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産業クラスターと戦略カスケードマップ

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産業クラスターと戦略カスケードマップ
産業クラスターと戦略カスケードマップ
高 橋 賢
1.はじめに
組織 に お け る ビ ジョン や 戦略 の 共有・理解
に は,バ ラ ン ス・ス コ ア カード( Balanced
産業クラスターが成功するか否かを分ける鍵
Scorecard: 以下 BSC)と 戦略 マップ の 作成 が
の一つに,ビジョンや戦略の共有・理解があげ
有用である.戦略マップが作成されれば,どの
られる.この共有・理解が行われていないと,
ようなロジックでビジョンが達成できるのかを
事業展開の方向が定まらず,クラスターとして
ネットワーク参加者に対して可視化することが
のイノベーションを生み出すことはままならな
可能になる.このために,産業クラスター全体
い.このような場合,クラスターを形成したも
の戦略マップを作成することは非常に有効であ
のの,国や自治体から補助金を得ただけで,何
ると考えられる.それと同時に,クラスターに
も生み出すことはできなかった,という結果に
参加している個々の組織についても戦略マップ
終わってしまう.また,金の切れ目が縁の切れ
を作成し,全体の戦略マップとうまくリンクさ
目ではないが,補助金が無くなったとたんに活
せることができれば,それぞれの組織が全体の
動が鈍化するクラスターもあるようである.実
ビジョン達成に具体的にどのように寄与するこ
際,筆者がメールでインタビューしたある県の
とができるのかを可視化することができる.全
食料産業クラスター協議会は,
「クラスター協
体の戦略マップと個々の戦略マップをリンクさ
議会を設立すれば,
同様の事業の実施に併せて,
せるのに有用な考え方として,戦略カスケード
新商品開発や販路拡大にも補助事業で取り組め
マップ(Strategy Cascade Map)と い う も の
る」という農政局の勧めで結成された.しかし
がある.
ながら,補助金の申請が協議会主体でできなく
本稿では,産業クラスターにおける戦略カス
なってからは,クラスター協議会が主体となっ
ケードマップの適用可能性について考察する.
ての商品開発をやめてしまった.これは,クラ
そして,筆者が以前調査した熊本県食料産業ク
スター自体に商品開発に向けての明確なビジョ
ラスター協議会の米粉プロジェクトを題材とし
ンがなく,補助金を得ることが先行してしまっ
て,どのような戦略カスケードマップが描ける
た例である.
のかを,仮想的に示す.なお,本稿でのモデル
産業 ク ラ ス ターで は,企業,研究機関,推
化はあくまで私案 ・ 試案であり,今後大きくモ
進・支援機関,自治体など,属性の異なる組織
デルの構造を変化させる可能性があることをお
が重層的なネットワークを形成している
(高橋,
断りしておきたい.
2010)
.単一の組織体でもビジョンや戦略の共
有・理解は難しいが,こういった状況では,そ
れはなおさら難しい.
2
(198)
横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月)
2.戦略マップと産業クラスター
『測定することから始めるな』ということであ
る.・・・測定マニアはすべての項目について
2. 1 戦略マップとは何か
執拗に測定尺度作り出すが,往々にして木を見
戦略 マップ は,BSC に お け る 4 つ の 視点 の
て森を見ずといったような混乱した絵を描くと
「縦の因果関係」を明示的に記述するものであ
いう結果になる.・・・これは,経営管理者に
り,Kaplan and Norton(2004)に よって 示 さ
ターゲットの達成だけに関わらせてしまうとい
れたものである.戦略マップによって,戦略の
う環境を作り出してしまう.これらはコンフリ
構成要素間 の 因果関係 が 可視化 さ れ る.戦略
クトや混乱を引き起こすか,ないしは不適切な
マップを用いた場合,戦略を記述する上で,統
ターゲットを満足させるような逆機能的行動を
一した一貫性のある方法がとられ,その結果と
生み出してしまうことが多い.」
(Jones, 2011, p.
