...

今こそやるべきこと 駅伝部 始動!

by user

on
Category: Documents
18

views

Report

Comments

Transcript

今こそやるべきこと 駅伝部 始動!
学校だより
米子市立美保中学校
絆
第9号
〈きずな〉 H27.7.2
文責
小林 千春
今こそやるべきこと
期末テストが終わりました。
中学校はこれから瞬く間に時間が過ぎ、夏休みに入っていきま
す。何もやろうとしないでいると、本当に何も残らないままに1
学期が終わってしまいます。今こそ、時間を有意義に使う工夫を
してほしいと願っています。
テストが終わったこの時期に大切なことは、テストの振り返りをするということです。自
分のがんばったところ・足りなかったところ、理解できたところ・まだ理解不十分なところ
など、今だから確認できます。今振り返っておけば、理解できていないと思うところを夏休
みに取り組むことができます。このことは主任や担任が生徒たちにしつこく言ってきている
ことです。後で笑うのも自分、泣くのも自分。主任や担任の愛の言葉を自分の行動に移せる
人が後で笑う人になるかもしれません。
そして、この時期もう一つやってほしいと思うことは、4 月に立てた「1 年後のなりたい
自分」の振り返りです。なりたい自分に近づいているでしょうか。遠ざかっているでしょう
か。遠ざかっているのなら、今からどんなことを修正すればいいのでしょうか。今なら再度
目標を立て直すこともできるかもしれません。「なりたい自分」に少しでも近づけるよう、
生徒一人ひとりが成長してほしいと願っています。
駅伝部
始動!
昨日より駅伝部が始動しました。
今まで週 2 回MRCとして活動してきましたが、
本格的に駅伝部として活動が始まりました。駅伝
部でがんばろうとしている生徒達のご家庭では、
朝早くから子どもたちがでかけますので、色々と
ご迷惑をおかけするかもしれませんが、ぜひご協
力・ご支援お願いします。
昨年、一昨年とあと一歩のところで県を逃して
います。念願の県駅伝出場に向けて、成果を上げ
てほしいと切に願っているところです。
白熱
PTA球技大会
6 月 28 日(日)は、たくさんの保護者の
方に参加していただき、ありがとうござい
ました。
白熱した手に汗握る試合の連続に、楽し
い時を過ごすことができました。親睦の深
まる良い大会にしていただき、ありがとう
ございました。また、学年部の方々には大
変お世話になりました。
優勝
3 年Aチーム
準優勝 2 年Bチーム
避難訓練をおこないました
一昨日、テスト終了後に避難訓練を行いました。今回の避難訓練は、津波を想定して避難
をした後、教室に帰って、もし学校ではないところで地震にあったら、津波がくるという警
報が出たらどうすればよいか、という内容で班などを中心に話し合いをしました。
予想しないときに起こるのが天災です。普段意識していることが、いざというときの対応
に影響してくるはずです。家庭の方でも、何かあったときにどこで出会うようにする、どう
いう連絡方法をとるか等、話し合っていただくとありがたいです。
「あの日から」
宮城県山元町立坂元中学校3年
門間
陽香さん
卒業式が1週間後に迫っていた、あの日の 14 時 46 分、悲劇は起きました。小学校で卒業記念を
楽しく作っていた時に感じた、小さな揺れ。「すぐおさまるだろう」そう思っていたのに、揺れは
大きくなり、あまりの恐怖に泣き出す友達も・・・。最初の余裕は不安に変わりました。すぐ屋上
に避難した私の耳に、大津波警報が出ているという声が聞こえました。津波?そんなのくるはずが
ない!そう思った瞬間、辺りが暗くなり、想像をはるかに超える津波が襲いかかりました。「逃げ
なきゃ!」と屋上の小さな倉庫に走り、どうにか命を守ることができました。しかし、その後の私
は、暗闇の中、寒さと余震に震え、新たな津波がきたら死んでしまうという恐怖心でいっぱいでし
た。そして、家族に会いたい、みんな生きているの?これからどうなるの?そんな不安で胸が張り
裂けそうでした。屋上の倉庫で、同級生や地域の方と身を寄せ合い、ビニールシートで寒さをしの
ぎ、おびえながら一夜を過ごしました。今までで一番長く苦しく辛い夜でした。
次の日、ヘリコプターで救助され、上空から見た景色に唖然としました。木々は何もなく、赤土
と海水の混ざった泥が、辺り一面を覆っていたのです。ここは、本当に私たちが住んでいた町なの
だろうか?何度も何度も自分の目を疑いました。何時間か後にやっとの思いで家族と再会し、私は
母の胸で号泣しました。初めて生きていることを実感したのです。私の命が助かったことが、奇跡
のように思えました。
町の多くの方が亡くなったことを知りました。家は何とか流されずに残りましたが、私の住んで
いた地区の家屋はほとんど流失しました。どこにもぶつけようのない怒り、そして悲しみと絶望感。
あまりにも辛い現実でした。
あの日のことは、昨日のことのように鮮明に覚えています。あの震災から 2 年あまりの時が流れ
た今も、私たちの町はまだまだ復興の途中です。震災の爪痕がいたる所に見られ、心がしめつけら
れます。そして、あの一瞬の出来事で大勢の人が命をなくし、大勢の人が悲しみに包まれたことを、
私は忘れてはいません。私自身が津波によってこの世を去っていたかもしれないから・・・。
震災前、身近なところで人の死に直面したことがなかった私は、生きていることが当たり前で、
「命の重み」や「死」について深く考えることはありませんでした。しかし、あの日から、命の尊さや
重みを重く受け止めています。私自身が死に直面し、生きていることを実感しているから・・・。
私は「今、生きていること」そして「何事もなく普通に生活できること」に感謝をして、これから
も強く生きることを決意しています。たくさんの人の力で「あの日」を乗り越えられたから。あの日、
死をも覚悟し、一晩中おびえた夜を乗り越えた私なら、どれだけの苦労があってもその苦難を乗り
越えることができると確信しています。励まし合い、生き延びた友とともに強く歩んでいきたい。
生きていることに喜びを感じながら!私たちの町が復興できる日を信じて、前向きに、目標に向か
って一歩ずつ歩んでいきたい。
Fly UP