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英苦戦争期のコロマンデル海岸

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英苦戦争期のコロマンデル海岸
英 蘭 戦争 期 の コロマ ンデル海 岸
37
は じ め に
英 蘭 戦 争 期 の コ ロ マ ン デ ル海 岸
一、
浅
田
實
近 年 話 題 と な っ て い る ー ・ウ ォ ー ラ ス テ ィ ン の ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム ﹂ 論 は 、 近 代 ヨ ー ロ ッパ 世 界 シ ス テ ム で 、 二 十 世 紀
の 今 日 形 成 が 成 し と げ ら れ 、 完 成 さ れ た 世 界 の 一体 化 が 、 一六 、 一七 世 紀 頃 西 欧 を 中 心 に 徐 々 に 成 型 さ れ た 、 と いう も の
で あ った 。 そ れ ま で ま っ た く 別 個 の 世 界 を 成 し て い た 西 ヨ ー ロ ッパ ーー キ リ ス ト 教 世 界 、 東 ア ジ ア ーー 儒 教 世 界 、 南 ア ジ ア ーー
(1 )
ヒ ン ド ゥ ー (イ ス ラ ム ) 世 界 、 西 ア ジ ア " イ ス ラ ム 世 界 等 々 が 、 西 ヨ ー ロ ッ パ を 中 核 に ま と め 上 げ ら れ 、 一 つ の 世 界 に 統
一さ れ て い った 。 こ れ が そ の 所 説 の 大 要 で あ る が 、 こ の考 え 方 は 、 世 界 的 視 座 に 立 っ て近 代 史 を み て い こう と す る わ れ わ
れ に と って 、 き わ め て 魅 惑 的 で し か も は な は だ 理 解 し やす い。 わ れ わ れ も 大 いに 共 鳴 し た いと こ ろ で あ る 。
た だ 、西 欧 中 核 の諸 国 が いか に し て 単 一の世 界 シ ス テ ム形 成 への道 を す す ん で い った のか 、そ の具 体 的 な 過 程 と な ると 、
(2 )
多 く の 問 題 が 介 在 し て いる よ う に 思 わ れ る 。 中 核 国 を 代 表 す る 英 国 は 一七 世 紀 後 半 中 に商 業 革 命 期 を 迎 え た が 、 そ れ は い
わ ば 近 隣 の国 ぐ に と の競 争 と 争 覇 の な か で推 進 さ れ た 。 新 大 陸 、 西 イ ン ド 諸 島 で の ス ペイ ン、 オ ラ ン ダ 、 フ ラ ン スと の争
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いは いう ま でも な く 、 東 イ ンド でも 鏑 を 削 る 争 い が 展 開 さ れ て いた 。 そ う し た な か で 以 下 で は 、 英 国 商 業 革 命 期 東 イ ンド
貿 易 と の関 連 で 、 第 三 次 英 蘭 戦 争 当 時 の イ ンド 東 海 岸 打 コ ロ マン デ ル海 岸 で の西 洋 各 国 の争 覇 戦 の様 子 を 、 み て いく こ と
と し た い。
(3 )
いう ま で も な く 英 国 商 業 革 命 は 、 新 大 陸 1ー ア メ リ カ と の 通 商 の拡 大 を 基 軸 と し た も の で は あ った が 、 東 イ ンド と の貿 易
拡 大 も ま た 、 こ の 頃 と く に 目 を 見 は ら か せ る も の が あ った 。 こ の 頃 イ ギ リ ス東 イ ンド 会 社 の 木 綿 製 品 輸 入 貿 易 は 、 キ ャ ラ
(4 )
コ熱 O冨 N。♂目O。一
一
8 Φωと い わ れ る ほ ど の 消 費 熱 を 本 国 に 招 来 し た こ と は よ く 知 ら れ て い る と こ ろ だ け れ ど も 、 英 国 産
毛 織 物 の輸 出 貿 易 に つ い て み て も 、そ の伸 び 率 は 一六 六 〇 年 か ら 一七 〇 〇 年 に か け て の こ の 時 代 に は 、き わ め て高 か った 。
(5 )
レイ フーー デ イ ヴ ィ ス氏 の 研 究 に よ れ ば 、 一六 六 三i 一六 六 九 年 に 一万 九 〇 〇 〇 ポ ンド であ った 東 イ ンド への毛 織 物 輸 出 額
は 、 一六 九 九 ー 一七 〇 一年 に は 八 万 九 〇 〇 〇 ポ ン ド と 、 五倍 近 く に 達 し た の であ った 。
そ の よ う な イ ギ リ ス東 イ ンド 貿 易 躍 進 の背 景 に は 当 然 、 こ の頃 盛 ん に 東 方 と の貿 易 に 活 躍 し て い た オ ラ ン ダ や 、 新 た に
コル ベ ー ル の努 力 な ど で積 極 的 進 出 を は か った フ ラ ン スと の熾 烈 な 競 争 が あ った に 違 い な い。いう ま で も な く 当 時 は ま だ 、
(6 )
いわ ゆ る 植 民 地 支 配 を 推 進 す る ほ ど 、 西 欧 諸 国 が イ ン ド 現 地 勢 力 に 対 し て 、 優 位 に た って いた わ け で は な か った 。 そ の こ
と は イ ギ リ ス東 イ ン ド 会 社 が 、 名 誉 革 命 期 の 一六 八 八- 八 九 年 に 、 ム ガ ー ル帝 国 と 戦 って 敗 れ た こ と で も 知 る こ と が で き
る 。 武 力 、 軍 事 力 の点 に 関 し て さ え 、 イ ン ド 現 地 勢 力 を 凌 駕 す る 力 を 、 こ の 頃 の イ ギ リ ス東 イ ン ド 会 社 は も って い な か っ
た わ け であ る。
そ れ に も か か わ ら ず 東 イ ン ド 会 社 は 、 商 業 的 に は 大 いな る 躍 進 を 遂 げ る こ と が で き た 。 な か で も 一六 七 〇 年 代 に は 、 従
(7 )
来 の イ ギ リ ス東 イ ン ド 会 社 の主 要 取 引 地 であ った イ ン ド 亜 大 陸 西 北 部 の ス ラ ト な ど グ ジ ャラ ー ト 地 方 や ボ ン ベ イ と い った
ア ラ ビ ア海 域 に 代 って 、 マド ラ ス な ど コ ロ マ ン デ ル海 岸 の 比 重 が 急 速 に 高 ま って いた 。 のち に も み る よ う に 一七 世 紀 東 イ
ンド 会 社 の木 綿 輸 入 貿 易 史 の研 究 成 果 が 教 え る と こ ろ に よ れ ば 、 一六 六 〇 年 か ら 一七 〇 〇 年 に か け て 木 綿 出 荷 地 と し て 最
英 蘭戦 争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
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大 の伸 び 率 を 示 し た の が 、 コ ロ マ ン デ ル 海 岸 地 方 に 他 な ら な か った 。 本 稿 は こ の頃 大 いな る 躍 進 を 遂 げ た 木 綿 輸 出 地 コ ロ
マ ン デ ル海 岸 の事 情 を 第 三 次 英 蘭 戦 争 期 を 中 心 に み よ う と す る も の で あ る が 、 そ れ は こ の 戦 争 が 行 な わ れ た 一六 七 〇 年 代
前 半 こ そ が 、 イ ギ リ ス木 綿 輸 入 貿 易 が 急 上 昇 を は じ め る 出 発 点 を な し て いた か ら であ る 。
あ た か も そ れ は イ ギ リ ス重 商 主 義 政 策 が (いわ ゆる 固有 の重 商主 義政 策が )本 格 的 に 展 開 さ れ る そ の前 夜 に あ た って お り 、
(8 )
浜 林 正 夫 氏 も ﹁王 政 復 古 体 制 の動 揺 が は じ ま る 時 期 ﹂ と 位 置 づ け て いる と き で も あ る 。 す で に 陳 腐 な も のと さ え な った イ
ギ リ ス重 商 主 義 の 議 論 に こ こ で介 入 す る ゆと り は な い が 、 た だ 重 商 主 義 政 策 と いえ ば 何 よ り も ま ず 他 国 と の相 対 的 経 済 競
(9 )
争 であ り 、 と き に は 軍 事 的 、 武 力 闘 争 を 伴 う も の で あ る こと を 、 忘 れ て は な ら な いと 思 う 。 東 イ ン ド と の 通 商 拡 大 が 、 あ
る い は そ こ と の商 業 取 引 が 、固 有 の重 商 主 義 政 策 と の関 わ り あ い で い か な る意 味 を も つか に つ い て は 、こ こ で は 問 わ な い。
け れ ど も 、 ア メ リ カ と と も に イ ン ド に お いて も 、 一七 世 紀 後 半 のイ ギ リ ス に と っ て は 、 オ ラ ン ダ や フ ラ ン スと の競 争 が 何
よ り の重 要 事 であ った に 違 いな い 。
い った い清 教 徒 革 命 期 ク ロ ム ウ ェル の 航 海 条 例 に 端 を 発 し た 英 蘭 戦 争 は 、 イ ギ リ ス貿 易 商 人 の利 益 を 守 り 、 海 運 業 を 国
民 的 利 害 のも と に 掌 握 す る た め の第 一歩 であ った と いう 点 で は 、 や は り 代 表 的 な 重 商 主 義 戦 争 で あ った ろ う 。 いわ ば そ れ
ま で ヨ ー ロ ッパ大 陸 諸 国 と の関 係 で 、 守 勢 に 立 た さ れ 続 け てき た 英 国 が 、 海 洋 商 業 の分 野 で 、 積 極 的 に ヨ ー ロ ッパ外 諸 地
(10 )
域 に 進 出 す る 転 機 に な った と いう 意 味 で も 、 こ の 戦 争 の重 要 性 は 無 視 で き ま い。 あ る いは こ れ を 大 英 帝 国 への拡 大 の第 一
歩 と 位 置 づ け る こ と も でき る で あ ろう 。
そ れ で も こ れ ま で の こ の 戦 争 に つ い て の 研 究 は 、 本 国 ヨ ー ロ ッパ 海 域 に 関 す る も のば か り で あ った 。 あ る い は バ カ ニ ア
と の関 連 で 、 ア メ リ ヵ 11 西 イ ン ド で の争 いが 話 題 に な る こ と も あ る に は あ った が 、 東 イ ンド を 対 象 と し た こ の戦 争 に 関 す
る 研 究 は 、 ま だ な さ れ て い な い。
一七 世 紀 の東 イ ンド 諸 海 域 は 、 ア メ リ カ 海 域 以 上 に 、 オ ラ ン ダ の勢 力 が 強 か った と こ ろ であ る 。 と く に イ ン ド 亜 大 陸 の
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な か で は 、 行 論 中 に も 明 ら か に す る よ う に、 コ ロ マ ン デ ル海 岸 は 殊 の他 オ ラ ンダ 勢 力 が 強 力 な と こ ろ であ った 。 こ の頃 よ
(11 )
う や く イ ギ リ ス東 イ ンド 会 社 の イ ン ド 進 出 も 積 極 的 に な って いた が 、 コ ロ マ ン デ ル 海 岸 で は オ ラ ンダ の貿 易 量 も ま た 最 高
の水 準 に 達 し て いた 。 そ の よ う な な か で 行 な わ れ た 英 蘭 戦 争 、 と く に そ の 中 で も こ の 頃 急 速 に 進 出 を は じ め て き た 、 フ ラ
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1 、 H 、 一九 八 一年 )
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農 業 資 本 主 義 と ヨ ー ロ ッパ 世 界 経 済 の成 立 1 ⊥
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ン ス勢 力 と の関 わ り も 深 い第 三 次 英 蘭 戦 争 の具 体 相 を つか も う と す る のが 、 こ こ で の 課 題 で あ る。
註
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器§ 暮 O§ 欝§ 一㊤謹 ・(川 北 稔 訳 ﹃近 代 世 界 シ ス テ ムー
O§ き ミ § § ミ 導㊦肉ミ 。驚 § ミ町 ミ自 6§ § 3 δ 8 - h謡 9 δ 。。O●
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(2 ) 幻巴喜 ∪豊 ω琶
(3 ) 新 大 陸 ・ア メ リ カ の な か で も と く に 西 イ ン ド と の貿 易 の 比 重 が 高 く 、 そ れ が 商 業 革 命 の 基 軸 を な し て い た 、 と いう 。 川 北 稔 ﹃工
閃。器 一
讐 ギ 巴 P δ O?
ミ OP、§ 鴨肉6§ § 尋 ミ ㍗
﹃商 業 革 命 と 東 イ ン ド 貿 易 ﹄ 法 律 文 化 社 、 一九 八 四 年 、 一二 三 1 = 二
業 化 の 歴 史 的 前 提 ﹄ 岩 波 、 一九 八 三 年 、 = 二ニ ー 一五 八 頁 、 と く に 一四 二 頁 。
(4 ) ↓冨 9 欝 ① h
零 O巴一
8 。ω に つ い て は 、 さ し あ た り 、 拙 著
六頁。
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= 七 、 一八 世 紀 に お け る 英
ぎ 盛9 0。暑 Ω塁 δ 8 ∴ ヨ 9 Hミ 。
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(5 ) 即 ∪雪 P >琶 置 ㎝ 。{閃。憲 α
q・ ギ 巴 ρ δ Oω -$ 碧 竃 8 ㊤ - 嵩 2 ●ぎ .
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(6 ) 囚・2.9 碧 穿 鼠 "§ ① 目§ ミ越 き ミ
(7 ) 拙 著 ﹁イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 の キ ャ ラ コ輸 入 と ベ ン ガ ル 進 出 ﹂ (永 沼 忠 兵 衛 、 岡 本 明 、 浅 田 実 共 著
頁 、 七 六 頁 。 ま た ﹄・=・℃ぎヨ互 § 。08§ ぴミ ぎ 、
艦
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Q言ミ ・
佛 経 済 政 策 と 国 家 体 制 の 変 遷 ﹄ (科 研 、 研 究 成 果 報 告 書 ) 一九 八 〇 年 、 四 五 頁 ほ か 。
(8 ) 浜 林 正 夫 ﹃イ ギ リ ス 名 誉 革 命 史 ﹄ 上 、 未 来 社 、 一九 八 一年 、 =
(武 力 を 含 む ) と 富 と が 、 国 家 政 策 の 共 同 目 的 で あ った 。 ﹄暫8 げ くぎ 。5 .
