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第13期 筑 - トップページ of 住学協同筑豊地域づくりセンター

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第13期 筑 - トップページ of 住学協同筑豊地域づくりセンター
第 13期 筑
第
1分
ミ」報告
科
会
ヽ
「 地域の歴史や文化 を考える」
第
2分
科
会
「 市町村合併を考える 」
第
3分
科
会
「 "環 境" ∼筑豊の環境を考える∼ 」
第
4分
科
会
「 イベ ン トのススメ」
第
5分
科
会
「 筑豊 PR大 作戦」
近畿大学 九州工学部
・地域 づくリゼミナール運営委員会
筑豊ムラおこし
地 域
C)′ 整 史 や
文 イヒ を「 考
麦■る
■ 多 )不 斗 子 当
角
「
本年度 は 1日 長崎街 道巡 りは ビデオ鑑 賞 で終 わ り、念願 の 手作 リワ ラ ジによる街道巡 りは、
次年度以降 の楽 しみ に した。
手作 り文化 を学 びに直方 市 の提灯屋 と染物屋 の 見学 を行 っ た。 正月 の しめ縄作 りを昨年
度 に続 き実施 し、 それ ぞれ の家 の玄 関 を飾 り新世紀 を祝 つた。
飯 塚 山笠 に欠 く こ との 出来 な い 「お 汐井 雹」 につ いて学 んだ。 山笠 関連行 事 として直方
市 上境 の柱松 一 虫送 り行事 を見学 した。 (宮 崎や鹿 児島 地方 にも見 られ る行事 )
産業 遺 産 → 石灰 窯跡 (庄 内町 )の 見学 (筑 豊 の宝 )。 敗 戦 直後 (昭 和
23年 頃 )迄 、肥
料 として の石灰 の生 産 を行 つていた。 主原 料 は町 内 の 関 の 山 か ら調達 し、 副原料 の石灰 は
川崎町 の炭鉱 か ら鉄道 で搬入 した。化 学肥料 の 生産拡大 に よ り廃 業す。実 に 50年 あま り
特 に保 存 の手 をカロえる こ とな くほぼ 昔 の 姿 で現存 してい る こ とは驚 きで ある。今后筑 豊 の
財 産 と して脚 光 を浴 び る ことは確実 であ るが、早急 に保存手続 きをす る期限を迎 えて い る。
(庄 内町 教育委員会 で細部折衝 中)
オ グラ コ オホ ネ (庄 内町菰 池 )の 群 生地 見学 (筑 豊 の宝 )、 スイ レン科植 物 で あ る オ グ
ラ コオホネ が 池 一 面 に葉 を浮 かべ 、 そ の 間 か ら美 しい花 が顔 を出 していた。 これ は環境 庁
の 「絶滅 危惧 Ⅱ類 」 に属 し (県 は絶滅危惧
IB類 に指 定予定 (12年
8月 現在 )),こ れ ほ
ど大量 に しか も葉 が大 き く、花茎や、業柄 の長 さが 2メ ー トル に達す るこ と等 、他 地 域 の
物 と異 な った特 徴 を有 してお り注 目す べ き存在 で あ る。現在庄 内町教 育委員会 が窓 口 とな
って保存運動 中。
私 たちは この身 近 にあ る二 つ の筑豊 の財 産 (二 十 六 歌仙 (若 官町 は後述 ))を 大 い に
PR
して行 きた い。
一
筑豊 の 民謡
かつ て 日本各地 か ら集 ま った炭鉱労働者 が持 ち込んだ各地 の 民謡 が筑豊
に入 り、様 々 な形 に置 き換 え られ 、定着 し、流布 され た物 と思われ るが 、そ の数 ざつ と
200以 上 ある
(昭 和
35年 頃毎 日新聞社 が連 続記 事に してその ス クラ ップは 田川 図書
館 にある)。
木材
私 たちの生活 は本 に囲まれ てい るが、意外 に本 の名称や特徴等 を知 らず に生活
一
してい るので 、木 の勉強 を現物 (端 材 )を 見 な が ら体感 し認識 を新 た に した。
(例 )ケ ヤキ (九 州産 と東北産 とでは家具材 と して使 う時、 九州産 が価格 が高 い→ 木 目が
美 しい)
五節句
一
日本 古来 の節 句 として伝 わ っ てい るが 、近年 は核家族化 が定着 して 、伝統 あ
る 日本 占来の 行 事が形骸化す る とともに忘れ られ つ つあ るのが淋 しい。 私た ちは極力 大
切 にす る とともに維持 し浸透 を計 り、 子供や孫 に伝 えて い くことを努力 して い くのが努
めだ と考えてい る。
日本 の 色 を か ん が え る
郷 土 の 民 芸 品 に つ い て学 習 す る過 程 の 中 で 、筑 豊 の 各地 で 営 まれて い る「 染 物 」 に つ い て考 察 し
た。「 染 め 」 は世 界 共 通 の 伝 統 工 芸 で あ り、各 国 で も特 色 の あ る「 染 め」が 古 代 か ら発 達 した。
そ こで 「 日本 の 染 め の 変 遷 」 につ いて の 歴 史 を学 習 す る こと と した。
1 上 代 の色 (色 彩 神 秘 主 義 =あ か )
上 代 の 色 彩 に 対 す る素 朴 な 関 心 は、 まず 、「 生 」 と「 死 」 の 謎 へ 向 け られ て 、 それ を解 く鍵 と見
る ことか ら始 ま る。
東 西 の い ず れ を 問わ ず 、赤 色 は原始 呪術 に な くて は な らな い もの だ ったが 、 その 頃 は赤 に 限 らず
色 彩 はそ の 霊 力 に よ って 諸 々の 邪 悪 を祓 う と信 じ られ て いた。 上 代 人 が 色彩 を用 い るの は 美 しさ の
故 で な く、 その霊 力 に 頼 るた め だ ったが 、 その力 は ど の 色 も同 じで な く、神 聖 で 強 い 色 ほ ど悪魔 払
い に効 果 が あ る と考 え られ て い た。 そ の 意 味 で「 赤 」 が重 用 され たわ けで あ る。
2 飛 鳥 奈 良 時代 の色 (尊 卑 の 色 分 け )
装 飾 古 墳 壁 画 の 彩 色 に 用 い られ た顔 料 は、天 然 の 色 土 を主 体 と し、 それ に 少 し手 を加 え た 程 度 の
粗 雑 な もの で「 緑 青 」「 紺 青 」 な どの 本 格 的 な 岩 絵 具 や、銀 朱 (人 工水銀系)・ 鉛 丹 ・ 鉛 白 な ど の 化 学処
理 に よ って つ く られ た人 工 顔 料 が 広 く彩 色 料 に用 い られ る の は仏 教 美 術 が 盛 ん に なつ た推 古 天 皇 時
代 以 後 で あ る。 絵 具 の 材 料 (顔 料 )は 中国 か ら輸 入 され る と と もに 国 内 で も生 産 され 、輸 入 品 を手
本 に 製 造 され た。
古 代 の 服 色 と政 治面 の 尊 卑 に つ い て 、 ど の よ うに用 い られ たか 見 て み る と。 わが 国 で 位 階 を定 め
そ れ に 相 当す る冠 服 を 着 用す る よ うに な る の は、推 古天 皇 十 一 年 の 冠 位 十 二 階 の 制 か らで 、 い ただ
く冠 の 色 で 位 階 を あ らわ し、 服 色 は冠 の 色 と同 じと定 めて 、地 位 。身分 を示 す 標 識 と した。 この 制
度 で は朝 臣 の 等 級 を、 徳・ 仁・ 礼・ 信 ・ 義 ・ 智 の 六 階 しと、 各 階 を さ らに十 二 階 と し、 位 階 に応 じ
て 冠 の 色 を 定 め たが 、最 高 の 徳 だ け は 中 国 隋朝 の 服 制 に な ら って「 紫 Jと し、以 下 の 色 に は 陰 陽五
行 説 の 五 常 の 色 を 当 て た。
3 平 安 時代 の 新 色 (優 雅 艶 麗 =紫 紅 )
この 時代 に は、 責櫨 染 (こ うろせん)。 青 白稼 (つ るばみ)。 赤 白橡 の 天 皇 。上 皇 の 抱 色 とされ た特 殊 な色
の ほか 、 紅 梅・ 支子 ((ち なし)。 巧 葉 (く ちば)。 萌責 ・ 浅 葱 な ど、 植 物 に ち なん だ もの や、 二 藍・ 一 斤
んぞめ)な ど染 法 を 名 と した もの 、 また 香 料 を転 用 した もの な どの 新 色 が あ らわれ た。 それ と
染 (い っこ
と もに、奈 良 時代 か ら引 き継 い だ「 紫 」 と「 紅 」 が 色 感 の 優 雅・ 艶 麗 の 故 に 貴 族 に愛 好 され て、 こ
の 時 代 の 情 感 を代 表 す る色 とな った 。 当 時 は紫・ 紅 に 限 らず 、優 雅 で 微 妙 な色 が愛 好 され たか ら、
この 時 代 に は一 般 に 二 色 の 交 染 に よ る中 間 色相 や 破 調 の もの が 多 い 。
4 源 平 時代 の武 装 の色 (剛 健 勇 武 =強 装東 )
武 家 の 中 で も京 師 の 治安 の 維 持 に 最 も貢 献 した の は源 。平 の二 氏 だ っ た。 彼 らは次 第 に武力 に よ
る治 安 の 実 績 を背 景 に 朝廷 で の 発 言 力 を 強 め、 この 時代 の 末 期 に は政 治・ 文化 面 に大 きな影 響 力 を
持 つ よ う に な つ た。
そ の 色 彩 は貴 族 の 高 貴 。優 婉 に対 して 、 岡」
健・ 勇武 を 象 徴 す る ものが 選 ば れ 、源平 二 氏 の 台頭 を
った
の
な
に
それ
ぞれ
に、
異
性格 の 色 彩 を見 るよ うに な る の で あ る。
機
貴族、武士 世界
って
しか し、 二 氏 の うち平 氏 は 京 洛 に あ
貴 族 的生 活 を送 った ため、 武 装 の 色 も源 氏 の それ よ り派
手 な ものが 選 ば れ た。 彼 らの 軍 旗 の 色 は それ ぞ れ の 気 風 を よ く象徴 して い る。
5 鎌 倉 時代 (禅 宗 の思 想 =張 はり)
平 氏 一 門 が壇 の 浦 で滅 亡 す る四年 前 、 源 頼 朝 は鎌 倉 に 侍 所 を置 き、天 下 統 一 の 準 備 を 着 々 と進 め
て お り、 政 権 が い よ い よ源 氏 に移 る と、 武 士 た ち は 開幕 の 精 神 に沿 って 武 技 を 練 り、 心身 の 鍛 練 に
努 め た。
この 尚 武 の 精 神 は 当 時盛 ん に な った「 禅 宗 の 思 想 」 と結 び つ い て 文化 に 影 響 を あ たえ 、 鎌 倉 特 有
の「 張 (は り)」 的感 性 を強 めて い った 。 それ と と もに、 平 安 貴 族 の「 雅 (み やび)J的 感 覚 の 色 彩 は 姿
を消 し、 か わ って 、意 志 的・ 知 性 的・ 実 質 的 な色 が 絵 画 や服 飾 面 に あ らわ れ て きた。
6 室 町 時代 の「 寂 さJ=塁 」
鎌 倉 に あ って 武 家 政 治 が 根 を お ろ し、庶 民 的文 化 が 築 か れ つ つ あ った 時 、 足 利 氏 が立 って北 条 氏
を 倒 し、 幕 府 を鎌 倉 か ら再 び公 卿 文 化 の 地 、 京 の 室 町 に 移 した。 た め に鎌 倉 武 士 の「 張 」 の 文 化 は
室 町幕 府 の 創 立 者 足 利 将軍 家 を は じめ、 同胞 衆・ 禅 僧 な ど の 文化 人 に よ つて 新 し く「 寂 」 の 文 化 に
