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Title レッシングの無韻詩行戯曲のこころみ : ブランクヴァース戯曲史の一

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Title レッシングの無韻詩行戯曲のこころみ : ブランクヴァース戯曲史の一
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レッシングの無韻詩行戯曲のこころみ : ブランクヴァース戯曲史の一段階
宮下, 啓三(Miyashita, Keizo)
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.43, (1982. 12) ,p.260- 276
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00430001
-0260
シングの無韻詩行戯曲のこころみ
ー ! プ ラ ン グ ヴ ァ lス戯曲史の一段階||
演劇の目ざましい展開を先導した。
宮
倣から解放しようとして、 シェイクスピアの才能を高く評価し、それによって十八世紀最後の四半世紀におけるドイツ
で、劇作・批評・宗教哲学の三つの分野で重要な仕事をのこした。とりわけ彼はドイツの演劇をフランス古典主義の模
ゴットホルト・エプライム・レッシング ︵一七二九|八一︶ は 、 十 八 世 紀 ド イ ツ 啓 蒙 主 義 期 を 代 表 す る 文 人 の 一 人
啓
レッシングがフランス演劇を批判したといっても、批判の対象はもっぱら古典主義演劇の理論と形式であった。
一寸
︵
1
劇論のよき理解者でもあった。
︶
悲劇とは王侯貴族を主人公として韻文で書かれるべきものであるとする固定観念を、 レッシングは時代遅れであると
感じていた。彼は﹃ミス・サラ・サンプソン﹄︵一七五五︶ によって、 散文によるドイツ市民悲劇の歴史を拓いた。
うして彼は散文優位の時代であることを他のだれよりも強く意識したのであったが、 かたわら無韻の詩文体による戯曲
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イツのモリエ l ル﹂と呼ばれることを望んだレッシングは、 フランス喜劇から多くを学びとっていたし、ディドロの演
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をいちはやくこころみていた。 一七五七 J九年頃の一連のこころみは、最後の完成作となった劇詩﹃賢者ナ iタン﹄︵一
七七九︶ の助走でもあった。 フランス式の押韻詩行にとってかわる、散文時代の詩文体の実験とは、どのような性質を
帯びたものであったろうか。
レッシングは散文の推奨者であった。 韻文で書かれた原作を訳すについても散文訳をすすめた。 たとえば、﹃ハンブ
︵
2
︶
﹁力感を欠いて単調一途の韻文よりも、力強くて耳に快い散文を聞きたいと、 だれしもが望むのではあるまい
ルグ演劇論﹄︵一七六七i 六九︶ でフランスのド・ブロワによる悲劇﹃ゼルミ i ル﹄を論評した文章の中で次のように
幸
一
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. 韻文による翻訳のかずある中で、聞くに堪えるのは半ダ lスほどもあるまい﹂
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、
レッシングはライプチヒでの大学生時代にマリヴォ!の唯一 の悲劇﹃アニパル ︵ハンニパル︶﹄を友人とともにアレ
クサンドランの詩文体に訳したことがあった。ほかにもクレビヨンの悲劇﹃カティリlナ﹄など、若干の断片が彼の訳
として残されている。しかし、 いずれも初期の習作時代でのことであった。 一七五0年代の前半に彼は早くも押韻の詩
文体による翻訳に背を向けた。彼はイギリスのポ iプが書いたヒロイック・カプレット ︵二行ずつ押韻された弱強格五
脚の詩形︶ による﹃エロイザからアベラ!ドへ ︵エロイ lズからアベラ l ルヘ︶﹄の冒頭の七行を文芸評論の中で引用
したが、彼がこれに添えた訳文は完全に散文体であった。同じくイギリスのトムソンの悲劇﹃アガメムノン﹄を彼は七
百行ほど独訳したが、ブランクヴァ iス ︵無韻の弱強格五脚の詩形︶ の原文を、これまた散文体で訳したものであっ
た。紙面の都合でそれぞれの原文と訳文の対照を掲げることはひかえるが、語義的には十分な対応関係を一不さず、若干
-261-
の解釈をふくめて、原文よりはやや長目の訳文になる傾向がみとめられる。
︶
