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学習権と教育内
学習権 と教育内容 社会科教育教室 糸田 哲 (― )学 習権 の意義 「教育 を受 ける権利」 につ いては憲法26条 第 1項 で「す べ て国民は,法 律 の定 めるところに によ り,そ の能 力 に応 じて,ひ としく教育 を受 ける権利 を有す る」 と規定 して いるが,そ の趣 旨は憲法 第25条 の生存権 の文化的最低 限度の生活 を営 む権利の文化的側面 に関 して教育を受 ける機会 の平等 )さ を憲法上認 めたもので あるとされるす らに教育 は民主主義国家 にあっては きわめて重要 な事柄で あり,民 主主義 的政治機構 の運 営 は,自 覚 あり且つ或 る程度の見識 を備 えた個 人の存在を前提 とす かる文化的政治的教養 を持 った国民で なければ人民 の政治は善 い政治 にな り得 ない こと るこ と ,か 等 か ら民主政治は,そ の文化面 につ いていえI封 国人の教育 を出発点 とし,近 代的民主国家は教育 に 対す る関心 を増大 させて来 たので あり,か かる近 代民主国家 の存立要件 と,生 存権 の文化的側面 と しての教育 の必要性 を,教 育 の機会均等 により制度的 に保 障 したものが本条第 1項 で あ り,従 って ぬこ その者 の属 す る階級 ,父 兄 の経済的社会的地位 等 によって教育 を うける機会 に差別 をつ けられ によっ と,即 ち,よ り具体的 にいえば,「 人種 ,信 条 ,性 別 ,社 会的身分 ,経 済的地位 ,又 は,門 地 , て教育上差別 されない」 ことで あり,そ れは「法 の下 の平等 とい う思想 の教育 の面 における発現で 」とし教育 を受 ける「権利」 につ いて は,「 国家 が教育 の機会均等 につ き配 あるとい うことがで きる。 )と 慮すべ きことを国民 の41か ら権 利 として把握 したもので ある」 す るのが一 般的見解で ある。 べ 育 を受 ける権利 を,教 育 の内容 は ともか く,教 育機会 を差別 なくす ての人 に しか し筆者 は ,教 開放す ること,就 学条件 の整備 を求 めること等の受動的経済的条件整備 を求 めるだけの権利 として とらえるのは不充分 と考 える。す なわち,明 治憲法で は,教 育 を うけ る権 利 を合 めて教育条項 はま った くなく,教 育憲法 としての教育勅話 において も,教 育 を うける権 利 の思想は一片す ら見出 され ず 育 は,天皇制国家 に忠 誠 をつ くす臣民 の育成 を目的 とす るもので あ り,教 育 の権利主体 は天 ,教 皇 と国家で あ り,そ して臣 民は,親 も子 も合 めて,義 務の担 い手で しかあ りえなかつた。 しかるに 戦後教育 を受 け るこ とが明治憲法下 の義務 か ら国民 の権 利 になった とい うことの意味 を正 しく捉 え るならば,そ の教育 の 内容 がどんなもので あつても,機 会均等 に受 けられ さえすれば いいとい うこ とにはならないので ある。教育 を受 ける権利は,人 間 の生来的 自然法的学習権 の現代的発展 とい う 教育条理上 の必然性 を になうもの と解す べ きで ある。す べ ての国民 とくに「子 ども」 は,生 まれな がらに して,教 育 を うけ学習す ることにより人間的 に成 長 ・発達 して い く権利 を有す る。 この子 ど もの生 来的権利 は,現 代 に生 きる人間 として その能 力を全面的 に発達 させ うるよ うな教育 がうけら れるよ うに,国 家 に対 して積 極的 な条件整備 を要求す る社会権的積極的能動的人権で あ り,子 ども べ きで ある。 (国 民)が 自己 自身 を形成 して い く主体的自然権 的人権 として とらえられる 細川 哲 :学 習権 と教育内容 か く して筆 者 は「教育を受 ける権 利」 に積極的内容 をもり,そ の主体的積極 的表現 として子 ども の「学習権」 とい う用語 を使用す る こ とにする。 (二 )学 習 権 の 歴 史 的 背 景 現代 における学習権 の性格 を正確 に把握す るためには,ま ず「教育 を うける権利」保障 の歴史的 発展 の過程 を見て お く必要 があ る。 「教育を うける権不喝 思想の発展 につ いて堀尾氏 はつ ぎのよ うにいって い る。 「『子 どもの教育 を受 ける権 利』 と『教育義務』 の結びつ きの萌芽形態 は,近 代思想その もの に 内在 していた。 たとえば, コン ドルセ において も,公 教育 が『 社会 の義務』 で あることは度 々指摘 されているので あ り,さ らに人権思想 を中心 とす るフラ ンス革命期 の諸憲法 は,『 教育 が,す べ ての 人にとって不可欠の もの』 (1791年 憲法 )で あり,『 すべ ての人の要 求』 (1793年 ジロン ドおよび ジ ャコバ ン憲 法)で あるこ とを規定 し,そ のためには『無償 の公教育』 が組織 されねばならず (1791 年憲法 ),『 社会は,す べ ての構成員 に対 して,平 等 にこれ をひ き受 ける』 (ジ ロン ド),な い しは 『社会 は……教育 をすべ ての者の手の届 くところに置 かねば な らない』 (ジ ャコバ ン)と 規定 され ている。 」そ して,こ の市民革命期 に現 われる,権 利 としての教 育 の思 想 と教育へ の公的配慮の思想 はやがて労働者 階級 の 中 に引 き継 がれて行 ったとし,「 チ ャー チズムの指導者 の一 人W。 ラヴェ トは 教育 が人間の『解放の道具』で あ り,『 人間の尊厳 を高 め,そ の幸福 を進 め るための普遍的 な道具』 , であり,『 社会 それ自身に由来す る権利で あ り, したがって国民全体 に教育手段 (機 会)を 配慮す る ことが政府の義務で ある。 』とのべ て い る。最初の第四階級 の革命 といわれる二 月革命のときにも 臨時政府 に対 して,す べ ての市民の生存 と労働の権利 とともに,全 市民 の教育 を受 ける権利 (drOit , de tous ies citoyens a lノ inStruction)が 要 求 された。マルクス も また ,教 育は国民の『権 利』 であ り,国 家 が教育 の機会 につ いて配慮 すべ きことを主張 して い る」 」この よ うに「教育 を受 ける」 権利思想はフラ ンス革命 の時期 には存在 していたので ある。 しか し,い まだ明確 な人権 として自覚 された ものではなかった。 フランス革命当時 もっとも革新的で あったモ ン タニ ヤールの1793年 の憲 法第22条 で「教育 は,す べ ての ものの要求で ある。社会は,そ の金 力をあげて一般 の理性 の進歩 を 助成 し,教 育 をすべ て の者 の手の届 くと ころに置かなければならない」 とのべ てお り,教 育 はすべ ての市民の権利で あるとい う思想 をよみ とることはで きるけれども,ま だ人権 として明確 に表現す るにはいたってい な い。教育 を受 ける権利が基本的人権 として各 国憲法 の規定 の なかに明確 に位 置 づ くのは20世 紀以後 の こ とで ある。 「教育 を うける権 利」 を一 国 の憲 法 に明記 したのは,社 会主義革命 をへ て,1986年 のソヴ ィエ ト 憲法 (い わゆるス ター リン憲法)第 121条 が最初で あった。同憲法第 121条 には「 ソ連邦 の市民は 教育 をうける権利 を有す る。 この権利は,7年 制の普通義務教育 ,中 等教育 の広汎 な発達 ,中 等 お よび高等教育 をふ 〈めたあ らゆる教育の無料制 ,高 等 の学校 における優 秀 な学生 に対す る国家的給 費の制度 ,学 校 における母 語 による授業 ,な らびに工場 ,国 営農場 ,機 械 , トラクター・ステー シ ョンおよび コルホ ーズ における動労者 に対する生産 ・技術 および農業の無料教育組織 によって保障 される」 と規定 されている。 もっとも,1918年 の「勤労被搾取人民 の権利宣言」 には教育 に関す る 規定がなく,同 年 の憲 法 (い わゆるレー ニ ン憲 法)等 17条 には,「 知識 を現実 に うるこ とを動労者 に 保障す るために,ソ ヴ ィエ ト連邦は,完 全で全般的 な教育 を無料で労働者 と農民 に与 えることを国 鳥取 大学教育 学部研究報告 人文 ・社会科学 第27巻 第 1号 53 家 の 任務 とす る」 と規定 され て いた が明確 に「 教 育 を受 ける権 利 を有 す る」 と規 定 された の は,ス ター リ ン憲法 の段 階 にお い てで あ る。 この権 利 は そ の後 ,第 二 次大戦 をへ て ,ス ペ イ ン,ブ ラジル , 日本 ,中 国 ,ビ ルマ ,東 ドイ ツ,ル ーマ ニ アな ど十数 か国 の憲 法 に規 定 され た。 かか る動 向 を背景 に して,1948年 の 国連 総 会 の 世 界人権 宣 言 第26条 第 1項 には「何 人 も教 育 を うけ る権 利 (right to education)を 有 す る。教 育 は少 な くとも初 等 の かつ基礎 の課程 で は無 料 で な くて は な らな い。 初 等教 育 は義 務 とす る。」と書 かれ た (出 席 56国 中48国 が賛 成 )。 この 世 界人権 宣 言 は,前 文 に もある よ うに,「 すべ ての人民 とす べ て の 国 が達 成 す べ き共 通 の基 準 と して公布 す る」 とあ る こ と, また , この権 利 を規 定 した憲法 は,社 会主 義 国 ,資 本主義 国 ,人 民民主主 義国 に わた って い る こ とによっ て ,「 教 育 を うけ る権 利」 と「 義 務教 育 の無 償 制」 とは第二 次大戦後 にお い て一 般 的 に承 認 された も の とい うことがで きよ う。 か く して基 本 的 人権 と しての「 教育 を受 け る権 利」 が憲 法 上一 般 に保 障 され るに いた ったの は第 二 次 大戦 後 と い うこ とが出来 る。 その後 1966年 第21回 国連 総 会で採 択 され た国際 人権 規 約 第13条 第 2項 (c)で は「 高等教 育 は,す べ ての適 当 な手段 によ り,特 に無 償 教 育 の 」と規定 された。 漸進 的 な採用 によ り,才 能 に応 じす べ て の者 に等 しく開放 され なけれ ば な らな い。 の の思 の 想 と密 接 不 可分 この よ うに「教 育 を うけ る権 利」 は「教 育 機 会均 等」 と「教育 費 無 償」 の 関係 で考 え られて来 た もので あ り,第 二 次大 戦後 は明確 な基本 的 人権 と して 自覚 され た もので あ る。 か く して教 育 を うける権 利 は , まず 第 一 に,す べ ての児童生徒 が均 等 な教 育 機 会 を保 障 され る権 利で あ る とされ る。 その 主 な方途 が,義 務 教 育学制 と義務公教 育 の 無償 制 で あ る。 しか し,現 代 で は「教 育 を うけ る権 利」 の 内容 を「 教 育 の機 会均 等」 と「 教 育 費 の無 償」 と して と らえ,そ の現 実的方法 と して「 義 務教 育制度 の拡 充」 とその「無 償 化」 と して だ け考 える こ とは 極 めて不 充分 で あ り,そ こには社 会権 的基 本 的人権 と しての積極 的意味 が も られ な けれ ば な らな い と考 える。 この ことは,わ が国 の 戦 前 の義務 教 育 の性格 をみ れ ば一層 明 らかで あ る。 明治 憲 法 下 の 日本 にお いて は,公 教 育 を うける こ とは臣民 の権 利で は な く,む しろ国家 に対 す る義 務 で あった。教 育義務 は兵役 ・納税 義務 とな らんで 臣 民 の三 大 公義 務 と考 え られて いた。 義務 の主 体 は臣 民 た る児童 お よ び その保護者 で あった。 かか る教 育 義務 の具体 化 は,わ が国 で はほぼ一貫 して独立 命令 た る勅 今 に よって いた。 1872年 (明 治 5年 )の 学 制頒 布 によって ,日 本 の近代 的学校 制 度 力治む設 せ られ,学 制 第21章 には「小 学校 ハ 教育 ノ初 級 ニ シテ人 民 一 般 必 ス学 ハ ス ンハ アルヘ カ ラサ ルモ ノ トス」 と規定 して義務 教 育制度 が行 なわれ る こ とに なった が,「 帝1学 学 費 ノ事」 の 第89章 で は「但 教 育 ノ設 ハ 人 々 自 ラ其 身 ヲ立 ル ノ基 タル ヲ以 テ其 費用 ノ如 き悉 ク政府 ノ正 租 二仰 クヘ カ ラサ ル論 ヲ待 タス… … 。然 レ トモ 方 今 ニ アツテ人 民 ノ智 ヲ開 ク コ ト極 メテ急 務 ナ レハ ー切 ノ学事 ヲ以 テ 悉 ク民費 二 委 ス ルハ 時 勢未 夕然 ル可 カ ラサ ルモ ノア リ…… 」 と規定 し,義 務 教 育 の無償 は行 なわれ て い なか った。 ただ第 24章 で は「 貧 人小学 ハ 貧 人子 弟 ノ 自活 シ難 キモ ノヲ人学 セ ン タメニ設 ク」 とか, さ らに,第 94章 で 1よ 「但 相 当 ノ受 業料 ヲ納 ル能 ハ サ ル モ ノハ 戸 長里 正之 ヲ証 シ学 区取締 リヲ経 テ其 学校 二 出 シ許 可 ヲ 受 クヘ シ」 な どの規 定 は あった。 けれ ど も,こ れ ら規 定 には,子 どもの教 育 を うける権 利 の保 障 の 思想 は全 く見 られず ,義 務 教 育 の義 務 は,子 ども を教 育 す べ き国家 ・ 社会 の 義 務 で は な く,臣 民 の 義務 で あった。 