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私は自閉症スペクトラム障害です。そして、子供が4人いますがうち2人が

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私は自閉症スペクトラム障害です。そして、子供が4人いますがうち2人が
私は自閉症スペクトラム障害です。そして、子供が4人いますがうち2人が同じ自閉症スペ
クトラム障害で2人はグレーゾーンです。
広汎性発達障害、アスペルガー症候群、高機能自閉症が独立した障害ではなく、連続的な
ものであるという概念にかわり自閉症スペクトラム障害と言われてます。
私も自分の症状と長く付き合ってきた中で、症状が高機能自閉症の症状だったり、アスペ
ルガー症候群の症状だったりすることもあり、どういう線引がされてるのかなと疑問に思っ
てました。
それぞれが独立した障害でなくそれらがまとめられて「自閉症スペクトラム障害」という
名称になって、その疑問はなくなってすっきりしました。
自閉症スペクトラム障害がどんなものなのかはよくわからないし、間違った情報を発信し
てもいけないし、 説明できないので自閉症スペクトラム障害についてもっと詳しく知り
たい方は家に帰られて検索してもらえたらなと思います。
私は幼い頃から自閉症と診断されて、いろんな困り感を抱えながら毎日を送っています。
私が自閉症スペクトラム障害だということ、
困ってることがあるということ、
人と違うところがあるということ、
それは自分だけが知っていたらいいことです。
言う必要のないことで、言わないと気づかれません。
気づかれないのは症状が軽いとか重いとかじゃなく、わからないようにものすごくがんばっ
ているからです。
私が自閉症スペクトラム障害だと人に言うようになって、4年ほど経ちます。
4年前、私は私と同じ自閉症スペクトラム障害がある息子を連れて一緒に死のうとしまし
た。
同じ障害の子供たちは学校に行くのを嫌がって毎日学校へ連れて行くのが大変でした。 あ
る日、学校へ行けない息子をなんとか学校に連れて行った時に、偶然にもドアの向こうか
ら校長先生の言葉が聞こえてきました。
私がいることをご存じなかったのでしょう。
「あの子がああなのは母親が悪い。あんな母親だから子供が学校に来ないんだ」
校長先生の言葉が胸に突き刺さり、目の前が真っ暗になりました。
それまで私は私なりにがんばってきました。自分で思うほど私はダメな人間じゃない。
その思いで生きてきました。
だけどやっぱり私は他人から見てもダメな人間でした。
その瞬間生きていてはいけない人間なんだなって思い知りました。
自分が自閉症だって、生きてる価値のない人間だって本当はわかってたのになんで子供を
生んでしまったんだろう。
どうして母親になってしまったんだろう。
罪悪感と絶望感でいっぱいになって、息子もこの先同じ思いをするんだろうか、そう思う
と息子も生きていくことは難しいと思い息子たちが学校から帰ってきたら一 緒に死のう
と決心しました。
だけどその時、友達と会うことになって、話を聞いて一緒に泣いてくれた友達が「とにか
く聞いて!」と森源太さんのCDを渡してくれました。
帰りの車の中でそのCDを聴きました。そのCDの中の「大丈夫」という歌を何度も聞きな
がら帰りました。
家の駐車場についても家に帰ることができず、車の中で10時位まで「大丈夫」を聞いてま
した。そうしてるうちに、夫が帰ってきて、その日は死ぬことができ ませんでした。翌日
は、友達の約束があり、普段、人と会うことがないのに、3日続けて友達との約束があり
ました。
毎日毎日死にたくて、だけど、そういう時に限って、その日から一週間くらい続けて友達
との予定が入ってました 。
何より自分のことで人に迷惑をかけるということが恐くて、友達との約束を果たしたら、
死のう、って思いながら友だちと会って、家に帰ればご飯も食べられなかったけど、友だ
ちと一緒だと食べないといけなくて、一口を飲み込むのがとても苦しくて、死にたいのに、
友達と会えば笑わなくていけなくて、ほんとうに辛かったです。
友達と会うのに車を使ってましたが、車に乗る度に「大丈夫」が流れて、その歌を聞く度
に、「ほんとに大丈夫かな?」「死ななくても大丈夫かな?」と少しずつ思えてきて、「死
にたい」から「明日まで待ってみよう」と1日、1日を生きてました。
友だちと会う約束がなくなって、家でただ過ごすだけで、3ヶ月くらい何もできなくてた
だただ息をしてるだけでした。
その間、子供達が自分たちでなんでもしてくれて、ご飯も作って洗濯もしてくれてました。
学校に行くのを嫌がってた息子たちが、がんばって自分たちで学校に行ってることに気づ
