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アレゴリー的手法: 現代アートにおけるアプロプリエ

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アレゴリー的手法: 現代アートにおけるアプロプリエ
Kobe University Repository : Kernel
Title
アレゴリー的手法 : 現代アートにおけるアプロプリエ
ーションとモンタージュ(Benjamin H. D. Buchloh,
"Allegorical Procedures: Approapritation and Montage in
Contemporary Art", Artforum international, vol.21, no.1,
1982.9)
Author(s)
増田, 展大
Citation
美学芸術学論集,3:77-81
Issue date
2007-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002328
Create Date: 2017-03-31
美学芸術学論集
神戸大学芸術学研 究室
2007年
77
【
論文紹介】
「
ア レゴ リー的手法 :現代 アー トにお けるアブ ロプ リエー シ ョン とモ ンター ジュ」
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増 田 展大
本論文は、アブロプ リエーシ ョン/モンタージュといった手法を軸 として、広範な 20
世紀の美術作品を論 じている。それ らの作品は、ダダ、ネオダダ/ポップ ・アー ト、コン
セプチュアル ・アー ト、そ して 7
0年代後半以降のいわゆるポス トモダニズム ・アー トの4
っに大別することができるだろ う1。筆者のベ ンジャミン ・ブクローは、これ らの作品を通
時的に辿 り、ヴァルター ・ベ ンヤ ミンのアレゴリー論 を参照することで、作品と鑑賞者の
関係 を見直す と同時に、そのイデオロギー的な作用を明らかにしてい く。 ここで提示 され
る数多 くの具体的な作品や手法は、各作品の時代背景の推移や、モダニズムが想定 してい
た作者性の概念 とその変容 といった歴史的な問題 とも絡みあ う。1
980年代以降の現代アー
トにおいても多用 されることになる、アブロプ リエーシ ョン/モンタージュといった手法
をア レゴリー的な表現形式 として考察する本論文は、20世紀美術を振 り返るためにも有効
なひ とつの見取 り図を提示 していると言えるだろ う。
本論文の冒頭で、ブクローは、フォ トモンタージュを発明 した とされるベル リン ・ダダ
イス トの発言を引用 している。ジ ョージ ・グロス Ge
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zやラウル ・ハ ウスマン Ra
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m による当時の発言が示すように、彼 らは、フォ トモンタージュの言語的かつ再
覗-表象的な機能に、繊細で沈思的な効果、強烈なプロパガンダ的性格、商業的な広告な
どの幅広い可能性を認めていた。事実、彼 らが行 う言語 とイメージのアブロプ リエーショ
ンやモンタージュ、断片化 といった手法は、後のシュル レア リス トたちによる静観的な作
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政治性 を強烈に打ち出したプロパガンダ作品に至るまで、多様に展開されていくこととな
る。つま り、モンタージュやアブロプ リエーションによる再現-表象は、言語やイメージ
自体の物質性 を強調 しなが ら、その意味作用を転覆 させ ることによって、多様な読解可能
性をもつようになるのである。こうした言語 とイメージによる多層的な意味作用の実践を、
ブクローは、「
ア レゴリー的手法」 と呼ぶ。
ここで彼が参照するのが、ベンヤ ミンのア レゴリー論である。バロック悲劇におけるア
レゴリー的実践を観察する彼の議論は、そこに近代の 「
根源」をみて とり、同時に、近代
の知覚の歴史的諸条件を批判的に分析 してい くものであった2
。彼によれば、均整を重視す
るルネサンス期 とは異なる、バ ロック期の異質なものが混在 した過剰な装飾からは、その
物質性の顕在化によって、独特の歴史観が弁証法的に読解 される。ベンヤ ミンはその中心
的形象 として、1
8世紀以降、シンボルに比 して注 目されなかったア レゴリー とい う表現形
