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Page 1 モダニズムの矛盾:作曲家、松平頼則の場合 椎名亮輔(France
モ ダニ ズ ムの矛 盾:作 曲家 、松 平 頼 則 の場 合 椎 名 亮 輔(France) SxizrraRyosuke 松 平 頼則(1907∼)が 、作 曲家 と して本 格 的 な活 動 を 開始 した の は、 お よそ1920年 代 、 大 正 後 期 にあ た る が 、 当時 の 日本 の 西洋 音 楽 の状 態 は、 少 な く と も彼 自身 の評 価 に よれ ば 、 後 進 国 の そ れ で しか な か っ た。 彼 は、 そ れ ゆ え 、 日本 の音 楽 を近 代 化 し、世 界 的 な水 準 に まで 高 め る、 と い う こ と を使 命 とす る こ と にな る。 しか し、 ここで 問 題 とな る の は 、政 治 ・経 済 ・社 会 的 な もの と異 な り、 芸術 に お い て は、単 純 に、 近代 化 イ コ ー ル西 洋 化 、 とは な らない こ とで あ る(だ い い ち、 政 治 ・経 済 ・社 会 の 各 分 野 に お い て も異 論 が あ る こ とだ ろ う)。 西 洋 的 で な い近 代 化 の 道 も あ る し、 西 洋 に お い て も近 代 的 で な い要 素(伝 統 的 な もの な ど)が 少 な か らず あ る はず だ 。 しか し、 そ こで も う一つ の問 題 は、 そ う は言 って も、 こ こ で は 、 明 治以 来 輸 入 され た 「日本 の 」 西 洋 音 楽 が そ の 領域 で あ る とい う こ とだ 。 い か に 、 日本 の作 曲 家 が西 洋 的 な もの を否 定 しよ う と して も、 そ の 音 楽 の根 源 ま で も否 定 す るわ け には い か な い 。 さ らに 、松 平 自身が 、 自分 の 作 曲家 と し て の 立 場 を 「モ ダニ ス ト(ア ヴ ァ ン ・ギ ャル ド)」 と して 定 位 した とい う こ とが 、 問 題 を なお さ ら紛 糾 させ る結 果 とな っ た。 つ ま り、 そ れ に よ り彼 は 必 然 的 な 歴 史性 を前 提 と して しま っ てい る ので あ る。 これ ら、彼 の使 命 の 前 に立 ち塞 が る問題 に 解 決 を与 え る に当 た って、 現 実 に は多 くの 矛 盾 が あ り、 松 平 は そ れ を次 々 と彼 な りに解 決 しな け れ ば な らな か った 。我 々 は 、 こ こで 、彼 の その よ う な格 闘 の 中 か ら、 現 代 日本 の 音 楽状 況(彼 の 活動 は大 正 ・昭和 ・平 成 の各 時 代 を蔽 って い る)に お い て彼 が もた ら した もの を検 討 し、そ れ に よ って 「近 代 」 日本 の 「西 洋」音 楽 とい う、 いわ ば西 洋 で も東 洋 で もな い特 殊 な もの の 一 つ の性 格 を浮 き彫 りにす る こ とが で きるだ ろ う。 1 松 平 の 芸 術 思 想 の発 展 とい う もの は、 お よ そ三 つ の 時 期 に分 け られ る。 まず 、 第一 期 は 、1930 年 代 か ら1945年 、つ ま り大 正 後 期 か ら第二 次 世 界 大 戦 まで で 、 「モ ダニ ズ ム時 代 」 とで も名 付 け る こ とが で き る。 第 二 期 は、 「発 展 期 」 で 、 戦 後1945年 か ら1960年 代 くらい まで 、 そ して最 後 の 第三 期 は、 「後 期 」 で1960年 代 以 後 、 とい うふ うで あ る 。 第 一 期 は、 彼 の ア ヴ ァ ン ・ギ ャル ド作 曲家 と して の 華 々 しい 登 場 と、 そ の立 場 を闡明 にす る た めの 論 文 が 矢 継 早 に書 か れ た時 代 で あ る。 当 時 の 文 学 的 「ア ヴ ァン ・ギ ャル ド」 とは、 そ れ こ そ 「モ ダニ ズ ム」 で あ り、彼 の論 調 もそ れ に ま った く沿 っ た もの と な って い る。