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2010-26 済生会熊本病院の組織変革 ―医療の質と経営効率の両立
2010-26 済生会熊本病院の組織変革 ―医療の質と経営効率の両立― 松尾 睦 済生会熊本病院の組織変革 ―医療の質と経営効率の両立― 神戸大学大学院・経営学研究科 松尾睦 本稿の目的 人口 68 万人の熊本市の中心地は、熊本大学付属病院(850 床)、熊本中央病院(363 床)、 熊本市民病院(580 床) 、国立病院機構熊本医療センター(550 床)等の病院がひしめく、 急性期病院の激戦地区として知られている。 その中にあって、救急・救命を中心として高度・専門医療に特化した恩賜財団・済生会 熊本病院(以下、済生会熊本病院)は、高い医療の質を維持しながら黒字経営を維持して いる数少ない病院の一つである。本稿は、済生会熊本病院がいかに医療の質と経営効率を 両立することに成功したかを、事務部門リーダーの視点から明らかにすることを目的とし ている。 以下、平成 7 年に民間企業から済生会熊本病院の事務長(兼副院長)に着任し、同院の 組織変革を主導した正木義博氏(現・恩賜財団済生会横浜東部病院・院長補佐兼事務部長) へのインタビュー調査、および同氏の資料を基に、済生会熊本病院の事例を紹介する。 なお、本稿は、ケース授業におけるディスカッションの教材として位置づけているため、 理論的・実践的な観点からの解釈・分析・考察は掲載していない。 社会福祉法人・恩賜財団・済生会熊本病院の概要 設立:昭和 10 年(1935 年) 許可病床数:400 床 標榜科目:内科、外科、消化器内科、消化器外科、整形外科、呼吸器内科、呼吸器外科、 腫瘍内科、糖尿病内科、泌尿器科、腎臓内科、心臓血管外科、循環器内科、脳神経外科、 神経内科、放射線科、麻酔科、救急科、病理診断科 職員数は 1,087 名(正職員 866 名、嘱託・臨時職員 221 名) 2009 年 4 月 1 日現在 (出所:済生会熊本病院ホームページ) 1 民間企業から病院事務へ 大阪にある住友金属株式会社に勤務していた正木氏は、済生会熊本病院の院長からたび たび「事務長をやらないか」と誘われていた。大学時代にラグビー部に所属していた正木 氏は、おなじくラグビー経験のある院長と知り合いだったからである。それまで断り続け てきた正木氏であったが、阪神淡路大震災をきっかけに故郷である熊本に帰り、済生会熊 本病院の事務長に就任する決意をする。平成 7 年のことである。 当初、病院の事務のイメージがわかなかった正木氏であったが、院長のサポートのもと 事務長兼副院長として自由に活動できるという条件にも惹かれ、医療の世界に入った。 平成 7 年当時から、済生会熊本病院は急性期病院として集約化戦略をとっており、ベッ ド数は 400 床、診療科も 10 科に絞り込まれ、160 名の医師が勤務していた。診療に関して の問題は少なかったが、新しい病棟がオープンしたため、80~90 億の医療収入に対して 150 億円という莫大な負債を抱えていた。 発展する済生会熊本病院 正木氏に与えられた使命は「経営基盤を確立すること、職員が喜んで仕事ができるよう な組織体制を築くこと、医療の質を高めること」であった。その後、済生会熊本病院の経 営は、正木氏を中心とした組織変革によって健全な経営を維持しつつ、医療の質を高める ことに成功する。 図表 1 済生会熊本病院における主要経営指標の推移 97.1% 97.1% 99.4% 99.2% 97.8% 95.6% 95.9% 95.8% 94.2% 96.5% 96.5% 97.6% 98.3% 96.9% 11612 20.3日 10636 20.1日 19.4日 10683 8128 6970 7182 医業利益(億円) 8327 16.8日 66928 8886 15.4日 63759 59999 14.4日 61293 63452 51798 12.9日 47.8% 43.2% 38780 37.5% 80 4.4 4年度 13244 38.8% 37.6% 15085 11.6 4.9 87 2.2 89 5年度 6年度 15552 104 3.3 7年度 16258 53.7% 52.7% 53.2% 12.6日 50.1% 16484 15.4 13.2 17871 15.1 14.3 19135 20165 12.3日 12.2日 11.8日 22037 14.3 12.1 23920 25120 10.6 8.6 5.6 113 8年度 119 9年度 128 132 136 141 143 149 153 154 10年度 11年度 12年度 13年度 14年度 15年度 16年度 17年度 2 新入院数(人) 平均在院日数 45.2% 23.8% 13190 紹介率 入院単価(円) 38.3% 17965 病床利用率 外来単価(円) 12.7日 42985 67766 68856 64289 13.9日 47279 12512 医業収益(億円) 9519 55133 6844 20.3% 11449 9910 17.7日 42005 10988 11276 (出所:正木義博氏の講演資料) 図表 1 は、済生会熊本病院における主要経営指標の推移を示したものである。ベッド数 は 400 床と変わらないにもかかわらず、平成 7 年から 17 年までに、医業収益は 104 億円 から 154 億円へと伸び、借入金もこの間に返済することができた。また、病床利用率はほ ぼ 95%以上をキープしており、紹介率は 37.5%から 53.2%へ、入院単価は 47,279 円から 68,567 円へ、新入院数は 8,128 人から 11,612 人へと伸び、その結果、医業利益は黒字経営 を維持し、ほぼ 10 億円前後で推移している。