明治38年 か ら授 業 料 が や っ と不徴 収 とな り,就 学 率 が向上 した。 昭和 16年 国 民学校 令 にお いて は,第 12条 によ り「 学齢 児童 ヲ使用 スル者 ハ 其 ノ使用 二依 リテ 児 童 ノ就学 ヲ妨 ク ル コ ト ヲ得 ス」 と され,第 36条 で は「 国民 学校 に於 テハ 授 業 料 ヲ徴 収 スル コ トヲ得 ス」 と規 定 され た 。 し 「04 細川 哲 :学 習権 と教 育内容 たがって,明 治初期 に比べ て,義 務教育 にた いす る国家 の積極的配慮 が増 し,子 どもの教育 を うけ る機会はより多 くなったのは確 かで ある。 けれども,そ れ をもって教育 を うける権利 が保障 された と見 ることはで きない。 なぜ な らば,そ の時 の教育は軍国主義 と全体主義 の教育で あ り,そ れを強 制 された といえて も「教育 を うける権 利」 の 名に値 いするものではなかったか らで ある。特 に「小 学校」 が「国民学校」 と改め られた昭和16年 か らは,そ の教育 も「皇国 ノ道 二則 リテ」行 なわれる こ とになり,国 家 の文教政策 をいよ い よ軍国主義 の方向 にもりたて,教 育は政府 の思 想統制の一 翼 をにない,国 策の具 と化 して,滅 私奉公の精神 を子 どもたちに注入 した。 したがって,子 どもた ち は,戦 前 においては, この よ うな天皇 と国家 に忠誠 をつ くす教育 を「臣民 の義務」 と して受 けさせ られて いたので あ り,義 務教育の意義 もその無償 制 も決 して「教育 をうける権利」 の思想 か ら生れ たものでは な く,そ れとは全 く無縁 の ものであった。 しか し,戦 前わが国 において教育 を うける ことは「社会成員の義務では なく,権 利で ある」 とい う思想や主張 が全 く存在 しなかったわけで はない。 すなわち,す で に述 べ た如 く (第 3章 で)わ が国 において「 教育 を権利」 として とらえる思想 は , すで に明治維新以後 の 自由民権運動の中 に うまれて いる。 その代表的論者 として中江兆民・ 植木枝 盛の教育思想 をみ ると,公 費 による普通教育 の必要 ・教育的価値 を国家 が決定 しない こ と,女 子解 放のための学校 を開設す るこ と,教 育機会 の均等化等の教育 を権利 として とらえる思想が明 らかに 伺 がわれるので ある。 また横山源之助 は明治31年 にその著「 日本の下層社会」 で ,劣 悪 な労働条件 の もとで ,た えがたい肉体的・ 知的荒廃 をなめている年少労働者 の状態 を克明に書 き,教 育問題 を , 労働者の生存 と権利の問題 として とらえよ うとして い る。す なわち,当 時 の労働者 の実状分析 に立 って,横 山は,「 貧民学校」 を起 こす必要 を説 くので あると 「貧民 は生活上の不如意 者」 で あると同時 に「思 想 の欠陥者」 で あ り,教 育機会 を奪 われているもので あって,こ の なかか ら,「 健 全 なる普通 の人民 を得ん とす るは,蒔 かぬ種 より実 を望む」 よ うなもので あるといい,教 育費 の 無償 は,授 業 料金廃 にとどまらず ,労 働者の生活全般の根本的改善 によらねば ならぬこ と,そ して ,富 家 による 貧家 の児童 にた いする差別意識 をうみだす社会的関係 にまで論 をすすめて いる。 さらに明治30年 12月 片 山潜 らによって倉J刊 された「 労働世界」 は,わ が国 における最初 の労働運 の 動 機関紙で あるが,当 初 の改良主義的,労 働協調的傾 向か ら急速 に脱 し,社 会主義 的主張 が,は っきりして くるよ うになる。 わが国 の歴史 の上で,労 働者階級の立場 からは じめて「教育 を うける )「 権利」 をあ きらかに したのは,こ の「労働世界」 で あったといわれる 労働世界」 第 9号 (1898 『 -明 治31・ 4。 1)は ,そ の社説「富者 の教育上 の圧制」 において,労 働者 階級 の教育批判 と教育 要求 を展 開 し,教 育を「社会的」 「 普及的」 なものであ り,社 会の「公有物」 と し,人 間は自然的人 権として「教育をうぐべ き権利」があり, しかもそれは「無価」にて行なわれるべ きであるとする 考 えを示 して い るが,当 時 としてはす ぐれた思想で あったといえる。 またわが国は じめての社会主義 政党「社会民主党」 は,(安 部磯雄 ,片 山潜 ,幸 徳秋 水 ,本 下尚江 らによって,明 治34年 に倉」 立 されたもので あるが,そ の党の進むべ き理想 として 8項 目を「宣言」 としてかかげ,そ の中で 「人 民 を して平等 に教育 を受 け しむる為 に,国 家 は全 く教育の費用 を負担 すべ きこと」 とぃ う理想 にむけて,当 面,「 高等小学 まで を義務教育年限 とし,月 謝 を全廃 し,公 費 を以て教科書 を供給す ること」 ,「 学齢児童 を労THllに 従事 せ しむることを禁ず ること」 を実現 してい こ うと した。 そ して宣言 が,教 育 をうける権利 としての平 等 の要請 が,労 働者の権 利 の確立 との関 連 において主張 されて い るのは社会主義政党 の綱領 として当然のこととして も,「 教育 を人生活動 の 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号 55 泉源」 とし「 人 々 をして平等 に教育 を受 くるの特権 を得 せ しめ ざるべ か らず」 として いる点は注 目 に値 い しよ う。 その他 ,安 部職雄 は,「 国家 は其の経済 の許す限 り無代価 にて人民 に教育 を施す覚悟 なかるべ か ら 「 教育 を受 くべ き権利」 の あること ず」 とのべ,久 津見蕨村 は,子 どもには「親 に育て られる権 利」 を説 きμ幸徳秋 水 は,「 社会主義神髄」 (1903=明 治36年 )に おいて,「 学校 の設 くる多 くして,人 は 教育 を受 くるの 自由 を有 せ ざる」現状 を批判 して,親 が子 にたいす ると同様 に,社 会は,人 間の生 存 の条件 としての食・衣・住 と教育の保障 をす るとい うもっとも緊急 な問題 か ら費用 を支出 して い かねば ならない と論 じ,教 育 の無料化 を主張 した。 かくの如 く「教育 を うける権利」 の思想は明治維新当時すで に自由民権思想の中にみ られ,つ づ いて社会主義運動 との関連 にお いて,労 働者 の権利 の確立 ,生 存 の要求 と一体 となって主張 せ られ たので あったが,富 国強兵政策 を強力 に進めることとなった,明 治政府 は社会主義運動や左翼思想 の弾圧 に乗 り出 し,「 治安警察法」 を制定 して社会主義思想 の浸透や活動 の発展 を阻止 し,教 育 にお いても,上 か らの国家主義教育 を強行す るこ とになり,昭 和年代 に入 って,政 府 の権 力的思想弾圧 は強化せ られ,治 安維持法 を制定 して左翼思想や社会主義運動 を押 える法的措置 が整備 されてゆ く にしたがい,せ っか く芽ばえた人間の権利 としての「教育 を うける権利」 の思想はその後 みの るこ となく,枯 れて しま うことに なるので ある。 か くして戦前 の教育は満州事変 か ら支那事変 ・ 第二 次 大戦 と戦争 の拡大 につれ,人 間の権利 として とは全 く逆 の「臣民 の義務」 として,軍 国主義・ 国家 主義 の思想の下 に,天皇 ・国家 に対す る忠 誠 をつ くす教育 が展 開せ られた ので ある。 (三 )学 習 権 と 自 然 法 教育 を うけ る権 利 は,生 来 的権 利 ・基 本 的人権 (fundamental human rights,Menchenrechte, drois du citoyen)の 一 つ と して ,近 代憲法 の 中 に規 定 せ られ るに至 って い るが,こ の 基 本 的 人 権 の思 想 的根 拠 となったの は 自然 法 にも とづ く自然権 の思 想 で ある。 したが って教育 を うけ る権 利 の性格 を正確 に把 握 す る為 には ,そ の思 想 的基盤 と しての 自然法 。自然権 の思 想 をみ て お く必要 が あろ う。 自然法 の観 念 は ,ま こ とに多義 的で漠 然 と した もので ,ひ と し く自然法 とい う言葉 で 表現 され な が らも, きわめて異 なった種 々雑 多 な意味 に解 されて きた。時代 的 には ,古 代 自然法 ,中 世 的 自然 法 ,近 代 的 自然 法 ,内 容 的 には,ス トア的 自然法 ,ロ ーマ 法 的 自然法 ,ク リス ト教 的 ス コ ラ的 自然 法 ,啓 蒙 的 自然法 ,ゲ ゼ ル シ ャ フ ト的 自然法 ,ゲ マ イ ンシ ャ フ ト的 自然 法 , さ らには プ ロ レ タ リア 的 自然法 さえ指 て きされて い る。 その原 因 の一 つ は,「 自然」 の観 念 その ものの 多義性 に あ る。 自然 が精 神 に対比 され る と き,自 然法 は精神 と関係 な く,精 神 をもたぬ 動物 を も支配す る法 と解 され 歴 史 に対比 され る と きには,歴 史 的 に変化 す る こ との な い永久 不変 の法 と され,社 会 に対 比 され る , と きには,社 会以前 の 自然状 態 に妥 当す る法 とされ,人 為 に対 比 され る と きには,人 定法 で な い客 観 的 な法 と され,ま た人 間的 な もの の全 体 に対 比 され る と きには,神 法 と解 せ られ る。他 方 にお い て ,自 然 は事物 の基準 ,本 質 を意味 す るもの と解 せ られ,そ こか ら自然法 の宇宙 の法理 ,一 切 の人 間社会 を永遠 不 変 に律 す る秩序 の法 あ る い は理 念 の法 と しての 自然法 の観 念 も生 まれて くる。 例 えば,「 自然法 は人 間 そ の もの に適 用 され る法 で あ る。 実定法 も人 間 に適 用 され る法で は あ るが 「 自然法 はす べ ての時代 及 び 国 民 にお 人 間一 般 に対 してで は な く,特 定 国 家 の公 民 に適 用 せ られ る」 , 細川 哲 :学 習権 と教育 内容 いて,各 人の基礎 をなす 人 間 の一 般概 念 に出来 す る法 で あ るか ら, この原則 はす べ ての時 代 及 び国 民 に適 用 され るf)と した り,「 我 々 は 自然法 をもって,正 義 の理 念 を内容 と した と こ ろの超 実定法 的 な法律 で あって ,理 念 は時空 的現 実 の 彼方 に妥 当す る ところの価値 で あ る とい う意味 にお い て永 久 )又 不変の普 遍 妥 当性 を持 った法 律 で あ る と解 す べ きで あ るザ は,「 名 は法 で あ るが実 は法 を超 越 す る 何 らかの価値 理 念 で あ るご ]と い うの も これ を意味 す るもの と思 われ る。 ところで ,自 然 法 はそれ 自体 他 の領域 において は考 え られ な い幾 多の特色 を有 す る もので あるが , その 中 で特 に重要 な るもの と しては ,第 一 にその普遍 妥 当性 が 考 え られ る。 実 定法 は時 間 と空 間の 制約 におかれ るの に対 して , 自然 法 は,名 は法 で あって も,実 は法 を超越 す る何 らかの普遍 的 な価 値 理念 で あ る とい われて い るが ,何 が普遍 的 な価値 理念 で あ るかは各時 代 の思 想 によって一様 で は な い。例 えば ,古 代 の 自然法 は プ ラ トンや ア リス トテ レス によ って代 表 され る最 も道徳 的色 彩 の 強 い もので あった。 ギ リシ ャの哲 学者 が 自然理法 と呼 び,プ ラ トンや ア リス トテ レスが正 義 と名づ け た もの は実 は ,最 高 の道徳 原理 にほ か な らなかった。 中世 で は,法 の基礎 に道徳 を考 えて い るが 道徳 の根 本 は神 の 意思 に あ りと した宗 教 的 な自然法 が ア ウグ ス テ ィヌス (Aurelius Augustinus, 354-430)や トーマ ス・ ア ク ィナ ス (Thomas Aquinas,1225-1274)等 に よ って とな え られ た。 , この よ うに,自 然 法 は,古 来 多 くは他 の法 則 と融合 して 説 明 されて いた が,近 世初期 の 自然 法論 者 は純 然 た る法 の立 場 か ら,自 由 人の 自由社 会 の秩序 を自然法 と考 え,こ れ を圧 迫 す る専制主義 の 実 定法秩序 を変革 しよ うと した点 で ,政 治的色 彩 をおびて い る。 社会生活 にお け る各領域 は,孤 立 的 で な く,結 局 は人 間 によ って統 一 され るので あ るか ら当然 そ こ には共通 の普遍 的 な原理 が求 め られ る。 しか し一 面 にお いて ,自 然 法 が法 で あ る以上 ,強 制 力 を欠 い て も,正 義観 念 を基礎 とす るもの で ある以上 ,そ れ 自体 独 自の領 域 を有 す るもので あ り,ま た ,同 時 に この 正 義観念 は,直 接 に表 現 され る と否 とにかか わ らず ,理 性 を有 す る人 間 に とって は 自明の理 で あ る。 