文 学 に お け る 「モ ダニ ズ ム」が 、ヨー ロ ッパ 思 潮 の 輸 入 を 目標 と して南 米 ・北 米 で 生 まれ 、各 国 にお け る文 学 的 「後 進 性 」 を紛 れ もな く刻 印 さ れ て い る とい う周 知 の 事 実 は、 日本 で もま っ た くそ の 通 りで あ り、松 平 が 彼 の論 文 を書 くと きに採 用 した ス タ イ ルが ま さ し く 「モ ダニ ズ ム」 で あ った の は 、 ま った く 当然 とい って よい だ ろ う。 当時 の 日本 の 「モ ダニ ズ ム」 輸 入 が 、 詩 壇 を 中心 に為 され て い た(萩 原恭 二 郎 、 安 西 冬 衛 、 北川 冬 彦 、竹 中郁 な ど の詩 人 た ち の名 前 が 挙 げ ら れ るだ ろ う)こ とか ら、 皿 一228 面 白 い こ とに 、松 平 は詩 的 な表 現 をか な り無 理 な と こ ろ まで 多 用 して い る 。 少 し例 を挙 げ よ う。 フ ラ ンシ ス ・プ ウ ラ ン ク 朗 らか な 三色 旗 が彼 の音 樂 で バ レエ を踊 ります 。 ジ ュ ネス の歌 ふ 熱心 な饒 舌 で す 。 (11 そ して あ の 牝 鹿 の 脛 の 幻 想 は桃 色 で す 。 あ るい は、 1、 白 と黒 との ドミノ服 を着 た鍵 盤 上 を動 く指 … … ドビ ュ ッシ ー の 「雨 の庭 」 の結 尾 2、 亂 髪 の ジ ル ・マ ル シ ェ ックス の顏 の 輪 郭 と燕 尾 服 の黒 線 の 交錯 3、 プ ロ グ ラ ム を 片 手 に 未 知 の 國 ヘ プ ロ ンジ ュす る聽 衆 の 群像 … …拍 手 の爆 音 [中 略] 121 15、 ム シ ュ ・て る ゐ ・E-ZOの プ ロ グ ラ ム を發 見 す る。 さて 、 音 楽 の 世 界 で の 当 時 の 最 新 流 行 は、 フ ラ ンス の 直 輸 入 す る 。作 品 と し て は 、 『 南 部 民 謡 集 』(1928∼36)、 ソ ナ チ ネ 』(1936)な 「6人 組 」 で あ り 、 彼 は そ の ス タ イ ル を 『 古 今 集 』(1939、1945改 訂)、 『フ ル ー ト ・ ど が あ る 。 こ こ で は 、 す で に 日本 的 な 伝 統 に 対 す る 関 心 が 見 ら れ る こ と が 重 要 で 、 確 か に 、 彼 の 当 時 の 理 想 像 が ア レ ク サ ン ドル ・タ ン ス マ ン で あ っ た こ と が 十 分 に 頷 け る の で あ る 。 「ポ ー ラ ン ドの 感 覺 と 現 代 の ダ イ ナ ミ ズ ム の 握 手 は タ ン ス マ ン の 主 義 で あ り、 僕 の 共 鳴 す る 主 義 で あ る 。」〔3[と、 彼 は 書 い て い る 。 タ ン ス マ ン は 、 ポ ー ラ ン ド出 身 の 作 曲 家 で 、 当 時 フ ラ ン ス を 中 心 に 、 ポ ー ラ ン ド民 謡 を 素 材 に 「6人 組 」 風 の 味 付 け を した 作 品 を 書 い て い た 。 こ れ が 、 松 平 の 目 に は 、 「モ ダ ニ ズ ム 」 と 固 有 の 伝 統 と の 間 の 矛 盾 を 現 代 風 に 解 決 した も の と 写 っ た よ う だ 。 し か し、 こ の 時 期 の 松 平 の 作 品 は 、 彼 自 身 も認 め て い る よ う に(「 今 か ら 見 る と、 作 家 と し て は 下 手 く そ だ っ た 、 と い う こ と は 言 わ れ る な 。」)ま だ ま だ不 器 用 な 、 タ ンス マ ンな どの 亜 流 に過 ぎな か っ た 。 2 第二 期 は 、戦 争 中 の沈 黙 を破 った 過 激 な 論 調 で 幕 を 開 け る。過 去 の 自己 を精 算 す る意 味 で 彼 は 、 そ の 「タ ンス マ ン論 」 を書 き上 げ る。 そ の 終 わ りに彼 は こ う記 す の だ 。 