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精神医学における臨床と社会

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精神医学における臨床と社会
精神医学史研究 V01.14‐1 2010.4
第 1 3 回 精 神 医学史 学 会
精神医学 における臨床と社会
― 精神医学史の可能 性 注1)_
慶應義塾大 学
鈴
木
晃
仁
この精神 医学史学 会 には, 精 神科 の 医師や看
護
師, 臨 床 ′
心理士 な ど, 広 義 の精神科 の 臨床 に携わ
つて い る人び とと, 歴 史, 社 会学 , 人 類学,
思 想
といつた 人文社会科 学 の研 究者 の双 方 が い る. 学
会誌 を読 んだ り, 学 会 の演題 を聴 いた りした 印象
tg
では, 総 じて, 前 者 は治 療法や疾 病概念 な どの臨
床 に直結す る問題 の歴 史 に興 味 を もち, 後 者 は精
神医学 と精神疾患 をめ ぐる法 制度 , 病 院, 文 化 な
どの歴 史 に関心 が あ る とい う傾 向が あ る。しか し
,
い まの状 況 ではか な りの クロス ォ ー パ ー
がぁって,
臨床 系 の会員 で 社会文化 に関心 が あ る人 や , 人 文
社会系 の会員 で臨 床 に興 味が ある人 も多 い.
この ク ロスォ ー バ ー は, 精 神 医学史 という
領域
の可能性 を象 徴 して い る と思 われ る。 そ の
可能性
の 中核 に あ る の は , カ ナダ の 科 学 哲 学 の
者 イア
ン ・ハ ッキ ングが 「
ル ー プ構 造」 「
ル ー プ効果 」と
よぶ もの と部 分的 に重 な る問題, す なわ ち
精神科
臨床 の テ クニカル な 問題 とみえ る こ とが らにも
,
同時代 の社会 と文 化 が大 きな影響 を及ぼ し, 社 会
と文化 のなか に も, 精 神 医学 の臨床 に起源 を もつ
概念 や現象が広 まつて大 きな影 響 を与 え る とい う
双方 向 の関係 を明 らか にす る可能性 で ある.
今 日の講演 では, この 可能性 を確 かなか たちで
示唆す るため に, 精 神 医学 の 臨床 のテ クニ ヵル な
部分 に, 同 時代 の社 会 と文化 が 根本的な影響 を与
えて いた こ とを示 す事例 を 1 つ 提示 した い. 具
体
的 には. 1 8 2 0 年 代 末か ら 3 0 年 代 初頭 にか けての
イギ リスで起 きた事 件 に焦点 を当て, 当時 の ロ ン
ドンで もっ とも成功 して いた精 神科 医が行 った
不
法監禁 のス キ ャンダル と, そ の後 に生 じた一 の
連
議論 を検 討 し, 当 時 の精神 医学 の臨床 の プ ロ トコ
ルが , 診 断 の手続 きで ある と同時 に, 同 時代 の
社
会 の価 値観 を反 映 して いた もので ある ことを論 じ
た い と思 う.
この一連 の議論 は
, ま ず , 1 8 2 9 年 に 当時 ロ ン ド
ンで もっ とも成 功 して い た精神 科 医で あるジ ョー
ジ ・マ ン 。バ ロ ウズが ほぼ 同時 に巻 き込 まれた 2
つの ス キ ャンダル か ら始 まる。バ ロ ゥズは 1 7 7 1
年 に生 まれ , 1 8 4 6 年 に没 した 医師で, 人 生の前半
は, 当 時 エ リー トの 内科 医や 外科 医 に較 べ て 身分
が不安定で あった 一 般 医 ( g e n e r a l p r a c t i t i O n e D
とよばれ る低 い階層 の医者 の指導 者 と して活躍 し
,
1 8 1 5 年 に薬剤 師法 ( A p o t h e c a r y ヽ
A c t ) を 成立 さ
せた運動 の立役 者 で あ った. 同 年 に一般医 を引
退
し, ロ ン ドンで の精 神 医療 に転 じ, 私 立精神
病院
を開設 した. ヨ ー クの 「リ トリー ト」にな らって
,
「
ク ラ ッパ ム ・リ トリー ト」と名づけ られた この精
神病院 は成 功 をお さめ, パ ロゥズは ロン ドンで も
つ とも成功 した精 神科 医 と しての 自負 をたびたび
表 明 して い る.
1 8 2 8 年 にバ ロ ゥズが 出版 した書物 は, 7 0 0 ベ ー
ジを え る大著 で , 当 時 の ヨー ロ ッパ の精神医
欅
学
撃
写
111曼
二
攣
苫
』
撃
属
[繕
点
1曇
2,:1、
1
は もっ とも水準が 高 い もので あった.