いた時に、「私は何をやってるんだろう」って思って、起きて子供たち がいる部屋に行き
ました。
私が起きてきた時に、子供が言ってくれた言葉があります。
「ママが普通のお母さんみたいになんでもできたら気持ち悪い。そんなのママじゃない。
私たちのママはなんにもできんのがママやん」
この言葉は忘れられない宝物です。
あの日、あの時、校長先生の言葉を聞いてなかったら、私はまだ自分のことをダメな人間
で生きてる価値がないと思い続けていたと思います。
あの時、友達が一緒に泣いてくれなかったら、CDを渡してれなかったら、友達と約束を
してなかったら、あの日、私は子供を連れて一緒に死んでたと思いま す。 普段、人と会
うのは2∼3ヶ月に1回くらいのペースだったのに、あの一週間だけは毎日友達との約束
が入ってました。
いろんな偶然が重なって私と子供は今、生きていられるんだと思います。
あの日、息子たちを連れて死ななくてよかったと娘二人を置いて死ななくてよかったと心
から思います。
あの時は生きることに絶望するほど苦しく辛かったけれど、あのおかげで自分と向き合い
自分を受け入れることができました。
そして、そういう自分だからこそ、子供達に伝えられることもあるんじゃないかと思うよ
になり、私や息子以外の他の人はどういうことで困ってるんだろうって思うようになりま
した。
もし、私が早く私以外の方のお話を聞いたり知ることができていたら、私だけじゃないん
だってホッと出来ただろうなと思いました。
そんな風に私と同じように他の人はどうなんだろうって思ってる方もいるかもしれないっ
て思ったら、障害を隠さないことで、ひとりでもそういう方の目に止まれば、楽になれる
んじゃないかなって思って隠さないでありのまんまで生きていこうって決めました。
そしてもうひとつ自分の障害を隠さないことに決めた理由に子供達が障害があることで自
分は何もできないんだって思って欲しくない、自分がしたいことを諦めて欲しくないと思っ
たからです。
私は自営業です。
同じ障害の息子たちに、
自閉症スペクトラム障害だって、
自分でお店を持つことができるんだよ、って、
社会不適合者とよく言われるけれど、ひとりでもこうして自分が好きなこと得意なことで
お店ができるんだよ、って、
私は自営業という形で、
息子たちに
自分たちも何かできると思ってもらえるように、
息子たちが何かやりたいと思った時に、
その勇気のひとつになればいいなと、
そう思って7年前にお店をはじめました。
その中での4年前の出来事で、その思いがもっと強くなりました。
今は、息子たちだけじゃなくて、
同じように自閉症、発達障害、いろんな問題を抱えてる人にそう思ってもらえたらいいなっ
て、
なにか始めようと思うきっかけになってくれたらいいなって、そう思ってます。
私が自分の障害を隠さないことに決めたのは、私のことをわかってほしい、受け入れてほ
しいとかそういうことではなく、私の困り感をお話することで、誰かひとりでもホッとす
る方がいたらいいなぁという思いからです。
私みたいにたくさん困り感を持っているけれど、がんばっている人はたくさんいます。
発達障害と診断された方もいれば、診断は受けてないけど、自分って人とちょっと違うか
もって違和感を感じてる方もいらっしゃいます。
私は幼い頃から「あんたは自閉症だからね」と何かあれば言われてたので、私は人とは違
うんだなと自覚はしていたけれど、困ることがとても多く、生きることの意味なんて見出
せず、ずっと死にたくて仕方ありませんでした。
4年前から少しずつ自分のことを親しい方から伝えるようになって
自分の障害を打ち明けている時に、時々、言われる言葉があります。
それを言われると、もやん、とします。
私や子供が自閉症スペクトラム障害だと言うと、
「私もそういうことあるよー!それも個性よ∼」
と言って、ご自分のお話をされる方がいらっしゃいます。
この言葉がもやんとします。
私はこれまで必死で自分の障害を隠してきました。
人と会う時はわからないように必死で頑張ってました。
頑張ってても多少、変かもしれないけど、
見せないようにしてる部分はもっと深いんです。
だから伝えても
「ちょっと変だけどわからんかった∼」って言われます。
わからんように頑張ってるからです。でもそれってほんとすごくきついんです。
だから人と会うと夜のうちに発熱して2∼3日寝込んでました。
親しい友達でもそうなってました。
だから友達の前ではがんばらないでいい部分はがんばらないでいようと思って、
伝えようとすると、「私もそういうことあるよー!それも個性よ∼」と言われてしまうこ
とがあって、
お友達なのに、
私が聴いてほしいこと全部は聴いてくれないんだなって、
もやんとなって悲しくなります。
心臓が悪い人に、同じこと言いますか?
