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ここ東白の地に、今年もまた光の春が訪れてまいりました。

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ここ東白の地に、今年もまた光の春が訪れてまいりました。
ここ東白の地に、今年もまた光の春が訪れてまいりました。曇天とはいえ、その奥に
は確かな光を秘め、本校食品加工棟脇の桜にも、旧棚倉高等学校グラウンド脇の桜
並木にも、一粒一粒と蕾が膨らみつあるこの佳き日に、ご多用中にもかかわらず、ご
来賓の皆様方に錦上花を添えていただき、平成二十二年度卒業証書授与式を挙行
できますことは、この上ない慶びであり、衷心より御礼を申し上げます。
只今は、普通科四十四名、生産流通科三十六名、食品加工科三十九名、商業科
三十六名、情報処理科三十七名に卒業証書を授与いたしました。まずは卒業生の
皆さん、卒業、本当におめでとう。心からの称賛をお送りいたします。皆さんは、生ま
れてから十八年の星霜を経て、本日、一つの意味、一つの価値を持つことを成し遂
げられました。しかしながらそれは、自分自身の力だけではなく、ご家族の皆様を始
ゆめゆめ
めとする多くの方々の励ましと支えのお陰であったことを努々忘れてはなりません。
さて、皆さんは、棚倉高等学校生、東白川農商高等学校生として入学し、修明高
等学校生として卒業する二度目の、そして最後の生徒であります。困惑や不安も、母
校が変わることへの寂しさもあったでありましょう。しかしながら、皆さんは、前を向いて
統合後の新しい校風の礎を築いてこられました。第一回文化祭はその発揚でありまし
た。モザイクビックアートには、本校のイメージカラー、藍色に無限の可能性を見取っ
た祭名である「白藍」の文字が美しくライトアップされました。制服は異なっても見つめ
る方向は同じ、気持ちは一つでありました。かつて、砂漠での不時着事故から生還を
果たした後に、郵便飛行士サン=テグジュペリは書きました。
「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方
向を見ることだ…。ひと束ねの薪束の中に、いっしょに結ばれないかぎり、僚友
はなく、同じ峰を目ざして到り着かないかぎり、僚友はないわけだ。もしそうでな
かったとしたら、…どうしてぼくらが、砂漠の中で、最後に残ったわずかばかりな
食糧を分かちあうことにあれほど深い喜びを感じただろうか?」
(『人間の土地』一九三九年堀口大學訳)
郵便飛行事業が盛んであった頃、彼ら飛行士たちは、凍えたアンデス山脈に、渇
いたサハラ砂漠に、墜落した僚友を救助するためにプロペラを起動させ、レバーを引
き、向かいました。ここに云う愛は、ひととひととの普遍的な結びつきのことでありま
す。そして皆さんも僚友、友でありました。これからも変わることなくそうでありましょう。
絶えず、互いの胸の泉に、尊敬や思いやり、勇気を見出すことでありましょう。旧棚倉
高等学校生、旧東白川農商高等学校生としての思い出と誇りに第二期修明高等学
校生としての思い出と誇りを深く重ねていただきたい。白藍祭の展示品の中に「平成
二十一年、修明高校誕生、誇リ忘レズ生キル」と揮毫された書がありました。皆さんが
築いた伝統の礎は、同一の制服に身を包んだ一・二年生が受け継ぎ、新たな伝統を
積み上げてくれることでしょう。いつの日か、「修明」の二文字に、触れるものが全て黄
金に変わった頃の陽光の輝きを想い出すことを願ってやみません。
振り返れば、皆さんは、ソビエト連邦が崩壊した年の翌一九九二年から九三年にか
けて生まれました。既に冷戦は終焉しておりましたが、国内では弾けたバブル経済の
泡の余熱が冷え切っておりました。物心がついた九五年には阪神淡路大震災が発
生し、まもなく新世紀への階段を登りました。皆さんは、九〇年代以降の「失われた二
十年」と云われる戦後初の経済の右肩下がりの時代に生まれ育った世代であります。