注目すべきは、平均在院日数が 17.7 日から 11.8 日へと低下したことであり、これが入院単価の上昇に寄与している。 こうした発展は、どのように実現されたのであろうか。以下、正木氏を中心とした組織 改革を事務部門の観点から記述したい。 経営改革の必要性 済生会熊本病院の歩みを振り返ると、昭和 50 年代は、市場の変化に対応するために、増 築・増床し、診療内容の基礎固めをする「選択と集中の時代」であった。昭和 60 年以降は、 救急医療体制を構築することで急性期医療へとシフトし、診療連携を開始した「機能分化・ 差別化の時代」であった。 平成 7 年当時の同院は、診療についての問題は少なかったものの、制度に関しては立ち 遅れていた。正木氏は次のように振り返っている。 医療組織は、当初、個人商店の集まりのようなものでしたから、初めは大変でした。 例えば、患者さんの平均在院日数が長いドクターがいるのですが、それは病院全体に とっては効率が悪いことを意味します。しかし、ドクターは気にしない。平均在院日 数を下げようとすると、医師から反対がありました。その後、人事評価制度、クリニ カルパス、TQM 等を導入していきましたが、これらのことに関して医師は興味や必要 性を感じていませんでしたね。なぜなら、医師は「自分たちが判断すればよい」と考 えていたからです。ただ、患者を連れてくるのも医師なんです。頼るものは人しかな いので、基本的には前向きに変革を進めていったのが良かったんだと思います。 平成 7 年に正木氏が赴任してから、平成 20 年に済生会横浜市東部病院へ異動するまでの 変革活動は、二つの時期に分けることができる。まず、平成 7 年から 12 年までの「急性期 病院への特化、新組織体制の病院作り、クリニカルパスの作成、諸制度の再構築」に取り 組んだ「経営革新期」である。そして、平成 13 年から 20 年までは、 「マネジメント体制作 り、医療の質の追求、理念遂行への投資」に力を入れた「質の向上期」と呼ぶことができ る。 本稿は、済生会熊本病院の基盤が出来上がった「経営革新期」を中心に、同院の変革活 3 動について説明する。事務長として赴任した正木氏がまず取り組んだのが、病院の新しい ビジョンを立てることであった。正木氏は、病院のトップマネジメント層とともに「日本 一の急性期病院を目指して」という第一次 3 カ年ビジョンを示した。このビジョンに基づ く戦略テーマは次の通りである。 1.患者さんサービスの向上 2.病院経営の基礎固め 3.医療機能の更なる展開 4.働きがいのある職場環境づくり 5.時代に合った組織へ すなわち、①患者さん中心の医療の実践、および地域に開かれた病院になることを重視 し、②財務的な基礎をつくるために、入りを図り(収入を上げ)、出ずるを制し(コストを 下げる)、③救急を断らず、地域の医療を支援できる病院を目指し、④職員の意欲と能力を 高める人事制度やキャリア形成を考え、⑤時代に対応した組織を作ることである。 この戦略テーマは、バランススコアカード(BSC)が提唱する「顧客の視点、財務の視点、 業務プロセスの視点、学習と成長の視点」と対応している。当時の病院幹部は BSC を意識 していたわけではないが、自然とこのような戦略テーマになったという。同院における BSC への取り組みは後ほど説明する。 平成 8 年にビジョンと戦略を明確にした後、済生会熊本病院は、 「ビジョンを戦略テーマ に落とし、それを実行するための行動計画書を作成し、実行後にしっかりと業績評価する」 というサイクルを組織的に確立している。変革の進行具合について、正木氏は次のように 述べている。 改善では不十分で、改革が必要です。そのためにはビジョンを明確にして経営計画を 立てなければなりません。はじめの1年は大変でしたが、2,3年目には前に進み出 しました。医療人に対しては現状をデータで説明することが大切になります。経営状 態や医療の質をデータで定義して、測定する。そうしたことが大事であるという雰囲 気を作ることです。そのためには、事務スタッフを育てないといけない。 変革を進める上で追い風となったのは、院長であった須古博信氏の支援であった。当時 を振り返って正木氏は次のようにコメントしている。 もともと誘ってくれたのが須古院長だったので、「ドクターは俺がおさえてやるから」 と協力してくれました。私はもともと医療をやりたくて自らすすんで来たわけではな く、須古先生との関係で事務長に就任したので、ドクターに対しても強気で接するこ 4 とができました。これがもともと病院にいて、下から昇進してきた人だと、ドクター にものを言えない場合が多いかもしれません。 医療マネジメントの考え方 正木氏によれば、マネジメントとは「使命を果たし、目標を達成し、課題をやり遂げる」 ことである。そのためには「放置せず、常に観る、聴く、触る」ことが大切になる。そし て「改革、改善を加え、さらなる向上を図り、効率性、効果性を追求」しなければならな いという。 済生会熊本病院における医療マネジメントのモデルを示したのが図表 2 である。すなわ ち、人(優秀な人材)、モノ(医療機器、環境整備)、カネ(運営・設備の投資資金)、情報 をインプットし、それを経営理念・ミッション・戦略・行動計画に基づいて運用し、医療 支援活動を実施することで、質の高い医療サービスを提供し、その結果として、社会的に は患者満足や提携先満足を、内部的には職員満足を、経済的には赤字の出ない健全経営を 実現する、という考え方である。 