して戦略目標と測定尺度を設定し管理すること
10.)
ができるようになる.戦略マップは,戦略の策
これは,BSC における横の因果律,つまり
定と実行に欠けている連鎖をつなぐ働きをする
戦略目標,重要成功要因,業績測定指標におけ
(Kaplan and Norton, 2004, p. 9)
.
る測定のみを重視することの危険性を指摘して
Jones(2011)は,BSC と戦略マップの関係
いる.もちろんその因果律も重要であるが,組
について次のように述べる.
織のビジョンの達成のためには,縦の因果律,
「初期のバランス・スコアカードは戦略マッ
つまり視点間の因果関係にももっと目を向ける
プを用いておらず,そのためにオペレーション
べきであるというのである.
により焦点が当てられていた.
・・・バランス・
このように,戦略マップは,BSC における
スコアカードアプローチは,初期のヴァージョ
測定への偏重を回避し,各視点の戦略目標間の
ンから前進し,より現代的なアプローチでは,
関係を可視化し,ビジョンや戦略を実現するた
戦略の実現をより支援する.
めのロードマップを提供するのである.
・・・多くの業績マネジメントアプローチで
は,業務業績の測定とモニタリングに集中して
2. 2 産業クラスターにおける戦略マップ
いる.対照的 に,戦略マップに基づいたバラ
⑴ 産業クラスターにおける目標共有の重要性
ンス・スコアカードは,戦略がいかにして組
産業クラスターが成功するか否か.その要因
織の業績を改善するのかに集中する.
」
(Jones,
は様々である.その要因の一つとして,クラス
2011, p. 7.)
ターの事業目的の共有と理解があると考えられ
この指摘にあるように,提唱された当初の
る.
BSC では,業績の測定という側面が強かった.
たとえば,青森県で 2003 年~2009 年に取り
戦略マップの考え方が登場するのと期を同じく
組まれた,
「青森県りんご産業クラスター創造
して,BSC は,次第に戦略の実現を支援する
アクションプラン」がある.岩田・金藤(2012)
ためのツールという意味合いが強くなっていっ
は,「りんご産業クラスター事業は現在,地域
た.これは,BSC の発展を時系列的に述べた
に根ざした『ビジネス』として展開されていな
Abdel-Kader, Moufty and Laitinen( 2011)で
いのが現状である」と指摘する(岩田・金藤,
も指摘されている.
2012,47 頁).そこで,岩田・金藤(2012)は,
Jones(2011)は,測定そのものを偏重する
このりんご産業クラスターの取組がどのような
ことに対して,次のように警鐘を鳴らす.
状態であり,また実際にどのような問題が発生
「戦略マップは業績を管理する方法を改善す
していたのか,という点について,当時の事業
る基礎となる.
このアプローチの重要な部分は,
関係者を対象にアンケート調査を実施してい
産業クラスターと戦略カスケードマップ(高橋)
(199)
3
る.その調査結果からは,計画時には多くの関
ルは現在存在していない.熊本の食料産業クラ
係者が何らかの期待を持ってこの事業に参加し
スターも,非公式な「思い」の共有はできてい
たが,実行時にはその期待がなくなり,関係者
たが,規模が大きくなると公式的な共有のため
自体のモチベーションが減ったこと,また,関
のツールが必要になってくるものと思われる.
係者の中には,何を行うべきかがわからない,
ここに,産業クラスターへの BSC や戦略マッ
つまり,全体の目的や,この目的を達成するた
プの適用可能性がある.
めの下位目的も定まらない状態であったことな
⑵ ク ラスターの戦略マップとプロジェクトの
どが明らかになったという
(岩田・金藤
(2012)
,
戦略マップ
47 頁)
.
産業クラスターにおいて戦略マップを作成す
筆者がここで重要だと考えるのは,後者の点
るとすればどのようなものになるのか.考えら
である.クラスターの目的がわからず,事業展
れるのは,産業クラスターそのものの戦略マッ
開の方向が定まらなかったということが,りん
プと,プロジェクト別の戦略マップである.