そ して それ は,人 間 の 本性 自体 の要 求 で あ るか ら,時 代 と場 所 ,人 種 を こ えて 妥 当 し,人 間性 が変 らな い限 り万 古 不 変で あ ると され る。 第 二 は ,実 定法 と異 なって ,そ れ が国家 によって保障 され た もので は な く,法 の価値理 念 と して は,時 と所 を こ えて 妥 当性 を有 す るが,そ れ 自身強制 力 もな く,従 って また それ 自身 と しての実効 性 は も ちろん な い。 これ に対 して実 定法 とは,イ エ リネ ッ クが,「 す べ ての法 には効 力 が必要 な標 準 になって い る。法 規 が有効 な場 合 にの み法秩序 の構 成要 素 とな る。 すで に無 効 に なった法 や まだ一 度 も適 用 され な い法 は,真 の意味 の法 で は な い。……・従 って法 の 実定性 (die Posin tat des Rechtes)は 結 局 は その効 力 に対 す る確信 に存 す る」」と い って ぃ るよ うに,国 家 によ り制 定 ,承 認 せ られ ,そ の効 力 を保 障 された法 で あって ,こ の 点 自然法 とその性格 を異 にす るもので あ る。 第二 は,上 に述 べ た よ うに自然法 は普遍 妥 当性 を有 す るが ,そ の効 力 は保 障 されて い な い。 これ に対 して実定法 は,効 力 は有 す るが普遍 妥 当性 を有 しな い。従 って 両者 は お互 い に相 容 れ な い二 律 背 反 の立 場 にあ るよ うに考 え られ る。 しか し両者 は ともに法 と しての規範 で あ る以上 ,何 ん らかの 関係 を有 して い るこ とは歴史 の示 す ところで あ る。 ところで ,両 者 の 関係 で考 え られ る重要 な る点 は,自 然法 は ,既 存 の ,国 家 における実 定法 的秩 序 に対 して ,絶 えず 新 しい社 会 的要 求 に応 じ,批 判 的原理 及 び指導原 理 と して主 張 され援 用 され る 現存 す る実定 法 と対立 し自己の人 間的発展 の ため新 しい社 会 的政治 的諸制 度 及 び,こ れ に伴 う法 体 , 系 を必要 とす ると きは常 に批判 原理 及 び指導原理 と しての作 用 を発揮 しうべ きもので あ り, また こ の こ とは ,新 しい社 会 的要 求 が激 化 す ればす る程 よ り多 く,強 く主張 ,採 用 され るもので あ る こ と 鳥取大学教育学部研究報告 人文 ・社会科学 第27巻 第 1号 57 は,「 自然 法 は・… …それ よ りももっ と しば しば現存 の法 に急 進 的 な改 革 を施 そ うとす る革命 的 な改革 の 目的 に役立 ったので あ る」 と い うグ ル ヴ ィ ッチの言葉 によって も明 らかで あ る。 と こ ろで ,自 然法 が一 度 び実 定法 化 され る と過去 の 古 い実 定法 に対 して は勿 論 , と きには新 しい 社 会的要求 に対 して も自己 を擁 護 す るため ,或 は 自己を権威 づ けるため の理 論 と して主 張 され る こ ともあ り うるが, と くに,重 要 な点 は ,絶 えず新 しい社 会的要求 が同 じ理 論 に よって主張 され る と ともに その実定法 化 を求 めてや まな い とい う必然 的 な現 象で ある。 この よ うに自然法 とは,人 の 社 会生 活 に関す る当然 の道理 と して人の 行動 を規律 す る永 久 的 ,普 遍 的 な法則 ,な い しは規 範 で あって ,歴 史 的制度 に対 して理 想 的意義 をも ち, しば しば実 定法 の理 念 的法 源 な い しは批判 の 基準 と考 え られて きた抽 象 的 な観 念 で あ る。 しか し,何 が永久 的 ,普 遍 的 な法則 で あ り規範 で あ るかは歴 史 的 にみ て必ず しも一様 で は な い。 自然法 はつ ね に,あ る特 定 の時 代 に,特 定 の 社 会 的 ,経 済 的構 造 の上 に,特 定 の 社 会 的 ,階 級 的利害 ,要 求 を反映 し,そ れ を実現 確立 す る理 論 と して主 張 され たので あ る。 した が って現存 の 実定法秩序 が ,根 本 的 に肯定 され,何 らの不都 合 も しめ さない と きには,自 然法 は主 張 され る必要 は な いの で あ って ,現 実 の 否定 にた っ て ,自 己及 び 自己 と同 一 階級 の 人 間 的階級 的発展 の ため新 しい,あ るべ き社 会構 造 ・ 政 治制度 ・ 法 体 系 を必要 とす る と き, この 実 定 法秩 序 を批判 す る原 理 と して 自然法 の観 念 が 支配 的 とな るので あ る。 つ ま り,い い か えれ ば 自然 法 の観 念 は あ るもの に対 す るあるべ きもの ,理 想 ,理 念 で あ る。 自然権 とは,各 人 が生 まれ な が らに固有 す る権 利 ,即 ち,実 定的 諸権 利 に対 して 自然 法 によって 認 め られ る権 利 で あ って ,古 くか ら,自 然 法 の一 部 と して考 え られ た が,普 通 には近 世初 期 の 社 会 契約 説 で人 間 が社 会状 態 に入 る前 の 自然 状 態 にお いて もつ 自由平 等 の権 利 で ,天 賦 の もので あ り , た とえ,そ れ が,発 現 す る方 面 に よって生 命 ,身 体 ,自 由 ,財 産 な どの幾 つ かの型 に分 け られ る こ とが あって も,人 間 の 出生 ,生 存 に ともなって そ なわ る当然 の単 一 不 可 分 の 人権 で あ る。 ホ ッブ ス は,「 自然権 とは各 人 が その 本性 を維 持 す るた め に,自 らの 力 を欲す るま ま行 使 す る自由 を い う。 」と し,ロ ックは,「 それ は 自然 法 の 範 囲 内 において他 人 の許 可 を乞 うた り,そ の 意 思 に服従 す る こ とな く,自 分 が適 当 と思 う通 りに行 動 し,そ の 財産 及 び身体 を処理 しうる完 全 に 自由 な状 態 で あ る。 そ れ は また平 等 な状 態 で あ り,そ こで はす べ ての権 力 と裁 半J権 は相 互 的で あ り,何 人 も他 人 よ り多 く の もの を持 つ こ とは な い。 …… 。 人 々 は互 い に月R従 させ られた り従 属 させ られ た りす る こ とな く平 等 で なけれ ば な らな い1」 と して ,自 由平 等 の 自然権 を主張 して い る。 そ して具 体 的 には生 命 ,自 由 , 財 産 (L ife,Liberty and Estate)を 保 持 す る権 利 と,自 然法違 反者 を処 罰 す る権 利 で あ る とす る。 ル ソーの い う自然権 もまた 自由平 等 の思 想 が 中核 で あ る。要 す るに自然権 その もの は あ るべ き 社 会 ,理 想 ,理 念 と して の 自然法 を具 体 化 す るための 当然 の主 張 で あ り, 自然法 とともに,つ ね に あ る特定 の時 代 に,特 定 の 社 会 的 ,経 済 的構 造 の上 に,特 定 の 社 会 的 ,階 級 的利害 ,要 求 を反 映 し , それ を実現確 立 す る論理 と して特 定 の作 用 をなす もので あったので あ る。 か く して教 育 を うけるこ とは人 間の 当然 の生 来 的 自然 的権 利 として とらえる「 教 育 を うけ る権 利」 の思 想 と,そ の実 定法 化 は,そ こに 自然法 ・ 自然権 の思 想 を背景 に した もの と い うこ とが出来 る。 と こ ろで教 育 とは,人 格 の完 成 をめ ざす もので あ り,そ の 出発 点 を「現 実 と しての人格」(Sein) にお きそのFll達 点 を「 理 想 と しての人格 」 (Sollen)に お くもの で あ る。何 が理 想 と して の 人格 で あ るかは それ を判 断す る人 々の立 場 によ り,又 は各 時代 によって必 ず しも一様 で は な い。例 えば プ ラ トンは青 年時 代 につ ぶ さに国 政 の索 乱 と利 己主 義 の 横行 を体験 す る こ とによって ,彼 の生 涯 の 関心 は善美 な る国家 生 活 の原理 と方法 とを探 求 す るこ とに向 け られ ,そ こに「 理 想国家」 とその構 , 細川 哲 :学 習権 と教育内容 成者 としての二つの階級 を想定 し,そ れぞれに応 じた「理想的人格」 を考 え, さらにア リス トテ レ スは国家生活 における有徳 な人間その ものを, トマジウスは人間の幸福 なる共同社会 の構成者 とし て,誠 実 ,適 宜性 ,正 義 の三原則 を身 につ けた人間をもって「理想的人格」 としてかかげた。 一 方 わが国 の上世 においては公家 が宮廷 生活者 として容姿端麗で ある こ と,服 装 につ いては,公 家 として品位 を示す こと, さらには,才 として学問と芸能 を身 につ けることを要求 されて いた。 こ のよ うな教養 をもった人間が「 あるべ き姿」 として描 かれた。 中世で は,武 士 を中心 とした時代で あるので ,先 ず武士 の求 めたものは,武 士の姿 として,威 厳 をもった猛 々 しさで あった。 そ してまた,武 士はその立場上 ,武 術 にす ぐれた腕 をもつ ことが必要 で あったので この訓練 のため 多 くの工夫 を重ね た。つ まり,こ のよ うな社会では高 い武技 をもっ た 人 々は常 に立派 な教養 を身につ けた人間 として,い いかえればこの時代 における人間の「 あるべ き 姿」 として考 えられて いた。 近世 においては,新 興市民階級 として町人がた い頭 し,営 利を こととし,取 引 を研究 し,そ れに よって,自 己の経済的発展 のみ に努 めていた。 したがって,こ のよ うな時代 にあっては,読 み書 き 算盤 を基礎的知識 として身につ け営利 にさとい人間をもって「 あるべ き姿」 ,「 理想的人格」 とし て とらえた。 明治時代 になるやわが国 は,近 代国家 をめ ざして,急 激 なる社会変革が生 じ,こ れに伴 って教育 上の人間像 にも大 きな変化が生 じた。 とくに天皇絶対主義の確立 と,そ の永続化 のため,教 育勅 語 が澳発 されて以来それを貫 く「忠君愛国」 の思 想 をもって教育 の本源 とされて きた。 敗戦後新 しい憲 法 が制 定 され,教 育 もまた根本的 に改革 されるにいた った。 その結果新 たに教育 基本法 が常1定 され我 が国教育 の進 むべ き方向が明 らかにされた。それによると,従 来 の非 民主的 , 軍国主義的国家 とその教育 にかわって,新 しく民主的で文化的な, したがって平和的 な国家社会 を 建設す ることをもって理想 とし,(前 文第一段 )「 真理 と正義 を愛 し,個 人 の価値 をたっとび,動 労 と責任 を重ん じ,自 主的精神 に充 ちた心身 ともに健康 な国民」(第 一条 ,を 「理想的人格」 として把 握 した。 そ こで ,「 教育」 とは,そ れ ぞれの理想 とす る国家社会 の形成者 として,そ れ にふ さわ しい 人格 を有す る人 々の育成す る作用 (Aufheben)で あ る と い うこ とになる。 したがって,自 然法 も教育 も, ともにあるべ きもの,つ まりは理想主義的 なもので あるので ,必 ず しも否定 さるべ き社会の現実的な要 求 にとらわれない もので ある。特 に教育 が人間形成 の理 想 を ふ くむもので あるとい う点 につ いては,社 会本位 の教育 を主張 したデュルケム (Durkheim,1858 -1917)自 身で さえも,「 教育は,個 人 を本性 にしたがって発達 させ,出 現 の機会 を うかがって い る潜在的能 力を開発す るだけにとどまらない。教育は,人 間の うち新 しい人間 を倉J造 す るので ある。 しかも,こ の人 間はわれわれにとって最良 の ものすなわち生命 に価値 と尊厳 とを与 えるもの によっ てつ くられる。 い うまで もな く,こ の倉J造 力 こそ人間の教育 のもつ特権で ある倒 として,結 論 とし て教育は理想 として社会の現実 を超 えるもの として い る。 しか し,教 育はもちろんの こ と,自 然法 自体 もあるべ き一つの理 想 ,理 念 として現実 を超 えるも ので あると同時 に,そ れ らの本質上 ,そ の体制 に応 じなが ら,こ れと対立 し,矛 盾 す るもので ある ことは歴史の示す ところで ある。 したがって,現 実が厳 しければ厳 しいほ ど,そ れ に反比例 して両 者 はよ り理想的になるもので , ともにユー トピア的な性格 を有するもので もある。 したがって,教 育, なかんず く近代教育は, 自然法的,普 遍 的性格 をその主要 な特色 として いるとい うよ り,む し llllの ろ両者 は本質的にはその性格 を同 じくす るもので あるとい うことがで きる ではなかろ うか。教 鳥取 大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第27巻 第 1号 59 育 が人 間のあるべ き姿 と して客観 的普遍 的理想 を求 める限 りは,自 然法の性格 と一致 し教育 を受 け る権利は自然法の理念で あ り,自 然権 として強固 な根拠 を有す るのであるので ある。 か くの如 く,自 然法は教育 とともに,あ るべ き理想 ,理 念 としての性格 を有す るもので あるが , それはまた同時 に重要 なる三つの機能 を有 して い るもの と考 え られる。 