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精神医学における臨床と社会
精神医学史研究 V01.14‐1 2010.4 第 1 3 回 精 神 医学史 学 会 精神医学 における臨床と社会 ― 精神医学史の可能 性 注1)_ 慶應義塾大 学 鈴 木 晃 仁 この精神 医学史学 会 には, 精 神科 の 医師や看 護 師, 臨 床 ′ 心理士 な ど, 広 義 の精神科 の 臨床 に携わ つて い る人び とと, 歴 史, 社 会学 , 人 類学, 思 想 といつた 人文社会科 学 の研 究者 の双 方 が い る. 学 会誌 を読 んだ り, 学 会 の演題 を聴 いた りした 印象 tg では, 総 じて, 前 者 は治 療法や疾 病概念 な どの臨 床 に直結す る問題 の歴 史 に興 味 を もち, 後 者 は精 神医学 と精神疾患 をめ ぐる法 制度 , 病 院, 文 化 な どの歴 史 に関心 が あ る とい う傾 向が あ る。しか し , い まの状 況 ではか な りの クロス ォ ー パ ー がぁって, 臨床 系 の会員 で 社会文化 に関心 が あ る人 や , 人 文 社会系 の会員 で臨 床 に興 味が ある人 も多 い. この ク ロスォ ー バ ー は, 精 神 医学史 という 領域 の可能性 を象 徴 して い る と思 われ る。 そ の 可能性 の 中核 に あ る の は , カ ナダ の 科 学 哲 学 の 者 イア ン ・ハ ッキ ングが 「 ル ー プ構 造」 「 ル ー プ効果 」と よぶ もの と部 分的 に重 な る問題, す なわ ち 精神科 臨床 の テ クニカル な 問題 とみえ る こ とが らにも , 同時代 の社会 と文 化 が大 きな影響 を及ぼ し, 社 会 と文化 のなか に も, 精 神 医学 の臨床 に起源 を もつ 概念 や現象が広 まつて大 きな影 響 を与 え る とい う 双方 向 の関係 を明 らか にす る可能性 で ある. 今 日の講演 では, この 可能性 を確 かなか たちで 示唆す るため に, 精 神 医学 の 臨床 のテ クニ ヵル な 部分 に, 同 時代 の社 会 と文化 が 根本的な影響 を与 えて いた こ とを示 す事例 を 1 つ 提示 した い. 具 体 的 には. 1 8 2 0 年 代 末か ら 3 0 年 代 初頭 にか けての イギ リスで起 きた事 件 に焦点 を当て, 当時 の ロ ン ドンで もっ とも成功 して いた精 神科 医が行 った 不 法監禁 のス キ ャンダル と, そ の後 に生 じた一 の 連 議論 を検 討 し, 当 時 の精神 医学 の臨床 の プ ロ トコ ルが , 診 断 の手続 きで ある と同時 に, 同 時代 の 社 会 の価 値観 を反 映 して いた もので ある ことを論 じ た い と思 う. この一連 の議論 は , ま ず , 1 8 2 9 年 に 当時 ロ ン ド ンで もっ とも成 功 して い た精神 科 医で あるジ ョー ジ ・マ ン 。バ ロ ウズが ほぼ 同時 に巻 き込 まれた 2 つの ス キ ャンダル か ら始 まる。バ ロ ゥズは 1 7 7 1 年 に生 まれ , 1 8 4 6 年 に没 した 医師で, 人 生の前半 は, 当 時 エ リー トの 内科 医や 外科 医 に較 べ て 身分 が不安定で あった 一 般 医 ( g e n e r a l p r a c t i t i O n e D とよばれ る低 い階層 の医者 の指導 者 と して活躍 し , 1 8 1 5 年 に薬剤 師法 ( A p o t h e c a r y ヽ A c t ) を 成立 さ せた運動 の立役 者 で あ った. 同 年 に一般医 を引 退 し, ロ ン ドンで の精 神 医療 に転 じ, 私 立精神 病院 を開設 した. ヨ ー クの 「リ トリー ト」にな らって , 「 ク ラ ッパ ム ・リ トリー ト」と名づけ られた この精 神病院 は成 功 をお さめ, パ ロゥズは ロン ドンで も つ とも成功 した精 神科 医 と しての 自負 をたびたび 表 明 して い る. 1 8 2 8 年 にバ ロ ゥズが 出版 した書物 は, 7 0 0 ベ ー ジを え る大著 で , 当 時 の ヨー ロ ッパ の精神医 欅 学 撃 写 111曼 二 攣 苫 』 撃 属 [繕 点 1曇 2,:1、 1 は もっ とも水準が 高 い もので あった. 社会的 に も学 問的 に も栄光 の絶頂 にいた この精 神科 医 は, 1 8 2 9 年 に立 て続 けに 2 つ の事件 に ま き こまれ た。 1 っ は, 1 8 2 9 年 の 1 1 月 2 日 に 起き た, フリー マ ン ・ア ンダ ー ドンとい う紳士 の 不法 監禁事 件で ある。 ア ンダ ー ドンは, 莫 大 な財産が あるが,労 働者 階級 や 貧 民が 住 む地 域 の あば らや じて もよ い,っ ま り, それだ けを 根拠 に して だれ に住み,テ ムズの船頭 のよ うな格 好 に麦藁帽 をか か を精 神病 と判 断 して ょ ぃ とぃ ぅ.バ ロゥズ は, ぶ つて暮 らして いる人物 で あ っ た (言うな らば , 出版 され た 書物や 論文 では直接 に基 づ く科 学 観察 絵 に描 い た ょ ぅな 変 わ り者 の イ ギ リス 紳士であ 的精神 医学 を高 らか に標榜 して い たが ,実 践 にお る).事 件 の発端 は,ア ンダ ー ドンの 兄弟が ,彼 の いては,間 接的な伝 聞は直 接 観察 以 上 に重要 で あ 財産 の運営の仕方 を危 惧 して,彼 を精 神病患 者 と り,間 接 的な伝 聞 に依存 しな ければ な らな い場合 して不法 に監禁 す る こ とを試み ` , ア ンダ ー ドンの 1 も 多 い こ とを主張す るので あ る.