社会的 に も学 問的 に も栄光 の絶頂 にいた この精
神科 医 は, 1 8 2 9 年 に立 て続 けに 2 つ の事件 に ま
き こまれ た。 1 っ は, 1 8 2 9 年 の 1 1 月 2 日 に
起き
た, フリー マ ン ・ア ンダ ー ドンとい う紳士 の
不法
監禁事 件で ある。 ア ンダ ー ドンは, 莫 大 な財産が
あるが,労 働者 階級 や 貧 民が 住 む地
域 の あば らや
じて もよ い,っ ま り, それだ けを
根拠 に して だれ
に住み,テ ムズの船頭 のよ うな格
好 に麦藁帽 をか
か を精 神病 と判 断 して ょ ぃ とぃ
ぅ.バ ロゥズ は,
ぶ つて暮 らして いる人物 で あ っ
た (言うな らば ,
出版 され た 書物や 論文 では直接
に基 づ く科 学
観察
絵 に描 い た ょ ぅな 変 わ り者 の イ ギ リス
紳士であ
的精神 医学 を高 らか に標榜 して い
たが ,実 践 にお
る).事 件 の発端 は,ア ンダ ー ドンの
兄弟が ,彼 の
いては,間 接的な伝 聞は直
接 観察 以 上 に重要 で あ
財産 の運営の仕方 を危 惧 して,彼
を精 神病患 者 と
り,間 接 的な伝 聞 に依存 しな ければ
な らな い場合
して不法 に監禁 す る こ とを試み
`
, ア ンダ ー ドンの 1
も 多 い こ とを主張す るので あ る.「
あ
る症 例 につ い
自宅 に人 をや って彼 を拉 致 しよ うと し
た ことで ぁ
ての間接 的な伝 聞か ら,明 晰 な
結論 を導 き出 す こ
る.こ の ときに差 し向 け られ た のが
,パ ロ ゥズ の
とがで きる」 「
病気 の なかで精 神病 ほ ど,それ につ
精神 病院の 2人 の看護 人で あ り
,フ リー マ ン ・ア
いての判断 と′
心理療 法が ,間 接 的 に伝 聞 した こ
と
ンダ ー ドンは狂人で あ る とい うバ ロ
ゥズ の署 名入
によ って導 かれ る ものは な い
とぃ
」
ぅの
だ。バ ロ
りの書状 を携 えて いた。 ア ンダ ー
ドンは助 け を呼
ウズは,患 者が そ こにい る と
,か
ぇ
って
患
者 の真
び,警 察が駆 けつけて 2人 の
看護 人 を捕 らえた。
の姿が医者 に伝 え られ ず
,判 断 の邪魔 にな る場合
翌 日警察 に呼び出 され たバ ロゥズ は
, ァンダ ァ ド
す らある とまで言 って い る.こ れ
は,患 者 の 目の
ン を診療 した こ とは 1度 もな
く,2人 の兄弟 か ら
前では,患 者 の病気 の あ りさ ま を生 々
しく伝 え に
伝 聞 した ことのみ に基 づ いて書状 にサ
ィ ン した こ
くい こ とが ある とい うょ ぅな
事 態 を念 頭 にお ぃて
とを認めた。 患者 を診ず に診断 し
精 神病 の判定 を
い るので あ ろ う.す なわ ち
,バ ロ ゥズは, このス
下 したバ ロ ゥズ の非 は 明 白で あ った
.1830年
4
キ ャンダル の あ との 自己 防衛 の なか で
, 自分 の臨
月 にバ ロゥズが 訴 え られ た裁 判 では
有罪 とな り,
床 にお ける診断 の プ ロ トコル は
,観
察
と伝 聞 の双
500ポ ン ドとい ぅ高額 の罰金が課せ
られ た。
方 を用 い,後 者 にゃゃ ゥェィ トをか け
,場
合 によ
このス キ ャンダ ラス では あるが
,あ る意 味であ
つて後者 の み に依 存 して い る もので
あ る こ とを 自
りふれて い る不法監 禁 は,バ ロゥズが
悔 い改めて
ら明 らか に して ぃ るので あ る。
素直 に謝罪 すれば ,そ の まま粛 々 と
進行 して忘れ
ほぼ 同時期 に,バ ロ ゥズは もう 1っ
の法廷 で の
られ たか も しれな い.し か し
,パ ロ ゥズが 自分 の
審理 に まき こまれ て いた. 1829年 の 12月
に始 ま
診断 と狂 気 の判定 につ いて,そ の プ ロ
トコル を正
つた,エ ドワー ド ・デイ ヴ ィス の
禁治産 処分 で あ
当化 しよ うとしたため,当 時 の精
神医 療 の根幹 を
る こ の審理 の核 は, ァ ンダ ー ドンの
それ に とて
め ぐる論争 に発展 して い った。
もよ く似 て いた。 デイ ヴィス は若 い
27歳 の富裕
事件 の直後 にバ ロゥズ は一連 の 自己
弁護 を発 表
な茶 商人で,心 理的 にや ゃ不 安定 であ
った.そ の
す る。 そ こでバ ロ ゥズは,ぁ る個 人
を精神病 で あ
母親が ディ ヴィス の財布 をにぎ り
,デ ィ ヴィス は
る と判定す る ときに,精 神科 医 に
は 2つ の材料 が
自分 で財産 を処分 で きるよ うに独立 を
求 めて母親
ある とい う。 その患者 を直接観察 ・
検 査 して 得 ら
との緊張 と対立が 続 いて いた 母 は
息子 の経済 的
れ る情報 と,そ の患者 をよ く知 って い
る他 の人か
独立 を認 めず ,息 子 を精 神病 院 に監 禁 して
禁治産
ら聞 いた情報 であ る.す なわ ち
,直 接 的観察 と問
処分 を申請 した.監 禁 され た精神 病院 はバ ロ
ゥズ
接 的 伝 聞 の 2種 類 で あ り,前 者 は
の もので あ った.12月 に この
persOnal
禁治産 処 分 の公 開法
examination,後 者 は representatiOnと
表現 され
廷が始 まった ときには,す で に ア ンダ ー
ドンの事
てい る パ ロゥズは,直 接観察
を もち ろん重 ん じ
件が起 きてお り,パ ロ ゥズ の信頼 は
失墜
して
ぃた.
るが ,患 者 をよ く知 って いて, しか
も信 頼 に値す
さ らに悪 い ことに,ディ ヴィス の
弁護 にまわ って,
る人物が間接的伝 聞 を与 えて くれ
た ときには,そ
彼は精神異常で はな い こ とを論 じた
弁護側 の法律
の情報 は貴重 な もので あ って
,場 合 によ っては信
家 のチ ー ム を率 いて いた のは,ホ ィ
ッグ党 の大物
の政治 家 で:
ヘ ン リー ・
が 自由の 問│
る うことで
され て禁治j
ス を救 うと│
であ った.
