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近代日本における経済エリートの心性 - Kyoto University Research
Title Author(s) Citation Issue Date URL <論文>近代日本における経済エリートの心性 : 四人の企 業家のテキストをめぐって 永谷, 健 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (1994), 2: 39-56 1994-12-25 http://hdl.handle.net/2433/192507 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 39 近 代 日本 に お け る経 済 エ リー トの心 性 四人 の企 業 家 の テ キ ス トを め ぐって 一 永 一 谷 健 目的 近 代 日本 の企 業家 精神 は、 どの よ うな内容 で あ ったの か。 す なわ ち、維 新以 降 、 あえ て 経済 的な リス クを冒 し、 実業界へ と身 を投 じて 富 の獲 得 を 目指 し、 日本 近代化 の主 役 とな っ た企業 家(ビ ジネス ・リーダー)た ちを内面か ら支え たエ ー トス とは、 いかな る内容で あ っ たの か。 本稿 の 目的 は、実 際 に致 富 し、経 済領 域 のエ リー トとな った企 業家 自身 が残 した テキ ス トか ら、彼 らの経済 活動 を 内部 か ら支 えた動 機 や価値 意 識を探 り、 同時 に そ う した 動 機 や価値 意 識 に一定 の影 響 を与 え た歴史 的社 会 的文脈 に 接近 す る ことに あ る。 本論 を 始 め る前 に、 こ う した 問題 領域 の近 接分 野 お よび その意 義 につ いて、 次章 で 若干述 べ てお き たい。 二 研 究の意義 近 代 日本 の企業 家 そ の もの に関す る研 究 は、 明治期 に お ける企業 家 の封 建 的出 自の特 定 を 目指す 一群 の研 究 、特 定企 業 お よび特 定企 業家 の経 営理 念 ・経営 方 針 ・経営戦 略な どに 関す る研 究 とい った経 営 史学 の 分野 で、 これ まで な されて き た①。 しか し、 日本 の近 代 化 の重 要 な部分 を 担 った それ らの 者 たち の属性 を特 定す る とい う前者 の総 合 的 ・体 系 的な 研 究 に決着 が つい て いな い と ともに、 企業 家精 神 に関わ る後 者 の研究 が 、個 別企業 の研究 と い う形 式で な され 、 しか も企業 経営 とい う限定 され た活動 領域 に表れ た行 動 や言 説 を追 跡 す る作業 に留 ま って い るの で あ る。 個別研 究 を横 断す る体 系 的な研 究 、 それ も企 業 家精 神 を総 体 的 に把 握 す る研究 な い し整 理 が求 め られ てい る と言 って もよい で あ ろ う。 本 稿 はそ う した体 系 的な研 究 の試 み の一つ で あ る。 この よ うに先行 研 究 の少 ない 分野 で あるが 、 日本 の近代 化 を内 面か ら支 え たエ ー トス と い う経済 面 に問 題 を限 定 しな い、 よ り広 範 な コ ンテ キ ス トで は、社 会 学な い し教 育 社会 学 の分 野 に おけ る 「 立 身 出世 主義 」 に関す る一 連 の議論 が 、企業 家精 神 を包 み込 む 議 論、 企 京都社会学年報 第2号(1994) 40 永 谷:近 代 日本 にお け る経 済 エ リー トの 心性 業 家精 神 に関 す る研究 に社 会 学的 な補助 線 を提供 して くれ る議論 と して有 益 であ る。す な わ ち、 日本 近代 化 過程 に お ける職業 的上 昇移 動 の智導 原理 を 析 出す る分 野 で あ り、 そ う し た饗 導原 理 の一 種 と して企業 家精 神 を位置 づ けて み るの は有 意義 で あ ろ う。 その代 表 的 な論者 と して 、 た とえ ば見 田宗介 は、 「明治以 来 の急速 な近代 化過 程 にお い て、 内 面的、 主体 的 な推進 力 を用 意 した もの」 、 ある いは 「日本 型資 本主 義 の急 速 な発展 を そ の方 向 に推 進 して きた内 面的 な動力 」 、す なわ ち ウ ェー バー に よ るプ ロテス タ ンテ ィ ズム の倫理 の近 代 日本 にお ける対応 物 こそが 「 立 身 出世主 義 」で あ る と捉 え る。 そ して、 庶民 の社 会 的上 昇装 置 と して現 実 に機 能 した 学校 系列 ・官員 登用 の各制 度 に対 して 、そ う した進路 に進 め な い低 学歴層 の く 観 念の 誘導路 〉 と して機能 し、近代 を 底辺 か ら支 えた の が努 力 ・勤勉 を 強調す る精神主 義、す なわち 〈 金 次郎主 義 〉で あ ると した。 〈 金 次郎主義 〉 は現 実 に対す る批 判性 が乏 し く、 個人 の アス ピレー シ ョンの追求 と国家 の利益 と の 「 幸福 な予定 調和 」 を前 提 とす る とい う。 したが って 〈 金次 郎主 義 〉 は、 「 封 建遺 制 の 残 存 にむ しろ依存 して食 いつ ぶ しな が ら、生 産力 の面 にお いて は急 速 に高度 の 資本制 生産 を 実現 し て い くた めに 「上 か らの近代 主 義』 を推進 す る支 配層 」が 「見 出 した 、か っこ うの イデ オ ロギ ー」 で あ った とい う(見 田:185,189,194)。 この よ うに、 見 田は 「立身 出世 主義 」 の 中心 に 〈 金次 郎主 義 〉を据 え つつ 、そ れを 学歴 至 上 の社 会的序 列 の代 償満 足 と して機能 し、か つ、政 府 ・官僚 によ る大衆 馴致 の 手 段 と し て も機能 す る、 い わ ば受動 的な イ デオ ロギ ー と して析 出 して い る と言 え よ う。 こ う した 「立身 出世 主義」 に 関す る議論 は竹 内洋に よ って さらに細分 ・洗練 されて い る。 「立 身 出世主 義 」 は時代 に よ って変 化 し、 明 治20年 頃 まで は上 昇移動 の経路 ・資 格 の未 整 備の ために急速 な上昇 の 可能性 のあ った 〈 英雄 的僥倖 的立身 出世主義 〉の 時代 で あったが 、 明治20年 代か らは、 学校 制度 ・官 員登 用制 度 の確立 に よ って、秩 序 的な進 路 を辿 って 地位 ア ス ピ レー シ ョンの達 成 を 図 る 〈 秩序 的立 身 出世主 義 〉の 時代 とな った 。 そ して 、 この 時 期 か ら、 学校 系列 に乗 れ ない者 たちが 、地位 ア ス ピレー シ ョンの達 成 か ら経済 的 成 功 に よ る金銭 的ア ス ピ レー シ ョンの達成へ と乗 り換 え る とい う 「成功 ブ ーム」が始 ま った とい う。 竹 内 はそ う したア ス ピ レー シ ョン変 換 の現象 を 「代替 」 と呼ぷ 。 ただ 、 こ う して 加 熱 した ブ ー ム もアス ピ レー シ ョン達 成 の十 分な行 路 とはな らず 、一 部 は受験 ・:苦 学 へ と 回帰 し、 一 部 は修 養主 義 へ と吸収 され た とい う。す な わ ち、明治30年 代 か らは人材 過 多 ・教育 過度 に よ り社 会的 上昇 の 実現 可能 性が 減少 した とい う社 会的 背景 か ら、克 己 ・勤勉 を 推 奨 し人 格 の 完成 を図 る修 養主 義 が、達 成 され な いア ス ピ レー シ ョンを低下 させ る機能 を 果 た した とい う。竹 内 は これを 「 縮小 」な い し 「冷却 」 と呼ぷ 。 また、 こ う した機 能 の反 面 、修 養 主義 は一歩一 歩 の上 昇移 動 、す なわ ち 「 段 々出世 」の た めの手 段 と して も機 能 した と し、 Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 41 永谷:近 代 日本 に おけ る経済 エ リー トの 心 性 一 足 飛 びの上昇 があ りえ な い こう した時代 のエ ー トスを 、竹 内 は く 修 養 的立身 出世 主義 〉 と名づ けるので ある(竹 内:172-82)。 さ らに、 「 社 会 的階 梯上 昇 の心構 え 」 と して 「職務 に野 心 を集 中す る」 「 第一 等 主義 」 を意 味 す る神 島二郎 の用語 、 「藤吉 郎主 義 」を 、 この 「 段 々出世主 義 」の 意味合 いを加 え て再 定 義 し、 「藤吉 郎主 義 」を この時代 の地 位 ア ス ピ レー シ ョンの達 成方 法、 い わ ばア ス ピレー シ ョンの 「 縮小 」 によ る 「 段 々出世」 と して捉 え な おす 。 同時 に 「金次 郎主義 」 も、 「 藤吉 郎主義 」 の要素 の うち、 「 職務 に野心 を集 中す る」 「 第 一等主 義」 が純 化 した形 式 、 い わ ば 「働 き主 義 」 の形式 と して捉 え なお され る。 「藤吉 郎主 義 」が地 位 ア ス ピ レー シ ョ ンへ の手 段 で あ ったの に対 して 、 「金次 郎主 義 」は金 銭 的ア ス ピ レー シ ョンへ の 手段 と し て小 自営層 には機 能 した とい う。 この よ うに、受 験の社会 史 の立場か ら、 「 立 身 出世主 義 」 の変 容過 程 とア ス ピ レー シ ョンの行 方が精 密 に辿 られ た(竹 内1179・80)。 