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講義の工夫

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講義の工夫
講義の工夫
(講義の目的)
一昔前までは、アカデミックな学問を修得させる事が大学の重要な使命でし
た。しかし、大学全入時代を迎え、大学というものの位置付けは変化して来た
はずです。にもかかわらず、多くの大学で教えられている事柄は、以前と大差
ないように思われます。
労働経済白書は、大学進学率が 1990 年以降 20 年で急速に上昇する一方、教
える内容が社会のニーズに合っていないと分析していますが、まさにその通り
だと思います。
筆者の大学は、平均的な大学です。学生の多くは、アカデミックな学問を究
める事を目指してはいません。そうした学生に何を教えることが、彼らの人生
にとって最も役に立つか、という事を考えてみましょう。
担当科目の内容を学生に理解してもらう事が講義の目的である事は疑いあり
ません。そのために、如何に平易な講義を行なうかが重要です。しかし、それ
と同様に重要な事は、論理的に考える訓練をすること、自分の考えをまとめて
書いたり話したりする訓練をすること、人の話を聞いてメモをとる訓練をする
ことだと思います。
(学生の理解度と講義の正確性)
学生にわかりやすく教えようとすると、どうしても正確性が犠牲になります。
このトレード・オフをどう考えればよいのでしょうか。
たとえば、
「株主は共益権(いわゆる経営参加権)を有する。それには株主総
会に於ける議決権が含まれる。株主総会は取締役を選任する。代表取締役は、
取締役会設置会社においては、取締役会の決議により選定される。」と教えるの
が正確なのでしょうが、こうした知識が学生の人生に於いて役に立つ可能性は
高くありません。
それよりも、
「株主は社長の選挙で投票できる。金儲けが上手な人が社長にな
るか否かは、株主にとって重要な関心事項だからね。詳しい事が知りたければ
テキストを見ること」と教えた方が、学生の人生の役に立つと思います。法学
部の学生であれば、会社法に関してある程度正確な知識を教える必要があるの
でしょうが、商学部の学生であれば、その必要はないでしょう。
学生のためを思って平易に教えたつもりでも、教員側には「先生は間違えた
事を教えた」と批判されるリスクがあります。はじめはリスクを感じながら少
しずつ踏み込んでいきましたが、幸いなことに今までのところ、そうした批判
を受けたことはありません。リスクを恐れて「学生の理解度よりも講義内容の
正確性」を追及している大学教員は多いと思いますが、一度試みてみられれば
如何でしょうか。思っているほど批判は受けないと思います。
(論理的に考える訓練)
単なる知識の習得や資格の取得のためであれば、大学よりも専門学校の方が
役に立つでしょう。したがって、社会が文系の大学教育に求めるものは、知識
や資格よりも論理的思考能力の育成だと思います。
そこで筆者は、講義では学生に論理的な思考を促すように留意しています。
たとえば「100 円で買った宝くじの期待値は 100 円より低い」ことを教えるた
めには、宝くじ協会の発表している数字を教えるのではなく、
「自分が宝くじ会
社の社長になったと想像してみましょう。確率 100 万分の1で1億円当たる宝
くじを 100 円で売ったらどうなるでしょうか。」「社員の給料も宝くじの印刷代
金も払えずに倒産してしまうでしょう」と説明するわけです。
続けて「保険に関しても同様です。保険会社の社長になったつもりで考えれ
ば、保険への加入が期待値上は損だということがわかりますね。」「でも、私も
私の同僚たちも、保険にはいっていますし、宝くじも時々買います。何故でし
ょうか。」と学生の思考を促すわけです。
(書いたり話したりする訓練)
自分の考えをまとめて書いたり話したりする訓練をすることは、大教室の講
義では非常に困難です。レポートを課したり記述式の期末試験を実施したりす
るのが精一杯でしょう。
したがって、これはゼミで主に行なうことになります。ゼミでは、とにかく
自分なりの考えを発言させ、それに対して質問する、という繰り返しで学生に
論理的な話し方を修得させています。
題材は何でも構いません。「最近ニュースを見て感じた事」でもよいですし、
「ドラえもん」と「ポケモン」を知らない外国人に対して、説明させるという
事でも構いません。自分は知っているが相手は知らない事について、過不足な
く説明するという事は、慣れないと結構難しいものだからです。
私の大教室での講義をゼミ生に再現させる場合もあります。これは、学生の
