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Title 日本における官主導による博物館政策に関する
Title Author(s) Citation Issue Date 日本における官主導による博物館政策に関する一考察 : 明治初期における内務省の博物館と文部省の教育博物館 の設立と運営を通して 黄, 貞燕 デザイン理論. 43 P.21-P.36 2003-11-15 Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/11094/52998 DOI Rights Osaka University 学 術論 文 『デザ イ ン理 論 』43/2003 日本 に お け る官 主 導 に よ る博 物 館 政 策 に 関 す る 一・ 考察 一 明治初期における内務省の博物館と文部省の教育博物館の設立と運営を通して 一 黄 貞 燕 京都工芸繊維大学大学院(博 士後期課程) キーワー ド 日本博物館史,博 物館政策,内 務省の博物館,文 部省の教育博物館 Japanesemuseumhistory,museumpolicyofthegovernment, theMuseumoftheInteriorDepartment, theEducationalMuseumoftheEducationMinistry は じめに 1.国 家行政 システムにおける博物館の成立 1-1内 務省 の博物館 の場合 1-2文 部省 の教育博物館 の場合 II.国 家事業 の中における博物館 の役割 II-1内 務省 の博物館 と殖産興業 II-2文 部省 の教育博物館 と近代学校づ くり 皿.明 治 国家 による最初 の博物館政策 と博物館像 結 び は じめ に 日本 に お け る博 物 館 の発 展 は,長 い 間,中 央 あ るい は地 方 の政 府 とい った 「官 」 の 主 導 を 中 心 に展 開 され て き た。 その た め,官 の博 物 館 政 策 が博 物 館 の発 展 に どの よ うな 影 響 を 与 え て き た の か とい った問 題 は,日 本 の 博物 館発 展 の特 質 を検 証 す る際,鍵 とな る もの で あ ろ う。 しか しな が ら,こ の よ うな 問 題 を 意 識 して記 述 ・分 析 す る博 物 館 史 の 研 究 は,い ま だ少 な い1。本 稿 で は,以 上 の よ うな 問 題 意 識 を 持 ちな が ら,明 治 初 期 に お け る官 主 導 に よ る博 物 館 政 策 の特 質 を考 察 す る。 明治 初 期 は,西 欧 型 の近 代 博 物 館 を認 識 ・受 容 す る最 初 の段 階 で あ り,「 官 」 が 国家 行政 の 中 に 「博 物 館 」 と い う近 代 施 設 を い か に位 置 づ け るか の模 索 期 で もあ った 。 す な わ ち,明 治 国 家 が模 索 しは じめ た博 物 館 政 策 は,日 本 にお け る官 に よ る博物 館政 策 の初 期 段 階 の もので あ る。 明治 政 府 が初 めて 明確 な 方針 を掲 げ て設 置 ・発 展 を進 め た博 物 館 は,内 務 省 の博 物 館(明 治814年,1875-1881)と 文 部 省 の教 育博 物 館(明 治8-22年,1875-1889)で あ る。 しか し, 従 来 の博 物 館 史 に お いて,こ れ らの 両博 物 館 は そ れ ぞ れ勧 業 系 と教 育 系 と い う二 つ の 系 統 と し て別 々 に分 類 ・記 述 され て お り,ま た,明 治 初 期 に お け る国家 の博 物 館 政 策 に関 す る論 述 は, 内務 省 の博 物 館 に集 中 して い る傾 向 が あ る。 そ こで,本 稿 で は博 物 館 の 系 譜論 よ り,国 が博 物 館 に何 を求 め るか とい う問 題 に着 手 し,両 館 の設 立 と運 営 を 同 時 に考 察 す る こ とに よ り,こ の 21 時期 に お け る官 主 導 に よ る博 物 館 政 策 の あ り方 を再 検 証 す る。 以 下,博 物 館 の設 立 と運 営 に お け る国 家 行 政 ・政 策 と の 関 わ りを,「 国 家 行 政 シ ス テ ム に お け る博 物 館 の成 立 」,「国 家 事 業 の 中 にお け る博 物 館 の役 割 」 とい う二 つ の ポイ ン トを 手 が か り に検 証 して い く。 そ の結 果,従 来 二 つ の系 統 に分 け られ て い る両 博 物 館 に は,い くつ か有 意義 な共 通 点 が み られ る こ とが 明 らか とな る。 これ らの共 通 点 を通 して,明 治 初 期 にお け る国 家 の 博 物 館 行 政 の特 質,及 び 国 家 によ り設 置 さ れ た最 初 の博 物 館 像 を 明 確 にす る こ とを試 み る。 1.国 家行 政 シ ステ ム に お け る博 物 館 の成 立 1-1内 、 務 省 の博 物 館 の場 合 内務 省 の博 物 館 は,明 治8年 に 内務 省 の所 属 とな る前 に,そ の所 管 は文 部 省 の博 物 局 及 び太 政 官正 院 に 開 い た博 覧 会 事 務 局 とい った二 つ の 段 階 が あ る。 しか し,こ れ ら二 つ の段 階 は,以 下述 べ るよ うに,国 家 行 政 と博 物 館 の設 置 との 関 わ りを 考 え る際,過 渡 的 な 時期 に過 ぎ な い と 見 られ る。 明治4年,文 部 省 に博 物 局2が 設 置 され,湯 島 聖 堂 の大 成 殿 は博 物 局 の展 観場 と して 文 部 省 の博 物 館 とな った。 これ が明 治 国 家 の 博 物 館 事 業 の 出発 点 で あ る。 文部 省 博 物 局 は,博 物 館 を 発 展 さ せ て い く基 本 構 想 と して の 「博 物 学 之 所 務 」 を明 治5年 に上 申 し,文 部 卿 の 裁 決 を 得 た 。 「博 物 学 之 所務 」 で は,博 物 局 の管 理 の下 に 「博 物 館 」 「博 物 園」 「書 籍 館 」 とい う三 種 の 施 設 を統 括 して い る。 「博 物 館」 は天 造物 と人 工 物 を収 集 ・陳列 す る とこ ろで,「 博 物 園」 は動 植 物 に 関 して 学 ぶ と ころ,そ して,「 書 籍 館 」 は今 日の 図 書 館 に 当 た る もの で あ る。 つ ま り,こ の 構 想 は博 物 学 を 中核 と して お り,新 しい西 欧 の 知 識 を 整理 しな が ら,品 物 の展 示 と 図書 の刊 行 と閲 覧 と い う機 能 を 含 め た三 つ の施 設 を 活 動 させ て い くもの で あ った3。 こ の構 想 は,明 治5 年 文 部 卿 の裁 決 を得 て 「博 物 局 博 物 館 博 物 園 書 籍 館 建 設 案 」 とな った。 この案 に よ り,博 物 局 は 同年,書 籍 館 を 開館 し,植 物 園及 び動 物 園 の 開 設 の 準 備 を も進 め 始 め た。 明治5年,ウ ィー ン万 国博 覧 会 へ の参 加 のた め,太 政 官 正 院 に 一 時 的 な専 務 機 関 と して博 覧 会 事務 局 が 開 か れ た。 翌 年,各 地 産 物 の調 査 ・収 集 と い った 事 業 面 の他 に,人 事 面 もほ ぼ共 通 す る とい う理 由 で,文 部 省 博 物 局 及 び所 属 の博 物 館,書 籍 館 は,博 覧 会事 務 局 に合 併 ・移 転 す る こ と とな り,博 覧 会事 務 局 の 陳列 場 と して,山 下 門 内博 物 館 が 設 置 され た。 万 国 博 覧 会 の 準備 を進 め な が ら,博 物 館 を充 実 させ よ う とす る この 段 階 の措 置 は,行 政 上 の 利 便 に よ り決 め られ た よ うで あ る。 しか し,こ れ は明 治 国 家 の博 物 館 構 想 を大 き く転 換 させ た 出来 事 とな った 。 博 覧会 事 務 局 が 発 足 す る と,理 事 官 の佐 野 常 民(1822-1902)は,太 政官 に対 して 近 代 産 業 技 術 の 学 習 や貿 易 の振 興 な どを主 旨 に,万 国 博 覧 会 へ の 参 加 目的 を五 つ挙 げ て提 出 した 。 