「私も時々胸が苦しくなるのよ∼それも個性よ∼」って言いますか?
最初から自分の症状の深いとこまで話しません。
少しずつ、こういうことがあって、こういうところがあって、
って話をしていく前に、
その言葉を言われ、私は何も言えなくなります。
そして、それくらいで悩んでる私はやっぱり変なんだ。
おかしいんだ。
って自己否定に入って死にたくなります。
その言葉が悪いんじゃないんです。
わかってます。
でも、やっぱり、それって、
私のことを思って言ってくれてるようで、
私の話を聞こうとしてくれてないんだなと感じてしまいます。
自分の症状を言おうと思うのはその人ともっと親しくなりたかったからです。
そう言われると、もう言えなくなるので、
私の中で今までそばにいた人が遠くに行ってしまいます。
そばに居てもずっと遠くにいるような感覚になります。
そうかーって。
やっぱそうだよねーって。
私なんかとは友達になってもらえないよねーって。
私なんかの話は聞きたくないよねーって、落ち込みます。
そう言うその方が悪いんではなくて、
そう言われても、そうじゃなくてね、って続けられない私が悪いんだと思います。
でも、その障害を告げる時点で、すっごく勇気を出して言ってます。
それに蓋をされちゃうと、自分で蓋は開けられません。
頑張って何度か開けても、「私もそういうことあるよ」ってすぐ蓋されちゃいます。
私はその続きを聞いて欲しいんです。
そして、その「そういうことあるよ」の「そういうこと」の度合いが違うことをわかって
欲しいです。
度合いが違うから「自閉症スペクトラム障害」と診断されてるんです。
度合いが違うから支援学級や支援学校に通うんです。
ほとんどの方がそう言われるので勇気を出してなぜそう言うのか聞いてみました。
そしたら、じゃあ逆に、どう聞いたらいいの?
って質問されました。
最後まで黙って聞いて欲しいです。
時々相槌打ってくれたらいいです。
そして、全部聞いてから
「私もそういうことあるよー!それも個性よ∼私もそういうとこあってね∼」って自分の
お話をされるんだったら全然OKです。
だって、ちゃんと私の困ったことを聴いた上で言ってくれてる言葉ですから。
そして、自分の話を聞いてもらった後で聞く、その人の「そういうこと」は、
自己否定じゃなく、そっか、自分だけじゃないんだ、って、安心になります。
これは、私だけのことじゃないと思います。
私はただ、自閉症スペクトラム障害のこと。
違う誰かは、誰にも言えないでいることを伝えようとしてるかもしれない。
どうか、
誰かが、
自分のことをわかって欲しくて、伝えようとしてる時は、まずは最後まで話を聞いてくだ
さい。
そしてもうひとつ言われることがあります。
人と違う自分でもいいじゃない。
人と違う自分を楽しんだらいいじゃない。
いろんなことを言われます。
それができたら、
死にたいと思いません。
私なんていなくていいなんて思いません。
自分の存在を許せなくなりません。
私は子供の頃からおかしな子供だったので
私はずっといじめられてきました。
私は疑うことを知らなかったので、
クラスメイトが言うとおりの行動をして、笑われ、先生に怒られました。
悪いことも悪いということがわかりませんでした。
クラスメイトが言うとおりにしてるだけなのに、先生に怒られ、親に怒られる。意味がわ
かりませんでした。
そんな私に親は「お前は何度言ってもわからない。おまえのせいで友達が悪い子になる」
と言って殴られてきました。
そうやって育ってくると、
自分の存在が許せなくなるし、
自分のことを誰も好きになるはずがないと思うし、
とにかく自己否定しかできなくなります。
そんな中で、
人と違う自分を楽しめるはずがありませんでした。
確かに、人と違っていいし、人と違う自分を楽しむって、いい言葉だと思います。
いい言葉だけど、
