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JAMSTEC
ISSN
JAMSTEC
1998年 第10 巻 第2号(通 巻第38号)
y
黔
綽
ダ
海洋 科学 技術センター
U9
‘』
り −i 心j φ
平成10年4月
1998年 第10巻 第2号 (通巻
第38号)
JAMSTEC
次
目
寄 稿 ( 依頼 )
奈須 紀幸
●海に魅せられて半世紀(XXXVI
蟹江 康光
●相 模湾 を しら べ る
II)
-
・
研究紹介
・Extremophiles'98(極限環境微生物 フロンティア研
研究事業課 菱田 昌孝
海 外 事情
開催報告(速報)
究推進室研究事業課 国際会議)
海洋観測研究部 菱田 昌孝
日仏生態系シンポジウムに参加して ;
センターの海洋観測研究活動に関する国際委員会への参加について
皿
-
海域開発・利用研究部 岡本 峰雄
・
海から のたより
●海のアンソロ ジー(24)
広島大学生物生産学部 長沼 毅
●深海への旅(22)
SEPURにあるKohei Siteの由来ーRidge Flux'97
津旨 大輔
航海記(長男誕生記)ー
Kevin k.Roe
EssayーTrip to the Deep
岡村 慶
しんかいの灯所
本座 栄一
マリアナ海溝のチャレンジャー海淵、10,962メートルと10,938メ
ートル 解説
トピック ス
●対馬 丸を 探 せ !
「対馬丸」調査チーム 堀田 宏
用 語解 説
●1988 年は 「国 際 海 洋 年」
※ 本雑誌名「JAMSTEC」は、海洋科学技術センターの英名:Japan Marine Scien
ce and Technology
Centerの略称にちなんだもので、「ジャムステック」と発音します。
※ 本誌は季刊誌であり、年4回(1月・4月・7月・10月)の発刊です。
情報室
海に魅せられて
半 世 紀( XXXVIII)
略
歴 ″W `
1924 年
1946 年
褊綢rti:
こ
i. ま れ る
稾京 帝 K 人 学 第 一.工学・ 物 理.ll学 村 卒
1950 年
東京 だ μi 学 割 地質 学 科卒
1962 年
査 京 人学 布 洋 研 究Xli教 授
1%8 年
同湎 艮
1984 年
放送 人学 教 授
朿京 人令 名 膏 教 授
1994 年
放送 人伊 客 員教 授
現 作に キ.る
宇宙 闘 発委 只 会 寥 ゛
}
抖冫 岐 ぬ庁 参 ゛i
海洋卜 学 技 術 セン タ ー鈴朧 U
奈 須 紀 幸 NO
心UkINASU
シ ャ ンの 表laiは 冷え て 固 化 し, 原 始 の地 殻 が生 じ。 そ の
19.
昭 和40 年 代 後 半 以 降 (5 )
Eに 人 域の雨 が 降 り, 瞭 始 の 海 が 生 ま れ。 人気 の成 分 か
人 分 変 化 し た のが 今 から40 歙偉 年 前・と推 定 さ れ て い る。
|。
国 暉 深海 錮 刪 叶画 一 そ の5 −
CX
深海 掘 削 針 画 の成 果− そ の1 −
1.
深海 攤 削 の 意 味 する も の
そ して 最lgjの生 命 が芽 生 え, 遒 化 と増 加 の さー,かljを
作 っ たの が約40 億年 前 と推 定 されて い る。
そ の 頃。 固 体地 球 表轗 の固 化 し た 部分 は プ レ ート と な
地 球j!生 以 米 の 艇 史 につ いてlj, ま だま だ隠 され た謎
り, 内 部 の ま だ高温 で 軟 ら か い 部 分 の為 対 流 の影 響 を受
が││lllどあ る。そ れで も, 加 胯紀 に 入 って, そ の謎 岬 き
け て。 プ レ ート は, 何 枚 に も分 裂 し, 内 郎物 質 が│:昇 し
も急 速 に進 ん で い る。
て く る 場甬 で は 分 裂 し つ つ, 新 生 プ レ ート が 付 け 加 わ
以F 述 べ る50 行 程 の 文 は, い ろ い ろ な 縊 を 合 わ せ て
り, 移 動 し, そ の 先で は 冷 え て 哦 た くな り。 突 きi たー!
作 っ た一つ の シ ナリ オで あ る。 将 来, 研 究 の延 展 に つ れ
た隣 の プ レ ート の下 へ 沈 み 込 み。 固 体地 球内 部 へ戻 って
て 改 訂 さ れ る郎 分 も あ るこ とをあ ら か じ めお 含 み お き 爪
い っ たnj 能 性 が あ る。 こ の よ う な プ レ ート の 働 き を プ
き たい。
レ ート テ クト ニ ク スとい う。
l;1始 地 球 を 含 む 太 陽 系 の 誕 生 は 約45.5 億 年lj と 椎 定
地 殻 は軽 い 花 崗 岩?1と 爪 た い 玄武 岩質 に 分化 し た。 花
さ れ て い る。 宇 宙 の 嵐 が 集 ま って で き た原 始 の地 球 に
幽 岩 貿 は ぷ 厚 い 地 殻 を 作 り, 玄武 む貿 は 薄 い 地 覦 を 作
4ま, 付 近 の小 天 体 が 地 球 の引力 に引 か れ 敵多 く衝 突 し て
る。 花 崗岩 質 の 部分 で, 海 面I ぷ 顏 を 出 す 部 分 が 表 れ た。
肖 初冷 たか っ た地 球 は 商 温 の火球 と化 し た。
陸 地 の111現 で あ る。 流 水 は 陸 上物 質を 削 剥 して 海 底 まで
鉄 分 は 重 たい の で内 郁に 沈 み球 形 の核 を 形成 し た。 鉄
よ り は は るか に 敍 い 石 貿 のマ ント ルが 核を 取 り 巻 い た。
そ の 上を 原 始 の 人 気 が 榎 っ た。
マ ント ル のi ・ は 高 温 の ために 溶 け て マ グマ オ ーシ ャ
運 搬 し た。 堆 積勧 の彫 成 で あ る。 そ れか│嵋ヒ す ると 堆積
岩 とな った。
沈 み込 む プレ ート と。 そ れ を受 け と める プ レ ート の間
に は 摩 擦を 生 じ, 一 氤
沈 み 込 む 方 のプ レ ート の,Ei が
自││
剥 さ れて 扣I 鈿に 付a す る。 こ れを 付 加 休 とい う。
ンとな った。
地 味 外 郎 の皿│暖分 布 は 一様で はな く, そ の た め, 地 球
過1 約40 他 年ほ ど の問, 恐 ら く, 固 体地 嘩 表 層 の プ
内 部で は為 対流 が 流 勤 して い たも の と戀 わ れ る。 こ れ を
レ ーHj , 地 球内 部 物 質 の 噴 き出 し の楾, 沈 み 込 み の躱
ブ ル ー ム(plume)
の 場 所を 伺【lll
も慶 え て 動 き を 続 けて き たので あ ろ う。
と いう。 プ ル ー 厶 の動 きを ブ ル ー ム
テ クト ニ ク スと い う。
そ の う ち。 衝 突 す る 小 天 休 の 数 も 誠 り, マ グ マ オ ー
J AMSyEC
¶匆 自年 第10 巻 罵 2 号( 通 魯 罵 旆 号)
し た が って。 固 体 地 球 上 にlj 約40 億 年 ぷ 來 の淘 底 が
生 成 一消滅{ 地球 内 部 へ・の 吸 収} を 繰 り返 して き た もの
と考え ら れ る。
裂 在。 海 洋 は固 体 地 球 表 而 の70.8 % を 覆 う。 し か し,
玄 武 岩 質 か 大 郁分 を 占 める 本 来 , 海 底 的 な 部 分 は 恐 ら く
6割 程度 で あ ろう。 そ れで も問 体 地 球 表 層 の 半 ば以 上を
占 める。 そ の年 齢は 若 く , 最 も古 い 場 所 で も 2 位 年 を超
え な い ので はな い か。 と推 定 さ れ て い る。 古 い 海 底 は 地
球内 部 に 戻 さ れ た ので あ る。
深 海 掘 削 計肉 が 探求 の対 象 と し て い る 部 分 は, 現 在 の
海 底で あ る。
現 在 の 海底 の歴 史は , 地 球 の 艮 い 歴 史 に 比 べ て 一 見。
翫iい 期 間 の よ うに 思 え る。 し か し 凍 海 底 は, 暗 黒 と 商 圧
図 一1
の 世界 であ り, 古 来, 光 と 1気 圧 ほ ど の 口 然 環 塊 の 下で
固 体地 球 内 部 の 構 造 ( 余 須 ,1996 よ り )
生 活 して き た人 類に と って は , 近 寄 り が た い 鳩 所 で あ っ
た。
殼, 石 貿 で あ り同 体 で はあ る が幾 ら か の塑 性 を 持つ マ ン
世界 周 航 の 形で 深 海 底 に 探 求 の 予が 及 ん だ の は, わ ず
ト ル。 少 皿 の多 種 成 分 を 含 む が 主成 分 は 重 たい 鉄 よ り或
か 1 世紀 余 り 前 の1872 年 か ら1876 年 に か け て 行 わ れ た
る コ ア( 核 )
,そ れ も溶 融 し た液 相 の 外 核,高 圧 の ため固
英 艦 チ ャレ ン ジ ャー 号に よ る 研 究 航 海 の と き を も っ て 初
l】
とな って い る内 核 に 分 か れ る。 こ の図 の巾 の プ レ ート
め とす る。
につ い て は, そ の 概 念 の 提 唱は 後 述 す るよ う に 大 分 後 に
長 い目 で 見 れば , 研 究 は 緒 に 着 い たば か り と い う こ と
に な ろ う。
しか し。そ れ だけ に,そ の開 始 か ら ほぼ40 年 近 く に 及
ぶ 深 海 掘 削 計 両 か 得 た成 果は 驚 く べ き 内 容 と 量 を 誇 り 得
る も のであ る。
ち な み に。1977 年。 付 加 体 の 概 念 が 生 ま れて から , 人
随 ・島 弧 の 地 質 も随 分 と 見直 さ れ , 確 か に 花 崗 岩 質 の 岩
な って から のこ とで あ る。
第一 船 で あ る3 μ 》0卜 y のカ ス(CUSS)
I 号 が, 短 期
間 と はい え 柬 太 平 洋で 史 上 初 めて の深 海 掘 削 を 火 行 し た
の は196 】
( 昭 和36 ) 年 の こ と で あ 。 た。
こ の1961 年 か ら62 年 に かけ て, 大 洋 底 拡 大 説 が 提明
さ れ た。 そ れ まで, 深 海 底 は, 地 球 創生以 来, 動 くこ と
の な か・, た永 遠 の静 寂 の場 だ と 考え ら れて い た。
石 は多 い が, そ の中 に 取 り 込 ま れ て い る か つ て の 深 海 底
中 央海 嶺 系 の発 見が 端 緒 と な って, そ の軸 郎の 糠で 地
玄武 岩的 岩 石 や堆 積 岩 ・ 堆 破 物 , あ る い は そ れ ら の 変 成
殼 が 新生 し, 勧 方向 に 年ll澂 cm の 働 きを 続 け 。 遂 に は
し た郎 分 を 含 む 付 加 休 が随 分 と存 在 す る こ と が 判明 し て
海 溝 のよ う な 沈 み込 み 帯 の 軸線 か らマ ント ル内 部 に 戻 る
き た。 こ う し た場 所 は, 2億 年 前 よ り 更 に 前 の 深 海・ の
と いう 発想 で あ る。
様 子 を か い ま 見 る窓 の役 目 を 果 たし つ つ あ る。
第 二 船 で あ る10,500 ト ン の ク ロ ー マ ー ・ チ 。 レ ン
ジ ャ ー 【G】ovnar Challenger) 号(以 下 グ号 と い う ) は
2.
科 学 史 と して の時 代 的 背 最
深 海 掘 削 肝 両 は 幸運 の屋 の下 に 生 ま れ て き た 時 代 の 寵
児 のよ う な 感 があ る。 そ れは 何 を 指 す の か。
こ の計 画 に 用 い る船 体 の サ イ ズと 質 の 段 階 的 向 上 の 節
目 に 合 わせ る か の よう に , 地 球 科 学 の 上 で の 革 新的 な 理
論 が提 唱 さ れ, そ れ らを 直 ちに 検 証 す る 立 場 に 入 る こ と
が出 来 たこ とで あ る。
1968 (昭 和43 ) 年 に 就 航 し た。
そ の 前年 の1967 年 か ら こ の68 年 に かけ て, 地 鮫 に 加
え て マ ント ル の最 上 郎 も固 い凶 相 の岩 石 圏 で あ り, こ れ
を 併 せて プ レ ート と呼 び, そ の 動態 を プ レ ート テ クト ニ
ク ス と袮 す る新 説 が提 唱 さ れ た(図 一2, 本 誌 で は 再 川 )
。
既述 L たよ う に,( 本 誌, 奈 須,1997.v.9.n.2)
,68 年
末 か ら69 年 初 めに かけ て の第 3 節 航 梅(以 下.Leg3
と
ま た, 技 術 の 飛躍 的 向 上 の時 代 に 良 い 心 味 で 遭 遇 し,
い う よ う に呼 ぷ) で, 南 大 西 洋 の 海底 か ら試 料 を 碍 て,
そ う し た 技 術 を 直 ち に 応 用 し て 実 用 化 で き たこ とで あ
ダ 号 は 大祥 底 拡 大 晩, プ レ ート テ クト ニ ク ス鋭 の正 当 性
る。
を 直 ち に換 証 し た。
20 世紀 に 入 って。 人 工地 震 や自 然 地 霞 の 伝 播 の あ り 方
深 海 刪 削 計 百 は197S ( 昭 和50 ) 年 か ら 国 際 化 さ れ
を 調 べて, 固 休 地 球内 部 の構 造 が 判明 し た。 図 一1 に 示
ipod
す( 本 誌 で は 再 掲)。 地 表 から 地 心 に向 か って,固 体 の 地
に な 。 た。 こ の時 点 で 日 本 は 参 加 し た。 】983( 昭 和51 )
2
<g 際深 海 掘 削 計 画, と訳 さ れ る )と呼 ば れる よ う
JAMSTEC I
軸S 年 飆10 ● 第2母(盃魯羸3S 号)
年 , 老 朽 の ゆえ を も って グ 9 は Leg96で そ の 使 命 を 終
なり, それに連れて,固 体地球内 部の流動 の模 様が推し
え た。Leg97
計れるようになった( 同 一3)。
から99 は 欠 番 とな っ た。
1985 ( 昭 和 仭 ) 叭
掘nll船 は 性 能 が 人 幅 に 向 上 し た
き の伝搬速 度 の遅い部 分は 高温で やや密度 の低い 部
18,500 ト ンの ジ ョ イ デ ス・ レ ソ リ 。 − シ , ン(Joides
分, 伝搬速度の速い部分は低温で やや密度 の高い 部分と
Resolution) 号(以 下 ジり とい う )が 甘 前 し た。Leg
いう簡叭な物理的 性質を適 川した 考え 方であ る。 温 かい
100
か ら 再開 さ れ た。oDP( 岡 じ く11q際 深 海 掘 削 計 画 と 訳 さ
部分は岡 川 より も軽いので 上 界す る傾向にあ る はずだ
れ る ) と 呼 ば れ る。
し。 冷たい部分は周川より もiRたい ので 下降 する動 きを
r 度 こ の 頃 か ら 超 高 温 ・ 超 鳥 圧 の 室 内 火 験 か, 岡 体 地
球 内 郎 の 状 態 を 探 れ る と こ ろ ま で 進 展 し た。 ま た, サ イ
ズミッ ク・ ト モグ ラフ ィ ー( 音 響 ト モ グ ラ フ ィー ) の 研
究 がl み, 閥 体 地 球 内 部 の 温 度 分 布 か 推 定 さ れ る よ う に
し ているはずだ, と いうこ れまた価巾な物理的 性質を適
用し ていろいろな推定 がなさ れた結 果であ る。
研究 はより 詳細 な方向に 今[│で も進行中で あ り, 今
後,さ らに人きな允展 が期待さ れてい る分野である。
そして マント ル内 部の温 かい 上昇流を ホットブ ルーム
(あ るいは ホットプ リュ ーム), 冷たい 下降流を コールド
ブ ル ー ム( また は コー ルドプ リ ューム) と 呼 ぷよう に
なった。 ブ ル ー ムの動 態をブ ル ー ムテ クトニ ク スと い
う。
と くに人規 枝なブ ルームを スーパーブ ルームという。
こ れに もスーパーホットブ ルームと スーパ ーコールドブ
ルームの別 があ る。
こ れらの研究には当初 から相当数の日本の研究者が参
両し 先端的な研究 の道を 切り閧いて きた。 こ れは明 らか
にH 本の研究 者の目 が, 日本付近 のみならず。 グロ ーバ
ルな 視野を柚つようにな 。た証左であ ろう。
コアやプ レートに対し て も大 きな影響を与え るマント
図 一2
プ レ ート テ クト ニ ク ス説 に よ る 固 体 地 球 表 屑 の 勦 き
ル内 の動態について, 南雲昭三郎と 木下肇は早い時 期に
( 奈須 ,1996 よ り)
本誌にこうした説 の紹介と 解説をさ れた。 南雲氏 の分が
図 一3 ブル ームテクト ニク ス説によ るマ ント ル内 ブルームの動 き( 余畆1996
JAMSTEC 19 雑年 第10 ● 購2号(・・*38
号)
を改変 )
j
1991 年 の v.3 のn. 1,
∼n.3 に。 木 下氏 の分 が1992 年 の
v. 4. n. 2 に 咨か れ た。 私 も 1億 年 前 の 南 太 平 洋 の スー
ブ ル ー ムと な る。
そ う し た視点 に な う て 見 た場 合 , 現 在 の固 体地 球 の表
パ ー ホット ブ ル ー ムの紹 介 の ため に, 本 誌 の1994. v. 6.
而 で, 大 陸 や 海 底 の別 を 問 わず , 余 程 の 高温 の状 態 を 保
n.3 に , お 二 人 の 報 文 を引 川 さ せて 項い た。
ち な が ら 大 且 の マ ン ト ル物 質 が 地 表 に あ ふ れ 山 て 玄 武 岩
掲 載 さ れ た図 一3 に 各種 ブ ル ー ムな ど の概 念 を 示 す。
質 物 質 を 広 昭 用に分 布 さ せ た場 所 が 幾 つ かあ る が, こ れ
マ ント ル の研 究 が進 ん だ結 果, 地 下670km
を塊 とし
ら が ス ー パ ー 赤 ッ ト プ ル ー ム の 噴 山 物 で あ ろ う, と い う
て マ ント ルは 上 部マ ント ルと 下 郁 マ ント ル に 分 か れ るこ
こ とに 人 々 は 気付 い た。 そ れか ら この 方 面 の研 究 は 急 速
とが 判明 し た。 上 邸マ ント ルは 数 種 の 岩 石 の 集 合 体で あ
に 進 み つつあ る の が現 状 であ る。
り, 下 郎 マ ント ルは , こ の 領 妓 で 安 定 な ペ ロ プ スガ イド
とい う 岩 石 か ら或 るこ と が 判 明 し た。
ODP に 入 ・ た 国 際・ 海 掘nl 』
叶 両 は , 新 し くa 増 し た
ブ ル ー ム テ クト ニ ク スの畷 念 に 戚 ち に 対 応 し, スー パ ー
沈 み 込 み 帯 で 沈 み 込 む 冷 た い プ レ ート を ス ラ ブ と い
ホ ッ トブ ル ー ムの生 成 に 成 る と思 わ れ る 各所 の淘 台な ど
う。 上 郎 マ ント ルは 固 い の で, 和 速 = ベ ニ オフ 帯 に 沿 っ
の調 爽 を 火 施 し, 岩石 学 的 所 見を は じ め と し て, 次 々 と
て 浅 部 の 地 震 は も と よ り, 深 兇 地 震 允 生 の 集中 城 と な
裏付 け の 証 拠を 碍 つ つあ る。
る。 そ れ も670 km の深 さ ま でで , そ れ以 深 の 下 郎 マ ン
マ ン ト ル 内 の 動 態 に つ い て のli 見 に つ い て は ,
ト ルは よ り 重 たい が やや 軟 ら か い の で, スラ ブ が 落 ち込
Dziewonskj (1981 )
, Bcrcoviciら (1985 ),F uao ら
んで も地震 は 允生 しな い。
中 央 淘 嶺 系中 軸 郎 や ホッ ト スポッ ト に 噴 き 上 げ る ホ ッ
ト ブ ル ー ムの周 辺 で は 浅 兇 地 震 が 多 発 す る。
(1992 )。 丸│11・ 深111・ 大 林 (1993 ) 等 の 論 文 が 初 期 の も
の であ る。
深 海 刪 剛 の 弛 み は , 何 と 言 う て も, 実 試 料 を 手 に 入 れ
上 部 マ ント ル と下 部 マ ント ルの 塊 の 而 の 上 に 潮 ウ た ス
て 研 究 が111来 る と い う 点 で あ る 。 し か し , 一 方 で , 新 し
ラ ブは。 冷 え て い る場 合 に は あ る 程 度 の 胝 が た ま る と 下
い 理 論 の 進 展に は機 敏 に 対 応 し て き て い る。 人 きな 成 果
郎 マ ント ルの中 に 落 下 し, コア = マ ント ル 境 界 まで 逹 し
が 挙 が る ゆえ ん であ る。
て そ こ に 不均 一性 を も たら す。 大 量 の スラ ブ が 降 下 す る
鳩 合 に は ス ーパ ー コ ー ルド ブ ル ー ムと な る。
本 年 | 月 , 丸 山 ・ 磯 崎 (1998 ) に よ る 「 生 命 と 地 球 の
歴 史 」 と い う 著 作 が 出 版 さ れ た。 こ れ も ま た , 入 手 し た
推 定 さ れ る構 成 物 質 , そ こ で の 温 度 ・ 圧力 条 件 か ら室
実 試 科 に.
l 詢 し つ つ , 随 所 に 思 い 切 っ た推 論 も含 め た 名
内 火 験を 経 て 推 定 され た内 核 と 外 核 の 境 界 付近 の温 度 は
着 であ る 。 そ の 巾 で 以 下 のよ う な 見 解 が 述 べ ら れ て い
6μOK(
る。
摂 氏 の温 度 に 換 算 す る に は こ の 値 に237.15 度
を 足 して 唄 く) 麗度 と算 出 さ れ た。1987 年 頃 のこ とで あ
液 体 核 の 内 部 に 鯏 扣 の 内 核 が 形 成 さ れ た の は 約27
位
る。一力。 コ ア =マ ント ル境 界 付近 の温 度 は,1990 年 頃,
年 前 頃 の こ と であ ろ う。 外 技 の巾 に 対 漉を 生 じ, こ れが
4,900±1,000 K 程 度 と 算 出 さ れ た。
地 球 ダ イ ナ モ と な っ て 。 固 体 地 球 の 周1 剔に 地 磁 気 の 場 を
コア =マ ント ル境 界 の 下 は 溶 融 し た141た い 鉄 が 主成 分
で あ る から , そ れは 境 外 を 越 え て は 上 方 へ は 浮 上で きな
い。 固 い 石 質 の最 下 郎 で あ り, こ の 境 界 面 で 溶 融 し た鉄
形 成 し た。 こ れ は 岫 嘩 のMi 囲 に 字ilj線 に 対 す る パ 9 ア ー
を 形成 し, 生 物 を 保 護 す る 状 況を 作 り出 し た。
私 が 既 述 し た よ う に 超 大 陸 ゴ ン ド ワ ナ の 存 在 を1883
に接 す るマ;/ト ル部 分 は, 下 か ら 熱 せ ら れ る ので 膨 脹 し
年 に 提 剛 し た の は オ ー ス ト り ア の E. ジ 。 − ス で あ り 。
て 密 度 的 に 不 安 定 な 層 を 形 成 す るこ と に 人 々 は 気 付 い
そ の 超 人 陸 の 分 裂 移 動 を1912
年 か ら15 年 に か け て 「 人
た。 そ して ,100 ∼200 km 程 度 の 不 定形 な 厚 さを 持 つ で
陛 移 動 説 」 と し て 提 唱 し , 新 たに 超 大 陸 に パ ング ア の 名
あ ろう こ の膰 を D" 層 と 名 付 け た。
を 冠 し た の は ド イ ツ の A. ウ 。 ゲ ナ ー で あ る 。 人 陸 移 動
下 郎 マ ント ル内 を 降 下 す る ス ラブ はこ の D" 層 まで 落
説lよ賛 否 こ も ご も で , 解 決 に や や 時 間 が か か っ た が , 第
ち込 んで そ こ に 溜 ま る。 や や 哦 た い ので, 横力 向 に 移 動
二 次 大 戦 後 ,11t界 各 地 に 散 っ て 資 料 を 集 め た 英 国 の 古 壤
す るこ と もあ ろ う。
瞳 気 の 研 究 者 た ち に よ る 研 究 の 結 果 ,1950 年 代 後 拏 に そ
同 時 的 に は スラブ の 降 下 城 と 曜 れ た場 所で, 時 間 経 過
が進 ん だ場 合 に は 降 下 峨 で も 周 川 の マ ント ルよ り 高 温 で
の 正 当 們Eが 確 紹 さ れ て 復 活 し た 。 こ の こ と は 大 樺 底 拡 大
脱 提唱 へ の 前駆 的 布 石 と もな っ た。
や や 軽 い マ ント ル塊 が D
“ 濳 付 近 で 形成 さ れ, 上 昇 の動
J.T. ウ ィ ル ソ ン は カ ナ ダ の 人 で あ る 。 人 洋 底 拡 人 脱 か
きを は じめ , ホッ ト ブ ル ー ム を 形成 す るo こ の樢 が人 皿
ら プ レ ー ト テ ク トニ ク ス説 の提 唱 が行 わ れ た頃 , ホ フト
に な りて か ら 上 昇 運 動 を 始 め た 場 合に は ス ー パ ー ホッ ト
ス ポ 。 卜 の 畷 念 や ト ラ ン ス フ ォ ー ム断 層 な ど の 極 め て 爪
JAMSTEC 19
韓 年 羃10 ● 罵2号(通●罵 加 号)
慳な 見解 を 提 案 し て 人 きな寄 与を 行 った。
返すようになった。
超 大陸 の形 成, 分 裂 は。 ゴ ンド ワ ナや パ ング ア の 形成
そ のこ とは スーパ ーブ ルー ムの動 きが人 きく支配し
以 前に も繰 り 返 し行 わ れ たの で は な い か, と ウ ィ ル ソ ン
た。 スーパーコールドブ ルームが形成さ れると 大陸片は
を 含 めて 多 く の人 々 が 気 付 き始 め た。 大 陸 の 地 史 が明 ら
そ の上に吸い寄 せら れて, やがて 一つ の超 大陸 にまと ま
かに な るに つ れ, そ のこ とは 貞火で あ う たこ と が 推 量 さ
る。
れ る よ う に な って き た。 そ こ で。 超 人 陸 の 形 成 と 分 裂 の
あ る時 間 が経遇 すると, 超人陸の 下から スーパ ーホッ
繰 り 返 し に 対 して,「 ウ 4 ル ソ ンサイ ク ル」とい う 名 祢 が
トブ ルームか上昇するようになり, 激し い火成活動を 伴
与 え ら れ た。
いつつ 超人陸 の巾 に割 れ目が生じ, そこ か ら人魅の分
裂・移動が始まる, という シナリ オであ る。
こ こで 丸山 一磯 崎 の 著 肖1こ戻 る。
この超大陸分裂初期の激しい 火成活動は大 姐の扮塵を
約19 偉 年 前, 最 初 の 超 大 陸 が 形 成 さ れ た。 そ れ から
ウ ィル ソ ンサ イ ク ル に 入 り, 超 人陸 は分 裂 ・ 襲 合を 繰 り
裏 −1
人気中 に瀰漫さ せ, 太陽光を遮 りた ので, こ の頃に人1;1
最 近 の 地 質 年 代 表( 丸 丹・FI 科年 表,1998 よ り )
地 質 年 代 表
日 本廸 澗 ア }ラ 刻 廸 貿飼i 所 ,IS82 )お よ ぴOdi・(1994 )
に よ る.
SI .il
. rand J.S・
「 (19771 壤1 冩1数 を 壁 用 .
