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アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年

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アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年
―私立和光小学校での実践―
8 月 2 日(金)13:30∼15:00 東京会場
講師
平野 正美
学校法人和光学園 和光小学校主事
ただ今紹介していただきました和光小学校で教頭職をや
っています平野と言います。教頭職というのは、実践の場
から離れているものですから、日ごろ、特に私立の小学校
なものですから、あちこちで子どもたちがかける御迷惑に
対して、ごめんなさい、ごめんなさいって謝りに回る、そ
ういう仕事をしたり、あっちで雨漏りがするとか、こっち
の床が抜けそうだとか、そういうことを一生懸命やること
の方が多くて、子どもたちと関わることは非常に少ないの
で、今回、お話をいただいた時にも、どうしようかと迷っ
たのですけれど、せっかくいただいたチャンスなので、お
話をさせていただこうと思ってやってまいりました。
それでは、パソコンが余り上手に使えませんので、手書
きのレポートをつくりましたので見てください。
タイトルを「
『本物の体験』を求めて アイヌ文化を子ど
もたちと学び続けて 20 年−小さな私立小学校での実践−」
というタイトルにさせていただきました。
1 番目の項として、
「生活まるごとを学ぶ」
、それがアイ
ヌ文化の学習だという、そういう視点に、今、和光ではや
っとたどり着いたかなというふうに思っているところです。
「
“人間の差は体験の差”です。本質を育んでいく、今まで
もこれからも尽きることのない道程の中の『本物の体験』
を創る。
」という言葉は四角で囲んでいます。
私立小学校ですから、やはり、子どもたちをたくさん集
めないと経営が成り立たちません。この間も大学が 1 つつ
ぶれたというニュースが流れましたし、定員に満ちていな
い大学が 30%ぐらいあると聞いています。そういう意味で
はこれから先、私立の学校、独特の教育をしようと思って
いる学校が経営難に陥っていくという中で自分たちのやり
たいことができなくなっていくという危機に、私たちは直
面していると考えています。
そういう中で、和光という学校が、どういう教育をしよ
うとしているかということを強くアピールしていくという
ことがすごく重要なことであります。それは単に言葉の上
ではなく、教育の中身においてアピールしていけるような
学校にしていこうということで打ち出してきたのが、「人
間の差は体験の差」という、この言葉に凝縮されているこ
となのです。
今年度のポスターをどういうものにしようかと、この夏
休みに入ってからもずっと考えているのですが、その一つ
の候補がこれですね、
「本物の体験」という。ただ、これは
見る人が見ないと何のポスターなのか分からない。本物の
体験は分かるけど、後ろで子どもが何をやっているのかと
いうのがよく分からないポスターであることは事実なので
103
すが、子どもが自分で刺したマタンプシとテクンペをつけ
て、帯広の「ロホンナ・リムセ(棒の踊り)
」を踊っている
写真です。私たちとしてはこういう写真で世間にアピール
していけるような学校にしていきたいと思っています。東
京の私立学校の中で、このアイヌ文化というものを 1 つの
単元にして扱っているところは他にはないと思います。北
海道へ行けば、さまざまなアイヌの文化の学習が行われて
いますが、約 20 年近く、東京でこうしてこつこつと、やり
続けている学校は珍しく、そこをアピールしたいのです。
ただ、まだ世間一般の認知するところにはなっていない。
その意味では、こういう場に出てきて、こういうことをや
っている学校があるんだということを知っていただくこと
が、非常に重要なことかと思っています。
私たちの学校の教育構造は一言で言いますと、算数、国
語、理科、社会などの教科の教育と、それから公立小学校
でいうと生活科に当たる 1 年生、2 年生の生活勉強と、3
年生から 6 年生の総合学習、それから自治文化活動、この
3 つの層が重なり合って子どもたちの教育をつくっていこ
うと私たちは構想しているのです。そして、子どもを間に
挟んで、親、教師、三位一体と言って、小泉さんの三位一
体とまた違って、三者が本当に力を合わせて、未来を担う
子どもたちに必要なことを必要なだけ身につけさせていこ
うということを親とともに一生懸命やっていこうというこ
とを理念にしております。そして、それらの各領域や分野
を本物の体験で貫こうと、そうすることが、これからのこ
の国を真に支える子どもたちを育てることにつながってい
くのではないかと考えているわけです。
今、私たちが 1 時間 1 時間行おうと思っている授業は、
本質に迫る授業ということをテーマにしています。本質に
迫るためには、本物の体験がどうしても欠かすことができ
ないということで、
「本物の体験」という言葉が浮かび上が
ってきているわけです。その本物の体験という言葉の中の
1 つの教育に、このアイヌ文化との出会いがあって、20 年
かかりましたけれども、その本物の体験という言葉につな
がる実践をやってきたのではないかと思っています。本物
のコト、モノ、ヒトとの出会いの中でこそ人間が自分の人
生を生きていく上での本当の力が育つ、それを教科教育、
生活勉強、総合学習、自治文化活動の中で育てていくのだ
という大きな方向性が確認できています。
公立小学校では、2002 年に指導要領が改訂され、総合的
な学習の時間が入りましたけれど、結局、現場の教師が何
をやっていいのか分からない、親からも、ゆとりの教育と
いうことで本当に学力がつくのかという不安の声があふれ
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
てきて、中山前文部科学大臣も見直しが必要と言っていま
す。2006 年からまた文部科学省で計画をつくり直すという
ことにはなっています。私たちはそういう揺れには動じま
せん。それは、アイヌの学習も含めてですけれど、1975 年
に始めた総合学習、
もう既に 25 年がたっているわけですが、
その総合学習の中で育つ子どもたちの力というものが、や
はり、これからのこの国を支えていく人間を育てていく力
とつながっているというふうに確信しているからです。
この間、国際的な調査で、フィンランドの学力が世界一