博 物 館 に関 して は,以 下 の よ うな構 想 が そ の 中で 言 及 され て い る。 そ れ は,こ の 22 博 覧 会 の参 加 を契 機 と して 大博 物 館 を設 置 し,国 内 の近 代 産 業 を育 成 す るた め に,将 来 国 内 に お い て博 覧 会 を 開 くこ とを 目標 とす る もの で あ っ た。 即 ち,博 物館 と博 覧 会 とは主 旨 にお いて 異 な る こ とが な く,博 覧 会 は博 物 館 を一 時 拡 充 す る もので あ り,博 物 館 は博 覧 会 開催 の 基 礎 を 固 め る機 構 と して 位 置 づ け られ て い る。 こ う した 佐 野 の論 理 は,国 の博 物 館 政 策 と して の 「殖 産 興 業 」 路線 を提 示 した もの とな る。 佐 野 常 民 は,幕 末 か ら明治 初 期 にわ た って 国 の 工 業 技 術 の発 達 に深 く関 わ って い る人 物 で あ る。 彼 は ウ ィー ン万 博 の 開催 に 当た って ウ ィー ンに派 遣 され,帰 国後,農 業 ・教 育 ・道 路 ・林 業 ・貿 易 ・博 物 館 な ど多 岐 に わ た る分野 に関 す る ヨー ロ ッパ の状 況 を記 した 『澳 國 博 覧 会報 告 書 』 を 提 出 した。 これ は,明 治4年 岩倉 使 節 団 以 来 の 西 洋 に関 す る最 新 事 晴 の報 告 で あ った こ とか ら,中 央 政 府 の近 代 化 政 策 に大 きな影 響 を 与 え た と見 られ る4。 『澳 國 博 覧会 報 告 書 』 の 中 に記 され た博 物 館 に関 す る建 言 は,前 述 した佐 野 の 構 想 を 重 ね て 言 明 し,さ ら に具 体 的 な博 物 館 像 を 提示 した もの で あ る。 そ こで は イギ リス のケ ン ジ ン トン博 物 館(SouthKensingtonMuseum)の よ うな方 針 と制 度 が 日本 の 形 勢 に最 適 な模 範 で あ る と指 摘 し,博 物 館 に技 術 伝 習 場 を設 け る こ と と,博 物 館 の支 館 と伝 習 場 の 支 場 を 全 国 に設 け る こ と を提 議 した5。 イ ギ リス の ケ ン ジ ン トン博 物 館 を 模 範 とす る理 由 と して は,つ あ げ られ る。 第 一 は,ケ ぎの 二 点 が ン ジ ン トン博 物 館 は,近 代 の 美術 工 芸 品や 産 業 機 械 類 を展 示 し,出 品 者 に よ る実演 も行 な わ れ る施 設 で あ り,近 代 の工 芸 ・工 業 ・産 業 を発 達 させ るた め に考 案 され た もの で もあ るの で,日 本 側 の 当面 の課 題 に一致 す る もの で あ った と い う点 で あ る。 第 二 は, この 博 物 館 を作 り出 し誇 りを持 って い た イ ギ リス と い う国 は,1840年 前 後 に産 業 革 命 を経 て 当 時 世 界 最 強 の 国 力 を誇 って い た 国 で あ り,日 本 の 近 代 建 設 の モ デ ル で あ っ た とい う点 で あ る6。 佐 野 が提 起 した殖 産 興 業 路 線 に沿 う博 物 館 の建 設 方 針 は,当 時 の 実 権 者 で あ る 内務 省 卿 の 大 久 保 利通 に認 め られ た。 明 治8年 に は,大 久 保 の名 で ほぼ佐 野 の報 告 書 と同文 で あ る 「博 物 館 之義 」 が太 政 官 あ て に上 申 され た。 た だ し,現 実 に実 施 困難 な事 晴が あ る点 や,一 度 に実 施 す る こ とが難 しい点 が あ る ので,こ の上 申 の 中 で は,博 物 館 に技 術 伝 習 場 を設 け る点 と,博 物 館 の支 館 と伝習 場 の 支場 を 全 国 に設 け る点 は,削 除 され た7。大 久 保 の 「博物 館 之 義」 に基 づ き, 博 覧会 事 務 局 及 び 山下 門 内博 物 館 は,当 時 国 の殖 産 興 業 を主 導 す る内 務省 へ移 管 さ れ た。博 物 館 の 内務 省 時代 の始 ま りで あ る。 この移 管 に 関 して,文 部 省 博 物局 時代 か ら博 覧 会 事 務 局 の時 代 まで 博物 館 の実 務 を担 当 して い た 二人 のキ ーパ ー ソ ン,町 田久 成(1838-1897)と 田 中芳 男(1838-1916)の 動 向 は興 味 深 い もの で あ る。 文 部 省 博 物 局 と博 物 館 等 が博 覧 会 事 務 局 に合 併 した 年 の翌 年,明 治7年,文 部 省 の 田 中不 二 麿(1845-1909)は,「 生 徒 教 育 之 需 用 」 とい う点 か ら両 者 の 分 離 要 求 を提 出 23 した8。 そ して 明治8年,博 覧 会 事 務 局 及 び 山 下 門 内 博 物 館 は 内務 省 勧 業 寮 の所 属 と な り,同 年,博 覧 会 事 務 局 に合 併 され て い た元 の文 部 省 博 物 館 な ど諸 施 設 は文 部 省 に返 還 され た。 この 時 点 にお い て,町 田 久成 と田 中芳 男 は,教 育 と学 術 性を強 調 す る文 部 省 へ 行 くか,殖 産 興 業 路 線 を 標 榜 した内 務 省 へ行 くか,と い う選 択 に直 面 した こ とが考 え られ る。 結 果 と して,二 人 は 文 部 省 に復 帰 せ ず,博 覧 会 事 務 局 が 内務 省 へ 合 併 され た と と もに 内務 省 の職 員 とな り,内 務 省 の 博 物 館 に勤 め る こ とに な った。 町 田久 成 は明 治4年,大 学 大 丞 と して太 政 官 あて に 「集 古 館 建設 」 を提 出 した人 物 で あ り, 田 中芳 男 は 「博 物 学 之 所 務 」 の起 草 者 で あ る と推 測 され て い る9。「集古 館建 設 」 は,文 明 開 化 の 名 で 新 奇 を好 み 旧 習 旧物 に飽 き る とい う風 潮 が あ った 明 治維 新 当 時,古 器 旧物 の散 逸 破 壊 が 行 な わ れ る ことを 憂 慮 した た め に提 出 され た案 で あ る。 そ の 内 容 は古 器 旧物 の調 査 ・保 護 及 び 模 写 を 行 い,収 集 ・保存 す る場 と して集 古 館 を 建 設 す る こ とを 提案 す る もので あ った 。 これ に 基 づ き古 器 旧物 保 存 に関 す る太 政 官 布 告 が 発 せ られ た の で あ る。 もう一 度 整 理 す る と,佐 野 の博 物 館 構 想 の前 に,文 化 財 保護 と学術 発 展 を視 野 に入 れ た 「集 古 館 建 設 」 と 「博 物 学 之 所 務 」 とい う二 つ の博 物 館 構想 が す で に別 々 に裁 決 を受 けて い た10。 しか し,財 政 上 の理 由で 実 際 の収 集 作 業,特 しか っ た。 文 部 省 博 物 局 の大 成 殿,及 で あ る とみ な され,町 に本 格 的 な 博 物 館 の 建設 ま で余 力 を さ くこ と は難 び博 覧 会 事 務 局 の 山下 門 内博 物館 は,過 渡 的な 設 置 だ け 田 と田 中 は この局 面 を打 開す る道 と して は,文 部 省 の枠 内 か ら離 脱 し, 実 権 を持 つ 内務 省 に行 くこ と しか な い と考 え た11。 明治8年,内 務 省 の博 物館 は,内 務 省 卿 の上 申 に よ り殖 産 興 業 路 線 の 大枠 に は め られ て設 立 され た が,町 田 と 田 中の 努 力 に よ り,実 際 に は 「集 古 館 之 議 」 及 び 「博 物 学 之 所 務 」 の構 想 は か み 合 って発 展 した。 そ の ため,内 務 省 の博 物 館 は,そ の収 蔵 の分 類 か らみ ると,自 然 ・産 業 ・ 歴 史 ・美 術 な ど と い っ た 四 つ の 分 野 を含 み,西 欧 に例 の な い総 合 型 博 物 館 と な った の で あ る (内 務 省 の 博 物 館 の収 蔵 区 分 につ いて は表1'Zを 参 照)。 そ して,博 物 館 の収 蔵 を充 実 させ な が ら,動 物 園 の建 設,博 物 学 書 籍 の 刊 行,古 社寺 調査 保 存 な どの事 業 も博 物 館 事 業 の 一 環 と して, あ るい は博 物 館 事 業 と深 く関 わ る形 で,次 第 に内務 省 の傘 下 に お い て進 め られ て い った 。 