理科 年表
JAMSTEC 19
郭 年 第10 ● 第 2 号( 通 魯 罵38 号 〉
1998 年 版 で 改 訂
5
の 生物 死 滅 と交 替 の 事件 が 起 こ った の で は な い か, と推
論 して い る。
こ れ につ いて は, 陸 上 の資 料 と 海 面 上で 測 定 さ れ た地
磁 気 異常 の縞 皎 様, 海 底 下 の 掘 削 試 料を 対比 さ せて 見 事
そ し て 杓10 億 年 前 に ロ デ ィニ ア超 人 陛 が 形 成 さ れ。
な追 跡 か ジ , ラ紀 後 期 まで 行 わ れて い る。閃 一4 に 示 す。
約S.5 億年 前 に ゴ ンド ワ ナ超 大陸 が 形 暖 さ れ, 約 3億 年
こ の 資料 か ら, 現 産 の 濠 海底 に 存 在 して い る プ レ ート
前 に パ ング ア 超 人 陲 が 彫成 さ れ た ので あ ろ う。 と推 定 し
は。 ジ , ラ紀以 前 まで は 溯 らな い ので は な い か , と い う
て い る。
推 論 が 生 ま れて き た ので あ る。
表 −| に[j 本で よ く スタ ン ダ ード と さ れ るurn*i: 代 表
を 掲 げ る。 岩 石に 包 含 さ れ る放 射 性勧 質 をa む鉱 物 の絶
対 年 代 の 測定 の試 料 は。 今1=jなお 続 々 と増 え て い る。 そ
濠 海 掘 削 計 画 は , こ う し た,11'
地 磁 気 の追 跡 も 詳 細 に
行 って き た。
今ひ とつ 加 え る な ら ば, 現 在, 地 球 は 大 水 河 時 代 の た
の た め。 い ま だに, しば しば 地質 年代 を区 分 す る 敵 値 は
だな か に あ り , 人 陸 水 床 の 伸 緘 ・ 縮 小 を 伴 う 氷 期 ・ 矇沐
改 変 さ れ る。 こ れか ら 後, 丸││』
・磯 崎 の 著jlを は じ め と
刪 の 軅 り 返 し。 そ れ に 呼 応 す る 海 水 準 の 上 昇 一慨 下 の緩
して, 地 貿 時 代 の 名 称 が, しば しば 記 さ れ る よ うに な る
り 返 し の 歴 史 を 編 み っ っ あ る。 現 在 は 一 種 のllj氷期 の状
か, 絶 え ず こ の 表 −l を 参 照 さ れ て, そ の時 期 が今 か ら
態 に 凧 か れ て い る も の と 解 さ れ る か, 今後。 氷 期 が 再来
何 年 程 前で あ・, た の か とい うこ とを 尨 識 して 圃 き たい。
す る かi!iか。 今 の とこ ろ 確 た る 見通 し かな い ので , 後 氷
地 質 時代 の巾 で, 化 石 が 人 量に 残 るよ う に な・ て か ら
の 時 代を 顕 生 代 とい う。 顕 生代 は 生 物 の人 量 死 滅 ・ 交 替
期 の 名 で 呼 ん で い る。
こ の 人 陸 水球 の櫨 衰。 淘 水申 の変 動 につ いて も, 例え
の時 期を も って, 古 生 代,巾 生 代 ,新 生 代 に 只 分 さ れ る。
ぱ, 濠 海 欄 剛XX料 の中 に 包 含さ れ る 海 洋j2層 の プ ラ ンク
古生lt よ り 前 は, 地 球 上で 堆 積 が 始 ま・。 たIS期 か ら以 後
ト ン有 孔 虫 のCaCOi
を 適 して 先 カ ンプ り ア時 代 と一 括 し て 及 現 す る 場 合 が 多
仙 か ら の 偏 差 勉ao'I の 在 り 力'を 多 数 ・ 群 細 に 調 べ て
い。
様 々 な 甲 実 を明 ら か に しっ つ あ る。 こ れは 嶝 要 な 寄 与で
よ り細 かい 時 代 区 分 の 名 称 を 用 い て, 先 カ ン プ り7 時
の ○ の 酸 素同 位 体oll/ols の 標 準
あ る。 こ の 点 につ いて は後 述 す る。
代 と 占生 代 の境 を V/C 境 界, 古生 代 と111生 代 の境 をP/
T 墳 界, 中 生 代 と 新 生 代 の 墻 を KyT 境 界と い う。
そ れぞ れ, Vcndian/Cambrian.
K
『
・ide( ド イ ツa
Pcrmian/Triasslc.
英 語 で はCrctaceous)/Tcriiary
Jfi
髷 の 意 で あ る。
丸 山 ・ 磯 崎 は. v/c 境 界,Py T 境 界, KyT 境 界 の時 期
を そ れ ぞ れ 約5.5 億 年 前, 約2.5 億 年111j.約 6.肺0 万年 前
と し て い る。
VyC 境 界の 成因 は,硬 冊 格t 物 の山 現 に 負う こ と は 万
人 の 合 心 し て い る とこ ろで あ る。 ま た K/T 境 界 の 成 囚
は, 縷述 す るが, 最 近 判明 して き たよ う に, メ キシ コ の
ユ カ タ ン 半鳥 か ら 米閥 の フロ リ ダ 半島 の 沖 合を 榎 って 地
球 に 落 下 し た[j大隕 石 の衝 突 に よ る もので あ るこ とか 昨
年 当 初 の 深 海 掘 削 の結 繋 か ら明 ら か とな り , こ れま た万
人 の納 得を 得 つ つ あ る。
問 堋 はPy T 境 界で あ る。 丸山 ・磯 崎 は。こ れ を 超 人 陸
パ ング ア の分 裂 初 期 の激 しい 火成 活 動 に よ る 生 物 の 大 量
絶 滅 ・ 交 替 の 瞭因 に 帰 して い る。 明 侠 な 見 解 で あ る。
さらに 付け加えて お き たいことは,地球 の磑燭 の正
転 ・ 逆 転 の螽!録 で あ る。 外 檳 内 の 対 流 も 絶 え ず 間 欠的 に
変t す る ので あ ろ う , そ の ため, 磁 増 の 方向 は 次 第に 移
動 す る の みで な く 。 現 在 の そ れ をiE の 方 位 と す れば, し
ば しば 正転 ・ 逆 転 を 繃 り 返 し て き た。
5
図 一4
地 磁 気 正 転・ 逆 転 の記 録( 余 朗,1991 よ り )
JAMSTEC 19
鯑 年 第10 巻 第2母(・ ●第 奠 号 )
3.
深海掘剛航海の実施状況
既 述 し た よ う に。1961
で あ る カ ス(CUSS)
に 2 名 の 乗 船a`
席 研 究口 が 堡 る が, 日 本 人で こ の 首席 を
年 に 就 航 し た深 海 掘 削 の 第 一 船
1 号 は 気i刈│川に そ の 試 験 的 作 業 を 終
了 し た。
勁 め た 方 に は, そ の氏 名 の 前に ・印 を 付 し た。
Leg175 以 降 は, 本 表で は愉 報 不 足で , 掘 削 点 の数 字
が ま だ 埋 ま 。て い な い場 合 が多 い。
こ の 表 を 一 警 し て 頂 く と, 深 海 掘 削 船 が。 い か に グ
第 二 船 で あ る ク ロ ー マ ー ・ チ ャ レ ン ジ ャ ー(Glomar
Challen8er
) 9 は19 鬩 年 か らI 鯑3 年 に か け て. Leg
か ら Leg96 ま で の96
航 海 を 行 っ た 。 こ の 内. Leg 45 以
後 は 国 際 深 沌 掘 削 計 肉 と な りIPOD
掘 削 計 画 は 全 体 を 通 し てDSDP
と略称される。深海
の名称 で呼ば れるが,
米 国 一 国 で 作 業 を 行 っ た Legl か らLeg
羲 の 意 味 でDSDP
1
44 A ま で を 狭
第 三 船 で 現 在 も稼 動 中 の ジ ョ イ デ ス・ レ ソ リ ,− シ 。
始 し た。 最 近, 1997
^ は1985
年 か ら1998
究 老 が 乗 船 の 機 会を・ て い るこ とを 実 感 して 頂け る もめ
と 思 う。
な お。 日 本 人 の み な ら ず, 乗 船 研 究 者は 氷山 の一 角で
あ 。 て。 そ の 後 に 数 倍 す る 致 の随 上に あ・ て 掘 削 試 科 の
研 究 に 取 り紹 んで い る研 究 者 が掩 え て い る のが 実 状で あ
の 期 間 と す る場 合 も多 い。
y (Joide s Resolution)
ロ ー バ ル に 行 動 して い る か, ま た, 火 に 多 数 の日 本 人 研
年 か らLeg100
る。
を開
掘 削 結 果 は ま ず, 米閥 の GEOTIMES とい う月 刊誌で
177
速 報的 に 発 表 さ れ る。 各航 海 ご とに。 原 刈 と して  ̄F
船時
年 に か け て のLeg
を 柊 了 し た と こ ろ で あ る 。 ジ り・の オ ペ レ ー シ ョ ン は
まで に ほぽ ま と め ら れ るInitial Reports があ る。NSF
ODP の 名 で 呼 ば れ る 。 既 述 し た よ う に Leg97∼99 は 欠
とJOI が出 版 元で あ る。解 釈 な ど そ の後 に 加 わる もの も
番で あ る 。
多 い ので,0DP4 こ人 うて から は, あ る 時 期 か ら。同 じ く
表 −2 に 。 グ 号 のLegl
に 始 ま り 最 近 の ジ 号 のLeg
177 に 至 る 火 施 状 況 を 示 す 。 本 衣 は い ろ い ろ な 資 料 か ら
と 吁 ば れ る が ,Leg1 か ら 現 在 ま
で 通 し 番 吟 が 付 せ ら れ て い る 。 例 え ば 。 餓 近 のLeg
A 航 海 で は , 第1071
174
∼1073 掘 削 点 に お い て 掘 削 を 実 施
し た 。 ― つ の 掘 削 点 に お い てl 致 の 掘 削 を 火 施 し た 鳩 合
も 多 い 。 し た が っ て ,1 本 の ポ ー リ ン グ 孔 を 英 語 でhole
と 呼 び , 例 え ば , 第440
440
とJOI に よ・ てScientific Results が 山 版 さ れ る
よ う に な っ た。
さ ら に遭 ん だ 冊究 結 巣に つ い て は, 米閥 , 日 本, 欧 州
ま と め た もの で あ る 。
掘 削 点 は 英 語 でSUc
NSF
な ど の 各 種学 術 雛誌 に 投 稿 さ れ掲 載 さ れる。 そ の 数 は 夥
し い 詆 に 上 る。
なお 迴 報的 な も の と して は. GE0T1MES
日 本で は。 実 施 本 郎 で あ る 東 大 海 洋 研 究│折か らIPOD0 二 , − ス レ タ ー, 引 き緕 い て ODP 二a − スレ タ ー
掘 削 点 に つ い て は ,440.440A.
B 掘 削 孔 と い う よ うに 細 か く識 別 す る。
が 名 種 事項 を 速 報的 に 伝 え て い る。
( 以 下 , 次 り に 続 く)
表 −2 に は 各 航 海 ご と の 掘 削 点 番 号 , 火 施 年 , 概 略 の
海 域 , 日 本 人 東 船 者 名 を ま と め て 記 載 し た。 各 航 海 ご と
表−2 潔海刪削概要表及び 口本人乗船者
‘ 印は乗 船・11
晧 研究口
営
螽筑
海
実 篦年
19叨
皿
メ キ シ コ 再,
li工 人 乗 船 者 及 びjMg 専 門 分 野
( 所 回 は 疵 皿 雪時 の もの)
なし
此 太西 洋 西岸 沖
一一 19鴟
13-22
砲-e
JI 人・ 琵 棡断
なし
大 西皿 中 火海 飢 元,
斎 藤 常 正 ( 夕口 y ピ ア 人LDG
鹵 人西 洋曷 断
2F31
199
大 西洋 . ヵ り ブ 洶.
なし
人 西雇 皿 火淘 畄 系
JAMSTEC 19
3X・43
19帥
祺 人 壑洋
なし
41-60
19卵
II咄 太
f 皿S'F
なし
箟 年 第10 ● 蝌 2母 ( 通巻 第3S 号 )
に 加え て,
JOI か らJO 】DES Journal が 年 2回 ほ ど 兇 行 さ れ る。
研 ) &生 葡
暼
実唯年
臨
一
一
[1本 人 乗 船 名 及 び分 扣6 門 分町
( 所 碼 は 乖 佃丿 畤 の もの)
19画
西赤 道 太 卜 洋
なし
1969
ハ ワ イ・ タ ヒ チ皿 断
なし
朿琵 画 太平 洋
剪 一助
1 10 85-97
一
域
一
7F 脳
1 1j
海
1970
S-108
1970 西部t 人瓜 洋 109-119
1970
北 大 西用柚 断
なし
1釦-1乱
1町り
地中 海
なし
13S-144
1970
中 央 大西 洋
なし
146-154
一
│ 砲-163
70-71
ヵIJ プ海
なし
1971
中 佃 太 で洋 姐 亊
なし
1M-171
1971
ハ ワ イ周 辺
なし
172-182
一
│ 昭 一1
勍
1971
北 太卜 爾
なし
1971
アリ ュ ーシ ャ ン列 島 付 近
小泉
1971
西太寸洋
なし
卜72
幽可太平皿
なし
211-218
1972
呎郎イン
なL
219-Z30
1屏2
北 西 ィ 冫 ド洋 , 紅 海
なし
SI-238
19?2
ィ y 卜用 ア フ リ カ 眼6'沖
なし
1972
イン ド雇 ア フ リ カ 匍;' 沖
なし
│ 呎2
南イン
ド洋梭 斯
なし
言均一加3
J972
t 一 スト ラ リフ・11'沖
なし
264-274
72-73
滄 − スト う リ ア 南万
なし
│同 一2叭
S3-210 |7
239-249
− 2圃 一念隧
湾 なし
j tシコ
I
なし
|
なし
ド洋
略 ( 阪 太 教 再 ) ぷ1・価
南極 海 皿
275 一朗4
19徊
二 ,− ノ ー ラ ント 南 万
なし
南瓜 海 窄
2肪-2 的
吶 西太 平 洋
1973
斎 蔭常 正( コ ロ ンビ ア大 ・しDG 研 究 ) 占1.卜
一
290-3 昭 |1973
西 フ ィ11ビ ン海 栽.IJ 本海
氏皿
卜 鼠
宏 ぐ
「小冫科 学 博物 淙 ) 劼│.物
格 ( 阪 人教 纜 )Eり│ 物
渡 皿輝 彦 ( 東 大 理 ) 地物
1
霞井
匐 恥313
197a
314-318
一
一
31F3XI
19卜3
73-74
西・11譌 正 太・ 洋 /ヽヮ ィ ・ タヒ チ縦 価
一
一
南 太 平 洋 淞14 断
l
な し なし
│価4
南 恥 西 心 沖, 南冨 海
なし
3魴 一洳│
− 3芻 一芻5
1974
南 米 柬 岸沖
なし
大 西洋 櫑断
一
|
なし
飽2-325
1974
心( 乱 象li ) 地物
なし
一
3卵 一恥2
1974
北 而北 人西 限
なし
3S- 寸退
19?i
人 西斤 皿面 , 南大 西 雇 咄 断
なし
雨7 7・1ヵ 西卜 沖
加 賀 X 英雄 ( 眼人 海洋 哨 ) 堆 皿
360-365
7475
--
42A
∂
3S-371
1屏5
ア ノ り 力七 瓜卜 沖
なし
372-378
1叭5
地中 海
なし
JAMSTEC 1qqe
年 罵10 巻 罵 2号 ( 通 毒 第3s 母)
?
鍜
海
実皿千
皿
可 本人 気舶 元 及 湍分 爪 専川 分野
。9)
(g,,s
379-381
1975
黒海
なし
鴪2-3 町
19?5
地4」 海 . 北 大西 洋,瞋断
回 Ⅲ尚 武 ( コロ yビ ア 人LDG
3S齢3 侃
19荀
人 両洋 一フ ロ リ ダ 沖
なし
1975
正 大 西洋 西 鄙
大 原皿 広 (言 油 公団 ) 掘 削
75-76
人 西 皿・II火 海嶺
藤 皿皿 嗣 ( 朿大 船
3価
1976
人 西 洋中 吏 海嶺
四i 博叫 ( 金沢 人) 岩 石
47A
S鳫
1976
北 人 西洋 西 部
なし
47B
3芻
琢76
ボル 1 ガ ル 冲
なし
3凶 一佃6
1鮓6
北 人 丙画
加 皿 更 英 雄 ( 皿 大 海洋 呀 )堆 積
4 屏-114
l 沢6
レ ィ 夲 ャ ネ ズ海 嶺
yJ皿 和 男 ( 東 太 庵洋 研 )物 世
115-ij6
j屏6
人 西 洋 モロ ッコ 沖
回 口 一雄 ( 東北 大 岩略 ) 曹町
跖 一贊
バ ー ト 。− ダ海 嶺
宇 井 忠 哭 ( 皿 戸 大 理) 岩 石
117-ij8
1屏7
バ ー ミ4 − ダ海 嶺
浜 野 戉7. ( 東 大 埋 )葡 性
118
1977
バ ー ミ 。− ダ海 嶺
なし
119-129
1977
皿 太 平洋 海 聊
なし
4加 一齠3
│ 屏7
夭鳥海心列
12B
44A
妍) 亠生 物
「PQD
395- 吻6
11?
・卜 泉
曹石
楕 (阪人皿養)
i 山 俊 昭 和 ( 金 沢 大 戦 薺 ) 占i 臉
か衢
4割 祠38
│ 呎7
日本 海 溝
長 ( 東 人 理 )& 晒 磁 気
゛岡 田 愽有 ( 静 岡 人 理 )
酒 井a 三皿 (夕 岡 曹 人 ) 古生 物
碚&411
1罸7
「│看 海 溝
・ 奈碵紀索(東大洵雇畊)
氷皿栄一(地質調査听)皿墳
蘊 剛 換 人 皿 ( 皿 人 海 皿研 ) 堆 皿
佐 藤 俊 二 ( 石 町 公 凧 ) 石 油 化夕
442-446
77-78
四国 海盆 叺 皿 海 崩 )
‘ 小 皿 和 叫 ( 朿大 面 雇 妍 )
水 町 篤卜
末卜
447-451
1978
741j
茹2 一部1
197S
マリ ア ナ而 涓
ひ也貿 調 査 所 ) 喰 積
肇 ( 千 皿 人皿 ) 司 地 皿 輿
石 井 輝 秋 ( 東大 海 雇 妍 ) 岩 石
どy 陶哉
‘ 上 Ⅲ 誠 也 ( 皿人 地 塁 可 )
巾 村 一叫 ( 朿大 地 霆 研 ) 構 造
4S
1978
チ ク ル海 盆
徳 山 哥一 ( 皿大 海 洋 研 ) 岩 言
4僞-i邨
1978
皿 部 太夕 雇
藤 井 直之 ( 神 戸 大痢 ) 物覩
偽7- 酊3
19?8
朿 太 平洋 海 晧
裏 田 次 夫(│咄││人 皿 )卜 石
474-481
7F?9
力 り フ ォ ル( 7 湾
なし
i 鯰 一芻6
1979
力 り フ ォ ルs7
なし
4部-493
j93
中 恥 海 溝メ キ シ コ
面 妻a 川 ( 静回 大 垣 ) .
り 寸磁 気
i 侃 一胯0
]&79
皿米 海 將 グ ア テマ ラ
志 岐 常 正 ( 友大 瑰 )堆 積
SI
JE79
ヵ り プ 海. 皿 太甲 洋
なし
lm
コ スタ リカ 沖
卜 国 俊 夫( 東大 海 洋 研 ) 吉 地 皿 気
湾
匯氾-闃3
MM 一郭5
JAMSTEC IMfi?
銷10● 第2号(遥●旃3S母)
9
訛
実 施郊
叫
暝拓-510
1979
ガ ラパ ゴ ス商 皿皿
唐 戸 峺一 皿 ( 皿 人 布 洋 研 )物 世
511-514
1勍0
南大 西 雇 四 皿
なし
1SO
リ オク ラy ノ 洶佃
なし
│喞
南 人 西 洋中 仙 鵑
なし
jm
ウォ ル ピ ズ海嶺
なし
19卻
ゥォ ル ピ ス海嶺 東 端
野 面昌 人0
5芻-S 徊
19㈲
大 西 雇 西紀 y a ラ
加 皿 笑英 雄 〔皿 人海 雇 研 ) 堆 積
叭苟一
恥心
劭 咽j
メ キ シ コ湾
木卜
1981
ylメレyf ド ス
なし
崩
1脯│
大西 画中 皿 海 妲
なし
514-517
ISI
モロ ッ コ沖
なし
│ 始j
ゴ ー バy ス プ ール
大皿謙一(静岡大蔔
55訃555
j981
入 西 洋中 央 海嶺
なし
弱F5g
1郭1
大 西 雇 皿 吏 海嶺
なし
コ ス タリ カ 沖
水・
小111万ご.皿( 九 人理 )堆 積
喩
5I&-518
519-5M
525-529
腿 ひ・582
芻A
?8B
MI 一
河3
S19 卜
一 51
吶
S卜82
海
域
鬥翊n 翦昌麗冖
翕質 衂 査所 )鉱 簡
蜃 ( 千 濤 人皿 ) 占晒 磁 皿
堆皿
佰 ( 千 葉 大刋 )jl晒 齢古
M 知-5扣
19鯰
皿 米 海溝 グ アテ マ ラ
571-575
1砲2
朿 太 甲皿 古環 境
斎 藤常 正QII 形 人理 )11,14物
576-S1
1皿S
レ を ッ イ ー海 彩
小泉
格 (阪 大皿 癨 )古 生 物
宝 来帰 一( 皿 妝 人) 町 性
S韶 了 桐
1脯2
南 淘ト ラ7 ・ 斤本 海 満
・ 加 賀 更 英皿 ( 皿大 海 洋 絣 )
平
朝 彦( 高 知 大!i!) m
木 F 癩 ( 千 葉火 理 ) ,1,
地 磁乱
町皿
勉 ぐ石 町 公団 ) 石 而 化夕
皿 回 換 太郎 ( 皿 人 海 雇 听 ) 晒皿
松本
瓜(皿大煦)堆畩
爾i a 明 ( 静 叫 人 理 )S, 地 磁気
秋 庸 文 雄( 石 而 賈 原 ) 古 生物
4砲
一
1兇2
北 可 太 甲 洋DARPA
なし
l鯑2
ナ ゥ ル 海盆
藤 井gじ言( 神戸 大 寸
り 簡性
詞7 嵋qi
82- 心
南 太彳 洋
竹吋
衂5- 叫6
19砌
肉 太甲 洋
なし
崗
19詞
コ ス タ リカ 和
西谷 皿篩 ( 秋 田 人 鉈 ) 芒I地 哇 気
堅卩 一闃2
19S
6芻 一甎嶌
1883
人西 洋 西 紀・ノ ,ラ
岡村
6闃-61j
l叫3
中 跚丁ヒ大 西 洋 古環 境
高 山 良 町 ( 金 沢 大 教 養 )卜 佳.簡
6叫
1始3
冫 a − ノ い− ジ
中 町 祐 二 ( 皿 入 理 )化 夕
611 嵋13
│四
Fラ y セ ク ト
6ji-6 詞
j啝
ミシ シ 7ビ 盜 角州
石 皿 明 男 ( 東 大 海雇 研 )イl事
m
19肺
メ キ ソ コ湾
なし
&笳 一回6
1衂5
バ・ヽマ堆 積
なし
政( 窈山 火 可) 堆 曠
皿 ( 高 知 大同 ) 古 生物
ODP
・
1∂
JAMSTEC
19鴒 年 第10 ● ・2 号(通 ●第3S 母)
?
海
皿
l−
大西 洋118A
再訪
一叺│
│鴨
ガリ ソ フ 大 SM 隘部
笠原 順 Ξ.( 啝 人埆 誤 可 ) 埔 物
101
u2-6 捐
1qS
ノ ルウ エ ー禰
なし
1弱
6翁-M7
19恥
パフ ィ ン湾 と ラ ブラ ド ル洵
なし
106
例8-M9
19肺
大 可 洋中 央 海 画
鉛
│吻
118
喞
脚
実施 年
EI本 人 乗船 者及 び 分μ1専 門分 皿
( 所属 は 可佃 町時 の も の)
なし
爾田 次 太( 岡山 入 哩 )岩 石
山 本 清 彦( 東 北 人 爬 )地 価
107
1qe6
6SO-S6
イレs 7 海
QI・I雇之 ( 友 大理 )XI地 胼仙
艮谷 川 四皿 ぐ東北 人圃 ) 右生 物
1叫
65卜 感
銘
1魴6
西7 フ リ カ 沖
隗
政 1( 筑波 心同 )皿 椣
安l 陪煢 ( 高兔│入 理) 古 佳 物
1卯
凋16
碚
1脯6
大 西 用中 央 海皿
110
酊1・676
濱 野 限R ( 東 大晒 櫺 研 ) 地 物 ・ 言晒 晧 気
蕕 皿 耿g ( 朿 大地 芻 耐 ) 岩 石
弱1 嵋70
│ 脯6
バ ル バ ド ス冲
小 川 万 一郎 (九 人 哩) 堆 佃 ・ 構 造
西 皿 甦 三郎 (宇 蕚 宮 大 枚 倉) 古 生 物
乱4
lm
ココスプレート
6?7-678
‘ 酒皿
均 ( 皿大 海 洋 研 )
木F ’ 県 (r・ 皿 人 刋 ) 地 物
石 塚 皿男 ( 高知 人 皿 ) 岩 石
縊田 喟 皿 ( 東人 海 洋 可 ) 化夕
川 皿 皿 高 ( 地 質 調 査 所 ) 化夕
112
6再-G88
j9匐
ペ ル ー沖
山町
誠(皿入晒震妍)地簡・物蟀
茨 畉 雅 于 ( 静 岡 人 理 ) 古 生.簡
113
磚り一磚7
19叭
ウェ ッ デ ル海
iりir 翡 ( 皿 大 地 震 胼 ) 晒 物 ・ 物匡
111
6韶-34
19酊
両 人 西雇 と スj ソ ア海
なし
115
7昭 一716
19町
セィ y エル と
マ スカ リ ン海 盲
116
717-?19
19町
べy ガ ル灣
閊 田尚 武 (山 形 人 理 ) よ 生物
胄
好 犇( 皿 人 理 )岩 石
天野一男(茨城大剛)堆磑
ぞI塚 明 男 ( 丈 人 叫きg 丶 化 夕
117
720-731
1魴7
イ ンド 洋 正 部と ォ ーマy 沖
・ 新 が口 明 { 皿 岡 大 患)
林田
明 (同 志卜 人r ) 占晒 磁 気
高山 俊 川 ( 金 沢 大教 養 ) 言生 物
118
73F7 恥
1㈲7
南 西 イ ン ド雇 海 嶺
小 沢司 ご( 東 太 理 )町 石
木 」││
東 一 ( 東大 晒震 研 ) 古池 胯勿
119
736リ16
87- 韶
ケル ゲ ル ン海 台 と
晒 卵 更 男 ( 富111人翔 )11」
地磁 気
ブJj7 ン再
l画
747-?51
│ 鯑8
ヶ ル ゲル y 海 食
丸 山 皿 川 ( 皿北 人教 養 ) 古生 物
井[│ 時人 ( 神尸 人刋 ) 古地 皿 乱
竹 村厚 司 ( 京大 埋 )古 生 物
j21
752-788
│−
ブ ロ ーク ン・
皿経 如 度 海 眦
j22
沢辺-761
啣
癶沛-766
121
121E
JAMSTEC 19
I&6
エ タ スマ X 洶台
1 水貝 策 ( 心大 向 雇 研 )佃 性
野 村律 夬 ( 島根 大友 可 ) 丁生 笥
尾 田 太良 (而 本 大倉 )LII
‘q 物
伊匡
恊 ( 千葉 大霞 養 )堆 皿
小玉
人 (佃 知 人理 ) 元 晒 胼 傴
石渡
咀 (余 沢 人皿 ) 岩石
l瑚
フ ル ゴ深 海 剱
7酊 一
冐l
鬩49
セ レ ベ ス・ スル 海盆
渋 谷 再 俊 ( 皈 府 大総 合卜 学 ) ぶ地 磁皿
?黯 一元7
19㈲
マIJ アナ
松 岡<rj*i
鶫 年 第10 ● 痢 2号 (・ 魯 第3e 号 )
海 雇 掘 削( 株 )) 技 町
μ
火施 下
詼
暼
│廃寸 |
778-7 魴
E25
簡
11本人 乗 船 者 及 び公 担 皿川 分野
( 所 属 は 乗 船 当時 の もの)
域
,り 7 ナ・ 小 笠原 函皿
前111寛 和 ( 神 戸 大 回 ) 岩 石
心 井 皿 狄 ( 皿 人 海 洋剛 )卜 石
126
7877S
│㈲9 1
回・
゛藤 岡 換 人 皿 ( 東 人 海洋 妍 )
小笠皿
酉卜
町 ( 晒 皿 乱 査甬 )堆 積
淹 保 皿夫 ( 東 北 大 蟶 )IE」
’
生物
|
小 山 皿人 ( 静 岡 人 政 )卜 地磁 気
皿崎和il ( 心 根 大 政 ) 堆 暁
7剥-797
1認
│卯9
H 本 囘 1 │ ゛工 木 曁煩 ( 眼人 簡 洋 听 )
小 泉 抱 ( 瓜 人 教 養 )lll生価
,,1--,,
,一
倉 友 皿一 ( 丈 人 海 洋 晄 ) 物性
lil卜
一
11本 洶11 19砲
13
’皿広
松本
1
98・90
觝如一部2
一
良 ( 朿λ 理 )堆 積
加 蕕 逧皿 ( 金沢 大 霞 養 )15 重 物
東 マ リ ア♪ 洶 盆
松回
可( 圻可 大 教 養 )11」
他 価 |
ォ ン1 ン・ ノ ノパ 潟 台
一一 一
南 海ト ラ フ
高山 俊昭 ( 金沢 人 教 筬) ,9
生物
一
㈲3 一助7
1匐
濛 (i 人 耐 洋 耐 )
濱 皿 用二 ( 朿人 回 )EII地 磁皿
7佃 一叭廸
1画
茂 ( 東 大 地 震 暝 ) 岩祐
一
19呻
-
イ8
1990
・岬
朝彦 ( 東大 海 雇 妍 )
山野
直 ( 東 大地a 妍 ) 晒 物
同 格 悛 敬( 東 人海 洋 研 ) 化夕
一
132 ㈲a-810
一
13a 8jl
哺26
19S
回 豆可 吭
一
19圓
グ レ ー 1 バ リ ア ーリ ー フ
小 西 健 一( 金沢 天 理 ) 窄 皿 E跏
バ ヌ ア ツX 八
皿 谷中 利昭 ( 皿北 人狸 ) 岩il
1お ド7
‘s
y ヤ ンキ ー洵 笳
可 藤l 弘( 陶上 保 女丿
卜 水 路 鴪 ) ,1
」
生物
一
財津IE.牋 (Ei 本 海 洋 事 画( 棣 ))
|
狄π 有濆 ( 名I占£ £jfl)
夕院短人)古生町
135
韵i 了41
90-91
1馮
842・ 剖3 |│
凶│ オアフ
ラ ウ淘 倉
西
島沖
弘 嗣( 山 形大 理 )ll,生 物
金 穴 敏 彦( 東 人埋 )地 物
佃
丿 郎QAMSTEC
)喰積
137
S04 政 闃4 1991 卯iB 孔
なし
L芻
徊i 一
卜女 1991
雨4疆 人4・洋
卜 井 雅 人( 東 北 人 理 ) ,S4価
Ea
sS 一
卜郛
ケy ンデ ノ カ 海爾
木 下 工 高 ( 姐 海大 海洋 ) 地物
181
小│
{ヨ各 部 ( 友 大皿 ) 丁地 磁気
5面 B 鬩4
j40
859-ag
1弱ヨ
9卜92
501B 孔
海野
迴 ( 静 岡 人 礫 )¥; 石
南 イり 沖 遅 澤 壮 一 ( 東 北 大 理 )匠 暁
卓 稲 田Mj
一
112
143
1992
朿 太 恥洋 而澎 ]992
四 人 で洋 勵-ro
一
114
(乙 油 資 源開 発( 株 )
)イt夕
一
野 木 義 史( 気 象庁 乱 象研 究所 ) 地 物
;
一
沢知一㈲│
なし
1992
四 太卜郛
并廩 瘧 又 ( 東 北 人 理 )堆 植
0 哢 久 川( 地 皿調 査 所 ) 地物
中 西 正リj ( 皿 人 海 洋 絣 ) ,5
地磁 気
豺1-S 匍
│弱
腿丿一肪7
1匆2
七 太卜 洋
剛田
146
汳弼-㈲3
1992
オ レ ゴ ン・ バ ンク ーバ ー沖
耳
ガ ラパ ゴ ス海&
木川 栄・- ( 地 質 調 査 皿 ) 政 地磁 気 147
894・S5
竝 嵋3
ヘ スデ ィ ープ
X2
霞 ( 皿 大 海 洋 呀) 古 地磁 気
皿 一 皿 ( 東 人 漏 滾研 )物 性
|
荒工 章 可( 金 入 人 理 ) 岩 石
JAMSTEC I
鱆e 年 第10 ● 旃2号(i 魯 第 旆 号)
滲
148
識
実 施111
一
一 肺4,8%
iwa
海
日 本 人 乗 佃 者 及 び 分1 専 門分 野
( 所畄 は 蠱舶 雪 時 の も の)
域
j スタ り ヵ 沖
・ 恥卜
曹( 痢 人地 震研 )
石塚 英 男( 高 知 大 俚 )岩 石
宮 卜 純 人( 新 潟大 理 )岩 石
曝潭 英卜 ( 東 大丿也霎 听) 物 性
│韵
叨7-qa1
19S
イ ベリ ア半 島 沖
金 松 敏 也 ( 東 人海 雇 哨 ) 占 地画 気
IS
郭2-9 卯
19昭
ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ート
万 蕕 文 紀 ( 晒 皿調 査 所) 窄 擠
小町皿宏(千葉人理)堆積
ト ラ ン セク ト
阿 画 佃 直 一C 東 大 海 洋 哨 ) 地積 i
19勍
907-913
佐 潁 畤 孛( 狄 吐人 鉱山 )j, 生物 152
914-919
I
根本皿樹(弘前火理)古生価
19勍
斉奮實篤(東大海洋研)堆積
陷
「│;
鴎 司 ( 京 大 町 )IIr
‘地 磁 皿
一
9加4 訟
153
一
僞一
例
冨井田清信(北大掫)廿石
151
925 一
昭9
155
砌 │吋4
7 マソy 扇 状 地
947-919
156
1994
北 バル バ ド ス海 嶺
徐
咀( 九 人雇 ) 佃 性
七卜
人( 元 大理 ) 堆 積
・ 小│││勇 こ皿 ( 筑波 大 地皿 科 学 )
芦 寿一 皿 ( 皿 大 大夕 院理 ) 冨性
谷 匚│更 嗣 (駒 沢 人 高 )堆 皿
19s
950 嵋 弱
157
隅田 ま り ( キー ル太 海 爾科 夕 幻
堆積
|
中村光一(地賀皿徇所)桷造
人 同 江 中 火海 耐
自57 ド
1鴟
千葉
觝水 鉱 床
仁 ( 九 人 雇 ) 化夕
g 崘 英町 (JAMST
£C ) オブ ザ ーバ 一
|
衂
久 Ⅲ 飃 一 皿 ( 筑 波 人 池 皿卜 学 )堆 積 | 959-9
屁
森 田a 人 ( 皿大 人学 院 咄) 物 性
1印
99- 卵3
19鮖
地中海1 161
艀4-979
│ 卯5
晒中海2
1 小泉 格 uヒ人前 古4 物
坂本卮蔀 u 匕
人理)1,生物
鳥 居 雅之 ( 京 人 肩 ) 占 地 磁気
褊 沢f 司 ( 都 農大 知 ) 古 生葡
162 |
19SO
16S
池原
面7
玄
咽豺
9 ㈲ 一気扣
厂s
│四
│ 凶5
南東 グ リ ー y ラ ン ド |
哭 ( 東 人 人夕 院 哩 ) 化夕
相 民 ( 東大 人夕 院 哩 ) 卮 積
凧 田卜 昭 ( 乍 都 寸 入 農 ) 古4 叫
仲 佐 ゆ かり (東 大 而 雇 妍 )古 池 磁 気
ガ スハ ィ ド レ ート
・松工
良 ( 皿 人 大学 院 理 )
岡田 尚 武( 北 人 人学覩 理 ) 丁晒 磁気
渡辺 万 夫( 晒 皿調 査 听) 晒 睹
佐 藤 幹 夫 ( 地 質圃 査 所 ) 物 性
陝右4
士地
紬繦
妣り
麝木義久(人蚶
阪教
育 大丶
)古
気
165
166
9脯-1 ㈲2
│㈲3-10 叨
S 嵋6
カ リブ 洵
陷尾 浩 司 ( 帝 国 石 油( 株 )) 古 生 物
│価6
/し ヽマ 堆
皿 井 兒 作( 地 皿 錣 査 所 ) 堆 皿
佐藤 時 か( 秋 田 入 鉱 山 ) 古 俘 町
|
皿施年
16?
