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公演の内容(PDF:48KB)

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公演の内容(PDF:48KB)
司会:
浅岡先生よろしくお願いいたします。本日の演題は「地球環境
その影響と対策」でございます。
お願いいたします。
拍手
浅岡:
皆様こんにちは。ご紹介いただきました浅岡と申します。今日は愛媛、松山に来させていただき
まして、ずいぶん大きな奇麗な町だなと思いながら、駅からこちらまで寄せていただきました。わ
たくしは、実は四国には縁がありまして、子供のころに徳島県、香川県、高知県では暮らしたこと
があるのですが、愛媛県にかけてはなかったわけでありますが、今日は初めて町をちょっと拝見い
たしました。
わたくしは、約30年ちょっと弁護士をしておりまして、その中で環境といいますか、公害とい
った方がいい被害者の方々の救済活動にも関わってきました。この10年ほどは、こうした健康を
むしばまれてしまってからどうするかというよりも、その前に私たちには何ができるのかというこ
とで、NGOの活動にも関わってまいりましたので、今日は、そうした経験からお話をしたいと思
っています。
最初に、今日……明朝ぐらいから南アフリカのヨハネスブルグで開かれます地球サミットに出か
けることには、だいたい日本を出発しておりますが、この月曜日から首脳会合が始まります。そう
した時でもありますので、ここ2、30年の間、地球規模でいろんな議論をし、特に日本がどのよ
うな関わりがあり、NGO、NPO的な立場からはどういう関わりがあったのかということを、先
に少しフォローいたしまして、それからこの10年ほど、わたくしが少し関わってきました温暖化
の問題について、国際的、国内的にどのような議論がなされているのかということを簡単にご紹介
をしまして、その中にNGO、NPOというものが、どのように関わっていくかという、仕事の内
容をご紹介したいと思っています。最後に、こうした各地域で、どういうことをやっていくことが
できるだろかということを、考える手掛かりのようなものを、お話ししたいと思っています。
皆様のお手元に、少し枠で囲みましたメモをお配りしておりますが、それに学校の方で準備いた
だいております映像、写真を加えまして、それを使いながらお話をしたいと思います。ただ、あま
り暗くしてしまうと、この字も見にくいかもしれませんので、前の方だけ光を消していただければ
と思います。
主には……全部消しちゃう?
後ろ全部消しちゃうんですか?
ったのに……全部消すと眠くなるといけない。
(笑い)
前だけ消していただければ良か
見えますか形?
じゃあ、そのくらいに
しましょう。
どの問題もNGOという活動の視点からお聞きいただきたいと思います。まず、NGOとかNP
Oという言葉は耳慣れていないのですけれども、NGOとNPOとは違うのかと、疑問があるかと
いえますが、私たちはほとんど同じ言葉として使っています。最近は何となくNPOと言った方が
格好いいかなという傾向が、なきにしもあらずですけれども、一緒だと考えてよろしいのではない
でしょうか。NGOは「non−governmental organization」ですか
ら、政府ではない組織。これは最初、国連の社会……何とか委員会という国連の政府間会議をやる
ときに、政府ではない人たちが参加するというので、その政府じゃないところはみんなNGOと言
ったので、議員さんたちの集まりであるグローブなどもNGOということになるわけです。NPO
と言っていますのは、営利のみを目的とするわけではないということを強調したものであります。
政府をNPOと言うかというと言わないですので、政府――国とかこういう自治体も地方政府と考
えれば、そうした政策的な意志決定や自治責任を持つところ――ではないところで、利益を追求し
ないところ。ということは株式会社ではありません、政府でもありませんというよなところで、お
考えいただければいいかと思います。非政府という言葉にあるように、NPOの活動というのは、
幅が広いのですけれども、非常に重要な部分は、政策の決定に政府ではない人たちが関わっていく
という要素を重視している。町や町内のゴミを奇麗にしましょう、どんどん掃き清めましょう、美
化しましょうというのもNGOの活動といえば活動ですけれど、そういうことよりは、この町を美
しくしていくには、どういう決まりを考えたらいいだろうかということを考えましょうというのが、
重要な活動の要素とご理解いただければいいかと思います。それから、NGO、NPOがなぜ重要
かということの中で、みんな「何かおかしいな、このままではいけない」と思うことや、いろんな
社会でいつも何かがある。何も問題のない社会は、どこに行ってもないと思うのですけれども、お
かしいなと思ったときに、「これは問題だよ」と早く意識をし、認識をし、
「これは問題ですね」と
投げかけ、どう解決したらいいかということを提起主張する。早く行動をするという、社会への問
題提起をする役割を持っていると思います。それがでたらめであると混乱を招くだけでありますか
ら、それなりに先見性や責任を持って動くということが必要になります。
最近、このNGOの注目されている新たな役割の一つは、日本は特に政府とか行政といいますの
は、なかなかカラーの抜けることのできないし、行政の中でも各縦割りの組織の中で、隣の局がや
っていることに口出しをするのがなかなか難しい。組長さんがよくトップダウンでやれば、それも
あるのでしょうけれども、なかなか横は難しい。ましてや庁舎の中でも難しいのに、その外の人た
ちと話をするのは、きわめて不得手ということがあるようで、こういう我々のようなNGOの者が
いろんな人に話を持ちかけて、一緒に話をする場を作って議論をしやすくしましょう。お互いに議
論の場を持ちやすくさせ、話をしやすくさせましょうというコーディネイトをする。そういう役割
が今、期待をされていると思っています。
主にNGO、NPOといいますと基本的にそういうものかなと思っていますが、特に環境に関す
るNGOとして、どういう役割があるのかということですけれども、これは97年12月に、京都
で温暖化防止の京都会議が行われました年に、当時のアメリカの副大統領でありましたアル・ゴア
が日本にいらっしゃった時に、私たちに向けていろいろなメッセージを寄せられた中の言葉がここ
にありますが「今何が危険に曝されているのか、その本当のところを理解する人々が世界に増えて
いくに従って、今はまだ不可能なように思えることが、やがてそれは可能である。または、不可欠
なことが当たり前で、不可欠なものになっていく。そういうことのプロセスを後押しをする。これ
がNGOに期待されていることです。
」ということであります。世の中は自然に変わっていくわけ
ではなく、変えようとする人々がいて、それに、いろいろこうすることがつながりあって変わって
いく。今、私たちが日本の中で、あるいはこの愛媛の中で「こんなことは、とても行く行くできそ
うもないわね」、「現実的ではないわね」と思えるようなことであっても、こうすることが必要じゃ
ないかということを、ちゃんと説得ができるように、皆様にお話もしていかれ、それが時代の要請
かなと言えば、ちゃんと実現できていきますよ、その通りちゃんと働いていきたいということであ
ります。
今日、わたくしは気候ネットワークというところの関係でお呼びいただいたと思っていますが、