変 え られ た。 この 「 寂 Jの 精 神 は茶 道 を は じめ、 当代 の あ らゆ る 文 化部 門 を通 じて人 々 の心 の 中 に
浸 透 した。
鎌 倉 時代 の「 張 」 の 精 神 が 冷 厳 を志 向 したの に 対 して 、室 町時代 の「 寂 」 の 精神 は枯 淡・ 幽粋 を
志 向す る もの だ った 。 枯 淡・ 静 寂 を志 向 す る「 寂 」 の 色 調 は、一 口に言 え ば、 色 の 鮮 や か さを 抑 え
た 破 調 色 や 水 墨 画 に 見 る無 彩 色 だ ろ う、水 墨 特有 の 湿 潤 な 寂 の 色 感「 墨 」 に よ る無 彩 の 世 界 で あ る
「 墨 Jは 淡 め られ る と、 焦・ 濃・ 淡・ 清 の 五 つ の 灰 色 の 階調 を生 む。 この「 墨 の 五 彩 」 に よ って
有 彩 色 の五 色 に ま さ る奥 深 い 寂 の 境 地 を表 現 す る こ とが で き るの で あ る。
7 桃 山時代 の 「 絢 あや =金 碧 」
下 克 上 の 戦 国 時 代 の 後 、 信 長・ 秀 吉 に よ る安土・ 桃 山 の 時 代 を 迎 え る と、 これ ら統 治 者 の 性 格 を
反 映 して、 室 町 時代 の 内面 的・ 精 神 的 な「 寂 」 の 文 化 か ら外 面 的・ 感覚 的 な「 絢 」 の 文 化 に変 貌 し
た 。「 絢 」 の 文 化 の 色彩 的 特 色 は金 碧 の 目 もあや な き らめ きに あ る。
そ う した 豪 華・ 華 麗 な感 覚 の一 方 、 「 利 休 好 み」 で 象 徴 され る洗 練 され た 美 の 感 覚 も見 逃 して は
な らな い 。桃 山時代 の 絵 画 や装 東 が 野 卑 な 狂 乱 に 陥 らず 健 全 な 青 年 的 な 美 を発 揮 す る こ とが で きた
の は、 そ う した感 覚 が その 裏 に働 い たか らで あ る。
8 江 戸 時代 の「 粋 いき =茶 鼠 納 戸 色 」
従 来 の 美服 階級 と い え ば上 流 武士 階級 だ っ たが 、 この 頃 は 武 士 よ り町人 の 方 が 美 服 を求 め る 階級
に な って きた こ とで あ る。金 力 に も の を い わ せ て の 生 活 は武 士 階級 を圧 倒 した。 幕 府 は こ う した 富
豪地 容 認 の 豪 奢 を戒 め るた め「 美 服 禁 上 の 禁 令」 を発 したが 華麗 な 染・ 織 ・ 鹿 子 を 用 い た衣 裳 を着
る よ うに な り、衣 服 流行 史 飢 え、「 元 禄 時 代 」 とい うの は江 戸 時 代 を通 じて 庶 民 の 服装 が 最 も華 美
に な った 時期 で 、 富 豪 の 妻 女 た ち は 新 案 の 衣 裳 に 贅 を競 った 。 こ う して 元 禄 時代 か ら桃 山以 来 の 豪
奢 な 色 に 対 して 町方 大 衆 か ら流 行 の「 粋 」好 み の 色 が江 戸人 の 話 題 の ま とにな った 。 また 、江 戸 時
代 に は、 茶・ 鼠・ 納 戸色 を流 行 させ た 根 本 的 原 因 は、 将軍 に代 替 わ り に発 す る庶 民 の 衣 服 に 対 す る
豪奢 禁 止 令 だ つ た。 そ の 取 締 ま りは時 に は 形 式 的 に行 わ れ た 。 しか し、 続 く泰 平 に よ って 富 を 蓄 え
た江 戸 町民 は、 表 面 的 に は その 禁 令 に 従 い なが ら、 裏 面 で は 美 服 で 身 を飾 る欲 望 を抑 え る こ とが で
きなか っ た。 こ う して 、 令 に対 す る 服 従 と反 発 とで 、 中期 以 後 の 江 戸 庶 民 は二 種 の 行 き方 即 ち、 見
栄 や 欲 望 を さ らり と捨 て て 、洒 脱 な生 活 をす る こと と、意気 地 を通 す こと に生 き甲斐 を 見 い だす こ
との 両 面 の 行 き方 を求 め る よ う にな る。
その 色 感 は茶 系 統 で も一 般 に爽 や かで 涼 しげだ が、 幕 末 の 嘉 永 年 中 に「 海 老 色 」 と い う暖色 系 の
赤 茶 色 が 流行 した。
Ⅱ
三 十 六 歌 仙 絵 を か ん が え る 若 宮 八 幡宮 伝 来
鞍 手 郡 若 宮 町 の 若 宮八 幡 宮 に折 本 装 と して 伝 わ った「 三 十 六 歌 仙 絵」 が 寄 進 され て い る。平 安 時
代 中期 に 藤 原 公 仁 の「 三 十 六人 家 集 」 が あ り、 時代 が 下 が って 鎌 倉 時代 の 佐 竹 本 、 さ らに は岩 佐 又
兵 衛 筆 と して知 られ る上 野 家 旧蔵 の「 三 十 六 歌 仙 絵」 は「 新 古 今 和 歌 集 」 に 関係 の 深 い 人 物 構 成 で
あ る。 この 貴 重 な 文 化 遺 産 で あ る「 三 十 六 歌 仙 絵 」 が 郷 土 若 宮 町 に所 在 す る意 義 を 学 習 す る。
1
'
「 若 宮本 」 の 伝 来 につ いて
まず 、若 宮 本 が いつ ご ろ若 宮 八 幡 官 に 寄 進 され たか と い う問題 に対 して は、 ひ とつ の 目安 を与 え
る記 録 が あ る。 それ は、 若 宮 本 の 折 本 装 の 表 紙裏 墨書 で あ る。
「 安 政 七 庚 申 日筑篠 栗 幸 平
再 仕 立 之 時年 六 十 七
寛文十三天
葵
京 烏 丸 通 四条 下 ル 町
ノ五 月 吉 日
丑
経 師嘉 兵 衛
長九郎折 」
記 事 記 載 の 時 間 的順 序 は逆 にな っ て い るが 、 この 記 述 か ら若 宮 本 は寛 文 十 三 年 に 京 都 で、 嘉 兵 衛
と長 九 郎 とい う二 人 の 経 師 に よ って 折 本 装 は仕 立 て られ た こ と、 それ か ら約 一 九 〇 年 後 の 安 政 七 年
に、 今 度 は「 筑 篠 栗 」 の 幸 平 が 再 度 仕 立 て 直 した こ とが わ か る。 後 者 の 補 修 は 右 宮 八 幡 宮 が お こな
った も ので あ ろ う。 こ こか ら、八 幡 宮 へ の 寄進 が 寛文 十 三 年 か ら安 政七 年 の 間 に一 応 位 置 づ け られ
るだ ろ う。 とす る と若 宮 本 の 制 作 は又 兵 衛 の 没 年 で あ る慶 安 三 年 以 前 で あ るか ら、 京 都 で 折 本 に表
装 され る まで に 少 な く と も二 十 年 以 上 の 期 間 が あ る。 この 間若 宮 本 が どの よ うなか た ちで 誰 の 手 元
にあ っ た のか は、 実 は確 か な 文 献 記 録 が な い 。
若 宮 本 が 折 本 装 に 仕 立 て られ た 京 都 に 関係 が あ り、 しか も若 宮 八 幡宮 に も繋 が りが あ る の は、左
んぐう 薦 市東雌 五条)で あ る。左 女 牛 八 幡 宮 は別 に「 若 宮 八 幡 」 とい い 、福 岡 の 若
女 牛 八 幡宮 (さ brllは ちま
宮 八 幡官 は文 治 年 間 に こ こか ら勧 請 され た。 従 って 若 宮 本 が 京 都 の 左 女 牛 八 幡 宮 か ら もた らされ た
と して も不 思議 で はな い 。更 に、 若 宮 本 が 世 にで る き っか け とな ったの は、一 九 八 五 年 の 若 宮 八 幡
宮 八 百年 祭 で あ る。 その 前 年 の 十 月 、 八 幡宮 で は前 年 祭 と して放 生 会 を お こな い 、 そ の 記 念 行 事 と
して 神 社 に 伝 わ る「 三 十 六 歌 仙 」 を拝 殿 に 展 示 し、 そ こで は じめ て 若宮 本 が一 般 公 開 され た 。 そ の
お りに 関係 者 が 撮 影 した 写 真 を、若 宮 町在 住 の 小 田稔 氏 に よ り福 岡市美 術 館 に 調査 を 依 頼 、 さ っそ
く調 査 は一 九 八 五 年 五 月 に実 現 した。調 査 は若宮 町役 場 の 会議 室 にお い て な され 、 関係 者 の 見 守 る
なか 、作 風 と印章 か ら、 岩 佐 又 兵 衛 の 作 品 と判 断 され た。
2 若 宮 八 幡 宮 の又 兵衛 歌 仙 絵
岩 佐 又 兵 衛 勝 以 と い え ば、 それ ぞ れ に個 性 的 な江 戸 初 期 の 画 家 た ち の 中 で もひ ときわ 異 彩 を放 つ
人 と して 論 じ られ て きた。 二 面 性 を持 つ 画 風 と、数 奇 な生 い立 ち、 それ に浮 世 絵 の 祖 と い う伝 説 が
か らま った 、 い わ ゆ る謎 の 画 家 で あ る。
又 兵 衛 が生 み 出 した 幅広 い作 品 の 中 で、 歌 仙 絵 と い う分 野 は、 彼 が福 井在 住 時 代 か ら江 戸在 住 の
晩年 まで 描 き つづ けた主 題 で あ った 。 ま た、 制 作 年 が 明 らか な 又 兵 衛 唯― の 基 準 作 が 、 仙 波 東 照 宮
の「 二 十 六 歌 仙 扁 額 ム で もあ り、歌 仙 絵 は又兵 衛 研 究 の 中 で も近 年 注 目を集 めて い る。
若 宮 町 の 若 宮 八 幡 宮 に 伝 わ った 歌 仙 絵 は、 い わ ゆ る「 又兵 衛 歌 仙 絵 」 の 中 に 位 置 づ け られ もので
あ る。「 又 兵 衛 歌 仙 絵 」 の 遺 品 の 多 くが 、制 作 当時 の 姿 で はな く、分 断 され た り行 方 不 明 の もの も
あ る 中で、 三 十 六 人 の 歌 仙 が全 て 揃 った 折 本 装 の 形 で伝 わ った もの と して研 究 資 料 と して も貴 重 な
作 品 で あ る。
作 品 デ ー タ ー
○ 品質 形 状
紙 本着 色 折 本 装
平均
縦 21 64¨
横 33 12● n
○ 本紙法量
O 図
柄
36枚 の 料 紙 に それ ぞ れ歌 仙 ひ と りと和 歌一 首 ず つ 描 く
「 勝 以 」 筆 文 一 重 円印
左 1及 び右 18の 画面 に 「 道 蘊 J朱 文 方 印
○ 印
章
左 2∼ 右 17の 画 面 に
「 道 濃 」朱 文 方 印
縦 27.3仰
横 39.5m
○ 装丁表紙
の
り
四隅 に 唐 草 模 様 型 の 金 具 が つ く
牡丹唐草 級子張
参 考 資料
Ⅲ 筑
豊
の
城
「 古 美術 」
中 山喜 一 郎 著
郭
筑豊 には歴史的に も有名な「 城」が点在 して いる。 この「 城」 の時代的 な築城の変遷 を学習 して
見た。
1 「 城 」 の歴 史
「 城 」 とは軍事 的 目的 を も って 築 か れ た 防御 施 設 の ことで あ る。
「 城 」 の 文 字 は 《土 》 扁 に 《成 》 の 労 (つ (り )で 構 成 され 、土 で つ く った 施 設 の 意 味 だが 、 時代 に
よ って か な りの 違 い が あ る。
2「 古 代 の 城 郭 =山 城 」
`
