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と。つまり世の中の人は皆幸せを求めているが、
『私ほど真剣に幸せを求めたものはいないであ
ろう』というのである。
フランスの 18世紀の思想家、ジャン・ジヤツ
ク・ルソ ーは『工ミール』という著書の中で、『人
と云うべきであります。
間はだれでも、王者であろうと大富豪であろうと 、
({弗教聖典解説)尊者・アヌルダ小伝
お釈迦さまは一国の王子。やがて王様にまれる
生まれる時には裸で、貧し く生まれて来、そして
道も約束されていました。美しいお妃も王子もお
死ぬときにも 、裸で貧しく死んでゆかねばならな
られた。世間でいう幸せのすべてが満たされてい
い。この しばら くの 聞を 、さまざまな着物を着る。
るお釈迦さまが、そのすべてを捨てて出家(しゆ
友王の ような華やかな着物、乞食という衣装、僧
っけ)され、求道(くやどう)の生活に入られたので
服、お金持ち 、社長、美人、さらには主義とかう
尊者アヌルダ(阿那律)は、釈尊の親族であ
す。お釈迦さまのめざされる『幸せ』の中味が世
ぬぼれとか劣等感とか 、すべて衣装。ほとんどの
るが、これについて、諸伝まちまちである。ア
間の云う幸せと全く方向が違うのです。
人がこの衣 装にばかり目をうばわれて一生を 終
ヌルダは、幼いころから勝れた容貌と風采をも
わる。 すべてを脱ぎ捨てて裸の私自身 をどうする
っていた。肌は、黄金色に して 、彼の端正な姿
さまのお弟子さんの一人にピンドーラと呼ばれ
かを、全く忘れてしまっている』と。
に衆人の喜ぶところであったという。彼は幼時
ウダヤナ王が幸せと 思っている中味は、王 を飾
る衣装であったり持ち物ばかり、肝心なことを、
より各種の教育を受け、その聡明と敏捷はいず
ての旅』ということができょう。ただし何を幸せ
るお方がおられました。ピンドーラとウダヤナ王
は幼ななじみでありました。一方は悌弟子となり、
れの道にも、至らぬところはなかったと云われ
とするか、選ぶ眼の深さ高さがその人の人生を、
一方は国王となりました。あるときピンドーラが
王自身がスポッと忘れ去られておられる。持ち物
ている。 7才の時、かれは友達と賭け事して遊
大きくは人類の明日を決めると云ってもよいで
故郷のコーサンピーを訪れ、林の中で座禅してい
や衣装に酔って主人公である自分の、しかも今日
んだが、負けたものは、菓子をあがなう約束で
あろう。
るということを伝え聞いたウダヤナ王は、多くの
ただいまの生きかたを問う事もなく、ただ権勢を
彼は三度負けて、三度ごとに母に請うて菓子を
手ムがわた L
でよかったど
みえるメ、主
例えばこんな話が伝わっています。そのお釈迦
人の一生 も、そして人類の歴史も『幸せを求め
d
あがなってもらったが、四度目には、「もうな
ある日、お釈迦さまがお話をしておられるとき、
い」と叱られてしまった。無邪気な彼は、母の
釈迦さまはアヌルダを呼び、厳しくお叱りになっ
ヨ
ー
の
い」という菓子を下さいと云はしめたという。
ど は
る
あ
て
りません』とお誓いをしました。夜も眠らないと
.ど
ま、
返事を菓子の名前と思い込み、さらに「もうな
us
た。心から機悔をしたアヌルダは『以後決して眠
以応可申 W
弟子のアヌルダが居眠りをした。お話のあと、お
いうほどの眠りとの戦いを始めました。生身の体
が、夜も眠らないでおれるはずはなく、とうとう
無理がたたってアヌルダは失明してしまいまし
英才絡ではなく
それには母も呆れて、空の菓子器を持たせてや
ると、彼の守り神はその器に天から菓子を沢山
満たしてくれたという。
彼は釈尊の説法の際、弟子たちの間にあって
眠った。釈尊はこれを見て、アヌルダに『汝は
た
。
何の目的で出家したのか?~と、
失明しでも、梯弟子たちは自分が身にまとうお
袈裟は自分で縫わねばなりません。ある日アヌル
「私は、老・病・死の愁憂と苦しみを離れん
ダは見えない眼をしばたきながら、『誰か幸せを
がために出家いたしました」釈尊はそれを聞き 、
求める人は、私のこの針のメドに糸を通してくれ
家来や女官を従え、美しく装いを整をこらし彼
ませんか』と、つぶやくように云った。誰よりも
の修行中の所を訪ね、こういったという。
誇っているだけの王の姿は、ピンドーラの目に
は、ただ哀れにうつったことであろう。
早くその声を耳にして、『どれ、通さしてもらい
『私は今、諸国を征服し、その威徳の盛んなる
持ち物である限り、無常という、うつろうもの
ましょう』と、側へよってくださったのは、ほか
こと天日(太陽)のごとくである。頭には王冠を頂
であるという天地の道理の枠外に出ることは、な
でもないお釈迦さまご自身であった。アヌルダは
き、身には理路(ょうらく)をまとい、多くの美
ん人たりとも出来ない。山と積まれた財宝も、事
飛び上がらんばかりに驚き、また恐縮しながらお
女たちも左右にかしずいている。どうだ羨(うら
の次第で借金に代わることも当たり前。昨日の大
たずねした。
やま)しくないか。』ピンドーラはたった一言『吾
臣が今日は刑務所へという事も起こりうるので
に羨心(せんしん)なし』と答えられました。『ち
ある。わが子、わが夫としてかけがいのない命と
っとも羨むことは無いよ』というのです。幸せの
‘して大切に思っていても 、縁が来たかぎり 、別れ
『お釈迦さま、あなたさまも幸せを求めておい
でですか?~と。
お釈迦さまはしずかに答えられました。
「世間、福を求める人、我に過ぎたるはなし」
中身がピンドーラとウダヤナ王で、大きく異なっ
ていることに気づかされます。
すかさず『固い心で出家しながら、なぜに説法
の際に睡眠を貧るか?~それ以後、この体が腐
れただれるとも、決して眠りませんと誓い。そ
れがために、眼を損なうにいたったという。
てゆかねばならない。
持ち主私の今日ただ今をどう生きるか、本気で
問、それを説く人と教えに導かれ、いつ死んでも
よい日々の生き方ができることこそ、最高の幸せ
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