現 在 作 曲上 の 轉 換 期 に あ る私 は そ の精 算 の一 つ の 手 段 と して 、 前 大 戰 後 の 作 曲上 のモ ダ ニ ズ ムの 鬪 士 の 一 人 で あ り、私 に最 も影 響 を與 え た作 曲家 の一 人で あ る タ ンスマ ンの評 傳 を書 い て み た かつ た。 從 つ て 本稿 は私 に とつ て は タ ン スマ ンへ の感 謝 で あ り、 同時 に タ ンス マ ンへ 151 の抉 別 で あ る 。歴 史 は停 滯せ ず 、 終 止 し ない 。 こ う して 、 彼 の 大 正 時 代 の 「文 学 的 」 モ ダニ ズ ム は徹 底 的 に 自己批 判 され る 。 そ して 、 日本 は 、 以 後 、 「世 界 史」(=普 遍史 こ れ こそ 優 れ て 「モ ダ ン」 な概 念 で あ る)に 参 加 して い か なけ れ 皿 一229 ば な ら な い の だ。 そ の た め に も、 安 易 な エ グ ゾ テ ィス ム に媚 び る よ う な 厂ジ ャポ ニ カ 調 」(松 平 の 用 語)を 排 し、真 の 日本音 楽 を探 究 す る必 要 が あ る。 この 文 脈 か ら検 討 に値 す る の は 、 松 平 を含 む 「新 作 曲派 」 の メ ンバ ー た ち(清 瀬 保 二 、 早 坂 文 雄 、 松 平 、 渡部 浦 人 ほ か)と 、批 評 家 、 遠 山 一 行 との 間の 、 日本 の作 曲 家 に 関す る論 争 で あ る。 発 端 は、 日本 の作 曲 家 の技 術 不 足 ・訓 練 不 足 を嘆 く遠 山 の論 文 だが 、 そ の批 判 に ほ とん ど過 激 な まで に反 応 した 「新作 曲 派 」 の 作 曲 家 た ち は、 い ち よ うに 、過 去 の西 洋 の音 楽 を乗 り越 え、 現 代 日本 に適 した 作 品 の 必 要 を訴 え 、 そ こか ら西 洋 古 典 音 楽 を否 定 す る結 論 を引 き出 す 。 例 え ば 、会 談 形 式 の こ の 「遠 山 へ の 反 論 」 に お い て 、松 平 は、 「人 間 は胎 内 で は魚 で あ り動 物 で あ る。 最 後 に人 間 に な る ん だ ね 。 わ れ わ れ は そ こ を大 急 ぎで 經 過 しな け れ ば な ら ない 。」 と述 べ 、 そ の 音 楽 的 進 化 論 を披 露 す る。 さ ら に こ こ に は 、 「も しそ の よ うな 立 論 が 音 樂 の 歴 史性 や社 会 性 を抽 象 〔7) して しま っ て 、 單 に生 理 的 な も の に 問 題 を還 元 して しま う こ とに な る の で は 賛 成 で き な い 。」 とい う意 見 も吐 か れ る。西 洋 古 典 音 楽 を 盲 目的 に 崇拝 す るの は間 違 って い る。そ れ は、 まず 、「 過 去 」 の もの と して無 用 で あ り、 第 二 に 、 日本 の もの で は な い か ら規 範 とす る に は当 た らな い 。 し か し、 と遠 山 は応 戦 す る。 西 洋 古 典 音 楽 は 、 そ の 「古 典 性 」 に価 値 が あ るの で あ っ て 、 そ の よ う な価 値 は現 代 に お いて も何 ら変 わ らな い は ず だ 。 そ して 、 彼 は こ う言 う。 外 國 のす ぐれ た作 家 ・演 奏 家 の仕 事 に接 す る時 に 、 彼 等 の 耳 が ぼ く等 の もつ て い る もの よ り も遙 か に廣 い豐 か な音 の世 界 を把 握 し音 の 各 素 材 間 の バ ラ ンス や形 式 上 の比 例 感覺 に於 て 遙 か に進 ん で い る事 に いつ で も打 た れ る。 そ う した 體 驗 が 日本 の作 曲 家 の場 合 に は 未 だ 遺憾 な (81 が ら殆 どな い 。 つ ま り、作 曲 家 と して の職 業 的 な 基礎 的 訓 練 は、 そ の よ うな もの を基 本 と して 、 普 遍 的 な もの な の だ 。 