﹃ハンブルク演劇論﹄の第五四号︵一七六七年一一月六日付︶以下でレッシングはトマス・コルネlユの悲劇﹃エセ
︵
4
ックス﹄の再演を話題とした。彼はイギリスのジョン・パンクスによる﹃不卒な寵臣、 またの名、 エセックス伯爵﹄
と無名のスペイン作家による作品をとりあげて、これら二作との対比を通じてコルネ l ユの作品を批判しようとした。
レッシングはフランス古典主義演劇のコ二致の法則、悲劇と喜劇の峻別、 韻文体、気品などを批判した。 ﹃ハγ守フルク
演劇論﹄全体を通じてとくに重要な個所の一つである。ここで彼はパンクスの作品から対話の一部を、 みずからの翻訳
によって例示した。第五七号︵一七六七年一一月一七日付︶ と第五八号︵一一月二O 日付︶ に、ブランクヴァ lス文体
の原文から訳された対話が載った。 レッシングの散文による独訳の実体を、ごくわずかながらここに紹介してみよう。
イングランドの女王がアイルランドにおこった反乱を抑えさせるためにエセックス伯を総司令官に任じた。伯爵のひ
きいる軍勢があまりに弱体であったので、彼は敵将との秘密会談で和議を結ぼうとした。これが疑惑を招き、伯爵は告
発された。女王は彼を愛するあまりに告発を許そうとしなかったが、敵を討つまで帰国するべからずとの命にそむいて
帰還した彼を公然と弁護する口実をもたなかった。彼女は彼の無罪を信じてはいるが、 さりとて完全には信じきれずに
いる。そうした状況下でノッチンガムが女王の前で伯爵を誹誘する ︵第三幕第一場︶。
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この際、パンクスの原文とレッシングの独訳文のそれぞれを直訳調で日本一前訳して対照することをこころみよう。
ッシングの散文の体質をうかがい知る一助となりうるにちがいない。
ノッチンガム
て、希望しています、あなたが、願わくば/エセックス
純粋この上ない愛情から発した/心底からの涙をもっ
遠の希望におとらぬほどに。/しかし彼らはしばしば
を崇拝しています。/平安に、富に、あるいは彼らの永
者はなく/世の人々は彼らの崇める神におとらずあなた
一つだけのこととは、願わくばあなたが、このエセック
をもって、人々が願っていることがあります。ーーーこの
たへの純粋この上ない愛情から発する熱烈この上ない涙
には及びません。これだけ、ただ一つだけ、しかも、あな
聖者の名声とて、すべての人の舌が語るあなたへの讃美
っとりと賛歎して語らない者がいますものか。あの世の
レ
う
ノッチンガム
に対する人々の不満の種を除き、/お力をもってこの反
スめへの人々の苦情を取り除き、 かような反逆者をこれ
あなたのことですと、女王?||あなたのことを、
逆者をお守りになろうとせず、/彼を法の裁きと、 さら
以上弁護なさらず、法の裁きと汚辱とに彼を近寄らせま
女王
だれが私に指凶できるというのですか?
-264-
あなたのことを、死せる聖者のこと以上に悪しく語る
に恥辱とにお委ねになりますようにと。/それこそあな
いなどとなさらず、思い切って復讐の神に彼を委ねてお
ミ
カ
ヮ
・
しまいになっていただきたいということであるのです。
たと、/そして人々の受けた不幸への仕返しです。
女
とすると、人々は私に政治の仕方を教えるつもりです
王
このすぐあとにつづくノッチンガムの言葉は原文からの直訳では﹁天に関しては服従あるのみです﹂とあるのに対し
て
、 レッシングの訳文は﹁あなたに指図ですと/||こよなく深く服従して天に祈ろうとする者が、天に指凶などいた
﹁原文に即した翻訳ではなく、彼なりの表現法、ごく自然な日常的で平明な文体に、このイ
しますものか?﹂となる。この種の修辞的疑問はレッシングの個性的な文体の特徴の一つである。ともあれ、彼は、右
の対照で明らかなように、
コ ル ネ lユの﹃エセックス﹄に比較
ギリス戯曲を改作した﹂ のであった。彼はパンクスの詩文体を﹁市民悲劇の最も大胆な散文に変えた﹂のであった。
数十行にもわたってレッシングがパングス作の悲劇から訳した文を示したのは、
し て 、 性 格 描 写 に す ぐ れ 、 力 動 感 と 真 実 味 に み ち て い る こ と を 証 明 し て み せ る た め で あ っ た の だ が 、 そのあと彼は次の
ように書いて自分の文体の方法論というべきものを披露した。
﹁だが、私の翻訳からパンクスの口調を判断してはいけない。私は彼の表現方法を完全に捨てざるをえなかった。彼
の表現は、くだけでもいるが重々しくもあり、平俗でもあり高踏的でもある。人物ごとにちがうのでなく、全体がこの
調子である。:::私は平俗より誇張を警戒した。たいていの人は多分これと逆のことを考えるのであろう。なぜかとい