で、日本は総体的に地位が下落したということで、教育委
員会も非常に慌てて、この 1 月に、中学 2 年生と小学校 5
年生の学力調査というのを一斉に行って、その結果を、7
月でしたか、新聞紙上においても発表しました。区、市ご
とに 1 位からずっとランクをつけての発表です。区、市ご
とに競わせる中で学力向上運動という方へと走ってきてい
るわけです。ということは、今までやろうとしていた総合
学習や生活勉強の中で、教科ではくくり切れない、まさに
このアイヌ文化の学習なんていうのはそういう分野の学習
だろうと思うのですけれども、そういったものを切り捨て
ていく方向へと今また変わりつつあるわけです。その意味
で、私たちは、本当の学力というのはどういうことなのか
ということを、6 年間の子どもたちとの学習の中で考え続
けていきたいと思っています。
その中で、このアイヌの学習、アイヌ文化の学習という
のが、特に 1 年生、小学校生活一番初めのまだ未文化な、
理科系分野、社会的な分野、そういった算数や国語にして
も、本当にまだ未文化な状態の子どもたちへの文化学習と
して非常に力を持っている教材だと思います。学校ですか
ら「教材」という言い方をしますけれども、
「教材」だと私
たちは考えております。もう少し後でそこは詳しく話して
いきたいと思います。
どうしてそういうふうに考えるかというと、生活勉強で
学んだことが、3 年生以降、3 年生では蚕を飼っているので
すが、世田谷の町の中で蚕を飼うというのは非常に大変な
のです。桑の木がどんどん伐採されていますし、東京農業
大学や、
それから馬事公苑まで桑をもらいに行かなければ、
桑の葉が手に入らないということもありまして、それを集
めてくることも子どもたちの大きな仕事になっています。
だいたい 2,000 頭から 3,000 頭ぐらいの蚕を飼って、最後
は糸取りまでして、ランプシェードのような形で、1 つの
製品を作るところまでやるわけです。子どもたちは、一頭
一頭名前をつけて本当にペットのようにして飼い始めるわ
けです。でも、最後のところで、でき上がった繭を煮てし
まわなければならない、殺さなければならないのです。そ
の意味では、自分が大事に育ててきた蚕というものは、ペ
ットではなくて家畜だったんだという、人間の生活に生か
すための知恵の中で生まれてきた家畜だったんだというこ
とを、そこで初めて知ることになる。それを自分の手で殺
さなければならないという心の中でのせめぎ合いみたいな
ものを 3 年生で経験するわけです。最後に、それがきれい
な糸になるという蚕の勉強を 3 年生でやります。
4 年生は多摩川学習をやります。多摩川の最初の一滴、
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みずひというところに行きます。本当にぽたっぽたっと一
滴一滴、それしか水が垂れないところです。ついこの間、
夏の合宿に行ってきました。多摩川は河口まで 138 キロ流
れています。なぜ、あの最初の一滴が、大きな多摩川にな
って、それが海に注いでいくのかという、その初めから終
わりまでをすべて見せようということで、子どもたちとそ
ういう学習を組んでいます。1 学期の間に 3 回、下流域、
中流域、上流域へ行って、多摩川に棲んでいる魚たちをた
くさんとってきました。
河口へ行けばカニをとってきたり、
ちょっと見たところでは、非常に汚い川だけれども、その
中には本当に珍しい生きものもいて、ウナギまでとってき
ました。ギバチとか、ヨシノボリとか、私たちがふだんお
目にかかれないような魚たちを子どもたちはとってきて、
多摩川水族館と呼んで教室に並べています。その多摩川を
学ぶことで、新しい展開ができつつあります。奥多摩の方
で「巨樹・巨木の会」という、森林をいかに守っていくの
かということを第一に考えた活動が行われています。この
会の中心に平岡忠夫先生という先生がいまして、この方は
日本全国を回って活動しています。この間は、御蔵島の子
どもたちと植林の大切さについて学習を深めるということ
をやってきました。私たちは、多摩川を起点にしながら、
人間が飲み水にするために、水と森林も含めた自然との関
係についてどういうふうにしていったらいいかということ
を、4 年生の多摩川というところで考えるようになってお
ります。子どもたちは実際に、胴回り 3 メートルから 7 メ
ートルぐらいある桂の木を見て、それを実際の大きさに描
いてみるとどういうことになるのかということで、縦 20
メートル、横 8 メートルの紙を用意して、そこに、日原森
林館の北山さんという方がつくってくださった特別製の筆
(大根の葉をつかって作った筆)や絵筆で、その桂の木を
描きました。これは、新聞でも取り上げてもらえたのです
けれど、それを今度学校へ持ってきて親たちに見せようか
と思っています。実際に自分たちが目で見たものを、ただ
イメージとするだけではなくて、自分の体でそれを描いて
みると、どのくらいの大きさになるのかということを体験
させてみたいと思っているのです。平岡先生も「自分もた
くさん樹を見たり描いたりしてきたけれども、こんなすご
い樹を見たのは初めてだ」とびっくりされておりました。
5 年生では「食」
、食べるということを中心にして、本物
を食べるということをやっています。去年の子どもたちは
ソーセージづくりやおそばをつくりました。今年はお麩を
つくるということです。いろいろな食材をもとにして自分
たちの力で本物の食べ物をつくるということを通して、現
代の食の問題にまで迫っていこうということで考えていま
す。
6 年生では、沖縄をやっています。もう 1 つのポスター
の原案なのですけれども、沖縄の盆踊り「エイサー」を踊
っているところです。6 年生は沖縄学習の一環でエイサー
を踊るわけです。
和光の子どもたちは、1 年生の時にアイヌの文化と出会
って、6 年生で沖縄の文化、そして戦争と平和の問題につ
いて考えて卒業していくという、ある意味では総合学習、
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
生活勉強を通した学習の中で、人間としてどう豊かになっ
ていくのか、自分自身を豊かにしていくのかということを
考えようと思っているわけです。
それぞれのテーマに沿いながら深い実践を展開していく
と、学習の底に流れているものが共通していることが私た
ちにも分かってきました。それは、自然とか人間とか命と
いうところに子どもたちの目を向けていかなければいけな
い、それも、本物のヒトやモノ、コトの中でやっていかな