古 代 の 城 は、 《き》 と呼 び、城 も しくは棚 の 字 を 当て た。「 日本 書紀 」 に よ る と、六 世 紀 末 に物
部 氏 が 稲 城 (い とき)を 築 い て蘇 我 氏 を 防 い だ とあ るが 、 文字 か ら判 断 す れ ば 、稲 種 を 積 み上 げ た堡 塁
ら し い 、 しか し、 本 材 で 骨 組 み した 柵 状 の 施 設 だ とす る説 もあ る。 七世 紀 後 半 、 朝 鮮 関係 の 急 迫 と
東 北 経 営 の 進 展 とに伴 って 外 敵 防備 の た め の 城 棚 が 造 られ た 。西 日本 で は朝 鮮 式 山城 が数 多 く築 か
れ る。 一 方 、東 日本 で は 台地 に城 棚 が つ く られ た。
3「 中 世 の 館 と 山 城 」
十 二 世 紀後 半 、 モ ン ゴ ル 来 襲 に備 え 、 博 多 湾岸 に 高 さ15rル 、長 さ16報 にわ た って 築 か れ た 石 塁
を 除 けば、 中世 の 城 は平 時 の 館 (や かた)と 戦 時 の 山城 とに特 徴 づ け られ る 。
4「 近 世 の 平 山 城 と 平 城
」
。
の
で
あ
り、 平 山城 と平 城 とに よ って 特 徴 づ け られ る。
は
日本
城
発
達
完
成
期
近世
郭
の
20∼
100布
ほ
に築
か れ 、周 囲 の 平 地 を取 り入 れ た城 で 、城 主 の 平 常 の 居 館 と
ど 丘陵
平 山城 は、
戦 時 の 軍 事 的 防 塁 の 機 能 を兼 ね 合 わ せ た も ので あ る 。戦 国 の 動 乱 を通 じ、各 地 の 大 名 は築 城 に意 を
注 いだが 、鉄 砲 の 使 用 に伴 う戦 法 の 変 化 と、 領地 の 支 配 の 利 便 とか ら、城 は 山上 か ら丘 陵 部 に 下 が
り、 よ り拡 大 され た 規 模 の 平 山城 とな った ので あ る。 【姫 路城 ・ 松 山城・ 熊 本域 】
平 城 は、 軍 事上 の 要 害 よ り も政 治上 の 利 便 を主 眼 と して 平 地 に 築 か れ た城 で あ る。
江 戸 時代 に はい って 領 国支 配 の 拠 点 と して の 機 能 が 一 層 重 視 され る と、 平 地 に城 を構 え 、 城 下 町
を そ の 内部 と周 囲 に 取 り込 む よ うに な っ た。 防備 施 設 の 大 部 分 は人 工 的 に築 か れ た 石 垣・ 土 塁・ 水
濠 に よ る の で 莫 大 な 経 費 を必 要 とす るが 、 領主 に と って はそ れ以上 に領 国経 営 の 必 要 性 を感 じた の
で あ る。 【江 戸 城・ 大 阪城 ・ 名古 屋 城 】
5「 筑 豊 の 城
」
筑 豊 に は次 の とお り「 城 」 が 築城 され て い た 。元 和 元年 (1615)一 国 一 城 令 で廃 城 とな る 。
│1地 区
藩庁 =1
計 =60
城 ‐58
館・ 陣屋 =1
① 田 り
・
=1
=0
=56
計 =57
筑豊地 区
城
藩庁
館 陣屋
② 直 鞍 地 区
`
-53
=0
・
城 =50
藩庁
計
合 計 170
館 陣屋 =3
③ 嘉 飯 山地 区
13期 筑豊 ゼ ミ第 2分 科会
「市町村合併 を考 える」
報 告書
「合併 の是非 に関す る議論 は毎年 の ように出尽 くしてい る」 とい う考 えの もと、今期 は
合併推進 をす るための勉強を行 うとい う立場を とり、合併 の阻害要因や合併 の メ リッ トな
どを探 し、合併 を推進 してい くにはどうした らよいかを中心に勉強 した。
前半は、福岡県の地方課、地域振興課 より講師 を招 いて合併 に関す る講義 を、また 「筑
豊原色図鑑」著者 の松本廣氏、福岡経済同友会 の大塚氏を講師に招 いて合併及 び筑豊 に関
する講義を行 つた。
前半か ら後 半 にさしかかる 11月 、いわ き市へ視察 にいつた。 いわき市は昭和 41年 に
五市四町五村が合併 し、域内 に常磐炭 田を抱えた合併経験市である。旅費 の関係 もあ り全
員 とい うわけにはいかなかったが、合併 を した市ではの経験談な どを聞 くこ とができ、 と
ても有意義 であつた。 また、 3泊 4日 とい う旅行 を通 じて、ゼ ミ生内の連帯感 もうまれた。
後半は、まず、各 自がかんがえる筑豊合併 の姿 を発表 してもらった。
まず、筑豊合併 の姿 としては、 (1)25市 町村広域合併、 (2)直 鞍、嘉飯 山、田川 の
旧郡単位 で合併、 (3)旧 郡 の範囲にこだわ らず合併、の 3パ ターンの意見がでた。
(1)の 25市 町村広域合併 の論拠 として 、"筑 豊文化圏"を つ くる、多 くの異な るも
のが一緒 になってこそ新 しい ものができる、 1度 に一緒 になったほ うが、スケールメ リッ
ヽ
トを生 かせ る、 な どが あ っ た 。 (2)の 直鞍 、嘉飯 山、 田川 の 旧郡 単位 で合 併 の論拠 と し
ては 、一 部事務組 合等 の広域行政 のほ とん どが 旧郡 単位 の範 囲内 でお さま ってい る、農協 、
森林組合等 の合 併 も旧郡 の範 囲 内 が ほ とん どで あ る、あま り広す ぎる合併 だ と住民意識 と
か け離れ て しま う恐れ があるので広 す ぎず せ ます ぎない 旧郡 単位 の合併 が よいので は な い
か 、な どが あ つ た。 (3)の i日 郡 の範 囲 に こだわ らず合 併 の論拠 として は、“宗像 の奥 座 敷
と しての若 宮・ 宮 田"、 “直方 ・ 飯 塚 の 両方 を向 い てい る小 竹 "、 な ど各 市町村 それ ぞれ 地
域特性 をも つてい るので 、旧郡 単位 に こだわ る必要 はない の ではないか 、 な どがあった。
それぞれ に説得力 の ある意見であ り、 これ は どれ が正 しい か といった 問題 で もないため 、
それ ぞれ の意見 をそ の まま 13期 第 2分 科会 の意見 とす る こ とに した。
最 終的 に 、 これ らの意 見 をま とめ 、筑豊地域 で合 併 を した ときにメ リッ トな どが一 日で
わか る よ うな も の と し、報告 書 を作成 す る こ とにな ってい る。 (た だ し、 この報告書 の 作
成 には 3月 いつぱいかか る予定で 、現段 階 (2月 末 )で はまだで きてい ない。)
13期 筑豊 ゼ ミ第 2分 科会活動報告
5月
塩川分科会長 よ り、今期 の方針 につ いて発表。 そ の後 自己紹介。
5月 、 6月
7月
福 岡県地方課 よ り講師 を招 い て の合併 につい ての講演。 (2回 )
福 岡県 地 域振興課 よ り講師 を招 い て の 「筑豊 の現状 と課題 」 につ いての講演。
8月
福 岡経 済 同友会 の 大塚洋 一 氏 よ り市 町村合併 につい て の講演。
9月
「筑豊原 色 図鑑 」 の著書 、松本廣 氏 よ り、筑 豊 の魅 力 につ いての講演。
10月
11月 15日
後 半 の活動 内容 の確認 と、い わ き市訪 問時 の 質 問事項 の確認。
∼
17日
い わ き市訪 問
参加者
塩川、後藤 、伊藤 、加 日、木 下、佐 々 木、
松井 、神崎 、 甲斐、松 田、井 上 、
12月 13日
12月 20日
1月 13日
いわ き市訪 間 メ ンバ ーか らい わ き市視察 の報告。
終盤 にむ けて報告書 の 内容確認 と活動 内容 の確認。
飯 塚市女性 セ ン ター 学習交流 室 で討 論会 を行 う。 各 自が 考 えた筑豊 25市
町村 の合 併像 を簡単 な理 由をつ けて発表 して も ら う。 そ の後 、場 所 をか え 、
新年会 とな る。
17日
2月 14日
2月 21日
前 回 (1月
1月
13日 )討論 した内容 を さらに深 く意見交換。
最 終盤 にむ けて の報告書 の 内容確 認。
報告書作成 にむ けて、各 自が考 え る合併案 を もとに 、筑 豊 が 合併 した ら こ
うい つた こ とが よ くな る、 とい うこ とを提 出。 それ に もとづ いての意見交換。
)報 告書 第 1校 正
21日 〈予定 ) 報告書 第 2校 正
24日 (予 定 ) 筑豊 ゼ ミ修 了式
31日 (予 定 ) 報告書完成
3月 14日
3月
3月
3月
(予 定
ヽ
い わ き市視察 の報 告
第 2分 科会
11月 15日
井 上 英俊
、 13期 筑豊 ゼ ミ第 2分 科会 (合 併 問題 を考 える分科会 )の メ ンバ ー
11
人が福 岡 空港 の ロ ビー に集 ま って い た。 目的地 は福 島県 い わ き市。
い わ き市 は人 口約 36万 人 、面積 は約 1, 231平 方 キ。と、 日本 一 面積 の広 い 市 であ る。
キ
)ま た 、昭和 41年 に 、
(ち なみ に 、筑 豊 地 区 で 人 口約 47万 人、面積 は約 984平 方 ロ
5市 4町 5村 が合 併 して誕生 した 合併経験市 で もあ る。
初 日、福 岡空港 に 8時 に集 まった私 た ちは、東京 まで飛 行機 で行 き、そ こか ら JR特 急
スー パ ー ひた ちで い わ き市ま でむ か つ た。 い わ き市 は首都 圏 か ら 2時 間 と比較的近 く、 十
分 日帰 りで往復 で きる範 囲 で あ つた 。
い わ き駅 は も ともと平駅 とい つてい たが 、平成 にな つて 、 いわ き市 の 中心 駅 で あ る、 と
い うことで 、平 か らい わ きに名 前 を変 えた 、 とい うこ とで あ る。 合併 が昭和 41年 の こ と
であ るか ら、合併 して約
30年 た っ て 、駅 の うえで もいわ き市 が 誕 生 した 、 とい う感 じで
ある。
いわ き市 につ い た私 たちは 、そ の ま まいわ き市役所 にむ かった 。市役所 で は、市行政 課
職員 の 千葉 さんが 、会議 室 へ と案 内 して くれた。 そ こで 、行政課 課長 の若 松 さん と課長補
││さ んに合併 についての レクチ ャー を して も らつ た。 ただ 、既 に
佐 の 大高 さん、係 長 の荒ノ
合併 してか ら 30年 以 上がた ってお り、若松 さんに して も合併 当時高校 生 だ った の で 、資
料 に基 づ い て の 説 明 とな っ た 。最 後 に若松 さん が言 われ た 、「これ か らは市町村 も生 き残
りを賭 けた時代 にな る。 いわ き市 が生 き残れ る とは 言 わないが 、合併 で広域 にな つてい る
とい うこ とで、生 き残 るた めの条件 が整 ってい る、 と考 え る」 とい う言葉 は 、市町村 が生
き残れ な い こ とが ある、 と考 えて い る人 が少 な い 、私 た ちに とつ ては 、胸 に突 き刺 さる言
葉 であつた。
2日 目は、千葉 さん の案 内で い わ き市内の視察 に行 く。 まず 、市 内のほぼ 中央部 にある、
い わ き好 間中核 工 業団地 に向か う。 こ こは 、少 々小 高 い丘 の上 にあ り、 山間 部 とい うこ と