ここについて少し説明をさせていただきます。97年の京都会議に向けて、日本の知識人たちが何
か自分たちにできることはないかということで、個々バラバラに自分たちの地域だけで、できるこ
とをやっていたのでは限られるかもしれない。みんなで協力してやろうではないかというので「気
候フォーラム」というものを作ったのです。それは、とりあえず京都会議が終わるまで、京都会議
で京都議定書が採択されるまでは、一生懸命仲良くやりましょう、力を合わせてやりましょうとい
うことにいたしまして、それなりの活動をしたわけです。京都会議が終わり、京都議定書が採択さ
れたけれど、それが力を持っていくためには発効しないといけません。発効する前に日本も批准し
なければいけない。そこまでに相当長い道のりがありそうだということで、気候ネットワークとい
う形で、もう少し活動を継承しようということにしたわけであります。まあ、道のりが最初からこ
の京都会議までに、大体一年半ぐらいありましたでしょうか。相当に疲れまして、仕事もできない
し、もうこれ以上関わるのは大変だなあという思いもあったのですけれども、京都議定書が採択さ
れ紙にはなったけれども、世の中に生きることなく、そのまま消えてしまったということになると、
せっかく京都に来てくださった皆様に、あれは何だったのかと、かえってむなしい思いを残してし
まうかもしれない。せめて発効するまでは、しっかりみんなでもう一度やらなくちゃねということ
を思いまして継続を決めたものであります。そのようなことで、京都議定書を日本がちゃんと批准
ができるように遂行。これは今年の6月4日、いろいろありましたけれど、日本はヨーロッパに続
いて批准をいたしまして、何とかその目的の一つは達成したかなと思っています。ただ京都議定書
は皆様もご案内のように、日本の場合は二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を、90年の水準か
ら6%減らさなければいけませんという約束をしているわけですけれども、その目標を達成できな
ければ、そのようにしたけれどもできませんでしたというのでは、京都議定書も意味もなさないの
で、どうしたらその目標を達成できるのか、どうしたら減らせるのかということが、本当は問われ
ています。そういう意味で、まだ仕事が終わったとは言えないので、若い方々を中心にしてネット
ワークの活動は続けております。どうして目標を達成するのかということを考えたときに、どうす
れば何パーセント減らせますという問いかけを紙に書いて計画書が出来上がっても、それだけでは
どうしようもないわけです。それぞれの排出の元で、ということは工場であるとか皆様の家庭であ
るとか、こうした交通網――道路の上を自動車が走っているわけですが――の中で、実際どう減ら
せるのかということをやらないといけない。その地域の取り組みというものが必要になるわけです。
具体的に、この地域でどうしましょうか、この工場はどうしましょうかということを一緒に議論を
し、実行をしていけるようにもっとみていかなければいけないということを、今やりかけておりま
す。そうしたことをなぜやらなくてはいけないかということを、いつも絶えず皆様に認識を共通に
していただくために、もうこんなに温暖化は現実に進んでいるのですよ、このままいけば大変です
よということを具体的にいろいろお伝えをしていく。これが温暖化に関して、どのNGOも取り組
んでいるところではないかと思います。
まあ、こんなことをやっておりまして、皆様のお手元に気候ネットワークの7月のニュースをお
配りしたかと思います。ちょっとマニアックで少々中身がかかるかと思いますけれども、そうした
ニュースを出しておりますので、またホームページ等をご覧ください。それから京都会議からこの
4年間、どのようなことがあって、どういう活動をしてきたかという、気候ネットワークの4年間
と、議定書採択から発効まで4年間をまとめたものをお配りしております。それから環境のキャン
ペーンをやっておりますので、そうした資料も配っているかと思いますので、ご参考になってくだ
さい。
今日は中身があります、もう少しお役に立つ話をしたいと思っています。これが気候ネットワー
クの活動ですが、わたくしがなぜそこに少々深入りをしているのかというのは、冒頭にも申し上げ
ましたけれども、わたくしは公害の被害者の救済のための裁判なども研究をしてきまして、被害者
が生まれてから、あとでいくら賠償しても、人命も健康も戻りませんし、そうした、人に健康被害
が及ぶような環境の破壊を起こしますと、それを元に戻すのには何十年も、百年単位で被害が及ん
できまして、結局それを子供たちが受け継ぐわけです。やっぱりそうならないような取り組みが必
要で、それが政府の仕事ですよと言ってしまうだけでは、やっぱりできない気がするだけで、分か
らないですよね。これまでの歴史がそう物語っていますので、私たちも、もっと関わらなくてはい
けないと思ったしだいであります。
先ほど申しました、ヨハネスブルグサミットということで考えますと、地球規模で環境、公害問
題を議論し始めて約30年ということになります。72年にストックホルムで国連人間環境会議が
初めてありました。このときはまだNGOには開かれていなくて、水俣病の被害者――胎児性水俣
病の患者さんが参加したのですけれど、本会議場には入れなくて、別のところで「こんなことを起
こしてはいけません」、「二度とこういうことをしないでください」というメッセージを出したわけ
ですが、それが30年前です。国連という場でも、まだその当時は市民の役割というもの、あるい
は被害者というものをどう見るのかということは、今とは相当違ったということが言えます。その
時期、日本というのは本当に多くの公害被害を裁判していました。皆様もいろいろご記憶があると
思います。そういう日本の中で50年代の後半ぐらいから60年代、70年代の高度成長によって、
経済的には急成長したわけですけれども、その片隅では大変多くの犠牲を生んだわけです。その被
害者たちの言い分を聞いてくれる所は、最後は裁判所しかなかった。政府は全然聞かなかったわけ
です。裁判所だけは健康被害を受け止めてくれた。そしてお金を賠償しなさいという理由として、
こういう安全を無視したら不法行為です、世の中に許されない違法なことですということを宣言し
ていった。それから行政の在り方も少しずつ変わっていった、こういうことになります。今の水質
や大気汚染の基準なども、こういう被害者に築かれてきた。これが歴史であります。今、やはりこ
れとほとんど同じようなことが、途上国で繰り返されている面があります。日本のこの公害のまね
の姿というのは、本当はアメリカ、ヨーロッパで19世紀終わりから20世紀にかけて工業化が起
こったとき、やっぱり似たことが起きているので、経験をこれからマイナスの面も含めて、ちゃん
と警鐘していくことが地球サミットでもまだ重要な課題だということが言えると思います。それか
ら、こうした公害被害者が自分たちを救済せよということだけでなく、もう二度とこういうことを
起こさないような社会の仕組みを被害者として求めるという意識が、だんだんとみえてきだしたの
が80年代から90年代にかけてであります。そのころ地球サミットがあったわけです。さらに会
話としての解決が次第に図られるという段階で、リオデジャネイロでの地球サミットを迎えました。
でも、もっと前からいろいろありまして、イタイイタイ病の患者さんというのは――皆様、イタイ
イタイ病というのは、分かりますよね?
