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君たちの生命で コヨーテに金もうけをさせるな!!!
第三章 メキシコからの密入国者たち 悪魔のハイウエイ しかし、メキシコおよび中南米からアメリカへの非合法移民の主流は、いう までもなく未成年者やその母親ではなく、大多数が所帯の主である男たちであ る。現在の密入国者では最多数をなすメキシコ人は、いまのアメリカの移民問 題の焦点になった。 メキシコ人の不法入国は数限りないが、特筆すべき一例をまずご紹介してお きたい。アリゾナ州とメキシコとの境界線にあるソノラのササベからは、多く のメキシコ人が危険な国境越えをする。そこにはメキシコ側が、越境者に対す る唯一の警告を記した掲示板がかかっている。 コヨーテが君たちに求めているのは 商売(カネ)だけだ 君たちや家族の安全など くそくらえだ 君たちの生命で コヨーテに金もうけをさせるな!!! 残念ながら、越境者の多くは、この文字さえ読めない。 メキシコ政府は非常事態にそなえて、越境者に水や食糧のほかコンドームま で入れた救急バッグをもたせるほど、アメリカへの密入国に理解を示したが、 アメリカ側の猛烈な反対にあって救命袋は中止したという。ここからはふつう 一日に一五〇〇人のメキシコ人が越境するとわれる。二〇〇三年にササベを訪 ねた作家チャールス ボーデンは、ある日の午後の越境者を五〇〇〇人と記し ている。 アメリカの著作家ルイ アルベルト ウレアは、二〇〇一年五月、メキシコ 最北部から、何百年も「悪魔のハイウエイ」として恐れられたアリゾナ州の南西 部、ユマとツーソンにまたがる北米大陸のもっとも剣呑な地域を通って陸路国 境を越え、南アリゾナの砂漠からアメリカの中心部をめざす男たちを描いてい る。ほとんどがメキシコのヴェラクルーズのコーヒー栽培者で、コーヒーの価 格が下落したために生活が苦しくなった。そこに現れたコヨーテの口車に乗せ られて、われもわれもとアメリカ行きが始まってから、村はまるで男のいない 世界になってしまった。二〇〇四年に「悪魔のハイウエイ」として出版されたウ レアの強力なドキュメントは、密入国者の夢の挫折を物語る凄惨なオデッセイ である。 二六人で出発した一団には、父親と一〇代の息子のチームも、三人兄弟のチ ームもまじっていた。国境パトロールも近づきたがらない迷路そのものの山岳 -砂漠地帯を踏破するためには、彼らに一ヶ月一五%の複利計算で金を貸した、 ルートを知悉しているはずの密輸業者の仲間がガイドとして加わった。しかし 経験の乏しいガイド自身が道に迷ってしまい、助けを求めにいくと出て行った まま帰ってこない。この山中で息絶えれば、たちまちミイラになるといわれる ほどの酷熱地獄の中で、見捨てられた男たちは出口を求めてさまよい、活路の 見つからぬまま一人また一人と死んでゆく。たとえば、どうしても父親と経験 を共にしたいと同行した十代の強壮な息子が、飢えと渇きと熱に力尽きて倒れ る。サッカーで鍛えた彼の体を、自分の体で暑熱から必死でかばってきた五〇 代の父親が、息子を失ったあと生きる戦いを放棄する。彼はたくわえてきたア メリカドルをちぎって空中に散らし、水に身を投げるように、熱砂の砂漠に身 を投げる。 「死の道」とも呼ばれる、歴代の犠牲者の骨におおわれた難所から、ア メリカの国境パトロールに救われて生還したのは,一二人に過ぎなかった。 この事件が報道されると大きな反響を呼び、メキシコでは生還者を英雄とし て公式に表彰することになった。その金を村民の福祉に使えば、危険をおかす アメリカへの密入国者を減らすことができるだろうに、という心ある関係者の つぶやきをよそに、メデイアの報道や大げさな行事で生還者は賞賛される。ま るで、無謀な旅行を奨励するかのように。 しかし思いがけず、心あたたまる副産物もあった。ヘリコプターと車で救援 に駆けつけたアメリカ側の国境パトロールは、メキシコ人に劣らず、一四人を 砂漠に失ったこの事件に大きな衝撃を受けた。不法入国者から国境を守ること が彼らの重要な職務であるが、生命の危険にさらされた越境者がいれば、でき るだけの手段をつくして救助するのも彼らの仕事であり、願いである。この大 事故のあと彼らは、ふつうではとうてい出口の見つからない山中の迷路に、遠 くから見えるいくつかの救命塔を建て、パトロールセンターに通じるSOSボ タンをつけ、告知板をかかげた。 警告 この地点から先、安全に前進することは 不可能です。助けを求めない限り 死に見舞われる危険があります。 助けが必要なら 赤いボタンを押してください。 アメリカの国境パトロールが 一時間以内に到着します。 この場所をぜったいに動かないでください! ボタンで要請があると、センターから直ちに人を派遣して、迷える羊たちの 救助に向う。しかもこれは、アメリカ内部に向う密入国者の通路にされたため にさまざまな被害を受けつつあり、移民を支持するか否かで大きく意見の分か れるアリゾナで、国境パトロールたちの私費で建てられたのだった。この悲劇 の前には、五年間に二〇〇〇人の死者を出したこの地点での越境者の死は、こ の塔のおかげで激減したという。 それ自体は感動的なエピソードである。しかしこの事件は、アメリカの抱え る移民問題の解決のむずかしさを象徴しているようにみえる。命の危険を冒し てまで、なぜメキシコ人中南米人ほかの密入国者が、大挙してアメリカにやっ てくるのだろう。アメリカへの不法入国はそれほどのリスクに値するのだろう か? メキシコは何故、密入国にともなうこれほどの危険を、声を大にして自 国民に知らせないのだろう? アメリカはなぜ、法を破って越境する密入国者 にたいして、航空機や冷房つきのバスで本国送還だけという寛大さでのぞんで きたのだろう。取締りを叫びながらも、実は非合法移民を望んでいるのがアメ リカの真意なのだろうか。 冒頭のエピソードで紹介したフランクの成功に快哉を叫び、エンリケの母恋 いの情に涙を流し、悪魔のハイウエイの犠牲者に同情を禁じえなかった単純な ヒューマニストも、しだいにこの問題が一筋縄ではいかないらしいことを理解 しはじめていた。