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学習メモ
世界史
テレビ学習メモ
第9回
講師:羽 田 正
西アジア・中東史の新展開 ~イスラーム教の成立~
今回学ぶこと
現代の世界で大きな影響力を持つイスラーム教は、7世紀にアラビア半島のメッ
カで生まれた。その当時のメッカとそれを取り巻く西アジアの政治や社会は、どん
な状態だったのだろう。なぜ広大な地域にイスラーム教が広がったのだろう。イス
ラーム教とキリスト教や仏教の間には、どのような共通点と相違点があるのだろう。
また、8世紀に建設された世界的な大都市バグダードの特徴について知ろう。
学習前チェック
イスラーム教の信仰と実践の特徴をいくつか挙げてみよう。
世界の白地図に、8世紀の主な都市を書き入れてみよう。
日本には、どのくらいの数のイスラーム教徒が住んでいるのだろう。もし、皆さんの
周辺にイスラーム教を信仰する人がいたら、彼らの信仰と生活について尋ねてみよう。
▼
害を受け、弟子とともに 622 年にメディナに移住
1st stage
し、ここで組織を固め布教の態勢を整えた。そして、
6世紀後半のメッカに生まれたムハンマドは、商
人としてキャラバン(隊商)による交易に携わって
630 年にはメッカを征服、多神教の神殿だったカー
バをイスラーム教の聖殿とした。
いたが、40 歳になった 610 年ごろに、自らを神の
2nd stage
啓示を受けた預言者だと自覚し、イスラーム教の布
教を始めた。その教えの根幹は、この世の終わりに
ムハンマドの死後、イスラーム教徒の集団の指導
行われる最後の審判を受けて楽園に赴くために、唯
者は選挙で選ばれ、カリフ(後継者)と呼ばれた。
一神から下された啓示に従って正しく生きようとい
2代カリフのウマルの時代に、彼の指揮下の軍隊は、
うことである。
当時の西アジアの二大強国だったビザンツ帝国と
ムハンマドは、多神教徒の多かったメッカで迫
サーサーン朝と戦い、イラク、シリア、エジプトな
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世界史
西アジア・中東史の新展開
どに進出した。
3rd stage
イスラム教徒の軍が勝利したのは、この二つの国
が互いに争って疲弊していたことと共通の信仰を
750 年にウマイヤ家にかわってアッバース家がカ
持ったイスラーム教徒の軍隊が、傭兵を主とした二
リフの位を世襲するアッバース朝が成立した。王朝
つの国の軍隊よりも強力だったためである。
成立後まもなく建設された都バグダードは当時、世
ウマルはまた、ムハンマドの死によって途絶えた
界でも有数の大都市で、世界各地から多くの商人と
神からの啓示を、覚えている人々から聞き取って集
商品が集まり、金融や為替の制度が整えられた。ま
めるように指示した。集められた啓示をまとめた本
た、アラビア語による学術も盛んで、多くの学者が
が『コーラン』である。4代カリフのアリーが暗殺
集まった。ウラマーと呼ばれる宗教知識人によって、
された後、ウマイヤ家の人々がダマスクスを都とし
イスラーム教の教義が次第に固まったのも、この
てカリフの位を世襲するようになった(ウマイヤ
アッバース王朝統治下の9~ 10 世紀ごろのことで
朝)
。ウマイヤ朝の時代に、その領土は、西はイベ
ある。しかし、10 世紀ごろからは、地方分権の傾
リア半島から東は中央アジアにまで広がった。ただ
向が強まり、元来アッバース朝の領域だった各地に
し、この広大な領土に住む人々の多くは、まだ非イ
地方政権が生まれそして、アッバース朝は、13 世
スラーム教徒のままである。西アジアで人々の改宗
紀に東方から進出してきたモンゴル人によって滅ぼ
が進むのは、9世紀から 13 世紀ごろのことと考え
された。
られている。
▼
今回のまとめ
ムハンマドが唱えたイスラーム教は、ユダヤ教やキリスト教と同じ一神教で、その聖典
『コーラン』には、天地創造や最後の審判など、
『聖書』と共通する世界観がみられる。
ウマイヤ朝の時代に東西に大きく広がった領域には、イベリア半島などの一部を除
いて、現代でも多くのイスラーム教徒が居住している。
8世紀に建設されたアッバース朝時代の都バグダードは、当時の世界有数の大都市
で、先進的な経済や金融の仕組みを持ち、先端的な学術の営みが展開されていた。
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