ければならないのではないだろうかということです。
その意味で、1 年生でアイヌの文化を学ぶということは、
まさにその自然とか人間、命を学ぶ、その入り口に立つと
いうことだというふうに思っているわけです。
1 年生でアイヌの踊りをやったり、アイヌの刺しゅうを
したりしますけれども、必ずしも、アイヌの文化の学習だ
からアイヌのことに、コトを狭めていくというのではなく
て、逆にそこを出発点としながら命の問題へと広げていく
というふうに私たちは考えたいと思っております。
2 年生になると、誕生、自分がどのようにしてお母さん
から生まれてきたのか、その誕生をお父さんはどういうぐ
あいに喜んでくれたのか、おじいちゃんおばあちゃんはど
のように喜んでくれたのかというようなことを自分で聞き
取りをして、自分の誕生アルバムというものを作ります。
お母さんと一緒に添い寝していたころの話を聞いたり、初
めて「まんま」と言ったその最初の言葉をお母さんから聞
いてみたり。中には、仮死状態で生まれたお子さんもいら
っしゃるのです。その仮死状態のまま紫色になって、結局
間に合わなくて障害が残ってしまった、そういうお子さん
もいるわけで、そういう人たちの話をクラス全員で子ども
たちは聞くことになるわけです。最後に、お母さんお父さ
んから、自分の子どもへ向かってのメッセージを書いても
らって、1 冊のアルバムをつくっていくわけです。これは、
1 年生の時のアイヌの文化を学ぶ中で、命というところへ
つなげながら考えていく、そういう広がりの中で考えてい
こうということでやっているわけです。これも生活勉強の
一環なのですね。
それでは少し、1 年生のアイヌの文化の学習のところへ
と話をつなげていきたいと思っています。
3 ページの 2 番に、
「原初的な踊り」−「アイヌ古式舞踊」
との出会いと書きました。今でこそ 1 年生の生活勉強、秋
の 1 単元として位置づけていますけれど、そもそもは 1984
年の 2 年生での学級実践が始まりだったわけです。
この年、
私は 2 年 3 組を担任したのですけれど、当時まだ認定され
ていなかったアイヌ古式舞踊を重要無形文化財に指定する
ための調査、という文化庁の仕事で北海道を回っておられ
た日本民俗舞踊研究会の須藤武子先生との出会いがありま
した。その須藤先生から、今、アイヌの人たちと踊りのこ
とについての研究を深めているんだということを教えてい
ただく中で、静内の「イセポ・リムセ(うさぎの踊り)
」と
いう親子で耳をこうつくって、
「ホイヤー、ホイホー、ホイ
ヤー、ホイホー」と踊っていく踊りと「チャクピーヤク(あ
まつばめの踊り)
」という、
「チャクピーヤク ピヤ チャク
ピーヤク チャクピーヤク ピヤ チャクピーヤク」と 4 人
105
が交差をする踊りの 2 つを教えてもらいました。それまで
も私は踊りが大好きだったので、ただ、それは言ってみれ
ば「大和」の方の踊りで、太鼓とか笛とか鳴り物の中で、
太鼓を聞けば自然と、どんどこどんどこどんどこと、体が
自然と動いてきますけれども、アイヌの踊りについては未
知の体験でした。「チャクピーヤク ピヤ チャクピーヤク
チャクピーヤク」
、これをやっているだけで、体の中から何
かエネルギーがわいてくる、そういう今まで味わったこと
のない舞踊体験をすることで、しかもそこで扱われている
ものが、つばめとか、らうさぎとか、後からお示しますけ
れども、バッタとか、小さな虫たちや動物たちがみんな踊
りになっている、
その世界にびっくりしてしまったのです。
実際に 2 年生の子どもたちとその踊りをやってみる時に、
つばめになって踊るんだよ、なんて言ったら子どもたちば
かにするだろうなと思ったり、うさぎになるんだよって言
ったら、
「うさぎなんていやだよ」って言われるかなと思っ
たのですけれど、違いました。子どもたちは喜んで踊った
のです。何が子どもたちの心を動かすのか、格好だけでは
だめだと思いました。歌と手拍子で、もっと身近なところ
で教師と子どもたちとの間の中に流れていくものを伝える
ことで、子どもたちの体や心が動いていくのだということ
を私は知って、今まで、ある順番を覚えなければ踊りにな
らない「大和」の踊りとは全く違う、その場でまねをすれ
ばいい、その場で即興的に踊ればいい、何も形も覚えなく
てもいい、その場で心と体をゆだねればそれでいいという
即興的な、単純な踊りの世界を子どもたちと共有するとい
うことは、もしかしたら大人にはできないことかなと思い
ました。子どもだからこそすぐそういう世界に入れる。大
人になると、
いろいろなしがらみや頭の中の複雑な構造や、
何かが邪魔をして体を硬くしてしまうわけですけれども、
子どもたちは決してそうではなくて、自由な世界で遊ぶこ
とができる、そういう力を逆に大人からも引き出してくれ
る、そんな力を持った踊りなのかなと私は思いました。
アイヌ古式舞踊は 1984 年に国の重要無形文化財に指定
されました。その後、私は、札幌の小川早苗さんとの出会
いがある中で、本当に恥ずかしい話ですけれども、アイヌ
の差別の話も初めて知りました。学校でも習ったことがな
かったし、アイヌがこれだけひどい目に遭ってきた、これ
だけの差別に遭ってきたということについて知らなかった
のです。小川さんから刺しゅうの話だけではなくて、自分
たちが受けてきた民族的な差別の問題について話を聞かさ
れました。ちょうどそのころ、中曽根首相の「単一民族発
言」の差別発言があった時で、
「私も毛深いから私にもアイ
ヌの血が流れているのかもしれない」ということを国会の
答弁の中でしゃあしゃあと述べました。その時に、関東ウ
タリ会の方たちや全道のウタリたちが抗議の声を上げたわ
けです。私はその時、そういう問題がこの国にあるのだと
いうことを初めて知ったわけです。アイヌの文化を学ぶと
同時に、教師として学ばなければならないのは、そういう
民族的な差別の問題がこの国には横たわっているのだとい
うことについて、子どもたちと一緒に考えていかなければ
ならないということを小川さんとの出会いの中で感じまし
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
た。
そして、さらに私を突き動かしていったものとして、2
年 3 組と初めてつばめの踊りやうさぎの踊りを踊ったので
すけれど、2 年生の長谷川武宏君という子が夏休みに北海
道を旅行して、私もまだ小川早苗さんのアトリエを訪ねた
ことはなかったのですけれど、お母さんと一緒に小川さん
のアトリエを訪ねて行ったり、旭川に行くとチセノミがあ
るというので、そこへ出かけて行ってチセノミの体験をし
てきたり、札幌のおばあちゃんに、