但 し, 町 田 が提 唱 した古 器 旧物 保 存 に は,工 芸 品 の生 産,輸 出 に繋 が る と い う新 しい意 味 が 付与 され る こ と とな った。 明治 初 期 にお い て官 主 導 に よ る博 物 館 の成 立 を考 え る 際,上 述 した 内務 省 の博 物 館 の成 立 に は二 つ の点 に注意 す べ きで あ る。 第 一 は,博 物 館 の設 置 に 関 わ っ て い た リー ダ ー た ち が,学 術 を主 眼 とす る官僚 と政 治 を主 眼 とす る官 僚 との二 つ の類 型 に分 け られ る点 で あ る。 町 田 と田 中 は前 者 の類 型 で あ り,佐 野 と大 久 保 は後者 の類 型 で あ る とい え る だ ろ う。 博 物 館 とい う近 代 機 構 に対 して,町 田 と田 中 が文 化 財 保 護 と近代 学 術発 展(博 物 学)の 機 能 に注 目 し,佐 野 と大 久 24 保 は国 家 の 中 心 事 業 に連 結 す る の に こ だ わ って い た こ とが指 摘 で き る。 第 二 は,内 務 省 へ の移 管 の原 因 は,政 府 が博 物 館 の建 設 を 「殖 産 興 業 」 とい う国 家 の 当面 の 事 業 に吸 収 した 方 が 最 善 で あ る と考 え た こ とが あ げ られ るが,一 方,博 物 館 実 務 の 担 当者 は, それ まで の 文 部 省 の 枠 内 よ り国家 の 中心 的 な事 業 に合 併 した方 が 博 物 館 の 発 展 に良 い と考 え た と も窺 え る と い う点 に あ る。 学術,政 治 及 び現 実 の条 件 が錯 綜 す る中 で,三 つ の 博 物館 構 想 は 策 略 的 に合 流 され,日 本 に は 西 欧 に例 を見 な い総 合 型 の博 物 館 が で きた の で あ る。 1-2文 一方 部 省 の 教 育 博物 館 の場 合 ,文 部 省 の 教 育博 物館 の成 立 は,ど の よ うで あ った の だ ろ うか 。 前 述 した よ うに,明 治 8年 に博 覧 会 事 務 局 に合 併 され て い た元 の文 部 省 博 物 館 な ど諸 施 設 は,由 中不 二 麿 の主 張 に よ りに文 部 省 に復 帰 す る。 そ の 際,湯 島聖 堂 に あ る,元 ・文 部 省 博 物 局 の博 物 館 は東 京博 物館 と 改 称 し,こ れ が 教 育 博 物 館 の 前 身 とな った。 この 時 か ら,行 政 シス テ ム に お け る文 部 省 系 と内 務 省 系 と い う博 物 館 の 二 つ の 流 れ が形 成 さ れ るの で あ る。 文 部 省 の博 物 局 に勤 め て いた 町 田久 成 と田 中 芳男,二 人 の 内務 省 の博 物 館 へ の転 任 に と もな い,二 人 が そ れ ぞ れ 提 出 した 「博 物 学 之 所 務 」 の 中 に提 示 され た 自然 史 系 博 物 館,と 「集古 館 之 議 」 に提 示 され た 歴 史 美 術 系博 物 館 の構 想 も文部 省 か ら離 れ た。 そ の後,文 部 省 の 博 物 館 の 設 立 は,主 に 文部 省 にお け る行 政 の最 高 責 任 者 で あ った 田 中不 二 麿 に よ り主 導 され た の で あ る。 明治9年,田 中 不二 麿 が 太政 大 臣 に あ て た新 しい博 物 館 の計 画 書 に は,動 稙 物 標 本 や 理 化 学 用 器 械 な どの 高 等 教育 に必 要 とな る用 品 を収 集 ・展 示 す る と記 さ れ て お り,学 術 的 な 博 物 館 像 が 見 られ る。 しか し,翌 年,田 博 覧 会 か ら帰 国 後,博 物 館 の 建 設 の方 針 は,も 中不 二 麿 が フ ィラ デル フ ィ ア万 国 っぱ ら学校 づ く りに必 要 な物 品 の収 集 ・展示 を す る よ うに改 定 され て 太 政 官 正 院 に博 物 館 の 改 称 届 け を 出 し,「 教 育 博 物 館 」 とい う館 名 を つ け る こと とな った 。 つ ま り,文 部 省 が 改 め て 建 設 しよ う とす る博 物 館 が,高 等 教 育 の 内 容 と深 く関 わ っ て い る 「学 術 博 物 館 」 か ら,学 校 づ く りを 支 援 す る 「教 育 博 物 館 」 へ 急 速 に変 わ った の で あ る13。 教 育 博 物 館 とは一 般 に,教 育 制 度 の 改 良 と教 育 の 普 及 の た め主 と して教 育 上 の諸 道 具 を収 集 して展 示 す る施設 で あ る と され て い る14。この よ うな 教 育 博 物 館 は,現 在 な じみ が な い もの で あ る が,十 九 世 紀 後 半 期 か ら二 十 世紀 初 ま で は,二 五 国,七 五 ケ所 に及 ん だ といわ れ,世 界 各 地 に盛 ん に現 れ た独 特 な博 物 館 の類 型 で あ る。 文 部 省 が 設 置 した教 育 博 物 館 は,当 時,世 界 で 十 一 番 目,東 洋 で唯 一 の教 育 博 物 館 で あ った15。. この よ うに,教 育 博 物 館 とい う もの が世 界 的 に普 及 して い た こ との背 景 に は,十 九 世 紀後 半 以 降,世 界 各 先 進 国及 び 日本 に おい て,近 代 教 育 シス テ ム づ く りが行 な わ れ る と い う時 代 の課 25 題 が あ った。 そ の 内容 を簡 潔 に い うと,抽 象 的 な 概 念 や 記 憶中心 の 旧来 の教 育 か ら,学 校 と い う新 しい 制 度 と施 設 で行 な わ れ る実 学 思 想 や実 物 教 育 へ とい う根 本 的 な 改革 で あ った。 そ して, 新 しい教 育 シス テ ム の展 開 に お け る 当面 の 問 題 は,教 育 制度 と思 想 の転 換 とと もに,新 しい学 校 の建 設 に必 要 とな る備 品や 教 具 の発 明 及 び製 造 な どに よ る学 校 づ く りで あ っ た。 当 時,世 界 の文 化 ・産 業 ・商 業 の あ り方 を反 映 す る縮 図 と もいえ る万 国博 覧 会 で は,「 教 育 」 は ウ ィー ン 万 国博 覧 会(明 治6年,1873年 開 催)で は じめ て 独 立 の部 門 と して 登 場 し,そ 二 麿 が 参 加 した フ ィ ラ デル フ ィア 博 覧 会(明 治9年,1876年 開催)で して,田 中不 は,教 育 部 門が 会 場 の 中心 館 と な った。 近 代 教 育 づ く りは,時 代 の課 題 で あ った こ とが よ く うか がえ る16。 学 校 づ く りを支 援 す る教 育 博 物 館 の 設 置 は,無 論,田 中等 に よ る フ ィラ デル フ ィ ア博 覧 会 で の見 聞 と経 験 な ど と密 接 な 関 係 が あ る17。さ らに直 接 的 な き っか け と な っ た の は,田 中 が博 覧 会 へ の 参 加 の折 に,カ ナ ダ の トロ ン トに あ る教 育 博 物 館 を見 学 した こ とで あ る。 こ の博 物 館 は, 1853年 の 創 設 とさ れ,カ ナ ダ の オ ン タ リオ 州 の普 通 教 育 制 度 の始 ま りに伴 って 開 設 され,教 育 に関 す る事 物 を細 大 もら さず網 羅 して い た。 田 中 は,こ の博 物 館 を見 て,程 度 の 高 い 学術 博 物 館 を 設 け る よ り,近 代 的 な 学校 づ くりに 深 く関 わ って い る教 育 博 物 館 を発 足 させ る方 が 明 治 国 家 に と って得 策 で あ ろ う と実感 した18。 「学 術 博 物 館 」 か ら 「教 育 博物 館」 へ の変 更 は,行 政 シス テ ム に お け る博 物 館 の 位 置 が 国 の 当 面 す る事 業 に よ り近 くな った こ とを意 味 す る。 明治5年 「学 制 」 が 発 布 され,教 育 シ ステ ム の 改 革 は,明 治 の 三 大 改 革 の一 つ と して考 え られ る19。