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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL 東ピレネーの春(二) 小牧, 實繁 地球 (1932), 17(5): 379-390 1932-05-01 http://hdl.handle.net/2433/184036 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 央 ア メ- カ又 は酉印度諸 島 は大 油田 の磯 風さ れ る汲 憩は難 し い. ト - ニダー ド の地質 はグ ヱネ ( 未完 ) はー 凡そ年 産 五 官萌 バー レ ルの石油 を鹿 現 し て ゐ る0 ) ズ ェラ本 土と類 似 し て居カ、 油 刑 の位 置 が 便宜 夜 のと '有 名 な ア ス r Tルトを出す 、ピ ッチ・レー (二 之 を補 ふ僅 少 の油 は バー バド ス、 キ ュー バ、. サ ンFl ・ド ミ ンゴ島 よ -出 てゐ る 。少 量 の渉 油 の 春 ク のあ るた め漸 て は開 敬 計番 を横 張 せん と し て ー 活躍 中 であ る。 ネ は コスタ リ カと 之 を除 - 中 央 ア メリ カ地方 及 び レ 西 印度 よ少産 す るが ' トリ ニグ ッ ド以 外 に' 中 ピ 六 時 五 十 九 分 チ ュ- エ ( Th u g s) 騨 肴 、 カ レ 東 ンサ (Car e n ga ) の峡 谷 を見る。 片麻 岩 '千 枚 繁 四月五 日' 金 曜 口。午 前 五時起 床 と 云 ふ から 岩 . 硬 秒岩、輝線 耗 次岩 等 の岩 石 を切 った細 い 賓 凄 い。 六時 十 八分 巧 ン・ルイ騨 礎 、デー河 の谷 を 峡 谷 であ るが 両壁 は文章 過 少 の絶壁 で中 腹 に道 牧 ルー シイヨンほ降 る。 我等 の乗 込んだ借 切電 車 を作 る こと が出 衆ず 、谷底 と 谷 壁 と の僅 か の間 小 は 可を - の勾 配 を、 う ね - う ね って降 る ので あ h ,ユルネ の助椅 ( St J + o u rn t )と か J.ジスク る。 セ.I に作 ら れ た柵 種 を伴 って行 - ので あ る0 蓋 か 五七 両 を垂直 は切 ら込入 で ゐる ので あ るが' 之 れ は 此 の峡 谷 は デー 河 の支 谷 を夜 し、 テ-河 の斜 ラー γの椅 (Gi s c t a r)と か見 事 な 工事 が険 し い 狭 い谷 は兜 せら れ て ゐ る.我 々は そ の上 を通 る ので あ る。 氷 ピ レネ ー の非 地 球 節 十 七怨 節 五紙 天 〇 五八 柄 す べq J7 9ので あ る。 所が 此 の地盤 の担 任 は大 起 し 河 川 の回 春し た こと を澄す る順 鷹峡 谷 と も 殊 にを の入 口 の門 の杜 に は セ レ- (Ca r e t)の蓄 r Jと は此 の上 を い。鍵藤 の様 式 は ロ マンで あ るG の御寺 を コソフラ ン (C o n出 e n t ) の地盤 が 重機 と し て隆 概 三回 は亘 って継起 し た ので 下刻作 Jll に旦 二輪 蔵 色 大 ・=i j石 を用 S で居 る のが 美事 で あ った 。寺 deCone a n t )で 下車 、 コ ルネ イ ープ(Co r n e i t t a) 訪 れ る。 小 さ い御寺 で はあ るが美 し い 廻が 諦 めら れそ れが 三水 準 両 に代 表 せら れ て ゐ て る。最 上 位 は前 記 フ ヌイ エー の輪 廻 に封 臆 し 家 が あ-面白 - 眺 めら れた。 寺 の傍 の古 め かし 金髄 が錦 の着 いた異 珠 と 云 ふ戚 じ を典 へる ので あ った O寺 の周囲 に は非 常 は古 い狭 い二階 鍵 の ゐ ると の r Jと であ る。岩 石 三伯 を採 集 す る。 巴 魔 の地 球 の撃 産 に は岩 石 の知識 は殆 んど無 い家 の土産 物 屋 で糖 鵜沓 舟 ・ 6 ど な買 ふ 。 n etJ e s ・Bains)と 云ふ東 泉 の湧 -所 ま で 磯足を いと 言 って よ い。