その一つは リッチー も指 て きしたよ うに,自 然法は,既 存の国家秩序 ,法 秩序 に対 して批判的機能 を有す る。第二 に近 代憲法 を成文法た らしめた定型的機能 とで もい うべ きもの,第 二 に新 しい社会的要求 に対 して指導的機能 を有す る。そ して これ らの三つの機能 は合 して,社 会 の改革 をもた らし,基 本的人権 を実定法化す るにいた るものである。す なわち,人 は人間的 自然的要求 の 実現 を妨 げて いる一切 の諸制度 を改廃 しよ うと欲す るとき,そ こに,新 た な人間的要求 を基礎 づ けるための理論 が要求 される。 そ うして , 自己の人間的欲求 を正当化す るための理論は,現 存す る秩序 ,制 度 が強固 なものであればある程 そ の権威 の あるものが要 求 される こ とは当然である。 そ こで それにこたえたのが「 自明 の真理」 (We hold these truths to be selfe dent)と して怪 しまれなかった自然法 ,自 然権 の理 論で あった。 したがって,こ の点よ りすれば,自 然法 とこれにもとず く自然権 の理 論は,社 会改革 の指導理念 と しての面 をも有す るこ とになる。 か くして自然法 ,自 然権の理論は,近 代社会 の中 にあって,そ の 憲法 を成文化た らしめ,従 来 の ともすれば道徳的,政 治的要求 にす ぎなかった,人 間的要求 を実定 法化す ることによ リー応 不動的 なもの として確立す るにいたったので あ り,教 育 を うける権利 も自 然法 ,自 然権 の思想 を背景 に人間が人間 として当然 にもっているとされる固有 の,そ して不可譲 な 自然的生来的本質的権利 として近代憲法の中 に明記 されるに至ったもので ある。 か くして西欧 における「教 育 を うける権利」 の保障 の歴史 をふ まえ,教 育 と自然法 ・ 自然権 の一 体性 を考 え合 せ るとき,現 在 の通説 として教育 をうける権利 の内容 を「教育 の機会均等」 と「 公教 育 の無償」 と してだけ把握す るのは極 めて不充分 な理解 とい わなければならない。すなわち「教育 をうける権利」 の内容 はかかる外部的経済的教育条件 の整備 にとどまらず ,そ の教育 の内容 が人 間 が 人間 として人間 らしく,よ り幸 に生 きる為 の普遍 的客観的理想的なもので あり,普 遍 的真理 に さ さえ られたもので な くてはならないこ とになり,か かる教育 を主体的 に積極的 に要 求 し学 習す る能 動的 な権 利 として把握 さるべ きで あ り, この よ うな立場 か ら,筆 者 は「学習権」 とい う概念 を使用 するもので ある。 (四 )諸 外 国 憲 法 に お け る学 習 権 学習権 の性格 を考 える前 に,近 代主要国 の憲法 が「教育 を受 ける権利」 をどの様 に規定 して い る か を先ず見 ることにす る。 ソヴ イエ ト憲 法第 121条 の規定 は さきに記 したところで あるが,ブ ルガ リヤ憲法第79条 第 1項 は 「市民は教育 を受 ける権利 を有す る」 と定め,北 鮮憲 法第18条 第 1項 は,「 公民は教育 を受 ける権 利 を有す る」 と規定 し,東 独憲 法第35条 は「 いずれの市民 も,教 育 を受 け,且 つ 自己の職業 を自由 に 選択す る平等の権利 を有する。青少年の教育並 びに国民 の精神的及び専門的 な更に進 んだ教育 は 国家的及び社会生活 のすべ ての領域 にわた り,公 の施設 によって確保 される。 」とし,ユ ー ゴス ラヴ , ィア憲法 も第38条 第 1項 で「学校及びその他の教育及び文化施設へ の入 学 を全人民層 に保障す る」 と規定す る。 中華人民共和国憲法第94条 は,「 中華人民共和国 の公民は,教 育 を受 ける権 利 を有す る。 国家は,各 種の学校 その他 の文化教育機関 を設 け,逐 次拡大 して,公 民 の この権利 の享有 を保障 す 細川 哲 :学 習権 と教育内容 る。国家 は, とくに,青 年 の体 力及び智 力の発達 に関心 を有す る。 」と規定 して いる。 これ等 の社会 主義国家や人民民主主義国家 の憲 法 に対 して,中 華民国憲 法第21条 は,「 人民は国民教育 を受 ける権 利 と義務 を有す る」 とし,韓 国憲法第16条 もこれに類似 した規定 を設 けて いるが イタリヤ共和国憲 法第34条 第 1項 は「学校 は,す べ ての者 に解放 される。 」として いる。世界人権宣言 も, このよ うな 教育 に対す る世界の情勢 を背景 としなが らその第26条 第 1項 にお いて「各人は,教 育 を受 ける権利 を有す る。 」と規定 した。 このほか国家 の側 か ら国民 の教育 に関 して配慮 をなすべ きもの と しては , ワイマー ル憲法第 143条 第 1項 の「少年 を教育す る為 に公の営造物 を設置す ることを要す。 その設 備 に付 ては国 ,各 邦 ,公 共団体之 に協 力する。教員 の養成 に関す る規定は一般高等教育 に適用 せ ら るる原則 に従 い全国 を通 じて統 一 的 に之 を定む」 とす る規定や西 ドイツ憲 法第 7条 第 1項 の「すべ ての学校制度 (Schulwesen)は 国家 の監督 を受 ける」等 の規定 にこれ を見 いだす ことがで きる。 これに対 してイギ リスでは周知の ご とく不成文憲法 の国 で あるので これにつ いての,直 接 の規定 は な く,ア メ リカ合衆国憲 法 もその「原憲法第 5条 に基 き,連 邦議会 によ り発議 され,各 州 の州議会 で批准 され た,ア メ リカ合衆国憲法の増補及び改正箇条」 第10条 「憲法 によって合衆国 に委任 され 」と ず,且 つ憲法 によって州 に対 して禁止 されて い ない諸権限は,夫 々各州及び国民 に留保 される。 い ういわゆ る「留保権 限」 (Reserved Powers)に よって教 育 を各州 の権 限 に委ねているので , 直接 の規定 を設 けては い ない。 ところで以上述 べ た,代 表的国家 の「教育 を受 ける権利」 及び これに関連 した者千の規定 を検討 すればほぼ次の ことが言 えるで あろ う。すなわち,社 会主義国家,人 民民主主義国家 における憲 法 は,「 教育 を受 ける権 利」 を具体的 に保障す るため,例 えば,ソ ヴ ィエ ト憲 法第 122条 第 2項 ,東 独 憲法第35条 第 2項 の ご とく,ま たは,ブ ル ガリヤ憲法第79条 第 2項 ∼ 第 4項 ,北 鮮憲法第18条 第 2 項 ∼ 第 4項 ,東 独憲法第36条 ∼ 第39条 等 のごと く義務教育 ,奨 学金 ,教 育施設 の充実 ,公 民教育等 に関 して詳細 なる規定 を設 けるとともに,ブ ルガ リヤ憲法第79条 第 1項 にお いて「教育は神聖で あ り,民 主主義的且 つ 進歩的な精神 に貫 かれたもので ある」 と し,或 はまた東独憲法第37条 第 1項 の 「学校 は青少年 を憲法 の精神 によって訓育 し」 とい うごと く,国 家 の性 質上社会主義政治 の体制 の 確立 を目ざす意味 において,憲 法制度 の精神 に反する方向にお いてその権利 を行使す ることは許 さ れない とい う規定 を設 けて い る こ とで ある。資本主義国家の憲法で は「共和国 は競争試験 によって 付与 されねばな らない奨学資金 ,家 族 に対す る手当その他の配慮 によって,前 項 の権利を実効 あら しめる」 とい うイ タリヤ共和国憲法第33条 第 3項 やワイマール憲法第48条 の第 1項 「各学校 に於 て は ドイツ国民性及び国際的協調 の精 神 を以て道徳 的修養 ,公 民 としての思想 ,人 格及び専門的才能 の完 成 を努むべ し。 」とい う規定 の中 にブ ルガリヤ憲法第79条 第 1項 や東独憲法第37条 第 1項 とほぼ 同様 の傾 向 を認 め ることがで きるので あるが,こ れ らの憲法 の規定は, ともに,資 本主義 と社会主 義 との妥協 によって生み出 された改良主義的 な国家 の性格 による もので あるといえよ う, したがっ てこの傾 向は資本主義的色彩の強 い 日本国憲法 をは じめとす る中華民国憲法や,韓 国憲法等で は と うてい見 い出す ことので きない規定で ある。 しか し,い ずれに しても,社 会主義国家や,人 民民主 主義国家の憲法 に比 してその規定 が具体性 と明確 さを欠 くこ とは,否 定出来 ない。 さらに教育 を うける権利保障 の内容 としての「教育の機会均等」 を各国憲法 の主 な規定でみ ると ワイマー ル憲法第 146条 第 3項 は「資産 の乏 しい者 を中等学校および高等学校 に進 学 させ るために 国,邦 および公共団体は公共 の手段 を施 し,殊 に中等学校 および高等学校 の教育 をうけるに適 して , , いる と認 め られる児童 の両親 に対 し,そ の教育 を終 るまで学 資を補助す る。 」と し,イ タリヤ共和国 鳥取大学教育学部研究報告 人文 ・社会科学 第27巻 第 1号 61 憲 法 第34条 第 3項 は「 才能 に恵 まれ た優 秀 な生徒 は,た とえ生 計 の手段 を有 しな い場 合 で も,最 高 度 の勉 学 の段 階 に達 す る権 利 を有 す る。」と し,そ の 第 4項 で は,奨 学 資金制 度 ,家 族 手 当制度 その 他 の措 置 によ りこの権 利 を実効 的 な もの とす る。 これ らは,競 争試験 に よ り与 え られ な けれ ば な ら な い。」と規定 し, 日本憲 法 も第26条 第 1項 で「 す べ て国 民 は,法 律 の 定 め る と こ ろ によ り,そ の能 力 に応 じて ,ひ と し く教 育 を受 け る権 利 を有 す る。 」と し,こ れ に もとづ いて ,別 に教 育基 本法 を設 けその第 3条 で「 す べ て 国 民 は ,ひ と しく,そ の能 力 に応 ず る教 育 を受 け る機 会 を与 え られ な けれ ば な らな い もので あって ,人 種 ,信 条 ,性 別 ,社 会 的身分 ,経 済 的地位 また は門地 によって教 育上 差 別 され な い。 」と して い る。 ソ ヴ ィエ ト憲 法 第 121条 第 2項 は「 この権 利 は一般 的義務 的初 等教育 , 7年 制 教 育 の無 料制 ,高 等 学校 にお け る優 秀 な る学 生 の国家的給 費 の制 度 ,学 校 にお け る母 語 によ る授 業並 び に工場 ,ソ フ ォーズ ,機 械 , トラ ク ター配給所 および コル ホ ー ズ に lo・ け る勤 労者 の 無 料 の生産 ,技 術 および農業 教 育 によ って保 障 せ られ る。 」と し,ブ ル ガ リヤ憲 法 は第79条 第 4項 で「 教 育 を受 け る権 利 は学校 ,学 習場 =教 育研究 所 ,大 学 ,並 び に奨学金 ,学 生 の た めの寄 宿舎 ,秀 才 の ための援 助 お よび特 別 な奨励 に よって保 障 せ られ る。 」と し,東 独憲 法 第39条 は「 いず れの 児童 にも , その 肉体 的 ,精 神 的及 び道徳 的能 力 を全面 的発展 させ る可能性 を与 え な けれ ば な らな い。 青少 年 の 教 育過程 は,両 親 の 家 の 社 会 的地位 及 び経済 的状 態 によって左右 されて は な らな い。社 会 的 関係 に よって不利 な立場 にい る児童 た ちに は,む しろ特別 な配慮 を与 えなけれ ば な らな い。専 門学校 ,高 等学校 及 び大 学 へ の通 学 は,人 民 の す べ て の層 の 才能 あ る者 に対 して可能 に され な けれ ば な らな い。 …… 専 門学校 ,高 等学校 及 び大 学 へ の通 学 は,必 要 あ る場 合 には,生 計補 助 及 び その他 の措 置 によ って支持 され る。 」と規 定 して い る。 この 教 育 の機会均 等 とは,そ の者 の属 す る階級 や ,父 兄 の経済 的社会 的地位 等 によって教 育 を受 け る機 会 に差 別 をつ け られ ぬ こ とを意味 す る。教 育 は,民 主主義国 家 に とって は きわめて重要 な こ とが らで あるがそれ にもま して ,現 今 で は生存権 の立 場 か ら把握 されて い るので ,国 民 に とって は きわめて緊 要 な事柄 で あ る とい わ な けれ ば な らな い。 したがって ,そ れ は国 民 が「 ひ と し く」 教 育 を受 ける こと を意味 す る。 ひ と し くは お よそ,そ の 国 の国 民 た る者 は「 す べ て」 平 等 に と い うこ と で あ る。 また「 ひ と し く」 とい うこ とは ,「 ひ と しき教 育」 す なわ ち画 一 的 な教 育 を い うの で は な い。 能 力 と個 性 に応 じた教 育 を,平 均 平 等 的 にで は な く,配 分平 等 的 に うけ る と い うこ とで あ る。 この教 育 を うけ る権 利 につ い て は ,ワ イマ ール憲 法 が「 中等学校 お よび高 等学 校 の 教 育 を うけ る に適 して い る と認 め られ る児童 は」 と し, 日本 国憲 法 が「 その能 力 に応 じて」 と規 定 し,東 独憲 法 の「 人民 の す べ ての層 の 才能 あ る者 に対 し」 と規 定 す るごと く,能 力 によ る差 別 を認 めて い る。