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EU・Conditionality
Kobe University Repository : Kernel
Title
EU・Conditionality《加盟条件》がチェコの司法制度へ
与えた影響(The Influence of European Union
Conditionalyity on the Czech Legal System)
Author(s)
大場, 佐和子
Citation
神戸法學雜誌 / Kobe law journal,62(1/2):265-336
Issue date
2012-09
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81004406
Create Date: 2017-03-31
265
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
神戸法学雑誌第六十二巻第一・二号二〇一二年九月
EU・Conditionality≪加盟条件≫が
チェコの司法制度へ与えた影響
大 場
【目次】
第1
序論 −本稿の目的と先行研究−
第2
チェコの法文化
1
ハプスブルク帝国時代の司法
2
社会主義時代の裁判官
第3
現在のチェコの司法制度
1
裁判所と裁判官
2
司法省による司法行政
第4
体制転換から EU 加盟申請に至るまで(1989∼1997年)
1
第 5 次 EU(東方)拡大への参加
2
EU 法への接近化作業
3
≪加盟条件≫とは
第5
−コペンハーゲン基準−
加盟交渉(1998∼2003年)
1
司法分野の≪加盟条件≫
2
≪加盟条件≫は機能したのか?
3
チェコの司法制度改革への道程
4
Supreme Judicial Council(SJC)と国内政治
佐和子
266
第6
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
裁判所のスタンス
1
憲法裁判所のスタンス
2
通常裁判所のスタンス
第7
結語
1
≪加盟条件≫はチェコの司法制度にいかなる影響を与えたのか
2
チェコの司法改革への展望
付録:文献表
第 1 序論 −本稿の目的と先行研究−
1
チェコ共和国が辿った歴史を振り返ると、ハプスブルク帝国の終焉、共産
主義体制の導入、そしてポスト共産主義体制へと過去100年内に大規模な体
制転換が 3 度生じている。冷戦時代、ベルリンの壁の向こう側で、経済・社
会の発展や欧州統合の進展度合いに応じて、必要に迫られながら徐々に現代
的な法システムを整備・発展させていった旧西側諸国に対し、旧東側のチェ
コでは、中央集権・官僚主義的なハプスブルク帝国的司法行政システムが共
1
産主義体制下でいっそう強固な土台となって、独自の法文化が形成されてい
た。
法的な観点から概観すれば、現在の欧州連合(以下、1992年マーストリヒ
ト条約以前を含めて便宜上“EU”と表記する)への加盟を目指した EU 法
の継受や司法分野の改革作業は、第 2 次世界大戦までチェコにみられた大陸
( 1 ) 本稿において「法文化」とは、「ある社会の法システムのあり方、すなわち法
規範・法制度等それを構成する法機構の公式の内容及び現実の作動の仕方にみ
られる固有の原理的な特徴で、その社会の文化的特性と連関すると考えられる
もの(竹内昭夫『新法律学辞典(第 3 版)
』有斐閣、1989年、p.1303.)」であ
り、「ある社会における人々の法についての意識や行動様式の総体(金子宏ら
編『法律学小辞典(第 4 版)
』有斐閣、2004年、p.1107.)」をも含むものとして
考察することにする
267
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
法的な法文化の回復とキャッチアップという意味合いも有する。
そこで本稿では EU 加盟にあたってチェコに求められた司法分野関連の
Conditionality を広範に捉えて(以下≪加盟条件≫と表記する)
、その内容を
検討し、それがチェコの司法環境に与えた影響について可能な限り明らかに
したい。
チェコの司法分野について詳論した邦語文献はなく、英語、チェコ語とも
に、正面から本稿テーマを扱った先行研究も寡聞にして知らない。関連分野
の先行研究としては、中東欧の法文化に関する鈴木輝二の広範な研究がある。
大戦期から現代までチェコの政治状況に関しては、林忠行による詳細な研究、
特に≪加盟条件≫のひとつとされた地方制度改革の経緯に関する研究論文が
あり、本稿に対しても直接多くの有益な示唆を教授して頂いた。さらに、同
じく政治学の見地からチェコの EU 加盟に関連した中田瑞穂の研究、羽場久
美子、庄司克宏、須網隆夫らの EU 研究が知られる。
国外の EU 加盟プロセス・政策形成に関する研究成果については枚挙
にいとまがないが、本稿が主に依拠したのは、Heather Grabbe や Dimitry
Kochenov らの研究である。特に Kochenov は欧州統合の Conditionality をテー
マとした大部の著書を発表しており、筆者は同氏へのインタビューにより、
2
司法分野にかかる≪加盟条件≫の検討を深めることが出来た。チェコの司法
制度については、専門の法哲学分野に留まらず精力的に著作物を発表してい
る Zdeněk Kühn、チェコの国家制度を紹介する英文サイトを管理し、EU 法・
比較(公)法等に関する研究論文を発表している Michal Bobek、国際法・比
較憲法、Transitional Justice 等を専門とする David Kosařらの英文による研究
3
成果に多くを依拠している。Kühn へのインタビューや筆者が見聞した限り
( 2 ) EUIJ調 査 研 究 助 成 金 を 得 て 筆 者 が 行 っ たDimitry Kochenov博 士 へ の イ ン タ
ビュー(2011年 3 月17日アムステルダムにて)。文責は専ら筆者に帰する。
EUIJには深く謝してここにまとめて記す。
( 3 ) EUIJ調査研究助成金を得て筆者が行ったZdeněk Kühn博士 へのインタビュー
(2011年 2 月28日及び同年 3 月10日プラハにて)。文責は専ら筆者に帰する。
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EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
では、チェコの法学界において EU 関連の研究報告を行っているのは主に限
られた若手研究者のみのようで、その多くは英文で発表されている。
4
)及び The
その他資料 は、The European Commission(以下「欧州委員会」
European Council(以下「欧州理事会」)の各種文書、Council of Europe/欧州
審議会(以下“CoE”)が2002年 9 月に設置した The European Commission for
the Efficiency of Justice(以下“CEPEJ“)による調査研究、ブダペストに拠
点を置く独立系シンクタンク Open Society Institute(以下“OSI“)が、2001
年には「司法の独立」に、2002年には「司法の能力」に焦点をあて候補国の
司法が置かれた状況を詳細に調査したリサーチペーパー等である。チェコで
の報道は主にラジオプラハの英文記事に依拠した。
2
なお、本稿では専ら裁判所及び裁判官に関する事象を扱い、検察官や弁護
士、矯正制度等に関しては射程外とした。
第 2 チェコの法文化
1 ハプスブルク帝国時代の司法
( 1 ) もともとチェコは、中世ローマ教会のカノン法、 6 世紀に法典化された
5
ローマ法(世俗法)という欧州共通の法文化 jus commune を持つ。1348年
にはボヘミア王であり神聖ローマ帝国皇帝でもあったカレル 4 世によって
プラハ(カレル)大学が設立され、法学教育も行われた。
ボヘミア(チェコ)王国では、1620年にプロテスタントのボヘミア諸侯が、
ハプスブルク側のカトリック勢力との決戦(白山の戦い)に敗れ、その後
300年間、
同帝国の属領として中央集権思想に基づくオーストリア法によっ
6
て統治された。
( 4 ) これらの資料の詳細については、紙幅の都合上、本稿文献表に載せることがで
きなかった。
( 5 ) 鈴木輝二(2004年)、p.213.
( 6 ) 同書、p.130. & 林忠行(1993年)
269
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
( 2 ) 地域的な慣習法が存在するにすぎなかったハプスブルク帝国では、18
世紀後半から、啓蒙専制君主マリア・テレジア及びヨーゼフ 2 世の下で
法典化作業が進められ、近代オーストリア法が発展した。1780年代には、
中欧で初めての近代手続法が制定され、1811年に公布された一般民法典
(ABGB)は欧州においてナポレオン法典(1804年)に次ぐ本格的な民法
7
典であった。1895年に制定された民事訴訟法典は、いくつかの基本的パラ
ダイムに関してドイツの民事訴訟法に影響を与えたものであり、古典的
8
ヨーロッパ大陸法の先駆けのひとつであった。
オーストリア・ハンガリー帝国は、広大な領土を統治するために官僚シ
ステムを発達させていたが、法律家も人気の職業であった。1880年代、人
口10万人のあたりの法学部卒業生は24.6人であり、フランス14.0人、ドイ
9
ツ12.6、オランダ9.1人、ロシア2.0人よりも圧倒的に多かったという。
10
1867年の司法権に関する基本法に基づいてウィーンに行政裁判所が設置
された。帝国の崩壊に伴い、1918年最高行政裁判所法に基づく行政裁判所
が改めてチェコスロヴァキアに設置され、1948年まで活動を続けた。
第 1 次世界大戦により二重君主国が解体した後も、新興国の立法作業
が進まないため旧オーストリア帝国法はいわゆる‘Reception Act’に基づ
いて依然効力を維持した。1873年に帝国内で導入された刑事陪審制度は、
1948年に共産党が政権掌握するまでチェコスロヴァキアに残存し、ABGB
11
は1950年に新民法典が制定されるまで効力を持った。
( 3 ) スラブ系の極めて近い民族でありながら異なる歴史を歩んでいたチェコ
人とスロヴァキア人によるチェコスロヴァキア共和国が初めて成立したの
は、第 1 次世界大戦後の1918年である(「第 1 共和国」)。
( 7 ) 鈴木輝二(2004年)、p137.
( 8 ) Kühn, Zdeněk[2010], pp. 1 - 4 .
( 9 ) Kühn, Zdeněk[2010], p.14.
(10) Basic State Law No. 144/1867 Imp. Coll.
(11) Kühn, Zdeněk[2010], p. 3 .
270
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
1921年に設立されたチェコスロヴァキア憲法裁判所は、オーストリアと
並んで世界で初めて具体化された憲法裁判所であった。しかし、同年に指
名された裁判官が10年の任期を終えると、立法府は、自身が制定した法に
12
対し影響を及ぼす機関の構成員を指名することに躊躇した。1938年によう
やく裁判官が指名されたが、ドイツ侵攻の数カ月前であり、彼らは重要な
13
事案の審理を終えずに閉廷したようである。社会主義体制下でも憲法裁判
所が機能することはなかった。
1920年チェコスロヴァキア憲法は権力分立を保障していたが、第一次世
界大戦後、裁判官の給与は劇的に下がり、社会全体に不安定要素が蔓延し
たことにより司法の能力も下がり、1921年初頭には裁判所官報に「司法は
前例のないほどの危機にある」と発表された。裁判官の汚職も見られるよ
うになり、1929年にチェコスロヴァキアで初めて裁判官が汚職により刑に
14
処されたという。
帝国時代と比べて、人員が不足し、裁判官一人当たりの受訴件数が甚だ
しくなった。事務的な作業に多くの時間が費やされ、裁判官は、訴訟遅延
を避けるために多くの手続ルールを破らざるを得なかった。判決書は、口
頭での判決宣告から数週間、ひどい時には数カ月後に出された。裁判官は
判断を下した事件数に基づいて評価され、自らに課された不可能な要求に
15
よる遅れにも責任を負わされた。
のちに論じるように、これらは現代の司法も直面した問題点であり、逆
に、帝国時代の司法を取り巻く環境は好ましいものであったことが窺われ
る点でも興味深い。
( 4 ) 1938年 9 月のミュンヘン協定後、チェコ=スロヴァキア共和国(
「第 2
(12) 戦間期に人権擁護の担い手であったのは、むしろ最高行政裁判所であったとい
う。Cutler , Lloyd and H. Schwartz[1991], pp.515-516.
(13) Kühn, Zdeněk[2010], p. 8 , pp.18-19.
(14) Ibid., pp. 9 -12.
(15) Ibid., pp.11-12.
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
271
共和国」)が誕生したものの、翌年 3 月にはアドルフ・ヒトラーの侵略を
受けて解体され、チェコはドイツの保護領とされた。ホロコーストや知識
人への弾圧、戦争への従軍、戦後のドイツ人の国外追放などにより、チェ
コスロヴァキア全体では、エリート職(弁護士、医者、エンジニアなど)
16
の 3 分の 1 以上を失った。
1945年にソビエト連邦によって、チェコは「解放」され、
チェコスロヴァ
キア共和国が復活し(「第 3 共和国」)、1946年の総選挙で第 1 党となった
共産党の指導体制の下で社会主義体制の道を歩むようになった。1960年憲
法で国名が「チェコスロヴァキア社会主義共和国」に変更されたが、1968
年の憲法律によって連邦制が導入された際には国名は変わらなかった。同
年憲法律は「連邦にかかわる国家機構に関する事項のみを規定し、1960年
の社会主義憲法については国家機構に関する事項が削除され、国民の権利
17
。以降、憲法規範としては修正さ
義務規定などその他の事項は残された」
18
れた1960年憲法と1968年憲法律が基本とされた。
( 5 ) 共産主義イデオロギーの導入によって、チェコにおける第 2 次世界大戦
19
以前の法的パラダイムは破壊されることとなった。60年代には集中的な法
典編集作業が始まったが、他方で社会科学なかんずく法学はブルジョア体
制の中心と考えられ、この分野のパージは他の東欧諸国よりも特に厳しく
行われた。特に、プラハの春以降、1970∼80年代のパージは激しく、現在
に至るまでチェコ法学界の人材不足や研究性向に大きな影響を与えている。
(16) Ibid., p.17,20.
(17) 林忠行(1998年)、p.103.
(18) 同書、p.104.
(19) Kühn, Zdeněk[2010], pp.22-23, 63-64
272
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
2 社会主義時代の裁判官
( 1 ) 現代のチェコの司法が置かれた状況を検討するに当たっては、直近の社
会主義時代における司法の状況とあわせて読み解いていく必要がある。
( 2 ) マルクス主義によれば、国家と法は、共産主義社会の進歩的達成によっ
て消滅することになっていた。抑圧される人々がなければ支配階級も存在
せず、国家の圧政機構や法は不要となるとして、法学の学位を有するレー
ニンは「人々は社会生活の基本的なルールの順守に次第に慣れるだろう」
20
と信じていた。1948年、Zákon o zlidvění soudnictví/司法人民化法が採択
され、最高裁判所では 2 名の職業裁判官と 3 名の一般人からなる人民参審
21
員が、対等な地位に基づく合議体を形成した。
裁判官の社会的地位や給与も低くなり、1950年代終わりの裁判官給与は
国内平均を少々上回る程度となり、炭坑夫やバス運転手のほうが高い給料
を受け取った。低賃金に甘んじた裁判官はモラルも低く自尊心に欠けてお
り、汚職の問題も生じた。
法曹の地位が下がると女性の人数が増えた。一方では社会主義体制下に
おける男女平等の達成という側面があり、他方で、下級裁判所で扱う問題
がもっぱら家族法関係になったので女性向きの職業であると考えた者もい
22
たのであろう。
ソビエトの場合と異なり、裁判官は必ずしも共産党員である必要はな
かったが、出世の前提条件ではあった。1990年代にはソビエトでは90%の
裁判官が共産党員であったのに対して、1989年 1 月時点のチェコスロヴァ
23
キアでは、全1418名の裁判官のうち共産党員は795名であった。
(20) Ibid., pp.89-90.
(21) 現在でも刑事(法定刑が懲役 5 年以上の事件)及び労働事件の第 1 審において
裁判員制度が残っており、裁判員 2 名と職業裁判官 1 名が合議体を形成する。
7,000人前後の裁判員が年に20日程度裁判に参加している(Council of Europe
[2003b, 2006, 2007,2009]参照)。
(22) Kühn, Zdeněk[2010], pp.52-54.
(23) Ibid., p.56.
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
273
( 3 ) 社会主義時代の初期、スターリン時代の裁判官は、急進的な実践主義者、
アンチ形式主義者であり、権威あるイデオロギーの理念に合わせるために、
法を書き換えることすら厭わなかった。裁判官は、個々の紛争における単
なる判断権者ではなく、むしろ「社会主義の宣教師」であり、労働者階級
が、法が消えて階級のない社会に早く到達する準備ができるよう導かなけ
ればならないとされた。スターリン時代、裁判官の役割はあからさまに政
治的であり、マルクス主義の原理や政策を司法判断の中で言明することが
24
求められていた。
ところで、戦前の中欧では、憲法は、裁判官が直接適用可能な法源と
はみなされていなかった。第二次大戦以前には、憲法裁判所が設置されて
いたチェコスロヴァキアとオーストリアを除いて、裁判所が憲法に言及す
ることは全くなかったし、ある法律を憲法違反であると判断する権限もな
25
かったのである。
この点、チェコスロヴァキアでは、1948年人民民主主義憲法に、裁判官
は憲法に合致するように法を解釈し適用するよう規定されており、実際に
1940年代後半から1950年初頭にかけて、通常裁判所が憲法判断を行ってい
た。
しかし、1953年のスターリンの死後、かかるアンチ法実証主義の観念は
後退した。社会主義時代初期の裁判官が、効率性や合理性、そして新たな
人民体制に適合する判断をすべきことを強調し、必要とあらば公然と法を
破ることに躊躇しなかったのに対し、その後継者は、同様の権限を与えら
26
れているとは考えなかった。司法機関による法令違憲審査は、スターリン
時代の終わりとともにすぐさま拒絶された。社会主義者たちは西欧概念た
27
る現代的立憲主義や憲法の直接適用性を批判した。
(24) Ibid., pp.66,88-97.