「スンカイナー(ねずみ
とりの踊り)
」という、
「スンカイナー スンカイナー ハ
ーキナクース ハーラルソー」
、
お正月遊びみたいな踊りな
のですが、わなをつくって、そこにミカンを置いて、その
穴から手を突っ込んでミカンを取るという遊びがあるので
すけれども、そんなのをおばあちゃんから教わってきて、
それを私に教えてくれるわけです。
「先生、こういうのがあ
るんだよ」と。
「先を越された!!」と思って、すぐその秋
に札幌まで飛んで小川さんに会いました。でも初めは、ど
ういうふうに自分が思われるのかなと思うと怖かったです。
そのころ、ある意味で和人とアイヌとの間には緊張関係が
すごくあったのではないかと思います。今になってから、
よくそういう中へ自分が飛び込んでいったなと思います。
小川さんから「この若造、一体私たちから何を取ろうとし
ているんだろう」というふうに思っていたと後になってか
ら言われ、非常に失礼なこともいろいろあったのかなと思
いました。けれども、そういったことを越えさせてくれた
のが、やっぱり子どもたちがアイヌの文化に後引きをされ
るというか、その力に教師が動かされたということになる
のかなと思いました。
古式舞踊が重要無形文化財に指定された記念の公演があ
るというので、私は、じかに本物を見なくちゃいけないと
思って、日帰りで札幌まで出かけて、それを見ました。そ
の中に、
二風谷の子どもたちの早口言葉や鶴の舞があって、
それを萱野茂先生が解説なさっていました。そして一番最
後が、阿寒の子どもたちでした。阿寒の子どもたちが、大
人たちの「鶴の踊り」のあと、大人たちと小学生高学年か
ら中学生ぐらいの子どもたちが、
「弓の舞」
と、
それから
「剣
の舞」をやったのです。私はそれを見て、何か物すごい毛
穴が開いちゃうというのかな、総毛立ちました。初めて見
たということもありましたけれども、子どもたちがテクン
ペ、脚絆、そして衣装をつけて、そして刀を持って、刀と
刀を打ち合いながら、声を合わせながら踊ったり、それか
ら弓を、本当に自在に振りながら勇ましく、喜々として踊
るんですね……。
<ビデオ上映 開始>
ああ、これがそうですね。全くこの弓の舞、剣の舞のア
イヌの歌なんかも全然分からなので、一体何を歌っている
のか分かりませんでした。本当に少年たちが踊っていて、
踊りというと女の人たちが踊るものだというように思って
いのですが、アイヌの子どもたちはこうして大人たちから
狩猟ということにつながる物語を教わって、その伝統を引
106
き継いで生きているんだということを知って、いつかこれ
を子どもたちとやってみたいとその時思いました。
特にこの子の姿は私の中ですごく鮮明に残っていて、い
つか「剣の舞」を子どもたちとやりたいと思っておりまし
た。
<ビデオ上映 終了>
このビデオの最初の方に、二風谷の子どもたちのアイヌ
語による早口言葉があります。私たちも子どもたちと言葉
遊びということで、
早口言葉をやりますけれど、
「生麦生米
生卵」とか「東京特許許可局」とか、そういう類のもので
す。この早口言葉は「おおかみのこがはしってきて」
(パロ
ル舎)という本になって出ています。アイヌの子どもたち
が、
アイヌ語でお父さんとやりとりしながら、
「小さなおお
かみの子が走ってきて、
氷の上でつるんと転んだよ/ねえ、
どうして転んだの/それはね、氷が偉いからだよ、おおか
みよりもずっとね」
という、
こういうところから始まって、
一番最後に、人間が死んでしまうというところまで、自然
と人間との関わりをアイヌ語の早口言葉でずっと言ってい
くのです。
私たちには分からないだろうからということで、
二風谷の子どもたちは、アイヌ語で早口言葉を言った後、
それを日本語に直した形でも言ってくれたので、何を言っ
ているのかということが分かったのです。哲学なのです。
人間が生きていく上での哲学を、この早口言葉を通して二
風谷の子どもたちは教わっているのだということを初めて
知ったわけです。
「それはね、人間が偉いからだよ、山の木
よりもちょっとだけ/でも、
木は人間に切られるよ、
ねえ、
どうして/それはね、人間が偉いからだよ、山の木よりも
ちょっとだけ/でも、人間は死んじゃうよ/そうだね、死
んで土になる。それはね、土が一番偉いからだよ、おおか
みよりも氷よりもお日様よりも雲よりも風よりも山よりも
木よりも人間よりもずっとね。ほら、見てごらん。だから
土からいろんな命が生まれる。草や木が生まれ、草の実や
木の実が実り、鳥やカモメや人間を養う。だからね、私た
ちはみんな土から生えてきたんだよ、根っこは見えないけ
ど、本当はみんな、土から生まれた兄弟なんだ。おおかみ
の子もそうだよ。僕ももちろん。だから氷の上では気をつ
けるんだよ、つるんと転ばないように」ということで一番
最初のところへ、氷の上で転んだよというところへつなが
る 1 つの輪廻を早口言葉の中で教えているのです。すごい
なと私は思いました。
後の項へつながるのですが、文字を持たないということ
で劣等民族というような言い方をする人もこれまでにいた
と思うのですけれども、文字を持たないからこそ、その民
族としてのすごさというのか、すばらしさというか、言葉
という世界の中で人間と人間との関係がつくられている、
そういう人たちなんだなということを、そのころはおぼろ
げでしたけれども、私は思いました。
3 番は、
「踊り」から「生活文化」への広がりということ
です。初めは、二風谷の子どもたちのアイヌの早口言葉と
か阿寒の子どもたちの「ク・リムセ」とか「エムシ・リム
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
セ」とか、そういう踊りから出発したことではあったので
すけれど、学んでいくうちにだんだん、もっと生活そのも
のを学習対象にしていくということがすごく重要なことな
のではないかと私は思うようになりました。でも、私も小
学校の 1 人の教員にすぎませんから、学校の中で、学年を
飛ばされるわけです。
5 年生になったり 6 年生になったり。
1 年生の担任から離れても、アイヌの踊りは、運動会でや
ろうということで残ったのですけれど、きちんと学習しな
いでやりますから、とんでもないアイヌの踊りになってし
まう。中には、時々そこに和太鼓が入ってしまったり、大
きな輪踊りの中で出てくる動きですけれど、動きそのもの
が何かボクシングに似ているから「ボクシング」という名
前をつけてみたり、そんなことで学校の中にもそういう混
乱があったのも事実で、そういうことを正さなければいけ
なかった時期もありました。
6 ページに、<アイヌ舞踊の魅力>ということを少し書