ご産業クラスター事業がいまひとつビジネスと
たとえば,熊本県食料産業クラスター協議会
して展開されていない大きな要因の一つである
のケースでどのような戦略マップが描けるか考
と考えられる.
えてみる2).このクラスターでは,
「熊本県の農
一方,筆者が調査した熊本県食料産業クラス
産物に付加価値を加えて売り出し,企業も潤っ
ター協議会は,比較的運営がうまくいっている
ていく」ということを目標として,様々な二次
1)
クラスターである .このクラスターは,
「付
加工品の開発と製造・販売に取り組んでいる.
加価値のある二次加工品を開発することで,県
これまでの成果としては,繊月酒造を中心とし
産の農産物の出荷量を増加させると同時に加工
て開発された青紫蘇リキュール,熊本製粉を中
業者も潤う」という目標の下に,食品関係の企
心として開発された米粉などの商品化がある.
業によって自然発生的に形成したものである.
クラスターそのものの戦略マップとしては,
このクラスターでは常に参加企業間でのフェイ
先に挙げた目標をビジョンとしてそれを実現す
ス・トゥ・フェイスのコミュニケーションが図
るためのマップが描ける.一方,クラスターに
られ,目標や「思い」を共有し,新商品の開発
よって取り組まれているプロジェクトごとに戦
を行っている.発足から 6 年と歴史は浅いが,
略マップを作成することも考えられる.米粉製
これまでに青紫蘇リキュールや新しい米粉の開
造販売の戦略マップ,青紫蘇リキュール製造販
発に成功している.今後も補助金頼みではなく
売の戦略マップ,といったものである.
自発的な商品開発を続けていくために,組織改
プロジェクト別に戦略マップを作成するとど
革に取り組んでいるところである.
うなるのか.熊本県食料産業クラスター協議会
このクラスターの成功要因を挙げるとするな
における米粉プロジェクトで仮想的に戦略マッ
らば,クラスターの目的や事業展開の方向に対
プを作成してみると,図 1 のようになると考え
する理解を共有していたことであろう.
ただし,
られる3).ここでは,ビジョンを米粉の販売増
このような共有は,クラスターの規模がさほど
に伴う加工用米の増産による「食糧自給率の向
大きくない場合には十分に行われていたが,規
上」とする.財務の視点は,戦略目標を収益性
模が拡大すると,その共有は難しくなってくる
向上戦略の結果である「売上増」と,生産性向
可能性がある.
上戦略の結果である「高品質かつ低コストの実
このように,産業クラスターを成功に導くた
現」とした.米粉はまだまだ販売量も少なく,
めには,ビジョンや戦略の共有と理解が重要で
顧客への認知度も低い.そこで,顧客の視点の
ある.しかしながら,そのための公式的なツー
戦略目標に「消費者への認知・販路の開拓」を
4
横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月)
(200)
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(高橋(2012b)を基に筆者作成)
�
図 1 米粉プロジェクトの戦略マップ
あげた.
たとえば,研究機関や支援団体,自治体など
そこにつながる内部プロセスの視点における
は,全体の戦略マップにおける人材と変革の視
戦略目標 は,
「米粉を使った新商品開発」をあ
点や内部プロセスの視点において大きな役割を
げた.また,米粉はまだまだ小麦粉に比べると
果たす.流通業者は顧客の視点で中心的な役割
生産コストが高い.この点から,内部プロセス
を果たすだろう.図 1 に示された熊本県食料産
の視点の戦略目標として,
「効率的な製造」と
業クラスター協議会のケースでは,中心になる
「高品質かつ安価な原料の確保」をあげている.
のは米粉を製造販売している熊本製粉である.
