...

22号1994.10.28発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会

by user

on
Category: Documents
23

views

Report

Comments

Transcript

22号1994.10.28発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会
Kamagava ]nternatlonal Friendship Association
第22号
1994年 10月 28日 発 行
く
発 行〉
鎌 ケ谷市国際交流協会
編集 。広報部
*An introduction of the new A.L.T., A barbecuc party (page 2-3)
*Kamagaya teachers visit Whakatane (page 4-5)
*Volunteer Translators take Ⅱato Bus Tour, A cooking lesson (page 6)
*Readers Column (page 7)
Iiscellaneous lnformation (page 8)
国際交流 へ の
小さな 一 歩
ワカ タ ネ よ り 心 を こめ て /
北 部 小 の ベ ン フ レ ンド ヘ
鏃
〓
A LITTLE STEP TOWARD
INTERNAT10NAL FRIENDSHIP
Sixth graders of Hokubu Elementary School
■ow have their own penpals in Whakatane. Ms.
Meiko Nakayama, their tё acher, had made them write letters in English and took them with
her when she visitied New Zealand. Then she brought back about 130 reply letters from
Whakatane to her Students. She spent her time translating each of the letters into
」apanese before they were given to her students. It must be hard work. Such effo「 ts will
help to build international friendship. (For more information, see pg. 4 & 5).
北部 小 の児童 へ 届 いた手紙
y `
δ
ア`′`´も^ヽ´ヽン
、
∼
_
小さなプレゼン ト
北部小学校 6年 生児童に英語の手紙を書かせることは無理が
22[F5ま 92こ I担
「
厭
ヒ
2と 資
8電 Fこ こ
抵ヒ
曇
寒
糞
肇│
の手紙の例文をプ リン トした り、受け取 つた手紙を日本語に訳
した り
。言葉の壁はどうしようもな く大きいのですが、互
ヽJ/__N___/A―
)
^―
/ヽ /ヽ へ :´ ヽへy― ― ―
― ヽ
(
(
N/― ヽへ♪
K口 1甲
新し,AIL●■:な 紹介 │します │′
をご紹
ます
国語指導助 のマ ク●ツ フ
で英語―
■市内呻 校‐
の授‐
業 して
│い て
と
│″ ■■
■│││││
lt■
│を
i静1富 1)を
1下 │さ │る 1外
がで
真認 群
│み
1手
│■
│■
│さ
│れ
1介 │し
│‐
│
‐
│■ ■■
■‐
ぎ │■ ││■ ■││‐ ‐
■■■■│■ ■││■
=│●
│ヽ 1‐
ノー フ先生 の授業 を見学 させ て頂 きま した
'Ⅲ
10月 か らは第 五 中学校 で授 業 との 事。授 業 内容 を取材
│‐
めυヽき。「ア メ リカ に行 つてみ たい と思 う人 ?」 の 問 い に
「はぃ/は ぃ/」 たちまち沢山の手が上がりました。
この授 業 の 後 、 ア メ リカ とい う国 が ぐん と身近 にな っ
た に違 い あ りませ ん。
させ て頂 きま した。
(五 中、 2年
ふ るさとの ビデオを持参 しての 自己紹介 とクイ ズ。先
1組 の教 室 にて )
生が生 まれた病院、移 り住 んだ何軒 かの家、野球や サ ッ
カー を した広い緑 の運動場、牧師 であるお父 さん の働 く
美 しい教会。 ノー フ先生 は映像 を見なが ら英語で説明を
加 えてい く。 もちろん、生徒達 にはち ょつ と難 しいので
時 々、草野敬子先生 の通訳 が入 る。後半は実物 の コイ ン
やお札 を見せなが ら、アメ リカのお金 の紹介。 い ろいろ
な物 の値段 を 日米で比較 しなが らのお話に、生徒達はた
Ir.Mark Knauf,a new Assistant Language Teacher
says "I lvant to study how children learn and l an
very fascinated by 」apanese culture, so being an
ALT offered the perfect opportunity to do both."
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆
*日 本 の 英語教 育 を ど う思 い ますか。
イ)(ン )(夕 )(ビ)(ユ )(=
とって も重 要 な ものが一つ 欠 けて い る と思 い ます 。
それ は 「会話 」 で す 。 これ に関 して は改 良 がな され
*ど ち らの 出身です か。
ア メ リカ、オ ハ イ オ州 に あ る ク リー ブ ラ ン ドとい う
つつ あ るよ うです が、非 常 に ゆ つ く りに、 とい う感
町 か ら来 ま した。
じで す ね 。
*国 に い ら した時 には、何 か お仕 事 をお持 ちで したか。
*鎌 ケ谷市 の生 徒 た ちに英語 を教 えてみ て の感想 は ?