カドミウムによって、特に経産婦の女性の骨がボロボロ
になっていったというものであります。あとはカドミウムが浸透している土壌を20年、30年か
けて入れ替える。患者さんの損害賠償だけでなく、その土壌の入れ替え作業を今も続けています。
これは「農民形運動」と呼んでいますけれども、本当に大変粘り強い活動が続いています。それか
ら、西淀川など環境汚染の患者さんたちは、工場や自動車の煤煙も含めて、大変、喘息に苦しんで
いたわけですが、患者さんの裁判の中で、こういう合い言葉を言うようになったのです「取り戻し
たいのは青い空」。これは、健康はある意味で、もう元へは戻らないですけれども、子供たちのた
めに青い空を取り戻す。それが自分たちの裁判をしていく意義であり運動なのだという発想が広が
っていくかと思います。水俣病の患者さんたちの運動は一番早く、1950年代――昭和20年代
から被害を言ってきたにもかかわらず、早すぎたこともあって、裁判所での救済は一番遅くまでか
かったわけです。水俣という町は本当に死んだような町に変わったのですけれども、90年代中ご
ろから、これでは町がだめになる、もう、みんながだめになるというので町を再生させる、地域を
再生させるという活動を、患者さんたちが軸となりながら、やっていくというようになってきまし
た。ここで取られたのは「もやいなおし」と言うのですが、これは人と人とのつなぎ直しみたいな
ものでありまして、最も環境破壊によって世界に名を知られた町から、日本で最も典型的な環境の
町へ。それを行政だけが自動的に進めるのでなく、地域のおばさんたちが一番の力になってやって
いく。そういう取り組みがなされて、もう10年近くなってきたかと思います。92年の地球サミ
ットというのは、このように被害者の人たちが目指すものも、大変将来を見たものに変わっていっ
たとき、ちょうど日本が、市民意識がこのように変わり始めたころのように思います。わたくしは
当時、まだ水俣病の被害者の裁判をやっておりました関係で、リオデジャネイロにも行きましたけ
れども、まさに転換点であった。そして世界中の人々と出会う中で、みんなの目が開かれていった
かと思います。それから10年たちまして、日本の中は、みんな悪いわけではないですけれど、欲
得があったというか、まだ足りないというか、なかなか動かないという状況ではないかと思います。
地球サミットでグローバルフォーラムというものが開かれまして、いろいろ約束事も決めます。
言葉としては美しく約束事があるのですけれども、抽象的なものですから具体的に何が進んだのか、
リオ以降、なかなか変化が見えていないというのも事実の面がありますし、気候温暖化問題などで
は、若干、京都議定書が作られている格好に進んで行くなど、某か正しい取り組みが積み上げられ
つつもあるかと思います。これが地球サミットのころ、水俣病の被害者というものを世界に示し、
こうした人たちへの補償問題も解決できていない日本が、国際的な地球環境問題にどう貢献してい
くべきなのか、いけるのかという問題提起をいたしまして、いろいろな国の方々と出会いをしたわ
けです。このリオの半年ほど前に、ミッテラン大統領がお金を出して、フランスに地球規模で千人
ほどNGOを集め、地球サミットの前夜祭のようなものをやったのです。それは各国の人口比率で
NGOを招待したのですけれど、日本・中国・韓国・台湾は、人口はけっこう多いのですけれど、
NGOというものは探せなかったらしく、中国からは一人か二人、韓国はゼロ、日本から70人く
らい、台湾からもなしぐらい。その当時は、東アジアの国からNGOは集まってくださいと言った
ときに、存在感がなかったのです。この東アジアを抜きにして、世界中で集まりましょうというよ
うなラテン系の人がものすごく多い。スペイン語を話す人がいかに多いかというあたりなども、よ
く感じたものでありました。まあ、それが地球ってこういうものなんだ、と私たち感じたものであ
ります。最近の時点で日本を考えましたときは、人への健康という時代から、もっと本来的に自然
が変わるということに対して、私たちが目を向けて行動を始めたというように思っています。申し
上げましたように、こうした変化の中にNGOというもの、あるいは市民の存在というものが、だ
んだんと姿を現してきように思いますけれども、何がそれを助けたかという点でみますと、情報が
公開されると秘密ごとではなくなる、秘密ことではいけないという気持ち。そういう社会批判とい
うものが、だんだんと定着をしてきたと思います。それには情報公開を求めるNGOの活動があり
ます。それから政策決定に参加をさせよという意味での行動をするNGOたちも、具体的な取り上
げをしています。女性にも十分に活動の場を広げていって、こうした活動の中に参加する女性が目
立ってくるようになった。また、温暖化問題というのは環境だけではなく、エネルギーや経済の問
題であるという意識から活動しているNGOとも、一緒に連携を取り合っていこうというように、
活動が広がりつつあります。どういう温暖化対策をとるのかというのを考えますと、どういう地域、
どういう町を考えるかという、町づくりそのものが問われるということになりますので、いろいろ
な町づくりをしている人たちと共通の、いろんなバックないようがということで、環境を適しよう
というか、様々なNGOの人たちの力も必要だし、連携も必要。そういう積み上げの元に、役割を
担っていける町民も努力していると思います。概略、10年間それまでにはどういうことがあった
のかということで、NGOというものは、環境、温暖化ということを単独で何とかできるというこ
とではなく、もっと様々な試みから、行政や企業の方々、そのほか様々な立場の人々との関係の中
で、社会を築いていくという中の一つであるというように思います。少し前置きといたしまして長
くなってしまいましたけれども、温暖化の問題を分かるところを申し上げたいと思っていまして、
わたくし全然科学者でもありませんし、弁護士で人の話を聞いて咀嚼をして、自分なりに理解をし
ているというようなものあります。
温暖化の元になる、なぜ地球は適当に暖かいのかという構造につきましては、皆様のお手元にも
パンフレットがありますので、ご覧になっていると思います。大気中に、適当に温室効果をもたら
すガス、二酸化炭素などがあることで、ちょうどいいぐらいに人が生きていける環境になっている。
ありすぎても困るし、なさ過ぎても困るというものでありまして、それがいろいろな生命体が増殖
されても安定をしていたものが、最近、従来の安定が崩れていく。人類の今の文明があるような歴
史の繁栄の安定、保たれてきた安定が、急速にこの100年、200年の間に崩れてきているとい
うことが地球温暖化問題であります。その主要な原因は二酸化炭素。フロンやフロンのような人工
の温室効果のあるガスが大気中に放出されてきたこと。フロンはオゾン層も破壊しますけど、大変
大きな温室効果を持っているので、これも加算をさせているということです。これまでは平均で0.