ただ 、 この精 密 な議論 が 「立 身 出世主義 」 のす べて を カ ヴ ァー して い る と見 る の は、 当 然、 誤 りで あ ろ う。 日本 の近 代化 を 支え た企業 家 た ちの、 学校 系列 を必 ず しも手 段 と しな い 「立身 出世 主義 」の もう一 つ の側 面、す な わ ち、革新 的 な経 済行動 に専心 して 致富 へ と 向か う企 業家 の エ ー トスー 「企業 家 精神一 が語 られ ず に残 されて い る。急 速 な 上昇 移動 が可 能 で あ った 〈 英 雄 的僥倖 的立 身 出世主 義 〉 の時代 の企業 家 精神 、 そ して と りわ け金銭 的 アス ピ レー シ ョンに 関 しては 、い まだ語 られ な い。 そ して 〈秩序 的立身 出世主 義〉 の 時 代 以 降 に関 して は、 修養 主義 の機 能 が明快 に説 明 され たが 、 「 代 替 」 によ り一 旦 加 熱 した 金銭 的 ア ス ピ レー シ ョンが修 養主 義 へ と吸収 され る過 程 につ いて は詳 細 に は語 られず 、総 体 的 に見 て、 む しろ見 田の議 論 よ りも一層 、金 銭 的ア ス ピレー シ ョンが 学校 系列 に よ る社 会 的 選抜 の いわ ば影 の部 分 と して捉 え られ 、 「立身 出世 主義 」 に 占め る企 業 家の 位 置 も語 られず に残 されて い る。 そ れ に、議 論 の 細 部 に は 多少 の 疑 問 も あ る。 修養 主 義 は加 熱 した アス ピレー シ ョン を 「縮小 」 「冷 却 」す る機能 を果 た したが、 反面 、 「藤吉 郎主 義 」 とその変 化形 で あ る 「金 次 郎主 義 」が その 時 代 の ア ス ピレ ー シ ョ ンの達 成手 段 と して 機 能 した とす る点 であ る。 「縮小 」 「冷 却 」 しつ つ達 成 手段 の機 能 を果 た す とい う一 見 矛盾 した エ ー トス が新 た な 「立身 出世主 義 」 と して捉 え られ るのだ が 、 しか し、 経済 行 動 に議 論 を 限定 した場 合 、 「縮小 」 「冷却 」 の機 能を 持つ こ う した 〈 修 養 的立身 出世 主義 〉は、 は た して営 利 の追 求 を促 進 す る ものな のか 、む しろ営利 の追 求 を抑 制す る もので はな いの か とい う、 素朴 な疑 問 が 出て くる。企 業 家精 神 のな かで 金銭 的 アス ピ レー シ ョンは、 はた して全 面 的 に低 下 し た ままだ ったの であ ろ うか。 この よ うに、企 業 家精神 の内容 分 析は 、問 われず に残 された 「立 身 出世主 義 」 の半 面 を 京都社会学年報 第2号(1994) 42 永 谷:近 代 日本 に おけ る経済 エ リー トの 心 性 照 射 す る とい う意 味 を 持 つ こ と に な ろ う 。 見 田 や 竹 内 に 代 表 さ れ る 「立 身 出 世 主 義 」 の 議 論 の 出発 点 は 、 日本 近 代 化 を い わ ば 下 か ら支 え た 庶 民 が 明 治 以 降 の 激 変 す る 時 代 の な か で ア ス ピ レー シ ョ ンを い か に 処 理 し、 適 応 した の か で あ る が 、 こ の 出 発 点 の 選 択 が 、 「立 身 出 世 主 義 」 を 社 会 的 選 抜 に 乗 れ な い 庶 民 の 受 動 的 な エ ー トス と して 描 く理 由 と な っ た と も 考 え られ る。 したが って 、 「立 身 出 世 主 義 」 の 能 動 的 な 側 面 を 探 る方 策 と して 、 維 新 以 降 、 実 際 に 経 済 的 成 功 を 果 た し、 日本 の 近 代 化 を 牽 引 した企 業 家 一 リー トー い わ ば 近 代 日本 の 経 済 エ の 精 神 に サ ン プル を 絞 る とい う方 針 が 有 効 と な って こ よ う。 以 下 の 章 で は 、 こ う した 見 田 や 竹 内 の 「立 身 出 世 主 義 」 を め ぐる概 念 を 補 助 線 と しな が ら、 維 新 後 に 経 済 的 に 成 功 した 明 治 ・大 正 期 の 企 業 家 が 残 した テ キ ス ト(成 功 書 ・自 伝 ・ 日記 な ど)か ら、 近 代 日本 の 企 業 家 精 神 に接 近 して ゆ くつ も りで あ る 。 た だ 、 た しか に 企 業 家 の 著 書 を 素 材 に す る の は 、 彼 らの 言 説 内 容 に 直 接 触 れ る と い う点 で き わ め て 有 効 な 方 法 で あ る が 、 記 述 が す べ て 真 実 な の か 、 粉 飾 は な い の か とい う問 題 が 常 に つ き ま と う。 し か し、 本 稿 で は 、 企 業 家 精 神 に と りあ え ず 出 来 る か ぎ り の 接 近 を 試 み 、 全 体 的 な イ メ ー ジ を つ か む こ と に 集 中 し、 後 に 粉 飾 の 問 題 に 若 干 触 れ 、 疑 問 点 の 提 示 を 行 な う こ とに す る 。 ま た 、 既 述 の よ うに こ う した 分 野 の 先 行 研 究 は き わ め て 少 な く、 か つ 、 近 代 日 本 の 企 業 家 とい え ど も そ の 数 は き わ め て 多 い の で 、 本 稿 は 以 下 の よ う に対 象 を 限 定 し、 企 業 家 精 神 に 関 す る 総 合 的 研 究 の 一 つ の 端 緒 を 提 示 した い 。 この 分 野 で は 貴 重 な 研 究 の な か で 、J・ ヒル シ ュ マ イ ヤ ー は 明 治 初 期 に 立 志 ・蓄 財 した 企 業 家(1860年 以 前 生 ま れ)を 分 類 し、 独 立 独 行 的 か つ 半 官 的 で 政 府 か ら特 権 を 得 て 蓄 財 した財 閥創 始 者 で あ る1840年 以 前 生 まれ の 企 業 家 を 「年 長 グル ー プ 」(た とえ ば 、 岩 崎 弥 太 郎 、 大 倉 喜 八 郎 、安 田善 次郎 、 五 代 友 厚 、 森 村 市 左 衛 門 、 渋 沢 栄 一 な ど)、 そ して 、 政 府 に あ ま り依 存 せ ず 株 式 会 社 設 立 に進 ん だ 1840年 以 後 生 ま れ の 企 業 家 を 「若 年 グル ー プ 」(た 孝 、 浅 野 総 一 郎 な ど)と 名 付 けて い る(ヒ とえば 、藤 田伝 三郎 、馬 越恭 平 、益 田 ル シ ュ マ イ ヤ ー:§7)。 本 稿 で は、 こ の ヒル シ ュ マ イ ヤ ー の 分 類 に 従 い な が ら、 さ しあ た って 第 一 の 世 代 に焦 点 を 合 わ せ 、 そ の な か で も武 器 輸 出 を 中心 と す る大 倉 財 閥 系 の 各 種 企 業 を 創 始 した 大 倉 喜 八 郎(1837-1928年)、 安 田 銀 行 等 の 安 田 財 閥 系 関 連 企 業 を 創 始 した 安 田 善 次 郎(1838-1921年)、 日本 陶 器 ・富 士 製 紙 等 の 森 村 財 閥 系 関 連 企 業 を 創 始 した 森 村 市 左 衛 門(1839-1919年)、 王 子 製 紙 ・日 本 郵 船 等 の 企 業 創 立 に 関 わ っ た 渋 沢 栄 一(1840-1931年)の 四 人 を 中 心 に 取 り上 げ る 。 そ れ は 、 一つ に は 彼 らが 近 代 日本 の経 済 エ リー トの 第 一 世 代 の な か で も き わ めて 著 名 で あ り、 しか も彼 らの 出 生 年 が 接 近 して お り、 同 一 世 代 と して 共 通 の 企 業 家 精 神 を か な り 明 確 な 形 で 抽 出す る こ と が 期 待 で き る か らで あ る。 そ れ に 、 彼 ら四 人 は 明 治 後 期 か ら大 正 期 に か け て 少 な か らぬ 著 作 を 残 して お り、 著 作 を 本 来 あ ま り残 さ な い企 業 家 た ち の な か で 、 彼 らの Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済 エ リー トの 心性 43 思 想 を知 り得 る貴 重 なサ ンプル とな るか らで あ る。 そ こで次 章 で は、企 業家 精 神を 多角 的 に捉 え るため 、四人 のテキ ス トで共 通 に 語 られ る 項 目、すなわ ち、そ れ ぞれの 出 自 ・立志 前の境遇 、立志 の動 機、 信仰 お よび成功 のモ デル、 成功 致 富 のた めの 哲学 、蓄 財観(な い し金銭 観)を それ ぞれ 分 けて取 り出 し、 そ れ を順次 提 示 して ゆ き、そ の後 の章 で彼 らの企業 家精 神 の比較 ・分析 と、社会 的 背景 を考 慮 した若 干 の分析 を 試み た い。 三 立志 の動機 、成 功哲学 な ど 111出自 ・立志 前 の 境遇 この項 目で は四人 の企 業家 の紹 介 をか ねて 、 と りあえず 幼少 時 の家庭 環境 を、 彼 ら 自身 の記述 を も とに簡 潔 に記 して お こ う。 (a)大倉喜 八 郎 新 潟 の帯刀 を許 され る 「町人 の 中で は格 式 の あ る家 」 の五 人 兄弟 の第 四子 と して 出生 し た。 家庭 は比 較 的裕福 で あ った とい う。家 業 は質 業で あ り、幼 時 よ り王 陽 明派 の 学者 の 私 塾 で家 業手 伝 い のか たわ ら勉 学 に励 み、 四書五 経 ・習 字 ・珠算 な どに親 しん だ と語 って い る。