1り10-│叨2
海
皿
カ リ フ ォ ルニ ア沖
1996
’小 泉
晧(北人雇)
多 田 隆 治 ( 姐 人 人夕 院 理 ) 堆 凧
丸山 俊 町 (│
[廓 大 教 養 ) 乱/│.物
ttltl 明 (III志 阯人 理 工夕 剛 )S, 地 磁気
山 本正 伸 ( 地 回 調 査 所 )卜xl 物
j耐
1023・│吻2
19%
フy ンノ フ カ 海 嶺
-
1叨 S
1033-1 m
169
ISFLO
13
ヨ叨9-1a3
1996
腿
并 上皿 行 (T 葉 元回 ) 化学
一
肖池
霓 ( 東 人 人学 院 理 ) 物 性
許IF
瀘QAMSTEC
一
サ ーエ ッチ 入りi ]
) オブ ザ ーバ ー
高1」│
甕一 ぐJAMSTEC
) オブ ザ ーバ ー
一
一
石 嶋純 一 心 ( 朿 人刋 )化 夕
1996
埋稙海幽2
1996
コ ズ タr7元 皿
`木村
甲 ( 大 瓜 府 尨 人総 合卜 擘 部 ) `
茨 木 雅 r ( 静 岡 人:
≪ ) tilm
画 松 敏 也 (JAMSTEC
)111地 磁 乱
可 藤皿 篤 ( 東 大 海洋 哢 )地 物
│ 叫4-1048
171A
S- 呎
バ ル バド ス皿 加 体
徳 永朋 拝 (皿 大 人夕 碍| ) 晒 哲
所 蘰実 篤 ( 朿 人 耐洋 研) 地 物
j叫9-183
171B
1997 1
ブ レ ーク 海嶺 ご田
|
皿 (秋 田 太鉈卜 ) ,
’,4価
中 井皿 美 (M卜 科y 心物 畭 )・り地 画 気
口2
10馴-│ 闃4
197 爾│爿 朿岸 沖
皿 川 美 而 (簡 人理 } 堆 積
| 大 西雇 四 郎
173
10肺-│ 屏0
岡卜│
イ ベ リ ア深 海 平 皿
1997
高山 哭 屶( 皿 大大 夕 院 哩 ) 堆 睹
』
匕太西 洋 東 洫
174A 1071-1073
19厦
阿 郎な っ 幻 ( 朿・ 人 皿 ) 岩 石
ふ4 − ジ ャ ージ ー沖
皿 柳康 一( 口 州 人 理 ) 淮 畩
北 人西 洋 酉 陬
11−
1郭7
│乃
小(.
大 西洋
叫 ア フリ カ 西 皿 沖
1997
3 5B
翊 (JAMSTEC
)地 物
平町
聡 (JAMSTEC
) オブザーバー
|
功 ( 琉 球 人 翔 )Slx1,町 __J
木川 皿 一 ( 爾山 人 友 皿 )
画気
』
り地
前 回f 一 皿 ( 北 大 大i 院 理 )物 性
南 ィ y ド坏 西 瓜
9? 一鷯
松本
本山
元7 リカ・1冫和
1圃?
地 皿洳 査 所 )EII地 磁 乱
山 崎 敏 嗣 ( 地 質 眞 査 所 )II,地磁 皿
函人 西 雇 東 皿
│跖
友 (茨 城 人丹り 政地 磁 乱
ア フJJ力 両し
池原
皿 ( 正 大 低 温 研 ) 化学
杉ill*]
皿 ( 名 人皿 )y,i 物
参毒 文献
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謦.2751X
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or the Ocean Drilling
Progr am (19・・). Volume・・・.
Nat
ional Science Foun
dalion ; Joint Oceanographic
lnslituUon・ ・・・p.
15
相模湾をしらべる一深海から
生まれた三浦半島
略
歴
1941年 名古屋市に生まれる
横須賀市
自然博物館 蟹江 康光
Yasumitsu KAN
IE
II
1964年 横浜国立大学学芸学部地学科卒
1967年 横須賀市博物館(現在の横須賀市自
然博物館)学芸員 現在に至る
1975年 理学博士(九州大学)
相 模 湾 の シ ロ ウ リガ イを しら ぺる , そ の 2
1. シ ロ ウ リ ガ イ 類 化 石
シ ロ ウ リ ガ イ 屑 コ ミ ュニ テ 4 の 遇 去
化 学 合 成 動 物 群 集 ( コ ミュ ニ テ ィ ) の 化 石4j , 筆 者 か
調 べ た 限 り , ほ と ん ど の場 合 , 炭 酸 塩 の ゴ ン グIリ ー シ ョ
ン を 伴 っ て 見 つ か, つて い る 。 わ が 国 に お け る シ ロ ウ り ガ
イR
Caly,
μo
gu a コ ミa ニ テ ィ の 最 占 の 化 石 は 少 な く
と も | 傭 年 前 の も の で あ る ( 饗 江 ほ か ,1996 ; 衷 −1 )。
岡 外 か らは , も っと古 い 地層 から の報 告 もあ る か, 確 認
は さ れ てい な い。 原 生 代 の海 匠 は イ オウ 綱 爾 が 関 与 し た
還 元環 境 であ っ たとい わ れ い る。 化 学 合 成 動 物 群 集は ,
光 合成 に 依 存 す る生 物 群 集 の 発生 以 前 に 繁 栄 し た, 生 き
て い る化 石 と考え ら れ てい る。 そ の研 究 は , 太 占 の淘 の
圜 −1-
化学 組成 と 生 命現 象発 生 の一 遇 程 を 解 明 で き る か も し れ
シ ロウ リガ イ属Qlj 妙a哺lsg. 口 =スエ ヒ ロ キ ヌ タ
レ ガ イ属Acharcx.
化 石 嘴 ● :Caiyptogtna, ■ :
な い と 期 待 さ れ て い る。
2.
そ濾 ∼g 総 地袈 と その 周 辺海 域に お け る 現 生・ 化石
化乍 合 成勦 勧 コ ミ 。ニ チ イの 纜出 墻 点。 現 生羈 ○ :
jd 蚶f竈
x/スエ ヒ ロ キヌ タ レガ イ属 ・So鈿・ 芦 属 。
Ill: 初 島ft. SK : 椙 楔 洵 丘,0B: 沖 ノ111毟,BP:
房 総 亊 鳥東 沖。 Mk: 二崎 膕, Hy: 葉山 屋 ,Ur:瀰
爾 関 東 の シ ロ ウ リ ガ イ 類 コ ミ ュ ニ テ ィ
( 図 一1 ∼9 )
郷 膕 ,Nj: 野島 驥.lk:
池 了屑. Ks: 小 柴髑 ,SI:
白 閨 推鰄 , Ao:斉 木山 矗i.Kr:
上 総 屬 興 柿 ノ 木 台 層 0. 7 M a オ ウ ナ ガ イ 属
黒滝 鰄 ,Xk: 肺ノ
木 台 屋 ,Na:名 洗湎
C・la ・c
・鈿 な ど が 炭 酸 塩 凝 灰 岩 ・ 覡 灰 岩 に 臨 集
( 柴 崎 ・ 間 叺1997:
馬 場 ,199C ); 小 柴 層│。
5Ma
露
が シ ル ト 岩 に は さ ま れ た 砂 岩 眉 か らa し た ( 横 浜 化 石 研
頭 の 上 郷 で は ツ キ ガ イ モ ド キ属 £lgiXissxy・(・ scみagae
究 会, 1993
な ど が炭 酸塩 で闘 結 さ れ銅 斗状 に 密 集 す る か, 下 郎は 砂
Q I渉 扣gnlj が 舒 竊7岩 巾 に 直 し , 殼 は 溶 け て い る こ と が
質 翩 灰 岩 に 散 在 し た 産 状 を 示 し て い た ( 館 一間 嶋。
多 か っ た(Shikama
1998 ; 図 一4 ); 野 口 層 】。,7
Ma ∼1.6
ツ キ ガ イモ ド キ
Ma ; 図 一3 );
Calyptogena
a as171111j
》ida・ ヤ ス り ツ ノ ガ イDentatium
か・, た(Niitsuraa
y6
& Masujiraa,
1.
9 ∼1. 8 Ma
1969) ;名 他 ●1.9
凝 灰 岩 (Ozaki,1958 ); 濡 卿 喘 2.0
£vein oma ・ キ ヌ ジ サ メ ザ ン シ ョ ウ ガ イ モ ド キ ー
な ど の化 石
野 鳥 縅 Ma
が凝 灰岩 に 産 し , 殼 は溶 け て い る こ とが 多
et al.
,1989 ); 鳳 竃 屬2. 0 Ma
JAMSTEC 199e
鍛灰
年 蝌10 魯 第 2 号( 還 魯 第38 号 )
図 一4
横浜 市 瀬 上 市民 の 森 で の 小柴 鰔化 石 の産 状。 水 糸 の
間艇 は50 cm
化 石は,0zaki(1958)
が は じ めて 報 告 し, Shikama
&
Masujima(1969) が産 状を 詳 細 に 慄g・し,深 海 竸 二枚 目
の轟 義 を諞 じ た. 逗 子111池 了地 城 に お け る化 石 層 の近 代
的 な 調 査 結 果は.1991 年( 逗 子Ili歓 介 委U 会編) と1993
年に 次 の よう に ま と め ら れ た( 蟹 江 ほ か,1993; 平ll か,
図
2
三滴`r・
島 と呀 総i 畠 にお け る化 学 合盜 ●臉 コ ミュ ニ
テ ィの 廛 出 屬 準 。 ●: csly
μ 衂lla シ ロ ウ リ ガ イ
駲 。■ =jds
g夕
s ス ヱ ヒ ロ キ ヌ タ レ ガ イ属 ・
sIx
・7
・yl キ ヌ タレ ガ イ属( 蟹 江,1996 )
万年 前 の 占 相 模 洌 にあ っ た火山 の裾 野で の海
≪・{x}
底 地 す べ り に ま きこ ま れ た 水 深|.000m 付 近 の 動 物 群
1993)
集 は, 海 底 谷 を 流 れ 下 り 水 深2.(xxl∼3,000m
の深 海 で
スう ンプ( 海 匠 地 す べ り) 堆 積勧 とな り, 噺 集し た シロ
ウリ ガ イ順 の化 石 と池 了一
層 の 複 雛な 地 質 構造 は こ の よう
に し て つ く ら れ た( 図 一5,6). シ ロ ウ リ ガ イ 類
Caly・iptogena2種 の 化 石とこ れに 随 伴 す る 化 石 は, オウ
ナ ガ イ con
d 9α 鈿d 匈l
ada, 才 オ ッ キ ガ イ モ ド キ
Lucinoma spectabile.
エ ソ ボ ラ 贓 品・piutiea sp^
フ ヤ ボ ラB! Fusitrito.
・ と ワ タ ソ コ シ ロ フ ミガ サ モド キ
鰔jla 滷狎as s sp.で あ る( 菅 野,1993).い ず れの 化 石
種 も. 相 模 灣 初闘 沖 に 生 息 す る 狎 と 匙適 し. 産 状 もよ く
似て い る. 相模 湾 , 初 島 沖 の 深 海底 は,IS 問 を かけ てつ
く ら れ た化 石層 か 今つ く ら れ て い る様 子 を観 察 で きる.
火験 場 で あ る.
千恵屬群
白 間 津 哂4、 oMa 千 介 港 南 地 域 か ら 人 形
( 殼 長23 −2
k m) の シ ロ ウ リ ガ イ 愬 2 襌 が 礫 層 中 にrl
″1シ
状 懸で 産111し た. 両 極 と も 新 秤 と 考え ら れて い る( 笈
江 ほ か.1997 ;図 一7). そ の う ち の| 挿は. 間嶋(1992)
図 一3
瞋 浜Ilj大 酒 中 学 岐 の 野 島 駲 鷹 カ マ ク ラ ッ 4 が・1 モ ド
キLuci・s。 附。 ㎞ 剔Gゐa坩IsIs (la b1
イ モ ド キ £sd・ a・s 祁glaS
オ オ・ン キ ガ
&1121, ヤ ス り ツ ノ ガ イ
al 岬鈿lju哨 μ 鳧苟・ 附a1131
が 野島 崎 から 報告 し た シロ ウ リ ガ イ 愬 とIli
】
極で あ る.
三浦屬駻
二崎IS 12
Ma
化 石 コ ミ,ニ テ44j , 二
崎 咄 ド部 の複 雑な 地 貿 構 造 の あ る 石灰 化 し た泥 岩 から.
多 数 の スエt ロ キ ヌ タレ ガ イ04 Acharai の 謄 貝 と と も
岩( 浅賀ほか, 1991)。
三涌層群
JAMSTEC 199e
に 見つ か っ た( 蟹?.iljか .1991) .
池子層4. 0Ma 池 了・
麪のシロウリガイ類
年 第io 眷 靹 2号 (通 巻 第3e 号 )
r7
図 一5 迴 了・ili池 T で の 池 T 膕 の シ ロ ウ リ ガ イ 顛
ca 収丿匈 靭g sl入。
11謾 湾 ト ラ フの シ ロウ リ ガ イ C.s05.a。のla掟 の
咀先 と考 えら れ てい る
3。
葉 山 層の 化 学 合成 助 物コ ミ ュニテ ィ
三 浦1 ゛・
島 巾 火 部 , 横 須 刊1111
池 廴地 域 の 葉 山 層 (15Ma
,
蟹 江 ・ 浅 見 ,1995 ) か ら 化 字 合 成 細 菌 依 作 の 化 乍 合 成 コ
ミ ,ニ テ 4 が 発 見 さ れ た 。 化 石11 集 は 断 晒 ( 当 時 の 海 底
の割 れ目 と 考え ら れ る ) に 沿 っ て分 布 す る 角礫 町 石灰 岩
と 破 砕 さ れ た泥 岩 中 に 存 在 し て い た。 下flyのil 岩 か ら 多
爛 の ダ イ オ ウ キ ヌ タ レ ガ イAcharax Xi
( 図 一8 ) と 炭 酸 監 岩 が 允 見 さ れ.ilS
]Jeosukensis
の生 存 状態 が その
図 一6 迴・frli 池 了 で の 池r・ 駲 の シ ロ ウ ’Jガ イ 垓
cy 卵 鈿g
lsl の 産 状.
シ ロ ウ リ ガ イ類 が醐 峡 賀 炭 酸 塩 岩 や 凝峡 岩 に密 集
L て疼 し . シ ル ト 岩に も敵 在 L てい た
ま まll 石 と な っ た 珍 し い も の で あ る ( 関 一9 )。 キ ヌ タ レ
ガ イ瑣 は 海 底 の 表 哂 に 生 息 す る シ ロ ウ リ ガ イ顛 と 翼 な っ
て 。 海 雌 f 】0∼ 2X〕cnlの 泥 巾 に 埋 没 し て 生 心 し て い る こ
と が 明 ら か に さ れ た (Kanj
c & Kuralllochi,1995 )。
石 灰 岩 は 。 以 素 同 位 体 比 か 低 い こ と か ら メ タ ンをrl む
葉│」 』哂
か
ら
宛 見
さ れ
た 化 石
群
集
狎 1e51
a aa 515( Kanie & Kura m ochi.)995)
はj4c
ゐuz rax
, フ キガ イ
モ ド キ £・ci・ ○笊a acll凾 seg141, Concaoce鈿di・4j 四 εla や
冷 湧 水 起 源 と 考 え ら れ た 。 チ ュ ー ブ ワ ー ム化 石 の 分 析 結
ス エ モ ノ ガ イ 科 の 新 鰔 新 種Wipponolhracia
果 よ り , そ の 生il 環 境 ・ 栄 養 状 態 は , イ オ ウ に 関 連 し て
(Kallie
い たこ とを 示 して い る 。 葉山 肋 の徴 化 石は , 石灰 質 ナノ
種 μ ゆl s s
プ ラ ン ク ト ン・ 浮 遵 性 有 孔 虫 ・ 放 散 虫 よ り 求 め ら れ , そ
ト ラ フ の 沖 ノ│││ 堆 列 や 初g・S 沖 の 現 牛 コ ミ 。 ニ テ ィ に 類 似
の 年lt は |,600 ∼1,500 万 年 前 で あ る 。 底 生 有 孔 虫 化 石
し て い る( 渡 辺 ・ 介 持 ,1995)
か ら 海 底 が│。200
の 水深 にあ っ たこ ともわ
沿 っ て 存 在 す る 粘│ こ岩 &1 源 の 角 礫 か ら な る 炭 酸 坦 岩 と 破
か っ てき た。 炭 酸 塩 岩 の 分 舟 と断 層帯 との 関 係 は, 相 模
砕 さ れ た 黒 色 砧l: 岩・1 』に 存 在 し た 。 新 酒 帯 内 の 炭 酸 塩 冫;
湾ij 鳥 沖 の 相 模 1 ラ フ に11jす る 陸 棚 剥 而 の 麓 付 近 の 海 底
に は キ ヌ タ レ ガ イ 類 と チ , − ブ ワ ー 厶( 長 沼 ほ か.
の 棟 子に 酷 似 し て お り , こ こ がlll斬│ltの プ レ ー ト 境 界 に
な ど の保 存 の良 い 化石 も多 量 にさ まれ て い た。
∼│。600 m
起 因 す る 地 貿 構 造 帯 で あ・, た14 能 性 が 謚 測 さ れ た 。 葉 山
&Sakaj.1997)
な ど のl
g,・
沺 ㎡s
校 具 と エゾ バ イ属 の新
n. sp. な ど の 巻 貝 な ど か ら 構 成 さ れ , 相 模
。この 化 石 剖 集 は断 晒 蜃 に
葉 山 刑 か ら 発 見 さ れ た 軟 体 動 物 化 石 摺 は, Acharax
199a)
を
層を 堆積 さ せ たト ラ フ は。 プ レ ー1沈 み 込 み (断 層 )の
多 塵 し. Caly・・plogena
位 置 を 礎え な が ら , い ま の 相模 卜 うフ と陸 棚 斜面 の 境 界
( 渡 辺 ・ 介 持 ,1995:fl
付近 に ま でな 絞 し て い る と 考え ら れ る (槇 須 賀巾 文化 財
棚 斜 而 の麗 付近 の 中部 漸深 海 帯 の 泥 巾 に 生 息 す る シ ロウ
調 査 報 仁 溽。29
リガ イを 主と す る化 学 介成 コ ミ。ニ テ ィや ,遠 州 測 の ツ
y∂
吁 ,1995 {│り 。
が 少 な い こ と で特 徼 づ け ら れ る
野 ・ 蟹il:。1995)
JAMSTEC 19
, 棚模 湾 の 人陸
恟 年 第10 笹 第 2号( 通巻第3S 号)
図 ・7 ゛l.I,1町 リ ンら.・:│・iisi.rw、.・;ン :: 1‥1, ’jl
彳al・2 が M・
(・眈, 剴 り!f・,ij opiJ : 蟹,j : M・・, 19!I・;I
4・ が 4 モI・.・ 4・や1・・ yj・ ガ ド・i を 泌,III!1、, リ 麪li りJ瞞I 戉 か
I」
り ぶ る . 狄 ..11 か ・199jl 凵 こよ む:.= , 化 学 介lj冫」
1 ∼0.F, M;l g l・ 総.M 』:L1.
ミi "
j・ ゼ とJI詞1 ・J る111COj・ 孔 圭 訓 りし こよ る:'I 水, 妲:l:1 部I 濮・,
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j り・こj さ ら に, 欠 い│ 一部 渺詞 謡j・ヽ,l 洵 帯 に 移・・,'J か.
j む る 人:lll・こ陥 桟・ll'る 乃μ り 埋 回, 卜 yノロ・
う い,
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穴1,1.さ れ た..・F・-
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日 本 各 地 の
か!
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咄! 缸. , で オ りj) 酸 化,Jも;.: こ ほtl・・j・
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り こ. 房 琵 T 島 の・lylll 脯jlh)III ゛木jl やj ■:i h M ぷ:
KI),・.1I1IC。:hi.19!J5;
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化・7 合 成 〕 ミ・- づ・
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図 一10.11)
1 ぶI:j.
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れ る 炭 酸 鴆.11;14・6・),・1,・メ」,2r,n 草 ・io
表
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n a 埖 ・ 栄 a・MI 弓y, ヽyx・・ 九・) 々
い た こ. 七 を 小 嗄 レc' い る
シ ロ ウ リ ガ イ 類 化 石 コ ミ ュ ニ
■■/■}-り・ ぴ)lり: い=)
牛 i ?i;
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か , こ れ ま で 裂 吁,1111: 発 Q さ れ・ こ い な い.
総.T μ:,;.;Ilf;!; 漸 湎 μli・;:
吁: 沍 て . ソ にート・・)IQly,I.1・li!│・.iこ
λ | か・ リ=
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:こ し ・.い い:i.出 陬 か ¥ く . 辻 続 的 ら ? ぜI
剞 │ μ│り?. 出 をjn
、、AMSIIC 1998
り111.
り n j. ・│・
ヽ 9=
t
ll M;19「
毎 罵10 卷 1 2 七べ 過 忝第38
引
n り11111
,:.,j 目・ 鳬 ・ 司 総II ゑ・地j,如
:j
川ljl・.fり)jt!
19
冖
図 一6 横 須 賀lli
池 上で の 葉│││
屬内 の 断層 から 嚶出 し た
f ,− ブワー 厶の化石
図 一11
北 海辺 小 卜
’ 町白 亜 紀 セ ノ マニ ア ンの中 部 蝦 火 屑 群
4.化学 介 岐 コ ミ・,4 ヽ
尹孑の生 息 環 娩 ( 蟹 江 ほ か.
1996 )
5.
シ ロ ウ リガ イ 類 研 究 た め の 海 底 と 陸 地
フ ィ ー ルド の保 全
図 一10
長 野 以 四 賀 吋 赤 怒 山 ジ
)別 属 湎 庁 rウ チ ム ラ シ ロ ウ
リ ガ イI Calyptogena
<117
臾
{Adutom
) と 「シ ン カ
j αxゐ戸ajjl 必lsaa
ヌフ}・c力imuraensis
イ ヒ バ
リ ガ
イ 属.J
・ ㎡a・ss £s< 右 上 >
化 学 合成 コ ミュ 乙 テ ィ の化 石を 含む 地 層を 副 べ るこ と
に より 。 コ ミュ ニ チ 4 の生 且 環境 や地 球 科学 的 環 境 の 過
去と現 在 の 深 海 の 情 報を 剥 べるこ とが で き る。
相 襖 灣 で 生 き て い る シロ ウ リガ イが 発 見さ れ たの は。
跡 す るこ とか 可能 な 壊 滅 で あ る。 こ れ ら の化 石 コ ミュ =
わ ずか13 年lnの1984 年 の こ とで あ り, こ の年 に 潜 水 調
タ イは, 現 在 の柑 咬 }ラ フの 化 学 合成 コ ミ ュニ 夛 ,に 連
査船 ″しん か い2000_ がは じ めて 扣 摸 灣底 を 調 査 し た 成
続 す るufl 憺 が強 く , 裂 心 各 種 の 系統 分類 を 考 察 す るう
巣で あ る。 化 学 合成 コ ミ ュニ テ 4 の愈 義 か解 釈 で きる よ
え でll 匐 な 7 4 − ルド とい え る。ISlnl軸 の な か で。 】
5
うに な。 たの は。 ご く最 近 のこ とであ る。 生 きて い る 化
Ma と,
IMaに 化学 合成 二jミュ ニ テ ゼの 産 出 が 集巾 し て
石 の ミト コ ンドI; ア DNA 壇 基 配 列Eこ駅 づ く 分 子 系 統 解
い る のは, 海洋 プ レ ート の 沈 み 込 みに 関 連 し た肖時 の テ
析な ど か ら, 化 石 の逓 伝r・情 報 すら冫 み と るこ と が で き
クト ニ ク スの 事 変に 関 係 し て い た のか もし れ ない。
るよ う に なー。 て き た。
2∂
JAMSTEC 19
洳 年 罵10 巻 第2号〔通巻罵38 号〕
良 一1
筆 者がH 本 各 地 で調 査し た 化 学 合 成 動 物 コ ミ ,ニ チ イの化 石。 Ma は100 万 年 前
三 禰1 島 と 房 総 ¥ 脇 の1 μX) 力 ∼70 ヵ 年 前 の 地 層 に
は, 過 去 か ら現 在 まで のほ ぼ 連 続的 な プ レ ート 塊 界 ので
剩Sp.