片肺 岩 も 硬 砂岩 も 千 枚岩 も 殆 ル ビ 知ら 拘。 私 の '不充分 夜 知識 を以 てし ても そ れ位 は解 る ので これ は何、 あ れ は何と 数 へてや 延 ば し ねが 、 ち ゃん と 的 兼 の時 間 に は揮 って来 ブラ ン・ W の ビ エフ ェ- ほ入 って最 後 の連中が る。然 し流 石 は骨 んな 汗 を か いて ゐ る . ゲ ィル 足自 慢 の連 中 は荷 グ ェルネ- ・レ・バ ン ( Ve r ・ ると ふ ーん と 戚 心し て ゐ ると 云 ふ有 様 で あ る。 - ユ 凍 ね 道 を辿 って輝 は据 わ九 時 十 二分 チ ュ ー教 、 グ ィルフラ ン シュ(Vi t t efra nche)に向 ふ。 蹄, h着 -迄 の時 間 社報番 を ど沓 5 ,で過 し常 人 夜 揃 って中 食す る。紅 色 の大 坪 石 採 集 . チユ ー エー の下流 に於 で デーの谷 は急 に庶 ま et te)の盆 地 を作 る。 オ レット って オ レット (0t 在 って ゐる。 叉 所 々牧 場 が構 既 さ れ て ゐ る所 を 見 る。所 に よ っで は林檎 や梨 や の果樹 園 にを つ コルネ づ フの谷 で は谷底 の篠 消 な 朗 が牧 場 と と 、 ブ ィル ブラ ンシ ュの間 で は既 に 地中 海 附接 性 植 物 が 現 はれ るが 尤 も 形 は荷 矯 小 であ る。 n c h e 九時 五十 四分 デ ィ ルフラ ン ジュ( Vi t 1 e f r a 少 く ぼな い。 カ ニグ (Cn ag iu o )の山腹 の北斜 野 土壌 が豊俺 で あ るば か- で夜 - 地 下 の富 源も に利 用 せら れて ゐ る.を し て谷 底 の紋 の牧 場 と に は蛾 髄 を産 す る。 小規 模に開磯 せら れ 一九 二 て屠 る。日常 - の よ い斜 P N:は無 我 英 や報 荷 の畑 日常 - よ い石 衣岩 の谷 斜 河と 雨 着 の封 照 は 可を ブ ラー ド の 下流 で谷 は定 に朗 -な る 。 此 所が 七 年 の産 街 は 二五嵩 噸 であ ると 。 -Z時 三十 三分 グ ィ ル フラ ン シ ユ教 o コン プラ ルー シィヨンの入 口と 言 ふ評 であ る。 電束 銭 路 -明 確 な も のが あ る。 ン及 び リヴ ィラ フ 〝 ( Rv ii. 打al)を経 て ベ ルど こ 読 楽 園 が多 -共 産 にデー 河 の下谷 -デ ィ ユラ γ はプ ラク ヌスの樹 蔭た 行 - 。 果 樹 園 、葡 萄 園 ' デ ィ ル フラ ンシ ュから 下流 で は谷 が 乾 に窮 ま ャン (Pe r pi gnan) に向 ふ のであ る。 の野が 開け る の であ る。 村 落 は集 村 をな し て相 頂き 糸杉 の木 立 が 華 南 るが p前 記侵 蝕 輪 廻 の第 三 の水準 両(一CO米 ) が ゲ ィ ルブラ ン シ ュ及 び プ ラー ド (Pr ade s) の の中 は斑 鮎 を柿 - 。 南 の山 々 は ア ル ベ ー ル (Al bt r es) であ る 。 j ardi nage)で あ ると 鷹 の耕作 は薯 際 閲葱新 作 ( の農 園 を兄撃 す る。 此 所 は近年 益 々礁連する英 の案 内 で郊 外 サ ン ・.,, hヤック ( Sa i nチJac qu e s ) 膳 農 事試 験 所 の所長 ス- ルサ ック氏 ( So u r sac) 二時四十 三分 ベ ルど こャン騨着 。 今 夜 の宿 と 速 で明 瞭 に静 めら れ る。 そ し て谷 は開けて灸 至 る所 定 めら れた ぺ ルビ I rヤンの中 撃 枚 は荷 物 を静4 7 J 地中 渦 沿 岸性 の丑観 を量 す る のであ る。 構 耽 用 水路 が走 -之 机 に ょ って耕 作 は中 々集 約 的 に行 ほれ て ゐる。 言 へる。輪 作 は七年 を周期と す る。 プラー ドが 樹 就 業栽 培 の中 心であ るが 所長 の懇 切な 敢 明 が プ ラー ド の蓮 で は 可耕 地 面積 が 少 な いので其 を の農 業 の中 心で 地方 唯 7の市場 であ るが '唯 九九 あ る ので被 は有 益な兄 撃 で あ る . 