で、 工業排 水等 を考 え、軽 工 業 中心 とい うこ とであ る。従 業員数 は約
5000人
で、 ほ と
ん どが い わ き市民 とい うこ とであ る。
次 は、 三和支所 、である。 三和支所 は 、山間農村部 にあ る三和 地 区 (元 三和村 )に あ る。
この 支所 は 、 い わ き市 に 12あ る支 所 のひ とつ で 、建物 が い ちばん新 しい 支所 で ある。 健
康 セ ン ター が 隣接 し、 一 回 200円 で入 場 で きるお風 呂が あ る。 また 、介護 セ ン ター も隣
接 され 、 JAに よるデ イケアサ ー ビス 行 われ て い た。 ここの支所 長 で ある都 築 さん の話 で
は 、「合併 しなか った ら、 この場所 に こん な立派 な施設 はで きな かっただ ろ う」 とい うこ
ヽ
とで あ っ た。 また 、 三 和 地 区 は 、 地 区 の人 口が減 つてい るが、 これ につ い ては 、「合併 が
なか っ た ら、 も つ と多 くの 人 がながれ て いっ たのではない か。 それ に地 区人 口が減 つてい
る とは い え、流動先 はいわ き市 の 中心地 区であ るので 、市全体 と して の 人 口減 にはな って
い ない 」 とい う答 であった。
午後 か らは、合併 当時 の職 員 を講 師 に、合 併 に つい ての 講演 が あ つた。講 師は及川 さん
といい 、現在 は い わ き市 の水道事業管理者 で 、合併 当時磐 城 市 (合 併市 の一つ )の 合併担
当部署 に い た職 員 であ る。 さす が 、実 際 に合併 に携 わ った 職員 だ けあ つて 、 い ろい ろな裏
話 を知 つていて 、話 をお も しろ く聞 く こ とがで きた。合併 は新 産 業都 市 の指 定 を うけ るた
めの条件 で あ つ た こ と、合併 にあた って 「新 市 の名 前」「本庁舎 の位 置」「職 員 の 給与」 が
問題 となった こ と、財政措置期間 (旧 市町村 の範囲 でそれ ぞれ予 算 を組 み、新市 としては 、
それ を足 しあげて予算 とす るこ とが認 め られ ていた期 間)が お わ るまで は 、合併 とい うよ
り、連携 といっ た形 で あ り、 2年 後 に 新市 として、本 で予算 を組 んで 、 は じめて 合併 、 と
いつた感 じが した 、 とい うこ とな どを開 くこ とができた。
そ の後 は、 い わ き市 の 商 工 会議所 、 いわ きハ ワイア ンセ ン ター を回 り、 2日 目は終 了 し
た。
3日 目は 、い わ き市 の住 民団体 の 方 との意見交換会 であ る。 いわ き市 は 「いわ き宇宙塾 」
とい う、市 主催 の住民学習会 があ り、そ この卒業 生 の方 々 と意 見 を交換 した。
一つ で よか つた 、 とい つ
住 民 の 方 の 意見 には 、合併 して よか つた 、 これ だ けの広 い 市 が
一つ
た 声は間 かれ なか った 。 なにぶ ん 、 広す ぎる、 とい つた声 が きかれ 、例 えば、催 し物
で に 1時
す るに して も、 ほ とん ど市 の 中 心部 で行 われ 、周 辺 部 か らは車を使 つて も着 くま
つた 。 また、
間以 上もかか つて しま う。結 局 は参加 しな くな つて しま う、 とい うこ とで あ
いたた め、各地 区
合併 してか ら 「いわ き市 はひ とつ 」 とい う施策 が最 近 まで と られ て きて
の 特 色 をだせ ず 、中 央集権的 にな つていた 、 とい う意 見 もあ つた 。 こ うい つ た声 は、 これ
か ら合併 を考 えて い く うえで 、頭 に入れ てお かな ければな らな い こ とだ ろ う。
こ う して、 3日 間 のいわ き市の視察 が終 わ り、私 たちは帰途 に着 いた。
が
今回 の視 察 に参加 して、合併 に大 事 な ことは 、議 員 や職員 の数 が減 って 人件費 減 る、
つ
こ
とかそ うい うこ とを議 論す る こ とではな く、合併 に よ り、 どの よ うな まちを くる とが
で きるか 、 とい うこ とで ある、 とい うこ とに気 づい た。 どの よ うな まちをつ くれ るか、 と
い う議論 があ つては じめて合 併 の メ リッ ト・ デ メ リッ トが浮 き上 が って きて 、合併 の 議論
もすすみ 、 まちづ く りの計画 もすす むだ ろ う。
最後 に、私 の感想 を述 べ た こ とで、報告 を終 わ りた い と思 う。
「筑豊 立風 」 1月 号 よ り抜粋 、 一 部編集
〈
)
い わ き市 役所 で 、 い わ き市職 員 の 方 と議 論す るゼ ミ生
:
第 3分 科会
1.
環境
は じめ に
年 々、筑豊地区 における環境問題 も複雑化、多様化 してきているよ うに思 うが、今年 も
第 3分 科会 では皆 で何か しなくては と、試行錯誤 しなが ら、あれ これ と取 り組 んできた。
<今 年度 の活動 の あ らま し >
・
遠賀川水系の定期水質調査 (7月 、12月
・
福岡県環境教育学会 での環境分科会 の活動報告の発表 (8月
・
鞍手町 の赤 い水 (坑 内水)の 調査 (9月
・
柏 の森祭 で、庄内町 、鞍手町 の遠賀川支流域 の現状を写真 にて展示
。 生 ゴ ミ分解器 の効力 の検討
・
・
EM菌
)
)
)
(11月 )
(11月 ∼)
の活用 について 、実践報告 をま じえて検討
ホタル保存 の会 立ち上げにむけての準備
(12月 ∼)
(12月 )
・ 福岡県環境部環境保全課あてに、遠賀川水系の水質基準見直 しについての意見書を
提出
2。
(12月 )
今 年 度 の 主 な活 動 に つ い て
前項 であげた項 目の うち、主な活動 について報告す る。
2-1.今
年度 の遠賀川水 系水質調査結果
今年度は、 7月
、
19日 と 12月 2日 の 2回 、採水お よび分析を行 つた。その結
果 を以下の表に示す。
平成 12年 度 遺贅川水系水質■査結果
平成 12719
pH
河川名
1
電気伝導度
い
山田川
S/m
天気 くもリ
BOD
D0
に
D
ell
雌
500
031
::
大 限′
7● 5
0151
481
1郡
自円
7“
0555
4フ │
0● 5
439
070
097
0300
430
092
庄内川(■ 羽)
庄内川 (":口 )
335
0359
小竹町役場下
■29
鷹山川
■37
0ま 濾
374
,99
直方市役所下
■67
058
400
2'C
福智川下流
8“
::上 流
福讐り
12
人見橋
宝見精
0132
35
,10
0嘲
3“
034
'メ
■47
0352
0'4
a65
750
0300
305
1006
平 成 12122
天気
電気伝導度
D0
80D
(mS/om)
tng/ゆ
KIny)
建花寺川河 ロ
0494
438
414
0706
0529
413
0"
421
080
3
庄内,iI(島 羽 )
9
庄内
10
れ
河川 名
pH
7
1ま
74フ
口)
"I(川
小竹町役場下
フ16
彦山 l"
■66
0412
0412
333
直方市役所下
0428
486
福書川下流
0251
a31
福智川上流
0092
■23
339
593
分析者 :近 畿大学分析研究室 (上 松、吉個 )
2-
2.遠 賀川 水系水質経年変化 (過 去 5年 間
BOD(生 物化学的酸素要求量)と 電気伝導度 か らみた水質変化を以下の グラ
)
フに示す。
800
5
0
5
︵
ヽ “E ︶
00 m
0
97/9/30
97/11/8
90/12/5
99/5/29
99/8/21
99/12/6
00/7/19
00/12/2
採水年月 日
――
小竹町 (役 場下 )
彦山川(合 流点)
―
‐ ● ‐ 宝見橋
電気伝導度
0
0
日・
0
Tヾ∽こ侵絆上捩”
0
`
・
0
97/9/30
97/11/8
93/12/5
99/5/20
99/e/21
99/:2/6
tll1/'/19
採水年 月 日
―
小竹町 (役 場下 )―
・
彦山川 (合 流点)‐ ‐■
00/12/2
2-3.福
平成
岡 県環 境 教 育 学 会 に参 加 して
12年 8月 26日 、 ここ近畿大学 九州 工学部 において行 われた福 岡県環境教育学会
第 3回 年会 の一般発表において時任 氏が筑ゼ ミの環境分科会 の紹介 を、またポス ターセ ッ
シ ョンにて環境分科会 で過去 4年 間継続調査 してい る遠賀川水系の水質調査 の報告 と、筑
豊地区 25市 町村 の ゴ ミ対策や ゴ ミ袋等 の調査 の報告 をお こなつた。
この様な大きな場 での発表 は初 めてであ り、短 い時間ではあつたが、福岡県内各地で活
動 してい る多 くの方 々 と意見交換 できたことはたいへん有意義 であつた。私 どもの活動 を
多 くの方 々に知 らせ、意見をい ただき、自らを省み る ことので きた貴重な機会を、 これ
か ら先 の活動 のエネル ギーに したい と思 う。
2-4.遠 賀メll水 系 の水質基準 の見直 し係 る福 岡県環境部環境保 全課 へ の意見書提 出 に
つ いて
12年 12月 、福岡県環境部環売保全課が、遠賀川水系の環境基準の見直 し (主 と
して BOD基 準の緩和)を 実施す るにあた り、県民 か らの遠賀川水系の水質保全に関す る
平成
意見を募集 してい るとの情報を得 たので 、第 3分 科会 としても、自らの活動や地域住民の
目の高 さか ら見た遠賀川 の姿 を伝えるべ く、締め切 り間近であつたが、急きょ、意見をと
りまとめて提出 した。以下は、その要旨である。
、
<要 旨 >
│1流 域 の十数地点 において 、採水及
私 どもは、その活動 の中で過去 4年 間に 8回 ほ ど遠賀り
び水質調査を行 ってきた。
現在 の遠賀川は、生活υF水 の影響 にカロえ、かっての産炭地特有 の性 質 を併せ持 つ水質改
善のむつか しい川であ り、さらに ゴミの不法投棄 の多い川でもある。
しか し、 こ ういつた状況下であ りなが ら、地域住民の水質保全活動は、アイ ラブ遠賀川
をは じめ、デポジ ッ ト制 の取 り組み、 ビオ トー プ作 り等 々、地道な活動 の連携 が始まろ う
としてい る。
そ ういつた 中、今回 の類型指定及び見直 しは、基準の緩和 であ り、安易な基準緩和 は、
住民 の意識低 下、ひいては更なる水質悪化 を招 くもの と考える。 む しろ、近年 の水環境 の
危機 か ら考えるならば、河川 の監視項 目は、現在 の 5項 目か ら増やすべ きで、河川 の評価
が実質、BOD基 準のみで語 られ、さらに、その基準をも緩 く しよ うとすることは到底 、納
得 できない。 なお、審議会 の情報は常 に公 開 していただき、地域住民の意識向上、啓発施
策お よび声 を聞 く機会 をもつていただ きたい。
3.お
わ りに∼ 21世 紀 は環 境 の世紀 になるの か ?