きました。単純な舞踊の持つ力ということで、ずっと、間
違ったこともやってきたように思います。ウポポそのもの
もきちっとした形で習うというよりも、カムイノミに参加
させてもらって、
そこで踊られる時の歌を聞き返しながら、
自分で実践に移していったということもあるので、大分嘘
っぽいところもあったのですけれど、子どもたちとやって
いく中で、バッタとかキツネとかネズミとかウサギとかツ
バメとか、
そういうさまざまな、
いろいろな地域の踊りを、
むしろ東京の人間だから自由にできるというところがある
のかなと思いました。つまり、北海道に住んでいると、あ
る地域の踊りしか対象にできないのかなと思うのです。東
京に住んでいるからこそ、あちこちへ出かけて行って、い
ろんな人との出会いの中でさまざまな地方の踊りを子ども
たちと一緒に踊れるようになる、そういう良さが自分の中
にあったのかなというふうに思いました。でも、やっぱり
自分はコピーだし、そのコピーからまた子どもに伝えてい
った時に違うものが生まれていくことについては怖いなと
思ったのですけれど、子どもたちとやることの意味は、自
分ということよりも、子どもの姿の中から、やっぱりやり
続けなければならないというふうに思ったのです。
<ビデオ上映 開始>
「ルイカ・リムセ」といって橋渡りの踊りですね。
「コン
カニルイカ オー ルイカ シロカニルイカ オールカ
オールカ」
「金の橋、
銀の橋」
って、
橋ができたのを祝って、
お年寄りを先頭にして、渡り初めをするという踊りです。
これは、本当はもっと長い杖でないといけないのですけ
れども、そういったものがなかったものですから、あり合
わせの棒でやっています。
おじいさん、おばあさんになって、こうして疲れたら、
腰をたたきながら山を眺めたり川を眺めたりしながら、み
んなと一緒に行くわけです。歌も若干、メロディーが違っ
てきている。そういうところはお許しください。
これは、Aちゃんというダウン症の女の子です。ロホン
リムセも、
ちょっと子ども用に変えてあるところがあって、
107
最初の「オンカミ」を省略しています。この子は 1 年生で
入学してきて、6 月ぐらいまで子どもの中にも入れなかっ
たし、教師との関係もずっとつくれなくで、何もしゃべら
なかった子なのです。秋の「いちょう祭」でアイヌの踊り
をやり、その時から変わったとお母さんは言ってくださっ
ています。楽しくてしようがないというのが、踊りを通し
て伝わってくる。
踊りながら歌っているのですね。
今まで、
音楽の時間に歌を歌うとか、友達と会話をするとかという
ことがほとんどなかった子どもだったんですけど、このア
イヌの踊りの中では、自分が歌を歌いながら踊りに参加す
るということができたんです。この「丸木舟の踊り」もち
ょっとあいまいなところがあって、静内の踊りと二風谷の
踊りをくっつけて、あと、和光版の歌にちょっと変わって
いるところもあって、違うところはあるんです。伝わって
いる歌と若干違うところもあるんですけれど、Aちゃんは
自分が言えるところだけ言葉にして発しているのです。
初め、このビデオを撮っていた教員は全体を撮っていた
のですけれど、途中から、この子があまりにも楽しそうな
ので、この地点まで行って撮るようになっちゃったと言っ
ていました。
踊りとしては、きちっと胸のところ手をおいて、ちゃん
とおさめるんだよと、それが 1 つの基本だよと言うのです
けど、そんなことよりも、しっぽを振るところの楽しさと
か、キツネになって飛び跳ねるところの楽しさとか、そう
いったことの方が子どもにとっては重要なのかなと思いま
した。ただ、アイヌの踊りをやり始めたころ……、
あっ、ここです、バッタの踊りをやっているつもりなん
です、この子。本当はこの子と手をつながなければならな
いんですけれど、それができないものだから、ずれていく
んです。本隊はこっちにいるんです。男の子が、そこじゃ
ないよって、Aちゃんそこじゃない、こっちだよというふ
うに呼びに来てくれたんですけど、構わず、ちょうどその
前にお父さんとお母さんがいらっしゃるんです。お父さん
とお母さんに、見て見てっていう、そういう気持ちで踊っ
ています。男の子はしようがないなって、どうしようもな
くて、くっついているだけなんですけれども。ああやって
ついていてくれるところは、この子の良さかなとすごく思
います。
最後、とめましたね、こうやって。
それで、これも非常にあいまいなんですけれども、本物
のとおりにはできないので、とりあえず矢を打つところだ
けを取り入れてやっています。
本当はお祈りから始まってお祈りで終わるという、そう
いう基本のところは本当はやらなきゃいけないというふう
な、
私たちの中ではそういう認識にはなってきていまして、
少しずつそういう方向へと進んでいます。
<ビデオ上映 終了>
子どもたちの姿を見る中で、当初、親たちの中から、あ
れは教師の自己満足だというふうなうわさが立ちました。
それまで、もう少し派手やかな、太鼓や笛のはやしで踊る
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
踊りをやっていたものですから、
それが手拍子と歌だけで、
しかも見た目には地味で、子どもたちもただ自分らが楽し
んでいるだけというふうにしか親には見えないわけです。
私たちにとっては、楽しんでいること自体がすごく重要な
んだと思っていますから、そこを親たちに分かってもらう
ためにはどうしたらいいかなということ、でも、これは続
けていく以外にない、そういう中で、こういうAちゃんみ
たいな子どもが出てきたり、それから、すごく踊りとして
重要だと思えるようになってきたんです。
これは「ポンサロルン・リムセ」という子鶴の踊りです。
親鶴と子鶴が踊りを踊るわけです。前に座って、ここは子
鶴で、後ろの子が親鶴になっているのですけれど、こうし
て顔と顔とを見合わせる場面があるのです。踊りを通して
人と人がつながり合うという、そのことの重要さというも
のも教えてくれる踊りかなと思います。
I先生が、1 人の障害を持った子どもを受け持った時に、
どうしてもその子と一緒に踊れる子がいなかったので、I
先生が相手になる以外になくなってしまったんです。その
時に、I先生が親鶴をやって、Bちゃんが子鶴をやったん
ですけど、
「アー ウホホーイー アー ウホホー」と、お
互いに親鶴と子鶴が顔を見合わせる場面で、初めてBちゃ
んとI先生の目と目が合った。
「これが鶴の踊りなんだ!」
と彼女は感動して練習を終えて帰ってきました。それまで
彼女の側にあったわだかまりと教師の方にもあったわだか
