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亡き妻との約束----。 前人未踏の「101勝に挑戦し続ける鉄人」 体全体

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亡き妻との約束----。 前人未踏の「101勝に挑戦し続ける鉄人」 体全体
亡き妻との約束----。
前人未踏の「101勝に挑戦し続ける鉄人」
体全体から力が抜けた。
「妻の死の宣告」。医師から妻・よし子の余命を告げられた斉藤清は、頭の中が真っ白になり、自
分は何をどうすればいいのかわからなかった。虚脱感で、その後一週間、何も手につかなかった。昨
年9月のことである。
全日本王者の座に8度までも輝いた、強靱な精神力を持った清ですら、心の中に大きな空洞ができ
たという。
妻、旧姓・嶋内よし子も女子シングルスの元全日本チャンピオンだった。そして清と組んだ混合ダ
ブルスでも二度、王座についている。現役時代、清は5歳年上のよし子に恋こがれ、結婚に持ち込ん
だ。二人の夫婦の絆は強かった。
ただ、ふだんは、お互いの卓球の話は交わさなかった。それは暗黙のうちの了解。お互いの卓球を
尊敬しあっていた証左だった。
よし子に体の異変が見つかったのは、3年前の7月だった。右胸部にしこりを感じたよし子は、そ
のことを清にそれとなく話した。「しこりがあるんだけど」。清も軽い気持ちで、オウム返しに「癌
じゃないのか。すぐ病院で検査を受けてみたらどうだ」と言った。
それでも、1ヶ月後に『三共レディース大会』を控えたよし子は練習に励んでいた。美峰クラブの
主催者であった彼女は、1年間の目標にしていたこの大会を、どうしても欠場することはできなかっ
た。人一倍、責任感の強い彼女にとっては、欠場という選択はなかったのだ。その後、よし子は、手
術をし、何事もなく元通りの生活に戻った。
しかし、2年後の6月、よし子の体に異変が起こり、再び入院することになった。転移していたの
だ。よし子は完治することを望んで治療に専念し、なおかつ来年開催される札幌での三共レディース
大会に出場することを考えていた。11月には退院し、12月の中旬までは自宅で過ごしていたが、
その後、手足が動かなくなり、歩行も不自由になって、再び熊谷の病院に入院することになった。
清は、その頃からかつての友人たちを病室に招くようになった。ともに世界を目指した、日本代表
のチームメート・斉藤富美子(旧姓・新保)もその訪問者のひとり。「彼女(よし子さん)は、あな
たが全日本で百勝することを楽しみにしていたわよ」と、清に告げた。
清は2年前の埼玉県予選で敗れて、全日本の本戦には出られなかった。すっかり意欲を失っていた
清にとって、斉藤富美子の言葉は『よし、もう一度!』というモチベーションとなった。『格好悪い
姿をさらすこともあるだろうけど101勝を目指して頑張ろう。いや、101勝しなければいけない。
カミさんのために』。
よし子が再入院してからは、清は家事すべてを担っていた。「主婦って大変ですよね。カミさんの
偉大さがよくわかりましたよ。そのうえ、PTAの役員とか、子どものサッカー部の世話とかしてい
たわけですから、本当に大変だったと思います。見事にすべてをこなしていた。すごいですよね。オ
レなんか到底かなわないですよ」。
別れが近づいた時、清は親しい友人たちに連絡をとって、病院に来てもらった。
そして、よし子は集まったひとりひとりに「ありがとうね。どうもありがとう。お世話になりまし
た。○○さん、ありがとう・・・・・」。そして清には「あと、頼むね」。
危篤状態に陥ったよし子が、清の耳元でささやいた。「うちの近くにお墓を建ててね。そしたら、
歩いてみんなが会いに来てくれるから・・・・・・」。
平成15年12月23日、よし子は永遠の眠りについた。享年46歳。戒名は「卓誉麗好大姉」。
最後まで卓球を愛し、皆から尊敬された卓球人生だった。
3週間後、清は全日本の舞台に立っていた。そして、男子最多の90勝を果たした。清は今後も前
人未踏の101勝を目指して戦うことを誓った。妻との約束を果たすために。
APR.2004
VOL.83
卓球王国「People」より
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