式に着 目した。アレゴリー的手法をボー ドレールの詩にみて とる彼のテクス トを、ブクロ
ーは、モンタージュ/アブロプ リエーションに関する記述 として読み直すのである。
1
9世紀における資本主義経済の開始は、物質的な事物を商品- と変容 させた。その結果、
使用価値 と交換価値に引き裂かれた事物は、最終的に交換価値を産出すべ く機能 しはじめ
7
8
る。 この変容に対 してア レゴリー的実践は、事物の物質性 を強調 して、その使用価値 と交
換価値、シニフイエ とシニフイアンを再び分裂 させ よ うとす るのであ り、
そ うす ることで、
商品の状態にまで引き下げ られた事物 を救い出そ うとす るのである。ア レゴリー とい う表
現形式の意味作用は、 しば しばシンボルのそれ と対比 され る。シンボルの意味作用が瞬間
的なものであ り、有機的な総体性 を備 えている一方で、ア レゴリーは、事物 を無定形な断
片 として積み重ねることで、
時間的に進行す る流動的な意味作用を備 えている。そこでは、
記号 と意味 とのあいだに不可解な点が残 る。そ うしてア レゴリーは、 「
事物における廃嘘」
として、ひ とつの意味を担 うと同時に異なる別の意味をも換愉的に指 し示す よ うになるの
である。 このよ うな記号 と意味 との緊張関係 における弁証法的過程は、主体に対 して、 こ
れまでの言語 と意味の隷属的な関係 をす り抜 けるよ うに働 きかける。つま り、多分に矛盾
や対立を有 したア レゴリーか らは、多層的かつ弁証法的な解読がなされ ると言える。ブク
ローは、このよ うなア レゴリー的な意味作用 を言語 とイメージのモンタージュ/アブロプ
リエーシ ョンに適用 して考えている。そ こでは、言語やイメージの物質性が強調 され るこ
とで、その交換価値 と使用価値、 もしくはシニフイエ とシニフイアンが再び分離 され、そ
れによって、見るたびに異なるシ ョックを与えるよ うな、流動的な意味作用が導出され る
のである。
この考えをもとに して、ブクローは 20世紀初頭 のダダか ら8
0年代の ビデオ ・アー トに
至るまでの諸々の作品を視覚的言語 として読み解 き、そこにア レゴリー的実践を見出 して
い く。 この実践は、具体的に言 うな らば、言語やイメージのアブロプ リエーシ ョンとその
意味の消耗 de
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on、モンタージュによる断片化や弁証法的な配置、事物やイメージの収
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nといった形で行われ る.例えば、ダダイス トの音声詩は、言葉や音節 を物質
的なものにまで還元 させて、その言語の歴史的な意味を消耗 させ る。異質なイメージと言
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語 を並置す る彼 らのモンタージュ技法 もまた、収用や断片化、重ね合わせ s
いった諸々の手法を用いることで、イメージや言葉 自体 とそれ らの意味 とのあいだにある
有機的な連関を喪失 させ、そのシニフイエ とシニフイアンを分裂 させ るのである。
ベ ンヤ ミンがボー ドレールの詩にみた 「
商品のア レゴリー-の変容3
」とい う現象は、マ
ルセル ・デュシャンの レデ ィメイ ドにおいて顕在化 していた とブクローは考える。 レデ ィ
メイ ドにおいては、複製品である商品が、その物質性 を前景化 させなが ら、美術制度-の
アブロプ リエーシ ョンとして機能す ると同時に、意味深長で代替不可能な創作物 としても
存立す る。そこでは、創作物の交換価値 と使用価値、彫刻 としてのシニフイエ とシニフイ
アンといった伝統的な関係がな し崩 しにされ るのである。このよ うなア レゴリー的手法は、
デ ュシャンを祖 とす るネオダダやポ ップ ・アー トの文脈- と引き継がれ ることになった。
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例えば、ウイレム ・デ ・クーニング wi
ロバー ト・ラウシェンバーグ Robe
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は、これまで、抽象表現主義 を乗 り越 える
父親殺 し的な試み として受け取 られてきた。だがブクローはそれを、ポス ト抽象表現主義
における初めてのア レゴリー的実践 として捉 え直 している。新たな作者の名前 と目付が添
