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「外光」に浸される現代性 の「典型」と「様相」

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「外光」に浸される現代性 の「典型」と「様相」
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
モ デ ル ニ テ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
――マラルメの詩論展開におけるマネ論の位置――
郷 原 佳 以
要 旨:
象徴派の詩人マラルメは、晩年の批評詩「詩の危機」(1886−1897)のなか
で、詩の言葉は「純粋観念」を放射すると述べている。このことは、マラルメ
の徹底した観念論を表すものであるといえるが、しかし、現実の具体的な事物
から切り離された「純粋観念」が、それでも何らかの詩的イメージを呼び起こ
すとすれば、そのイメージはいかにして成立するのだろうか。本稿ではこの問
いに答えるために、
「詩の危機」の当該部分の十年前に書かれた評論「印象派の
画家たちとマネ」を読解する。70年代マラルメの多岐に渡る活動や「群衆」と
モデルニテ
の関係を踏まえたうえでこの評論を読み解くことにより、そこから現代性と密
接に関わる二種類の「観念」のイメージ、すなわち「典型」と「様相」が引き
出される。そして、これらの関係性を検討することにより、最終的に、
「純粋観
念」のイメージとしての性質、および、それが「時代の危機」と取り結んでい
る関係を明らかにする。
キーワード:
マラルメ、イデア、典型、様相、モデルニテ、群衆
1 .はじめに――「純粋観念」というイメージ
1944年、
「当麻」において小林秀雄は、世阿弥の『風姿花伝』を採り上げ
ながら、
「美しい『花』がある、
『花』の美しさというものはない」1 )と断じ
たが、その背景には、日本が急速に吸収しつつあった西洋の観念論美学へ
の根本的な疑念があった。なかんずく、意識的にせよ無意識的にせよ、骨
董を愛で、美の日常性を説くこの批評家にとって警戒の対象であったのは、
次のような一節を残した象徴派詩人、ステファヌ・マラルメ(1842−1898)
の美学であっただろう2 )。
― ―
7
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
私は言う、花! と。すると私のその声は、
〔花の〕いかなる輪郭を
も忘却の中へと追いやってしまうのだが、その外側で、
〔声を聴く各自
によって〕認められるしかじかの花々とは別の何ものかとして、いか
なる花束もそこには不在の、甘美な観念そのもの〔idée même〕が、音
3)
楽的に立ち昇るのである。
マラルメ後期の批評詩「詩の危機」のうちでも、その独創性と難解さに
よってひときわ多くの読者を悩ませ、惹きつけてきた有名な一節である。
確認しておけば、ここで語られているのは、詩の言葉によって引き起こさ
れる事態についてのマラルメ独自の思想である。マラルメは、美を喚起す
る言葉の代表としての「花」という語に託して4 )、詩の言葉が引き起こす事
態をいわばスローモーションで描いてみせているのである。しかしこの一
節が容易には理解しがたいものであるのは、それが指し示す言葉と現実の
切断が、あまりに極端なものに映るからである。その極端さは第一に、
「花」
・・
という言葉が輪郭をもった現実の花、
「しかじかの花々」を追放してしまう、
というところにあり、第二にそればかりか、いかなる現実の花束からも切
り離された「観念そのもの」を立ち上がらせる、というところに表れてい
る。詩の通常の理解においては、
「花」という言葉はわれわれが知っている
何らかの現実の花との関わりにおいてあるイメージを惹き起こし、それが
ゆえにわれわれは美しい詩的イメージを愉しむことができる、と考える。
喚起力豊かな詩とは、それだけ多くの「花束」を浮かび上がらせてくれる
詩であるだろう。ところがマラルメによれば、詩の言葉において「甘美」
なのは、現実と結びついたそうしたイメージではなく、現実には存在しな
い何ものかの方だというのである。「観念そのもの〔idée même〕」と呼ば
れているのがそれである。そしてこの言葉は、上記の一節の直前に登場す
」という語を引き継いだものである。マラルメ
る「純粋観念〔notion pure〕
は一つ前の節で、まず言葉の働きを、「自然の一事象を、[…]それがほと
んど消滅するに至るという振動に置き換えてしまうという、驚異すべき営
為」と定義したうえで、しかしそれは、
「手近にある具体的なしかじかの事
物の記憶が蘇ってくるという気詰まりなどはなしに、純粋観念が放射され
るためでないとしたら、そもそも何の役に立とうか」5 )と問いかけて、詩の
作用を指し示しているのである。詩を書き、読むことにとって、
「しかじか
の事物の記憶が蘇ってくる」ことは「気詰まり」であり、意味があるのは、
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関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
そこから「純粋観念」が放射されることに他ならない、とまで明言するマ
ラルメの詩学は、なるほど徹底した観念論であり、そこからは、「美しい
『花』はない、『花』の美しさというものがあるだけである」という声が聞
イデアリスム
こえてきそうにも思われる。そもそも「観念論」とは、マラルメ自身が同
じ「詩の危機」において、象徴派の立場を名づけて用いている言葉でもあ
り6 )、マラルメの詩学が観念論であることに疑いの余地はない。パノフスキ
ーが示したように、イデアと芸術のプラトン的な関係は早くもアリストテ
レスからキケロへの流れにおいて反転し、やがては芸術理論の方が積極的
にイデア論を掲げるようになったのだとすれば 7 )、マラルメという詩人も自
・・
らの芸術にイデア論を要請したのだといえる。しかし詩が「純粋観念」を
放射すると言われるとき、問われなければならないのはその観念論の性質
である。いったい詩において、「純粋観念」はいかにして可能となるのか。
われわれは本稿で、この問いを、「純粋観念」はいかなるイメージなのか、
と言い換えて追求してみたい。この問いかけの意味を示すために、まずは
「詩の危機」の断章をもう少し辿ろう。
上記の節を挟むようにしてその前後に置かれているのは、これもまたよ
く知られた、
「言葉の二つの状態」をめぐる断章である。マラルメはそこで、
言葉には一方に、「群衆がまずそれを取り扱う」、「貨幣を交換するように」
「思考を交換するには十分な」
、
「報道」の言葉のような「なまの状態」があ
り、他方に「本質的な状態」がある、と考えることが、
「現代の否定しえな
い欲望」であると指摘した 8 )。この指摘は、愛弟子のヴァレリーによって、日
常言語と詩的言語の峻別の提起として受け止められ 9 )、爾来、マラルメにと
って詩の言葉とは、報道のようなコミュニケーションのための言葉とは本
質的に異なる位相にあるものと考えられてきた。この解釈に従えば、言葉
の本質的な状態に関係するのは詩人のみで、「群衆」はそれと無縁である
ことになり、詩人の貴族主義がここに証されることになろう。しかしわれ
われは別稿で、モーリス・ブランショの所論に拠ってこの解釈に異論を呈
し、マラルメの眼目は言葉を二つに分けることにはなく、むしろマラルメ
の詩学によれば、詩の言葉はコミュニケーションにおいて起こっている事
態を浮き彫りにするのだと論じた 10)。というのも端的にいえば、マラルメ
は上記のように、言葉の働きを、
「自然の一事象がほとんど消滅するに至る
という振動」と捉えるわけだが、これ自体がまさしく、現実物を否定して
抽象化、すなわち観念化する作用の謂いだからである。この観念化作用は、
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モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
ヘーゲルが明らかにしたとおり、日常言語と詩的言語とを問わずすべての
言語が備えている作用なのであって 11)、マラルメはそのような言語の作用
を認めたうえで、詩はそこから「純粋観念」を引き出すと言うのである。
だとすれば、詩が行うのは、言語がつねに行っている抽象化・観念化作用
イデア
をさらに極限まで推し進め、言語から生ずる観念がもはやいかなる現実物
――「しかじかの花々」「しかじかの事物」――の輪郭をも持たない「純粋」
なものとなる地点にまで至らせることであろう。しかし、ならば詩はいか
なるイメージも喚起しないのだろうか。そうではないだろう。詩が「純粋
観念」を放射するとすれば、それは詩が、いかなる特定の現実物のイメー
ジでもないようなイメージ、いわば、イメージの零度を差し出すことなの
である。そしてそれが、マラルメの考える詩的イメージでもあるだろう。
では、
「純粋観念」とはいったいいかなるイメージなのか。これが本稿の問
いである。
本稿では、この問いに答えるために、マラルメが上記断章の十年前に発
表したマネ論を検討する。それは何よりも、マネを印象派の首領と見做し
てその絵画表象の問題を論ずるこの評論が、
「外光」
、
「典型」
、
「様相」とい
う三つの鍵語を通して「純粋観念」のイメージという問題に光を投げかけ
てくれるように思われるからである。後に見るように、そこからは二種類
のイデアが抽出されることになるだろう。しかし、この評論を読解する理
由はそれだけではない。さらなる理由は、上記の鍵語の影に隠れているあ
る主題が、マラルメの後期詩論全体を照らしてくれるように思われるから
である。その隠れた主題とは、上記の引用にも登場した「群衆」である。
「群衆」が、ワーグナーに対抗して壮麗な舞台芸術作品を構想した後期マラ
ルメの中心的主題であったのはよく知られるところだが、詩人が現実の群
衆を目にしたのは、1870年代のパリにおいてであった。このこと自体はす
でに繰り返し語られてきたことではあるが、マネ論検討の前提として、先
行研究に拠りながら、次節でまず詩人の群衆との出会いを整理しておきた
い。
モデルニテ
2 .1870年代のマラルメ――現代性と群衆の発見