明 治 国 家 は,近 代 教 育 の推 進 を,近 代 産 業 の 育 成,発 展 及 び新 しい社 会 の体 制 づ く りに重 要 な 方途 で あ る と認 識 して い た。 そ の た め, 当時 の 学 校 づ く りの事 業 や,国 民 へ の 勧 学政 策 は,積 極 的 に進 め られ た国 家 の 大 事 業 の 一 つ と な った の で あ る20。 田 中 の主 導 に よ り,ト ロ ン トの 教 育 博物 館 を モ デ ル に して設 置 さ れ た教 育 博 物 館 は,学 校 づ く りに関 す る 国 内外 の情 報 や 実 物 の 製 品 な どが収 集 され,当 時 日本 全 国 に急 が れ て いた 近 代 の 学 校 づ く りや備 品 の整 備 に関す る具体 的 な指針 とな るよ うな 情報 を提 供 しよ う とす る もの とな っ た。 II.国 家 事 業 の 中 に お け る博 物 館 の 役 割 m1内 務 省 の博 物 館 と殖 産 興 業 前述 した よ うに,内 務 省 の博 物 館 は,実 際 に三 つ の博 物 館 構想 がか み合 いな が ら発 展 して い っ た が,そ の 中 に お い て 国 の殖 産 興 業 の事 業 を支 え る こ とが最 も重 要 な課 題 で あ った。 こ れ は, 博 物 館 の館 舎整 備,収 蔵,展 示,事 業 の内 容 な ど に影 響 を与 え た。 明治8年,内 26 務 省 勧 業 寮 の所 属 とな った 元 ・博 覧 会事 務 局 の 山下 門 内博 物 館 は,ま ず,陳 列 場 の修 理 ・新 設 の工 事 が 行 わ れ,ま た,ウ ィー ン万 博 の際 に工 人 を 派 遣 して伝 習 させ た 各 種 の 技 術 の試 験 を行 うた め の試 業所7ケ 所 が 構 内 に設 け られ,在 来 の7棟 とあ わせ て十 棟 の 建物 を 陳列 所 及 び伝 習 試 業 所 にあ て た21。 そ して,博 物 館 の 収 蔵 区 分 に は大 きな 変 化 が あ った(表1参 照)。 博 覧 会 事 務 局 時代 の古 器 物 ・動 物 ・植 物 ・農 業 ・舶 来 品 の 区分 に,工 業 機 械 部 と芸 術 部 を 増 や し,ウ ィー ン万博 か らの 持 ち帰 り品や 外 国 か らの寄 贈 に よ る工 業 及 び芸 術 関 係 の品 が 多 く加 わ った。 こ の時,近 代 概 念 と して の 「美 術 」 は,日 本 にお い て まだ 成 立 して いな か った の で,こ こで の 「芸 術 」 と は,殖 産 興 業 の 見 地 か らみ る工 芸 美 術 品 の よ うな もので あ った22。 明治10年,国 内 の 近 代 産 業 の振 興 を 狙 う内 国 勧 業 博 覧 会 の 第 一 回 が,大 久 保 利 通 の 提 唱 に よ り開 催 され た。 開催 に当 た り事 務 局 は 内務 省 に新 設 され,博 物 館 の ス タ ッフ数 名 は この事 業 に関 わ る よ う に命 じられ た。 博 覧 会 の 出品 物 に は博 物 館 で購 入費 が特 別 に計 上 され て買 い上 げ られ た もの も少 な くな か った。 この よ う に殖 産 興 業 策 に沿 った博 物 館 の成 立 は,前 か ら繰 り返 して きた 博 物 館 の 建設 計画 も ここ に お いて 初 めて 具体 的 にな って き た。 博 覧 会 会 場 は博 物 館 建 設 予 定 地 で あ り,博 覧 会 の建 物 の う ち美 術 館 は,閉 会 後 博物 館 と して利 用 す る こ とが前 提 とさ れ て いて,木 造 よ り高 価 で あ った練 瓦 造 で 立 て られ た23。 当 時,殖 産 興業 路 線 に沿 う博 物 館 が 成 立 で きた の は,も ち ろ ん,西 洋 の見 聞 お よ び佐 野 常 民 の構 想 が 国家 施 策 の根 拠 とな った こ とは 明 らか で あ るが,そ の ほ か に,大 久 保 利通 が主 導 す る 新 しい殖 産興 業策 も博 物 館 建 設 の背 景 とな った こ とを こ こで 指摘 して お き たい。 「殖産 興業 」 は,江 戸 時 代 か ら既 に国 の 重 要 な 課題 とな って い た。 しか し 「殖 産 興 業 」 と は いえ,そ れ ぞ れ の 時期 に お け る 目標 と手 法 は違 う。 江 戸 時代 の殖 産 興 業 の ね らい は,各 地 に お け る特産 物 を 見 出 して そ の産 業 化 を 図 り,商 業 ル ー トに載 せ る こ とで あ った。 そ して,そ こで の主 な手 法 は,物 産 を 中心 とす る実地 調 査 とそ の製 品化 で あ っ た以。 明 治 に な って殖 産 興 業 の ポ イ ン トは,近 代 産 業 と工 業 の推 進 へ と移 行 し,そ の政 策 は三 期 に 分 け られ,そ れ ぞ れ工 部 省 の設 置 ・内 務 省 の 設 置 ・農 商 務 省 の設 置 を画 期 とす る こ とが 指 摘 さ れ た25。大 久 保 が主 導 した 内務 省 を 中心 とす る時期 の特 徴 と して は,以 下 の二 点 が あ げ られ る。 第一 に,第 一 期 の官 営 事 業 を 中心 とす る工 部 省 の政 策 に対 し,勧 農 勧 工,民 業 重 視 の殖 産興 業 へ の転 換 で あ る。 第 二 に,勧 業 を 実現 させ る具 体 的 な方 策 を重 視 す る こ とで あ る。 そ の具体 的 な方 策 と して代 表 的 な もの は,模 範 とす る施 設 と技術 な どの導 入 と移 植 が 挙 げ られ る。 これ は, 農業 の面 で は,模 範 農 場,果 樹 園,茶 園,育 種 場 と農 学 校 を分 置 し,西 洋農 法 を導 入 ・展示 ・ 実験 す る こ とで あ った。 他 の分 野 で も,西 洋 の 制度 を急 速 に導 入 す るた め,様 々 な範 と して の 新 しい機 構 が設 立 され た26。 つ ま り,「 範 を 示 す 」 こ と は,大 久 保 の理 論 と構 想 に よ り殖産 興 業 の近 代化 を迅 速 に推 進 さ 27 せ るの に必 要 な 行政 技 術 と して,明 治 国 家 の 行 政 シス テ ム の 中 に初 めて 確 立 した の で あ る。 こ の よ うな殖 産興 業策 の 中,内 務 省 の博 物 館 は,単 に博 覧会 の準 備 をバ ック ・ア ップす る機 構 で あ るだ けで は な く,「 近 代 産 業 」 とは何 か に つ い て,民 間 業者 や 一 般 大 衆 な ど に,そ の範 例 や 新 しい情 報 を 見 せ る常 設 的 な展 示 場 で もあ った。 この博 物 館 にお け る 「近 代 産 業 」 の 展 示 が 重 要 視 され て い た こ とに関 して は,以 下 の二 つ の 点 が 挙 げ られ る。 第 一 に,明 治8年,博 物 館 の 整 備 が一 段 落 す る と,天 皇,皇 后,皇 太 后 が行 幸 啓 にな った。 当 日の記 録 を見 れ ば,御 覧 にな った もの は列 品 陳列 所 の 中,農 業,工 業,美 術 と教 育 関 係 の展 示,及 び7ケ 所 の 伝 習 試 業 所 の 全 て で あ っ た27。つ ま り,殖 産 興 業 関係 の 物 品 と技 術 の展 示 は,こ の博 物 館 の最 も注 目す べ き こ とで あ る と政 府 側 は考 えて いた ので あ る。 第 二 に,明 治9年 以 後,博 物 館 は毎 年 「連 日開 館 」28が行 な われ,新 聞 へ 広 告 を 出 し,摺 物 を 東 京 府 や近 県 へ 配 布 し,積 極 的 に大 衆 へ宣 伝 した。 宣 伝 の 内 容 に つ い て は,明 治10年 の連 日開 館 の ビ ラ に よ る と,新 し く到 着 した ア メ リカの 博 覧 会 にて交 換 した剥 製 の動 物 標 本 や オ ー ス ト リアで 注 文 した 工業 物 品 が 「目玉 品」 と して 記 され て い る29。 II-2文 部 省 の 教育 博 物 館 と近 代 学 校 づ く り これ に対 して,学 校 づ くりや教 育 改 革 の 中,文 部 省 の 教 育 博 物館 は どの よ う な存 在 で あ っ た の で あ ろ うか。 