6度ほど上昇しているということですが、これから200年というのは、その一桁大きいような気
温上昇が地球平均で予測されているということです。最近、本当に暑いですけれども、特に都市部
にヒートアイランド現象が加わって、よけい暑なったりしまして、さらなる段階にきているという
ことになっております。京都で、この100年に上がっている気温は2.5度に昇ります。ですか
ら、今後の予測というのはもっと大変だということです。
これがIPCC――世界の科学者たち2千人ほどで構成をしている国連の機関――が、昨年春前
に出しましたデータでありますが、千年間、地球全体で平均気温を取って、 何とかまあまあ、保っ
てきたなと思うものが、この百数十年の間の変化は非常に言及、特異である。それは人間の活動に
よる。人工も増えましたし、エネルギーの消費量も増えましたし、実現したというようなことが影
響していると言われているわけです。ここは百年しか書いてないですけれど、今のままいけば、こ
れから次ぎ、将来があるかというには、ちょっと恐るべき上昇を示している。一度上がりますと夏
は耐え難い暑い期間になりますので、この辺りを亜熱帯気候と考え、暮らし方がどれくらい変わる
か考えてみると、それでは大変だということになるかと思います。それとほぼ同じころのように見
えますが、これは大気圏の二酸化炭素の濃度を、IPCCがまとめたもので、先ほどの変化とよく
似た変移。二酸化炭素が大気圏に蓄積をして濃度が増えてきていることから、温暖化をもたらして
いるということの理由付けにもなっております。これが千年単位で280ppmv というあたりで安定
をしていたということがあって、百万分の一ですから、もうほんとに微妙といえば微妙なんですね。
最近の事情といいますか、何とかというのから見ると、これもまだそこそこ雨量があるということ
になるのかもしれませんが、まあ、そうした微妙な安定のときに、人類の文明は作られていたとい
うことになろうかと思います。最近のこのようなグラフ、絵がですね――これは、グリーンピース
という世界ネットワークを持っているところが、世界で今、温度がどう適応するか、雨はどうなっ
ているかというマップを、常時、溢れる情報をアップデートしています。8月3日とても暑い日一
日、また、日本ですごく寒冷化現象も起こっているということが言えますが、こんな日も示してい
ます。少し温度が上がっているという地域は北の方とか南の方と、極地ほど気温の上昇が大きい。
地球平均で言わんとしましても極地の方というのは、10度単位で気温の上昇が観察。それが、氷
が溶けるということの心配にもつながっているわけです。中央アジア辺りで暑い時期がありますが、
これが8月3日というところですけども、モンゴルの山間部というのは、もう恐ろしく上がってい
るそうで、ここ10年、20年の間で10度上がっているという。先般モンゴルの環境大臣がいら
っしゃいまして「もう本当に乾季している。たっぷりのジュースを浴びた」ということです。雨が
どうなっているのかという点と、一方で非常に雨が多い地域があり、方や一方で大変乾燥している
地域があるということ。これも今年の7月こんな状態です。グリーンピースもなかなかビジュアル
に、世の中、どのように進行しているのかというのを見せてくれます。さらにどこかにスポットを
いたしますと、この50年ぐらい、どのように降水量や気温が変化したかということも見られるよ
うになっています。データの蓄積があるところ、ないところも、これで全部分かるようになってい
まして、大変実用的です。この温暖化の影響として特徴なのは、雨の降るところは本当に無茶苦茶
降る、降らないところは全然降らない。乾燥と洪水とが地域で並走していまして、ある地域でも降
るときはいっぱい降るけれども、降らないときは全然降らない。だんだんと科学者たちの予測とい
うか、もくせいというのが、実証されてくる。むしろ引き返えせれることである、というように実
証されてきているという傾向があります。これが最近の東欧を襲いました洪水で、こんな写真をニ
ュース、テレビとかご覧になったと思いますが、ヨーロッパにはもう何年か、こういう洪水が多か
ったのですね。今回はすごい雨量で、東ヨーロッパの国々が経済復興をようやくなりかけたとき、
非常に大きなダメージを受けたということが言えます。でも、アジアの方が大変なのだそうです。
あまり報道されず、ヨーロッパの写真ばかり出ますが、東南アジアでも、ものすごい台風が来て、
昨日のジャパンタイムズで中国でも一生懸命土嚢を積んでいる写真が出ていました。以外と身近な
ところは、映像で見ないからないみたいですけども、これは東アジアの人たちですが、本当にこう
いう状況でした。一方、アメリカではこのように非常に乾燥が進んでいるという状況です。このよ
うに、またまたビジュアルな映像がインターネットで見られるようになっています。こういう情報
を出してくださるのは、我々、認識をするのに助けにはなりますが、人ごとだと思われるので、本
当は日本の中のデータにちゃんと出るようになる必要があろうかと。
それから今は雨が降るというのですが、水も気温が上がると若干、膨張するのだそうです。これ
まで10センチか20センチの膨張で海面が上がったのが、このままでは30センチか1メートル
近く上がるかもしれませんよという警告が示していて、こうした小さな珊瑚礁からできた島々は、
もう国がなくなるのじゃないかということで、大変な思いをしています。今日はわたくしのメモを
無作為に……それは京都新聞の夕刊にコラムがありまして、わたくしはそこを2回ぐらい担当して
いましたので、最近ありましたツバルからの現状の報告会の様子などをご紹介したのですが、その
裏のページも同じ京都新聞の夕刊のコラム欄でして、温暖化について、その方とは全然示し合わせ
ませんけれども、活動報告書に書いていない影響があまりあったから書いておられます。京都とい
う地域は京都議定書のおかげで、温暖化に関しての報道が非常に多い。京都新聞は共同通信社から
配信される温暖化情報は大抵拾うわけです。それから、我々もいろんな機会があれば、各県など他
の地域の方々からみると、3倍か4倍ぐらい情報は多いのではないかと思います。まあ、誰もがこ
んな気候が変わるとおかしいということを、不安たまらず書いているという状況になっている。そ
のツバルですが、人口一万一千人か二千人と、本当に小さなこの町ぐらいのもでありますけども、
そこで皆さんがですね、ツバルの町の中なのです。これ海じゃなく町なのです。町。満潮の時に下
から水が来る。上から雨が降るのではなく、満潮時に下から水が湧いて、潮が引くと、また引いて
いくのだそうです。月に2回、上がって下がっている。一番ひどいときは膝とか膝上の辺りまでく
るのです。下から来るのは塩水ですから、農作物も育たなくなってしまう。そんな何とも言えない
状況になっている。もちろん海岸線も浸食されるので、これでは住んでいられないということにな
って、悲鳴を上げている。もうこのまま島民ごと全て、環境難民として移住するしかないという、
政府としての方針もありますが、なかなか受け入れてくれる国もありませんので、経済力のある人
が今、少しずつ移住をしている。外国でも暮らせる対応力のある人は移住するけれども、それので
きない人は残っているという状況であります。先般のアジアの推進国 の主賓が集まられたときも、
先進国は温暖化対策をちゃんとやれ。アメリカやオーストラリアは特にしっかりやるべきだという
丹心を明らかにするように、だんだんと非難してきています。本当にすごい話ですね……もう大変。
これは、先ほどのIPCCのレポートの中にもあったものですが、この矢印のある茶色い線が、こ
れから100年、200年かけて、世界全体で温室効果ガス、二酸化炭素の消費量というか排出量
をこれくらい大きく減らしても、気温や二酸化炭素の濃度が安定するには100年も200年もか
かって、現在ではずいぶん高いところしか安定ができなくて、――緑の線が海面上昇なのですけれ
ども――それでも海面の上昇は、何百年も続くということです。どーんと減らした状況下におかれ
ても、ずっと海面上昇は続くわけですから、珊瑚礁の島々の水没は、何百年単位では確定している。
その間にどういう方向に逃げるかという課題や、受け入れるかを考えないといけない。そんな悲し
い状況になっています。こういうものの考え方というのは、どうしたら私たちに、これは大変だよ
と分からせられるか、いろいろ工夫をして減らせるといいなと思いますが、これが地球の未来だと
いうことです。ここに黄土色で示してある二酸化炭素の排出量ですね、このように地球全体に減ら
すということを目標にして、京都議定書というものを議論されたわけですけども、途上国の要求を
のみながら、このように本当に減らしていくことになっていくのか?