4 )Iifl
きご と が 記 録 さ れて い て, 相 模 湾 の 深 海 底 が地 枩 の たぴ
光 ・ 有 馬
眞
・ 秋 元 和 賀
・閾 Ⅲ 尚 武
(1991
):Ji
浦 屑 膺 の 二 崎 屑 か ら 発 見 さ れ た シ ロ ウ り ガ イ 嘴 コ ロ
s 4 . 横 須 賀11j 埓 听 報 (rl 然;). 39.
に 隆 起 し 陸 地 と な って い っ た 重 要 な 愉 報 も 得 ら れ て い
る。 こ の よ う な フ ィー ルド は。 逗 子ili池 子で 化 学 合成 動
嶄 心 義 塾 幼 龝 き.
5)
蟹ir
瑞 光 (1993
93-94.
): 逗 子 市 池 子 地 域 の 已 油 層 群 上 部 の 鰔
扣 と シ g ウ リ ガ 4 賦 化 石 届 . 池 子 シ ロ ウ リ ガ イ 順 化 石 調
物 化 石 コ ミ, ニ チ イ(M −5) を 含 む 地 層 の保 存 と研 究 で
話 題 と な り, シロ ウ リ ガ イ研 究 の エ ポッ クとな っ た。 横
麌 最 終 懶 含*.
6)
須 賀 市 池 上 の1,500 万 年 前 の 葉山 屑 で も化 石 の 文 化 財 調
49-61
横 浜 防 衛 廝 殷 Q.
一 浅 見 戊 雌 (1995
啣 の 駲 序 と 年l t
査 が 行 わ れ た が, 叫 化 石 産 地 は 共 に 土 地造 成11 業で 破 壊
さ れて し ま った。 相 模 湾 で の シロ ウ リガ イ研 究 セ ンタ ー
蟹 紅 罎 光
瞋 狐tllli
): 二 浦 半 島 の 中 新 統 葉 山 閥
文 化 財 調 食 報 告 書 ,29.13
−
17.
7)
蟹 江 滷 光
一 良 持・;4 司 ・ 浅 見 戊 雄
一菅 野 三 郎
(19S
):XE
墻 ’1!
島 の 中 断 統 攜111 鰄 群 産 キ ヌ タ レ ガ 4 類 . 横 須 賀Ili 文
は, 海 洋科 学 技 術 セ ンタ ーに よ って 設・7 さ れ。 世界 の 先
化 髯 調 査 似 告 蹲 ,2S ,S7
端を 行 く調 介研 究 成 火を う み だし たが。 濠海 から 生 ま れ
8)
た三 浦 拏島 ・房 総 半 鳥 の化 学 合成 コ ミ, ニテ ィが含 ま れ
Kanie.
Y. and
Kuramochi.
T.!1996) : Gigantic
芦 iatlji f xs・. n. s11 from lt
る フ ィ ー ルド に シロ ウ リ ガイ 類 の 研 究 セ ン ター の設 立が
m ation ol lhe Mi
待 た れ る。
& £ ・ 畩ll
9)
( 以 下, 次 号 に 縊 く)
−61.
x・ Miocene
lira Peninsula,
j・ぐ轟s 囎 x
llay a皿 a Fof,
south-cenlrdl Japan・
yiig li g CityMus.。42.51-57.
蟹 江 驤 光 (1996
): 中 新 統 莖││ 』
屬 の 化 字 合 成 動 物 扉 集 の
生 息 環 境 と 二 浦 ・ 房 峨 埴 域 後 期 新 生 狎 の 群 集 . 化 石 ,60 ,
53 −S8.
sI
羶
文
献
・ )
1) 秋 元 翻 實 ・ 佐 賀 寿 災恵 ・lj』
Ⅲ 和 枝 (19s5):"JUT-CM*
新絖 鴦山 鰔 牒 の底 生 町 礼 虫 群 集 とIり環 塊
横 須 賀lli文化
叫調 査 報告 魯.2 氛4s −49.
2 ) 浅 賀 正 義 ・ 金飼 久 夫 ・ 伊 豐 義 彦(1991):
躙( 鮮 断絖 ) 塵 シロ ウ11 が4 順 の 殼 彫 態 の特 徴. 横 須 賀
・¶i
膊研 報( 自 然;). 39. 51-59.
一 吉 川 t 叙 ・ 坂JI
{rl 鴬 }, 鍼6S
1)
耨総 半島薦滝
蟹 江 罎 光
民 江 ・ n 紬 卓 司 (19 魴 ): 北
海 道 白 ● 紀 の 化 1! 合 岐 勦 物 謌 集 の 復 元
K alie Y.
横 須 n 市 膊 研 報
−74.
and Sakai
Thracud Bivalve MS
T. {│ 剪7 }:Cbemosynthetic
御 雌c 滷r sd l S en. ●o v.1r 6 m the
L(ywer Cretaceous and the Middle Miocene
mudstones in Japan. Vtmis.
Japan.
Jour.
Mafacol..
56.
3 ) 馬 鳩 ● 良(199e ):詞 朿 地 方南 氤 上総 屬 群の 貝 化石l .
JAMSTEC 19
略 年 罵10 魯 罵 2弓 ( 通 魯 第38 号 )
21
籌8 −2 加.
20 )
12 ) 餓1【 康 皃 ・ 瑕 屬 陛 男 ・ 倉 持 卓 司 一同 田 尚 武 ・ 大 場1 ま1
遊・
Ozali,││.11958S : Stratigraphical and paleontologies!
sludies onlhe Neo曾ene and Pleistocene formations of
本 間 千 舟 (1997 ): 房 総 半 島 崗 端 の 千n 屑 扉 疼 シ ロ ウIS
the Tyfei District
が 4 垣 2 種 . 地 質 亂le3
182. pi. 1-24.
,79・ −?97.
13 ) 菅 野 Ξ 郎 (1993 ): 池 f 痙 ’シ o ウ リ ガ イ ’1 匕石 町 に っ い
21 )
て ( 徊 2 ● ). 池 子 シ ロ 9 り ガ イ順 化 石 調 食 験 終 報 告 書.
横 狐 賀ili文 化 財XI 龕 報 告 S.29
木 台 舳 外 側 瞳 棚 柮 の 化 学 合 成 化 石 群 集 . 地 質 轤.1
22 )Shiklma.
,51 −56.
長沼
覩 ・ 麗 部 睦 男 ・lil
&cX15,61
23 )
康 光 (1985 ): 一元滷 ’1!
鷂 の中
畢
査 報 告 書, 29.
77
-87.
24 )
Ta・ari Silt Formation in the
Kakegawa
●
『■ea. ce ・trai Japan. aS
W
a
gy a剛f Paitoecotogy, 1 叺27 40.
i
18) Nkitsuma.
N
Matsushima.
Y. and Hi
Abyssal molluscan colon? of
oene strata
Palatogngr.,
01 the
(1989):
71.
193-
三 浦 半 鳥 の 中 新 眺 董│││躙
横 浜 化 石 研 究 会(1993):
野 魯層 只 化石 の研 究
横 浜ilj立 大 道 中 学 校 狡 地 内 の
畢 成 4 年 度 横 浜 市 立学 校 教 職 口 研
究 活 働 奨 励 事l 研 究 報 告.9p.
27 )
横 須 賀,li池 上 紬 区 シ ロ ウ リガ イ 黼 化 石 調 査 圃 (ISS
):
葉 山 屑 群 の 断 璃 破 同囑 か ら 兇SI さ れ た 化 予 合 成 生 勧 群 .
19 ) Ogas war4 K..111
sada.K.ald Xilada N,g19 恫 ):Early
Mk xxnl(S 屶》lc
柵四grri )m tit Aokiy
Hot* Croup. Boso Peninsula,
22
26 )
ie PIo・
諦3.
GtucL
24 ― 41.
耆 ,2S ,71 −76.
rata, a
PaleectcoL,
1(H.
渡 辺 政 美 ・ 倉 持 孝 司(1995):
露 産 化 学 合 成 軟 鉢 動 勧 化 石 相 . 横 幼 賀11j 文 化 財 澗 査 報 告
Peninsll 氣 cenlral Japan.
PahuoclunatoL
一江 ● 哲 人 ・ 蟹 江 瑞 光 (1983 ): シ ロ 9 リ ガ イ
鴕│││§117`・ 鬩 嶋 隆 一 (1998 ): 外 側 陸 棚 扣 の 冷 勧 水 性 化
W/L
25 )
s冢嘱gy
lS X
Q め 懈 嵋lsiat
Miura
− 剥.pl s5 −7.
朝彦
? 合成 化 石 群 集 一 下 郎 吏新 枕上 総 層 群 小 柴驥 の 例 一 . 墻
舳 ・旭鴣・rai (Bivalvta : Ve&icomyidac)
lhe Pliocene
ε1,・i
・.
イ 類 化 石 調 査 最 健 欄 告 書 , 弱 一気
1? ) NQbuhai & T.and T11●ka. T.11993 】:Paleoecotogjr ol
jt ゐ●うilsE
is
lhe IkcgO-
滷 g・ ・jVg11
頌 化 石 屑 の堆 積 環境 と 諏海 底 湧水 裂 象. 池 子シ ロウ リガ
新統 葉 山櫚1 産 チs − プ り ーÅ 化 石 . 横 須 賀 市 文 化 財澗
from
叺
(1969): Qlantilalive
鵑0111scan assemblages in
Nojima Formaliona &ijlOayoi
総 半 島 南 端 蕕 第 三 系 か ら シEI ウ リ ガ イ (( M 》j
吮窰四 ●
373-376.
T. ●
ld Masupma, A.
slldies of the
閥 嶋 贐 一 ・ 輾 巓 癲 子 ・ 内 村 隆 一 一本[│ 良 史 ( )992): 房
sp.) の 発 見. 地 質 糘. 96.
16 )
−
1065 −│(黼.
菅 野 三 郎 ・ 蟹 江 瘧 史 (1995 ): 三 浦 `鮓鳥 の 菓 山 駲 群 産 シ
ロウ リガ イ筑
15 )
叺4.1
柴 崎 琢 自 ・ 闖 嶋 随 一 (IS97 ): 中 郎 甕 新 統 上 総 鰔 劃 柿 ノ
123-161.
M)
Butt. M11 £ Sci MI&,7113
Univ. Tstikuba.
Japan.
20.33
・●a Formation.
A・in. Refits Inst
橘 幼 賀 市 文 化 財 調 査 報 告ft.
28 )al
23.
100
p.
子,lia 背 委 口 会 ( 編 )(1991 ): 諞7111 池 孑 の シ o ウ り
ガ イ順IUi.
諞 子 市 文 化 畤 凋 龕 報 告 魯.14.
群 p.
- 37.
JAMSTEC 19
鴒 年 餓10 魯 第2号( 通巻第38 号)
Extremophiles ’98
(極 限環 境
微生 物 国 際 会議) 開 催報告
(速 報)
フロンティア研究推進室 研究事業課
平 成10
年IJ
]18
LI { 凵 ) か ら22 1 」( 木 ) の5 HI:;│
,
槁 浜 巾 の み な と み ら い 咄│ )
くに あ る バ シ フ 4 コ ・Ej コ ハ マ
允 表11 ,「 遺 丿
云子 及 び 分 子 生 物 学 」
「 タ ン パ ク 賀 の 碚 感・
及 び咄 能 。
「 生 理 学 及 び 代,凅│r 生 態 学 及 び 多 陳ヤll
 ̄
ゲノ
国 瞭 会 議 セ ン タ ーに お い て. 極 限 越 岐 微 生 物 哨 究 に か か
ムj ’jg壇 。の 6 つ の ジ ャ ン ル に お い て 行 わ れ , 臨 発 な 諞
わ るll! 界 最 人 の│ 吋際 会 議 で あ る・ Extrenlopllile s ’98(li
富 が 交 さ れ ま し た。 宛 表 さ れ た 研 究,淪文 の う ち , 乍 な! ,
限 環 墳 徹 生 物│ 吋際 会 駿 , 議 長 : 掘 越 弘 毅 海 洋 n・ ? 肢 律i セ
の は 以 ド の とお り ですっ
ン タ ー 深 海Ji 境 プ ロ グ ラ ム ・ グ ル ー プ リ ー ダ ー )」が .向
洋14 ? 枝 術 セ ン タ ー 主 餤 , 科 学 技14j 斤 岐 ぴ H 本 叫 団 の 後
槻 の も と で ,111 界33
ヶ 閥 か ら 約100
・「 火星 の 生 命」 に つ いて
Cう ち 外lli 人 豹
近 年, 火 星 の衣M にお け る 生 命の む:
在 の 可 能 性 は が定
130 名 ) の 参 力││
を 偲 て , 成 功 片 に 開 催 す る こと が で き ま
さ れ つ つあ る が, 水 の/μE が乱 明 さ れ。 海 底 下 に熱 水現
し た.
象 の 可 能性 が示 唆 さ れ, そ う し た現 象 に 生 命 が 存 在 する
本 川 際 会 議 に お い てlj.
国 ・ ウ
講 演.20
ッ
名
据 越 グ ル ー プ・; − ダ ー 及 ぴ 米
司 能 魅 は 否定 で きな いこ と が 示 され ま し た。
ズ ポ ー ル 海 洋 研 究・li の ヤ ナ 冫 ユh9 1j に よ る 特 別
】件 の 研 究 允 表( う ち ポ ス タ ー 発 表116
件 )岐 び
・ 「 地下 生 物 圖」 に つ い て
パ ネ ル デ ゼ ス カ・y シ ョ ン が 行 わ れ , 1 たj11 界 の 著 名 な 研
地 卜・Xlシ
物 圏 は 地 球 上 で 膿 も 人 き な 体 諮 をIlj・
め る生 物 圏
究 者 が 災 い ,1111‘.の 交 流 を 深 め る こ と が で き , 本 分 野 の
で あ り , 新 た な 生 物 を Q い 出 せ るllJ脆 性 を 秘 め , 生 命 の
哨 究 の 発 展 に 介 心 義 か つ 多 人 な1
‘1 献 を り え る こ と が で き
起 源 ・ 進 化 の 解 明 に 関 す る 人 き な ヒ ン ト かi!!ら れ る こ と
る と と も に . 海 洋 科 学 技 術 セ ン タ ー に お い て推 雇 し て き
が 示 唆 さ れ ま し たっ
た 深 海 徹 生 物 研 究 の こ れ ま で 7 年 間 の 成 果を 発 表 し て総
括 す るこ と が でき ま し た.
JAM
ST EC 1998 年 男10 巻 罵2号( 通魯罵38 号)
2、?
ま た, パ ネ ルデ ィ スカ . シ .冫 に お い て は,「 極 剛 環 境
・ 「ゲ ノ ム」 に つ いて
徼生 物 の将 来」 と騙 し, 掘越 グ ル ー プ19− ダ ーの 進 行 に
今 後 , ゲノ ム生 物 学 が 次 世 代 生 物 研 究 の中 心 と な るこ
よ り, 米 隗 ノ ルウ X −,碑国 ,日 本 及 び EC か ら 著 名 な
と が予 測 さ れ て お り。 現 在 世外 中 で 極 限 徹 生 物 の ゲ ノ ム
研 究 者 及び 行 政 食 に よ り, 有 意 義 な意 見交 換 を 行 う こ と
解 析 が進 めら れ 。 多 大 な 成 果 が 挙 が っ て い る ( 未 知 蛋白
が で きま し た. そ の結 繋. 本 分 野 は. 宇 宙 の地 球 外 生 命
質 の有 効 利 用 の 可 能 性 な ど ) こ と が, 本 会 議 の 発 表 か ら
や地 球 深 部 の生 命な ど生 命 の起 源 や生 命 機構 の觧 明 に 不
伺え ま し た。 ま た, 当 セ ン タ ーに お い て も ゲ ノ ム 研 究 の
可欠 な 科学的21 篦 が存 在 して い る に もか か わら ず, ま だ
初 期 の成 火に つ い て 発 及し ま し た。
多 く の縢 題 が残 さ れて い るこ と. ま た, バ イ オテ ク ノロ
ジ ーを 活 用 し た産 業化 へ も多 く の 期 待 があ るこ と, さら
・ 海 洋 科 予 技 術 セ ン タ ーか ら は ゲ ノ ム研 究 の ほ か 圧
に, 海 洋 の生 態 系 や環 嫡 汚 染, さ ら に は 新 たな 資源 な ど
力/ 圧力 生 躍 学 と して , 好 圧 性 細 薗 の遺 伝 子 発 現 の メ カ
に 対 す る徹 生 物 の 役割 や活 用 の 可能 性 があ るこ とな ど ,
ニ ズ ムが, い か に 圧 力 囚 子 に 制 御 さ れ て い る か に つ い
極 めて 循 要で あ り. 期 待 が高 い こ とが 示 さ れ ま し た. ま
て , ま た, 高 圧 環 境 が生 物 に と り て ど の よ う な 生 理 学的
た, 極・ 鳳 境 と して 海底 下 の超 深 度 に お け る 徹生 勧 の生
な 彫 響を 与え る かを 調 べ, 新 たな 学 問 分 野 と し て 「 圧力
存 とこ の生 命 機 構 の解 明 を 進 め る た め の濠 海 掘 削船 を 用
生 理学 」 の推 進 を 提 唱 し, 内 外 の研 究 者 か ら 賛 同 が 得 ら
いた
『il靡的 な 研 究 プ ロ ジ, クト の意 義 とこ れ へ の 期 符 が
れ ま し た。
述 べ ら れ ま し た.
24
JAMSTEC 19
笥 年 第10 眷 第 2母( 丑 ● 第3 皐号 )
海外 事 情
センターの海洋観測研究に関する
国際委貝会への参加活動について
海洋観測研究部 菱田 昌孝
M ●U lみ&・HISHIDA
3.
1。
は じめ に
海 洋 奴 測 研 究 都( セ ン タ ー) 研 究 者 の 関 連 す
る 国 際 委 員 会 の 位I 付 け
セ ン タ ー は 雌 近 の11 覚 し い 研 究 鳩 動 の 宛U 及 び セ ン
タ ー研 究 員・ 技 術 占 の 努力 と柚 進 に よ り, 様 々 な国 陬 布
111 TIP:
無 略 大 気 海 洋 計 百 実 行 委 員 会(IG
TIP はCLIVAK
圃 連)
か 支援 し , 末 川 海 洋 人 気 斤( NO AA)
洋 科 伊 研 究 計 画 及び 委U 会 への 嘖 似 的 活 動 と 参 加 か 可 能
が 柵 置 す る T AO ブ イjl・肖 を 順 調 に 雛 帖 管 理 す る た め の
とな り, 国 際的 に 見て , 海 洋 収 測 研 究 に 関 す る 本“1の 心
観 測 舳 を 宍lSiで 挫 供 す る な ど , T A(りt 画 に 協 力 す る 会
味 で の 発 展 と 信 頼 性 の 獲 得 がで き る,y.場 を 築 きー)-) あ
4 . 現 在 でl よ納 帯 人IRi洋 域 のPIRATA
る。
SCSMEX
,1・jシ ナ 淘 の
, 為 帯11q部 太・l'一
洋 の TRI
T ON 等 の 計 呻i推 進 も
jl議 し て い る。
2, 国 内 研究 者の 国 際 委員 会 へ の 参 加
向ii 地 球11 ? 叫 連 の 川 節 I U 会 へ の114
代 ぷに 増 山 さ
れ 参 駄jL て い る 我 がl 啝) 研 究 ♂;の 例 と し てlj.│││ 彫 悛 劣
柬 人教 授 が G
〔x 〕
syGcos
人 最 授 がCLIVAR s
ooI'c 111.
花 輪 公 錯 啝」ヒ
sG(│) eccEN 1
1
1冖) I U , 才胄 敏
朗 名 人 教 授 がIGllP
−JGoFs.
が1GBP
1 11. 住lhF. 東 人 乱 候 セ ン タ ー1114
GLOBKC
が w cRP 一亅sc 111.
杉 本 肺。成i 人 肖 洋 硝 教 授
安 城fi
゛。
筑 滅 人 教 授 か GEw Ex
耋11^S を 勤 め て い る 。 こ う し た 各 分 野 で 蓍 g な11 学 占 も
峨 米 に 比 べ る と│・i際 I U 会 へ の 参 加 活 動 の 経 碵 は 比 較 的
DAE:
世 界 淘 洋 デ ー タ 同 化 実 碵(1 ∼4G
関 連)
】996SI・:12 月 切 か らj ¶
φj さ れ た GOD AE は 衛jd と 裂 場
浅 い 人が 多い 。
ま た烏 刈 良│リIセ ン タ ー 嚠1:1( 海 洋 観III研 究 袒“1:H'iH
4 海 洋 学 会 会 長)
{2
j GO
は ,IAPs o(IQ
際 洵 洋 物 円1学 連 合)Mll
観 測 デ ー タ を り ア ル タ イ ム 乂lj 呷;り ア ル タ イ 厶 で 収 集
し 。 モ デ ル 改良 に 役 l て , 海 洋 人 鄒・環 の 完 全 な 記 述 や 予
会 長 で あ り , セ ン タ ー の 海 洋 観 測 研 究 を 指19 し て い る
節・Ilj 規 模 変 鯒1 `溂 に 資 す る こ と を││ 的 と し. CEOS-
か ,97 年 6 月 に 閧 饋 さ れ たIAlls o ・IA M As (lil際 気 象
IGOS.
学 ・ 人 乱 科 学 協 会)nl・・│ 人 会 に 参 加 し ,IAllsx) 執 行 麗'lg
れ る。
GOO S,GCOS
な ど の 癶 川 際jl 一
両と関連し催進さ
企 に││ 本 代 表 と し て 山 鹿 し た 。
な お. IAPso は 海 洋 物 理 学 の 梟,興 を││ 的 と し て 2 年
ご と に 。 戡ri 人 以│ この 世 界 の 肖ii 研 究g・ か・ 9 に 企 す る
学 術 シ ンポ ジウ ムを 闊 僖 廴てい る 。
JAMSTEC
19惆 年 弟10 ● 第2号( ●●I S 号〉
25
g31 ACSYS-SSG :
北極気 候 シ ステ ム科学 運曾金議
ら 成 る 会 議 で, 北極 研究 の計 商 立案 ・ 推 進。 各 種 の国 際
研 究 と の 調 整 を 行 い, WCRP
(3G 関連)
―JSC へ の助。i を 行 う。
ACSYS −SSG は北極剞究に関する代友的な研究者か
441 SCOR −WG96:
海洋研究科学委員会(2G 関連)
においてWG
96は, 音波を 利川した海洋観 測 シ ステ ム
御洋研究 者の 集 合で国 際JtSi推地 母体であるSCOR
研究の有効性を検討するため の作業 委μ 会である。
{53 GOOS-GSC :
97 年6JI よりGSC は41学技 術研究 者と観 測現1 機関 の
(1∼5G
世 界海 洋観 測 シ ステ ム実 行 委 員 会
代表を加えてJ-GOOS
関連)
21 11!
紀 の 海 洋科 学 研 究 を 促遭 す る と と もに ,海 洋 監 視
シ ステ ムを 作 る│吋連 事 業で あ るGOOS
IS) PI
CES−W G9,WG13:
計 画 に お い て,
北 太 手 洋 淘 洋科 学 機 構 作
裏 委 員 会 (2G,5G 飃 連 )
PICES ( 北 太 平 洋 海 洋科 学 機構 ) は 漁 業 資 源を中 心 と
2∂
(科学岐術合同 委員 会) から衣
替えして誕生した。GOOS のプ ログラムやモ ジ。− ルの
検討を行う。
す る海 洋 活 動 の 推 進 調 整 を図 る た め に 発 足 し た政 府 間 雄
構 で 条 約 に M づ き北 緯30 度 以 北 の 北 太 平 洋 に つ い て 而
洋 科 学 調 査 の促 進 ・ 調 整 と 海 洋 情 槻 ・ デ ー タ の収 災交 換
JAMSTEC 199
客年 罵10 巻 罵 2号(通巻第3S 号 )
の促 還 を 行 う よ う 各種 の WG を 作 り,H 豕 米 国 。 カ ナ
そ れぞ れ参 加 し て い る。 ま たNASDA,
ダ, 中 国 , ロ シア, 偉 閥 の参 加 に よ り 活 働 し て い る。
そ れ ぞ れ の 戉場 か らGODAE
WG 9は 亜寒 帯 太 平 洋 モニ タ り冫 グ の観 測 手法 ・jl・画
作 成. WG
13はJI 太 平洋 の CO1循 環 と収 支に つ い て 検
討 する 作1 委 員 会で あ る。
フロ ンテ ィア も
会 合の支扱 と参 加を行う
こ と と して い る。
モデ ル と観 測を 結 ぶ海 洋 デ ー タ同 化 は 欧 米 が 竸 って そ
の成 果を 挙 げつ つ あ る が, 日 本 も海洋 科 学 水 準 の 向 上 を
J めら れ, 第 2回 会 合は98 年 7月 6日∼10 日 に 東 京 で
4。 セ ンタ ー研 究 者の 国 際 委員 会 への 参 加
開 航 さ れるこ と が満 場 一致 で 餓同 さ れ た。
海 洋観 測 研究 部で は 各分 野 の 研 究 者 が 日 本 代 表 と し て
以 下 の咽 際 委員 会 に 参 加 し。 柚 極的 に 活 動 して い る。
(3) ACSYS-SSG
滝沢鑛梭
WCRP
(II TIP
(TAO Implementation
代 表: 海 洋 観 測 研 究 部 長
WMO
(WCRP)
委 員 : 主 任 研 究 員( 叢 3G 主 幹)
Pane
l) 研 究 機 関
菱田 昌 孝
の 北 極 気 候 シ ステ ム 研究 科 学 運 営 委 員 会
( ACSYS : Arctic Climate System) の第 5回 会 議 が96
年10 月 コ ペ ンハ ー ゲ ンで 開 か れ。 専門 家 と し て 招 待 さ
( 世 外 訊 象 槻 関 ) の 推 進 す る11!界 気 候 嗔 究 計 画
れ参 加 し た菱田。 滝 沢 は セ ン タ ーのチ , クチ ・ ポ ー ホー
の 一 瓜 と し て. 1985 年 か ら10
ト 海 で の 北 極 海 研究 活 動 や ブロ ンテ 47 計 両 を 紹 介 し,
年lllj
実施 さ れ た
TOG A− TAO( 熱 帯 大 気 海 洋 計 肖 ) の 火 行 餐 員 会(TIP )
菱 用は ACSYS 委 員と して 滝 沢3GHtt
研 究 機 関 代 表 と し て 菱 Ⅲ11 孝 が 増 山 さ れl 加 し て い る 。
WCRP
地 球 奴 模 の 気 候 変 動 は 日 本 だ け で な く 県 界 的 な 陽1 ヽ事
議 艮H. Grassl 及 びACSYS
91 し た。 こ のACSYS-SSC
を推薦するよう
議 長Aagaard
に要
にお い て 委 口 改 選 の 驚 議 が
で あ り , こ れ に 極 め て 人 き な 貢 献 を し て い るTAO-
行 わ れ。 セ ン ター の 貢献 が盟 め ら れ た。 日 本 代 友 と し て
Buoy
滝 沢 は,97 年3JI のWCRP-JSC
の 維 符 管 理 に 米11q而 洋 大 気 疔 太 乎 洋 環 境 研 究丿両
(N OA A −PMEL)を は じ め。 フ ラ ン ス , 日 本 , 台 湾 等 の
(合同 科字 者 会議) で
iE 式 承 認 さ れ た。ACSYS-SSG II.
ACSYS の 研 究3t
各 国 が 参 加 し て い る 。 特 に ヱ ル ・ ニ ー ニl , モ ン ス ー ン
襾 立 案 ・ 推 進 。 各 種 の│司際 的 気 杖 変 動 研 究 と の 調 整,
変 動 予 測 に 必 狐 の こ の TIP は1995111
WCRP
候 変 動 予 測 計 両 (CLIVAR
か ら開 始 さ れ た 鍬
) に 引 き 継 が れ て い る。
任 期 は97 年4Jj か ら2000 年 】2 JI
ま で で あ る。 構 成 委
セ ン タ ーは 日 本 の 代 表 的 海 汗 研 究 機 関 と し て 新 たに
TRITON
プ イ計 画 を 推 進 し て お り , こ れ はCLIVAR
究 計 画 に 正 式 に 認 め ら れ た 。96
開 か れ たTIP
―JSC へ の 助 言 を 行 う こ とを 目 的 と し。 滝 沢 の
flf
年I 】月 イ ン ド の ゴ ア で
員 は 米国, 英11. カ ナ ダ,ド イ ツ, ノ ル ウx −, ロ シア,
│亅本 な ど か ら12 名で , 議 員 は 新 たに 英閥 パト レ ー ・ セ
ン タ ーのH. Cadle が選 出 さ れ た。
に お い て ,jU 来 の T 】P 委 口 であ っ た 宗Ill 1
G t 幹 か ら , 新 た な T RI
TON プ イ 引一1
肖火 施 の た め 全 員
(4) SC0R-WG9S
‐ 致 で 承 認 さ れ , 菱Ⅲ に 交 替 し てい る。
海洋 研 究 科 学 委 員 会SCOR
委 員 :2G 主 幹
on Ocean Research)
(2 ) GODAE 支 援 者 会 合 委 員 : 海 洋 観 測 研 究 部 長
・
田l 孝
やATOC
(Scicnlific Committee
の 下に 。 海 洋 町響 ト モ グ ラ フ ィ ー
な ど の 音 破 を 利 用 し た海 洋 観 測 シ ステ ム研 究
の 有用 性 検 討 の ため, ワ ー キ ング グ ルー プ96 が91 年に
GOD AE ( GIobal Ocean Data Assimilation Experiment) は2003 ∼2005
年に 実 用 化 段 階 と な る地 球 規 模 の
設 置 さ れ た。92 年 初 夏に 米 国 サ ンデ ィエ ゴ の スク リ ッ プ
ス海 洋 研 究 所 で 第 1回 会 合 が 闘 催 さ れ た が, そ の 席 で
海 搾 デ ー タ 同 化 実 験 で あ り . 地 球 観 測 噺j11と 現 場 観 測 の
ATOC
デ ー タ 利 用 を 促 進 す る こ と か ら , 日 本 で はNASDA.