うと多くの人が、誇張と悲劇性とをほとんど同一のものと思っているからである。読者の多くがそうであるばかりか、
作 家 た ち の 多 く さ え も が そ う な の で あ る 。 主 人 公 は ︵作家自身とは︶ ちがう種類の人間のように語るとでもいうのだろ
うか。﹃誇張にみちた長広舌﹄、格言と法螺と長広舌。これらが彼らのいうところの悲劇の口調をなすものだというので
ある。
ディドロがいう、︵彼がとくに彼の同国人たちについて語っていることに留意されたい︶﹃われわれは、演劇を根底か
ら 損 な う も の に も 欠 き は し な っ た 。 わ れ わ れ は 古 代 人 ︵ ギ リ シ ア ・ ロ ー マ ︶ から、この上なく壮麗な詩法をうけつい
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われわれは、葛藤と談話における彼ら古代人の素朴さ、叙述の真実らしさを見逃して
だ。が、これは音量がきわめて精確で、 ア ク セ ン ト の き わ め て い ち じ る し い 言 葉 、 広 大 な 舞 台 、 音 楽 の 伴 奏 つ き の 朗 話
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﹁私はずっと以前から、宮廷は作家が自然を研究できると
﹁その口調は、劇作品を賎しめるのではなく、たんに音
いずれも彼自身の訳文を添え
ちなみにレッシングは芸術論﹃ラオコ i ン﹄︵一七七六︶ の 本 文 中 で シ ェ イ ク ス ピ ア の ﹃ リ ア 王 ﹄ と ﹃ リ チ ャ l ド 三
調を低めて、 まったく自然なものとし、それだけいっそうわれわれの感情にはいりこみやすくするものです﹂
作者である兄にあてた書簡の中で次のように感想をしるした。
の悲劇﹃エミlリア・ガロッティ﹄︵一七七二︶ で 実 践 し て み せ た 。 こ の 悲 劇 の 口 調 に つ い て 弟 カ l ル ・ レ ッ シ ン グ は
韻文の宮廷悲劇にかえて散文の市民悲劇を定着させようとしたレッシングは、右の引用文中に一爪された文体論を自作
野、組雑が自然から遠いと同様、誇張、誇大も、上品から遠い﹂
ら、この機械をふたたび人聞に戻すのが作家の仕事である。:::素朴な自然さほど、 しとやかで上品なものはない。粗
ころではないと思っていた。そして、もし華麗さとか礼儀正しさとかが人聞を機械にしてしまっているのであるとした
ろにレッシングの面白が躍如としている。彼はさらにいう。
フランス古典主義悲劇の韻文に対する批判のためにフランス市民劇の唱導者であったディドロを引用してみせるとこ
る
﹂
ず、感情を生み出せるものでもない。 感情というものは、
﹁不自然で勿体ぶって誇張した言葉には、けっして感情は存在しえない。そのような言葉は、感情の存在を示しもせ
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陛﹄、脚註でトムソンの﹃アガメムノン﹄から、 ブランクヴァ!スの英文を引用したが、
-266-
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なかった。同じ﹃ラオコ l ン ﹄ の た め の 資 料 と し て 残 さ れ た 覚 え 書 き の 中 に は ミ ル ト ン の ﹃ 失 楽 園 ﹄ か ら 三 行 半 が 引 か
れていて、彼はこれに散文訳を添えていた。
以上はまぎれもなくレッシングの散文好みの例証であると同時に、翻訳の実践論でさえある。しかし、彼は詩形式の
一七五0 年代後半に書かれた、示フラングヴァlス
戯曲文体をすべて否定し去ったわけではなかった。散文への執着は、 じつは既成の韻文形式を一掃して、その上で新し
い詩行を模索するための準備段階でもあった。それを暗示するのは、
﹁彼︵レッシング
-267-
による創作戯曲の短い断片のいくつかである。
︵
日
︶
一七五八年にレッシングが友人の一人から受けとった
すでに一七五五年の夏にレッシングの親しい友人であるラムラーが知人にあてた書簡の中で、
将来無韻の弱強格詩行で作品を書くでしょう﹂と予言していた。
書簡に﹁私はとくに弱強格文体の悲劇をたいそう待ちかねています﹂という文章があった。
︶
を二つの、様態を異にする形式でこころみていた、という事実を指摘しておきたいと思うのである。
次の点に関心を寄せるだけで満足しておくとしよう。すなわち、 レッシングが三つの断片において、ブランクヴァ i ス
もはや明確に年代を確定しようのない遺稿断片の順序づけにかかずらうのは私の能力を超えることである。ひとまず
に書かれたものであることについて異論はないが、三者相互の聞の順序はさだかでない。