イギ リス 人 (
て ブル ー ムラ
いう
デイ ヴィリ
末 に 2週 間1
細 に報道 し,
した 日す ら`
イスが精神 メ
とい う証 言 ′
粉砕 して い ‐
事件 を起 こ l
ことは,彼 t
た.さ らに,
チ ー ムの法`
いた.ま さl
は,直 接 的′
精神 病 の判 曽
され た ので`
と しては はぇ
係 を伴 い,ォ
ブル ー ム の ヲ
言 した医者 ス
ちか ら, デ ィ
拠 は, 結 局 σ
にデ ィ ヴィラ
る母か らの位
す べ て の証ノ
つて い つた。│
デ イ ヴ ィス に
処 さな い判υ
こオ1 は, t
診察 して精相
精神医学史研究 V0114・
1 20104
こに して だれ
ヽロ ウズ は,
こ基 づ く科学
が,実 践 にお
ヒに重要 であ
工らな い場合
5症 例 につ い
を導 き出す こ
ど,それ につ
民聞 した こと
うのだ.バ ロ
)て 患者 の真
こにな る場合
患者 の 目の
7し く伝 え に
ヽ頭 にお いて
では, こ のス
5, 自 分 の臨
ヨと伝 聞 の双
ナ,場 合 によ
うる こと を 自
)の法廷 での
12月 に始 ま
)産処 分 で あ
'それ に とて
17歳 の富裕
つた。 そ の
イ ヴィス は
求 めて 母親
子 の経済 的
して禁 治産
はパ ロ ウズ
分の公 開法
― ドン の
事
:して いた。
│まわ って,
蔓側 の 法律
ガ党 の大物
の政治家で後 に大 法官 とな る当
代随 一 の法律家 の
ヘ ン リー ・ブル ー ムで あった.ブ ル ー
ムは, こ と
が 自由の問題 にふれ る と,情 熱 に満 ちた
雄弁 を振
る うことで 名 を成 してお り,精 神病 に
院 不法監禁
され て禁治産 処 分 にされ よ うと して ぃ
るデ イ ヴ ィ
ス を救 うとい ぅ仕 事 は,ま さに うってっ
けの仕事
で あつた。 この事件 で も,精 神 医学 によっ
者
て,
イギ リス 人の 自由が 脅か され る とい うことにつ い
て ブル ー ムが ふ るった熱 弁 は,5時
間 に及 んだ と
い う.
デ イ ヴィス の禁治産 処分 の審 理 は 1829年 の
年
末 に 2週 間続 いた。 タィム ズは連 日
,大 々的 に詳
細 に報道 し,ほ ぼ 1ベ ー ジ全面 をぶ ち抜 きで
報道
した 日す らあった ブ ル ー ムのチ ー ムは
,デ ィ ヴ
イスが精神 病 であ り禁 治産 処分 にす るべ きでぁる
とい う証 言 を した 医者 た ちを ことご とく
,軽 々 と
粉砕 して い った。っ ぃ 1か 月前 に不法監
禁未遂 の
事件 を起 こ した精神 科 医 を,法 廷 でつる し上
げる
こ とは,彼 らに とって は児戯 に した
ことでぁ っ
類
た.さ らに,ァ ンダ ー ドンの事 件 は
,ブ ル ー ムの
ー
チ ム の法律 家た ち に,精 神科 医 の
弱点 を教 えて
いた.ま さにバ ロゥズ の行動か ら
,精 神科医た ち
は,直 接的な観察 よ りも人か らの伝 に
間 依存 して
精神病 の判断 を して い る こ とが 自 日の もとにさ
ら
され た ので あ る。 法律 的 にいえば
,後 者 は,証 拠
と して ははるか に弱 く,し か も
, しば しば 利害 関
係 を伴 い,か たょ った ソー スか らの伝 聞である
ブル ー ムのチ ー ム は,デ ィ ヴ ィス の精神障
害 を証
言 した 医者 た ちを苛 烈な反対 尋 間 にか け
,医 者た
ちか ら,デ ィ ヴ キス を精神 病 で ある と
判断 した根
拠 は,結 局 の ところ,家 族 な どか らの
伝 聞, こ と
にディ ヴィス を精神 病 者 に仕立て上
げ たが って ぃ
る母か らの伝 聞で あった ことを認 め させて ぃ
った。
す べ て の証人 の喚 間 をまたず に,決
着 は 明 白にな
つて い つた.陪審 は審 理 を決着 す る こ
とを要求 し,
デイ ヴィスは精神障 害 では な く,禁 治産処 に
分 は
処 さな い判決 を宣 言 した
これ は,も ちろん,パ ロゥズ と
,デ ィ ヴィス を
診察 して精神障害 を宣 言 した医者 た ちに とって
は
屈辱 的な敗 北 で あ った。 とくに,パ ロゥズは
,ィ
ギ リス の 大義 で ある 「自由」 を踏 み に じる
不法 監
禁 を常 習的 に行 う医 者 と して大 々的 に報道 され
た.
彼 は,各 種 の 出版物 で,正 当な批判 と誇張 され
た
中傷 の双方 を浴 びた.実 生活 で も,彼 の
精神病 院
の周 囲では群衆 が集 まって 抗議 し
,判 決 の翌 日に
は殺 害 を予告 す る脅迫状 な どを受 け取 った.当
時
59歳 で あ ったバ ロ ゥズ は この打
撃か ら立 ち直 る
こ とな く失意 の うち に 引退 して
,医 学 の表舞台か
ら姿 を消 した.
1829年 にバ ロゥズ を立 て 続 け に ったス
襲
キャ
ンダル は,ィ ギ リス の精神 医療 に深刻な
問題 を突
きつ けた そ れ は,単 に職業集 団 の ト
ップス タ_
が不法 監禁 の汚 辱 に まみれ た とぃ ぅことで
はな い。
このスキ ャンダル は,当 時 の精神
医療 の臨床 にお
ける,根 本 的な脆 弱性 と対立 の軸 を明 らか に した
か らで ある。 そ の対立 の軸 は,観 察 と
伝 聞 の どち
らに臨 床 と鑑定 の判 断 の基礎 をお くか とぃ
う問題
で あ つた。 この 問題 につ いて,当 時 の
教科書 的な
回答 をす るな らば ,医 者 た ちは 自分 の観察 こ
そが
基礎 で ある と答 え るに決 まって いる。パ ロゥズ
も,
出版 され た教 科 書 のな かでは そ ぅ主 張 して きた.