(大 倉1911:29) ◎安 田善次 郎 富 山藩士 の 「ご く小 身な 家 」の五 人兄 弟 唯一 の男子 と して 出生 した。最 下級 士 分 で 、貧 窮ゆえ に傍 らで農業 も営 むよ うな家庭 で あ った という。教 育 は寺 子屋 で 習 う程度 だ った が、 幼 時か ら畑仕 事 や写 本 の 内職を してお り、軍 記本 を写 しなが ら読 む のが楽 しみで あ った と い う。(安 田1911:38-9) (c)森村市 左衛 門 江 戸 の旗本 出入 りの袋物 商(武 具 ・馬具 等)の 長 男 と して 出生 した。 「豪 侠 」 な祖 父 が 莫 大な借金 を し、父 が その後 に家 業を盛 りたて再 興 した。 幼少 時の教 育 は手習 い程度で あ っ たが 、16歳 の ときに病 弱 のた め丁稚 奉 公を 諦 めて実家 に帰 り、辞 書 を 引きな が ら、(尊 王 嬢夷 運 動 に影響 を与 え た)頼 山陽r日 本 外史 』 を読破 した と記 して い る。 そ して 、 同 じ年 に 、大震 災 で 災害 を 被 り、 再 び借 金を 背 負 う困 窮生 活 に戻 っ て しま った とい う 。(森 村 1929a:58) ⑥ 渋 沢栄一 埼玉 で 養蚕 ・製 藍 を営 む豪農 に 出生 し、 父 の代 には金 融業 を も営 む資産 家 の家 庭 で あ っ た。幼 少 時 よ り父 や儒 者 か ら早 期教 育 を受 け、 四書 五経 等 を学 び、相 当な読 書力 を身 につ 京都社会学年報 第2号(1994) 44 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済エ リー トの心 性 け る に 至 っ た と い う。 の ち 、20歳 を 過 ぎ て 江 戸 に 遊 学 し、 「当 世 の志 士 」 と交 遊 しな が ら 漢 籍 の 勉 学 の 傍 ら剣 術 を 学 ん だ と い う 。(渋 沢1984116-8,31-2) 12}立 志 の 動 機 明 治 か ら大 正 に か け て 企 業 家 の 残 した テ キ ス トの 叙 述 形 式 と して 、(1)の 立 志 前 の 境 遇 の 次 に(あ る い は そ れ を 敷 術 す る形 で)、 実 業 界 に身 を 投 じる 決 意 を 促 した 若 き 日の エ ピ ソー ドを語 る 場 合 が 多 い 。立 志 の動 機 の 形 成 、 す なわ ち企 業 家 精 神 の 生 成 な い しア ス ピ レー シ ョ ン の 生 成 を 知 る と い う 点 で 重 要 な 記 述 で あ る と言 え よ う。 (a)大倉 喜 八 郎 王 陽 明 派 学 者 の 私 塾 に通 って い た 頃 、 学 友 の 境 遇 に 同 情 し発 奮 した と い う 。 す な わ ち 、 学 友 の 父 が 侍 と路 上 で 遭 遇 し、 雪 混 じ りの 泥 道 な の で 平 伏 せ ず 敬 礼 す る と、 「意 地 悪 く糾 明 さ れ 」 、 家 業 の 一 月 営 業 停 止 を 命 じ られ た と い う。 大 倉 は そ の 境 遇 に憤 慨 し、 「目付 風 情 の 奴 が あ れ これ と い う て 、 大 切 な 商 売 の 妨 げ を す る と い う は 憎 い 振 舞 い だ 」 、 「こ ん な 国 に い る の が 間 違 っ て い る の だ 」 と感 じ、 江 戸 へ 出 る 決 心 を 固 め た と 記 して い る 。(大 倉 1911:30-1) (b)安田 善 次 郎 16才 の と き 、 大 阪 の 富 豪 の 手 代 が 藩 主 に 貸 す 金 を 持 って 参 じた と き 、 「平 常 自 分 等 に 大 威 張 りに 威 張 って い る勘 定 奉 行 が ま た 大 勢 の供 廻 りを 連 れ て 、 町 人 の 手 代 を 城 下 ま で 出 迎 え に い く と い う 騒 ぎ 」 を 目撃 す る。 そ の と き 、 「如 何 に 素 町 人 で も金 さ え あ れ ば 大 名 で あ る と の 念 が 堅 くな っ た 。 金 の 力 と云 ふ も の は何 と偉 大 で は な い か 」 と感 じ、 「己 れ も今 か ら一 生 懸 命 に 稼 い で 大 金 持 ち に な っ て み よ う、 これ な らき っ と 己 れ に も出 来 る」 と決 心 し た と い う 。(安 田1911:51-2) ま た 、 そ れ 以 前 の 次 の体 験 も立 志 に 大 き な 意 味 を 持 って い た とい う。 す な わ ち 、 幼 少 時 に 父 と城 下 を 歩 い て い る と 、 家 老 格 の武 士 と遭 遇 し、 父 は 足 駄 を 脱 ぎ 、 雪 の 上 に 座 っ て お 辞 儀 を した が 、 「私 は少 年 の 身 な が ら も甚 だ 情 な く思 ふ た 」 と い う。(安 田1912:98) (c)森村 市 左 衛 門 (1)の よ う に 震 災 に あ っ て 貧 困 に 喘 ぐ家 を 再 興 し よ う と 「発 奮 自 励 」 し た 。 次 の よ う に 語 って い る 。 「断 じて 祖 先 の 祀 を 断 つ ま い 。 断 じて 他 人 の 力 に 依 頼 せ ず して 独 立 で 老 親 や 弟 妹 を 養 育 す る 。 何 ん な に 困 っ て も不 正 不 義 は取 る ま い 」(森 村1912:359)。 そ の後 、 森 村 は 様 々 な 内 職 に よ り家 を 再 興 さ せ る う ち に 大 商 人 に な って い った と い う。 (d)渋沢 栄 一 17歳 の と き 、 領 主 か ら御 用 金 を い い つ か い 、 父 の 代 理 と して 代 官 と面 会 した 際 、 代 理 ゆ Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 45 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済エ リー トの 心 性 え に御 用金 差 出 し承 知 の即 答 はで き ない と述 べ た と ころ、代 官 にひ ど く叱 られ 、 嘲 弄 され た体験 が 奮起 の き っか けとな った とい う。 「如 何 に領主 の仰 せ とは 申 しなが ら私 の方 は御 用 金 を頼 まれ る方 で あ る。年 齢 が若 か らうが、 身分 が低 か らうが頼 む方 と頼 まれ る方 との 関係 で あつ て見 れ ば、 当然相 当の取 扱 ひをす るのが道 理で あ るべ き筈 であ る・… 」 と記 し て い る。(渋 沢1927:32) 13帽 仰 お よ び 成 功 の モ デ ル 立 志 の 後 の 起 業 ・経 営 活 動 に お い て 指 針 と な った 信 念 に 関 し、 彼 らが 宗 教 や 特 定 の 人 物 な ど 、 具 体 的 に 述 べ た も の の み を 次 に 記 して お こ う。 (a)大倉 喜 八 郎 特 定 の 信 仰 が あ っ た こ と は認 め られ な い が 、 ス マ イ ル ズ の 「セ ル フ ヘ ル プ 』 に 感 銘 を 受 けた との記 述が あ る。 ⑨ 安 田善 次郎 (1)で記 し た 幼 少 の 頃 の 写 本 で 、r太 閤 記 』 を 読 み 、 「あ れ だ け の 地 位 を 得 る ま で の 順 序 は 決 して一 握 千 金 的 の もの で は な く、 秩 序 も あ れ ば 階 段 も あ る 、 す べ て 順 序 を お う て き た と い う点 が 痛 く私 に感 動 を 与 え た 」 と 記 して い る。 ま た 、 致 富 後 に は 神 社 へ 熱 心 に 参 拝 して お り、 「神 人 感 応 の 体 験 」 を した と記 して い る 。(安 田1911:39,1918=198) (c)森村 市 左 衛 門 森 村 家 は 熱 心 な 仏 教 徒 で 、 森 村 自 身 、10歳 の 頃 に 出家 の願 望 が あ っ た ら し く、 致 富 後 に 高 野 山 明 王 院 を 建 立 して い る が 、 そ の 後 、 キ リス ト教 へ と 改 宗 して い る 。 ま た 、16歳 の と き、 「天 下 の 富 豪 三 井 家 の や う な も の に な り た い と云 ふ 希 望 を 起 こ した 」 とい う。 さ らに 、 「国 民 の た め を 思 っ て 一 身 を 犠 牲 に 供 した も の で あ るか ら」 、 佐 倉 宗 五 郎 と大 塩 平 八 郎 を 尊 敬 す る と い う記 述 も あ る。(森 村1929b:127) @渋 沢 栄 一 「論 語 」 「中 庸 」 等 を 心 読 の 書 と し て い る。 ま た 、(1)で 記 した よ う に 、 若 か り し 日に 幕末 の 志 士 に交 じっ て 剣 術 を 習 って 以 来 、武 士 道 に造 詣 を 深 め る よ う に な る。 彼 に よ れ ば 、 「武 士 道 の 神 髄 は 正 義 、 廉 直 、 義 侠 、 敢 為 、 礼 譲 等 の 美 風 」 で あ り、 「日本 人 は あ く ま で 大 和 魂 の 権 化 た る 武 士 道 を 以 て 立 た ね ば な らぬ 」 と い う 。(渋 沢1916:197-9) 141成 功 の 哲 学 彼 らの テ キ ス トの 中 心 部 分 で あ る 成 功 の 哲 学 は 、 彼 らの 人 生 哲 学 ・生 活 の 信 念 に 深 く結 び つ い た もの と して 語 られ て い る 点 で 、 経 営 態 度 の 指 針 と と も に生 活 態 度 の 指 針 を 知 る う 京都社会学年報 第2号(1994) 4b 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済エ リー トの心 性 え で 重 要 で あ る 。 