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フランツ・カフカの物語『村医者』の解釈 - 香川共同リポジトリ

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フランツ・カフカの物語『村医者』の解釈 - 香川共同リポジトリ
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
香川大学経済論叢
第7
0巻 第 4号 1
9
9
8年 3月
1-13
フランツ・カフカの物語『村医者』の解釈
森本国臣
カフカの生前に単行本として出版された作品は『観察~
『火夫~
(
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3
),
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9
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), W 変身.~ (D
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eVerwandlung,1
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),
『判決 ~(Das
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9
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6
),W 流刑地にて~ (
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枕o
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1919),短編集『村医者~
編の物語『断食芸人~
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劫l
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1
9
)および 4
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e
n,1
9
2
4
)である。そ
れぞれ雑誌に掲載された後に上記の表題で刊行されたものである。カフカの名
が世界的になるのは第 2次世界大戦後で特に 3編の未完に終わった長編小説
『失綜者~ u アメリカ~),
W 審判~,城』によってであるが,生前にも一部の作
家には高い評価を受けていた。ローベルト・ムシルもその一人である。本論で
扱う『村医者』は短編集『村医者』の中の一編で完成度の高い作品であるが,
カフカもこの作品には満足していたことが日記に記述されている。 n村医者』
のような仕事からは一時的な満足を得ることができる,ただしこのようなもの
に自分がもう一度成功すると仮定して(ほとんどありそうにないことだ)。しか
し幸福とは世界を純粋なもの,真実なもの,不変なものに高め得るときにのみ
3
4
)
得られる。 J (T5
この短編集には 1
4編の作品が含まれており,作者が作品の配列等に留意して
いたことは出版社との書簡によって知られるが,全体としてどの様な意味を持
たせようとしたかは不明といってよいであろう。しかし,作品『村医者』が表
題に選ばれたことは,作者のこの作品についての評価が示されていると考えら
れる。作品の順序は『新しい弁護士.~ W 村医者』『天井桟敷で.~
古い記録.J ~.法
W
の前で~ W ジャッカルとアラビア人』『鉱山の訪問』『隣り村~ ü"皇帝の使者~ f家
長の心配』『寸一人の,息子.~ f 兄弟殺し.~ u
"
夢
.
J u"学士院への報告』であるが,マツ
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0
香川大学経済論叢
クス・ブ持ロートが『田舎の婚礼準備』の注釈で記しているところによれば次の
ような表題のリストがある。『夢~ W 法の前で~ W 皇帝の使者~ W 短い時間~
W
記録~ W ジャッカノレとアラビア入、~ W 天井桟敷で~ W バケツ騎手~ W 村医者~
W
い弁護士~ W 兄弟殺し~ W 十一人の息子~
古い
新し
(H4
4
7
)0 W短い時間』は現在の『隣り
村』であり,最終的に f バケツ騎手』が除かれ鉱山の訪問~
家長の心配』
W
『学士院への報告』が加えられたことになる。マルコム・パースリによれば『十
0編の作
一人の 息子』は上記の表題のリストの順に『夢』から『兄弟殺し』の 1
J