図表 2 済生会熊本病院における医療マネジメントのモデル Input Process Output 経営資源 優秀な人材 経営理念 ミッション 医療機器 環境整備 戦略 運営・設備の 投資資金 Outcome 社会的には ・患者満足 ・連携先満足 医療支援 医療 サービス 内部的には ・職員の満足 経済的には ・健全経営 行動計画 情報 安全管理、顧客管理、原価管理、生産管理、危機管理、施設設備管理、品質管理 戦略管理、組織管理、人材管理、情報管理 経営管理 (正木義博氏の講演資料を基に作成) 上記の Input→Process→Output→Outcome という流れをしっかりとモニターし、各ス テップが適切に行われることを担保するためにも、さまざまな管理活動が必要になる。こ うした医療経営のモデルは、改革を進める中で徐々に明確に意識されるようになった。 5 事務組織の変革 経営革新を進めるカギは事務スタッフにあると主張する正木氏であるが、事務部門をど のように強化したのだろうか。 もともといた事務スタッフはあまりやる気がありませんでした。当時は、事務部門に パソコンが2台しかなかったし、事務スタッフは原価計算も知りませんでしたしね。 病院では、士農工商ではないですが、暗黙のうちにドクター、ナース、コメディカル、 事務という序列のようなものがあります。私が赴任した当時、事務スタッフは作業職 のような扱いを受けていた。しかし、事務長である私が副院長として働いていると「自 分たちも副院長になれるかもしれない」という希望が生まれるのか、事務スタッフが 元気になりました。また、私を盾にしていろいろと挑戦的なことができるわけです。 毎年のように新しい制度を作っていきましたが、基本は私が考えて、後は事務スタッ フに任せます。任せることで成長するのです。コンサルティング会社は一切入れませ んでした。 済生会熊本病院の事務組織は、1999 年から 2005 年にかけて図表 2 のように改編されて いる。組織の改編の主目的は、定型業務から非定型・戦略的業務へのシフトである。企画・ 広報室、医事企画室、人事室を例にとり、どのように変革したかを説明しよう。 まず、企画課を企画・広報室へと改め、企画業務、広報業務、非定型業務を強化した。 具体的には、それまで手掛けていた経営分析・事業計画書・広報誌の作成に加えて、事業 計画立案のための研修の準備、バランススコアカードの推進、大幅なホームページの改定、 そして学会事務局やプロジェクトの運営といった業務を担当するようになった。 医事課は、医事企画室と医事室に分割された。医事企画室は、それまで不十分だった部 門別・疾患別の原価計算、DPC 等の医療制度改革への対応、医事情報システムの構築等を 担当し、外部環境に対してより戦略的に対応できる体制となった。医事室は、対外的な折 衝中心の業務へと特化した。具体的にいえば、委託業務の管理・監督に加えて、診療報酬 請求に関する患者・家族や官公庁・保健会社との折衝、未収金管理・対策、患者のクレー ム対応などである。なお、初・再診・入院受付、診療報酬の入力、レセプト作成・集計等 の医事定型業務は、契約・委託業者へと集約している。 従来の人事課は、人事室と人材開発室に分割された。人事室は、人事のコア業務に特化 し、人事戦略の策定と実施(人員計画、採用、退職、人事評価、配置、昇進・昇格、リテ ンション等) 、人事諸制度の策定・改定、コンプライアンス対応(労務管理、労働安全衛生 管理、個人情報保護等)を担っている。人材開発室は、教育・研修制度、キャリア開発支 援制度、医師の臨床研修への対応が主な業務である。なお、人事に関する定型業務(給与 計算、社会保険事務、勤怠管理、福利厚生事務、研修・実習受入管理)は、契約・委託業 者が担当している。 6 図表 2 事務組織の改編 2005年 1999年 総務課 企画課 総務・秘書室 法務室 施設保全室 環境整備室 企画・広報室 医療情報システム室 経理課 経理室 人事課 人事室 人材開発室 医事室 医事企画室 医事課 医療サービス課 健診センター 診療機材購買室 地域医療連携室 医療相談室 健診センター TQMセンター (出所:正木義博氏の講演資料) 事務スタッフの教育 事務スタッフは、激変する外部環境に対応する能力が求められる。具体的には、医療保 険制度の構造改革、多様化する患者ニーズ、病院の社会的責任とコンプライアンス体制、 急速に進化し続ける IT 技術などに対応しなければならない。そのためには、定型的な業務 をこなす事務能力にとどまらず、斬新な想像力、情報収集力、対人交渉力、リーダーシッ プ、分析的思考力、業務に対する高度な専門知識や技術を身につける必要がある。 そのために済生会熊本病院では、事務スタッフの教育に積極的に取り組んだ。まず、既 存スタッフのモチベーションが高くなかったこともあり、同院では、毎 5 名程度、新卒ス タッフを採用してきた。その際、一般的には病院の事務職のイメージがわきにくいため、 採用時には「事務スタッフ募集」ではなく、病院組織を変革するという意味で「マネジメ ントスタッフ募集」とした。こうした工夫によって、優秀な新卒職員を採用できるように なったという。採用した職員は、どのように教育されてきたのだろうか。正木氏は、次の ように振り返っている。 彼らを育てるために、企画室と兼務させました。医事課や人事にいると、その仕事し か見えなくなるからです。企画に入れると、若いうちから病院全体のことを見ること ができます。私の手伝いをさせながら、仕事を任せて鍛えるのです。さまざまな勉強 7 会をよく開きましたね。新しいことをやるときには勉強会で学ばなければなりません。 勉強会は誰でもオープンに参加できるようにしました。自由参加ですが、有望な若手 には積極的に声をかけて参加するように促しました。 