「 あ る症 例 につ い 自宅 に人 をや って彼 を拉 致 しよ うと し た ことで ぁ ての間接 的な伝 聞か ら,明 晰 な 結論 を導 き出 す こ る.こ の ときに差 し向 け られ た のが ,パ ロ ゥズ の とがで きる」 「 病気 の なかで精 神病 ほ ど,それ につ 精神 病院の 2人 の看護 人で あ り ,フ リー マ ン ・ア いての判断 と′ 心理療 法が ,間 接 的 に伝 聞 した こ と ンダ ー ドンは狂人で あ る とい うバ ロ ゥズ の署 名入 によ って導 かれ る ものは な い とぃ 」 ぅの だ。バ ロ りの書状 を携 えて いた。 ア ンダ ー ドンは助 け を呼 ウズは,患 者が そ こにい る と ,か ぇ って 患 者 の真 び,警 察が駆 けつけて 2人 の 看護 人 を捕 らえた。 の姿が医者 に伝 え られ ず ,判 断 の邪魔 にな る場合 翌 日警察 に呼び出 され たバ ロゥズ は , ァンダ ァ ド す らある とまで言 って い る.こ れ は,患 者 の 目の ン を診療 した こ とは 1度 もな く,2人 の兄弟 か ら 前では,患 者 の病気 の あ りさ ま を生 々 しく伝 え に 伝 聞 した ことのみ に基 づ いて書状 にサ ィ ン した こ くい こ とが ある とい うょ ぅな 事 態 を念 頭 にお ぃて とを認めた。 患者 を診ず に診断 し 精 神病 の判定 を い るので あ ろ う.す なわ ち ,バ ロ ゥズは, このス 下 したバ ロ ゥズ の非 は 明 白で あ った .1830年 4 キ ャンダル の あ との 自己 防衛 の なか で , 自分 の臨 月 にバ ロゥズが 訴 え られ た裁 判 では 有罪 とな り, 床 にお ける診断 の プ ロ トコル は ,観 察 と伝 聞 の双 500ポ ン ドとい ぅ高額 の罰金が課せ られ た。 方 を用 い,後 者 にゃゃ ゥェィ トをか け ,場 合 によ このス キ ャンダ ラス では あるが ,あ る意 味であ つて後者 の み に依 存 して い る もので あ る こ とを 自 りふれて い る不法監 禁 は,バ ロゥズが 悔 い改めて ら明 らか に して ぃ るので あ る。 素直 に謝罪 すれば ,そ の まま粛 々 と 進行 して忘れ ほぼ 同時期 に,バ ロ ゥズは もう 1っ の法廷 で の られ たか も しれな い.し か し ,パ ロ ゥズが 自分 の 審理 に まき こまれ て いた. 1829年 の 12月 に始 ま 診断 と狂 気 の判定 につ いて,そ の プ ロ トコル を正 つた,エ ドワー ド ・デイ ヴ ィス の 禁治産 処分 で あ 当化 しよ うとしたため,当 時 の精 神医 療 の根幹 を る こ の審理 の核 は, ァ ンダ ー ドンの それ に とて め ぐる論争 に発展 して い った。 もよ く似 て いた。 デイ ヴィス は若 い 27歳 の富裕 事件 の直後 にバ ロゥズ は一連 の 自己 弁護 を発 表 な茶 商人で,心 理的 にや ゃ不 安定 であ った.そ の す る。 そ こでバ ロ ゥズは,ぁ る個 人 を精神病 で あ 母親が ディ ヴィス の財布 をにぎ り ,デ ィ ヴィス は る と判定す る ときに,精 神科 医 に は 2つ の材料 が 自分 で財産 を処分 で きるよ うに独立 を 求 めて母親 ある とい う。 その患者 を直接観察 ・ 検 査 して 得 ら との緊張 と対立が 続 いて いた 母 は 息子 の経済 的 れ る情報 と,そ の患者 をよ く知 って い る他 の人か 独立 を認 めず ,息 子 を精 神病 院 に監 禁 して 禁治産 ら聞 いた情報 であ る.す なわ ち ,直 接 的観察 と問 処分 を申請 した.監 禁 され た精神 病院 はバ ロ ゥズ 接 的 伝 聞 の 2種 類 で あ り,前 者 は の もので あ った.12月 に この persOnal 禁治産 処 分 の公 開法 examination,後 者 は representatiOnと 表現 され 廷が始 まった ときには,す で に ア ンダ ー ドンの事 てい る パ ロゥズは,直 接観察 を もち ろん重 ん じ 件が起 きてお り,パ ロ ゥズ の信頼 は 失墜 して ぃた. るが ,患 者 をよ く知 って いて, しか も信 頼 に値す さ らに悪 い ことに,ディ ヴィス の 弁護 にまわ って, る人物が間接的伝 聞 を与 えて くれ た ときには,そ 彼は精神異常で はな い こ とを論 じた 弁護側 の法律 の情報 は貴重 な もので あ って ,場 合 によ っては信 家 のチ ー ム を率 いて いた のは,ホ ィ ッグ党 の大物 の政治 家 で: ヘ ン リー ・ が 自由の 問│ る うことで され て禁治j ス を救 うと│ であ った. イギ リス 人 ( て ブル ー ムラ いう デイ ヴィリ 末 に 2週 間1 細 に報道 し, した 日す ら` イスが精神 メ とい う証 言 ′ 粉砕 して い ‐ 事件 を起 こ l ことは,彼 t た.さ らに, チ ー ムの法` いた.ま さl は,直 接 的′ 精神 病 の判 曽 され た ので` と しては はぇ 係 を伴 い,ォ ブル ー ム の ヲ 言 した医者 ス ちか ら, デ ィ 拠 は, 結 局 σ にデ ィ ヴィラ る母か らの位 す べ て の証ノ つて い つた。