そ して、遠賀川 の未来 は・・・
私たちは 、 5年 ほど前か ら筑豊の 自然環境 の現実 の姿 を知 るところか ら、環境問題 に
取 り組んで きた。
筑豊 のシンボル ともい うべ き遠賀川 は、かつての炭鉱 の影響 を受けていた頃に比べ て
現在 は、一 見きれ いになったよ うに見 える。 しか し、その水質は、九州で ワース ト3に
il敷 では 、不法投葉 の ゴ ミの 山が点 々
IIな ので ある。 さらに、河り
入 るほど汚濁 のすすんだり
と見受けられ る。
環境分科会 に席 をおいてか ら、今 までには行 つたこ との なかつた汚水処理場や ゴ ミ処分場
に も足を運ぶ よ うにな つた。そ して、毎 日のよ うに川 をのぞき こみ 、水をくみ、匂い、時
には頭 の痛 くなるような本 も読 んでみた。 できる ことか ら何か始めなくては と思い 、生 ゴ
ミを減 らすために堆肥化 を試 した り、買い物 にはマイパ ッグを持参 した り、食 品 トレイや
牛乳パ ックを回収 した り 。・ 。とあれ これ思 いついたことをや つてきたが、 こんなことぐ
らいで どうなるんだろ う??と 、いつ もむな しさが付きまとつて きた。
最近 よく話題 にのぼる環境 ホルモン、オゾン層破壊、地球温暖化・・ ・ どれ も問題 が大
私たちの便利で文化的 (?)な 生活か ら生 じた こ
きす ぎて ピン とこない が、つ きつ めると、
とばか り。 い まさら、便利で快適な生活 をがまん して どこまでまでやれ るのか ?
だれかに、「そんなにがんばって 、あ と何年 生きるつ もりか」 と笑 われ る。
最近、 とても素敵な こ とに、かわい らしい小学 1年 生 のお友達ができた。「春になつた ら
一緒 にお花摘 み しよ うネ
!
お花 のこ と、草や木 の こと、いつぱい教 えてネ・・ 」
そう
言 う彼女の 目を見つ めなが ら、 この子 らに緑豊か な故郷を渡 してゆかねばい けない 、だ つ
た ら、少 しくらい不便 で もいい じやないか と思 つた。 あらためて、環境問題 への取 り組み
方 とは、その人の生き方その ものだ とい う思い を一層強 くした。
菜 の花 がちらほ ら咲き始 めた遠賀川 の上手を久 しぶ りに自転車を走 らせなが ら、明 るい
春 が彼女 たちの将来 に も来ます よ うに、「沈黙 の春」が現実 となることのないよ うにと願わ
ず にはい られなかつた。
さあ、また今 日か らや るぞ !共 に感 じ、共 に考 える仲間を集 めて、できるところか ら行
動 していこ う !!や は り、環境問題 をぬ きに して、筑豊の 21世 紀は語れないのだ・ … ・・
(分 科会長
栗 田 敬子)
タ イ分科癸
[./*y FOZZ,ztJ
◎ メインイベント ∼ み ん な の 筑豊 大発 見 コ ンテ ス ト∼
伊能 忠敬 が 日本 では じめての本格的 な実測 地図 「大 日本 沿海興地全 図」 を作成 してか ら早 200年 。
伊 能 ウォー ク"を 辿 り、200年 後 の私 た ちが地図 を作 ろ う
今年 はそれ を記念 して 、忠敬 が 歩 い た道 “
ではな いか とい うマ ップ コ ンテ ス トが行 われ ています。
ところが !!事 務局 に電 話 して尋 ねた ところ、筑 豊 か らの 出展 は、下は小学生 の部 か ら上 は一 般 の
部 まで 、全 て を通 じて 「ゼ ロ」、 全 くない そ うです。
こん な こ とでは い けな い !筑 豊 に も素敵 な ところはた くさんあ るんだぞ !!こ れ をみ んなに紹介 し
な くて は !!!と 使命感 に火 が つい た私 は、 第 13期 の筑豊 ゼ ミ第 4分 科 会 で地 図 を作 る こ とができ
な いか と考 え、「筑豊 マ ップ」作 りをテ ーマ に選 びま した。
現在 までに も各分科会 でテー マ にの つ とつた様 々 な地図作 りが 行 われ て きま したが 、今期 はそ の集
大成 と呼 べ るよ うなマ ップ を作 りた い と思 い ます 。 だか ら、 テ ーマ は絞 つ て い ませ ん。 これ か ら集 ま
つて くれ るみ な さん と一 緒 に考 えて い こ うと思 ってい ます。 そ して 、第 13期 筑豊 ゼ ミの メイ ンテー マ
である 「筑豊 PR大 作戦 J成 功 の た めに私 た ちが中心 とな り、マ ップ を も とに した一大イ ベ ン トを
企画 しよ うではあ りませ んか !!
今期 の 第 4分 科会 は 、以 上 の よ うな基本 コ ンセ プ トの 元 で 、分科会員 を募集 した。
◎ 最初 の 2ヶ 月間は、講演会形式をとっていたため、本格的な スター トは、 6月 か らとなつた。
当初 は、「筑豊み どころマ ップ」 のよ うな、観光地図を作成 しよ うと思 っていたが、前田次郎 さん
か ら、「逆 に地 図を募集 してみ るのはどうか ?」 とい う意見があが り、10月 末 の近畿大学学園祭
「柏 の森祭」 を目指 して、
『 みんなの筑豊大発見 !コ ンテス ト』 の準備 を進めてい くことになった。
そ して迎えた 6月 の定例会。 ところが、その最初 の会 に、肝 心の分科会長 がい ない
!
とい う、
波乱含みの幕開けであつたのだが、何とかスター トラインにつくことができた。
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先ず最初 は、運営委員会 の承認 を受 け、募集 要項 の
作成 と、県 の教 育事務所 、各 市町村 の教 育委員会 の
後援 を得 ることか ら作業 は始 ま っ た。
5分 科会 の笹原 さん のア ドバ イ ス に よ り、教育
事務 所 の後援 を得 た後 に 、筑 豊 3ブ ロ ックの 教育長
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の長 に企 画案 、募集 要項 を持 って依頼 に行 き、 7月
上旬 に全 ての後援 を得 る こ とがで きた。
後援 依頼 の作業 が思 つた 以 上 に時 間 を必要 とした
□ 裏輔 蠍
:
ため 、各小学校 へ の募集 要項配布期 間 が 、夏休 み前
の 、 7月
19日
まで の 2週 間強 とな った。
小学生用募集要項
ここで、田川地区に関 しては、田中和敏 さんが各小学校 をまわ り、直接校長先生に コンテス トの趣 旨
を説明 して くれたため、結果的 に多 くの作品を集 めることができたが、直鞍・嘉飯山両地区に関 しては、
各市町教育委員会 の棚 に入れたため、非常に応募数 が少なくなるとい う、頭著な結果 が現れ た。
STEP
′
◎ 募 集 要 項 の 配 布 も終 え 、 各 賞 の 名 称 。賞 品 を選 び な が ら、応 募 を待 つ 段 階 とな つ た 。
ゼ ミの携帯電話 と、私書箱 のカギを預か り、募集事務局 としての準備 も万端 だ と思 った矢先、小学校
用 の募集要項 に記載 してあ るゼ ミの携帯電話番号が誤 つていることが判明。急 いで各学校 に FAX番 号
を問い合 わせ 、訂正文を送付する。併せて、誤 つた電話番号の方に電話を し、丁重 にお詫 びを した。
運営委員会の際、槙塚先生より、アク ロス福岡でのイベ ン トの時 も誤植 があつた。 もう少 しチェ ック
体制を厳 しくしない とい けない との助言をい ただ く。正にその とお りだ と思 う。ゼ ミとして取 り組む
イベ ン トの際、今後ケア レス ミスである誤植 だけは避 けられ るよ う、チ ェ ック機能 の充足 を図 りたい。
募集期間 は、9月 の末 日を予定 していたのだが、予想以上に作品の集 ま りが悪かつた。そのため、
期間を 10月
10日 まで延期 したのだが、全体的な郵送での応募数は、あま り増 えなかった。
その反面、日中和敏 さんが各小学校を回 つてい るとき、 1学 期 の授業で “自分 たちが住 んでいる町の
地図作 りを行 つてい る “とい う話を耳 に し、貸 して もらうことになった。募集要項 では、地図 のサイ ズ
│“ 画用紙大"と していたため、定例会で話 しあつた結果、その出来のよさと楽 しさか ら、ぜひ会場内
に展示 しよ うとい うことになった。
<反 省 点 >
。大学生サイ ドがゼ ミをバ ックア ップ し、一番 大 きな階段教室 を用意 して くれ ていたのに、郵送 での
応 募数 が 10数 点では話 にな らな い。 も し、模造紙 の地図 を借 りる こ とができなか った ら、 とで も
寂 しい コ ン クール だ った と思 う。
・ 伸 び悩み の一 番 の原因 は、広 報活動 の不足 だ と思 う。新 聞各社や そ の他 メデ ィアヘ のアプ ロー チ法
を、 も う少 し考 えるべ きで はない か。
・ 一 般応募 は 、 もつ と少 な か った。 ほ とん どがゼ ミ関係 者 の 口添 えがあ つ て の 出展 だ った。
・
7香
こ
と
に
よ
で
る
り
き
回
避
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◎ 各 賞 名 称・ 賞 品 の 確 定 ∼ キ ャ プ シ ョン 作 成 、 台 紙 へ の 貼 り付 け
10月 半ば過 ぎ、田中和敏 さん宅に分科会員数名 が集ま り、応募作品を台紙 に貼 り付け、それをまた
地区ごとに模造紙に貼 り付 ける作業を行 つた。 この時点で、応募総数 は確定 してお り、合計約
100点
となった。夜 7時 くらいか ら始めたのだが、終わつたのは午前 0時 過 ぎだつた。やは り、募集期間 を延
ば してギ リギ リになったせ いだろ う。その後、貼 り付け作業の終わ つた画用紙大の作品を自宅に持ち帰
