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サハラの岩漠 ホガール

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サハラの岩漠 ホガール
グランドサハラ エクスペディション - 2
Ⅰ<サハラ縦断>サハラの岩漠ホガール
アルジェリア
【砂に埋もれたインサーラの街へ】
12月9日、インサーラへ向う早朝。テロの治安問題で警察のコンボイ同行が必要となる為、他の
カミヨンと街外れのチェックポイントで出発を待つ。朝日がテーブルマウンティンから強烈な光を
伴って顔を出した直後、goサインがかかった。数キロは遅いペースの巡行だったが、すぐ我々の
100キロペースに戻った。道路工事途中のダート、路面の穴、巻き上げられた砂煙をよけながら
速度を保つ。
インサーラ手前の90キロ辺りからの絶景はこの世のものではなかった。砂丘群が一時影を潜め
極度に風化された奇岩、巨大な沙磧は果てしなく続く。
乾燥と人の歴史をも作る事が出来なかった静寂な空間だけがそこにあった。私たちはアクセルを
閉じる事なく異風をかみしめ突き進んだ。そして出発して初めて日のあるうちに街に到着した。イ
ンサーラの街は真に砂にうもれた街だった。砂以外の道面を見つけることは難しいのだ。
明日はタマンラセットまでの658キロ、ほぼ1日走り続けるだろう。
12月10日、5時起床、6時食事、6時半出発。今日もまた暗いうちに出発する。砂の稜線からじわ
じわと昇る朝日に一日の始まりをひしひしと感じながら進む。インサーラからタマンラセットまでは
何百キロと登りが続く。距離があるのでじわじわ登ってゆく感じだ。視界の両側の砂の世界から
ゴツゴツした岩が幾連にも広がる黒い砂漠に変化してゆく。サハラ砂漠が砂の世界だけだと思っ
ていたことを訂正しなければならない。そこには地球のむき出しの姿が荒々しく存在していた。
テーブルマウンティンのそそり立つ谷間になんとステーションがあった。間違いなくあの砂漠の一
本道を共走してきたカミヨンの運転手や個人旅行者の休息の場である。
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私たちは相も変わらずフランスパンとトマトベースのシチューを食べた。
おもしろい事にレストランではどこも豊富なメニューが書き並べてあるが、たいてい出来る料理
は一品である。これは誰も文句がない、どの人もこれしかないのだ。
最初に出てきたプレートにはチキンのモモがしっかり載っているが、最後のプレートには首の部
分しかなかった。量もとんでもなくマチマチ。そんな不公平も案外慣れっこになっていた。舌が
真っ赤に染まるイチゴシロップそのままのような炭酸飲料を笑って飲めるのもこんな絶界の地
のステーションだからだろうとおかしくなる。
ガソリンを給油しているとタマンラセット側から欧州の男性とアルジェリアの女性、そしてその子
供たちが乗った乗用車が近づいてきた。彼女は私に「まぁこんな場所を女性がオートバで・・・」
というジェスチャーをした。ファミリーはどうやら彼女の実家に里帰りしてまた戻るという感じだっ
た。
アルジェリアの現地の人ではとうてい手の届かない様な高級なビデオを取り出し、彼女は私と
の動画をせがんだ。しかし手間取っているうちにGO!サインがかかってしまう。「もう行かなきゃ」
彼女は残念がってすぐ旅の無事を祈る抱擁をしてくれた。絶界であるが唯、こんな小さなステー
ションは人の暖かい輪が広がるのだ。
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【タマンラセット物語】
ゴツゴツとした岩肌と地を這う砂を蹴飛ばし
ながら私たちはホガール山地の街、タマン
ラセットに到着した。
タマンラセットの休息日の半日はバイクの
メンテナンス、オイル交換などを行った。
私は宿のキャラバンサライから見える奇形
のテーブルマウンティンが気になっていた
ので早速スケッチを始めた。
昼前、子供たちが学校から帰る。何やら子供た
ちは道端の私が気になる様子で遠巻きに見る。
私は立ち止まった三人組の女の子に声をかけ
て「家に帰るの?」と聞いた。彼女たちはうなず
いて自分の家の方向を指示した。なんと今日宿
泊しているキャンピングの一本道を隔てた裏で
ある。忘れないうちにあの山の名前を聞いてみ
る。「エイドリアン」そうか、ゴツゴツしているけど
どこか女性的だなと思った。
「一緒について行っていい?」私は彼女の住ん
でいる家に行ってみたかった。キャラバンサラ
イのキャンピングはタマンラセットの街の中心
から少し離れていて彼女たちの部落もちょっと
したスラム街になっていた。家といえば窓の小
さい粗末な土壁の家が何十軒か連なっている