えられたこの作品には、「
収用 されたイメージの消耗」、「
二次テクス トである視覚的テ クス
トの付加」、そ して 「
枠組み とい う装置-の注意 と読みの転換」といった作用が伴 う。これ
らの作用は、デ ・クーニングによって描かれた線 の外示的 de
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ive側面 と、それ を消去
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したことによるインデ ックス的側面の双方を同時に明 らかにす ることによって、作品の制
作過程や物質性-の 自己参照を促 し、その意味論的な有機的調和を崩 しにかかる。すなわ
ち、この作品におけるイメージの収用 と消去 とい う振 る舞いが、作品の物質的側面を強調
することで、これまでの歴史的構築物や制作の手段や枠組み といった装置を撹乱 しつつ、
それ ら-の焦点化 を促すのである。
ただ し、アブロプ リエーシ ョンを多用す るポ ップ ・アー トの作品においては、交換価値
が前景化 されてお り、そこに使用価値-の欲望が表出 していない とブクローは指摘す る。
彼 によれば、デュシャンの レデ ィメイ ドに比 して、 自己参照的な態度が不充分であるポ ッ
プ ・アー トの作品は、美的制度の庇護のもとで高級/低級文化 を和解 させ る妥協案 を提示
しているにすぎない。その後、作品による自己参照の対象が、絵画 自体の枠組みやそれを
構造化す る諸制度- と拡張 してい くには、1
96
0年代後半以降を待たなければな らない。例
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keは、資本
えば、政治的な作品でスキャンダラスを引き起 こすハ ンス ・ハ-ケ Ha
に取 り囲まれた文化生産において抑圧 されるよ うな要素を文化的諸制痩- と再導入 しよ う
と試み る。また、アメ リカのルイ-ズ ・ロー ラーLoui
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rやマイケル ・ア ッシヤー
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rは、美術館 とい う制度 を舞台に、大掛か りなモンタージュ/アブロプ リエー
シ ョンを施 した作品を発表 している。彼 らの作品が提起 したのは、作品の定義や社会的 ・
言語学的な位置づけ、そ して場所 と観客の様態 といった問題であった。そ してこ うした動
向は、芸術の無条件の 自律性が見せかけにすぎないことを明確 に打ち出す美術制作- とつ
ながってい くのである。
1
970年代か ら 1
98
0年代にかけて、作者性やモダニズムな どの枠組みに自己参照的な態
度をもった作品が登場す る。例 えば、シェ リー ・レグィ-ン She
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979年以
降、これまでの芸術家たちによる絵画や写真作品をそのまま再撮影 した写真作品を発表す
る。彼女の作品は、作者や主題 を脱 中心化 させなが ら、保守的な中産階級による文化的ゲモニーを徹底的に否定 しよ うとす るのである。 しか し、その試みは、作品 自体の社会的
条件を看過 して しま うといった リスクを伴い、それ と同時に、積極的批判 とい うよりも静
観す ることに充足 した態度 として受け取 られ るかもしれない。ブクローが指摘す るには、
ベ ンヤ ミンは、そのよ うなメランコリックな態度に内在する危険性 に気がついていた。か
って、彼がロシア構成主義にみた 「
新 しい作者」は、作品を一方的に送 り出す作者 とい う
モダニス トの枠組みを越 えて、イデオロギー的な文化装置の変容に能動的に関与 してい く
態度 を有 している。このよ うな態度を現代において体現す るのが、マーサ ・ロスラーMa
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rなのである。彼女の作品、≪二つの不適切な描写法によるバ ワリ-街 TheBo
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な どの写真史における 「
都市の偉大な記録者」を模倣す るかのよ うな構図を用いた都市写
真 を、
断片的な文字テ クス トとモ ンタージュしたものであった。この文字 と写真の並置は、