そう思えるようになるまでがきついのに、
きつい時にその言葉を言われても、
あーあ、どうせね、やっぱり私って普通じゃないんだな、おかしいんだなって自己否定に
なるだけです。
私が存在している意味なんてない。
そう思ってる時に、そんなこと言われたって、どうしようもありません。
私が困ってることは、たくさんあります。
私は思っていることを上手く口にできません。
引き出しが開いた順に話してしまうと話があっちこっちいって支離滅裂になってしまいま
す。
順序立てて話そうと思うと思ったように話せなくなって、
普通でも伝わりにくいのに更に違うように伝わってしまい、
あー違うのになーってなってしまいます。
違うのになーって思ってもそれを修正する術がわからないので、
誤解されてしまうことが多くなってしまいます。
こうして文字に綴るのは、見直しができるし、話すよりゆっくりなのできちんと話が飛ば
ないように整理しながらできるので問題ないです。
なのでほんとうの気持ちを伝えたい時は、
文章にするのが一番いいのですが、今度は文章だと感情が伝わらないので、
やっぱり半分もわかってもらえなくなります。
そして、
一番困るのは、言葉が言葉じゃなくなることがあることです。
「今日の夜ご飯は何を食べたい?」とか
「明日はお仕事おやすみ?」とか、
そういう簡単なことも何を言っているのかわからなくなります。
私は日本語しかわかりませんので日本語以外の自分がわからない言語で話されてるような
感覚になります。
話してるすべてがわからなくなるわけではなく、一文が突然理解できなくなります。
理解できないので何度も聞いたりしてしまいます。
聞いてもわからないので結局そのままにしてしまうことがあります。
言葉はわかっても言われたことの意味を取り違えることもたくさんあります。
なのでとんちんかんなことを答えたりすることも多いです。
理解するのが遅くて、答えるときには違う話題になってることも多いです。
なので、人の話を聞かない、変なことを言う人だなと認識されてしまいます。
一文じゃなくて、全部の言葉が何処かへ行ってしまうこともよくあります。
頭が真っ白になるっていう感じだと思いますが、
映像や目の前に文字で現れたりするんですけど、
それをどう言葉にしていいのかわからなくなります。
なのでよく話が止まってしまいます。
私はよく物の名前を言ってと言われます。
例えば
「花とかに水をやるやつ」とか
「食器を洗うピューって出るやつ」とか
何をするのかはわかってるけど、その名前の意味がわからなくなってるので、
そこで「じょうろ」とか「食器用洗剤」と言われても意味はわかりません。
そういう話し方をする時があるので
私と話をするのは面倒だろうなーとよく思います。
理解出来ない言葉になる、意味を取り違える、それでも一生懸命話を聞いてます。
一生懸命聞いてるけど、覚えてません。
「前にも話したよ」って言われることもたくさんあります。
その話した内容を細かく言ってもらえると思い出します。
私の中では、その時に話したことは、その時のものなので、
違う時にその話が出ても、その時に話したものと繋がりません。
「いついつ、どこで会った時に話をしたことだけど」って言ってもらえると繋がるけれど、
会話の流れってそういうものじゃないので、やっぱり繋がらないので話を聞いてない人に
なってしまいます。
そういう風に、自分ではどうしようもないことで誤解を受け、嫌われてしまうということ
がよくありました。
なので、
わかったふりはとても上手だと思います。あとでわかってなかったことがばれるんですけ
ど
上手く話せないので黙っておくということも覚えました。
その場の流れや雰囲気を壊さないようにできるようにはなりました。
今は、そういう困り感があることを伝えるようになったので、
ちゃんと話を聞かなきゃ!