二 八 一 次 第 に衷 葵 の傾 向 が あ ると 。 炎 ピ レネ ー の春 が資 源 立派 に物 々し い位 は造 ら れ て ゐる。 土塊 栄 の栽 培 業 であ る。 そ正 宏 評 で防風 の林 や蟹 垣 ル を催 件 の 下は敏 速し た のが 此 の地 方 の果 樹読 れば 英樹 は早 -賓 の力説 兼 は早 - 芽 を 5 .7す 。 モ であ る。 h i , れ で防 風 の設備 と濯 潜 と n へ工夫 す の動 静 性 の新 物椋 欄 や蘇 銭 が繁 茂 し て ゐる有 様 吸 い、 硯 に ぺ ルビ 1 マ ンの町 の種 物 園 に は多 - 此 の地方 は春 の初 め北 風が 強 いが苗 圃 であ- 植 物 園 '赤色 の物nびね懲 城 門 (C asti t i e t I No t rや の多 いそし て プ ラ ク ヌ スの並 木道 の素 張ら し い 市内 を散 歩 Lを が ら 中 撃 枚 に握 る。熱 帯 鵜 物 が 日本 的 の7 9の の多 いのが 懐 し - 眺 めら れ たO し て前 庭 に は多 - 趣 味 の草 花 を ど を柵 ゑ て ゐ る ら し い。寵 や箱 の租 が 樺 山 に見 受け ら れ る. そ ら ず 洗薬 英資 の聴 蓬 に就 いて7 9中 々多 忙 であ る きと 活気が 横 溢 し て ゐ る。耕 作 栽 培 の上 のみ在 所 に は育 い餌 食 の相 の趣き はな いが 新 村 の庶 扱 此 の農 業 が 新 ら し- 開け たも の であ るた め此 六〇 は大 分 砂 地が か つて ゐ るが そ の間 に碓配 用 水路 Dame)、 ア ラ ゴー ( Ar a go)の銅 像 のある餌場、 芳 二 を引 き '畑 の中 は 又細 い何 本 か の溝 を引 いて池 裁 判 所、 古 めか し い建 物 の市 役 所 を ど 云 ふも の 節 五雛 皆 は洗配 し てゐ る. こんな 風 はや るA だと て老 が 印象 に凍 った .殊 に曹 城 門 在 るも の は育 ベ ル 節 十 七 谷 農 夫と そ の手と が 鍬 で 士 を か いて水を通 し て見 ど こャン の嘗 城 壁 の茂 置 堅 不す 記念 物 であ るが 球 せ て免 れ る。土 地 は金 -平 坦 であ るから 各畔 へ 頗 る つき の骨 錐 集 で新 式都 市 の中 は断然 異 彩 を 地 君 (韓at t on)鮭姉 地班 を専 門 に し て居 る精 か此 郡 谷 よ -流 れ て行 - の であ る。 幹 部 の マット ン 放 って ゐた。 が そ の寄 宿 倉な るも のがと な 凡 であ る。 休 暇 で生従 が ても素 張ら し いも の 居を 5'から と言 ふ 乙 今 夜 の宿 は ベ ルど こャンの中 撃 校 であ る。 所 の農 業 経営 に大 を る興 味 を憩 え カも のと 見 え' 切- ほ湛 掘 与発 掘力 所長 や 官 姓 に物 を鵡 いて ゐ る。 此 の串 業 を露皆 し て ゐる地主 は勿 論 農 民も 中 々富 裕 であ ると言 ふ。 と は耕 榊 の理由 は はな らな い。 機 っば い焼 い軍 で憩 え皮 いと 云ふ 快 清を 美 男 子 であ ったが ' そ 基 鞠俳 閣 何 語 でも自 由 は 話す 'そ し て 日本 語 ま 四 月六 =、 土 曜 口。 五時 牛起 床 、 七時 ベ ルど の中 は頗 る時 代も の の怪 しげ な梅 毒 が ずら - ' そ れ から 洗 面 所 が 宴 の中 央 に数 個 これも ず ら わ と 並< で居 る。 心な し か水 r uへ不潔ら し- m心は Et ne)者 、 サ ン こャン騨 教 、 仝 十 七分 エルン ( れ等 が 伸 善 - 話 す 。 れ る。 流 石 張束 の撃 生 蓮 も悲 鳴 を挙 げ た。 中 に 部 のも のは H6 t el du Nordet dePeti i ; P ar i s 数 人 の有 志が ホテ ル へ泊 ら うと 言 ふも ので 一 た る ルー ジイヨンの平 地 で、 之 机 は古 への地 中 蒸 れた 。 