少 な く と もそ の よ うな技 術 を身 に付 けて い る こ とが 、 日本 の音 楽 を世 界 に 認 め させ る こ と に な る 第 一歩 で は な い か 。 厂日本 」 を標 榜 す る の は 良 い 。 「日本 人 に は 日本 人 獨特 の 藝 術 的 イ デ ー を もつ 能 力 も、權 利 も又恐 ら くあ るだ ろう 。 しか し と もか く素 人 で な い 職 業 作 曲 家 な ら音 樂 の イ デ ー 云 々 よ り先 ず ゆ る ぎな い音 の 建 築 を作 る職 人 藝 は もた な け れ ば 困 る。」(同 所) これ に答 え る松 平 の 筆 法 は 、 大 変 に特 色 の あ る もの だ 。 引 用 し よ う。 我 々 は今 或 るサ ロ ンの 中 で 一 人 の ブ ルヂ ョア と對 峙 す る。 そ こ は戰 爭 の 被 害 を少 し も蒙 つ て い ない で 、 燦 然 と輝 く家 具 や ピ ア ノが 置 か れ て い る 。 そ の ブ ルヂ ョア は深 々 と した安 樂 椅 子 に腰 を下 し、 我 々 の 喋 るの を默 つ て 聽 い て い る。 や が て 、 香 り高 い 葉 巻 の煙 を寳 石 の鏤 め て あ る指 環 を はめ た 華 奢 な指 で 挾 み乍 ら、灰 皿 で もみ 消 す と 、金 色 に光 る腕 時 計 を一 暼 して 「大 變 申 しわ けな い が 、 私 は今 重 要 な用 件 で 出掛 け な け れ ば な ら な いの で す 。[中 略]」 彼 は そ う い ・棄 て ・鏡 の よ う に磨 か れ た床 を横 ぎつ て 立 ち去 る。【91 彼 は この よ う に、 皮 肉 な、 シニ カ ル な や り方 で 、 大 ブ ル ジ ョア遠 山の 実 世 間 と隔 離 さ れ た優 雅 な 生 活(戦 中や 戦 後 間 もな くの 一 般 民 衆 の苦 しい生 活 を対 比 させ て い る)を 描 きだ し、 そ の現 実 と の 乖 離 を批 判 す る。 しか し、 こ れ は論 点 をず ら して い る と い う印 象 を免 れ られ な い 。つ ま り、 遠 亜一230 山 の 古 典 主義 ・普 遍 主 義 は、 実 は、 ま さ し く松 平 の 信 条 と一 致 す る もの で あ っ た こ とを暗 黙 の う ち に物 語 って い るの で あ る。 3 遠 山の 批 判 に実 質 的 に答 え る ため に も、 日本 の音 楽 が 世 界 に認 め られ る こ とが 急 務 とな って い た わ け だ が 、1951年 、 そ れ が 、松 平 の 『ピア ノ と オ ー ケ ス トラ の た め の 主 題 と変 奏 』(ザ ル ッ ブ ル グ にお け る第26回 国 際 現 代 音 楽 祭 コ ンク ー ル に入 賞)に よ って 実 現 す る こ と に な る。そ して 、 この 作 品 に よ って 、以 後 の 彼 の 作 曲家 と して の方 向 が 決 せ られ た とい って もい い だ ろ う。それ は 、 雅 楽 を作 曲の 素 材 とす る と い う こ とで あ る。 この作 品 で は 、そ の 一 つ の 変 奏 に お い て 、 『越 天 楽 』 の 旋 律 の 最 初 の 動 き を基 に一 つ の セ リー を導 きだ し、 そ れ に よ って 自 由 なセ リア リズ ム に よる作 品 を作 り上 げ て い る。 この 方 法 は 、次 の 『 催 馬 楽 に よ る メ タモ ル フ ォー ズ』 で 、 よ り徹 底 的 に追 及 され て い るが 、 それ は 、雅 楽 の うち そ の 「旋律 的 ・リズ ム的 要 素 ・拍 の 要 素 ・和 音 的要 素 」 を 現 代 の 技 法 に よ って 開 発 す る こ とで達 成 さ れ て い る。 こ の よ うな雅 楽 の 使 用 につ い て 、彼 は 多 く の論 文 を書 い て い る。 そ の 中 か ら一 つ 引 用 し よ う。 