な る こ と が 決 ま っ た。
JAMSTEC
中 堅岩男
の ほ か 気 象 庁 ,海 上 保 安 庁 . 大 学 な ど 研 究 と
現 業 の 双 方 の 機 関 が関 与 し てい る.
す な わ ち97
年 7 月 の 仏(Martinique)
計 画 が 紹 介 さ れ. WG96
で の準 倒 会 合
の推遭機関と
続 い て。1993 年 初 夏に フ ラ ン スの 第 2回 会合 で 。」ヒ太
平 洋ATGC
に は 日 本 か ら は 前 セ ン タ ー研 究口 の 三 寺 史 夫及 び父 象 研
かATOC
が進 行中 であ るこ と が 刊告 され た。│ 弱4 年
10Jj に ハ ワ イ島 で 第 3回 会 合 が闘 か れ, WG96
書 を 作成 し. SCOR
の報告
の匐 委員 会 に 提 山 し た。
蒻 地 研 究 a が 参 加 し ,98 年l j:l の 豪 (M e
lboune) で の
】996年3jl に タ スマ ニ ア の 第 4 回 会 合 で, 北 太 平 洋
第 1 回 会 合 に は セ ン タ ー の 菱 田 が GODAE 支 援 者 会 合
ATOQ 』ヒ極 海 音波 伝 搬 試 験1 の 結 繋 が紹 介 さ れ。 イ ン
委 日 と し て , 気 象 研 の葡 地 研 究口 が科 字 運 営 委n と し て
ド 洋ATOC
JAMSTEC I
恥S 年 第10 ● 第2号(通 巻第3S 号)
計 両 につ いて 討議 し た。
冫Z
る。 こ れ ま で の 会 合 は,95 年 8 月 米国 ,96 年 9 月 カ ナダ
(5) PICES ―WG13 委員:5G 研覚員
PICES
tion)
村田I 彦
( Norlh Pacific Marine Science
で 開 催 さ れ。 構 成 委 口 は 米閥 , カ ナ ダ, 中 国 , 韓 国, 口
Organiza・
は 北 太 平 洋 に 閧 す る 海 洋環 境 , 陸城 , 大 気 と の相
シア, 日 本( 東 北 人
はBruse A.
花 略 及び 浅 沼 )か ら13 名, 委 口 長
Taft (PMEL)
で あ る。
互 作 用, 地 球 規 模 での 父 象 と 父 候 変 動 ,生 態 系 と 人間 活
助 等 の科 学 的 知 見を 増 大 す る た め の 海 洋科 学 調 査 の促 進
5。 ま とめ
と調 轟。 情 槻 ・ デ ー タ の収 集 と 交 換 の 促 進 を 目 的 と し
て, 只 体的 活 動 は 各 作 業 委 員 会 ( WG) か行 っ てい る 。
97 年10
月 韓 国 ソ ウ ル で 開 か れ た 第 6 回 総 会 でⅢ CO2
欧 米に 比 べて 歴 史 も洩 く, 少 人 歓 の 海 洋 研 究 者 で 構 成
さ れ る日 本 の 海 洋科 学 界に お い て , 近 年 セ ン ター の 海 洋
1
n the North Pacific
の シ ン ポ ジ ウ ム開 催。12
)ロ シ ア の
観 測 研 究 活 動 は, こ れ まで の地 道 な 火 績 の 積 み 瑣 ね の も
A. Bychkov
事 務 局 次 長 )か 委 員 と な り. CO, の
と, フロ ンテ ィア の闥 始 もあ い ま・ て 尚 洋 一気 候 変 勤 研
(PICES
循 環 ・ 収 支 を 検 討 す る 新 し いWG13
を設 立す ることが
究 のltt界で 皿 際的 な注 目 を 集 め, 様 々 なlji脚 榻 関 か ら 人
決 定 さ れ た 。 セ ン タ ー の 村 田 研 究 員 は114立 環 境 研 の 野 尻
きな 朗 待 を 寄 せ ら れて い る。 例え ば3.4.
氏 と と もに 委 口 に 桁 名 さ れ た。
に セ ンタ ー研究 者 が日 本 代 表と し て 認 め ら れ, い くつ か
で述べたよう
の海 洋科 学 研究 に 屑 す る重 要 な 国 際 委 貝 会 へ の 参 加 を 爽
(6) こ の 外, むつ 事 務所 研 究 主 査 の 浅 沼 市 男 は. GSC
(GOOS
Steer
in
g Committee)
洋 海 洋 科 学 機 構) ―WG9
GOOS
委 員及 びPICES
(北 太 平
委 員 を 豪 務 して い る。GSC は
叶 両 推 進 の た め の計 両 内 容 の 検 討 な ど を 行 う 委
現 して そ の 心 務を 果 た して い る わ け で, セ ンタ ー の 海 洋
科 学 の岡 際?t 会に お け る椒 利 と 兇 言 力 は 葡 火 に 増 大 して
い る。
海 洋 観 測 研究 に つ い て の 予 算 は, そ の 多 く を・ヽ−ド の
U 会 で, 科 学 者 と現 業 機 関 の代 表 に よ り運 営 さ れ る。J
岐 術 閾 発に 往 ぐ だけ で な く , 少 額 で 効 果 の 大 き い情 報 ・
-GOOS
全 体 公 議 が遒
デ ー タを 含 め た ソ フト へ の 研 究 活 動 に 振 り1111
け る必 要 が
め る各 モジ・, − ル 及 び 関 連観 測に 対 して 科 学的 及び 枝 術
あ る。 すな わち 。 学 術 雑 誌 へ の 論 文 投 稿。 学 会 発 友。111
的 な 面 か ら の 検 討 を 加 え,1 −G00S( 政 府 間GOOS
委
際 委 員 会, シ ンポ ジ ウ ム・ ワ ーク シ 。 。プ の 開 催をa め
員会 )全体 会議 に 報告 し て き た。94 年 4月 ∼97 年 4月 ま
た国 際研 究 活 動 へ の 参 加 及 び こ れ ら を 支 え る 分 剥 金 ・ 事
で 仏 , 米 で 4回 開 催 さ 扎
構 成 委 員は 米, 英。 仏。 日 本
加 費, 資料 収 集 費へ の 支 出 協 力 は 研 究 者 自 ら の 火力 を 向
な ど 各 国 か ら10 名 及 びI −GOOS,W M0,ICSU な ど の
上 さ せ る国 際 海 洋 科 学 研 究 社 会 ( コ ミas テ ィ) か ら の
代 表 で 委 員 長 はOtis Brown
信髦 と 協力 を 得 る ため に 必 製 で あ り, ま た国 際 梅 洋研 究
(科 学 技 術 委以 会 ) はI-GOOS
ま たPICES
( マ イア ミ人学 )で あ る。
− WG9( 亜凍 帯 太平 洋 モニ タ リ ン グ作 業
グ ル ープ )は. PICES
の 作 楽 グ ル ー プ の 一つ で。 亜 寒 帯
太 平 洋 の モ ニ タ リ ング の現 状 を 調 査し。 こ の 海域 の効 率
計 画に 閔 す る発 言力 , 影 響 及 び 指 導 力 の 展 開, 換a す れ
ば セ ンタ ーか 我 が 国 の 海 洋 地 球 科 学 研 究 の巾 核 研究 機 関
(coE) に 成 る た め に 必 要 不 可 欠で あ る。
の 良 い 観 測 手 法, 観 測 計 画 を 探 る こ と を 目 的 と し て い
21
JAMSTEC 19
帥 年 累10 魯 罵 2 号( 圃 巻累 算 号 )
仏日生態系シンポジウムに
参加して
海域開発・利用研究部 岡本 峰雄
Mineo OKAMOTO
を 閤 催 して きま し た.
1。
は じ めに
今11jl
,フ ラ ン ス側 が ホ スト となり .夲成9sI;I uj511
∼8 Ljの3 LIll!. パ り にお いて・ 沿j;'海 域 の11 朋f 洳│の
フ ラ ン スは 昔 か ら 海 洋 開 発 に 熱 心 な 閥 の ひ と つ で あ
た め のそ ニ タI; ングと そ のr 一
法 卜 こ関 す る 仏ll シ ン ポ ジ
り . ま た 強 烈 な 個 性 を 持-) た 人 材 か 活 躍 で き る 附 会 的 背
ウ ム が1湖皷 さ れま し た. 海 洋H・7 技 術 セ ンタ ー から は│周
景 を 有 し て い る こ と も あ り . 多 く の 先 迴 技 術 う}野 で パ イ
本岼 緋 と11114陳 人の 2 名が 招 待 を受 け.日 席 の槻 公 を 得
オニ ア と な ,てll!界 を リ ー ド L て き ま 廴 た. ・ 占 の 専II'!
まし た. こ こ で は. シ ンポ ジウ ムの内 容, 引 き咬 き行 わ
分 野 の 榊 水 枝 術 を 例 に と れば . ク スト ー氏 は フ ク 7 ラ ン
れ た 閥 荵 賻t2 会s EAMER の 状 況. そ し てI
FREM ER
ク を 闘 発 し . 洵 洋 馴 査 船'
,訪問 で 知 り 得 た フ ラ ン スの 沿 岸 海 汗 屆 究 の現 況 昔 につ い
カ リ プ ソ| り を 駆 使 し て .│咬
11j '沈 黙 のit!界j を:j じ め , サ ン ゴ , ク ジj , 海 洋 汚 染
て 紹 介 し ま す.
ほ か 様 々 な も の を 対 象 に 淘 のjlt外 の 啓 蒙 をi 』'・
つて き ま 廴
た . 榊 水 介 業 の コ メ・, ク ス 社 を 造 っ た ドlj − ズ氏 は 深 海
涓 水 の パ イ オ ニ ア で あ り , 水 深326m
2。
仏 日 シ ン ポ ジウ ム
の11!W 最 深 の 商 業
泗 水 作 裏 , 水 犬 を 導 入 し て の 実 沌 域 で の520m
潜 水実
今ll』│
の シ ン ポ ジ ウ ムのF. 鍠 占 は フ ラ ン ス 海 洋11 乍 爿'辿
潮 水実験な どを火 現
介 と 仏ll 海 洋・? 会 で , そ れ に 八`I』海 洋 研 究 所 が 協XJ す る
し , さ ら に は ス タ ー リ ン グ ェ ン ジ ンを 搭 敏 し て 長 則 の 潜
形 態 で.; 沿 岸 海 域 の 長 期 f 測 の た め の モ ニ タ り y グ と
水 と ダ イ バ ー 作l かnj 能 な 人 型│
‘│航 式 潮 水 舶 ザ ガ を│;ll
允
そ の f 法 | を 嫖 篦 に 開 催 さ れ ま し た . 幹・SIは . フ ラ ン X
験 , 榊 水 シ ミ ュ レ ー タ で の701m
し ま し た . こ う し た 活 動1よす べ て. 強 力 な り ー タ ー ン 7
プ を 発 揮 す る 人材 と. 産 学 民 の強 力 な 連 携 の もと に 行 わ
れ て き ま し た.
こ う し た パ イ オ ニ ア国 で あ る フ ラ ン ス も . 現 在 はイ jM
の 影 響 で . 研 究 予算 の 縮 小 を 余 辺 な く さ れ . ま た 樋 究l ,
そ の│戉 果 がll
‘liちlご閥 民 生 活 に 還 元 さ れ る 項ll に 優 先 的 に
配 分 さ れ るな ど. 厳 しい 状 況 とな っ てい ま す, 例え ば フ
ラ ン スll恥X 海 洋 研 究iff IFREMER
の研 究 開 発 も. 従 来
9 深 海 調 査al 究 な ど の「 海 洋 を 匈「る よ う な 未 知 のf11界
へ の 挑 戦 と いー, た テ ー マ は 倒 休 化 廴.!'沿 岸jl 埴 の 符 続
的 利 川 及 び 保 裏」 が1{ 休 と な っ て い ま・G
今 ま で , H 仏 の 沿1;!海 洋 研・瓷 者 ほ . あ ま り 人 規 模 で は
あ り ま せ ん が ,【爿 や 外 学 財【ヽ││
な ど の 支 榎 を 受 け ,l 凶・に
沿j;!環 境 のl
il や 闘 発 に1 間す る セ ミ ナ ー や シ ンj ジ ウ ム
JAMSTEC 199e
年 ・10 巻 凱2号( 通巻 眺 祠 号 )
写 真 一1 シ ン ポ ジ ウ ム 会 場 の・ ヽI
リ 海 洋研 寛 所
29
海 洋 科学 者連 合 の会 長 フ ミ ャー 氏(CRNS
所 属)、 仏H
海洋 学 会 公14 エ ノ・y ク氏( I
FREMER 所 属). プレ スト
人 学 の デ ワ ル メ 氏. 】FREME 】4-・
Nan
les の ガ ル ガ ー ニ
氏.1 ドREM ER の G00S 扣.冖 者 の グ ラ ー ス氏
の ジェ ラ ルド 糺l]
BRGM
本 側 代 表 の.E業技 律
丿院III閥 .1:
l 試験
・沂の│: 嵋 博│: 亠 東 衣 人 岸 海 洋 研 究 甬 の 小 松 哨1: ら で し
た.
シ ン ポ ジ ウ ムは パ リ海 洋 研 究I両の 人 講 卓 を 会 場 に し
て. 10 JJ 6 I]か ら811 まで の3 LIll に か けて 行 わ れ ま し
た. こ の パI;海 維 研究 所 は . モ ナコ の 海 洋 恥物 館に 併設
さ れ たそ ナコ海 洋 研究 所 の姉 妹 機 剛 であ・)、.li長 は モ ナ
コ公閥 の レ ーニエ 人 公で す.
写 真 一2
2−│ .
シ ン ポ ジ ウ ム参 加 者 等
松 騎駐 仏ll 本 川 人便 と11本 惻 代 友 との 懇 滴
左 から:ll 嶋lli: , 嶝浦 人叱 小 松M 1:
ン ン ポ ジ ウ 厶 の 参 肋│?1・:j, フ ラ ン ス . 近 隣 諸一
国 ,││ 本
を 介 わ せ て 約100
名 で . 便 川 尺;li は 哭211 で 綾・
さ れ まし
たっ
発 表 爿'の・ii 叫lj.
フ ラ ン ス でlj.IFREMER(
フ ラ ン
ス│ 小X 海 洋 研 究I 釿) .CN RS( フ ラ ン スIQI
科・? 哨 究 セ ン
タ ー3.
Corsc 人 学 , バ リ 第 2 人 学 , エ ー ス 人 乍 ,・ 7 − 口
ン 人 学 . 海 洋 研 究 哂 . プ ル タ ー ニ ー 人 学. CEDEM
(Cenler dc Droil el d・ Ec01
10mic dc )a Mer) ,Nantes 人
学 . EN SA R
くKcolc
『ljquc de Renncs
Nationalc Superieure Ajcroiio-
』, ボ ル ド ー 人 学 な ど で す. そ 9 ほ か の
川 で: ま, ポ ル ト ガ・ μ)
Zolir
人学.
A ve;ro 人I?.
力 づ・ダ の1.aba1
人 学.UClll,
モ ロ ー,コ のIbnou
人 浮 , ベ ル ギ ー のI; − ジ ェ
な ど の 研 究 占・が 参 加 し , 欧 米 側 の 発 友 は ポ
ス タ ー を a め て40fl=
凵 本 惻 の 発 衣lj.
で し た.
海 洋 耗 学 技 術 セ ン タ ー の│ 圃 本.Ili
s) ほ か . 東 人 海 洋 研 か ら 2 名(
哭 技 術 院FI 国│・, 茎 技 蓼!i,
試 験11 μ│;
人 学C
リ エ 雛 2 人 学(
写真 一3 懇践余城ほ
左から:i:.
加蒻 一
等 が,;
1
1
n. xノ・,ク凹lj
嶋 〕. 水 河7斤 養 S 研 究lii
C 膈│││) , 水 産 斤 南 内 向 区 水 屹2研 究 所(
Gli・良).4111
島
敬 称 略 ; 小 松 , 人 島) . .
L
本Fm
マ グ ヱ) . 朿 淘 人 学CIIIHI)
内 H) . 新 H 本 乱 象 向 汗冂111)
, 叫ill 人 7:
, モ ンペ
の12
件 で
し た.
シ ン ポ ジ ウ ム'Sllj:1 而 域 の 長 期f
ン グ と そ のf
吐」・g)
10 月6 11 (JD:
会 長 フ
沺│の た め の モ ニ タ リ
桾 成 は 次 の よ う で し た.
从jll 講 演(
フ ラ ン ス 海 洋:吋.IFり1・連 介
ミ ャ ー 氏 . 仏││ 海 祥・ ? 公 企 長 エ ノ・y ク 氏 ,│:
業 枝 術 院 中 川ll
裏 試 験I 沂 の│: 嶋 氏 ら) , 沿j:? 海 域 の
臼r=;jと 汚 染 .
10117H(
物 桁 標.
10 月 8 川(
匐
火) : 沿i い海 城 の 海 岸 浸 食.il・!i;1 海 域 の 咋
ポ ス タ ー セ ッ シll ン ,
水) : 沿 岸 海 域 の 愉 報 の 管 理!≫
城 研
写 真 一4 シ ンポ ジウ ムを終 え て ス 皀
JAMS
TEC 1998 年 第10 壱 第2号( 通巻第38 号)
発 , 環 境 の│り│復 の た め の 技 術 な ど に 関 す る 研 究 報 告 , 議
究 の社 会 ・ 経 済的 効 果。
な お, 公畿 2日目 の 昼 食 は, 講 演 会場 の とな り の ポ ス
論 も口 時 に 行 わ れ ま し た。
タ ー セ ッ シ S ンの 朋 で 立食 にて 行 わ れ ま し た。 そ の 際,
岡 本 は。「 石 西 礁 瑚 に お け る サ ン ゴ 礁 分 布 の 定 饑 化 」と
松 浦 駐 仏 日 本 人 使 と 加 藤 一 等 書記 官 もご 多 忙 のな か 参 加
い う テー マで, サ ン ゴの 分 布 ・調 査技 術 , な ら びに 地 球
さ れ, 会 場 は 和 やか な 雰 囲 気 の な かで, 握 り 寿司 を 中 心
垣 墺 変 動 に 対 す る 生 物 側 の応 答 を 知 る上 で の サ ンゴ分 布
と し た メニ 。− に, 人 い に 盛り 上 がり ま し た。 な お 加i
計 測 の 咀要 性 に つ い て発 表 し ま し た。 こ の話 題 は 後 の 総
咨記 宵 は 科 学 技 術 庁 か ら出 向 と のこ とで, フ ラ ン スが,
合 討 論 で も 論 議 のt 魎 と な り , 広 域 の サ ン ゴ を 衛 麗 両 像
「 H 本 の 年 」を 標 語 に 盛 り 上 が うて い る こ と を 強 凋 さ れ
か ら モニ タ リ ング す る た め の グ ラ ンド ド ル ー ズデ ー タと
て い ま し た。
し て。 突 際 の サ ンゴ 礁分 布 を 正確 に 把 握 す る 必 要 性 が 理
解 さ れ ま し た。 ま た , サ y ゴ 圃 が 地 陣 環 境 変 動 を 把 握 ・
2−X シ ン ポ ジ ウ ム の 話 題
予知 す る ため の 爪 要な 指 標 とな り うる こと が 会 場 の 合 意
Ⅲ
で 確 認 さ れ ま し た 。 こ の ほ か. 1997
基 躙講 潰
仏 日 シ ン ポ ジ ウ ム の口 頑 に, 主 旨 講 演 が 行 わ れ ま し
UN EP/I
U CN で 策 定 さ れ た GCRM N
年9月 に1
0C/
( GI
oba
l Coral
た。 そ の巾 で。 フ ラ ン スと日 本 にお け る 沿岸 城 モニ タ リ
Reef Monitoring
ング の研 究 ・開 宛 プロ グ ラ ム, 及 び 世外 にお り る沿 岸 嫉
タ リ ン グ ネ ッ ト ワ ー ク) へ の 参 加 を 強 く 要 請 さ れ ま し
モニ タリ ング の研 究 ・ 開 発プ ロ グ ラ ムにつ い て 紹 介 が あ
た。
り ま し た。 ま た, フ ラ ン スにお け る 沿1;!域 の環 境 と 開 宛
(51
Network: 地 球 規 模 の サ ン ゴ 礁 モ ニ
沿岸海域の情報の管理
に 対 す る政 策, H 本 に お け る 政l , 国 際的 な 政 策 に つ い
こ こ では 。 各種 の沿 岸 海 域 の 調 在 研 究 で 得 ら れ た 情 報
て の 発 表 があ り ま し た。 日 本 側 か らは 。 破娘 さ れ た 所を
を , い かに 効 果 的 か つ 経 済 的 に 社 会 に 還 元 す べ き か , と
復 元 さ せ る とい う ア メ リカ 式 の ミチ ゲ ーシl ンの導 入を
い う点 に つい て 7つ の 研 究 報 告 が 行 わ れ ま し た 。 現 在 ,
図 る 方向 で, 各 省 庁 間 の政・ か ま と め ら れつ つ あ る こ と
先 進 的 に 行 わ れ て い るGIS
か報 告 さ れま し た。
的に表示する技術開発)についても。表示すること自体
(2) 沿 摩 海 域 の 負 荷 と汚 粂
( 実 デー タを 地 形 閃 上 に 効 果
に 時 間 (す な わ ち 作 成 縦 費 ) が か か り す ぎ 。 そ の 予 算 を
こ の セ 。 シ 。冫 で は,15 の 研 究 報 告 があ り ま し た。 陸
域 か ら 沿 岸 域 へ の 有 倣 化学 勧 質 の侵 入, 沿 岸 生 態 系 モ デ
ルを 川 い た栄 養増 の 変動 な ど の 報告 が 主体 で し た。 占島
研究n休につぎ込んだほうが火際的であるなど。問笳占
が 指 摘 さ れ ま し た。
{l
ポ スタ ー
は 「 船 越 灣 の 鍵 騎 漁鳩 の畷 境 特 性 」 とい う テ ーマ で , 人
こ こ で は , 生 物 を 指 標 と し た 地 中 海 に お け るll 境 モ ニ
工 海 暖 を 海 洋 観 測 ステ ージ 。 ンと して 。 船 越 湾 の 藻 類 生
タ リ ング シ ス テ ムに 閥 す る 報 告 , 生熊 系 モ デ ルを ペ ー ス
且 環 塊 の 允 友 を 行 い ま し た。 主題 の 船 越 湾 の環 境 よ り
に し た窒 素 循 環 な ど に 関 す る 愉 報 鍵 供 か 行 わ れ ま し た。
も, む し ろ, 人 工海 底 の構 造 , ア ワピ や 魚 の 養 殖 施 設 と
して の 有 効性 に つ い て 興 味 が 持 たれ ま し た。
3. SEAMER
{31 沿 岸 海 域 の論 岸 浸 食
海岸 線 の浸 食 が劇 的 に 進 行 し て い る 増 所。 そ の 原 因 と
国
際
博
覧
会SEAMER
( Salon International
艮度 を 椎 定 す る た め の シ ミa レ ー シ 。ン モデ ル な ど に つ
Prx )fe
s sionnel Dc la Mer
いて ,6件 の発 表 が な さ れ ま し た。
中 技 術 。 海 洋 観 測 な ど 海 洋 に か か わ る最 先端 技 術 に 閧 す
(1
沿岸海域の生物指標
et du LiUoral
る 岬 覧 公 ( 見 本 市 ) で, フ ラ ン ス で こ の種 の も の は初 め
本 セッ シ 。 ンは , 沿 岸 海 域 変 動 を モニ タり ング す る た
て と の こ と で し た 。 パ リ エ ク ス ポ(Paris ARC des E
めに は 生 物 指 標 が 必 要 不 可 欠 と の 見 地 か ら16 件 の 闘 蠢
positions.
提 起 か な さ れま し た。 生 物 指 標 の 似 楠 に つ い て は, 地 蹄
日 に か け て 開 催 さ れ ま し た。
余 休 を 眺 め た場 合 に は。 サ ンゴ と 藻 増 が 最 適 と の 見 解 は
一致 して い まし た。 ま た局i 的 に は, 多毛 亂
) は, 船 舶 ,海
魚 類, ベ
Porte de Versaille)
会 場 に は, Sogctram
France)
に て ,10
tt やEDF
x・
月 8 日 か ら11
(Elcctricitc de
社 など多 数 の 企 業 が 出展 示 し て盛 況 で し た。
ン スト ほ か , 地 域 を 代 表 す る 生 物 を 用 い る 試 み か 報 告 さ
さ ら に , SE A M E R の 展 示 会 場 の 一 角 で ,「 ア ル ゴ ス シ
れま し た。 ま た生 物 指 標 そ の も の だ け で な く。 閉 鎖的 ,
ス テ ム を 川 い た 海 洋 環 境 の 研 究 」,「 水 環 塊 と 環 境 問 題 に
t 閉 鎖 的 内 湾 に お け る, 生 態 系 モ5 夕 り ン ダ 技 術 の 閼
関 す る 数倣 モ デ ル の紹 介 亠 「沌 上 輸送 の新 た なる試 み 」
JAMSTEC 19
鴒 年 第10 ● 第 2号 ( 遍 ● 第38 号 )
31
など, 海洋にかかわる様々な分野で の各種 のセミナーが
そ の た め,「 海 洋 海 城 の適 正 な 利 用 ・ 管 理 そ し て 持 続
闘催されました。 この一環で 仏日 公開 セミナーが開 催さ
的 生 産 力 の維 持 の ため の 研 究 」 が第 一優 先 とな って い ま
れました。
し た。 米国 に お い て, 海 洋 研 究 の 主題 が沿 岸 環 境 つ まり
仏日公闘セ ミナーと。 仏日 シンポジウムで の討論の概
沿 岸 生 態 系 の保 護 ・ 開 兇 へ と 移 行 しつ つ あ り ま すが , フ
要を紹介する形式で開 催さ れまし た。 仏日海洋学会とし
ラ ン スも全 く同 様 の 発 想 に な って い るこ と が わ かり ま し
て, どのような姿勢で淘洋にかかわる諮問 題に取り組ん
た。
でいるのかなど について,日 本畆 フ ランス側からそれ
ぞれ報告かなされました。 また, 日 本とフ ランスの沿岸
5。
日 仏研 究 交 流 雑 感
域の環境問閣 についてど のように研究を進めて行くべ き
か, どのような政策をもりて 両国 が, 環塊と闘兇, ある
日 仏研 究 交流 のな かで 雫 者 の か か わ り は さほ ど良 くは
いは環塊保全といった問 題に立ち向 かって行く のかが議
あ り ま せ ん。 最 初 の き う か け は,1994 年に ニ ー ス大学 で
諞されました。
開 か れ た「 沿 岸 生 態 系 の 修 復 に 関 す る 仏日 セ ミナ ー」 へ
の, 東 京 人学 海 洋 研 究 所 資 齦 環境 鵺門 の杉 本教 授 から の
4。IFREMER
参 加 要請 で し た。 当 時 の 筆 者 の 沿岸 生 態 系研 究 は 海 洋 科
の研究助向
学 技 術 セ ン ター の中 で は マ イ ナ ーな, 受 託 ・経 常 ・ 共同
岡 本 は。10 月 9日 の午 後 , 海 津 科学 技 術 セ ン タ ー企 画
研 究 レ ベ ルの も ので し た。 ま た突 然 の 依 榎で もあ り , 旅
本 郎 の国 際 共
費を セ ン タ ーに お 願 い す るこ と はで き ま せ んで し た。 休
同 研 究 マ ネ ージ ャー の デ ロ y ギ 氏を 訪 悶 し ま し た。 そ こ
暇を と って 自 費で 参 加 す る予 定で し たが, 幸い , 本件 を
で の 話 題 は, 日 仏 の 研 究 協力 の 基 本的 な流 れに つ い て で
御S 谷科 学 技 術 財団 の梅 外 派 遣 の 対 象 と して 採 用 して 頂
し た が, そ の 機 会 にIFREMER
き。 お かげ さ まで 余 裕 を も ウて 参 加 す るこ と がで き ま し
部 の白 井 課 長 代 理 に同 行 してIFREMER
の研究の方向 性に 触 れ
る こ と が で き ま し た。
会 談 の 途 中, IFREMER
た。
の 研 究 の プ ラ イ オ リ テ ィ ーに
こ の 夢 加 によ り, フ ラ ン スに お け る 藻 鳩環 境 に 対 す る
つ い て の 雑 談 が あ り ま し た。 筆 者 は, 遇 去 の研 究 の流 れ
強力 な取 り組 みを 詳 し く知 るこ と がで きま し た。 当時 か
に 関 する 情 報 か ら, 研 究 の中 心 は, 深 海 研究 や梅 洋 大 循
ら・ 者 の グ ル ー プ で は ,「 グ ロ ー バ ル な 地 球 環 境 変 助 を
環 な ど に あ る と ば か り 考 え て い ま し た。 こ こ で,
農 場 と サ ン ゴを 生 物 指 標 に し て モニ タ リ ン グ ・ 制 御を
IFREMER
の ア ニ a ア ル レ ポ ート の 読 み 方 を 教 え て も
行 って いこ う 」 と の呼 び かけ を して い ま し たが, こ の背
ら い ま し た。 わ か う て み れ ば 極 め て 単純 で, 優 先順 位 の
景 を 確 認 ・ 弧 化 す るこ と がで きま し た。 ま た, ニ ー ス大
高 い 順 に 並 べ て あ る と の こ と で し た。
学 の メ ネ ッ ツ 教 授, パ り 大 学 の プ ド レ ス ク 教 授,
そ う し た見 方 を す る と. IFREMER
の 研 究 の 優 先順 位
家 と じ っ く り 論 畿 す る 機 公 が 得 ら れ ま し た。 そ の 後,
は 次 のよ う に な り ま す。
A.
沿 岸 環 埴 一沿 庫 生 鵬 系,汚 染 の 状 氛
沿 岸 海城 の モ
ニ タ リ ン グと 修 敏
B. 生 物 資 源 一資 源 の 持 続的 管 躍。 水 産 養 殖 と 適 切な 管
C.