まりが、何かその踊りの中で解けていって、目と目が合う
瞬間、向こうがじっと見るものだから、I先生はその目の
強さに思わず負けそうになって、ここで目を離してはいけ
ないと思って、じっとやっぱり自分も見続けたと言ってま
したけれど、その踊りの中でつながり合う、そういう力を
アイヌの踊りは持っているのかなとも思っています。
踊りをやっていく中で、だんだん教師の自己満足だなん
ていう声もなくなっていくのと同時に、学校の中でも、さ
まざまな教員が自分から北海道へ出かけて行って、現地で
学ぶという機運が生まれてきました。やはり現地へ出かけ
ていって学ばない限りは、子どもたちに本物を伝えるとい
う、教師自身が本物から学んでいない限りは伝えられない
というふうにだんだんみんなが思うようになってきたわけ
です。そういう中で、踊りを楽しむ、刺しゅうを楽しむ、
昔話を楽しむ、簡単なアイヌ語を楽しむ、遊びを楽しむ、
料理を楽しむ、アイヌの色々な神を知る、アイヌ文様の切
り絵を楽しむというふうに、だんだんアイヌの生活全体へ
と学習の幅が広がっていきました。
11 ページにあるレポートは、和光小学校のKという教師
が「今年の 1 年生の『アイヌの踊り』
」ということでまとめ
た、<生き物の命をいとおしむ心とつながる「アイヌの踊
り」>、<子どもたちの生活に広がる「アイヌの踊り」>
というレポートです。おもしろいですね、子どもたちはア
イヌの踊りを踊っていく中で、自分たちが飼っていたお魚
が死んでしまって、そのお葬式をやるんです。自分たちで
死んでしまったお魚を庭の畑に埋めて、その前で「丸木舟
の踊り」を踊ってお葬式をしたというのです。それを聞い
てびっくりして、
さよならをした後で案内をしてもらうと、
108
そこには小さな盛り土があって、その上にはD君が描いた
ハゼの絵が、割り箸で両端を刺してとめてありました。死
んでしまったハゼを絵にして、割り箸で立てて、埋めたと
ころに立てかけておいたというわけです。さらにその隣に
は石が置かれ、十字架をまねた雑草も立てて、お墓もつく
られていました。ここの前で、数人とはいえ、ハゼの死を
悼んだ子どもたちが仲よく「丸木舟の踊り」を踊ったので
した。
仲良しのD君を励まそうとした思いと、二人組で仲よく
楽しく踊れる「丸木舟の踊り」とが見事に結びついたので
しょうね。
そういうことがだんだん子どもの中に広がっていって、
<「アイヌの踊り」が 4 行詩にも生かされる>ということ
で、S君という子の例が出ています。なかなか学習に気が
向かなくて、本当はもう 1 学期あたりで平仮名は書けなけ
ればならない時期に、なかなか字を覚えられない、覚えよ
うともしない。人間にとって言葉とか文字というのは、そ
の必要性がないと覚えようといく気にならないのだという
ことを、このS君の姿を通してK先生は知ったと言ってい
ます。
「あいうえお」の順番に自分で絵をかいて、4 行詩を
書いて 1 冊の絵本をつくるわけですけれども、その中の
「を」のところが、きつねの踊りの「ハーエンヨー
ソ
ラエンヨイサー ハーエンヨイサー ソラエンヨー ソラ
エビサラシュウエ ハーエンヨー」という、そのきつねの
を おどって
を ぷりぷ
踊りの絵をかいて、「おどり○
おしり○
り えびさらしゅうえ はあえんよー」という、そういう
ページをつくっているのです。こういう中にもアイヌの文
化を学習したことによる成果が、子どもたちの中にあらわ
れているということだと思います。
それから 19 ページのレポートは、
和光鶴川小学校のT先
生が公開研究会の中で、
「『生活べんきょう』で培う、価値
ある体験と学び」ということで、アイヌの文化について、
ずっと自分がやってきたことの記録を残しています。
それを見ると、20 ページに、アイヌのうたをうたう、ア
イヌの民話をよむ、アイヌのおどりをおどる、マタンプシ
づくり、アイヌのことば、アイヌの料理ということで、座
り歌をやったり、22 ページにあるように、言葉から「むし」
の特徴を知るということで、アイヌの人たちがどういう名
前を虫たちや動物たちにつけていたのかということについ
て、1 年生の子どもたちと学習しています。
おもしろかったのが、
「むし」
をとりあげた時の
「くも
(ヤ
コロカムイ)
」です。いろいろなむしのなまえをアイヌの言
葉でよんでいるうちに、くもだけに「カムイ(神)
」がつく
ことに気づいた。なぜカムイがつくんだろう?と議論にな
った。子どもたちはくもの特徴の中にある他の虫とのちが
い、神様っぽいところをいっしょうけんめい考えた。くも
にカムイがつくことを知ることから、あらためて、くもの
生態を考えることになった。ということで、意外な方向へ
と展開していくわけです。
それから、針仕事については、非常に私たちも注目をし
ていて、クラスの中のどんな暴れん坊な子でも、針を持つ
ことによる集中力というのが生まれるということが最近の
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
実践で分かってきました。しかも、それも単に自分が好き
な模様を刺すというのではなくて、アイヌの文様を刺すと
いうところに 1 つの価値があると考えています。
最近、切り絵の方にもすごく関心が向いてきて、子ども
たちと切り絵をやっています。まず、アイヌ文様の刺しゅ
うに入る前に切り絵をして、文様に親しむというか、特に
特別な意味があるわけではないのだろうに思うのですけれ
ど、ふくろうの目みたいに見えるねとかいうお話をしなが
ら、この渦巻き文様なんかに親しむということがあって、
切り絵をやっています。小川早苗さんのところでも切り絵
の本が出されたし、それから、白老のK先生も、最近、小
学校、中学校で使える切り絵の本を出されていて、これか
らどんどん、切り絵を通してアイヌ文様との出会いをつく
っていけたらなと思っています。こういう切り絵をやった
後、子どもたちと針仕事をするわけです。一針一針、針を
刺す仕事というものが、非常に子どもたちの中に気持ちの
いい緊張感を与えるということを私たちは学んでいます。
ある意味で、刺しゅうは難しいことなのかなと思ったりし
ていましたけれども、大事な仕事だと思えるようになって
きました。
これは子どもたちがアイヌの踊りを踊った時の絵です。
うちの美術の教師O先生は、
非常に色と形にこだわる人で、
やたらなものは教材にしないのです。和光小学校では、1
年生でアイヌの踊り、
2 年で荒馬やって、
3 年ではねこ踊り、
4 年で七頭舞、5 年でみかぐら、6 年でエイサーという、日
本各地の民俗芸能を踊っているのですけれど、大抵その踊
りをやれば、何かその時の行事のことを絵にしてみような