能 力 (ability,Fよ higkeit,Eignung,capacitO,habiletO)と は,一 定 の条 件 下 で な し うる反応 の可 能性 で あ ると解 されて い るが, と きには,知 能 (intelligence,Intelligenz)と 同意 義 に用 い られ る こ ともある。 こ こで い う「 能 力」 とは,教 育 を受 け るに足 る能 力す なわ ち教 育 を受 け る に足 る精 神能 力 と身体 的能 力 とを意味 す るもので あ る とい えよ う。 ところで ,通 説 は, この「 能 力」 を固定 的 な もの と して と らえ,教 育 を受 け るに足 る「 能 力」 を「知識 ・ 技術 の修 得 能 力」 と解 して い る。 した が って ,教 育 を受 け る権 利 は,そ の現 在的能 力 の如 何 によって ,受 くべ き教 育 の 内容 も程 度 も か は おの ず か ら異 なって くるもの が なけれ ば な らな い とい う理 論 も,考 え られ な いで は な い。 けれ ど も,人 間 の能 力は先天 的素 質 を全 く除 外 して考 える こ とはで きない に して も,そ れ らの ほ か,環 境 や生活 条件 等 ,い わゆ る後 天 的 な要 素 が複 雑 な関係 を保 ちなが ら,年 令 と とも に順 次発達 す る もの で あ る。 した が って ,人 間 の能 力 は必ず しも固定 的 な もので は な く,組 織 的 計画 的 な方 法 で それ を 細川 哲 :学 習権 と教育内容 発 見 し,教 育 的配慮 の ある環 境 によ って それ を引 き伸 ばす こ とも可能 で あ る。 この よ うな計画 的 , 組織 的 な行為 が教 育で あ る。 も とも と教 育 (Education)と い う言葉 がひ き出 す (Educare)と い う語源 に も とづ くもの で あ るとい うこ とは ,こ の 意味 において理 解 す る こ とがで きる。 され ば こ そ,民 主主義 教育 の 諸原則 にかん す る憲 章 は「 学校 は,児 童 ,青 少年 の能 力 を確 認 す る こ とだ け に とどまって は な らな い。教 育 の 期 間中 ,男 女 青少年各 人の能 力 を発展 させ るもので な けれ ば な らな い。 」と規 定 した。 した が って ,現 在的能 力 を基準 と して教育 を受 け る権 利 を制 限 す るので は な く「 能 力」 に応 じた教 育 を うけ る「 権 利」 は発展 可能 な「学 習能 力」 に適 した教 育 を うけ る権 利 と解 す べ きで あろ う。勿論 ,「 能 力 に応 じ」 を「親 の経済 的能 力 に応 じ」 と解 す る こ との不 当 なの は い うま で もな い。 さ らに教 育 の機 会均 等 を保障 す る奨 学制度 も国 家 。公共 団体 の 財 政上 の制 約 か らい まだ 充分 に行 なわれて ぃ な い等 の 問題 点 が あ る。 つ ぎに教 育 を うけ る権 利保障 の い ま一 つ の側 面で あ る「 義務教育 の無 償 制」 につ い ての各 国憲 法 の 主 な もの を見 る と,ワ イマ ー ル憲 法 は第 145条 で「 就学 は一級 の 義務 で あ る。 就学 義 務 の履 行 は , 8年 以上 を有 す る小 学校 に修 学 し,引 続 い て満 18年 に至 るまで補 習学校 に修 学 す る こ とを原 則 とす る。小 学校 お よび補 習学校 にお け る授 業 料 お よび学用 品 は無 償 で あ る。」と し,フ ラ ンス 第四 共和 国 ・。無 償 且 つ 非宗 教 的 な公 の教 育組織 は全 ての階程 を通 じて 憲 法 もその前 文 第13段 で「・…・ れを ,こ 国 家 の 義 務 とす る。」と規 定 した。 イ タ リヤ共和 国憲 法 は第34条 第 2項 で「 少 くとも 8年 間 にわた る 初 等教 育 は,義 務 的且 つ 無償 で あ る。」と し, 日本 国憲 法 は第26条 第 2項 で「 義 務 教 育 は無 償 とす る。」 と規 定 した。 ソヴ ィエ ト憲 法 は第 121条 第 2項 で「 この権 利 は一般 的 ,義 務 的初 等 教 育 ,7年 制 教 育 の無 料制 … … によって 保障 せ られ る。」と し,ブ ル ガ リヤ憲 法 第79条 第 2項 は「初 等 教 育 は義務 的 で あ り,且 つ 無料 で あ る。」と規 定 し,ユ ー ゴス ラヴ ィア憲 法 第38条 第 4項 は「初 等教 育 は義 務 的 で あ り且 つ 無 料 で あ る。」との規 定 を設 けて い る。 か く して ,義 務教育制 を憲 法 で 定 め る こ とは現 代 国 家 の 共通 の現 象 で あ り,ま た ,そ れ を無償 とす るこ とは現代 国 家 の 当然 の 義 務 とな って い る。 それ は義 務教 育 を現 実的 に保 障 す るため に必 要 で あ り,理 念 的 にも国家経 費 は国 民労 /Ellの 変形 した もの で あって ,そ れが国 民 にその よ うな形 で か えって くるの は国 民 の 当然 の権 利 で あ るか らで あ る。 か くの如 く,「 教 育 を うけ る権 利」 保 障 の 具体 的内容 と して「 教 育 の機 会均 等」 と「 義務 教 育 の 無 償」 は各 国 の憲法 に掲 げ る ところで あ り,わ が国 もその例 外で は な い。 しか し「 教 育 を うけ る権 利」 の現代 的意義 は その歴 史 的思 想 的 (自 然法 的)背 景 を考 え合 せ ると きか か る教 育 の 外 的経済 的条 件 整備 が な され るこ とをもって甘 んず べ きで は な く,如 何 な る教 育で も (例 えば戦 前 の 日本 の 教 育 ) ただ機 会均 等 に無 償 に受 けれ ば教 育 を うけ る権 利 が保 障 され た と考 え得 る もので は な い。 問題 は「 ひ と しく」 保障 され る「 教 育 の 内容」 で あ り,「 教育 の 質」 で あ る。 この「 教 育 を うけ る権 利」 保 障 の「 教 育 の 内角 につ い て憲 法 上規 定 して い る国 はブ ル ガ リヤ憲 法 。東 独 憲 法 ・ ワ イマ ー ル憲 法 等 極 めて少 な い。 これ は「 教 育 を うけ る権 利」 の保障 が第 二 次 大戦以後 にな され た 新 しい権 利 と して 主 と して「 教 育 の 平等」 を制度 的 に保 障 しよ うとす る こ とに重 点 が置 かれ て いた為 と思 われ る。 し か し今 日で は「 教 育 を うけ る権 利」 の 内容 は もっ と深 め られ るべ きで あ り,そ の受 け る「教 育 の 内 容」 が検討 さるべ きで あ る と考 える。 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号 63 (五 )学 習 権 の 性格 一一生存権との関連 を中心 に一一 教育 を うける権利 (学 習権 )が ,い かなる根拠 によ り,い か な る性格 の権 利 として保障 せ られ る もので あるかとす る点 につ いては,現 在つ ぎの三説 をあげることが出来 ょ う。 第一 は教育 を うける権利 の本 質は,主 権者国民 の民主政治的能力の拡充 のために国家 の条件整備 を求 め る権利 にほかならないとする。す なわち現代 の 民主主義社会 は,国 民 のすべ て に高 い政治的 能力を要求 して いる。そ うい うもの を国民一人一人が持 たなければ,こ の社会 が自由 と平等 と友愛 を実現 しつつ ,国 民 を幸福 に してゆ くこ とは出来 ないのである。要す るに,国 民一 人一人が教養 の 高 い,正 しい判 断力を持 った政治的国民 とならなければ,「 人民の政治」 (Popular Government) は決 して「善 い政治」 (Good Government)1引 まならないので ある。専制政治,独 裁政治 にお い いては,政 治権 力を行使す る一部の特権者 が優 れておれば,権 力の対象 に過 ぎない一 般国民は,そ れほど高 い教養 が無 くて も政治は一応運用 せ られる。 しか し,民 主政では,一 般国民 が主権 者 とし て,主 体的 に政治 にか与 し,そ の 多数 の意志で事 を行 うもので あるから,国 民一人一人の政治的教 養 が直 ちに政治の優劣 となって現 われるので ある。 か くの如 く,民 主主義 の政治は,国 民一 人一人 の政治的教養 ,政 治的能 力を,あ くまで基盤 として成 り立 って い るので あ り,こ の政治的教養 ,能 力の養 成 を計 るためには,国 民 にひと しく教育 が うけられるよ うに保障 しなければな らない とす。 この説 には,公 教育 を民主政治 と直接 にむすびつ けて考 えるとい う特色 があるが,と くに日本国憲 法下 において国民主権 と国民教育 とのむすびつ きを重視する考 え方 がふ くまれて い る。 す なわち,明 治憲法 においては天皇主権 の一部 として教育大権 が存 し,臣 民 にはもっぱ ら教育 を うける義務 が課 されて いたの に反 し,「 日本国憲法 にあっては,主 権者国民 が教育権 を有 し,子 女国 民は真 の主権者た りうるよ うに憲法理念 に即 した教育 を うけることを権利 として国家 に要 求で きる 3と よ うになったのだ」 説 かれる。 しか し主権者国民の自由は重要で はあるが,教 育 の 目的 には,「 平和的 な国家及び社会 の形成者 と しての国民の育成」 だけで な く各個 人の「人格 の完 成」 があげ られる (教 育基本法第 1条 )の で あ って,主 権者国民 の育成 とい うことのみが教育 を うける権利 の主 たる保障理 由ではな く,そ の一 面 をいっているもの と解す る。 第二 は教育 を うける権 利は憲法第25条 の生存権 の教育 ・文化面 へ のあ らわれにほか ならず ,人 の 生活能 力にかかわる教育 を貧 しい国民もなるべ くうけ られるよ うにす るために,国 家 が教育 の機会 側 均等化 の経済的配慮 を行 な うべ きこと,を 意味す るとする説 で ある。 この説は従来 の憲 法学説の主流 をなして来 たもの と考 えられるが,こ こで教育 を うける権利 と生 存権 との関係 を検討 してみ ると , 一 般 に生存権 (right of life,right to life,Recht auf Existenz)と は「生存 又は生活 のた 0,「 めに必要 な諸条件の確保 を要求する権利」 生 きる権利」 (das Recht zu Dben,right to live ),「 人間として健康で文化的な最低生活 をい となむ ことを国家 にたい して要求 しうる国民 の権 利」 , 0等 「人間 に値 す る生存 の保障 を要求す る権利」 といわれている。生存権 は,生 活権 ともいわれてい るが,そ の区別 は必 らず しも明 らかにされて い ない。 けれども生存権 は「生活権」 よ りも,よ り緊 急 且つ緊要的な強度 と意味 とをもって理解 されるのが一 般で あり、憲 法上問題 となるの も この意味 η の生存権で あるよ ところで このよ うな生存権 の内容 と しての生存 ,生 活のための必要 な条件 と して , 細川 64 哲 :学 習権 と教 育内容 積極 的 に生存 の維 持 ,発 展 に役立 つ もの と,消 極 的 に生 存 自体 に対 す る危 害 及 び障害 を除去 す る こ とに役 立 つ もの とが あ る。 自然権 と しての生存権 が現 実 に実現 され うるた め には,何 よ りも個 人の 活動 に国 家 が干渉 しな い こ と,つ ま り「 国 家 か らの 自由」 が保 障 され なけれ ば な らな い とい うの が い わゆ る18・ 19世 紀 の「 レ ッセ 。フ ェー ル」 の原 理 で あ ったので あ る。 した が って ,一 方 で は財 産 , 権 の不 可侵 性 を明確 にす る とともに,他 方 で は個 人の生命 ,身 体 ,そ の他 の 自由 を一 般 的 に保障 し て い る18・ 19世 紀 の憲 法 も消極 的意味 の生存 権 を保 障 して いた と考 え得 る面 が ある。 しか し,そ の 後 資本 主 義経 済 の進展 が現 実 的 な矛盾 を深刻 化 し,国 民 の 間 の 貧富 の差 が激 しくな り,無 産 大衆 の 生活苦 が 大 す るにつ れ て「 レ ッセ ・ フ ェー ル」 の原 理 はつ い には破 綻 せ ざるを えな くな った。 そ '曽 こで新 しく従 来 の消 極 的生存権 を利用 しつ つ ,こ れ に積極 的 な意味 を与 えて,個 人 の生 存 の 維 持 発展 に役 立 つ 条件 につ い て も,国 の公 共 的配慮 が な さるべ きで あ る とす る理論 が主 張 され るに いた , ったので あ る。 しか して社 会 の 発展 は絶 えず新 しい知 識 と技 能 を要 求 して止 まな いの で ,社 会 の 落伍 者 とな らず , さらに個 人の生存 を維 持 し発展 させ るため には社 会 の 進展 に応 ず る知識 と技能 を修 得 す る 自由 ,す なわ ち教 育 を受 け る権 利 が人 間 の 生 活生存 に とって きわめて重要 な こ と とな る。 この こ とは,す で ,ロ ベ ス ピエ ル が コ ンヴ ァ ン シ ョ ンに提 出 した ジ ャ コバ ン憲 法 の 草 案 第22条 で 社 会権 の 芽生 え と して「教 育 は ,す べ ての者 の需要 で あ る。