︵
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にはるか遠い段階で中断された。今日三つの断片が残されているにすぎない。それらが一七五七年から一七五九年の間
友人たちの期待は満たされなかった。 レッシングは一度ならず守フランクヴァlスの戯曲に着手したが、 いずれも完成
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ま
巳ω︶は、 五幕悲劇として構想され、 第一幕第三場のはじめで中断された。 全 体 の 筋 は 不 明
まず﹃クレオニス﹄︵同Zo
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μ ギ リ シ ア 神 話 時 代 の 話 で あ る 。 へi ラクレ l ス の 十 三 代 目 の 子 孫 に あ た る メ ッ セ i ニ ア の 王 と そ の 息 子 の 物 語 で
2
ある。息子クレオニスが行方知れずで父がその身を案じている。敵方にとらわれている息子は、やがて別人の名をもっ
て登場し、父親と再会することになるのであろう。このことから次のような推理が可能になる。
一 七 五 八 年 か ら 翌 年 に か け て レ ッ シ ン グ は 一 幕 悲 劇 ﹃ フ ィ ロ l タス﹄を書いた。若い王子フィロ I タスは敵軍にとら
われているが、捕囚となったことを深い恥辱と感じていて、名誉を回復し、父である王にとって戦略上の障害とならな
いようにわれとわが身を絶つ。 ﹃ ク レ オ ニ ス ﹄ と き わ め て よ く 似 た 主 題 を も っ 作 品 で あ っ た 。 息 子 が 敵 軍 に と ら わ れ て
いるという状況において二つの作品は共通していた。父の立場を案じる息子に焦点を合わせるか、息子の身の上を気遣
レッシングが﹃フィロ l タ ス ﹄ を 完 成 に 至 ら せ
みずからもギリシ
﹃クレオニス﹄を断片に終らせた理由の一半に文体の問題が
う父に心境をかたらせるかの差はあっても、これら二つの作品が相似た内容をもつものであることは明白である。して
みれば
あったのではないかと考えるのも不当ではないはずである。
散文で市民悲劇﹃ミス・サラ・サンプソン﹄を書いたあと、 レッシングはギリシア悲劇を研究し
アを舞台とした作品を書くことをこころみた。その際、散文を採るか韻文を採るべきか、二者択一の選択を迫られた。
フ ラ ン ス 古 典 主 義 悲 劇 の 用 い て い た 押 韻 詩 行 は も は や 問 題 に な ら か っ た 。 韻 を も た な い イ ギ リ ス 式 の 戯 曲 の 文 体 、 つま
どのような形をもっていたのであろうか。 第 一 幕 第
りブランクヴァiスこそ、散文時代の詩文体として有力な、実験にあたいする文体であると考えられたにちがいない。
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で は 、 ﹃ ク レ オ ニ ス ﹄ で こ こ ろ み ら れ た フランクヴァlスとは、
二場の、 王 と 将 軍 の 対 話 か ら 王 の 言 葉 の 十 行 を と り 出 し て み る と し よ う 。
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その丸腰に/防具をつけよ/
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神が息子の頭上に/降りてくる。 お 慈 悲 を 、 神 々 よ /
il血の流れが/打ち割られた頭からほとばしる。息子はよろ
れ/
§~三
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わずかな量の引例からだけでも、多くの文体的な特徴を見出すことができる。 一つの詩行が感嘆符をもっ短い語句で
再三中断されるのも目立つ。だが、もっとも目につく特徴は、各行が強勢をもっ音節で終わっていることである。
王オイファエスの次の言葉は、右の引例とは基本的にことなる形態を示している。行頭と行末に同じ語句を配置し、
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まさにこの勇敢さを/思えばこそ、
さらに単音節の人称代名詞をくりかえし文末に置き、事実上押韻詩行に準じている。
国んい円山口町
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一
いつ私が彼︵︵へ l ラクレ lス︶︶の勇敢さを/疑ったろうか?