1995 年 に, 東 京 大 学 海 洋 研 究 断で「 沿 岸 生 態 系 の 保 護 と
修 復 に 閧 す る日 仏 セ ミ ナ ー」 が開 催 さ れ, 筆 者 も サ ン ゴ
磯 劉 査 につ いて 発 及 し ま し た。 そ の際 こ れら の 人 々 も来
理,生産物の効果的利用
日 し, セ ミ ナ ーの 後。 海 洋 科 学 技 術 セ ンタ ーの 筆 者 ら の
海 洋 を 知 る 一海 洋 大 循 環 の研 究, 海 洋 底 の研 究 , 深
飽 和 潜 水 実 験 の 状 況 の 視察 に も訪 れ ま し た。
海環境
D.
I
FREMER の ペ ル シ ャ 一 博 士, そ の 他, 曝 場 研 究 の 専門
海 洋 工 学 と 調 轟 研 究施 設
今回 の シ ン ポ ジウ ムへ の招 待 の背 景 は, こ れら の 地 道
な 研 究 者間 の実 務的 交 流 があ り ま す。 筆 者 の プロ ジ4 ク
つ まり , 筆 者 のイ メ ー ジし て い た 海 洋 工 学 や 深 海 鬨 査
ト 研 究 のテ ーマ は, 今 まで20 年 以 上に わ た・,て「 飽 和 潜
研究 な ど の, い わ ゆる 「 大 型 ハ ード ウ , ア の 開 兇 や そ れ
水 技 術 の開 発亅 で し たが。 平成10 年 度 よ り「 海 洋 生 態 系
に よ る 未知 へ の挑 戦 」 と い っ た分 野 は す で に 遇 去 の も の
変 動 機 構 の解明 研 究 」 と して, 今 まで の潛 水 技 術 開 発 に
にな り つ つ あ るこ とを 知 り ま し た。 今 後 の 嬢 兇的 な 人 口
あ わ せ, サ ン ゴ礁 生 態 系 研 究に も参加 で き るこ とに な り
増 加 や地 球 環 境 の悪 化 な ど , 地 球 環 境 の な か で 人 類 が と
ま し た。 筆 者 は 科学 技 術 振 興調 整 費研 究GRNS
り う る規 制 や制 御 の方 向 性 が 緊 急 の 課 題 と な り て い る の
バ ル・ リ サ ーチ ・ ネット ワ ーク ・ シ ステ ム) のな か で,
で す。
j2
(グロ ー
5 年 間 に わ た っ て, 石i 礁 湖 ( 石埴 島 と 西表 鳥 の間 に あ
JAMSTEC 1998
年 篳10 ● 第 2 号 ( 通 魯・3S
号)
る日 本 髞 大 の サ ン ゴ礁 海域 ) の 全域 の 兮 ンゴ分 布 を 調 べ
なお, 岡本, 占島のパリ滞在中 の費用一切は, フ ラン
て き ま し た。 平 成 】o年 度 か ら の生 態 系 研 究 の 主 対 象 が
ス海洋科学者連合と仏日海洋学会と に負担して 頂きまし
こ の石 西 礁 禳 サ ン ゴ礎を 対 象に な り 。 感 慨 深 い もの かあ
た。 未熟な我々を, 研究者とし て暖かく迎えて いただい
り ま す。
たことに凍謝いたします。 また日 本側代表の上嶋 博士と
次 回 の シ ン ポ ジ ウ ムは 平 成11 年 2月 に 日 本 闘 で 闃 催
小松博士の周到な準備, そして仏日 海洋学 会事務局 の西
さ れ る予 定 で す が, そ の 主 テ ーマ の有 力 候 補 は パ イ オイ
川様の納力的なマネージメントには敬服いたし ました。
ンジ ケ ー タ( 生 物 詣 標 )で す。 筆 者 の石 西 礁 瑚 を 対 象に
平成11 年 2月 予定 の日 本での シンポジ ウム闘 催の火裂
し た研 究内 容 が 広 く 認 知 さ れ た形 とな り 。 今 ま で の 研 究
を祈念し。 感謝の憲を表します。
の指lal徃 に 誤 り は な か,。たこ とに 意 を 強 くし ま し た。
JAMSTEC 19
鶉 年 第10 巻 第2号(通 ●第38 号)
3J
海 から の たより
海のアンソロジー(24)
広鳥大学生物生産学部 長 沼 毅
Takeshi NAGANUMA
地 球 の λ Υ を L め る 淘 か らS μ・t ぱ M 地IJ 鵬 で し か
るc
ない。 諸 人 陸 も淘 に 浮 か ぷ 人 き な島 々 で あ る 。 こ の
11!界!j 地 球 と い う 水 の 慂!11 に 人 小 さ ま ざ ま な 鳥 々 が
海 に 浮 か ぶ 「 多 心 洶11!WI
(1’
文明 の 向 洋 火 観亅 よ り )
淘 洋 史 観 の もう 一つ の キ ー・ヌード は・・ 海 洋y ジy jで
で あ り 。 而 洋 史 観 と は 地
す. 巾 川 は ’南船 北 馬j とj わ れ る よ う に.│匈麕で は海
球 的 視 野 か ら 文 明 の 興 亡Iを 展91 す る 怒 史 観 で あ る 。
外 交 易 か盛 んで し た. 特 に. 宋 (鹵 末 )の 時 代に は111海
くr 文│リl の 而 祥 史 観。 』 よ り )
つ い に 待91 の,11 が 出 ま し た 。・ 海 の フ ン ソ ロ ジ ー l で も
貿 易 が 活 発 化 し. イ ンド 汗 は イ x う 厶商 人 かll 來 す る
・イ スラ ムの淘I で し た. そ し て.宋 を 滅ばLx こ 癶
沼II扣 )
こ れ ま で に ‘ 洶 か ら 見 たEI 本 史 。 洵 か ら 眺 め た│!! W 史 ’
時 代に ‘淘 洋 イ スラ ム・ とI 海 洋中Ila’ が 束 南 ア ジy で
を テ ー マs ざ L て き ま し た が 。 川 勝・li 人a: r
勒・介 し た の で す. 兀 帝 川lj 1300 年 頃 に1,;最 人版 図 にil・
文11 の 向 洋 史
観 」 は そ れ を 鰻liWli に 押 し 出 し た グ ロ ー バ ル な 歴 史 理 ぶ
し. ユ ー ラ シy 人陸 の 両 端 を粘 ぶll どに な・】まL た. こ
で す 。 こ の 理 論 の 討 子lj.
の 兀時 代 に. 陸 卜.承・.ト リ ーク と海│: ネ・.ト ワ ー ク 〔 セ
著 占 の,? 迴 を 倡 り る と こ う な
り ま す:
ラ ミ7 クi/ ― K 〕 が リ ン クし. ユ ーう シ ア 人陸 を めぐ る
近 代 は 了 ジ フ の 海 か ら 誕 生 し た 。 よ り11モ 陏 に い え
ぼ 。 海 洋 ア ジ ア か ら の イ 冫 パ ク H こ刔 す る レ ス ポ ン
壮 人な 循 環 経 路 が 完│戉し た ので す.
│・j洵 航 路 u・・・決 し て, 陸 路 の 哺 勘 的 な 斤 在 で は な
x と し て , 日 本 と ヨ ー ロ・。 パ に 新 し い 文│りlが││; 現 し
かー)た. 曲 海 産 の 西事1や 人:ltの陶 磁 の輸 送 は 舶lllご
た こ れ か 本,11 を 霓 く テ ー ゼ で あ る 。
よ-j でこ そllj能 で あ り …
近 代 社 会 へ の 歩 み は , 通i・ . a l
社 公 か ら
】:
業 ?1:
… 目l卜紀以 降.IIIEilか らlli方 へ輸出 さ れ る│咀,1,
は.
会 へ と い う 観 点 か ら と ら え ら れ て い る ‥ 一本,11 は こ の
し だ いに 絹 から 陶 磁 に 変化 し たの であ る. と くにljl
常 識 に 挑 戦 す る。
海 刊 砧 で は 叙jか ら 陶 磁 へ の 変 化 が は・, き り と 見 ら
(「 文 明 の 海 洋 史 観 」 よ│ 刀
こ こ でj・ う│
≡l一 口 ・ バ で は
裟 同 期 以 降・
け る 埋i
近 代 ; と は ,│14
でlj
’
鎗│・i 鷦 以 降1
`近 代ll! 界 シ ス テ ム ( 人1りT
を。
れ. シ ルクロ ード は 陶 磴 の 辺 ( セう ミ・,クロ ード;
に 変 貌L て い. たの で あ る.
経 済 圏 ) の
{「 洵 の ン ル クu −ド 史」 よ り )
を 指 し て い ま す 。 つ ま り 。 ヨ ー ロ・y バ に お
… | {ll}.
紀 の すえ こ ろ にIJ. 巾 川 か ら イラ ン・ フ ラ
革 Q (ill
(Iuslrial r ev 。)
ulion ) はil: 戸││剥 り こお
ブ 方而 まで に い たる 而域 と そこ を 迴 る洵ll ル ート 个
け る 効 勉i
命(industrious
revolution
は 外1;,】き と 内 向 き の 趣 い は あ れ.jll
】に111 `11L.│・│,i占 ’
休 が, モ ン ゴ ル政 旅 の 影響 ド に 人-j だこ とに な る.
洋 7 ジ フ 経 済│ 剛 か ら
そ れは モ ンゴ ルに よ .て. ユ ーう シ フg 】
内 陸111w と
の 離 脱 と い う 共通 の プ ロ セ ス であ り 。 これ を経 て切 め て
海 洋lltw が 完 企 に ジ3 イ ンド し たこ とを,皀味 し た…
・近 代 ’ を 迎 えi!1 た と い う こ と で す 。
モ ンゴ ルは. 人 闥 史JI:ぶじ めて . 陸 と向 の卜 人帝 閥
東 南 ア ジ ア の
’豊 饒 の 洵・
が近 代 社 会 の 原点 に あ
とな・j た.
る 。 ヨ ー u ・。 パ と││ 本 の 近 代 化 は 。 朿 南 ア ジ ア の Q
鐃 の 海 に 簾 ま る卩 人 な 物 産 複 合 へ の レ ス ポ ン ス で あ
j4
(「 クビ ラ イの 挑la」 よ り )
ぷ代 に な る と… 元 來は 針 路 と い う よ う な 白 球 を もつ
JAMSTEC I
匆よ年 氛ID 巻 第冫号( 通巻第3e 号)
「 東 洋 」・「 西 洋 」と いう 」 葉が 海 域 名と し て 用 い ら
東 南 ア ジ ア に は。 マ レ ー 半島 を 主 軸 と す る四 つ の海
れ る よ う に な っ た・・・私 た ち が 聞 き な れ て い る 「 東
が あ る… ベ ンガ ル 湾… イ ンド 洋… 鹵 シ ナ淘 … ジ ャ ワ
洋 」 ・ 「 西 洋 」 とい う・a 葉 は モ ンゴ ルの 時 代 に 生 み
淘… こ れ ら 四 つ の 海 を つ な ぐ x の 中 央 交 点 に 座 す
出 さ れ た冫1緊な ので あ る。
る の か マ ラ フ カ 海 峡で あ る。 … か の有 名 な ポ ルト ガ
『r鄭 和 の 南 海 大迫1£ 』よ り )
つ ま り, 淘 洋 ア ジ ア とは 東 洋 ( 海 洋 中 国 ) と 丙 洋 ( 海
ル 人, ト メ ・ ピ レ スの 言 葉 「 マ ラ 。 カ の 支 配 者 は
ヴx ネ ツ 47 の 喉 元を 抑 え る 」は 広 く 知 ら れ る。
洋 イ ス ラ ム, 後 に 海 洋 ヨ ーロ 。パ ) の 山 会 う 増 所。 い わ
… マ ラッ カ の 繁栄 は, 建11以 来 わず か 一 世 紀 そこ そ
ぱ 「 文明 の 十字 路 」 で 。 現 在 の 朿 自
制ア ジ ア 地 域 に 相 当 し
こ で, 突 如。 強 盗 のよ う に 現 われ た ポ ルト ガ ルの軍
ま す。 当 時 の朿│簡ア ジア は 「 両 料 諸 島 」 と3 わ れ て い ま
し た。 こ の 香 寥科 や砂 糖。 木 綿, 絹 な ど を 求 め て。 ヨ ー
ロ ッ パか ら 大 量 の 富 ( 金 銀 ) か 東 方 に 流 れ ま し た。 も ち
ろ ん , 凵本 か ら も, 人 量 の 金 銀 が 海 洋111国 や 海 洋 ア ジ ア
に 流 出 し ま し た。
事力 に よ って 失 墜 さ せら れ た。
(「 日 本 の 近 世│J i
」 収 「 東 南 ア ジア近 胯の開 始」 よ
り)
さて,
「 海 洋 史 観 」に 返 り ま し ょ う。歴 史を 海 から 眺 め
る とこ う 見え る とい う 例 を。 ま ず, ヨ ーロ ッ パ 史で 確 か
し か し, 史 上 最 大 の版 閃 を 誇・ た 兀 帝 国 も11 1!!紀 に
めて み ま し ょ う。
起 こ う た地 球 規 襖 の 賢 常 気 象 に よ り 衰 亡 し。 巾1墹地 域 は
第 一に, 古代 の 成 立 くヘロ ド ト ス・ テ ー ゼ)
。申 皀
巾 華 帝 国 ・ 琴lに と 。 て 代 わ ら れ ま す。 明 は, 元 の 鳶商 主
の成 立( ピ レ ン ヌ・ テ ーゼ )
。 近 世 の 成 立( フロ ーテ
曩 と は 対 照 的 に。 農 本 主 義 を 柱 と し, 海 外 交 易を 制 限 し
ル・ テ ー ゼ ) と い う い ず れ の歴 史的・ 期 に も, 海 の
ま し た。 こ れ はr 海 禁亅 と 呼ば れ る鎖lilで あ り, 中│蝴は
役割 か決 定 的 で あ・。 たこ とで あ る。 ヨ ーロ 。パ と は
ユ ーラ シ ア を 殷 に か け た 海 隆 の 大 ネ ット ワ ー クか ら 離 脱
何 かを 読 み 解 く 観座 は, ヨ ーロ 。パ 臈 と 第 二に イ ス
し ま し た。 そ の 一 方で, 第 三代9 帝 ( 永 楽帝 ) は111華 秩
ラ ム鬩 とか ら な る時 空 闘 を, 海 洋 支 配を め ぐ りて 拮
序 の 両 編 を目 指 し。 海 の 県 界に も明 の戚 光を 示 す ため,
抗 す る ダイ ナ ミッ クな 一つ の 文明 空 間 と して とら え
史 上 最 大 級 の 人 艦 隊を ア フ リ カ 東岸 まで 派 遣 し ま し た。
う ると い う こ とで あ る。
い わ ゆ る 「 鄭 和 の 人艦 腺」 で す。 そ れで もや は り, 明 の
政 策 は・ 淘 へ の広 がり ’ よ り も ‘陸 の守 りI が 基 本で し
た。
(「 文明 の海 洋 史 観 」「 淘 か ら 見 た歴 史」 よ り )
「 歴 史 の 父 」と 呼 ぱ れる ヘロ ド ト スは,アテ ネ対 ペ ル シ
ア の サ ラ ミ スの 海 職( 紀 元 前480 )を 描 い て, 地 中 海 東 郎
│偈海 の 怒濤 を 越 え て 派 遣 さ れ た二 万 七〇 〇 〇 人 の瓠
に ヨ ーロ ッ パ の 葫 膓 が成 霆し たこ とを 記 し ま し た。 そ も
豚 は。 』ヒ方 から の圧 力 が 強 ま る と と もに 人 工衛 星 か
そ もヨ ーロ ッ パ と い う 名称 は, 海 洋 民 族 フx ニ キア 人 の
ら も 見え る巨 大 な 建 蕗 物 「 万!l!の 長城 」に 吸 収 され
王 女 エ ウロ ペを ギ リ シア 人 か掠 奪 し たこ と に 巾 来 す る の
て い っ た。 中・擧帝閥 は 世界 秩序 の 鑰 霆を めざ す膨 彊
で す から 。 そ の 起 源 から 海 と の縁 が 深 い と 言 え ま す。
の時 代 から, 球原 か ら の圧 力 に 対 して 守 り を 闘 める
収 斂 の時 代 へ と 移 って い った ので あ る。
(「 鄭 和 の 南 海 大 遠 征」 よ り )
明 の海 禦 敢 策 に 俾 い, 日 明 貿 M に も制 限 が 課 せ ら れ,
い わ ゆる 「 勘 合 貿 易 」 が 行 わ れ ま し た。 し か し, こ れ が
20 世 紀 曲 半 の 仰 人 な 歴 史 家 ピ レ ン ヌ は,古 代 か ら 巾1!!
へ の転 換 を 地 巾 海 に お け る痢 権 の移 行。 す な わ ち rロ ー
マ の湖 」 か ら 「 イ スラ ムの 瑚 水 」 へ の 遷 移 と 読 み 取 り ま
し た。
そ し て。2011! 紀 後 半 の偉 大 な 歴 史 家 ブロ ーデ ルは。11 』
木 鯛 や砂 糖 の国 産 化を 促 し, ま た。こ の 時 代(i 町時 代)
世か ら 近 世へ の 転 換 点 を キ リ スト 教 徒 vs.イ ス ラ ム教 徒
の日 本 にお け る「 醤 油革 命」 の お か│ダで 科 理に おlj る 香
の「 レ パ冫 卜 の 海 戦」
(1571 )に 置 いて い ま す。 こ の 戦 い
岑料 の必 変性 もな くな り ま し た。 一 方, ヨ ーロ ッ パ も新
に お い て 地 中 海 は 再 び「 ヨ ーロ ッ パ の湖 」に な り まし た。
大 陸 の植 民 地 で 砂 糖 や 綿 花 を 生 産 し始 め たの で,「 香 料
世界 史 は さ ら に 大 洋 を め ぐ る 覇 権 争 い の 時 代 に 突 人 し
戡島 」 へ の 依 存度 が低 く な り ま し た。 こ れ か。 海 洋 ア ジ
ま す。 近 世 幕 開 け の 大 航 海 時 代 と は, 当 時 「 イ スラ ム の
ア経 祷 圏 から の離 脱 ( 鹿 亜 ) と い うこ とで す。 こ れは ,
海 」 だ う た イ y ド 洋 に お け る ヨ ー ロ ッ パ 覇 権 の 確iy 過程
巾 世 世界 シ ステ ムで 隆 盛 を き わ め た海 洋 ア ジア の 衰 退 の
で あ り , 近 代 史 ・ 現 代 史 は 人 西 洋 を め ぐ る ヨ ーロ ッ パ
始 まり を 意 味 しま す。 淘 洋 ア ジ ア が「 文明 の 十字 路 」 で
vs.ア メ リ カ の覇 権 争 い と 見 るこ と もで きま す。 そ して ,
あ っ たこ とか ら。 中 世か ら近 世へ の移 行 に 伴 う 梅 洋 ア ジ
21 世紀 は 太 平 洋 の時 代 と も言 わ れ ま す が,こ の歴 史舞 台
ア の衰 退 は 「x の悲 劇 」 と も呼ば れて い ま す。
に ど の岡 が, ど の よ う な 役を 演 じ る ので しょ う か?
JAMSTEC 199e
年 飆10 魯 累2号(・ 番 第3s 号)
J5
日 本 史 も, 海 から の視 点で 眺 め る と, 時 代 の上 げ 潮 ・
(『 文明 の生 態 史観 』 よ り )
下 げ 潮 がよ く分 かり ま す。 そ れ は, 対外 政 策 に 熟 心 な 時
太 平 洋 慨 争 の 敗 戦 に 打 ちひ し が れて い た当 時 の知 識 潛
代 があ り, そ れ が 高 じ て 海 外 進 出 を す る と 負 け て 撤 退
は, こ の 圃 齢 に 飛 びつ き ま し た。 や は り日 本 は ダ メ国 家
し, 内 治 優 先 の時 代 に 入 り 安 眠 を む さぼ る, そ れが 外 圧
じ ゃな い ん だ, 西 洋 に 劣 ら な い 文明国 な ん だ, とい う 自
で 呼 び 覚 ま さ れ る と ま た外 に出 て い く とい う サイ ク ルと
聹 心 を く す ぐ 。 た の で し ょ う。 し か し。 櫑
丿棹 氏 は 「 生 態
して 理 解 す るこ と がで きそ うで す(「 文明 の海 洋 史観」)
。
史 観 」 発 表 後, こ ん な こ と を 言 りて ま す。
只体 例 を 拳 げ ま す と,
「自村江の戦」
(603 )で 敗 戦 し た
「生 態 史観 」 は 「 べ き」 の議 論 で は あ り ま せ ん。・・・
後, 大 化 の 改 新(645 )で国 内 政 治 制 度 を 確 立 し, 平 安 の
「生 態 史観 」 に 対 して,「 そ れで は, わ れ わ れは どう
国 風 文化 を 膏て ま し た。 こ の 平 安 の眠 り は 元寇(1274,
す べ き だ と い う の で あ る か 」 とお 悶い に な る。 … わ
1281 )と い う 外 圧 で 覚 ま さ れ,以 絳, 倭 寇( 海 洋 日 本 人 )
た し は, 日 本 の 知 識 人 の 「 べ き 」ご の みに, た じ た
が 海 洋 ア ジ アに 進 出 しま し た。 こ の ク ライマ フク スは 豊
じ と な・。た の で あ り ま す。
『傍 点 原 書;r文明 の生 鰹 史観。』よ り )
臣 秀 吉 の 朝鮮 出 兵 (1592,1597 )で の敗 峨 で , 日 本 は 鎖
国 時 代に 入 り ま し た。 し か し,
「 黒船 」と いう 外 圧 に よ・
て 開国 を 迫 ら れ た後, 日 本 は 懲 り ずに 大陸 ア ジア に 遒 出
一 方,「 文 明 の 海 洋 史 観亅 は 対 照的 で す。 本 の傴 や本 文
中 に は こ う 耆 い て あ り ま す。
し。 ま た ま た 手 痛 い 敗 戦 を 被 り ま し た(1945) 。 そ の後
戦 後, 讙 も 疑 う こ と の な か 。 た 陛地 史観 に よ る盃
は, ご 存 じ のよ う に 高 度 経 済 成 艮 か ら安 定 成 艮 とい う 国
説 に 真 っ向 か ら 撓 み 「 太 平 洋 文明 の 時 代 」に 日 本 の
内 経 済 の 充実 期 で す。 今 度 は ど ん な 外圧 が 訪 れ, ど のよ
還 む べ き 道 を 提 示 す る。( 傍 点 筆 者 )
う な 対外 展 開 を す る ので しょ う か ?