り、説 明の紙 (キ ャプシ ョン)を 作成。 これで後 は、会場 での展示作業を残す のみ となった。
同時に、各賞の名称・ 賞品も確定 した。極力無料 で手に入るものを選択 した。賞 の名称は、筑豊に縁
のある名称 (シ ャ レ)に しよ うとい うことになった。
<反 省 点 >
・ 募集期 間 を延 ば したのに 、応募数 は増 えなかった。 逆にそれ が裏 日に出て、そ の他 の作業 が遅れ て
しまった。 や は り、準備期 間 は ゆ つ く り lヶ 月 は持 ちた い。
・ 13期 の第 4分 科会 は 、約 10人 で構成 され て い るが、 この よ うなイ ベ ン トを行 うときは、 ど う
して も人数 が必 要 とな る。 来期 は 、 も う少 し人数 を増 や したい。
・ 無料 で賞 品 を手 に入れ るの も限界が ある。 なにか 、運営資金獲得 の ため の別 イベ ン トを行 い 、それ
を元手 に コ ンテス トを行 つ てみ るの もいいの ではなか ろ うか。
◎ これ と並 行 して 、新 聞各 社 や 各 市 町村 の 公 報 担 当課 へ の 記 事 掲 載 依 頼 を行 つ た 。
新聞各社へ は、募集要項 と企画書を持 ち込んだが、平 日の昼過 ぎとい うこともあ り、記者 の方がほと
ん ど取材 で外に出てお り、留守番 の人 に文書 を預けるに留まった。
企画書を持ち込んだ時点での リアクションはなかったが、約 lヶ 月後、 9月 に入つてか ら、先ずは毎 日
新聞か らの電話取材 の依頼 があ り、 9月 5日 付 の朝刊 に記事が掲載 された。その後、同月∼学園祭当日
にかけて、西 日本 。日経・毎 日・読売 の 4社 か ら取材依頼 があり、記事掲載を して もらうことができた。
(記 事につい ては、別紙参照)
市町村 の公報 については、ほ とん どの役場 ですでに締 め切 りを過 ぎてお り、記事掲載 をお願 いできた
のは、 3∼ 4市 町に留まった。
<反 省 点 >
・ 新 聞社 へ の 記事掲載依 頼 につ いて は、急 い でい る ときで も、先ず はアポイ ン トを とるべ きだろ う。
・ 期 日に余裕 があ る場 合 は 、記者 会見 の形 を とる方 が 、迷惑 をかけな くてすむ と思 う。
・ 持参す る書類 に関 しては 、募集 要項等 の ほかに 、要点 をま とめた企画書 を準備 したほ うが 良い。
・ 市 町村 の公報 は、締 め切 りがお よそ 2ヶ 月前 な ので 、早 めの作業 が求 め られ る。
・ 持参書類 に 関 しては、新 聞社 と同様 だ ろ う。
・ な に しろ、準備期 間 が短 か ったため 、各方 面 の方 に迷惑 をか けた ことだ ろ う。 時期以降 の企画 の
際 に 、 この教 訓 を活 か したい。
◎募集要項 につい ては、 7月 上 旬 か ら末 日にかけて、各小学校 に配布 した。
田川 地 区
各学校 へ、手渡 し
直鞍 ・ 嘉飯 山地 区
各市町村教 育委員会 の 文書棚 に投函
先 に も述 べ たが 、 この結 果 が応募 作 品点数 にそのまま現れ た。
ヽ
手渡 しした 田川地 区 に 関 しては 、各学校 ともこの コ ンクール に 関 して理 解 を示 して くだ さ り、作 品数
に して 70点 ほ どが集 ま っ た。
しか し、直鞍 ・ 嘉飯 山地 区に関 しては 、 コン クール 自体 を知 らなか つ た とい うところが 多 く、作品数
も 10点 程 で あ つた。
<反 省 点 >
・ 教育委員会 の 文書 棚 に入れ るの は 、極力避 けた い。 学校 関係 には 「筑豊 ゼ ミJの 存在 自体 が認知
され てお らず 、直接校長・ 教頭 先生等 に交 渉 しない と、 そ の他 もろもろの文 書 と して扱 われ て し
ま う危険性 が 高 い。
・ 交渉 に行 く際は、や は リフォーマル な服 装 が 良 い。 4ヽ 学 生を標的 に した犯 罪等 も多発す る中、学校
サイ ドも慎 重な対応 を取 つ てい るだ ろ うか ら、極力警戒 心 を抱 かせ な い服装 を心 が けたい。
・ 1学 期 中 に各校 とも模 造紙大 の 「私 の町 の地図 」 の よ うな もの を作成 して い る とい うこ とな ので 、
募集 をか け る側 のア ク シ ョン を、早 め早 めで行 い た い。
∼ コラム∼
小 学 生 の み で は な く、 一 般 に 対 して も募 集 を行 つ た 。
今回の コンクールは、小学生か らの応募 がメイン とな ったため、一般へ の公募 がお ざな りにな り、
公報での募集 と、ゼ ミ生の皆 さんの ロコ ミのみの募集 となった。 もつ と、 ポイ ン トを絞 つた募集 の
方が効果的だつたよ うに思 う。次国以降の課題 とな りそ うだ。
FIII
STEP
θ
◎遂 に学 園祭 !前 日の準備 は一
そ して表 彰式
!
学園祭前 日、午後 7時 に近大 に集合 し、会場 の展示 を開始。展示 は暗幕 に安全 ピン を使 つて 固定 す る
方法 を とった。 また 、 この ときに全 ての作 品 を比 較 し、受賞作品 を決 定 した。
他 の 分科会 の 皆 さん の協 力 もあ り、午前 1時 に 作業 は無事終 了。 お疲れ様 で した。
3日 間 の期間 中は、雨に もたた られ たが 予想以 卜の集 客数 だ つた。小 さな子供 か ら高齢者 まで 、年 17i
を問わず 見 て い ただけた。狙 い通 りの リア クシ ョンだ った。
そ して 3日 日の 表彰式。 受賞者 の 半数 以 上が
授 与式 に参加 して くだ さ り、和や かな雰 lll気 の
鰈
中、表彰式 を終 えるこ とがで きた。
当初 、展示室 とは別 の特設 ステー ジで表彰 を
行 う 予定だ ったが 、作品 に囲 まれ た 中 での表 彰
の 方が よい だ ろ うと、急 き ょ、展示室内で の
式 とな った。 だが 、逆 に楽 しい作 品 に囲まれ た
ア ッ トホーーム な表彰 式 にな り、良か つた の では
/t・
い か と思 う。
受賞者 のみなさん との記念写真
く,更 イ 点 >
・ 受 賞作品選 考 が会期 前 ギ リギ リとな っ たため 、受 賞者 へ の連 絡 も遅 くな つ て しまった。
・ マ イ ク準備 等 を前 も つて 打 ち合 わせ て い なか っ たため、 当 日バ タバ タ して しまった。
・ 表彰状 を授 与す る ときのお 盆 の よ うな もの を、準備 してお くべ きだ つた。
・ 授 与者側 は 、表彰式 の とき くらい 、 フ ォーマル な格好 を して も良 かつたのでは ?
(ち ょつ とばか し、格式 ば って も良 か つ た よ うな気 がす る。)
・ 式 次第 の よ うな もの を作成 してお くべ きだ つ た。 (パ ンフ レ ン ト&壁 紙 )
受 賞者 は、 これ か ら何 がお きるか 分 か らず 、ち ょっ と戸惑 ってい た感 もあ つた。
・ 時間があれ ば 、会場 内 の 装飾 に 、 も う少 し気 を使 つ て も よか つた と思 う。
・ 賞 品が全 てそ ろ つたの が表 彰 式 当 日だ つ た。 これ はや は り問題 だ ろ う。
で きる限 り、事前準備 を心 が けた い。
・館 内に流 して い た BGMが 途切れ が ちだ っ た。 エ ン ドレス再生等 の設 定 を してお くべ き だろ う。
・ キ ャ プシ ョンや、場 内案 内に つい て 、 も う少 し見やす い もの 、見やす い位 置等 、考 えるべ きで
あ っ た。
一
︱
STEP
イ
◎学 園祭 終 了
!
作 品返却・ 保存作業
∼
お 礼状送付
∼
ア フ ター ケ ア
そ して 14期 に向けて
学園祭 も無事終 わ り、協力 して くれ た皆 さんへ の ア フター ケア の時期 とな った。
・ 模 造紙 大 の 作品 を借 りて い た小学校 へ 、作品 の返 却 とお礼状 ・ 表彰状 (参 加 賞 )の 授与
・ 表 彰 式 に参加 で きなか つた受賞者 へ の 、賞品・ 賞状 の送付
・ 賞品 を寄贈 して くだ さつ た各方 面 の方 々 へ の、お礼状 の送付
・ 各 市町村教育委員会 へ の お礼状 の送付
・ 福 岡県筑豊教育事務所 へ のお 礼状 の送付
・ 一 般 で参加 して くだ さつ た皆 さんへ 、作 品 をパ ウチカ レン ダー に して、お礼状 とともに送付
・ 残念 なが ら受賞選考 か らもれ た小 中学 生 の みん なへ 、記念 品 の授与
作品返却 にあた り、分科会 員 の有志 で全作 品 を、ス キャナ・ デ ジタル カ メラでパ ソコ ン用デ ー タ とし
て保 存。 パ ウチ カ レン ダー 作成や、第 4分 科 会 ホー ムペ ー ジ用、そ して冊子作成用 に このデ ー タを利用
してい く ことに な つた。今期 では 、筑豊全地 区をカバ ー で きな か つたが 、13期 版 として 、一つの形 を
残 してお こ うと思 う。 (冊 子 の形 と して)
<反 省 点 >
・ デ ー タ収集 作業 が遅 くな って しまい 、作 品返却 が遅れ て しまった。
・ お 礼状等 も、少 し時期 を外れ て しまい 、次回は改 善 が必 要 だ。
・ 作 品 を集 めて くれ た人 が返 却 に行 く体制 を とった ため 、一 分科会員 に負担 が集 中 して しま つた。
収集 す る時点 か らの分担化 が必 要だ。
・ 次期 は、事務局体制 をもつ と強 化す るべ きだろ う。
、
・ 参カロして くれ た方全 員 へ 記念 品 を贈 つたため 、費用 がか さんで しまった。 これ らの費用 を捻出
す るためには、何 らか の資金獲 得活動 が必 要 にな るの ではなか ろ うか ?