しか し,問 題 は, こ の教科 書的な 建前
を,現 実 の
臨床 で維 持 で きるのか とい ぅことで ぁった。 この
「
伝 聞」とい うのは,ァ ンダ ー ドンやディ ヴィス の
例 で もそ うだ った が ,そ の 出所 は,多 くの
場合 ,
患者 の家族や 親族 で あった。 家族 の伝 間 を考
とき,2つ
える
の こ とを考 えな ければ な らな い。
まず
第 1に ,家 族 は ,患 者 の様子 をつぶ さに
観察す る
機会 を,診 察 す る精神科 医 よ りもはるか に
多 くも
つて きた ことで ぁ る.患 者 の様子 につ いては
,家
族 11「樹 的 に多 kの 情報 を もってお り
,精 神科医
は,家 族 の情報 に依存す る立場 にい る.第
2に ,
家族 は,患 者 の利益 を考 慮 す る と同時 に
,家 族 の
財産 上 の利害 も考慮 して い る こ とで ぁる。
財産 は
患者 とされ た ものの個 人の 名義 である と同
時 に,
家族 で受 け継 がれ そ の利益 に家族 がかかゎ る
もの
で あ つた。 ア ンダ ー ドン もディ ヴィス
も,財 産 の
°
処分権 をめ くる家族間 の 争 いの産 物 であ った
。こ
の,患 者 の状態 につ いて の情報 的優位 を保 ち,深
ロ トコル と社会 のイ デ オ ロギ ー が重 な り合 う領域
い利害関係 をもつ家族 が,医 者 に患 者 の様子 を伝
で,通 用す る精 神医療 のモデル を作 り上げ る こと
チャ
える とい う構造 がつ くられ て い た ので ある。 この
で あった.そ れ は,直 接的観察 か間 接的伝 聞か と
ての
構造 にお いて は,家 族 は,医 者 によ る精 神病 の判
い う臨床 のプ ロ トコル の問題 と,個 人 の 自由 の保
定 を通 じて,患 者 の財産 の処 分 な どを行 つて,家
障な のか 家族 の幸福 と利益 を守 るのか とい う社会
族 の危機 を乗 り越 えよ うと して いた.こ の文脈 で
の 問題 を重ね合わせ て解決 しな ければ な らな い,
は,医 者 は情報弱者 で あ り,家 族 の財産 の 問題 に
複雑 で重大な帰結 を もつ課 題 で あ った.言 葉 を変
王立 医F
ついて は傍観者的 な立場 にいた
える と,臨 床 の プ ロ トコル を考 え直す ことは,同
る,政 治自
精神科 医が直面 して いた 問題 を もっ とも深刻 に
時 に,個 人 と家庭 とい う 2つ の要 素 の 関係 を臨床
顧客 の 中だ
したのは, この時代 が,ヴ ィク トリア時 代 のいわ
ゆる 「
家族 の黄金時代」 だ った ことで あ った.富
のなか にはめ こみ ,「何 のため の,だ れ のための精
会員 た ちに
神医療 か」 とい う優 先順位 を考 え る ことで もあ っ
い る医学 I
裕 な夫 と幸福 な妻 ,愛 くる しい子 どもた ちの甘 い
イ メー ジが 象徴 す るヴィク トリア朝 の家庭 は,個
た
バ ロ ウズカ
人 の道徳 を涵養す る場 であ り,社 会 の安定 の要 で
筆者が知 る限 りでは,合 計 4人 の 医者が ま とまっ
ある と考 え られて いた.フ ランス革 命 と産業革 命
が もた らした,政 治 ・社会 ・経済 の劇的 な変動 の
た著作や論文な どを書 いて ,バ ロ ウズのスキ ャン
この危機 に対応 して ,1830年 か ら 33年 の 間 に,
イン
1.王 立 B
それ そ
しくこのEI
ル ー プの医
ダルが あ らわ に した問題 へ の解 決策 を提示 して い
い うよ りt
― 卜の世界
時代 を乗 り切 る鍵 が家族で あ る と考 え られて いた
る そ して,そ の 4人 が提案す る新 しいプ ロ トコ
医師 とい う
精神病 の患者や,精 神 が不 安定 でそ の行動 が家族
ル は大 き く違 ってお り,そ の違 い とい うのは,そ
彼 らが,層
の期待 に沿わな い患者 は,家 族 の情緒的な生活 を
れぞ れが寄 って立 つ立 ち位 置 に応 じて変化 して い
を構想 した
破壊 し,財 産 を乱用 して 家族 の幸福 の基盤 を損 な
る あ らか じめそ の 4つ の意見 を紹介す る と,次
ん, こ の │
う.精 神科医たちは,そ の家族 の要求 に こたえ,
のよ うにまとめ られ る.
しな いで狂
家族 を守 る ことは,社 会 の安 定 に奉仕 す る こと,
(1)1830年 か ら 31年 にか けて書 かれて , ロ ン
いわな い。
時代 の価値観 にかな った振 る舞 い をす る ことで あ
ドン王立 医師協 会 で 閲覧 で き るよ うに寄 贈
る と考 えて いた。家族 によ る伝 聞 を重視 し,そ れ
に信頼 をお くことは,当 時 のイデ オ ロギ ー が 要請
され ,20名 以 上 の協 会 の会員 に関覧 された,
「
狂気 の診断 を単純 に し,そ れ を説明す る試
医者が 協 力
する ことで あった.家 族 の財産 を守 ろう とす る利
論 ;と くに禁 治 産 処 分 に 関連 して」 と い う
30ペ ー ジ程度 の手書 きの原稿で ある。 この
むための観
者 は大 きな
手稿 の著者 は,協会 の会員 で ある ことは確 か
あ らわ にな
だが ,だ れ が書 いた のか 特定 で きな い.
い と,狂 気
(2)1830年 に出版 された ,ジ ョン ・コ ノ リー の
『
狂気 の徴 候 につ いて の考 察』 これ は 400
です ら欺 か
害 に沿 って精神科 医が行動す る ことは, クライ ア
ン トの要求 に こた える とい う精神 医療 のサ ー ビス
の構造 が要求す る ことである以上 に,当 時 の重要
なイデ オ ロギ ー にの っ とって行 動す る ことで あっ
た。 このイデ オ ロギ ー に,個 人 の 自由と い うイギ
リス の伝統的なイデ オ ロギ ー が拮抗 して い た。 こ
ペ ー ジの大著 で あ る
れ に抵触 したバ ロウズは栄光 の高みか ら突 き落 と
され た。精神 医療 の臨床 にお いて は,観 察 と伝 聞
(3)1830年 に出版 された ,別 の禁治産処 分 の患
者 の審理 につ いて外科 医 のチ ャー ルズ 。
ダン
とい う対 立の軸 とおおむね重 な るかた ちで ,個 人
が 出版 したバ ンフ レ ッ ト『
ブ ラ ン トの狂気 の
の 自由 と家族 の幸 福 という対 立 も存在 して いたの
判例』.