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耐 § 肉3曳 § 斜 δ 醗 - h遷 鈎 ピo己 § り一8 刈.勺.トの一。
(9 ) 重 商 主 義 者 に と っ て は 、 権 力
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英 蘭 戦争 期 の コロマ ンデ ル海 岸
41
一〇〇ρ ℃ ℃ ・N膳 - NO"即
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当 時 のイギ リ ス
、
伝 統 的 理 解 を こ え て ﹄ 有 斐 閣 、 一九 八 二 年 、 八 ー 九 頁 参 照 。
h亀 O - h醤 § 一8 Q。導勺 ・ぱ ω●
二 、 三 次 に わ た った 英 蘭 戦 争
囚 .O 一
9目 碧 P b ミ o㌣ ︾ a Ω肺帖
o ﹃§ 忌
(10 ) さ し あ た り 、 青 山 吉 信 、 今 井 宏 編 ﹃概 説 イ ギ リ ス史(11 )
①
経 済 学 を 学 ん で い る者 に と っ て は 、 いわ ば 古 典 中 の古 典 と も いう べき サ ー 1ー ウ ィ リ ア ム ーー ペ テ ィ の ﹃政 治 算 術 ﹄ は 、 第
二次 、 第 三次 英 蘭 戦 争 (
オ ラ ンダ戦争 )を 契 機 と し て 執 筆 さ れ た 。 そ れ は イ ン グ ラ ン ド の オ ラ ン ダ お よ び フ ラ ン スと の 国
力 比 較 論 で 、 西 欧 の 一角 で 当 時 し のぎ を け づ り つ つ台 頭 し つ つあ った こ れ ら 三 力 国 の 領 土 、 人 口 、 農 工 業 、 商 業 、 海 運 力
等 総 体 と し て の 国 力 を 近 代 的 、 合 理 的 に 数 字 ・統 計 (
数 、量 、尺度 ) に も と つ い て論 じ た も の であ った 。
ペ テ ィ の こ の書 物 が 書 か れ た 第 二 次 オ ラ ン ダ 戦 争 か ら 第 三 次 オ ラ ン ダ 戦 争 に か け て の 一六 六 五年 な いし 一六 七 一年 こ ろ
と いえ ば 、イ ギ リ ス政 治 史 の上 で は 、ピ ュー リ タ ン革 命 後 王 政 復 古 の時 代 で 、国 王 チ ャ ー ルズ ニ 世 の 治 世 に相 当 し て いた 。
全 王 国 に は 以 前 に は 金 が お び た だ し く あ った が 、 いま や金 、 銀 と も に
ペ テ ィ は こ の ﹃政 治 算 術 ﹄ のは じ め の と こ ろ で 、 執 筆 の動 機 に 関 連 し て 以 下 の よ う に 述 べ て い る 。
﹁イ ン グ ラ ンド の福 祉 に 関 す る 多 く の人 の 不 安 -
は な は だ し く 梯 底 し て い る と いう こ と 、 人 民 の た め の 産 業 目轟 自。 や仕 事 口 国ヨ且畠 ヨ①三 は な に も な く 、 そ のう え 土 地 は
人 民 不 足 で あ る と いう こ と 、 ⋮ ⋮ 海 軍 力 の 競 争 で は 、 オ ラ ンダ 人 が わ れ わ れ の す ぐ あ と に 追 い迫 っ てき て お り 、 フ ラ ン ス
(1 )
人 は 急 速 に 両 者 を し の こ う と し 、 いか に も 富 裕 で 勢 力 が あ る よ う に 思 わ れ る ⋮ ⋮ ﹂ と 。
42
こ の よ う な 当 時 英 国 が お か れ て いた 状 態 を 悲 観 的 に の みと ら え 、 萎 縮 し て いく よ う な 人 び と の動 向 を 知 って 、 算 術 に も
と つ い て 合 理 的 に考 え て い け ば 、 イ ン グ ラ ン ド の 現 状 は 、 オ ラ ンダ や フ ラ ン スと 対 比 し て 、 そ れ ほ ど 見 劣 り の す る 悲 観 す
べき 状 況 で は な い のだ と いう こ と を 述 べた のが 、 ﹃政 治 算 術 ﹄ で あ った 。 い った い、 チ ャ ー ル ズ ニ 世 当 時 の イ ギ リ スに は 、
(2 )
内 乱 のあ と ペ スト の 流 行 (一六 六五年 )
、 ロ ンド ン の大 火 (一六六六年 )
、 第 二次 オ ラ ンダ 戦 争 中 の オ ラ ンダ 海 軍 の チ ャ タ ム
﹃新 交 易 論 ﹄ ︾ Z睾
U一
ω8 霞 ω。 oh円冨 号 の 中 で ﹁う し な わ れ た 交 易 に つ い て ﹂ と
攻 撃 (一六 六 七 年 六 月 一〇 日 )等 々 、悲 観 す べ き 出 来 事 が 多 々 お こ っ て い た 。 た と え ば 重 商 主 義 者 の 一人 と も い う べ き 、 サ ー
1ー ジ ョ サ イ ァ " チ ャ イ ル ド も 、 そ の 著
いう 項 目 を も う け 、 そ の な か で つぎ の よ う に 述 べ て い る 。
﹁七 、 比 類 の な い 有 利 な 交 易 で あ る 肉 ず く や 丁 香 や 乾 燥 肉 ず く の 東 イ ン ド 貿 易 。 そ こ か ら わ れ わ れ は (オ ラ ンダ によ って )
駆 逐 さ れ た 。 八 、 シ ナ お よ び 日 本 と の か れ ら の お お き な 交 易 (わ れ わ れ は そ れ に は な ん のわ け ま え も も た な い)﹂ 等 々 と 十 五 の
事 例 を あ げ た の ち 、 ﹁わ た し は わ れ わ れ が す で に う し な い、 ま た あ き ら か に う し な い つ つあ る 交 易 を も っと あ げ る こ と が
(3 )
(英 蘭 戦 争 ﹀轟 ざ-∪暮筈 ミ 胃 ω●
) で あ った 。 こ こ で は じ
でき る のだ が ﹂ あ ま り な が く な り す ぎ る か ら ⋮ ⋮ さ し ひ か え る こ と に し よ う 、 と 。
こ の よ う な 状 況 の 中 で 戦 わ れ た の が 、 三 回 に わ た る オ ラ ンダ 戦 争
め に こ の戦 争 の経 緯 に つ い て 、 概 略 ふ り か え って お き た い 。 以 上 の記 述 か ら も 伺 わ れ る よ う に 、 そ れ は イ ギ リ スと オ ラ ン
ダ と の貿 易 競 争 ・商 業 競 争 のな か か ら 生 じ た 戦 争 であ った 。 第 一次 英 蘭 戦 争 が 開 始 さ れ た の 一六 五 二 年 五 月 二 九 日 の こ と
第 一次 英 蘭 戦 争
であ った が 、 第 三 次 英 蘭 戦 争 は 一五 七 四年 は じ め に 終 了 し た か ら 、 二 〇 数 年 間 に わ た っ て いた 。
②
と い って も 、 も と よ り そ のお の お のが 、 そ の性 格 を 異 に し て い る 。 ま ず 第 一次 戦 争 は ピ ュー リ タ ン革 命 中 ク ロ ム ウ ェル
の共 和 政 権 の 下 で 戦 わ れ た 戦 争 で 、 オ ラ ン ダ 船 の 運 送 を 排 除 す る ﹁航 海 条 令 ﹂ の施 行 が 重 要 な 動 機 を な し て い る 。 第 二 次
英 蘭戦 争 期 の コロマ ンデ ル海岸
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戦 争 は 王 政 復 古 後 チ ャ ー ルズ ニ 世 の時 代 に 行 な わ れ た も のだ が 、 こ れ も チ ャ ー ルズ 治 世 当 初 の 一六 六 〇 年 に 再 制 定 さ れ た
﹁航 海 条 令 ﹂ が 一つ の契 機 を な し て い た と 考 え ら れ る 。 し か し そ れ で も 、 こ れ ら 二 つ の オ ラ ンダ 戦 争 の 間 に はき わ め て重
要 な 差 異 のあ る こ と が 、 広 く 認 め ら れ て い る 。
北 ア メリ
分 枝 が 出 て い た 。 略 奪 物 は 一層 大 き く な り 、 そ の こ ろ利 用 で き る よ う
﹁第 一次 英 蘭 戦 争 は ほ と ん ど ま った く 幅 本 国 近 辺 の海 域 で 行 な わ れ て いた が 、 第 二次 英 蘭 戦 争 は 世 界 全 体 に1
カ に 、 西 イ ン ド に 、 東 イ ンド に 、 西 ア フリ カ に ー
(4 )
に な った 以 前 よ り 大 き く て 強 力 な 、 乗 員 も 多 い船 の、 手 が 届 く と こ ろ で 、 人 び と を いざ な っ て いた 。﹂
チ ャ r ル ス 卦 ウ ィ ル ソ ンは こ の よ う に 述 べな が ら 、 第 一次 英 蘭 戦 争 の 軍 事 行 動 と 第 二 次 英 蘭 戦 争 の 軍 事 行 動 と の間 の差
異 ほ ど 、 英 国 の世 界 貿 易 の パ タ ∼ ンが 急 速 に 変 化 し た こと を 例 示 し て い る も の は な い、 と 述 べ て い る 。 そ れ は い か な る 統
計 よ り も そ の こ と を よ く 示 し て いる 、 と さ え 記 し て いる 。オ ラ ンダ は いざ 知 ら ず 、英 国 史 の立 場 か ら いえ ば 、英 蘭 戦 争 は 、
英 国 の 世 界 各 地 へ の貿 易 ・植 民 活 動 が 本 格 的 に 開 始 さ れ る 重 要 な 契 機 を な し て いた 、 と いう の であ る 。
G ・E ・エ ル マー 教 授 は ま た 次 のよ う に 記 し て い る 。
﹁三 次 に わ た る 英 蘭 戦 争 の最 初 の も の は 、 一六 四 〇 年 代 の 国 内 的 、 内 部 的 な 闘 争 の のち 、 再 び 英 国 国 家 の注 意 を 外 に 向 け
(5 )
さ せ た と いう 点 で重 要 であ る 。 ブ リ テ ン島 周 辺 の せ ま い海 や 西 ヨ ー ロ ッパ に 向 か って と 同 時 に 、 大 洋 や 非 ヨ ー ロ ッパ 世 界
に 向 か って も 注 意 を む け る のを 、 そ れ は 助 け た の で あ った ﹂ と 。
す で に 明 ら か に し て き た よ う に 、 英 国 の貿 易 ・商 業 上 の 非 ヨ ー ロ ッパ 世 界 への進 出 は 、 一七 世 紀 前 半 、 清 教 徒 革 命 以 前
(6 )
か ら 、開 始 さ れ は じ め て いた が 、第 一次 英 蘭 戦 争 のあ った }六 五 〇年 代 以 後 いよ い よ 本 格 的 な も のと な る 。 一六 二 〇 年 代 、
一六 三 〇 年 代 と 漁 業 の分 野 と 毛 織 物 貿 易 の分 野 で オ ラ ンダ に 対 し て 経 済 的 挑 戦 を し よ う と 試 み た が 、 う ま く いか な か った
(7 )
上 に 、 一六 四 〇 年 代 の内 乱 で さ ら にき び し い状 況 に お か れ た 。 そ う し た な か で イ ギ リ スは 迅 速 で確 実 な 効 果 を 期 待 す る こ
と が で き る 武 力 挑 戦 の道 を 選 ん だ の で あ った 。 海 軍 力 を も って、 オ ラ ン ダ の経 済 的 繁 栄 の根 源 を た た き つぶ そ う と し た の
44
で あ った 。
(8 )
他 の と こ ろ で も み た よ う に 、当 時 イ ギ リ ス 、オ ラ ン ダ 両 国 の 間 で は 、プ ロ テ ス タ ン ト 同 盟 に よ る 両 共 和 国 合 体 交 渉 さ え 、
す す め ら れ て いた 。 航 海 条 令 が 出 さ れ る 直 前 の 一六 五 一年 一月 に も な お 、 政 治 的 交 渉 が す す め ら れ て いた の で あ った 。 と
こ ろ が 、 調 整 が 手 間 ど り 、 に し ん 漁 の問 題 や近 海 を 往 来 す る船 舶 の 国 旗 掲 揚 ・敬 礼 の 問 題 、 そ れ に ア ンボ イ ナ 虐 殺 事 件 の
(9 )
保 障 問 題 等 々 が く す ぶ る な か で 、 一六 五 一年 一〇 月 に つ いに ク ロ ム ウ ェル の ﹁航 海 条 令 ﹂ が 出 さ れ る こ と と な った 。
そ れ か ら 数 ヵ 月 のう ち に 武 力 に よ る 両 国 船 舶 の 小 ぜ り あ い が み ら れ 、 火 砲 のう ち 合 い が は じ ま った 。 そ し て こ れ が 急 速
に 大 規 模 な 海 戦 ロ碧 巴 竃弩 に エ ス カ レ イ ト し た 。 オ ラ ン ダ の マ ー ル テ ン ーー ハー ペ ル ツ ゾ ー ン 荘 ト ロ ンプ 竃窪 詳窪 国ρ7
需 詳停 N。8 ↓胃。ヨ唱 の艦 隊 と イ ギ リ ス の ロ バ ー ト 睦 ブ レイ ク 菊oげ①誹 切冨ぎ の 艦 隊 と が 、 ド ー ヴ ァ沖 で 砲 火 を 交 え 、 海 戦 が
開 始 さ れ た の は 、 一六 五 二年 五 月 二九 日 の こ と で あ った 。海 軍 と い って も ま だ 本 格 的 な 軍 艦 が あ る わ け で も な か った の で 、
武 装 し た 民 間 の船 舶 も 大 い に活 用 さ れ た し 、東 西 両 イ ンド 会 社 の 船 舶 な ど も 、海 軍 に劣 ら な い戦 闘 力 と 攻 撃 力 を 発 揮 し た 。
敵 船 に肉 薄 し 、 砲 撃 を 交 え な が ら 接 舷 し て 、 船 上 の兵 士 を 敵 船 に 乗 り 込 ま せ 白 兵 戦 で 勝 負 を 決 め る 、 と いう の が 当 時 の海
戦 の やり 方 であ った 。 と に か く 第 一次 英 蘭 戦 争 中 の代 表 的 な 海 戦 は 、 一六 五 三 年 三 月 の ﹁三 日 間 海 戦 ﹂ と 八 月 の ﹁テ ル ヘ
イ デ 沖 の 海 戦 ﹂と で あ った 。前 者 は イ ギ リ ス側 の 勝 利 で あ った が 、後 者 は 双 方 が 一〇 〇 隻 以 上 の船 舶 を 動 員 し た 大 海 戦 で 、
両 者 と も 大 き い被 害 を 出 し た ほ ぼ 互 角 の戦 い で あ った 。 三 日 間 海 戦 で は イ ギ リ ス海 軍 が オ ラ ンダ 沿 岸 を 封 鎖 し 、 オ ラ ン ダ
(10 )
海 上 商 業 を あ る 程 度 混 乱 さ せ た が 、 テ ル ヘイ デ 沖 海 戦 で は オ ラ ンダ 側 も よ く 耐 え 、 封 鎖 を 免 れ る こ と が でき た 。 そ れ で も
海 上 で の戦 いと し て は 、 三 回 の海 戦 のな か で 、 英 国 側 が も っと も 成 功 し た 海 戦 で あ った 、 と いわ れ て い る。 こ う し て 、 一
六 五 四年 四 月 に 結 ば れ た ﹁ウ ェスト ミ ン ス タ ー の 講 和 条 約 ﹂ で は オ ラ ン ダ 側 が ﹁航 海 条 令 ﹂ を 受 け いれ る な ど 、 ほ ぼ 英 国
側 の要求 が 認 めら れ た。
英 蘭 戦争期 の コ ロマ ンデ ル海 岸
45
③
第 二次英蘭戦争
一六 六 五年 六 月 ノ ー フ ォ ー ク 海 岸 の ロ ー ウ ェ スト フ ト 沖 海 戦 で は じ ま った 第 二 次 英 蘭 戦 争 は 、 先 に も 触 れ た よ う に ヨ ー
ロ ッパ外 諸 地 域 で の両 国 の係 争 を 、 そ の 原 因 と す る も の で あ った 。 か つ て 論 じ た よ う に 、 イ ギ リ ス人 が 西 ア フリ カ の オ ラ
(11 )
ン ダ 西 イ ンド 会 社 要 塞 を 攻 撃 し た こ と も 、 そ の原 因 の 一つ であ った 。 イ ギ リ ス は ま た 、 北 米 ニ ュー ネ ザ ー ラ ンド 植 民 地 に
対 す る 侵 略 も 行 な った 。 オ ラ ンダ 側 が デ ーー ロイ テ ルを 派 遣 し て 、 こ れ ら の奪 回 を 企 て て い る 間 に 、 ロ ー ウ ェスト フト 沖 海
戦 が 行 な わ れ た の で あ った 。 こ の 海 戦 は イ ギ リ ス側 優 勢 のう ち に 終 り 、 イ ギ リ ス海 軍 は ホ ー ラ ント 、 ゼ ー ラ ント 沿 岸 を 封
鎖 し た が 、 か な ら ず し も 完 全 な も の と は いえ な か った 。 一六 六 六 年 に は 、 六 月 に ド ー ヴ ァ海 峡 で の 四 日 間 海 戦 、 八 月 に は
ノ ー ス ーー フ ォ ー ラ ン ド 沖 海 戦 が あ り 、 双 方 と も か な り な 被 害 を 出 し た が 、 ど ち ら か と いえ ば オ ラ ン ダ が 劣 勢 で あ った 。 し
か し イ ギ リ ス国 内 で は 一六 六 五 年 ベ ス ト が 流 行 し 、 六 六 年 九 月 二 日 に は ロ ンド ン大 火 が お こ って 人 び と の 生 活 が 脅 や か さ
れ て いた 上 に 、 財 政 赤 字 で水 兵 の 給 料 さ え 支 払 え な い状 況 であ った 。 そ う し た な か で 一六 六 七 年 六 月 、 デ " ロイ テ ルと ト
ロ ン プ の率 い る オ ラ ン ダ 海 軍 が 、 テ ムズ 川 と メド ウ ェイ 川 を さ か の ぼ り ロ ンド ン 近 く のチ ャタ ム 軍 港 を 襲 撃 し て 六 六 隻 の
(12 )
英 国 船 を 沈 め 、 最 良 の戦 艦 ロイ ヤ ル ーー チ ャ ー ルズ 号 を 捕 獲 し た 。 オ ラ ン ダ 海 軍 は さ ら に シ ェアネ ス に 上 陸 し た ほ か 、 ロ ン
ド ン港 封 鎖 を さ え 行 な った の で あ った 。
一六 六 七 年 八 月 に ﹁ブ レ ダ の 講 和 ﹂ が 結 ば れ た と き 、 イ ギ リ ス側 は 八 方 塞 り で ど う に も 身 動 き で き な い状 況 に 追 い込 ま
れ て い た 。 そ れ で オ ラ ン ダ 側 は 、 航 海 条 令 で 除 外 例 を 認 め さ せ る な ど 多 少 有 利 な 結 果 を 得 る こ と が でき た 。 し か し こ の 頃
す で に南 ネ ザ ー ラ ンド に 対 す る ルイ 一四 世 の 侵 略 が は じ ま っ て お り 、 オ ラ ン ダ と し て も 急 ぎ 、 対 英 講 和 を 結 ぶ 必 要 が あ っ
た 。 そ の た め オ ラ ンダ は ニ ュー 1ー ア ム ス テ ル ダ ムを イ ギ リ スに 譲 る な ど 譲 歩 も し た 。 いず れ に し て も 、 ヨ ー ロ ッパ 外 の広
大 な 世 界 に 対 す る イ ギ リ ス の 貿 易 ・植 民 活 動 は 、 オ ラ ン ダ に 対 す る 挑 戦 と いう 形 で 、 以 上 のよ う に し て す で に本 格 的 に 開
46
〔地 図1〕
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byD.Ogg,EnglandintheReignofCharlesII,p.389.