品がこれにあたり鉱山の訪問』は,その当時カフカが短編集『村医者』の仕
事に掛かっていたころ届けられた『新小説』という年鑑(出版社クルト・ヴォ
0編の作品に触発されて書かれ,作品の批評に
ルフ)に載せられている丁度 1
なっており家長の心配』は遺稿の『狩人グラックス』についての作者カフカ
の思いが反映しているという。パースリの推論の出発点は,ブロートに語った
カフカの
iW十一人の息子』は今書いている物語のことだ」という言葉と,上記
1の数字が書かれていたことである
の表題のリストに 1および 1
u十一人の息
子』の場合)。ノ{-スリはこの小論の末尾で「要約すれば,これら 3編の物語は
決して文学テキストから刺激されただけではない。むしろ形式からみてもそれ
らの作品に規定され時折は細部に至るまで個々のテキストに関連づけられてい
る。しかしカフカは非常に具体的な関連は隠そうとした。この 3編の物語がこ
れらの関連を越えて何を意味しているか,あるいは何を目指そうとしているか
は,われわれにとってなるほど,カフカの物語方法および作家の戦術を評価す
S3
7
)と述べている。
る場合に非常に重要であるが,これは今は置いておこう J(
パースリの推論は説得力があり,妥当なものであろう。この推論により以前は
読者を当惑させていた『家長の心配』にあらわれる「オドラデク」も断片に終
わった『狩人グラックス』のことに関連づけて読めるわけであれ読む側にとっ
て重要な注釈である。しかし~家長の心配』は単に『狩人グラックス』の注釈
であり十一人の息子』は 1
1編の自己の作品の注釈であり
W
'
鉱山の訪問』は
1
0編の作品の注釈であるのか。『十一人の息子』の場合はカフカはブロートに
語っており, リストが残されていたために知られることとなったが,もしこの
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1
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フランツ・カフカの物語『村医者』の解釈
事実がなければ単なる仮説に終わったことであろう。また類似の『鉱山の訪問』
の場合も同様に謎のままになったかもしれない。この二つの場合カフカは関連
性をもともと公表する意図はなかったと考えてもよい。パースリが述べている
ように具体的な関連をカフカは隠そうとしていたからである。筆者はそれぞれ
が独立した作品であり,意味のある完成された作品であると考える。ただ他の
多くの作品と同様に作者自身との関連が封印されている。
さて『村医者』が『十一人の息子』の一人であるなら
9番目ということに
なる。九男について「しかし,この世のものでないこの輝きを,すっかり消し
てしまうには一つの濡れた海綿があればいいことを私は知っている J'一生長椅
子に寝て,部屋の天井を眺めていれば,というよりまぶたの下に目を休ませて
E1
4
3
) という文に『村医者』との関連が見
おけばそれで満足なのであろう J (
られる。全体として厳しい批評と言えるが,作者がはたしてこの物語を批評し
ているのかどうかは疑問が残る。(注十一人の息子』についてはその後もパー
スリ,クロード・夕、ーヴィッド,ブリオン・ミッチェル,ベルンハ lレト・ベツ
シェンシュタイン等によって論じられ十一人の息子』とどの物語が対応する
かについても異論が出され,種々の解釈が試みられている。)
ともかく上記の 3編は創作の事情において特徴が見られる。また他の作品の
うち法の前で』と w 夢』は長編『審判』と関連し
w 古い記録~
w皇帝の使者』
は遺稿『シナの長城が築かれたとき』と関連している。しかし短編集『村医者』
の最後に追加されたと思われる『学士院への報告』は量については最も多くテー
マに関しでも全く質を異にしている様に思われる。様々なモチーフについては
関連性が認められるものもある,例えば『新しい弁護士』『村一医者,~ ~天井桟敷
で,~ w古い記録』『隣り村』にあらわれる「馬ないし騎手・騎行」のモチーフを
挙げることができる。また弁護士になった馬,話をするジャッカル(~ジヤツカ
ノレとアラビヤ人~),人間になった猿が語る(~学士院への報告~)という言わば
「動物人間」のモチーフも指摘することが出来る。しかし,テーマについては
全体に共通するものはないように思われる。
4編の物語は内的な関連が見られるものがあるとしても,カフカは
ここでは 1
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香川大学経済論議
~4~
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2
当時書き上げていた作品の中から芸術的完成度の点で満足できるものを集めて
編纂したと仮定して,個々の作品を見ることにし本論では表題となった作品『村