(25) Ibid.,
(26) Ibid., pp.117-124.
(27) Ibid., pp.97-101.
274
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
1948年以降、現在の検察庁の前身である Prokuratora/検事監督制度が法
28
の全体的な監督者とされ、いわゆる phone-justice/「電話法」によって共
29
産党幹部からの司法判断への干渉もまかり通っていた。司法機関は、共産
30
党の政策を実現するための単なる道具となり下がった。最高裁判所は、下
31
級裁判所の所長を介して全裁判所に党の意向を浸透させた。1974年、チェ
コスロヴァキア連邦最高裁判所は指令の中で、裁判所は党の政策を実施す
るための単なる道具であると極めて率直に宣言した。それは、物事を決す
ることができるのは全知全能の存在たる党のみであるという裁判官に対す
32
る強いメッセージであった。
第 3 現在のチェコの司法制度
1 裁判所と裁判官
( 1 ) チェコの通常裁判制度 obecné soudnictví は基本的には三審制を採用して
いる。下級裁判所としては、郡裁判所 Okresní soud(事物管轄があり日本
の簡易裁判所に匹敵しよう)が首都プラハ市内に10カ所(Obvodní soudy v
Praze)
、チェコ第 2 の都市、ブルノ市に 1 カ所(Městský soud v Brně)
、そ
の他郡域に応じて全土に75カ所ある。日本の地方裁判所に相当する県裁判
所 Krajský soud がプラハ市に 1 カ所(Městský soud v Praze)、その他県域
に応じて全土に 7 カ所ある。高等裁判所 Vrchní soud は国土の西半分、ボ
ヘミア地方を統括するものがプラハ市に 1 カ所、東半分のモラヴィア
地方を統括するものがオロモウツ市に 1 カ所ある。そして、最高裁判所
Nejvyšší soud はブルノ市に所在し、行政事件の控訴審となる最高行政裁判
(28) OSI[2001], p.121.
(29) Bobek ,Michal,[2008], p. 8 & Kühn, Zdeněk[2004], p.538.
(30) Bobek ,Michal[2001], p. 236.
(31) Kosař, David[2010b], P. 6 .
(32) Kühn, Zdeněk[2010], p123.
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
275
33
所 Nejvyšší správní soud も同市に置かれている。
最高裁判所は長官・副長官ほか57名の裁判官で構成され、憲法裁判所及
び最高行政裁判所の管轄に属する事件を除いた民事・刑事の最高司法機関
とされる。
最高行政裁判所には現在29名の裁判官が在籍し、税法、競争法分野など
を含む行政機関の行為に限らず、選挙、政党の規制に関する事件、行政機
関同士の権限争い、裁判官などの懲戒手続案件等々チェコにおける「公法
34
分野」に属する事件を広く扱う。
ブルノ市にある憲法裁判所 Ústavní soud は通常裁判所体系には属さず、
憲法の番人として孤高君臨している。15名の裁判官で構成され、抽象的規
範統制の権限も持ち、最高裁判所や最高行政裁判所の判断を覆すことがで
きる。
上記 3 つの上級裁判所や最高検察庁等があるブルノ市は「司法都市」と
呼ばれる。
( 2 ) 憲法裁判所の長官並びに裁判官は、憲法第62条e号及び第84条 2 項に基
づいて、議会上院の承認のもと大統領によって任命される。同第62条f号は、
最高裁判所長官及び副長官について、同裁判所の裁判官の中から大統領が
任命することを、同第93条 1 項は、裁判官は大統領によって任命され、任
期は終身であることを規定する。実例はなかったものの、近年まで司法省
35
が裁判官の解職権限を有した。
法定の任官条件は、人格に優れた、法学の学位を有する市民で(憲法
第93条 2 項)、裁判所での研修を経て採用試験に合格することである。採
用過程は 4 段階に及び、第 2 段階までは、司法省、裁判所、検察庁の代表、
心理学者からなる 5 名の委員会が書類や心理テスト結果を審査する。第 3
(33) 行政機関に対する不服審査請求手続が前置される(処分庁、上級庁)。
(34) チェコ最高行政裁判所ウェブサイト及びKühn博士へのインタビュー(脚注
# 3 )より。
(35) OSI[2001], p.19, 136.
276
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
段階では、司法省、裁判所、検察庁、裁判官組合、検察官協会の各代表か
らなる別の委員会が志望者の能力を審査する。第 4 段階では、成績順に県
36
裁判所で 3 年間の研修に入る。研修期間を終え裁判官採用試験に合格する
と、広範な裁量権を持つ研修先の所長の評価によって本採用が決まる。慣
行としては、所長の推薦にしたがって司法大臣がノミネートし、最終的に
37
大統領が任命する(所長の判断は尊重されてきた)。
現在は、司法省が裁判官の採用を担当しているが、1999年までは県裁判
38
所が個別にリクルートしていた。
裁判官には結社の自由も認められており、多くの裁判官が、1990年に
39
設立されたSoudcovská Unie ČR /チェコ共和国裁判官組合に加盟している。
40
公務員の労働組合に加盟している裁判官もいる。
( 3 ) 二重帝国時代の1913年、チェコの領土では帝国裁判官は1278名もいたが、
70年後も1328名という人数に過ぎず、さほど増加しなかった。体制転換直
後の1990年には1460名の裁判官が在職していたが、484名が 3 年以内に裁
41
判官の職を辞した。1994年当時在職した2002人の裁判官のうち半数は 2 年
42
未満の経験しか持たず、1998年には定員2726名のうち390もの空席があっ
43
た。
ビロード革命の前後を通じて、裁判官は貧しく、社会的地位もさほど
高くはなかったため、エリートには無視されるような職業であった。前述
のように、社会主義時代に女性裁判官の人数が増えたのであるが、2001年
(36) 現在は後述の経緯で 5 年間となった。
(37) OSI[2001], pp.134-135.
(38) Council of Europe[2003a], p.83.
(39) OSI,[2001], p.126.
(40) Ibid., p.126.
(41) Kühn, Zdeněk[2010], p.55,165.
(42) Howard, Dick A. E.[ 2001], p.97.
(43) “Regular Report from the Commission on Czech Republic’s Progress towards
Accession”
(以下「定期報告書」と表記する),[1998], p. 9 .
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
277
においても裁判官のうち63%を女性が占めていた。もっとも上級裁判所に
44
おいてはこの限りではない。平均年齢は比較的若く、2001年のデータでは、
45
裁判官の60%は在職10年以下であった。
裁判官の人数は2008年には3063人まで増加したが、Kosařは、1990年代
前半に急遽大量採用された若手の多くは二流であり、その能力には疑問を
禁じ得ず、将来的には社会主義時代の裁判官よりも問題が出てくるだろう
46
と懸念する。
( 4 ) ポスト共産主義国における重要な課題のひとつに、社会主義時代の裁判
官の処遇問題があった。ドイツの場合には東西ドイツの統一により、旧東
ドイツの法システムは、完全に旧西ドイツのルールに置き替えられ、裁判
官や検察官のポストにも西側の人材があてられた。1994年において、1980
年時点で在職していた旧東ドイツの裁判官の9.2%しかその地位にとどま
47
ることが出来なかった。
他方、ドイツ以外では、社会主義時代の裁判官の多くに関してその能力
が懸念されたものの、彼らを排除し速やかに大量の新規人材を供給する余
48
裕はなかった。
チェコでは、1991年に制定されたいわゆる“lustrační zákon”/「浄化
49
法」により、100人あまりの裁判官が解任され、さらに120人が任意に職を
(44) Kühn, Zdeněk[2004], p.549.
(45) Kühn, Zdeněk[2010], p.165,167.
(46) Kosař, David[2010a], p. 2 , 5 .
(47) Kühn, Zdeněk[2010], p.163.
(48) ポーランドでは体制転換後に最高裁判所の全裁判官が退いた。Piana, Daniela[
2009], p.820. (49) 旧体制に深く関与していた者が公職から追放されることとなった(č.451/1991
Sb.)。同法は 5 年間の時限立法であったが、1995年に議会は期限を更に 5 年間
延長し、2000年には期限そのものが廃止された(Kosař, David[2008], p.465.)
秘密警察関係者のみならず、共産党や軍、メディア等において一定の地位に
あった者も含まれる(Šlosarčík, Ivo[2004], p. 4 )
278
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
辞したのに対し、新たに補充できた裁判官は115名に過ぎなかったとする
50
報告がある。
別の報告では、1990年から1993年までに半数近くの裁判官が退職した
のは、一部には政治的理由により、一部には民間の方が魅力的だったため、
特に公証人職には経験を積んだ法律家の需要があったためと分析されてい
51
る。
これらに対し、そもそも、裁判官の職にありながら秘密警察のメンバー
でもあったという例はなく、秘密警察のエージェントとして同法の適用が
問題となり退職を余儀なくされた裁判官は、おそらく 5 - 7 名程度に過ぎ
ないと Kühn は言う。さらに同氏は、同法にとは別に、1992-93年に新体制
の下で再任を望む裁判官全員に対する政治部門からの調査があったが、こ
れによって排除された裁判官もごくわずかであり、大量の裁判官が辞職し
た原因は、専ら経済的な理由、すなわち弁護士のようなより儲かる仕事に
52
就くためであるとする。
この点については、正確なデータが残っていないため検証することがで
きないようである。いずれにせよ、2005年には、2876名のチェコ裁判官の
53
うち社会主義時代からの裁判官は714名になった。
( 5 ) 裁判官の人数については、現在は逆に過剰である点が問題となっている。
2007年、司法省は、新規採用を控えて200人余りの自然減を待ちたいと述
54
べたが、民間の調査会社は500∼600人の削減を提案している。
55
人員不足が叫ばれている我が国の裁判官は同年3,416人であった。国に
(50) Radio Free Europe, Report on Eastern Europe, vol. 1 .no.50, 1990, p. 7
(51) Council of Europe[2003], p.81.
(52) Kühn, Zdeněk[2010], p.165. 及び同博士へのインタビュー(脚注# 3 )
(53) Ibid., p.165.
(54) ラジオプラハ2007年 7 月 4 日付記事
(55) 仙 台 弁 護 士 会http://www.sendai-l.jp/chousa/pdf_file/ 5 / 5 - 1 / 5 _ 1 _ 1 .pdf( 最 終
アクセス2011年12月31日)
279
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
よって職域が異なる可能性(例えば、チェコの裁判官は商業登記を扱う)
56
やバックアップ体制に違いがあろうことを念頭に置きつつ2006年のデータ
57
を見ると、人口10万人当たりの裁判官数は、日本では2.6人、イングラン
ド及びウェールズ7.0人、フランス11.9人、ドイツ24.
5人、ポーランド25.
58
8人となっており、チェコの29.1人についてはやはり過剰であることは否
めないであろう。
( 6 ) 裁判官が急速に増えた要因としては、EU からのプレッシャーもあり、
59
1995年頃から待遇が改善してきた点が挙げられる。郡裁判所の裁判官の平
60
均給与は、1990年時点では国内平均給与並みであったのが、2000年までに
裁判官全体の俸給は35,000kč(コルナ)
(約17万5,000円)∼78,
000 kč(約
39万円)にまで上昇し、チェコの平均賃金16,
000 kč(約 8 万円。2002
61
62
63
年)と比べると高給の部類に位置し、議員報酬並みである。
64
そのため法学部生の就職先としての人気を回復した次第であるが、志望
者が殺到したため、2000年初めには公には向こう 2 年間の新規採用停止が
65
発表された。
(56) 日本では極めて質の高い 2 万数千人の裁判所職員のおかげで、少ない裁判官数
でも司法制度が破綻を来たさずに稼働していると考えられる。
(57) 統計局ホームページhttp://www.stat.go.jp/data/nihon/02.htm(最終アクセス2011年
12月31日)及び仙台弁護士会のデータに基づく著者による算出。
(58) Ministry of Justice, the Netherlands, p.388. によるとEU加盟国の平均値は19.8人と
ある。
(59) OSI[2001], p.13.
(60) Kühn, Zdeněk[2010], p166
(61) OSI[2002], p.90.
(62) OSI[2001],p.133. ※同書による2011年のチェコの平均賃金は12,684 kč。
(63) Ibid., p.133. & Bobek ,Michal[2008], p.17.
(64) 現在、最高裁判所と最高行政裁判所では、80名ほどのアシスタントが調査や判
決起案などの裁判官業務を補助しており、優秀な法学部卒業生のキャリアパス
として募集には応募が殺到するという。
(65) Bobek ,Michal[2008], p.17.
280
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
ところで、憲法上裁判官報酬の減額を禁じる条項はないのであるが、財
政危機のため公務員給与を削減する法を裁判官にも適用する動きに対し、
2001年、憲法裁判所は、法によって保障されている裁判官の俸給を削減す
66
ることは裁判官の独立を脅かすものであるとして抵抗したため、世論の不
67
興を買った。
68
他方で、予算不足のため裁判所職員が圧倒的に不足しており、裁判官
が本来的ではない事務的な仕事に忙殺されるなど、裁判所の効率的な運
69
営に支障をきたしている。裁判所職員は前述の平均賃金を下回る低賃金
(6,000∼12,000 kč。約 3 ∼ 6 万円。2002年)で働いており、能力ある人
70
員の雇用が困難となっている。
2001年におけるドイツ・ウェストファリアの裁判所(郡裁判所及び県裁
判所)と比較すると、同年チェコの裁判所には、ドイツの50%相当の事務
職員しかおらず、両裁判所の平均係属期間や裁判官 1 人当たりの終結事件
数と比べると、ドイツではチェコの 2 ∼ 3 倍の効率性を有しているという
71
データがある。
現在も状況は改善していない。2010年 6 月11日、チェコ裁判官組合は記
者会見を開き、裁判所職員の不足により、過去に見られた訴訟遅延がしば
しば生じるようになっており、このままでは1990年代の状況に舞い戻ると
72
警告している。
(66) チェコ憲法裁判所 http://nalus.usoud.cz/Search/GetText.aspx?sz=Pl-12-10_ 1 (最
終アクセス2011年12月31日)
(67) Bobek ,Michal[2008], p.12. & OECD[2001], p.118.
(68) OSI[2001], p.132. 職員数は必ずしも右肩上がりではなく、2002年時点では
8,591名、2004年9,093名、2007年8,911名、2009年9,226名と変動している。
(69) Koldinská, Kristina[2007], p.251.
(70) OSI[2002], p.90.
(71) Kühn, Zdeněk[2010], pp.168-169.
(72) ラジオプラハ2010年 6 月11日記事。
281
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
( 7 ) チェコの訴訟遅延については、EU 加盟交渉中、欧州委員会からしばし
ば苦言を呈されていた。民事事件は訴訟終了まで平均800日かかり(平均
73
2 ∼ 3 年かかっていた旨の指摘もある。これに対し、ほとんどの行政事件
74
75
は 1 年以内に終了していた)、裁判所は相当数の未済事件を抱えていた。
チェコの裁判手続が不当に長期間を要することは、欧州人権条約第 6 条
1 項「(合理的な期間内に)裁判を受ける権利」に反するとして、欧州人
権裁判所(ECtHR)に提訴されたケースではチェコ側が相当数敗訴してい
る。例えば1999∼2000年に ECtHR に提訴された、いずれも係属期間が 5
∼ 8 年間にも及んでいた民事訴訟のケースについて、2004年 5 ∼ 7 月にか
76
けて、同条項に違反する旨の判断が相次いだ。
( 8 ) 訴訟遅延の原因として、裁判官の経験不足、裁判所職員の不足、法制移
行期にあって頻繁な法改正や新法の導入により、時には裁判官ですらつい
て行けない点などが挙げられる。
77
チェコでは体制転換後10年間で、41カ所もの憲法・憲法律 の改正があ
78
り、1,
150もの新法及び8,400余りの政令が制定された。戦前のドイツ、
オーストリア法に依拠し、清算手続を主眼としていた Zákon o konkursu a
(73) OECD, p.46,54.
(74) Ibid., p. 54.
(75) Ibid., p.55, 170.