企 業 家 精 神 の 中核 的 な 位 置 を 占 め る 項 目で あ る と言 え る 。 以 下 に そ れ ぞ れ の 成 功 の 哲 学 の 中 心 部 分 を 要 約 して お く。 (a)大倉 喜 八 郎 成 功 の 理 由 は 、 「自分 の 思 ふ 所 に 向 っ て 猛 進 した の と、 五 十 余 年 間 の悪 戦 苦 闘 の 結 果 」 で あ る と総 括 し、 具 体 的 な 処 世 法 と して 以 下 の 点 を 挙 げ て い る 。 ① 「虚 業 に 手 を 出 さ ぬ 事 」 、 ② 「国 家 を 利 す る 所 の 事 業 を 行 ら う と 云 ふ 考 え 」(大 た)、 ③ 「実 業 界 に も貢 献 した い と云 ふ 考 え 」(商 努 め た こ とを 指 す)、 倉 は 陸 軍御 用 達 商 で あ っ 業 学 校建 設 によ って実 業教 育 の普 及 に ④ 「名 の 為 に 事 を 為 な い 事 」 、 ⑤ 「分 限 を守 る事 」 、 ⑥ 「活 働 主 義 精 力 主 義 を 執 る事 」 、 ⑦ 「事 に 望 ん だ ら決 心 を 堅 め 、 断 行 す る 事 」 。(大 倉1911:24-6) (b)安田 善 次 郎 成 功 の 理 由 を 、 「凡 て の 誘 惑 に打 ち克 ち克 己 の 生 涯 を 続 け た こ と」 と総 括 し、 「克 己 貯 金 」 とい う言 葉 を 成 功 の 哲 学 と して 掲 げ て い る 。 安 田 に よ れ ば 、 「克 己 貯 金 」 と は 「克 己 制 欲 主 義 」 と 「勤 倹 貯 蓄 」 を 組 み 合 わ せ た もの で あ り、 「勤 倹 貯 蓄 」 とい う 目的 の た め に 「克 己 制 欲 」 を 手 段 と す る経 済 的 な 行 動 を 意 味 す る と 同 時 に 、 「克 己 」 と い う 目 的 の た め に 「貯 金 」 を 手 段 と す る 「精 神 修 養 」 の 態 度 を も意 味 す る とい う。(安 田1912) (c)森村 市 左 衛 門 成 功 の 理 由 を 端 的 に述 べ れ ば 「奮 闘 主 義 」 で あ る と い う 。 そ れ も 、 一 つ の 信 念 、 す な わ ち 、 「労 働 は 神 聖 な もの 」 な の で 「奮 闘 す る 気 力 」 を 維 持 し 「正 直 な 労 働 」 を で き る だ け 多 く天 に 預 け て お け ば 、 天 は 正 直 だ か ら後 に な っ て た く さん 報 酬 が 還 っ て く る と い う 信 念 に 裏 付 け られ た 態 度 で あ る。 そ う した 「奮 闘 主 義 」 の 立 場 か ら 、一 擾 千 金 を 願 わ な い 堅 実 主 義 、 投 機 の 回 避 、 「独 立 独 歩 」 の 姿 勢 な ど の 徳 目を 語 っ て い る。 ま た 、 「 『自 分 の 今 現 在 や ッてを る商 売 よ り、 や 、大 き く した い 、 も少 し資 本 を 豊 に して見 た い 』 と望 む だ け で 、 決 して 大 富 豪 に な りた い とか 、 第 一 流 の 商 業 家 に な りた い とか 図 ぬ け た 望 を 起 し た こ と は あ りま せ ぬ 」 と記 して い る。(森 村1912,1918) (d)渋沢 栄 一 先 の 「正 義 」 「廉 直 」 とい っ た 徳 目に 代 表 さ れ る武 士 道 や 儒 教 へ の造 詣 と あ い ま っ て 、 独 自 の 倫 理 を 展 開 して い る 。 す な わ ち、 「士 人 に 武 士 道 が 必 要 で あ っ た 如 く、 商 工 業 者 も ま た そ の 道 が 無 くて は 叶 わ ぬ こ と で 、 商 工 業 者 に 道 徳 は い らぬ な ど と は と ん で も な い 間 違 い で あ っ た の で あ る 」 と し、 商 工 業 へ の 武 士 道 の 徳 目の 注 入(「 実 業 道 」 「士 魂 商 才 」) を 説 く。 さ ら に 、 「義 利 合 一 主 義 」 な い し 「道 徳 経 済 合 一 説 」 を 成 功 の 哲 学 と して 提 唱す る。 つ ま り 、 自 己利 益 ば か りに 偏 る と事 業 に 無 理 が 生 じや す く、 却 っ て 破 綻 しや す い の で 、 国 家 に と って も損 失 で あ る と し、 自 己利 益 と 「商 業 道 徳 」 と は 本 来 調 和 す る は ず で あ り、 Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 47 永谷:近 代 日本 に お け る経 済 エ リー トの心 性 ま た 、 調 和 させ るべ き で あ る とす る 説 で あ る 。 実 際 、 渋 沢 自身 も 「明 治 初 年 以 来 道 徳 と経 済 の 合 一 を 主 張 し、 且 つ 之 れ が 実 行 を 旨 と して 今 日に 及 ん で ゐ る 」 と し、 「実 業 界 に あ っ て 活 動 して 居 る 頃 に は 、 屡 々 利 を 以 て 誘 は れ た事 が あ っ た 」 が 、 「私 は 常 に 正 し い 道 理 の 上 に 立 って 斥 け、 一 度 も 自 分 の 履 む べ き 道 を 誤 ら な か っ た 」 と い う。(渋 沢1927:464- 6,1916:23,116-9,197) 151蓄 財 観(な い し金 銭 観) 彼 ら の 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ン の様 態 を 知 る た め 、 金 銭 に 関 す る 直 接 的 な 記 述 を 以 下 に 列 挙 して お く。 (a)大倉 喜 八 郎 自分 が 富 豪 に な っ た の は 「社 会 的 趨 勢 」 に よ る と こ ろ が 大 き く、 「国 家 の 恩 」 に 感 謝 す べ き で あ る と し、 「金 は、 皆 国 家 社 会 の 為 め に 投 じ、 ・… 世 を 辞 した い 」 と す る 。 た だ 、 「金 の 為 め に 、 あ ら ゆ る 困 難 辛 苦 を 嘗 め た 人 で な け れ ば 、 真 に金 の 有 難 味 は 、 解 ら な い も ので あ る」 、rr金 銭 の 無 ・の は首 の 無 い よ り尚 ほ辛 らい 。 』 と 云ふ が 、 全 くさ うで あ る 」 と も述 べ て い る 。(大 倉1911:135-6) ⑨安 田善次 郎 「金 で あ る。 金 さへ あ れ ば 到 る所 誰 も優 遇 さ れ 、 誰 も優 遇 す る の で は あ る ま い か 。 … ・ 生 存 す る と云 ふ 点 よ り云 ふ 時 は 金 よ り大 事 な もの は 何 もな い の で あ る 。 そ こ で 金 を 尊 ぷ と 云 ふ の は そ の 生 命 を 重 ん ず る と云 ふ の に 等 し い の だ 」 と 述 べ る よ う に 、 「克 己 貯 金 」 の 貯 蓄 至 上 主 義 の 立 場 か ら 、 金 銭 至 上 主 義 を 打 ち 出 して い る。(安 田1912:78) (c)森村 市 左 衛 門 「虚 栄 を 眼 中 に お か ず 、 そ れ に 費 す 費 用 を 転 じて 、 貯 蓄 と い ふ こ と に 心 付 い た な らば 、 そ れ は実 に大 な る美 徳 で あ り ま す 。 … ・貯 蓄 の 為 め に 、 買 ひ た い もの も買 は ず 、 食 ひ た い 物 も、 忍 ば な け れ ば な りま せ ぬ か ら、 苦 しい 様 で は あ り ま す が 、 そ れ が 段 々利 息 と 共 に ふ え て 来 る に 従 ひ 、 次 第 に興 味 を 持 ち 、 つ ひ に 大 に 貯 蓄 を 励 む よ う に な り ま せ う」 。 こ の よ う に貯 蓄 を 推 奨 しな が ら、 他 方 で は 、 国 家 の た め に 事 業 を す る の に 金 が 欲 し い 、 した が っ て 、 「唯 金 を 蓄 め る の が 馬 鹿 馬 鹿 し い 」 と 、 貯 蓄 主 義 を 排 撃 して い る 。(森 村1911:88- 9,1912) ⑥ 渋沢 栄一 「義 利 合 一 主 義 」 の 立 場 か ら、 「富 を 増 した い と い ふ の は 世 間 普 通 の 人 情 」 だ が 、 「積 ん だ 富 を 国 の 為 め に 散 じ、 そ れ に 依 っ て 社 会 の 事 物 或 ひ は 秩 序 の 進 む 様 に して 行 く」 よ う に心 掛 け るべ き で あ る と説 い て い る 。(渋 沢1927:455) 京都社会学年報 第2号(1994) 48 永 谷:近 代 日本 にお け る経 済 エ リー トの 心性 四 考察 それ で は各項 目につ き、考 察 を加 え てい きた い。 「(1)出自 ・立志 前 の境遇 」 に関 して は、先 に も述 べ た よ う に明 治 以 降の企 業家 の封 建 的 出 自を特 定 しよ うとす る一 群 の研究 が あ るので 、 これ 以 上 の考察 は見 合 わせ る。 「(2)立 志 の動機 」 に 関 しては 、森村 だ けが傾 い た家 の再 興 とい うタ イプ の動 機 で あ り、 他 の三 者 は、少 年期 に代官 や大 名 らの態 度 に反発 し発 奮 した とい うタイ プで あ る。 