そ して 、 それ は分科会 単独 で行 つて いいの だろ うか ?運 営委員会で の 検討 を望 む。
・ 補 助 金 につ い て 、何 か該 当す る よ うな ものが あれ ば …情報収集 を。
今回時間 の都 合上 、作 品 の応 募 が 田川 地 区 に集 中 して しまつた。 しか し、「筑豊大発 見」 と うた つ て
い るか らには、や は り嘉飯 山・直鞍 か らも作品 を集 めた い。分科会 で話 した ところ、「も う一 度や ろ う」、
「ここで終 わ らせ るの は もつ たい な いJと い う意見 が大 半 を占めたため、14期 も う一 度 、今度 は小学
生か らの募集 に絞 つて 、
『 み んなの筑豊大 発 見
!』
をや って み よ うと思 う。今期 は、経 験不足 か ら至 ら
な い 点が 多 々見受 け られ た。次期 までに これ らを ピ ックア ップ し、 また 資料 、作品デ ー タ等 を整理 した
うえで、 この コ ンクール を完成形 に もつてい きた い。資 金 の 問題 、人員 の 問題等 、課題 はまだ まだ 多 い
が 、それ らを一つ一つ解決 し、企画 す る側 も、応募す る側 も、展示 を見 るお 客 さん も、み んなが楽 しめ
る コ ン クール 、そん なイベ ン トにな るよ う、留年 の決 ま つ た私 =分 科会長 :前 田大介 は考 える の である。
分科会員 の み な さん 、 一年 間お疲れ様 で した。そ して 、みな さん も留年 して 、 14期 で も再開 できる
こ とを楽 しみ に してい ます 。
∼ 13期
第 4分 科会 メンバ ー ∼
分科会長 :前 田大介
副分科会長 :前 田次郎
書記 :坂 井智明
秋葉美知子 、大久保 ひ とみ 、 田中和敏 、 田中愛 、 三村 良太 (会 員 … 50音 順 )
srEP
σ
◎筑 豊大発 見 を終 えて
∼ 分科会 員 の感想 ∼
会長 の意見 だけでは偏 つて しま うの で 、分科会員 の感想 を抜粋 してみた。
(副 分科会長
:前 田次郎 さん )
今 回 の イ ベ ン トでは 、 理想 と現実 のギ ャ ップ を埋 めて い く作業が、 い かに大切 か を学 ば され た。
時 間・ お金・ ツテ ・ ノ ウハ ウ…全 てがナイナイ づ く しの現 実 が 、 〆切 とともに迫 つて きた。
しか し、 一つ の成功 か らは一つ の こ と しか 学 べ な いが 、失敗 か らは多 くの こ とが学 べ る。
あ る意 味、今回 の企 画 は成功 だ ったのか も しれ な い。
∼ 次郎 さんは、 この イ ベ ン トを通 じて得 た ノ ウハ ウを、早速地元 の企画 に活 かす そ うです。
題 して 、
『 嘉穂町巡 る巡 る工房巡 り』 4月
(書 記
(?):坂 井智 明 さん
28日 ∼ 30日 の 予定です。皆 さん是非お こ し下 さい。 ∼
)
書記 らしい活動 もせず 、東京 に行 つて しまいます が 、 この一 年 間 の 取 り組み を契機 とし、来年 も前
田君 を中心 に頑 張 る と聞 いてい ます の で何 とぞ 第 4分 科会 をお 引 き立 て のほ どよろ しくお願 い し
ます。
(足 を使 い ま した :田 中和敏 さん )
6月 に原 案作成 ∼ 7月 に 夏休 み の宿題 を兼ねて作 品をお願 い しよ うと、体 みになる前 に 、各学校 に
電話連絡 を した うえ で訪 ね 、校長・ 教頭先 生 に会 い 、作 品 の応募 をお願 い した。
そ して 9月 。各校 に問合 せ たが 、 ほ とん ど作品がな い状態。 しか しその 際、壁 に掲示 してある大 き
な手作 り地図が 目に とま り、先生 に 聞 い た ところ、授業 の 取 り組み で作 つた もので あ り、貸 し出 し
も可能 との こと。早速分科会 で話 し合 い 、借 り受 けることを決 定 した。募集 は画用紙大 でか けたが、
逆 に畳 くらいの大 き さの地図 を借 りるこ とがで き、大教室 での展示 としては 、大変 良い もの にな つ
た と思 う。 また 、子供 の親 も見 に来 て くれ 、少 しで も学祭 の動員 につ なが ったのでは ?
(作 品返却時 も、表彰状 を用 意 したため 、大変喜 んで もらえた。)
今 回 の イ ベ ン トを通 じ、学校 ・ 自治体 での 「筑豊 ゼ ミJの 知名度 が 低 い とい うこ とが分か つた。
今後 は更な る PRが 必要だ と思 う。 また 、小学校 の作 品は、授業後処分 して しま うもの な ので 、発
表 の場 を設 けて くれ る と、子供 た ち もヤル 気 が 出 るので大変 有難 い との ことで あ った。
今 回は時間 の都合 上 、田川地 区 の 36校 が 中心 とな つて しまったが 、次回 は嘉飯 山・ 直鞍 も併せ て
合計
104校 の全 作 品 を集 めてみ たい。 14期 は、今回 のイベ ン トでの様 々な問題 点 を反省 し、 よ
り良 い イベ ン トを企 画 し、ゼ ミの PRに 努 めた い と思 う。
(秋 葉美知子 さん)
作品募集 に 関 しては 、い くつ かの町 の教 育委員会 を回 つただ けであま りお手伝 いで きませんで した
が 、 (田 中 さん の活躍 で)集 ま った 作品 を見て、 審 査す る の は非常 に面 白い体験 で した。 とくに子
供 た ちの 作品 の 、荒 つぽい け ど独 創 的 な表現 には 目を見張 りま した。
小 学校 の授業 で 自分 たちのま ちの地図 づ く りが行 われ ています。そ こで作 られ た作品 はた い て い学
校 内で廃 棄 され るそ うです。今回 のイ ベ ン トでそれ が捨て られ る前 に発掘 され 、力作 を一般 公 開す
る こ とがで きま した。今後 も筑豊 ゼ ミと小 学校 との連携 で 、子供 たちの作品 を一般 に紹介 できれ ば 、
先生や子供 た ちに とっ て も、筑豊 の ま ちづ く りに とって もプ ラス にな るので はな い で しょ うか。
∼掲載 多 2た 新聞等 の記事 ス クジ ッア`
新
〃
今IJの 企 ll lに 当た りj新 聞各社 、 ミニ コ ミ誌 、各 市 田
「 村 広報担 当課 に 、記 事 の掲載 をお願 い した.
ll
結果、 ド記 の とお り掲載 して い ただ き、お か げ さまで多 くの作 品応 募 ・ 来客 に恵 まれ 、イベ ン トの成 ■
y)て ぉ ネ
L
にう なが った.そ こで 以 下に、資料 として 手元 に残 つてい る記 事を一 部紹介す る とともに、改
を中 し たげたい。
本新 聞朝 f」
赤 池町 広 報
8月 号
方城 町 広 報
10F124日
読 売新 聞朝 利
つスノ`イ ス倉lf1 2号
くら しυ
10月 28日
t4F日
毎 日新 聞劇1刊
10月 28日
毎 日新 聞朝千」
西 日本新 聞 朝刊
1 l rl」 .■ J
日本 経 済 新 聞
8月
23‖
9月
5日
i
9 Fi 5匡
8日
9月
あ一
やはず ﹂と 推 論 。 一般 か
供 たち には 明る い地 域 像 が
)//24 1売 ゲご
小学 生 から
一
校 や 家 の周 り の遊 び 場 、 商
学 生 の作 品 で、 いず れ も 学
約 百 点集 ま った 大半 が 小
と 話 し ている 。
っ こと が大 事 では な いか ﹂
っめ 直 し 、地 域 に自信 を 持
人 が刺 激 を 受け てま ちを 見
ジ ば かり だ った。 これ に大
た ら、 答え は プ ラ スイ メー
ってい るのか 問 い 掛け てみ
の 目 に筑 豊は ど のよ う に 映
田大 介 ・分 科 会 長は ﹁子 供
企画 した 第 四分科 会 の前
が 随所 に見 られ る 。
着 し ている 子 供ら し い視 点
行 動 範 囲が 狭 く 、地 域 に密
す Lなど の コメ ント が あ り 、
と こ ろ が 気 に 入 って い ま
す ﹂ ﹁フジ の 花が き れ いな
も あ る の でい いと こ ろ で
描 い てい る。 ﹁近く に何 で
チ 。色 鉛 筆な ど で鮮 や か に
店 街な どを 詳 細 にスケ ッ
一
集 ま った 作
く
一
品の 数 々
の良 さを 再発 見 す る こと に
ら も作 品を 募り 、対比 す る
1〔
こと で、見 逃 しがち な 筑 豊
した 。
0点
小学生ら の絵、
写真1
0
筑豊 ・
苔 フお こし 地 域 づく
リ ゼ ミナ ー ル ︵筑 豊 ゼミ ︶
は 、 飯塚 市 柏 の森 、 近畿 大
学 九 州 工学部 の大 学 祭 ﹁柏
の森 祭 ﹂ ︵二十 七 ︱二十 九
日 ︶の筑豊 ゼ ミブ ー スに、
地 域 の小 中 学生 や 一般 か ら
﹁みん な の筑 豊 大 発見 を テ
ー マに募 った 絵 や 写真 を 展
示す る。 ﹁筑 豊 の良 さ ﹂を
改め て知 っても らう 狙 い 。
同 ゼミ は 昨年 の 学 祭 で、
﹁あな た が 見た 筑 豊 展 ア 一
題
し た 写 真 コ ン テ スト を 開
き 、大 学 生 の視 点 で筑 豊 を
表 現し ても ら った 。 炭 鉱 関
連を 中 心 に約 四十 点 の 作 品
が 集 ま った が 、過 去 の負 の
イ メー ジを 引 き ず った も の
が 多か ったと い う 。
しか し 、 ﹁将 来 を 担 う 子
ブ ー ス で 展示
筑豊ゼ ミ
筑 豊 ジ ャ ー ナル
8'1け
筑 豊 の魅 力 再発 見
地 域 づ く り の 勉強 会 ﹁筑
に 、小 学 生 た ち が 描 いた 筑
畿大 学 九 州 工 学部 の 学 回祭
員 長 ︶ は 飯 塚 市 柏 の森 、 近
豊 ゼミ﹂ 一
坂 本宗 之 運 営 委
小学生が描 いた絵地図展 飯
豊 地域 の絵 地 図 を 展 示 し て
。
いる。 9
2日 まで
、
筑 豊 ゼ ミ は昨 年 大 学生
が撮 影し た 筑 豊 の 写 真 を 展
集 。 入 賞 者 に は賞 状 と 景 品
を 贈 る 。 応 募 は 規定 の 応 募
票 を 作品 に添 付 し て、 〒 8
局 私 善 権 5 号 筑 豊 ゼ ミ 一筑
2 0 8 6 9 1 飯塚 郵 便
わ せ は 筑 豊 ゼ ミ ・前 田 大 介
豊 大 発 見 ﹂ 係 ま で 。 問 い合
さ ん 盆 0 9 0 ・7 2 9 8 ・
3 8 15 e
地域 の良 大︶
がにじ
み でる のでは な い
か ﹂ と小中 学 生 か
ら作 品募集 。大 人
が 見落 と しが ち な
筑量 の良 さ を 再 発
見しようと試 み
′
を
た 。会場 に は 、小
示 。学校 周 辺 の遊
(1)し 見落 と して い た記 事 が あ りま した ら、 申 し訳 あ りませ ん 。)
展 の作 品 も 募集
回﹁
筑豊大発 見 ﹂
に 開 催 さ れ る 近 畿 大 学 九州
炭 6 法 の失 効 が せ まる■
一筑 豊 村 お こ し 地 域 づ く