第 三次英蘭 戦争
始 さ れ て いた 。
④
第 三 次 英 蘭 戦 争 は 一六 七 二 年 六 月 の ソ ー ル ベイ の 海
戦 か ら は じ ま った が 、 こ れ は 先 の 二 つ の英 蘭 戦 争 と は
著 し く 性 格 が 違 って い た 。 そ れ は 、 こ の戦 争 が フ ラ ン
ス に よ っ て 仕 掛 け ら れ た 戦 争 で あ った と いう 点 で あ
る 。 あ る いは 堅 実 な ロ ンド ン商 人 な ど は 歓 迎 し て いな
か った のだ が 、 王 室 や 政 権 の中 枢 に いた 一部 のイ ギ リ
ス人 た ち が ア フリ カ 貿 易 な ど で ぼ ろ儲 け し よ う と 考 え
て、 積 極 的 に 参 加 し た 戦 争 で あ った 。 フ ラ ン ス の ルイ
一四 世 は 一六 七 二 年 オ ラ ン ダ に 対 す る 侵 略 戦 争 を 開 始
し た が 、 そ れ に先 立 つ 一六 七 〇 年 に ル イ は イ ギ リ スと
の ﹁ド ー ヴ ァ の密 約 ﹂ で、 チ ャ ー ルズ ニ 世 と キ ャ バ ル
(13 )
政 権 と を 買 収 し て いた 。 こ う し て フ ラ ン ス対 オ ラ ン ダ
戦 争 に 際 し て 、 強 引 に イ ギ リ スを フ ラ ン ス の味 方 に ひ
き入 れた わ け であ る。
イ ギ リ ス で は 一六 七 一年 末 頃 か ら ﹁王 立 ア フリ カ 会
社 ﹂ 設 立 の た め の株 式 が 発 売 さ れ は じ め て いた が 、 こ
英 蘭 戦争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
47
の王 立 ア フリ カ 会 社 株 に キ ャ バ ル政 権 の 五 人 の大 臣 のう ち 四 人 が 応 募 し て いる の は 、 は な は だ 興 味 のあ る と こ ろ で あ る 。
(14 )
か れ ら は も し オ ラ ン ダ 商 船 が フ ラ ン ス の海 軍 に よ って ヨ ー ロ ッパ に 閉 じ こ め ら れ た な ら ば 、 ア フリ カ の豊 か な 役 得 品 が 入
手 し や す く な って 、 ア フリ カ 会 社 は 大 い に 儲 か る と 考 え て いた の であ った 。 し か し 、 オ ラ ンダ の デ H ロイ テ ル の 艦 隊 と 英
仏 連 合 艦 隊 が ぶ つか り あ った ソー ル ベ イ の海 戦 は オ ラ ンダ の優 位 のう ち に終 った し 、 一六 七 三年 五 月 末 ー 六 月 は じ め の ス
ホ ーネ フ ェル ト 海 戦 も 、 八 月 の テ ク セ ル 沖 海 戦 も 、 た が い に 互 角 で か な ら ず し も イ ギ リ ス 側 が 有 利 と いう わ け で は な か っ
た 。 し た が っ て英 国 ア フレ カ 会 社 が こ の 戦 争 に よ っ て大 き い利 得 を 得 た 、 と いう わ け で は な か った 。 一六 七 四 年 二月 九 日
(15 )
調 印 さ れ た 二度 目 の ﹁ウ エ ス ト ミ ン ス タ ー の講 和 ﹂ は 、 イ ギ リ スを オ ラ ンダ と の戦 争 か ら 解 放 し 、 二 〇 年 に わ た る オ ラ ン
ダ と の海 上 戦 争 も 、 よ う や く 終 了 す る こ と と な った 。
いう ま で も な く 第 三 次 英 蘭 戦 争 は 第 二次 英 蘭 戦 争 の場 合 と 同 じ く 、 本 国 近 海 で の戦 争 ば か り で な く 、 西 ア フ リ カ や 新 大
陸 、 東 イ ンド の各 地 で も 遂 行 さ れ て いた 。 第 三 次 の 場 合 は そ の上 さ ら に フ ラ ン ス が 、 対 オ ラ ンダ と いう 立 場 で参 加 し て い
た 。 フ ラ ン スは こ の 頃 のち に み る よ う に 東 イ ン ド 海 域 に 相 当 強 力 な 進 出 を み せ て いた ば か り で は な く 、 西 イ ンド 方 面 で も
活 発 に 活 動 し て い た 。 こ の た め 西 イ ン ド ・カ リ ブ 海 方 面 で は第 三 次 英 蘭 戦 争 当 時 、 ス ペイ ン が オ ラ ンダ と 同 盟 し て 、 イ ギ
リ ス ・フ ラ ン ス に 対 抗 す る と い った 有 様 で あ った 。
一六 七 四 年 二 月 の ﹁ウ エ ス ト ミ ン ス タ ー条 約 ﹂ は 、 イ ギ リ スと オ ラ ン ダ と の 間 で だ け で の 平 和 条 約 で あ った が 、 オ ラ ン
ダ は こ の平和 条 約 を 西 イ ンド (
カ リブ海 周辺 ) に だ け 適 用 し 、 東 イ ンド ・ア ジ ア 海 域 を 除 外 し よ う と し て いた 。 し か し イ
ギ リ スと オ ラ ン ダ と の係 争 地 は 全 世 界 に 及 ん で いた か ら 、 そ の後 も 話 合 い は 続 け ら れ 、 結 局 一六 七 四 年 一二 月 、 付 加 的 海
洋 条 約 と も いう べ き ﹁ロ ン ド ン条 約 ﹂ が 締 結 さ れ た 。 イ ギ リ ス の東 イ ンド 会 社 と 王 立 ア フリ カ 会 社 、 オ ラ ンダ の東 西 両 東
(16 )
イ ン ド 会 社 、 そ れ に オ ラ ン ダ 、 イ ギ リ ス各 植 民 地 の総 督 な い し は 主 任 長 官 た ち が 、 全 世 界 す べ て の と こ ろ で 、 こ の平 和 条
約 を 励 行 す る こと が 定 め ら れた 。
48
こ れ で も っ て、 イ ギ リ ス と オ ラ ンダ と の間 に は 緊 密 な 平 和 友 好 関 係 が 結 ば れ る こ と と な った 。 し か し こ の頃 す で に ル イ
一四 世 治 下 フ ラ ン ス の海 外 進 出 も よ う や く 急 を 告 げ て お り 、 イ ギ リ ス 、 オ ラ ンダ 両 国 と も 、 こ の 強 力 な 競 争 者 に 対 抗 し て
い か な く ては な ら な か った 。
勺。ξ "ぎ § 軌
6ミ ﹄§ ぴ§ 誉 壷 一〇〇〇・邦 訳 、 ペ テ ィ 著 、 大 内 兵 衛 、 松 川 七 郎 訳 ﹃政 治 算 術 ﹄ 岩 波 文 庫 、 一九 五 五 年 、
イ ギ リ ス のサ ー 1ー ウ ィ リ ア ム 目 ペ テ ィ が ﹃政 治 算 術 ﹄ を 執 筆 し た の は 、 そ の よ う な 状 況 のな か に お い て で あ った っ
註
(1 ) ω貯 ≦ 岳 §
一九 頁 。
(2 ) ロ ン ド ン だ け で 六 万 八 千 名 の 死 亡 者 を 出 し た と いう ペ ス ト の 流 行 に つ い て は 、 ダ ニ エ ル ーー デ フ ォ i 、 平 井 正 穂 訳 ﹁ペ ス ト ﹂ (﹃筑
(一二 九 頁 )、 チ ャ タ ム 攻 撃
(一四 四 頁 ) の 様 子 を 、 い ず れ も ヴ ィ ヴ ィ ッド
摩 世 界 文 学 大 系 20 ﹄) 昭 、 四 九 年 、 一七 三 ー 三 二 三 頁 、 筑 摩 圭旦房 、 も あ る が 、 臼 田 昭 ﹃ピ ー プ ス 氏 の 秘 め ら れ た 日 記 ﹄ 岩 波 新 書 、
一九 八 二 年 が 、 ペ ス ト (九 六 頁 以 下 )、 ロ ン ド ン 大 火
に 伝 え て い る。
商
(3 ) ω貯 ﹄。。。一
聾 9 一
年 缶 ≧§ b帖
物8 ミ 器 駄 寄 9貸 一〇㊤ω●邦 訳 、 チ ャ イ ル ド ﹃新 交 易 論 ﹄ 一九 六 七 年 、 東 大 出 版 会 、 二 一頁 、 二 四 頁 。
冨 。。O㌔ ﹂ 鐙 ・
お 09 " さ 朝●
チ ャイ ル ド が 重 商 主 義 者 と も いう べ き 人 で あ っ た 、 と いう 点 に つ い て は 、 同 訳 書 、 三 〇 八 頁 の 杉 山 忠 平 氏 の 解 説 、 参 照 。
(4 ) 2 巨 ①ωヨ ぎ ジ 穿 頓、
§ 器 魯 ミ§ 肺
馬
§ 蕊 ミ 8 恥- 篭 舞
(5 ) Ω﹄ .と ぎ ①弓﹄ 9 ミ 軋
§ ミ 隷 ミ § § 、﹄ 蔓 § こ 象 O- 巳 8
(6 ) 拙 稿 ﹁英 国 商 業 革 命 への 道 ﹂ (﹃西 洋 史 学 ﹄ 七 八 号 ) 昭 、 四 三 年 、 一ー 一七 頁 。 ま た 、 拙 稿 ﹁一七 世 紀 英 国 商 業 史 の 課 題 -
﹂ (﹃イ ギ リ ス 史 研 究 ﹄ 一二 号 ) ↓九 七 二 年 、 一〇 1 一八 頁 。 こ の よ う な 拙 論 を
﹃イ ギ リ ス 植 民 地 貿 易 史 研 究 ﹄ 昭 和 五 九 年 、 が あ る 。 同 書 六 九 頁 、 参 照 。
業 革 命 と 重 商 主 義 に ま つわ る 諸 問 題 に よ せ て
評 価 し た も の に、 四 元 忠 博
(7 ) 後 に 述 べ る コ ロ マ ン デ ル 海 岸 で も 、 イ ギ リ ス は ま っ た く 萎 縮 し て い た 。 目碧 碧 閑昌 島 き き 琴 一
︾旨 § O。§智 塁 § O。き§§ 忌 こ O象
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。ミ魯 § 瀞 ぎ 貯ミ㊦§ § 防ミ 肉§き 鳶 § O§ § § § 軋 早 ミ ミ § ミ 穿 § § § レ OON㌔ ﹂ O。。.
卜§ 物
﹂ ⑩ωP 勺即 お -ミ '
(8 ) 拙 稿 ﹁ピ ュ ー リ タ ン 革 命 下 共 和 政 権 と 第 一次 英 蘭 戦 争 ﹂ (﹃立 命 館 文 学 ﹄ 三 二 四 号 ) 一九 七 二 年 、 八 九 ! 九 〇 頁 。
(9 ) r >﹄ 釦趨 。さ § ⑪穿 曳 艦
罫 ≧§ 讐 肺
§
、
英 蘭戦 争期 の コロマ ンデ ル海岸
49
﹁第 二 次 英 蘭 戦 争 と 西 ア フ リ カ 貿 易 ﹂ (﹃西 洋 史 学 ﹄ 一〇 二 号 )、 昭 和 五 一年 、 六 ー 一四 頁 。
(10 ) O・国.﹀矯ぎ ①♪ き轟
(11 ) 拙 稿
(12 ) 閑●O●ピ9冨 ヨ 僧匿 毒 .ζ彗 冨 署。。 (o↑)
讐§ ㊦b旨遷 ミ q
QΩ§§ 、㌘ 憶惨 8 卜◎
。 (δ ミ ) レ ㊤刈◎。o↑"勺℃﹄ $ - ま 刈◎
(13 ) 浜 林 正 夫 ﹃イ ギ リ ス名 誉 革 命 史 ﹄ 上 巻 、 一九 八 一年 、 七 三 頁 。
客 O ●∪聖 冨 。・℃ 寡 偽 肉遷 ミ き
一㊤q8 勺即 OO - ΦN●
(14 )
以 上 の う ち 、 第 二 次 、 第 三 次 英 蘭 戦 争 に つ い て は 、 D ・ オ グ の 著 書 に よ っ た 。 U碧 達 Oα
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q讐肉 鑓 N§ 瓢 営 導 ① 肉庶 讐 ミ 9 ミ 、霧 鐸
軌
6Ω§ Oo§ 鳩Ω§
(15 )
コ ロ マ ン デ ル海 岸 と 木 綿 織 物 貿 易
コ ロ マ ン デ ル 海 岸 と サ ン ーー ト メ
三、
﹀ .℃ .Zo≦8 P § ㊤肉 ミ o驚 08 >ざ識§ 物§ 導 鳥 ミ 舘 肺ぎ 盛 霧 ﹄心捻 - ま Q
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(16 )
①
と こ ろ で 、 イ ン ド 半 島 南 部 の コ ロ マ ン デ ル 海 岸 と い え ば 、 今 日 の ス リ ラ ン カ 北 方 の イ ン ド 東 南 海 岸 を いう が 、 現 在 の マ
ド ラ ス を 中 心 と し た 沿 岸 諸 地 域 の こ と で あ る 。 も と も と コ ロ マ ン デ ル Oぎ き ヨ讐 畠巴 の ζ き 自巴 と い う の は 、 ヒ ン ド ゥ ー 語
あ る い は テ ル グ 語 で 地 方 ・地 域 と い っ た 意 味 で 、 こ の 方 面 は チ ョ ー ラ Oぎ 轟 地 方 と い った こ と か ら 、 チ ョ ー ラ ーー マ ン デ
ルー ← コ ロ マ ン デ ル と 呼 ぶ よ う に な った 。 正 確 に は ネ ガ パ タ ー ン 岬 か ら 、 北 北 東 へ約 九 〇 マイ ル の マ ス リ パ タ ン ま で の 海
(1 )
岸 を いう 。同 じ イ ンド 半 島 の西 海 岸 で あ る マラ バ ル海 岸 と 比 べる と 、西 ヨ ー ロ ッパ の 人 び と に知 ら れ る の は お そ か った が 、
古 く か ら マラ ッカ や 東 南 アジ ア諸 地 域 と の交 通 ・通 商 が 盛 ん で 、 西 方 よ り も 東 方 と の 結 び つき の強 いと こ ろ で あ った 。
そ れ で も 、 こ の地 に は じ め て進 出 し た 西 ヨ ー ロ ッパ 人 は や は り ポ ルト ガ ル 人 で あ った 。 当 初 コチ ン や ゴ アな ど マ ラ バ ル
50
(2 )
海 岸 か ら 接 触 し は じ め た ポ ル ト ガ ル 人 は 、 や が て コ ロ マ ン デ ル 海 岸 に も 進 出 す る 。 今 日 で は マド ラ スが そ の中 心 都 市 であ
る が 、 そ れ は 一七 世 紀 に 入 って イ ギ リ ス東 イ ン ド 会 社 の手 で 建 設 さ れ た も のだ か ら 、 ポ ル ト ガ ル 人 が 渡 来 し た 頃 に は ま だ
(3 )
な か った 。 し か し そ れ よ り 三 マ イ ル 南 の と こ ろ に 、 も と も と メ リ ア プ ー ル と 呼 ば れ た 町 が あ り 、 た ま た ま ネ ガ パ タ ー ン か
ら マ ス リ パ タ ンま で の コ ロ マン デ ル 海 岸 のほ ぼ 中 央 に 位 置 し て い た と こ ろ か ら 、 ポ ル ト ガ ル 人 が 進 出 拠 点 と す る と こ ろ と
な った 。
マ ル コ ーー ポ ー ロ も そ の ﹃東 方 見 聞 録 ﹄ の 中 で 、 ﹁使 徒 聖 ト ー マ ス の 遺 体 を 安 置 す る 土 地 に つ い て ﹂ と いう 項 を 設 け て 、
つぎ の よ う に 書 い て い る 。 "使 徒 ト ー マ ス の 遺 体 は マ ー バ ー ル 地 方 (コ ロ マ ン デ ル海 岸 ) の さ る 小 邑 に 安 置 さ れ て い る 。 こ
の 町 は 人 口も 少 な く 、 買 い付 け る 商 品 も な い上 に 表 街 道 か ら や や は ず れ て い る の で、 商 人 の往 来 す る者 も な い。 し か し こ
(4 )
の 町 に 巡 礼 す る イ ス ラ ー ム 教 徒 と キ リ ス ト 教 徒 は な か な か に 数 が 多 い " と 。 そ し て こ の ﹃東 方 見 聞 録 ﹄ に 訳 注 を つけ た 愛
宕 松 男 氏 に よ れ ば 、 こ こ に マ ル コ ーー ポ ー ロ が 述 べ た 小 邑 と い う の は 、 "マ ド ラ ス 南 郊 五 キ ロ メ ー ト ル の と こ ろ に あ る マ イ
(5 )
ラ プ ー ル と い う と こ ろ で 、 そ れ は ﹁孔 雀 の 町 ﹂ の 意 味 で あ る " と い う の で あ る 。 愛 宕 氏 は ま た "マ ル コ H ポ ー ロ当 時 、 マ
ド ラ ス地 方 に は ネ スト リ ゥ ス派 キ リ ス ト 教 徒 千 名 が 数 え ら れ た " と も 記 し て い る 。 つま り 、 マイ ラ プ ー ル ︿メ リ アポ ー ル
︿メ リ ア プ ー ルと 称 さ れ た サ ン ーー ト メ の こ の 地 は 、 一三 世 紀 に 早 く も 知 ら れ た 由 緒 あ る と こ ろ で あ った わ け であ る 。
い った い聖 ト ー マ スは キ リ ス ト 一二使 徒 の 一人 で 、 一世 紀 中 葉 こ ろ パ ル テ ィ ア 人 やイ ンド 人 に キ リ ス ト 教 を 伝 え る た め
に 出 発 し 、 南 イ ンド の こ の 地 方 で 活 発 な 布 教 活 動 を 行 な って い た が 、 六 八 年 こ ろ (
七 二年 とも ) マイ ラプ ー ル で 殉 教 し た
と 伝 え ら れ て いる 人 で あ る 。 ト ー マス殉 教 の 地 に つ い て は 異 説 も あ った が 、 一六 世 紀 は じ め に マイ ラ プ ー ル の こ の地 に落
ち 着 いた 。 と く に 一五 一七 年 に ポ ル ト ガ ル 人 デ ィ エ ー ゴ 目 フ ェル ナ ン デ ス が こ の 地 に 聖 遺 骨 、 聖 遺 物 を 実 見 し 、 パ ラ ウ ィ
(6 )
語 の 石 碑 も 発 見 さ れ た の で 、 こ の地 が 殉 教 の 地 に 間 違 いな いと さ れ る よ う に な った 。 一六 世 紀 に は ポ ル ト ガ ル の イ ンド 史
家 バ 一
] ス しd碧 o。・や コ ウ ト 02 8 な ど も 記 し て い る し 、 詩 人 カ モ ン イ ス O鎚目ひ①ω も 詠 っ て い る 。
英蘭 戦争 期 の コロマ ンデル 海岸
5i
そ う し た こ と か ら 、 一五 四 五 年 こ こ に 本 格 的 に 進 出 し た ポ ル ト ガ ル 人 は 、 こ の 地 に 聖 ト ー マ ス 殉 教 の 伝 説 が の こ っ て い
た と こ ろ か ら 、 こ こ を サ ン ーー ト メ (シ ン ト ーー ト マス ) と 呼 ん で 尊 重 す る よ う に な っ た 。 一六 世 紀 末 に イ ン ド に 渡 来 し て い た
(7 )
オ ラ ン ダ 人 リ ン ス ホ ー テ ン は 、 こ の 地 は 以 前 に は 非 常 に 豊 か な 商 業 都 市 で あ った 、 と 述 べ て い る 。 の ち に 詳 論 す る が 、 一
、
(富 ) の 変 わ り や す さ に よ っ て 、 そ れ は 崇 拝 す べ き 美 点 の 多 く を
七 世 紀 に こ こ を 訪 れ た 英 国 人 ジ ョ ン ーー フ ラ イ ヤ ー も 、 ﹁サ ン ーー ト メ は 、 以 前 に は 、 富 、 誇 り 、 ぜ い た く の 点 で 、 イ ン ド で
(8 )
は 他 の ど こ に も 劣 ら な い 市 で あ った 。 し か し 近 年 、 財 産
減 じ て し ま った 、﹂ と 書 い て い る 。 一六 世 紀 中 葉 ご ろま で は 、 著 る し い商 業 的 繁 栄 を 誇 って いた と こ ろ であ った こ と が 知
ら れ る。
オ ラ ンダ の進 出
以 上 が 一六 世 紀 ま で の サ ン 睦 ト メを 中 心 と し た コ ロ マ ン デ ル海 岸 の 状 況 で あ った 。
②
と こ ろ が 、 ポ ル ト ガ ル 人 に つ い で 一七 世 紀 に こ の 地 域 に 進 出 し た オ ラ ン ダ 人 は 、 た ち ま ち に し て こ の地 域 の商 業 的 経 済
的 重 要 性 に 着 目 す る よ う に な った 。 コ ロ マ ン デ ル海 岸 は 以 前 か ら 有 数 のイ ンド 木 綿 (
キ ャラ コ、チ ンツ) の製 造 地 と し て 知
ら れ て いた が 、 な か で も 北 部 の マス リ パ タ ム は キ ャ ラ コの 買 入 地 と し て 最 適 の と こ ろ であ った 。 オ ラ ン ダ 商 人 は ど こ よ り
も ま ず 、 東 南 アジ ア の胡 椒 、 香 料 の 買 入 れ を 当 初 そ の東 イ ンド 貿 易 の中 軸 に お い て いた が 、 マ ス リ パ タ ム のキ ャ ラ コは 東