ちゃんと話をしなきゃ!っていう頑張らなきゃ!がなくなったので、
私もゆっくりと話を聞くこと話すことができるようになりました。
私の中の時間は、ゆっくり流れてます。
自分で自分のことを幼稚だなと思うこともたくさんあります。
たくさんわからないことがあります。
たくさんできなことがあります。
それを隠していろんなことをがんばってきました。
私という人間が、
ひとよりちょっと違うと気づいてから、
私ってちょっと変だなって気づいてから、
30年経って、やっと、やっと自分のことを認めることが出来るようになりました。
認めることができた今だから、
人と違っていいじゃない。
人と違うことを楽しんだらいいじゃない、って、自分で思えるようになりました。
それでも、やっぱり落ち込みます。
落ち込んで死にたくなります。
でも、ちゃんとすぐに立ち直れるようになりました。
落ち込んでも自分で自分に「大丈夫」って言えるようになりました。
仕方ないことだって、こういう自分なんだからしかたないじゃない、って思えるようにな
りました。
もし、私がもっと早く同じ障害の方のお話を聞いたり知ることができていたら、私だけじゃ
ないんだってホッと出来ただろうなと思いました。
そんな風に私と同じように他の人も同じように悩んでるかもしれません。
ひとりでもそういう方の目に止まれば、楽になれるんじゃないかなって思って隠さないで
ありのまんまで生きていこうって決めました。
ありのまんまで生きていくことは、障害を隠さないで生きていくということです。
そして、
人に伝えていく中で、相談も受けるようになりました。
「うちの子、発達障害じゃないかって先生に言われたんだけど、ひどいと思わない?」
と言われたこともあります。
うちの子がそんなはずないって思いたい気持ちもわかりますが、何人もの子供たちを見て
来られた先生が言われるということを考えてほしいと思います。
私は幼いころ自閉症と診断されましたが、支援を受けてきたわけではありません。
私はいろんなできないことがあります。
物の名前がわからなくなったり、 時計が読めなかったり、目の前の人が突然だれかわか
らなくなったり、我が子に何度も「あなたは誰だっけ?」って聞いたことがあるくらいで
す。
そういう困ったことをどうしたら、できるようになるのか教えてくれたり対処法を学ぶと
ころが療育と支援教室、支援学校です。
支援を受けることで訓練できて、それぞれの困り感の対処法を学ぶことで、大人になるに
つれて、普通にできることが増えていきます。それは症状が治ってるわ けではなくて、訓
練して、すごくがんばってわからないようにしてるだけです。
もし、ちゃんと子供の頃から支援を受けていたら、
普通学級じゃなくて支援学級だったら、
いろんな困難の対処法を教えてもらってたら、
私は、こんなに自分をダメだと思ってないだろうと思います。。
死にたい毎日を30年近くも過ごしてないでしょう。
いろんなタイミングがあるけれど。
それぞれのタイミングなんだけど。
親が受け入れることができなくても、
子供には、
そうじゃないかって言われたら、
とりあえず、診断してもらってほしいです。
なにもなければ、それでいいし、よかったって安心できると思います。
受け入れられない現実をつきつけられたら、
親はつらいかもしれないしけれど、それが本人のためになると思います。
親としてどんなに受け入れがたいことだったとしても、
その事とむきあっていかないといけないのは、
本人なんだってこと、わかってほしいって思います。
受け入れられなくても、
子供に支援が必要だったら、
支援を受けられる環境にしてあげてほしいです。
その中で、
自分が受け入れられなくても、
本人はいろんなことをそこで学んでいけます。
そうじゃないと、
私みたいに、
毎日死ぬこと考えるようになります。
二次障害も発症させやすくなります。
自分の存在を許せない人間になります。
自己否定の塊になります。
自分が生きている価値がないと思う人間になります。
子供の障害を受け入れることが難しくても、
子供には支援は必要なんだってことを知ってほしいです。
自分がなんの支援もなかったからこそ、
支援を受けなかった辛さを知ってます。
それぞれのタイミングがベストなんだとわかってるけど、
それまでの経験も必要なことなんだけど。
例えば、
命にかかわる病気の子を
病気なんて受け入れられない!って放置しないでしょ?
うちの次女は、
生まれた時、歩けないかもしれないって言われて、
生まれた時の姿は今でも忘れられなくて、
歩けるようになるように装具をつけてたけど。
歩けるようになるまで
どうやって次女が歩けるようになるかなとか、
歩けなかったら実家を車椅子仕様に建て替えてもらおうかなとか、
受け入れるとか受け入れないとかそんなこと考える前に、
娘の姿で現実をつきつけられたから、
どうやって対処していくか、
どうやって次女を助けていくか、
そればかり考えてました。
発達障害とか自閉症とか、
目に見えない障害も
それと同じなんだよ、ってこと知ってほしいって思います。
目に見えない障害だから、
放っておいても大丈夫って思う?
「自分の子がそんなわけない」っていう受け入れられない気持ちを優先して大丈夫って思
いますか?
「自分で乗り越えないといけないことだから」って支援も受けないのに自分で対処できる
ようになると思いますか?