これはしっかりやらなけれ
ばいけないですけれど、自然にはできてこない。よほど意識的に意欲を持って取り組まなければで
きないということ。日本でもいろいろ温暖化が進んでいますというか、あしたもそうでしたし、皆
様、この町の中でも、住んでいる周りでも、これはおかしいということにいっぱい気づかれること
があると思います。私たちもこういったものを集めて「進行する日本の温暖化」という、パンフレ
ットをまとめていたりします。いろんなNGOで、こういう活動をしています。できるだけ定点観
測的に固定終年していれば、この先、本当に大変だということをより明らかにできるだろうという
ことです。こういう観測を皆様の地域でも、是非しっかりやっていって欲しいと思います。この温
暖化に対してどうするかというと、温室効果ガスの排出量を、このまま増やすわけにいけない、減
らさないといけない。それを地球規模で減らさないといけないから、地球規模で話し合いをしなけ
ればいけない。
「頑張りましょうね」、「みなさん努力してくださいね」と言っているだけではだめ
なんだ。ちゃんと目標を決め、しっかり実行するという仕組みでなければいけないということです。
地球規模で減らすにしても先進国から。その先進国に、日本はもう既に入っているということです。
日本、アメリカ、ヨーロッパなどの先進国から減らすということは、不可避である。ということは、
日本の暮らし方を変えることは不可避であるということです。それを実現するために、こうすれば
減らせるじゃないかということを、今、NGOの立場から示していくということが、非常に重要に
なってきていると思います。対策をとらないと減らないですよと思いながらもやっています。
これから日本と世界の排出量などを示していきたいと思いますが……ちょっと順番が……どこ
かいって……抜けてしまったものですから、この通りいきますが……排出量からいきますと、世界
の排出量といいますとアメリカが4分の1を占めていますから、大変な国です。今、先進国で6割
ぐらい、途上国でその残りの4割ぐらい。国の数でいって、途上国は120ヶ国、先進国は40ヶ
国。150ヶ国くらいということ……150ヶ国以上ありますか。先進国というのは43ぐらいと
いということですが、人口比でいうと遙かに多い。これが先進圏地区サミットのころに出たもので
すけれども、世界の人口の2万人の人たちが、世界の国の8割を使っている。世界の2割の人が8
割は排出していると考えてもいい。こういう割合は途上国が大きくなっていると思いますが、こう
いう地域に差があるということ。日本は、第二次世界大戦後すぐは、まだ真ん中、このくらいの位
置ですけれども、今では一番上にいるということになるかと思います。一人当たりの排出量でも、
このような差がありまして、アメリカという国が本当に政策をしている国です。その政策を続けた
いというのか、京都議定書を聞いてあげるということですから、ほかの国として許されることでは
ないと分かっているようなことですけれども、継続があるからやってしまうということになるので
す。これは、「人間家族報告書」という中からデータを受けてもらったものを参考に入れたのです
けれども、先ほどの温室効果ガス、二酸化炭素がこの150年くらい急激に上がってきました。一
人当たりの排出量で、アメリカやヨーロッパなどが800年代からだんだん豊かになってきたのに
対して、日本は直角的に、戦争開始潰散期後ぐらいに、急激に一人当たりの GNP が、急加速で驚異
と言えるぐらい豊かになった。そのために、たくさん公害を生んだということになります。今、途
上国に東南アジアなどが、それなりにフォローしつつあるわけですが、またすごい時代がきて好判
断したと感じるものであります。問題はこの線の延長線をそのまま、これから次の50年、100
年あると考える人は、よもやいないでしょうということです。これはやっぱり変わっていかざるを
得ない。これは日本の経済は、どうこれから一定期間させるのかという課題にもつながるというこ
とになります。下手をすれば暴落をするかもしれません。そんな国の市場絵を元に地球規模で取り
組みをするということですから、地球規模での交渉をやろうということを、もう10年以上続けて
きています。99年の地球サミットで温暖化会議と気候変動枠組み条約というものが係りとになり
ます。これは努力しましょうねと言うのが枠組み条約ですので、その上にしっかり守るべき約束と
して、その国がどれだけ責任を持つのかを決めるものが、京都議定書の構想であります。97年春、
先進国はそれぞれ割や数値目標を定めることになります。そして昨年、この京都議定書を発効させ
るための準備が、文書的にはようやく整ったということであります。これが昨年の夏から秋にかけ
てドイツのボンとマラケシュで合意ができました。すったもんだして日本は嫌だったんですけれど
も、なんとかアメリカのようにやめたということにはならないで、屈しながらですけれども、非常
にわがままも言いながらなんとか実行になった。本当は今年、この京都議定書が発効できるように
ということでしたが、あとロシアが批准をするということと、フォーラムのだったかどうか、ルー
マニアだったか、そのあたりが続けて批准をすることが必要だという状況に今なっています。東欧
の大洪水が激論でしたけれども、これに対してドイツのトリッティン環境大臣は「これは温暖化の
影響だ、温暖化対策をだからやっぱりやらなければいけない」と。こういう会議を私たちも参加し
て、議論をしていました。このような国連の会議をマルチ交渉と言っていますが、二国間というか、
AとBという国の話し合いというのではなく、多数の国の間の調整をしています。多数の国の調整
をするだけに秘密政策スタンスを思わせる話は混乱するので、できるだけ透明性を保つという姿勢
ですし、誰をもそこに参加をさせるという仕組みを割と早く取り入れたので、私たちが割と参加を
しやすいし、状況が分かりやすい。日本の政策決定、国会で審議を開く方がよく分かるという感じ
であります。非常に複雑な交渉で、広い口論点がありますから全部一緒くたにして交渉すると、決
まらなければ何も決まらない。まず何を決めるかという交渉のテーマを決めるのに2年くらいかけ
て議論し、それをあと2年くらいかけて中身を議論するというように、論理的というか、そういう
形で積み上げていっているので、何となく動いているということが言えると思います。日本の国会
の場合は、こんな話をしているかと思えば、次の人はしゃべっている。いつまでたっても、いつも
ごちゃごちゃということになって、これは使命的じゃないと、そういう交渉みたいな序発でなくち
ゃいけないというので、国連の事務局も相当指導的な役割も持ちながらやっている。こうした動き
の中に後方の問題は科学者の役割はすごく通常と違いまして、IPCCの科学者たちが世界規模で
定点的な要求をしていますけれども、5年ほど前に科学者が参加されて、こんな分厚いレポートを
まとめて出してきています。そこで、こういう状況があって、だからこういう対策をとることがで
きそうだ、こうすればこういうことができるという報告を出すことが、国際会議にそれなりに具体
的に直視をする役割やモットーを与えてきているという成果が、何となく分かるかなと思います。
国際的にまとまりができること、合意ができることが日本の私たちの内閣という政策を少しずつだ
けれども後押しをしています。こうした科学者や国際的な動きがなければ、日本だけで国内的に独
自に温暖化対策を取ってくださいといっても、多分ほとんど何もできあがってこない。そうすると
不満の形もないだろうし、その懸念もない。推進や先達面では、やっぱりヨーロッパ、EUが中心
といえる。交渉をまとめてみると3つぐらいのグループに分かれていまして、日本、アメリカ、カ
ナダ、オーストラリア、ロシアというと太平洋囲む国々、――アンブレラグループ――こうもり傘
のように見えたのかと思うのですけれども――これらの国々は、どこも排出が増えている。ロシア
は少し減っているけれども、アメリカも日本もオーストラリアも増えていますし、減らすのは良く
ないことだと国の中で考えている。排出量が増えることは経済が発展していることであって、それ
は変えるわけにはいかないという状態で批准をする。減らすということに抵抗がある。ヨーロッパ
の方は減らさないと地球が保たない。自分たちも減らすから、みんな一緒に減らそうということを
言っている。南の国々は、自分たちは余り出していないのに被害を受けているんだから、先進国は
もっと減らせという要求がありますし、自分たちは先進国の10分の1とか、100分の1しか豊
かさを持てていないのだから、もっと真っ当に暮らせるためにはもっと暮らす排出効果はかからな