南 ア ジ ア 諸 島 住 民 の 間 で 需 要 が 多 く 、 こ のた め に か れ ら は 早 く も 一六 〇 五 年 に こ の地 に 進 出 し 、 付 近 一帯 の機 業 地 に も 手
(9 )
を 伸 ば し た 。 モ ル ツカ 諸 島 産 香 料 な ど 東 南 ア ジ ァ諸 島 産 品 の ヨ ー ロ ッパ へ の独 占 的 輸 入 を 企 図 し て いた オ ラ ン ダ 東 イ ン ド
会 社 重 役 会 ( 七 人 会 =①霞 雪 ×≦ H) は 、 こ こ コ ロ マ ン デ ル 海 岸 で の イ ン ド 織 物 貿 易 独 占 を も 目 論 ん だ 。 重 役 会 は ス パ イ ス
"左 腕 " と し て 、 一六 一二 年 に 叙 述 し て い る 。 す で に 一六 〇 三 年 に ス テ フ ェ ン 艮 フ ァ ン ーー デ ア ーー ハ ー ヘ ン
を 入 手 す る ﹁モ ル ッカ 貿 易 ﹂ を 同 会 社 の "右 腕 " と み な し 、 こ れ に 対 応 す る コ ロ マ ン デ ル 産 と グ ジ ャ ラ ー ト 産 の 綿 織 物
営①8 σQ8 翻 を
52
(10 )
が = 二隻 の艦 隊 を も って ネ ー デ ル ラ ン ト を 出 発 し た と き 、 コ ロ マ ン デ ル海 岸 に永 続 的 商 館 を 設 立 す れ は カ ンパ ニー は 経 済
的 利 益 を つか む こと が でき る と いう 、 明 確 な 見 解 を 示 さ れ て いた 。 オ ラ ン ダ 人 が イ ン ド に 商 館 を 設 立 し た の は 、 ま ず 何 よ
り も 大 東 洋 号 O﹃9①08 け へも ち 込 む イ ンド 織 物 が 必 要 で あ った か ら であ る 。 コ ロ マ ン デ ル海 岸 こ そ そ れ ら 織 物 類 の供 給
地 に 他 な ら な か った 。 海 岸 産 衣 料 ざ 。・け
ζ巴 9 の積 荷 を タ ップ リ 供 給 し さ え す れ ば 、 東 南 アジ ア 諸 島 で は い つも 商 業 的 利
益 を 見 込 む こ と が で き る 。 香 料 諸 島 の人 び と と 交 換 す る 際 に は 、 現 金 。器 学と 衣 類 。一
9冨 ωだ け が 唯 一の市 場 価 値 あ る商
(11 )
品 で あ る 。 ま た そ れ ら は 胡 椒 貿 易 で 大 き な 役 割 を 果 た し た 。 こう し て オ ラ ン ダ が 設 立 し た 営 業 所 は 海 岸 に 沿 って 立 地 し た
ば か り で な く 、 時 が す す む に つれ て 内 陸 に も でき た 。 こ れ ら 営 業 所 の 立 地 は 、 そ の 地 域 そ の地 域 の 織 物 製 作 上 の技 術 的 特
色 に よ っ て 決 定 さ れ る 場 合 が 多 か った 。
す で に イ ンド に は 代 表 的 な 木 綿 産 地 グ ジ ャ ラ ー ト 地 方 が あ った 。 半 島 西 北 部 の こ の 地 方 に は ス ラ ト 、 ア ー メ ダ バ ー ド な
(12 )
ど の 町 が 栄 え て いた 。 ス マト ラ島 ア チ ン の ス ル タ ンか ら の紹 介 状 を 持 った オ ラ ンダ 船 が 、 こ の 地 方 の キ ャ ン ベ イ を 訪 問 し
(13 )
た の は 早 く も 一六 〇 二 年 の こ と であ った 。 そ の後 も オ ラ ン ダ 人 の こ の地 方 へ の関 心 が な く な った わ け で は な いが 、 胡 椒 、
香 料 取 引 に 重 点 を お い て いた オ ラ ン ダ 東 イ ン ド 会 社 に と って は し か し 、 コ ロ マ ン デ ル 海 岸 の方 が は る か に 重 要 であ った 。
イ ン ド ネ シ ア、 マ レ ー 諸 島 の人 び と は た し か に イ ンド 産 木 綿 織 物 を 求 め て古 く か ら 香 料 と の交 換 交 易 を 行 な っ て いた が 、
か れ ら に 人 気 が あ った のは 何 と い って も コ ロ マ ンデ ル海 岸 産 のも の で あ った か ら で あ る 。
イ ン ド 織 物 だ った ら 何 で も よ いと いう の で は な く て 、 特 定 タ イ プ のも の に 対 す る 欲 求 が き わ め て 強 か った の であ る 。 コ
(14 )
ロ マ ン デ ル 織 物 を も った 仲 介 商 人 は し ば し ば マレ ー 諸 島 各 地 の地 方 市 場 を 訪 れ た が 、 そ れ ぞ れ の土 地 に は そ の 土 地 ご と の
習 慣 や 因 習 が あ り 、 人 び と は そ れ に も と つ い た き わ め て 保 守 的 な 趣 味 を も っ て い た 。 そ の よ う な マレ ー 諸 島 現 地 の 人 び と
の 趣 向 に あ った も の で な け れ ば 、 い か に 大 量 の反 物 を 船 積 み し て も ま った く 売 れ な い、 と いう こ と が し ば し ば あ った 。
一六 = 二年 に マレ ー 半 島 のあ る港 に コ ロ マ ン デ ル反 物 を 運 ん だ あ る 商 人 の 日 誌 に は 、 つぎ の よ う に 書 か れ て いた 。
英 蘭戦 争期 の コロマ ンデ ル海岸
53
﹁上 記 マレ ー 織 物 の 注 文 に あ た って 大 き い手 落 ち が 犯 さ れ て し ま った 。 ⋮ ⋮ と いう の は そ れ ら 織 物 のす べ て が 小 さ い狭 い
白 い ヘリ を も っ て い る が 、 正 し い (
正確 な ) マ レ i 織 物 は そ れ が な いも の で な く て は な ら な い。 ⋮ ⋮ そ う いう 状 況 の 中 で 、
マレ ー人 は 余 り に も 気 む ず か し い の で 、 か れ ら は そ れ を み た だ け で 一度 も か れ ら の手 を 出 さ な い。 そ し ても し 私 が 経 験 に
よ っ てそ の こ と を 発 見 し な か った ら 、 私 は ご く ご く 小 さ な 欠 点 であ って も 価 格 の非 常 に 大 き い減 価 を ひき お こ す に 決 ま っ
(15 )
て い るな ど と いう こ と を 、 私 は 信 じ な か った で あ ろう 。 ﹂
こ の よう な は な は だ 気 む ず か し い マレ ー諸 島 住 民 た ち の趣 味 にあ った も のを 製 造 す る努 力 を 、 コ ロ マン デ ル 海 岸 の 織 布
工 や染 色 工 は 続 け て き た の で あ った 。 ヨ ー ロ ッパ 人 渡 来 以 前 か ら 、 か れ ら は 長 年 に わ た って 製 造 上 の高 度 の専 門 化 と 経 験
と を 身 に つけ て いた 。 無 地 の平 織 り や彩 色 キ ャ ラ コ の反 物 の他 、 腰 巻 き 舞 凶
ω什
6一
9冨 ωや マ ン ト 日き 二霧 (
含℃き 器 )と い っ
た 服 装 用 品 が 、 そ の 主 な 製 造 品 で あ った 。 オ ラ ンダ が こ の 地 に 力 を 伸 ば し た 一七 世 紀 は じ め こ ろ に は 、 南 北 に 長 い コ ロ マ
ン デ ル海 岸 のう ち 、 北 部 は 最 上 質 の白 布 あ る いは 未 彩 色 の布 を 製 造 す る と こ ろ と し て 知 ら れ 、 南 部 コ ロ マ ン デ ル は 色 つき
(16 )
ピ ン タ ー ド 官暮匙 。。・と か 、 ろ う 染 め プ リ ン ト 地 げき 8 噂二暮 の産 地 と し て 知 ら れ て い た 。
オ ラ ン ダ 合 同 東 イ ンド 会 社 設 立 後 間 も な く コ ロ マ ン デ ル海 岸 に や って 来 た オ ラ ン ダ 商 人 は 、 先 に も 記 し た よ う に 一六 〇
五 年 、 比 較 的 北 部 に あ た る マ ス リ パ タ ム に商 館 を お いた 。 こ こ は ム ス リ ム 国 家 ゴ ル コ ンダ に 属 し て いた も の の、 地 方 行 政
が 不 安 定 で 腐 敗 し て お り 、 落 ち 着 いた 取 引 き が でき な い こ と が 判 明 し た た め 、 そ れ よ り 南 の方 に 在 住 し て いた ヒ ンド ウ ー
支 配 者 と 交 渉 し て 、 新 し い拠 点 を 求 め た 。 こ う し て 一六 一〇年 プ リ カ ット に 新 た な 商 館 を 設 置 し 、 こ こ を オ ラ ンダ 東 イ ン
(17 )
ド 会 社 コ ロ マン デ ル海 岸 の 中 心 地 と し た 。 こ れ か ら 一六 九 〇年 ま で プ リ カ ット は オ ラ ンダ ・コ ロ マ ン デ ル 貿 易 の 中 心 と し
て、 重 要 な 位 置 を 占 め る こ と と な る 。 と い っ ても マス リ パ タ ム が 完 全 に 放 棄 さ れ た わ け で は な く 、 無 地 の白 織 り キ ャ ラ コ
の他 上 質 チ ン ツ の産 地 を 近 く に も つ マ ス リ パ タ ム は 、 こ れ か ら 後 も 、 重 要 な 木 綿 供 給 地 と し て よ く 利 用 さ れ て いた 。
そ れ か ら 一七 世 紀 中 頃 に か け て オ ラ ン ダ は 、 こ れ ら の拠 点 を 足 場 に し て コ ロ マ ン デ ル海 岸 各 地 に勢 力 を 伸 ば し て い った
54
ころの南 イン ド
〔地 図2〕1700年
Warrangal●
Goitonda●
亀∂ガ
々 砺 εん
ゐ
P。t。p。r:.●Masuiipat・m
Pul十ca#
Maciras
●「d且;cherry
Calicut
・Majorsettlements
.Provincialtowns
"
m
-300k
46
2'
卍
鴻
鴻
脚
舳
㎡
温
輪
㎏
甜
h
.
塒
㎞
面
加
﹄
潤
K
切
が 、 同時 にか
れら は コロ マ
ン デ ル織 物 を
イ ン ド ネ シ
ア、 マ レ i 諸
島 各 地ば か り
でな く 、広 く
モ ン スー ン目
ア ジ ア の各
地、 熱帯 ア フ
リ カ の沿 岸
部、 さら に は
ヨ ー ロ ッパ や
西 イ ンド 諸 島
の ニグ ロ奴 隷
向 け にも 、手
広 く 販売 す る
よう に な っ
た 。取 引 品 の
英 蘭戦 争 期 の コ ロマ ンデ ル海岸
55
損
16
種 類 も ま た 粗 質 の も の 霞 ω①ゐ ざ9 ωか
ら優 美 な婦 人 向 け 最 上質 軽 量織 物 に 至
(18 )
る ま で 、 ま った く 多 様 な も のが 取 扱 わ
れ る よ う に な った 。
ヨ ー ロ ッパ 方 面 に 輸 入 さ れ た 綿 織 物
は 大 部 分 が コ ロ マ ンデ ル 産 のギ ネ ー ス
σq三き ①ω で あ った が 、 そ の 輸 入 量 は 一
七世 紀 は じ め から 中 頃 にか け て のオ ラ
ンダ ・コ ロ マ ン デ ル貿 易 発 展 の様 子 を
物 語 ってく れ る 。 一六 一七 年 の本 国 の
注 文 は 七 〇 〇 〇 反 で あ った が 、 実 際 の
輸 入 量 は 一六 一九 - 二 一年 で年 平 均 九
三 五 〇 反 で あ った 。 こ れ に 対 し て 一六
四 二 年 の注 文 は 五 三 八 〇 〇1 六 一五 〇
〇 反 、 実 際 の輸 入 量 は 一六 四 八 年 ・四
九 六 三 二 反 、 一六 四 九 年 ・四 〇 一五 五
反 、 一六 五 〇 年 ・五 五 一二 八反 で あ っ
た 。 一六 二 〇 年 こ ろ か ら 数 一〇 年 の 間
に 約 五 倍 に 増 加 し て いる のを 知 る こ と
5s
(19 )
が でき る 。
こ の よ う な 取 引 増 大 を 背 景 と し て オ ラ ン ダ 東 イ ン ド 会 社 は 、 プ リ カ ット 、 マ ス リ パ タ ム の 他 に も 、 北 部 の ペ タ ボ リ 、 パ
リ カ ット 、 ゴ ル コ ン ダ 、 南 部 の サ ド ラ ス パ ト ナ ム 、 テ ゲ ナ プ ト ナ ム 、 カ リ コ ー ル な ど な ど に も 商 館 を 設 置 し て 勢 力 を 拡 大
し て い った 。 な お 力 を 保 っ て い た ポ ル ト ガ ル と 競 合 し な が ら の 進 出 で あ っ た 。 オ ラ ン ダ が コ ロ マ ン デ ル 海 岸 中 で も 戦 略 的
(20 )
に 重 要 な ポ ルト ガ ル人 最 後 の 拠 点 ネ ガ パ タ ム を よ う や く 占 領 し た の は 、 一六 五 八年 の こ と で あ った 。 同 じ 一六 五 八 年 に オ
ラ ンダ は 、 セイ ロ ン島 のジ ャ フナ パ タ ム を も 占 拠 し て ポ ル ト ガ ル勢 力 を 追 放 し た か ら 、 こ の 頃 オ ラ ンダ 東 イ ンド 会 社 は こ
の方 面 の貿 易 を す べ て 牛 耳 る ほ ど の勢 いで あ った 。
一六 五 八年 の オ ラ ンダ 東 イ ンド 会 社 に よ る ネ ガ パ タ ム占 領 は 、 コ ロ マン デ ル海 岸 に お け る オ ラ ン ダ の 勝 利 を 象 徴 す る も
の で あ った 。 そ れ か ら後 述 す る第 三 次 英 蘭 戦 争 中 の 一六 七 四 年 に 、 サ ン " ト メを 占 領 し て いた フ ラ ン ス勢 力 を 駆 逐 し た 頃
ま で 、 オ ラ ン ダ の 優 勢 は な お 続 い て いた 。 当 面 問 題 に し て い る オ ラ ンダ 戦 争 と の 関 連 で いえ ば 、 競 争 相 手 国 イ ギ リ スが ま
った く 萎 縮 し て いた 第 一次 英 蘭 戦 争 期 は いう ま で も な く 、 第 二 次 、 第 三 次 と 英 蘭 戦 争 が 続 い て い た 問 、 こ の海 岸 で の オ ラ
(21 )
ンダ 勢 力 は安 泰 で 、 貿 易 の量 も 安 定 し て いた 。 タ ー バ ン " ライ チ ャー ド リ の 研 究 に よ れ ば 、 こ の 頃 オ ラ ンダ ・コ ロ マ ンデ
イギ リ スの登場
ル海 岸 政 庁 の収 支 計 算 は 、 一六 五 〇 年 代 か ら 六 〇 年 代 に か け て は な は だ 好 調 であ った こと を 示 し て い る (
前頁 ︹
表 -︺)
。
③
し か し 、 一六 六 〇 年 代 を 中 心 と し た コ ロ マ ン デ ル海 岸 で の オ ラ ン ダ の優 越 は 、 こ の 頃 急 速 に 台 頭 し つ つあ った イ ギ リ ス
(22 )
の進 出 と 、 地 方 貿 易 で の ア ジ ア商 人 の競 争 と に よ って 、 し だ い に お び や か さ れ る こ と と な った 。
イ ギ リ ス船 も ま た 、 オ ラ ン ダ に や や お く れ て コ ロ マ ン デ ル海 岸 に 到 来 し て いた 。 マ ス リ パ タ ム に イ ギ リ ス商 館 が お か れ
た の は 一六 一五 年 の こ と 、 オ ラ ンダ に な ら って マレ ー 諸 島 向 け の 木 綿 織 物 を 供 給 す る た め で あ った 。 マド ラ ス の イ ギ リ ス
英 蘭 戦争 期 の コロマ ンデル 海岸
57
商 館 は 一六 四 〇 年 に 設 置 さ れ て いた が 、 本 格 的 に コ ロ マ ン デ ル織 物 の ロ ン ド ン への搬 入 が は じ ま る の は 、 一六 六 〇年 以 後
の こ と で あ った 。 当 初 主 な 輸 入 品 は 平 織 り 木 綿 製 品 で あ った が 、 や が て コ ロ マ ン デ ル 特 有 の チ ン ツ 6繧昇Nに 重 点 が お か
れ る よ う に な った 。 当 初 主 と し て 輸 入 さ れ た 最 上 質 の白 布 な いし 彩 色 し て な い布 は 、 コ ロ マ ン デ ル の な か で も ゴ ル コ ン ダ
(23 )
の勢 力 が 強 い マ スリ パ タ ム な ど 北 部 で 製 造 さ れ て いた 。 と こ ろ が し だ いに 、 色 つき ピ ン タ ー ド スと か 、 ろ う 染 め プ リ ント
地 な ど マド ラ ス付 近 の南 部 コ ロ マン デ ル産 の も のが 多 く な って い った と いう わ け で あ る 。
そ し て こ れ が 、 一七 世 紀 末 の ヨ ー ロ ッパ ・フ ァ ッシ ョ ン界 に 大 き い影 響 を 与 え る こと と な った 。 と に か く イ ギ リ ス本 国
に お い て も 一六 六 〇 年 代 以 降 急 速 に 需 要 が 伸 び 、 イ ン ド 産 彩 色 木 綿 布 が ヨ ー ロ ッパ ・フ ァシ ョ ン界 に 革 新 を も た ら し た 。
一七 世 紀 の コ ロ マ ン デ ル 海 岸 で は 手 画 き 綿 布 が 盛 ん に つく ら れ た が 、 版 木 綿 布 は あ ま り つく ら れ て いな か った 。 版 木 で は
な く ブ ラ シ や ペ ン シ ル を 使 用 し て の 手 が き 木 綿 布 が つく ら れ て い た の で あ る 。 ム ガ ー ル宮 廷 向 け の最 高 級 ・最 上 質 の も の
か ら 、 粗 質 の 廉 価 な も の ま で 、 ば ら ば ら だ った 。
(24 )
﹁大 人 と 同 様 に "小 さ い子 供 "が 、仕 事 に 従 事 し て い る 。か れ ら は 地 面 に 反 物 を 引 き 延 ば し な が ら 、そ れ ら の上 に 坐 って 、
か れら 独得 の器 用さ と 正 確 さと で、 そ れら (
反物 )を ざ っと な で る 。﹂
第 二 次 英 蘭 戦 争 期 か ら 第 三 次 英 蘭 戦 争 期 に か け て の 一六 六 四- 一六 七 四年 の こ ろ 、 コ ロ マ ン デ ル海 岸 の木 綿 織 物 取 引 で
は オ ラ ン ダ が 優 越 し て いた と 先 に 述 べた が 、 K ・N ・チ ョー ド リ ー の研 究 に も と つ く 数 値 が 示 し て いる よ う に 、 イ ギ リ ス
の輸 入 量 も ま た 増 加 し て いく 傾 向 に あ った 。 イ ギ リ ス全 体 の輸 入 量 は 一六 六 四 年 の 約 二 五 万 反 か ら 一六 八 四 年 の約 一五 〇
(25 )
万 反 以 上 へ約 六 倍 に 増 加 し た (
表 ︹2︺)。 コ ロ マン デ ル海 岸 産 のも の の輸 入 量 も 一〇 万 反 か ら 六 〇 万 反 へと や は り 六 倍 に
増加した (
表 ︹3︺)
。 だ が コ ロ マ ン デ ル産 木 綿 布 は ロ ン ド ン で の人 気 が と く に 高 く 、 よ い値 で売 れ た た め に、 売 上 金 に 占
め る コ ロ マ ン デ ル海 岸 (マド ラス商館 )産 の 比 率 は 、 か な り 高 か った 。
木 綿 輸 入 量 が 高 ま り つ つあ る な か で ロ ン ド ン で の東 イ ン ド 会 社 の木 綿 販 売 額 は 、 コ ロ マ ン デ ル産 のも の が 一六 六 四 年 に
58
〔
表2〕 木 綿織 物 輸入 量
(全 イ ン ドか ら ロ ン ド ン へ)
年
4 5 6 7 8
6 6 6 6 6
6 6 6 6 6
1晶-←-乙-←1
9 0 1 2
6 7 7 7
6 6 6 6
1--混-⊥1
3 4
7 7
6 6
1あ看
1
5
7
6
1
6 7 8 9 0
7 7 7 7 8
6 6 6 6 6
1乙-﹂-温ーエー
1 2
8 8
6 6
ーム?