私 は 学生 で したが、 アル バ イ トで生物 の研 究員 を し
「自分 が、 も っ とい ろい ろな場 所 に出 か けて行 けた
て い ま した。
らな ぁ」 とつ くづ く思 い ます 。とにか く、彼 らには、
*ア メ リカで どれ ぐらい 日本 語 の勉 強 を しま したか。
っ と与 えて あげた いん です 。 で も、 こ う してそ の機
約 1年 です 。
*な ぜ 、 A.L.T.に
英語 を母 国語 とす る外 国人 と接す る機 会 を も つ とも
な ろ うと思われ たの です か。
私 は子供 た ちが どの よ うに物 事 を学 ん でい くか を研
究 したい と思 っ て い ます 。又 、 日本 文化 のす ば ら し
さに とつて も引 かれ るん で す 。 A.L.T.と
会 も増 えつつ あ ります し、彼 ら と接 しな が らの仕 事
には とて も満 足 してい ます 。
*日 本 には どれ くらい滞在 した い と考 えて いますか。
して
出来 た ら 2∼ 3年 この仕 事 を続 けて い たい と思 い ま
仕 事 をす る とい うこ とは、 この 両方 の 気持 ちを満 た
す が、今 の 時点 で は、 は つ き り分か らな いで すね 。
して くれ る絶 好 の機 会 だ った とい うわ けです 。
*来 日 して どれ ぐらい経 ちます か。
約 3ケ 月です 。
*ま だ、期 間が短 いですが 日本 の 印象 は いか が ですか。
*こ こでの 経験 を、将 来 ア メ リカに戻 つた 時、 どの よ う
に生か して い きた い と思 います か。
前 に も言 い ま した が、子供 た ちが どの よ うに学 ん で
い くか を研究 したい と考 えて い ます か ら、 こ こで の
ね 。今 の ところは、 とに か く戸惑 い と驚 きの連続 で
経験 はそれ を理 解す る上 で 大 い に役立 つ はず です 。
ア メ リカに帰 った ら大学 院 で この研 究 を続 け るつ も
す 。 で も、そ れ が楽 しくて ワ クワクす る毎 日です 。
りで い ます 。
西洋 文化 と自国 の伝 統 が ミック ス され てい る国 です
― 市民 の 森 に交流 の輪 ―
青年海外協力隊員
か らの 近 況
バ ー ベ キ ューパ ー テ ィ
7月 24日 、猛 暑 の 中、交流部 会担 当 のバ ー ベ キ ュー パ
ー テ ィが催 され ま した。 メイ ング ス トは、韓 国 か らの留
学生 2名 の方 々 で、地 域 の外 国人 の 方 々や
KOREA研
究
残暑 お 見舞 い 申 し上 げ ます
ラジオ ジ ャパ ンが伝 え るニ ュー ス
会 の方 々 の 参加 も得 て、9カ 国50名 以 上 の 参加 とな りま
した。 バ ー ベ キ ュー が始 ま る とあ ち こちで 歓 談 の輪 が で
で は、 日本 は猛 暑 で エ ア コ ンの故 障 が 多発 とか。 CNN
きま した。 食 事 の あ とは、 ア コー デ ィオ ンの伴 奏 に合 わ
様 い かがお 過 ご しで しょ うか。 こち らミンダナ オ 島 は 年
せ て全 員 で 大合唱 、 ア リラ ンな どお 国 自慢 の 歌 も飛び 出
中夏 の 陽気 な ので 、す っか り暑 さに もなれ 、 いた って 元
して盛 り上 が った ところで、 フ ォー クダ ンス も始 ま りま
気 です 。
した。 ダ ンスで 汗 をか い た後 は、 ス イ カ割 リゲー ム 、初
の 映像 で は、全員 うちわ片手 のオ フ ィス が あ った り。皆
さて今 日は近況 をお伝 え します 。 この程 、私 の勤務先
めて の経 験 ら しい外 国 のお 客様 た ちは、子 供 の よ うに大
の サ ン・ ニ コ ラス 大学計 算機 科学 学部 に、最新 の ネ ッ ト
は しゃ ぎで した。全 員 で楽 しい一 日を感 謝 しま した。
ワー ク機 能 を備 えた コ ン ピュー タ実 習教 室 が完成 し、7
月20日 に竣 工 披 露 式 を行 い ま した。 当 日、私 はデ モ ・ レ
クチ ャー を担 当 しま した。写真 はお祓 い の様 子 で、 カ ト
リックの 司教様 が パ ソ コ ンに聖水 をか けて い る ところで