立志 動 機 の分析 と して き わめ て貴重 な 鳥羽 欽一 郎の研 究 は、r私 の履 歴書 』 を資料 と して 、1864 年か ら1916年 の期 間 に出生 した企 業 家の 出 自 ・学 歴等 を分 析 したが 、 その 際 に使 用 され た 動機 の語 彙 と して頻 出す る立 志動 機 の分 類 カテ ゴ リーは、 森村 に見 られ る 「家業 ・家運 の 再興 」 、そ して 「 両親 ・兄弟 の面倒 」 「実業家 と して の成功 ・出世」 「専 門分 野 での 活動 、 日本 の 将 来 と 国 家 へ の 貢 献 」 「社 会 に 対 す る責 任 感 ・使 命 感 」 の5つ で あ る(鳥 羽 1988)。 鳥 羽は そ こで森村 の タイプ は新 しい世 代ほ ど減 少す る ことを確 かめて い る。 また 、 武士 身分 へ の反発 とい う他 の三者 に見 られ る動 機 は、世 代 の違 いか ら当然 、 これ らの カテ ゴ リー には含 まれ て い ない。 したが って 、家運 の再 興を 含 め、 これ ら四 人 に見 え る立 志動 機 は、少な くと も企 業家 第一世 代に と っては後 の世代 と比 して大 きな意 味を持つ 動機 であ っ た と言 え よ う。 立志 の動 機 は、竹 内が詳 述 しな か った 明治前 期 の 〈 英 雄 的僥倖 的 立身 出世 主義 〉 の時代 の企業 家精 神 の典 型例 を探 る うえ で重 要で あ る。 まず、 森村 の場 合 、彼 の企 業家 精 神 の形 成 過程 は、 ま さに安丸 良夫 が 明 らか に した近 世 後期 以 降の通 俗道 徳 の形 成 の相似 形 であ っ た と言 え る。 安丸 は 「日本 近 代社 会成 立期 の社 会 的激動 の 渦 中にお いて 、広 汎 な 人 々が 自 己形成 ・自己鍛 練 とい う課 題 に直 面 して お り、通 俗 的徳 目の樹 立は 、 この課 題が は た され る具体 的 な形 態 に ほか な らな か った」(安 丸1974130-1)と し、 「 家 」 の没 落 と い う時代 の転換 期 の経 済 的な現 実 問題 の解 決 のた めに、 克 己 ・努 力 のい わば求 心 的な 力が 生 じた と す るが 、 森村 は その典 型で あ ると言 え る。 た だ、 この求 心力 は 「家 」の再 興 を端 緒 とす る ので、 富 の獲得 に多 くの 関心 を注 ぐ。借 金 を皆済 した森村 は次 のよ うに記 してい る。 「安 政六 年 十二 月大 晦 日に借金 皆済 した り。其 時 の心 嬉敷 事讐 へ ん に物な し。 二 百文 程 にて松 竹 注連 飾 を買集 め 、 自身 にて 打付 けたる其心 中、我 独 りの愉 快、 満腔 の 随喜 、数 年 の辛 苦 を一 時 に忘 れた り」(森 村1929a:67)。(5)で 記 した よ うな 国家 のた めの利 他 的蓄 財 を説 く森 村 だが 、 ここに他 者を 意識 か ら排 除 した通俗 道徳 の孤 独 な 自己鍛練 の姿 、そ して金 銭 的 アス ピ レー シ ョンの緩 や かな加 熱 を見 出す ことが でき よ う。 Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 49 永 谷;近 代 日本 に お け る経 済エ リー トの 心 性 他 の三 者 の場合 は 、商業 活動 の妨害 とな る横 柄 な武士身 分 へ の不 信 、 お よび、 商 業 活動 へ の誇 りが共通 に語 られ る。す な わ ち、近世 末 期 の杜 会構 造 と して しば しば指 摘 され て い る、杜 会 的威信 の あ る武士 身分 に経 済力 が 乏 しく、 威信 の乏 しい商人 に経 済力 が あ るとい う、威 信 と経済 力 の逆 転 的 な構 造 に対 して ②、不 満 が表 明 され 、 そ れ が立志 の契 機 とな っ て い る。彼 らは社会 構造 な い し武士 身分 に対 す る怨恨 を は らん だ社 会批 判 の立場 、変 革 ・ 解 放 の立場 で あ り、求 心 的で禁 欲 的な森 村 の よ うな タイ プ とは逆 の、 革新 的で 、 いわ ば遠 心 的 なタ イプ で あ る。 た だ 、 こ う した 革新 的 な 社会 批 判 の立 場 が先 の(5)の大 倉 や 渋沢 に 見 え る国家 の利益 のた めの 商業 活動 とい う利 他 的な思 想 に直結 す るわ けで は決 して な く、 む しろ、(2)のエ ピソ ー ドか ら読 み 取 れ る よ うに、 自由で 個別 的 な 商業 活 動 の尊 重 とい う 経 済 的個 人主 義 の一 種 と見 なす のが適 切 であ ろ う。だ か ら、安 田の よ うに、 金力 に対 す る 極端 な信 頼 、金 力万 能 の時代 の 予感 を表 明す る こ とに もな る。 した が って 、立志 の動 機 に 関 して は、求 心 的な ものか遠 心 的な もの か とい う意 識 の方 向性 の決 定 的な違 い は あ るが 、 金 銭 的ア ス ピレー シ ョンの貯 え は四人 に共通 に見 出せ るので あ る。 武 士身 分へ の不 信 とい う動 機 に関 して は、社 会 的背景 の点 で付言 す べ き こ とが あ る。 こ の動機 は、竹 内や 見 田 によ って展 開 され た説 明 のパ タ ー ン、 す なわ ち、学 校系 列 を 中心 と す る社 会 的選 抜 に乗れ な い者 た ちの 「 代 替 」 と して 金銭 的 アス ピ レー シ ョ ンの加 熱 を 捉え る説 明のパ ター ンときわ めて 類似 してい る点で あ る。つ ま り、学歴 面 で の優位 者 に対す る 怨 恨 か、封 建身 分 の優 位者 に対 す る怨恨 か とい う相違 はあ るが、達 成 で きな い地 位 ア ス ピ レー シ ョンの代 償 満足 とい う意 味 で成功 願望 を 捉え る点 で は一 致 して い る。 この 一致 は、 彼 ら四 人 の企 業 家 がテ キ ス トを書 いた 時代 の状況 と密 接 に関わ って い る。す な わ ち、 こ こ で参 照 して い る 自伝 や著 書 を彼 らが 著 した のは 、お よそ 明治後 期か ら大 正期 にか けて であ り、 この期 間、 日露 戦争 後 明治40年 の株 式 ブー ムや第 一次 世界 大戦 中か ら始 ま った大 戦景 気 を背 景 に した、爆 発 的な成 功書 ブー ムが生 じたので あ る。 そ して 、彼 らはそ う した成功 書 の代表 的 な著者 で もあ った。彼 らの著作 は、回想 録 を も含 め て成功 書 の叙述 形 式を 踏襲 して い るので あ る。 つ ま り、 正系 の学校 系 列 に乗れ な い多 くの若 年層 が輩 出 した 社 会 的な 閉塞状 況 に、 好景 気 が断続 的 にや って くる経 済 的状 況が 加わ るなかで 、彼 らの著 作 は致 富 へ の導 き とい う成 功書 の本 来 の意 義か ら、 若年 層 の地 位 ア ス ピ レー シ ョンを金 銭 的ア ス ピ レー シ ョンへ と 「代替 」 させ る とい う時代 の要請 に応 え る よ うに一 説 の よ うに一 ま さ しく先 の竹 内の 機能 して いた し、 また、 応 え るよ うに意 図 されて書 かれ た と も言 え るで あ ろ う。 した が って 、 この 反 特 権 的 で 革 新 的な 立 志 の動 機 も、立志 当 時の"真 実 の"動 機一 ない しそ の 当時彼 らが 選ん だ動 機 の語 彙一 代 に影響 を受 けな が ら彼 らが選 ん だ一 で あ る と同時 に、テ キ ス トを 記 した 時 あ るい は状況 が選 ばせ た一 動 機 の語彙 で もあ る 京都社会学年報 第2号(1994) 50 永谷:近 代 日本 にお け る経 済 エ リー トの 心性 こ と に 注 意 して お くべ き で あ ろ う 。 さ て 、 次 に 「(3矯 仰 お よ び 成 功 の モ デ ル 」 に 関 して で あ るが 、 この 項 目 は 四 人 の 企 業 家 の な か で き わ め て 変 化 に 富 ん で お り、 そ れ ぞ れ が 異 な る 対 象 に照 準 を 合 わ せ 、 経 営 ・生 活 の 指 針 と して い た と 言 わ ざ る を え な い で あ ろ う。 大 倉 は 「セ ル フ ・ヘ ル プ 」 に 感 銘 を 受 け 、 修 養 主 義 そ の もの に 自己 の経 営 態 度 と通 じ合 う もの を 見 出 し、 安 田 は 幼 少 時 に 自 己 の 境 遇 と太 閤 秀 吉 の 下 積 み 時代 と を 重 ね つ つ 、 「段 々 出 世 主 義 」 を 立 身 出 世 の 指 針 と定 め て い る。 こ う した 疑 似 修 養 主 義 的 な モ デ ル が 見 られ る反 面 、 安 田 ・森 村 の よ うな 庶 民 的 な 神 仏 信 仰 、 渋 沢 の よ う な 儒 教 ・武 士 道 へ の 専 心 もあ る と い っ た 具 合 で あ る。 た だ し、 こ れ らの 背 後 に は共 通 の 信 念 が な い わ けで は な い 。 「(4)成功 の 哲 学 」 か ら窺 え る よ う に 、 精 神 主 義 とい う 点 で は 一 致 して い る。 