社 会 は,そ の金 力 をつ く して ,公 の理 性 に1793年 4月 24日 の進 歩 を促 進 し,教 育 をす べ ての市 民 に保 障 しな くて は な らな い。 」と し, さらに1848年 の フ ラ ンス 憲法 の 前文 第 8段 の「 共和 国 は,市 民 をその一 身 ,そ の 家庭 ,そ の宗 教 ,そ の所 有権 ,そ の 労働 に おいて保 護 し,か つ す べ て の者 に不可 欠 な教 育 を各 人 の 手 の届 くと こ ろ に置 か な くて は な らな い」 との規 定 , をみ て も明 らかで あ る。 しか し生存権 の 問題 は ,ヘ ー ゲ ル の 指 て きを まつ まで もな く,資 本 主義 社 会 にお け る自由競争 の もた らす必然 的現 象 と して ,本 来 は労働 者大衆 の保護 を契約 と して考 え られ た もの と い うこ とが出 来 よ うと した が って ,そ れは ,主 と して ,社 会主 義 ,共 産 主 義 の傾 向 に属 す る思想 家 によって主 張 された が ,そ の もっ とも代 表的 な者 は オ ース トリヤの社 会法律 学者 ア ン トン・ メ ンガー (Anton Menger,1841-1906)で あ っ た。彼 は ,有 名 な著 書「 全労 Tall収 益権史 論」 (Das Recht auf den vollen Arbeitsertrag in geschichtlicher Darstellung,1886)に お い て ,「 人 間 は欲 望 充足 の ため労働 す るもので あ る。 したが って労働 と労働収 益 ,欲 望 と充足 とは,人 間 の経 済 生 活 にお け る 二 つ の 囚 果 の 系列 (Kausalreihen)を な して い る。 も し今 日の法律秩序 が,労 lrll者 にその全収 益 を与 え,現 存物 資 に応 じて欲望 を充足 させ るな ら,財 産 法 の理 想 は達 成 され る。 と こ ろが現 在 の財 産法 は この 目的 に反 し,第 一 に労 lall者 に全 労働収 益 を保 障 せ ず に,不 労所 得 か ら生 じた財 産 を保 障 し,第 二 に現存 物 資 に応 じた欲望 の 充足 を計 る こ とな く,個 人 の生活 維 持 に欠 くことので きな い物 資 や労働 さえ も与 えるこ とを規 定 して い ない。」そ こで「 この二つ の経 済 目的 を達 す るた め に二 つ の 『経 済 的基 本権』 (dic ёkonomische Grundrechte)を 主 張 す る。 その 第 一 は全労働収 益権 (das Recht auf den vollen Arbeitsertrag),第 二 は生存権 (das hecht auf E stenz),第 二 は 労働権 (das Recht auf Arbeit)で あ る∫」と して ぃ る。 こ こで 問題 とな るの は第二 の生 存 権 で あ るが,彼 は生存 欲望 (E stenzbedurfnisse)を 分 配 の 標 準 と しな が ら,「 生存権 とは各 人 に無 条 件 に認 め られ る権 利で あ るが,具 体 的 には各 人 によって 内容 が異 なって くる。 す なわ ち未 成 年者 は 秩養 及 び教 育 を受 ける権 利 ,幼 年者 は ただ秩 養 を受 け る権 利 を有 し,成 年 有権 者 は相 当 の 労 THll義 務 を負 い,老 年 ,疾 病 ,そ の他 不具 者 の ため労 TEll不 能 とな った人 々 は救護 を受 け る権 利 を有 す る こ と 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号 65 に なる」 ザと した。 しか し, この よ うな積極 的 な内容 をもつ 生存権 の思 想 は社 会主義 の思 想家 だ けで な く,ヴ ィゼ ル (Triedrich Wisser)お よびフ ィル カ ン ト (Vierkandt)等 は プ ロ レ タ リヤ 自 然法 (prOletarisches Naturrecht)の 観 念 に も とづ きな が ら,積 極 的 な意味 内容 を有 す る生存 90い る。 か く して ,近 代 的 な意味 にお ける生存 権 は ,も とも と無産 大衆 の保護 を 目的 と して考 え られ たので あるが ,現 在 にお い て は,す べ ての人 に共 通 した 問題 と して一 般 化 されて考 え 権 を認 めて られて お り,そ うして それ は単 に消極 的 な もので は な く,す べ ての 人 に「 人 間 に値 す る生 活」 を積 極 的 に保障 せ ん とす る主 張 で あ る。 生存権 と教 育 を うけ る権 利 の保 障 の 関連 はすで に18・ 19世 糸己の天賦 人権 思 想 の 中 に伺 が われ るの で あ るが,た だ生存 権 を ア ン トン・ メ ンガー の如 く「 社 会 の各員 が,そ の 生存 に不可 欠 な物 資 を , 現存物 資 に応 じて彼 に分与 せ られ るこ とを要 求 す る権 利」 とか「 生存 又 は生 活 の ため に必 要 な諸条 件 の確 保 を要 求 す る権 利」 と して ,生 存権 思 想 の発生 史 を背景 に,生 存権 を主 と して経 済 的側 面 と して と ら え,そ の 経 済 的条 件整備 の 為 に「 教 育 を うけ る権 利」 が保障 され ね ば な らぬ とす る考 え方 は,無 産 労働 大衆 には該 当す る考 え方 で は あるが,か か る説 で は生存 に必要 な資産 を有す る者 , あ るいは ,そ れ が得 られ るに至 っ た者 には「 教 育 を うけ る権 不1」 保 障 の必 要 は な い こ とに な り,教 育 の文 化 的精 神 的人 間的必要性 の 面 が不 当 に欠 落 して い ることに な る。 しか し,「 生存権」 を もって「 人間 に値 す る生存 の 保障 を要 求 す る権 利」 と し,そ の「 人間 に値 す る」 内容 をよ り豊 か によ り高度 に把 握 す る立場 に立 て ば ,か か る生存権 の経 済 的文化 的精 神 的側 面 と して「 教 育 を うけ る権 利」 保 障 が 当然 に要 請 され るこ とに な り, しか もそれ は各 人 の資産 経 済 力 に 関係 な くす べ ての国 民 に必 要 な権 利 と され る こ とに な る。 か く して「 教 育 を うける権 利」 を生存権 の一 側 面 とと らえ るには,生 存権 を現代社 会 の文 化的水 準 の 下 に「 人 間 に値 す る生活」 をよ り豊 か に積 極 的 に保 障 す る権 利 と解 す る こ とが必 要 で あ る。 教 育 を うけ る権 利 の保 障 は現 代 国 家 にお け る憲 法政策 的社会政 策 的意味 に とどま る こ とな く,人 間 の 自然 的生来 的学 習権 と して と らえるべ きで あ る。 (第 二 の 説)す べ て の国 民 , と くに「 子 ども」 は生 れ なが らに して教 育 を うけ,学 習 す るこ とによ り人間的 に成 長発達 して い く権 利 を有 す るが こ の子 供 の 自然 的生 来 的権 利 は未 来 に生 き未 来 を作 る人 間 と して その能 力 を全面 的 に発 達 させ るよ う な教育 が うけ られ るよ うに,国 家 に対 して積極 的 に要 求 す る自然権 社 会権 的人権 と して と らえ られ るべ きで あ り,子 どもの主体 的能動 的 自己形成 の権 利 と して考 えるべ きで あ る。 かか る権 利 は単 に その教 育 を うける機 会 が均 等 に保 障 されれ ば よ しとす るもので は な く,む しろ,問 題 は その教 育 の 中身で あ り,質 で あ る。 筆 者 は教 育 を うけ る権 利保障 の根 拠 と性格 は「 よ り豊 か な人 間 に値 す る生存 保 障」 と して の生 存 権 と子 供 の 自然権 的能 動 的 自己形成権 と しての 学習権 の立 場 か ら理 解 す べ きと考 える もので あ る。 した が つて ,教 育 を うけ る権 利 をよ り積 極 的能動 的主体 的観 点で把 握 して 学 習権 と呼 べ ば, この学 習権 にお ける教 育 (学 習)の 内容 は当然 人 間 と くに「子 ども」 が未 来 にお いて その 可能 性 ・ 人 間性 を十分 に開花 ・ 発達 せ しめ得 るよ うな中正 で科 学 的で創 造 的 な教 育 で な ければ な らず ,学 習権 は か か る教 育 が うけ られ るよ うに国 家 に対 して積極 的 に条 件整備 を要 求 す る能 動 的社 会権 的基 本 と解 す べ きで あ る。 教育 を うけ る権 利 (right to receive education)の 憲 法 上 明 示 的保 障 は ,そ れ に対応 す る国 の憲 法 的政 治 的義務 の強 い もので あ る こ とを意味 す るもので ,国 は国 民 と くに子 どもの学 習権 が保 障 され るよ うな教 育 が行 なわれ るよ うにす べ き責 務 が あ るので あ り,そ の 国家 の 責務 を遂 行 す るた 細川 哲 :学 習権 と教育内容 め には必然一 定範囲 で教 育 の 内容 に関与 し得 るもの と解す る。それはまた上 記の如 き国 家 の責 務 を遂 行 す る国 家的義務 で あ る と解 す る。 教 育 を うけ る権 利保 障 を通 説 Ollの 如 く単 に教 育 の平 等 を制度 的 に保 障 しよ うとす る もので 憲 法 第 26条 第 1項 を教育 の機 会均 等 を規 定 した もの と解 す る立 場 か らは,国 家 の 義 務 は単 に教 育 の 外的経 済 的条 件 を整備 す れ ば足 りるこ とにな るが,筆 者 は かか る見解 は,現 在で は極 め て不 充分 不 当 な も の と解 す る。 つ ぎに学 習権 を保 障 す べ き国 家 の 責務 に対 す る,学 習権 の性 格 を如何 に考 え るかの 点で あ るが , 国 家 が この権 利 の 実現 に努 力す べ き責務 に違 反 した り,国 家 自体 が 自 らの 責 務 を等閑 に附 し,そ の 必 要 な立法 や ,適 当 な施 設 を設 け な い と きは,学 習権 は ど うな るで あ ろ うか,直 接国 家 に要 求 す る こ とが可能 で あ るだ ろ うか,こ の 点 につ い て は ,必 ず しも統 一 された見 解 が あ る とい うわ けで は な い。 わが国 の憲 法 につ い て は,学 者或 は「 教 育請求権 Pな りと し,国 家 は こ れ に対応 して一種 の 政 ひ 治 的責 任 を負 担 す る もので あ る と説 き,或 は また「 国務請求権ゴ で あ る と い い,ま た は「 国 家 行 為 Dで 0だ 要求権 Pだ と し,或 は「受益権 ゴ あ る と し, さらには「 社会権」 と し,或 は また「 一 種 特別 の η 権 利子 で あ る とも い う。 これ らの権 利 はす べ て国家 に対 す るもので あ る と い うこ とにつ い て は問題 が な い。 そ こで ,国 民 が国家 に対 す る関係 において如 何 なる地 位 を有 す るか と い うこ とを見 る と , イエ リネ ッ クに よれ ば,国 家 に FDhけ る個 人 は四つ の地位 を有 す る とす る。 す な わ ち,そ の一 は個 人 の国 家 に従 属 す る地位 ,つ ま り受動 的地位 (Passiver status)で あ り, そ の 二 は個 人 が国 家 か ら自由 な,統 治権 を否 定 す る地 位 と しての消極 的地位 (Negativer Status)で ある。 そ の三 は 個 人 に積極 的 な請 求権 を与 える積 極 的 な地位 (Positiver Status)で あ る。 その 四 は ,個 人 に 国 , D 家 の ため に活 動 す る能 力 をみ とめ る,い わば能 動 的 な地位 (Acnver status)で あ る とす ると ケ ルゼ ンは,こ れ を国 民 の 国 法 に対 す る関係 と して とらえ,国 民 の 国 法 に対 す る関係 を受 動 的関 9宮 係 と消極 的関係 と能 動 的関係 の 三種 に分 けたと 沢俊 義氏 は右 の二 つ の 説 をか 考 と しなが らも,ケ ルゼ ンの 考 えに立 って国 民 の 国 法 に対 す る関係 を五 つ の態様 に分 け,生 存 権 ・ 教 育 を うけ る権 利 は , 「憲 法上 ,国 民 の 利 益 に まで あ る種 の 国法 の 定立 が要 請 され る関係 と して こ こで は国 民 は国 法 に対 して積極 的 な受 益 関係 に立 ち,そ れ は,積 極 的 に国法 を定立 す るこ とが憲 法 上 義 務 づ け られて い る 結果 で あ るが,国 民 の か よ うな地位 を社 会権 と呼 ぶ と され る。 この社 会権 は ,国 家 また は立 法者 を 義務 づ けるこ とをその 内容 と し,そ れ につ い て具 体 的 な請 求権 を与 えない こ とをその本 質 と して い 0と るゴ され る。 