ベ ルど こャンから ユル ソま で は唯 坦 々 「起 き た 頃 は大 き を雲 が 出 て ゐて降 るかと脅 か され たが 北 風 ( t r a mo nt a n e)が 吹 くと 間 も な く ト・セ シル ( S an it eC付 ci te) の寺院 を訪 れ る 。 と 言 ふ のは室 をと る 。夕食 史け は骨 ん な i - 所に は枕 長 と 噸 知 事 の監 督 は つ いて非 難 を初 め る7 9 のす ら あ る0 撃 校 でと る。 良 質 の葡 萄 を崖 す る段 丘をな し て ゐる。 そし て 海 の 一潜 入が 部 分的 に プ- オ シ ソ期 の海 成 層 で 規 めら れ たも のだと 地質 聾 者は言 ふ。其 魔 は今 食 後 撃 校 を出 て給 韮 薄 を買 った-散 歩 をし た - し た揚 句 恩 以 - 1 の カ フ ェに入 って地酒 を味 ふ無 色 の酒 が 相 下段 に洪 積 期 の河成堆 積 暦 が あ る ので あ るが 言 ユルンは甘 し のイ - べリ ス( i t t i b eri s )で古 卜 はふ。 山 の名 む と つね カ ニグと 問な ま り の備蘭 西語 で気 個 を堪 げ る。 プ ロ ヤシ 城 砦都 市 で あ-、 十 七世紀 迄ルーシィヨンの宗 完 W見 渡 す限 - の葡 萄 畑 であ る。 ヨ、 マト ロショフ等 の沸 蘭 四人撃 壁 は聴き 事 だ。 教 上 の首都 であ った 。輝前 の焼 場 から 共 同 の洗 損- で骨 か つた 。 利蘭 の留 尊重某 潜 が 切 - ほ御 ぶ って-肥 え た沸蘭 人 の女 撃 蕪 と 途 中 から 一行 六1 溌 場 のあ る朗 や野英 市 場 の旗 場 を経 て rr,/フグ門 天 三 Jれ は は加 はつね葡 萄 牙産 れ の地 排撃 徒 基 君 t r 米 ピ レネ ー の春 地 球 節 十 七懲 節 五幼 天 田 六 二 粛 々は集 村 で平野 の中 で7 9此校的 高 い地瓢 に 景 色 は中 々美 し い。 そし て殊 は自 分 の眼 を素 立地し てみ る。 其 の建 築 は 1稀特 別 の7 5 あ で面 も美 し-中世 ば し たも のは賓 に生 れ て初 め て見 る地中 海 の遠 は少 し高 見 にな って其 盛 に伽藍 が 立 って ゐる。 ( po r t eBalagut)と術 す る懲 城門 を入 ると 地盤 建築様 式 の主 潮 から遼 の いて極 めて徐 々は磯逢 望 であ った のであ る。 .白 -育 -輝 いて ゐる海 O 隠 し て ゐるが r Jれ r Jを賓 に ワヤン風建築 の聾 石 立派夜種 本と 在 ーブ や糸杉 の木 立が 御寺 の周囲 に風致 を酷 へて ゐる○ 私 は瓜 はず叫 足許 には オリ と 云 っても過言 でな い. 天井 は火災 後 ゴチ ク風 早 -海 はHj 度 いと 云 ふ希 望 は 一行 の何人 もが んだ。地中 海 だ- に修 班 せら れ て ゐるが、其 の壁 そ の耗 そ の斗な ( C a t al o.g ne)の ロ マン式建 築 の し た カタ ロー ン u 貯 ってゐる。其 の北側 に曹庵 が附 ど に中 世初 期 から 十 四世紀 に至 る宗 教建築 の精 ア ル ベー ルは隠然 と し て平 地 に 奪 えそし て 叉洗 - 地 中 海 は没 す る。汽車 は其 の o ur e)に向 ふ。 l 早 九時 二十 二分 ユル ン騨 磯 コリ ク ー ル (Co 懐 いた 共通 の考 へで あ ったら う。 足 は輝 へと 急 いで ゐね〇 華 を見 る のであ る。蔑 同 廻 って鑑賞 し て 7 9し 切 れな い瓜 以をす る。 スルデ イ ヤー君 の訣 別が あ る○ 塔 上 に登 る。 ルー シイヨンの野が 眼 下 は展開 九 時 五十 二分 コリケー ル者 、 此れ は古 い城砦 間 を縫 って商 向 す るのであ る。 洗薬 の栽培 が '殊 は谷 の中 では益 々感 にな って の脚 下は横 た は った古 - から の港 で あ るが '港 の見 撃を ん か貸 際 上 った-屈 だ 。 海 の基乗 にす りか -愉 快 にな った連中は傑 人 夜 のろ のろと柴 す る。 それ は 1両 の葡 萄 畑 で あ る。