写真 にお さめられ ることで倫理的に美化 されがちな被写体の物質的側面を明 らかに しよ う
と試み、それによって 「ドキュメンタ リー写真」や 「
モダニズム写真」 といった形式のイ
デオロギー性 を批判 しよ うとす る。そこでは、モンタージュやアブロプ リエーシ ョンとい
った手法が、作品やその主題 における社会的 ・政治的側面を前景化 させ ることによって、
これまでの写真が伝統的に有 してきた 「
美的な中立性」を写真か ら剥ぎ取ろ うとす るので
ある。
8
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こうした作品は次第に、作品が置かれ る社会的状況や芸術以外の制痩- と注意 を向ける
よ うにな り、そ うす ることで、美術制度内における美的実践の場所や機能を転倒 させ るよ
うになった。 ここでブクローは、ベ ンヤ ミンのア レゴリー とロラン ・バル トの議論 との近
接性 を説いている。70年代後半以降の美術作品におけるテ レビ映像や広告写真 を用いた請
実践は、その焦点を作者か ら作品の 「
読み」- と移 し、言語的操作を被った 日常生活のイ
デオ ロギーを曝けだそ うと試みるものであった。 これはバル トが指摘 した、イデオ ロギー
を脱構築す るための二次的な神話化のモデル 4に対応 している。消費社会の神話による事物
の価値の変容 (
神話化)を記号論的かつ言語学的に反復す るとい うこのモデルは、構造的
にベ ンヤ ミンのア レゴリーに従 うものであると言える。ここにブクローは、20世紀初頭の
ア ヴァンギャル ドと現代アー トとの実践のあいだの概念的なっなが りをみるのである5。
そ して最後に紹介 され るのが、ダラ ・バーンバ ウム Da
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m の作品である。かつ
てダニエル ・ビュラン D弧i
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nやア ッシヤーが美術館 との関係か ら絵画や彫刻の言語
を定義 したの と同様 に、彼女の作品は、テ レビとい う大衆的装置 との関係か らヴィデオ ・
アー トにおける視覚的言語を定義 しようとする。彼女が用いる手法は、ダン ・フレヴィン
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nや リチャー ド・セラ Ri
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kらによって変容 してきたモンタージュとヴィデオ ・
ナム ・ジュン ・パイク Na
アー トの歴史的な可能性 を展開す るものであった。例えば、彼女は、アメ リカの伝統的な
TV アニメ 『ワンダー ウーマン』や、過剰な演技 と表情 をクローズア ップで映 し出すメロ
ドラマの映像 を、断片化 ・反復 して画面に映 し出す。 こ うして彼女の作品は、テ レビにお
ける諸々の慣習に焦点をあてることで、テ レビとい う制度が観者 に対 してイデオロギー的
に作用す る様相 を明 らかにする。また彼女は、ポピュラー ・ミュージックの歌詞 を図像 と
して表示することによって、実際のテ レビにおいては視覚に対 して従属的である音声の潜
在的なイデオ ロギー性 をも露呈 させ よ うとす る。 このよ うな諸要素の相互関係か ら、作者
/観者/作品を巧妙に巻き込んでい く彼女の作品は、芸術 とテ レビとい う双方の制度に跨
りなが ら、それぞれの視覚的/聴覚的言語が互いに反響 しあ う弁証法的関係 を作 り出すの
である。
以上のよ うに、ブクローが指摘す るモンタージュ/アブロプ リエーシ ョンによる批判的
作用は、作品 自体やその支持体か らそれを取 り囲む美術制度や枠組み、そ してテ レビな ど
の大衆文化- と視野を拡げてい く。それ と呼応 して、作品の主題やスタイル、作者ではな
く、作品の 「
読み」が中心化 され るのであ り、そのための手法が問題 となるのである。1
98
2
年に書かれた この論は、モンタージュ/アブロプ リエーシ ョンとい う手法を、主体の読み
のなかで積極的なイデオロギー批判 を導き出す作品 と結びつけることで締 め括 られている。
ポス トモダンが叫ばれた当時の美術制度や、ブクロー 自身をも含 めた批評家-の批判的言
及 を示す本論文は、『オク トーバー』誌に代表 され るよ うなモダニズム-の反省的態度、社
会的イデオロギー批判の一翼を担っていると言えるだろ う。例 えば、同時期にはポス トモ