同片
口。
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BR巳 ω。Emw庁ロロ門目当包件。門口付FZ
︵黙るがよい/
私は身がふるえる。その勇気が/死にさからうように、だれしもその勇気と肩をならべて死にさからってこそ/当然
というものだ。その勇気のあえてすることに/劣ってはならない。その勇気にとって/誇るべきは、身寄りを失って
-270-
悲嘆にくれる父親の/愛する息子なのではない。
も 、 あ り は し な い /lli︶
その勇気にとって/誇るべきは、
兵士であって、
他のなにもので
以上のような特異さを示す﹃グレオニス﹄が一八一行の守フランクヴァ i ス の 断 片 と し て 残 さ れ て い る の に 対 し て 、
ZE5︶は一O 九行、﹃星占い﹄︵ロR 出225匂︶に至ってはコ二行半の詩行を後世にとどめている
﹃ファティlメ﹄︵司m
にすぎない。 ﹃ファティlメ﹄はさながら﹃オセロ﹄を思わせる嫉妬を主題とした一幕悲劇として構成したらしく、
が戦場に出ている留守中の貞操を疑われたファティlメは絶望して自害し、夫もわれとわが身を刺して死ぬという筋立
てであることが見てとれる。﹃星占い﹄はポーランドの歴史から取材した五幕計二七場の構想をもっ大規模な歴史悲劇
で、﹃オイディプス﹄と同じく父親殺しとなることを予言されたルカスの運命を描くものであった。
これら両者のやフランクヴァlスの様態はかならずしも同一ではないが、重要な点で共通性をもっている。ここでは
﹃ファティlメ﹄からの数行だけを見本として引用しよう。
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いるみたいに/自分の姿を見て羽根を逆立てて/小さなくちばしでつつこうとする気かい?/おかしな顔だもの/
怒っているのかい?
きみ?︶
笑わずにいられょうか。/だって本当だもの、どちらもあとずさりして/怒る理由を考えながら、必要以上に子供っ
ぼく/身ぶるいしている。きみの怒りだって/
押韻や頭韻まがいのものが影をひそめていることがまっさきに目を引く。それ以上に注意すべきは、行末に弱拍が頻
出していることである。 ﹃ファティ l メ
O九行中三六行︵三三・O パーセント︶、 ﹃星占い﹄コ二行中七行︵
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六︶が弱拍に終わっている。この数値はのちの﹃賢者ナ iタン﹄の三八四九行中の一三三四行︵三四・七︶ に近い比率
である。
これらのふくむ意味は案外に大きい。ドイツ語の戯曲が事フランクヴァ lスを導入する過程において、行末をすべて強
拍にするべきか、あるいは一行おきに強拍と弱拍を交互させるべきか、二つの両極端が考えられていた。前者の例とし
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てプラ lヴェの﹃守フルートゥス﹄があり、後者の例としてJ −E ・シュレ lゲルによるコングリ lヴ作﹃喪服の花嫁﹄
の独訳があった。若き日のレッシングの場合には、三つの断片において二つの異る形態がこころみられたといってよ
-272-
い。と同時に、 いずれのこころみをも彼が短い断片にしか終わらせなかったという事実は、 とりもなおさず二つの種類
の実験がレッシングを納得させる力をもたなかったことを意味している。
レッシングは﹃フィロ lタス﹄以降は、 ギリシア悲劇に擬せられる作品を一つも完成させず、もっぱら市民劇の世界
にとどまった。それはいかにも十八世紀啓蒙主義の市民時代にふさわしい劇作家のありようであった。とはいえ、彼は
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ランクヴァ l スを見捨てたわけではなかった。上記のこころみから約二十年後に、思いがけず劇詩﹃賢
これによって フ
者ナ lタン﹄でわれわれはこの無韻の詩文体に再会することになる。この著名な戯曲の守フランクヴァ lスは、表面的な
形状に関するかぎり﹃ファティ!メ﹄と﹃星占い﹄のそれとよく似ている。
﹃賢者ナ lタン﹄の成立の由来と来とその文体についてはすでによく知られているが、ブランクヴァ lスによるドイ
ツ戯曲の歴史に一時期を画したこの作品の文体が、突如としてあらわれたものでなく、若きレッシングの試行錯誤の帰
結であったことを認識するべきである。