(76) International Commission of Jurists[2005], p. 7 . http://old.icj.org/IMG/CZECH_
REPUBLIC.pdf. なお、2006年の法(日本の国家賠償法に相当しよう)改正によ
り、ECtHRに提訴せずとも合理的期間内に司法判断を得られない場合の救済の
途が開かれた(Council of Europe[2007], p.12.)。
(77) チェコ共和国における憲法秩序は、1993年に制定されたÚstava/ 憲法典のみ
で 構 成 さ れ る の で は な く、 ほ か にListina základních práv a svobod/ Charter of
Fundamental Rights and Freedoms /「基本的権利と自由に関する章典」(チェコス
ロヴァキア共和国として1991年、チェコ共和国として1993年)及び幾つかの
ústavní zákony/ 憲法律が含まれる。憲法律とは、憲法と同等の効力を持ち、憲
法典の追加や改正を行うための法律である(憲法第 9 条)
。
(78) OECD, p.139, 16.その後も改正が続いた。
282
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
vyrovnání(č.328/1991 Sb.)/「破産及び和議に関する法」を例に挙げれば、
79
同法は1991年の制定時から2001年までの間、実に17回もの改正を経た。
概して法改正は断片的で、新旧法規が混在する状態で質の高いものとは
80
いえなかった点でも、効率的な裁判運営の大いなる障害となったことであ
ろう。
( 9 ) 2009年頃には、民事事件は平均 1 年内に手続が終了するまでに改善が見
81
られた。その要因としては、のちに見る官僚主義的なモニタリングの結果
という側面もあろうが、ポジティブな側面としては、裁判官数の増加や
彼らの経験の蓄積、法制度の安定化、諸外国からの IT 技術支援による効
率性・生産性の向上によるところが大きい。例えば、2000年には後述す
82
る PHARE を通じて900台のパソコンや IT 機器が全国の裁判所に配置され、
その後も3245台のパソコンや112台のプリンター、149台のルーターが裁判
所と検察庁に供与された。法律情報ネットワークやデータベースの導入も、
裁判所の効率的な運営につながったことが容易に想像される。
2 司法省による司法行政
( 1 ) 現代のチェコの司法制度は、19世紀のハプスブルク帝国時代の法典に
83
基づく司法構造と同じままであることがしばしば指摘される。1896年の
The Organisation of Courts/「裁判所組織法」と現行法 Zákon o soudech,
soudcích,přísedících a státní správě soudů a o změně dalších zákonů(zákon o
soudech a soudcích)(č.6 /2002 Sb.)/「裁判所及び裁判官、裁判員、司
(79) その後同法は管財人の権限を強化したZákon o úpadku a způsobech jeho řešení
(insolvenční zákon)
(č.182/2006 Sb.)/「破産法」に取り替わったが、この新法
も2009年までに12回改正された。
(80) OECD, p.139.
(81) Bobek, Michal and Z. Kühn[2009], p. 6 .
(82) OECD, p.131.
(83) Ibid, p.135. & Bobek, Micha[2010], p. 2 .
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
283
法行政局並びにその他法改正に関する法(裁判所及び裁判官に関する法)
(以下、
「裁判所法」とする)」との唯一の相違点は、前者において古風な
言葉遣いであり、後者においてはそれがより簡明な用語となっていること
84
のみであるとさえ言われる。
( 2 ) Michal Bobek によれば、基本的に裁判所も、階級的な官僚主義のモデ
ルの中で他の行政機関と同列に扱われることを意味する。ただし Kühn は、
帝国内において権力分立は基本法に明記され、司法の独立は保障されてい
85
たと主張する。
いずれもその主張を裏付ける実例は示されていないが、両者の見解は必
ずしも矛盾するものではなく、ここでは司法権は制度上独立しているもの
の、官僚モデル的背景を持つものと理解して検討を進めたい。
( 3 ) 司法の独立は憲法上保障された原則であるが(憲法第81条(裁判所の独
立)
、82条 1 項(裁判官の独立))、任官者の採用を始めとするあらゆる司
法行政は司法省によるコントロール下にあり、司法省の意を受けた裁判所
の所長・副所長がローカルレベルで権限行使するという二重構造となって
86
いる。県裁判所の所長は管轄の郡裁判所に対する予算配分などの権限も持
つ。裁判所の所長らは裁判官であると同時に、司法省の出先機関としてそ
の指揮命令に従わなければならない立場にあり、司法の独立に疑義が生じ
87
る。例えば、近年あるチェコの元貴族が、国家に対する一連の損害賠償請
求を提起したところ、司法省は、裁判所の所長らに、その人物が関わるす
88
べての訴訟について、担当裁判官名を含めて報告するように命じたという。
かかる構造の下では実質的に司法権の独立が保障されているとは言い難
(84) Bobek, Michal[2010], p. 2 .
(85) Kühn, Zdeněk[2010], pp. 2 - 3 .
(86) Bobek, Michal[2010], pp. 2 - 3 . (87) OSI[2001], p.127.
(88) Kühn, Zdeněk[2010], p.179,182.(当事者のHP.(チェコ語)/ http://knize-kinsky.
cz/?t= 1 )
284
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
く、司法行政を通じて、司法府が政治部門の意向に操られるおそれは否め
ない。
( 4 )2001年 OSI レポートは、司法省がチェコの司法権を代表し司法行政を直
接的に差配している状況を詳しく報告している。その要旨は次のようなも
のである。
EU 加盟交渉においては中心となったのは外務省チームであるが、チェ
○
コの裁判所を代表したのは司法省である。プロトコールとしては最高裁判
所長官の方が司法大臣よりも高位とされるものの、長官には司法を代表す
る権限はない。欧州統合に関するあらゆる重要書類、例えば国内プログラ
ムや欧州委員会の定期報告書に用いられるデータの準備などもすべて司法
省が行った。
○
司法省の権限は広範であり、予算要求からその配分、裁判官数の決定や
採用、人事、懲戒手続の主宰、裁判所所長や副所長の任命と解任(後述)
、
事務分配基準の策定等々の司法行政を司っている。司法省には、個々の裁
判所の統計データを収集、分析し、未済事件をモニタリングする部門もあ
る。平均処理数が標準データとして示され、司法省や各裁判所の所長は、
事件処理を標準データに近付けるよう裁判官に要求しがちであるという点
は、OSI をして「特筆すべき点」であると驚かしめたようである。もっと
も、日本の「官僚主義的」な司法行政においても、司法府内部で同じよう
な監督が行われていることは言うまでもあるまい。
○
65歳を超えた裁判官については、本人の同意なくして司法省が解職する
89
ことが出来ることになっているが、その基準は明らかではなく、給与と比
べて年金が著しく不十分であることから、生活のために行政の裁量権に阿
る裁判官が現れても何ら不思議はない。行政権に従属的な裁判官を生むシ
ステムである。
(89) 現在は70歳定年制となっている(70歳を迎えた暦年の終わりに退職)。
285
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
○ 裁判官は公務員であり、その品位や独立普遍性、公正な判断手続への信
90
頼を損なうような行動は慎まなければならないとされているが、憲法裁判
91
所の裁判官以外については、政治活動に関する特別な規制はなされていな
い。
92
裁判官が司法省へ出向することも日常的であり、彼らは裁判官の地位と
俸給を維持したまま、一時的に司法省の顧問などに任命され行政権力を行
使している状況にある。さらには、法務副大臣に任命された裁判官も複数
存在する。裁判官であるのか、司法省職員であるのか、キャリア上その区
分が不明確であることは行政権に従属的な裁判官を増やし、司法の独立を
脅かしかねない。
( 5 ) このようなチェコの司法行政システムは、三権分立の概念を希薄化し司
法の独立に悪影響を与えるものであると内外から指摘され、改善が求めら
93
れてきた。
3 司法の独立とは
94
( 1 )「司法の独立」は、「法の支配」の中核的な概念であるとされるものの、
EU 文書中に頻出する「民主主義」、
「法の支配」、
「司法の独立」といったキー
ワードの明確な定義づけはなく、欧州委員会が考える司法の独立の達成基
準も自明ではない。
法の支配に関しては、1995年のアムステルダム条約第 6 条 1 項(現欧
州連合条約(TEU)第 2 条)において、EU は自由の原理であるところの、
(90) 「裁判所法」
(91) 「憲法裁判所法」Constitutional Court Act( No.182/1993 Coll.)
(92) これに対し、裁判所では仕事量の多さに比して裁判官が不足しているため、裁
判官を法務省に出向させる余裕がなく実際には活用されていないとする報告も
ある(Council of Europe[2003a], p.84.)
(93) OSI[2001], p. 118,125. &ラジオプラハ2003年 4 月15日付チェコ裁判官組合の
記者会見の概要
(94) Guarnieri, Carlo and D. Piana[2009], p. 2 .
286
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
民主主義および人権の尊重、基本的自由、法の支配に基礎を置くものと定
められた。さらに、同第49条(現TEU第49条)によれば、EU への加盟を
欲する欧州の国家には、前記条項の遵守が求められる。
民主主義および人権の尊重、基本的自由、法の支配を至上の原理とする
EU に加盟する国の司法機関は、市民の人権を守る最後の砦として他の国
家機関から独立し、その機能が確保・強化されている必要がある。また、
EU の設立目的たる単一自由市場内での活発な経済活動を促進するために
95
も、公正で予測可能性のある、実効的な法の執行が強く期待される。つま
り、司法機関の独立性は様々な側面から問題となるのであり、「司法の独
立」という概念を加盟候補国に深く根付かせることは、欧州委員会の加盟
前戦略にとって重要な意義をもつはずであった。
( 2 ) 2002年 OSIレポートは、司法の能力を語る際には、相互に重複する補強
概念として①独立不偏性、②専門能力、③説明責任、④組織的効率性が問
題になるという。
以下、この分類に沿ってチェコ司法に見られる問題点を挙げたい。
①独立不偏性のうち、
「司法の独立」という概念については、国連の
Basic Principles on the Independence of the Judiciaries(1985)や CoE 勧告(No.
R(94)12)、国際裁判官協会が策定した The Universal Charter of the Judge
(1999)などいくつもの国際憲章があるものの、普遍的な要素を確立させ
96
て定義づけることができないとされる。
さりとて「司法の独立」が個々の裁判官が裁判業務を行う際の必須条件
であることは言を俟たない。司法の独立は、司法判断をくだす際に不当な
外的影響力から守るため、すなわち裁判官の不偏性を担保するための制度
97
であると言え、より広い概念として、司法行政を自前で取り仕切る要請も
含まれる。直接的ではない、巧妙なやり方で、例えば財政面、運営面、裁
(95) OECD.においては専らかかる観点から論じられている。
(96) Bobek, Michal[2008], p. 3 . & Russell, Peter H.[2001], p. 1 .
(97) Bobek, Michal[2008], p. 2 .
287
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
判官のキャリアパスなどについて外部からの影響力が及ぶものとすると、
98
形式的な独立不偏性の保障は容易に危機に瀕するからである。
このような意味合いで、EU を始めとする国際機関は、チェコを含む旧
東欧諸国において、司法省が差配する司法行政、特に裁判官の選任や財政
99
面での自律性が奪われている点を問題視し、裁判官自らが運営する独立の
司法行政機関たる Judicial Council/司法評議会の設立を盛んに求めたので
100
ある。
( 3 ) 次に、裁判官の②専門能力が、複雑化した市民社会の要請に応えられる
ほどに十分でなければ、彼らに独立不偏性を保障したところで本質的な意
101
味をなさない。この要請は、後述の裁判官の新任教育あるいは継続教育の
問題につながる。
③説明責任については、①独立不偏性とコインの裏表の関係あるいは均
衡するものと捉えられる。独立の保障に対して、司法の機能や判断におい
て権力の濫用がないことを内外に証明できなければ、司法の正統性の根源
たる市民社会の信頼を失うことになりかねない。信頼に値する懲戒制度の
存在もこの要請からくる。
ここで想起されるのは、チェコの裁判官の訴訟指揮や司法判断にみられ
る伝統的な態度である。第 2 次世界大戦後、旧西側諸国では、「最も危険
性の少ない国家機関」として司法の役割は拡大し、大陸法系諸国において
102
も裁判官の法創造機能が意識されるようになってきた。これに対するポス
ト・スターリニズム下の旧東側裁判所の特徴は、頑ななまでの成文法の強
調であった。立法事実や慣習といったものは法学上無視され、判例法の役
割は一切否定されてきた。中央集権社会の理想に反するからである。社会
(98) Ibid., pp. 14-15.
(99) Kochenov, Dimitry[2008], p.267.
( ) Bobek, Michal[2010], p. 1 . & OSI,[2001], p.67.ほか
( ) OSI[2002], p.15.
( )
Kühn, Zdeněk[2004], p.535,537.
288
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
主義法にとって、裁判官が作り出す法を法源とすることは有害であろう。
裁判官による補足的な法解釈は、有害、疑義のあるものとしてとらえられ
103
ていた。
西側世界ではほとんど見受けられない現象として、最高裁判所は、重要
な法的問題についてガイドラインや解釈に関する「指令」を発する権限が
104
あった。これらは具体的紛争が係属せずとも抽象的にできた。現在でも、
最高裁判所は司法判断を統一すべく「解釈指針」を発表することができる
(公式には裁判官を拘束するものではないとされる)
。最高裁に「解釈指
針」の発表を求める権限を有するのは司法省のみである(裁判所法第12条
105
3 項、同14条 3 項 ) 点にも驚かされる。
( 4 ) そしていまだに、チェコの裁判官は、立法者の意思を従順に通訳する者
106
であるとの自己認識を持っており、先例を考慮に入れようとしない。エス
トニアの事例ではあるが、Frank Emmert が現地で訴訟遂行する際に、共
同弁護士から『裁判官の独立を脅かすものとして担当裁判官が過剰反応す
る恐れがあるから、書面に判例を引用することは止めた方が良い』と忠告
107
されたエピソードを述べる。つい最近まで法学教育において学生たちが判
108
例を学ぶ機会はなかったことに伴う反応なのであろう。
1990年代にはチェコの裁判所は多くの事件を手早く処理するために、む
しろ形式主義の度合いを上げた。例えば、原告側に瑣末なミスがあれば裁
判所は補正を許さず自動的に訴えを却下する。最高裁判所を含めた通常裁
判所は、どんなに些細でもあらゆる欠陥を探し出し、本案の審理には入ら
( ) Ibid., pp.540-543.
( )
Bobek, Michal[2007], p.11. & Kühn, Zdeněk[2010], pp.128-129.
( ) Kühn, Zdeněk[2006], p.18.
( ) Bobek ,Michal[2008], p. 9 .
( )
Emmert, Frank[2002], p.405.
( ) Balaš, Vladimír[2001-2002]
( ) Kühn, Zdeněk[2004], pp.555-557.
289
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
109
ないようにしているとさえ言われた。
裁判官には難しい案件の複雑さを把握する能力に欠けており、どの事
110
件も法の文言のみから判断しようとするから、問題の多い、ばかげた結果
111
が生まれるとして、多国籍企業は言うに及ばず、チェコの弁護士が代理す
る国内企業も、簡単な事案でも裁判手続は利用しない。そのせいで相当な
出費を伴ったとしても、お決まりの訴訟遅延や予測不可能な結果には付き
112
合ってはいられないと Kühn は切り捨てる。
( 5 ) 最後に④組織的効率性に関して、個々の裁判官が期待された業務、すな
わち紛争に対する時宜を得た効果的な判断を示すことができるためには、
強固で透明性のある組織構造と専門的な運営力、十分な人材や財源、技術
113
資源によるサポートが必要であることは見逃されがちである。
チェコの裁判所に対する IT 機器の供与などによる業務環境の改善は訴
訟遅延の改善、すなわち時宜を得た司法判断の提供へとつながり、ひいて
は裁判官の社会に対する説明責任を示すことになった。その積み重ねに
よって、司法は社会からの信頼を取り戻しつつある。さらに司法への信頼
感が増すことで、裁判官の独立不偏性の重要性への理解にもつながるとい
う好循環をもたらすことが期待される。
そのためにも能力ある裁判所職員が十分に配置されることが必要である
が、長引く財政危機から司法予算の増額は難しいようである。
第 4 体制転換からEU加盟申請に至るまで(1989∼1997年)
1 第 5 次 EU(東方)拡大への参加
( 1 ) 1989年11月、ビロード革命を契機に‘Back to Europe’の方向へ大きく
( ) Zemánek, Jiří,[2007], pp.418-419.
( ) Kühn, Zdeněk[2004], p.553.
( ) Ibid., p.566.
( ) OSI[2001], p.17.