す 。 お祓 い の効 あ って システ ム は順 調 で、毎 日機 能 的 に
運用 され て い ます 。
プ ロジェ ク トが一段 落 したので、 今 月 か らはネ ッ トワ
ー クに関す るセ ミナ ー を受 け持 ちま した。
それ か ら、 あ き教室 の一 部 を利 用 して、主 に 日本 の 文
ゲス トからのメッセージ
たいへ んあつかったんですが、み どりいつぱいの森 の
化 と科学技 術 の紹 介 をす る、展示 室兼 図書室 を設 け、週
三 日、学生 、講 師達 に開放 して い ます 。ギ ャラ リー で は、
中で、いろんな 国 のわか ものた ち と、ふれあ うことがで
きま して、ほん とうによか つた と思 います。や きにくも
6月 に視 察 した、 シ ンガポ ー ル で のテ レコ ミュ ニ ケー シ
お い しかつたです。す ごくみ じかい時間で したが、 とて
市 の 市民 生活 を紹 介 した りして い ます (赴 任 前 、鎌 ケ谷
もたの しかったです。
市 国際交流協会 でい ただい た英 文解 説入 りの市勢 要覧 が
大 変役 に立 ちま した )。 ライ ブ ラ リー で は マ ニ ラの 」 IC
ョンシ ョウの様 子 や 、私 の ホー ム タ ウ ン と して、鎌 ケ谷
A(国 際協力 事業 団 )事 務所や 」 ICC(大
使 館 内の 日
本 文化 情報 セ ンター )か ら送 られ て くる 日本 紹介 の英 文
グ ラ ビア雑 誌 が 好 評 で す 。 また近 々 、学生や 、 日本 に技
術研修 のた め派 遣 予定 の講 師 を対象 に、「たの しい 日本語
日曜 日にあ つたパ ーテ ィは、 ほん とうに思 いの外に、
び っ くりした。なぜな らば、は じめは KOREA研 究会 の
クラ ス」 も開講 予 定 です 。
'94年 8月 建川 `Duke″ 大 輔
人達だけ、 くるの じゃないか と考 えま したが、行 つた時
青 年海外 協力 隊
に、他 の外国人 とおおぜ いの 日本人を見て、び つ くりし
た。 また、こんなパ ーテ ィが しば しば じゃな くて、私達
職 種 :電 子計算機
が くる時にあ つたのが、ほん とうによか つた と思 い ます。
こん どの旅 にこんなきかいが あ つたのが、ほん とうによ
かつたです。あ りがたい きが心 の 中にいつぱいです。
どうもあ りが とうございます。
た
ロ
薄口の生ノ
qこ 可
αヾ
G CTЧ
Чγ
)
平成 4年 度 2次 隊
フ ィ リ ピン派遣
K里 1雪 F・/
諭運 ∃
校教
学
祈 籐 藤 暉 中
間 の 澤
19日
´
`
鰹
「
條
「
二
あ
お
女
週
;二
あ
間
キ
鷺
荘
。
手
ち天
占
蓬思
、
当
妖
了
TttTII■ 職
罐
kllllll14は轟
彎妙
黎六 │
‐
;
1壌
罐釉山rl鰤 豪lhi止 血爵11 11 は耐鰺 鰈
箋黎
艤
嬢
1儡
:洟
亀
1‐
腑
tl寧
,櫨
│‐
│‐
絋 饉不
0「 鶴
磯
1機 慟
│が らみんな英語で会話をしております。外国へ来た実
j
.」
と
兵 、臭基:あ 募曹瀑二組た来裏キ 三恐ぃ暮 注
1礁
i、
票茅えあ3菫 じ
模夏尭互毛λ;天 お
鯰
餘
舅
下
鰈
饂
写
卜
壕
ρにこえ隋鰺麒盛 │ 票 二去芸
豪
長
│し
籠
日
ば
働
ヽ
拗
顆
玲
警
凸
曇
瞼
爾
彰
傷
寧
誉
盗
魏
彎
冒
驚
蝿
瞼
蝙
炒
::I》
:鵞
III
承
温
↑
島
1草 て
潟
:1異 言
百
だ
馨
姦
高
星
【
葉
連
を
1私 暮
1闇
‐
`
菫
│』 il;1言 i嘗 [!:言 :ifli言 [1::菫
1楽
│
しい一 時 で もあ りま した。
長 女 の エ マ さん が、 マ オ リ語 を教 えて くれ ま した。
学校 か らマ オ リ語が 国語 の授業 に入 つてい るのです。「,
は よ う」「こん に ちは」「こん ば ん は」全 て 「キオ ラ」
美 しきニ ュー ジー ラ ン ドでの忘れ が た き体験
鎌 ケ谷 小学 校教諭
10時 間、空 の 下 を見 なが ら、 来 るべ き ワカ タネ での 日々
に少 しの 不安 と大 い な る期 待 を抱 い て い ま した。こ こで、
日本 の 文化 につ いて 教 えた り、 ワカ タネ の校長 先生 方 と
の教 育 フォー ラム な ど 3週 間 の 日程 で組 まれ てい ま した。