このほか、同院では、階層別研修、職場研修、育成型の人事評価等によって院内の教育 を強化するとともに、各種ビジネスセミナーや学会発表(日本病院管理学会、日本病院学 会、日本クリニカルパス学会)、国内の有名病院視察、海外の医療事情視察、診療情報管理 士の取得や大学院進学の支援など、積極的に院外の学習チャンスを提供し、事務スタッフ の成長を促した。 事務スタッフをマネジメント・スタッフとして育てるために必要なことは、まず、組織 の目標やビジョンを明確に提示した上で、業務環境を整えることである。上述した事務組 織の改編は、各部署の目標をクリアにし、業務環境を整備するために行われたのである。 次に重要になるのは、必要なスキルを与え、必ず評価をし、叱咤激励するとともに、処遇 を確実にすることにある。頻繁に実施された勉強会は、事務スタッフのスキルを高め、業 務遂行をサポートする上で大切な役割を果たしたといえる。これに加えチームとして働く 体制をつくり、事務部門のリーダーが率先して模範を示すことにより、事務スタッフが育 っていくのである。 なお、病院組織を変革する上で、事務スタッフは、医療専門家を支援しなければならな い。この点に関して、正木氏は以下のようにコメントしている。 事務スタッフとして大事なことは、ドクターやナースが何を考えているのかを知るこ とです。そのためには現場を回らないといけない。手術室をのぞいて「どうですか?」 と声をかけたり、ナースステーションに行って話をする。ナースが辛そうな顔をして いたら「どうしたの?」と声をかける。すると「夜勤で昨日寝ていない」ことがわか ったり、「人手不足で負荷がかかっている」ことがわかる。それをすぐに何とかする。 現場を回ってコミュニケーションしているといろいろなことが見えてくるんです。熊 本時代は事務長用個室をつくりませんでした。 経営計画とバランススコアカード マネジメント・スタッフとしての事務スタッフは、医療マネジメントの推進役となるが、 経営管理の体制はどのようになっているのだろうか。すでに述べたように、済生会熊本病 院では、ビジョンを戦略テーマに落とし、それを実行するための行動計画書を作成し、実 行後にしっかりと業績評価するというサイクルが確立している。この経営計画の流れを図 示したものが、図表 3 である。 まず、SWOT 分析等を利用しながら外部環境の変化や内部の諸問題を分析した上で、新 しい理念やビジョンを明確にし、それに基づいて戦略を策定する。次に、具体的な行動計 8 画書を作成し、組織の各部門において計画が実行されるが、このとき実行に必要な経営資 源が投入される。そして、業績評価の結果を受けて、組織体制や人事制度を見直したり、 人員整備や能力養成を行う。必要があれば職場風土や組織文化を変革する。なお、業績評 価の結果は、次年度の行動計画書の作成に反映される。 図表 3 済生会熊本病院における経営計画の流れ 外部環境の変化 新しい理念 ビジョンの提示 内部の諸問題 外部の医療機関・ 患者の要求 戦略の策定 経営資源 の投入 行動計画書 の作成 組織体制の整備 人事制度の改善 人員整備・能力養成 職場風土・組織文化 の変革 評価基準 の設定 次期課題 の抽出 計画の実行 経過報告 途中修正 業績の評価 データの 収集・分析 (正木義博氏の講演資料を基に作成) ここで注意すべきことは、①戦略を策定し行動計画書を策定する際には、評価基準を明 確にすること、②計画を実行する際には、経過報告を義務づけ、活動状況を把握し、必要 があれば途中で修正すること、そして、③業績評価の際には、客観的なデータを収集・分 析し、次期の課題を抽出することである。 この体制を機能させる上で必要なことは、経営幹部が、自身の職能の範囲を越えて業務 を分担し、管理責任を明確にして実績を評価することである。そして、経営幹部による経 営会議を頻繁に開催し、スピーディに意思決定をしていくことも大切になる。 済生会熊本病院において、経営計画がスムーズに機能している一つの理由は、バランス スコアカード(BSC)を導入することで、業績評価指標の取り出しに成功している点にあ る。正木氏のコメントを見てみよう。 9 平成7年のころから、BSC を使っていました。当時はそうした意識はなかったのです が、振り返ってみると BSC そのものなんですね。BSC は、ビジョンや戦略を立てて、 そのあるべき姿・目標に向けて、「顧客満足の視点」「業務プロセスの視点」「学習と成 長の視点」「財務の視点」から組織を評価し、現状を可視化するためのマネジメント・ ツールです。財務業績に偏らずに、さまざまな視点を重視する BSC の考え方は、非営 利組織にとてもフィットします。このツールを使うことで、トータルクオリティマネ ジメントを実現できるのです。 図表 4 は、済生会熊本病院におけるバランススコアカードの考え方を示したものである。 「財務の視点」は、さまざまな計画や施策が利益の改善にどのくらい貢献したかを見るこ とを、 「顧客の視点」は、患者・家族および紹介元の医師や職員の満足を高めることを、 「業 務プロセスの視点」は、医療の質・安全性・効率性を高めることを、 「学習と成長の視点」 は、組織と人材の長期的な成長と改善を考える視点を意味している。 