290
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
舵が切られた。チェコの大多数の政治関係者にとって、EU への加盟は政
114
治外交的悲願であった。その頃「西側」は、中東欧の旧共産主義国にとっ
ては規範的な存在であり、EU は民主主義や市民的自由等々の拠り所と崇
115
められた。その一員に加わることは、共産主義体制という過去と金輪際決
別し、西側の良き国家であると国際社会に認識されることである。しかも、
116
それは己のルーツへの回帰でもあるのだ。
117
EU との間では、1990年 5 月、貿易と商業、経済に関する協力条約が、
1991年12月には、EU への加盟を含意した連合協定(Europe Agreement/
欧州協定)が締結(1993年 1 月に分離独立後のチェコ共和国として改めて
118
締結)された。
欧州協定は、基本的には自由貿易市場の創出と単一市場における 4 つの
自由化(人、物、役務、資本)を実施する目的ではあったが、法規の接近
化も含む一般的な枠組みを提供するものでもあったので、締結国すなわち
119
将来の EU 加盟候補国へのアキコミュノテール(アキ)導入プロセスの開
120
始も意味した。チェコは同協定に基づき EU 法秩序の中に取り込まれるこ
ととなった。
( ) European Commission[1997], p. 5 & Kopecký, Petr[2004], pp.225-226.これに対
し林忠行は、1990年及び1992年の国内選挙においては、欧州統合は具体的な争
点としては意識されておらず、‘Back to Europe’の標語も「西欧的な民主政と
市場経済への復帰を意味し、当時のECへの加盟を具体的に意味するものでは
なかった」とする(なお、キリスト教民主連合は1990年選挙の段階からEC加盟を
目標としたが、これは例外的な姿勢であったという)。林忠行(2004年)、p.155.
( ) Kopecký, Petr, p.227.
( ) ‘Back to Europe’とは、共通の価値と遺産をもつ理想化された欧州像を想定
し、そこへの「回帰」を指すものであって、必ずしも西側諸国との同質化を目
指すものではなかった(中田瑞穂、p.123.)ことに留意すべきである。
( )
Karel, Petr[1997], p.207.
( )
協定国がEU加盟条件を整えるための援助を目的とする、より高度の政治的意
味合いをもつ連合協定であるがゆえに特に「Europe Agreement/ 欧州協定」と
呼ばれる。
291
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
( 2 ) 1993年 1 月から1997年12月までチェコの首相を務めたクラウス(Václav
Klaus,
2003年からチェコ大統領)は、ミルトン・フリードマンを信奉する
新自由主義経済学者として、法規制のない自由な経済発展の必要性を繰り
121
返し強調し、‘run away from lawyers’をモットーとしていた。彼らの新自
由主義的なプロジェクトは90年代半ばには失敗し、1997年には通貨危機を
招いた。このことで法規制の不備が明らかになり、急速に法整備が進むこ
122
とになったとの見方もある。
クラウスが率いる市民民主党(ODS)は、工業製品の輸出に頼るチェコ
経済にとって、EU に加盟し共同市場に参加することは不可欠であると考
えたが、クラウスは、急速に発展する EU の統合深化、特に政治的な統合
に対して批判的であったため「欧州懐疑主義者」と呼ばれた。もっとも自
123
らは「欧州現実主義者」と称している。
チェコは、第 5 次 EU 拡大の後半組(2007年 1 月加盟)のルーマニアや
ブルガリアよりも遅れて、1996年 1 月に正式に EU に対し加盟申請を行っ
124
たが、その際にもクラウスは EU への懐疑的な見解を付記することを忘れ
125
なかった。
( ) acquis commnunautaire:「共同体既得事項」
。基本条約を根拠に制定された膨
大な派生法及び欧州司法裁判所の判例法などによって構成される(須網隆夫
(2006年)、p.47.)。主として経済法として出発したが、現在では基本的人権の
保護をも包含する包括的な法体系となっている。
( ) 正式な加盟申請以前に、同協定に第69条以降に基づく法的調和義務を負うこと
となった。
( )
Kühn, Zdeněk[2010], p.164.
( ) OECD, p. 9 .
( ) 中田瑞穂(2003年)
、p.129.など
( ) なお、ハンガリーの加盟申請は1994年 3 月、ポーランド同年 4 月、ルーマニ
ア、スロヴァキア1995年 6 月、ブルガリアは同年12月。
( ) EUという存在の必要性を認めながらも、曰く「その不人気で危うさのある機
構にチェコが参加して強化発展させる責任を有すると考えるが、不信感を払拭
するのは容易ではない」などと記した(Podraza, Andrzej[2000], p.16.)
292
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
( 3 ) チェコにおける当初の楽観的な予測や期待とは裏腹に、加盟交渉は遅々
として進まないように思われた。日常生活における現実問題としては、急
激なインフレの発生や社会主義時代のような手厚い社会保障は切り捨て
られることになったこともあり、いわゆる Euro-scepticism が国民の間に広
126
がった。
EU に加盟すること、すなわちその法体系であるアキを受容するという
ことは、EU への国家主権の一部移譲を意味する。半世紀近く制限主権国
に甘んじていたチェコは、ようやく完全な独立主権国家たる地位を取り戻
すや否や、再び国家主権の一部を進んで移譲し、自決が許されない多くの
分野を持つことに心理的な抵抗を感じていた。基本的には、欧州の一員と
してあるいは政治経済上の現実として、チェコの EU 加盟を当然の帰結と
捉えながらも、積極的にはそれへの支持は示さないというアンビバレント
な国民感情は、チェコ人特有のシニカルな国民性とも相関性があるように
思われる。
いずれにせよ後戻りはあり得ず、事実上体制転換直後から、正式には加
盟申請が受理された1998年 3 月から開始したEU加盟交渉は、2002年12月
127
までの間、粛々と進んでいった。
2 EU 法への接近化作業
( 1 ) ベルベット革命直後から、‘Back to Europe’の実践として民主主義・自
由経済国家への体制構築が始まり、共産主義的な法制度に関する改革は
128
129
1990年代前半のうちに完了した。憲法規律上の大きな改正点は、言うま
でもなく基本的な政治体制の変更であり、共産党の主導的な役割を排除
し、民主主義や権力分立、法の支配といった基本的原理を敷衍した点にあ
( ) Telička, Pavel and K. Bartak(2007), pp.144-.
( ) 2002年10月 9 日、欧州委員会はチェコを含めた加盟候補国10カ国との加盟交渉
終了を勧告した。
( ) Bobek, Michal and Z. Kühn(2009), p. 1 .
293
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
る。国家と国民との関係とともに、私人間の関係も新たに規律される必要
があったが、新民法典の制定には時間を要することもあり、1991年には民
130
法典の部分的改正とともに、まず商法典が制定された。
( 2 ) EU への加盟を念頭に置き、あらゆる法規や法制度の Europeanisation の
131
ために1994年から始まった新規プロジェクトには、ドイツ、ベルギー、オ
ランダ、ルクセンブルク各国の名だたる法律事務所から成るコンソーシア
ムが参加した。国家財政が厳しく公務員給与は低額であったため、多くの
132
有能な公務員が職場を去り、法適合化作業にも支障をきたした。IT 化が
進んでいなかった1990年代後半には、加盟関係の書類は積み上げると 1 m
に及ぶ山々となり、知的な面よりもむしろ肉体的に困難であった。照合し
なければならない法規はほとんど英訳されたことはなく、法文の翻訳ルー
ルは端緒についたばかりで、専門用語の使い方や訳は省庁ごとに異なって
いた。
チェコの法適合化作業は、欧州委員会との十分な協議を持ち、さらに先
進諸国の経験や失敗に学ぶのではなく、独自の「習うより慣れよ」方式で
133
行われた。
( 3 ) 欧州委員会の白書では、1997年 6 月の段階で、EU の指令や規則899件
のうち、チェコでは417件しか接近化されていないことが指摘されている。
( ) 現 行 の チ ェ コ 共 和 国 憲 法 は1992年12月 に 制 定 さ れ、 翌 年 1 月 に 発 効 し た
(č. 1 /1993 Sb.)。1989年の体制転換以降もチェコスロヴァキアでは1960年憲
法、1968年憲法律などを改正する形で対応していたが、連邦解消を機にチェ
コ、スロヴァキアのそれぞれが新憲法を制定するに至った。
( ) 現行の1964年民法典に代わる新民法典はようやく〔№89 / 2012 Coll.〕として制
定され、2014年 1 月 1 日より施行される予定である(象徴的な法令番号があて
がわれている)。しかし、本稿校正時点(2012年10月)で既に施行は流動的と
も言われている。
( ) Convergence of Legislation in the Czech Republic(CZ 9304-01-01EA)
( ) Verny, Arsen(2000), p.136.
( ) Ibid., p.134.
294
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
EU 加盟後の2008年12月時点で欧州委員会が公式・非公式に、チェコの国
家機関における EU 法規の導入状況を調査した数は数百件にものぼるが
(他国では数十件に過ぎない)
、これらの違反はすべて、EU 法規の技術
的な置き替えがされていない、甚だしくは政府の議論にも上っていないと
134
いうものである。省庁から送付された書類を、官邸が繰り返し突き返して
書き直しを求めるため、手続に相当な遅れが出ており、また政治的に不人
気な施策について、
「ブリュッセルからの命令」と捉えがちである点も関
135
係している。
( 4 ) アキを国内法化するに際して加盟候補国が直面した困難は、膨大な EU
法の複雑さのみならず、国内にこの特殊な EU 法に精通した人材が不十分
136
だったことである。「単に EU 法を国内法化しただけでは真の意味での EU
法の継受とはならず、実際に EU 内で適用されているものと同一の基準で
137
運用される必要がある」ところ、法の適用・執行機関(行政・司法機関)
の能力不足も大きな課題であった。
欧州委員会は、実質的なガイドラインを示して法適合作業をリードし、
専門家の交流や共同作業などを通じて加盟候補国をサポートした。特に米
国は、二国間協力協定に基づく人材派遣に加えて、支援活動を行う国際機
関、IMF、世界銀行、欧州開発銀行などを通じて、旧東欧地域の立法作業
138
に知的影響力を与えることを重要視した。
このような諸外国や国際機関、NGO を通じた法整備支援に対しては、
139
“rule of law industry”や“ready-made-Euro-product”と皮肉を込めて呼ぶ
140
向きもあり、アングロサクソン流の法制度やリーガルマインドは、独自の
( ) Bobek, Michal and Z, Kühn[2009], pp. 26-27.
( ) Ibid., p. 27.
( ) 須網隆夫(2006年), p.55.
( ) The Accession Partnership with the Czech Republic, 2002/85/EC, ANNEX 4 .
( ) 例えば、米国国際開発庁(AID)は1992年の予算において、中東欧諸国の体制
転換に伴う知的支援の一環として150人余りの法律家の派遣を決定した(鈴木
輝二(1992年))
295
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
歴史や文化に基づいてそこに根付いたものであるにもかかわらず、法文化
141
の異なるこの地域に安易に移植されることへの懸念を示す者もある。
3 ≪加盟条件≫とは -コペンハーゲン基準( 1 ) EU 基本条約上、加盟申請の前提条件として、①国家であること、②欧
州に属すること、③ TEU 第 6 条(自由と権利の承認など)を遵守してい
ることのみが規定されている(TEU 第49条)。
1990年前後に旧東欧諸国と相次いで締結した欧州協定には、EU加盟申
請に関する明文はなく、各分野における締結国間での協力関係をうたうの
みであるが、前述の協定目的やその内容からして、後述するコペンハーゲ
ン基準の下地と言え、加盟準備の一環であることは明白と言えよう。
PHARE は、中東欧諸国の体制転換を導くために用意された装置であっ
142
た。当初 PHARE は EU 独自のシステムではなかったが、援助対象国を拡
大する過程で、政治的民主化や私的所有制を前提とする市場経済システム
の確立を求め、その「欧州化」の達成程度に応じて EU が経済的支援を深
143
化させていくことで、≪加盟条件≫到達支援装置として、候補国が欧州委
144
員会の要求に従うインセンティブとなった。チェコスロヴァキアも1990年
から PHARE の対象国となった。
NATO や CoE なども旧東欧諸国に対する様々な援助を行った。CoE は
1995年に裁判官・検察官の研修に関する情報交換を目的とした国際会議を
( ) Kosař, David[2010a], p. 2 .& Bobek, Michal[2010], p. 1 .
( )
Bobek, Michal[2010], p. 1 .
( ) Oberto, Giacomo. 同人は国際裁判官協会の副総裁でCoEの仕事もした。
( )
PHARE(中東欧経済再建援助行動計画)は、ポーランドとハンガリーで体制
転換が進行していた1989年に、西側先進国24カ国蔵相会議(G24)の結果、
欧州委員会が両国に対し援助を実施することとなった(須網隆夫(2006年)
、
pp.48-49.)
( ) 須網隆夫(2006年)、p.49.
( ) Kochenov, Dimitry[2009], p.309.
296
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
145
開催した。なお、CoE への加盟は EU 加盟に先行すべき黙示的条件とみな
されており、チェコもEU加盟申請前の1993年 6 月30日に加盟を果たした。
( 2 ) 1992年マーストリヒト条約に基づく“EU”が新たに誕生し、経済統合
のみならず通貨統合やより深い政治的統合も視野に置かれ、東方拡大への
取り組みも深化した。
加盟国が15カ国になった第 4 次 EU 拡大までは、前記基本条約上の条項
以外の条件は明確ではなかった。しかし、中東欧10カ国、それにマルタ、
キプロスについて同時に加盟審査を行うことになった第 5 次(東方)拡大
については、加盟申請国が大量であり、旧共産主義体制下にあった国がほ
とんどであることから、加盟可否の判断基準を設ける必要性が認識された。
加盟基準が明らかになることで、申請国は加盟が認められるために必要な
146
作業を認識でき、加盟手続がある程度予測可能なものとなるはずであった。
欧州理事会及び欧州委員会は、EU 拡大については、すべての候補国に対
147
して同一の基準として適用されるべきであると表明し、可視性および予測
性の高いルールに従って行われることが期待された。
( 3 ) 1993年コペンハーゲン欧州理事会で決定された EU 加盟のための審査基
148
準は「コペンハーゲン基準」と呼ばれ、その内容は以下のとおりである。
① 民主主義、法の支配、人権および少数民族の尊重と保護を保障する安定
した諸制度を有すること【政治基準】
市場経済が機能しており EU 域内での競争力と市場力に対応するだけの
②
能力を有すること【経済基準】
③
政治的目標ならびに経済通貨同盟を含む、加盟国としての義務を負う能
力を有すること【アキコミュノテールの受容義務】
コペンハーゲン基準は、1994年12月のエッセン欧州理事会、1995年 6 月
( ) 須網隆夫(2006年)
、p.57.
( ) Kochenov, Dimitry[2008], p. 307.
( ) EU Commission[1997], p. 2 & 定期報告書[1998],p.4,5. ほか
( ) 駐日欧州連合代表部の日本語訳(但し[ ]内は筆者が付した)
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
297
のカンヌ欧州理事会以降、徐々に具体化されていったが、公式にこれを詳
説する単一文書というものは存在しない。実際のところ、具体的な≪加盟
条件≫なるものは、候補国ごとに、また年ごとに異なるからであろう。
1997年12月ルクセンブルク欧州理事会において、コペンハーゲン基準
を準法的義務と解して、コントロールと制裁システムが設けられることと
149
なった。そのひとつが1998年 3 月から開始した Accession Partnership(AP)
である。AP は、コペンハーゲン基準を充足するために候補国ごとに 1 年
以内に取り組まれるべき優先事項と数年スパンの中期的課題の策定、そし
て PHARE 等を通じた条件付き援助が全てひとつにまとめられた「EU 側
150
の片面的措置」である。
各候補国は、国内プログラム(National Programme for the Adoption of the
151
Acquis(NPAA))を策定して、AP 上の課題に対する具体的な作業工程を
EU 側に示した。
欧州委員会は候補国の加盟準備状況をモニタリングして、1997年以降
毎年11月頃に定期報告書を発行した。同書は、欧州理事会が候補国の加盟
プロセスを進めるか否かの判断材料となったため、強力なプレッシャー
となった。定期報告書では、候補国ごとの NPAA も考慮に置いた目標達
成度合いや問題点が指摘され、それを受けて次の AP 上の課題も見直され
た。これに対して、EU の権限を超えた内政干渉ではないのかという反発
もあったが、国内では気づかれなかった問題点を的確かつ客観的に指摘し
152
解決策を助言したので、加盟後も続けてほしかったという本音もみられる。
AP には基本条約上の法的根拠がないため法的拘束力がないものの、上
述のコントロール・システムに組み込まれることで、加盟準備に強い影響
( ) Grabbe, Heather[1999], p.14.
( ) Ibid., p.14.
( ) チェコ国内では“National Programme for the Preparation of the Czech Republic for
Membership of the European Union(NPPM)”という名称である。
( ) Telička, Pavel[2007], p. 147.