筒 井 清 忠 は 、 江 戸 か ら 明 治 に か け て の 「日本 人 の エ ー トス 」 と し て は 、 庶 民 層 に 普 及 して お り 自 己 利 益 を 肯 定 す る 傾 向 が 強 い 「通 俗 庶 民 道 徳 」、 お よ び 、 武 士 ・士 族 に見 られ た 国 家 へ の 貢 献 に重 点 を 置 い た 「 武 士道 」 と い う二 っ の タ イ プ を 挙 げ る こ と が で き る と し、 い ず れ も 「努 力 ・奮 励 」 な どの 「修 養 」 主 義 的 要 素 を 共 通 に持 っ て い た 点 か ら、 明 治 後 期 修 養 主 義 の 初 期 形 態 と い う意 味 で 、 両 者 を ま と め て 「前 期 的 修 養 主 義 」 と 名 付 け て い る(筒 井1993)。 こ こで 取 り上 げ た 企 業 家 た ち も、 や は り、 そ れ ぞ れ が 「前 期 的 修 養 主 義 」 の 体 現 者 で あ る と言 え よ う 。 一 方 で 森 村 が 没 落 の 危 機 に 瀕 した 「家 」 の 再 興 を 端 緒 とす る 自己 鍛 練(「 俗 的 徳 目 の 忠 実 な 実 践)と 奮 闘 主 義 」 と そ れ に 連 な る通 い う典 型 的 な 通 俗 道 徳 の 体 現 者 で あ り、 他 方 で 渋 沢 が 「正 義 」 「廉 直 」 な ど に 基 づ く 「実 業 道 」 を 唱 え た 典 型 的 な 武 士 道 タ イ プ の 体 現 者 で あ る と い っ た 違 い は あ る が 、 す べ て 精 神 主 義 的 な 努 力 主 義 とい う 徳 目へ と 収 敏 して い る と言 え よ う 。 そ して 、 こ う した 「努 力 ・奮 励 」 とい った 共 通 点 と 〔自 己 利 益 一一 国 家 の 利 益 〕 と い う 対 比 は 、 彼 ら の 成 功 の 哲 学 に も一 定 の 分 析 軸 と一 定 の ヴ ァ リエ ー シ ョ ンが 存 在 す る こ と を 示 して くれ る 。 「(4)成功 の 哲 学 」 を 一 瞥す れ ば 、 や は り 大 倉 の 「活 働 主 義 精 力 主 義 」 や 安 田 の 「克 己 制 欲 」 に 代 表 さ れ る よ うな 努 力 主 義 な い し修 養 主 義 的 態 度 、 す な わ ち 、 ア ス ピ レー シ ョ ンを 「 縮 小 」 しつ つ それ を 職 務 に 集 中 させ る 「第 一 等 主 義 」 と全 く同 じも の を 、 四 人 に 共 通 の 態 度 と して容 易 に 見 出 だ す こ とが で き る 。 各 企 業 家 は こ う した 態 度 を 手 段 と して 営 利 を 追 求 した わ け で あ る が 、 彼 らの 営 利 の 目 的 は 、 〔自 己 利 益 一 い う軸 に よ っ て 分 類 す る こ とが 可 能 で あ る 。(図1参 国家 の 利 益 〕 と 照) た だ し、 他 の 第 一 世 代 の 企 業 家 の テ キ ス トを 読 ん だ 印 象 で は 、 お よ そ 自己 利 益 か 国 家 の 利 益 の いず れ か 一 方 の み を 目 的 に 掲 げ る 企 業 家 は ほ と ん どい な い と 言 って も よ い よ う に 思 わ れ る 。 先 に 掲 げ た 「(4)成功 の 哲 学 」 お よ び 「(5)蓄財 観(な い し金 銭 観)」 を 一 瞥 して 分 か る とお り、 こ こに 取 り上 げ た 四 人 の 企 業 家 の テ キ ス トに お い て も、 国 家 の 利 益 に 通 じ Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 S1 永谷:近 代 日本 にお け る経 済 エ リー トの 心 性 自己利益 国家 の 利益 縮小 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ン 図1 注:矢 印の指 し示 す方 向が 目的 るよ うな経 営 の心得、 自己利益 に偏 った経営 の排 斥、 国家 へ の 自己利 益 の還元 といった様 々 な形 式 で、 自己利 益 と国家 の利益 の調和 が しば しば力 説 され る。作 田啓 一 は 、近 代 日本 人 の価 値観 の場 合 、 「何か を うま くや って の けた い」 とい う達成 動機 は 、西 欧 の個 人 的業 績 価 値 を強 調す る達 成動 機 に比 して、集 団へ の貢 献 価値 を強 調す る達 成動 機 が強 い と指摘 し たが(作 田113-23)、 四 人 の企業 家 のテ キ ス トにお い て も、 これ は如 実 に表 れ て い る。 た だ、多 少 の個人 差 は あ る。 大倉 や 渋沢 が 〔自己利益=国 家 の利益 〕 と捉 え、 両者 の本 来 的 なバ ラ ンス に理 想 を見 出す の に対 して(図1の 矢 印①)、 森村 の場 合 はむ しろ、 最終 目的 は国家 で あ って、 自己利益 は最 終 目的の手 段 に過 ぎな い(図1の 矢 印②)。 孤独 な 自己鍛 練 に よ る営利 の追 求 の果て に到 達 した 自己犠牲 とで も表 現 で きよ う。 「自己を犠 牲 と して も、 国家将 来 のた め、 社会 人類 の ため に働 くといふ覚 悟 は 、事業 を なす あ秘 訣で あ る と私 は断言 す る」 と、 自己犠牲 の態 度 を鮮 明に 打 ち出 し、実 際、 教育 事業 へ多 くの援 助 活動 を な した森 村 は、 第一 世代 の なか で もと りわ け国 家の利 益 の極 へ と大 き く傾 い た企 業 家 で あ ろ う(森 村1929b:230)。 それ に比 べ、 安 田は対 極 の位置 にあ る と言 え る。彼 は 一 切 自己 利 益 の追 求 を国家 の利 益 と関連 づ けて述べ な い数少 な い企業 家 で あ る。 「(4)成 功 の哲学 」 で述 べ た とお り、彼 は貯 蓄 のた めの 克 己制 欲 、克 己制欲 の た めの貯 蓄 を経 営の モ ッ トー と した(図1の 矢 印③)。 彼の モ ッ トー の うち、 前者は竹 内 の金次 郎主義(職 務 に アス 、 ピ レー シ ョンを集 中させ る 「第一 等主 義 」)に 合致 す るが、後者 は、経 済 的成功 の手段 で ある克 己の生 活態度 を 自己 目的化 した修養 主義 、す な わ ち、修養 主義 的生 活 態度 を上 昇 移 動 の た め の手段 と しな い とい う意 味に お いて"純 粋 な"修 養 主義 で あ る。先 に見 た 「(2)立 志の 動 機 」 にお け る利 己的 な経済 的個 人 主義 と修養 主 義 的な人 格主 義 との 融合 形態 を こ こに見 出せ よ う。彼 の個 人主 義 的態 度 は一貫 してお り、 自己犠 牲 に傾 いた 森村 とは逆 に 、寄 付 や 慈 善 とい った 利他 的 な行為 を 全否 定す るこ とに もな る。 彼 の個人 主義 的 態度 と寄 付 ・慈善 行 為 に対す る態度 との関 わ りは、次 の箇 所 か ら明 瞭に読 み取 れ る。 「人 の厄 介 に な る こ と 京都社会学年報 第2号(1994) 52 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済 エ リー トの心 性 を 甘 ず る 人 間 は 本 来 意 気 地 の な い 人 間 で あ る 。 ・… 謂 ゆ る 慈 善 はや や もす れ ば姑 息 の 手 段 に 流 れ 、 却 って 人 を 慨 惰 に 導 く結 果 とな り ・… 現 に 世 の 慈 善 家 を 的 に 商 売 を して 居 る 偽 善 家 が 少 な くな い ・… 。 そ れ で 私 は 誰 に 向 って も勤 倹 貯 蓄 独 立 独 歩 一 天 張 り で 説 い て 居 る ・・ 一。 」(安 田1918=63-4) しか し、 こ う して 安 田 の よ う に 個 人 主 義 的 態 度 を 表 明 す る 企 業 家 が お り、 様 々 な ヴ ァ リ エ ー シ ョ ンの 企 業 家 の 存 在 が 確 認 で き た と して も 、 や は り、 こ こで も先 の 立 志 の 動 機 の 場 合 と 同 様 に、 そ れ ぞ れ が 社 会 的 な 影 響 を 受 け な が ら最 終 的 に は共 通 の エ ー トス へ と収 敏 し て い る こ と に は 注 意 を 要 す る 。 す な わ ち 、 竹 内 が 説 明 して い な い 成 功 書 の 「縮 小 」 機 能 に 関 して で あ る 。 既 述 の よ う に 、 学 校 系 列 に 乗 れ な い 若 年 層 の 「代 替 」 に よ って 「成 功 ブ ー ム 」 が ま き起 こ っ た の だ が 、 そ の 結 果 、 相 場 に 手 を 出す 若 年 層 の 増 加 や 努 力 を 軽 視 す る風 潮 に 見 られ る よ うな 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ンの 過 度 の 加 熱 が 社 会 問 題 とな っ て い た β)。そ して 、 こ の 加 熱 した 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ンを 「縮 小 」 す る と い う 、 時 代 の 修 養 主 義 的 要 請 に一 意 図的 か無 意 図的か を 問わず一 応 え る形 で 努 力 主 義 ・ 「第 一 等 主 義 」 が 記 され た と い う 側 面 が あ る 。 た しか に 、 修 養 主 義 的 経 営 態 度 ・生 活 態 度 は 、 彼 らを 手 堅 い 経 営 に 導 い た 近 代 日本 の 経 営 の エ ー トス の 一 構 成 要 素 で あ っ た と言 え よ う。 