英語 で子 供達 に教 えた こ とがない 自分 としては、「本 当に
で きる のか な― 」 とい う気 持 ちでい っぱ い で したが、 ホ
理科 の授業 風景
石黒
茂
一 面 に広 が る牧 場 の緑 と入 り組 んだ 海岸線 。成 田か ら
す 。英 語 の苦手 な私 は、この 「キオ ラ」に救 われ ま した
学校 を訪 問 して も最初 の あ い さつ は 「キォ ラ」 で通 し
1
した。 親 しみ と共 に、笑 談 とな りま した。 思 い 出 の 多 ヽ
ワカ タネ 市 に 改 めて 訪 問 したい と思 つて お ります 。
レ 1隋
ー ムス テイ 先 の ポール 校長 先 生 を始 め、 家族 の 皆 さん、
オ タキ リス クール の 先 生方 が暖 か く迎 えて くだ さい ま し
た。1週 目は、す べ て の ク ラスの授 業 を参 観 させ てい た
だ きま した。 2週 目は、凧 作 り、理 科 、体 育 、折 り紙 な
どを教 えなが ら子供 た ち と朝 か ら放 課後 まで共 に過 ごす
中で、会 話能力 以上 に心 を通 い 合 わせ てい くこ との大 切
さを しみ じみ と味 わ い ま した。 違 った 文化 的背 景 に あ る
教 育 を 中か ら直 接体 験 させ てい ただ くチ ャ ンス を与 えて
い ただ い た鎌 ケ谷 市 に心 よ り感 謝 申 し上 げ ます 。
靱
=
ア フター 3の 過 ご し方
重な体 験
む
第 五 中学 校教諭
修一
小林
冬 だ と言 うの に芝 生 は青 々 と してお り、 日中は暖 か さ
を感 じるNZし
Kamagaya Teachers Vislt Whakatane,
ers and an educational officer from Kamagaya council visited
this summer. The purpose of the vlsit was to exchange
l ideas and information. They were warmly welcomed and came
wonderful experiences and beautiful memories.
日本 の この 夏 の暑 さ と正反 対 の この 国 で
気候 以 上 に 日本 と違 い を感 じた こ とは、よ く言 われ る「豊
か な生活 Jと い う言 葉 です 。私 の お世 話 にな った ホス ト
フ ァ ミ リー の御 主人 は、イ ンタ ミデ ィエ イ ト
本 の中
(日
学校 )の 先 生 です が、 昨年 の NZの 陶芸 コ ンクール で優
勝 した陶芸 家 で もあ ります。奥様 もカ メ リア展 (椿 の花 )
に向 け広 々 と した庭 の 手入れ に精 を出 してい ます 。 ミュ
ー ジカル の デ ィ レクター を任 され る美術 の先 生や トライ
ア ス ロ ンの選 手 で あ る女 の先 生 、 ピア ノの達 人 の 校長 先
現地 の新聞 に大きく掲載されました
生等 それ ぞれ の先 生方 が教 師 とい う職 業 に精 一 杯 取 り組
む以外 に、 自分 の趣 味や 特技 を生 か し生活 の一 部 にな っ
て い る点 に、 羨 ま しさを感 じま した。町 の 中に は 日本 の
製 品が多 く見 られ 、 日本 のす ご さを感 じな が らも、 NZ
との時差約 3時 間 が ゆ と りの 3時 間 に思 えて しまい、1
日が27時 間 あ るよ うな錯 覚 にお ちて しまい ま した。
キ
∬慰 :♀ ゝ顧[粘[f;踏 〕
rttt‖ TI。
:『 胤
∬llll滉 :13縄 1品
りLよ117習 ぷ首
=RR=、
Bay M P FeCeiVes gift
「山」の書 き順は
悲 しいほ
どの な っか
数 字 を 日本 語 で教 え て いま す
しさ
部小学校 教
疾ヽ涙の別れ
諭 中山
になって
明子
し
ま
い ま した
不の良 さ、
。 それ は
そこに住 む
どヮ
ヵ
タ
人 々層 し
め られ たか
さに、私の′、
らで しょ
とが ぁたヵ
ぅ。 )優
「き
場ξ
:馳』
』
∫
になっ
jll「
[11「
│:if人 [:、
もた ちのた
くま しさも
裸足で走 り
あ
り
回る子。 自
分で遊び
道具を作っ
IF∫
鍼
.