んていうことを一般的に考えてやりがちなんですけど、О
先生は、そんなことやったってだめだと、おれが教材にで
きるのはアイヌの踊りだけだと言うのです。それが、どう
してなのか分からなかったのですけれど、それはさっきの
Aちゃんのバッタの踊りとつながっている。つまり、子ど
も自身が、見せるためではなくて、自分自身が楽しむ、楽
しむ要素だけでできている、楽しんでいる姿を見てもらう
ということだったらおれは絵にできる。だから、子どもた
ちの体中に残っているものが、ほかの踊りを踊るのとアイ
ヌの踊りを踊るのとでは違うんだというふうに、彼は芸術
家の目で言うのです。
だから、
秋のいちょう祭が終わると、
1 年生は美術の授業の時に、アイヌの踊りを踊っていると
ころを必ず絵に描いて残しています。だからといって、6
年生でエイサーを踊るからエイサーを絵にするかというと、
そうはしないのですね。そこがちょっと、私なんかにする
と十分理解できないところなんですけど、彼はそう考える
ようです。
1 年生でさまざまな形でプラン化が進んでいるわけです
けれども、アイヌの文化、衣・食・住、そして遊び、踊り
など、さまざまな分野から人間の生活全部丸ごとを 1 年間
通して学べます。だから、そのアイヌの文化を 1 年通して
学ぶということで授業としては成り立つわけです。ただ、
そういう視点は視点として大事にしながらも、31 ページに
1 年生の「生活勉強 年間指導計画」があります。確かに、
真ん中のところに文化活動というのがありまして、「アイ
109
ヌ文化」という言葉が出てくるのは、10 月のマタンプシづ
くりです。そしてアイヌの踊りを踊るということになるわ
けですけれど、
「年間指導計画」をずっと眺めてみると、私
たちが大事に考えてきている自然、人間、文化を丸ごと学
ぶということが、すべてアイヌの文化につながっていくと
いうことだろうと私たちは理解しているのです。1 年生で
すから、短い時間で、ショートの単元で子どもたちとはや
っているわけですけれど、
ナイフを使うこともそうですね、
マキリを使わせるわけにはいかないので、
小刀ですけれど、
小刀で割りばしペンを削って絵をかいたり、それから鉛筆
削りをしたり、それから柿をむいて干し柿をつくるとかで
すね、山へ入れば多分マキリを使うのでしょうけれども、
小刀を使うということもやりますし、それから針を使うと
いう仕事もさせていますし、それから、アイヌの料理をつ
くるということで、イモシトなどをつくったりと、料理の
分野へも広がっていて、
この単元そのものを通してみると、
アイヌの文化で貫くことができると私たちは考えているわ
けです。
入り口のところで、未文化の子どもたちが生活丸ごとを
学習対象としていくことの意味が、やっと何か私たちにも
分かってきたと思っているところです。
1 年生の生活勉強のカリキュラムがそのように進んでい
く中で、和光でもっとしっかり取り上げなければならない
なと思っているのが、アイヌ民族の置かれてきた歴史の問
題、差別の問題等について私たちは考えなければいけない
のではないかと思っています。ただ、なかなかそこへの切
り口、切り込みというのはすごく難しいのです。私が 6 年
生を担任した時のことです。6 年生は沖縄ですから、沖縄
の総合学習という中に、どのようにアイヌとの関係を持ち
込んでいったらいいのかということで一生懸命考えたので
すけれども、それが「南北の塔」の学習でした。
屈斜路の弟子豊治さんという方がアイヌ兵士として沖縄
戦に参加していて、
そこでたくさんの人たちが亡くなって、
その方たちの遺骨がそこら辺に野ざらしになっているとい
うのを知って、沖縄の人たちと力を合わせて、
「南北の塔」
という、北と南とを結ぶ塔というものをつくって、そこに
遺骨を納められたわけですけれど、私はこの「南北の塔」
の学習を子どもたちとしなければいけないなと思いました。
6 月 23 日は沖縄慰霊の日です。これは 3 年前、2002 年 6
月 22 日の朝日新聞夕刊です。今年の 6 月 23 日には、この
井上夫妻のことが「人間ドキュメンタリー」で放送されま
した。私は、3 年前にこの新聞記事を見て、これを何とか
子どもたちに伝えたいと思っていたのですけれど、この方
は 15 年前から、
北海道から 1 カ月ぐらいにわたって沖縄へ
行って、まだ見つかっていない方たちの遺骨を、がまの中
に入って拾い集めて、それを新たに納める、慰霊をすると
いう旅を 15 年間続けてこられています。費用が大体 70 万
円ぐらいかかるそうですけれど、日ごろ貯めたお金を使っ
て、もう 70 を過ぎていますけれども、御夫妻で来られる。
後ろにいらっしゃる方が国吉さんという、
この方は沖縄で、
県の方も手を引きつつあるという遺骨収集の仕事を、いま
だに 1 人でこつこつと続けていらっしゃる方です。北海道
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
から沖縄戦に従軍させられて死んだ方が 1 万人近くいるの
です。非常に多いです。その中にはアイヌがたくさんいた
はずです。そのうちの 1 人が弟子豊治さんでした。自分の
中に沖縄での戦争のことがいつまでも抜け切れなくて病床
につかれたんだと思います。
<ビデオ上映 開始>
<ビデオ上映 終了>
これは、約 100 年前に大阪で開かれた内国勧業博覧会で
の人類館事件で問題になった写真です。この中に、アイヌ
が写っていたり琉球が写っていたり朝鮮が写っていたりと
いうことで、ある特殊な人たちを見せ物小屋みたいにして
いると、すぐ中止になったわけですけれど、でも、琉球の
側からの抗議は、アイヌと一緒に並べたということで抗議
をしているのです。弱い者が弱い者を差別していくという
構図が明治時代にはあったのだということがよく分かりま
す。子どもたちとはそこまでは学習しませんでしたけれど
も、やはりアイヌも沖縄も、そういう、
「琉球お断り」とい
う札が下げられたり、アイヌはアイヌで「アイヌだ」とい
う差別を受けたりという、そういう歴史があったんだとい
うことを子どもたちと学習しました。
この写真は子どもたちに見せましたけれども、子どもた
ちは何だか学校のようだと言うのだけど、この学校何てい
う学校なのかということを、
当てっこさせました。
「音更土
人学校」です。当時、
「土人学校」というアイヌだけを集め
た学校をつくって、
歴史と地理はその授業の中から省いて、
歴史、地理を教えると、民族の血が騒いでしまうというこ
となのでしょう、それを省いて「土人学校」をつくったん
だということを子どもたちと学んだり、確かに、戦争には