(4)ジ ェイムズ ・プ リチ ャー ドが 1833年 に出版
された 『
実践 医学百科事典 』のため に執筆 し
である.
バ ロウズのスキ ャンダル の あ とを受 けてイギ リ
た項 目 「
狂気」 ここでふれ られ た 「
モ ラル ・
スの精 神科医た ちが直 面 した課題 とは,臨 床 のプ
10
しか し,
る患 者 の弱
れ て い る」
が構想 して
隠そ うとす
基 に して,
こを攻 撃 し
家族か らの
それ を通 じ
の財産 の浪
して い る臨
精神医学史研究 V 0 1 . 1 41‐2 0 1 0 . 4
1り合 う領域
)上し
デる こと
姜的伝 聞か と
、の 自由 の保
ハとい う社会
Fな らな い,
こ.言 葉 を変
'こ とは,同
)関 係 を臨床
■の た めの精
1と で もあ っ
〕
3年 の 間 に,
イ ンサ ニ テ ィー」 の概 念 は, 1 8 3 5 年 にプ リ
チ ヤー ドが 出版 したモ ノグ ラフ 『
狂気 につ い
て の論考 』 で さ らに発展 され る
1 . 王 立 医師協会 の手 稿 「
狂気の 診断 を単純 に し,
それ を説 明す る試 論 ( 1 8 3 0 ∼1 8 3 1 ) 」
王立 医師協会 は 当時 , 医 療制度 の 改革 に反対
す
る, 政 治的 には保守的 な医者 の集 ま りであっ
た。
顧客 の 中心 は ロ ン ドンの貴族や 富裕層で, 協 会 の
会員 たちは ロ ン ドンの病院ポス トな どを独 占 して
い る医 学 エ リー トで ぁ った ち なみ に
, 若 き 日の
バ ロウズが 聞 った 保守的な 医学エ リー
トは, まさ
ノい プ ロ トコ
しくこの王立 医師協 会そ の もので あ った. こ の
グ
ル ー プの医 者 た ちは, 科 学的な医 学 を志向す る と
い うよ りも, 自分た ちの顧客 で ある
社会的なエ リ
ー トの世界 に
観 沿 った, ジ ェン トル マ ンと して の
医師 とい うアィデ ンテ ィテ ィを強 く志 向 して いた
ヽうのは,そ
彼 らが , 顧 客 で ある家 族 の意 向 を取 り入れ た臨床
r変化 して い
を構想 した ことは 当然 の な りゆきで ある. も ちろ
ん, この 「
試論」 にお いて も, 患 者 を実際 に観察
ζが ま とまっ
でのス キ ャン
を提示 して い
にす る と, 次
しな いで狂 気 の判 定 をす る ことが 可能である とは
ヽ
れ て, ロン
よ う に寄 贈
聞覧 され た ,
: 説明 す る試
て」 と い う
' ある. こ の
) ことは確 か
きな い .
コ ノ リー の
これ は 400
いわな い.
しか し, そ こで唱 え られ て い る観察 は
,家 族 と
医者が 協 力 して , 狂 気 と判 定 され る ことに抵抗 す
る患 者 の弱点 をつ いて , 確 かな 狂気 の
証拠 をつ か
むための観察 で あ る. 「禁治産 処分 にお いては
,医
者 は大 きな困難 に直面す る. も し, 精 神 の乱れが
あ らわ にな る点が , 医 者 に正 しく伝 え られて いな
い と, 狂 気 につ いて知 り尽 くして い
るほ どの医 者
で す ら欺 かれ る ことが しば しば 起 きる
」 「
伝え ら
れて い る」とい う言 葉 に注 目すれば
,こ の 「
試論」
が構 想 して い る臨床 の構造 が鮮 明 にな る. 狂
: 産処 分 の患
―ル ズ ・
ダン
トの狂 気 の
〕
3 年 に 出版
め に執 筆 し
・
Eラ フ
こ「
レ・
気を
隠そ うとす る患者 に対 して, 家 族か ら得た情報 を
基 に して, 狂 気が 明 らか にな る点 をみつ けて
,そ
こを攻 撃 しよ うとい ぅ方 向であ る. 直
接観察 は,
家族か らの伝 聞 を確認 して 発展 させ る もので あ り
,
それ を通 じて確 定 された 狂気 の半り
定 によ り, 家 族
の財産 の浪 費な どを防 く' ことが
, この試論が提 唱
して い る臨 床 である. 一 言で い って
, これは, 直
接観察 の必要 を説 きなが らも, 確 信 をもって家族
か らの伝 聞 ・
表 象 に ウ ェィ トをお いた臨床 で ある。
2 コ ノ リー 『狂 気の徴 候 についての
考察 ( 1 8 3 0 ) 』
コ ノ リー は, のちに, ロン ドン郊外 のハ
ンウェ
ル州 立精神 病 院 で, 患 者 の機械 的拘束 具 をす べ
て
外す無拘束 運動 ( n O n ‐
r e s t r a i n t ) 指導者
の
とな り,
イギ リス の精神病 院 にお ける医療 に決定的な
影響
を与 える ことにな るが, この段 階では, 新 設 され
た ロン ドン大学 のユニ ヴ ァー シテ ィ ・コ レ ッジの
医学校 の教授 で あ った。 コ ノ リー は, 政 治 的 には
ホイ ッグ党 の支持 者で あ り, 選 挙 の ときには
応援
演説 を行 うな ど, 活 発 な政治活動 も行 っていた。
また , コ ノ リー が , 地 方 の一 開業医か らロン ド
ンの医学校 の教授 とい う職 に就 くとい ぅ
,キ ャリ
ア上 の離れ業 を行 うことがで きたのは, 政 治活動
を通 じて 得 たホイ ッグ党 のパ トロ ンが いたか らで
あ つた。 そ のパ トロ ンとい うのは, ロン ドン大学
の 中心 人物 であ る と同時 に, さきにふれ た事
件 で,
バ ロウズ と医師 た ち を蹂 躙 した ブル ー ムその
人で
あ つた。 すなわ ち, コノ リー は, そ の政治的な
信
念か らブル ー ム の考 え に共鳴 し, 人 脈上 の立場か
らいえば ブル ー ム に依存 して いた. そ の結果,
コ
ノ リー は, ブ ル ー ム の主張 を精 神 医学 の臨床 の
プ
ロ トコル に反映 させ た もの を唱 える ことに
な る.