マラルメ研究において、精神的危機の中で書かれた1860年代の詩や80−
90年代の難解な詩論から従来引き出されていた「孤高の詩人」という詩人
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関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
像は、詩作において相対的に沈黙していた70年代マラルメについての実証
的な研究が進むにつれて徐々に払拭されてきたといえる。というのも70年
代の詩人は、地方の高校で英語教師をしながら詩作を行うというそれまで
の生活に飽きたらず、文化発展著しいパリに居を構えて交際を拡げ、積極
的に書斎から出るばかりかたびたび国境を越え、詩作以外の活動に次から
次へと手を出したからである。詩作以外の活動、それはロンドンでの万国
博覧会取材、
「新聞」への報告記事執筆という「ジャーナリスト」活動であ
り(1871,72)
、その際に火が付いた装飾芸術への関心から生まれた美術雑
誌(
『装飾芸術』
)の構想であり(1872)
、都市生活で育まれた服飾流行への
関心から生まれたモード雑誌(
『最新流行』
)の発刊であり(1874−75)
、パ
リの文学・芸術関連ニュースを英国の読者に伝える短信(『アシーニアム』
誌「消息」欄)の連載であり(1875−76)
、マネを始めとする最先端の画家
12)
。80−90年
たちとの交友から生まれた美術批評の執筆である(1874,76)
代に著名となる「火曜会」
、すなわちローマ街89番地の自邸での集いもその
13)
。このように70年代の
原型は70年代に始まっている(当初は木曜日開催)
マラルメは、
「孤高の詩人」どころか軽快に街を闊歩する行動の人であった
のだが、興味深いのは、これらの多彩な活動が一つ一つ連動しており、そ
モデルニテ
のいずれもが都市の現代性と密接に結びついていることである。当時のパ
リは、67年の万博を背景に開発が進み 14)、71年のパリ・コミューンで打撃
を蒙った後も毎年数万人単位で人口が膨れ上がり、それに伴って交通網も
整備され、カフェやサロンも活況を呈していた。なるほどかつて、20歳の
詩人は「芸術の異端」の中で、
「選ばれた者」のための詩が大衆に読まれて
「名前も顔
しまうことに不安を表明し 15)、また60年代後半の精神的危機も、
もわからぬ大衆」への恐怖に拠るものだったとも言われる 16)。しかし、70
年代に都市ブルジョワジーの生身の姿を、そして彼らが何を読み、いかな
る文化に触れているのかを目の当たりにして、詩人は変わる。実際、都市
において整備されたのは交通網だけではない。情報網、すなわちメディア
環境も大きく変化していた。人々が読むのは「新聞」という印刷物であり、
そこでは一枚の大きな紙面の上に様々な記事や大衆的な小説が併存し、し
かも離れた場所で同時に同じ記事が読まれるということが起こる。またブ
ルジョワが都市生活の主役となるに伴い、芸術の形態や主題も変容してい
た。もちろんこれらの変容――群衆の擡頭と芸術の通俗化――はすでに60
年代には起こっていたことであり、詩人も頭ではそれを知っていたのだが、
― ―
11
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
・・・・・
ボードレールが描いた人口過剰の大都市の中に入ってようやく思考の転換
を促されたのである。つまり、ものを書くという営みがとりもなおさず読
者の存在を必要とする以上、この圧倒的な群衆の存在を無視して内的な沈
潜を続けることは無意味だと悟らされたのだ。それゆえ詩人の著述形態は、
70年代に大きな転機を迎える。芸術と群衆の接点を探るため、その著述活
動はいったん詩作を離れ、「ジャーナリズム」という伝達形態――「詩の危
機」の従来の解釈では、
「本質的な状態」と峻別される「報道」の言葉だ――
に踏み込む。実際それらの記事の一部は、詩人マラルメとしてではなく一
記者として、偽名で書かれたものである。しかしそれらの経験は、形式的に
も思想的にも深化されて、80−90年代の「批評詩」に結実してゆくのだ 17)。
したがって、時代の中に身を浸した70年代マラルメの多彩な著述を前にし
て為すべきは、それらをマラルメの詩論展開の一階梯、さらには「美学的
な可能性の条件」18)として捉え直すことである。
さて、芸術にとっての群衆の重要性を暗示する最初の指標が現れるの
は、ロンドン万博の報告記事においてである。万国博覧会、それはベンヤ
フェティッシュ
ミンによれば、「商品という物 神 への巡礼所」、「商品の交換価値を美化す
「貨幣の
る」19)場所だ。交換価値ということからまたもや想起されるのは、
ように思考を交換する」
「報道」の言葉である。マラルメは交換価値が美化
される場へ、自ら志願して乗り込んでゆくのだ。彼は71年 8 月にパリの四
・・
・・・・
つの新聞と特派員契約を取り付けてロンドン万博を取材し、L. S. プライス
――「価格」という意味の英単語であることはいうまでもない――名義で
『ナシオナル』紙に報告記事を発表し、翌 5 月と 7 月には再びロンドンに出
向き、今度は『イリュストラシオン』紙に報告記事を発表する。そこで詩
人が発見するのは何か。装飾芸術である。一年目にはまだ曖昧だが、二年
目の報告では 20)その擡頭が高々と宣される。「〈大芸術〉は、われらの内密
なるアパルトマンから、ただ〈装飾〉だけの抗い難い力によって追い払わ
れました」21)。装飾芸術とはこのように、〈大芸術〉と対をなすいわば小文
字の芸術であり、官展という公的空間ではなく、個々人の生活が営まれる
アパルトマンという私的空間に、日常に彩りを添えるべく置かれる調度品、
つまりは日常に美を求める芸術である。その擡頭はしたがって、芸術にお
モデルニテ
ける現代性の勝利を意味する。装飾芸術に対するマラルメの関心の高さは、
結局頓挫はしたものの、この 5 月まで『装飾芸術』という表題の雑誌を構
想していたこと、またこの企画が潰えた後に実現した個人雑誌『最新流行』
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関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
の創刊号で、
「
〈装飾〉! すべてはこの言葉に含まれております」22)と書い
ていることに明らかである。ブルジョワの日常生活に密着した美へのこう
した関心は、マラルメの観念論がけっして単純なものでないことを暗示し
ている。詩人は1878年と89年のパリ万博にも、喜び勇んで通うことになる
だろう 23)。
芸術にとっての群衆の重要性が次に訴えられるのは、マネ擁護の論陣に
おいてである。1873年以来、近所にアトリエを構えるこの当代流行の画家
と友情を深め、授業帰りにアトリエに立ち寄るのを日課としていた詩人は、
74年に画家の新作三作のうち二作が官展に出品拒否されたことを知ると義
憤に駆られ、審査方針を問い質す抗議文を『文芸復興』誌に発表する。
「1874
年の絵画審査委員会とマネ氏」と題されたこの文章における群衆への信頼
はほとんど盲目的といえるものであり、そこで群衆はあらゆる意味におい
て芸術の主役である。というのもマラルメが第一に非難するのは、二作を
拒否し一作を採ることにおける審査委員会の権限行使のあり方なのである。
マラルメにいわせれば、新たな才能を全面的に知ることは群衆の権利であ
り、一部だけ認めるというのは卑劣な権力行使である。
「群衆はそれほどま
・・・・・・・
でに主権者なのであって、あるものすべてを見たいと要求してよい。[…]
タブローの一枚でも隠すことは禁止」
。ではなぜ群衆はそれほどまでにすべ
てを見る権利をもっているのか。それはなぜなら、群衆こそが現代絵画の
主題だからである。
「群衆や個人の本能に関わるものについてはすべて、栄
光と銀行紙幣とによって支払う群衆こそが、自分の与える紙切れや自分の
発する言葉にそうしたものが値するかどうかを決めるべきなのだ」24)。現代
絵画は「公衆の多様な個性の直接的再現」である以上、群衆は「鏡」25)を
見るようにそのすべてを見る権利をもっており、その絵画を評価するか否
かを決めるのも群衆なのだ、というのがマラルメの、結局は審査制度その
ものを否定するのだから過激な論理であり、阿部良雄が指摘するように、
ここではボードレールにおける以上に群衆に「能動的な」役割が与えられ
ている26)。ともあれ以上から押さえておくべきは、マラルメが群衆を現代
絵画、とりわけマネの絵画にとっての二重のサブジェクトと捉えているこ
とである。すなわち群衆はマネの絵画に描かれた主題である、と同時にマ
ネの絵画を見るべき主体でもある。現代絵画は群衆をモデルとし群衆を宛
先とするのだ。
「群衆に対しては何も隠すことはできない、というのもすべ
ては群衆から発するのだから」27)。ではすべての源泉はいったいどのように
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モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
描かれるのか。それが示されるのは具体的な作品分析においてであるが、
マラルメは不採用となった《オペラ座の仮面舞踏会》と《燕》について、そ
れらが審査員に不安を与えたであろう点を列挙して、逆説的にその現代性
を明らかにしてゆく。すでに柏倉康夫等によって的確に論じられているの
で贅言は避けるが、本稿の主題に関係する限りで確認しておけば、
《オペラ
座》に関してマラルメが、そこに描かれた人々の「いかなる時代のもので
もいかなる場所のものでもないぽかんとした身振り」、「黒い燕尾服を基調
とする単調さ」、そしてその「制服」のうちに見出された「甘美な色階」28)
を指摘するとき、そこで示唆されているのは、個性を失い大勢の中の一人
としてしか存在しえない群衆の無名性というボードレール的主題である29)。
さらに、
《燕》に関しては、二人の婦人を取り巻く「大気」の広大さ、そし
て最初に感じられるものとして「外光の印象」30)が指摘されていることに
注目しておこう。
その後のマラルメは、ロンドンの編集者アーサー・オショーネシーとの
縁で得たイギリスの文芸誌『アシーニアム』の連載枠でマネ擁護を続ける