か つ て 流 通 で 優 位 を し め た 海 洋lll国 か い ま や日 本
ち な みに 「 文明 の海 洋 史観 」 と い う 書 名に は. 1957 年
の あ と を 追 う て, 工 業 化 を 始 めて お り, 熾 烈 な フ ジ
に 梅 棹忠 大 が発 表 し た「 文明 の生 態 史観 」 が意 識 さ れて
ア 間 競 争 の 時 代 を 迎 え て い る。 日 本 は 沌 洋巾国 と 銭
い ま す。 生 熊 史観 とは, ヨ ーロ ッ パ に根 強 い 直線 的 な 進
争 し つ つ も共 存 の透 を 探 る べ き で あ ろ う。( 傍 点 笨
歩 史 観( ア ジ ア的 → 占代的 一 封 建的 →近 代的 )に 対 抗 し
者)
て 唱 え ら れ た, 同 時 多 発 ・ 並 行 進 化 的 な 史 観 と 言 え ま
「 競 争 しつ つ も共存 」とは,何 か 当 り 前 のこ とを 言 うて
し ょ う。 つ ま り , ヨ ー ロ フ パ 文 明 も日 本 文明 も 元 々 は
い る よ う で す が, こ う い う 「 べ き亅 諞 をllえ る 人 は。 徇
ユ ー ラシ ア の辺 境 で あ り, そ れ ゆえ に ユ ー ラシ ア中 央 部
椋 氏 に よ る と 「 暴 走 の 可 能 性 をつ ね に は ら む 現 代 文明 社
にお け る帝国 の 興 亡に 巻 き込 ま れ るこ と な く, 各々 独 自
会 に 対 し て, 適 度 に は た ら く 詞 動 機 の 授 を は た して い る
の 文 化を 発展 さ せ, 高度 な 文明 社 会 の 形成 に 至 るこ と が
… 効 果 的 な ブ レ ー キと し て の 知 識 人 」 だ そ うで す。 な る
で き たと いう 理 論 で す。 こ れは, 生 態 系 の 発違 に た とえ
ほ ど。 そ れ な ら。 来 る べ き 太 平 洋 時 代 も 安心 して 迎 え ら
て, あ る 草原 に 林 がで き。 そ れが 荒 さ れ るこ とな く 肓 っ
れ そ う で す。
て 大 森林 ( 文明国 )に 至 っ た のが ヨ ーロ ッ パ と日 本 で あ
引 用 文 麒
る, 一 方, ユ ー ラ シ ア の大 半 で は いつ も草原 が 荒 さ れて
い る ので 森 林 が で き な い の だ と 説明 さ れ ま す。「 生 態 史
│)「 文●」
の海洋史艫」 川●甲 太。 中 央公論 杜
観 」 と呼 ば れ る のは こ の た めで す。
2)「布のシ ルクロ ード 史」 長澤和飯,中公 新書
陀燥 地 帯 は 忠 魔 の巣 だ。 … 建 設 と 破壊 の たえ ざ る く
り かえ し。 そ こ で は, 一 時 は り っぱ な 社 会を つ く る
こ と がで きて も, そ の内 部 矛 盾 が たま うて あ たら し
い 革 命的 展 闘 に い たる ま で 成 熟 す るこ と か で き な
いゆ
し か し… ま さ に 西 ヨ ーロ ッ パ で 起 こ る よ う な こ と
3)r クビライの挑取 モ ンゴル海 上帝岡 への還丿 衫111
正明。
惘H 新聞社
4)「 娜和の幽晦大遠征」 宮鯛iE膀,申 公新 書
5)『u本の近 盻ll! 界史の・ll
のFI豕』憫ll吹弘 く
編)
。中
央公論社
6)『淘から 見た歴 史』 川●¥太(留 )
。 ●原 書店
7)『 文●│
の生息史観』 掏掉忠 夫,中 公文庫
が, 日 本で も起 こ っ た だけ で あ る。
JS
JAMSTEC 19 轗年 第10● 第2号(・ ●罵 芻号)
深 海 へ の旅 (22 )
その88 SEPR
に あ るKohei Site の由 来
― Ridge Flux'97 航 海記 (長 男 誕 生記 ) −
(財) 電力中央研究所
津 旨 大 輔
Daisuke TSUMUNE
1997 年 7 月7 11 か ら8J ]1711 に か け て , 東 太 平 洋 中 央 洵 膨 の 潜 航 調 査 に 参 加 さ せて 頂 き ま し た。
南’│・s
球 で35 EI 間 ,し か も「 し ん か い6500 」の 乗 船 の 機 会 が あ る, と い う こ と で 私 に と っ て 初 め て づ く
し の 記 念 す べ き航 海 で あ り ま し た。 そ し て , さ ら に 記 念 す べ き こ と に, 航 海 の ち ょ う ど 中 間 と な る 8
月 上 旬 に , 長 男 の 誕 生 予 定 に な っ て い ま し た。 乗 船 地 で あ る タ ヒ チ に 出 発 す る まで は , 航 海 凖 ■ と 出
産 準 備 に 追 わ れ て( 妾 に?i わ せ る と 私 は 航 淘 凖 備 の み ら し い で す が )
。2つ の 楽 し み と 苫 し み を│口1
時に
味 わ っ て お り ま し た。
い ざ タ ヒチ を 出 港 す る と, 荒 人 の た め 果 た し て 今 後 の 調 査 がで き る の か 不 安 に な っ て お り ま し た。
し か し , 海 域 に 到 着 す る と 幸 運 に も人 候 に 恵 ま れ, 順 調 に,側査 が 進 ん で 行 き ま し た。 あ ま り 大 きな 声
で は・
j え な い の で す が, 船 の E メ ー ル を 使 わ せ て も ら い!11帰 り 巾 の 妾 と も 連 絡 を と っ て お り ま し た。
体 調 も 順 調 な よ う で , 安 心 し て 調 査の 準 備 を 進 め る こ と がで き ま し た 。 航 海 中 , 聞 か れ て も い な い の
に。 船 中 で 山 産 の こ と を し ゃ べ っ てお り , 親 に な る 前 か ら 親 ぱ か ぷ り を 発 糾 し て お り ま し た が, 皆 様
に 暖 か い 目 で 見 守 っ て 罰 い た の が , あ り か た か っ た で す。 赤 澤 さ んの お 子 さ ん が。 満 航 中 に お 生 ま れ
に な っ た と い う 話 を 闘 い て, 私 も そ う な れ ば い い 記 念 に な る の に な , と 思 い つ つ 潜 航 の[l を 迎 え ま し
た。
当rl , ち ゃ ん と 装 貿 は 作 動 す る だ ろ う か, 潜 航中 に ト イレ に 行 きた く な っ た ら ど う し よ う, 小 は い
い け れ ど 人 は・・・な ど と, 緊 張 感 の ピ ー クに 逹 し て , 心 配 事ば か り が 頭 に 浮 か ん で い ま し た 。 心 の 奥 底
に は, も ちろ ん 妾 と 子 供の 心 配 は忘 れて い ま せ ん で し た が … 。や はり 緊 張 し て い たの で し ょ う。
「しん
か い6500 」 の 前 で 記 念 搬 彫 も 終 わり ( ミ ーハ ーな も の で )
, 見 送 っ て く だ さ っ て い る 方 々に 手を 振 り ,
さ っ そ う と「 し ん か い 」に 乗 り 込 も う と し た 時 ,
「 パ ソ コ ン は 凵 と の 地 貿 調 介所 の 中 村 さ ん の 声 ( 中
村 さ ん に は。 ほ か に も い ろ い ろ と お 世話 に な り ま し た )
。 そ う な ん で す, 外 部 の cTD の デ ー タを 取 り
込 み, 採 水 ■ を 作 動 さ せ る船 内 設 置川 の パ ソ コ ン( 私 の 潜 航 で・ 番 巾 要 な も の ) を忘 れ た ま ま , 潜 航
し よ う と し て い たの で す。 こ の 話 はあ まり 言 い たく な か っ た の で す が ( 東 人 海 洋 研 の 岡 村 さ ん 撮 彫 の
ビ デ オが こ の 一 部 始 終 を と らえ て い ま す )
, 一一
瞬 の 弛 緩 の 後 さ ら に緊 張 し た こ と は 言 う ま で も あ り ま
せ ん。 乗り 込 ん で , パ イ ロ フ トの 小 倉 さ ん と コ パ イ ロ ッ ト の 飯 島 さ ん の 落 ち 着 い た 姿 を 見 て , 気を 収
りla し ま し た。 そ し て, 海 底 に 符 き,‥・1111
に 広 が る 一 人 ス ペ ク タ ク ルを 見て , 興 奮 状 態 に な り ま し た。
様 々 な 深 海 生 物 の 営 み, 海底 か ら 噴 出 す る 熱 水, 溶 岩 噴 出 の 爪 痕 を 残 し た 海 底 地 形 な ど , ま さ に 幻 想
的 な 雰 囲 気 が 広 が っ て い ま し た 。 一 瞬 , 本 来 の 仕 事 を 忘 れ て, 窓 の 外 に 広 が る風 景に 見と れ て い ま し
た。 ビ デ オで 見 た 景 色 と。 実 際 に 肉 眼 で 見 た 景 色 の 違 い が印 象的 で し た。 人 間 の 目 の 持 つ 情 報 収 集 能
力 に 感 心 す る と と も に, 有人 潜 水 艇 の 意 義 を 強 く 実 感 し ま し た。 私 の 潜 航 は トレ ー サ 実 験 の た め に ,
機 器 の 移 動, 設 置, 船 内 で の CTD モ ニ タ リ ン グ, 採 水 装 置 の 作 動 を 行 う,と い う 盛 り だ く さ ん な も の
で し た。 多 少, 機 器 の ト ラ ブ ル も あ り まし た が, 小 倉 さ ん と 飯 島 さ んの 全 面 的 な 協力 の も と で , 無 事
終 え る こ と が で き ま し た。 研 究 成 果 そ の も の よ り も, 今 後 の 研 究 に お い て , 得 難 い 貴 重 な 経 験 が で き
ま し た 。 少 し 言 い 訳 の よ う に な っ て し ま い ま し た が, 失 敗 な く し て 成 功 は あ り え な い。 多 少 問 題 は
あ っ た も の の, 有 益 な 潜 航 だ った と 思 っ て お り ま す。 潜 航 も 終 わり ( ト イ レ の こ と な ど す っ か り 忘 れ
て い ま し た ), 浮 上 中 飲 ん だ コ ー ヒ ー は実 に お い し か っ た で ず。 い ろ い ろ と 無 理 な要 望 も あ り まし た
が, 無 叩 調 査 が で き た の は, 井 田 司 令, 今 井 副 司 令 を 初 め と す る チ ー ムの 皆 様 の ご 理 帆
ご 協力 が あ っ
た か ら こ そ だ と 思 っ て お り ま す。 こ の 場 を 借 り て , 再 度, 感 謝 し た いと 思 い ま す。 今 後 , 今 回 の 潜 航
調 在 か ら 発 展 さ せ た 調 査 を 行 い た い と 考 え て お り ま す。 潜 航 が 終 わ る ま で は, 終 わ っ て し ま え ば 楽 な
航 海 だ と 思 っ て おり ま し た が, デ ー タ整 理, ク ル ー ズ レ ポ ー ト , 分 析 と 忙 し い ま まで し た。 心 の ゆ と
り は 取 り 戻 し ま し た が … 。 そ う こ う し て い る う ち に , 船 時 間 で 8 月 2 口 ( 日 本 時 間 で 8月 3[│ の 早
朝]
, 妻 か ら, 直 接 メ ー ルで ( ! )陣 痛 が 始 ま っ たと の 連 絡 を 受 け まし た。 陣 痛 に 耐 え な が ら メ ー ル を
打 っ て い る 妾 の 姿 を 思 い 浮 か べ, 驚 く と と も に ほ っ と し た も の で す。 そ の 後 し ぱ らく し て , イ ンマ ル
電 話 で 連 絡 を と る と, 男 の 子 が無 事 生 まれ た と の 知 ら せ を 受 け ま し た。 う れ し さ よ り も ほ っ と し た の
が 正 直 な 感 想 で す。 実 感 は い ま だ に あ まり あ り ま せ ん(11 月21 日 執 筆 中 に も)。 男 の 子 と 聞 き, 船 に
乗 る 前 か ら 考 え て い た「 航 平 」 と 名 付 け ま し た。 こ の 名 前 の 由 来 は , 私 が 太 “平 ゛ 洋 を “航 ” 海 中 に
生 ま れ た こ と に ち な んで い ま す。2 レ グ に 参 加 さ れた 東 大 海 洋 研 の 石 橋 さ ん に は,
「 子 供 が生 まれた時
に 父 親 が い な か っ た こと を 証 明 す る名 前 だ ね 」 と £・1 し て 頂 き ま し た。 その 日 に , 首 席 研 究 口 の 浦 辺
さ ん を 初 め と す る 皆 様 に 開 い て 頂 い た 誕 生 記 念 パ ー テ ィ ー は, 潜 航 とと も に 人 き な 思 い 出 と な り ま し
た。 さ て, い よ い よ 本題 で す が, 航 平 誕 生 の そ の 日, 地 質 調 査 所の 西 村 さ ん の 潜 航 が あ り , 新 し い 熱
水 活 動 を 発 見 さ れ ま し た。 西 村 さ ん の ご 好 意 で, こ の 地 域 を , 航 平 誕 生 に ち な み, Kohei
け て 頂 き ま し た。Kohei
Siteの 写 真 ま で 頂 き, 大変 感 謝 し て お り ま す。 こ の よ う に, Rigde
Site と 名 付
Flux 航 海
は 私 に と っ て 非 常 に 思 い 出 深 い, 記 念 す べ きも の に なり ま し た。 長 男 誕 生 に あ た り , 陸 上 で は 味 わ え
な い ほ ど の 皆 様 の ご 好 意 を 感 じ る こ と も で きま し た。 航 孚 は 現 在 3 ヵ月 半で , 元 気 に すく す く 育 っ て
お り ま す。 いつ か, この 航 海 の 思 い 出 を 語 っ て あ げ た い と 思 い ま す。 最 後 に, こ の よ うな 思 い 出 深 い
航 海 が で き た こ と を。
「 な つ し ま」乗 船 の すべ て の 皆 様, 本 航 海 に引 き ず り こ んで 頂い た 電 中 研 の 下 島
さ ん, 一 人 で 頑 張 っ て 出 産 を 行 っ た 妻 れい 子 に 感 謝 し ま す。
追記
こ の よ う な 文 章 を 書 い て , 改 め て 航 海 で の 感 動 が よ み が え っ て き ま し た。 こ の 機 会 を 与 え て 下 さ っ
た 海 洋 科 学 技 術 セ ン タ ーの 藤岡 主 幹, ど う も あ り がと うご ざ い ま す。
その89 Essay ―Trip to the Deep
noaa/pmei Kevin
My
my
first dive was on the Alvin. Dive 2441 in 1991. It
first girl friend, that is forever. 1
falling (o the bottom
was
is remembered
focuscd on what
the spiritual experience
shimneys
own
the search for new
chimneys
occupy
"absccnce
of evjdencc is not evidence of abscertcc". The
dreams.
You
brings us to this profession. We
thermal
and it was
hydrothermal
venling
made
sleep. Huge,
with that unusual
amongst
look hard and you look long. As
thrilling.Still. I hope
field thai haunts my
had four Alvin dives, where
flanges, galathcid crabs swimming
and
evolution
into view. The
was regained quickly, but
from that dive in my
movement
and
of
I was
firstand only dive on the "Shinkai 6500", Dive 253, was the first
dive. I still see images
with overhanging
my
I had to do and Ihe enormity
has never left me.
the junior scientist My
time I got to plan my
of
composure
the Alvin, it is a one pilot,two scientist crew. I have
always
as the name
of the ocean was no! real to me until the ocean floor camc
best description is that il was a spiritual experience. My
On
the same
K. Roe
pulsating
field after field of dead
Carl Sagan
once
said
thrillof new discovery brings us back
new discoveries on Leg II concerning
someday
dead
hydrothermal
to dive again and find that new
hydro-
dreams.
その90 しんかいの灯
東京大学海洋研究所 岡 村 慶
K≪i OKAMURA
二 日 続 きの う ねり が よ うや く 収 まっ た。
ベ ン ド閧 。 し ん か い が 潜 航 し は じ め る。
海 而 が抜 け る よ う に,ない。
JAMSTCC 19
哮 年 第10 魯 第2号(通魯篤3S 号 )
J9
水 深300m
, 外 は漆 照 で あ る。 も う 太 陽 の 光 も 届 か な い。
な に も 見 え ま せ ん ね。 照明 を 消 そ う か ?
略 く な っ た 船 内 か ら 外 を み る。I
‘f白 い 光 が 見 え る。 允 光 バ クテ リ ア 達 だ。
ふ と, 人 学 に 通 う頃 , 山 の 中 で 見 上 げ た 星 を 想 い 出 し た。
人学の近くに標鳥数100m
程度の│llがある。 山の中腹に市内を・ 望できる場所がある。
夜,この山にぴる。麓の名刹から展91所まで数十分の逆のりである。
昼間歩きなれた道も夜には様相を変える。
思 うように足取りが進まない。 やっとの 思いで目的地 へたどり着く。
眼 下に広が る市内の夜景が, 今までの苫 労を忘 れさせる。
水 深2.570 m、 し ん か い が 前 照 灯 をつ け た。 ま も な く 海 底 で あ る。
こ れ か らど んな 世界 が 映 し 出 さ れ る の で あろ う。
その91 マリアナ海溝のチャレン ジャー海淵, 10,962 メートルと
10,938 メ ートル
・χχ。U SU 本 座 栄 一
そ れ は。 ど ち ら か と い う と あ っ け な い も の で し た。 調 査 船 が, 今 , マ リ ア ナ 海 溝の チ ャ レ ン ジ ャ ー
海 淵 と い う 世 界 で 最 も 深 い と ころ を 通 り 過 ぎた と こ ろ で す。 コ ン ピ ュ ー タ ー が 打 ち出 し た 記 録 を 画 而
上に 表示 し て い っ た と こ ろ ,最 も 深 い と こ ろ が10,962
メ ート ル と 表 示 し たの で す。こ れ が 世 界で 最 も
深 い と こ ろ で す。 ほ ぼ 北 緯11 度, 東 経142 度 ,日 本 か ら 太 平 洋 を ほ ぼ 真 っ 直 ぐ に 南 下 し た 亦 道 の 少 し
北 , グア ム鳥 の 南 西300 キ ロ メ ート ル の と ころ にあ り ま す。 まだ ,1E 月 気 分 の ぬ け な い 1 川 6 冂 に 横
須 賀 を 出 港 し , し け が 続 く 日 本 近 海 で の 揺 れ に 悩 ま さ れ, や っ と 穏 や か な 南 に 抜 け 出 し て , 調 査 を 繊
り 返 し ,1 月12 日 の 早 朝 3 時`li
頃 に 通 過 し て い ま す。 の こ の こ と ベ ッ ド か ら 起 き だ し, 眠 い 目 を こ す
り な が ら 観 測 室 に 出 か け て い っ た と こ ろ で す。 通 過 す る と い って も 世 界 最 深 部 の 真11 を 通 過 し た の で
は な く , そ の 数 キ ロ メ ート ル南 側 を 通 過 し て い ま す。 便 利 な 装 置 が次 々 に 開 発 さ れ て , あ る 程 度 の 幅
を 掃 く よ う に 探 査 で き, 水 深 を 測 れ る 装 置 を 積 ん で い ま す。 こ の 装 置 は, 数 キ ロ メ ー ト ル か ら10 キ ロ
メ ー ト ルの 橘 があ る筈 深 線 で 結 果 を 出 す こ と が で き ま す。 あ る地 点 の 水 深 を 知 るに は , そ れ を 後 ほ ど
コ ン ピ ュ ー タ ーで チ , ツ ク し て 値 が 分 か り ま す。 従 来 の 測 深 機で 水 深 が断 面図 で 出 て く るの と 印 象 が
違 い ま す。「 あ あ, そ うで す か 」 と 答 え て 属 室 に 戻り まし た 。 こ の 値 は 後 に , 若 い 女性 研 究 者 が コ ン
ピ ュ ー タ ーで チ ェ ッ クし た 結 果, 受 信 信 号の 信 頼 性 に 欠 け ると い う こ と で , 信 頼 の お け る 深 度 は, 三
箇 所 あ る 深 ま り の う ち, 隣 に あ る 深 まり で , 水 深 は10,938
メ ー ト ルで あ る, と の こ と で し た。 し た
が っ て 。 世 界 で も っと も深 いと こ ろ は , 現 在 の と こ ろ 水 深10,938
メ ー ト ルと い う結 論 に な り まし た 。
以 前 は, 音波 を 発 振 し , 海 底 で は ね 返 り , 記 録 器 に点 と し て 現 わ れ。 そ の 繰 り 返 し か ら 記 録 紙 の 上 に
断 面図 が 描 か れ ま し た 。 水 深 が ど ん ど ん 浅 く な り 新 し い 海 山 が 出 て きた り す る と, 皆 が 記 録 器 の 前 に
集 ま って ,「 ど こ ま で の ぼ っ て い く の だ ろ う か」「 きっ と 三 日 前 に 見 つ け た 海 山 より 人 き い よ 」 な ど と
わい わい や っ た も の で す。 海 の 調 査 が い き届 か な か っ た。 私 の 若 い 頃 に 山 か け た 訓 査 で は, 一 つ ーつ
の 発 見に 感 激 し て い ま し た。
そ れで も そ の 感 激 は , 昔 , 人 航 海 時 代 に 命 を か け て 大 海 原 に 乗 り 出 し た 男 た ち に 比 べ た ら 微 々 た る
も の で し ょう。 海 原 の 果 て に は 断 崖 が あ り , ご う ご う と 海 水 が 流 れ 落 ち る 滝 に な っ て い る な ど と 考え
られ て い た 時 代 に, 人 海 原 に 命 を か け て 乗 り 出 し た 強 者 た ち, 例 え ば , コ ロ ン ブ ス が 新 人 陸 を 発 見 し
た 時 の 感 激 や , ク ッ ク が オ ー ス ト ラ リ ア を 発 見 し た と き の 感 激 に 比 ぺ た ら, 海 山 を 発 見 し た 感 激 など
も の の 数 で は な い で し ょ う。 し か し な が ら, 最 近 は , こ の 小 さ な 感 激 を 得 る こ と も 難 し く な って きて
い る よ う で す。 さ る 人 学 の 先 生 が 久 し ぶ り に 海 洋 調 査 に 参 加 し て 「 す ば ら し い 試 料 が 海 底 か ら取 れ た
と い う の に, 若 い 研 究 者 が ち っ と も 感 激 し て い な い 。 ど う い う こ と だ ろ う 」 と こぼ して い ま し た。 確
か に そ の と お り で し た。 い い 試 料 が 海 底 か ら 取 れ た と い う と , に こり と 笑 って そ そ く さ と 試 料 の 整理
に と り か か り, 感 激 し て い る, と い う 様 子 は, あ まり み ら れ ま せ んで し た。 そ の 場 は一 応 「 多 分, 毎
日 い い 試 料 が 取 れ て , 感 激 す る ひ ま が な く な っ た の で し ょ う 」 と 答え ま し た が, そ れだ けで はな いよ
う で す。 そ う い え ば , 私 自身 , 感 激 す る こ と が 少 な く な っ て い る こと に気 が付 き ま し た。 い つ も 若 い
大 た ち と 一 緒 に い て 感 化 さ れ て し ま っ た の で し ょ う か。そ ん な こ と は な い で し ょ う。
「 人 の せ いに す る
ん で は な い 」 と , 若 い 大 た ち に怒 ら れ る こ と で し ょ う。 以 前 は, 調 衣 に出 か け る機 会 も 少 な く , や っ
と , そ の 機 会 に 恵 ま れ て 出 か け た 調 査 で は , 目 新 し い結 果 が 次 々 と 偲 ら れ た こ と は 事実 で す。 そ れだ
け に 感 激 も 人 き い も の で し た。 そ の よ う な グ ル ープ か ら 輝 か し い 成 果 が出 て い き ま し た 。 若 い 大 た ち
も, き っ と 感 激 し て い る に 違 い あ り ま せ ん。 子 供 た ちを みて も「 ト ト ロ」 に 感 激 し て い ま す。 た だ ,
そ の 表 現 方 法 が 穏 や かな の で し ょ う。 私 の 若 い頃 の よ う に人 げ さ に 感 激 す る こ と が な い だ け な の で
し ょ う 。 こ れ は 決 し て 悪 い こ と で は な いの か も し れ ま せ ん。 大 , 満 ち足 り て 紳 士 と な る。 確 か に , 以
前 の 私 と 周 り の 大 た ち は , 紳 士 と は い え な い も の で し た。 失 礼 , 少 な く と も 私 に 限 らせ て い た だ く と
し て も で す が。 考 え て み ま す と, そ れ で も 結 構 いろ いろ なこ と に 感 激 もし て い ます。 北
杜夫 の ド ク
ト ル ジ バ ゴ で は な い で す が「 お 姫 さ ま。 落 城 で す」 な ど と い うテ レ ビ の 画 面 で は ら は ら 涙 落 し て い ま
す。 こ れ も 歳 を と っ た せ い な の で し ょ う か。 そ れと も ま だ , 精 神 年 齢 が 若 い と い う こ と な の で し ょ う
か。
と こ ろ で , あ な た は, 最 近 , ど の よ うな こ と に 感 激 さ れ ま し た か。
JAMSTEC 1998
竿 累 ¶O 番 罵 2 号( 通 巻篳3S 号)
41
今 回 の 「 探 梅 へ の 旅 」 シ リ ー ズに は4 つ のエ ッ セ イが 掲 載 さ れ ま し た。
ま ず, 東 太 嘔洋 附澎 の 潜航 に関 し て3 つ のエ 7 セ イが 米 て い ま す。
最 初 の津 旨 さ ん の エ ッ セ イは航 海 中 に 艮 外誕 生 とい う 得 難 い 縦験 と 妻や 関 係 者に 済 ま な い と い う 複 雑な も の で す。 海 を 研 究 し
てい ると こ のよ う な こ と がよ く起 こり ます 。 し か し 心 子 の 名 前を 呼 ぷ た ぴに この 畤 の 鵬 勣 が 呼 び覚 ま さ れ る こ と でし ょ う。
2冊 目は Roe さ ん のエ ッ セ イ で, 今 まで ア ルビ ンに 4 回 も 潜 航し てい て もい つ も畊 研 究 占 で 自 分 の 思 う よ うに や れな か・ た悔
しさ があ り ます 。 しか し今 回「 し ん かい65(X)
」で は 初 め て( 実 は 2回 目 ) 自 分 で 搬航 で き, 新 しい 発 見 の あり た ス リ リ ン グな 航
海 で あ っ た とい う 感 助 が 伝 わ っ て 耒 ま す。
3番 目の も のは 岡 村 さ ん の も の で す。 披 は GAM OSと い う現 場 化 学 分 听 装 置 の お 守り と その デ ー タ の解 听 が仕 事 です 。海 岐 の
世界 が彼 が 通 って い た大夕 の 夜a を 思 わせ るよ う です 。 吉田 山 によ く 立 っ て憂 さ を 晴 ら し たこ と で し ょ う 。
最 後 のは 「 か い れい 」 で こ の 1 月 に マリ ア ナ海 溝 を 調 童 し た と き の もの で す。 本座 さ んは 久 し ぷ り に舶 に 東 っ て。 奴 測 機器 が
新 し くな り 若 い 研 究 占 と わ い わ い や っ てa`の こと を 思 い 出 さ れ たの で しょ う。 そ れに し て も若1・ の 研 究 占 や 学 生 の感 動 のl い の
は 気 にな り ま す。
こ の コ ー ナ ーで は「 深 海 」 に 興味 や関 心 を 持 つ 人は 誰 で も参 加 し て もら り て砧 桝 です 。 科 学 エ フセ イか ら 。感 想 や将 来 の晟 里
何 で もけ う こ うで す。 原 稿を お 寄 せ 下 さい 。 原 稿 は郵 便 で もフ ア7 ク スで も E−mail で も結 構 です 。
連絡 先
海 洋 科 字 技 術 セy タ ー
深海 研 究 郎
藤岡換太郎
Tel:
Fax:
mail:
42
JAMSTEC las
年 鱚10 ● 第2母(遍番 第38 号)
トピ ックス
対馬 丸 を探 せ!
「対馬丸」調査チーム(研究担当理事)堀田 宏
Hiroshi HOTTA
で 船 の 沈 没 旭 戉と推 定 さ れて い た とこ ろ で あ う た。 と こ
1。
はじ め に
ろ が。 そ の 後 沈 没 の推 定 位 置 が い く つ か 示 さ れ, そ れ ら
の 位 置 の 何処 に 本当 に 船 が 沈 ん で い る の か 判 断 す る こ と
1944 年,太平洋戦争の木期,劣 勢の日 本川は圧倒たる
戦力を誇 る米軍に次第に追い込 まれて きた。 7月にはマ
は 極 めて 難 し くな っ たこ とか ら ,1988 年 を 最 後 に 海 上 蝋
霊 祭 は巾 断 の や むな きに い た って い た。
リアナ砧島 のサイパン島 が住民 も巻 き込 まれた日本叩 の
1997 年 H 刀 は, 時 あ たか も「 沖縄 」が 日 本 に 返 還 さ れ
玉砕で陥落し, いよいよ最後の日 本本 土決戦 の時 が近づ
て 再び「 沖 縄県 」とな っ た年 か ら25 年 n の ー つ の 節日 で
いて きた。 そ の最初の戦川地は, 沖縄となることを 予想
もあ り ,あ の悲 刺 か ら53 年目 の 年で もあ・ た。こ れ を 機
した軍は,時 の政府に沖縄本島を 介む南西渚島 から多 く
に 鈴 木 宗 男沖 縄 開 発 庁 艮 官 は, 谷 埴 禎 一 科 学 技 術 庁 長 官
の学 嗔やお年寄りを 九州 や台湾に疎開 させるように 要請
に「 対 馬 丸亅 の 沈 没 位 置 の 確 認 を 要 請 し た。 谷 垣 大臣 は。
した。 学童疎開 船「 対馬 丸」 の悲劇は,こ のような時 代
海 洋 科 学 技 術 セ ン タ ーか 培 っ て き た 深 御 調 査 技 術 に 関 す
的 背景の もとで起こった。
る経 験 と 知 識 と 最 新 の 深 海 調 査 ・ 探 在 装 置 を 使 って, こ
1944 年8月21 日 午 後 6時35 分, 学 嗔797 名を 含む
│。661 名の乗客を 乗 せて 艮さ約136 メートル,6,754 ト
の 要請 に 応 え る こ と が 山 来 る か ど う か 検 討 す る よ う当 セ
ン タ ーに 指 示 し た。
ンの「 対馬 丸」は 僚船 2隻, 護衛の軍艦 2災とと もに那
火 は そ の 年 の 1 月 か ら 2月 に か けて, わ れ わ れ海 洋 科
覇港を出 港し て行りた。 こ の船に は船 長以 下86 名の船
学 技 術 セ ン タ ーは, 運 愉 竹 の 要 請 を受 け た科 学 技 術 庁 か
員 が乗糾 んでいた。翌22 日夜10 時15 分頃,ト カラ群島
ら の 依 頼 に よ り, 冂 丿早 々 時 化 の 隠 岐島 沖 の日 本 海 で 沈
懸 石島北 丙沖を航行中 の「 対馬 丸」は, 米軍 の潜水艦の
没 し たロ シ ア の 老 朽 石 油 タ ン カ ー 「 ナ ホト カ」 号 を 探 索
3発 の魚山 の攻撃を受 けて間 もなく水深約900 メ ート ル
し, 海 底 に あ る 船 体 を 確認 し, ま た 石油 の漏 え い 状 況 や
の海底に沈没し去った(図 一1)
。1,747 名の乗船者の中
船 体 の 破 壊 部 分 の 観 察 も 行 っ たば かり で あ っ た。 こ の 火
で救助さ れた人は,59 名の学 童を含めて わずか239 名に
績 か ら こ の たび の 要 誚 を 受 け るこ とに な っ た ので あ ろ
遇 ぎなかった。738 名の学 燉と770 名 の一股蕀間者と乗
う。 科 学 技 術 庁 か ら のこ の 要請 に よ り, 早 速 セ ン タ ー内
組11, 合わせて1,508 名もの多く の方々が。 戦印の犠牲
に 研 究 川 当 珊1事を 総 括 責 任 者 と し セ ン タ ーの総 力 を 挙 げ
となって命を失・5たのであ る。
た 「 対 馬 丸亅 調 査 チ ー ム が編 成 さ れ, 探 索 ・ 調 轟の 可能
性 に つ いて 検 討を 闘 始 し た。
2。 「 対馬 丸」 はど こに ?
3。 「 対 馬 丸」 の 沈没 地点 を 確 認で き る か ?
学 童 鱗 開 船 「 対馬 丸」 遡 難 者 遺 族 会 は, 他 の 遺 族 会 と
共 催で33 【・.II
忌 に あ た る1975 年 に 第 一 回 「 疎 開 船 対 馬 丸
事 件 は 何 せS3 年 も 前 のこ と で あ る。 当 時 の測 位 技 術
遡 燬 死 没 者 海 上慰 霊 祭 」 を 行 っ た。 そ の 位 置 は,「 対 馬
上 の 剛 界 もあ り。 しか も戦 争11jのこ とで もあ る ので。 ま
丸 」 の 一等 航 海.I:に よ る「 対 馬 丸 遭 難 概 況 棚 木 報 告 書 」
ず船 の 沈没 位 置を 推 定 す るこ と が 至 燵 の 業で あ る。 前 に
JAMSTEC 1996
年 旃10 巻 第2号( 通●旃38 母)
43
図 一1 「対馬 丸 」沈 没推定淘域
も述 べ たよ う に推 定 位 置 は[ 対 馬 丸 ] か ら. そ の派 遣 元
り・の 哨 戚 報 告,’l
を 人 手 し, そ れを 防 衛ly の 呷門 家 が觧 听
会 社で あ る日 本 郵船 へ の電 報 に よ る 履 後 の位 置 報告 やア
し た 結 果。 そ の 位 置 を 北 緯29 度32.9 分, 東 経129 度
メ り カ側 の報 告を 合 めて. 4 カ1兎が い ろ い ろな 資料 に 記
31A 分 と 算 出 し た。 こ の情 報 は 当 セ ン タ ー に もlX1え ら
録 と して 残 さ れて い た. こ れら の位 置 は, 最 初 の日 本 郵
れ, こ れ が 最 も 信 頼性 が 高い も の と思 わ れ たので こ の地
船 へ の電 報に よ る 位 置 が極 端 に 北 に 寄 うて い る ものを 除
点 を 中 心 に 探 索 ・ 調 査を 逃 め るこ と と し た( 関 一2)
。
度32 分,129 度30 分 を中 心 に おお よ そ 半 径約
探 案 一調 在 の 手 朋 と して は,「 ナ ホト カ」り を 探 しあ て
2 キロ メ ー ト ル の 範 囲 の巾 に お さ ま る もので あ った. そ
たと き の 例 が 既 に あ る ので そ れに な ら って 行 うこ とに し
して こ の度, 厚 生 省 な ど が ア メ り 力 の公 文 咨餓 の記 録 か
た。 す な わ ち。 第 一 段 階で は 今年 の春 に 就 航 し たば か り
ら 「 対馬 丸 」を 攻 撃, 撃 沈 さ せ た潜 水 艦 「 ホ ー プ4 ン」
の 最 新 鋭 深 海 調 査 研 究 船 「 か い れい 」に 装 備 さ れて い る
けぱ.29
μ
JAMSTEC 19
勍 年 篤10 魯 旃2号( 通魯第38 母)
図 一2 「 対馬丸亅 探索 ・調査海域
最 も新 し い 「 シ ービ ー ム広 域 海 底 地 形 探 査 装 置 ( マ ル チ
を山 動さ せる. そ の物体が確かに船体であ ることを臚2
ナロ ー測 深 機 )」に よ・5て,ま ず 一 定 の 広 い 範 囲 に わ た っ
で きれば, 次いで舶 名や船体の特徴を 禳かめ ることとし
て 海 底 地 形 と海 底 の 底 質 と を 調 査 し, 人 工 物 体 の 可 能 性
た. 調 査淘域 の広さは, 先に述 べた最 も確度 の高い北綽
があ る も のを 探 し だ す。 もし, 人 工 物 体 と 思 わ れ る も の
29 度32.9 分. 東経129 度3 】.1分を中心 に,おお よそ12
があ れば , 次 に 「 か い れ い 」 に 搭 載 さ れ て い る 無 人 探 査
キロメート ル四 方とした. なお.こ の海域は黒潮の流域
機「 かい こ う 」 の ラ ンチ ャ ーを 海 底 付 近 に 吊 り 降 し, そ
で もあ り, 曳航爾 査は強い海流 の影響を受 けて, かなり
れ ら の物 体 に 接 近 し て ラ ンチ ャ ーの 『 鉚』
方探査(サイド
難航 すること か考え られた.