⊥
3 4
8 8
6 6
ーム≦
⊥
5
8
6
¶
⊥
6
8
6
1
7 8 9
8 8 8
6 6 6
ームー温¶1
輸 入 量(反)
輸 入 額(
£)
販 売 量(反)
販 売 額{£}
273,647
11::.
98,684
4,875
36,663
4,242
67,598
132,136
135,0so
196,133
196,'834
120,390
97,390
213,78fi
197;973
228,151
275,392
278,705
250,813
315,8S5
341,256
668,866
463,193
259,498
284,209
97,885
::::
232,173
216,836
291,666
7,141
153,714
6,962
238,900
419,672
533,406
×57,17$
60s71a
432,638
248,038
673,725
537,681
661,9i7
772,960
754,100
684,856
769,6$9
900,047
1,760,315
1,114,273
591,709
687,518
i55,430
184,009
販 売 価 格
(£)
33,873
20,726
259,062
201,940
155,766
105,879
61,142
46,814
0.93
0.61
1'
1.:
a.77
243,355
208,608
1:.
418,139
305,654
0.73
383,940
233,449
Q.6i
629,091
409,084
O.55
226,606
159,099
0.70
917,987
574,600
0.63
392,399
280,917
0.72
851,11Q
652,182
0.77
581,425
×32,357
0.74
637,741
435,843
0.68
795,Q$2
613,939
0.77
775,175
615,288
0.79
680,993
530,720
1'
803,379
648,405
1'
923,000
588,4Q3
a.s5
792,699
560,260
0.71
776,492
558,347
0.72
772,866
535,259
0.69
963,428
781,376
i'
602,198
461,475
0.77
351,X49
436,129
1.24
〔表3〕 木 綿 織物 輸 入量
(マ ドラ ス か ら ロ ン ド ン へ)
年
輸 入 量
輸 入 額
4
6
6
1
5 6
6 6
6 6
1﹂1
(反)
(£)
112,265
48,496
107,279
49,888
7
6
6
1
0
8
6
6
1
12,295
0
9
6
6
1
0
107,049
127,320
9,744
販 売 価 格(
£)
1,i9
1.09
1.20
28,28Q
1.Q7
13,096
1.18
27.9%
1.43
48.9%
11,090
108,810
237,796
228,691
0.96
4
7
6
1
183,774
s5,2a4
80,434
5
7
6
1
159,515
70,432
367,264
292,717
0.95
6
7
6
1
118,365
58,568
211,303
177,146
0.84
7 8
7 7
6 6
1←1
205,396
87,112
326,631
381,934
1.17
161,704
8Q,376
184,290
195,15'7
1.06
9
7
6
1
203,392
109,685
194,801
219,'730
1.13
0 1
8 8
6 6
喰
⊥1
277,656
145,'481
276,351
303,413
1.10
253,117
131,532
269,439
288,728
1.07
125,816
262,743
242,149
0.92
151,860
205,261
773,.332
313,196
341,529
170,834
7 8
8 8
6 6
1漏1
3
7
6
1
232,$05
6
8
6
1
2
7
6
1
0.93
5
8
6
1
1.04
120,407
4
8
6
1
172,867
129.424
3
8
6
1
165,512
41,152
2
8
6
1
1
7
6
1
70,182
94,567
430,505
245,238
128,687
365,479
163,829
9
8
6
1
88,01」.
57,006
:11a:
88,055
51
26:霧
194,971
174,600
3Q4,242
58.7%
47.0%
26,391
65,815
278,962
駿
;夏/寡
87,293
0
7
6
1
3aa5s
販 売 額(
£)
S,93Q
3,766
0
販 売 量(反)
71,659
102,154
81,984
1.02
56
51:護
55.9%
51.5%
器:9%OQ
5S.5%
45.1
50.4%
49.4%
46.9%
45.6%
英 蘭 戦争 期 の コロマ ンデル海 岸
59
は 五 八 ・七 % 、 一六 七 〇 年 が 五 六 ・五 % 、 一六 七 二 年 が 五 五 ・九 % 、 一六 七 五 年 が 六 三 ・○ % で 、 全 体 の 半 ば 以 上 を 占 め
て い た (表 ︹3 ︺右 欄 )。 品 質 の 点 、 ロ ン ド ン で の 人 気 の 点 で コ ロ マ ン デ ル 海 岸 産 が 、 グ ジ ャ ラ ー ト も の や ベ ン ガ ル も の を
(26 )
圧 倒 し て いた 。 一六 七 五年 三 月 売 り と いえ ば 、 事 実 上 一六 七 四 年 に 輸 入 さ れ た 品 物 だ か ら 、 第 三次 英 蘭 戦 争 の影 響 も う け
(27 )
た と 思 わ れ る が 、 こ のと き グ ジ ャ ラ ー ト 産 ス ラ ト 商 館 か ら 輸 入 さ れ た 織 物 は 粗 悪 品 で よ い市 場 が 見 出 せ な か った 。 こ の ま
ま で は グ ジ ャ ラ ー ト 産 の輸 入 を 減 ら さ な く て は な ら な い。 コ ロ マ ン デ ル 織 の方 が 上 質 で、カ ンパ ニー に と って 利 益 も 多 い 、
と いわ れ て いた 。
イ ギ リ ス東 イ ン ド 会 社 本 部 は そ れ で も 、 ま す ま す 増 加 し て き た オ ラ ンダ や フ ラ ン ス の織 物 貿 易 と 競 争 す るた め に 、 イ ン
ド の 商 館 に 対 し て も っと 安 い価 格 で 買 入 れ る よ う 、 圧 力 を か け た 。 一六 七 〇年 の マド ラ ス商 館 への手 紙 は 、 鋭 い競 争 が 利
益 マー ジ ンを 圧 迫 し て いる こ と を 、 示 し て いた 。 一六 六 九 年 に は オ ラ ンダ が コ ロ マ ン デ ル海 岸 か ら 長 織 物 五万 反 を 輸 入 し
て いた が 、 他 に フ ラ ン ス、 デ ン マー ク 、 ポ ル ト ガ ル の輸 入 も あ った か ら 、 ヨ ー ロ ッパ 市 場 で の 競 合 は 避 け ら れ な か った 。
(28 )
オ ラ ンダ 東 イ ンド 会 社 と イ ギ リ ス東 イ ンド 会 社 と は 、 そ れ ぞ れ の輸 入 品 の 販 売 を め ぐ っ て争 って い る 、 と も いわ れ た 。 一
六 六 九- 七 四 年 の 五 力 年 間 オ ラ ン ダ が ア ム ス テ ル ダ ム で 売 った 綿 織 物 の量 は 、 以 前 よ り 多 く な って いた 。 イ ギ リ ス の取 扱
った 商 品 は オ ラ ン ダ の も の ほ ど よ く な い。 ﹁か れ ら のも の は 売 れ る だ ろ う が 、 わ れ わ れ のも の は 通 常 そ れ ら が 売 れ る 市 場
(29 )
向 け と し て は 適 当 で な い の で 、 ほ と ん ど 販 路 を 見 出 さ な い。﹂
(30 )
こ のよ う に いわ れ な が ら も 、 オ ラ ン ダ の織 物 輸 入 が 盛 況 であ った 一六 六 〇 年 か ら 一六 八 〇 年 の問 に 、 イ ギ リ ス東 イ ン ド
会 社 の商 業 政 策 の重 心 は 、 ス ラ ト か ら マド ラ スを 中 心 と し た コ ロ マン デ ル 海 岸 に 移 った 。 し か も ベ ン ガ ル はま だ 一七 〇 〇
年 頃 のよ う な 貿 易 中 心 地 と し て の 地 位 を 占 め て いな か った か ら 、 マド ラ ス の 経 済 的 優 位 は 、こ の 頃 ま った く 動 か な か った 。
そ れ だ け に 、 オ ラ ン ダ 東 イ ンド 会 社 と イ ギ リ スと の競 争 は 、 コ ロ マ ン デ ル 海 岸 で いよ いよ 激 し いも の が あ った 。 イ ギ リ
ス東 イ ンド 会 社 の 立 場 か ら いえ ば 、 一六 七 〇 年 代 に は い よ いよ 貿 易 取 引 量 が 増 大 し て いた が 、 本 国 で は イ ンタ ー ロ ー パ ー
60
〔地 図3〕17世
紀 イン ドの 主 な機 業 地
FineO
rdinaryquality
Checksandstripes
8。
3お
99含2
Samara°O
、"des
P:
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5
byK.N.Chaudhuri,TradingworldofAsiae.t.c.,p.244
'
英 蘭戦 争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
61
に 、
註
(3
1)
ア ジ ア で は オ ラ ンダ に脅 か さ れ な が ら 、 築 き あ げ て い った 取 引 量 増 大 で あ った 。
(§ ①⑦§§9 0註§ 肺
ミ 亀 寄 §鳳℃斗$)
(1 ) ﹄碧 =ξ σq窪 く碧 = 房 畠 9 ①コ"奪 δミミ 章 一$ ①●邦 訳 、 リ ン ス ホ ー テ ン ﹃東 方 案 内 記 ﹄ (岩 波 ﹃大 航 海 時 代 叢 書 、 皿 ﹄) 一九 六 八 年 、
一六 三 頁 、 一六 四 頁 、 註 ① 。
(2 ) ポ ル ト ガ ル が 当 初 中 国 に 派 遣 し た 大 使 、 ト メ ーー ピ レ ス (一四 六 六 ? 1 一五 二 四 ? ) の 記 述
に よ れ ば 、 一六 世 紀 は じ め 頃 コ ロ マ ン デ ル (シ ョ ロ マ ン デ ル ) 海 岸 の 名 は 知 ら れ て い た が 、 ま だ 訪 れ る こ と が な か った 様 子 を う
マド ラ ス建 設 の事 情 に つ いて は 、 雷 一
ξ 言 器 。炉 § ◎§§ $ぎ ミ 、
巴 ぎ ミ 3 一〇。。伊 憎﹂ 。。.
か が う こ と が で き る 。 邦 訳 、 ト メ H ピ レ ス ﹃東 方 諸 国 記 ﹄ (岩 波 ﹃大 航 海 時 代 叢 書 、 V ﹄) 一九 六 六 年 、 一八 四 - 一八 六 頁 。
(3 )
(4 ) § 偽 ↓§ e魯 ミ ミ 卑 8 国 、
Ω 一〇留 .マ ル コ ーー ポ ー ロ 、 愛 宕 松 男 訳 註 ﹃東 方 見 聞 録 、 2 ﹄ (﹃東 洋 文 庫 ﹄ 一八 三 )、 九 二 頁 。
(5 ) 同 書 、 一九 ニー 一九 五 頁 ﹁使 徒 聖 ト ー マ ス の 遺 体 を 安 置 す る 土 地 に つ い て ﹂ お よ び 一九 六 頁 、 注 ① 参 照 。
(6 ) ポ ル ト ガ ル が サ ン 睦 ト メ に 居 住 地 を も う け た 点 に つ い て は 、 客 Z●O匿 亀 = 詳 ﹃ぎ 辞 § 亀 9 eミ 養 識§ § 暮鳥ぎ ミ§ 068 § "﹄鳶
同 書 、 一六 三 頁 。
μ㊤OQ。"勺・㊤S
中 世 グジ ャ ラ ー ト の商
伽亀§恥 ミ §① 驚 ミ げ ﹃§ 竃 参 hO謡 - h軌◎
◎N・︿9 ㌍ ↓3① 工 鋳 ピ 冤け ωoo冨 ξ 卜σ コ自
8 h謡 ⇔ お 。
。伊 ℃・謬 ・リ ン ス ホ ー テ ン 、 上 掲 訳 書 、 一六 五 1 一六 六 頁 、 注 ⑥ 。
(7 )
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(8 )
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(9 )
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(10 )
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§ Oミ鐸 ミ﹄ ㊤刈◎ ℃﹄ ρ 邦 訳 、 生 田 滋 訳 ﹃ポ ル ト ガ ル と イ ン ド ー
(11 )
(12 ) 竃 .2.勺①碧 ω。炉 ミ等鼻 § 零 § 軋 肉ミ §
寓 ・同`子 ①5 肉ご ミ 肉§黛 越 恥ミ 類§ 軋Φ § 罫 ⇔ O註 偽ミ h軌OO - hc
◎09 H㊤刈9 勺.Qoら。
人 と 支 配 者 ﹄ (岩 波 現 代 選 書 、 九 八 ) 一九 八 四 年 、 三 二 頁 他 。
(13 )
﹄oげ鄭 マ 惹 5 碧 畠 ℃ .菊●QQ筈 竃9ユ N層○
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(14 )
謹 .=.冒 o話 ﹃ 己
(巴 ・) ・諒 肺
偽臓国 ミ 量 隷 物 誉
(15 )
62
バ ン タ ム や モ ル ッ カ で の 木 綿 取 引 の む つ か し さ に つ い て は 、 つ ぎ の 史 料 を 参 照 、 国 ①9
芝 白 ①日 ψ 司 一自 ♂ き 匹 Ω 8 嶺 。 O 訂 § 8 運
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(18 )
(71 )
(16 )
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O .国 ・切 o×①5 § ① 匂 §零 } ⑦俺9尊o﹃§鳥 肉 § 鳩馬
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(20 )
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(12 )
一六 六 〇 年 当 初 に は そ れ ほ ど の こ と は な か っ た が 、 第 三 次 英 蘭 戦 争 終 了 後 に は イ ギ リ ス の 投 資 が オ ラ ン ダ を 上 回 る こ と と な っ
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(22 )
(52 )
(42 )
(32 )
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(29 )
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"平 和 な や り 方 " を 妨 害 し た 責 任 者 で あ る ⋮ ⋮ ﹂
一六 八 六 年 に 書 い た マ ド ラ ス へ の 手 紙 の な か で 、 つ ぎ の よ う に 述 べ て い る 。 ﹁も ぐ り 商 人 た ち
(イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 ) が 古 く か ら や っ て い た
一六 九 九 ) は 、
亀軌
§恥 ぎ
(30 )
当 時 イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 の 代 表 と し て 、 強 硬 な 反 オ ラ ン ダ 政 策 を 推 進 し て い た サ ー 1ー ジ ョ サ イ ァ ーー チ ャ イ ル ド oD貯 ﹄。。・一島
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(31 )
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乏 オ ラ ン ダ 人 と は 、 カ ンパ ニー
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英 蘭戦 争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
63
①
四、
サ ン " ト メ を め ぐ る フ ラ ン ス、 オ ラ ンダ 、 イ ギ リ ス
フ ラ ン ス の コ ロ マ ンデ ル 海 岸 進 出
先 に も 記 述 し た よ う に 、 第 三 次 英 蘭 戦 争 は フ ラ ン ス王 ル イ 一四 世 が オ ラ ン ダ 侵 略 を 果 た す た め に イ ギ リ ス王 チ ャー ル ズ
ニ 世 と ﹁ド ー ヴ ァ の密 約 ﹂ (一六七 〇年 六月 )を 結 ん で 、 強 引 に フ ラ ン ス 対 オ ラ ン ダ の戦 い に イ ギ リ スを フ ラ ン ス の 味 方 と
し て ひ き いれ た も の であ った 。 も と よ り イ ギ リ ス は 一七 世 紀 は じ め か ら 、 海 上 商 業 で オ ラ ン ダ と 対 立 し て いた 。 ア ンボ イ
(1 )
ナ の 虐 殺 以 後 の東 イ ン ド (マレ ー)諸 島 で の 係 争 は 、 ク ロ ム ウ ェル 治 下 と チ ャ ー ルズ ニ 世 治 世 当 初 (ク ラレ ンド ンの時 代 )
の 二 度 に わ た る 英 蘭 戦 争 に よ っ ても 、 未 解 決 の ま ま で あ った 。 し た が って 三 度 目 の 戦 いが 行 な わ れ る べき 理 由 が な いわ け
で は な か った 。
じ っさ い ユ ベ ー ル ーー メ チ ヴ ィ エは そ の 著 ﹃ル イ 一四 世 ﹄ の な か で 、 こ の 戦 争 に 関 連 し て ﹁イ ギ リ ス が 戦 争 の 口 火 を き っ
(2 )
た ﹂ と 述 べ て いる 。 チ ャ ー ルズ ニ世 が 対 オ ラ ンダ 戦 争 宣 言 を し た の は 、 す で に 早 く も 一六 七 二 年 三 月 一七 日 の こ と であ っ
た が 、 ル イ 一四世 が オ ラ ン ダ を 威 圧 す る た め に 、 コ ン デ 公 の 軍 を ﹁ライ ン渡 河 ﹂ さ せ た の は 、 よ う や く 五 月 末 か ら 六 月 は
(3 )
じ め の こと で あ った 。 も ち ろ ん ル イ 一四 世 は こ の 年 の は じ め か ら 英 仏 海 軍 協 定 を 結 ん で 、 優 勢 な オ ラ ンダ 海 軍 に 備 え て い
た 。 そ し て ﹁ラ イ ン渡 河 ﹂ と 並 行 し て、 一六 七 二 年 五 月 二 八 日早 朝 か ら 北 海 で の ソ ー ル ベ イ の海 戦 が は じ め ら れ て い た 。
デ ーー ロイ テ ル 指 揮 の オ ラ ンダ 海 軍 と ヨ ー ク 公 指 揮 下 の英 仏 連 合 艦 隊 と は 互 角 に 戦 った 。 連 合 艦 隊 側 は 勝 利 し た と 宣 言 し た