日本兵として行ったかもしれないけど、死んでお骨になっ
て帰ってきた時には、アイヌの人たちはちゃんと民族衣装
に身を包んで、民族としてのお葬式をきちっとやっていた
んだよということを子どもたちと話をしたりしました。
あと、言葉の問題についてやりました。こういうのをつ
くって、この四角の中に入る言葉はどういう言葉なのかな
ということを考えました。これは朝日新聞ですけれども、
「珍奇な名を改める」という、沖縄の人たちの名前が大和
の人間からすると、金城(きんじょう)とか中城(なかぐ
すく)とか、本土の人間とは違う響きを持っているから、
そういう名前を変えなさいという、そういうことが運動と
して行われるわけです。方言札をつくって、方言を使う者
はスパイだというような運動もずっと行われていく。アイ
ヌも日本名に変えさせられたり、
「土人学校」
ではアイヌ語
は使ってはいけないということで、言葉を奪われる、そう
いう民族としてのアイデンティティを奪い去っていく、そ
ういうことをやってきたのだということを、単に沖縄を学
ぶというのではなくて、もう少し日本全体の中で沖縄をと
らえさせたいと私は思って授業をしました。
これは有名なひめゆりの同窓会誌ですけれども、この同
窓会誌の中にも、
当時、
「誓って標準語励行」
ということで、
110
沖縄方言を使わないということを生徒同士がやっていたわ
けです。だから教育というのは非常に怖いのだということ
を、6 年生はどこまで分かったか分かりませんけれども、
そんなことを学んできました。
本当は、私たちの学校でも、1 年生の入り口のところで
やったアイヌ文化の学習を、もっと現代的な課題というと
ころへ引き継ぎながら、縦の流れで学習を深めなければな
らないということが課題にはなっているというふうに思っ
ていますが、そこまで力が及んでいないというのが実情だ
ろうと思っています。それでも、やはりアイヌのことを学
習するということは、非常に自由な展開に変わっていくと
いうか、子どもたちに楽しさを与えてくれるのです。
これは 1 年生の子どもがつくっている「このは新聞」で
す。こっちはお母さん版の「ママドン」という手づくりの
雑誌です。
「ママドン」の方は、
“アイヌの本おもしろいで
す”と、自分が読んだアイヌの本を友達に紹介していて、
ミニコミ誌みたいなものです。和光と出会う中で、アイヌ
のことについての興味・関心が親の間でも広がってきてい
るということをあらわしている例だと思います。「このは
新聞」の方は、これは小川早苗さんの作品展に行った時、
小川さんとお話をした時のことを自分なりの記事にしてい
るのです。それから、学校に帯広の広尾正さんがアイヌ舞
踊の指導に来た時に、自分から進んでインタビューに行っ
て要約したものを記事にして、この中に載せています。そ
れから、自分がした刺しゅう、学校で習ったものを家の中
でも継続的にやっているのだろうと思います。
このように、根っこのところは同じでも、どの方向に授
業を伸ばすか、子どもの生活の中でどういう方向に伸びて
いくか、そういう自由さを、アイヌの文化というのは持っ
ているのかなと思っています。では最後に、
「オキクルミと
悪魔」という音楽合唱劇、2 つだけビデオを見て終わりに
したいと思います。
<ビデオ上映 開始>
「オキクルミと悪魔」という音楽劇があるのですが、こ
れはアイヌのことに関心を持っている教師や保育士が、教
材として取り上げている音楽劇です。ユーカラをもとにし
てつくられたお話で、オキクルミ神が 3 つの困難と闘いな
がら人間世界と 1 つになっていくというお話ですけれど、
これは沖縄でやった時なのですが、手弁当で 400 人ぐらい
集まって、アイヌと和人とで 1 つの舞台をつくりました。
こうしてみんなで輪になって手をつなぎ合う、手を取り合
うということの大切さを知る。ここに集まっているのは教
師と保育士さんたちです。そこがすごく重要なところで、
ここで学んだことを自分の現場へ帰って子どもたちに教え
る、そして広げていくという、そういうきっかけになった
のが、今から 10 年前のこの「オキクルミと悪魔」です。何
人かのアイヌがこの中に加わってくれて、一緒に踊りを踊
っています。
<ビデオ上映 終了>
「アイヌ文化を子どもたちと学び続けて 20 年」平野正美
最後です、もう 1 本。私は何がやれるかなということを
考えて、保育園児の父親でもありますから、私の息子が行
っている保育園でも何かアイヌの踊りができないかなとい
うことで……。
最後の 1 分になりましたので終わりますが、三つ子の魂
百までというふうによく言われます。今のビデオを見てい
てすごく思うのですけれども、
三つ子の魂百までと言うと、
何か 3 歳までに人間の脳みそっていうのはでき上がってし
まう、それまでにたたき込めるものはたたき込むみたいな
発想がありますけど、そういうことではなくて、やっぱり
3 歳の時まで、うんと親や大人たちに大事に大事にかわい
がられた子は、その先に素敵な世界が待っているよという
ことを言いたいのかなと、このごろ私は思うようになって
きたのです。かわいがられ、その子は損をすることはない
わけだし、三つ子の魂百まで、3 歳までうんとうんと、か
わいがってあげることが大事なんだよということを、今の
乳児さんとお母さんとの、この「丸木舟の踊り」の中から
感じたりしました。
時間がちょうど 3 時になりましたので、終わりたいと思
います。アイヌ文化を入り口として沖縄学習で卒業してい
くことの意味みたいなものが、少しでも伝わったら嬉しい
と思います。
どうもありがとうございました。
(拍手)
<ビデオ上映 開始>
これは去年の運動会ですけれど、幾つかの踊りを子ども
たちと一緒に取り組んでもらいました。これは、乳児さん
たちで、お母さんたちにマタンプシを刺してもらって、そ
して親子で「丸木舟の踊り」を踊っているところです。こ
れは関東ウタリ会の人たちに教えてもらった丸木舟とまぜ
合わせてやっている「丸木舟の踊り」で、まさにすぎのこ
版の、お母さんお父さんと 1 つになって踊るという、本当
に最初の体験だろうと思うのです。
こういう踊りだと、練習なんか要らないのです。その場
で親と子が手をつないで抱っこができれば、それだけでこ
ういう場がつくれるという、そういう素敵さを持っている
んだということを思うのです。
<ビデオ上映 終了>
―
【筆者―平野正美
和光小学校
いちょうまつり「踊りの広場」
1年生アイヌの踊りより
―
「きつね踊り」で狩人役として】
【きつねの踊り】
【弓の舞】
111
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