しか し、 我 々が 入 手 で き る テ キ ス トを 彼 らが 記 した の は 、 ほ と ん ど彼 らが 致 富 した あ と な の で あ る。 テ キ ス ト は 事 後 的 に 構 成 さ れ た 回 想 で しか な い 。 こ こか ら、 まず 、 成 功 の 哲 学 な ど で 語 られ る よ うな 国 家 の 利 益 へ の 意 識 は 若 い 頃 か ら こ れ ほ ど強 い も の で あ っ た の か と い う疑 問 が 生 じ る 。 そ して 、 既 に 「② 立 志 の 動 機 」 で 、 四 人 の 企 業 家 も立 志 当 時 は 経 済 的 個 人 主 義 等 の 利 己 的 色 彩 の 強 い動 機 を 持 っ て い た こ と を 確 認 した 。 しか し、 よ り大 き な 疑 問 は 、 努 力 主 義 に 内 在 す る 「縮 小 」 され 低 下 し て い る金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ン に 関 して で あ る 。 「(5)蓄財 観(な い し金 銭 観)」 に 見 え る とお り、 彼 らは 時 折 、 露 骨 と も言 え る金 銭 崇 拝 の 言 葉 を 記 して い る 。 ま た 、 「(2)立志 の 動 機 」 と そ の 考 察 で 述 べ た よ う に 、 安 田 は 社 会 的 威 信 に 匹 敵 す る 金 力 へ の 確 信 を 語 り、 森 村 か ら は 金 銭 に 対 す る 感 情 移 入 の 大 き さ が 窺 え る 。 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ンの 低 下 と上 昇 が 同 時 に 表 れ る と い う こ う した 矛 盾 は 、 成 功 書 が 果 た した 先 の 二 重 の 機 能 に 対 応 して い る 。 す な わ ち 、 一 方 で の 学 校 系 列 に 乗 れ な い 若 年 層 の 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ンへ の 「代 替 」 、 そ して 他 方 で の 加 熱 した 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ンの 「縮 小 」 とい う微 妙 な 社 会 的 要 請 に 一 的か 無意 識 的か は問 わず一 意識 彼 らの テ キ ス トは 応 え て い る 。 ア ス ピ レー シ ョ ン の 奨 励 と抑 制 と い う微 妙 な 役 割 が 、 企 業 家 の テ キ ス トの な か で 、 修 養 主 義 的 態 度 と金 銭 崇 拝 の 共 存 と い う首 尾 一 貫 性 の な さ とな って 表 れ て い る と考 え る こ と が で き る 。 だ が 、 そ う し た テ キ ス トの役 割 に 関 す る 問 題 よ り も重 要 な の は 、 努 力 主 義 ・修 養 主 義 的 態 度 の 背 後 に 金 銭 的 ア ス Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 53 永 谷:近 代 日本 にお け る経 済 エ リー トの 心性 ピ レー シ ョンが巧 妙 に隠 され て い るこ とで あ ろ う。 こ こで 、先 の 図1を 上方 へ拡 大 して 、 アス ピ レー シ ョンの 「縮 小」 な い し低 下 と は正 反 対 の ケ ースで あ るア ス ピレー シ ョ ン維 持 とい う象 限を作 ってみ る(図2参 照)。 この 象 限 とは 、金 銭を志 向す る よ うな経 営 態度 ない し生 活態度 を手 段 と して、 自己利益(あ るい は 国家 の利益)を 目指 す企 業 家精 神 の場 と して定義 で き る。 森村 ・安 田の場 合、金 銭 崇拝 の 言葉 が彼 らのテ キ ス トのな か に散見 され る点 で 、金銭 的 アス ピ レー シ ョ ンが維持 されて い た一 面 が あ るこ とが 確認 で き る。 た とえ ば森 村 の場合 、既 述 の よ うに立 志 以来 の 孤独 な 自 己鍛 練 に は金 銭 的 アス ピ レー シ ョンの緩 や か な加 熱 が 伴 って いた し、 また、 「(5)蓄財観 (ない し金銭 観)」 に 引用 した よ うに、彼 は貯 蓄へ の興 味 を徐 々に深 め て い くこ とを 青少 年 に推 奨 して い る。 そ う した金 銭 的 アス ピ レー シ ョンの 自然 な肯 定が 、最 終 目的 と して の 国家へ の 自己犠牲 、 国家へ の利 益 の還 元 とい う思想 と直結 して い るのが、 彼 の蓄 財 観 の裏 面 と して 指摘 で きよ う(図2の 矢 印②)。 また 、安 田 は既 述 の よ うに 「克 己制 欲 」 を 中心 とす る修養主 義 的態 度 を 説 くが 、 「(2)立 志 の動機 」で は 「金 の力 と云ふ ものは 何 と偉 大 で はな いか 」 と感 じた こ とが立 志 の契 機 とな った と語 って い る し、 「(5)蓄財 観(な い し 金銭 観)」 で は 「金 さへ あれ ば 到 る所誰 も優遇 され」 ると語 って いる。 金銭 的 ア ス ピ レー シ ョンの肯定 によ る 自己利益 の追 求 だ けで はな く、む しろ金 銭 崇拝 、 いわ ば貯蓄 を もとに した 自己利益 の追 求 を手段 と した金銭 的 アス ピ レー シ ョンの 自己 目的化 を確認 す る こ とが で きよ う(図2の 矢 印③)。 維持 自己利益 金銭 的 国家 の 利益 縮小 ア ス ピ レー シ ョ ン 図2 注:矢 印 の指 し示す 方 向が 目的 しか し、 大 倉 ・渋 沢 の場 合 は、 と くに 自 らの 成 功 を 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ン の 「縮 小 」 に よ る もの と して 明 確 に位 置 づ け る の で 、 彼 らの テ キ ス トか ら は 、 この ア ス ピ レ ー シ ョ ン 維 持 の 象 限 の 手 段 一 目的 関 係 を 推 定 す る こ と は で き な い 。 しか し、 彼 らが ア ス ピ レー シ ョ 京都 社 会学 年 報 第2号(1994) 54 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済エ リー トの心 性 ン維持 の経営 態度 ・生 活態 度 に相 当す る生 活を送 ってい た こ とは間接 的 なが ら伝 え られて い る。 た とえ ば、 渋 沢 ・大 倉 と親 交の あ った企業 家福 沢桃 介 は、彼 らに 「素 々経 論 の才 な ど はな い」 と し、 彼 らは維 新 の 「僥倖 」 や 「 投 機 」で 成功 した者 で あ る こ とを 暴 露 す る (福沢66-7)。 僥 倖 と投 機 は努力主 義 ・修 養主義 的態 度 とは正 反対 に位 置 す る成 功 の手 段 であ る し、 と りわ け投 機 は彼 ら第一 世代 の企 業家 自身 が しば しば成 功 の ため に避 け るべ き 行 為 と して挙 げ る項 目で あ り、か つ、金 銭 の獲得 そ の ものを志 向す る行 為 で あ る。 それ は 金 銭 的 アス ピ レー シ ョンの維持 が前 提 とな る行為 で あ る と言 え よ う。 ま た、二 者 に は蓄 妾 の事実 が あ った と言わ れ、 と くに大 倉 は豪華 な別 荘や 邸 を建 て、茶 会 ・宴 会 、所 蔵 書画 骨 董 の展 示 会を 頻繁 に催 してい た こ とで有 名 で あ った ④。 こう した彼 らの散 財 生 活 は、 〔自 己利益=国 家 の利 益 〕 とみ る先 の彼 らの経営 ・生 活 にお け る修 養主 義 的態度 と調 和 す るの か ど うか 、少 な くと も疑 問で あ る。 こ う した散財 生活 が彼 らの生 活上 の最 終 目的 の ひ とつ であ り、 また 、そ こに獲得 した金銭 の存 在 をい わば誇 示す る とい う側 面が あ る とす れ ば、 彼 らの蓄 財 は金 銭 的 ア ス ピレー シ ョ ンを維 持(な い し拡大)し な が ら自己利益 を 目指す 形 式 と考 え る こ と もで き よ う(図2の 矢 印①)。 少 な くと も、 これ らの 間接 的 に伝 え られ る 情報 は、彼 らの経 営態 度 ・生活 態度 に おけ る二重 性を教 え て くれ る。 五 ま と め と問 題 点 以 上 、 近 代 日本 の 経 済 エ リー ト、 な か で も第 一 世 代 の 企 業 家 の 典 型 例 と して4人 の著 名 企 業 家 を 取 り上 げ 、 彼 らが 記 した テ キ ス トか ら、 立 志 の 動 機 、 成 功 の哲 学 、 蓄 財 観 な どを 抽 出 ・分 析 した 。 彼 らが 表 明 す る企 業 家 精 神 の 核 心 に お い て は 、 金 銭 的 ア ス ピ レ ー シ ョ ン を 「縮 小 」 さ せ た 「第 一 等 主 義 」 、 す な わ ち 努 力 主 義 な い し修 養 主 義 を 中 核 的 工 一 トス と す る 自 己 利 益(あ る い は 国 家 の 利 益)の 追 求 と い う、 竹 内 の 金 次 郎 主 義 と 類 似 の 形 式 が 見 出 せ た 。 