│ デ イ ヴ ィス に 処 さな い判υ こオ1 は, t 診察 して精相 精神医学史研究 V0114・ 1 20104 こに して だれ ヽロ ウズ は, こ基 づ く科学 が,実 践 にお ヒに重要 であ 工らな い場合 5症 例 につ い を導 き出す こ ど,それ につ 民聞 した こと うのだ.バ ロ )て 患者 の真 こにな る場合 患者 の 目の 7し く伝 え に ヽ頭 にお いて では, こ のス 5, 自 分 の臨 ヨと伝 聞 の双 ナ,場 合 によ うる こと を 自 )の法廷 での 12月 に始 ま )産処 分 で あ 'それ に とて 17歳 の富裕 つた。 そ の イ ヴィス は 求 めて 母親 子 の経済 的 して禁 治産 はパ ロ ウズ 分の公 開法 ― ドン の 事 :して いた。 │まわ って, 蔓側 の 法律 ガ党 の大物 の政治家で後 に大 法官 とな る当 代随 一 の法律家 の ヘ ン リー ・ブル ー ムで あった.ブ ル ー ムは, こ と が 自由の問題 にふれ る と,情 熱 に満 ちた 雄弁 を振 る うことで 名 を成 してお り,精 神病 に 院 不法監禁 され て禁治産 処 分 にされ よ うと して ぃ るデ イ ヴ ィ ス を救 うとい ぅ仕 事 は,ま さに うってっ けの仕事 で あつた。 この事件 で も,精 神 医学 によっ 者 て, イギ リス 人の 自由が 脅か され る とい うことにつ い て ブル ー ムが ふ るった熱 弁 は,5時 間 に及 んだ と い う. デ イ ヴィス の禁治産 処分 の審 理 は 1829年 の 年 末 に 2週 間続 いた。 タィム ズは連 日 ,大 々的 に詳 細 に報道 し,ほ ぼ 1ベ ー ジ全面 をぶ ち抜 きで 報道 した 日す らあった ブ ル ー ムのチ ー ムは ,デ ィ ヴ イスが精神 病 であ り禁 治産 処分 にす るべ きでぁる とい う証 言 を した 医者 た ちを ことご とく ,軽 々 と 粉砕 して い った。っ ぃ 1か 月前 に不法監 禁未遂 の 事件 を起 こ した精神 科 医 を,法 廷 でつる し上 げる こ とは,彼 らに とって は児戯 に した ことでぁ っ 類 た.さ らに,ァ ンダ ー ドンの事 件 は ,ブ ル ー ムの ー チ ム の法律 家た ち に,精 神科 医 の 弱点 を教 えて いた.ま さにバ ロゥズ の行動か ら ,精 神科医た ち は,直 接的な観察 よ りも人か らの伝 に 間 依存 して 精神病 の判断 を して い る こ とが 自 日の もとにさ ら され た ので あ る。 法律 的 にいえば ,後 者 は,証 拠 と して ははるか に弱 く,し か も , しば しば 利害 関 係 を伴 い,か たょ った ソー スか らの伝 聞である ブル ー ムのチ ー ム は,デ ィ ヴ ィス の精神障 害 を証 言 した 医者 た ちを苛 烈な反対 尋 間 にか け ,医 者た ちか ら,デ ィ ヴ キス を精神 病 で ある と 判断 した根 拠 は,結 局 の ところ,家 族 な どか らの 伝 聞, こ と にディ ヴィス を精神 病 者 に仕立て上 げ たが って ぃ る母か らの伝 聞で あった ことを認 め させて ぃ った。 す べ て の証人 の喚 間 をまたず に,決 着 は 明 白にな つて い つた.陪審 は審 理 を決着 す る こ とを要求 し, デイ ヴィスは精神障 害 では な く,禁 治産処 に 分 は 処 さな い判決 を宣 言 した これ は,も ちろん,パ ロゥズ と ,デ ィ ヴィス を 診察 して精神障害 を宣 言 した医者 た ちに とって は 屈辱 的な敗 北 で あ った。 とくに,パ ロゥズは ,ィ ギ リス の 大義 で ある 「自由」 を踏 み に じる 不法 監 禁 を常 習的 に行 う医 者 と して大 々的 に報道 され た. 彼 は,各 種 の 出版物 で,正 当な批判 と誇張 され た 中傷 の双方 を浴 びた.実 生活 で も,彼 の 精神病 院 の周 囲では群衆 が集 まって 抗議 し ,判 決 の翌 日に は殺 害 を予告 す る脅迫状 な どを受 け取 った.当 時 59歳 で あ ったバ ロ ゥズ は この打 撃か ら立 ち直 る こ とな く失意 の うち に 引退 して ,医 学 の表舞台か ら姿 を消 した. 1829年 にバ ロゥズ を立 て 続 け に ったス 襲 キャ ンダル は,ィ ギ リス の精神 医療 に深刻な 問題 を突 きつ けた そ れ は,単 に職業集 団 の ト ップス タ_ が不法 監禁 の汚 辱 に まみれ た とぃ ぅことで はな い。 このスキ ャンダル は,当 時 の精神 医療 の臨床 にお ける,根 本 的な脆 弱性 と対立 の軸 を明 らか に した か らで ある。 そ の対立 の軸 は,観 察 と 伝 聞 の どち らに臨 床 と鑑定 の判 断 の基礎 をお くか とぃ う問題 で あ つた。 この 問題 につ いて,当 時 の 教科書 的な 回答 をす るな らば ,医 者 た ちは 自分 の観察 こ そが 基礎 で ある と答 え るに決 まって いる。パ ロゥズ も, 出版 され た教 科 書 のな かでは そ ぅ主 張 して きた. しか し,問 題 は, こ の教科 書的な 建前 を,現 実 の 臨床 で維 持 で きるのか とい ぅことで ぁった。 この 「 伝 聞」とい うのは,ァ ンダ ー ドンやディ ヴィス の 例 で もそ うだ った が ,そ の 出所 は,多 くの 場合 , 患者 の家族や 親族 で あった。 家族 の伝 間 を考 とき,2つ える の こ とを考 えな ければ な らな い。 まず 第 1に ,家 族 は ,患 者 の様子 をつぶ さに 観察す る 機会 を,診 察 す る精神科 医 よ りもはるか に 多 くも つて きた ことで ぁ る.