これ 等 の 作 品 を書 くこ とに よつ て 、過 ぎ去 つ た 時 代 の音 楽 に就 い て取 るべ き私 の態 度 は しだ い に鮮 明 に な っ て きた。 こ の よ うな 「 死 せ る神 聖 な宝 」 に新 しい生 命 を吹 き込 む こ とは 勿 論 非 常 な繊 細 な 困難 さを伴 う仕 事 で は あ る が 、 本 質 的 に 自分 自身 の もので な くて は な らな い 言 葉 で 表 現 す る こ とが そ の解 決 の 一切 で あ る とい う事 で あ る。 従 つ て徒 らな 日本 の古 代 模 倣 で もな く、又 十 九 世 紀 に爛 熟 の域 に達 した 調 性 音 楽 の手 法 に従 う事 で もな く、現 代 の作 曲 家 の 立 場 か ら飽 く迄 現 代 的 な語 法 で書 か ね ば な ら な い とい う事 で あ る。「 ゆ こ こ に は 、 「真 に 日本 的 な もの 」 の 追 及 とい う今 まで の 衝 迫 は薄 れ てい る。 それ も当然 で あ っ て 、 素 材 が 雅 楽 な の だ か ら黙 って い て も これ は 日本 の もの な の だ 。 そ の上 、雅 楽 は 、琴 や 三 味線 の音 楽 の よ うに は 「土 俗 的 な」匂 い の しない 音 楽 だ。(彼 は そ れ らの音 楽 につ い て 、雅 楽 と比 べ て 「完 成 され す ぎ て い る」 とい う言 い 方 をす る。)こ れ で 「安 易 な ジ ャポ ニ カ調 」 は 、避 け られ る。 後 は 、表 面 的 な素 材 処 理 とい った こ と に問 題 は限 られ て し ま う し、 そ うな れ ば彼 はい くらで も現 代 的 な 技 法 を駆 使 で き る とい う わ け だ。 そ し て 、 こ れ も、 「 伝 統 と近 代 」 と い う矛 盾 を止 揚 す る 一つ の方 法 で あ る とい え る。 松 平 は この 時 期 に こ の よ う に して 手 にい れ た 方 法 を用 い て 、 第 三 期 以後 次 々 と現 代 の 最先 端 を行 く技 法 を採 用 し、 作 品 を書 き進 め て い く。 そ の よ うな 立場 に彼 は 安 住 して い るか と言 う とそ うで は ない の で あ って 、1969年 、 日本 で 行 わ れ た ドイ ッ現 代 音 楽 祭 にお い て 、 ピアニ ス ト、 ア ロ イ ス ・コ ン タ ル スキ ーが 日本 の 作 曲家 の 作 品 と ドイ ッの 作 曲家 の 作 品 が 区 別 で きない と言 っ た とい う こ と に関 して 、 大 方 の 評 家 が 、 や っ と 日 本 も世 界 の 水 準 に追 い 付 い た と安 堵 の吐 息 を洩 ら した の に対 して 、 松 平 た だ 一 人 が 、 日本 的 な も の の 喪 失 を危 惧 す る見 解 を述 べ て い る(「 署 名 な しで は 日本 か ドイ ッか わ か らな い とい う の は 、 ユ 作 曲 家 の 立 場 と して は 、 と って も困 る こ とな ん で す ね 。」)こ と は、 彼 の 年 来 の 問 題 意 識 が 必 ず し も雲 散 霧 消 して しま っ て い る わ けで は な い こ と を、 よ く表 わ して い る。 さ ら に 、彼 の後 期 の 作 品 が 、 雅 楽 の 音 素 材 よ り も作 品構 造 の研 究 結 果 を よ り多 く採 りい れ る よ う に な っ て きて い る こ 豆 一231 と(『 蘇 莫 者 』[1961]、 『 二 声(朗 詠)』[1966]、 『 循 環 す る 楽 章 』[1971]な ど)は 、彼 の伝統音 楽 に 対 す る 観 点 や 思 想 が 深 化 して い る こ と を 物 語 っ て い る と言 え よ う 。 ホ ア キ ン ・ベ ニ テ ズ が 言 う よ う に1131、 「形 式/内 容 」 と い う 対 立 が 、音 楽 に お い て 「形 式/素 材」 と置 き換 わ る と し た ら 、 彼 の 創 作 態 度 の 発 展 は 、 ま さ し く雅 楽 の 可 能 性 を 汲 み 尽 くす 方 向 に 進 ん で い る 。 