1
︰
争︱
・
︱
ご
農〓
饂:饒言撃
1ど
て
遊んでぃる
子。8雪 のト
メート
_が
ビ
ルも
ある
刃
ナ
タ
を
持
ち
し
を作 り上 げ
て
、
1人
で
たのには
ゃ
ィ
驚か く
さ
され ま
`
1
が失って l壮 2、
│〕:]:き
)子
よ
IFξ
`
:五
した。「ふ六
「ぁぁ、こ
こには 日
急速 に失 ぃっ
っ ぁる
ものが、
どもに ビデ
ォ を見せ
ヤは少 なぃ
た ら 「売 つ
んだ ろ う
てしるォ モ
け
な
ど…
チ
…
い う感
想が あ りま
らゃ ま
ぜ
ヘ
し
れ
恣
の
か
豊
か
な
さ
。
ま
ψ
鉾と
得
____ 妹
とも
靭
も
感
じ
属
で
しょ
____の
ぅ。
j、
暮
│
K■ ]甲
この夏、会いに行きました /
英語はとバス研修体験記
前 号 で、ホス トフ ァ ミリー 体 験 談 を紹 介 した綾 子 さん。
今 度 は初 めて海外 一 人旅 、友 に会 い に行 きま した。
彼 女 の体 験 談 を ご紹介 します 。
秦警゛警奎肇警肇警警 警驀警゛゛肇警警豪機豪゛キ↓肇
08・
この夏 、初 めて の 海外旅 行 を一 人 で体験 しま した。 ニ
ュー ジー ラ ン ドに は、 二 人 の 友達 がお り田舎 と都 会 それ
ぞれ の 生活 にふれ る事 が 出来 ま した。 ニ ュー ジー ラ ン ド
通 訳 ボ ラ ンテ ィ アでは、去 る 6月 18日
(土 )の 午 後 、
は 南半球 に位 置す るた め、 日本 と反 対 の 真 冬 で したが、
英語 は とバ ス体験 ツアー を 13人 で行 い ま した。 初 めて 日
寒 い とい う感 じは受 けませ んで した。ス テイ してい る間 、
本 に来 た外 国人 の 目か ら、我 々 も 日本 文化 を見てみ る こ
何 度 か現 地 の学校 に通 う事 が 出来 ま した。 あ ち らの教 育
と、お よび 、英 語 に よる案 内要領 を研修す る こ とが 目的
制 度 は選 択制 で 学 年 は あま り関係 な く、好 きな科 目を受
で した。
講 で き授 業 の進 み方 も 日本 とは違 い 、 自分 で勉 強 し分 か
らな い所 は質 問す る とい う体 制 で した。
」R浜 松 町駅 を降 り、階段 を下 つ て行 く と、突然外 国
人 ば か りの集 団 にぶ つ か りま した。 まるで どこか の 国際
生徒 達 も、 自由が 多 いの でのび の び してい る感 じで、
空港 の ロ ビー に入 つた よ うで した。
い い 意 味 で 個性 に あふれ てい る人 がた くさん お り、 まわ
最初 にガイ ドさん が、 貿 易 セ ンター の最 上 階 に案 内 し
りに ま どわ され ず マ イ ペ ー ス で勉 強 で きる強 い 意 志 も、
必 要 と感 じま した。 帰 って 家族 に話 した ところ 「学校嫌
て くれ ま した。 彼 女 の英 語 は、 日本 人 ら しい英 語 で特 に
いが な くな りいい か もね」と半分冗 談 で 聞 い て い ま した。
流 暢 で もあ りませ んで した。
しか し、プ ロのガ イ ドさん の立 派 な所 は、準備 で した。
また ニ ュー ジー ラ ン ドで 中国人 が 多 く生活 してい るの に
東 京 を ぐる つ と説 明 してい る間 に、 次 々 と若 い助 手 の 男
驚 きま した。 オー ク ラ ン ド市 の あ ち こちに漢字 の看板 が
の 子 に、 次 の準備 の指 示 を してい ま した。 バ スの 中で は
かか っ て い ま した。
日本 人 もよ く知 らない神 社 ・ 寺 院 の 区別 、宗教観 の違 い
今 回 の旅 は初 め とて も不安 で したが、人 々 が とて も明
る く話 しや す か ったた め、楽 し く過 ごす 事 が 出来 ま した。
を説 明 して い ま した。
次 は、船 で浜 松 町 か ら浅草 に行 きま した。 船 の 中か ら
もちろん広大 な 自然 を も楽 しむ 事 が出来 、 あ つ とい う間
下町 の東 京 を見学す る とい う嗜好 で した。外 国人 に とっ
の 三 週 間 で した 。
て は、 浅草 は興 味 が あ る よ うで した。熱 ′
らに仲 見世通 り
(三 階堂綾 子 )
で 買 い 物 を して い ま した 。
(添 野
良一 )
7olunteer Translaters Tale Ⅱato Bus Tour
13 volunteer translaters took a Ⅱato Bus Tour
on the 18th of 」une. This tour Tas arranged to
introduce the city Of TOkyo to foreigners. Iost
of the participants were visiters from foreign
countries and the guide spoke English all the
tine. Everybody had an enjoyable afternoon
learning ho■ to guide their friends in English.