医者』をあっかう。
この物語の筋は次のようである。
語り手である村の医者「私」が吹雪の夜, 1
0マイル離れた村の重病人のため
に呼び出された。数年来使っていない豚小屋を蹴り聞けると馬が 2頭,見知ら
ぬ馬丁とともに現れる。医者はこの馬車で出掛けるが,手伝いの娘を馬丁の犠
牲にしなければならなかった。馬車は出発するやいなや一瞬の内に患者の家に
着く。医者は家に置き去りにした娘ローザのことを案じながら患者を診察する
と,若者の脇腹にはパラ色の掌ほどの傷があり,助からない病気に見える。医
者は服をはぎ取られ若者の側に寝かせられて治療を強制される。医者はやっと
のことで馬車に飛び乗るが,来るときとは反対にのろのろと進み,いつまでたっ
ても家に帰れず,馬丁の犠牲になったローザのことを気にかけながらさまよい
つづけている。一度夜の呼び鈴の間違いに従うと二度と取り返しはつかないの
だと語り手の医者は語る。
物語は 3 か所で段落がある。,-~自分の家に何があるか分かりませんね』
と娘
2
4
) までが第 1段。「衣装はぎとりゃなおし
が言い私たち二人は笑った。 J (E1
てくれる
なおさないなら殺してしまえ J (E1
2
7
) という小学校のコーラスで
切れ目があり,-喜べ
みんな
患者たち
お医者がいっしょに寝てくれた J(E
1
2
7
)で切れ目が置かれている。第 1段は娘の医者への話しかけの個所で切れ目
が置かれている。つづくし 3, 4段は上記の歌によって切られ,物語の展開
が図られている。 そしてそれぞれの部分は長い文から成り立っている。
第 1段は語り手である村の医者「私」の状況が馬が登場するまで描写され,
冬の真夜中に重病患者に呼び出されるが,馬は過労のため昨夜死んでしまい,
馬が借りられない困惑した状況に突然「神々の助け J (E1
2
5
) が用意される。
2
7
)馬丁との争いのあと,超自然的に患者の家に
第 2段は「嫌悪すべき J (E1
到着し,患者の若者,家族,村人たちの描写,患者の脇腹の傷の描写,-私」の
思考・感情が語られている。 この第 2段で直接法で語られるのは患者の若者「先
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3
-5
プランツ・カフカの物語『村医者』の解釈
生,死なせてください J (E1
2
5
)と傷にとりみだしながら「助けてくれますか」
(E1
2
7
) という 2回の要請である。
第 3段では小学校のコーラス「衣装はぎとりゃなおしてくれる
なら殺してしまえ
なおさない
2
7
)のあと,患者の
どうせ医者だよどうせ医者だよ J (E1
ベットに押し込められた医者と患者の若者との直接法による会話が大部分を占
めている。第 4段では「喜べみんな
患者たち
お医者がいっしょに寝てくれ
f
こJ (E1
2
7
) という「でたらめな」歌のあと,さまよいつづける「私」の悲惨
な状況についての「私」の考察が描かれる。
特徴的なことは文がセミコロンによって結合されているものが多く,読者は
息をつくまもなく先へ先へと追い立てられる思いで読み進むことになる。物語
は「私は非常に困惑していた」の 1文によってはじまり,-だまされた!
だま
された! 一度夜中の間違った呼び鈴に従うと取り返しがつかない」で終わる。
語り手は終始一貫して「私」である。冒頭の文に続いて困惑している状況が語
られる。「差し迫った旅が目前に迫っていた。重病人が 1
0マイルも離れた村で
私を待っていた。激しい雪の嵐が私と患者の聞の空間を満たしていた。 1台の
馬車はあった。軽くて,大きな輪の,まったく我々の街道に役立ちそうなもの
である。毛皮に身をつつみ診察道具を手にして私は出掛げる準備をし中庭に
2
4
)つづいて手伝いの娘がむなしく馬を
立った。しかし馬がない,馬が。 J (E1
探しに村を走り回っていることが語られる。「戸口に娘が立っていた,一人で,
ランプを揺らしていた。もちろん,誰が今頃こんな旅に馬を貸してくれるとい
うのか? 私はもう一度中庭を探した。可能性はなかった。ぼんやりして,思
い悩んでト,数年前から使っていない豚小屋の壊れた戸を足で蹴った。戸が聞い
てぼたんぱたんと揺れた。馬のような温かみと匂いが沸き起こってきた。 J (E
1
2
4
)そして馬丁が一人四つんぱいになってはい出てきた。この第 1段では「私」
の切迫した状況が描かれている。ここでもっとも読者の注意を引くのは,数年
間使われていない豚小屋から馬丁とともに 2頭の馬が現れる場面である。「ぽん
やりして,思い悩んで」小屋の戸を蹴ると,突然馬が現れることは,幻想、か夢
を暗示させる。また「四つんぱいになってはい出てくる」馬寸に「私」は「け
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香川大学経済論叢