コ ノ リニ が 唱 え る臨 床 の プ ロ トコル は
, ブ ルー
ムが 唱 えた価値観 に沿 って, 個 人の 自由を
最優先
して守 る もの にな り, 当 然, さきの王立 医師協
会
のそれ とは正 反対 の ものにな る. 一 言で い
って,
家族 の介入 をで きるだ け少 な くす る, 場 合 によ っ
ては家族 を敵視 す る傾 向 さえみ せ る臨床 である
.
コ ノ リー によれ ば , 家 族 は, あ る患
、 者 を狂気 と判
定 させ よ うとす る情報や 誘導 を医者 に与 える もの
だか ら, そ れ を排 除 しな ければ な らな い. 真 の
精
神 医学 の臨床 は, 家 族 を排 して, 患 者 と向き合 っ
た ところには じめて成 立す る もので ある。医者 は
,
先入 観 を排す るため に, 家 族か ら何 の情報 も
得な
いで, あ るいは, 情 報 を得 た として もそれ
を疑 い
の 日でみて, 患 者 を直 接観察 す る こと
だ けにウェ
イ トをお いて判断せ よ とい う。 この構造 の臨床 の
正 しさを証明す る もの として , コ ノ リー は, 自分
るよ うにな る と, コ ノ リー はパ ロ ウズ と同 じよ う
比 べ てかた
に不法監禁 のス キ ャ ンダル を起 こし, そ の精神状
の傍聴席 て
が経験 した例 を挙げて い る.夫 を狂 人 に仕 立て 上
態が本 当に狂気 で あ るのか どうか疑わ しい患者 に
乱入 し,フ
げ よ うというよ こしまな思 い を抱 く妻 が , コ ノ リ
ー をよんで夫 は精神 病 で ある と主張 し, コ ノ リー
ついて も強硬 に精神 障害 によ る禁 治産処分 を主張
その権 限 て
す るよ うになった ことは, この著 作 で 唱 え られて
法廷 で 自分
い る, 自由を原 理主義的 に最優 先す るプ ロ トコル
は, コ ノ リー の経験 の欠如 による ものである こと
ブ ラン トt
の前 で夫 をしつ こく侮辱 して怒 らせ て,怒 り狂 っ
て乱暴 に部屋 を出て行 った夫 を見せ た あ とで ,コ
ノ リー に向か つて,夫 は いつで も こうなんで す と
を示唆 して いる。
言 った。 しか し,妻 な しで,夫 と 2人 だ けで話 し
奇嬌 で あっ
ダ ンの行
精神 医学理
合 った コ ノリー は,夫 の怒 りと精神 の不安定 の原
3 ダ ン 『ブラ ン トの狂気の判例 』
第 3 の 登場 人物 のチ ャー ルズ ・ダ ンは, 非 常 に
因は妻 で あ り,夫 は実 は精神病 で はな い と結論す
る ことがで きた とい う.コ ノ リー は,家 族 の影響
を排 して,患 者 を直接観察す る ことだ け に重 きを
れ る こ と,
た りす る も
オブスキ ュアな医者 で あ り, 王 立医師協会 の会員
や, ロン ドン大学 の教授 の コ ノ リー とはか けはな
病 の原 因別
べ きで あ る
お いた臨床 こそが,正 しい もので あ る と主張 して
い るのである コ ノ リー 自身が認 めて い るよ うに,
れた世界 の住 人で ある. ダ ンは外科 医で軍 医 の資
患者 の家族
格 を得 るが , カ リブ海 の海軍 の駐 屯所 で, 精 神病
る とい う信
このプ ロ トコル は,家 族 へ の不 信 を露骨 に表 した
を理 由に解雇 され る. ダ ンと精神 医療 との接点 の
て, 精 神病
ものであ り,顧 客 の心証 を いち じる しく害 して,
最初 は, 医 者 としてで はな く, 患 者 としてで あっ
医者で ある
医者 に経済的な成功 をもた らさな い。 しか し,家
た そ の後, 当 時 の臨 床医学革 命 の 中心地 で あっ
の領域 にお
族 の証言 を鵜呑 み に した り,家 族 の証言 に影 響 さ
たパ リで医学 を学び , そ こで科 学性 を強 く志 向す
をす る こと
れす ぎて,本 来精神病 にかか って いな い人物 をそ
る最新 の医学 と, 過 激 な改革 を志 向す る政治思想
に基 づ いて
うだ と判断 して監禁 した り禁治 産処分 に した りす
を学 んで ロン ドンに帰 って きた. ロ ン ドンでは,
医学改革 ・社会改革 を唱 え, さまざ まな問題 をめ
洗練 され た
る ことは,犯 罪行為 で ある 精 神科 に携わ る医者
律家か らも
は,顧 客 を失 つて も,犯 罪 だ けは しては い けな い
とい うのが,コ ノ リー の ロジ ックで ある.