患 者 の様子 につ いては ,家 族 11「樹 的 に多 kの 情報 を もってお り ,精 神科医 は,家 族 の情報 に依存す る立場 にい る.第 2に , 家族 は,患 者 の利益 を考 慮 す る と同時 に ,家 族 の 財産 上 の利害 も考慮 して い る こ とで ぁる。 財産 は 患者 とされ た ものの個 人の 名義 である と同 時 に, 家族 で受 け継 がれ そ の利益 に家族 がかかゎ る もの で あ つた。 ア ンダ ー ドン もディ ヴィス も,財 産 の ° 処分権 をめ くる家族間 の 争 いの産 物 であ った 。こ の,患 者 の状態 につ いて の情報 的優位 を保 ち,深 ロ トコル と社会 のイ デ オ ロギ ー が重 な り合 う領域 い利害関係 をもつ家族 が,医 者 に患 者 の様子 を伝 で,通 用す る精 神医療 のモデル を作 り上げ る こと チャ える とい う構造 がつ くられ て い た ので ある。 この で あった.そ れ は,直 接的観察 か間 接的伝 聞か と ての 構造 にお いて は,家 族 は,医 者 によ る精 神病 の判 い う臨床 のプ ロ トコル の問題 と,個 人 の 自由 の保 定 を通 じて,患 者 の財産 の処 分 な どを行 つて,家 障な のか 家族 の幸福 と利益 を守 るのか とい う社会 族 の危機 を乗 り越 えよ うと して いた.こ の文脈 で の 問題 を重ね合わせ て解決 しな ければ な らな い, は,医 者 は情報弱者 で あ り,家 族 の財産 の 問題 に 複雑 で重大な帰結 を もつ課 題 で あ った.言 葉 を変 王立 医F ついて は傍観者的 な立場 にいた える と,臨 床 の プ ロ トコル を考 え直す ことは,同 る,政 治自 精神科 医が直面 して いた 問題 を もっ とも深刻 に 時 に,個 人 と家庭 とい う 2つ の要 素 の 関係 を臨床 顧客 の 中だ したのは, この時代 が,ヴ ィク トリア時 代 のいわ ゆる 「 家族 の黄金時代」 だ った ことで あ った.富 のなか にはめ こみ ,「何 のため の,だ れ のための精 会員 た ちに 神医療 か」 とい う優 先順位 を考 え る ことで もあ っ い る医学 I 裕 な夫 と幸福 な妻 ,愛 くる しい子 どもた ちの甘 い イ メー ジが 象徴 す るヴィク トリア朝 の家庭 は,個 た バ ロ ウズカ 人 の道徳 を涵養す る場 であ り,社 会 の安定 の要 で 筆者が知 る限 りでは,合 計 4人 の 医者が ま とまっ ある と考 え られて いた.フ ランス革 命 と産業革 命 が もた らした,政 治 ・社会 ・経済 の劇的 な変動 の た著作や論文な どを書 いて ,バ ロ ウズのスキ ャン この危機 に対応 して ,1830年 か ら 33年 の 間 に, イン 1.王 立 B それ そ しくこのEI ル ー プの医 ダルが あ らわ に した問題 へ の解 決策 を提示 して い い うよ りt ― 卜の世界 時代 を乗 り切 る鍵 が家族で あ る と考 え られて いた る そ して,そ の 4人 が提案す る新 しいプ ロ トコ 医師 とい う 精神病 の患者や,精 神 が不 安定 でそ の行動 が家族 ル は大 き く違 ってお り,そ の違 い とい うのは,そ 彼 らが,層 の期待 に沿わな い患者 は,家 族 の情緒的な生活 を れぞ れが寄 って立 つ立 ち位 置 に応 じて変化 して い を構想 した 破壊 し,財 産 を乱用 して 家族 の幸福 の基盤 を損 な る あ らか じめそ の 4つ の意見 を紹介す る と,次 ん, こ の │ う.精 神科医たちは,そ の家族 の要求 に こたえ, のよ うにまとめ られ る. しな いで狂 家族 を守 る ことは,社 会 の安 定 に奉仕 す る こと, (1)1830年 か ら 31年 にか けて書 かれて , ロ ン いわな い。 時代 の価値観 にかな った振 る舞 い をす る ことで あ ドン王立 医師協 会 で 閲覧 で き るよ うに寄 贈 る と考 えて いた。家族 によ る伝 聞 を重視 し,そ れ に信頼 をお くことは,当 時 のイデ オ ロギ ー が 要請 され ,20名 以 上 の協 会 の会員 に関覧 された, 「 狂気 の診断 を単純 に し,そ れ を説明す る試 医者が 協 力 する ことで あった.家 族 の財産 を守 ろう とす る利 論 ;と くに禁 治 産 処 分 に 関連 して」 と い う 30ペ ー ジ程度 の手書 きの原稿で ある。 この むための観 者 は大 きな 手稿 の著者 は,協会 の会員 で ある ことは確 か あ らわ にな だが ,だ れ が書 いた のか 特定 で きな い. い と,狂 気 (2)1830年 に出版 された ,ジ ョン ・コ ノ リー の 『 狂気 の徴 候 につ いて の考 察』 これ は 400 です ら欺 か 害 に沿 って精神科 医が行動す る ことは, クライ ア ン トの要求 に こた える とい う精神 医療 のサ ー ビス の構造 が要求す る ことである以上 に,当 時 の重要 なイデ オ ロギ ー にの っ とって行 動す る ことで あっ た。 このイデ オ ロギ ー に,個 人 の 自由と い うイギ リス の伝統的なイデ オ ロギ ー が拮抗 して い た。 こ ペ ー ジの大著 で あ る れ に抵触 したバ ロウズは栄光 の高みか ら突 き落 と され た。精神 医療 の臨床 にお いて は,観 察 と伝 聞 (3)1830年 に出版 された ,別 の禁治産処 分 の患 者 の審理 につ いて外科 医 のチ ャー ルズ 。 