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初谷譲次著 アメリカス世界を生きるマヤ人 向こう岸から

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初谷譲次著 アメリカス世界を生きるマヤ人 向こう岸から
大阪経大論集・第62巻第3号・2011年9月
書
105
評
初谷譲次著 アメリカス世界を生きるマヤ人
向こう岸からのメキシコ史
桜
井
三枝子
1980年代中頃, 偶然なことに, 著者 (歴史学) と筆者 (文化人類学) は相互に知ること
もなくユカタン半島マヤの反乱 「カスタ戦争」 をテーマに修士論文を作成し, その成果を
ラスアメリカス学会 (関西地域) で同日発表した。 その日, おたがいに怪訝な面持で発表
し, 爾来, 著者はユカタン半島諸都市の古文書に通い, 筆者は祝祭儀礼をテーマにをユカ
タン半島からグアテマラのマヤ村落に通ってきた。 その後, マヤ科研の他の研究仲間も加
わり, 国際マヤ学会での発表を重ね相互に学的刺激を授受しつつ協力しあってきた。 著者
が古文書館から大量な史料・資料を入手し喜色満面で帰国報告する姿を今でも懐かしく思
い出され, それだけに本著の出版が輝かしい成果と喜ばずにはいられない。
さて, 著者の目的は社会科学的歴史学の視点から, メキシコ南東部ユカタン半島に生き
るマヤ人の歴史を描写することにあるとし, スペイン征服以降の先住民に対する搾取, 抑
圧, 差別の実態を明らかにすることが歴史学の課題のひとつであるとは認めるが, それで
はマヤ人を 「敗者」 の歴史のなかに押し込めることになると, むしろ, 抑圧とともに生き
た先住民の歴史的主体性に着目し, 同時にマヤ人を取り囲むユカタン半島のチクル産業と
エネケン産業に関連した白人支配層の姿を隣国米国経済と絡めて描写している。 随所に配
置されている写真, 地図, 図表は読者の理解を助け, 各章への連結がスムーズに運ばれて
いるので, 読み進めるうちにユカタン半島のマヤ人をめぐる歴史的プロセスが見えてくる。
本書は以下の10章で構成されており, すでに発表された論文に近年の研究の進展をふま
えて加筆・修正されている。
はじめに
第一章
ユカタン農村社会の変遷
第二章
プレゲラ期 (1821∼47年) における犯罪の諸相
征服からカスタ戦争まで (1528∼1847年)
第三章
ユカタン・カスタ戦争 (1847∼1901年)
第四章
フスト・シエラ・オレリーの対米交渉 (1848年)
第五章
カスタ戦争後のクルソー・マヤ
第六章
20世紀キンタナロー州におけるチクル採集産業
第七章
キンタナロー州マヤ系村落の年間生活サイクルについて
第八章
19世紀後半ユカタン半島におけるエネケン産業の発展 (1853∼1902年)
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大阪経大論集
第62巻第3号
第九章
ディアス期メキシコにおける地方オリガルキーについて
第十章
構築される反乱
むすびにかえて
第一章 「ユカタン農村社会の変遷
征服からカスタ戦争まで (1528∼1847年)」 にお
いて, ユカタン半島地域はメキシコ北部のような地下資源を持たず, また商品農業にも適
さないがゆえに, マヤ人たちは他地域に比較すると伝統的生活を継続することが可能であ
った。 スペイン植民地時代のエンコミエンダ期からアシエンダ形成期においては, 半島南
部や東部ではスペイン人支配力が及ばず, さして労働力を要しない牧畜エスタンシアが存
在していただけであった。 ところが, メキシコのスペインからの独立後に当該地域でサト
ウキビ・アシエンダが発展したことにより, マヤ人はアシエンダとの緊張関係を強いられ,
その不満がカスタ戦争の主たる原因となった。 具体的には人口が増加した一方で公有地政
策で使用可能な土地が制限され, ランチョや先住民村落において季節労働による収入補完
の必要性が高まったことにある。 また, マヤ人のエリート (バタブ) が経済的に没落し,
村民が期待するようなパトロンとしての勢力を失うと, その不満が反乱への原動力になっ
たと記述している。
第二章 「プレゲラ期 (1821∼47年) における犯罪の諸相」 において, 著者は従来のカス
タ戦争の人種的憎悪原因説を否定し論考を進めている。 その手法は著者がユカタン州立自
治大学社会科学研究所に留学した際 (1997年) に, 古文書館でカスタ戦争が勃発する直前
期間における犯罪記録を収集し, データベース化し, 分析し新しい観点を示している。 す