スキ ャy) ソ ー ナ ー」 に よ って そ れ ら の 勧 体 の 形 状 を よ
次に予想さ れる船 体の棟 子であるが.「 ナホト カ」号の
り詳 細 に 明 ら か に す る。 もし も, そ の 申 に 船 体 ら し き も
ようなrl然災古的 な事故 の場合には. 船体の破壊や戡l
の があ れば 第 二 段 階 に う つ り, 支援 母船「 な つ し ま 」で,
の状況はかなり鍜 られていて, はっ きりして いること が
人間 の目 よ り も感 度 の 高 い 「 スーパ ーハ ープ 」 カ ラ ー テ
多 いと思 われるが,
「 対馬 丸」の場合は.長さ が136 メ ー
レ ビ カ メ ラを 装 備 し て い る 無 人 探 査 機「 ド ル フ ィ ン3K 」
トル, 輻約18 メ ー1ルもの大 きさがあ・ たと はj え,涓
JAMSTEC 199e
年 第10 ● 第2号( 遍●第3s 母)
朽
’
図 一3
圃 衣沌 域 の晴 密 廊 底 地形 図 及び 特 異 点
水 繿 に よ る 魚・Ili
攻 撃 を 受 け て 沈 没 き せ ら れ た 6 の であ る
の で . 船1本はll `?1
な 鳩・,I;
を 受 け . ば ら ぱ ら に な.
ま た . 沈 没 後53
年 も のJHI
が たー, て い る こ と を 考 え
てい る
る と 海 底 に あ る 船 体 に1 ぶ赦 セ ン チ メ ー ト ル 程 度 の 堆 簡 物
こ と も│ 一
分 に 考え ら れ る . 調 内 に 先 之-・ て. セ ン タ ー の
が 降 り 積 も , て 衣ji を 囑-J て い る も の と 考 え る べ き で あ
喋 u が 那ll で 直 接 生 存 a か ら そ の 状 況 にー 〕い て 謡 をl 司え
る . こ のjIII
度 の 堆 積 物 の 被g で は ,i °j・.・
波に よ る 探 索 に 対
る 韈2 か 設 け ら れ た. そ れ ら の,IIIミj・
や 各 邨 の,kl録 に よ れ
し て は 彰 響・1よあ ま り 無 い と 考え ら れ る が . む し ろ 次 の 段
ば , そ の こ と を 示 凌 す る よ う に 船 体lj 貞 ’.
つに折 れ て沈
隅 の カ メ j で の 観 察 で は , M た い り7 ]が11 ら れ な い と い
λ で いー つた と か , 舶 体41 火 部 付 近 でr・1煙 をF. げ な が ら 塚
う かな り 深 剣 な 影 響 が あ る も の と も 考え ら れ る. ナ ホ
発 し て 沈 ん で いー, た と.l・う も の が あ・, た . し た が・ て ,
ト カ 」 り の 場 介 とlj 違-. た こ れ ら の 難 い.・ 条fl=が あ る と
船 体:よ必 ず し も そ の ま ま そ-J く り の 形 . 人 き さ で 海 底 に
い う こ と を 頑 に お い て . い よ い よ 探 索 一調 西 を│則始 す る
あ る と は 限 ら な い こ と に な り . 初 期 の 傑 索 ・ 調 食が か な
こ と と な-1 た5
り 難 し く な る こ と がf 思 さ れ た .
46
JAMSTEC 1996
年 ・10 巻 第2号(a 巻第 祠 号)
ド か出 せ ず, や や遅 れ気 味 な が ら12 月 3日 の 午 後 】時
4。
音波 を 使 って 海 底 の様 子 を 探る
頃に 。 調 査 海 域 に 到 着 し た。 船 が調 轟 海破 に 差 し 掛 か る
と今 ま で 降・ て い た 雨 もあ か り, な に かこ の調 査を 待 ち
平 成 9 年12 月 1H 午 後 3時。 大 勢 の 人 々 の 見送 り を
望み , 歓 迎 す る か の よう に明 るい 陽 光に照 ら さ れ て 人 き
受 け な が ら深 海調 査 研 究船 「 か い れ い 」 は, 海 洋 糾学 技
なl L い 虹 が 空 を か ざ っ た。 直 ちに 船 長以 下 の乗 組 口 と
術 セ ンタ ー の 専用岸 壁 を出 港 し, ト カ ラ 群島 悪 石 励 沖合
研 究 業 務 部 長£1ドの調 査班 に よ って, 遭 難 者へ の 慰・ 祭
の 凋 杳 海域 に向 か・ た。 冬 季の 海 の 航 海 は, 北 西 か ら の
を 行 った の ち探 索 一副 査を 開 始L だ。
季 節 嵐 とそ れによ る波 の彫響 を受 け て 思 うよ う な スピ ー
「 か い れい 」は, 約 2 キロ メ ート ルの 測線 間 隅 で 朿 内 方
47
│;I]
に 5 測 線。14jjt ゐ・1*4
に 6測線 のあ ら か じ め 決 めら れ て
たー,て . そ の│向兪 に 見 人 り, 興 奮 しな が らlj 々に 舶 で あ
い た 渊 楾 に し た がー, て , 午 後2・5'r
るか どう か, 議 粱 し た.`
冖然 こ の 凋 4 結 果 から だけでu.
頃 か ら マjレチ ナ ロ ー
測 深 櫁 によ っ て海 底地 形 と 海底 から の 反 射 波 の 艶度 を 測
船 で あ る か ど う か 結 験 の出 る も ので は な か , た. し た
り な が ら , 走 り 始 め た 。 こ の││ は 徹 夜 で,xI飛 を 行 い。12
か,1て. ゛1初決 めて お い た 手顛 とお り に. 12 J]・lllの 吠
月4 1・l の 午li'」2時 節 ま で にf 定 さ れ た す べ て の 測 線 の 瀏
索 ・4'Jftは , こ のJx 剔 波 強峻 の  ̄
特 火点」 が どの よ う な
査 を 終 え ,111'。
ち に 財 听 の 作i に 人-, た 。
形を して い る1、の で あ るg】か, 無 人探 轟鱧'I かい こ う _
の側 方探 査 ソ ー ナ ーに よ・,て 確 か め るべ きで あ ると い う
5.
海底 に 特 異点 を 発 見
こ とに な. た。l,!通, こ の蜀 一轍 は出 勤凾・の関 係?1・に{11
え ら れ. 訓 介チ ー ムと して のr 觧 の11 とに 9時 刈 ぎか ら
1!μ j れ た デ ー タを も と に コ ンビ 。− タ ー に よ っ て 筈 深
「 か いこ う. の ソー ナーによ る,凋介が 始 ま-1 た.
線 で 示 さ れ る 海 底 地 形 閃(│ 刺・・3) と 海 底 を ま る で 航・令";
真 の よ う に 示 す 反qla12強1111QIと を 描 か せ 始 め た 。 や が て
6.
特 異 点は船 体 か?
│剌か ら 北 にl;,lか-j た 束 経 】291t33.5 分 の 測 編 上 の 内 側
に 。 南Jb こ:1
‘{鉤 状 に 紅 び る 豹150 j
− ト ル ほ ど のく っ き
シ ーピ ー 厶測 深 壥 に よ る探i ・調 査で11- 功・-・ た特 鷽
り と し た 反 剛 波 強ll の 強 い 物 体 が あ る こ と が わ か っ た 。
点 のR.i
癶は 北 緯29 度31.93 分, 東経129 度32,905} で,
亅ヒ で 反 転 し た 次 の 測 線 で もgj と ん どII・11:
位 武 に やは り 強
米洵
‘・│!
潜 水艦 の 報 告 に よ るlヽ 191か ら は山j・ 西 へ約 3 キロ
い 岐 射 か み ら れ た。 そ の 形 状 と い い , 反 射 破 強 度 の 強 さ
メ ート ル離 れ た甬 で あ る が. こ の広 い 海 域 の中 で 外 に こ
と い い。11j り のi・jll.
に 丈ら かい 雌 閇 初 に 跼 わ れ た海 底 の
のよ うな 特IJM点4j な か-3 た.
楳r- と はヨり│ら か に 迴 う 6 の で あー, た( 関 一4) , ま た 念 の
た め に , 尚 底 瞋 芯 の 断lfli
を調 べ る こと が で き る 測濠 槻 の
' か いこ う」 によ る調 介4よ.こ の特 災立 を中 心 に こ れ を
【川む よう な 測 楾 でiliうこ と と し た. まず.午 前 】01s少L
sI」の 7 − ナ ー で こ の 特 火 心 の 貞ll を 涌-, て み る と 堆 碵 物
li;j
か ら. 特 呎点 を 柬 に 兇て 約250 メ ート ル内 佩を│句か ら
が 整 然 と 屑 捐 芯 を な す 海 底 の hに , 内・ の 一 部 に 強 い 反
北 へI")かう 訥 | 副 線 にs・1-,て I皃嘔調 査を 闘 始 し た. や か
射 を 示 す 約20
て 特 災点 の冱 く に 来 る と300 メ ート ル11111
剽に 佐 いb4 射
メ ー F ル の 高 さ の 物1 本 で あ る こ と も 分
か ・ た 。 調 6 班 は も ちろ ん 舶ll の4' べ て の 人 々lj 色 め き
図 一5
加 人探ft*
が現 れ 哂 め たが. そ の 映 像iよすぐに100j
Iかい こ う .側 方裸1°
とソー ナー:こよ る a 冊 映 衂(Divdo
−ト ルほ ど も
)
( 束か ら西 を Qる )
g
JAMSTEC 199e
年 第10 尋・ 2号(通 巻凱 祠 号)
図 一6 「Iかい こ う 」 側力・探 査ソ ー ナ ー でi!1ら れ た β冐 映 鍬(Dive61 )
( 丙か ら 東を 見る )
朿 に 飛 び そ の 後 ま た││
‘i諏 的 に 丙 側 に 唳 り , そ の 先 は「
廴
を セ ン タ ーで│肉 像 処 理 を し て み る と14 さは 約130 ∼140
の 字 状 に つ な が り , そ こ で/ ヽ夕 と碆 わ ,て し ま っ た 。 こ
メ ート ルで ,」ヒ惻 の船 首と思 わ れる 部 分 の高 さは.約15
の 映 像 か ら で は , 人ll 物 で あ ろ う と は・a え て も お 世 辞 に
メ ート ルで . そ れは まさ に  ̄
対馬 丸_ の恥 影そ・ く りで
も船 体 で あ る とj' え る も の で は な かー, た 。 多 分 。 こ の よ
あー, た. とa う こ とは. 船 体 はあ まり ば らば ら に 嫡 れて
うに の た く っ た 映 像 に な っ た の は ,「か い こ う」 が 曳 航 さ
はい な か った と4 う こ と で あ る.
れな から 左 右 に 振 れ た こ とによ る もの と根 定 さ れ た。 ま
た こ の 第 1 回11 の 曳 航 副 査│ごよー, て ,「か い こ うJn 身 と
これを 吊 り 下ろ す ケ ー ブ ルの流 体 祇 抗 が かな り 大 き い こ
と もあ り 。 曳 航 速 度 を 1 ノ・y1 程 度 の通 さ と す る と 母 船
7.
海 底で 発 見 され た船 体は, 本 当に 「対 馬 丸 」
か?
こ の第 1段胼 の 探索 ・ 調 査 で }カ ラ 群鳥 悪 石島 の北 西
が1111
線 を 保 っ て 移 動 で き る コ ー ス は141か ら
約10 キ ロ メ ート ル, 水 深約880 メ ート ル の海底 に「 対馬
Jt の 方 向 廴か な い こ と か 明 ら か と なー。 た。 第21n 】
目は,
丸j と愆 われ る舶 休 があ る こ と を 確 か め. そ のこ とを 発
特 異 心 を 内 に 見 る よ う に 約350
メ ー トjレ 東 側 を 通 る よ う
表 す る とと もに12 月 7H には  ̄
か い れいJ よ那 翻港 に 入
に 曳 航 し た 。 今 度 は 如 何 に も;' 船 形.JIと,'1つ て も い い よ
り. 遣 族 会 の 方 々を 初 め関 係 の 方 々に 6こ のこ とを 梱告
「 か い れ い」
う なllo
メ ー ト ル 確 度 のー-一
塊 り の反 身
ヽ│の 強 い 物 体 が 記 録
し た.こ れに 完・冫.
ち 1211511
に は,沖絢 開 允 庁 長官 から
紙 上 に 駁 れ た 〔 M −5 〕。 舶l; で は , こ の 闘 辺 に は 外 に 大
こ の 調 査結 果を 踏 まえ て . 肖 び 科 学 技 術庁 長1’1
にこ の船
型 の 舶 が 沈 ん で い る と の 記 録 も な い こ と か ら 證 もが 特 賚
休 が「 対馬 丸 」 であ るこ と を カ メ ラ に よ って 最 柊的 に 確
点 はl で あ り 。 し か も「 対 馬 丸」
認 す る た め 凋 査 を で きる だ け 早 急 に 行 う よ う 依 頼 が あ
で あ ろ う と 確f」・し た 。
し か し , 映 像 はll 送 ト ラ ブ ル の た め す ぐ にlj セ ン タ ー へ
り, 海 洋科 学 技 術 セ ン ターで は こ れ を受 けて. こ の度 は
:よ届 か な か 。 た の で 陸 上 で は 判 断 で き な か う た 。 調 査
「 ド ル フ ィy 3K」楝 縦経 験 を 待 つ 淘 務 課 長を 乗 恥 調査 班
は, なお 念 の ため 6 う 一度 特 異点を 。 第 1回 目 と同 じ よ
長に│riちに 第 2段 陷 の調 介を 行 う こ と に な っ た.
年 次 壑 歯を日 前 に 急に 派 遣 さ れ る こ と にな っ た無 人探
う に 丙 側 か ら 見 て み る こ と と な っ た。
第 3 回 目:j , 卵 1 回 目 よ り も や や 姐 い コ ー スで「 か い
査 輹「 ド ル フ4 ン3K」を 乗 せ て, 母船「 なっ し ま. は,
こ うj が 振 れ回 ら な い よ うに 気 を つ けな が ら 曳航 を 闘 始
奇 し く も55 年 前 不 がな 太f 洋 戦 争 が 始 ま っ た12 月 8
し た 。 韵 異 点 の 櫑 に 来 る と ,51g側 約 加0 メ ー ト ル の│ 沂に
日, 午 後 4時, セ ンタ ーの岸 壁 を 離 れ て 再び, 悪 石島 」ヒ
丸 い 船 曜 を 南 に し て ほ ぽ 南 北 を│&】
い て い る よ うに 思 わ れ
丙 沖 の 調 査海 域 に 向 か っ た. も と も と 船 脚 の速 く な い
ルの船体と思
「な つ しま 」は.14 かい肌 と波 に 悩 ま さ れ な がら も懸 命に
わ れ る 物 体 が く , き り と 映 し だ さ れ た( 図 一6) 。 そ の
走り, よ う や く12 月11 日 午 後 5時 過 ぎ に双 場 海 城 に到
「 船 体」 巾 火 郎 に はl
着 し た.直 ち に 花 束 な どを 捧 げ て.7 対 馬 丸 」と運 命を と
る 艮 さ 約110
メ ー ト ル。 高 さ 約20
メ ー}
つ の 高 ま り も 見 え ,海 底 に 映 , た 影
杤
図 一7 特 徴あ る
【4 洸射14 郤
図 一10 : 對馬丸│ の舳名
もに し, 今 も海庭 に 眠 る 肩 鴛 者 の霊 の 安 ら ぎ を 祈 っ た
後, 特 災点 の位 置 を 確 認 す る た めに 付 近 の測 深 を 行 っ
た。 特 異 点 の 貞17.を 束│明li 北 に│ 一
文I冫 に 通 る よ う に 岶 を
走 ら せ た と こ ろ ,そ こ に は 問 達 い な く , 高 さ 約14
ル。 南 北 力│匈に 約280
メ ート
メ ー1 ルの範 圃に わ た って 独 立 し
た 高 ま り が あ る こ と が 確 認 さ れ た。 こ の 長 さ は , 余 り に
も艮 す ぎ る と 思 う 方 が お ら れ る と 旭 う が ご な つ し ま 」の
測 深 欄 ほIH 式 の も の な の で , き の ビ ー ム幅 は 広 く , 突 起
物 の 約 2 倍 の 範 囲 に わ たーつて 反 応 か 見 ら れ る の で あ る 。
こ れ で 準 備 は 。穆 わー, た 。翌12 H.
よ うや く 無 人探 査
機│ ド ル フ ィ ン 3K 」に よ る11 椥 確 認 の 吻 が き た。 幸 い な
こ と に 波 の 高 さ は1.5
メ ー ト ル 前 後 と 海 況 は 比 鮫 的良 い
ゐ・で あ る 。 ・ | 回 目 は 。│ ’
ド ル フ 4 ン 3K 」 搭 載 の ソ ー
図 一8
右舷 船 冖濶 の謠
ナ ー を 使 っ てr 対 馬 丸
と 思 わ れ る 柏 体 か ら30
メートル
ほ ど の や や 艢 れ た 距 離 を 保 っ て 船 体 と 周 り の 陣・,li
勧 の有
魚 な ど の状 況を良 く観 察 し。蔔 休に 安 令 に 近 づ く こ と か
できるかどうか
{Ili
察 し た 。 そ の 結 果 , 船 休 は 船lllを 南 に
珊陌 ’
を 北 に ほ と ん ど ま 。 す ぐ 南 北 に , や やIFqlこ簡 い て 着
底 し て い る 状 況 か は 。 き り し た。 そ こ で 午 後 か ら の 第 2
回 月 は , い よ い よ 最 後 の詰 め の潜航 調 査と な った。 第 1
回 目 の 調 査 で ,「 ド ル フ ィ ン 3K 」の 他i 制 御 系 のー 一郎 に
不 調 が?1シじ て 応 急 処 置 を し た こ と も あ り 。 今 後 の 凋 我 へ
の 影 脣 が 懸 念 さ れ た 。 そ こ で 第11alFI の 偵 察 の 耕 果 を も
愉 爪 に 検 討 し た 結 巣 ,│’
ド ル フ ィ ン 3K 」は ,
「 対 馬 丸 」で
あ る こ と を 摧 め ら れ るIIJ脆 性 が 最 も 高 い , 鉤 徴 の あ る 北
惻 の 船│`’│
’
部に 柬 朝 から 接近 さ せる こ と と し た。
乍 後 1 時29
分。 ̄
ド ル フ 4 ン 3K .吊 りF. げ 開 始 。| 時
33 分 。 着 水 。直 ちに 潜 航 開 始 。午 後2
図 一9
5a
船il・啖ll皀 のf オ り やそ のド の 丸窓
# 15 分 。着 底 。細
か な 泥 に 攪 わ れ た 紳 か な 海 雌 で あ る 。 水 中 の 懸 澗 物 も割
JAMSTEC 1998
年 挑IQ 眷 第2号( 看巻第38 号)
図 一11 船a 郎で の写真撮彫位置
合 少 な く 水 も綺 麗 で あ る。 ゆ っ くり と航 走 を 開 始。 2時
29 分, 船 影 が う っす ら と閥 を 通 して 見え て き た。「 対 馬
8。
お わ りに
丸 」 型 貨物 船 の特 徴 で あ る直 立船 首 が 段 々 とは り きり し
て き た(図 一7)
。 もう ほ とん ど 「 対馬 丸 」で あ るこ とは
太 陽 の 光 が 差 し 込 ま な い 深 海 は, 暗 黒で, 低 温で。 高
間違 いな い。 皆 は, 固 唾 を 飮 んで 画 面を 食い 入 るよ う に
圧 の わ れ わ れ 人 間 に と 。 て は 栃 め て 睾 し い││!界で あ る。
見て い る。 更に ゆ・,く り と船 改に沿 って 昇 って い っ た。
し か し, そ の 下 に は 私 た ち が 住 むこ の 地球 の 大 郁分 が隠
2時30 分, 航 行中 の 定 位 置 に し っかり と固 定 さ れ たま ま
さ れ て い る の で あ り, こ の 深 海 の 研 究を な い が し ろに し
の船 廿右 舷 の錨 が 確認 さ れ た( 図 一8)。 そ のま ま 舷 側 に
て は, 地 球 を 本 当 に 理 解 す るこ と はで きな い ので あ る。
出 た。 手 摺 り が 見え , そ の 下に 円 窓 が 見え る ( 図 −9 )
。
梅 洋 科 学 技 術 セ ンタ ー は。 設 立問 もな い 初期 の頃 か ら
まう たく 「 対馬 丸 」 の写 真 や図 面 ど お り の 形 で あ り, 配
深 海 の 研 究 を 進 め る うえ で 必 要な 技 術 の開 兇に 取 り 組 む
呎で あ る。 船 竹 倭 か ら少 し 下へ 下 が り , 再 び 船 酋の 方 へ
と と も に。 そ れ ら を 使 って 自 ら も深 海 の研 究 に 携 わりて
移 動 し て 行 っ た。 す る と,「 ? 丸 ? 馬 ? 對 ? 對 馬 丸
き た。 今回 の わ れ わ れ に 与え ら れ た使 命 は。 そ れ ら の技
だう !」ま った く 考え て もい な か っ たこ とで あ る。
「對馬
術, 鰹 験 , 知 識を 生 か し た一 種 の応 用問 題 で あ る が, そ
丸 」 の船 名 が黒・・ ぽ い 船 体 の上 に│日字 体 で 右 か ら 左 へ 白
の よ う な 応 用問 題 に 対 して 応 え るこ とがで き たこ と は非
く, く っ きり と鮮 やか に 残 って い た!(図 一10)
,2 時33
當 な 喜 びで あ り, 励 みで もあ る。 海 津科 学 技 術 セ ン タ ー
分 のこ とで あ っ た( 図 一11)
。
深 い 海 の底 で あ ま り 錆 もせ ず, 泥 に 覆 わ れ る こ と も な
の 調 査 チ ー ム は, こ の 努力 に 対 し て 科学 技 術庁 長官 の大
臣 特 別 友 彰で 労 を ね ぎら って 頂 い た。光 栄 な こ と で あ る。
く, し ウか り と静 か に 横 た わ っ て い る53 年 ぷ り に 発 見
最後 に。「 到 馬 丸 」の 遭 難で 亡く な ら れ た方 々 のご 冥 柵
さ れ た「 對 馬 丸 」 の 姿 は, 一 種 の 戚 厳 を も り て い る よ う
を 祈 る と と もに,
「 対 馬 丸 」遺・ 者遺 族 会な ど閼i の方 々
に も 見え , 多 く の 人 々 の 感 動 を 誘 っ た。 わ れ わ れ, 今回
の ご 努 力 に 敬 恵 を 表 す る も ので あ る。 ま た, 今 回 の 探
の探 索 ・ 糾 査 に 携 わ った 者 一 同 は, 学 童疎 闘 船「 對馬 丸」
索 ・調 轟 に 際 して, 科 学 技 術庁 は じ め政 府 钁 関 の方 々 の
で 亡 く な・・ た 大 勢 の 方 々 の ご 冥 福 を 祈 り , 現 場 を 離 れ
ご 指 尋。 ご 助 言 に もお 礼を 申 し 上げ て, 結 び と し たい。
た。
( な お ,「 対 罵 丸 」週 難 の経 緯 な どに つ い て は。 主と し
わ れ わ れ の 今回 の 使 命 は 終 わ り た。
て 「 対 馬 丸 」遭 難 者遺 族 会 発 行 の「 記 録 と証 言
あa
童 疎 開 岶 対罵 丸 」に よ 。たこ とを 付 記 す る。)
JAMSTEC 19
膊 年 第10 魯 第 2夸( 通巻第38 号)
酊
用語解説
1998 年 は 「国際海洋年」
情報室
ユ ネ スコIOC ( 政 町 間 海 洋 学 委 は 会 ) は1998 年 に リ
委 員 会。 淘 洋 に 関 す る科 学的 調 介の ため の│司際 プロ グ ラ
スボ ンで 海 洋を テ ーマ と し た力114岬 覧 会 が 開 催 さ れ るこ
ム の推 逖 を「│的 と して い る。 現 在, w Mo ( 世 界気 象機
とを 機 に19 叫 年を ’
閥 際 海 洋 年 」と す る こ と を ユ ネ スコ
構)
,uNEP ( 川 際環 境 計l嵋 な ど と 協yj し, 地 球 環 境 変
に 要 請 し た。 ユ ネ スコ か ら の 提 案 が1991 年 間 催 の閥 連
動 の 予 測を よ りIE 確 な も のと す る ため, G00s (11t外海
総 会で 驚 議 さ れ,1998 年 を「閥 際 海 洋 年 」(Internalion・
洋 観 測 シ ステ ム) の橘 築 を││ 詣 し。 さ ま ざ まな 活 動 を 屐
at Year of the Oc
ean) と する こ と が 承認 さ れ た。
│孱
東 京 人今 海 洋 研 究 所 を は じ め と す る 関 係 轌 関 が 西 太
平 洋 淘越 にお け る 具│司研 究 ・ 副 杳のlll心 的 役割 を 火 た す
国 際 海 洋 年の 目 的
と と も に, 人材 介成 に も取 り 相 ん で い る。III
‘く か ら海 と
密 接 に か か わ って き た日 本は。│oc の 活 動 に袙 極的 に 参
1.
町限 のn 源 と して の海 洋 及 ぴ 沿1;1域 に 対 す る 人 々
加 し て い る。
の認 識 を 高 め るこ と。
2.
3.
ユ ネ スコ は「国 際 海 洋 年。」の1シ専 槻 関 と して 広 報 キッ
各 川 政 府 か ら。 行 動 を 起 こ L ,│・ 分 な 資 源 を 提 倶
ト を 作 成 して い る ほ か, ホ ー 厶 ペ ー ジ も閧 いて い る。 海
し。 海 洋 に 対 し相 ゛1の 優 先噸 位 を 与え る と い う 約 束
洋 教 育 パ ッ ケ ー ジ の開 允, 海 洋 貫 の 制 定。 海 洋 に 関 す る
を 取 り 付 け るこ と。
出 版 計 画 も進 め ら れて い る。
1990 年│ 司際 識 字 年 1991 年 閥 際 宇 宙 昨 1993 年
地 嘩 規 嗅 の学 術 協力 を 促 すこ と。
政 府 間 海 洋 学 委 員 会(IOC Intergovernmental
Oceanographic Commission)
11!霏 の 先 住 瓜 のlig際 年 1994 sIE 国 際 家 族 年 ・ 閥 際 ス
ポ ー ツ 年1995
年liq 際 寛 容111 1996 年 貧 困 撲 滅 の た
め の│司原 年1998
1956 年 に 日 本 の 提 唱 で 設 置 さ れ た!1 際 淘 洋 学 諮 悶 委
年
年 川 際 海 洋 年 1999 年 国 煦ali齡 老
( ユ ネ スコ 資料 か ら )
口 会 の活 動 を引 き継 ぎ,1961 年 に ユ ネ スコに 扱ia さ れ た
52
JAMSTEC 1998
年 第10 巻 第2号( 通毒誤38 号)
│編│ 集│ 後│ 記│
野や山には新 芽が吹き出し, 桜も咲いて新し い年度
が始まります。 平成 9年度駁後のr JAMsTEc」をお
ご 協力 い ただ い た関 係 各位 に お 礼申 しあ げ ま す。
(山 田)
届けし ます。国際海洋年に当たる新年度の業 務計画に
は「し んかい6500」の リスボン博への参加をはじめ多
くの国際海洋年にふさわしい計lii
が盛り込まれるもの
と思い ます。
寄 稿では,奈須先生の「 海に魅せられて半11!
紀」で
今回は深海棚削計画について掘削 航海の状15
& 掘削結
果の速 報が掲載される雑誌の紹介, 最近国内で 刊行さ
れた図1!│の紹 介など斯し い情 報 が盛り込 まれて いま
す。「 相模繭をし らべる亅 では峻に残されて いるシロ ウ
リガイの化石を詳しく解説して頂きまし た。
研究紹 介では 1月にJAMSTEC
主催で 盛人 に開 催
さ れた極限環境微生物会議( 横浜於)の様子をフロ ン
テ ィア研究推進室から速報的 に報告して います。
海外1 情では同 際的な海洋製測研究活助に 参加して
いる現状を海洋敏測研究部菱田祁長から報告していま
す。また, 昨年10 月に海域開 兇・利用研究 部の岡 本 主
幹 らが 参加し た仏日生態系 シン ポジウ ムにつ いて レ
ポートしています。
海からのたよりでは広島 大学 の艮沼さ んの「 海のア
ンソロ ジー」,r深海 への旅』で はし んかい6500 に乗船
さ れ。 航海中に艮男誕生の話題を 轡いて下さった電中
研の津旨さん. NOAA
の Ro
e さん, 東人海洋研の岡
村さんの「し んかい6500」乗船記,ttt界最深脳の水深
から海洋調査の感動とロマンについて熊本人学の本座
さんのエッセイです。 それぞ れ航海 の感動が伝 わりて
きます。
トピック スでは「 対馬 丸」調 食チ ームの総括責任者
であった堀旧理事が深海調査研究船「 かいれい」 及び
支扱母船「 なつしま」 によって火施した調査を詳細に
報告しています。 本報告は肖 重な沈船 の探索 貫科に な
ると思われます。 用語解 説では国 際海洋年をと りあげ
ました。 今年はこの川際海洋年 の目的 に沿って多 くの
人々が海洋の認識を高め られることを祈ります。
最後になりまし たが, 本号の発刊にあたりご 執下 ・
JAMSTEC 19
軸 年 第10 魯 第2母( 遜●篤38 母)
S3
表紙写真の説明
無人探査船「ドルフィン-3k」
水深3,300mまでの調査や作業を行うことが出来る
無人探査船で、支援母船「なつしま」に搭載されてい
ます。学童疎開船「対馬丸」の探索に活躍しました。
JAMSTEC 第10巻 第2号 (通巻第38号)(無断転載を禁ず)
1998年4月1日 発行
編集兼発行人 海洋科学技術センター 情報室
本部 〒237 神奈川県横須賀市夏島町2番地15
TEL (0468)66-3811(代)
TEL (0468)67-5525(情報室)
むつ事務所 〒035 青森県むつ市大字関根字北関根690番地
TEL (0175)25-3811(代表)
東京連絡所 〒105 東京都港区1丁目2番地1号 シーパンスN館7階
TEL (03)5765-7101(代)
ホームページ http://www.jamstec.go.jp
印刷・製本
創文印刷工業株式会社
〒116 東京都荒川区西尾久7-12-16
TEL (03)3893-3692(代表)
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