298
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
力を持った。
チェコに関するいわゆるスクリーニングは、1998年 3 月からブリュッセ
ルで始まった。これは、EU の専門家が、アキと候補国の国内法とのギャッ
プや制度上の問題点などを調査するものである。スクリーニング完了後に、
全部で31あるアキの章ごとに加盟交渉が開始した。交渉と言っても、話し
合いの余地があるのは、せいぜい分野によって(特に環境分野)、国内で
アキを完全実施するまでの猶予期間が認められるか否かという程度であり、
交渉によってアキの内容を変更する余地は皆無であった。
( 4 ) コペンハーゲン基準は漠然としており、それだけでは具体的に何を審
査されるのか不明瞭であるが、
「EU 加盟の Conditionality とは一体何を指
すのか?」と問われれば、同基準以外にはありえない。AP や定期報告書、
あるいは戦略文書等の各種 EU 文書の内容は、コペンハーゲン基準の解釈
そして実地の適用であると解されるが、本稿ではこれらを含めて広義の≪
加盟条件≫ととらえることにする。
Conditionality(条件付け)とは、従来、国際機構が融資・援助を行う
対象国政府の行動や政策を変えさせるため、援助に条件を課し動機付け
を与えることであり、世界銀行や国際通貨基金の融資に付随して用いら
153
れてきた のであるが、90年代以降、かかる文脈にとらわれない、政治的
な Conditionality が用いられるようになった。EU も、欧州協定や AP に
suspension clause/停止条項を盛り込むなど、Conditionality の仕組みを利
154
用するようになっていた。
新規加盟候補国は、現加盟国には課されなかった高い要求水準にこたえ
155
なければならず、現存する EU 法規範をすべて無条件に受け入れ、増え続
けるアキコミュノテール(1998年時点で既に 8 万ページにも及ぶと言われ
ていた)の移植、国内法規の EU 法との調和作業もしなければならない。
( ) Grabbe[2002]
, p.252.&中田瑞穂、p.126.
( ) 同上。AP上にも‘Conditionality’の項目がある。
( ) Telička, Pavel[2007], op.cit., p.145.ほか
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
299
さらには、欧州委員会は、アキの範囲にかかわらず、すなわち EU の本
来的権能に含まれない分野についても、加盟候補国に対しては、必要に応
じて対応を求めることが可能である。例えば、マイノリティの保護につい
ては、本来EUの権限外の問題であるからアキは存在せず、EU は現加盟国
に対しては当該問題への介入が出来ない。しかし、加盟候補国に対しては、
EU 権限にかかわらず、対処を求めることが可能であることから、チェコ
156
に対してもロマ問題への対応が繰り返し求められた。
加盟候補国に適用されるコペンハーゲン基準がカバーする領域は、相当
に広範である。しかも、必ずしも可視性・予測性の高いルールとはいえず、
当初の意図とは裏腹に、すべての候補国に対して平等に適用されたもので
157
もなかった。
第 5 加盟交渉(1998∼2003年)
1 司法分野の≪加盟条件≫
( 1 ) 加盟国の裁判所は共同体の司法システム内に組み込まれ、国内裁判官は、
158
共同体の裁判官としての立場も有し、EU 法の優先適用などの EU 法理論
を含めて、国内法に置きかえられた EU 法を正確に理解し、加盟国裁判所
間、Court of Justice of the European Union/欧州司法裁判所(ECJ)との間
で司法協力を行うことが求められる(Preliminary question、加盟国間での
外国判決の承認・執行システム等)。
加盟国の司法システムには、共同体法制度の要としての能力が問われる
のであり、候補国における司法改革は、EU にとっても事実上内部的な問
題である。したがって、司法システムの改革は重要な≪加盟条件≫である
と解されるにもかかわらず、どの EU 文書においても系統立てて詳論され
( ) Marden, Matthew D.[2004]. & 定期報告書[1998-2002].
( ) Kochenov, Dimitry[2008], p. 255.
( ) Ibid., p. 240.
300
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
159
ることはなかった。
( 2 ) 先述のとおり、EU には、加盟国から委任された事項を超えた活動を行
う権限はないところ、加盟国の司法制度に関しては、高度に主権にかかわ
る事項であり、EU へは何ら権限移譲されていない。したがって、EU に
は加盟国の司法制度に関するルールは存在せず、完全にアキコミュノテー
ルの範囲外にある。
アキの範疇から外れた、しかし≪加盟条件≫には含まれる、加盟候補
国内における司法制度改革や行政改革に関しては、コペンハーゲン基準の
うち、政治基準の問題として扱われる。政治基準は、民主主義や法の支配、
人権保護といった、本来 EU の権限外事項といえる基本原理に関わる要素
を含むものとしてデザインされたクライテリアである。権限外事項を扱う
という憾みから、アキのように明快で統一的な明文の欧州基準が示される
ことはなく、強制力も弱くならざるを得なかった。
( 3 ) 欧州委員会が、新規加盟候補国における司法改革の重要性に触れたのは、
1995年12月にマドリッド欧州理事会で提案され、1999年 3 月のベルリン欧
160
州理事会で採択されるに至った Agenda 2000が初めてである。
チェコ版の Agenda 2000(1997年 7 月作成)では、政治基準の項目にお
いて、最高行政裁判所が未設置であること、主に人員や設備が不十分であ
るために訴訟遅延が生じていることなどが指摘された。
「アキの実施に関
する行政能力」の項目の中で、合わせて司法システムも機能強化されるべ
きであるが、チェコの司法制度を評価するには時期尚早であり、今後の改
革による司法機能の向上が求められるとある。
「候補国は、アキを適切に導入、施行できるように行政・司法の能力を
向上させるべきである」という指摘は、これ以降、幾多の EU 文書におい
て繰り返された。
( ) Ibid.,p.237.
( ) Ibid.,p. 251. 欧州委員会が1995年 3 月に刊行したWhite Paperの中にも、わずか
に司法の人材不足や非効率性を問題にする箇所はある。
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
301
Agenda 2000の方針に沿って、1998年、欧州委員会は欧州理事会に対し
Composite Paper を提出した。この中で、政治基準にかかる民主主義と法
の支配の項目で、とりわけポーランド、チェコ、スロヴェニア、エストニ
アの司法には、裁判官教育から過度の訴訟遅延をもたらす裁判手続に至る
まで「固有の欠陥」が顕著であると指摘された。加盟国としての義務を全
うするためには、行政と司法が十分に発達していることが不可欠であると
して、司法改革の必要性を示唆するものの、国ごとの概要の中では、チェ
コの司法に関する具体的な指摘は、アキの移植が遅れがちであるとの苦言
以外にはみられない。
1999年の Composite Paper における司法分野への注目度はいまひとつで
あった。政治基準に関する検討において、候補国全体について、司法の強
化の一環として既に裁判官教育や人員の確保、事件処理の向上を目指した
改革に取り組まれている点が指摘された。チェコに関しては、分野によっ
てはアキの導入が捗っていない点が問題視され、他には、全体的な司法改
革案が採用された点を指摘するのみであった。
1999年12月ヘルシンキ欧州理事会において、
加盟交渉と民主主義条項(民
主主義及び法の支配、人権、マイノリティの保護の安定的、制度的保障)
との連関を初めて明確にし、さらに各候補国の進捗状況に応じて加盟交渉
の進行度合いも「差異化」する方針を採用したことによって、加盟準備手
161
続のダイナミクスが変わった。
2000年の Strategy Paper/戦略文書においては、法の支配の尊重とアキ
の効率的な実施を確実なものとするため司法改革が促進されるべきであり、
司法改革は行政改革と同様、チェコの AP 上の優先事項であるにも関わら
ず主要な事項が実施されていないとの抽象的な指摘がなされた。しかしな
がら、これは不正確な指摘である。司法改革については優先事項には含ま
れていないからである。
( ) Grabbe, Heather[2002], p.254, 256.
302
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
2001年の戦略文書では、市民やビジネスにとって、予測可能性があって
能率的な司法制度が必要不可欠であること、司法の独立にも注意が払われ
るべきであることが付け加えられ、多くの候補国ではこれが不十分である
と批評された。
この戦略文書を受けて、2002年 6 月には、アキの円滑な施行のために加
盟候補国の司法・行政の能力向上を主目的とするアクションプランが開始
した。同プランの対象は、2002年 1 月に 2 度目の改定が行われた AP 上の
司法・行政関連事項とその他コペンハーゲン政治・経済基準に関わるあら
ゆる優先事項とされたが、さらにチェコを含む旧東欧諸国では、司法の独
立の強化や裁判官のトレーニング等の促進が必要とされた。具体策として、
訴訟手続の簡素化や裁判官の教育機関・教育内容の整備、司法情報ネット
ワークの構築などに関して、PHARE や Twinning 等を通じた財政支援が行
われることとなった。
ここにきてようやく具体的な方法論が示されたのであるが、2001年 7
月に発刊された White Paper on European Governance でも指摘されたように、
加盟後も継続して取り組まれる必要性や、新規加盟国のみならず現加盟国
にも関わる問題であることが明言されており、加盟までの短期間で駆け込
み的に達成することが企図されたプランではない。
2002年10月発刊の戦略文書では、欧州委員会は、加盟国間の相互信頼を
構築するために、候補国における行政・司法の一層の能力強化が確実にな
されることを重視するとして、 6 つの具体的な改革要素が列挙された。そ
れは、基本的な法律の受容、司法における人材の強化、労働条件の改善、
判決の適正執行のメカニズムの導入、司法アクセスの改善、未済事件への
取り組みであった。
( 4 ) 2002年を転換期とした欧州委員会のバックアップの強化は、時期の問題
はさておき、候補国にとって強い動機づけとなり、効果的な司法改革が促
162
進されると期待された。とはいえ、加盟国の司法制度は大陸法系諸国間で
あっても多様であり、さらには、司法の独立が完璧に保障され、その能力
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
303
163
が最大限効率化されている加盟国など皆無であろう。EU として、新規加
盟国に対し、どのように司法を組織、機能させればよいのか、理想形の欧
州モデルを示すことは不可能であった。
チェコに対する PHARE では、裁判官組合に対する援助、商事・民事訴
訟運営の支援、司法行政実務の比較研究(以上、1998年)
、郡裁判所に対
する訴訟運営・司法行政事務の効率化に関する支援(1999年)などが行わ
れた。しかし、加盟国専門家による候補国への支援システムはしばしば役
164
に立たなかったといわれる。法文化を含め候補国への深い理解なしに機械
的に援助国のシステムを移植しても、司法制度全体を有機的に機能させる
ことはできないからである。
理事会及び欧州委員会が、EU 拡大については、すべての候補国に対し
て同一の基準として適用されるべきと宣言していた割には、実際には、候
補国ごとの司法改革分野の進捗評価は統一を欠いていた。
( 5 ) 1998年 3 月、チェコとの初めての AP が欧州理事会で決議されたが、先
に指摘した通り、司法分野についての優先課題は設定されず、中期的な課
題として、司法システムの機能、裁判官に対する共同体法のトレーニング
の促進以外には、関税や消費者保護、国境警備など個別具体的な様々な法
制度の整備が求められているにとどまる。
同年12月に初めて発刊された定期報告書序文では、加盟後に EU の政策
を抵触なく施行するためにも、司法・行政の能力についても評価対象とな
ることが明記されている。司法分野関連のスペースはわずかではあるが、
まず1997年の欧州委員会意見に呼応した方策がまったく取られていないこ
とが指摘されている。未済事件数が深刻である主な理由は、裁判官の空席
( ) Šlosarčík, Ivo[2001]
( ) CEPEJの“European judicial systems” を 瞥 見 す る だ け で も 欧 州(CoEの47加
盟国にはロシアやトルコなども含まれる)の司法制度の多様性が感じ取れる
(Council of Europe[2008b]&[2010])。
( ) OSI[2001]& Emmert, Frank[2003], p.306.
304
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
が補充されていないこと、司法省と裁判所間、あるいは裁判所内部でのコ
ミュニケーション不足、(様々な事件を扱いながら事務的な仕事をも負担
する)裁判官には専門能力が不足しているとする。裁判官教育が不十分で
あるとの指摘、給与の低さから優秀な人材を雇用できない点なども指摘さ
れ、司法改革の努力が必要であるとの評価が下されている。
( 6 ) 1999年の定期報告書では、「基本的には前年と状況は変わらない」とし
ながらも、前年のほぼ 2 倍のA 4 ・約 1 枚にわたって、甚だしい訴訟遅延、
最高行政裁判所の未設置等の指摘とともに、同年初頭の世論調査によれば
65%の人々が裁判所を信頼していないが、これは主に手続の緩慢さと司法
の能力の低さが理由であると分析する。司法の独立に関して、形式的にで
はあるが裁判官の解職権限を司法省が有していることを指摘した。司法行
政能力の項目では、裁判官は終身雇用で独立しており、給与も法によって
定められており高給であること、司法省が司法行政を担っていることにも
触れられている。裁判官不足と専門性の欠如、裁判官への事務負担が課題
であること、IT 機器が不足していることについては問題視されているも
のの、チェコ政府が提案した司法改革法案への期待が寄せられている。
1999年12月に初めて改訂されたチェコの AP では、2000年中に達成され
るべき優先事項として、政治基準ではなく司法行政能力の項目で、司法改
革プログラムを始めて、裁判官の空席を埋め、裁判手続を簡素化し、裁判
官に共同体法のトレーニングを行うことが挙げられている。中期的な課題
としては、同じく司法行政能力の項目において、シンプルに「司法改革の
達成」と表記されている。
( 7 ) 2000年の定期報告書では、この 1 年間にチェコの関係機関が欧州委員会
との間で事前に必要とされる協議を持たず、欧州協定にそぐわない数々の
決定を訂正しなければならなかったことや AP の優先事項にかかる主要な
司法改革が遂行されていないことに苦言を呈している。これまで以上に多
くの具体的な項目が指摘され、例えば、民事訴訟や商事分野の法改正が順
調であるのに対し、刑事分野の改正や司法評議会設置のための憲法改正手
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
305
続が議会で否決されたこと、司法手続の迅速化が道半ばであること、裁判
官への EU 法トレーニングが十分に行われていないことなどが挙げられた。
( 8 ) 2001年の定期報告書においては、司法改革は再び加速してきたとして、
前年以上に司法分野への言及が増えた。まず、刑事法分野と裁判所組織、
司法自治に関しては未だ努力が続けられているものの、民事法分野につい
ては良好な発展を遂げていると指摘する。前年に引き続き、裁判官の選任・
異動・解任の権限、財政面を始めとする司法行政を司法省が担っている点
を簡単に指摘するが、相変わらずそのこと自体への評価は直接言及されて
はいない。刑事訴訟法の改正、執行官制度の導入、司法省による Judicial
Academy/司法アカデミー設置の方向性、裁判官の定員が2893名に増員さ
れたが(前年定員は2081名)、現在308名の空席があること、トレーニング
165
を受けた裁判所上級職員591名の誕生により裁判所の手続が迅速化される
であろうこと、政府が司法評議会設置への第一歩となる提案を行ったこと、
そこには裁判官の継続教育と再試験に関する提案もあったことが指摘され
ている。
さらに、2001年 1 月に改正民事訴訟法が施行されたばかりではある
が、訴訟係属期間は、1997年∼1998年の458日間、1999年の483日間と比べ
て、2000年には555日間に延びていること、PHARE のおかげで裁判所の
IT 化が進んでいること、裁判官に対する懲戒請求件数が、2000年には32件、
2001年は 9 月末時点で20件にも及ぶことも指摘された。
最後に、司法の独立と自治に関する実現可能なコンセンサスの形成が重
要性であるとする。司法への要求は全般に複雑化しており、制度の改善の
必要性を指摘しつつ、チェコ政府の取り組み、また多くの裁判官の能力に
対する好意的な評価が示されている。NPAA については、裁判所組織や自
( ) ドイツのRechtspfleger(司法補助官)に相当し、独立して司法的・準司法的職
務を行う。民事・刑事の聴聞手続を要しない決定を発布できる(決定に対する
抗告手続が用意されている)(Council of Europe[2007, 2009]参考)
。司法補助
官は欧州共通の官職となることが想定されている。
306
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
治機関、教育に更なる努力が必要とされた。
( 9 ) 2002年 1 月に最終改定された AP では、優先事項と中期的課題との区別
がなく、民主主義と法の支配というインデックスのもと、組織面、司法行
政面、教育面、そして予算面も含めた司法改革の達成により、共同体法を
含めて実効性ある法の適用が促進されることが求められた。中でも「司法
の独立の確保」という課題が AP としては初めて明確に示されたことが注
目される。
最終となる2002年定期報告書では、前年同様、司法省による司法行政に
触れられているが(法改正の結果、同年は裁判官の解任権への言及はない)、
「憲法には司法の独立が規定されているにもかかわらず」司法省が裁判官
の任命、異動、裁判所所長と副所長の解任に関する権限を持つ旨新たな言
及が加わったことが目を引く。
2002年 4 月には司法評議会設立の第一歩となるべく裁判所法が改正され
たものの、 6 月に憲法裁判所によって一部の条項が無効と宣言されたこと
について、建設的な議論の継続への期待が示されている。
さらに、トレーニングを受けた裁判所上級職員が621名に増え、裁判官
の負担が軽減するであろうこと、裁判官の定員は同年 1 月までに2941名と
なり、2669名が実働していること、チェコの訴訟手続の長さについては人
権高等弁務官も懸念しているところ、昨年の民事訴訟法の改正は、迅速化
の面で言えば、まだ功を奏しているとは言えないこと(平均560日間)が
指摘されている。
裁判官がルーティーンな事務作業に忙殺されていることで、司法の効
率が低下しているのであるから、裁判所の IT 化にとどまらず、司法改革
にはより一層の人的・物的資源の裏打ちが必要であるとの指摘、さらには、
設立されたばかりの司法アカデミーが、首都プラハや司法都市ブルノから
離れていることから、どの程度裁判官に利用されるのか懸念も示された。
(10) 2003年は、従前の「定期報告書」ではなく“Comprehensive Monitoring
Report”が発行された。既に2002年12月に加盟交渉が終了し、2003年 4 月
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
307
には加盟条約が締結され、各加盟国の批准待ちとなっている状況ではあっ
たが、新規加盟予定国においては、アキの導入は完了しておらず、コペン
ハーゲン政治・経済基準に関しても課題を残していたため、モニタリング
を継続する必要があったのである。
同書では、
2002年 4 月に発効した裁判所法によりチェコに
「司法評議会」
が設立されることで、司法自治組織設置の方向性が打ち出されたとの評価
を与えている。しかし、当該組織(soudcovské rady/Judicial Councils/裁
判官評議会)は10名以上の裁判官が在籍する裁判所(郡、県、高等裁判所)
に各々設置された諮問機関に過ぎず、全体的な意思決定機関たる Supreme
Judicial Council/最高司法評議会(以下“SJC”
)とは別物である。裁判官
評議会は、各裁判所に与えられた人事や裁判行政にかかる権限行使に関し
て、所長が提案した議案について拘束力を持たない助言ができるというの
166
みであり、司法省の支配する司法行政システムに何ら変化は起きていない。
その他、憲法裁判所の司法判断を受けて改正された裁判所法が2003年 1
月に施行されたこと、2003年 5 月時点で裁判官の定員は3043名となり2633
名が在籍していること、民事訴訟の平均係属期間は、郡裁判所で592日間、
県裁判所で277日間(2002年は276日間)と微増していること、特に郡裁判
所では事務職員不足や財政難に苦しんでいること、裁判所の上級職員が
700名に増えたことなどが指摘された。
2 ≪加盟条件≫は機能したのか?