これらの内部プロセスの視点を下支えする人
一方,農業研究機関は米粉用米の開発(人材と
材と変革の視点では,効率的な製造につながる
変革の視点)に関わるであろうし,農家・農業
「米粉の製造方法の基礎研究」と,原料の確保
法人は高品質かつ安価な原料の確保(内部プロ
につながる「米粉用米の開発」をあげた.
セスの視点)に関わるであろう.また,製麺業
者や製菓業者は米粉を使った新商品開発(内部
2. 3 クラスターの戦略マップと参加組織の役割
プロセスの視点)に関わってくる.製粉機械の
クラスター全体で戦略マップを作成するにせ
メーカーは,高品質な米粉の製造(内部プロセ
よ,プロジェクト単位で戦略マップを作成する
スの視点)に関わってくる4).
にせよ,産業クラスターにおいては,一つの組
したがって,クラスター全体の戦略マップ,
織体だけで戦略マップにおけるすべての視点を
あるいはプロジェクトの戦略マップにおいて,
カバーすることはない.各視点において,様々
複数の参加組織がどのように関係するのかを示
な参加組織がそれぞれの役割を果たすことにな
すことが必要になる.それには,後述する戦略
る.
カスケードマップが有用である.
産業クラスターと戦略カスケードマップ(高橋)
(201)
5
(Jones,2011, p. 118.)
図 2 戦略マップのカスケード
3.戦略マップのカスケード
事業部もしくは部門で作成した戦略マップと
BSC は そ の ま ま で,尺度 と 戦略的実施項目 を
3. 1 戦略のカスケード
下位組織にカスケードするタイプである.第 2
カスケード(cascade)とは,階段状に流れ
に,事業部だけでなく,部や課などでも 4 つの
ていく幾筋もの滝を表す言葉である.組織の文
視点からなる BSC を作成し,ボトムの個人に
脈においては,組織目標を組織の下部単位にま
は,尺度と戦略的実施項目がカスケードされる
で浸透させていくことを指す.
タイプである.第 3 は,ボトムの個人まで 4 つ
組織全体で作成される戦略マップや BSC は,
の視点の BSC を作成するタイプである(伊藤,
下部組織にまでそれがカスケードされることに
2007,80 頁).
なる.
Jones(2011)は,戦略 マップ を カ ス ケード
3. 2 戦略カスケードマップ
する理由として,次のように指摘する.
伊藤(2007)で指摘されているこれらのカス
「カスケードの第一の役割は,戦略マップ全
ケードは,一つの組織体の中でいかに下部単位
体の管理しやすい区分(pieces)を作り出すこ
にまで目標を落とし込んでいくかということに
とにある.
焦点を当てたものである.
・・・カスケードの第二の便益は,一チーム
Jones(2011)は,主要機能戦略 マップ と 支
あるいは一個人から全体の目標への視界の方向
援機能戦略マップの関係を示しているが,これ
(黄金の糸と呼ばれることもある)を提供する
は産業クラスターの戦略マップ作成に大いに参
ことである.
」
(Jones, 2011, p. 107.)
考になる.それは,図 2 の通りである.
伊藤(2007)によれば,このカスケードのタ
図 2 は,まさに「階段状に流れていく滝」を
イプは,3 つのパターンがあるという.第 1 は,
表している.支援部門においては,顧客は支援
6
(202)
横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月)
サービスを提供する主要部門である.支援サー
して BSC や戦略マップを作成した場合,クラ
ビスは,主要部門のプロセスのインプットとな
スターのビジョンや戦略を,個々の参加者間で
る.ここでは,顧客を
「内部顧客」と
「外部顧客」
共有し,目を向けさせることが重要である.ま
とに分けて考えている.このように考えると,
た,個々の参加者が果たすべき目標を実現可能
支援部門にとって主要部門は支援サービスを提
な具体的な目標に落とし込むことが必要であ
供する内部顧客である.主要部門は支援サービ
る.そのために,戦略カスケードマップが有効
スをプロセスの中に取り込んで,外部顧客に対
である.