いんだという要求が上がっているという、三つ巴であります。その途上国の中でも、ほんとに珊瑚
礁に沈みそうな島から漁をして住む島から逃げる国まで、いろいろあるということですから、大き
な一般の議論というときは何とかまとまったのが、だんだんと具体スタンスになれば、それぞれ国
と国の言い分を言い合い、ぐちゃぐちゃになってくる。だんだんと確論に入って、具体的な政策を
議論しながら地球規模でという方向になっていくというのは、大変大きなリーダーシップがいると
いうことになります。ここにNGOが地球規模で子供たち、あるいは、南の人たちに過酷なことに
ならないようにという、監視役をしていること。ただ、日本の場合は国際交渉が進むことで、日本
の政策を動かしているという説明。そこから中に入っていく。国際交渉とか外交交渉をしているの
ではなくて、まさに日本の中の政策をどうするかという議論をするというつもりで、私たちは生き
ていく。セッションは条約にせよ議定書にせよ、日本は批准をするということは、まさに日本の国
内の法律と同じことなんです。日本の法律をここで作っているという意識で動いています。ここに
日本のNGO――ささやかなパンフレットのようなんですけれども――と、世界からCANと呼ば
れているNGOの集まりが集まっています。世界から200人ぐらいいつも集まって、大変精力的
な活動をしていまして、情報量は豊富で、なかなか継続的発信力も大変あります。行動力も発言力
もあります。NGOにせよ、政府にせよ、関わっている人の個性というのは、すごく大きな要因が
あります。小さな組織であればあるほど、その人の個性は強く出るわけですが、政府でも同じこと
ですけれども、そういう意味で危うさであったり、あるいは非常に大きな展開ができるべき要素で
もあります。これは排気というの会議場での持つのデータを、英語の方はサミットさんが出してい
ます。日本語の方は私たちが日本に向けて出していた。毎日こういうものを作るというのは、記者
で、レポーターで、外交やって、ライターで映写機係というような生活。私たちは体力ないですけ
ども、ヨーロッパ、アメリカの人たちは、本当に体力がある。2週間本当に寝てないと思いますけ
れど、何とかやっている。これは体力が自慢だったのでしょうが、すさまじい活動をしています。
これは京都会議の時 に私たちは、 毎日こういうデータを作ってやっていましたよということです。
大平さんはここの編集長だったと思っている人だったということですが、京都会議の最後の日は、
もう議定書はできないかもしれないという、非常に息を必ず、ウィットをとばして気候というニュ
ースネタをしていたんですけれども、このときは個人の存在を変えていきというようにしてですね。
なかなか日本のNGOは、こういうユーモアのあるNGOですとか、まあ、大分勉強したかなと思
います。これは京都会議の時の風景ですけれど、ここにNGOの記者会見もやっています。このよ
うにたくさんのジャーナリストが集まってNGOがどう見ているのかということに注目をする。そ
れだけの役割があったということになります。それから、NGOに情報力を示す、一つの勢力とい
うことで、交渉会議で最近は個性を交えていって、ブラックユーモアですけれども、本日の化石シ
ョーというプールをやっていたんですね。交渉場面で非常に相手を引っ張るような発言は 比較によ
り、三役毎日どの会議で、どの国の人が、こういった発言をした。これはこういう意味で問題があ
る。というように全部具体的に理由を振って、それはこういう座席表を利用するというようなとこ
ろに、出しております。これは大抵、我々はちゃんと見ていますよ、それの判断は批判を受けても
変えられるようになっていますよということを示すわけです。これを何で示したのかというのは、
毎日エコーで出しているということであります。こんな仕事をできる人たちは、本当にすごいと思
います。日本の人たちと外国の人たちの違いは、彼らは全部それがプロなんです。それが仕事なん
です。24時間そのことを考えています。日本から行っているNGOは、ほとんどが課外活動です。
私も弁護士で京都議会というところでやっているわけです。経済力がないので、本当にこれを仕事
の一つ――職業としてやれるということは、ないわけです。一人、二人、三人も雇用ができないの
です。彼らのところには100人も200人もいて、やっぱり弁護士をやっているのですけれど「私、
法廷になんか行ったことはないわ」という弁護士ばっかりなんですよ。最初からNGOの仕事をし
ている。それがヨーロッパやアメリカ社会と日本社会の資本参加の違いなのです。これはすごいで
すね。ここでやっている人はメッシュのメディア担当の人なんですが、ほとんどこういう言づけに、
要はテープを買ってくるだけが仕事でやっている人ですが、ご紹介しましたけれども、まあ、こん
なこともやっていました。これは京都会議のときに、若い人たちも関心があって、そういう方が集
まってJRウィングという京都の素敵な所の前でしたけれども、こういう一般の方も参加するよう
になった。ボンの会議では、ノアの箱舟をちょっともじって、このままじゃみんな箱舟に乗って逃
げなくちゃいけないというのを作ってみたり、氷で地球を作って、だんだん会議中に溶けていく。
皆さんゆっくり会議をしているから地球が溶けますよという感じですね。こういうのも素人がやっ
ているよなものばっかり非常に経済力のあるということです。そういうようなことで、京都議定書
がなんとか採択され、二酸化炭素など温室効果ガスを、2008年から12年を第一約束期間とし、
その間に先進国全体で5%減らす。そのあと5年ごとに第二約束期間、第三約束期間として、それ
ぞれの国の目標を決めるということがプログラムに入っているのです。しかし、この目標は少しデ
ータをきかせましょうということも入っていて、森林などが成長をして吸収をするという部分を目
標の中で勘定していくことを認めましょうというのも入れています。どんな計算方式をとるのかと
いうと、3年間削除したうえ、日本が大儲けをしたというか、世界からボーナスをもらった結果で
すね、マイナス6%がマイナス2%くらいに下がるくらいに頑張っております。ヨーロッパはそん
な不見識なことは自分たちは今はしませんという守るべき務めを示している。日本のような計算方
法は採らなかったということです。アメリカは、私は抜けたと言ったものですから、まだ言及は分
からないです。アメリカが日本と同じくらいで森林の吸収量を計算しますと、マイナス7%はプラ
ス8%ぐらいに回復できる。そんなマジックがこういう外交交渉の中にはあります。さらに国際的
な取引制度とか、制度を見直す動きがある。何としても守らなければいけない約束ですよというこ
とで、数字を決めたということがいえます。日本がなぜあんな大きな力を持てたのか、わがままを
通せたのかというのは、京都議定書を発効させるためには、先進国の90年の排出量の55%を占
める国が批准をしなければいけなかったわけです。アメリカだけで3分の1以上占めるものですか
ら、アメリカとオーストラリアが抜けますと、あとヨーロッパ、東ヨーロッパにロシアが加わって
も、日本が参加しないことには、京都議定書は絶対発効しない。そこで日本は精一杯わがままを言
った。
「皆さん、私に入って欲しければ、私の言うことを利きなさいよ」と、こういう交渉をした
のです。これはあまり品が良くないことは、言うまでもないことです。非常に私たちはそういう交
渉の場にいまして、世界から見られるわけです。日本にいたってすごくよく分かる、全然違います。
ほかに東南アジアの人から中国からこの島で日本人しかいないわけですよね。みんな顔を見て、日
本の文化というか、品位というのは、こういうと見られていまして辛いねと言っていたことであり
ます。日本の状況を見ますと、日本は90年からこれまで、およそ10%増えているわけです。減
らすというところと増えてマイナス6%だから、現在から十何パーセント減らさないと京都議定書
の5%にならない。一割以上減らさないといけない。何とかやらなくちゃいけないと思っている人
が、ここに許される状態、何とか自分の責任じゃないなと、そういうことをしなくちゃいけないと
思っている人を数える方が難しいというのが実状です。これが大変だなと。まあ、まだまだ浸透し
てないなと思うわけです。どこから減らせるかというときに、日本の排出量の9割が二酸化炭素、
エネルギーを消費するというところから出ている。環境部門、清掃業から約4割出ている。電力変
換形わけても半分は製造部門から出ている。愛媛県はその割合がもっと多いんだそうですよ。約6
割ぐらいある。工業圏が豊かな国会を財政としては、それはなかなかということです。それから2.