だけだ。高い太陽が作り出す僅かな日陰で
ヤギがまんじりともせず壁にへばりついている。
この時間は暑さの為人があまり外に出ていない。
案内された部屋は女ばかり十数名が待っていた。既に誰か伝令に走っていたようだ。驚いたこと
に今にも崩れそうな泥壁の部屋は入ったとたんにヒヤッとするくらい涼しい。明り取りの窓もうまく
設計されている。うすっぺらい座布団が用意された。興味の眼差しが痛いくらい回りを囲む。
正座した私のすねの前では一番最高齢だろうママの風格を持った女性が顎杖のゴロ寝姿で目
だけ合わせてコクンと挨拶する。二歳くらいの女の子に持たせたオレンジを受け取ったが、半分
腐っていて口にできる状態ではなかった。「メルシーメルシー、後でいただくね」
私を案内してくれた彼女はナディアといった。友人のサディア、お姉さんはスィンターナ、そして何
人か紹介してくれたが、いとこか親戚か分からなかった。彼女は学校で英語を習っている。私の
プアーな英語と同等なので案外うまくいく。日本から来ている事、旅の途中でニジェールに向う事。
彼女たちは私の言葉や身振り、仕草に目をくりくりさせていた。
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その後、私はスラムを見たいからと案内を頼んだ。ナディアとサディアについてスラムを見て回り
出すと子供たちの歓声があがった。ナディアはちょっと得意そうな顔をして笑っていた。そして迷
路の様な部落の一角に通された。そこにはトウァレグ手造りの装飾品が飾ってあった。電気をつ
けて初めて分かる。泥のスラムの一角にこんな場所があるなんて・・・。
その隣の薄暗い部屋で四人のトゥアレグの男が彫金に勤しんでいた。そこにあった道具といえ
ばどう見ても何処からかかき集めてきた廃材か何かの部品を改造して使っているとしか思えない
ようなものばかりだった。こんな所で、こんな道具で・・・。私は彼らに断って写真を撮らせてもらっ
た。実際買ってあげたかったがその時お金を持っていなかった。
その後スラムの外れまで来ると、吹き捨てられたゴミの山と灌木に引っかかった黒いビニール袋
が風にパタパタとなびく砂の荒野が広がっていた。カメラを向けると「カメラはダメ!」と、ピシャッ
と言われてしまう。イスラムの女性は写真を嫌うのだ。
彼女たちのシルエットだけでも欲しかった私はスラムをひと回りした後、エイドリアン山をバックに
気づかれない様に後姿だけをカメラに納めた。その後私はキャンピングに一度戻り日本から二
セット持ってきた紙風船の一つを彼女の家まで届け、帰りにトゥアレグの細かい彫金が施された
イヤリングを買った。
後々探した彫金ではここの繊細さに優るものはなかった。ナディアは店にあった細いブレスレッ
トを四本私の腕に入れ「これは私からよ」とプレゼントの意志を示した。「シュクラム、シュクラム
(ありがとう)」三度目のシュクラムで私たちは抱き合っていた。
私は帰る途中、スラムのイメージが腐ったオレンジや不衛生な家宅、赤ちゃんの目に群がるハエ
のシーンから、彼女らの屈託のない笑顔や目の輝き、そして生きてゆく強さに入れ替わってゆく
のを感じた。そしてそれはまるで砂漠に湧く泉が体に沁みわたるような清々しさであった。
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【絶界の聖地アセクラムへ】
アハガル山脈はホガールとも呼ぶ。サハラの様
な乾燥した絶域では人の歴史は皆無に等しい。
サハラのど真ん中、ホガールも真にその域であ
る。
12月12日 快晴の中、タマンラセットから約90キ
ロ北にある殉教者フーコー氏の遺跡アセクラム
の草庵へ向う。極度の乾燥と激しい風化作用を
真面に受けて奇岩と化した峰々。これはこの世
のものと思えない。新しい惑星に人類がたどり着
く日があるとすればきっとこういう場所に違いな
い。
2780メートルの草庵から見る絶景。私は無意識
のうちにスケッチを始めていた。太陽は一つしか
ないはずなのに、その地でしか見る事のできな
い落日や夕日がある。素晴らしき地球。
サハラは砂の世界だけではない。アフリカのサ
ハラ砂漠、その中の奥深いホガールの山岳地帯
の神世の風景は脳裏に焼きついて消えなかった。
12月13日 タマンラセットに戻ってから明日からの砂地に備えて近くの涸れ川(ワジ)で訓練
する。実際にバイクのタイヤを砂地に入れる事の実践だ。私はこの日何度か転んでしまった
が、これが後々ルート読みに役立つことになった。タマンラセットの街を出るといよいよ舗装
路は終わってしまうだろう。
本当のサハラはその先にある。
砂の海が静かに待っているのだ・・・・・・
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