する価値を創造する.したがって,支援部門の
また,参加組織はそれぞれ独立した組織体で
「内部顧客の視点」の戦略目標と,主要部門の
ある.それぞれに組織としての目標がある.そ
「プロセスの視点」の戦略目標とがリンクする
の目標を,クラスター全体の目標との整合性を
ことになる.
持たせながら達成するためには,カスケード化
それと同時に,支援部門における支援サービ
された戦略マップが有効である.
ス創出のプロセスは,主要部門における「学習
クラスターのようなネットワークが組まれ,
と成長の視点」に対して影響を与える場合があ
その中にサプライチェーンが形成されている場
る.たとえば,支援部門が IT サービスを提供
合には,組織間でのモノ,サービス,技術,情
するものであるとすれば,
主要部門の従業員は,
報などの需給関係を考慮に入れたカスケードが
その IT サービスを理解し,利用できるように
必要である.これには,先の Jones(2011)の
学習をしなければならない.
モデルが大いに参考になる.
カスケードを描写した戦略マップを,Jones
図 3 のように,サプライチェーンを描写する
(2011)は「戦略 カ ス ケード マップ(Strategy
形で戦略カスケードマップを作成すると,まさ
Cascade Map)
」と呼んでいる.
に「棚のように流れる滝」のようなイメージに
「戦略 カ ス ケード マップ は 戦略 マップ と は
なる.クラスター全体の戦略マップから,その
まったく異なる.戦略マップは単一のマネジメ
ビジョンを達成するための戦略が参加企業の戦
ントチームに作成される.戦略カスケードマッ
略マップのなかに取り込まれていく.そして,
プは,組織のために作成され,個々の戦略マッ
参加企業のビジョンを達成するための技術等の
プがいかにともにフィットするかを示す.戦略
提供が,研究機関の戦略マップでの戦略目標と
カ ス ケード マップ は 個々の チーム か ら 組織全
なる.そして,それらを政策的・資金的に下支
体の目標へつながる視界の線を示す.
」
(Jones,
えするのが,自治体・推進機関や支援団体であ
2011, p. 108.)
り,それについての戦略マップが他の組織にリ
この引用における「個々のチーム」というの
ンクしてくるのである.
を「参加企業 ・ 団体」
,
「組織全体」を「クラス
ター全体」と読み替えると,このカスケードモ
デルが,産業クラスターにおける BSC および
4. 2 組織間における視点のリンクと戦略マッ
プのカスケード
戦略マップ作成に大いに参考になることがわか
前節で大まかな見取り図を描くことができ
る.
た.本節では,組織間における視点の関係性か
4.産業クラスターと戦略カスケードマップ
らカスケードマップがどのように描けるのかを
検討する.
4. 1 戦略カスケードマップの全体像
まず,クラスターにおいて,製品・商品の主
産業クラスターにおいて,クラスター全体,
たる生産を行う企業と,それに対して材料や部
あるいはクラスターにおけるプロジェクトに対
品,外注加工などを行うサプライヤーがいると
産業クラスターと戦略カスケードマップ(高橋)
(203)
7
援
(筆者作成)
図 3 産業クラスターにおける戦略カスケードマップの全体像
いうことを想定する.その場合,サプライヤー
えられる.すなわち,サプライヤーの技術開発
にとっての顧客は,
クラスター内の参加企業
(元
における戦略目標が,元請の参加企業の人材と
請)である.サプライヤーの供給する材料や部
変革の視点における技術習得の戦略目標とリン
品,外注加工などは,参加企業(元請)にとっ
クすると考えられる.このような関係を示した
ては内部プロセスと関連がある.そのため,サ
のが,図 4 である.
プライヤーの顧客の視点(クラスター内顧客の
次に,研究機関と参加企業の戦略マップにお
視点)と,参加企業(元請)の内部プロセスの
ける視点間の関係を見てみよう.