ことになる。マネに触れた原稿は三つあるが、注目すべきはそのすべてに
おいて、1876年の官展で斥けられた《洗濯》(Fig. 1 )が称賛されているこ
とである。この絵は現代美術の未来にとって決定的な日付をなす、と筆者
は言うのだが、それはなぜなら、そこに描かれた婦人や子ども、リネン類
・
などがすべて、「大気」の中で「外
・・・・・・ 31)
「若
光に浸されて」 いるからである。
い婦人の身体は光によってすっかり浸
され、まるで吸収されてしまっている
かのようであり、光は彼女の堅固であ
・・
ると同時におぼろな様相しか見せてく
れないが、それは今日フランスにおい
・・
て誰もが目指している外光〔技法〕に
よるものである」32)。「誰もが目指して
いる」という言い方で暗示されている
のは、戸外制作を特徴とする印象派の
ことであり、ここでマラルメはマネを
印象派の「先頭」33)と見做しているの
である。ところが『アシーニアム』編
― ―
14
Fig. 1
洗濯
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
集部はこの新しい画家に好意を抱いていなかったため34)、三つの原稿のう
ち掲載されたのは一つだけだった。この処遇に当然マラルメは不満を抱い
たが、やがて事情を知るオショーネシーの配慮によって、美術雑誌『アー
ト・マンスリー・リヴュー』からマネ論の依頼が届く。そうして書かれた
「様相」と「外
のが「印象派の画家たちとエドゥアール・マネ」である35)。
光」を強調する上掲の一文は、ここに十全に展開される場を得たのである。
3 .マネ論の構成――肖像画家マネから印象派の首領マネ、そして印象派へ
最初に断っておけば、この評論についてのわれわれの読解は、マネにつ
いての何がしかの知見を得るためのものではなく、あくまでも冒頭で立て
た問い、すなわちマラルメの「純粋観念」とはいかなるイメージか、とい
う問いに答えるためのものである。もちろん、この時代にあって《オペラ
座》の黒の色階に新たな芸術の甘美さを見出したマラルメの慧眼は疑うべ
くもない。しかし、マネを見る目に一定の偏りがあるのも事実であろう 36)。
実際、マラルメは一貫してマネを印象派の首領と位置づけているが、確か
にマネは若い印象派の画家たちを支援はしたものの、印象派が排除した黒
色を使用し、筆触分割には特に関心を示さず、後期に至るまで戸外制作は
行わず、また官展に固執し続け、
「印象派展」には出品しなかった 37)。マラ
ルメはといえば、明らかに前期よりも後期のマネにより大きな関心を寄せ
ており、なかでも《洗濯》を特権視しているが、この作品はマネの印象派
的絵画ではあっても、必ずしもマネの作風からしての代表作というわけで
はない。1874年の官展では、
《洗濯》と共に《芸術家(マルスラン・デブー
タンの肖像)
》も落選となり、その後いずれも個展で展示されたが、マラル
メは、より伝統的な様式をとった後者には触れていない。とすれば、ここ
には詩人自身の印象派への傾倒が表れていると見るべきだろう。しかしな
がら、われわれがこの評論に注目するのは、むしろマラルメがそこで、独
自の力業によって、印象派以前のマネと印象派的なマネを結びつけようと
するからなのである。肖像画家としてのマネでも、モネ等の印象派でもな
く、
「印象派的なマネ」にこそ一篇を捧げようとすること、その選択にこそ、
マラルメ自身の美学が反映しているように思われるのだ。以下の読解は最
終的に、この選択の理由を突き止めることになる。問題の在処を明らかに
するために、まず評論の構成を概観しておこう。
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モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
マラルメは冒頭、大勢に反してマネを評価した見識ある者として、
「わが
国最後の大詩人」ボードレール、そしてゾラの名を挙げ、彼らの延長線
上に自らを位置づけたうえで、マネを印象派という「党派」の首領、すな
わち官展に対する「闖入者」として位置づける。したがってこの評論は
冒頭から、旧弊な美学と新たな美学との些か不穏な対立図式を強調してい
るのだが――筆者はたびたび「印象派」の旧呼称「非妥協派」を想起させ
る――、その文脈で登場するのが「危機」という言葉である。この言葉は結
論部で再び繰り返し現れ、そこでは「現在の危機――〈印象主義者たち〉の
出現――」38)という仕方で印象派と「危機」が明確に同一視されるだろう。
パスカル・デュランが指摘するように、
「危機」という語はこの評論によっ
てマラルメの批評語彙のうちに入ったのであり、この評論と「詩の危機」とを、
同時代の芸術に、一方は写実主義の危機としての「表象の危機」を、他方
は定型詩の危機としての「詩の危機」をそれぞれ見出す「インターテクス
ト」であると捉える視点は的確なものであろう 39)。さて、そのうえでマラ
ルメは本論に入ってゆくのだが、マネに関する考察は、ややバランスには
欠けるが、分析の方向性から二段階に分かれるように思われる。その前半
で採り上げられる作品は印象派以前のものであり、より長い後半で採り上
げられるのが印象派的な作品である。とはいえ以下で見るように、その境
界は甚だ曖昧な仕方でぼかされている。そしてマネに関する考察の後半部
は、マネの影響を語りながらいつしかその弟子としての印象派の画家たち
――モネ、シスレー、ピサロ、ベルト・モリゾ、ルノワール、セザンヌ―
―の画風をめぐる分析へと移ってゆく。そして最後の数段落は全体の結論
に割かれるのだが、そこで提示されるのは、政治の世界への群衆の擡頭と
芸術の世界への印象派の擡頭を、現代という「時代の危機」として重ね合
わせてみる視点である。このように、全体として見るならば、この評論の
本論部は、1 )印象派以前のマネ、2 )印象派的なマネ、3 )印象派、とい
う構成になっている。われわれの最大の関心は、1 )から 3 )へと接続す
る 2 )の部分にある。
4 .「典型」あるいは第一のイデア――抽出する〈鏡〉
それでは、マネに関する考察を検討することにしよう。まず初めに、私
的な会話におけるマネ自身の言葉の紹介というかたちをとって、カンヴァ
― ―
16
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
スに向かう画家の個の消滅と、その目と手の働き方が語られる。画家の個
の消滅については、すでに繰り返し指摘されているように 40)、60年代後半
の精神的危機を振り返る詩人自身の有名な言葉が思い起こされる。
「しかし
幸いなことに、僕は完全に死んでしまった。[…]白状すると、[…]僕に
はまだ、思考するためにはこの鏡に映っている自分を見つめる必要がある
のだ。もし鏡が、この手紙を書いている机の前になかったならば、僕はまた
〈虚無〉となってしまうかもしれない。これはつまり、今や僕は非個人的で
、もはや君の知っていたステファヌではない、そうではなく、
〔impersonnel〕
かつて僕であったものを通して自己を見、自己を展開させてゆく〈精神の
宇宙〉が所有する一つの能力である、と君に知らせることでもある」41)と、
詩人は約十年前に親友のアンリ・カザリスに伝えたのだった。精神的危機
の帰結として感得された詩人の個としての消滅は、いうまでもなく、後年
の「詩の危機」における「純粋な作品は詩人の語り手としての消滅を必然
の結果としてもたらす」42)に繋がるマラルメ詩学の根本理念であり、付言
すれば、20世紀文学理論の一つの淵源でもある。では、画家の個性を離れ
てその目と手はどのように動くのか。マラルメは言う。
「なるほど手は、す
でに身につけている操作の秘密のいくつかを保存しようとしたがるであろ
うが[…]
、目は記憶から自らを解き放って、初めて見るかのように今見る
もののみを見なくてはならない。手は先立つ熟練のすべてを忘れて、意志
のみによって導かれる非個人的な抽象作用〔impersonal abstraction〕とな
らなければならない」43)。画家の手は非個人的に、つまりけっして画家の個
を反映させることなしに、目が初見のものとして出会った対象を「抽象化」
する。
「イデア化」と言い換えておいてもよいだろう。描く画家の身体――
もはや主体という言い方は相応しくない――も描かれる対象も過去を捨て
てただ現在においてのみ向かい合う、という現代絵画の特徴がここに浮き
彫りにされている。非個人的なものが有するこの強い抽象化作用は、74年
の抗議文における「賢者の視線によってもたらされた単純化」44)に通じて
おり、この評論でも後に、マネは「彼自身の内面の意識から単純化の効果
のすべてを引き出している」
、また逆説的にも「特異性というものを廃棄す
るがゆえに特異である」45)、といった表現で再び指し示されることになる。
しかしマネの目と手は、いったい何を「抽象化」するのか。
先に述べたとおり、マラルメはまずマネの初期作品を問題にする。マネ
の初期作品の画風はベラスケスとフランドル派によって形成されたと指摘
― ―
17
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
した後で、マラルメはしかし「画家
の見解がもっとも明らかに表れるの
は主題の選択である」46)と述べ、そ
のことを示すために、初期作品の一
つとして、《オランピア》(Fig. 2 )
を採り上げる。マラルメが暗示して
いる「主題」とは、当時のマネの支
持者としてボードレールの名が挙が
Fig. 2
オランピア
っていることからしても、端的に
モデルニテ
現代性、すなわち都市の群衆であろう。では、ティッチアーノの《ウルビ
ーノのヴィーナス》などの伝統的構図を元にしながらヴィーナスを娼婦に
代えることで1865年に大スキャンダルを巻き起こしたこの絵画(制作は1863
年)について、詩人は何を語るのだろうか。ところがこの絵はあくまで「主
題の選択」の例にすぎないのか、詩人は作品の細部については語ることな
く、ただ、そこに描かれたものはすべて「真実」だと言うばかりなのであ
る。しかし、描かれたものが「真実」であるとはどういうことだろうか。
この問いに示唆を与えてくれるのが、次の段落でマラルメが用いる「典型
〔type〕」という語である。