前述 した よ うに,教 育 博 物 館 は,近 代 の 学 校 づ く りに 関 す る情 報 を全 般 的 に細 か く提 供 して い た。 収 集 ・展 示 の 具 体 的 な 内容 につ い て は(表23° 参 照),建 の モ デル,机,椅 幻 灯,国 築 の模 型,教 室 子,各 種 の 教具,標 本,模 型,実 験 用 の器 械,障 害 者 教 育 で使 わ れ る用 具, 内外 の教 育 関 係 の報 告書,学 校 の規 則,教 科 書,雑 誌 な ど,広 い 範 囲 に及 ん で い る。 そ の資 料 収 集 のル ー トは,幾 つ か あ った。 一 つ は,全 国 府 県 の 学 務 課 あ て に教 育 関係 の物 品 に 対 して 公 私 を 問 わず 寄 贈,委 託 あ るい は売 却 す べ き こ とを通 達 した。 二 つ 目の ル ー トと して は, 詳 細 な 品 目 を立 て て 諸 外 国 か ら教 育 備 品 を購 求 した31。そ の ほ か の ル ー トと して は,当 時 日本 と外 国 との教 育 行 政 当局 や 各 種 の 博物 館 や博 覧 会 との連 結,教 育 関 係 の 物 品 や 図 書 の交 流 も活 発 に行 な わ れ た。 つ ま り,教 育博 物館 は 「近 代 教 育 」 をハ ー ドと ソ フ トの 両 面 にわ た って 専 門 とす る博 物 館 で も あ り,教 育 に関 す る国 内 情 報 を統 合 し,国 際 陦報 を 交 流 す る窓 口で もあ っ た32。 教 育 博 物 館 は,収 集 ・展 示 の他,教 育 づ くりの必 要 に応 じた さ ま ざ まな 事 業 を も積 極 的 行 っ て いた 。 た とえ ば,明 治17年 か ら明治21年 の 間 には,小 学 校 教 員 た ち を対 象 に,主 に物 理, 化 学,数 学 な どの講 習 や理 化 学 の 実 験 な どが執 行 され て い た。 す な わ ち,教 員 の 現 職 教育 の よ うな事 業 は,教 育 博 物 館 に よ り主 催 され た。 そ の ほ か,特 筆 す べ き こ とは,教 育 用 品 を 模 造 ・ 改 造す るた め の 参考 資料 の収 集 に も,収 集 した 資料 を参 考 に して 自 ら試 作 や改 良 を行 っ た り, 28 館 の 指導 の も とで 民 間業 者 に簡 単 な標 本 を 製 作 させ た り,各 学 校 の物 品 の購 入 に 当 た って の 仲 介 な ど に も努 め た。 教 育 博 物 館 は,近 代 教 育 関 係 の物 品 を 開 発 ・製造 し,近 代 教 育 産 業 の推 進 に も努 め て い た。 教 育 シ ステ ム づ くりの専 門分 野 で活 躍 した 教 育 博 物 館 は,そ の 収 集 と展 示 が充 実 し,立 派 な もの で あ った 。 当 時来 日 中 の進 化 論 学 者 のE.モ ー ス も この博 物 館 の充 実 ぶ りに驚 き,彼 の 有 名 な 日本 見 聞記 『日本 そ の 日そ の 日』 に は,教 育 博 物 館 に つ いて 詳 し く記 述 され て い る33。勿 論,一 般 大 衆 に と って も大 変 物 珍 し く,人 気 が高 か った よ うで あ る。 そ して,こ の博 物 館 は, 「近 代 教 育 」 とは何 か を提 示 した場 所 で もあ り,間 接 的 に 国 の勧 学 政 策 に も一 役 を 果 た した㌔ 皿.明 治 国 家 によ る最 初 の博 物 館 政 策 と博 物 館 像 以 上 の よ うな 両 博物 館 の分 析 を通 して,明 治 初 期 に お け る国 に よ る博 物 館 行政 の特 質 は以 下 の三 点 に ま と め る こ とが で き る。 第 一 に,両 博 物 館 の 設 置 に関 す る決 議 は 「学 術 中心 」 か ら 「行 政 中心 」 へ と移転 した。 町 田久 成 の 「集 古館 の議 」 と田 中芳 男 の 「博 物 学 之 所 務 」 な どの博 物 館 構 想,及 び 田 中不 二 麿 が 最 初 に提 出 した 学 術博 物 館 像 は,文 化 財 保 護 や学 術 発 展(生 徒 教 育 の需 用)と い った近 代 的 な博 物 館 を代 表 す る精神 を 持 つ もの で あ った が,い ず れ も実 現 や 続 行 が で きな か った。 そ の 後,佐 野 常 民 に よ って 提言 され た 「殖 産 興 業 路 線 の博 物 館 建 設 」 や,田 中不 二 麿 の 「近 代 教 育 づ く りを サ ポ ー トす る教育 博 物 館 へ転 換 」 の 決定 で,い ず れ も博 物 館 建 設 の 方 向 を 行政 性,実 務 性 かつ 緊 要 性 が よ り高 い 方 へ 転 向 され た の で あ る。 両 館 の設 置 は,博 物 館 と して の独 自の 領 域 に お い て考 え られ た の で はな く,そ れ ぞ れ勧 業 政 策 や教 育 改 革 に深 く関 わ って い る上 級官 僚 が,殖 産 興 業 や 学 校 づ く りとい った 国家 事 業 を推 進 す る立 場 で 決 め た の で あ る。 この 点 は,当 時 の博 物 館 設 置 が 国 家 行 政 シス テ ム づ くりの一 環 で あ る こ とを具 体 的 に示 唆 して い る。 第 二 に,両 博 物 館 は,と もに国 家 行政 シス テ ム の 中 に そ れ ぞ れ 国家 の 中心 事 業 の 展 開 を支 援 す る機 構 と して位 置 づ け られ た 。 そ の た め,博 物 館 の館 蔵 収 集 や行 政 業 務 な どの 事 業 の 方 針 と 内容 は,国 家 事 業 の必 要 に対 応 して 展 開 され た の で あ る。 前 述 した よ うに,両 博 物 館 はそ れ ぞ れ 「近 代産 業 」,「近 代 教 育 」 を重 点 に 国内 外 の物 品 や 情 報 な どの収 集 ・管 理 ・展 示 を行 う以 外 に,関 連 す る様 々な行 政 業 務 を も担 当 して いた 。 当 時, 両 博 物 館 が担 当 した行 政 業 務 の 中 に は,現 在 の 「博 物 館 事 業 」 とい う領 域 に お いて な じみ が な い もの もあ った。 そ の好 例 と して,勧 業 や近 代産 業 育 成 な どに 関す る実 務 性 が 強 い業務 を担 わ され た こ とが挙 げ られ よ う。 内 務 省 の博 物 館 は言 うま で もな く殖 産 興 業 路 線 に沿 って建 設 され た もの で あ り,従 来 殖 産 興 業 と別 に,教 育 路 線 と され る教 育 博 物 館 も,日 本 の近 代 教育 産 業 の 育 成 に大 い に貢 献 した とみ られ る。 29 産業 育 成 の 立場 か ら見 れ ば,明 治 政 府 が推 進 した近 代産 業 育 成 の方 途 には,官 に よ る博物 館 一 模 範工 場(学 校)一 博 覧 会 一共 進 会 とい うよ うな連 動 す るネ ッ トワー クが み られ る。 博 物 館, 模 範工 場 あ るい は模 範学 校 は,関 連 す る物 品 及 び情 報 を ま とめ て展 示 ・宣 伝 す る場 で あ っ た の に対 して,博 覧会 と共 進 会 は,も っぱ ら 「勧 業 」 の た め の 活動 で あ った。 博 覧 会 と共 進 会 の両 者 を は っき り区別 す る特 質 は存 在 しなか った が,博 覧 会 は,商 品 の展 示 ・評 価 ・大 衆 観 覧 にや や 力 点 を置 い て い た の に対 して,共 進 会 は,参 加 者 の 競争,評 点,出 れ た35。両 博 物 館 の 場 合 は,と 品物 の販 売 に主 眼 が 置 か もに博 覧 会 ・共 進 会 へ の出 品 を 行 い,教 育 博 物 館 は,第 九 回 京 都博 覧 会 の 際 に,資 料 の 出品 だ けで はな く,職 員 を 派 遣 して展 示 技 術 や展 示 品 の取 り扱 い を実 地 に指 導 した とい う こと もあ った36。 第三 に,明 治 国家 は,博 物 館 を 国 民 開 明 に有益 な装 置 と して積 極 的 に位 置 づ け た。 