が 、 オ ラ ンダ 海 軍 を 圧 倒 す る こ と は でき ず 、 少 な く と も イ ギ リ ス 軍 が オ ラ ンダ に 上 陸 す る こ と は き わ め て困 難 に な った 。
む し ろ オ ラ ン ダ は 優 勢 で 、 共 和 国 の独 立 を 維 持 す る こ と が で き た 。 そ の後 オ ラ ンダ は 、 陸 上 で の フ ラ ン ス 軍 の侵 略 に 対 抗
64
(4 )
し て洪 水 戦 術 を と った り 、 親 仏 派 の ド " ウ ィ ット を 殺 害 し た り し て、 あ く ま で も ル イ 一四 世 に 対 抗 し た 。 そ の他 英 仏 連 合
艦 隊 は オ ラ ン ダ 艦 隊 と の 間 で 、 先 述 の 通 り 、 スホ ー ネ フ ェル ト 海 戦 や テ ク セ ル沖 海 戦 を 戦 った が 、 いず れ も 本 国 近 海 で の
海 戦 で あ った 。
し か し 、 英 仏 蘭 の 三 力 国 は 当 時 す で に新 大 陸 ア メ リ カ と 東 イ ンド に も 海 上 進 出 し て いた か ら 、 そ れ ら 本 国 近 海 で の戦 闘
と 同 時 に 、 植 民 地 海 域 や 東 イ ンド 海 域 で も 海 戦 そ の他 の 衝 突 を 行 な って いた 。 こ こ で は 以 下 、 イ ギ リ ス ・オ ラ ンダ の木 綿
織 物 貿 易 競 争 の争 点 で あ った 東 イ ン ド ・コ ロ マン デ ル 海 岸 で の英 仏 蘭 各 国 の 動 き を み て いく こと に し た い。
当 時 コ ル ベ ー ル の肝 いり で 設 立 さ れ た フ ラ ン ス東 イ ン ド 会 社 冨 O。ヨ冨 αQ巳①号 ωH
巳 ①ωO目♂馨 巴。ωは 、 理 事 フ ラ ン ソ ワ 目
カ ロ ン の活 躍 で 、 一六 六 七 年 イ ンド 西 海 岸 ス ラ ト に 商 館 を 設 置 し 、 イ ギ リ ス、 オ ラ ンダ に 対 抗 し て 、 イ ンド で活 躍 を は じ
(5 )
め て い た 。 一六 七 〇 年 三 月 コ ル ベ ー ルは 東 イ ンド 貿 易 を 本 格 的 に 開 始 さ せ る た め カ ロ ン の要 請 を い れ て 、 イ ン ド 洋 に 二 〇
隻 の大 艦 隊 を 派 遣 し た 。 三 月 二 九 日 、 本 国 の 港 ロ ッシ ュ フ ォ ー ルを 出 帆 し た こ の フ ラ ン ス東 イ ン ド 艦 隊 (
﹁ペ ルシ ア艦隊 ﹂
(6 )
と称 し て いた )を 指 揮 し た の が 、 ド ーー ラ " エイ 畠Φ一
9=亀 ①で あ った 。
一六 七 二 年 当 時 ス ラ ト に 駐 在 し て いた ド 聴 ラ ーー エイ 東 イ ンド 総 督 は 、 マラ バ ル海 岸 を 南 下 し 、 途 中 一四 隻 の船 を 奪 って
セ イ ロ ン島 に 到 着 し た 。 そ こ で ト リ ン コ マリ に 本 拠 を お い て い た オ ラ ン ダ 人 を 攻 撃 し た 。 か れ ら フ ラ ン ス人 は 、 有 害 な オ
ラ ンダ 人 を 排 除 す る た め に 助 け に や って 来 て く れ た のだ と し て 、 現 地 支 配 者 か ら 同 盟 者 の扱 い で 歓 迎 さ れ た 。 そ れ で フ ラ
ン ス人 は た だ ち に ト リ ン コ マリ を 占 領 し た 。 パ ニ ック 状 態 に お ち い った オ ラ ンダ 人 は 要 塞 を 放 棄 し て逃 亡 せ ね ば な ら な か
(7 )
った 。
と こ ろ が セ イ ロ ン 島 を 占 領 し て ト リ ン コ マ リ に い た ド ーー ラ 腫 エイ は 食 糧 不 足 の た め に 、 一六 七 二 年 六 月 コ ロ マ ン デ ル 海
岸 に 食 糧 を 求 め て 出 て い く こ と に な った 。 こ う し て コ ロ マ ン デ ル 海 岸 を 北 上 し て い る 途 中 、 ド ーー ラ " エイ は 、 フ ラ ン ス 、
イ ギ リ ス と オ ラ ン ダ と の 問 に 本 国 海 域 で 、 戦 争 が 開 始 さ れ る か も 知 れ な いと い う ニ ュー ス を 聞 い た 。 し か し 、 コ ロ マ ン デ
英 蘭 戦争 期 の コロマ ンデル海 岸
65
ル海 岸 で も 容 易 に 食 糧 は 得 ら れ ず 、 そ の付 近 に 勢 力 を も って いた ゴ ル コ ンダ 王 の役 人 か ら 侮 辱 を う け た り も し た の で 、 か
(8 )
れ は マド ラ ス近 く の サ ン 翔 ト メを 占 領 し よう と 決 意 し た 。 先 述 し た よ う に 歴 史 的 に 由 緒 あ る こ こ サ ン ーー ト メ は 、 一五 四 五
(9 )
年 以 来 ポ ル ト ガ ル が 占 領 し て いた と こ ろ だ が 、 一六 六 二 年 五 月 オ ラ ン ダ 海 軍 の援 助 を え た ゴ ル コ ンダ 王 が こ れ を 奪 い、 こ
の地 域 を 支 配 し て いた 。 ド " ラ 睡 エイ が こ こ に 到 来 し た の は 、 そ れ か ら 一〇 年 ほ ど のち の こと で あ った 。
一六 七 二年 七 月 、 ド 旨 ラ 門 エイ は 一〇 隻 以 上 の フ ラ ン ス艦 隊 を 、 サ ン ーー ト メ の町 の 城 壁 近 く に 投 錨 さ せ た 。 そ し て ゴ ル
コ ンダ 王 配 下 の現 地 統 治 者 に 使 節 を 送 っ て、 お 金 と 交 換 に 食 糧 を 提 供 す る よ う に と 要 求 し た 。 し か し 現 地 ム ー ア 人 は 自 分
卵
の守 備 隊 用 に も 事 欠 く あ り さ ま だ か ら 、 と 断 って 来 た 。 お 金 を 出 す と い って い る のに 拒 否 さ れ る よ う で は 、 腕 つ く で 食 糧
(10 )
を 手 に 入 れ る し か 方 法 は な い、 と 応 酬 し た 。 そ れ に 対 し て 現 地 ム ー ア人 は 、 食 糧 の代 り だ と い って 、 海 の 砂 を も って 来 て
フ ラ ン ス の サ ン 睦 ト メ占 領 と オ ラ ンダ
フラ ン ス 側 を 侮 辱 し た 。
②
ゴ ル コ ン ダ 王 ら 現 地 支 配 者 が そ れ ほ ど 強 硬 な 態 度 に 出 た 背 後 に は 、 オ ラ ン ダ の 勢 力 が あ った 。 し た が っ て フ ラ ン ス が ゴ
ル コ ン ダ 王 か ら 強 引 に サ ン ーー ト メ を 奪 取 し よ う と す る そ の 試 み は 、 オ ラ ン ダ と の 交 戦 を 意 味 し て い た 。 と に か く 侮 辱 さ れ
(11 )
た と あ っ て フ ラ ン ス 軍 司 令 官 ド ーー ラ ーー エイ は 、 サ ン ーー ト メ 砲 撃 を 決 意 し た 。 そ の こ ろ ヨ ー ロ ッ パ で の 戦 争 が い よ い よ 勃 発
し た と い う ニ ュー ス が サ ン ーー ト メ に も 届 い て い た の で 、ド ーー ラ ーー エイ の 決 意 は そ れ を も 受 け て の こ と で あ った と 思 わ れ る 。
し か し か れ と 意 見 の あ わ な か った フ ラ ン ソ ワ ーー カ ロ ン は 、 用 心 深 く も フ ラ ン ス 艦 隊 の 増 強 を 求 め て 帰 国 の 途 に つ い た 。 こ
の 帰 国 の 途 次 カ ロ ン は 一六 七 三 年 四 月 に リ ス ボ ン 沖 で 乗 船 が 難 破 し た た め 、 不 帰 の 人 と な った 。 と に か く カ ロ ン は そ の 出
'
自 が オ ラ ン ダ 系 で あ った の で 、 武 力 に 訴 え な い で 、 イ ン ド で の フ ラ ン ス 東 イ ン ド 会 社 の 勢 力 を 伸 ば そ う と 企 図 し て い た 、
(2ユ )
と も いわ れ て い る 。 いず れ に し て も こ れ か ら 後 東 イ ンド の フ ラ ン ス勢 力 は 、 ド 目 ラ " エイ を 代 表 と し 、 か れ の路 線 に 従 っ
ss
て 行 動 す る こ と と な った 。
ド ル ス ト ル が 記 述 し て い ると こ ろ に よ れ ば 、 つぎ の よ う であ る 。
﹁ド ーー ラ H エ イ 以 下 の フ ラ ン ス 人 は 、 大 砲 、 小 砲 、 小 銃 、 サ ー ベ ル 、 斧 、 ピ ス ト ル を も っ て 、 サ ン ーー ト メ の 城 壁 に 攻 撃 を
か け 、 縄 ば し ご で 城 壁 を よ じ の ぼ っ て、 城 塞 を 占 領 し た 。 現 地 住 民 た ち は 撤 退 し て か れ ら の家 族 と 共 に 立 去 る 許 可 を 求 め
て 来 た の で 、 ド ーー ラ ーー エイ 氏 は こ れ を 寛 大 に も 認 可 し た 。 そ れ か ら か れ は 城 塞 の 防 禦 を 固 め た 。 さ ら に そ れ に 満 足 し な い
で 町 か ら 四 リ ー グ 離 れ た と こ ろ ま で ム ー ア 人 た ち を 追 跡 し 、 か れ ら が 反 撃 し て く る こ と が な い よ う に 備 え た 。 じ っさ い 、
一六 七 二 年 九 月 二 二 日 に ム ー ア 人 た ち は 、 騎 兵 四 〇 〇 〇 と 歩 兵 一万 六 〇 〇 〇 を も っ て 反 撃 に 出 て き た こ と さ え あ った 。 け
れ ど も ド " ラ ーー エ イ の 側 の 備 え が 十 分 で あ った の で 、 フ ラ ン ス 側 は こ の サ ン ーー ト メ の 城 塞 を 十 分 に 維 持 す る こ と が で き
(13 >
た 。﹂
右 の よ う な ド ル ス ト ル の 記 述 (一六 七七 年 )は 、か れ が フ ラ ン ス 人 で あ る た め に 多 分 に フ ラ ン ス び いき の う ら み が あ る が 、
ジ ョ ン ーー フ ラ イ ヤ ー も こ れ を 補 充 す る 記 述 (一六 九 八 年 ) を し て い る の で 、 ほ ぼ 事 実 を 物 語 っ て い る と み な す こ と が で き
よ う 。 フ ラ イ ヤ ー は 、 こう 述 べ て い る 。
﹁フ ラ ン ス 人 た ち は サ ン ーー ト メ を 占 領 し た の ち 、 風 雨 に さ ら さ れ た か れ ら の 船 くΦ。。ω9 ωを 解 体 し た 。 そ れ か ら か れ ら の
-
砲 O弓曾 睾 8 を 陸 揚 げ し て 、 そ れ ら を 海 に 面 し た と こ ろ に 据 え つ け た 。 こ う し て か れ ら は 、 ゴ ル コ ン ダ 王 が 大 軍 を よ こ し
(14 )
た に も か か わ ら ず 、 な お そ れ を 維 持 す る こと が でき た 。﹂
こ の の ち サ ン 聾 ト メ で は 、 フ ラ ン ス軍 が こ こを 占 領 し 、 ゴ ル コ ン ダ 側 が こ れ を 包 囲 す る と いう 形 で 、 いず れ の側 に も 顕
著 な 行 動 は み ら れ な いま ま 六 ヵ 月 が す ぎ た 。 一六 七 三 年 三 月 一日 、 が ま ん が で き な く な った ド " ラ ーー エイ は 六 〇 〇 人 の 兵
を も って 真 夜 中 に攻 撃 に出 、 相 手 の大 砲 を 爆 破 し た 。 さ ら に 三 月 八 日 に も 突 撃 を 行 な って 、 ム ー ア人 た ち を 敗 走 さ せ た 。
と き に は 激 し い砲 戦 も あ り 、 戦 闘 は し つ こく 争 わ れ た 。 こ の 二 回 に わ た る フ ラ ン ス 軍 と の 交 戦 で 、 ゴ ル コ ンダ 側 は 手 痛 い
英 蘭 戦争期 の コロマ ンデ ル海岸
67
(15 )
打 撃 を う け て後 退 し た 。 そ の後 ゴ ル コ ン ダ の側 は 、 そ れ ほ ど フラ ン ス側 に 攻 撃 を か け て 来 な く な った 。 あ る いは か れ ら は
フ ラ ン ス人 と 平 和 共 存 で 生 活 し た 方 が よ い、 と 考 え る よ う に な って いた と 思 わ れ る 。 現 地 政 権 や 現 地 住 民 は む し ろ 平 和 を
望 ん で い た の に 、 ヨ ー ロ ッパ 側 が こ れ を か き 乱 し て いた 様 子 を う か が う こ と が で き る 。
じ っさ い に は ヨ ー ロ ッパ で フ ラ ン スと 敵 対 し て いた オ ラ ン ダ 人 が 、 現 地 ム ー ア人 を 煽 動 し て 戦 争 を 継 続 さ せ よ う と し た
の で あ った 。 オ ラ ンダ が フ ラ ン ス 人 の海 への出 口 を 封 鎖 す る か ら 、 ゴ ル コ ンダ 当 局 が 体 制 を た て 直 す よ う にと う な が し た
わ け で あ る 。 ゴ ル コン ダ 当 局 は そ れ で も 、 フ ラ ン スと 敵 対 し つづ け る こ と に 乗 り 気 で な か った 。 そ れ で オ ラ ンダ 司 令 官 の
(16 )
フ ァ ン ーー ゴ ー ン く彗 Oo8 ωは 、 海 上 封 鎖 ば か り で な く 、 陸 上 に も 援 軍 を 送 って ゴ ル コ ン ダ 軍 の包 囲 を 助 け る こ と に し た 。
﹁
こ う し て 一六 七 三 年 九 月 に 再 び サ ン ーー ト メ 包 囲 が は じ ま った 。 明 ら か に オ ラ ン ダ の 無 理 強 い に よ っ て 、 遂 行 さ れ た も の で
あ った 。
バ タ ヴ ィ ア に本 拠 を お い て いた オ ラ ンダ 人 は 、 本 国 が ル イ 一四 世 に よ って 侵 略 さ れ た の に 報 復 す る た め に 、 いか な る食
糧 も サ ン ーー ト メ の フ ラ ン ス 人 に 海 路 供 給 が な さ れ な いよ う に 、 海 上 封 鎖 し た 。 帆 船 ω巴一二 〇 隻 、 戦 艦 一五 隻 そ の他 の 大
船 に 、 お の お の約 七 二 門 の黄 銅 銃 を 備 え さ せ 、 十 分 多 く の 人 び と を 乗 船 さ せ て 、 フラ ン ス へ の食 物 供 給 船 を 常 時 待 ち 伏 せ
す る こ と に し た わ け であ る 。 フ ラ ン ス側 の防 禦 も き わ め て 強 固 で あ った の で 、 攻 撃 側 は 篭 城 中 の フ ラ ン ス軍 を 兵 糧 攻 め に
す る 以 外 に 、手 が な か った か ら で あ る 。 フ ラ ン ス側 は こ れ を 打 開 す る た め に 、何 度 か 決 死 の食 糧 徴 発 のた め の遠 征 を 企 て 、
小 競 り 合 いが く り かえ さ れ た 。食 べ物 に 困 った フ ラ ン ス陣 営 か ら の脱 走 兵 が 、何 人 も オ ラ ン ダ 側 に 投 降 し た 。 フ ラ ン ス は 、
や や 南 方 のギ ンジ Oぎ①q一地 方 のビ ジ ャプ ー ル 知 事 と 内 密 裡 に 連 絡 を と って 、 サ ン ーー ト メ へ の食 糧 供 給 を 確 保 す る 交 渉 も
し た 。 し か し 、 オ ラ ン ダ の 妨 害 で 思 う よ う に は い か な か った 。
こ う し て 包 囲 攻 城 が 一八 力 片 間 も 続 いた 。 一六 七 四年 九 月 二 三 日 、 た ま り か ね た ド 目 ラ ーー エイ は ﹁ペ ル シ ア艦 隊 ﹂ の 五
三 〇 人 の生 き 残 り の 人 び と と 、 サ ン ーー ト メか ら の脱 出 を 企 て た 。
68
●
OV
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Pt.Calimcts
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竃1●FORTSヒGF+
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コ ロ マ ン デ ル 海 岸 と サ ン=ト
〔地 図4〕
'/StTHOME
コDAASAPATAM
llCHERR¥●
T5鴇爆馳
O
ε
RTONσVO●
巳
byIrwinandSchwartz,Indo-EuropeanTextileHistory,p.29
﹁(オ ラ ン ダ 艦 隊 の) 封 鎖
に も か か わ ら ず 、 四隻 の帆
船 を も っ て 出 て い った 福 王
(ド ーー ラ ーー エイ ) は 、 た っ
た 一隻 だ け 夜 陰 に 乗 じ て 逃
亡 した 。 か れ は カ ダ マラ ン
O舞 oヨ碧 05 (い か だ 船 ) の
上 に か れ の燈 火 を お い て 、
か れ が 停 泊 し て い る も のと
見 せ か け て い た 。 (オ ラ ンダ
側 は ) つぎ の 朝 、 イ ギ リ ス
船 が 近 づ いて い る と いう う
わ さ を 聞 いた の で 、 元 気 あ
ふ れ る 壮 丁 と 弾 薬 の補 充 を
求 め て、 南 の方 に 移 動 し
た 。﹂
(17 )
こ う し て ド ーー ラ ーー エイ は
辛 う じ てサ ン"ト メから の
撤 退 に成功 し、 ポ ンデ ィ シ
φ
英 蘭戦 争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
E9
エ リ ー に 立 寄 った の ち 、 本 国 に 帰 還 し た 。 ポ ン デ ィ シ ェ リ ー は サ ン ーー ト メ が 包 囲 さ れ て い た 頃 に 、 カ ロ ン の 部 下 の フ ラ ン
ソ ワ ーー マ ル タ ン 甲 き 8 ♂ 竃 碧 晋 が 、 約 六 〇 人 の 人 た ち と 共 同 し て 、 サ ン " ト メ の 南 約 六 〇 マイ ル の と こ ろ に 建 設 し た も
(18 )
の で あ っ た 。 こ の あ た り 、 サ ン ーー ト メ か ら そ の 南 方 に か け て の 地 域 は 、 ビ ジ ャ プ ー ル じd一
一巷 霞 諸 王 国 (ヒ ンド ゥー 系 ) と
ゴ ル コ ン ダ 王 (イ ス ラ ム系 )と が 、 制 覇 を め ぐ っ て 相 争 っ て い た と こ ろ で 、 フ ラ ン ス は 両 者 の 反 目 を 利 用 し て 、 ビ ジ ャ プ ー
(19 )
ル の 支 配 者 か ら 、 ポ ン デ ィ シ ェリ ー の基 地 を 獲 得 し た の で あ った 。
い ず れ に し て も カ ロ ン 亡 き あ と フ ラ ン ス東 イ ン ド の 副 王 と な っ て い た ド ーー ラ ーー エイ は 、 ポ ン デ ィ シ ェ リ ー に マ ル タ ン を