( 1 ) 以上、司法分野に関して、すべての加盟候補国に向けて示された全般的
な≪加盟条件≫及び特にチェコに課された≪加盟条件≫の概要を見てきた。
欧州委員会には、基本的な制度環境が整ってから真摯に候補国の司法改
167
革に関わる態度が見受けられる。それにしても、少なくとも司法分野に関
( ) Kosař, David[2010b], p.18.
( ) Kochenov, Dimitry[2008], p.257.
308
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
して言えば、ある問題点の指摘とその後の改善状況の評価項目とは必ずし
も合致しない。
チェコに対する欧州委員会の改善要求は、他の加盟候補国と比較すると
決して厳しいものではなかったが、司法省による司法権の支配構造が繰り
返し指摘され、散発的ではあるが司法の独立も問題点とされていた。しか
し、この点で何らの改革を行わなかったチェコは、何らの不利益も、何ら
168
の留保も受けずに加盟条約の署名に至った。
( 2 ) これまでの議論を踏まえて本稿の設題に対する結論を先取りすると、結
局のところ、EU の≪加盟条件≫がチェコの司法制度改革へ与えた影響は
限定的であった。
そもそも、≪加盟条件≫自体がいまひとつ明確ではなかった。それは
EU が持つ内在的な制約、限界の露呈であった。
思えば、1997年 7 月の欧州委員会は、チェコの司法機能には訴訟遅延や
人材不足などの問題があると指摘したが、この段階で早々に、スロヴァキ
169
ア 以外の候補諸国は政治基準をほぼ満たしている旨の意見書を採択した。
欧州委員会としては、候補国に対し加盟への現実的な希望を与えたかった
だけで、加盟の内諾を与える意図までは有しておらず、のちに評価を変更
170
し得ると見越したのであろう。しかし、意見書は、これらの国々に対し、
国内制度機構が民主主義や法の支配を基本原理とする EU 枠組に合致して
おり、あとはアキの移植さえ完了すれば EU 加盟は可能と受け取られかね
ないメッセージを発信し、≪加盟条件≫の意義を損なったのではなかろう
か。
( ) Ibid., p.272,276.
( )
その結果、選挙によってメチアル政権が追い落とされたものであり、EU初の
明確なConditionalityの行使と捉えられる(Grabbe, Heather[2001], p.2021).
( ) Kochenov博士インタビュー(脚注# 2 )
309
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
3 チェコの司法制度改革への道程
( 1 ) 国内法規が EU 法に適合したところで、実際にその法を執行する機関も
「欧州化」されなければシステムは機能しない。この点、チェコの司法制
度は改革の必要性に満ちていた。
裁判所の機能不全に関しては、1997年度のチェコ司法省の統計によれ
171
ば、次のような状況にあったことが分かる。①北ボヘミア地方では、養育
費増額請求訴訟の第 1 回口頭弁論が開かれるまで、平均して323日間待た
なければならない(南ボヘミア地方では、平均的にその半分の日数であっ
た)
。②東ボヘミアのフルヂムの裁判所では、estate settlement の 4 分の 1
近くが 3 年以上も放置されている。③ボヘミア北西部にあるテプリツェの
刑事裁判所では、51%もの刑事事件について 2 年以上公判開始されていな
い(国内平均では14%)。④プラハの地区商業裁判所では、90人の裁判官
の一人当たりの担当事件数は700件を超えている。⑤刑事事件の被告人は、
裁判官に会うまでに平均して225日間勾留されている。
( 2 ) 体制転換直後、人々は、裁判所と裁判官に「司法の独立」を与えさえす
れば、質の高い司法サービスが提供されるものと理由なく楽観的に信じて
172
いた。果たして司法機関は、イデオロギーによる縛りや「電話法」による
干渉などからは独立を果たしたが、司法サービスによる満足を市民に与え
ることはできなかった。
前述のとおり、1999年の定期報告書によれば、世論調査では司法を信頼
すると答えた割合は35%に過ぎず、それよりは改善したものの、2001年 2
月10日付世論調査でも国民の 4 分の 1 程度しかチェコの司法を信頼してお
173
らず、司法に対する信頼は軍や警察よりも低かった。多くの国民は裁判所
( ) ボヘミア北部地域は、石炭産業による環境汚染がひどいことなどから居住が敬
遠される土地であり、社会主義時代には教師や医師などの専門職を誘致するた
めにボーナスが加算されていたという(Blankenburg, Erhard[2000], p.157.)。
( ) Bobek, Michal[2008], p.11
( ) OSI[2001], pp.116-117.
310
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
174
の独立性を疑っており、その非効率性を批判していた。
このような結果を司法側のみに帰責できない要因として、ひとつには、
政治家および一般市民双方において、裁判所に対する非現実的な過度の期
待、例えば経済問題を解決し犯罪を抑止するなど、およそ裁判所の責務で
はない事項が実現しないことへの不信感を抱く者も少なくないことが挙げ
175
られる。もうひとつには、未成熟なジャーナリズムによって、正しい法律
知識を欠いたあるいは裏付けのない報道が行われるなどして世間の司法不
176
信を助長しているという事情もある。
もっとも、上記と同年の世論調査(2001年11月 1 日)では、約40%の国
民が裁判官を信頼できると答えており、前回よりも 7 %上昇、過去最高の
177
数値を示した。この結果に対しては、後述するように、いくつかの司法活
動を民営化したことにより民事判決の執行がスピードアップし、人々の信
178
179
頼が増したとの解説が加えられている。民営化には議論が残っているもの
180
の、もともと執行部門の裁判官の非効率性には批判が強かったところ、執
行官制度の導入により民事判決の迅速かつ確実な執行につながったことは
181
評価されるべき点である。法制面における司法改革の成果は、早くも表れ
始めたと言えるであろう。
( ) Ibid., p.116.
( ) Ibid., p.117.
( ) Ibid., p.117.
( ) OSI[2002], p.79-80.
( )
Ibid p.80.
( )
Šlosarčík, Ivo[2002].同稿では詳細は語られていないが、裁判所に所属する執
行官bailiffsと国家資格を持った民間の執行官private executorsとが併存する制度
に異論を持つ者がいるのではないかと推測される。あるいはエストニアの例で
はあるが、執行官が手数料稼ぎのために、集団的に法定された催告手続をとら
ないケースが報告されている(Emmert,Frank[2003], pp.293-294.)。
( ) Kmenta, Jan[2000], p.142.
311
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
( 3 ) 欧州懐疑主義者であるクラウス首相の時代には、経済分野を中心にアキ
の導入が進められたものの、国家機構の制度改革は特に必要がないとする
独自のスタンスであったため、欧州委員会との軋轢もみられた。他方、こ
182
の頃は EU 側の≪加盟条件≫自体がまだ明確なものではなかった。
1998年 の 選 挙 で 勝 利 し た 社 会 民 主 党(ČSSD) の ゼ マ ン 政 権(Miloš
Zeman 1998-2002)は、欧州統合に積極的な姿勢を示し、クラウス時代に
停滞していた加盟準備に精力的に取り組むこととなった。折しも EU 側で
もコペンハーゲン基準が具体化してきた時期でもある。
ゼマン首相は、全面的な司法改革の達成を目指すことを表明し、翌年 4
183
月、The Principle of Judicial Reform(No.
325/1999)を発表した。1997年の
EU 専門家による調査結果に呼応して策定されたこの計画では、迅速化を
目的とする各手続法の改正、商業裁判所を廃止するなどして複雑な審級制
を整理すること、毎年250名程度の裁判官の採用、将来的には裁判官数と
同程度の上級裁判所職員を養成すること、憲法秩序を構成する「基本的権
利と自由に関する憲章」上で明記されている最高行政裁判所の設立、そし
て自治組織たる裁判官評議会及び Nejvyšší soudcovská rada/SJC の両方を
設立して司法行政分野のマネジメントを行わせ、さらには裁判所所長の権
184
限を強めて司法省への従属性を弱めることが企図されていた。
( 4 ) ところが、2000年 2 月に政府が提案した広範な司法改革プログラム A
Concept of the Judicial Reform において重要な達成目標の一つとされていた
185
SJC の設立等については、議会の反対を受け実現できなかった。
( ) International Commission of Jurists, p. 5 . 執行法Law No.120/2001 Coll.,により2001
年10月30日から103名の執行官が活動することとなった(2009年には409名の
bailiffsと125名 のprivate executorsが 活 動 し て い る,(Council of Europe[2009].
p.42.)。
( )
中田瑞穂(2003年)、p.129,135.など
( )
OSI[2001]
, p.116.
( )
Priya Chandran, C. Dietze, M. Fisher, K. Frisch and Jaya Pandrangi[2000], p.24.
( )
OSI,[2001]
, p.120. & OECD, p.55.
312
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
しかるに、チェコ政府の自己評価は楽観的なものであった。政府は「司
法の現状は欧州基準にほぼ合致しており、欠陥にしても EU 加盟国を含む
他の欧州諸国と同様のものである。民事面での司法改革の重要部分は民
法典の改正により達成された。刑事については、アキの受容による重要な
法改正がおこなわれる予定である。チェコにおいては大規模な司法改革が
進行中であるが、達成に至るまでは EU 加盟の準備が出来ていないとして、
186
加盟が妨げられることにはならない」と述べた。
欧州委員会は強気なチェコ政府の態度に影響されたのか、2000年の定期
報告書では前述のとおり問題点を指摘しながらも、
「アキコミュノテール
の効率的な導入と施行にとって司法改革の勢いを維持することが重要であ
る」と肯定的な評価を与えた。
( 5 ) 2001年には、EU への加盟を念頭に置くいわゆる‘European amendment’
187
を加えた憲法律が採択され、翌年 6 月から施行された。
憲法上明記されながら一向に具現されなかった最高行政裁判所について
は、2001年 6 月、憲法裁判所が、通常裁判所における行政事件の取り扱い
に関する民事訴訟法上の規定を無効と判断したことが後押しとなり、行政
裁判手続法の制定に伴って設立され、ようやく2003年 1 月から業務を開始
188
することとなった。
2002年 9 月、司法アカデミーが設置されたが、
後述の問題点を含んでいる。
裁判官の採用ルールについても改正があった。クラウスの裁判官採用に
189
関する拒否権行使事件に見られるような大統領の意向や、それまであまり
( ) OSI[2001], p.119.脚注)
( ) Law no.395/2001 Coll.,“EU”とは明記されていないものの、国際条約に基づき
国家の権能の一部を国際機関へ移譲しうること(第10条a号)、憲法裁判所は国
際条約の憲法適合性を批准前に審査できること(第87条 2 項)などを規定した
もの。
( )
設置が遅れた理由については、特に政治的な問題があったわけではなく、単な
る政治部門の怠慢であるという(Kühn博士へのインタビュー(脚注# 3 )よ
り)。予算上の制約も考えられる。
313
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
例がなかった弁護士任官の道を開きたいとする弁護士側の意向などもあり、
25歳以上とされていた任官年齢を、未成熟を理由に2003年 6 月、30歳以上
190
と引き上げられた。
191
法曹候補となる大学新卒者は概ね24歳であるが、30歳まで最低賃金のま
ま任命を待つリスクを冒すよりは、他の法律職を志願することになるだろ
う。ただし、低賃金を気にせず、むしろ福利厚生や安定性を重視して、そ
192
の期間を産休・育休期間にあてたい女性任官者は急増している。
( 6 ) 裁判官の懲戒手続にも変化が見られた。裁判官が解職されるのは、故意
による犯罪への関与、法的能力の喪失、市民権の喪失、懲戒手続による場
193
合(健康問題、裁判官の義務について深刻な違背があった場合)である。
県裁判所の所長は、管轄内の郡裁判所も監督しており、自発的にあるい
は個人からの不服申し立てにより、裁判官に配点された事件に遅滞が生じ
ていないかを調査、対処する権限があり、必要に応じて裁判官の懲戒手続
を主宰できる。しかし、所長も司法省も、懲戒権限そのものを持つわけで
194
はなく、裁判官は懲戒委員会の決定によってのみ懲戒処分を受ける。
後述するように、憲法裁判所は、行政権による裁判所所長・副所長の解
任を憲法違反である旨宣言した。立法府は対抗措置を取りたかったが、そ
のための憲法改正は現実的ではなかったため、妥協策として懲戒委員会に
( ) それまで儀式的に行われていた大統領による新任裁判官の任命に際し、2005年
2 月、クラウス大統領は、法定条件を満たしていた任官候補者32名の任命を拒
否した。彼らは皆20代後半であり任官するには若すぎるという理由であった。
2003年の改正法には当時研修中の者については例外措置が設けられたにもかか
わらず、クラウスは任命を拒んだのであった。
( ) このため裁判官の研修期間が 5 年間に延長された(Council of Europe[2009].
p.30)。司法省は将来的には40歳以上に引き上げたいと述べている(Bobek
,Michal[2008], p.16& Kuhn[2010], p.172.
( ) チェコの法学部は修士課程までが必修となっている(Balaš, Vladimír[2001])
( ) Bobek ,Michal[2008], p.16. & Kuhn[2010], p.16.脚注
( ) OSI[2001]
, p138.
( ) Bobek, Michal[2010], p. 3 .
314
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
195
委ねることになった。
この懲戒手続については従来から批判が多かった。従前の懲戒委員会は
各裁判所の所長・副所長と高等裁判所の所長、司法省からのメンバーで構
成されており、その手続や結果については仲間意識による寛容さが目立ち、
信頼性が低かった。
司法省の統計によると、1992年から2000年までの間、219件の懲戒請求
事案のうち、免職となったのは 8 件のみである。非行内容はアルコール中
196
毒、飲酒運転、児童ポルノ、重大な著作権侵害などの例を含むが、多くの
場合はけん責、減給で済み、あるいは手続中止で終わっている。高位の裁
判官に対する懲戒手続は、不思議なことに、取り下げまたは何年もペンディ
197
ングされている。
( 7 ) 2008年に導入された新制度では、懲戒委員会の構成や手続が改められ、
6 名の委員のうち 3 名が裁判官、残りを検察官や弁護士、法学者が占める
198
ことになった。
政治的にはかかる改正は憲法裁判所におもねるものであるとされ、報
復的な法改正が検討された。その結果、他の裁判官同様、伝統的に無期限
の任命であった裁判所所長及び副所長に任期制が導入された。最高裁と行
政最高裁判所の長官、副長官については最大10年間、その他の裁判所所長、
副所長については最大 7 年間の任期が定められ、複雑な経過措置が規定さ
れた。経過措置の適用がそれぞれの長に対して異なることを合理的に説明
199
することはできない。
( ) Ibid., pp.13-14.
( )
刑法の教科書から数百ページも自己の著作物に盗用した最高裁判事はそのまま
の職に留まっているという(Ibid., p.14.)
( )
最高裁副長官に対する手続はあちこちの懲戒委員会にたらい回しにされている
(Ibid., p.14.)