は筑 豊 に関係 し た 写真 や 絵
各世 代 の 視 点 か ら見 た 筑
工 学部 の大 学 祭 で﹁く 。 百
、
手 紙 、 地区を 集め た作 品 展
豊 を 写 真 や 絵 手 紙な ど で
リ ゼ ミ ナ ール 宍筑 霊 ゼ ミ ︶
﹁筑 豊 大 発 見 ﹂ の 応 募 作 品
表 現 し て も ら おう と 企 画
レ一
に。
,
小学生 は地 図のみの募
を 募 集 し て いる 。 応 募 は 9
。
0
で
日
ま
月3
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作 品 展 は0
1月 2 巳, 2 日
一
デ
一
一
た 絵 や地 図 、写 真 の展 示
び場 、近 所 の魚 屋
中 学生 や 一般 か ら募 集 し
一
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碑
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動
一
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一
一
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みんな の筑豊 大 発 見 ﹂
会﹁
ギ 瞥蝙 婚仏
が 二十 七 日 、飯塚 市 柏 の
域 づ く リ ゼミ ナ ー ル ︵筑 の大学 祭 ﹁
柏 の森 祭 ﹂ で 明 る い街 の姿 が う か が え 一ど 、街 角 の様 子 が 摘 か れ 、
量 ゼ ミ ︶ ﹂が 、筑 豊 のよ
る。
ィメ ージ の作 品 が
市刹﹄ ﹁
一計 軌 瀬 一酵 ﹄
一
﹁
か ら、
っ
罐
け
﹄
が
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一
動
瞥
に
“
出
の
﹁
筑 豊 ム ラ お こし ・地 森 の近畿 大 学九州 工学部
筑 豊 ゼ ミが 企 画
子 ど も の絵 な ど 展 示
近 大 九 州 工学 部 で
9/5角 :}1
さ 再 発 見 を テ ー マに 、小
第 4分 科会会員 一 同
あ りが と うご ざいま した。
な ど 炭 鉱 に関 連 し た 写 真
が 多 か った 。 こ の た め 同
6︶
ゼ ミ の 前 田 大 介 さ ん ︵2
の グルー プ が 筑 豊 に は
炭鉱以外 に も魅 力 が ある 一
と 子供の 視 点 で 筑 豊 の 魅
力を再 発見 し て もら お う
と 9 月 に絵 地 図 を 募 集 し
会 場 に は 、金 田 町 の花 水
た。
木 公 園 や自 宅 の庭 の ﹁秘 密
基 地 ﹂ など 小 学生 た ち が 描
い た絵 地 図 約 1 0 0 点 が 並
ぶ 。前 田さ ん は 一子供 た ち
が 描 いた絵 地 図 は カ ラ フ
ル な 絵 ば か り。 セ ピ ア 色
の筑豊 のイ メ ージ を 持 つ
︻稲 廼 亭 ︼
っかけ にな れ ば ﹂ と話 し て
大 人 が 町 を 見 つめ 直 す き
いた。
西 日本
10//28
示 。 ボ タ山 や巻 き 上 げ 台 座
小 学 生 の 描 い た絵 地 図 を持 つ 前 田 さん
塚
毎日
/28
10ノ
第
5分 科 会
1筑
畳
PR大
作戦 」
この 第三 分科会 は 、 「筑豊 PR大 作戦」 と銘打 ち、 2000年 2月 22日 か ら3月 5日
まで アクロス福岡 で開催 した 「筑豊 の焼 き物展∼ このぬ くもりを伝 えた い∼Jの 余勢 を
か つて様 々な筑豊 の PRを 仕掛 け、展開 しよ うと作 つた分科会 であ ります。
実際は、ホー ムペ ー ジの作成 、立 ち上げ、機 関誌 「立風」 の製作サ ポー ト、運営委員会
のサ ポー トな どを主体に進 めて い く予定で した。 そ のため会場 も常 に視聴覚 室入 日の受付
の ところに集 ま り話 し合 い を行 い ま した。
6月 の例会 で筑豊 の PRの 一 環 として以前 よ り計画 の あ った 、筑豊外 の人を対象 とした
バ スハ イ クを実施 しては とい う提案 があ り、全体 の行事計画 とも合わせ て検討 して い くこ
とにな りま した。 全体行事 ではゼ ミ生 間 の親睦 とい う部分 もあ り合わせて検討 しま した。
結果、筑豊外 (特 に福岡市方 面)の 人 でゼ ミ生 の知 り合 いの方 を中心 とす るモ ニ ター
バ スハ イ クに決 ま りま した。
まず実施 の時期 をいつ にす るか … これ は学 園祭 が終わ り、次 の行事 まで の間、11月 が
第 一候補 となった (11月 12日 の 日曜 日に決定 )。 並行 して コース作 りを進 めま した。
コース 、 日的地、 ここはぜ ひ見 て もらいたい とい う場所 を各 自持 ちよつて選択 しま した。
と りあえず 、3地 区か らそれぞれ めば しい ところをあげ、まわれそ うな コース をい くつか
設定 しま した。季節、時期、距離、移動時間、滞在時 FHl、 目的別 に検討 を加 えて作成 した
コー ス を一つモ デル として実際 に下見 を メ ンバ ー数人 で行 い ま した。最初 の候補地 を次 に
あげてみ ます。嘉穂 劇場 (飯 塚市)、 碓 井琴平文化館 (碓 井町 )、 大 里酒造 (嘉 穂 町)、
カ ッホー馬古屏 (嘉 穂町)、 英彦 山 (添 田町)、 歓遊舎 ひ こ さん (添 田町 )、 源 じいの森
(赤 l)、 田川 市石炭資料館 (田 川市 )、 宮 田町石炭記念館 (官 田町 )な ど様 々 で す。
一 度 目の下見 の結果 と条件 を吟味 し、 さらに 11月 は紅葉 の季節 、農産物 が安 い、手作 り
な ど買 い物 ができる場所 を入れ て次 の よ うな コースが 出来 上が りま した。
F・
0
1
5
2
5
5
5
5
0
1
0
14
15
16
16
18
出発
到着
出発
出発
到着
5
8
9
10
11
11
12
13
0
しゃ くなげ荘前
(英 彦 山大権現 )
酒源 の泉
明治屋産業
(び つ く り市 )
近畿大学 九州 工学部
福 岡市天神、 日銀 前
出発
出発
到着
出発
う1着
出発
到着
5
福岡市天神 、 日銀 前
近畿大学 九州 工学部
田川市石炭資料 館
ヤ ングワー ク FUKUOKA
歓遊舎 ひ こ さん (昼 食 )
15
15
00
50
10
当 日の模様 は報告書バ スハ イ クの ところで詳 しく書 かせて いただ い てお ります。
また 、次ペ ー ジ には勧誘 チ ラ シ、車内 で
実施 したア ンケー トの結果 をお知 らせ して
お ります。今 回 の経験 を十 分 生 か して今後
につ なげてい って い ただきた い と思 い ます。
第 5分 科会 メンバ ー (敬 称略 、順不同)
槙塚忠穂 (ア ドバ イザー )
笹原泰史、井 上洋子 、長弘雄 次
森 岡J志 、深町裕史 、児 玉志 帆
坂 本宗之、坂 山憲治
背様 のおか げ で一 年間4111に 終 えること
がで き ま たて あ りが とう二ざい ま した
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参加■ 3。 000円 (at,諄 ゃr代込み)当 日■颯
彙含時間
出発時間
福日市天神 日菫前
8時 35分
近腱大学九‖工学部
9時 35分
8崎 50分
9時5鈴
・申叫
劉聯 te翻ヒ
鏑腱僣ミ 月∼n
ル心け.
`曖
到書時間
18時 頃
,0時 30分
AM80時 ∼PM贅
TEL 0947-44-6279
アンケー ト結果 (集 計表 )
【1】 筑豊の文物やイベントに関する情報 について
1楽 しく買い物をして戴けましたか
。
買い物 は ( 7)と ても楽しめた
12)ま あまあ楽しめた
楽 しいところも面 白くない ところもあつた
あまり面 白くなかつた/面 白くなかつた
無記入
1
0
1
とても楽 しめた
まあまあ楽 しめた
ふ つ うである
面 白くなかった
^
3 ︶ 1■ Aυ
・紅葉 は
ワー
2筑 豊の季節 (特 に紅葉 )を 満喫 して戴 けましたか
2】 バスによるツアー 中の感想 について
【
1移 動時間 について
・移動 時間は
0
短すぎる
20
短 い/ち ょうど良い
1
長い
ヽて
0
0
員 が/
員 が/
員 が/
1
1
)全
)全
)全
6
3
︲
・ガイドは
一
2ガ イドの印象 に
全 員 ではないが好感 をもてた
全 員ではないが普 通 の印象 である
全 員 ではないが好感 をもてなかつた
3ガ イドの説明や案内について
5
。
ガイドの説明や案 内は
6
0
納得 できた/楽 しめた
ゆるせる程度 の内容 である
物足りない/不 満 である
、
ワー つ 4 つ 乙 nV
3】 ツアーに参加した後の感想 について
【
1(モ ニターではない)同 様 のツアーがあれば参カロしたいですか
参加 したい/参 加する
改善 (改 良)し たら参 加したい/参 加する
わからない/興 味がない
参加 したくない/参 加しない
2筑 豊のイメージについて
0︶1一
1■ 1 ■ ■υ つ乙 ^
。
これまでの筑豊 に対する総合的なイメージはご 自身 の住 んでいる
とても良かつた
地域や他 の地域 に比 べて (
良かった
普通であつた/良 いとはいえなかつた
悪かつた
とても悪かつた
無記入
・ツアー後 の筑豊に対する総 合的なイメージはご自身 の住 んでいる
1) とても良い と思う
地域や他 の地域に比 べて
11) 良いと思 う
7) 同等 であろう
0) 良くないと思う
0
悪 いと思う/と ても悪 いと思う
2
無記入
13期
ヽ
ヽ
﹃
第
筑 豊 ゼ
決 算 書
(収 入 )
科
日
▲
冒
費
利
息
予
算
決
算
鎮
備
考
備
考
643,000
634,000
80
634脚
計
合
額
643,80
(支 出 )
目
科
事
業
費
予
算
額
決
算
額
分科会
50,000
100,000
助成金
吉井町訪間
14,200
22,800
助成金
サマーキャンプ
30鰤
21,095
助成金
バスハィク
90,000
90,000
助成金
大学祭
45,000
10,335
助成金
講演会
20,000
20,000
修 了式
50,000
50,000
299,200
322,730
切手代
80,000
99,425
ゼミ携帯
40,000
38,003
小計
通 信 費
120m
小計
138,088
消耗備品費
80,000
50,307
パスカード
53.550
54,390
立風編集費
30,000
30,000
報告書作成費
30,000
25,275
雑費
21,250
22,230
小計
214,800
182,262
634脚
643.000
合
計
立風等発送用
印刷用紙、封簡等
取材・編集費
近大お礼等
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