ところで , さ きに指 て き した わが国 におけ る学 習権 の性格 につ い ての各 説 は そ の表 現 の相違 こ そあれ,す べ て結 論 的 には具 体 的 な権 利で は な く,国 民 は,国 家 に直接 要 求 す る こ とが で きない とい う点で 一 致 して い る。 す なわ ち学 習権 に関す る憲 法 の規 定 は い わ ゆ る綱 領 的規 定 (Pト ogrammvorschriften)に す ぎな いの で あって ,法 的義務 が対応 す る本来 の 権 利 と異 な る性 格 の も の で ある とす るμ けれ ど も,も とも と,学 習権 が生 存権 の一 面 で あ るゆ えん は ,単 に一 定 の 知識 や 教養 が,民 主主 義 的国 家 の国 民 に とって重要 で あ る とい うばか りで な く,科 学 の進 歩 が必然 的 に も た らす高度 な知識 と技能 の要 求 に対 して ,教 育 の な い者 は世 の敗残 者 と して ,そ の生存 を維 持 す る こ とがで きないの み な らず ,よ り高 い 人 間 に値 いす る生活 が保障 され るた め には是非 とも主 体 的能 動 的学 習権 が保障 され る こ とが 必要 で あ るが, しか るに教 育 費 は一般 の動 労 大衆 に とって も負 担 し がた い高額 にのぼ る もので あ る と い う現 実 か らす れ ば学 習権 の保障 が如 何 に生存 との関連 にお い て 重要 で あ るか とい うこ とが明 らかで あ るか らで あ る。 しか も,国 民 に対 し,経 済 的 な負 担 を義務 づ け,権 力的支配 をな して い る近 代国 家 の性格 か らす れば イエ リネ ックの い うご と く,こ の 点 に関 し 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号 67 て は当然 国家 に対 して ,国 民 は積極 的 な地位 を有 す る とい わ なけれ ば な らない。 しか しわが 国 の 憲 法 は資本主義 国家 の憲 法 と して,学 習権 の 規定 も一 般 的抽象 的原則 的表現 の ため ,そ の権 利 も拍 象 的権 利 と解 せ ざる を得 な い一 面 が あ る。 けれ ども,国 民主権 主 義下 にお け る政 治 の 主体 は国 民で あ る。 な かんづ く,無 産 大 衆 ,そ の 他 の 勤 労 大衆 の 政 治 的 自覚 とその主 張 ,国 家 的再編 成 等 ,そ れ ら の組織 的努 力 が強 力 に展 開 され る こ とによ り生存 権 に関す る憲 法上 の規 定 は,家 質的 な具 体 的権 利 と して保 障 され るに い た るで あ ろ う。 もっ とも ドイ ツ少 年福祉 法 (Reichsiugend― WOhlhaftsges_ etz)第 2条 の ご と く,子 供 の教 育 を受 け る権 利 を国 家 に対 す る請 求権 と して保障 した り,ア メ リ カにおいて この種 の権 利 を判 例 で認 め るな ど,資 本主 義国家 にお いて も教 育 を受 け る権 利 を具 体 的 な権 利 と して認 め る例 が な いわ けで は な い。 また昭 和42年 (1967)我 が国 の朝 日上 告裁判 の判 決 に 見 られ るよ うに,従 来 の 通 説 と異 なって ,憲 法 第25条 の一 般 的 な生存権 につ い て も請 求権 と して の 性格 が認 め られ るよ うに なった今 日,教 育 を受 け る権 利 につ いて も請 求権 と して認 め られ る可能 性 が生 じた と考 えるこ とがで きるで あろ う!〕 す な わ ち憲 法解 釈 は決 して固定 不変 で な くそ こに解釈 の変 更 ,変 遷 が あ り得 る とい うこ とで あ る。 つ ぎに この こ とを若 千 検討 してみ るこ とにす る。 (六 )学 習権 と憲法解釈の変遷 最近 におけ る憲 法 問題 の一つ の 特徴 的側 面 は ,そ れ が憲 法訴 訟 問題 の形 で提 起 せ られ , そ こに各 9勢 種 の憲 法 解 釈 が展 開 せ られ,憲 法解 釈 (Ver fassungsauslegung)が 変 更 され ,変 遷 す るこ と で あ る。 しか るに,憲 法訴 訟 が憲 法 解釈 との関連 にお いて重 大 な意味 を もつ の は,憲 法 規 定 そ の も の が,多 かれ少 な かれ ,一 般 的抽象 的 な い し国 家 的 ,政 治 イデ オ ロ ギ ー 的規範 で あ るがる に憲 法規 定 が訴 訟 の形 で具体 的 に明確 化 せ られ るか らで あ る。 か く して カー ス ト (Karst)が 言 うよ うに「 今 日の憲 法訴 訟 は,最 も特 殊 化 された種 類 の 事 実分析 (fact analysis of the most particular_ ized kind)を 要 す る」 し,「 広 範 な概 括 化 や充 分 な考慮 や説 明 を欠 く判 決 は,民 主主 義 の 多数 決 の ル ー ル の み な らず法 の 支配 を も排 除 して ,裁 半J所 の厳 命 (fi at)を それ にお き代 える」 こ と にな る し, さ らに「裁判 官 は ,主 張 ・ 立証 され た事 実 を基確 と して ,他 の種 類 の法 とともに,憲 法 をつ く 0こ る」 とに もな り,そ こに は憲 法訴 訟 をめ ぐる法 社 会 的 な い し政 治法律 学 (Political Jurispru_ dence)的 困 難 な 問題 が あ るが,こ の憲 法 訴訟 を通 じて行 なわれ る憲 法 解釈 は抽 象 的憲 法 規 定 の具 体 化 ,明 確 化 と して憲 法 的権 利 ・憲 法 問題 を判 断 す る上 で極 めて重要 で あ る。 憲法 の場 合 に も,他 の 法 の場 合 と同 じよ うに,解 釈 とい うこ とが必要 で あ る。解 釈 とい う操 作 が行 なわれ る以 上 ,解 釈 者 によ って解 釈 が異 なった り,ま た,同 じ解釈者 の 解 釈 が 変 わ った りす ることが あ り うる。 そ うし て,解 釈者 の解釈 の 変遷 が,起 る場 合 もあ り得 る。 しか して ,憲 法解 釈 の本 質 は,憲 法 の 条 項 の も つ ,客 観 的意味 を探 求 す る こ とで あ るが ,こ の 点 につ い て は,古 くか ら二つ の 考 え方 が あ る。 一つ は,立 法 者 の 意思 を探 求 す るの が,法 解 釈で あ る とす る立法 者 意思 説 (主 観 説)で あ り, こ れ に対 して ,客 観 説 は,立 法 者 の 意思 で な く法 の意思 を探 求 す るの が法解釈 で あ る とす るもので あ る。 立法 者意思 説 は古 い学 説で あるが ,現 在で も相 当支持者 が 多 い。 そ して ,そ の 考 え方 は ,憲 法 に しろ,法 律 に しろ,す べ て法律 は制 定者 の 意思 か ら離 れて解 釈 す るこ とは出来 な い。 立 法 資 料 を探 求 して ,こ の条項 は ど うい う意味 をもって い るか と い うこ とが決 め られ るべ きだ とい うの で あ る。 しか し,立 法者 の 意思 を探 求 す る とい うこ とは,容 易 な こ とで は な い。 た とえば,議 会制 を採 っ 細川 哲 :学 習権 と教 育内容 て い る国 において,立 法者の意思 とは一体 なにか。議会 の 多数党 の意思だ。 しか し,議 会 の 多数党 の意思 と言って も,論 議 して い る間に甲案 ,乙 案 ,丙 案 と多 くの意見が出て来て,そ して相互 に妥 協 して法律案 が出て来 る。憲 法 に しろ,こ のことには変 りが無 い。 そ うす ると,一 体 どの意思 が立 法者の意思 か判 らないこ とになる。 さらに,法 律 は社会生活 における規範で あるが,社 会生活 それ 自体 が流動発展 して い る。 その場合 に最初決 まった法律 の解釈 が変 わ らない とい うことで あると 社会生活 との間に非常なギ ャップ を生 じて,法 律 自体 が存在で きないこ とが起 こって来 る。従 って , , 過去 の歴史的立法者 の意思では, と うて い解釈出来 ない場 合 が出て来 る。 か くして,筆 者 は客観説の立場 を取 る。 しか し,客 観 説では,立 法者 が法 を制定す ると,制 定 さ れた法 が,そ のまま独立 して しまってその法 自体が意思 をもつのだ と説明す るが,法 自体 が意思 を もつ こ とは出来 ない。従 って, これ を厳密 に探求 すれば,結 局 これは,国 家 の意思で あって,法 規 に国家 の意思 が現 われた もので あると解すべ きで ある。 しかもその意思 は,社 会生活 の変動 に伴 っ て変 りうる可 変的,継 続的意思で あるといわ なければならない。 とにか く,筆 者 としては,憲 法 が一旦制定 されても,憲 法 の制定者―歴史的制定者― の意思 に拘 束 されて しま うのではな く,客 観 的な状態 の変更 によって,そ の意味 が変 りうるもので あると考 え るが故 に,憲 法解釈の変遷 を認 めるに積極的立場 を以 る。 この憲法解釈 の実際 における最終 的判 断 は,司 法的違憲審 査制の下 においては,最 高裁判所 が行 な うわけで あるか ら最高裁判所 の憲 法解釈 の態度 は いかにあるべ きかとい うことが問題 になる。 その際 の態度 としては,い わゆる,文 字解釈 や論理解釈のみ によることなく,目 的論的解釈 ない し社会学的解釈等 の広 い弾 力的な解釈 によるべ きで ある。 すなわち,憲 法 の条章 は,そ の性 質上 ,一 般的,411括 的 な規定で ある場合 が 多 く,そ のため解釈 の分 かれる場合 の生ず ることも当然で あ り,こ の場合裁判所 は結局 ,い ず れの解釈 が正 しいか を自 由裁量で決す るよ りほかはない。 また条章 の文字的 ・論理 的解釈 か らは一応 明白であって も,そ の 解釈 が現 実 の国民 的要請 や政治的良識 に反する場合 もある。 これ らの場合 ,最 高裁判所 は,文 理 的 。論理的解釈 に従 うべ きか,そ れ とも他の法的技術 によって国民的要請や政治的良識 に合致す るよ うに解釈すべ きかが,憲 法解釈の焦点 となる。 かかる場合 には,文 理的・論理的解釈 を唯 ―の解釈 とせず ,国 民的要請や政治的良識 に合致す るよ うに,社 会学的 ない し目的論的解釈 を優 先 さして解 釈す るのが,望 ましい解釈態度ではないで あろ うか。 か くして,法 を守 る裁半J官 の公教育 の歴史 的発展法則 にそった正 しい国民的要請 による国民 的解 釈 によって,学 習権 を具体的 な権利 として保 障 されることが期待 されるので ある。 しかもそれは国 民主権主義下 における国民 の主権 の行使 として国会・ 内閣 ・裁判所 の構 成員 を変 え得 ることによ り , その道 は開かれて いるので ある。 したがって この期待 を単 なる期待 に終 らせ ないためには,何 よ り も大衆 の政治的 自覚 とそれにもとず く組織的努 力が必要 となるで あろ う。 この 点社会主義国家 の生 存権や教育 を うける権利は,資 本主義国家 の権利宣言 のよ うに単 に抽象的 ・原理的 なもので な く , それ をよ り実質的なものにす るため,具 体的な権利 として宣言 されていることは,こ の 問題 を考 え て い く上で重要 なが考 となるで あろ う。 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 (七 第 1号 69 )学 習 権 の 立 場 か らの 教 育 内容 と方 法 は 0の 如 く単 に教育の「機会均等」 や「義務教育 学習権 の保障は「教育 を うける権利」保障 の通説 の無償 制」 とい う外的経済的条件 の保障 をもって足 るものではな く,そ の歴史的思想的背景 をふ ま えて,積 極的 に把握 す る限 りは,教 育 の 内容 が子 どもの発達 の権利 に即応 す るもので なければなら ない。 子 どもの人権 と しての学習権 は,子 どもの人間としての生存権 ,幸 福追求権 を含 んだ基本的人権 であ り,子 どもが人間的 に成長 ・発達す るための学習 の権利 として,そ の学習権 の充足 によ り,そ の子が成人 して文化的人間的生活 を享受す る能 力を付与 され,ま た政治的権利 。参政権 を主体的 に 行使す るこ とが可能 になることを思 えば,学 習権 の充足 は,そ の子 にとってのみならず ,国 家社会 にとって も極めて重要で且 つ 本質的人権 といわざるを得 ないので ある。 か くして学習権 の充足 の重要性 はその学 習 の内容 が重要 となる。 どの よ うな内容 の教育で も,そ れを うけさえすれば,学 習権 が保障 されるものではないので ある。す なわち,そ の子 どもの うける 教育は,そ の子 どもの 人間的成長 ,発 展 を助長 し,人 格 の完 成やその子の幸福 に貢献 し,民 主的平 和的社会 の形成者 となるにふ さわ しい教育で あるべ きであ り,「 教育 を うける権利」 の 名 に値 いす る もので ない とい けない。 