併 しな がら 段 々葡 萄 畑 を侵 略 し っゝあ る。 そし て エ ルンは ク での重 要在 る中 心と 在 った のであ る.現 に輝 の 近 - ほは購 い育 物市場 が あ るので あ る。 面 や 石 など に腰 を 下し て他 愛 もな い世 間 話 し に ん な のど か在景 色 &. 見 て は地 排 も何 も あ ったも ので はな い。港 の人 達 と 凍 光ら 定 に呑気 だ 、 地 i J女 の白 い靴 を穿 いね のが糖 を描 いて ゐる。 そ も あ る. そ し 壬 盈山 は依然 と し て 一両 の葡 萄 の ゐ る。尤 も 此 れ は新 港 の方 で之 れと 拝 ん で儀 港 が 横 づけ ら れ抽 出 の葡萄 酒 樽 が 樺 山 に積 恐 れ で 備 は 於 いて断然 コ- クー ルの比 で は覆 い. 大船 ポー ル 。ブ ァンド ル は源 岸 を蹄麗 ほ石盤 み は ら す る0 耽 って ゐる0春 は長閑 か ガ 。 い-ら 園長 メ- 君 段 畑 であ る。 し みな がら 歩 いて ゐる。避 塞 客 で あら う年 と つ が急 いで典 れ-1 と 言 っても 誰も 聞 か 沿。 開け て行 -様 な も の' 地 中梅 の澄 み 切 った鍵 朱 を満 葦 北 凪 が 後 ろ から 吹 いて典 れ る ので 風 に魔 され 者 は殆 ん ど無 か った 。骨 ん な 愉 快 に歩 き 出 す O ンド ル (Po rt ・ Ve ndres) を指 す 。汽車 に乗 った 砦 の 下を通 って荷 造 に出 で徒 歩 ポー ル 。ゲ ァ れ から 突 堤 の尖 珊 迄行 -のほ い-ら 時 間 が か か った か しら 。 な 圃筒 形 の望糠 を迫-岩に立 って狼と 戯 れ t を った ゎ 水 を いぢ ったら等 .古 めか し い燈 轟 の様 前 中 の運動 が よ か っ穴 のと 重来 が鍵 つね のと で 許 の開 け た組 の碓 許 は美 味 か つね 0 所 が 大 分 午 う 弧 - はな 5 ,ので骨 んな 愉 快 に歩 き 出し、 や が て オ- 1 グ の林 の中 で冷 食 をと る。 プ ロ やジ f n 初 め はそん な に急 坂 で も 覆 い。 又串は風 もそ ナ等 多 畳 の兵糧 を仕 込 ん で 、 ア ル ベー ル登- 紘 か か る。 5 ',ニク ル (Ba n yl u ) s 着 。 此 所 で葡 萄 酒 や バナ 十 二時 六分 ポール ・ブ ァンド ル騨 敬仝 十 九 分 し た堂 々た る港 で '港 と し て の規 模 は於 いて設 な いん だ 。直 ぐ 道 草 を食 ふ 。海 岸 に出 て磯 を拾 腔 は吸 って。 山 の斜 面 に は葡 萄 の段 々畑 が非 常 ン切 れ を食 って仕舞 って 、 山っは好奇 心 から で 六三 僅 か位 の弊静 で は腹 の歳 が 承知 せ ぬ 。最 後 の パ 三八弧 に多 -葡 萄 酒 の縦 倍 の中 は憤 って ゐる梯 在京 す 光 ピ レネ ー の * 地 球 節 十 七啓 て もあ るが 丁度 柵 機 の賓 が 在 って ゐ る ので食 っ 見 ると 曲 か った 。 て、愈 々鼻白は かか 締 鷹 に粋 皆 が ら を始 末 し 節 五紙 天 六 六甲 る偉 な のが びゅ うと 凍 る。先 頭 の連 中 はま あ よ -頑 張 って行 - 夜 と 恩 は れ る位 で あ る。 ど う せ 放け惜 し みも あ る のだ ら うが 兎 に角 感 心夜 も の の馬 樹 は育 た ぬら し い。 そし て軍資 何と 云 ふ 弧 と 云 ふ静 で は覆 いのほ樹 の無 い所 を見 ると 、凪 上 るほ連 れ て樹 木 は段 々夜 - 在 る。貰う 高 い はと ても そ の暴 威 宣 告表 はせな い。 私 L は束 狂 の林 r Jを 僚 し い.疾 風 と か突 風 と か 云 ふ言 葉 で て は下 の方 の キ ルク棚 や乳 香 樹 や ラグ ァンド等 い. 生 れ て始 め て こんな 風 を突き 切 る自 分 と し で あ る。 そ し てそ の中 に は女 も居 るのだ から凄 と 吹- 。 足 る0 い風 であ ら う .