視点がリンクすることになる.元請の参加企業
研究機関のアウトプット(製品開発,特許な
の内部プロセスにおける戦略目標,たとえば高
ど)の提供先は,サプライヤーも含むクラスター
品質で安価な材料を調達,といった目標は,サ
参加企業である.したがって,この場合も,研
プライヤーにおける顧客の視点の戦略目標,た
究機関の顧客は,クラスター内の企業というこ
とえば高品質で安価な材料の提供,という目標
とになる.これらの要素は,参加企業の内部プ
とリンクすることになる.
ロセスに影響を与えるため,研究機関の顧客の
また,サプライヤーの内部プロセスの視点に
視点の戦略目標と,参加企業のプロセスの視点
おいて,提供する材料や部品,外注加工などを
の戦略目標とがリンクすることになる.
開発する上で,参加企業の製造上の技術と関連
また,研究機関の内部プロセスで行われる基
する可能性がある.元請が,サプライヤーの技
礎研究やその結果生じた新技術というものは,
術を知り,それを活かすための訓練等を行う場
参加企業の従業員が理解・習得するべき技術に
5)
合が考えられる .そう考えると,
サプライヤー
関係性がある.そのため,研究機関の内部プロ
の内部プロセスの視点と,参加企業(元請)の
セスの視点の戦略目標と,参加企業の人材と変
人材と変革の視点にも,リンクがある場合が考
革の視点の戦略目標とがリンクすると考えられ
8
横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月)
(204)
(Jones(2011)を基に筆者作成)
図 4 産業クラスターにおける戦略カスケードマップの関係性 ⑴
(Jones(2011)を基に筆者作成)
図 5 産業クラスターにおける戦略カスケードマップの関係性 ⑵
る.その関係性を表したのが,図 5 である.
点の戦略目標と,各参加企業の人材と変革の視
次に,支援機関と参加企業の戦略マップ間の
点の技能開発や人材開発に関わる戦略目標とが
関係性を見てみよう.
リンクすることになる.これは他の参加組織と
支援機関が各参加企業の技能訓練,人材開発
支援組織の間にもある関係性である.この関係
などの人材育成を支援している場合,それに関
性を表したのが,図 6 である.
わる支援機関の顧客(クラスター参加者)の視
産業クラスターと戦略カスケードマップ(高橋)
(205)
9
(Jones(2011)を基に筆者作成)
図 6 産業クラスターにおける戦略カスケードマップの関係性 ⑶
4. 3 視点間のリンクを考慮に入れた戦略カス
ケードマップの全体像
ターにおけるサプライチェーンを表しており,
財やサービスの授受関係にある組織間は,顧客
4. 1 で ク ラ ス ターに お け る 戦略 カ ス ケード
(クラスター内顧客)の視点と内部プロセスの
マップの全体像について考察し,4. 2 で各戦略
視点,内部プロセスの視点と人材と変革の視点
マップの視点間のリンクについて考察した.本
とがリンクしている.
節では,その二つの考察を基にして,視点間の
米粉のプロジェクトにおいて最終的な商品
リンクを表した戦略カスケードマップの全体像
は,米粉そのものと,米粉を使用した麺やパン・
を描いてみる.
菓子などの製品である.外部顧客へプロジェク
ここで,図 1 で示した熊本県食料産業クラス
トの製品を直接販売するのは,米粉の開発企業
ター協議会の米粉プロジェクトにおける戦略カ
と製麺・製菓業者である.高品質の米粉の生産,
スケードマップを想定してみる.参加者は,原
新しい米粉使用の商品などの開発によって,売
料の米粉用米の種苗の開発や農業指導を行う研
上増を図る.開発企業の顧客の視点と,製麺・
究機関,米粉用米を生産・供給する農家・農業
製菓企業の内部プロセスの視点は,米粉の供給
法人,米粉の製造に必要な機械設備を設計・製
の関係でリンクしている.米粉プロジェクトの
造する機械メーカー,米粉を開発・製造する開
最終的な経済的効果は,主にこれらの組織の財
発企業,米粉を使った商品を製造・販売する製
務の視点に現れる.