図表 4 済生会熊本病院におけるバランススコアカードの考え方 4つの視点 目的 KGI(鍵となる目標指標) 具体的行動計画 財務の視点 計画・施策の利益改善 への貢献を見る 経常利益率 経済付加価値 損益計算、患者単価 安い利息率への借り換え、 リース利率低減交渉、 センター別原価計算 顧客満足 の視点 患者の満足度・維持率、 紹介元の医師の満足 度を高める 顧客の声・投書数・患者クレー ムの変化、紹介率、新患数 医療情報の開示、接遇改 善、患者が望む医療の提 供、逆紹介 業務プロセス の視点 医療の質、安全性、 効率性を高める 再手術率、待ち時間、手術時 の感染率、MRSA発生率、平均 在院日数、入院までの時間 放射線治療の開始 手術室の増設、医師の大 量採用、TQMセンター開設 学習と成長 の視点 組織と人材の長期的な 成長と改善を図る 従業員満足度、職員定着率、 職員教育費、学会論文数、職 員能力測定、権限委譲レベル クリニカルパスの作成数 人事評価制度の導入 教育研修センターの開設 海外研修制度の充実 手当額の改正 (出所:正木義博氏の講演資料を基に作成) それぞれの視点ごとに、鍵となる目標指標(KGI)が定められ、具体的な行動計画を立てて 実行し、その結果を数値によって評価するのである。BSC は、①一方からではなく多面的 な見方で管理することができ、②数値で表すことで正確に現状を把握することが可能であ 10 り、③全員参加型にすることでチームワークが醸成され、④他の施設とベンチマークする ことができるという利点がある。 済生会病院では、1 年の流れの中で BSC はどのように使われているのであろうか。年初 に、BSC の枠組みに沿って、新年度の病院全体の運営方針が提示されるが、各部門ではこ れを基に行動計画と行動目標を話し合い、各部署の BSC を作成している。こうして話し合 われた BSC を集約して、5 月に行動計画書が完成するという流れである。 BSC の活用方法を、顧客の視点のスコアカードを例に説明しよう。同院では、スコアカ ードを「戦略目標→重要成功要因→評価指標→ターゲット KGI→行動計画」という項目に 沿って作成している。図表 5 は、戦略目標を「患者満足の向上」としたときの、顧客の視 点のスコアカードの例である。このカードでは、重要な成功要因を「知りたい情報が取得 できる」という点に定め、評価指標を「顧客満足アンケート」と「聞いていない、知らな かったと言われた回数」とし、ターゲットを、それぞれ「80%」と「10 回以下」に設定し ている。そして、行動計画を「6 か月以内に図書ブースを設け、医療関係図書を 3 カ月以内 に 100 冊購入する」「自作の疾患説明書を 1 年間で 100 種類作成する」としている。 BSC を取り入れようとしている病院は多いが、うまく機能しているケースが少ない、正 木氏は次のようにコメントしている。 BSC は最初から精緻に実施する必要はないのです。トライアンドエラーでやればいい んです。例えば、成長と変革の視点は職員の離職率、顧客の視点は投書内容の動向を チェックし、業務プロセスは、病床利用率や平均在院日数を見れば、りっぱな BSC に なります。 図表 5 顧客視点のスコアカードの例 戦略 目標 重要 成功要因 評価 指標 ターゲット KGI 顧客 の 視点 ・ 「聞いていな い」 「知らな かった」と言わ れた回数 (出所:正木義博氏の講演資料) 11 KPI 図書ブースを設ける ・顧客満足度 患者満足 知りたい情報を アンケート の向上 取得できる 行動計画 80% ( 6ヶ月以内に) 医療関係書籍の購 入(100冊3ヶ月以 内で)。 10回以下 自作の疾患説明書 の作成(10/100種 1年間で) 人事制度の改革 第一次 3 カ年ビジョンの戦略テーマである「働きがいのある職場環境づくり」 「時代に合 った組織へ」を実現するために正木氏が取り組んだのは、人事制度の改革である。BSC で いえば「学習と成長の視点」の骨格となる。済生会熊本病院では、チーム医療型組織を再 構築することを中心にして、 「評価制度、処遇制度、教育制度」という 3 つの観点から人事 制度を見直した。正木氏は次のように振り返っている。 赴任当時は人事制度が古かったので、改革に乗り出しました。当時は借入金がたくさ んあったのですが、人件費削減などのコストカットはしませんでした。私が事務長に なったときには、院内の職員は「リストラしに来たのだろう」と戦々恐々としていた ようです。しかし、私は、むしろ人件費を 6%アップさせて(注:平成 8 年~平成 12 年)、前向きな改革しましたので、職員の気持ちをつかむことができました。これは、 当時の院長に「自由にやりなさい」と支援してもらったから出来たことです。 図表 6 人事制度改革の変遷 平成 評 価 8年度 ⽬標管理・⾯接制度導⼊ 賞与考課制度導⼊ ⼈事研修会の実施 9年度 ⾃⼰評価制度導⼊ 処 遇 教 育 幹部職員の年俸制移⾏ 副部⻑以上 給与テーブルの整備 海外研修制度新設 中堅管理者養成講座新設 福井県済⽣会病院⼈事交流 幹部職員の年俸更改 ⼿当類の改善、⾒直し 昇格基準の明確化 嘱託制度の⼀般職員適⽤ 新職員対象の済⽣塾開始 各階層別研修制度導⼊ 2年⽬、主任、係⻑ 看護師ローテーション基準作成 その他 予算制度導⼊ 出張規定の改定 10年度 考課制度再考 管理職職員への年俸制導⼊ 給与テーブルの整備 係⻑、管理者のテーブル⼀本化 各階層別研修制度の充実 新任主任、幹部職員 海外研修制度の充実(PMC派 遣) 11年度 賞与考課変動率の統⼀ 夏・冬賞与⽀給率バランス 是正 職場研修会助成⾦制度新設 教育委員会設⽴ 出張各部署予算化 介護休業制度導⼊ 12年度 賞与考課内容の改定 管理運営部⻑の廃⽌ 管理運営会議メンバーの追加 ⾃⼰啓発講座(9講座)スタート 済⽣会職員研修、国⽴Hp職員研 修 業務組織改編 13年度 賞与考課へのコンピテン シーの⼀部適⽤ 資格対応型の給与テーブル構築 へ 給与改善と夜勤⼿当改定 嘱託、臨時職員の給与改定 院内教育プログラム⼀覧作成 ⾃⼰啓発講座(10講座) レジデント公募スタート 福利厚⽣施設契約 14年度 コンピテンシー評価の展 開 レジデント、研修医へ住居⼿当 等⽀給 待機⼿当改定 年俸制の全⾯⾒直し 医療の質向上をテーマにした階 層別職員研修の実施 TQMセンター設 置 委員会再編 情報システムPJスタート (出所:正木義博氏の講演資料) 平成 8 年から平成 14 年までに正木氏の取り組んだ人事制度改革は図表 6 の通りである。 