なわち, マヤ人がおこした148件の殺人事件のうちで, その対象がマヤ人ではない例は僅
か19件にしか過ぎないことに着目し, マヤ人が白人やメスティソ (混血) を人種的憎悪か
らダイレクトに反乱・カスタ戦争を引き起こしたとは言えない事実が史料にあると主張し,
この見解が第十章に継続されている。
第三章 「ユカタン・カスタ戦争 (1847∼1901年)」 はサトウキビ・アシエンダとの軋轢
が主たる原因として始まり, 反乱マヤ軍が半島全体の経済社会を麻痺させるほどの拡大を
見せたが, 米墨戦争が終結しメキシコ連邦軍が反乱鎮圧に参戦するにおよび, 敗戦の色濃
くなっていった。 その時 「語る十字架」 儀礼が始まり千年王国的運動に発展し選民意識に
支えられた。 時あたかも隣接するベリーズの英国人がマヤ人を支援する動きを見せた。 し
かし, 約半世紀を経るうちに次第にマヤの反乱は内部分裂と離合集散を繰り返し今日に至
っている。 そして, むしろ 「反乱するマヤ人」 イメージがユカタン州州庁舎の壁画に描か
れ, 「語る十字架」 カルトの中心地であったチャン・サンタ・クルスがカリージョ・プエ
ルトと改称され, 現在では 「反乱するマヤ・イメージ」 が博物館で見られる, すなわち消
費される対象として描かれている状況に対して, 著者は支配者側の問題意識の変遷を示唆
しそのテーマを第十章に繋げていく。
第四章 「フスト・シエラ・オレリーの対米交渉 (1848年)」 において著者は, 先住民反
乱により危機的状況下にあるユカタン州を救うために, ユカタンの主権を米国に譲るとい
う屈辱的交渉をせざるをえなかったシエラ・オレリーの姿をユカタン白人支配層の姿とと
初谷譲次著 アメリカス世界を生きるマヤ人──向こう岸からのメキシコ史
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らえ, 米国の帝国建設に協力する 「信頼できる協調者」 として記述している。 シエラ・オ
レリーとユカタン州知事メンデスはそろって 「わが州の文明化された白人種は一斉蜂起し
た土着人種に野蛮なやり方で攻撃されている」 と米国に支援を要請する書簡で訴えている。
すなわちスペイン植民地帝国から解放されたユカタン白人支配層が, 先住民という他者を
否定することで米国の帝国建設に寄り添う役割を演じている状況を, 著者はその後に続く
メキシコの近代国民国家建設の暗い道程として示唆している。 そして, メキシコ革命以降
にメスティソ (混血) が国家の中核であるという視点を提示したのが, 後のメキシコ文部
大臣を務めた彼の実子, フスト・シエラ・メンデスであったことに言及している。
第五章 「カスタ戦争後のクルソー・マヤ」 について著者は歴史学研究にフィールド調査
的手法を取り入れ, 「語る十字架」 儀礼の連盟村落にあたるチャンカー・ベラクルス村に
通いつめ, 彼らの生業であるトウモロコシの焼き畑栽培とチクル産業による現金収入労働
とは農耕暦サイクルに合致しているのではないかという仮説に達し, それが第六章と第七
章へと進める基礎固めをした。
第六章 「20世紀キンタナロー州におけるチクル採集産業」 と第七章の 「キンタナロー州
マヤ系村落の年間生活サイクルについて」 は, チクル産業を社会経済史的に文献整理した
ものであり, カリージョ自治体の公文書館に保存されている過去の 「祭礼許可証」 を複写
しデーターベース化し, 焼き畑耕作と伝統的祭礼サイクルはチクル採集時期とうまくかみ
合っていることを確証している。
つづけて著者の関心はチクル産業からエネケン産業へと移り, 第八章 「19世紀後半ユカ
タン半島におけるエネケン産業の発展 (1853∼1902年)」 と第九章 「ディアス期メキシコ
における地方オリガルキーについて」 において, 米国の南北戦争による労働力不足を補う
ために開発された刈り取り結束機 (トワイン・バインダー) が急速に普及したことにより,
結束用に必要な麻紐の原料としてエネケンに大市場が開けたことを豊富な図表で説明して
いる。
エネケン栽培に特化したプランテーション経済が発達すると, マヤ人共同体の土地は瞬
時に収奪され, 彼らはプランテーションに縛りつけられた農業労働者に転落させられた。
ディアス期のメキシコにおける外資への 「従属」 の形を内側から探る視点から, 米国イン
ターナショナル・ハーベスター企業と結束したユカタン州モリナ家がファミリーネットワ
ークを形成し, エネケン・プランテーション経営・鉄道・銀行の実権を掌握しエネケン王
国に君臨することになった。 一方米国のハーベスター社は 「信頼すべき協調者」 であるオ