ぐって裁判 を起 こした り起 こされ た りしなが ら,
この提案 が
医学 のエス タプ リッシ ュメ ン トの完 全 な外側 で,
社会的 に受
しか し,顧 客 の心証 を害す る ことは別 に して,
む しろそれ と対 立す る姿勢 を鮮 明 に しなが ら, 生
が い っ さい
コ ノリー の方法が 当時 の精神 医学 にお いて 技術 的
活 して いた と くに, ダ ンは , 当 時 のイギ リス の
の よ うな も
に可能で あったか とい うことは極 めて疑わ しい。
家族か ら生活史や発 病 に至 る まで の過程 を聴 かな
司法 のシステム を変 え る ことを強 く主張 してお り,
マ イナ ー な事件 を起 こしては 法曹界 と衝突 を繰 り
4 プ
いで,本 当に精神病 を判断 で きる とい うのか ま
返 していた
この, 法 曹界 へ の敵意 と, パ リの科学的な臨床
リチ
最後 に,
た,医 者ではな く,法 律家 に従 うべ きだ とい うコ
ノ リー の隠れ た メ ッセ ー ジは,精 神 医学 を法律家
医学 へ の志向は, ダ ンを して精神 医学 にお ける極
の フ ランス ,
に隷属 させ る ことにな り,当 時 専 門的な 自立 を求
端 な科学主義 の提唱者 とす る こ の主 張 を, ダ ン
先端 に通 じ,
めて いた医学 の潮 流 に逆行す る もので あった.こ
に,1830年 1
れは,当 時,精 神科 の診療 の経験 が少な く,現 場
は 1 8 3 0 年 にお きた別 の禁治産処分 の法廷 で繰 り
広げ る。 そ の法廷 は, ジ ョン ・プ ラン トとい う,
いた とい う(
を知 らず に, 政 治的なシンパシー とパ トロンの弁
財産が あ る変 わ り者 を精神 障害 を理 由に禁治産処
か にな るよ
護を念頭において考 えられたプロ トコル と考える
のが適当であろう. 後 に, コノリーが精神科の開
分 に しよ うと した もので あ った ブ ラン トは, 1
日にブ ランデ ー を 1 瓶 飲 み, 売 春婦 に求婚 した り
栄 して いたJ
敬 され て い ,
業 ・法廷証言 をするようにな り, パ ロウズ のよう
首相 に殺 害予告 の脅迫状 を送 った りして い る人物
で, 生 活 の乱 れ は, ア ンダ ー ドンやデ イ ヴィス に
ダル の あ とl
エ ー ス の風率
な私立精神病院を開業 し, 禁 治産処分 の証言 をす
12
著作 は, さ
精神医学史研究 Vol.14・
1 2010.4
と同 じよ う
比 べ てか な り激 しか った とぃって ょ ぃ。そ の法廷
そ の精神 状
しい患者 に
の傍聴席 で 聞 いて いたダ ンは,突 如 と して法廷 に
乱入 し,プ ラン トに弁 護人 として 自 らを雇 わせ ,
処分 を主張
そ の権 限で,裁 判長 の度重 な る制止 を聞かず に,
唱 え られて
法廷 で 自分 の精神 医学 の理論 を延 々 と繰 り広 げた.
プ ロ トコル
ブ ラン トも奇矯 な ら,ダ ンもそれ に負 けぬ くらい
で ある こと
奇矯で あ った
ダ ンの行為 はエ キセ ン トリックで ぁるが ,彼 の
精神 医学理論は,患 者 の直接観察 の みが重 ん じら
は, 非 常 に
れ る こと,患 者 の 直接 観察 は,患 者が恐れ を抱 い
た りす る ものが いな い医者 と患 者 だ けで行 われ る
協会 の会員
べ きで ある こと,そ して シス テ マ
テ ィ ックな精神
はか し
ナはな
病 の原 因別 分類 を繰 り返 し主 張す る,精 神 医学が
患 者 の家族 の影響か ら脱 して科 学 にな るべ きで あ
で 軍 医 の資
で ,精 神 病
との接点 の
してで あ っ
心地 で あ っ
強 く志 向す
‐
る政治思想
ドンで は,
iな問題 をめ
しなが ら,
:な外側 で ,
なが ら,生
イギ リスの
る とい う信 念 を表 明 した ものにな って いた。そ し
て,精 神病 の判定 の法廷 では,陪 審 の半分以 上が
医者で あるべ きだ とぃ うダ ンの 主張 は,医 学が法
の領域 にお いて ょ り発言 力を もち, 自律的な判
断
をす る ことがで きるよ うにな るべ きだ とい う考 え
に基 づ いて い る.そ こで は,精 神 医学が
,独 自の
洗練 された 理論 と体 系 に基 づ いて,家 族か らも法
律家か らも 自由にな るヴ ィジ ョンが 語 られて い る。
この提案 が,技 術 的 に実践 可能で あったか
, また
社会的 に受 け入れ られ たかは別 に して,パ トロ ン
が い つさいいな い 人間が もつ 自由 と逆説的な強み
の よ うな ものを,ダ ンの ヴィジ ョンは語 って い
る.
1張してお り,
衝突 を繰 り
学 的な臨床
にお ける極
張 を,ダ ン
法廷 で繰 り
卜とい う,
に禁 治産処
' ン トは, 1
求婚 した り
て い る人物
イ ヴィス に
リチ ャー ドの 「モ ラル ・イ ンサ ニ テ ィー 」
最後 に,プ リチ ャー ドで ぁる。 プ リチ ャー ドの
著作 は, さきにぶれ た 3人 の著作 に比べ て
,当 時
の フ ランス ,そ して ドィ ッの大陸 の精神
医学 の最
先端 に通 じた,知 的 に優 れた もので あった と く
に,1830年 代 の段 階で ドィ ッ語 圏 の医学 に
通 じて
いた とい うのは慧眼で ある。 また
,著 作 か ら明 ら
4 プ
か にな るよ うに,精 神 医療 の経験 もあ り
,当 時繁
栄 して いた地 方都 市 の プ リス トル 随 一 の成功 し尊
敬 され て い る医者 で あ った バ ロゥズのス キ ャン
ダル の あ とに出て きた 4人 の医者 たちのなかでは
,
エ ー ス の風格 が漂 って い る といって ょぃ
プ リチ ャー ドが提 案 したモ ラル ・イ ンサニ テ ィ
ー は,彼 自身の言
葉 を使 うと,「奇妙な振 る舞 い を
し,逸 脱 してお り,エ キセ ン トリック」で ぁるが
,
当時 の精神 医療 にお ける精 神病 の判定 の決め手で
ある妄想 を欠 いて い る患 者 を,精 神病 の 1カ テゴ
リー と して 判定 させ るための カテゴ リー である.