容 赦 を - びゆ - く 以凪 と 云 以皮 か った。 で も ま あ崖 に落 ち る者 も 塔 は マド ロック の塔 ( To urdeMade 1 o c h)と 許 は谷 で あ る のは時 々身 機 を吹き 飛 ば す様 な の てら れ 伯から 厄介 で あ る。第 1疲 鼻 が甚 だ し い. な く 小数 の落 伍 者 を除 いては無 事 頂 上 の塔 は辿 骨 ん 在 も舶皆 囲 って居 るら し - 時 々悲 鳴 が拳 が 柄 せら れ標 高 六 二五 米、 一名 「患 魔 の塔 」( T・du Di abt e)と も 呼 ば れ て ゐ る 。簡 単 を建 築 の紫樺 が 凍 るから 危 険 千常 であ る。 異 聞 の谷 底 で御 陀 る 。要憧 操 5 ,のは突 風 の強 いのが 凍 る皮 は僅 か で勿 論 防無 用 のも ので あ る。塔 上 の泉 色 は青 い -着 け て結 構 で あ った。 よ- ま あ マント等 が 吹 て昇 って行- 。先 頭 と 後 尾 と 棚 にな って は見 つと もな いと 思 ふと 自 然 >F J >脚 が の岩 蔭 に隠 れ - に は幸 いが 此 の風 で は落 着 いて見 て ゐ る帯 に行 き 飛 ば nれ在 か った f Jと だ 。 の間 に は既 に非 常 を 間 隔 が出 来 る.中 間 に居 て か 伯。菅 A を塞 貰う ほ桜 内 や 防壁 の蔭 は身 を縮 め て後 尾部 隊 の到着 を 待 っ て居 る。 踏 ん 張 れ るが 、身 髄 を大 分 斜 めにし 在 5 , と蕊 つ 7 9も う北 班 を見 失 って ゐる。 心細 いと 思 って ゐ ると 又 悪魔 の乗 - か か って ゐる かと 瓜 弘を n れ を 軸路 . iI f ル ・ゲ ァンド ルの方 はと る 。 尭 蝦 - 凪 は依 然弧 小のだが 昇 ら〃よ1は樹 L であ る。 唯 大 分疲 れ て ゐる の で足許 が危 -な い乙と もな い。腰 が非 常 に搾 - も ので 。然 し 下 るほ従 って 閣戯 牙 の先 生 グ - ラ氏 は此 所 で変相 よ-菅 と 分 れ .i足先さ に南 に拒 み' 常等 は裸 足 の汽車 に に蹄 旦 一 十 五 粁 を踏 破 し 八 時 牢 ベ ルど こャン、 た巷腹 を撃 枚 の 夕 食 に 欝 し 食 後 は キャフェ は遅 れ たが や つと 七時二十五 分 磯 で此 の美 しき Ve r mei l l e) を 去 った 。 ゲ ェル メ- ユの瓶 岸 ( ナ の教 授 ポー。 ヴ ィラ氏 ( P a uVila) や 備 蘭 商 (Caf かd el aF r a n c e) で閑 談 し署 名 を交 換 し た 風 也 窮-大 分楽 にな る。同 行 の甜 班 牙 . '1ル セ ロ 人 の女 畢 生基 小草 枕 の先塵 等 と 話 し話 し降 る こ 四月 七 日、 日曜 日 。 六時 牢起 床 と 云 ふ裸 足 で -等 し て十 1時 ホテ.γに躍 る。 此 の途 に は所 々は柴 が あゎ之 机が 要 塞 に利 用 あ るが 我 々は ホ テ ルに宿 って ゐ る ので五 時 に は とが 出 来 る位 にな った 。 せら れ て ゐ るら し U.賓 際兵 隊ら し いのが 住 ん もう起 床 し て ゐた 。 宿 の支 挑 む鱗 ま せ て中学 校 ルカレ 七時 五十 二分 ペ ルビ t マ ン 教 八時 五 十 充 分 パ に至 -二 行 と 共 に朝食 . で 居 るから 。大 し わ立 要 他 を持 た ぬが欠 眼 両 班 牙 に剖 す るも ので あら う 。 途 中 で 近道 を し て匿 按 ポー ル ・ゲ ァンド ル 輝 ( B ar cart s )者 p マス・ド 。- 〟 (呂asde け る農 業 開磯 を見 る。 . tI i e ) に於 c t e s ) の潟湖 と 源と の間 の 此 所 は サ ルセ (Sa の背 後 に降 り鉄路 を横 切 って輝 に入 るO凪 は蚤 -無 いので身 櫨 が 轍 から隆 々 死時 の棟 に ふら ふ ら ゆ れ る戚 じ が す る. そ し て誹も 彼 も 眉 や瓜 が 砂 地 で 此 の 事 業 は飛砂 に封 す る人 間 の征 服 を ホ 天 七 六五 で少 し でも 油断 をす れ ば 危 いも止 だ と 考 へら れ し て ゐると は言 へ' 殆 ん ど 投 機 に も等 し いも の 凪焼 け で炎 症 を起 し て屠 る。