上記の観察からわれわれは、とりあえず次のような結論をみちびくことができるにちがいない。
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﹁反シェイクスピア的原理から成り立っていて、 しかもドイツの後継者たちに対してシェイクスピアの戯曲の
﹃シェイクスピアとドイツ精神﹄︵一九二二︶ の筆者フリードリヒ・グンドルフは、﹃賢者ナ lタン﹄のブランクヴァ
ースが、
前に立ちはだかっていたがゆえに、有益であったと同時に、混乱を招くがごとき影響をおよぼした﹂と書いた。シェイ
クスピアが自由奔放にこの文体を駆使して、 たがいに無関係であったり異質であったりする事物を結合させて巧みに表
現してみせる技術、 つまり豊かな詩的連想をグンドルフは賞揚した。そして、ブランクヴァ iスは外形的にはシェイク
スピアの文体であっても、内面的にはレッシングは何一つシェイクスピアから影響を受けなかった、とグンドルフはい
-273-
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うのである。
﹁レッシングの詩句が核心と根源とにおいてどのようにシェイクスピアのそれと
たしかに詩的連想の多彩さにかけて、 レッシングは所詮シェイクスピアにおよびはしなかったろう。しかし、右のよ
うに述べる際のグ γドルフの前提は、
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違っていても、そもそも守フランクヴァ l スをレッシングが応用したという一事によって、 はじめてこの文体が戯曲にと
って合法化された﹂ということにあった。
グンドルフの前提はかならずしも正しいとはいえない。 レ ッ シ ン グ は け っ し て 単 純 に シ ェ イ ク ス ピ ア の 文 体 を 模 倣 し
ょうとしたわけではないからである。ブランクヴァlスがまぎれもなくイギリス戯曲の文体であるとはいえ、 シェイク
スピア個人の文体を応用するという発想はレッシングにはなかった。彼の断片に見られる文体を分析すれば、 さまさま
の点においてこのことが確認されるのである。
レッシングがついにただの一度もブランクヴァ i ス を 、 同 じ 詩 形 の 英 語 の 文 章 の 翻 訳 に 用 い な か っ た と い う 事 実 を あ
らためて考え合わせる必要がある。 アンジャン守フマン ︵句またがり︶ の多用といったこともふくめて、 レッシングのプ
ランクヴァ l ス は は じ め か ら シ ェ イ ク ス ピ ア の そ れ と は 異 質 な も の と し て 出 発 し て い た の で あ る 。 そ れ は 、 散 文 優 位 時
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代の韻文という、矛盾した宿命をもっ詩文体のこころみが、創作においてのみおこなわれたという事実に証明されてい
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註
一七四九年四月二八日付の父親あての書簡で二十歳のレッシングは、﹁もし私にドイツのそリエ lルというタイトルをあた
えてもらえるなら、私は永遠に残る名声を確保したといえるでしょう。じつをいうと私はそのタイトルを得たいと切望して
-274-
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います﹂と書いた。
l 七五︶の五幕悲劇﹃ゼルミ l ル﹄︵一七六二︶は
Hロlラン・ピュイレット︶︵一七二七
一七六七年五月以降計四回ハンブルクの国民劇場で上演された。トロイア戦争時代のギリシアの舞台としたこの悲劇は、原
ドルモン・ド・ブロワ︵ピエ l ル
文はアレクサンドランで書かれていたが、ハンブルクでは散文訳で上演された。
レッシングの英文からの独訳が、厳密な忠実さをもたないにもかかわらず、原文の意をよく再現していることは欧米の研究
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トマス・コルネ l ユ︵一六二五|一七O九︶の﹃エセックス伯爵﹄︵一六七八︶が一七六七年六月と七月に計二回上演された
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