世界の文[化 交流 No。 9(交 流部会
)
:
去 る 6月 19日 、南部公民 館 にお い て、 料理 講習会 (交 流部 会 )
が 行 われ ま した。今 回 は、オー ス トラ リア人 の Clare McGrathさ
ん がア ップル サイ ダー と生 ク リー ム を使 った チ キ ン料理 、 りん ご
と豆 腐 の サ ラダ を披 露 。 Bob
には本 格 的 なチ ー ズ ケ ー キ を作 ってい ただ きま した。 当 日は、雨
Mr &
に もかかわ らず 、25名 の参加 者 が あ り楽 しい一 日で した。
A Cooking Lesson
i:s::Ib:iSt:: I:[1 :3rill:lalethi:k:n ::[ing
wals introduced by Ms. Clare McGrath from
Australia. Mr. Bob Kronser and his wife
Masako shOwed how to bake "Cheese Cake
Supreme. 1
Kronser氏 と奥 様 の MasakOさ ん
キ│フ │,│プ ラ│ザ 1投 稿欄│〕
国際 ボ ランテ イア の先駆者 として
富 岡二 丁 目
古川
挨拶 してみ よう一そ の 国 の言葉 で
西道 野 辺 13 影 山
秋夫
正光 (63)
昭和 20年 8月 、 日本 はポ ツ ダ ム 宣言 を受 けて ア メ リカ
会社 で は、い ろ い ろな 国 か ら来 る研修 生 に電 子 関係 の
との戦争 を終結 しま した。そ して 東京 の焼 け残 った大 き
な ビル は殆 どア メ リカ GHQマ ッカー サ ー 指令 部 の 管理
技術 指 導 を して い ま した。研 修 生 との意志疎 通 は英語 な
ので 、朝 、教 室 に入 る と`Good morning,Gentlemen
す る事 にな りま した。
How are you?″ な ど と挨拶 を してか ら授 業 を始 めるの
です が、 最初 は初 対 面 な ので ど う して も研修 生 の表 情 が
堅 く、な か なか打 ち解 けた雰 囲気 にな らな い のです 。
研修 生 を リラ ックス させ 、活気 の あ る授 業 にす るには
ど うした らよい か 考 えた結果 、英 語 を母 国語 としな い 国
か らの研修 生 が圧 倒 的 に 多 く、 クラ ス も国別 構 成 で あ つ
たの で、研 修 生 の 国 の 言葉 で挨拶 を した ら親 しみ を持 た
れ るので はない か と思 い 、次 の クラ ス に備 え る こ とに し
当時。オハイオ大学学生の軍曹が英会
話の先生をして下さいました。
1947年
ま した。そ こで 、会話集 か ら簡 単 な挨拶 の言 葉 を抜 きだ
明媚 な る観 光地 )に も ア メ リカ軍 が進駐 す る との 指令 が
して一生 懸 命暗記 しま したが、馴 染 み の な い 言葉 は忘れ
`
やす い ので 、 お は よ う、ごきげ ん いか がです か ?″ な ど、
そ の 国 の言 葉 をカ ンニ ン グ・ペ ー パ よろ しく研修 で使 う
市 当局 に あ り、市 会 は 直 ちに開かれ 一 般 市 民 との 問題特
テ キ ス トの裏 に、 カ タカナ で 書 い てお りま した。
昭和 22年 9月 、我 が 市 (人 口 9万 木 曽川 の ほ と り風 光
に婦 女子 に対す る暴 行 が発 生す るの ではない かが主 た る
そ して、 第 一 日 目の 朝 、テ キ ス トの裏 を横 目で ち ら り
議題 とな り、
結論 は communicationが 正 しく行 われ るこ
と、そ の為 には英 語 の 出来 るす べ て の人 と言 って も学校
と見 なが ら、研修 生 の 国 の 言葉 で挨拶 を しま した。そ の
瞬 間 、研修 生 が に こつ と笑 い 、私 の 方 に親 しみ の あ る眼
の英語 の先 生 6名 、 ア メ リカ帰 りの 老人 1名 とス ピー キ
差 しを 向 け、 中に は 自国語 で挨 拶 を返 した り、私 の発 音
ン グの 出来 な い私 だ け早 速腕 章 (infOrmation)を 渡 さ
を直 して くれ た りしま した。 また、 日本 語 で は ど う言 う
れ 初 めての 国際 ボ ラ ンテ ィ アの 要員 として任 命 され ま し
のか と聞 く人 もい て、教 室 内に和や か な空気 が広 が って