同時に、皆さんは、インターネットが一般に普及し始めた時代に生まれ育った最初の
世代でもあります。今、この国は、様々な課題に直面し、その代償は皆さんの世代に
回り、一人ひとりの負担は増大することでありましょう。少子高齢化の更なる進行と、お
そらくは国家経済規模の縮減という経験したことのない未曾有の時代へと突入してま
いります。同時に、世界中の人々が、新たな機器で無数のソーシャルネットワークを
瞬時に起ち上げ、状況を果敢に変革しております。先ほど引用いたしましたサン=テ
グジュペリがかつて不時着し遊牧民に救助されたサハラ砂漠において、八十年を経
て今この瞬間、その北部をチュニジアからリビアを越えて、遠くスエズ運河の果てま
で、純白のジャスミンの花びらが偏西風に乗り、圧政からの解放を希求する人々の声
を運び届けております。皆さんはそのような時代を生きているのであります。
あらためて思い出そうではありませんか。ひとは冷戦を終結させ、阪神淡路大震災
の瓦礫から立ち上がりました。これから先、皆さんには、多くの問いが生じ、悩みは降
る雨のように止まないかもしれません。そうであればこそ、一つでも二つでも多くの喜
びや嬉しさが、両手を拡げて皆さんを待っていることを願わずにはおられません。容
易ではない時代に生きることを、むしろ強靱なバネとして一条の希望を見い出し、志
高く目標を掲げることです。他者には寛容に、その不幸には忸怩たること、心恥じ入
ることです。僚友たちと互いの背を押し合って、目を高く上げ、歩き出していただきた
い。ともに見るのは、未来という同じ方向のはずであります。いつの時代も、次の時代
を切り拓いて行くのは新しい世代である若者なのですから。
後になりましたが、保護者の皆様にとって、お子様の卒業は何物にも代え難く、
ひ と しお
今、胸中に去来する感慨はさぞや一入であろうとご推察申し上げます。本日まで、常
に深い愛情をもってお子様を慈しみ育んでこられましたことに対しまして、心からの敬
意と謝意を禁じ得ぬものであります。
思い起こせば、三年前にお子様をお預かりして以来、私ども教職員一同、精一杯
の努力を重ねてまいりました。力至らなかった面も多々あったかと思いますが、これか
らは、お子様自らが、銘々の前途をたくましく切り拓いて行ってくれるものと確信いた
しております。お子様は、本日、この日をもって晴れて学舎を巣立ってまいりますが、
この栄誉は陰に日向にお子様を励まし、物心両面から支えてこられた保護者の皆様
のご恩の賜物であることは申し上げるまでもございません。あらためまして、皆様から
在学中に賜りました一方ならぬご理解、ご協力に対しまして、重ね重ねの御礼を申し
上げますとともに、今後とも修明高等学校発展のために、相変わらぬお力添えを賜り
ますようお願い申し上げます。
式辞も限られてまいりました。桜の春、命輝いた夏、八溝山系全山紅葉に燃えた
秋、久慈川に風雪吹きすさんだ冬、あるいは穏やかに時が流れたとき、時の流れが
止まったかに見えたとき、時が駆け足で行き急ごうとしたとき、その時々において、そ
れは一生懸命に皆さん一人ひとりを、励まし続け、支援を惜しまなかった担任の難波
幸生先生、山田玲子先生、高木茂男先生、安斎徹先生、新田真弓先生、高橋章乃
先生、そして本校の全ての教職員を代表いたしまして、皆さんの洋々たる前途を祝福
し、次の言葉を贈ります。
「新しく生まれてくるものよ、おまえは間違ってはいない」(『誕生』一九九〇年)
「自由と生きる意味」を希求し続け、比類なき高みへと駆け、皆さんが生を受けた
一九九二年に二十六歳の光芒を描き切ったロック歌手、尾崎豊、彼の『誕生』から
のメッセージであります。
「新しく生まれてくるものよ、おまえは間違ってはいない」
惜別の情は切なく、名残は尽きませんが、最後に万感の思いを込めて、皆さん、
卒業、本当におめでとう。
平成二十三年三月一日
福島県立修明高等学校長 青山 修身
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