前 述 した よ うに,両 博 物 館 の 発 展 方 針 及 び 業務 内 容 な どは,そ れ ぞれ 「近 代 産 業 」 や 「近 代 教 育 」 とい った 国 の 当面 す る事 業 と緊 密 に関 わ って展 開 され て き た の で あ る。 そ して,こ の よ うな両 博 物 館 は,政 府 に と って 「近 代 産 業」,「近 代教 育 」 に 関す る新 しい物 品 と情 報 を大 衆 に 見 せ る常 設 的 な機 構 で もあ った 。 当 時,佐 野 常 民 は,国 家 に と って博 物 館 の 存 在 す る意 義 を以 下 の よ うに 明言 した 。 「博 物 館 ノ主 旨 は,眼 目の教 に よ り人 の 智 巧 技 芸 開進 せ しむ るに在 り。 夫 人 心 事 物 に触 れ,其 感 動 識 別 を生 す るは,眼 視 の 力 に 由 る者 最 多 く且 大 な りとす 。(中 略)人 智 を開 き工 芸 を進 ま しむ るの 最 捷 径 最 易 方 は,此 眼 目の教 に 在 る の み」37。 教 育 博 物 館 の 開館 式 で,田 中不 二 麿 は この 博 物 館 の 目的及 び役 割 につ い て こ う演 説 した。 「教 育 一 切 ノ物 品 ヲ排 置 シ其 得 失 ヲ比 較 シ博 ク世 人 ノ選 用 二 供 スル 」38。 そ して,こ の よ うな 博 物 館 を 通 して教 育 と文 運 の 隆盛 を 図 ろ う と した。 上 述 した 佐 野 及 び 田 中 の意 見 は,さ らに二 つ の ポ イ ン トに分 け られ る。 一 つ は,博 物 館 は, 展 示 を通 して 「眼 目 の教 」 が行 な わ れ る機 構 と して 認 識 され て い た こ とで あ る39。十 九世 紀 当 時 は,モ ノ と博 物 が 重 要 視 され る博 物 学 の 時 代 で あ った の で,モ ノを主 体 とす る情 報 及 び知 識, 特 に一 般 の 大 衆 が 接 触 で きな い西 洋 の 物 品 の 蒐集 と展 示 とい うこ と 自体 は それ な りの教 育 の意 味 が あ った と思 わ れ る4° 。 未 知 未 見 な もの を一 場 に集 めて 公 衆 に見 せ る とい う点 で,博 物 館 が 江戸 以 来 の物 産 会 の延 長 線 上 に あ った と考 え られ るの は,す で に 日本 の近 代 博 物 館 発 達 史 に お け る基 本 的 な観 点 と な っ て い る41。 博 物 館 を大 衆 教 育 に有 益 な装 置 と見 なす 国 側 の論 理 は,も う一 つ の ポイ ン トにあ る。 そ れ は, 博 物館 に よ る 「眼 目の教 」 は,「 人 智 を 開 き,工 芸 の 進 歩 」 や 「教 育 の 隆盛 」 な ど に繋 が る効 果 が期 待 で き る とい うこ とで あ る(こ こで の 「工 芸 」 とは,イ を 指 す と考 え られ る)。 こ の点 に関 して は,明 治15年,内 ンダ ス トリー と して の工 芸 産 業 務 省 の博 物 館 の 開 館 式 に当 た り,内 務 卿 が式 辞 の 中 で述 べ た こ とで さ らに明 確 な もの にな る。 「(前略)凡 30 ソ国 ヲ富 マ ス ノ計 ハ 人 ノ 智 識 ヲ開 テ其 の事 業 ヲ勧 ムル ニ在 り,人 智 開 明ニ シ テ民 庶 能 ク其 ノ業 ヲ務 ムル ハ 富 國 ノ本 ナ リ (中 略)朝 廷 ノ博 物 館 ヲ置 クヤ 宇 内 ノ品 物 及 図 書 ヲ此 二 網 羅 シテ百 聞 シテ了 解 シ難 キ モー 見 シ テ会 得 セ シ メ,以 テ 人 智 ヲ 開 キ,以 テ事 業 ヲ勧 メ,以 テ 国 ヲ富 マ ス ノ基 ト為 ス ナ リ」42。 つま り,眼 目の教 え に よ る人 智 の 開 明 は,近 代 産 業 の発 達 を促 し,最 終 的 に 国 の富 を もた らす 基 盤 に な る,と い う当 時 の 政府 の論 理 で あ った。 こ う した博 物 館 で 特定 した モ ノ を見 せ る こ と に明確 な 目的 が 付 け られ る と い う国 家側 の 論理 は,博 物 学 の範 囲 を 超 え た もの で あ る。 そ の た め,明 治 政 府 は博物 館 で の展 示 を 旧来 の物 産 会 な ど と意 識 的 に峻 別 しよ う と して い た。 明 治9年,内 務 省 の博 物館 の連 日開 館 に際 して,館 長 の 町 田久 成 は,目 録 を作 成 す る と と もに,陳 列 方法 や 説 明 札 な どに十 分 な配 慮 を 加 え,来 館者 の 「智 識 開 明」 に役 立 つ 立 派 な 陳 列 を 特 に要 望 し,博 物 館 の 各科 に達 した43。教 育 博 物 館 も人 智 の啓 発 の ため,た だ の 珍 器奇 物 を並 べ た場 に な らな い よ うな 展 示 を工 夫 す る よ うに指 示 した, とい う記 録 が 明治15年 の 『東 京 教 育 博 物 館 年 報 』 に残 って い る44。即 ち,官 が博 物 館 を運 営 す る姿 勢 に は,展 示 の方 法,及 び展 示 を通 して 民 衆教 育 に繋 が る こ とへ の重 要 視 が特 色 と して み られ る。 国 の 当面 す る政 策 に沿 い設 置 ・経 営 され る両 博物 館 の存 廃 も政 策 の変 更 に次第 で あ った こ と を最 後 に指 摘 した い。 明 治15年,殖 省 に移 転 した 。 明治19年,内 産 興 業 策 の転 換 に と もな って,内 務 省 の博 物 館 は 農 商 務 閣 制 度 の発 足 を機 に天 皇 制 の確 立 を は か ろ う と した政 府 の 意 図 を 背 景 と して,農 商務 省 に属 す る博 物 館 は宮 内省へ 移 転 させ られ 「帝 室 博物 館」 の創 設 に 向 け られ た 。 そ して,勧 業 路 線 の博 物 館 の姿 は突 然 の よ う に消 え た。 一 方,文 部 省 の 教育 博 物 館 は, 学 校 制 度 の体 系 化 につ れ,教 育 づ く り路 線 の 博 物 館 の 重 要 性 が 薄 くな り,明 治19年 ご ろ廃 館 同様 とな った 。 以 上 の 検討 を通 して,明 治 国家 に よ る最 初 の博 物 館 政 策 は,博 物 館 と い う領 域 に立 つ もので はな く,他 に国 が 当面 す る政 策 の方 針 に基 づ いて行 政 主 導 型 かつ 国 民 開 明指 向型 の特 質 を持 つ もの で あ った こ とが うか が え る。 こ の時,博 物 館 事 業 の方 針,内 容 と存廃 は官 の政 策 に よ り定 義 ・決 定 され る。 そ して,こ の よ う に創設 され社 会 に現 れ た博 物 館 は,モ ノの収 集 と展 示 に よ り,国 が 国 民 に見 せ た い特 定 の情 報 な どを,国 か ら民 へ,普 及 す る装 置 で あ った ことが 考 え ら れ る。 お わ りに 本 稿 で 検討 した よ うに,明 治 政 府 が 初 め て設 置 しよ う と した博 物 館 の あ り方 は,文 化 財 保 護 や 学 術発 展 の路 線 か ら,近 代 産 業 づ く りや近 代 教 育 づ く り とい った,国 が 当面 す る事 業 の 傘 下 へ移 転 す る こ とで確 立 した。 内務 省 の博物 館 及 び文 部 省 の教 育 博 物 館 は,国 家 の行 政 シス テ ム 31 に お い て それ ぞれ モ ノの 収 集 と展示 を通 して 国家 事 業 を 支 援 し,近 代 社 会 づ く りに有 益 な 施 設 で あ る と明確 に位 置 づ け られ た。 そ して,こ う した両 博 物 館 の あ り方 を通 して,明 治 国 家 に よ る最 初 の博 物 館 設 置 ・運 営 の 方 針 は,国 が 当面 す る国 家事 業 や政 策 に従 属 し,行 政 主 導 か つ 国 民 開 明 の指 向 が強 い もの で あ った こ と も明 らか に な った。 ま た,本 稿 に よ って,今 後,官 主 導 に よ る博 物 館 政 策 の あ り方 を検 証 して い く作 業 に は,官 が設 立 した博 物 館 の類 型 ・主 題 ・規 模 論 な どよ り,官 が 博 物館 に何 を どの よ うに求 め るか が 鍵 とな る 問題 で あ る,と い う有 意 義 な視 座 が提 供 され た 。 