しか しな が ら、 他 方 、 こ う した 修 養 主 義 の一 変 種 も、 金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ンの 奨 励 と抑 制 の 矛 盾 の な か で 、 ア ス ピ レー シ ョ ンの 維 持 ・拡 大 へ と進 む 可 能 性 が あ る こ と も 確認 され た。 そ して 他 方 、 金 銭 的 ア ス ピ レ ー シ ョ ンの 「縮 小 」 に よ る 努 力 主 義 ・修 養 主 義 的 な 経 営 態 度 ・生 活 態 度 が 表 明 さ れ 、 そ の 背 後 に金 銭 的 ア ス ピ レー シ ョ ンの 率 直 な 肯 定 が 隠 れ て い る の は 、 若 年 層 の あ い だ で 加 熱 す る 金 銭 的 ア ス ピ レ ー シ ョ ンの 「縮 小 」 と い う社 会 的 要 請 に 呼 応 す る もの で あ る こ とを 指 摘 した が 、 こ こ か ら は、 努 力 主 義 は一 方 で 企 業 家 精 神 の 典 型 的 な 在 り方 で は あ る が 、 他 方 で 粉 飾 を 施 され 誇 張 され た 部 分 も多 い こ と に 気 づ か さ れ る 。 企 業 家 の 側 の 意 図 の 有 無 に 関 わ らず 、 か り に 近 代 化 の な か で 金 銭 的 ア ス ピ レ ー シ ョ ンの 肯 Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 55 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済 エ リー トの 心性 定 が 隠 されて きて お り、努 力 主義 の神 話が 作 られ て きたの で あ るな らば、 時代 の 状況 か ら 企 業家 へ とい う一 つ の影響 関係 に よる粉飾 の みで はな く、粉 飾 に よる企業 家 の利 害 関係 や 企業 家 の位 置す る社 会 的立 場 や階級 的状 況 とい った総 体 的 な布置 状況 を視 野 に収 めな けれ ば な らな い。 しか し、 それ は企 業家 の テキ ス トか ら彼 らの心 性 を抽 出す る とい う 本稿 の 目 的 に収 ま りきれ な い大 きな 問題 な ので 、別 稿 で 改め て論 じて みた い。 注 (1)企 業 家の 封 建 的 出 自に 関す る研 究群 を ま とめ た もの と しては 、 鳥羽 の研 究 が あ る。 (鳥羽1988) (2)こ の 構造 は 様 々な 論者 に よ って指摘 され て い るが 、 宮本 の研 究 を 代表 例 と して 挙 げて お く。 (宮 本1977) (3)こ の 社会 問 題 は 当時 の新 聞 ・雑 誌 で頻 繁 に取 り上 げ られ た。僥 倖 を願 う若年 層 ・成 金 に対 す る 総 合 雑誌 で の批 判 に 関 して は拙 稿参 照 。(永 谷1992) (4)渋 沢 の蓄 妾 に関 して は 『萬朝 報 』(1898年7月15日)、 大倉 に 関 して は次 を参 照 。 (福 沢1912:70・2、大倉1985) 引 用 ・参 照 文 献 1911『 致 富 の鍵 』 丸 山舎(頁 数 は1992年 の大 和 出版 復刻 版 の もの) 大倉喜八郎 大倉雄二 作田啓一 渋沢 栄一 1985『 逆 行 家族 一 父 ・大 倉喜 八 郎 と私一 』 文藝 春秋 1969「 報恩 の教 義 とそ の基 盤」 『日本 人 の経 済 行動 』下 、 隅 谷三 喜 男編 、 東洋 経 済 新報 社 1916『 論 語 と算 盤 』東 亜 堂(頁 数 は1992年 の 大和 出版 復 刻 版の もの) 1927『 青 淵 回顧 録 』下 、 青 淵回顧 録 刊 行会 1984r雨 夜諏 』 岩 波書 店 竹内 洋 1987『 選 抜社 会 』 メ デ ィア フ ァク トリー 筒井清忠 1993「 近 代 日本 にお け る経営 の エ ー トス」 『岩 波 講座 鳥羽欽一郎 永谷 健 社会 科 学 の方 法 皿 日本 社 会 科 学の 思 想』 岩 波書 店 1988『 日本 にお け る企 業家 ・経 営 者 の研 究 』早 稲 田大 学産 業 経 営研 究所 1992「 近代 日本 に お け る上 流 階 級 イ メー ジの変 容一 明 治後 期 か ら大正 期 に お け る 雑 誌 メデ ィアの 分析一 」 『思想 』Nα812、 岩 波書 店 ヒル シ ュマ イヤ ー, Jl965『 日本 に お ける企 業 者精 神 の生 成 』土 屋 ・由井訳 、東 洋経 済 新報 社 ヒル シュ マイ ヤ ー, J、 由井 常彦1977『 福 沢 桃介 日本 の経 営 発展 』東 洋 経済 新 報 社 1912『 無 遠慮 に 申上候 』 実業 之 日本社 見 田宗介 1971r現 代 日本 の 心情 と論理 』 筑摩 書 房 宮 本 又次 1977『 宮 本又 次 著作 集 』第 二 巻 、講 談社 森村 市左 衛 門 1911『 少 年実 業 訓』 石 井研 堂 編、 博 文館 1912r独 立 自営 』実 業 之 日本 社 1918『 怠 るな 働 け』 東 盛堂 1929ar森 村翁 言 行録 』 ダ イ ヤモ ン ド社 1929br永 遠 の 光 』(財)修 養 団 安田善次郎 1911r富 の活動 』 大学 館 京 都社 会 学 年 報 第2号(1994) 56 永 谷:近 代 日本 に お け る経 済エ リー トの心 性 1912『 克 己実 話 』二 松 堂書 店 1918『 勤倹 と貨 殖』 東 盛堂 書店 安丸良夫 1974『 日本 の近 代化 と民 衆 思想 』 青木 書 店 (な が た に 付記 け ん ・研 修 員 ・日本 学 術 振 興 会 特 別 研 究 員) 本 稿 は平 成6年 度文 部省科 学研 究 費補 助金 に よ る研 究成 果 の一部 で あ る。 Kyoto Journal of Sociology II/December 1994 TV Mentality of the Economic Consideration Elite in Modern of four Entrepreneurs' Japan: Texts Ken NAGATANI Existing studies of ambition and the desire to gain wealth and to improve one's position in society during the Meiji-Taisho era have focused mainly on success attained through the educationalsystem. Other routes have been neglected. Referring to books written by four famous entrepreneursin the Meiji-Taishoera, this article examines an often neglected route to success in life: entrepreneurship.This new attitude promoted a mania for new enterprises beginningat the close of the Tokugawa era. After showing their motivations for improving their positions in society, and examining their role models and ideas about their own success, we will see that their desire to make money was much stronger than previously reported by scholars. Then, analyzing the entrepreneurs' texts in a sociological framework, we will find among them a common moneymakingspirit that paradoxically consists of acts that improve their own minds by reducing their moneymaking aspirations. The main part of this article will interpret this paradoxical spirit as a result of two social conditionsof the period duringwhich they wrote their texts: economic prosperity, and the increase of young men who were unable to find success through the educational system. On one hand, entrepreneurs' texts encouraged young men to concentrateon making money rather than improving social position. On the other hand, they helped to cool down the fevered moneymakingaspiration among young men. Finally it will be pointed out that attitudes about making money were influenced by the social conditions. 京都 社 会学 年 報 第2号(1994)