これを見るとわかるように、毎年のように人事制度が変更されている。上述した経営計画 12 のサイクルを回すことにより、改善点・変更点が抽出され、変革が実行されてきたのであ る。 人事制度を改革するにあたり、正木氏が注意してきたことは、次の通りである。第一に、 病院全体における人事制度の位置づけを明確にし、制度、仕組みの構築だけにとらわれな いこと。第二に、病院全体で様々な改革や動きと連動して人事制度を構築すること。そし て第三に、あらゆる情報、手段を駆使し、人事に関するいろいろな取り組みを行い、常に 改善していくことを心がけた。つまり、正木氏は、やみくもに制度を改革するのではなく、 病院全体の変革の中で、しっかりと人事制度の意味づけをしたうえで、常に改善していっ たのである。 以下では、制度がある程度確立された段階における人事制度の内容を紹介する。 評価・処遇制度 済生会熊本病院における評価・処遇制度の変革の中心は、管理職や医 師に対する年俸制の導入である。同院の人事・賃金システムは年功序列型を基本としたも のであったが、環境、時代の変化に対応していくためには、能力主義、成果主義を背景に した年俸制へ移行する必要があると判断した。ただし、人件費の削減や給与に差を付ける ために年俸制を導入するのではなく、貢献度に見合う報酬を支払うことにより、報酬と病 院の業績を適切にリンクさせることを重視した。 同院における年俸制は、完全実力主義を採らず、ある一定の部分については年功序列的 な従来型の体系を採用している点に特徴がある。これは現在の規模まで築き上げてきた職 員の実績を評価し、医療という特殊な分野で安定的に業務に邁進できる環境作りが重要で あると考えたからである。 具体的にいうと、年俸の構成のうち 60%は基本俸給であり、俸給表にしたがい定期的に 昇給する。残りの 40%は業績給であるが、その内訳は職位によって異なっている。すなわ ち、院長はすべてが病院の業績に応じて支払う「病院業績給 40%」、副院長・事務長は、 「病 院業績給 20%+個人業績給 20%」、部長職・課長職は「病院業績給 5%+個人業績給 35%」 である。なお、個人業績給への加算率は、業績に応じて、特 A :+5.0%、A:+3.0%、B:+1.0% 、 C:0.0%、D:-1.0%、E:-3.0%と定められている(なお、現在は改定を繰り返し、バージョン 3 となっている)。 同院では、評価の納得性を高めるために、具体的な目標設定、達成のための目標管理、 それを評価する仕組みを確立した。面接の際には、評価対象者の周囲から多面的に情報を 収集することと、本人とのコミュニケーションを重視している。具体的には、年度初めに 設定した目標に対し、1 月下旬~2 月上旬にかけて具体的成果を記載した自己申告を行い、 その後、2 月上旬~3 月下旬にかけて上司とのインタビューを実施している。 なお、中堅や若手スタッフに対しては、コンピテンシー評価を用いて、専門発揮能力給 制度(中堅) 、発揮能力給与制度(新人~5 年目)を導入している。また、スタッフの賞与 は、「病院の行動目標」および「個人目標に対する進捗具合・成果」の評価によって決定さ 13 れている。評価ランクは、A :+0.4 カ月、B+:+0.2 カ月、B:±0.0 ヶ月、B-:-0.2 カ月、 C:-0.4 カ月となっており、プラス評価枠(A、B+)は全体の 30%である。 教育制度 済生会熊本病院における教育の特徴は、技術・知識の習得に力点が置かれた 従来の職種別教育だけにとどまらず、職種を超えた横断的教育を通して、職種間のコミュ ニケーションをはかり、意識改革を重視している点にある。 階層別研修としては、 「2 年目フォロー研修」 「スタッフ研修」 「リーダー(役職者)研修」 「医長研修」「管理者研修」「幹部研修」があるが、すべての研修において、必ず病院の現 況や基本方針、今後の動きを伝えている。また、管理職以上の研修では、次年度事業計画 と絡めていくことで、経営計画のサイクルと教育制度が有機的にリンクしている。同院で は、管理者研修、医長研修、幹部研修を経て、基本方針が設定され、事業計画が作成され ているからである。 また、階層別研修のほかにさまざまな教育制度が整備されている。例えば、将来の管理 者向けに、問題分析や解決策策定、論文作成・発表といったスキル向上のための研修、人 事評価を担う係長以上の職員を対象とした人事考課や面接に関する研修、管理職以外を対 象とした海外研修制度などがある。 このように教育に力を入れた結果、平成 7 年に 2001 万円だった同院の教育研修費は、平 成 16 年には 6976 万円へと、3 倍以上に増えている。 医療従事者にとって人事制度がどのような意味を持つかについて、正木氏は次のように 述べている。 ドクターが喜ぶのは、正確に処遇することです。つまり、人事評価をしっかりやり、 給与で報いることが大切になります。コストは事務でなんとか下げれますが、収益の 鍵はやはりドクターです。平成 8 年から 10 年にかけて医師や管理職に対する年俸制を 導入しましたが、平均在院日数などを医師の評価につなげることで積極的に取り組ん でくれました。中にはお金はどうでもいいという医師もいますが、そういう人には説 得して理解してもらいましたね。ナースやコメディカルは教育してあげることが鍵で す。