マネの作品はわれわれ皆を、長いあいだ隠されていた何かかが突如
として露わにされたように、驚かせたのだ。人の心を虜にすると同時
に嫌悪させもし、常軌を逸して新しい、といった、彼がわれわれに見
せてくれた諸典型は、われわれを取り巻く生活の中で必要とされてい
たのであった。
[…]しばしばそれらの典型は、人物の相貌の独特さに
よって注意を惹きつけ、他方、彼自身が理解させようとしていた空間
と光の法則を引き立たせるために、他の者なら捉えたでもあろういく
47)
つかの二義的な細部を半ば隠したり、犠牲にしたりする。
前の段落で《オランピア》が問題になっていたことを考えれば、長い間
隠されていたものが露わにされたかのように人々を驚かせたというのは、
マネの絵が伝統的な構図を借りながら、そこに神話的人物の代わりに現代
に生きる人々を描き込んだことを指すものだろう。そこに描き出されたの
は、理想化された神話的形象ではなく、現実的な「相貌」や体
― ―
18
をもった
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
人物、また衣裳や調度品であった。マラルメはそこに「典型」を見る。とは
いえすでに指摘されているように、
「典型」とはマネ自身がアングルの《ベ
ルタン氏の肖像》や自らの《マルスラン・デブータンの肖像》について語
りながら用いていた言葉であり 48)、マネがモデルを用いながらも個人を超
えて、ある時代にある属性(芸術家、悲劇俳優、娼婦、パリジェンヌ等)
を共有する人々の「典型」を描こうとしていたことは検証されている 49)。し
たがって、マラルメの「典型」は、マネの野心を的確に汲み取ったがゆえ
に用いられた用語にすぎないともいえる。しかしながら、この段落を前後
の文脈の中に置き直してみるなら、この用語に込められた思想がもう少し
見えてくる。まず評論の冒頭で、画家の手が行う営みが「非個人的な抽象
作用」と形容されていたことを思い起こそう。そこで確認されるのは、非
個人的となった画家の手によって、現代に生きる群衆の抽象化としての、
やはり非個人的な「典型」が描き出されるということである。実際、
「典型」
とは、どこにでもいそうでありながら実のところそのものとしてはどこに
も現存しない、芸術家なら芸術家、娼婦なら娼婦の「イデア」であるとい
える。プラトンの「イデア」が感覚では把捉不可能であり、ポオの「群衆
の人」やボードレールの「通り過ぎる女」が彼(女)を追いかける語り手
・・・・
の視線を逃れ去ってゆくように、
「一時代の典型」そのものを街路に掴まえ
ることはできないはずである。もちろんここで想起しなければならないの
は、
「流行から、それが歴史的なもののうちに含みうる詩的なものを、一時
的なものから永遠なるものを抽出すること」50)という、ボードレールによ
モデルニテ
「現代的なものが古代的な
る芸術の現代性の定義であろう。絵画において、
ものとなる資格を得るためには、人間の生が意欲することなくしてそこに
・・・・・・・・
こめる、不可思議な美しさが抽出されているのでなければならない」51)と、
モデルニテ
このマネの親友は述べていた。現代性の芸術に求められるのは、一時的で
ありかつ永遠であるという逆説的な何ものか、つまりは一時代に特有の「不
可思議な美しさ」を「抽出する」ことなのである。目の前の現実そのもの
モデルニテ
ではなく、徹底的な観察の果てに幻視されるべき現代性 52)の「不可思議な
美しさ」、このようなイデアこそが問題であるのはいうまでもない。
ボードレール、マネ、マラルメがこのように「典型の抽出」を現代芸術
の使命とすることにおいて共通していたとして、マラルメはボードレール
のいう「不可思議な美しさ」を「真実」と呼ぶ。上記の箇所以外でも、マ
ラルメはさかんにマネの絵に描かれたものの「真実」性を強調している。
― ―
19
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
ところがその「真実」は、誰の目にも見えるというわけではないようだ。
74年の抗議文において、群衆がマネの絵の二重のサブジェクトであったこ
とを思い出そう。マラルメはこの評論でも、上記の引用に続く箇所で観者
の位置を群衆に与えるのだが、しかしマネの絵が相変わらず無理解に晒さ
れているのを痛感したためでもあろう、74年に群衆に与えられていた全面
的な信頼はここではやや抑えられている。というのもマラルメは、群衆は
まだその「真実」を見ることができないというのである。しかし、マネが
今後も制作を続け、群衆の目を教化するならば、そのとき初めて群衆はそ
の「真実」を感知することができるようになるだろうという。では、その
ときに見えてくるものとはいったい何なのか。それはマラルメによれば、
「健康で堅実な、あるがままの姿の人々の真の美しさ」
、
「ブルジョワジーの
中に存する優美さ」53)であるという。確かにマネが描いているのは、神話
的に美化されたモデルではなく、人々の「あるがままの姿」であり「現実」
である。しかしマラルメに従えば、マネの絵のうちに見出すべきは群衆の
現実の姿のうちに存する美という「真実」なのである。この文脈で美とい
う概念に訴える身振りは、やはりボードレールから受け継がれたものであ
ろう。ボードレールは現代人の画一的で陰気な衣服にも美しさがあると主
張した詩人である。
「黒い燕尾服やフロックコートは普遍的な平等の表現と
いうその政治的な美しさをもつだけではなく、公衆の魂の表現というその
詩的な美しさをもつことに留意していただきたい」54)。とすればマラルメ
モデルニテ
は、ここでもボードレールの現代性の美学を忠実に継承しているのだとい
える。ただしその美を指摘するに留まらず、それを群衆自身が的確に看取
しうるか否かという問題の方により執着を示す。そしてその問いに、悲観
的かつ楽観的な答えを出すのである。すなわち、現在の群衆には看取でき
ないが、未来の群衆にはそれが可能だ、と。要するに、群衆はマネの絵の
二重のサブジェクトであり、そしてマネの絵は特定のモデルを写実的に描
いた絵画ではなく、群衆を抽象し、「群衆そのもの」ないし「群衆の真実」
を「典型」として抽出したものであるのだが、ただし群衆はいまだそれを
「鏡」として受け止め、自らのイデアをそこに見出すことができていない、
しかし未来の群衆にはそれができるだろう、というわけである。
芸術のうちに自らの鏡としての「典型」を認めることができる未来の群
衆。この構造から想起されるのは、第一に、この十年後に書かれることに
なるワーグナー論で構想される「未来の〈舞台芸術〉」55)における〈典型〉
― ―
20
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
であり、第二に、そのまた十年後に書かれることになる「限定された行動」
における次の言葉であろう。
「いかなる現在も存在などしない……。
〈群衆〉
が真価を現すということが欠けている、つまり――、一切が欠けているの
だから」56)。前者の方から確認しておくならば、マラルメは1885年、隣国の
作曲家への羨望と対抗意識を滲ませた論考「リヒャルト・ワーグナー 一
フランス詩人の夢想」において、ゲルマン神話に依拠したワーグナー作品
に対置する形で、
「いかなる特定の国民のものでもない祝祭」57)を構想する
のだが、その祝祭を可能にするのは群衆の存在であり、その舞台上に召喚
されるのは〈典型〉なのである。
〈演劇〉が呼び出すのは[…]一人だ、人格〔personnalité〕から解
・・・・・・・・・・・・・・
放された一人の者だ、というのも彼はわれわれの多様な様相を構成し
・・・
ているからだ。
[…]それは、そこから驚きが発散するために、前もっ
て名づけられていない〈典型〉である。彼の身振りは自分に向かって、
・・・・・・・・・・・
風景や楽園についてのわれわれの夢を要約する[…]
。彼が具体的な何
者かだって! この舞台にしたところで、どこか具体的な場所ではな
い。
[…]象徴の開花とかその準備といった精神的な事柄が、それが展
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
開するための場所として、群衆の視線によって投げかけられた虚焦点
以外の場所を必要とするだろうか。それは〈至聖所〉には違いないが、
・・・・・・・・
心的なそれだ……。そのとき、
〈何者でもない形象〉が目覚めるその何
か至高の輝きの中に到来するのは、
[…]58)
このように、
〈典型〉とは未来の群衆が一体となって注視するある虚構的
な場に登場し、とはいえ通常の舞台作品で登場人物に付与されるような性
格を一切奪われた非個人的な形象であり、そしてその形象は「われわれの」
、
ということは少なくともここでは詩人自身をも含めた群衆の「多様な様相
を構成」し、またその「夢を要約」するのである。すなわちそのとき群衆
は、自分たちを抽象的に映し出す鏡としての〈典型〉を見つめるのである。
だとすればこの〈典型〉が、十年前にマネの絵に透視された群衆の「真実」
としての「典型」を発展させたものであることに疑いの余地はないだろう。
そしてこの構造は、以後90年代初期まで形を変えて試みられる祝祭構想 59)
において維持されることになる。したがって、後期マラルメの祝祭論は、
マネ論における作品と群衆の関係性をすべて取り込んだ形で改めて展開さ
― ―
21
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
れているということができる。つまり、マラルメの構想する舞台空間にお
いては、群衆というマネの絵の二重のサブジェクトが、自らのイデアとし
ての〈典型〉と、見る主体となった観客とに分離しながら対峙し、互いに
支え合いながら存在するのである。しかしながら、先に引いた「限定され
た行動」の一節から窺えるように、結局のところ、1895年に至っても、詩
人にとってそうした群衆が現実のものとなることはない。来るべき祝祭は
永遠に来るべきものとして、未来に先送りされることになる。時代は詩人
にとって、「〈芸術〉という君主の空位時代」60)であり続けるのである。な
お、このような特異な祝祭構想における〈典型〉という概念は、徹底的な
偶像破壊の立場に立つラクー=ラバルトによって疑念を呈されている。この
哲学者によれば、何者でもない非個人的な形象であれ、それを呈示するこ
