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生活再建 - 神戸市

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生活再建 - 神戸市
第 5 章 生活再建
1 災害からの長期にわたる生活再建のための市民社会の役割
-1995年神戸地震に対する復興調査:1999年、2001年、2003年、2005年調査結果から
1.1 はじめに
本節は、1995年神戸地震からの長期にわたる生活再建過程を継続的に調査してきた 4 回の兵庫県
復興調査の結果をとりまとめたものである。最初の調査は震災から 5 年後の1999年に行われた。イ
ンタビュー調査は、その後、被害の大きかった330の地域の住民に対して、10項目について任意抽
出し、2001年、2003年、2005年と継続して実施された。この 3 年間、これらの調査と並行して、同
様の地域でパネル調査も行われた。
横断的かつ長期的な研究のためのフレームワークは、7 年間にわたる 3 つのステージで発展して
きた。最初のステージは、巨大な都市災害に対して、長期の生活再建という前例のないモデル(河
田1995)への準備のためのものであった。1995年 3 月に実施された最初のステージは、その後の調
査で発展されていった。各段階でのもっとも重要なことの一つは、生活の再建であり、プロジェク
トに対するそれの定量的評価であった。1999年の調査は、また、生活再建がすすんだ層の災害のイ
ンパクトや社会的特性を明らかにすることであった。(立木、林2001)次のステージでは、これら
の研究とともに、1999年夏の生活再建についての草の根ワークショップも統合したものとなった。
(立木、林2001)これらの研究を基に、生活再建の 7 つの要素が明らかになった。このモデルは兵
庫県の生活再建2001調査のフレームワークを示すガイド役となった。三番目のステージは、2003年、
および2005年の調査によって明らかにされた調査戦略であった。これら二つの調査は、生活再建の
成果だけでなく、それらに介在するさまざまなものにも注意を払った。2003年調査の結果、大災害
からの生活再建の過程と成果が結論として示された。(立木ほか2004)神戸市および兵庫県南部で
の2003年及び2004年の草の根ワークショップ調査を受けた2005年調査は、最終的な生活再建の過程
と結果のモデルの内部妥当性および外部妥当性を一般化し確認した。
1.1.1 日本および米国での復興過程の先行研究
神戸地震による西宮の被災者に対するエスノグラフィックインタビューを基に(例えば重川、林
1997)、青野、田中、林、重川、そして宮野(1998)
)被災者の対応に特徴的な 3 つの時間的な
フェーズがあることを明らかにした。このことは、地域の消費電力(高島、林、1999)や神戸市の
毎月の住宅統計や社会経済活動の統計(柄谷、林、河田、2000)のような連続的なマクロな統計を
用いて、常時と災害時の復興パターンのモデルを定量化する基礎となった。
Webb, Tierney、そしてDahlhamer(2000) は、1989年のロマプリエータ地震、1992年のハリケーン・
アンドリュー、1993年の中西部の洪水、そして1994年のノースリッジ地震というような巨大な災害
からの短期的、および長期的なビジネスの復興に関する膨大なサンプル調査に基づく 4 つの切り口
を明らかにした。彼らは、脅威(Disaster)の強さの程度、ビジネスの規模、勤労者の確保などの
混乱の程度、さらに、被災地の顧客の被害程度などによるビジネスの復興へのインパクトの違いを
研究した。
被災したスモールビジネスのオーナーやNGOのリーダーたちに対して、非常に長期にわたるエ
182
スノグラフィックなインタビューに基づいて、Alesch, Holly, Mittler, Nagy(2001)は、長期の復興
に関する 5 つの決定的な要因を明らかにした。すなわち、a) 業界の顧客への災害被害のインパク
ト、b) 代替商品やサービスの提供の可能性、c) 災害前の業界の傾向、そしてその傾向に対する個々
のポジション、d) 組織による資金喪失の広がりの程度、そしてe) オーナーおよび運営者の新しい
ビジネス環境への適応可能性である。ここで示された要素は、Webbら(2000)の報告と極めて合
致している。Aleschら(2001)はまた、異なった災害でのインタビューを通じて、共通の物語を示
している。すなわち、誤った確信、安全への幻想、起きたことへの無力感、悪夢の継続、復興への
努力に対して自分で限界を定める、資金の無分別な浪費、顧客の変化の見極めの失敗、元に戻ると
いう錯覚、退職した層への特別のインパクト、そして短期間の手助けの不足である。これらの物語