プ リチ ャー ドは, ま さ しくァ ンダ ー ドンやデ ィ ヴ
ィス のよ うに,周 囲 に期待 され るよ うな振 る舞 い
を しな いが ,妄 想が あ る精神病 では な く,そ の財
産 を浪 費す る可 能性 が ある患者 を禁 治産処 分 にす
る ことを大 きな 目標 に して,モ ラル ・ィ ンサ ニ テ
ィー の概 念 を作 り上 げ た.そ して,そ の病気 の特
徴 は,人 び とに愛情 を示 さな い こと,と くに もっ
とも親 しい親族 や家族 に敵対 的な振 る舞 い をす る
こ とで あ る と主 張 して い る。 す なわ ち
,プ リチ ャ
ー ドのモ ラル ・ ンサ ニ
ィ
テ ィー は,病 気 の現れ を
家族 の なか にお き,医 者が直接 的 に観察 で きる家
族 へ の敵意 を診 断基準 のなか に組 み込 んだ もので
あつた。プ リチ ャー ドの新 しい診断カテゴ リー は
,
イギ リス の医師 に歓 迎 され た。 これ は,家 族 の役
割 を,医 者 に対 して患者 につ いて の情報 を表象す
る とい う役 割 か ら,症 状や振 る舞 いの直接的な
観
察か ら精神 病 と判定 す るためのパ ラメー ター とな
へ
ぅ とい う役割 と転換 させ る もので あった。 医者
による 直接的観察 と,家 族 による表象が 二 元論的
に対立 して い る構 図か ら,家 族 との関係 を診
断基
準 のな か に組 み込 んだ ,当 時 の危機 に対 す る プ リ
リア ン トな解決 で あ った そ れ と同時 に, この
仕
組み は,家 族が 診断基 準 の なか によ り深 く入 って
くる こと を許 し,家 族 に対 す る どのよ うな
態度が
「
正常 」 な のか とい う判 断 を精神 医学 の 内部 に公
然 と導入す る もので もあった。 ぁる医師 は
,例 に
よつて変 人 の紳士 で,財 産 を浪 費 し,家 族 を侮
辱
す る内容 の書物 を出版 し,息 子 に罵 詈雑言 を投げ
か ける患 者 を診 察 して ,彼 に妄想がな いので
精神
病 と判 定で きず に困 って いたが ,プ リチ ャー ドの
書物 を読 んで ,モ ラル ・ィ ンサニ テ ィー の診断 を
知 って ,安 心 して 狂気 の証明書 にサィ ンす る こと
がで きた と書 いて い る。 モ ラル ・ィ ンサ ニ テ ー
ィ
は,イ ギ リスの医 師 に,家 族 の危 機 を救 い社会的
じる し くむず か しい 問題 .こ の 錯 綜 を極 め た舞 台
に有用 にな って い る とい う満足 感 と,法 律 に従 っ
て いる とい う安心 と,科 学 にか な った ことを して
の うえ に,5人
い る とい う誇 りを与 えたので あ る.
い た とか 言 うつ も りは な い し,お そ ら く言 わ な い
の 医 者 た ち を登 場 させ た.彼 らの
うちで だ れ が正 しか った とか ,だ れ は ま ちが って
今 日の講演が明 らか に しよ うと した のは,19世
ほ うが い い。 彼 らは ,そ れ ぞ れ の 仕 方 で 賢 く,そ
れ ぞ れ の 仕方 で 愚 か で あ った .そ して ,歴 史研 究
紀 前半 のイギ リス の あ る不 法監禁 のス キ ャ ンダル
か ら始 まった 一連 の議論 のなかで ,精 神科 の 臨床
でな に をすれば いいのか とい うプ ロ トコル をめ く・
が私 た ち に与 えて くれ る冷 静 さ を もっ て , 自 分 た
ち の 影 が ,歴 史 の 舞 台 の 上 で 踊 った の を眺 め る こ
る立 場が,個 人 の 自由 の側 に立 つ のか 家族 の財産
とが で き る と い う こ とで あ ろ う そ して , こ の 事
トマ
件 と同時 期 の 1834年 に没 した イギ リス の 詩 人 ,
ー ル リッジ にな らって
言 えば ,こ の よ うな
翻訂
を守 るのか とい う社会 的なイデ ォ ロギ ー に影響 さ
の ひ とつ の魅 力 と い うの は ,過 ぎ去 っ た時 間 だ け
れた こと,そ して,そ の影響 は,そ れぞれ の発言
STコ
を した 医者が,だ れ の意 向 を重 ん じな ければ な ら
歴 史 を知 る こ とで ,私 た ち は ,「少 し悲 し く,そ し
な いのか とい う立場 によって 媒介 され ていた こと
て ,少 し賢 く」 な る の だ ろ う.
である。 顧客 と,パ トロンと,医 科 学 の徒 として
の建前 と,自 分 の情報 的 。社会 的な弱み と,野 心
と現実 のギ ャップ と,悲 しいほ ど低 い技術 的な水
準,そ の低 さに もかかわ らず 果 た さな ければ な ら
な い社会的な役 割 の大 き さ,そ して,な によ りも
「
精神病」という,そ の実態 を と らえ る ことが い ち
注 1)こ の原稿は,2009年 11月 1日 に第 13回 精神医
学史学会での講演 に若干手を加えた ものである 本稿
の主題についての詳細な議論や文献情報な どは,次 の
文献 の 2∼3章 を参照されたい
Suzuki A : Madness at hOme University Of
Callfornia Press,Berkeley (2006).
は じめ に
この発表
関す る もの
焦点 と して
の フランス
わ る,「精神
シス テムでt
精 神病患 者
酬 を得 る.
容施設 の壁 1
し, こ の新i
ス トリオ グ
筆者 の研 :
的」比 較 に:
ず最初 に, 1
て 述 べ てお `
の研究 は,〕
影響 され て t
るので はな ・
にお いて ,1
かで施 設 を1
年 に出版 さヨ
だ。 この動 「
タ ー ン)と c
けて い る.t
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