た。 町 の警 察署 にはMPが ジー プで 度 々立 ち寄 って も誰
も話す 事 が 出来ず わ ざわ ざ警 察官 が 自転 車 で呼 び に来 る
い きま した。 こ うな る としめた もの で、授 業 に入 る と質
問な ども遠慮 な く出て、最初 か ら活 気 の あ る ク ラス 。ル
状態 で した。
ー ム とな ったので す 。 小 さな試 み が功 を奏 しま した。
しか し想 像 して いた ア メ リカ兵 は、軍服 こそ着 てい ま
以 後 の クラス に も、そ の 国 の言葉 で挨 拶 を交 わ し、 ま
した が全 く紳 士 的 で、 兵舎 の 中に も 自由 に入れ て くれ た
た、互 い の 国 の 文化や 習慣 な ども語 り合 うよ うに した の
り、外 を歩 く時 には レー シ ョン (割 り当て られ た配給 品
で、研 修 生 との ′
らの交流 が うま くい き、研修 結果 は満 足
チ ョコ レー トや チ ュー イ ンガ ム)を 子供達 に配 っ て い ま
のい くもの とな りま した。 た どた ど しくて もそ の 国 の言
した。 私 の英 語 も どん どん上達 し、 後 に英 国教 会 のボ ラ
葉 で挨 拶 してみ ま しょ う。心 の扉 が 開 かれ ます よ。
ンテ ィ ア貿 易商社員 と して海外 に出張 し、 ア メ リカ の 良
き人 々 の好 意 にひ た り夢 の よ うで した。 特 に英 国 ヨー ロ
さ
ッパ 系 のア メ リカ人 は一 度友 人 にな る といつ まで も真 ′
で接 す る とい う古 き良 き家族 主義 の伝 説 が あ り40年 間 に
わた り、レター の exchangeも 絶 えてお りませ ん。戦後 の
苦 しい時代 はア メ リカが敗 戦 国 日本 を援助 し、経 済大 国
とな った 日本 は今や 貧 しい 国 々 の 人達 を援 助 す る必 要 が
あ る と考 えます 。
4年 前 。 パ キス タ ンか らの研修 生 とな ごやか
な教室 風景 。
投稿 規 定 :25文 字 ×30行 以 内。題 名 、住所 、氏名 、年令 (学 年 )を 明記 の上
鎌 ケ谷 市 国際交流協 会 事務 局 (市 役 所 3階 企 画 課 )ま で。
記載 され た もの には、粗 品 をお送 り致 します 。
M:sce‖ aneous
KIFAパ
市民夏│.ま つ り
ヽIⅢ agay1111SOな Ⅲ。
■FOstill「 │"││lh01110111AIな
8月 27日
lnformation
KttI壼
ー テ ィーの お知 らせ
今 年 も残す こ とあ とわず か 、年 に一 度、皆 様 が楽 しみ
lstl'7.
(土 )貝 柄 山公 園 で市 民 夏 まつ りが行 われ ま
した。 今 年 は、 市民 夏 まつ り実行 委員会 と国際交 流協 会
共催 に よる 「ビ タシカ コ ンサ ー ト」 が催 され 、 リズ ム
に してい る KIFAバ ー テ ィー の詳 細 が決 ま りま したの
で ご案 内 い た します 。 お近 くに住 む外国人 のお 友達 も、
お気 軽 にお誘 い 下 さい 。 多数 ご参加 下 さい。
日時 1994年 11月 27日
昨年 同様 に設 置 され た「外 国人 と会話 をす る コー ナ ー J
で は三 々五 々交流す る人 々 で 終 日賑 わ つて い ま した。
(日
)
場所
H時 30分 よ り
総 合福祉 保 健 セ ンター 6F大 会議 室
会費
会
感溢 れ るア フ リカ ン ミュー ジ ックを楽 しみ ま した。
午後 12時 ∼ 3時 (受 付
員 1,500円
)
非
員 2,000円
会
学 生会員 1,000円
学 生非 会員 1,500円
小 中学 生 1,000円
外
申 し込み 11月
21日
人 1,000円
国
)ま で に参加 費 を添 えて直接
(月
事務 局 (市 役所 3F)で チ ケ ッ トをお受 け
取 り下 さい。
国際交流 部会 事務 局 (内 )550
問 い合わ せ
R E
A B
E
P M
R V
E 0
T N
N
I D
E
W L
A H
I E
F
K B
TY
TO
R 2 7
This year, KIFA (Kamagaya lnternational
Friendship Association), will hold its
annual ''international" winter party on
Sunday, Nov. 27, from 12:00 to 3:00pm.