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だものめ」とののしるが,馬丁は動物的な存在として描かれている。なぜ数年
も使っていない豚小屋から馬や馬丁が出てくるのか。何の説明もない。語り手
である「私」は馬丁に「馬をつなぎますかね」と問いかけられでも何も驚かな
い。それは『変身』におけるグレゴー/レ・ザムザが「ある朝不安な夢から目を
覚ますと自分が大きな虫に変わっているのに気がついた J (E1
2
4
)が,何も驚
かないのと同様である。非現実的,幻想的ではあるが,ここから夢が始まった
と解することはできない。カフカの物語技法についてフリードリッヒ・パイス
ナーは「洞察,願望,夢,思考,喜び,侮辱というようなあらゆる経験をふく
んだ内面の世界がカフカの物語の対象であり,語り手は冷静に観察する心理学
者として外部に立っているのではないとすれば,語り手には主要人物の心の中
にしか場所はないのである。語り手は自分自身を語る,語り手はヨーゼフ・ K
に姿を変える J (B2
9
) と述べているように,語り手は医者の「私」になりきっ
ているといえる。パイスナーは別の個所で「カフカの短編では客観的な理性
的な』ーーと仮に言っておくが一一世界と,一つの視点から過労の眼によって
査められている世界との聞の関係はたいていはっきりと認められる,とりわけ
一つの世界から別の世界への移行はーたとえば『村医者』において見られるが,
失望して眠り込んだ男が義務を果たすのを怠り,文字通り『張り詰めすぎた』
医者が絶望的に天井の低い豚小屋の戸を蹴り開げる個所がそうである。 J (B
2
9
) しかしテキストでは「ぽうっとして J ,-思い悩んで J (
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)の
2語が主人公の心理を暗示するのみで,現実の世界から非現実の世川界へ移行す
るのがはっきり感じ取られるわけではない。むしろ極めて自然に馬が登場する
と感じられるし,-私」が何も驚かないので,読者もまたこの事実を主人公と共
に受け入れるのである。この物語の末尾において「この世の車をこの世ならぬ
馬にひかせて J (
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1
2
8
)とあるが,
これは極めて明瞭にこの現実と非現実の世界が交差していることを示している
一句と言えよう。
この複雑に構成された物語を語り方の特徴を取り出すことによって,この物
語の意味するものに近づけるかどうか試みてみよう。
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5
フランツ・カブカの物語『村医者』の解釈
患者の家に向けて出発する前に
結局馬丁は家に残り
-7-
r
私」は娘を馬丁から守るべく振る舞うが,
r
私」は娘が身を守ろうと家のなかに駆け込むのを見なが
ら,出発せざるを得ない。ここで「私」と馬丁とのやり取りは直接話法で書か
れており劇的な効果を挙げている。またここで娘の名がローザであることが「一
緒には参りませんぜ。ローザ、のところに残るんで J (E1
2
5
) という馬丁の言葉
R
o
s
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)という名は物語中に数回,医者がロー
で読者に知らされる。このローザ (
ザ、を犠牲にしたことを後悔する文のなかに現れるが,このローザ (
R
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a
)はまた
r
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)であるという描写に現れている。そしてこのパラ色 (
r
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)と
傷がパラ色 (
R
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s
a
)と記されている。傷すなわち Rosaと
いう語は文頭にあるため大文字で (
解することも可能となってくる。
馬車が出発する場面および患者の家から帰る場面を見てみよう。「馬車は木が
流れにさらわれるように急に走り出す,男が家のドアに襲いかかりめりめりと
破れ砕ける音がしたかと思うと突然私の眼と耳は五感のすべてを同じように圧
倒する速度と轟音に満たされてしまう。しかしそれもつかのま家の門のすぐ前
に患者の門が聞いたようにもう私は着いている,馬は静かに立ち雪はやみあた
2
5
)1
0マイル離れているはずの患者の家に一瞬にし
りは一面に月の光。 J (E1
