからこそ、私たちはすべての人の幸せと希望を追い求めていくのだ。
水平社は、こうして生まれた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。
大正11(1922)年3月3日
○ 今日の学習の感想を書きましょう。
全国水平社創立大会
山田孝野次郎さんの演説
(水平社博物館の資料より 一部をやさしい言葉にしたもの)
1922年3月3日の全国水平社創立大会において、少年代表として全国から集まった
参加者を前に、演説に立ちました。
奈良県の山田です。
私は、学校で同級生や教師から差別され、身も心も冷え切るような思いで
過ごしてきました。校門をくぐったら最後、勉強どころか涙で一日が終わる
きょうだん
日が何回もありました。教 壇 に立った先生のひとみは、なんと冷たいもので
しょう。
しかし、それでわが身が悲しいかというと、決して悲しくはありません。
私には、世間からさげすまされなければならない理由が、何一つとしてない
からです。
尊い人というのは、生まれながらにして、何か、他の人と違う印がついて
いるのでしょうか。まさかそんなことはありません。尊い人もいやしい人も
存在しないのです。私の体の中には、ほかのすべての人たちと同じように、
赤くて熱い血液が流れているのです。
だん
これを聞きながら、公会堂のいろいろな所や壇 上の委員から、泣き声が聞こえました。
すると、山田少年は、
今、私たちは泣いている時ではありません。大人も子どももいっせいに立
って、この差別を打ち破りましょう。
光り輝く世の中にしていきましょう。
と叫びました。この演説は、参加者の感動を呼びました。
(2) 自分や、自分の周りの人が差別やいじめを受けた時、あなたは差別をなくそうと
行動していますか。今日の学習を通して、これまでの自分を振り返って書きましょう。
全国水平社が生まれたとき
1922年(大正11年)3月3日、全国から3千人もの人々が、汽
車で、自転車で、あるいは野宿をしながら歩いて、京都に集まった。
広い会場がぎっしりとつまり、いよいよ大会がはじまった。最初に、
この大会が生まれるまでの苦労が報告され、水平社宣言が読み上げられ
た。何度も涙に言葉をつまらせながら、ふるえる体を必死に押さえて宣
言が読み上げられたとき、会場からは割れんばかりの拍手がわきあがっ
た。無理もありません。水平社宣言には、差別されて続けてきた人々を
勇気づけ、未来への希望を示す言葉がはっきりと述べられていたのです
から。
このあと、各地の代表者による演説がはじまった。その中に、まだ1
6才だった山田考野次郎少年がいた。彼は壇上に立つと、せきを切った
ように自分が受けてきた差別について語り始めた。
「私は、役人様や学校の先生の話を、何度となく聞きました。それら
の方々は、口をそろえて、人間は平等でなければならないとさけびます。
人間が人間を差別することのおかしさについても、はげしく攻撃しま
す。そして、私たちを理解しているように、差別する気持ちなどはこれ
っぽっちもない、とばかりに言います。けれども、学校での先生のひと
みは何と冷たいものでしょう。」
山田少年は、続いて学校で受けた差別の話をしだしたのだが、思い起
こすとたえられなくなって、言葉につまり、壇上で泣いてしまう。聞い
ていた人々にとっても、山田少年の話は自分自身のことだった。
会場は、涙と声をころしたすすり泣きがあふれた。
だが、このときである。山田少年は、きりっと顔を上げ、大声で呼び
かけた。
「いま、私たちは泣いているときではありません。おとなも子どもも、
いっせいに立ち上がって、差別を打ち破りましょう。」
ここから、人間が人間としてのほこりを取りもどすたたかいがはじま
ったのだ。
にんげん6年(12訂版)全国解放教育研究会
1981年より一部改作
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