( ) Bobek, Michal[2010], p.14.
( ) Ibid., p.15.
315
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
4 Supreme Judicial Council(SJC)と国内政治
( 1 ) チェコは、この地域で1990年代後半の司法改革の結果とみなされている
SJC の設置に関して、欧州委員会のあらゆる勧告を無視し、結果的にこれ
200
を設立しなかった唯一の新規 EU 加盟国である。
チェコの政治エリートは、SJC を設立しない理由について、社会主義時
201
代以前から続く司法行政の歴史的伝統に鑑みた結果であるとするが、司法
の独立を強化する司法制度が構築されない背景には、司法省が既得権を失
うことに強い抵抗を示していることは容易に想像がつく。ハプスブルク時
代から綿々と続いている path-dependency/経路依存性の問題とも言える。
同省では、
「司法制度改革」ではなく、「司法制度の安定化」などという婉
202
曲的な表現を用いるのもその表れであろう。
( 2 ) チェコにおいても、立法府と行政部門の関係、すなわち政治家と官僚と
の関係は緊密であり、官僚から政治家になる者も多い。政治家の司法への
不信感は根強く、2000年に前述の包括的な司法制度改革案が議会で否決さ
れた際には、議席を持つどの政党も、裁判所に行政自治を与えることを好
ましくないと考えた。他方、のちに提案された、裁判官と裁判所職員の監
203
督や責任を強化する法案はスムーズに可決された。
ゼマン元首相にいたっては、回想録の中で、
「チェコの裁判官ほど怠惰
で無能であるのに、何もせずに高給を取っている集団をほかに知らない」
204
と酷評している。
チェコの政治家には、旧体制時代に反体制活動を理由に投獄された経験
を有する者が多いため、旧体制からの連続性が強い司法府への不信感、嫌
( ) Kochenov[2008], p. 272,276.& Bobek[2008], p. 4 - 5 .& Bobek[2010], p.1,5.
( ) Kühn, Zdeněk[2010], p.182.
( ) Jiří Pospíšil[2004], p.15. 同人は前司法大臣であるが、元司法大臣である Karel
Čermák が 同 じ 論 文 集 に 掲 載 し た タ イ ト ル は 奇 し く も“Soudnictví potřebuje
stabilizaci struktur(司法構造安定化の必要性)”となっている。
( ) Bobek, Michal[2010], p. 5 .
( )
Kühn, Zdeněk[2010], p.xiv.
316
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
205
悪感が強いことが指摘される。裁判所に対する市民の信頼が回復してきた
とはいえ、法学界ですら無関心な態度であるから、司法省が司法行政を牛
耳ることを問題視する市民は皆無であろう。こうして政治家、司法省の意
を汲んだ司法改革案のみが議会を通過することになる。
( 3 ) 他の旧東欧諸国でも背景事情は概ね変わらないはずであるが、ポーラン
206
ドでは、1989年に旧共産主義圏では初めて SJC が設立された(憲法上明
記されたのは1997年)。同国では、1952年の段階で、法の支配に基づく民
主主義国家であることが憲法に謳われ、1980年代には「連帯」の活動によ
る司法制度の変革(高等行政裁判所や憲法法廷の創設など)が始まってい
た。無論その時期の司法機関は完全な独立性を有していたわけではないが、
体制転換後にポスト「連帯」政党と旧共産党組織による政権下で早期に
SJC が設立される礎となった。
ハンガリーでも1980年代に司法の独立性を高める方向性での改革が準備
されていたことが、体制転換後の動向にも影響した。1994年から裁判官の
パージが行われ、1997年に旧共産党の後継政党である社会党と自由民主連
盟による連立政権のもと SJC に相当する機関が設立された。2002年の法
改正により、SJC は裁判官の採用や昇進に関わる権限を強め、他方で、司
法省が単独で裁判官の評価を行うこととなった。どの西欧諸国よりも強力
な司法自治が予定されている。
両国では、新体制下でも、旧共産党系の政治家が政治の舞台に残ったこ
とから、基本的には旧体制からの組織のままである司法府に対する嫌悪感
が少なく、欧州化原理としての司法の独立への許容性が高かったことで、
SJC の早期設立につながった。逆に、チェコの政治事情としては、プラハ
の春ののち多くの知識人が国を去ったこと、反体制運動において法律家は
207
重要な役割を果たさなかった ことが、その後の司法政策にかかわるアク
( ) 林忠行教授(京都女子大学)の指摘(2011.11.10)。
( ) ポーランド及びハンガリーの例については、Piana,Danela[ 2009]. pp.819-822.
及びBlankenburg, Erhard, pp.17-19.を参照した。
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
317
ターや方向性に影響を与えているのであろう。
( 4 ) ここに興味深い報告書がある。CEPEJ が2003年に発表した“Councils for
the Judiciary in EU Countries”というタイトルの、司法評議会に関する欧州
内比較研究である。もともとオランダの司法評議会設立のために同国司法
208
省の依頼で1998-1999年に行われた調査について、欧州委員会の TAIEX 部
局が、チェコでのプロジェクトの参考資料に求めたことで発刊に至ったも
のである。
欧州委員会は、法の支配の促進については、より相応しい機関として
CoE の専門的知見や正統性に依拠している。CoE の方が、死刑禁止や司
法アクセス、裁判手続の公平性などに関するクライテリアがより明確であ
209
ると言え、CoE の公式見解は一部で European Constitutionalism と看做され
210
ている。
報告書によれば、司法評議会設立のトレンドは1990年代後半からのこと
で、1994年にCoEが司法の独立に関して勧告(No.
R(94)12)を出した
ことが影響している。報告書では、いずれの国でも歴史や文化、社会的な
文脈に深く根付いた形で司法評議会が設立されたものであるから、そのま
まの形でチェコに移植することはできないが、各国の経験がチェコでの議
論にインスピレーションを与えることが期待されている。
この報告書については、発刊までの経緯に加え、バリエーション豊かな
各国評議会の説明、チェコの現状分析や SJC の地位を明記した憲法改正
の提言、司法省を諮問機関と位置づけることで SJC が過度に独立性を持
たないようにできるとした結論に鑑みても、直接チェコを名宛人とした≪
加盟条件≫の提示と解することができそうである。確かに、2003年 2 月と
( ) Blankenburg, Erhard[2000], p.19.
( ) EU加盟を目指す対象国に対し、EU法規の導入に関わる技術支援や情報交換を
行うことを目的とした機関。
( )
Blankenburg, Erhard[2000], p.12. & Guarnieri, Carlo and D. Piana[2009], p. 3 .
( ) Piana,Daniela[2009], p.823.
318
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
いう発行時期に鑑みれば、既に加盟交渉は終了しており、≪加盟条件≫と
解するには遅すぎるきらいはある。しかしながら、チェコの関係者には公
式の発刊以前に当該報告書が示されたであろうし、先述した2002年 6 月の
アクションプランでも、加盟後を見据えた取り組みに言及されていること
からしても、当該報告書の≪加盟条件≫性を否定することにはならないと
考える。
第 6 裁判所のスタンス
1
憲法裁判所のスタンス
( 1 ) 憲法裁判所は、外国の判例法の影響を受け、ひとり西欧的なスタンダー
ドをいち早く受容し、ソフトロー概念も早期に取り入れた。
当時のハヴェル大統領は、憲法裁判所の裁判官となるべき者を、前体制
に取り込まれておらず、海外経験のある法律家の中から人選した。共産主
211
義体制下でのパージの影響や、給与が著しく低額であることなどから、チェ
コでは現在でも法学者の数が非常に少ないと言われる。チェコ憲法裁判所
の設立にあたっては、共産主義時代に他国へ移住した、あるいは旧体制に
よって迫害されていたカリスマ的な法律家たちが重要な役割を果たしたの
212
である。
憲法裁判所の裁判官は、アメリカモデルにならって、議会上院の承認の
もと大統領が任命する。同裁判所は、通常の裁判官の昇進コースというよ
りも、むしろ弁護士や法学者、元政治家など外部から就任する者が多い点
や、任期があること(10年間)、扱う問題が憲法問題に限定されることな
( ) チェコでは大学教員といえどもその給与はプラハの労働者平均賃金程度に過ぎ
ないという。Blankenburg, Erhard, p.147. によると、2000年当時で17,500コルナ
(約 8 万7,500円)程度であり、体制転換後、主に中堅の教員が大量に弁護士
などのより稼げる仕事に転向した。
( )
Kühn, Zdeněk[2010], p.176. & Kühn, Zdeněk and J. Kysela[2006], pp.191-192.
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
319
どから、通常裁判所とは異なる価値観が示されることが多い。
かつてハヴェル大統領が指名したある候補者をめぐっては、法実証主義
的な学界や政治家らから、
「法の文言から逸脱した判断を下す傾向のある
同女は、憲法裁判所の裁判官には相応しくない」旨の批判が噴出し、世論
を巻き込んだ論争となった。2002年 3 月、ハヴェルは公聴会に出席し、法
実証主義者たちが、難しい事案でも、立法意思や法の意図、健全な常識、
状況判断と言ったものを一切考慮に入れようとしない姿勢を厳しく批判し
213
た。
2003年 3 月に現在のクラウス大統領が就任した際には、憲法裁判所の
全裁判官の任期も同年で満了することになっていた。もともとクラウスは、
憲法裁判所の司法積極主義的態度を常々批判していたところ、他方で、当
時の上院議員の多くはクラウスに批判的な立場にあったという政治状況に
より、裁判官の任命手続は難航した。2005年の終わりまでに、上院は、大
統領が指名した18人の候補者のうち 7 名に同意を与えず、 3 年近く憲法裁
214
判所の裁判官15名全員が揃うことはなかった。
( 2 ) 2001年 1 月には、少数与党 ČSSD と最大野党 ODS が、連立は組まない
もののいわゆる Opposition Agreemen を形成して両党に有利な選挙法改正
を行ったところ、憲法裁判所は、「憲法並びに基本的権利と自由に関する
215
憲章」に反するとして同法の一部条項の無効を宣言し、2009年 9 月には、
第 5 期下院議員の任期を短縮する憲法律と大統領の下院解散決定の無効を
216
宣言するなど、政治面に重大な影響を与える司法判断を躊躇することなく
217
示してきた。
( ) Kühn, Zdeněk and J. Kysela[2006], p.193.
( ) Ibid., p.194-199.
( )
定期報告書[ 2001], p.20.においても簡単に触れられている。
( )
チェコ憲法裁判所プレスリリースhttp://swww.usoud.cz/scripts/detail.php?id=756
(最終アクセス2012年 1 月 1 日)
( )
林忠行教授(京都女子大学)の指摘(2011.11.10)
320
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
同裁判所の姿勢に対しては、理想主義的でラディカルに過ぎ、現実を認
218
識していないとの批判もあるが、体制転換後しばらくは、民主主義や法の
支配といった概念を実務に浸透させるべく、司法積極主義的な態度を取る
必要性が強く認められよう。
2011年 2 月下旬に行われた世論調査によれば、64%の人々が最高裁判所
を信頼し、66%の人々が憲法裁判所を信頼していると回答し、政府や議会
219
への信頼度よりも高い値を示した。このことは、 6 割以上の市民が、報道
を通して伝えられる、憲法裁判所や最高裁判所が示す司法判断に理解を示
している事実を示している。
( 3 ) 既述のとおり、裁判所法は、裁判所の能率を促進し、裁判官の質を向上
させるという目的で、2000年に改正され、2002年 4 月に新法が発効した。
新法では、司法アカデミーの設置や裁判官の採用ルール、裁判官教育や業
務評価に関する新たな規定を設け、司法の効率化にプライオリティを置い
た。そして、同法は、司法行政、特に裁判官の教育や評価に関する司法省
の中心的な役割を恒久化した。
これに対して、同年 3 月、当時のハヴェル大統領は、行政権の司法権へ
の介入を問題視し、憲法異議を申立てたところ、同年 6 月18日、憲法裁判
所は、権力分立、法の支配、司法の独立の観点から、同法のうちこれらに
220
関する条項は違憲であるとの判断を示した。
221
憲法裁判所が指摘する主な問題点 は ①裁判官の定期業務評価システム
について、裁判官の職業能力のレベル向上、不適格者排除という目的は評
価できるが、a)評価基準が曖昧で統括能力や教育能力まで問う意義が不
( ) Bobek, Michal[2010], p.17.
( )
Kühn博士へのインタビュー(脚注# 3 )より。通常裁判所に対する質問事項
はなかったとのこと。
( )
チェコ憲法裁判所ウェブサイト http://www.concourt.cz/clanek/pl-07-02(最終アク
セス2012年 1 月 1 日)&定期報告書[2002], p.22.にも簡単に判例が紹介されている。
( ) OSI[2001], p.78-.
321
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
明、b)司法省の広範な裁量、c)結果として裁判官が解職される場合、
法的安定性と終身雇用の原則に反する点、d)抗告手続の問題など。②裁
判官教育(司法アカデミーの設置)について、a)義務的な継続教育であ
る点(欠席に対する懲戒処分の懸念)
、b)管轄をもつ司法省が教育内容
や人事等への影響力を持つ点(権力分立や司法権の独立の侵害につなが
る)。③裁判所の長の指名・解任が司法省の権限であることは、裁判官で
あると同時に、その裁判所における司法省の出先機関となる点(権力分立、
司法権の独立の概念に反する)である。
( 4 ) かかる違憲判断にもかかわらず、司法アカデミーは2002年 9 月、司法省
の管轄のまま開設され、同省が研修カリキュラムを作成している。欧州委
員会は、司法の独立に疑義が生じているとの認識は示さず、その代わり、
司法アカデミーの運営に裁判官の代表が関与することの重要性を指摘した
222
のみであった。
223
もっとも裁判官が受けた大学教育はいまだ旧態依然であり、特に年配の
裁判官は大学で EU 法を全く学んでいない。そうであるからこそ、裁判官
224
の継続教育が問題となってくるのである。EU 加盟にあたって裁判官に対
する EU 法研修の必要性という喫緊の課題と、司法の独立との衝突は避け
225
られないが、チェコの憲法裁判所はためらうことなく司法の独立を優位に
判断した。
( 5 ) 裁判所法に関しては、2003年(前記の裁判官任官最低年齢の引き上げに
関して)と2008年(裁判官や裁判所職員の懲戒手続、所長・副所長の任期
制等に関して)にも改正が施された。
2006年には、クラウス大統領が最高裁判所の長官 Iva Brožová を解任し
たため、同女は、大統領に解任権を与える同法は司法の独立に反すると主
( ) 定期報告書[ 2002], p.23.
( )
Balaš, Vladimír[2001]
( ) Šlosarčík, Ivo[2002]
( ) Kochenov, Dimitry[2008], p.291.
322
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
張し、憲法裁判所に解任行為の無効を訴えたところ、同裁判所は、
「法の
支配の基本的な前提条件の一つとして司法の独立がある」として、裁判所
の長の任命権者には解任権も付与されているという大統領側の主張を認め
226
ず、裁判所法の当該規定の無効を宣言した。
かかる憲法裁判所の論法は、チェコ法学界の主流派には必ずしも好意
227
的に受け止められていないようである。上記事件を経て、大統領側は、裁
判所高官らの任期制を導入する法改正に及んだのは前述のとおりであるが、
さらには任命方法に関しても法改正された。その結果、従前は、最高裁判
所及び最高行政裁判所の長官・副長官の 4 名については大統領が任命し、
その他の高官については司法省が任命していたところ、高等裁判所及び県
裁判所の所長についても大統領が任命することとなった。
2 通常裁判所のスタンス
( 1 ) 当初、憲法裁判所の Europeanisation の意気込みは通常裁判所にはなかな
か伝わらなかった。1990年代後半には同裁判所と通常裁判所(特に最高裁
228
判所)との軋轢は顕著であった。多くの裁判官や法学者が、憲法裁判所と
通常裁判所との違いを強調して、前者は憲法価値の実現のために積極的と
なる必要があるが、後者は単に法を機械的に適用するのが仕事であると主
張していた。
2001年のいわゆる‘European Amendment’によって、係属事件において
適用されるべき法がチェコの憲法秩序並びにチェコが批准した条約に適合
しているか否かを判断する権限が、憲法裁判所から通常裁判所へ移譲され
た(憲法第95条)。裁判官は、当該法について、憲法との矛盾が推定され
( ) チェコ憲法裁判所ウェブサイトhttp://www.concourt.cz/clanek/pl-18-06 (最終ア
クセス2011年 9 月21日)
( ) Kühn, Zdeněk[2010], p.181.