具 体 的 には,行 政 シス テ ム に お い て博 物館 を経 営 す る理 念 と 目的,及 び博 物 館 を扱 う構 造 と手 法 を 具 体 に考 察 す べ き こ とで あ る。 博 物 館 事 業 を扱 う行 政 側 の 構 造 と手法 か らみれ ば,明 治 初 期,国 の行 政 シス テ ム に お い て博 物館 を一 つ の領 域 と して 扱 い,ま た は確 立 す る とい う法 的,制 度 的,組 織 的 な ものが いず れ も ま だ成 立 して い なか っ た。 この よ うな行 政 の環 境 の もとで,日 本 にお け る 「官 」 に よ る博 物 館 政 策 は,「 官」 によ り定 義 ・主 導 して 出発 した 。 そ の後,長 期 に わ た り,博 物 館 を 扱 う行 政 の 構造 と手 法 は,現 在 の よ う に法 一制 度 一組 織 一政 策 一事 業 な どか らな る系統 的 な ものへ 徐 々 に 形成 して き た の で あ る。 その た め,明 治 初 期 以 降 の官 主 導 で あ る 日本 の博 物 館 へ の影 響 を検 証 す る際,博 物 館 事 業 を扱 う行 政 側 の理 念 構 造 及 び手 法 の あ り方 と変化 に関 す る分 析,こ れを さ らに博 物 館 の あ り方 と対 照 的 に検 証 す る こ とが重 要 な作 業 と な るの で あ る。 表1内 所属 文部省 博物局 32 務 省 の 博 物 館 の 系 譜,及 び組 織 と列 品 成立 時間 明治 4年 館地 湯島聖 堂大成 殿 組 織 古器物取扱 及制度之沿革等考証 之書編纂/書 籍館掛/魚 類小虫 類菌類等研 究及動物製造物培養 /編 集翻訳書類之校正及淨書, 局 中諸事務取扱兼務/植 物学研 究及翻訳草木枝葉乾膳果実木材 等取扱/動 物之写真 図描写等総 而画図之事取扱/薬 園掛/動 物 製造苔類小虫類取 扱/博 物館諸 務取扱な ど 列 品 列品一大学南校物 産局 時代 の収蔵品 を中 心 とす る。 天 産物,古 器 物,各 地 産 物 及 び動物等 太政 官 正院 博 覧会 事務 局 明治 6年 山下 町 旧佐 土 原 ・中 津藩藩 邸 明治 内務 省 勧 業寮 同上 8年 博物科一動物掛/植 物掛/鉱 物 掛 考証科一考古掛/書 籍掛 工業科一器械掛/殖 産掛 庶務科 翻訳掛 会計掛 列 品一 一 の 陳列 所(古 物 館 又 は 古 器 物 列 明 治9年,博 列 品 一 ① 古 物 館,② 覧 会 事 務局 時代 か 品 所),二 の 館(動 物 陳列 所 又 は天 造 物 列 品 所),三 の 館(植 物 鉱 物 陳 列 所 又 は 天 造 物 列 品所),四 の館(農 業館又 は農 具 類 陳列 所 又 は 新 製 諸 器 列 品 所),東 の 館(舶 来 品 陳列 所 又 は西 洋 品 陳 列 所) 他 に 動 物養 殖 所,植 物 分 科 園 な どの 施 設 ③④ 天産部 列 品館 らの博 物,考 証,工 業三 掛 を廃 (動 物,植 物,鉱 物),⑤ 止 し,天 産/農 業 山林/工 芸器 館,⑥ ⑦工 業機 械 部 列 品 館,⑧ 芸 術 部 列 農 業 山林 部 列 品 械/芸 術/史 伝/教 育/法 教/ 品 館(英 国 博物 館 贈 品)な ど八 棟 の 列 品 陸 海 軍 な どの 八 掛 を 置 く 館 及 び伝 習試 業所七 所(博 物 館構 内 に設 け ・ 勧 業 寮 に所 属) 農商務省 表2文 所属 文部省 明治 14年 上野公 園新館 天産課/農 業課/工 芸課/芸 術 課/史 伝課/図 書課/兵 器課/ 教育課/庶 務課 列品一天産/農 業山林/工 芸/芸 術/史 伝/園 芸/兵 器/教 育/図 書 な ど九部 114区 部省の教育博物館 の組織 と列 品 開館 地点 組 織 明治 上 野公園 館長 10年 館長補 書 記(庶 務会計) 列 品 活 動 一 学 術 講 義,博 物 標 本採 集,理 化 学 器 械 等 の紹 介 斡 旋,資 料 貸 出 列 品(『 教 育 博 物 館 案 内 』 明 治14年) 物 品掛(動 物,植 物,金 石, 第一室 家庭用玩具類 幼稚 園教授用具類 実物教授用標本類 図 書 掛(明 治12年 に新 増 。 第二室 数学用具類 学校様式 及び撮影之部 独 立棟の図書室新築が でき 物理器械類 た の で 図 書 室 の拡 充 の た め 第三室 力学器械 気学器械 熱学器械 電 に 新 設 され た) 気及 び磁気学器械 音学器械 光学器械 第 四室 化学器械 地学用具之部 体操用具 類 書 画学用具類 職工学校用具類及び生 徒製 品 第五室 商法学校教科書類 盲唖及び痴子教 授用具 教場用及 び生徒用諸器具類 卒業 証書及 び賞牌類 第 六室 学校用卓子椅子類 比較解剖模造類 第七室 内外 国諸学校生徒の書画作文並び に 試業 答書画 製作品,裁 縫品類 第 八室 金石類之部 第 九室 植物之部 第 十室 哺乳動物 第 十一 室 鳥類 第 十二 室 爬虫類 第 十三 室 魚類 と無脊動物 器械 の資料及 び展示担 当) 1 33 注 1日 本 の博 物 館 の歴 史 に対 す る記 述 に関 して は,1970年 代 末 以前 は,ほ と ん ど略 史 や 簡 単 な 制 度 史 の よ うな もの で あ る といえ る。1970年 代 後 半 か ら は,日 本 の 博 物館 の歴 史 を,日 本 にお け る近 代 文 化 史 の 発 達 や近 代 社 会 の形 成 に対 応 した博 物 館 の 近 代 化 へ の 過 程 と して考 え るべ き と い う視 点 か ら,博 物 館 史 の研 究 及 び記 述 がな され る よ う にな る。 例 え ば,大 久 保 利謙,伊 藤 寿 朗,森 田恒 之 及 び 椎 名 仙 卓 ら の研 究 が あ げ られ る。 そ して,近 年,厂 日本 の 博 物館 とは何 か」 を解 明す る ため,「 官 」 主 導 によ る博 物 館 の発 展 や構 想 な ど に注 目 し,博 物 館 史 を 再検 証 す る論 著 が現 れ た。 金 山喜 昭 や 金 子 淳 の 論 著 は, 代 表 的 な もの で あ る。 大 久 保 利 謙 厂本 邦 博 物 館 事 業創 業 史 考 」 『MOUSEION』 藤 寿 朗,森 田恒 之 『博 物 館 概 論 』(学 苑 社,1978年)。 第17号,1971年 。伊 椎 名 仙 卓 『日本 博 物 館 発 達 史 』(雄 山 閣 出版, 1988年)。 金 山喜 昭 『日本 の 博 物 館 史』(慶 友 社,2001年)。 金 子 淳 『博 物 館 の 政 治 学 』(青 弓 社,2001 年)。 2文 部 省 博 物 局 は旧 来 の 行 政機 構 か ら引 き継 が れ た もの で あ り,そ の前 身 は,江 戸 時 代 の 蕃 書 調 所 に置 か れ た 物 産 学 まで さか の ぼ る こ とが で きる。 即 ち,蕃 書 調 所 の物 産 学 一 開 成 所 の 物 産 学 一 大 学 南 校 の 物 産 局 一 文 部 省 の 博物 局 の よ う に,物 産学 を 中心 とす る行 政 機 構 の一 系 譜 が み られ る。 そ の 中 で,文 部 省 博 物 局 は,伝 統 の 物 産 学 を 近代 の 博物 学 へ発 達 させ る の に重 要 な 役 割 を 果 た した 機 構 で あ った と 位 置 づ け られ て い る。 東 京 国 立 博物 館 編 『東 京 国立 博 物 館 百 年 史 』(東 京 国 立 博 物 館,1973年),頁1 -40 3「 。 上 野 益 三 「日本 博物 学 史』(平 凡 社,1973年),頁145-148。 博 物 学 之 所務 」 に関 して は,以 下 の 二つ の論 著 を参 照 した。 『東 京 国 立 博 物 館 百 年 史 』 頁62-65。 椎 名 仙 卓 「博 物 館 発 達 の原 点 を 『博物 学 之 所 務 』 に探 る」 『明 治 博 物 館 事 始 め 』(思 文 閣 出 版,1989年), 頁72-78。 4佐 野 常 民 及 び佐 野 常 民 の 上 申 に つ いて は,以 下 の二 つ の論 著 を 参 照 した。 『東 京 国 立 博 物 館 百 年 史 』 頁70-71。 椎 名 仙卓 「佐野 常 民 の発 想 ・博 物 館 を設 け て か ら博 覧 会 を 」,前 掲 書,頁85-90。 5『 東 京 国 立 博物 館百 年 史』 頁122-129。 