とを芸術の使命と見做すことは、人類をたとえば民族などの集合によって
類型化しようとする「存在類型論」なのだという 61)。なるほど「典型」概
念にそうした側面があることは否定できまい。しかしここではただ、マラ
ルメにとって群衆が芸術の二重のサブジェクトであったことをもう一度強
調しておくに留めよう。
さて、ここでわれわれの出発点となった問いを思い出そう。1886年に書
かれた「詩の危機」の一節における「純粋観念」とは、以上にその構造を
辿ってきたところの「典型」なのだろうか。確かに「典型」は、具体的な
何者でもない非人格的なイデアであるという意味では、詩が放射すべき「純
粋観念」であるようにも思われる。しかし答えを急ぐ代わりに、もう一度
マネ論に戻ろう。もう少し読み進めると、イデアをめぐるまた別のイメー
ジが現れるからである。別のイメージ、それは先のワーグナー論の一節に
」
おいて〈典型〉が一身に背負っているとされていた、
「多様な様相〔aspect〕
である。
5 .「様相」あるいは第二のイデア――輪郭の「振動的消滅」
先にわれわれは、76年の評論におけるマネに関する考察は、甚だ曖昧な
境界によってではあるが二段階に分かれると仮定した。それはなぜなら、
前半では、以上に見たように「典型」という用語が、そして後半では、主
として「外光」と「様相」という用語が、マネ作品の特徴を言い表すための
鍵概念として機能しているからである。そしてそのそれぞれに対応するか
― ―
22
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
のようにして、前半部では先に確認したとおりマネの初期作品、とりわけ
その代表としての《オランピア》が、そして後半部では後期作品、とりわけ
その代表としての《洗濯》が採り上げられている。マラルメが《洗濯》を特
権視していることは先に述べたとおりだが、実際この作品については、
《オ
ランピア》の場合とは対照的に、具体的な細部への言及がなされることに
なる。とはいえ、ここで反論が提起されるかもしれない。
「真実」をめぐる
先に検討した箇所に続く二段落においては、まだ初期作品の表題も、
「典型」
という用語も現れるからである。そこでまずはこの二段落の内容を確認す
ることにしよう。
マネは「真実」を描く、と主張した後にマラルメは、
《草上の昼食》から
時代順に八作品の表題を挙げてゆき、そしてそれらを「真に驚異的な作品」
である《洗濯》へと至る「梯子の横木一本一本」として位置づける。その
うえで詩人は、それらの「連作」において示されている画家の目標を、次
の一言によって言い表そうとする。「個性よりはむしろ典型を探し出そう、
そしてそれを光と大気に浸そう」と。先取りしておけば、
「光と大気に浸す」
ことによって生まれるのが「様相」である。そしてこう述べた直後から、
考察の重心は一挙に後者の要素、すなわち「光と大気」に移行する。実際、
詩人は続けて次のような感嘆の声を上げる。「しかもこんな大気なのだか
ら! 他のすべてのものを専制的に支配するような大気」。そして次には、
』と呼ばれるもの
「アトリエの隠語で『外光理論〔the theory of the open air〕
について註解を試みよう」62)という一文が続き、その後に読まれるのは、ま
ずその試みであり、続いて、
「外光理論」に基づいた《洗濯》の分析なので
モデルニテ
ある。そしてその「外光理論」の註解において、なぜ一方で絵画の現代性
を要請しながら他方で現代生活の大部分が営まれる室内ではなく戸外(open
air)の表象を求めるのか、という想定される反論に答えようとして論理矛
盾に陥っている 63)ことからも分かるように、マラルメがここで関心を抱い
ているのは、日光(人工の光ではなく)と大気に包まれた戸外の情景を戸
外制作によって描いた絵画に他ならず、具体的な作品としては何よりも、
戸外制作を採り入れた《洗濯》なのである。端的にいえば、
「典型」が取り
出された《オランピア》は、もはやこの段階ではマラルメの解釈格子の中
に入ってこない。かくして、甚だ曖昧で巧妙な仕方で、
「典型」の主題から
「外光」および「様相」の主題への移行が行われるのである。曖昧、とはい
えこの後、
「典型」の語は姿を消す。結論部に一度現れはするが、それは次
― ―
23
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
のような文脈においてである。「マネと彼に従う者たちの目標と狙い[…]
は、絵画はその原因の中に、その自然との関係の中に浸し直されねばなら
ない、というものだ。しかし、大広間や宮殿の天井を華麗なる短縮法をも
って描かれた理想化された典型の群れで装飾することを除くなら、日々の
モデルニテ
自然を前にしての画家の狙いは何でありうるだろうか?」64)絵画に現代性
を求めるマラルメにおいて、理想化された典型で満ちた天井画は関心を惹
くものではありえない。したがって詩人の関心は、後半部で明らかに、
「日
光と大気」
、すなわち上記の引用における「自然」との関係における絵画へ
と移行している。
では、なぜこの移行を重視する必要があるのか。それはなぜなら、
《オラ
ンピア》における「典型」と、
《洗濯》における「様相」とでは、詩人がそ
こに見出している表象のあり方が、重なり合いながらも微妙に異なってい
るからである。なるほど「典型」のもっとも重要な特徴は、
「様相」におい
ても維持されている。すなわちその非個人性、無名性である。印象派の技
法による絵画においても、マラルメがそこに事象の非個人性を見出すこと
に変わりはない。いやそれどころか、非個人性はよりいっそう高まって、
絵画全体を覆い尽くすのだ。では厳密には、
「様相」は「典型」といかに異
なるのか。この問いは、なぜマラルメが「日光と大気」に執着するのかに
注目すれば、少しずつ解けてくる。
《洗濯》の分析から、それを探ることに
しよう。
「絵画は日光を要求する」と明言した後に、マラルメは「昼間の自然光」
が君臨する代表的な絵画としての《洗濯》の検討に入ってゆく。描かれた
事象を挙げた後、詩人は「日光と大気」について語り始める。
そこには空気〔air〕が溢れている。いたるところで明るく透明な大
気〔atmosphere〕が、人物〔figures〕、衣服、葉叢と闘っており、それ
らの実質と堅固さをいくらか我がものとするかに見える。それらの輪
郭が、隠れた太陽によって焼き尽くされ、空間によって消滅させられ
て、震え、溶け、そして周囲の大気の中へと蒸発する一方で、大気は形
象たち〔figures〕から現実性を奪取するのだが、それはなお、それら
のものの真実の様相〔truthful aspect〕を保持するためであるかに見え
る。空気はあたかも、芸術の魔法によって授けられた魅惑された生命
65)
を備えているかのように、至高にして現実なるものとして君臨する。
― ―
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関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
このようにして「様相」という用語が登場するのだが、この一節は、
「様
」についてのマラルメの理解を十全に映し出
相」
、そして「外光〔open air〕
している。
「様相」と「典型」との差異、そして詩人が画家の目標を「典型
を光と大気に浸すこと」という一言によって言い表せると考えたことの意
味も、ここに明らかだ。というのも、
「真実の様相」はいかにして現れるの
か。それは、
「形象たち」が大気に浸され、大気および日光と形象たちとの
・・・・・・・・
」が始まり、それによって形象たちが「あらゆる側からほ
「闘い〔struggle〕
・・・・・・・・・・ 66)
、
「消滅させら
とんど同等に光を受け」 、その「輪郭」が「焼き尽くされ」
れ」
、
「震え、溶け」
、
「蒸発し」
、そして「現実性を奪取」されることを通し
てなのである。つまり、現象としていうならば、
「様相」の「典型」との差
異とは、端的に、「輪郭」が不安定になっていることなのである。「様相」
の輪郭は、たえずおぼろに震えているのだ。ここで想起されるのは、われ
われの出発点となった「詩の危機」の一節においても、
「輪郭」が消え去る
様が描かれていたことである。
「私は言う、花! と。すると私のその声は、
〔花の〕いかなる輪郭をも忘却の中へと追いやってしまう[…]
」
。ここから
「純粋観念」が立ち上がるわけだが、「純粋観念」に明確な輪郭があるとは
述べられていなかった。むしろ改めて、そこで言葉が、「自然の一事象を、
[…]それがほとんど消滅するに至るという振動に置き換えてしまうという、
驚異すべき営為」と言い換えられていたことを思い出すなら、この「振動
的消滅〔disparition vibratoire〕」こそ、「様相」における輪郭の震えながら
の消滅であるといえる。そして「様相」とは、輪郭の震えによってこそ定
義されるものであるとすれば、「振動的消滅」から放射される「純粋観念」
のイメージとは、印象派的な「様相」に他ならないことになろう。
輪郭の問いにもう少し拘ってみよう。
「典型」の場合には、いかに抽象的
であるにせよ、それは芸術家、娼婦、俳優、等々を代表する像として機能
しなければならないのだから――実際それがマネの野心であった――、む
しろきわめて明確な輪郭を備えていなければならない。ワーグナー論での
表現を思い出してもよい。
「典型」は現代人の「多様な様相」を一つの「型」
の中に流し込んで鋳造したものであり、その意味で、現実的でありながら
もそのものとしては現存しないものである。対して「様相」の非現実性は、
「典型」のそれとは異質なものである。「様相」が「現実性を奪取」されて
いるのは、多様なものが「典型」の「型」の窮屈さに抗してそこから飛び
出し、あらゆる側面に光を受けながらその多様さそのものを曝け出してい
― ―
25
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
るからである。確かにマラルメは、ここで「真実の様相」という表現によ
って再び「真実」に訴えている。ここに詩人の超越性への誘惑を見て取っ
て、その形而上学を指摘することも可能ではあろう 67)。しかしその「真実」
は、