レガリオ・モリナを介して 「間接支配」 をするほうを選択した。 こうした作業からユカタ
ンのブルジョワ像が半自立的=半従属的な性格をもつというイメージを浮き彫りにした。
最終の第十章 「構築される反乱」 で全体的まとめに入る。 メキシコの近代はスペインに
よるアメリカ大陸の征服と植民によりはじまり, 白人支配層は社会のなかでインディオ
(インディヘナ) をどのように位置づけるかとたえず 「先住民問題」 を政治的課題として
きた。 植民地期のスペイン人, 独立後のクリオージョ, 革命以降のメスティソという国家
建設の主体はインディオを客体化し他者化してきた。 すなわち, インディオ問題はたえず
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大阪経大論集
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支配者側の問題であり, 先住民たちにとっての問題ではなかったことである。 マヤ・イメ
ージがいかに他者によって形成され消費されているかを明らかにするために, 観光という
脈絡で 「反乱するマヤ」 というイメージが消費されていることを指摘している。
著者は本書の研究上の視点をアナール学派の流れに置くとは言明してはいないが, 筆者
には, ジャック・ル・ゴフおよびミシェル・ド・セルトーの言説がこだまのように聞こえ
てくる。 例えば, ル・ゴフは 「歴史学と民族学の現在」 (二宮宏之・訳) のなかで, 歴史
学が人類学徒の対話に向かっているとし, 第一に歴史を 「長期波動」 において捉える, 第
二に日常的物質文化に重点を置いて考える, 第三に歴史を表面的な現象に惑わされず, そ
の深層において捉えようとする深層歴史学ともいえる傾向が見られると述べている。 第一
の長期的歴史把握を目指そうとする民族学的歴史化は第一に広い全般的視野を持つと同時
に, 特定の分野を長期的な枠組で 「時系列」 として追及するための十分な専門化を要する
と述べた。 第二の日常的物質文化の問題に関して, エリアスの
習俗の文明
を引用し
ヴェネーツィアのドージェに輿入れしたビザンツの皇女が嫁入道具にしたフォークの導入
に関して, 13世紀から16世紀にかけて西欧における 「礼儀作法」 のありかたを示すなど,
農耕や煉瓦の技術上の変化に着目するにおよび, 知らずして民族学者の仕事をしている面
があるとしている。 そして, 第三の深層において, すなわちからだの歴史, こころの歴史
という両方の面から歴史の深層に降りていくと, 疫病の歴史を辿りライ病からペスト, 梅
毒, 肺病, そして現在は癌とヨーロッパの歴史を病気の面から考察することの可能性を示
唆している。 すなわち, 歴史学が文書史料だけでなされるべきものではないと主張してい
るのである ( 思想
1976年12月号)。 また, ド・セルトーが冒頭から 「歴史はけっして確
実なものではない」 とその著書
ルーダンの憑依
で述べ, さらに, 歴史学に日常性とい
う新たな領域を切り開き家族の歴史的解明を説いたピエール・ブルデューの
結婚戦略
などが想起される。 そのような意味で, 本書の第二章で著者がメリダ市ユカタン州立古文
書館で入手した膨大なデータをもとに, マヤ人が白人やメスティソ (混血) を人種的憎悪
からダイレクトに反乱・カスタ戦争を引き起こしたとは言えない事実が史料にあると主張
している点を高く評価したい。
最後になるが, 非マヤ (スペイン系白人, クリオージョ, メスティソ) 人という支配体
制側に拠る文書史料をもって, すなわち, 非マヤの 「視点」 からマヤ人の主体的・自立的
イメージを描写する手法は斬新ではあるものの, ある意味の限界が見えてくるように思え
るのは筆者だけであろうか。 本書から筆者がむしろ解読できたのは, マヤ人に対する支配
者側の 「恐怖」 の諸相であった。
初谷譲次著 アメリカス世界を生きるマヤ人──向こう岸からのメキシコ史
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(初谷譲次 アメリカス世界を生きるマヤ人
向こう岸からのメキシコ史
天理大学出版部, 2009年12月刊, A 5 版, 266頁, 3000円+税)
拙文を, 永遠の若者にして, 永遠のヒッピー世代謳歌者である山田裕康先生への哀悼の
辞として捧げます。 山田先生, その魅惑的な美声でアメージング・グレースを詠い続けて
ください。 耳を澄ませて聴き続けます。
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