自分で対処ができないから支援が必要なんだって気づいて欲しいのです。
今の世の中はまだまだ病名が必要です。
支援を受けないで大人になったからこそ思います。
いろんなことが毎日大変で。
自分なりの対処法は全く役に立ってなくて。
役に立つようになるまでに、
何度も何度も躓いて傷ついて死にたくなって。
毎日が嫌で。
自分が嫌で。
生きてることが嫌で。
生きてることが苦しくて。
自分の存在が苦しくて。
いっそ、塵になって消えてしまえばいい。
私を知ってる人の記憶の中から私の記憶が抜け落ちてしまえばいい。
誰も私という存在を知らなければいい。
それしか思わない毎日を過ごした日々は
とても長くて苦しくて。
長男と次男が支援をうけるようになって、
私と同じような困り感をうまく解決する方法を教えてもらって、
簡単にではないけれど、
対処していく息子たちの姿に、
自分の苦しんだ日々が、馬鹿みたいになりました。
私が苦しんだあの毎日はなんだったの?
たったそれだけで、
こんなに楽になれる方法があったの?
どうして、それを教えてくれなかったの?
こんなに、
毎日死にたくなるくらい、
自分の存在が許せなくなるくらい、
そんな思いになるくらい
辛く苦しいことを、
自分で対処法を見つけなけれりゃいけないことだったの?
大事なのは、
自分で対処できるようになるかじゃなくて、
対処できるようになったから、
それから何ができるかってことじゃないの?
もし、
早く自分の困り感を対処できるようになってたら、
こんなに
自分のこと嫌悪してないし、
自己否定してないんじゃないかなって思う。
もし∼って言葉は意味のない言葉だけれど。
こんな風に、
自己否定しかできない人間になってほしくない。
いつも死ぬことしか考えない人間になってほしくない。
ほんとに心から思います。
それぞれのタイミングだってわかってるけれど。
それまでの経験も必要なことなんだけど。
親の受け入れることができるようになったタイミングに合わせるんじゃなくて、
本人が楽しい人生を送れるように本人のタイミングに合わせてほしいなーと思います。
自分の特性を知ってもらうことは、
特別扱いしてほしいとかではありません。
スムーズによりよい人間関係を築けるために必要なことだと私は思います。
本当は障害があるとかないとか関係なしに、その人のありのまんまを受け入れてもらえる
ことが一番いいことだけれど、やっぱり、今はまだ難しい問題がたくさんあると思います。
それでも少しの方でもこういう人がいるんだよって知ってもらえることが何かに繋がって
いくのかなと思います。
私のように自閉症スペクトラム障害だったり、なんらかの問題を抱えている方達が過ごし
やすい社会になるってことは、社会全体が過ごしやすい環境になっていくことだと思いま
す。
本当の事言うと、
自閉症スペクトラム障害なんですって、
言いたくないし、
知られたくないし、
ひっそりこっそり、 自分が好きな様に引きこもって過ごしたいです。
だけど、言おう、って決めたのは、 息子のためだったり、
私のことを聞くことで、「自分だけじゃないんだ」って、
誰かひとりでもほっとしてくれたらいいなっていう思いと、
こんな自己否定の塊になるんだよってこと知ってほしいなって思ったからです。
私のことを知ることで、人と違っていいじゃない。
人と違うことを楽しんだらいいじゃない、って、
だれかひとりでも思えるようになれたらそれでいいなと思います。
私の中の時間は、ゆっくり流れてます。
自分で自分のことを幼稚だなと思うこともたくさんあります。
たくさんわからないことがあります。
たくさんできなことがあります。
それを隠していろんなことをがんばってきました。
自閉症スペクトラム障害だと隠して生きてきたから、
がんばることがたくさんありすぎて自分が自分じゃなくなっていきました。
今は、がんばることをやめました。
ありのまんまの自分をごまかさないで、
ありのまんまの自分で本音でひとと付き合っていこうと決めたからです。
がんばらないでいいところ、
がんばったほうがいいところ、
その中でありのまんまの自分とつきあいながら
ありのまんまの自分で楽しく生きていきたいなと思います。
そして、私の症状は私の症状で、他の人がどうかは知りません。
私が他の人がどうかは知らないってことは他の人もその人の症状しか知らないわけで。
いろんな症状があって、
いろんな困り感があって、
いろんな大変さがあって、
そんな「いろんな」があることも知ってもらえたらいいなって思います。
ありがとうございました。
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