て到着するという超現実の場面である。これはメールヘンの特徴と言ってもよ
いものである。しかし帰宅しようとする場面では「急ぐどころか老人のように
2
5
),そして「決して家にたどり着か
のろのろと雪の荒野を進んでいった J (E1
ない J (E1
2
5
) とある。なぜさまよっているのかの理由は語られていない。こ
れも超現実的なことである。また馬について「ああ,その時,二頭の馬がいな
ないた,この騒がしいなき声は,天の配慮によって,診察を容易にするためな
2
7
) これは医者がまさに患者の脇腹に傷を見いだす
のであろう」とある。 (E1
直前のことである。「天の配慮によって J (
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)または「こ
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e
nP
f
e
r
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e
n,E128)という句は超現実性を示している
の世ならぬ馬 J (
と言ってよい。「馬」のイメージはカフカの他の物語にも現れる。例えば~'新
しい弁護士』のアレキサンダ一大王の馬が弁護士となって現代に蘇るという話,
『天井桟敷』でのサーカスの馬
w
隣り村』の馬で行く話一一当初この物語は「騎
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ー
手」であった
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6
0
6
(E4
0
0
)一一インディアンになりたいという願い』の馬,な
どが挙げられるが,肯定的,積極的なイメージである。
物語全体において語り手の思考・感情・考察と出来事の描写が織物を織るよ
うに混ざり合っているため,別の表現でいえば出来事に対して語り手が距離を
置いていないため出来事が客観的なものか主観的なものか読者には不明または
暖昧なことが多い,これはパイスナーが主張したことであるが村医者』にも
妥当することである。第 2段において患者の家での描写は「病室は息もできな
2
5
)
いほど空気が悪く,ほうって置かれたかまどの火はくすぶ、っている。 J (E1
(
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eHerdofenr
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t
) これは
長編『審判』のいたるところに現れる場面である。この場面での家族や村人と
の会話は語り手により間接的に伝えられる一方,患者の若者との会話は直接法
で語られるため際立つた印象を読者に与える。若者はベットの中で医者に「あ
なたに対する僕の信頼は小さなものです。あなたは実際どこかで振り落とされ
たのでしょう。自分の足で立っていない。助ける代わりに僕のベットを狭めて
いる。本当に目の玉をくり抜いてやりたい。 J ,-きれいな傷をもって僕はこの世
に生まれてきた。それがただ一つのぼくの授かり物だった。」これに対して医者
が若者に言う言葉には「君の誤りは全体を見ないことだ。 J ,-君の傷はそれほど
悪いものじゃない。鋭い角度から斧でニ打ちしたものだ。脇腹を向けたまま森
の斧の音を聞きのがすものは多い,まして斧が近づいてくるのは分からない。」
(E127-128) があって格言のような響きを与える。
2
5
) と「私」に取りす
この若者ははじめは「先生,死なせてください J (E1
2
7
) ,-助けてくれま
がったのであるが,-傷のなかの生き物に取り乱して J (E1
すか」と哀願する。これに先立つ個所で身震いさせられる傷の描写の際に語り
手は「哀れな若者よ,君は助からない,私は君の大きな傷を見つけた,脇腹の
この傷のために君は滅びるのだ、。」という文が地の文で語られていた。それにも
かかわらず若者に「傷はそれほど悪いものじゃない」といっており傷が癒えた
かどうかは何も語られていない。読者には傷や若者の言葉,医者の思考・省察
が言わば切れ切れの印象を与えていく。
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6
0
7
プランツ・カフカの物語『村医者』の解釈
-9-
最後の歌のあと,語り手によって総括するかのように語られる。「家の中では
あの嫌悪すべき馬丁が思うままにふるまっている,ローザ、は彼の犠牲だ,その
ことはもう考えたくない。裸のままで不幸このうえなしのこの時代の寒さにさ
らされて,この世の車をこの世ならぬ馬に引かせ年取った私はさまよってい
る
。 J rだまされた!
だまされた!