The location is the same as last yearis
party: Sogo Fukushi Hoken Center, 6th
floor. The SogO Fukushi Hoken Center is
the building located directly behind the
city hall. See you there.
ワカタ ネ (N.Z)を ビデ オで紹介
テ ン トの下 で は
まなび ぃブ ラザ では、姉 妹都 市提 携候 補地 、 ワカ タネ
研修 部会 長 の交替 につ いての お知 らせ
研修 部会長 が 富 田照子 さん か ら、永 年理 事 と して協 会
の為 に寄与いただ い て い る村 田源 吉 さん に変わ りま した。
(ニ
ュー ジー ラ ン ド)を 紹 介 した ビデ オ をマル チ ビジ ョ
ン (100イ ンチの 大 型 テ レビ)で _L映 してい ます 。
ワカ タネ の面積 は 千葉 県 の約 8割 。 この 広 大 な土地 に
富 田 さん には 引 き続 き通 訳 ボ ラ ンテ ィア と して ご活躍 い
は、 自然 の ブ ッシ ュ をは じめ、 きれ い な川 、透 き通 つた
ただ い てお ります 。
湖 の あ る国立 公 園 と美 しい 海 岸 の まち「オ ホペ 」、そ して
火 山 の 島 「ホ ワイ トアイ ラン ドJを 含む太平 洋 の 島 々が
法人、 団体会員の ご紹介
平成 5年 度継続 、新 規加 入 あ りが と うござい ま した。
い鎌 ケ谷造 園 土 、い京 葉銀 行 、m住 友銀 行 、m第 一 勧業
銀行 、い 千葉銀 行 、い 千葉 興業銀 行 、m東 洋 ハ ウ ジ ン グ、
あ ります 。 ビデ オで は、 これ らの大 自然 を生 き生 き と し
た映像 で 紹介 して い ます 。ぜ ひ ご覧 くだ さぃ。
上 映時 間 は、 午前 11時 か ら11時 15分 まで と、午 後 6時
か ら 6時 15分 までの 1日 2回 。休館 日は月曜 日。
集
一
〓ロ
編
ンズ ク ラブ、鎌 ケ谷 ロー タ リー クラブ、 貴 光同 、城 山建
己
い 三 菱銀 行 、鎌 ケ谷 市 自治会連 合協 議会 、鎌 ケ谷 ライ オ
設開 、千 葉 県 立 鎌 ケ谷 西高等 学校 、同 フ ィ ニ ックス 、永
刷 り上 が った 紙 面 に 印刷 ミス はな いか とか 、写真 と記
井建 設閉 、 日本 電信電 話い 、船 橋信用 金庫 、丸小 建設興
事 の バ ラ ンスは 良 い か とか ―不安 と共 に反 省 した り、 自
業い 、ltl皆 川 不 動産 、同 エ ー スエ 業 、同 岡 田産業 、同 lll
画 自賛 した りと繰 り返 しなが ら毎 号作 ってお ります 。姉
須 設 計 工 務 、同 フー ドシ ョップ吉野 、同 保科 発條 製作 所 、
妹都 市提携 候補地 の 決 定 に伴 い 、 国際交流 の 動 き も活 発
m三 和銀 行 、鎌 ケ谷 青 年会議所 、鎌 ケ谷 市 体 育協 会 、閉
にな る と同時 に部 員 一 同 ニ ュー ス集 め に東 奔 西走 してお
写真庵
ります 。 今号 も大 勢 の方 々の ご協力 を得 る事 が で きま し
平成 6年 度 新規 加入 あ りが と う ご ざいま した。
たが 、限 られ た紙 面 で全 て をお伝 えで きな い のが 残念 で
鎌 ケ谷 市 ス カ ウ ト連絡 協 議会 、松 下 工 業開
ヽ
す 。取材 に応 じて 下 さつた皆 様 に′
か ら感謝 申 しあ げ ま
と
*本 年 度 の 会 費未 納 の 会員 は入 金 をお願 い 致 します 。
す。 (R.I)
Fly UP