麺 ・ 製菓業者を想定する.それぞれの組織で戦
開発企業にとっては,内部プロセスとリンク
略マップを作成していることを想定する.以
するのは,原料である米粉を供給する農家・農
上のような想定から作成される戦略カスケード
業法人 や 米粉 を 製造 す る 機械 の メーカーで あ
マップは,図 7 の通りである.これはクラス
る.米粉の開発企業の内部プロセスの視点では,
10
(206)
横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月)
(筆者作成)
図 7 視点間のリンクを表した戦略カスケードマップの全体像の例
安価で高品質な原料の調達という戦略目標があ
役割が明確化してくるのである.
げられるが,これは同時に農家や農業法人の顧
5.むすび
客の視点における安価で高品質の原料の提供と
いう戦略目標とリンクする.
本稿では産業クラスターにおける戦略カス
また,研究機関は,顧客(農家・農業法人)に
ケードマップの適用可能性について検討した.
対して原料用米の種苗を提供する.研究機関の
先にも述べたように,産業クラスターが軌道に
顧客の視点の戦略目標と,農家・農業法人の内
乗るかどうかの鍵のひとつは,参加者によるビ
部プロセスの視点の戦略目標がリンクする.研
ジョンや戦略の共有と理解であると考えられ
究機関の研究プロセスにおける種苗の育成に関
る.それと同時に,全体の戦略の達成と,個々
する研究が,農家・農業法人の人材と変革の視
の参加者が達成すべき具体的な戦略との関係性
点とリンクすることも考えられる.
を明確にする必要がある.その意味では,本稿
このような参加組織間における戦略目標のリ
で検討した戦略カスケードマップは,全体の戦
ンクを明確にすると,文字通り棚のように流れ
略と個々の参加者の戦略を結ぶものであり,産
る滝,戦略マップのカスケードが描写される.
業クラスターの戦略遂行に大いに役立つものと
戦略カスケードマップによって,各参加組織の
考えられる.
ビジョンを実現しつつ,クラスター全体のビ
ジョンの実現に向けた各参加組織の果たすべき
産業クラスターと戦略カスケードマップ(高橋)
付 記 本稿 は 日本学術振興会 科学研究費 基盤研究
(C)
(課題番号:24530550)の研究成果の一部であ
る.
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『横浜経営研究』31 巻
1 号,73─87 頁.
高橋賢(2011a)
「バランス・スコアカードの産業
ク ラ ス ターへ の 適用」
『横浜国際社会科学研
究』15 巻 6 号,1─19 頁.
高橋賢(2011b)
「産業 ク ラ ス ターへ の 管理会計
の 応用 BSC の 適用可能性」
『企業会計』63
巻 10 号,78─83 頁.
高橋賢(2012a)
「産業クラスターの展開とバラン
ス・スコアカード(BSC)
」
『れぢおん青森』
34 巻 402 号,38─43 頁.
高橋賢(2012b)
「熊本県 に お け る 食料産業 ク ラ
スターの展開」
『横浜経営研究』33 巻 1 号.
吉川武男(2006)
『バランス・スコアカードの知識』
日本経済新聞社.
注
1)熊本県食料産業クラスター協議会の取組の詳
細については,高橋(2012b)を参照されたい.
2)高橋(2012b)を参照されたい.
3)ここでいう「人材と変革の視点」とは,
「学習
と成長の視点」と呼ばれることも多い.産業ク
ラスターでは,参加組織のシナジーによるイノ
ベーションの創出が大きなテーマとなっている
ので,ここではそれをよりよく表す「人材と変
革の視点」という用語を使用することにする.
4)熊本県食料産業クラスター協議会における参
加組織の役割の詳細については,高橋(2012b)
を参照されたい.
5)この関係性は一方的なものではなく,双方向
で影響し合う可能性がある.
[た か は し ま さ る 横浜国立大学大学院国際社
会科学研究科教授]
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