残 し て 帰 国 し た わ け で あ る 。 じ っ さ い に は サ ン 翻 ト メ で 何 ら な す と こ ろ な い ま ま の 帰 国 で あ った 。 一六 七 〇 年 三 月 二 〇 隻
の 大 艦 隊 を ひ き い て 出 発 し た ド ーー ラ ーー エイ で あ った が 、 こ の 無 暴 と も い う べ き サ ン ーー ト メ 占 領 計 画 と そ の 失 敗 に よ っ て 、
ゴ ル コ ン ダ 王 を 敵 に ま わ し た こ と は 、 こ の 方 面 で の フ ラ ン ス の 通 商 に と っ て は 大 変 な マ イ ナ ス で あ っ た 。 フ ラ ン ス東 イ ン
ド 会 社 は す で に こ れ 以 前 に マ ス リ パ タ ム に商 館 を お い て 十 分 な 貿 易 を 確 保 し て い た の だ が 、 そ れ は ゴ ル コ ン ダ 王 の好 意 に
よ って 維 持 さ れ て いた の だ か ら 、 そ の痛 手 は き わ め て大 き か った 。 フ ラ ン ス の東 イ ンド で の活 躍 の場 を 提 供 す る た め に 送
ら れ た 資 金 も 、 こ れ で 無 駄 に な っ た 、 と も い わ れ て い る 。 た だ ド ーー ラ " エイ の 失 敗 に も か か わ ら ず フ ラ ン ス は 、 第 三 次 英
蘭 戦 争 中 に 、 上 述 の ポ ン デ ィ シ ェ リ ー 商 館 と 将 来 シ ャ ン デ ル ナ ゴ ル の 町 を 建 設 す る 用 地 と を 獲 得 し て 、 そ の 名 目 を 保 った
イギ リ ス の態度
の で あ った 。
③
と こ ろ で 以 上 のよ う な フ ラ ン ス の サ ン ーー ト メ攻 撃 に 対 し て 、 イ ギ リ ス 側 は ど ん な 態 度 を と った の か 。 本 国 で の戦 闘 は 英
仏 が 連 合 し て オ ラ ンダ を 攻 撃 す る と いう 形 で は じ ま っ て い た の だ か ら 、 も し オ ラ ン ダ の サ ン郵 ト メ 海 上 封 鎖 を イ ギ リ ス が
積 極 的 に 妨 害 し て いた ら 、 ド ーー ラ ーー エイ は あ れ ほ ど の 完 敗 は し な く て す んだ の で は な いか 、 と も 考 え ら れ る 。 こ の こ と に
70
関 連 し て ロ ー レ ン ス " ソ ー サ ー と い う 人 が 一六 七 三 年 に 記 述 し た 日 付 の な い史 料 は 、 つぎ の よ う に 語 っ て い る 。
﹁あ な た 方 は 、 フ ラ ン ス 人 た ち (ド ーー ラ ーー エイ ら ) が 、 サ ー 1ー ウ ィ リ ア ム ーー ラ ン グ ホ ー ン Go貯 斗 一
一
一
一
9日 ﹃碧 αqぎ 冨 Φ (英 ・マ
ド ラ ス長 官 、 六 七 〇1 七 七 年 ) に よ っ て 、 サ ン ーー ト メ を と る よ う に 奨 励 さ れ た こ と 、 さ も な け れ ば 決 し て か れ ら が そ れ (サ
ン ーー ト メ攻 撃 ) に 大 胆 に も 着 手 す る よ う な こ と も な か った こ と 、 に 注 意 し て お いた 方 が よ い 。 サ ー 1ー ウ ィ リ ア ム は 福 王 (ド
(20 )
ーー ラ ーー エイ ) に 手 紙 を 書 い て 、 ム ー ア 人 た ち は サ ン ーー ト メ の 要 塞 に 四 丁 の 銃 し か も っ て い ず 、 ご く 小 人 数 の 人 び と し か い
な い 、 と 伝 え た 。 そ れ で か れ ら (フ ラ ン ス人 ) は 、 こ の こ と を 聞 く や 否 や 、 こ の 要 塞 に 火 を つけ は じ め た ⋮ ⋮ 、﹂ と 。
こ れ に よ る と イ ギ リ ス ・ マ ド ラ ス 長 官 は フ ラ ン ス を 煽 動 し て 、 サ ン ーー ト メ 攻 撃 を や ら せ た 、 と い う こ と に な る 。 じ っさ
い サ ン ーー ト メ は 、イ ギ リ ス ・ コ ロ マ ン デ ル 海 岸 の 中 心 拠 点 マ ド ラ ス の 南 わ ず か 三 マイ ル の と こ ろ に 位 置 し て い た の だ か ら 、
イ ギ リ ス 側 が 積 極 的 に 援 助 す れ ば 、 フ ラ ン ス の 攻 撃 は 成 功 し た か も 知 れ な い 。 現 に ド ーー ラ H エ イ が 当 初 サ ン ーー ト メ 占 領 に
成 功 し た と き 、 ウ ィ リ ア ム は 仰 々 し い祝 福 の手 紙 を 送 って いる 。 ド 錘 ラ " エイ は い つ で も ウ ィ リ ア ム に 仕 え る 用 意 が あ る
等 々 と 盛 ん に イ ギ リ ス 側 の 好 意 を 期 待 す る 返 事 を 出 し た り し て 、友 好 的 な 関 係 が 保 た れ て い た 。と き に は イ ギ リ ス 側 が ム ー
ア人 の 心 証 を 害 す る のを 知 り な が ら 、 食 糧 を の せ た ボ ー ト を フ ラ ン ス人 のた め に毎 夜 送 った 、 と も い わ れ て い る 。
し か し 実 際 に は イ ギ リ ス ・マド ラ ス長 官 の ウ ィ リ ア ム は 、 か つて の清 教 徒 革 命 のと き の ク ロ ム ウ ェル派 で 、 チ ャ ー ルズ
ニ 世 の フ ラ ン ス 寄 り の 政 策 を 嫌 っ て い た の で 、 一六 七 三 年 九 月 以 後 、 オ ラ ン ダ に 対 す る 敵 対 行 為 が 中 止 さ れ る の を 大 目 に
見 、 フ ラ ン ス を 積 極 的 に 援 助 し な か っ た 。 さ ら に いえ ば 、 一六 七 三 - 四 年 の オ ラ ン ダ 、 ゴ ル コ ン ダ 連 合 軍 の サ ン 開 ト メ 包
囲 中 に 、 名 目 だ け の フ ラ ン スと の同 盟 を ふ り き って 、 マド ラ ス 長 官 が 英 国 の中 立 性 を 維 持 し よ う と し た の は 、 英 国 と し て
(21 )
は ゴ ル コ ン ダ と 不 和 に な る こ と を 望 ん で いな か った こ と を 、 反 映 し た も のと み な く て は な ら な い。 ゴ ル コン ダ と 不 和 に な
れ ば 、 マ ス リ パ タ ム 等 々 コ ロ マ ン デ ル海 岸 全 域 で の キ ャ ラ コ輸 入 貿 易 に支 障 を 来 た す 。 マド ラ ス長 官 は 何 よ り も こ の こ と
を お そ れ て いた に 相 違 な い。 そ れ で も か れ が ド ーー ラ " エイ の サ ン " ト メ攻 撃 を そ そ のか し た の は 、 こ こ で フ ラ ン スと オ ラ
英 蘭戦 争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
71
'
ンダ と を 戦 わ せ て 漁 夫 の利 を 得 よ う と 考 え た か ら で あ る か も 知 れ な い。 いず れ に し て も イ ギ リ スと し て は 、 マド ラ スか ら
わ ず か 三 マイ ル し か 離 れ て いな いと こ ろ に フ ラ ン スが 定 住 ・植 民 で も す る よ う に な れ ば 、 こ れ ほ ど 困 った こ と は な い に 違
オ ラ ン ダ ・イ ギ リ ス の 海 戦
いな い。 フ ラ ン ス は う ま く の せ ら れ た の だ 、 と み る こ と が でき る 。
④
も ち ろ ん 、 だ か ら と い って 第 三 次 英 蘭 戦 争 中 の こ の時 代 に 、 イ ギ リ ス艦 隊 と オ ラ ンダ 艦 隊 と が 、 こ こ コ ロ マ ンデ ル海 岸
で戦 わ な か った と いう の で は な い。 先 述 の通 り 、 フ ラ ン ス占 領 下 の サ ン " ト メ に 対 し て オ ラ ンダ は 何 度 か の攻 撃 を か け て
いた が 、 そ の途 上 一六 七 三 年 八 月 二 二 日 に 英 蘭 両 艦 隊 が 戦 闘 し た 事 実 のあ った こ と を 、 ジ ョ ン ーー フ ライ ヤ ー も 丹 念 に 記 述
し て い る 。 オ ラ ンダ の セ イ ロ ン長 官 レ イ ク ロ フ 目 フ ァ ン ーー ゴ ー ン指 揮 下 の オ ラ ン ダ 艦 隊 は 、 コ ロ マ ン デ ル海 岸 に 沿 って 巡
航 し 、 サ ン ーー ト メ を 包 囲 し た 。 一四 隻 か ら な る こ の艦 隊 は 、 ベ ンガ ルか ら 帰 国 途 上 通 過 中 の イ ギ リ ス東 イ ン ド 会 社 艦 隊 一
〇隻 に遭 遇 し た。
フ ライ ヤ ー が 記 述 し て い る と こ ろ に よ れ ば 、 実 際 に 戦 闘 が 行 な わ れ た のは 、 ペ チ ポ ー ル湾 で 、
中略ー
﹁わ が (イギ リ ス)艦 隊 は 戦 わ な い で 、 か れ ら の と こ ろを 通 過 し よ う と し た 。 し か し 恐 れ る こと を 知 ら な い ブ リ テ ン 人 は 、
逃 げ る こ と を は ね つけ た 。 そ し て臆 病 に も し り 込 み す る よ り も 、 か れ ら と 戦 闘 す る こ と を 、 む し ろ選 ん だ 。1
合 図 が 発 せ ら れ た の ち 、 夜 ま で 小 銃 弾 が 大 き い音 を た て て 、 雨 あ ら れ と 降 った 。 弾 丸 の熱 さ を 最 初 に 感 じ た のは 、 ボ ン
バ イ ン号 で あ った 。 相 手 の最 大 の船 の ︼つと 舷 と 舷 と を 並 べ て の 一時 間 に わ た る 熱 い争 い の後 、 ほ と ん ど 水 面 よ り 上 に 維
持 す る こ と が で き な く な った 。 船 体 に 八 〇 発 の弾 丸 を う け た のだ か ら 、 し ば ら く の 間 は 、 風 と 波 の 間 に いた が 、 ふ た た び
(22 )
も ど って 来 な か った 。 ⋮ ⋮ ﹂
J ・T ・ウ ィ ー ラ ー は ま た 、 こ の 戦 い の 様 子 を つぎ の よ う に 、 記 述 し て い る 。
72
\
﹁一六 七 三 年 八 月 二 二 日 に 走 行 中 の交 戦 が 行 な わ れ た 。 そ の 交 戦 の詳 細 な 記 録 は 、 保 存 さ れ て い な い よ う に 思 う 。 け れ
(23 )
ど も 、 こ の交 戦 の な か で 、 一船 (
イ ギリ ス船 )が 敵 に よ って 沈 め ら れ 、 二 船 が か れ ら の 手 中 に 落 ち た 。 残 り の船 は マド ラ
ス に 逃 れ た 。 そ こ で修 理 が な さ れ た のち 、 イ ン グ ラ ン ド への航 海 を 続 け て 行 う こ と が でき た 、 ﹂ と 。
サ i 1ー ウ ィ リ ア ム ーー ハ ン タ ー は 、 こ の 戦 い を ﹁イ ギ リ ス の 愛 国 主 義 が 多 少 は で な 姿 で 物 語 ら れ て い る 名 誉 あ る 戦 い ﹂と 、
(24 )
帝 国 主 義 時 代 に ふ さ わ し い評 価 を こ め て 、 物 語 って い る 。 いう ま で も な く こ こ コ ロ マ ンデ ル海 岸 で も 、 イ ギ リ スと オ ラ ン
ダ と 、 フ ラ ン スと オ ラ ンダ の 間 に 、 以 上 の他 に も 小 競 合 いは み ら れ た 。 し か し 英 蘭 戦 争 と いう に価 いす る も の は 、 右 に あ
げ た も の が 最 大 で あ った 。 フ ライ ヤ ー は ま た 、 つぎ の よ う に も 記 述 し て い る 。
﹁フ ラ ン ス人 が な ぜ わ れ わ れ (イギ リ ス人 )を 助 け て く れ な い か と いぶ か し く 思 う 人 も いる だ ろう 。 か れ ら は わ れ わ れ が
争 って い た 以 上 に ひ ど く オ ラ ン ダ 人 と 争 っ て いた か ら で あ る 。 実 際 か れ ら は か れ ら の義 務 号 く。貯 を 申 し い れ て き た 。 し
か し わ れ わ れ は か れ ら の船 を 犠 装 し て やら な く て は な ら な い。 そ のた め に わ れ わ れ の司 令 官 は 、 金 、 資 材 そ れ に 指 揮 官 に
(25 )
も 欠 け て いる 、 と 主 張 し た 。 平 た く いえ ば 、 か れ ら フ ラ ン ス人 の親 切 を 軽 蔑 し た の で あ った 。 フ ラ ン ス 人 の 援 助 を 受 け て
ゴ ル コ ンダ 王 、 平 和 を 念 願
か れ ら の 恩 義 を こう む る こ と は 、 か れ ら の 下 手 に 入 る こ と だ と 考 え た 、 と いう の が 偽 り のな いと こ ろ で あ った ﹂ と 。
⑤
以 上 の よ う な 次 第 で 、 第 三 次 英 蘭 戦 争 の時 に は 、 本 国 か ら 遠 く 離 れ た こ こ イ ンド ・コ ロ マン デ ル 海 岸 で も 、 本 国 で の オ
ラ ン ダ 、 フラ ン ス 間 の争 い、 オ ラ ンダ 、 イ ギ リ ス間 の争 いを 、 そ のま ま 反 映 し た 形 で の戦 闘 が 行 な わ れ て いた 。 こ こ に 記
し た よ う に 、 オ ラ ン ダ 、 フ ラ ン ス 間 の 争 い は 死 闘 を つく し て の 激 戦 で あ った の に 対 し て 、 オ ラ ン ダ 、 イ ギ リ ス 問 の 海 戦 は 、
た が い に 相 手 の 様 子 を み な が ら の 争 い で あ った 。 本 国 で の フ ラ ン ス 、 オ ラ ン ダ 問 の 死 闘 、 オ ラ ン ダ 、 イ ギ リ ス 間 の 半 ば 不
本 意 な 交 戦 そ の ま ま を 、 そ れ は 写 し 出 し て い た 。 フ ラ ン ス 、 イ ギ リ ス 間 の 連 携 も ま た 、 ス ム ー ス と は いえ な か っ た 。
英 蘭戦 争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
73
し か し 注 目 し な け れ ば な ら な い の は 、 こ の よ う な ヨ ー ロ ッパ 各 国 相 互 間 の コ ロ マ ン デ ル 海 岸 で の 激 し い戦 闘 に 対 す る 、
ゴ ル コ ン ダ 王 国 な ど 現 地 当 局 者 の対 応 で あ った 。 フ ラ ン スが 占 領 し た サ ン ーー ト メ に 対 す る包 囲 攻 撃 の と き に 、 ゴ ル コ ン ダ
王 国 の 現 地 支 配 者 が み せ た 態 度 は 、 何 よ り も ま ず こ の地 域 の 平 和 の 維 持 を 求 め た も の で あ った 。 そ し て こ の態 度 は 、 一六
七 四 年 九 月 二 三 日 に 、 篭 城 し て いた ド ーー ラ ーー エイ の フ ラ ン ス 軍 が サ ンーー ト メを 明 け 渡 し 、 オ ラ ンダ と ゴ ル コ ン ダ の 軍 が こ
の町 に入 城 した のち にも 示 さ れた 。
(26 )
こ れ で サ ン ーー ト メ の町 は ゴ ル コ ン ダ が 支 配 す る こ と に な った わ け だ が 、 ゴ ル コ ン ダ の現 地 支 配 者 と な った ク ット ブ ーー シ
ヤー O耳げ ωげ魯 は 、 こ の 町 を 破 壊 す る こ と と し た 。 こ の 町 を ヨ ー ロ ッパ のど こ か の国 が 欲 求 す れ ば 、 そ れ が 競 争 相 手 国
を 刺 激 し 、 こ の町 の占 領 を め ぐ って各 国 間 の 争 い が 生 ず る か も 知 れ な い。 そ のよ う な ヨ ー ロ ッパ 諸 国 間 の争 い の種 と し な
いよ う に 、 こ の町 を 破 壊 し 、 魅 力 の な いと こ ろ に し て し ま う 、 こ れ が こ の シ ャ ー の 企 図 し た と こ ろ で あ った 。 地 域 の 平 和
維 持 を 何 よ り も 重 視 し よ う と し た 現 地 支 配 者 の 深 い配 慮 が 、 う か が え る 。
(27 )
し か も ゴ ル コ ンダ 王 は 、 こ の 町 の フ ラ ン スか ら の解 放 の際 に 力 を 貸 し て く れ た オ ラ ン ダ に 対 し て、 報 酬 と し て マ ス リ パ
タ ム で の 全 関 税 8濠 免 除 と プ テ ィ コー ル の 町 の 永 代 所 有 権 と を 認 可 し た の で あ った 。 ヨ ー ロ ッパ 各 国 の死 闘 を よ そ に 、
現 地 政 権 は 多 少 の犠 牲 を 払 って で も 、 平 和 の確 保 を 念 願 し て いた の で あ った 。
と も あ れ こ の 戦 争 期 間 中 を 通 じ て オ ラ ンダ は 、 現 地 で よ り 有 利 な 地 歩 を 築 く こと に な った 。 し か し 、 オ ラ ン ダ の成 長 よ
り も 、 も っと 早 い スピ ー ド で こ の 地 域 で の商 業 勢 力 を 拡 大 し て い った のが 、 イ ギ リ ス で あ った 。 こ の のち コ ロ マ ンデ ル 海
岸 な ど 南 イ ン ド の 政 治 的 不 安 が 高 ま って いく な か で 、 マド ラ ス商 館 と そ の近 辺 と を 守 った イ ギ リ ス が 、 本 国 方 面 へのキ ャ
ラ コ輸 入 で 、 ま す ま す 有 利 な 地 位 に つく こ と に な った 。 コ ロ マ ン デ ル織 物 に と って は 、 東 南 アジ ア市 場 よ り か 本 国 方 面 の
ヨ ー ロ ッパ市 場 の方 が は る か に 大 き い潜 在 力 を も っ ても いた か ら で あ る 。
74
r
註
\
(
'
1 ) 飯 塚 一郎 ﹁ア ン ボ イ ナ の 虐 殺 と イ ギ リ ス 東 洋 貿 易 ﹂ 上 、 下 (﹃歴 史 教 育 ﹄ 第 四 巻 、 一〇 号 、 =
号 ) 一九 五 六 年 。 ま た 、 文 入 ド
ラ イ デ ン の 悲 劇 も 有 名 で あ る 。 ﹄。ぎ ∪越 号 ヨ ︾§㌻遷 §3 ミ 琴俺O建 鳥ミ 霧 駄 罫 ①bミ 暮 き 愚
︾㊦肉§答 罫 ミ 専暮 § 謙 "Ω ぎ 鷺 受 一〇刈ωこ U。
ユ ベ ー ル 時 メ チ ヴ ィ エ著 、 前 川 貞 次 郎 訳
一九 五 五 年 、 八 六 頁 。
ρ 冨 刈O㌔ ﹄ も。O・
一四 世 ﹄、
Oσqσ
q旧肉§o噂登 §駄 § 導 σb竃 甜 § 駄 O}o乱 $ H押 一〇Q◎膳 o畠こ 勺℃ .ω刈一 1 ω刈塾の.