ダン とい う対 立の軸 とおおむね重 な るかた ちで ,個 人 が 出版 したバ ンフ レ ッ ト『 ブ ラ ン トの狂気 の の 自由 と家族 の幸 福 という対 立 も存在 して いたの 判例』. (4)ジ ェイムズ ・プ リチ ャー ドが 1833年 に出版 された 『 実践 医学百科事典 』のため に執筆 し である. バ ロウズのスキ ャンダル の あ とを受 けてイギ リ た項 目 「 狂気」 ここでふれ られ た 「 モ ラル ・ スの精 神科医た ちが直 面 した課題 とは,臨 床 のプ 10 しか し, る患 者 の弱 れ て い る」 が構想 して 隠そ うとす 基 に して, こを攻 撃 し 家族か らの それ を通 じ の財産 の浪 して い る臨 精神医学史研究 V 0 1 . 1 41‐2 0 1 0 . 4 1り合 う領域 )上し デる こと 姜的伝 聞か と 、の 自由 の保 ハとい う社会 Fな らな い, こ.言 葉 を変 'こ とは,同 )関 係 を臨床 ■の た めの精 1と で もあ っ 〕 3年 の 間 に, イ ンサ ニ テ ィー」 の概 念 は, 1 8 3 5 年 にプ リ チ ヤー ドが 出版 したモ ノグ ラフ 『 狂気 につ い て の論考 』 で さ らに発展 され る 1 . 王 立 医師協会 の手 稿 「 狂気の 診断 を単純 に し, それ を説 明す る試 論 ( 1 8 3 0 ∼1 8 3 1 ) 」 王立 医師協会 は 当時 , 医 療制度 の 改革 に反対 す る, 政 治的 には保守的 な医者 の集 ま りであっ た。 顧客 の 中心 は ロ ン ドンの貴族や 富裕層で, 協 会 の 会員 たちは ロ ン ドンの病院ポス トな どを独 占 して い る医 学 エ リー トで ぁ った ち なみ に , 若 き 日の バ ロウズが 聞 った 保守的な 医学エ リー トは, まさ ノい プ ロ トコ しくこの王立 医師協 会そ の もので あ った. こ の グ ル ー プの医 者 た ちは, 科 学的な医 学 を志向す る と い うよ りも, 自分た ちの顧客 で ある 社会的なエ リ ー トの世界 に 観 沿 った, ジ ェン トル マ ンと して の 医師 とい うアィデ ンテ ィテ ィを強 く志 向 して いた ヽうのは,そ 彼 らが , 顧 客 で ある家 族 の意 向 を取 り入れ た臨床 r変化 して い を構想 した ことは 当然 の な りゆきで ある. も ちろ ん, この 「 試論」 にお いて も, 患 者 を実際 に観察 ζが ま とまっ でのス キ ャン を提示 して い にす る と, 次 しな いで狂 気 の判 定 をす る ことが 可能である とは ヽ れ て, ロン よ う に寄 贈 聞覧 され た , : 説明 す る試 て」 と い う ' ある. こ の ) ことは確 か きな い . コ ノ リー の これ は 400 いわな い. しか し, そ こで唱 え られ て い る観察 は ,家 族 と 医者が 協 力 して , 狂 気 と判 定 され る ことに抵抗 す る患 者 の弱点 をつ いて , 確 かな 狂気 の 証拠 をつ か むための観察 で あ る. 「禁治産 処分 にお いては ,医 者 は大 きな困難 に直面す る. も し, 精 神 の乱れが あ らわ にな る点が , 医 者 に正 しく伝 え られて いな い と, 狂 気 につ いて知 り尽 くして い るほ どの医 者 で す ら欺 かれ る ことが しば しば 起 きる 」 「 伝え ら れて い る」とい う言 葉 に注 目すれば ,こ の 「 試論」 が構 想 して い る臨床 の構造 が鮮 明 にな る. 狂 : 産処 分 の患 ―ル ズ ・ ダン トの狂 気 の 〕 3 年 に 出版 め に執 筆 し ・ Eラ フ こ「 レ・ 気を 隠そ うとす る患者 に対 して, 家 族か ら得た情報 を 基 に して, 狂 気が 明 らか にな る点 をみつ けて ,そ こを攻 撃 しよ うとい ぅ方 向であ る. 直 接観察 は, 家族か らの伝 聞 を確認 して 発展 させ る もので あ り , それ を通 じて確 定 された 狂気 の半り 定 によ り, 家 族 の財産 の浪 費な どを防 く' ことが , この試論が提 唱 して い る臨 床 である. 一 言で い って , これは, 直 接観察 の必要 を説 きなが らも, 確 信 をもって家族 か らの伝 聞 ・ 表 象 に ウ ェィ トをお いた臨床 で ある。 2 コ ノ リー 『狂 気の徴 候 についての 考察 ( 1 8 3 0 ) 』 コ ノ リー は, のちに, ロン ドン郊外 のハ ンウェ ル州 立精神 病 院 で, 患 者 の機械 的拘束 具 をす べ て 外す無拘束 運動 ( n O n ‐ r e s t r a i n t ) 指導者 の とな り, イギ リス の精神病 院 にお ける医療 に決定的な 影響 を与 える ことにな るが, この段 階では, 新 設 され た ロン ドン大学 のユニ ヴ ァー シテ ィ ・コ レ ッジの 医学校 の教授 で あ った。 コ ノ リー は, 政 治 的 には ホイ ッグ党 の支持 者で あ り, 選 挙 の ときには 応援 演説 を行 うな ど, 活 発 な政治活動 も行 っていた。 また , コ ノ リー が , 地 方 の一 開業医か らロン ド ンの医学校 の教授 とい う職 に就 くとい ぅ ,キ ャリ ア上 の離れ業 を行 うことがで きたのは, 政 治活動 を通 じて 得 たホイ ッグ党 のパ トロ ンが いたか らで あ つた。 そ のパ トロ ンとい うのは, ロン ドン大学 の 中心 人物 であ る と同時 に, さきにふれ た事 件 で, バ ロウズ と医師 た ち を蹂 躙 した ブル ー ムその 人で あ つた。 