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世界史
世界史
テレビ学習メモ
第 30 回
講師:宮 本 正興
近代世界システムの成立
アフリカ史 ⑵ 今回学ぶこと
15 世紀末からヨーロッパ人が大西洋やインド洋に展開し始めると、サハラ砂漠以南
の黒人アフリカ地域を含めて、アフリカ大陸は西ヨーロッパ諸国、
さらに南北アメリカ
(西
インド諸島を含む)の歴史とも緊密に結びつくことになる。農業中心から工業中心へ
と移る西欧近代の主導のもとで、アフリカ大陸は世界史に組み込まれていく。この時期、
なぜアフリカ人の労働力を海外へ運び出すことになったのだろうか。今回は、奴隷貿
易の要因と結果、その後、植民地支配に至るまでのアフリカの歴史を学習する。
学習前チェック
の諸国が南北アメリカ大陸と向き合う空間的な位置関係をイメージとして確認しておこう。
命を引き起こすことになる歴史的な経緯について、あらましを確認しておこう。
川、コンゴ川、ザンベジ川)の探検で知られるヨーロッパ人の名前を調べてみよう。
▼
路」(Middle Passage)、すなわち「大西洋奴隷
1st stage
貿易」である。奴隷貿易から得られる莫大な利益が
■大西洋奴隷貿易:16世紀以降、イギリスを筆頭に、
なければ、西欧近代の経済的発展はなかっただろう。
工業化に向かう西欧諸国では、「原料・市場・労働
また、近代市民社会の成立も危ぶまれたことであろ
力」の獲得が至上命令となった。リバプールなどの
う。さらに、南北アメリカの開発もなかったはずで
港から、銃器や綿製品を運び、それらをアフリカ西
ある。かわりに、アフリカは、搾取と抑圧と低開発
海岸で降ろすと、次は黒人奴隷を積んで大西洋を渡
の道をたどり、黒人は人種差別の標的となった。
り、南北アメリカの農園や鉱山の労働力として売り
2nd stage
飛ばし、次に砂糖などの現地特産物を西ヨーロッパ
に持ち帰るという、いわゆる「三角貿易」が生まれ
■探検とキリスト教伝道:19世紀初頭から、欧米各
た。この「三角貿易」の二辺がいわゆる「中間航
国で奴隷貿易や奴隷制が非合法化されると、アフリ
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高校講座・学習メモ
世界史
アフリカ史 (2) 近代世界システムの成立
カ側との合法的な商業取引の必要が浮上してきたの
3rd stage
である。
まず D. リヴィングストンや H. スタンリーに代
■伝統アフリカの変容:アフリカでは、奴隷貿易に
表される白人の探検家たちが活躍し始める。彼らの
よって、少なく見積もっても1000万以上の若い労働
多くは、アフリカの文化を遅れたものと考え、商業
力を失うと、アフリカ社会は疲弊し、人口は停滞し、
とキリスト教こそが未開で野蛮なアフリカ人を救済
技術発展の芽が摘み取られた。
できると信じていた。彼らは自分が「発見」した湖
一方、アフリカの資源と労働力は、欧米諸国に未
や滝や山脈などに、ヨーロッパ式の名前(たとえば、
曾有の繁栄を約束した。アフリカは世界史の舞台に
「ヴィクトリアの滝」)を付けていく。やがて 19 世
組み込まれ、以後、主体的な発展の道を奪われた。
紀後半になると、ヨーロッパ諸国は会議を開いて、
さらに、アフリカの伝統的な宗教や文化、言語まで
アフリカの植民地化に着手し始める。これが「アフ
が野蛮なものとされ、その価値をおとしめられた。
リカ争奪戦」
、つまり帝国主義による「アフリカ分
これに続く帝国主義(植民地支配)は、政治的、経
割」である。
済的、文化的にアフリカ人から自らの歴史を創る主
体性を剥奪していくことになる。
今回のまとめ
▼
16世紀以降18世紀まで、アフリカを媒介として、大西洋奴隷貿易は西ヨーロッパ諸国
と南北アメリカ、西インド諸島を繋いだ。この「近代世界システム」は、欧米に未曾有
の経済的発展をもたらしたが、アフリカは徹底的な低開発を押し付けられた。
アフリカ探検は、アフリカの内陸地方について、外部世界に有益な情報を多くもたら
したが、その動機が何であれ、後のアフリカ植民地化(帝国主義)に道を開くことにな
った。
キリスト教伝道は、アフリカの伝統宗教や伝統的文化価値の多くを野蛮なものとして
排斥した。ミッション教育などで、ごく一部のアフリカ人教育エリートが生み出された
が、その反面、アフリカの民族言語や民族文化の地位がおとしめられ、ヨーロッパ人
の言語的・文化的・人種的優位を主張した。
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