話す訓練になると同時に、彼等が講義を真面目に聞くインセンティブになり、
私が学生の理解度をチェックする機会にもなるので、一石三鳥です。
(メモをとる)
筆者の講義で学生の評判が極めて悪いのは、プリントも配らず黒板にも書か
ない事です。ノートがとれない、というのです。しかし、これは改めるつもり
はありません。学生にノートをとる訓練をさせるという目的があるからです。
初回の講義で学生に強調するのは、
「皆さんを一流のサラリーマンにしてあげ
たい。そのためには、客との会話をメモして帰り、それをまとめ直して上司に
報告書を提出する訓練が必要だ。客が黒板に書いてくれなかったからメモがと
れなかった、と上司に報告したら、すぐにクビになるだろうから」ということ
です。
もちろん、話す速度は非常に遅くした上で、重要な点は 2 度も 3 度も繰り返
します。特に1年生向けの講義では、スローモーション・ビデオを3回再生す
るイメージです。
その上で、学期末のレポート課題を「講義中にメモした内容をまとめ直した
ノート」とします。これにより、メモ書きしたキーワードを帰宅してから繋ぎ
合わせて文章化する訓練も出来るし、同時に講義内容の復習も出来る、という
わけです。
ちなみに、レポートは手書き限定です。
「美しい字である必要はないが、丁寧
に字を書く訓練も重要だ。就職の履歴書などは、読んでいただくものであるか
ら、誠意が見られるような字の書き方を練習しなさい」という趣旨です。今一
つの理由としては、パソコンの刷り出しだと、他人のレポートの「複製」が容
易にできてしまうので、これを防止する必要もあるからです。
(出席確認)
大教室の講義で頭を悩ますものの一つは、出席確認です。
「代返」をどう防ぐ
か、ということと、出席カードを学籍番号順に並べる手間をいかに省くか、と
いうことが問題になります。
そこで、筆者は初回の講義時に出席票(30個の押印欄を印刷した用紙)を
配ることにしています。講義の最後に教室を回り、シャチハタで押印するので
す。300 人の教室でも、所要時間は5分以内です。これにより、「代返」が不可
能になります。
更に、この出席票をレポートの表紙に使わせることにより、学籍番号順に並
べ替える手間が年間 1 回だけになるのです。
ちなみに、大幅な遅刻をした学生に対しては、講義の聴講は認めますが、押
印はしません。
(コピペの防止)
世はインターネット時代ですから、レポートを課すと「コピペ(インターネ
ットをコピーしてペーストしたもの)」が大量に提出されることになります。こ
れを防ぐ手段として、筆者は必ずレポート課題を 2 問だします。
第1問は、講義を聴いた感想。第2問は、最近の金融政策等々について。
「第
1問と第2問の文体が大きく異なる場合は採点しない」と付け加えることで、
コピペは撲滅できます。第1問は、絶対にコピペは出来ませんから、少なくと
も第2問に関連するインターネットの内容を学生なりの下手な文章で書き直す
必要が出てきます。そのためには、内容を理解する事が必要となるわけです。
(静粛に)
大教室の講義で今一つ頭が痛いのが、教室を静粛にさせる苦労です。1 人が
一言ずつ私語を交わすと、とても講義が出来ないほど騒々しくなるからです。
そこで、私は魔法の呪文を唱えることにしています。
「私の講義ノートは、75
分で読み終えます。皆さんが静かに聞いてくれれば、早く講義が終わります。
みなさんが騒々しければ、静まるまでロスタイムが発生しますから、休み時間
が短くなります。みんなで協力して早く終わりましょう。」というのです。
それでも私語をする学生がいた場合には、
「皆さん、今、私語をした人がいま
す。彼等のせいで、皆さんの休み時間が短くなりました。彼等は 300 人の敵で
す。みんなで睨みましょう」というのです。
最初の講義で魔法の呪文を唱えると、1 年間にわたって全く私語のない講義
が行えます。
これに対しては、
「学生は90分の講義に相当する授業料を支払っているのだ
し、教員は90分の講義に相当する手当を支給されているのだから、しっかり
90 分講義を行なうべきだ」という批判があり得ます。
学生数が少なければ、そうした批判もあり得るでしょうが、学生数が 200 人
を超えると、そうした批判の妥当性は低下していきます。魔法の呪文を唱えな
いと、90 分教壇に立っていても、ロスタイムを差し引いて実際に講義を行なえ
る時間は 75 分より短かくなる場合が多いからです。
大学に転職して 6 年、以上のような工夫をしてきました。今後も一層の工夫
をしていきたいと考えています。いつの日か、新しい工夫が御紹介できるよう
に、頑張ります。
今回は、以上です。
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