5倍という部分は家庭だけではなく、こういうオフィスのような所、会社の 機能、デパートやホテ
ルという所もあります。これはかなり増えていますが、今までが相対的に低かった。アメリカ、ヨ
ーロッパから見るとやっぱり低くて、だんだん民の部分でになりたいということになりつつある。
まあ、贅沢をしつつあるということです。自動車の部門は本当にどんどん増えていて、これ以上自
動車を増やしたら、道をもっと作っても間に合わない、お金がなくて道も作れないというようにな
ってきているところですが、増えているといえば増えている。その自動車も民生も企業の活動に関
する部分が半分づつくらいありますから、ビジネスのベースで排出される部分というものは約8割
ある。温暖化にどう取り組むのかというときに、ビジネスの人たちがしっかり取り組む対策を対応
しなければいけないというのは、排出の元がここにあります。家庭の中でも、もちろん無駄なこと
はしないし、いいことをしましょう。それはあります。そうしたら理解される。こういう図が政府
の中から触れていますが、先ほど申し上げたような割付がこの中に示されている。それが各部門ご
との増加の傾向を示す。この10年を見ますと何かみんな横よこみたいですけれども、運輸は少し
上がって見えるかと思います。民生部門というのは、元は少ないので、1割増えたといってもあま
り増えたように見えないというところがありますが、微増といえます。産業部門は、経費で少し動
いたりしますが、大体横這いということです。愛媛県の場合はけっこう増えているそうですから、
何かこう原因も特定があると思います。何といったって製造業の排出は非常に大きい。生産活動は
ゼロにはできないわけですから、ここを1割減らすのと、こことここを1割減らすのでは、本当に
随分と効果が違うのです。日本の政府は議定書批准政策についてどうするかということで、今ここ
が政府の基本方針です。二酸化炭素はマイナス6ではなくてゼロでありますし、第一約束期間まで、
この短いのをさらに一気に改善して、2004年までは様子を見る。今までやってきたことを別に
するということですから、しばらく凍結という感じです。具体的な政策をしなければという人と、
こんなことしなくていいという人とが、今こうなっていて、どちらにもならないというか、何もし
なということになっている。全ての政策がそういう感じというのが、ここにも現れています。確か
にそれ以降に少しこいしゅうかぎょうに動いていた。こういうように関わっている 行政の方が指導
するとか、家電製品などはもう非常に競争で流通化を進めている。グローバルな世界的政策での競
争をしているという面もあります。本当はどこからどういう排出が出ているのかをしっかりと把握
することが一番のですが、産業界が一番嫌がっているのはそのことです。その中にこれですね定点
観測。環境整備については、税収が落ち込んでいるという面もあって、なんか出るところが下がっ
ているという側面もありそうな形という面もあって、少し動きつつある。それから地域では、こう
いう温暖化防止活動推進センターというものを都道府県に設けて、地域レベルでの活動ができるよ
うにすることを例を挙げて、愛媛県のここに環境土木緑化センターという所があると説明を受けま
したけれども、そういう形にも発展させていくことができるのではないかと思います。さらにもっ
と小さな地域で、消費者レベルで地域協議会という形で、具体的な取り組みができるようにしよう
という法律関係をもう一回具体的に考えてみます。これはちょっと余談なんですけれど、世界規模
で見ていますと、日本は何で増えるのかと考えてみたときに、日本で最も世界に引き離しているの
は、日本ほど自動販売機の多い国はない。どう考えても、何でこんなに多いのかというほど多い。
それから、こんなにコンビニの多い国はない。こちらはどうでしょうかね?