賓 際 凪焼 け な 止 .t J 不瓜議 夜 も のだ と 瓜 った。(肇 日 は段 々皮 膚が 脱 げ 出 し た) 淡 ピ レネ ー の春 地 球 節 十 七懸 る。そ れ史け 興 味あ る事業 で7 9あ る。 それ を態 々巴里 から 鬼 に凍 て呉 れ た から と 言 ふ のでも あ o c c a r t)が 大慶 夜款 ら う事 業主 の ポ カー ル氏 (B 節 五択 弄八 六 六 あら う 。但 し 一本 の導 管 が 左 右 に回樽 し て両 側 に撒 水揖 凍 る様 に資 本 の経済 にも考慮 を捕 って ソうF・ . . . 琴 且 等 が 栽培 r u机 で ゐる。 はゐる。淡 豆 、 グ の山が見 え る。容姿 中 々に塾 臆 で' そ の雪溶 天来 は よ-畑 から は温 かに白 雪 を戴 いね カ ニ ボ カー ル氏 の二階 の 一寸講 堂 の戚 夜 宴 で ベ ル け は食 い濯 配水 む供す る ので ピ レネー の農 民連 待 をし て下さ る. ど こャンの教 授 ロー ラ ン氏 ( L a u r e nt )の此の 鵡 -。 此 の室 に は日本 の朝紺 の複寓 が飾 ら れ て は 一躍 の点 数 心すら 之 机 は捧 げ ると言 はれ るが 未 だ富 士山 H L J 見たp Jと の覆 い巴 里 の撃 珪連 は富 方 ・ 6 がら 地 の自然 修 件 は閥す る講 話があら休 憩Li ゐねが t F J人家 附合 に迄と 恩 ふと多 少 不慮講 在 位然 し懐 し い戚じが し た。 'バル コ ニー から 見 た 士も 又 ヱ尤 在山 であら うと 思 ってか 「モン・フ .I, >、 あー 」 ︿ と冨 ふ。富 士山 も あんな でし ょ r Jと もな い'茸 の様 なも ので要 朗 々々ほ垣 を造 法と はあ る。 砂除 垣 に就 いて は大 L t , J珍 ら し い 農 園 を見 る。 要鮎 は砂除 垣 の施 設と濯既 の方 舞 であ るから遠 慮 夜 - 重 ね るあ つかまし いのも 一杯ぢ や満 足 しな い連 中が多 い。容 器 ご と の振 nyds) の銘 酒 だ。 到 底も美 味 いバ ニュー ル (Ba 掘 ると ポ カ- 〝氏 が食 前 の酒 を振舞 はれ る。 い。 うねと言 って ゐ る位 であ る。沸配 は就 いて は地表水 を 求 ふ 意 味ら し 低 平な 砂 地 の景色 も笛 更 では無 い。 めるr Jと が出 凍な いので 地下水 に依 って ゐるO ね 。賓 は挽 定 では冷 食 の中食 と在 っ てゐね のに 此 の始末 だ o骨 の跡 は陽菊 に輝 いた。 到 々 パ ル 散 々食 慾 を皿さし て置 いて豊麗 の御馳走 と 兼 居 る。枚 林 の砂 に腰 を落着け た のも居 る。 襲 井 をし てそ れを 必要 は感 じ て霧 吹式 に撒 水 し て ゐ る のであ る。利 口を考 へであ るが、耕 地 は 導 水管 を配置 す る のには可夜 - の資 本が 入用 で の出 来な か った の は残念であ るが '勝 手が 利 か ン ヌ (カ ルカ ッソ ン ヌよ さ よな ら ) を軽 で七 時 八 分 ツー ルー ズ肴 。 ビ エフ ェIで夕 食 を酒 ま せ 八時 二十三分 帝 び ツー ルー ズ を去 る。途 中 下車 カ レー の潟 は而 し わ料 亭 に境 内 せら れ て附合 式 な が ら 中 々の実 妹 に有 つ いた。 口曜 日 で土 地 の 宴 骨 が あ っカが 不意 の愉 快な 聞 入者 の数 と 陽気 ツー ルー ズ から の急 行列車 で は和蘭 人 の留 畢 菅 原- 彼 机が兼 肺 の静 を 謝 し た ので あ る。 ド レ- シ ュ滑 は潜 熱 此 所 で 下車 し て鋸 省 し た 。 ぬ。唯 此 所 の数 軽 を 父 に持 つピ レネ ー の研 究 家 r bに満 座 のt f j T i食 入 は聡 いたら し い。