すなわ ち, コノ リー は, そ の政治的な 信 念か らブル ー ム の考 え に共鳴 し, 人 脈上 の立場か らいえば ブル ー ム に依存 して いた. そ の結果, コ ノ リー は, ブ ル ー ム の主張 を精 神 医学 の臨床 の プ ロ トコル に反映 させ た もの を唱 える ことに な る. コ ノ リニ が 唱 え る臨 床 の プ ロ トコル は , ブ ルー ムが 唱 えた価値観 に沿 って, 個 人の 自由を 最優先 して守 る もの にな り, 当 然, さきの王立 医師協 会 のそれ とは正 反対 の ものにな る. 一 言で い って, 家族 の介入 をで きるだ け少 な くす る, 場 合 によ っ ては家族 を敵視 す る傾 向 さえみ せ る臨床 である . コ ノ リー によれ ば , 家 族 は, あ る患 、 者 を狂気 と判 定 させ よ うとす る情報や 誘導 を医者 に与 える もの だか ら, そ れ を排 除 しな ければ な らな い. 真 の 精 神 医学 の臨床 は, 家 族 を排 して, 患 者 と向き合 っ た ところには じめて成 立す る もので ある。医者 は , 先入 観 を排す るため に, 家 族か ら何 の情報 も 得な いで, あ るいは, 情 報 を得 た として もそれ を疑 い の 日でみて, 患 者 を直 接観察 す る こと だ けにウェ イ トをお いて判断せ よ とい う。 この構造 の臨床 の 正 しさを証明す る もの として , コ ノ リー は, 自分 るよ うにな る と, コ ノ リー はパ ロ ウズ と同 じよ う 比 べ てかた に不法監禁 のス キ ャ ンダル を起 こし, そ の精神状 の傍聴席 て が経験 した例 を挙げて い る.夫 を狂 人 に仕 立て 上 態が本 当に狂気 で あ るのか どうか疑わ しい患者 に 乱入 し,フ げ よ うというよ こしまな思 い を抱 く妻 が , コ ノ リ ー をよんで夫 は精神 病 で ある と主張 し, コ ノ リー ついて も強硬 に精神 障害 によ る禁 治産処分 を主張 その権 限 て す るよ うになった ことは, この著 作 で 唱 え られて 法廷 で 自分 い る, 自由を原 理主義的 に最優 先す るプ ロ トコル は, コ ノ リー の経験 の欠如 による ものである こと ブ ラン トt の前 で夫 をしつ こく侮辱 して怒 らせ て,怒 り狂 っ て乱暴 に部屋 を出て行 った夫 を見せ た あ とで ,コ ノ リー に向か つて,夫 は いつで も こうなんで す と を示唆 して いる。 言 った。 しか し,妻 な しで,夫 と 2人 だ けで話 し 奇嬌 で あっ ダ ンの行 精神 医学理 合 った コ ノリー は,夫 の怒 りと精神 の不安定 の原 3 ダ ン 『ブラ ン トの狂気の判例 』 第 3 の 登場 人物 のチ ャー ルズ ・ダ ンは, 非 常 に 因は妻 で あ り,夫 は実 は精神病 で はな い と結論す る ことがで きた とい う.コ ノ リー は,家 族 の影響 を排 して,患 者 を直接観察す る ことだ け に重 きを れ る こ と, た りす る も オブスキ ュアな医者 で あ り, 王 立医師協会 の会員 や, ロン ドン大学 の教授 の コ ノ リー とはか けはな 病 の原 因別 べ きで あ る お いた臨床 こそが,正 しい もので あ る と主張 して い るのである コ ノ リー 自身が認 めて い るよ うに, れた世界 の住 人で ある. ダ ンは外科 医で軍 医 の資 患者 の家族 格 を得 るが , カ リブ海 の海軍 の駐 屯所 で, 精 神病 る とい う信 このプ ロ トコル は,家 族 へ の不 信 を露骨 に表 した を理 由に解雇 され る. ダ ンと精神 医療 との接点 の て, 精 神病 ものであ り,顧 客 の心証 を いち じる しく害 して, 最初 は, 医 者 としてで はな く, 患 者 としてで あっ 医者で ある 医者 に経済的な成功 をもた らさな い。 しか し,家 た そ の後, 当 時 の臨 床医学革 命 の 中心地 で あっ の領域 にお 族 の証言 を鵜呑 み に した り,家 族 の証言 に影 響 さ たパ リで医学 を学び , そ こで科 学性 を強 く志 向す をす る こと れす ぎて,本 来精神病 にかか って いな い人物 をそ る最新 の医学 と, 過 激 な改革 を志 向す る政治思想 に基 づ いて うだ と判断 して監禁 した り禁治 産処分 に した りす を学 んで ロン ドンに帰 って きた. ロ ン ドンでは, 医学改革 ・社会改革 を唱 え, さまざ まな問題 をめ 洗練 され た る ことは,犯 罪行為 で ある 精 神科 に携わ る医者 律家か らも は,顧 客 を失 つて も,犯 罪 だ けは しては い けな い とい うのが,コ ノ リー の ロジ ックで ある. ぐって裁判 を起 こした り起 こされ た りしなが ら, この提案 が 医学 のエス タプ リッシ ュメ ン トの完 全 な外側 で, 社会的 に受 しか し,顧 客 の心証 を害す る ことは別 に して, む しろそれ と対 立す る姿勢 を鮮 明 に しなが ら, 生 が い っ さい コ ノリー の方法が 当時 の精神 医学 にお いて 技術 的 活 して いた と くに, ダ ンは , 当 時 のイギ リス の の よ うな も に可能で あったか とい うことは極 めて疑わ しい。 