(2 )
∪∩= ・℃。言 轟 け8 b $ § § ミ 幸 O§ ミ 遷 穿 謹
﹃ル イ
(3 )
'
﹃フ ラ ン ス 東 イ ン ド 会 社 小 史 ﹄ 昭 和 五 二 年 、 三 五 頁 、 三 九 頁 、 四 五 頁 。 な お 、 フ ラ ン ス 東 イ ン ド 会 社 理 事 フ ラ ン ソ ワ
鼻 ㌔ ●ωOP
∪・O撃
§
(4 )
(5 ) 西 村 孝 夫
ぴ§ 。唾 ≧ 蕾
h3 ◎ ざ δ N簿 り= 鉾 。 oDoo●
寄ミ、
恥
﹃大 日 本 王 国 志 ﹄ (﹁東 洋 文 庫 ﹂ 九 〇 ) の ﹁フ ラ ン ソ ワ ・カ ロ ン の
這 刈①㌔ .昌 9
" カ ロ ンに つ い て は 、 フ ラ ン ソ ワ 目 カ ロ ン原 著 、 幸 田 成 友 訳 著
生 涯 ﹂ 四 六 - 五 九 頁 に 詳 し い。
(6 ) =●閃琴 げ。き 観 § 肉蓉 軌
越 & 早 ミ ミ ミ ぽ O§ 蕊 ﹄8 0- N。
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(8 )
ゴ ル コ ン ダ 王 が サ ン 帥 ト メを 占 領 し た の は 、
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(9 )
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(11 ) ↓巷 聖 閑亀 。冨 亀 ご 拝 誉 § O§ 鳩§ 受 § O§ §§ § こ 岳 o- 途 舞
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(12 ) カ ロ ン が ル イ 一四 世 に 忠 誠 で あ っ た か 否 か 疑 問 視 す る 人 も い る が 、 不 忠 で あ っ た と い う 確 証 は と く に な い、 と い う 。 O●カ●
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英 蘭戦 争期 の コ ロマ ンデ ル海岸
75
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(27 )
五 、 む す び に代 え て
こ こ に と り あ げ た イ ンド ・コ ロ マン デ ル 海 岸 地 方 は 、 古 く か ら 代 表 的 な イ ンド 木 綿 織 物 の産 地 で あ った 。 イ ン ド に は 他
に 西 部 グ ジ ャ ラ ー ト 地 方 と 東 北 部 ベ ン ガ ル 地 方 の 二 つ の 織 物 産 地 が あ った (五四頁地 図 ︹3 ︺参 照 )け れ ど も 、 東 南 ア ジ ア
(1 )
を は じ め と す る ア ジ ア各 地 で も っと も 強 い需 要 が あ った の は 、 他 な ら ぬ コ ロ マン デ ル織 物 であ った 。 香 料 な ど 東 南 ア ジ ア
(マレ ー)諸 島 貿 易 に 専 念 し て い た オ ラ ン ダ 東 イ ン ド 会 社 は 、 こ のよ う な コ ロ マ ン デ ル 織 物 に 着 目 し て 香 料 取 引 を 有 利 に
す す め て い た 。 一七 世 紀 中 葉 ま で 、 ポ ルト ガ ルを お さ え た オ ラ ン ダ が 、 コ ロ マ ンデ ル織 物 貿 易 を ほ ぼ 独 占 し て い た 。 か れ
ら は 主 と し て 、 銀 を も って 織 物 を 買 付 け 、 こ れ を マレ ー諸 島 に も って い って香 料 購 入 に あ た る と いう 貿 易 に 従 事 し て いた
、
7s
の であ る 。
こ の よ う な オ ラ ンダ の独 断 場 に登 場 し た の が 、イ ギ リ ス東 イ ンド 商 人 であ った 。第 一次 英 蘭 戦 争 当 時 イ ギ リ ス は す で に 、
フ ォ ー ト ーー セ ン ト ーー ジ ョー ジ (マド ラス)に 商 館 を も っ て い た が 、 ま だ ま った く 力 が な く 、 こ の戦 争 中 オ ラ ン ダ を 恐 れ て
航 海 を 中 止 す る あ り さ ま で あ った 。 コ ロ マ ン デ ル海 岸 への イ ギ リ ス の進 出 が 本 格 的 に な る の は 、 一六 六 〇 年 の王 政 復 古 以
後 の こ と で 、 コ ロ マ ン デ ル織 物 輸 入 のた め の投 資 も 増 加 し た 。 こ の た め 、 従 来 こ の 地 方 の織 物 を 独 占 的 に購 入 し て いた オ
ラ ン ダ は 、 脅 威 を 感 ず る こと と な った 。 コ ロ マ ン デ ル 海 岸 現 地 で の織 物 購 入 価 格 が 上 昇 し た ば か り で な く 、 イ ンド 人 中 間
商 人 が 契 約 を 破 棄 し て オ ラ ン ダ 人 に 供 給 す る は ず の品 物 を イ ギ リ ス 人 に ま わ す と いう 局 面 さ え 生 じ た 。
こう し て イ ギ リ ス の商 業 競 争 が コ ロ マ ン デ ル 海 岸 の オ ラ ン ダ 商 館 に 脅 威 を 与 え は じ め て いた 一六 六 五年 二 月 、 ヨ ー ロ ッ
パ で は 二 度 目 の英 蘭 戦 争 が 開 始 さ れ た 。 オ ラ ンダ の バ タ ビ ア総 督 府 は コ ロ マ ン デ ル海 岸 の オ ラ ン ダ 商 館 に対 し て 、 英 国 船
を 攻 撃 し 、 でき る だ け 敵 に 損 害 を 与 え る よ う に と の指 令 を 出 し た 。 し か し マド ラ ス付 近 停 泊 中 の英 国 船 を 掌 捕 す る た め に
行 な わ れ た オ ラ ンダ 側 の攻 撃 は 失 敗 で あ った し 、 オ ラ ンダ と イ ギ リ ス が 共 に 商 館 を お い て いた マ ス リ パ タ ム で の衝 突 が 生
ず る のを 恐 れ た オ ラ ン ダ 代 表 は 、 思 いき った 行 動 に 出 る の を た め ら って いた 。 そ れ よ り も 、 オ ラ ン ダ の 戦 闘 行 動 は 、 沿 岸
諸 港 の 平 和 を 不 法 に か き 乱 す も の と し て 現 地 ゴ ル コ ン ダ 当 局 に 非 難 さ れ た た め に 、大 し た 行 動 に 出 る こ と は で き な か った 。
ヨ ー ロ ッパ で 海 戦 が 開 始 さ れ た と いう 理 由 だ け で、 格 別 の こ と も な い の に 攻 勢 に 出 る こ と は 、 現 地 人 の 不 評 を 買 う だ け
で 、 商 業 競 争 上 も マイ ナ スで あ った 。 コ ロ マ ン デ ル海 岸 の オ ラ ンダ 商 館 長 た ち は 、 や が て到 着 し た ヨ ー ロ ッパ で の 英 蘭 平
和 の ニ ュー ス に 、 誰 よ り も 安 堵 し た の で あ った 。 こ の よ う な 次 第 で 一六 六 〇 年 代 の第 二次 英 蘭 戦 争 の際 に は 、 コ ロ マ ン デ
ル海 岸 で は ほと ん ど 、 戦 争 ら し い戦 争 は 行 な わ れ な か った の で あ る 。
と こ ろ が フ ラ ン スが 介 在 し た 第 三 次 英 蘭 戦 争 の 際 に は 、 以 上 に み た よ う に 少 し く 様 子 が 違 って い た 。 フ ラ ン スは 一六 七
〇 年 ご ろ に コ ロ マ ン デ ル海 岸 に 進 出 し 、 マス リ パ タ ム に 商 館 を お いた 。 そ し て主 と し て サ ン ーー ト メを め ぐ っ て の オ ラ ンダ
英 蘭戦 争 期 の コ ロマ ンデ ル海岸
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と の戦 いを 、 展 開 し た わ け で あ る 。 一六 七 二年 、 第 三 次 英 蘭 戦 争 開 始 と 共 に 行 な わ れ た フ ラ ン ス の サ ン ーー ト メ奪 取 は 、 オ
ラ ンダ の こ の 海 岸 に お け る 将 来 の 安 全 に 不 安 を 与 え た 。 フ ラ ン ス は ま た マ ス リ パ タ ムを も 攻 撃 し て 、 オ ラ ン ダ に脅 威 を 与
え た 。 し か し み て き た よ う に 、 オ ラ ン ダ は ゴ ル コ ンダ 当 局 と 協 力 し て サ ン H ト メ か ら フ ラ ン スを 追 放 す る こ と に よ って 、
大 い に そ の威 信 を 高 め る こと が で き た の で あ った 。
英 蘭 間 の海 戦 も な か った わ け で は な いが 、 こ の両 国 は と も に 現 地 ゴ ル コ ン ダ 当 局 者 の動 向 を 配 慮 し て 、 平 和 な 取 引 競 争
に 甘 ん じ て い た 。こ の た め 上 述 の 仏 蘭 問 の 戦 い が 、 コ ロ マン デ ル海 岸 で は 最 大 の も の で あ った 。そ れ は ま さ し く 、本 国 ヨ ー
ロ ッパ 海 域 で の 三 国 間 の戦 い の様 子 を そ の ま ま に 生 き 写 し し た も の で あ った 。
第 三次 英 蘭 戦 争 は 、 第 二次 英 蘭 戦 争 や そ れ 以 前 の ヨ ー ロ ッパ で の 戦 争 と 違 って 、 ヨ ー ロ ッパ で の 戦 争 が そ の ま ま 遠 隔 の
地 イ ンド ・コ ロ マ ンデ ル海 岸 に も 連 動 し て いた 、と み る こ と が で き た 。ウ ォ ー ラ ス テ ィ ン の近 代 世 界 シ ス テ ム論 で いえ ば 、
当 然 一七 世 紀 当 時 のイ ン ド は 、 西 ヨー ロ ッパ か ら み て ま った く の外 部 の地 域 (世界 )に 属 し て いた のだ け れ ど も 、 そ れ に
イ ン ド 洋 の こ の地 域 が ヨ ー ロ ッパ 世 界 シ ス テ ム に 包 摂 さ れ る に は 、更 に 一世 紀 以 上 も 待 た ね ば な ら な か った のだ け れ ど も 、
一六 七 〇 年 代 の 最 後 の英 蘭 戦 争 は 、 そ のよ う な 世 界 シ ス テ ム へ の コ ロ マン デ ル 海 岸 地 域 の包 摂 を 、 予 兆 し た も のと いえ る
の ではな いか 。
いず れ に し て も 一六 七 四 年 、 英 蘭 両 国 は 休 戦 し 、 イ ギ リ スは 戦 争 か ら 手 を ひ いた 。 し か し 仏 蘭 問 の い わ ゆ る オ ラ ンダ 戦
争 は 、 な お 一六 七 八年 の ナ イ メ ー ヘン の和 約 ま で続,
い て いた 。 こ の間 に も 、 コ ロ マン デ ル 海 岸 で の 英 蘭 両 国 の木 綿 織 物 貿
易 を め ぐ る 熾 烈 な 競 争 は 、 な お 展 開 さ れ て いた 。 と く に 一六 六 〇 年 代 、 七 〇 年 代 の こ の時 代 は コ ロ マ ン デ ル 織 物 の ヨ ー ロ
ッパ へ の供 給 が 、 イ ン ド の他 地 域 よ り の供 給 を は る か に 圧 倒 し て急 増 し て い た と き だ か ら 、 そ の競 争 は い よ いよ は げ し い
も の で あ った 。
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(2 )
一六 七 四年 以 後 、 仏 蘭 間 の 戦 争 で オ ラ ンダ が 苦 し む な か で 、 中 立 政 策 を と った イ ギ リ スは コ ロ マ ン デ ル 海 岸 で も いよ い
よ 有 利 な 局 面 を 迎 え る こ と と な った 。こ れ か ら 一六 八 〇 年 代 に か け て イ ンド 木 綿 輸 入 量 は い や が 上 に も 増 大 し て い った が 、
そ の 理 由 を 英 蘭 戦 争 に 求 め る と す れ ば 、 そ れ は と く に イ ギ リ ス が 戦 争 か ら 退 いた 一六 七 四年 以 後 の 中 立 時 代 に あ った と い
わ ね ば な る ま い。
そ れ で も 、 二 〇 年 前 の第 一次 英 蘭 戦 争 の頃 に は ま った く 萎 縮 し て いた イ ギ リ ス の コ ロ マン デ ル 海 岸 貿 易 は 、 オ ラ ンダ 戦
争 が 終 了 す る 頃 に は 、 十 分 優 越 し た 地 位 を 占 め る も の に 変 化 し て いた 。 一六 七 八 年 イ ギ リ ス の コ ロ マ ン デ ル 海 岸 への資 金
(3 )
供 給 量 は 三 六 〇 万 フ ロリ ン で 、 二 五 〇 万 フ ロリ ンを 投 入 し て いた オ ラ ンダ を 完 全 に 上 回 っ て いた 。 フ ラ ン ス と の激 し い戦
い の た め に オ ラ ン ダ は 十 分 な 資 金 が 得 ら れ な く な って いた の に 対 し て 、 イ ギ リ スは 十 分 な 資 金 を 投 入 し て ヨ ー ロ ッパ向 け
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に 大 量 の コ ロ マン デ ル 織 物 を 、 買 付 け る こ と が で き た か ら で あ る 。 イ ギ リ ス本 国 で は こ れ か ら いよ いよ 、 キ ャ ラ コ熱 が 高
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ま る こ と と な った 。
註
(1 )
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み の る ・文 学 部 教 授 )
(2 ) 王 立 ア フ リ カ 会 社 の 貿 易 で も 、 一六 七 八 年 頃 は 最 高 の 好 実 績 に 恵 ま れ て い た 。 国◆Ω・∪碧 一
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(3 ) ↓昌 導 寄 饗 冨 & ご 詳 § § O§ 窟 塁 ぎ Oミ § § 腎 こ 8 軌- 巳 舞
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