腹 加 減 も よ し料 緋 の飽 梅 も よし 、 此 の中食 の黄 嘘 か った r J と - 厚- ボ カー ル氏 に戚 謝す る次第 であ る。 家 の構 造 が 知与圧 - も あ った ので便 所 を から1 生 業界が盛 ん に渇 を憩 え て ビー ルを欲 しが つね が 二等車に僅 入し て他 乗 客 が 和閑 人 を痛 烈 に攻 撃し た に拘 ら ず ' 沈 獣 Jと や そ の の乗 客 と の間 に 口論 の始 ま- かけ た f こと や'席 不足 で撃 壁等 た ポ カール氏 は再 び香 等 を自動 革 で法 って 下ru の 日 本人 を尊 敬 と 同情 の眼 を以 て見 た こと な ど 裾が け に吾 々 のた め に自 動車 を提 供 し て呉 れ ん る。裏 庭 を隔 て て母屋 の外 に あ る。 野 趣 豊 かな も だ。 るO 何虞まで親 切な 人 な ん が闇 ソ う。 二時 四十 分 ベ ルど こャン中学 校 に踊 る こと が 十 の外 t J-は大 し た挿 話 もな - 九 時 七 分無 事 巴虜 に着 - 。 親 心 は何 虞 も 同 じ だ 、 或 る令嬢 の美 し 出 凍 た。 いベ ルど こ ャンの町 に も 別 れ る時 が 兼 い上 品 在 母親 な ど騨 造 出 迎 へに凍 て ゐL J人 も あ る ね。吾 等 は間 もな - ツー ルー ズ行列車 中 の人 と っ在位 で あ る。 別 れ る のは詰 らな いと 言 った無 明 な った。車 窓 よ少' - タカ1 - (L e uca te)の温 し暖 い家 庭 に掘 る ので や れ や れ し たと言 った、 七 ド の谷 の葡 碍 六 湖 な ど 沼 地 の多 い躍 地 を 眺 め オー 九 さ よな ら 生 父し て分 れ別 れ家 格 に つ- . 愉 快 だ 天 畑 を横ぎ - ナ ルポ ン ( Nar bonne)、 カ ル カッソ 牝 ピ レネ ー の布 地 球 j ろ 節 十 爽 快 在 る初 P った ピ レネー路 の蕉 新 ら し い追憶 を御 土産 ほし 山 伊 太 利 と 門フ ロ レン スで有 名 な 掘 出 し 物 夏 は既 に過ぎ て夕 掠 H L J 漸 - 悦 ぶ 六 月 下旬 サ ン ・ Ⅴレン ツオ寺 前 のピ ア ッツァを孤 鴇 ふ。 焼 場 は rJの寺 と - カ ルデ 一家 の パラッツォ の間 にあ - 七 潜 ぐ 節 韮如 実 C ノ 六八 洩 て 。(昭 和七年 二月 二十 九 日柄 了 ) (二六 ) 瀧 1 ん だ 1冊子 であ る。他 に巻 物と し ては 育 -黄 ば あ-、 ア レキザ ンダ ・ゾ ユー マの小数 枚 挙番 が mea x uC a・ ラ ・ダー ム・オー ・カ メ- ア (L a Da mel t i a s )も あ -教 科番 と 在 った ホレー スH ( o・ r a c e ) そ の他 何 々上 人 の奇 蹟俸 記 を沓 5,ねも の が 戴 冊 も あ った .然 し r Jの古 び た小 冊子 に 心を 邸 宅前 の階 段 は古 物市 の出 し店 に利 用 r ,れ て屠 る.着 ふ るし の衣瓶 古 道 具 や 家 具 を はじ め 惹 か れ値 段 を 開 -と iリ ラと 云 ふ のであ る。今 繍 縛 粗 等数 へ得 拍粟郷然 と 並 べら れ 面 かもど れ 作 。黒 玉 。角 磯 ・蹴 石等 の賛 石坂 、素焼 の胸 像 。 ブ ロンズ製 の天使 の骨 ・近 代 の塘 苗 。裸鰭 の習 で観 客 を呼 止 で ゐ る。骨 董 晶 で は額 ht 囲 ひ欄 干 に暫 時 覚 れ て内容 を讃 ん で見 る。噴 水 の, 速 に居 L J足首 の太 い伊 太利娘 ほも 商 人 に も 冊子 敵手 ほ し降-段 附 近 の立像 近- ほあ る噴 水 分 は印 刷 し てあ- .;部 分 は番 いであ る。 乙の小 通 代償 を細 った 。棚 子 は 小 四祈 形 の太さで 一部 日 の為 替 相 場 にし て六 七 十銭 のも ので あ る。 早 が ら - た同機 の骨董 晶 が 弘 法 n A の登 市 そ のま J イナ 棟 。 鋸架 ・ も これも完 教な のが な い。斯 んな が ら - た物 の な か に不園 日 は留 った のが 辛皮 の表 紙 の つ いた