一度夜の呼び鈴の間違いに従うと一取り
E
1
2
8,Einmal
かえしはご度とつかない。」最後になって「夜の呼び、鈴の間違い J(
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tg
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u
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e
n
)とはど
ういう意味であろうか。冒頭において馬が登場するところから最後までが幻想
であるという暗示ででもあろうか。
短縮『夫婦』についてパイスナーは「この物語は内側から語られている。〔中
h-Form)で述べられている物語が何も前提していないこと,語り手
略〕私体(Ic
はその瞬間聞き手や読者よりも多くは知っていないように見えることである。
この効果の秘訣は,語り手は,過去形で語るときでも物語られることに先立っ
て存在することは決してないということである。出来事は同じ瞬間に,逆説的
に過去の形式で物語られる。出来事は,一面的だが完全に統一的な視野から物
語られており,そのような視野の中ではありがちな,ほとんど不可避的な誤解
の訂正はしないものであるーそんなことをするのは噴末なことだろう,浅薄な
謎ときだろう。」と述べており,語り手の不完全さ一語り手が知りえないことは
語らないーを説明している。この技法はほかの物語にも当然妥当すると考えら
れる。このような技法を前提に『村医者』を見れば不用意な謎ときが禁物であ
ることが分かる。不明なこと,暖昧なことは,そのまま読者は受け入れなけれ
ばならないのである。しかしこの暖昧さは,カフカの単なる技法上の問題では
なく,カフカの文学の本質に係わるものだというのがパイスナーの主張であり,
彼はカフカの日記の「文学から見れば私の運命は極めて単純だ。私の夢のよう
な内面生活を描写する性質は他のすべてのものを副次的なものに押しやってし
まった。そしてそれは恐ろしいほどいじけてしまい,いじけることをやめない。
内面生活の描写のほかには他のどんなものも私を満足させることはなかった。」
(T4
2
0
) という個所を引用し
r内面生活の描写」がカフカ文学の本質である
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-10
ー
6
0
8
香川大学経済論首長年
とする。
『村医者』は以上見てきたように日常的論理ではつじつまが合わない場面が多
く,現実の世界を思い描こうとすると理解できない。これは上記の 2つの理由,
「内面世界の描写」および技法に由来するといえる。 しかしどのような内面世
界であるかを考えることが次の段階となる。
この物語の語り手村医者は主観的に語る, その村医者の視点から語られる物
語は読者には歪んでみえる。構成の点では 2つの歌の挿入があるが, これも挿
入というより語り手に聞こえてくる歌として語られている。第 1の歌ではこれ
はイタリック体で強調されている。「衣装はぎとりゃなおしてくれる
いなら殺してしまえ
なおさな
どうせ医者だよどうせ医者だよ J (E1
2
7
)。小学校の歌
とすればまさにグロテスクというほかはない。第 2の歌も同様のものである。
語り手が明らかにほかとは異なる語り方になるのは第 2の歌のあとである。
?
」
ー
こでは夜の呼び鈴の間違いに従ったためにいつまでもさまよっている語り手の
慨嘆が描写されている。物語全体に注釈をつける印象を与えている。 しかしこ
れまで見てきたように物語は語り手によって客観的に語られているわけではな
い。読者はいわば歪んだ鏡に写された像を見ていると言ってもよい。全体は歪
んでいるが,個々の像は極めて明瞭でトある, ただそれらの像の意味するところ
は容易に把握しがたい。この物語を解釈するうえでのキーワードを挙げれば馬,
ローザ,馬丁,傷,患者の若者,村人などである。
傷のモチーフが最も重要と思われるが rきれいな傷をもって,僕はこの世に
2
8
) という若者の
生まれてきた, それがただ一つのさずかりものだ、った J (E1
言葉 rかわいそうな若者,君は助からない。私は君の大きな傷を見つけた。脇
2
7
)という医者の言葉によってこの
腹のこの花のために君は滅びるのだ。 J (E1
傷が単なる肉体的な傷ではないことが暗示されている。傷そのものの描写は非
常にリアルであるが「きれいな傷をもって J (
M
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n羽Tunde)や「こ
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)というのはイロニーであろうか。 この傷で思
の花のために J (
い浮かべられるのは『変身』の中でザムザが父親によって投げつけられたリン
ゴによって受ける傷である。 この傷を作者カフカの内面的苦悩の反映と見るこ
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0
6
プランツ・カフカの物語『村医者』の解釈
-11ー
けで作