「典型」にではなく「典型」を構成する「多様な様相」の多様さそのも
のに存するのであり、そしてその多様さとは、
「典型」の奥に控えているの
ではなく今度はタブローの表面に、そのものとして曝け出されているので
ある。そのうえで再度確認しておくなら、そもそも多様さとは、現代に生
きる群衆一人一人の持つ多様さのことであった。だとすれば、
「様相」に超
越的な構造を見出すことはもはや不可能であろう。
「様相」とはむしろ、
「典
型」たる形象たちが攪乱される状態なのであり、それは「要約」されるこ
とを拒む、群衆たちの日常的な現実そのものなのである。ここで70年代マ
ラルメの装飾芸術への執着やジャーナリズム活動を想起してもよいだろう。
本稿では展開する余裕はないが、メディア論の先駆者マクルーハンが逸早
く着目したように、90年代に至ってもマラルメは、単純に新聞を書物によ
って葬り去ろうとはしない。むしろ新聞というメディアが前提としている
非個人性や同時性を、詩によって「開発」することを己の使命と考えるの
である 68)。「開発」とは言い換えれば「批判(critique)」であり、その帰結
が後期の「批評詩(poème critique)」であるのはいうまでもない。そして
その「開発」あるいは「批判」こそ、まさしく「様相」を曝け出す絵画に
モデルニテ
おいて行われていることではないか。その営みとは、現代性の中で蠢く多
様な事象から最大公約数的な「型」を抜き出してくるのではなく、多様な
事象のすべての側面に同時に光を当てることによってそれらを一つの平面
に併存させ、それらの捉えがたさそのものをイメージ化してしまうことで
ある。そしてこのイメージ、すなわち同時にあらゆる側面を見せる「様相」
のあり方は、再び後期マラルメに投げ返すことができる。というのも後期
マラルメにおいて、詩は繰り返し多面体イメージによって捉えられるから
である。たとえば言葉は、無数の切子面をもった宝石に準えられる。
「言葉
は、もっとも稀な、あるいは、振動する宙吊り状態の中心である精神にと
って価値があると認められる数多くの切子面において、ひとりでに活気づ
く。
[…]すべての言葉は、消滅に先だって、互いに遠く隔たりながら、あ
るいは偶然のように遠回しに差し出されて、閃きを迅速に投げ交わす」69)。
「語群は、あたかも宝石を連ねた玉飾りの上の一条の灯影の虚像のように、
相互間の反射によって点火される」70)。あるいはまた、舞台の上で舞う踊り
― ―
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関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
子の身体は、詩人にとって、文字の「隠喩」である 71)。そして何より、多
面体としての詩といえば、最晩年の『骰子一擲』を忘れることはできない。
詩の星座とも呼ぶべき『骰子一擲』が「典型」ではないことに異論の余地
はないだろう。それは新聞を想起させる大きな紙の上に言葉の多様な側面
が載せられた、
「様相」なのである。捉えがたいものがその捉えがたさその
ものにおいてイメージ化されたもの、それがマラルメの「様相」であり、
特殊なイデア、
「純粋観念」である。なるほど詩人は後期においても、その
祝祭構想において「典型」概念を維持し、さらには展開さえしただろう。
しかし詩人の目指していたのはあくまでも、彼が「印象派的なマネ」に見
・・・・
て取った目標、すなわち「個性よりはむしろ典型を探し出そう、そし てそ
・・・・・・・・・・
れを光と大気に浸そう」だったのだ。
6 .メディウムとしてのイデア
しかし、ここにはまだ一つ解決すべき大きな謎が残っている。その「光
と大気」、すなわち「自然」とはいったい何なのか、という問題である。
見てきたとおり、マネの《洗濯》において、捉えがたいものの明確化で
はなくその捉えがたさそのもののイメージである「様相」を現出させるの
は、
「日光と大気」という「自然」であった。他方、考察の対象がマネから
印象派へと移行するにつれ、詩人の語る「自然」は一見、絵画の主題とし
ての「自然」へ移ってゆくように見える。なるほど、印象派の画家たちは
「何よりもまず風景画家」72)なのであって、彼らが対峙しているのはもはや、
人物に拘ったマネにおけるように「日光と大気」に浸された「形象たち」
ではなく、
「日光と大気」そのものであるだろう。マラルメは、印象派の画
家たちがアトリエの外に出て自然を観察し、その繊細な色合い、震えやそ
よぎ、刻々と変化する様といった捉えがたいものに筆触を重ねることで近
づこうとしたことを、モネ、シスレー、ピサロ、ドガ、ベルト・モリゾ、
ルノワールらの画風を的確な語彙で言い表しながら示している。さらに印
「マ
象派の絵画を「自然からの転写」73)と呼び、また先にも引いたように、
ネと彼に従う者たちの目標と狙い[…]は、絵画はその原因の中に、その
自然との関係の中に浸し直されねばならない、というものだ」74)と述べて
もいる。これらの表現からは確かに、マラルメにとって「自然」が絵画の
根本原因を為していることが窺われる。ただし、この後者の文は一義的な
― ―
27
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
解釈を許さないものである。T. J. クラークはこの文を、
「その自然との関係
の中に」を省いた形で引用し、それをグリーンバーグによるモダニズム芸
術の定義、すなわち芸術は平面性、物質性といった自己のメディウムの特
殊性を追求しなければならないという定義に類似したものと見做し、それ
ゆえ印象派理解としては浅いものだと批判する 75)。それに対して熊谷謙介
は、マラルメが絵画の根本原因とする「自然との関係」を「自然の無限に
直面した芸術の有限性」に見出し、自然に対する無力感と敬意を創作の根
源に置いていることにおいて詩人は「自然主義」であると主張する 76)。
」に対応する絵の具が画家のパレ
なるほどマラルメは、
「外光〔open air〕
ットの上に見つからないことを指摘し、印象派の筆触分割はその欠如から
こそ生まれたことを示唆しているし 77)、また高階秀爾らによって指摘され
ているように 78)、この文脈における「絵の具」を「言葉」に、そして「絵
画」を「詩」に置き換えれば、この認識は言語の不完全性をめぐる「詩の
危機」の次の一節にそのまま重なることになろう。「言語表現が諸事物を、
色彩においても雰囲気においてもそれに相応しい筆触で表現しえないこと
を、私の感覚は残念に思う」79)。しかしながら、だからといって、この評論
における絵画と「自然」の関係性を、
「自然」の無限に対する人間の有限性
という関係性に回収することはできないように思われる。なぜならそのと
き、
「自然」は風景画の主題の位置に収まっているからである。そのときマ
ラルメにおいて画家は、グリーンバーグのモダニズム論とは対照的に、
「自
然」という絶対の対象を主題とし、有限な絵画のメディウムを用いてそこ
に近づこうと虚しい努力を続ける者であることになろう。そこには完全な
自然と有限な技術という昔ながらの対立があることになろう。しかし、そ
うだろうか。マラルメがこの評論で提示しているのは、むしろ自然と技術
の別の関係性であるように思われるのだ。そしてそこにこそ、この評論の
表象論としての決定的な新しさがあるのである。
」という言葉が使われて
マネの《洗濯》分析において、
「闘い〔struggle〕
いたことを思い起こそう。繰り返しになるが、マラルメによれば、そこで
「大気」は「形象たち」と「闘い」
、
「それらの実質と堅固さをいくらか我が
ものと」し、また「隠れた太陽」は「それらの輪郭」を「焼き尽くし」
、
「消
滅させ」
、
「蒸発させ」
、ついには「現実性を奪取」する。かくして「形象た
ち」が「大気と日光」
、すなわち「自然」に負かされたところで初めて「様
相」は姿を現わしてくるのである。では、ここにあるのは絵画と「自然」
― ―
28
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
のいかなる関係性なのか。その答えは、実のところ、絵の具の有限性をめぐ
る先の一節を含む段落の冒頭に明示されている。それによれば、
「自然」は
絵画にとっての「メディウム」なのである。
「真実の追求は[…]現代の芸
術家を導いて、メディウム〔medium〕として空気〔air〕をほとんど排他的
に採用するようにさせなくてはならない」80)。驚くべき見解にも思われる。
いうまでもなく、
「中間」を意味するラテン語に由来する「メディウム」と
は、二つの物の間に介在して一方を他方へと媒介するものであり、通常な
ら絵画におけるメディウムとは画家を目標――たとえば自然――へと近づ
ける絵の具のことである。ところがマラルメは、
「自然」こそがメディウム
なのだという。しかしこの宣言は、
「メディウム」という語の十全な意味に
おいて、上記の《洗濯》分析を見事に説明し尽くすものであり、翻って、
《洗
濯》がこの評論の中心に置かれている理由を明らかにするものでもある。
つまり、マネの作品であるがゆえに《洗濯》には「形象たち」
、言い換えれ
ば「典型」が描かれている。しかしそれらは、
「自然」というメディウムに
よって「様相」へと変容させられているのである。
「典型を光と大気に浸そ
・・・・ ・・
う」というマラルメの定式は、文字 どおりに受け止められねばならないの
だ。詩人は印象派と出会うのに、《洗濯》を経由せねばならなかった。《洗
濯》によって「メディウムとしての自然」を発見して初めて、詩人は印象
派に出会ったのである。詩人にとって風景画とは、したがって、もはやた
・・・・
んに自然を主題とした絵画ではなく、自然によ って自然を描くという循環
構造に基づいた絵画なのである。技法的には、それは何より「外光〔plein
air〕」、すなわち戸外制作を要請するだろう。画家自身が自然の中に身を置
いて自然に近づこうとするということは、自然が絵画のメディウムとなる
ということである。詩人が「外光」に執着した理由はここにある。
しかし、自然によって自然を描こうとするとき、自然は画家を自然に近
づけるのだろうか。自然はそこで、
「メディウム」というものに本来備わる
矛盾において、絵画に対して作用するはずである。すなわちメディウムは、