この点に関 し国民主権国家 における「 教育 を うける権利」 の保障 はその教育 の内容 が「合憲法的 偲 9が あ 教育で なければな らず ,民 主主義 と平和主義 を内容 とする教育で なければな らない」 とす説 り,又 教育 をうける権利 とい う場合 の教育 が「人権 の尊重 を基調 とす る民主主義で な くてはならな 0た い」 とす るよ しかに, 日本国憲法 が我 が国 の最高法規 ,根 本法規 として,国 民 の共通 の法的社会 的理解の基礎で あり,戦 後価値観 の共通 の基盤 として,あ るいは国民主権主義下 の公 民 の資質 とし て憲法 の教育は必要であ り,教 育基本法前文で「 ここに 日本国憲法の精神 に則 り,教 育 の 目的を明 示 し」 と規定 して い るところか らも,教 育 の内容 は憲法の民主主義 ,平 和主義 ,基 本的人権 の尊重 の精神 に支 えられた もので ある必要 がある。 これは,世 界人権宣言第26条 第 2項 に「教育は,人 格 の完 全 な発展 と人権 および基本的 自由の尊重 の強化 とを目的 としな くてはな らない。教育 は,す べ ての国 および人極的 または宗教的集団のあいだにおける理解 と意志 と友情 とを増進 し,か つ ,平 和 の維持 のために国際連合 の活動 を促進するもので なくてはならない」 と定 め, さらに東 ドイ ツ憲法 第37条 に「学校は憲法 の精神 に従 って,青 少年 を,独 自に考 え,責 任感 をもって行動 し,自 ら共同 生活 の一員 となる能 力と用意 の ある人間に訓育する。学校は,文 化 の媒介者 と して,諸 国民 の平和 で且 つ友好的 な共存 と,真 の民主主義 との精神 に基 いて,青 少年 をま ことの 人間性へ と訓育す る任 務 を有する」 と規定 し,ま た,西 ドイツのヘ ッセ ン州憲法第56条 で ,「 歴史教育は,過 去 の信頼 しう べ き,誤 りなき説明 にむけられねばならない。 この場合,強 調 さるべ きは,人 類 の偉 大 な恩 人,国 家,経 済 ,文 明及び文化の発展 であって,軍 司令官や戦争 および殺 象ではない。民主主義国家 の基 礎 を危殆 ならしめる見解 は,許 さるべ きではないよ とと定めて い る面 か らも教育 の内容 としての妥当 性 は肯定 し得 るので ある。 したがって憲 法の平和主義 ,民 主主義 ,基 本的人権 の精神 に反す る教育 は子 どもの学習権 を侵害す ることになる。 ただ合憲法的教育 を主張 す る論者 の 中 に「真 に合憲法的教育 になるためにはまず国家権 力 が教育 内容 に介 入 しないことが前提で あり,『 教育 を受 ける権利』 における教育内容 につ いては,国 は名 細川 哲 :学 習権 と教 育内容 宛人にならない とすべ きで あり,こ れ を否定する こ とは,教 育 の 自由 と論理 的 に矛盾 す るのみなら ず ,国 の代表者 と称 して文部大臣 が教育内容 に関与す る危険性 を招 くこととなるPと 批判す る者 が あるが,む しろ国家は「 合憲法的教育」 が行 なわれるよ う努 めねば ならず ,国 の義務は,憲 法の精 神 が教育内容 に活 か されて い くよ うに条件整備 に努 め ることであると解 されよ う。 したがって,こ の面 か らは国家はその義務 を履 行す る為 に一定 限度で教育 の内容 に介入す ることが出来 るもの と解 す る。 さらに学習権 を保障す る教育は未 来 に生 き,未 来 を作 る子 どもの幸 に貢献す る教育内容で なけれ ばならないが,そ の為 に教育内容 は「 中正で科学的で倉1造 的」 な内容で あ り科幸や真理 を背景 とし たもので なければならない。 したがってこれに反す る教 育を行 うことも子 どもの学 習権 を侵害す る ことに なり,国 家や教育行政機関はかかる教育 が行 なわれるよ う条件整備す る義務 を持 ち,教 師 も 当然 かかる教育 を行 う責務 を子 どもに対 して魚 うのである。 つ ぎに教育の方法で あるが,子 どもの学習権 を,子 どもがその可能性 。人間性 を開花 させ るべ く 自ら学 習 し要求す る生来的権利 と しての 自己形成の自然権 と解すれば,そ の教育方法 は子 どもの人 権尊重 を基盤 にし,子 どもの 自主性 ,主 体性 を尊重 したもので なければな らない。 か くして,一 方 的つめこみ 。お しつ け 。注入主義の教育方法 は子 どもの学 習権 を保障 す ることにはな らず , また一 教室 に50名 以上 も子 どもを入れての一せい学習 も子 どもの学 習権 を阻害 す るこ とになるで あろ う。 したがって子 どもの学 習権 を保障す るるには,人 権 としての子 どもの学 習権 の認識 の上 に立 って , 子 ども個 人の尊重 の精神 に支 えられ,可 能 な限 リー 人一 人を生 し一 人一 人 をのばす,創 意工夫 に満 ちた教育方法 がと られるべ きで ある。 教育は,フ ランス革命期 の憲 法 に規 定す る如 く「 すべ ての ものの要 求 (besOin)」 で あ り と く に子 どもには不可欠の もので ある。子 どもが人間的 に成 長・ 発達 し,人 間 としての生存や文 化的生 活 を享受 し,あ るいは公的生活関係 におけ る権利義務 の主体者 として, 自主的理性的 に行動 し,平 和的民主的国家社会の一員 となるためには,是 非 ともそれにふ さわ しい教育 が必要で ある。 この子 どもの学 習権 は近代 の 自然法思想 を背景 に して自然権的生来的権利 と して,憲 法で明示的 に保障す る不可侵 ・ 永久 の強固 な基本的人権で ある。ただこれに関す る現在の憲法 の通説的解釈 は教育 を う ける権利保障 を主 として教育 における平等思想 の発現 と解 し,「 教育機会の均等」 として とらえるこ との不充分 な ことはすで に述 べ た ところで あるが,か かる把握 は戦前天皇制 下 の軍国主義 。国家主 義教育の機会 がすべ ての子供 に与 えられていた故 に子 どもの教育 を うける権 利 が現実 されて いた と 考 えうる不 当な結論 をひ き出す こ とにもな り,「 思想統制の教 育」 も「国家主義的強制 の教育」 も「 人権 としての教育」 も,た だ教育機会 とい う点 においてすべ て同質の もの として扱 わ ざるを得 ない 不当な結果 を招来す ることになる。 したがって人権 としての学習権 の保障 は,そ の量 的教育 の機会 の保障 にとどま らず ,教 育 の 目的 。内容 ・方法が,「 教育 をうける権利」 の 名 に値 いす るもので ない とい けない。 かかる学習権 の充足 は,子 どもの人権 保障 として不可欠の もので あると同時 に国家社 会公共 の存立 とその発展 のために も重要且つ 不可欠の もので あるとい う特 質を有す るもので ある。 元来基本的人権 は天賦 人権 として普遍性 。永久性・ 不可侵性 を有する国家以前の 自然権 とは いえ , 無制限無制約のものではあり得ず ,人 が社会公共の生活 をして い る以上 ,個 人の人権 といえ ども社 会公共 の立場 か らの内在的制約 を受 けるわけで ,基 本的人権 は公共の福祉 の観 点から,そ の 自覚 あ る行 使 が要請 されると共 に公共の福祉 の立場 か ら人権 の行使 が市1約 せ られる場 合 もあるので ある。 鳥取大学教育学部研究報告 │ 卜 人文・社会科学 第27巻 第 1号 71 この こ とは基 本 的人権 の うち各 種 の 自由権 ・ 受 益権 ・社 会権 につ いて も いい得 る ところで あ る。 しか るにこの 学 習権 につ いて は,こ れ が行使 ・主張 ・ 充足 され る こ とは,子 ど も個 人の生 存 生 長 , 発達 ,幸 福 追 求 に必要 不 可 欠で あ る と同時 に,こ れ によ り社 会公共 の福祉 も増進 され , した が って 社 会公共 の 発展 ,福 祉 の 向上 の 為 には,子 ど もの学 習権 の 充足 が前提 で あ り,な によ りも必要 で あ , る。 かか る人権 と公共 の福祉 との完 全 な る一 体 性 がみ られ るの は学習権 の特 質 とい うこ とが出来 る で あ ろ う。 したが って学 習権 は個 人 の為 に も社 会公 共 の 為 にも それ が保 障 され行 使 され充足 されれ ば され るほ ど望 ま しい こ とにな る。 か か る人権 は基 本 的 人権 の 中で も極 めて 本 質的強 回 な人権 で あ ‐ り,国 2‐ は かか る人権 の保 障 充足 の 為 には最大 の尊 重 と努 力 を要 す る もの と解 す る。 か く して教育 の機 能 は,ひ と りひ と りの子 ど もの可能 性 ・ 人 間性 を充分 に開花 させ ,よ って子 ど もの学 習権 を充足 させ る意 図的 ,組 織 的 い となみで あ り,ま た それ によ り国 家 ・ 社 会 公共 の 進展福 ・ける権 利主 体 は子 どもで あ り,教 育 の 目的 は子 ど もの 祉 に帰与 す る もの で あ る。 しか して教 育 に I● 学習権 の保障 で あ る。 か か る子 ど もの基 本 的本 質的 人権 と して の 学 習権 を教 育 の 中核 に位 置 づ け る と き,親 ・ 教 師 ・ 国 家 の 教 育 に関す る権 利義務 関係 は如何 に構 成 され る こ とに なるか,稿 をあ らため て検 討 す る こ とに す る。 (注 ) (1)法 学協会・ 註解 日本国憲法 ・有斐閣 。19飩 ,251頁 (2)堀 尾輝久・「教育 を受 ける権利 と義務教育― 教育権理論 の一 前提」 (『 社会科教育大系第二巻―社会認識 の理 論』 三一書房 ) 星野安三郎 。「子 どもの教 育 を受 ける権利」 法 と教育 ・学陽書房 ・1972・ 182頁 (3)牧 柾 名・教育権 ・新 日本新書・1972・ 130頁 (4)田 中惣五郎 ・資料 日本社会運動史 ・牧 柾 名・ 前掲 書 ・135貢 (5)L,von DreoL,Naturrecht,1822, S.35,鈴 木安蔵 ・ 基本的人権 (6)法 哲学四季報 ,第 一 号・ 木村亀 二・「 自然法 と実定為 ・■ 買 (7)尾 高朝雄 ・ 法哲学 ,23頁 ・ 田辺勝 二・ 教育 を受 ける権 利 ・三和書房 ・1964・ 85頁 (3)Georg」 eWinek,Angemeine staatslehre, 3 Aufl.,1929, S. 333- S. 334, 水木惣 太郎 ・基本的人権 ・ 9頁 (9)Two TreaOses of Government,Book Ⅱ,Chap.Ⅱ (10)E,Durkheim,EducahOn et Sociologic,1922・ , 4.田 辺勝 二・ 前掲書 ・102頁 P.121・ 岩波講座 ・ 現代教育学 ・80頁 (■ )田 辺勝 二 ・前掲書 ・107頁 (12)教 育関係法 Ⅱ・43頁 ・ 田辺勝二 ・前掲書・236頁 (13)星 野安三郎・「学 問の 自由 と教育権」 同 名共著22∼ 23・ 58・ 63貢 ・永井憲 一『憲法 と教育基本権 』49∼ 50頁 (14)『 註解 日本国憲法上巻』495∼ 496・ 500頁 ・宮 沢俊 義 ・『憲法 Ⅱ』 旧版413買 (15)法 学協会「註解 日本国憲法上巻」481頁 (16)小 林直樹 ・「憲法 の構 成原理」 281頁 (17)平 凡社「政治学事典」762買 (18)田 辺勝 二 ・前掲書・ 161頁 (19)水 木惣 太郎 ・基本的人権 ・63頁 (20)Triedrich Wieser,Das Gesetz der Macht,1926, S.295;Der geistig_sittliche Gehalt des neueren Naturrechtes, 1927, SS. 25 ff. ■ , 細川 哲 :学 習権 と教育内容 (21)法 学協会 '註解日本国憲法 ,有 斐聞・1964・ 253貢 。165貫 似0佐 々木惣‐ 。「改訂 日本国憲法説 ,429‐ 頁│ (221田 中耕太郎・「教育基本法の理純 124)渡 辺宗太貞 F。 「改訂 日本国憲法要論」・130買 (25)美濃部達吉・ 「日本国憲法原論」 .162貢 ,清 宮四郎 ,「 憲法要論」・106頁 (261宮 沢俊義 ,「憲為 ,134頁 (271我 妻 栄・「基本的人権」 (新 憲法の1研究)・ 87買 123)q」 elll・ eF,Syste der stujek'v。 ■jfttnditthen Rethte,2れ a,S,86f.; deFSelhe,AHgOnelれ e Staよ ぃlehJo, 8 AH■ , s. 415f. 田辺勝二・前掲書・2開 貢 (29)kelSe,,Allgememo Staatslehro,S.150 fj田 運勝二・ 前掲書 ,2roO頁 ・「憲角 ・38-93頁 (30)宮 沢俊義― (31)田 中前掲書■167孔 我妻前掲書 ,87買 ;註 解 日本国憲法 500∼ 5C11貞 (32)Tjl」 えt鈍 8年 の導属殺人重罰違憲判決 (以 前は合割 宏永教不 平書裁判第一次 と第二次判決は全く対象的憲法解釈 49年 の/Ak労 法第17条 違憲判決 (以 前は合憲) stitutional Litigitio■ li SIIprune Co!ri Rewiew, Kurland (33)Kttrdi Logi。 lativo FaCts in C。 ■ │・ (ed1 19601 (34)法 学協会・謎解 日本国憲法上・有斐閣・1961・ 2酪 頁 (30永 井憲一 ■憲法と教育基本法・ 車書房 .1972,273買 `動 (361宮沢俊義 i憲 法正・1971・ 436買 ・ 二郎 の (37J星野安 子ども 教育を ,け る権利 (法 と教育 …学陽書房i1972所 収)179頁 ・ (381有 倉遼吉 憲法 と教育・公法絣究乾 号 ‐16買 │