とは間違いではないであろう。しかし伝記的事実との関連を指摘しただ
触れた 3編『十
品の本質に迫ったと言えるかどうか難しい問題である。官頭で
も,
山の訪問~ w家長の心配』が他の物語と関連があるにして
一人の息子』『鉱
特にこ
対象となった物語との関連のみから論ずるのは無理があると思われる。
かったの
れら 3編は作者が生前に短編集を出版する際に何の注釈もつけていな
学的解釈や社会
であるから。かつてカフカについては神学的解釈や,精神分析
も鋭い批判を文
学的解釈や実存主義的解釈がなされてきた。これらの研究に最
の研究がその後
献学者として行ったのがパイスナーであり,文芸学の立場から
継続さ
積み重ねられることとなった。ビンダーなどによる伝記的事実の発掘が
のなかに探す誘
れてきた。難解な作品を前にすると,謎を解く鍵を日記や手紙
場合,慎重でな
惑に駆られるが,至る所に鍵がありそうでもあるが,カフカの
ければならない。
rきれいな傷
「ノマラ色の傷 j,rローザを犠牲にする j,rこの花のために滅ぶ j,
か。ま
をもって,僕はこの世に生まれてきた」などという句が何を意味するの
た「馬」のモチーフの意味するものなど,疑問が残っているが,これは
今後の
課題としておきたい。
のア
本論では『村医者』を主として物語技法からその特色を見てきた。従来
釈を中
レゴリー的解釈に対して批判の口火を切ったパイスナー以来作品内在解
他の作品との関
心に文芸学の立場から研究が行われてきたが,カフカの場合,
ハシデイ
連,伝記的事実(日記・書簡)からの解明が試みられてきた。最近では
釈史を
ズムなどのユダヤの伝統との関連が追求されてきている。付記として解
紹介し本論を終えたい。
報告では
『村医者』について主要研究を総括したゲ、ルハルト・ノイマンによる
村医者』は失錯行動(心
多くの解釈が大きく分けて六つに分類されている。1)W
をあつ
理学用語)一一誤った自己幻想,誤った自己認識および他人の認識ーー
られる
かった物語である。テキストは権力と快楽,従属させることと従属させ
デルと
こと,というこ義的な緊張領域における社会的なアイデンティティのモ
娘の間
しての医者の役割を問題にしており,これと結びついた葛藤一一医者と
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1
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香川大学経済論叢
および医者と患者の聞の一一々文学化したものである。 2
) 物語は二つの中心
を持つ責任の決定領域をスケッチしたものである(ローザをパートナーとして
)
家庭を営む医師の立場と,患者の若者や村人と係わる社会的な行為の立場)0 3
理由もなく彼岸から現れる馬は医者に自己発見の契機を与える。家庭か社会か,
あるいは愛か死一等の決定を迫るものとして機能する。 4
) この二つの領域は
ローザ、という記号で結ぼれている。性的なものへと誘惑する女性と死へと導く
傷のごつの記号として。 5
) 夜の誤った呼び鈴についての判断は冒頭の高揚を
撤回する。医者のすべての出来事についての解釈の不確かさは最後までつづき,
「不幸な時代の寒さにさらされて」という煉獄の状態に突き落とされる。
5
)~村
医者』は,日常の中で、広がる誤った導きという心理過程を描く試み,アイデン
ティティの分散の過程を描く試みである。また自己確認あるいは自己喪失が決
定される関係領域を明らかにする試みである。たとえば家庭の領域と社会的役
)
割の領域である。(ここでは種々の領域が研究者によって提起されている。) 6
この物語は追放された者が死にたいという願望を認識しはじめる印である,と
いう考察もなされている。,-愛と死」から自己の存在を測ろうとする努力はカ
フカにとって「不犯と自殺」に終わる。7)その他;カフカによって『村医者』
において現在化された出口のない根本状況は芸術家の断念がテーマだという解
釈,社会学的,精神分析学的,心理学的,宗教的,芸術心理学的解釈を生み出
44-347)
すに至った。 (N3
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(1村医者」の訳文は城山良彦訳(集英社, 1
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9年)を拝借
一部は改変,作品名はおおむね
城山訳に従い,他の作品名も先人の訳を拝借ないし参照した)
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プランツ・カフカの物語『村医者』の解釈
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夫訳『物語作者フランツ・カフカ』せりか書房 1
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etionen.Franz Kaj加 Romane und ErzahlungenHrsgvon Michael Muller,
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