し か し 、 こ こ で ま た 「近 代 対 伝 統 」 の 矛 盾 が 頭 を も た げ る の だ 。 形 式 も素 材 も伝 統 の も の だ と した ら、 そ れ は単 な る伝 統 へ の 回帰 で は な い の か 、 歴 史 を逆 行 す る こ とに な るの で は な い か 、 と い う こ と だ 。 さ ら に 、 こ こ に ミ ュ ー ジ ッ ク ・コ ン ク レ ー ト以 来 、 徐 々 に 前 衛 音 楽 界 に 浸 透 し て き て い る 、 非 ヨ ー ロ ッパ 系 音 楽 の 価 値 の 増 大 と い う 事 実 を 考 え あ わ せ る と、 松 平 の 作 品 が 以 降 、 一 作 一 作 が そ の よ う な 矛 盾 とパ ラ ド ッ ク ス の 間 の 微 妙 な バ ラ ン ス を と る よ う な 、 い わ ば 「モ ダ ニ ズ ム の 矛 盾 」 へ の 挑 戦 と い っ た 趣 を呈 して く る 。 そ して 、 こ の よ う な 「モ ダ ン の 歴 史 」 と い う 「メ タ歴 史 」 を 、 身 を 以 て 生 き て き た 松 平 は 、 真 の 意 味 で の 「モ ダ ニ ス ト」 と呼 ば れ る に ふ さ わ しい の で は な い だ ろ うか 。 〔 注釈〕 1)松 平 「五 つ の フ ァ ン タス チ ッ クな 印 象 」 『 音 樂 新 潮 』 第7巻 2)松 平 「(シネ ミ ュジ ッ ク)夜 の サ イ プ レス」 『 音 樂 新 潮 』 第7巻 第2号(1930年)36-37頁 第1号(1930年)52頁 。 。 ち な み に、 ジル ・マ ル シ ェ ック ス は、1925年 に初 来 日 し、当 時 の 最 先 端 の 音 楽 を初 め て紹 介 した。「て る ゐ ・E-ZO」 と は、 照 井 詠 三 。 フ ォー レ等 の フ ラ ンス 歌 曲 を は じめ 、 松 平 等 の歌 曲 な ど、 こ れ も当 時 の 最 先 端 の 音 楽 を歌 っ た歌 手 。 3) 松 平 「フ ラ グマ ン」 『 音 樂 新 潮』 第6巻 第11号(1929年)51頁 4) 松 平 「松 平 頼 則 の 音 楽 と人 間 の 形 成 」 『 音 樂 藝 術 』1950年5月 、13頁 。 5) 松 平 「ア レクサ ン ドル ・タ ン スマ ン」 『 音 樂 藝 術 』1950年5月 、22頁 。 6) 「新 作 曲派 の 指 向 」 『 音 樂 藝 術 』1950年9月 。 、34頁 。 7) 同 所 。 先 の松 平 の 発 言 直 後 の 、 山 根 銀 二 の発 言 。 8) 遠 山一 行 「 批 評 と反 批 評 」 『 音 樂 藝 術 』1950年10月 9) 松平 「 遠 山一 行 氏 へ 對 す る新 作 曲派 の答 」 『 音 樂 藝 術 』1950年11,月 、117頁 。 10) 11) 、55頁 。 松 平 「国際 現 代 音 樂 祭 の 入 選 作 につ い て」 『 音 樂 藝 術 』1952年5月 、84頁 。 「〔 雅 楽 に対 して 素 材 と して 魅 力 を感 じる とい うの は〕 音 楽 と して 雅 楽 を見 た場 合 の 未 開 拓 で す ね。 だ か ら もつ と 時 代 が 下 が っ て く る と、 ち ょっ と話 が 雅 楽 か ら外 れ ます け れ ど も、 琴 や 、 三 味 線 な んか は 未 開拓 と は 言 え な いで す ね 。 三 味 線 は 、 三 味 線 とい う一 つ の 世 界 の完 成 され た もの で す 。 」 「松 平 頼 則 の音 楽 と人 間 の形 成 」 前 掲 、11頁 。 12) 松 平 他 「三つ の現 代 音 楽 会 を め ぐっ て」 『 音 樂 藝術 』1969年4月 13) ホ ア キ ン ・M・ ベ ニ テ ズ 『 現 代 音 楽 を読 む』 朝 日出 版 社 、1981年 。 特 に 、 第1章 3節 を参 照 の こ と。 亘 一232 、38頁 。 「多様 式 の 時 代 」 第