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ダニズム ・アー トを定義づけようとするクレイグ ・オー ウェンス Cr
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ア レゴリー的衝動 :
ポス トモダニズムの理論に向けて TheAl
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年の論文7において、当時の美術界の様相 を批判的に分析 している。そこで彼が糾弾 したの
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は、スタイル を自由に取捨選択する多元主義 とい うイデオロギーのもとで歴史的回帰を繰
り返 し、
批判的な急進性 を喪失 した当時の美術作品 と批評行為であった。その標的 として、
彼はブクロー と同 じく、当時の新表現主義的絵画を挙げている。 フォスターが当時の美術
作品や批評行為に求めた もの とは、 「
歴史的な償却」 と 「
文化的実践-の社会的抵抗8」な
のである。
本論 も、こうした議論 と足並みを揃 えるものである。マスメデ ィア と結託 しなが ら高級
/低級文化が溶解 してい くなかで、社会の現状に対す る批判的意義 を美術作品 と批評に求
めよ うとする傾 向が、当時の論考には少なか らずあった。 こうしてみると、その発端か ら
政治的イデオロギー批判 とい う企図をもったモンタージュ技法は、8
0年代初頭の批評行為
の 目的に適 う格好の素材であった とも言 える。 しか し、当時の批評 を省みるな らば、本論
にはい くつかの疑問点が生 じる。それはブクローの議論が、冒頭ではその多様な可能性 を
認 めつつ も、後半では、モンタージュ/アブロプ リエーシ ョンにイデオロギー批判的な作
用だけを認 めて評価 している点、そ して、そのよ うな作品を単線的に歴史化 している点で
ある。また、本論文は概観的な考察であるが故に、個々の多様な作品が詳細に分析 されて
いるとは言い難い。例えば、写真 によるモンタージュと映像によるそれ を押 し並べて論 じ
ることはできるのだろ うか。作品における視覚的作用 を記号論的読解- と結びつけるだけ
でなく、モンタージュとアブロプ リエーシ ョンを用いた作品の支持体 ごとに異なる特性や
テクスチャー、また、それ を受 け取 る鑑賞者の身体的側面な どを考慮す ることによって、
さらに考察を深 めることができるだろ う。また、本論文が発表 された以降には、「
アブロプ
リエーシ ョニズム」や 「
パステ ィシュ」、「
シ ミュレーシ ョニズム」 といった概念が数多 く
登場 してきた。そ うした状況下では、もはやモンタージュ/アブロプ リエーシ ョンといっ
た手法がひ とつの流行やスタイル と化 したのであ り、その批判的機能が一義的ではなくな
った とも考えられ る。高級/低級 といった二項区分が無効化 しつつあ り、モンタージュ/
アブロプ リエーシ ョンがお決ま りの手法 となった現状 を踏まえて、ブクローが歴史化す る
モンタージュ/アブロプ リエーシ ョンには収まらない、この手法の多様な可能性 を再考 し
てみる余地があるだろ う。
(
ますだのぶひろ :神戸大学文学研究科修士課程)
1
本論で触れ られなが らここで言及できなかったものを含 め、参考までに 4つの区分 にあたる作者 を記 しておきたい。
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999、ちくま学芸文庫)
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生産者 としての作家」、『
ベ ンヤ ミン著作集 9/ ブ レヒ ト』所収 、1
971
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ベ ンヤ ミン ・コレクシ ョン 1近代の意味』所収 、1
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5クレイ グ ・オー クェンスは、このバル トに関す るブクローの解釈 を批判的に言及 しているOまた彼は、本論文がフェ ミ
ニズム的観点に欠 けていることも批判 しているo詳 しくは、「
他者の言説」(
『
反美学 ポス トモダンの諸相』所収、ハル ・
フォスター編、勤草書房 、1
987、p.
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