6明 治 初 期 にお い て使 節 団 が見 聞 した イ ギ リス及 び イ ギ リス の ケ ンジ ン トン博 物 館 に つ い て は,以 下 の 論 著 に詳 しい。 田中 彰 「 解説 (岩 波 文 庫,1978)。.岩 本陽児 「 岩 倉使 節 団 の 米 欧 博 物 館 見 学 一 雑 誌 』 第24巻 第1,2号,1998年 7佐 岩 倉 使 節 団 とア メ リカ ・イギ リス」 『特 命 全 権 大 使米 欧 回覧 実 記 』(二) イ ギ リス を 中心 に 一 」 『博 物 館 学 。 野 の意 見 書 及 び大 久 保 卿 の 名 で 出 され た 博 物 館 の上 申 との 比 較 に つ いて は,『 東 京 国立 博 物 館百 年 史 』 頁122-128を 参 照 した。 8『 東 京 国 立 博物 館 百年 史 』頁103。 9佐 々木 時 雄 『動 物 園 の 歴 史 一 10「 博 物 学 之 所 務 」 は 自然 史 系 博 物 館 で あ るパ リの ジ ャル ダ ン ・デ ・プ ラ ンデ,「 集 古 館 建 設 」 は文 化 日本 に お け る動 物 園 の成 立 』(西 田書 店,1975年),頁61-64。 財 系 博 物 館 で あ るイ ギ リス の 大 英博 物 館,を 参 考 例 と した もので あ る。 11町 田 と 田 中の 意 見 に関 して は,具 体 的 な資 料 は残 って い な いが,博 物 館 史 の 中 で この よ うに 推 測 され て い る もの が あ る。 『東 京 国 立博 物 館 百 年 史 』 頁87。 佐 々木 時 雄,前 掲 書,頁78。 34 12表1は 13文 『東 京 国立 博 物 館 百 年 史 』 に よ り作 成 した の で あ る。 部 省 の博 物 館 は学 術 博 物 館 か ら教育 博 物 館 へ変 更 した こ とにつ いて は,椎 名 仙 卓 「学 術博 物 館 が 教 育 博 物 館 に化 け る」,前 掲 書,頁154-160を 参 照 した。 14こ の定 義 は 『国 立 科 学 博 物 館 百 年史 』(国 立科 学 博 物 館,1977年),頁61を 参照 した もの で あ る。 15当 時 の世 界 にお いて 教 育 博 物 館 の設 立 に関 す る参 考 文 献 は乏 しい。 本 稿 で は以 下 の資 料 で紹 介 され て い る こ とを 参 照 した。 『米 国 百年 期 博 覧 会 教 育 報 告 』(文 部 省 刊,明 治10年),巻 四。 『国立 科 学 博 物 館 百 年 史 』 頁61。 石 附 実 『教育 博 物 館 と 明治 の子 ど も』(福 村 出版,1986年),頁159,162-164。 16万 国 博 覧 会 にお け る教 育 の分 野 の扱 い のあ らま しにつ いて は,石 附 実 『 西 洋 教 育 の発 見 一 幕末明治 の異 文 化 体 験 か ら』 一 書 を参 照 した。 石 附 実 『西 洋 教 育 の発 見 一 幕 末 明治 の異 文 化 体 験 か ら』(福 村 出版,1985年),頁228-231。 17勿 論,教 育 を展 示 の主 な テ ー マ と した この 博 覧 会 に参 加 した こ とに よ り,教 育 づ く りに関 す る情報 と 用 具 を 展示 す る場 の重 要 性 が実 感 され る。 そ の ほ か に,こ の 博 覧 会 の報 告 書 と して の 『米 国百 年期 博 覧 会 教育 報 告』 に は,外 国 の教 育 博 物 館 に 関 す る記 述 が あ り,外 国 に お け る教 育 博 物 館 の存 在 に対 す る関 心 が す で に うか が え る。 同報 告,巻 四 。 18石 附 実 『教 育 博 物 館 と 明治 の子 ど も』 頁161-162。 19勝 田 政治 「維 新 の三 大 改 革 」 田 中彰編 『 近 代 日本 の軌 跡1明 20明 治 政 府 の西 洋 の近 代 教 育 に対 す る観 察 や認 識 な どに つ い て,石 附実 『西 洋教 育 の発 見 一 治 維 新 』(吉 川 弘文 館,1994年)。 幕末明治 の異 文 化 体 験 か ら』 一 書 に詳 し い。 21こ れ は佐 野 常 民 の提 議 と少 し異 な り,技 術 伝 習場 は直 接 に博 物 館 の所 管 で は な く,博 物 館 と 同様 に内 務 省 勧 業 寮 の所 属 とな って い た の で あ る。 22博 覧 会 事 務 局 か ら 内務 省 時 代 へ 移 転 した後,博 物 館 の列 品分 類 の 変 遷 に 対 す る説 明 は金 山喜 昭 の 論 著 に詳 しい。 金 山喜 昭,前 掲 書,頁64-67。 23『 東 京 国 立 博 物 館 百 年 史 』 頁186-191。 24西 村 三 郎 「文 明 の な か の 博 物 学 』(紀 伊 國屋 書 店,1999年),頁129-132。 25「 日本 近 現 代 史 研 究 事 典 』(東 京堂 出版,1999年),頁161-162,「 殖 産興 業 」 につ いて の 解 説 を 参 照 し たQ 26大 久 保 の 殖 産 興 業 政 策 に つ い て は,以 下 の 論 著 を参 照 した 。 大 江 志 乃夫 「大 久 保 政 権 下 の 殖産 興 業政 策 成 立 の 政 治 過 程 」 『形 成期 の 明治 国家 』(吉 川 弘 文 館,2001年)。 上 書 。 佐 々木 克 「文 明 開 化 の 政 治 指 導 一 一 大 久 保 利 通 を 中心 に 一 」 林 屋 辰 三郎 編 『 文 明 開化 の研 究 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究所 報 告 』(岩 波 書 店 27『 東 京 国 立 博 物 館 百 年史 』 頁129-130。 28明 治 初 期 の 「連 日開 館」 とは一,六 勝 田政 治 「内務 省 内 政 の 成 立」,同 ,1979年)。 の 日 と 日曜 の 開 館 で あ るが,明 治9年 か ら春 に開 か れ た展 覧 会 も 連 日開 館 と称 した。 『東 京 国立 博 物 館 百 年 史 』 頁131。 29『 東 京 国 立 博 物館 百 年史 』 頁132。 30表2は 『国 立 科学 博 物 館 百 年 史 』 に よ り作 成 した もの で あ る。 35 31そ の購 入 に 際 して は,特 に 日本 が 必 要 性 を強 く感 じた工 業 関 係 の資 料 に注 目 した の で は な い か と推 察 さ れ て い る。 『国立 科 学 博 物 館 百 年 史 』 頁89。 32『 国立 科学 博 物 館 百 年 史 』 頁84-97。 33モ ー ス著,石 川 欣 一 訳 『日本 そ の 日そ の 日』(創 元 社,1946年),頁142-143。 34「 国立 科学 博 物 館 百 年 史 』 頁165-171。 35清 川雪彦 「 殖 産 興 業 策 と して の 博 覧 会 ・共進 会 の意 義 一 (一橋 大 学経 済 研 究 所)第39巻 第4号,1988年 そ のB及 促 進 機 能 の 評価 一 」 「経 済 研 究』 。 36『 国立 科 学博 物 館 百 年 史 』 頁123-127。 37佐 野常 民 「 博 物 館 創 立 ノ報 告 書 」 「澳 國 博 覧 会報 告 書 』 博 物 館 部,1875年 38『 国立 科 学博 物 館 百 年 史 』 頁66。 39博 物 館 を 社会 教 化 装 置 と して 見 な す 佐 野 常民 の言 論 に つ い て は,吉 見 俊 哉 『博 覧 会 の 政治 学 』 中 の 分 。 析 が詳 しい。 吉 見 俊 哉 「博 覧 会 の 政 治 学 』 中 公新 書(講 談 社,1992年),頁115-130。 4019世 紀 日本 にお け る博 物 学 の あ り方 は 西村 三 郎 の論 著 に詳 しい。 西村 三 郎 『文 明 の な か の博 物 学 一 西 欧 と 日本』(紀 伊 国 書 店,1999年)。 41『 東 京 国 立 博 物 館 百 年 史 』 頁2-7。 椎 名 仙卓 「集 め る ・整 理 す る ・見 せ る ・祖 型 を 『物 産 会 』 に 求 め て」,前 掲 書,頁43-47。 42『 東 京 国 立博 物 館 百 年 史 』 頁206-207。 43『 東 京 国 立博 物 館 百 年 史 』 頁13H32。 44『 国立 科 学博 物 館 百 年 史 』 頁99。 36