二つの物の間に介在して一方を他方に近づけるものだが、しかし介在する
限りにおいて、それは必然的に一方を他方から遠ざける。だからこそ、
《洗
濯》分析において、「大気」や「太陽」は「形象たち」と「闘い」、それら
を破壊するものとして捉えられたのである。自然というメディウムは、
「形
象たち」に近づこうとする画家の試みを妨げ、画家を「形象たち」から遠
ざける。しかしながら遠ざけることによって、
「様相」に近づけるのだ。遠
― ―
29
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
ざけることによって近づける、これはメディウム、あるいはメディアの根
本的な特性である。そして自然が「形象たち」の輪郭を溶かすことで「様
相」に近づけるとすれば、輪郭を溶かすというその営み自体は、遠ざける
ことによって近づけるという捉えがたい運動である。印象派が戸外制作と
筆触分割とによって目指すのは、その運動の捉えがたさそのものをイメー
ジ化することである。だとすれば、
《洗濯》における「様相」は、印象派に
おける「自然」に類比的である。そして印象派の試みとは、すでにしてメ
ディウムである自然に、さらにメディウムを重ねることで遠ざかりつつ近
づいてゆくことである。マラルメの「純粋観念」とは、したがって、メデ
ィウムの営みそのものとしての「様相」なのである。
手つかずの自然があって、そこに人間が技術を用いて近づいてゆくので
はない。人間を取り囲んでいる自然そのものが、すでにしてメディウムな
のである。このような発想が、生まれるべき時代を間違えた一人の天才詩
人のものだと考えるのでは、問題の在処は見逃されてしまう。
「メディウム」
の複数形「メディア」が今日のような意味を帯びるには、情報伝達手段が
爆発的に多様化する20世紀中葉を待たねばならないが、マラルメの思考は
そういった状況を用意した群衆の擡頭、活字文化の発達といった同時代の
西欧世界の変容と軌を一にして生まれたものである。ランシエールは、
「マ
ラルメはマネの同時代人であるのみならず、エティエンヌ・マレーの同時
代人でもある」81)ことに注意を促しているが、自然そのものにメディウム
を認め、それゆえ印象派に決定的な新しさを見出す詩人が、メディウムを
通してあらゆる現実をイメージと化す映画という新しい芸術の黎明期に生
きていたことは、ほとんど必然であるように思われる。ある意味では、マ
モデルニテ
ラルメほどに現代性に敏感だった詩人もいないのだ。詩人が生涯を通して
「危機」を口にしていたことは、何よりその証左である 82)。
7 .終わりに――危機と批判
結論部において詩人が語るのは、その「危機」である。
これまで無視されてきた民衆〔people〕がフランスの政治生活に参
加するということは、19世紀の締め括り全体の栄誉となるであろう社
・・・・ ・
会的な事実だ。同様 の現象 が芸術に関しても見出されるが、それは、
― ―
30
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
公衆〔public〕が類い稀な洞察力をもって、それが現れるやいなや〈非
妥協派〉と綽名を付けた、ひとつの進化によって準備された道なので
・・・・
・・・・・・・・・・
あって、そして〈非妥協派〉とは政治用語で、急進的かつ民主主義的
・・・・・
という意味だ。
このように、上にその意義を明らかにした印象派の登場は、詩人にとっ
て明確に、政治的、社会的な現象、すなわち第三共和制における神権の徹
底的解体および国民主権――「民主主義」――の確立と並行して生じたひと
つの現象である。民主主義とは超越的審級なしに「一般意志」が「代表」
される政治制度のことであり、マラルメは時代が二重の意味で「表象=代
」の転換期、すなわち「危機」に差し掛かっていること
表(représentation)
を明敏に感知しているのである。
・・・・・・・・・・・
自然が独力で作用しようとする、人類にとって危機的な時にあって、
・・・・・・・・・・・・・
自然は彼女を愛するある種の者たち――自らの時代の感情と直接に交
・・・・ ・・・・ ・・・ ・・・・ ・・・
流す る状態に ある、新し い、非個 人的な 人々――に、要求するのだ。
教育の拘束を解くことを、手と目がその欲するところをなすに任せ、
そうすることにより、それらを通じて、自然自身を啓示するに任せる
ことを。83)
民主主義の浸透による政治的、社会的な転換期には、
「自然」が「独力で
作用しようとする」という。とすればこの「自然」は、たんに都市や技術
に対立するような「自然」であるだろうか。むしろ、個人の意志では統御
の効かなくなった、一種のメディア網と化した世界そのものが「自然」な
のではなかろうか。そうだとすれば、このような「自然」に直面して画家
が為すべきことはいったい何か。マラルメは最後に、一人の架空の画家の
口を借りてこの問いに答えることで、評論を締め括る。
私は絵画という明るくて持続する鏡面に反映させるだけで満足する。
たえず生きていながら一瞬ごとに死んでゆくものを、
〈イデア〉の意志
によってのみ実存し、それでいてなお、私の領野の中で、自然の唯一
の真正で確実な価値をなすところのもの――
〈様相〉を。84)
― ―
31
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
マラルメ自身が詩人としてこの後に試みたことは、まさにこの画家が語
っていることであるだろう。詩人が見て取った印象派の試みと同様、マラ
ルメの「批評詩(poème critique)」とは、時代がもたらした「表象の危機
」を「自らの領野」において生きること、すなわち「自らの領野」
(critique)
を「危機」に陥らせることで営まれる「表象批判(critique)」に他ならな
い。
「純粋観念」あるいは「様相」とは、この限界的な営みにおいて現出す
モデルニテ
る現代性のイメージなのである。
注
1 )小林秀雄「当麻」
『モオツァルト・無常という事』新潮文庫、1961年、77−78
頁。
2 )小林の言葉とマラルメの一節との関連は以下にも指摘されている。谷川渥『美
術をめぐる言葉 II』美術出版社、2006年、202−205頁。
3 )Stéphane Mallarmé, Œuvres complètes, t. II, éd. Bertrand Marchal, Gallimard,
≪Bibliothèque de la Pléiade≫,2003(以下OCII),p. 213.『マラルメ全集
II』筑摩書房、1989年、242頁。以下、本稿の引用訳文は既訳を参照しつつ適
宜変更を加えたものである。この一節は1886年にルネ・ギル『語論』の「緒
言」として発表され1897年に「詩の危機」に組み込まれた。
4 )竹内信夫「不在の『花』――マラルメの言語思想をめぐって――」『20世紀
の芸術』岩波書店、1989年、297−299頁。竹内は最終的にマラルメの「純粋
観念」を「絶対主体的な自我の揺らめく影像」
(302頁)と捉える。
5 )OCII,p. 213.『全集 II』241−242頁。
6 )Ibid.,p. 210. 同上235頁。
7 )エルヴィン・パノフスキー『イデア』(1960)伊藤博明・富松保文訳、平凡
社ライブラリー、2004年。
8 )OCII,pp. 212−213.『全集II』241−242頁。
9 )Paul Valéry, Œuvres, t. I, éd. Jean Hytier, Gallimard, ≪Bibliothèque de la
Pléiade≫, 1957, p. 650.
10)「『マラルメの神話』とは何か――ブランショとヴァレリーのマラルメ解釈を
めぐって」『関東支部論集』14号、日本フランス語フランス文学会、2005年。
「言語のショート・サーキット――マラルメとポーランが出会う場所」
『現代
詩手帖特集版ブランショ』思潮社、2008年。
11)たとえば、ヘーゲル『精神現象学』A−1「感覚的確信 このものと思いこみ」
参照。ジャン=ピエール・リシャールは、マラルメがヘーゲル『美学』の詩
― ―
32
関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
についての記述(tr. Charles Bénard, Librairie Gamier-Ballière, 1875, t. I, p. 68)
を参照した可能性を示唆している。しかしそこに読まれるのは、
「詩は、その
・・・
表現形態が言葉であるというまさにこの事実によって、全般的に表現を行う
のである。この形態は、抽象化し、要約する語の本質に属している」という、
いってみれば、詩とはすぐれて言語であるという主張なのであり、ここから
詩と日常言語の対比が引き出されるわけではない。Jean-Pierre Richard,
L’
Univers imaginaire de Mallarmé, Seuil, 1961, p. 440.『マラルメの想像的宇
宙』田中成和訳、水声社、2004年、487頁。マラルメとヘーゲルの関係につ
いては以下を参照。Janine D. Langan, Hegel and Mallarmé, University Press
of America, 1986.
12)この間の細かい伝記的事情は菅野昭正『ステファヌ・マラルメ』中央公論社、
1985年、柏倉康夫『パリの詩・マネとマラルメ』筑摩書房、1982年、『マラ
ルメの火曜会』丸善、1994年などに詳しい。
13)Gordon Millan, Les ≪Mardis≫ de Stephane Mallarmé, Nizet, 2008, p. 28. マラ
ルメはパリに移った翌年の1872年秋には早くも定期的に友人を家に招くよう
になった。
14)竹内信夫によれば、マラルメが居を構えたモスクワ街を擁するサン=ラザー
ル駅界隈は、当時のパリにあってもっとも新しく開発された居住区であり、
パリの中心部に心惹かれたボードレールやユゴーと異なるマラルメの新しさ
はそこに根ざしている。竹内信夫「マラルメと装飾芸術――『世界のなかで
世界を見ること』の詩学――」
『比較文學研究』90号、東大比較文學會、2007
年、90−91頁。本稿はこの論文の問題意識に多くを負っている。
15)OCII,pp. 360−364.