家族か ら生活史や発 病 に至 る まで の過程 を聴 かな 司法 のシステム を変 え る ことを強 く主張 してお り, マ イナ ー な事件 を起 こしては 法曹界 と衝突 を繰 り 4 プ いで,本 当に精神病 を判断 で きる とい うのか ま 返 していた この, 法 曹界 へ の敵意 と, パ リの科学的な臨床 リチ 最後 に, た,医 者ではな く,法 律家 に従 うべ きだ とい うコ ノ リー の隠れ た メ ッセ ー ジは,精 神 医学 を法律家 医学 へ の志向は, ダ ンを して精神 医学 にお ける極 の フ ランス , に隷属 させ る ことにな り,当 時 専 門的な 自立 を求 端 な科学主義 の提唱者 とす る こ の主 張 を, ダ ン 先端 に通 じ, めて いた医学 の潮 流 に逆行す る もので あった.こ に,1830年 1 れは,当 時,精 神科 の診療 の経験 が少な く,現 場 は 1 8 3 0 年 にお きた別 の禁治産処分 の法廷 で繰 り 広げ る。 そ の法廷 は, ジ ョン ・プ ラン トとい う, いた とい う( を知 らず に, 政 治的なシンパシー とパ トロンの弁 財産が あ る変 わ り者 を精神 障害 を理 由に禁治産処 か にな るよ 護を念頭において考 えられたプロ トコル と考える のが適当であろう. 後 に, コノリーが精神科の開 分 に しよ うと した もので あ った ブ ラン トは, 1 日にブ ランデ ー を 1 瓶 飲 み, 売 春婦 に求婚 した り 栄 して いたJ 敬 され て い , 業 ・法廷証言 をするようにな り, パ ロウズ のよう 首相 に殺 害予告 の脅迫状 を送 った りして い る人物 で, 生 活 の乱 れ は, ア ンダ ー ドンやデ イ ヴィス に ダル の あ とl エ ー ス の風率 な私立精神病院を開業 し, 禁 治産処分 の証言 をす 12 著作 は, さ 精神医学史研究 Vol.14・ 1 2010.4 と同 じよ う 比 べ てか な り激 しか った とぃって ょ ぃ。そ の法廷 そ の精神 状 しい患者 に の傍聴席 で 聞 いて いたダ ンは,突 如 と して法廷 に 乱入 し,プ ラン トに弁 護人 として 自 らを雇 わせ , 処分 を主張 そ の権 限で,裁 判長 の度重 な る制止 を聞かず に, 唱 え られて 法廷 で 自分 の精神 医学 の理論 を延 々 と繰 り広 げた. プ ロ トコル ブ ラン トも奇矯 な ら,ダ ンもそれ に負 けぬ くらい で ある こと 奇矯で あ った ダ ンの行為 はエ キセ ン トリックで ぁるが ,彼 の 精神 医学理論は,患 者 の直接観察 の みが重 ん じら は, 非 常 に れ る こと,患 者 の 直接 観察 は,患 者が恐れ を抱 い た りす る ものが いな い医者 と患 者 だ けで行 われ る 協会 の会員 べ きで ある こと,そ して シス テ マ テ ィ ックな精神 はか し ナはな 病 の原 因別 分類 を繰 り返 し主 張す る,精 神 医学が 患 者 の家族 の影響か ら脱 して科 学 にな るべ きで あ で 軍 医 の資 で ,精 神 病 との接点 の してで あ っ 心地 で あ っ 強 く志 向す ‐ る政治思想 ドンで は, iな問題 をめ しなが ら, :な外側 で , なが ら,生 イギ リスの る とい う信 念 を表 明 した ものにな って いた。そ し て,精 神病 の判定 の法廷 では,陪 審 の半分以 上が 医者で あるべ きだ とぃ うダ ンの 主張 は,医 学が法 の領域 にお いて ょ り発言 力を もち, 自律的な判 断 をす る ことがで きるよ うにな るべ きだ とい う考 え に基 づ いて い る.そ こで は,精 神 医学が ,独 自の 洗練 された 理論 と体 系 に基 づ いて,家 族か らも法 律家か らも 自由にな るヴ ィジ ョンが 語 られて い る。 この提案 が,技 術 的 に実践 可能で あったか , また 社会的 に受 け入れ られ たかは別 に して,パ トロ ン が い つさいいな い 人間が もつ 自由 と逆説的な強み の よ うな ものを,ダ ンの ヴィジ ョンは語 って い る. 1張してお り, 衝突 を繰 り 学 的な臨床 にお ける極 張 を,ダ ン 法廷 で繰 り 卜とい う, に禁 治産処 ' ン トは, 1 求婚 した り て い る人物 イ ヴィス に リチ ャー ドの 「モ ラル ・イ ンサ ニ テ ィー 」 最後 に,プ リチ ャー ドで ぁる。 プ リチ ャー ドの 著作 は, さきにぶれ た 3人 の著作 に比べ て ,当 時 の フ ランス ,そ して ドィ ッの大陸 の精神 医学 の最 先端 に通 じた,知 的 に優 れた もので あった と く に,1830年 代 の段 階で ドィ ッ語 圏 の医学 に 通 じて いた とい うのは慧眼で ある。 また ,著 作 か ら明 ら 4 プ か にな るよ うに,精 神 医療 の経験 もあ り ,当 時繁 栄 して いた地 方都 市 の プ リス トル 随 一 の成功 し尊 敬 され て い る医者 で あ った バ ロゥズのス キ ャン ダル の あ とに出て きた 4人 の医者 たちのなかでは , エ ー ス の風格 が漂 って い る といって ょぃ プ リチ ャー ドが提 案 したモ ラル ・イ ンサニ テ ィ ー は,彼 自身の言 葉 を使 うと,「奇妙な振 る舞 い を し,逸 脱 してお り,エ キセ ン トリック」で ぁるが , 当時 の精神 医療 にお ける精 神病 の判定 の決め手で ある妄想 を欠 いて い る患 者 を,精 神病 の 1カ テゴ リー と して 判定 させ るための カテゴ リー である. プ リチ ャー ドは, ま さ しくァ ンダ ー ドンやデ ィ ヴ ィス のよ うに,周 囲 に期待 され るよ うな振 る舞 い を しな いが ,妄 想が あ る精神病 では な く,そ の財 産 を浪 費す る可 能性 が ある患者 を禁 治産処 分 にす る ことを大 きな 目標 に して,モ ラル ・ィ ンサ ニ テ ィー の概 念 を作 り上 げ た.