特に、看護の世界では、卒後教育がしっかりしているかどうかについてはすぐに 噂が広まります。中途で入って来るナースはすぐに辞めてしまう傾向にありますので、 新卒のナースが来てくれることが大切です。 チーム医療型組織へ改革 済生会熊本病院における人事制度は、組織構造をチーム医療型へ再構築することによっ て、より効果を発揮するようになった。図表 7 に示すように、従来のような職能別の縦割 り組織から、職能横断的に協力しあえるチーム型組織へと変革し、そこに人事制度を有機 的にリンクしていったのである。 14 まず、従来の診療部を、臓器別の 7 つのセンターに再編成した。そして、以前は診療部 に属していたコメディカルを院長直属の組織として、それぞれ「中央手術センター(臨床 工学士)」「リハビリセンター(理学療法士・作業療法士)」「薬剤センター(薬剤師)」「画 像診断センター(放射線技師)」「中央検査センター(検査技師)」「栄養管理センター(栄 養士、調理師)」を設け、7 つの臓器別センターに対して横断的に診療支援を行える体制に したのである。 こうした変革により、組織がフラット化され、責任の所在が明確となり、権限委譲や戦 略実行のチーム作りが進み、結果的にチーム医療が推進されることとなった。また、チー ム医療型の組織になったことで、経営計画に沿って各部署が主体的に業務を遂行し、改善 することが可能となり、成果主義的な評価・処遇制度や BSC が機能しやすくなったといえ る。 図表 7 チーム医療型組織構造への変革 院長 事 務 部 院長 看 護 部 外 病 来 棟 臓器別センター 診 療 部 コ メ デ ィ カ ル 看護部 コメディカル (薬剤部、放射線部 検査部、臨床工学部 リハビリテーション部等) 診 療 科 事務部 (従来の組織) 脳 卒 中 セ ン タ | 心 臓 血 管 セ ン タ | 呼 吸 器 糖 尿 病 セ ン タ | 脊 髄 関 節 外 科 セ ン タ | 腎 泌 尿 器 セ ン タ | 消 化 器 病 セ ン タ | 外 科 セ ン タ | (現在の組織) (出所:正木義博氏の講演資料を基に作成) 患者満足の推進とクリニカルパス 済生会熊本病院では、患者が望むこととして「医療情報に関する詳細な説明」 「精神的・ 経済的負担軽減」 「安全管理への注力」、 「低侵襲医療」 「相談機能の充実」 「やさしさ、挨拶、 15 マナー、接遇」の重要性を考慮してきた。 同院は、患者を受け入れる際、玄関での患者の手伝い等を実施することに加え、看護相 談に力を入れている。患者は不安な気持ち、何かにすがりたい気持ちで病院に来ており、 病院の状況は何も知らない場合が多い。そこで、受付の際に、まず看護相談を行い、さま ざまな情報を伝え、患者の話に耳を傾けることにより安心感を与えることを重視している。 患者満足を進めるために取り組んだのが、クリニカルパスの作成である。受診した患者 が、どのような手順で診療・治療を受けるかを示したクリニカルパスは、インフォームド・ コンセントを確実にし、コミュニケーションを促し、結果として安全、安心な医療体制の 提供や、精神的、肉体的、経済的負担の軽減につながるからである。 これに加え、同院は、 「疾患別患者さん用説明書」を作成している。説明書を読むことで 患者・家族は、治療内容や疾患を理解し、手術前後の生活への不安を軽減することができ る。 クリニカルパスは、患者の不安を取り除くだけでなく、医療の質を高める上でも重要な 役割を果たす。正木氏は次のように説明している。 医療の質を測定するには、標準化が必要です。というのは、最適の医療とは何かに関 する基準をしっかりと作らないとケース間の比較ができないからです。これに関して はクリニカルパスが役立ちました。済生会熊本病院では、厚生労働省が DPC を作りな さいと指導してきた以前から取り組んでいます。クリニカルパスは、単純に言うと 200 種類の基準があり、年齢・性別が変わるとさらに異なってくる。この基準づくりをし てくれたのが看護師さんたちです。彼女たちは頑張って作ってくれました。クリニカ ルパスがあると自分たちの仕事がしやすくなるんですね。様々なベンチマークなども 実施して、平成 8~9 年にはできあがりました。 クリニカルパスと業務プロセスの改善については後述する。 患者情報の収集と医療ネットワーク 同院では、さまざまな形で患者情報を収集・分析しているが、その中でも投書による情 報を活用しているという。正木氏のコメントを見てみよう。 患者さんの状況は投書箱の情報を活用しました。投書箱のほうが、患者さんの気持ち がよくわかります。投書内容を分類してその推移を分析すると、毎年の改善によって システムや施設に関する苦情は減少するのですが、接遇に関する苦情はなかなか減ら ないのです(図表 8 参照)。接遇に関しては BSC にも取り込んで改善しています。ア ンケート調査によって調べると「下手なことを書いたら病院にいれなくなるのではな いか」と心配するのか、患者さんはなかなか本当のことを書いてくれず、良い評価に 16 なる傾向があります。アンケートをする場合には、退院してから実施したほうがよい でしょうね。 図表 8 投書内容の変遷 総 数 300 0 285 0 13 250 無 効 お褒めの言葉 57 その他 システム システム 200 150 141 11 8 設 備 0 0 9 26 100 接 遇 50 設 備 120 114 0 0 接 遇 108 5 18 8 11 3 9 12 102 87 6 101 99 5 12 2 6 14 8 29 10 17 31 18 18 9 2 23 10 10 6 14 24 25 22 18 25 41 48 43 37 38 38 33 41 H9 H10 H 11 H12 H13 H 14 H15 H16 65 97 18 0 H8 (出所:正木義博氏の講演資料) 済生会熊本病院にとっての顧客は、患者や家族だけでなく、患者を紹介してくれる外部 の医院・病院、ならびに退院後の患者を受け入れてくれる回復期の病院も含まれている。 