16)黒木朋興「マラルメの60年代の危機と市場社会の成立」『上智大学仏語仏文
学論集』40号、2006年、89頁。
17)竹内信夫「マラルメと装飾芸術」107頁。
18)Pascal Durand, Mallarmé. Du sens des formes au sens des formalités, Seuil,
2008, p. 14. 本書はそうした試みの一つで、横軸と縦軸の両方に目配りが効い
ている。
19)Walter Benjamin,
Paris, die Hauptstadt des XIX. Jahrhunderts“ in
”
Gesammelte Schriften, V−1, Suhrkamp, 1982, S. 50.
20)野口修「マラルメのロンドン国際博覧会に関する探訪記事について」『フラ
ンス語フランス文学研究』81号、日本フランス語フランス文学会、2002年、
29頁。
21)OCII, p. 386.『全集 III』416頁。
22)Ibid., p. 491. 同上11頁。
23)Takeo Kawase, ≪Mallarmé sur ou hors de la“place publique”?≫, Equinoxe,
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33
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
12, hiver 1995, pp. 20−21.
24)OCII,p. 414.『全集 III』426頁。
25)Ibid., p. 411. 同上422頁。マラルメは「群衆〔foule〕」、「公衆〔public〕」、ま
たときに「民衆、人々〔peuple〕
」という語を用いるが、いずれも本稿で主張
する絵画の二重のサブジェクトとして位置づけられていることにおいて用法
上の差異は見られない。本稿では引用以外では基本的に「群衆」という語を
用いる。
26)阿部良雄『群衆の中の芸術家 ボードレールと19世紀フランス絵画』中公文
庫、1991年、236頁。
27)OCII, p. 414.『全集III』426頁。
28)Ibid., p. 412. 同上423−424頁。
29)柏倉康夫『パリの詩・マネとマラルメ』125−126頁。
30)OCII, p. 413.『全集 III』424頁。定訳なので「外光」とするが、原語の≪plein
air≫(英語では“open air”)は「戸外」という意味であり、技法としては、
「油彩による風景画を野外の外光のもとで制作すること」
(
『岩波西洋美術用語
辞典』
)を意味する。文字どおりには「大気」に満ちていることであり、
「光」
の含意はない。
《洗濯》はマネが印象派の技法を採り入れ戸外で制作した作品
である。
31)Ibid., p. 427. 同上448頁。強調原文。
32)Ibid., p. 439. 強調原文。
33)Ibid., p. 438.
34)Les“gossips”de Mallarmé.“Athenaeum”1875−1876, éd. H. Mondor et L.
J. Austin, Gallimard, 1962, pp. 13−14.
35)≪The Impressionists and Edouard Manet≫, Documents Stéphane Mallarmé
I, éd. Carl Paul Barbier, Nizet, 1968.(以下DCI)この評論はマラルメの原稿が
残っておらず、
「簡単に訂正できるいくつかの誤訳を除けば(これは黙ってい
てください!)すばらしい」( Correspondance II, éd . H. Mondor et L. J.
Austin, Gallimard, 1965, pp. 129−130.『全集 IV』571頁)とマラルメが述べた
G. T. ロビンソンによる英訳があるだけである(全集には英訳からの仏訳が
収められている)。掲載や翻訳にまつわる事情についてはDCI,pp. 57−65参
照。
36)マネ研究者がマラルメのマネ論に距離を置く傾向については以下を参照。熊
谷謙介「『自然は起こる、付け加えるものはない』ステファヌ・マラルメの
『印象派の画家たちとエドゥアール・マネ』
」
『Résonances』1 号、東京大学教
養学部フランス語部会、2002年、68頁。
s Modernism, University of Chicago Press, 1996, p. 3. 阿
37)Michael Fried, Manet’
部良雄『全集 III 別冊 解題・註解』222頁。フランソワーズ・カシャン『マ
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関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
ネ』遠藤ゆかり訳、創元社、2008年、102頁。フリードはむしろ60年代前半
の前期マネこそ「紛れもなく決定的」(同上)だとする。
38)DCI,p. 85.『全集 III』445頁。
39)Pascal Durand, Crises. Mallarmé via Manet, Vrin, 1998, pp. 4−5, 35.
40)柏倉康夫、前掲書、227−229頁。熊谷謙介、前掲論文、70頁。
41)Correspondance 1862−1871, éd. H. Mondor, Gallimard, 1959, pp. 240−242.
『全集 IV』326−327頁。
42)OCII,p. 211.『全集 II』237頁。
43)DCI,p. 69. 『全集III』430頁。手には留保をつけながら目の純粋性を重視し
ている点は、マラルメが念頭に置いているのが印象派的なマネ、あるいはも
しかすると印象派であることを窺わせる。フリードによれば、
「視覚のみに関
わる絵画技法としての光学性の概念は[…]印象派以後の現代絵画にのみ適
。
用される」(Fried, op. cit., p. 19)
44)OCII,p. 411. 同上422頁。
45)DCI,p. 78. 同上438,439頁。
46)DCI,p. 70. 同上431頁。
47)Ibid., p. 71. 同上432頁。
Échoppe, 1996, pp. 50−
48)Antonin Proust, Edouard Manet: Souvenirs(1913), L’
51.
49)三浦篤「特殊と典型の葛藤」『近代芸術家の表象』東京大学出版会、2006年、
219−222頁。
50)Charles Baudelaire, Œuvres complètes, t. II, éd. Claude Pichois, Gallimard,
≪Bibliothèque de la Pléiade≫, 1976, p. 694. 阿部良雄訳『ボードレール批評2 』
ちくま学芸文庫、1999年、168頁。
51)Ibid., p. 695. 同上170頁。強調引用者。
52)Antonin Proust, op. cit., p. 99.
53)DCI, p. 71.『全集III』432頁。
54)Baudelaire, op. cit., p. 494. 阿部良雄訳『ボードレール批評 1 』210−211頁。
55)OCII,p. 154.『全集 II』138頁。
56)Ibid., p. 217. 同上250頁。
57)Ibid., p. 158. 同上145頁。
58)Ibid., p. 157. 同上144頁。強調引用者。
59)マラルメの祝祭概念については以下を参照。Kensuke Kumagai, La fête selon
Mallarmé, L’
Harmattan, 2009.
60)OCII, p. 180. 同上183頁。
,
61)Philippe Lacoue-Labarthe, ≪Mallarmé≫ in Musica ficta(figures de Wagner)
Christian Bourgois Éditeur, 1991. 谷口博史訳『虚構の音楽』未來社、1996
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35
モデルニテ
「外光」に浸される現代性の「典型」と「様相」
年。こうしたマラルメ批判は、思想史的な観点からマラルメの表象概念をプ
ラトン的ミメーシスから切り離そうとするデリダやランシエールらの試みに
対立するものである。Jacques Derrida, ≪La double séance≫ in La dissémina-
tion , Seuil, 1972. Jacques Ranci è re, Mallarmé. La politique du poème,
Hachette, 1996 ; ≪La rime et le conflit. La politique du poème≫ in Mallarmé
ou l’
obscurité lumineuse, Hermann, 1999. 山田広昭はそれを踏まえたうえで、
ラクー=ラバルトへの賛同を表明し、同様の観点から「典型」概念を批判し
ている。「群衆、あるいは刻印としての政治」『三点確保』新曜社、2001年。
本稿の目論見は、マラルメをめぐってかくも対照的な解釈が併存しているこ
との謎を、マネ論に拠って解こうというものでもある。
62)DCI, pp. 72−73.『全集 III』433頁。
63)熊谷も「苦しい展開といわざるを得ない」と述べている(前掲論文、70頁)
。
64)DCI, p. 85.『全集 III』445頁。
65)Ibid., pp. 74−75. 同上435頁。
66)Ibid., p. 75. 同上436頁。強調引用者。
67)山田広昭は「詩人のテクストに幾度となく現れる『真正さ』という語」に違
和感を表明している。前掲論文、242頁。
(1954)in The interior landscape: the liter68)
“Joyce, Mallarmé, and the Press”
ary criticism of Marshall McLuhan 1943−1962, ed. Eugene McNamara,
McGraw-Hill, 1969, p. 13.
69)OCII, p. 233.『全集 II』280頁。
70)Ibid., p. 211. 同上237頁。
71)Ibid., p. 171. 同上166頁。
72)DCI, p. 81.『全集 III』441頁。
73)Ibid. 同上。
74)Ibid., p. 85. 同上445頁。
75)T. J. Clark, The Painting of Modern Life. Paris in the Art of Manet and His
Followers, Princeton UP, 1984, pp. 10−12.
76)熊谷、前掲論文、71−74頁。
77)DCI, p. 75.『全集 III』436頁。
78)高階秀爾「マラルメと造形芸術」『西欧芸術の精神』青土社、1993年、344−
348頁。
79)OCII, p. 208.『全集 II』232頁。
80)DCI, p. 75.『全集 III』436頁。
81)Rancière, Mallarmé. La politique du poème, op. cit., p. 30.
82)マラルメの「詩の危機」は自由詩の擡頭という危機を指し示すものであるよ
りはそのテクスト自体が己の指し示す危機であるというド・マンの指摘は、
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関東学院大学文学部 紀要 第116号(2009)
マラルメの「危機」の自己反省性に注意を促す卓見ではあるが、詩の自己反
省を促した時代性を考慮に入れていない。Paul de Man,“Criticism and
Crisis” (1967)in Blindness and Insight, University of Minnesota Press,
1983, p. 71. マルシャルが述べるように、マラルメの「危機」は「時代精神」
と不可分である。Bertrand Marchal, La religion de Mallarmé, José Corti,
1988, p. 366.
83)DCI, p. 84.『全集 III』444−445頁。強調引用者。
84)Ibid., p. 86. 同上446頁。
― ―
37
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