( ) Šlosarčík, Ivo[2004], p.14. / Blankenburg, Erhard, p.173. には一事不再理に関する
憲法裁判所の判断に従わなかった最高裁判例が挙げられている。
323
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
る場合には憲法裁判所に回付し、条約に適合しないと判断される場合には
229
条約を直接適用することになる。
通常裁判所であっても、政府の政策と EU 法原則との抵触を審査しなけ
ればならないケースが想定されるのであり、すべての裁判官にとって、突
230
然巨大な政治的影響力と係わる可能性が生じることになったのである。
( 2 ) 体制転換後の大きな問題点の一つは、多くの裁判官が形式的な法解釈を
続けており、難しい案件を処理する能力に欠けていることであった。憲法
裁判所は、法の文言のみでその立法目的や意義が理解されるものではない
から、無条件に法の文言に拘泥して立法目的に著しく反したり、憲法秩序
231
に矛盾する判断をしないようにと説いたが、通常裁判所が従わないため、
232
同じことを判示し続けなければならなかった。
逆に、民事訴訟のプロセスは公正でなければならず、司法権の独立の名
のもとに随意に法を解釈・適用してはならないが、通常裁判所の判決の中
には、証拠に基づく事実認定の過程を明らかにせず、どのように法が解釈
233
されて結論に至ったのかを説明していないものも見受けられた。
上級裁判所の確立した判例を軽視する下級審裁判官も多く、それによっ
て裁判結果を予測不可能なものにしたり、判決を下した裁判官のフルネー
ムを明かさないことの理由づけに、司法の独立を持ちだしたりする裁判所
234
もあった。
当局による裁判例の公表については厳格な承認制度が残っており、新た
な法的論点を含む裁判例などは排除され、法的議論の余地が全くないよう
な裁判例が公表されたり、多くの場合、原文のままではなく編集された形
( ) Šlosarčík, Ivo[2004], p. 7 .
( ) Kühn, Zdeněk[2010], p. xvii.
( ) Kühn, Zdeněk[2004], pp.552-553.
( ) Ibid., pp.552-553.
( )
Ibid., p.561.
( )
Ibid., p.561. & Bobek, Michal[2008]
, p.12. 現在は公表される判決に裁判官の
フルネームが記されているのが通常である。
324
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
で公表されたりする。もっとも、ほとんどの上級裁判所では近年オンライ
ン上で自庁の裁判例を公開し始めており、商業ベースでの裁判例の公表や
235
評釈も増えてきている。
通常裁判所が、相変わらず杓子定規な判断を下したとしても、上訴され
れば、最終的には憲法裁判所によって覆される可能性があるから、憲法裁
判所の判例の積み重ねにより、その価値観は否応なしに裁判実務に影響を
与えてきている。
( 3 ) 問題の根源は、裁判官のメンタリティが変化していないことであろう。
旧共産主義圏の裁判官に最も欠けているものは「個人的な度胸」であると
236
Bobek は指摘する。これが共産主義時代に培われなかったのはやむを得な
いとして、現代においても推奨されていないのは、司法の本流からの「ポ
ジティブな」逸脱が許されない、大陸法系司法の「官僚主義的」なスタイ
237
ルに起因するという。その大きな原因は、専ら組織内で採用・養成してい
ること、また心理面での「逸脱」を間引くために任官候補者に詳細な心理
238
テストを課すことであるとする。同氏はご丁寧にも、「内部的独立の欠如
や官僚主義的な裁判官の自画像は、奇妙なことに、日本における裁判官の
239
認識と驚くべき一致を示している」とも付言している。
( ) Kühn, Zdeněk[2010], p.191
( ) Bobek, Michal[2008], p. 8 .
( )
Ibid., pp. 8 - 9 .
( ) Ibid., pp. 8 - 9 . なお、2011年 1 月13日付ラジオプラハの記事によると、司法大
臣は、現在の毎年100人近い裁判官の新規採用を 3 , 40人に絞り、採用基準にお
いても最低限 5 年間の法律実務経験を課し、心理テストの結果はこれまでほど
重視せず、質を重視する旨下院で述べた。
( )
Bobek ,Michal[2008], op.cit., p. 9 .
325
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
第 7 結語
1 ≪加盟条件≫はチェコの司法制度にいかなる影響を与えたのか
2003年 4 月、チェコは EU 加盟条約に署名し、すべての加盟国の署名及び
批准手続を経て、2004年 5 月、他の 9 カ国とともに EU の正式加盟国となっ
た。この事実をもって、チェコが EU 加盟にあたっての≪加盟条件≫をすべ
て充足したという結論には至らないことは既に論じてきた。
結局、≪加盟条件≫がチェコの司法制度に与えた影響は限定的であった。
AP や定期報告書によるコントロール・システムは、ある程度チェコの司法
改革へのプレッシャーとなったが、コペンハーゲン・政治基準には、司法省
240
による司法行政の支配という権力構造を変革するまでの力はなかった。
実際の最終的な加盟承認は、≪加盟条件≫を充足したか、アキコミュノ
テールはすべて導入できたのかという問題よりも、当該候補国が、現加盟国
241
とEU内でうまくやっていけるかという判断が優先し、あるいは国際政治力
学が働いたことも考えられる。
無論、チェコが≪加盟条件≫を悉く無視してきたわけではない。国内では
コペンハーゲン基準をクリアすべく様々な改革が行われ、それなりの成果を
あげてきた。アキの受容はもちろんのこと、裁判官の待遇改善や増員、上
級裁判所職員の育成、実体法・手続法の整備、IT 化等々の司法改革により、
訴訟運営は効率化し、常に批判を受けてきた訴訟遅延状態も現在は改善され
てきており、スムーズな判決執行方法も用意された。市民からの信頼も回復
してきたことが窺える。
ただ、≪加盟条件≫といえども、欧州委員会が本丸とみなしたはずの「司
法の独立」の強化、すなわち司法省による司法行政の支配を脱却して司法府
が自律性を獲得するといった、抜本的な司法改革に切り込むほどの力は持ち
( ) Maresceau ,Marc[ 2003].
( ) Grabbe, Heathere[2002], p.264, 265-266.
326
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
得なかったということである。
そもそも、欧州委員会が候補国の司法改革問題に本腰を入れたのは、加盟
交渉最終年の2002年であったと言っても過言ではなく、明らかに遅きに失し
た。候補国にとって、加盟条約の締結が現実的となった段階で、自国の法文
化を根底から覆すほどの構造的な司法改革に取り組まなければならない理由
はない。
≪加盟条件≫としての弱さについては、定期報告書の評価基準が不明瞭で
あり、年ごとに、候補国ごとに、一貫性を欠いていたことが一つの理由とし
242
て挙げられる。統一感のある EU 司法モデルが定まらないことから定点観測
が難しく、候補国ごとの評価基準や、同じ候補国でも年ごとに着目点が異な
るといった場当たり的な評価となった。他の候補国と異なり、当初チェコの
APには司法の独立に関する課題が含まれず、定期報告書でも評価は甘かっ
たとされるなど、チェコに対しては、他の候補国とは別異の「欧州基準」で
243
判断されたことがうかがえる。しかし、その理由も当該別基準の内容も定か
ではない。
欧州委員会の要求を遵守しないことへの制裁手段が不十分であったことも
致命的な欠陥であった。欧州委員会が本気で加盟国の司法制度改革を求めて
いたのであれば、アキの章ごとに交渉が持たれる際に、司法改革の達成を条
件として次の章の交渉を開始するといった事実上の制裁措置を課すことは可
244
能であった。
チェコにおいて、司法の独立に関わる一切の改革が行われなかったのは、
このような政治基準にかかる≪加盟条件≫の弱さを看破したアクターたちが、
自らが望まない方向性への変革を拒んだからであると考えられる。筆者が
2011年 3 月に行ったチェコ司法省幹部に対するインタビューにおいて、同氏
は、
「司法制度については主権にかかわる国内問題であるから、加盟交渉の
( ) Kochenov, Dimitry[2008], p.311. & Grabbe, Heather[2002], p. 263.
( ) Ibid., p.274.
( ) Kochenov博士インタビュー(脚注# 2 )
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
327
際に欧州委員会からこの点の指摘があったとしても、それは一種の『勧告』
245
のようなものであって、必ずしも従う義務はなかった」との認識を示した。
おそらくこれは単なる個人的な誤解などではなく、チェコ司法省全体で共有
されていた認識であり、チェコ政府の見解なのであろう。
欧州委員会は、特にチェコに対しては、前記 CEPEJ の報告書を用いて司
法評議会の設立を求め、いくつかの「司法の独立モデル」を提示した。しか
しながら、
司法省が司法行政を差配することで、司法の独立や権力分立といっ
た机上の理念には明白な疑義が生じているが、チェコの司法制度で現実に生
じている弊害を具体的に挙げることは難しい。然もなくばハプスブルク帝国
時代から綿々と続いてきた法文化を破壊するまでに大鉈を振るう大義名分な
どあろうか。
多様性の尊重は EU 理念でもある。最低ラインさえクリアしていれば、あ
とは各国の内政問題であるとする姿勢は、連邦でもなく、超国家組織とも言
い難い、言うなれば規範共同体に過ぎない EU という組織の性質に鑑みれば
不可思議なことではない。実際に、ドイツやオーストリアでは司法評議会を
246
設立せず司法省主導モデルのままであり、司法評議会を擁するフランスやイ
タリア、オランダにおいても、裁判所の所長は、司法省に従属した形でしか
247
司法行政権を行使できないと言われている。
いずれにせよ、EU が事実上の制裁手段を発動するまでの介入をしなかっ
たのは、少なくともチェコの司法制度がそれなりに機能しており、EU 全体
のお荷物になることはないと判断したためであろう。従来の加盟国の中には、
チェコをはるかに下回る能率による司法サービスが提供されている国もある
のだから。
( ) EUIJ 調査研究助成金を得て筆者が行った、チェコ司法省国際刑事部部長代理
Jakub Pastuszek 氏へのインタビュー(2011年 3 月 8 日プラハ)より
( ) Kosař, David[2010b], op.cit. p. 3 .
( ) Council of Europe[2003], op.cit., p.88.
328
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
2 チェコの司法改革への展望
( 1 ) 根本的な司法改革を達成しないまま、いや着手すらしないままに EU 加
盟が決まったということは、最大にして恐らく最後のチャンスを逃してし
まったということである。社会主義体制から民主主義・自由経済体制へと
大きな転換を遂げ、EU 加盟を何としても果たしたいという国家を挙げて
の強い動機付け、周辺中東欧諸国との競争心、そして「EU クラブ」の入
会審査基準たる≪加盟条件≫という大きな外圧は、
「痛みを伴う改革」を
断行するに際し、伝家の宝刀として反対勢力を押しのけることができたは
ずであった。
首尾よく EU 加盟国となってしまえば、このような装置は瓦解し、抜本
的な改革の必要性さえ希薄なものとなる。
( 2 ) 2011年 6 月21日付ラジオプラハの報道によれば、政治家たちが司法省を
通じて影響力を行使し司法の独立を損なっていることへの、チェコの裁判
官の不満は高まっているという。これに対し、当時の司法大臣 Jiří Pospíšil
(イジー・ポスピーシル)は、司法省が裁判官の独立を図る決定を様々に
妨害しているという言説は強く否定するものの、司法行政の自治を含めた
完全な司法の独立への要求に対してもこれを拒んでいる。議会に議席を持
248
つすべての政党が現状維持に賛成しているという。
チェコ政治の舞台では、司法の独立推進派の姿は見えない。政治力を持
たない裁判官組合はメディアを通じて世論に訴えているが、支持を得られ
ているとは言い難く、既得権を守りたい司法省の政治力にほとんど対抗で
きていない。
249
それでも、憲法的なバランスは変わってきていると Bobek は指摘する。
もともとは事実上行政権がすべての意思決定権を握っていたものが、司法
審査の形をとって、次第により多くの分野が裁判所の監督に置かれるよう
( ) ラジオプラハ2011年 6 月21日付記事
( ) Bobek, Michal[2010], p.17.
329
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
250
になってきた点がそうである。立法・行政部門と司法部門との交渉は恒常
的に続けられている。相互に不信感に満ちた対話であり、立法機関には司
法への敵意すら感じられるが、広範な司法審査権を武器にし始めた司法府
251
に対しては、もはや憲法を改正するか妥協するかしか途はないだろう。
( 3 ) 憲法裁判所や裁判官組合が訴えるように、司法に強い自治権を与えるの
が先なのか、それとも司法省や議会が主張するように司法の内部改革が先
なのかは、卵が先か鶏が先かの議論と同じであり、はっきりとした答えは
252
ない。
内部改革について考えると、いくつかの問題点があげられる。たとえば
懲戒権の適切な行使は、司法の独立に対応すべき説明責任を果たすことに
もつながるが、これが機能していない場合、司法の独立の名のもとにその
無能さをひた隠しにしているものと疑われよう。また、裁判官教育の問題
は、内在的な専門能力の要請や説明責任にも関わる。2000年の段階でたっ
た 4 %の裁判官しか共同体法のトレーニングを受けていない(検察官は
253
10%)というのは驚くべき状態である。アキの国内法化は加盟前から進行
しているのに、法を適用する裁判官が EU 法を理解していなければ生きた
254
法とは成り得ない。
憲法裁判所は司法の独立という概念を強調するばかりで、職業上の要請
を軽視してはいないだろうか。
チェコの裁判官は自身を、立法者の意思を従順に通訳する者であると相
255
変わらず捉えている点については、民主主義的多数決を行動規範とする立
法府に対する、司法府の相補的な機能を意識し直すべきであろう。
( ) Ibid., p.17.
( ) Bobek, Michal[2010], p.17.
( )
Bobek, Michal[2008], p. 5 .
( )
定期報告書[ 2002], pp.20-21.
( )
もっとも、加盟候補国で開催された典型的なEU法セミナーは概ね効果的とは
言えなかったことが指摘されている(Emmert,Frank[2003], pp.304-305.)
( )
Ibid., p. 9 .
330
EU・Conditionality≪加盟条件≫がチェコの司法制度へ与えた影響
社会主義時代の裁判官にとって、仕事上でプライドを保つ唯一の理由づ
けとなるのは、法を文言どおりに読んで、法の限定的な概念に従って紛争
256
解決するという、共産主義権力からのわずかばかりの司法の独立であった。
かかる態度は、現代的な司法権の行使にとっては有害ですらある。現代
司法に求められるのは、法規をそのまま適用することが難しい事件につい
ても、立法趣旨や法理論などに鑑みて、柔軟に法規を解釈する専門能力で
ある。予測可能性、法的安定性という観点からは、上級審の判例を尊重す
る態度も求められる。先例を尊重した上で異なる判断を下さなければなら
ない場合もあろう。いずれであっても、当該司法判断の法的妥当性につい
て、当事者や社会に対して、文面上合理的な説明がなされなければ、それ
は司法の独善であり、司法の独立があまねく支持されることは永遠にない
であろう。
要すれば、個々の裁判官に要求されるのは、いわゆるリーガルマインド
である。思うに、個々の裁判官がそれぞれ内部改革のソリューションを醸
成していき、司法機関全体の社会的存在感を増すことで、正統性の源泉た
る市民から司法の独立への理解を得て、その力で政治部門の考え方を変え
ていくのが正攻法であるように思われる。如何に市民の関心を引き出すの
かも課題となろう。
( 4 ) 欧州委員会が司法の独立の象徴と看做した SJC を設置した中東欧諸国
をみても、現時点では、先に論じた 4 つの要素(独立不偏性、専門能力、
説明責任、組織的効率性)を含む司法の能力がバランスよく高められてい
( ) Kühn, Zdeněk[2010], p.188.
( ) Bobekは他の中東欧諸国で設立されたSJCは主体が変わっただけの官僚組織で
ありうまく機能していないと評価する(Bobek, Michal[2010], p.6,17. & Bobek,
Michal[2008], p. 5 .)
( ) Kühn, Zdeněk[2010], p.182.
( ) Bobek, Michal[2008], p. 5 . & Bobek, Michal[2010], p.17.
( ) 林忠行教授(京都女子大学)の指摘(2011.11.10)
( ) Kuhn博士インタビュー(脚注# 3 )
331
神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
257
るとも言えないようである。この点、チェコでは、例えば、任官者を選
抜する権利は、実務上は県裁判所の所長が行使しており、実際のところは、
258
司法省の役割は形式的に過ぎないと言われている。
「形式ではなく中身こそが大事なのであるから、自国の中で醸成され
259
ていくソリューションはそう悪いものではないはずだ」と Bobek は言う。
今後世代が変わることで、旧体制への憎しみを引きずらない政治家や官
260
僚たちが必ず出てくる。そうすれば、SJC 設置を含めて司法改革に向けた
建設的な対話が可能となろう。Kühn の予測では、現在の政治家の中にも、
司法行政自治が必要であることに理解を示す者が増えてきており、 5 年先
か10年先かは分からないが、将来的に SJC を設立できるのではないかと
261
いう。
( 5 ) 自国の司法改革は不十分であると指摘されれば、きっとチェコ政府はこ
う言って開き直るに違いない。「それでは、いったいどこの国を手本にす
ればよいのか?チェコの司法制度の欠陥は、EU 加盟国を含む他の欧州諸
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以
上
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