もう、京都なんかは
100メートルごとくらいに建っていまして、コンビニが夜中中、こうこうと電気をつけています。
それから、もう30年、40年、家を建てては潰し、建てては潰しをして、そのゴミを出している
というところ。日本ほど駅前にサラ金がある国はない。本当にそうなんです。ヨーロッパ社会と日
本社会の違いは、そのサラ金があるのとないの。大体あんな高金利を取るのは違法になっているわ
けです。市場金利の1.5倍はというと違法になるというような国と、まあ、弱いところからしが
らみのないところからどんどん通達するという、非常に途上国の姿に似てい るということがいえる
と思います。それに対して、消費者や環境問題ということを防止政策方針で、なかなかこれは効果
しかなくて、心が入っていない、意識よくがないというのがいえます。市民の声を還元させるとい
う仕組みが、参加とかパーソナルシティとか言いますけれども、実行したことがないというのが上
から下まであります。NGOはしっかり仕事をさせようという制度があります。何たってNGOは
お金がない。なくて当たり前、本当にないんだからないということしか言わなくて、もっとしっか
りやらなきゃ、こういう税金制度を変えようというのが一個も進まない。ということは、変えよう
というようにはなってない、これでは日本の経済も環境もだめになるだろうというのが、この町は
形しかないなと思うわけです。しょうがないなと思います。NGOからは6%削減できないよ、逆
に増えたらいきますよ。私たちの6%削減提案というのをやっている。 こういう風景も、日本に
もあちこち躍進しましたが、京都会議の前には全くこんなことは想像するのもできなかったと思い
ます。これが、こうして回っているということになる。あるいはこれは本当に風の影響を受けます。
こういう田園風景に建っている。これが普通に建っているというところです。これは風力発電の2
001年、夏の状況ですが、政策的に風力をもっと拡大しようという政策を取るのか、やりたい人
はやるというぐらいにしておくのかによって、こういうように変わってくるということがいえます。
それにしても10年前はもっと同じだったんです。10年間でここまできて、今、急上昇している
ということです。こういう木屑材とかいうのも自然エネルギー中では、こういう議論もしてくるよ
うになりました。京都でも、けっこう山が多くて、木屑ストーブを町の中でも家の出てきて老朽す
る材料を使う、供給していけるだろうかという議論を、グループを作って、それにシンクタンクと
いって覚えて。シンクタンクって、いわゆるシンクタンクと思いますとそうじゃなくて、炭に黒と
書いてタンクと読む。シンクというのは何かキュウシュウして、何かそういうように当て字を作っ
て、そういった現状グループがこんなことをしていたりします。これは何かやらなくちゃいけない、
風力発電を作るだけで大事業になるわけですが、いろんなことがあります。日本とドイツの調査で
は、日本人は、知識は十分あり、勉強もするのだけれど、それは知識にとどまって、行動をする人
は非常に少なくなっている。ドイツの人は正確な知識があるかどうかというような前提は、少し後
ろの方に天とられていても、何か行動しているという人が多いという人が出てきています。日本で
これから大事なのは、ただ勉強するという教育だけではなく、具体的に行動をする。一人でできる
こと、グループでできること、いろんな人たちと一緒になってできることがある。それを考え、作
り出して行動する。それが大事だということを思っています。一人でもできることを助けようとい
うこともあって、皆さんのところにお配りしているレジュメ――家庭の中でどう減らすかというの
を考えるとき、一つは、電気製品は非常に大きいですから、端的に言えば、電気製品を買うときに
電気代の安いものを買う。それが消費に対して少ないものを買ったことになるということになるわ
けです。それとか概して買うとちょっと高いのですけれど、5年、10年使うということを考える
と、その方が安いということも示しながら、環境キャンペーンをやったりしています。テレビや冷
蔵庫が良くなりましたといっても、その分非常に大きなものになり、けっきょく熱量としては大き
なものになっている部分もあります。そういう点でエネルギー効率が良くなったという、統一規格
だけではなく、やはり絶対量でみないといけない。企業がやっているのを企業秘密しながら影響を
カットしているということもあります。これも本当です。
これは住宅についてですけれども、いま私たちは、家庭の中の排出を考えることなく家の造り方
が一番です。家を造るときに省エネ形に造るということ、それから長住用形に造る、長く 造る。こ
れが全てです。そして部屋の中で電気を使う時間を減らしましょうといったことや、エアコンの温
度だとかいう。何年かに一回、建て替えというときの情報がしっかりと分かるようにすること。日
本のように30年で家を建て替えていたのでは、何をしても無駄です。エネルギー的にも、ゴミを
減らしていくことも。最近、100年住宅というのを言うようになりました。100年住宅であれ
ばあるほど、きっちり最初に地震にも強い要素と共に、省エネ形に造るということが重要です。そ
のために費用はもう少しかかるかもしれない。それをどう調達するか、どうサポートするかいうこ
とを考えるのが経済ですねということです。そういう長住用形のものを蓄えていくことで、三世代
ぐらいにわたって時代を共有することができる。そして初めてヨーロッパ的なものに近づいていく。
日本のように二世代ローンを組んで一世代で契約をするみたいなことをやっているようでは、一生
懸命働いても、ただただ家のために働くだけになってしまうということを考え直そう。こういうと
ころから考えないと、本当に長い目で日本の政策改革もできないし、社会もまわっていきませんよ
という議論もしています。いい政府が家造り、あるいは家の修理の仕方、その上で住宅の使い方を
考える、こういうことで、政府ビラのパンフレットでいつも使う時間を減らしましょうということ
しか書いてない。これも大事だけれども、根本的なところをやれるように、どうサポートするかと
いう議論も必要。それをもっとさらに進めれば、エコシティ――住みやすい町・みんなが満たされ
た町をつくるということになる。大体、住みやすい町・美しい町・いい町というのは大変エコロジ
ストな優しい町。そういうことに強くなるようにというので、京都議定書の発効のためにしており
ました通信簿というところのために改訂をいたしまして、地域協議会というものを設けるという項
目が入りしました。しかし、それが入ったから、どんなメリットがあるのかというと、何もないの
で、それは何かということで終わっていますけれど、ここで言わんとするのは、市町村の人たちも、
各企業も交わって具体的にクロゼットペースでいきましょう。さらに最近はどうも今回各所の予算
はそれから削減政策で一人当たり50円なんですね。ちゃんと買い取りますよと書いた制度をつけ
て、NGOの活動を支援しているというようにみるか、取り組みを加速させようとしている。こん
なこととも少し絡めようとしているようにみえます。お金が全てというわけではないですけれども、
お金がないと活動もできないという面もあります。そんなことが大きく取られています。要は勉強
するという段階から、何をやるか、どうして実際を減らすか、減らすことが長い目で見て地域社会
に貢献するか、それがいま問われてきている。これは、一般の若い人たちのが京都の北の方で、こ
んなことをやっているんです。こういう新聞の、私はこんな難しいことできないですけど。これは
宮津市という京都の一番北の端、天橋立のある町の環境担当の職員さんです。彼はなかなかユニー
クな人で、この地域の夫婦や若い人たちですけれど、子供たちの教育を実際、現場を見てから、教
育に環境教育をやっているところに市役所の人が来てやってこういう形には、教育も少し変わりま
すよというようなことを、これは京都の南の方の町で、幼稚園の園長から園児も何とか地域活動を
したいと、お母さんたちと一緒に考えているところに、お手伝いの若い人が集まって、一緒に何が
できるかという相談をして、幼稚園に太陽光発電所を造ってやろうというプランになったのだそう
です。もう時間がないんでかいつまんで言いますが、こんなことができる、あんなことができる、
地域にコミュニティーバスを回して、車に頼らない町づくりをやろうということをやっていますと
いうのを紹介して、これから都道府県がいろんな防止センターを作り、さらにそのセンターは行政
が作るのではなく、NGOとして作る。市民が中心になって、そういう施設を使って一緒なってや
って、そういう人たちがサポートして地域の協議会を作っていく。さらに従来の市民団体や農協、
特定のいろんな団体の人たちとも、即つながりあえる形をして、今まで温暖化を考えなかったよう
なところにも問題を取り組んでいってもらう。まず、そういうことをつなぎ合わせる役割ができる
ような都道府県センターを、京都でつくろうじゃないかという議論を、今やっているところであり
ます。京都府も京都議定書の京都なのだから某かやらなくては、と少し言っているところです。こ
ういう議論から始まり、某か動いてきています。これからまだまだですが、どうすれば本当に築か
れるのか、まず、行政は市民を信頼しなくてはいけない、市民は最初にされているということであ
ります。そのために市民が現実のできる体勢というものは、やっぱり一つはお金、それにつきると
いうことです。その上、力を持った市民が、ただただ横に置かれるのではなく、生かされる仕組み
というものが政策の中にいることが必要だということ。何かちょっと一人で長く話をしすぎました
が、もう3時を過ぎてしまいましけれども、ここで少し休憩を取らせていただいて、あとでちょっ
と意見交換をさせていただくと。長い時間ご静聴ありがとうございました。
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