そ して,そ の病気 の特 徴 は,人 び とに愛情 を示 さな い こと,と くに もっ とも親 しい親族 や家族 に敵対 的な振 る舞 い をす る こ とで あ る と主 張 して い る。 す なわ ち ,プ リチ ャ ー ドのモ ラル ・ ンサ ニ ィ テ ィー は,病 気 の現れ を 家族 の なか にお き,医 者が直接 的 に観察 で きる家 族 へ の敵意 を診 断基準 のなか に組 み込 んだ もので あつた。プ リチ ャー ドの新 しい診断カテゴ リー は , イギ リス の医師 に歓 迎 され た。 これ は,家 族 の役 割 を,医 者 に対 して患者 につ いて の情報 を表象す る とい う役 割 か ら,症 状や振 る舞 いの直接的な 観 察か ら精神 病 と判定 す るためのパ ラメー ター とな へ ぅ とい う役割 と転換 させ る もので あった。 医者 による 直接的観察 と,家 族 による表象が 二 元論的 に対立 して い る構 図か ら,家 族 との関係 を診 断基 準 のな か に組 み込 んだ ,当 時 の危機 に対 す る プ リ リア ン トな解決 で あ った そ れ と同時 に, この 仕 組み は,家 族が 診断基 準 の なか によ り深 く入 って くる こと を許 し,家 族 に対 す る どのよ うな 態度が 「 正常 」 な のか とい う判 断 を精神 医学 の 内部 に公 然 と導入す る もので もあった。 ぁる医師 は ,例 に よつて変 人 の紳士 で,財 産 を浪 費 し,家 族 を侮 辱 す る内容 の書物 を出版 し,息 子 に罵 詈雑言 を投げ か ける患 者 を診 察 して ,彼 に妄想がな いので 精神 病 と判 定で きず に困 って いたが ,プ リチ ャー ドの 書物 を読 んで ,モ ラル ・ィ ンサニ テ ィー の診断 を 知 って ,安 心 して 狂気 の証明書 にサィ ンす る こと がで きた と書 いて い る。 モ ラル ・ィ ンサ ニ テ ー ィ は,イ ギ リスの医 師 に,家 族 の危 機 を救 い社会的 じる し くむず か しい 問題 .こ の 錯 綜 を極 め た舞 台 に有用 にな って い る とい う満足 感 と,法 律 に従 っ て いる とい う安心 と,科 学 にか な った ことを して の うえ に,5人 い る とい う誇 りを与 えたので あ る. い た とか 言 うつ も りは な い し,お そ ら く言 わ な い の 医 者 た ち を登 場 させ た.彼 らの うちで だ れ が正 しか った とか ,だ れ は ま ちが って 今 日の講演が明 らか に しよ うと した のは,19世 ほ うが い い。 彼 らは ,そ れ ぞ れ の 仕 方 で 賢 く,そ れ ぞ れ の 仕方 で 愚 か で あ った .そ して ,歴 史研 究 紀 前半 のイギ リス の あ る不 法監禁 のス キ ャ ンダル か ら始 まった 一連 の議論 のなかで ,精 神科 の 臨床 でな に をすれば いいのか とい うプ ロ トコル をめ く・ が私 た ち に与 えて くれ る冷 静 さ を もっ て , 自 分 た ち の 影 が ,歴 史 の 舞 台 の 上 で 踊 った の を眺 め る こ る立 場が,個 人 の 自由 の側 に立 つ のか 家族 の財産 とが で き る と い う こ とで あ ろ う そ して , こ の 事 トマ 件 と同時 期 の 1834年 に没 した イギ リス の 詩 人 , ー ル リッジ にな らって 言 えば ,こ の よ うな 翻訂 を守 るのか とい う社会 的なイデ ォ ロギ ー に影響 さ の ひ とつ の魅 力 と い うの は ,過 ぎ去 っ た時 間 だ け れた こと,そ して,そ の影響 は,そ れぞれ の発言 STコ を した 医者が,だ れ の意 向 を重 ん じな ければ な ら 歴 史 を知 る こ とで ,私 た ち は ,「少 し悲 し く,そ し な いのか とい う立場 によって 媒介 され ていた こと て ,少 し賢 く」 な る の だ ろ う. である。 顧客 と,パ トロンと,医 科 学 の徒 として の建前 と,自 分 の情報 的 。社会 的な弱み と,野 心 と現実 のギ ャップ と,悲 しいほ ど低 い技術 的な水 準,そ の低 さに もかかわ らず 果 た さな ければ な ら な い社会的な役 割 の大 き さ,そ して,な によ りも 「 精神病」という,そ の実態 を と らえ る ことが い ち 注 1)こ の原稿は,2009年 11月 1日 に第 13回 精神医 学史学会での講演 に若干手を加えた ものである 本稿 の主題についての詳細な議論や文献情報な どは,次 の 文献 の 2∼3章 を参照されたい Suzuki A : Madness at hOme University Of Callfornia Press,Berkeley (2006). は じめ に この発表 関す る もの 焦点 と して の フランス わ る,「精神 シス テムでt 精 神病患 者 酬 を得 る. 容施設 の壁 1 し, こ の新i ス トリオ グ 筆者 の研 : 的」比 較 に: ず最初 に, 1 て 述 べ てお ` の研究 は,〕 影響 され て t るので はな ・ にお いて ,1 かで施 設 を1 年 に出版 さヨ だ。 この動 「 タ ー ン)と c けて い る.t