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井上ひさし著「ボローニャ紀行」を読む

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井上ひさし著「ボローニャ紀行」を読む
Essay
2010 年 4 月 16 日(2010-04)
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井上ひ
井上ひさし著「ボローニャ紀行
ボローニャ紀行」
紀行」を読む
「ボローニャ紀行」には,上記のことも
触れられているが,それ以外に,今ではボ
ローニャが世界に冠たる包装機械の生産地
であることなど,私が知らなかったことも
書かれている.日本のティーバッグ入りの
お茶はここで作られた機械を使って製造さ
れているのだそうだ.
今月 9 日に死去した井上ひさしの著書で,
2008 年 3 月に出版され,今年 3 月に文庫本
となった「ボローニャ紀行」を読んだ.そ
のきっかけは,著者の死去が伝えられたこ
とだ.私は,井上の本は全く読んでいなか
ったが,新聞紙上で読む彼の意見によって,
また,彼がテレビに出て意見を述べている
のを見ることがあったので,井上という人
物にいくらか親近感を持っていた.亡くな
ってみると,彼が世の中に大きな影響力を
持っていたことがわかった.
この作家が何故ボローニャに関心をもっ
ていたのかを私が知らなかったことも,2
年前にこの本がピンと来なかった原因だっ
たのだが,この点については,今回この本
を読むことで納得できた.意外なことがあ
ったのだ.詳しく書かれているわけではな
いが,井上は変わった少年時代を過ごした
ようだ.山形県一関市に住んでいたのだが,
自宅の近くにあったカトリック教会のカナ
ダ人神父の世話で,仙台にあったラ・サー
ル男子修道会が経営する一種の養護施設に
寄宿することになり,高校卒業までそこに
居たようだ.その間に,この神父からカト
リックの洗礼を受けた.進学した上智大学
でも,この神父の世話で,授業料を免除さ
れたうえ,仙台教区から奨学金を得ること
ができたので,井上はこの神父に大きな恩
義を感じていた.この神父は聖ドミニコ会
所属だったが,その聖ドミニコ会発祥の地
がボローニャなのだ.この神父はボローニ
ャに行くことを願っていたが,その願いは
叶わなかった.それで,井上が代わりにボ
ローニャに行き,聖ドメニコ教会に詣でた
というわけだ.
私は,2 年ほど前,書店に置かれていた
この本に気付き,めくってみたが,余りピ
ンとこなかった.それは,紀行という表題
が付いているにも拘わらず,写真が1枚も
ないことからもわかるように,普通の紀行
文ではないことにあったと思う.私は,
1966 年 9 月から 1 年間,ミラーノ工科大学
に滞在し,ミラーノの東北の郊外に住んだ
ことがあるので,今でもイタリアについて
書かれた出版物には関心がある.ボローニ
ャにも 2 度行ったことがあり,そこが特徴
のある赤瓦(明るい茶色)の屋根をもつ建
物の町であること,共産党の勢力の強いと
ころで,瓦の色にちなんで赤い都市と呼ば
れていること,イタリア随一の美食の地で
あること(私は 1967 年 4 月に観光旅行でボ
ローニャに行ったが,このとき昼食に美味
しいラザーニャを食べたことが記憶に残っ
ている),ボローニャ大学は世界最古の大
学と言われていること,などは元から知っ
ていた.
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こういう井上自身に関することなども書
かれているが,この本の中心テーマは,ボ
ローニャで発達している地域共同社会に根
差す種々の活動を紹介して,それとの対比
で,現在の日本のあり方を批判することに
あるようだ.書き方が軽妙なので,批判は
きつい感じのものではない.これがこの作
家のスタイルなのだろう.
た.当時周りは畑だらけで,そこに似たよ
うな大きさの集合住宅が3棟同時に建てら
れ,その団地的な場所は Centro
Residenziale Edilnord(Edilnord は固有
名詞で,英語にすると Edilnord
Residential Center になる)と呼ばれてい
た.これを建てたのが,当時まだ 30 歳そこ
そこだったベルルスコーニだったというこ
とを,彼が政界の大物になってから私は知
った.私がそこに住んでいる間にも,周り
に次々と集合住宅が建てられていたのだが,
そのひとつにベルルスコーニ自身も入居し
ていたことがあるそうだ.世の中には,い
ろいろなことがあるものだと思う.(おわ
り)
第2次世界大戦中にイタリア首相だった
ベニート・ムッソリーニや現イタリア首相
のシルヴィオ・ベルルスコーニのことが少
し戯画化されて書かれているが,これは,
民主政治というものが人気取り政治に陥り
易いこと,最近よく使われるようになった
言い方では,大衆迎合のポピュリズムがは
びこることに,井上が関心をもっていたか
らではないだろうか.現代活躍している政
治家では,フランスのニコラ・サルコジ大
統領にも大衆迎合の傾向があり,サルコジ
は先輩格のベルルスコーニを尊敬している.
この2人の仲は良いらしい.ナチス・ドイ
ツを率いたアドルフ・ヒトラーも大衆を扇
動する術に長けていた.この本が書かれた
のは 2007 年末よりも前だが,その時点で井
上は,今わが国に起きているポピュリズム
の傾向を予見して,心配していたのかもし
れない.
この本にムッソリーニのことが書かれて
いるのは,彼がボローニャの近くの村で生
まれたからだが,ベルルスコーニはそうで
はなく,ミラーノで生まれ,ミラーノ大学
法学部を卒業している.私が,ほんの少し
だが,ベルルスコーニと関係があったと言
うと,驚く人が多いだろう.余談だが,そ
れについて書いておこう.
ベルルスコーニは早くから商才を発揮し
て,大財閥を作り上げたのだが,その発端
となったのは建設業であった.私はミラー
ノの旧市街から 11 km ほど離れたブルゲー
リオというところに住んだのだが,その住
まいは,建てられたばかりの 10 階建ての集
合住宅(敢えてマンションとは呼ばないが,
実質的には同じようなもの)の7階にあっ
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