これは、同院が、急性期患者に特化した「選択と集中の戦略」を採っているためである。 具体的には、同院の入院患者の約半分は他の医院・病院から紹介であり、退院後の患者の うち 26%は回復期病院へと送られている。 例えば、脳梗塞患者の場合、急性期病院である済生会熊本病院で 2~3 週間の治療を受け た後は、リハビリ専門病院に転院し、3~4 カ月の治療を受ける。このように、同院では、 病院と診療所、病院と病院が機能分担する「病診連携」「病病連携」のネットワークを構築 している。 済生会熊本病院では、外部との医療ネットワークを強化するために、①年 2 回の連携会 議の開催、②医療技術に関する研修に関する他院の医師・看護師・コメディカルの受け入 れ、③講演会・研修会のオープン参加、④患者の逆紹介等を通している。こうした試みが 実を結び、平成 6 年には 23.8%であった紹介率が、平成 17 年には 53.2%にまで伸びてい る(図表 1)。 17 業務プロセスと財務業績の改善 次に、業務プロセスと財務業績の改善について説明しよう。正木氏によれば、財務業績 は「収益の増加」と「経費の削減」によって改善することができる。収益増加のためには、 「病床回転率のアップ、病床利用率のアップ、高度手術数の増加、患者の安定的確保」が 必要となり、費用削減のためには「固定的人件費の削減、直接的費用の削減、作業能率の 向上」が求められる。 収益増加のための具体策としては、「急性期・高度医療への集中」「患者の受け入れ体制 の充実」「救急体制の充実」「病診連携ネットワークの構築」を挙げることができる。費用 削減の具体策には、「アウトソーシング化」「薬剤購入価格引き下げ」「水・光熱費削減」な どがある。こうした具体策の中で、収益と費用の両方に影響を与えるのは「平均在院日数 の短縮」である。 しかし、やみくもに在院日数を短縮することは医療の質や患者満足を低下させかねない。 重要なことは、適切な医療の標準をしっかりと定義した上で、無駄な在院日数を削減し、 患者の経済的負担を減らすと同時に、医療の効率を高めて利益を高めることである。 同院が医療の質を維持しながら平均在院日数を短縮することに成功した大きな要因は、 クリニカルパスの導入であった。それまで同じ疾患であっても医師によって在院日数がま ちまちであったが、クリニカルパスによって医療の標準を設定したことで、適正な医療を 以前よりも短期間で提供することが可能になったのである。 例えば、開腹腎摘出術を実施した場合、クリニカルパス導入前には患者は平均 24 日間入 院していたが、導入後には 17 日間へと一週間短縮した。それにともない、収益は 110 万円 から 82 万円に減少したが、利益は 9 万 3 千円から 18 万円へと増加し、1 日平均単価(利 益)も 3,880 円から 10,636 円へと増えた。つまり、入院日数を減らすことで患者の経済的 負担を減らすと同時に、病院の利益を増やすことに成功したのである。 平均在院日数を低減するためには、クリニカルパス以外にも、さまざまな業務の改善が 必要になる。すなわち、入院検査の外来化、術式の変換、入院治療計画書の作成、検査能 力、機会の向上、早期リハビリテーションの実施、病床管理システムの整備等である。これに加え て、転院先との関係作り、退院してからのフォロー、患者さんの納得、新入院患者さんの 獲得といった活動を強化しなければならない。こうした業務改善を進めるためには、全職 員の理解と協力がポイントとなる。 おわりに 平成 7 年に民間企業から事務長に就任し、平成 20 年まで変革を進めてきた正木氏のリー ダーシップのもと、済生会熊本病院は、160 億円もの負債を返済し、医療の質と効率性を両 立する体制づくりに成功したといえる。これからの病院組織について、正木氏は次のよう にコメントしている。 18 医療界を取り巻く環境は激しく動いていますが、今、病院経営に必要なものは経営計 画です。そして、経営計画で重要なものはビジョンと戦略です。しかし、戦略は策定 するだけでは何も変えることはできません。戦略に伴った行動計画が大切になります。 そして、その戦略や行動計画がうまく達成されているかどうか見守るマネジメントが 重要です。特に、人に対するマネジメントが重要であることはいうまでもありません。 そうしたマネジメントを支援する役割を果たすのがこれからの事務職員の努めである といえるでしょう。 [2010.3.27 976] 参考資料 済生会熊本病院ホームページ(http://www.sk-kumamoto.jp/site/view/index.jsp)2010.3.25 正木義博氏の講演資料「これからの病院経営を支える事務系職員の役割とその育成」 正木義博氏の講演資料「今、必要なのは戦略とマネジメントそしてチームワーク:済生会 熊本病院の取り組みから」 正木義博氏の講演資料「済生会熊本病院の人事諸制度」 正木義博氏の講演資料「医療経営の展開と経営者」 19 ディスカッション・テーマ 1.済生会熊本病院は、医療の質を維持しつつ経営効率を高めることに成功しました。ど のような組織的な仕組みを整えたために、医療の質と経営効率を両立することができたの でしょうか。具体的な変革内容の観点から考えてください。 2.済生会熊本病院では、比較的スムーズに組織変革を進めることができました。これは、 どのようなリーダーシップが発揮されたためでしょうか。 以上 20