は、現実および被災地外の世界に対する被災者の視点を反映しているように思える。そして、これ
らは、復興において、彼らが何をしたか、あるいはしなかったかについての強い影響を与えたかも
しれないのである。
これらの研究結果は、長期的な復興に対する日米における研究の結果を反映したものではある
が、「災害後の復興と再建の実現のための知見と傾向」と名付けられた1996年のボルダーでのワー
クショップ、ここでのパネリストは、Joanne Nigg, Trish Bolton, Claire Rubin, Phil Berkeであったが、
そこで想起された課題に必ずしもすべて答えたものにはなっていない。このセッションを司会した
Dennis Wengerは、その時の議論を以下のように取りまとめた。a) 直線的で成果一辺倒の復興から、
現実を見た長い時間を必要とする復興へのコンセプトへの移行の必要性がある。b) これまでの復
興研究は、「過剰に記述的、分裂的で、短期間志向の傾向がある」。c) 復興のフェーズと災害の
フェーズの対応に十分な注意が払われていない。d) 災害復興においての長期的な影響についてもっ
と理解を深める研究が必要である。(Wenger, Rubin, Nigg, Berke, Bolton, 1996)
1996年のボルダーでのワークショップの参加者は、「過剰に記述的、分裂的で、短期間志向の傾
向がある」傾向を、しっかりとしたシステムによる調査研究により克服することに賛同した。それ
に続く研究(例えば、Webb, Tierney, Dahlhamer、2000、立木、林2002)は、横断的であり、直線的
であり、せいぜい成果一辺倒である。それと比べて、被災者への長期的で、持続して、エスノグラ
フィックな研究が同じテーマについて高い洞察力を持って行われた。(例えば、重川、林1997、青
野、田中、林、重川、宮野1998、Alesch, Holly 近刊)彼らの考察は、まだ、それぞれの長期的、
大スケールのサンプル調査により、あるいは集約されたデータに反する個々のものに基づき、十分
立証されたわけではない。
(編者注)
本文では、1.1.1に引き続いて、1.2で1999年調査、1.3で2001年調査、1.4で2003年と2005年に実施
された調査、1.5で2001年、2003年、2005年に実施された兵庫県の生活再建パネル調査について、
それぞれの手法と結果が記載されている。そして、最後に、1.6で研究結果の考察が行われている。
ここでは、紙面の都合で、割愛する。
183
2 具体的な取り組み
2.1 生活再建の取り組み
2.1.1 被災者の状況
阪神・淡路大震災における被災者の生活再建に至る過程は大きく三つのフェーズに分けることが
2.具体的な取
り組み
できる。
.1
第組
1 期(激動期)
生 活 再 建2.1.1.1
の取り
み
.1.1
1年3
被 災 者 の 地震発生直後からはじまり、被災者の避難所から仮説住宅等への入居がほぼ完了するまで
状況
か月。
この間、ピーク時236,899人の避難者が仮設住宅などに移ることにより1995年
8 月20日に避難所
阪 神・淡 路 大 震 災
における被
が解消した。一方で約30,000世帯が仮設住宅に入居した。
図1 生活再建への道筋
災者の生活再建に至る過程は
大きく三つのフェーズに分け
ることができる。
.1.1.1
第1期(激動期)
地震発生直後からはじまり、
第1期
(激動期)
1995
1.17
1996
4月
約30,000世帯
236,899人
ピーク時(1.24)
第3期
(自立支援期)
1998
4月
1999
11月
36,775戸
災害復興住宅募集戸数
仮設住宅入居数
被災者の避難所から仮説住宅
等への入居がほぼ完了するま
第2期
(生活支援期)
避難者数
仮設住宅入居数
で 1 年 3 か月。
こ の 間 、ピ ー ク 時 236,899 人
の避難者が仮設住宅などに移
る こ と に よ り 1995 年 8 月 20 日
7,511戸
8,140 人
1995
8.20
0世帯
1999
12.20
図1 生活再建への道筋
に 避 難 所 が 解 消 し た 。 一 方 で 約 30,000 世 帯 が 仮 設 住 宅 に 入 居 し た 。
.1.1.2
第2期(生活支援期)
2.1.1.2 第 2 期(生活支援期)
仮 設 住 宅 か ら 恒 久 住 宅 へ の 移 行 期 。仮 設 住 宅 に お け る 生 活 支 援 と 、恒 久 住 宅 へ の 円 滑 な 移 行 を 支 援 す
仮設住宅から恒久住宅への移行期。仮設住宅における生活支援と、恒久住宅への円滑な移行を支
ることが中心課題となった。
援することが中心課題となった。
.1.1.3
第3期(自立支援期)
災 害 公 営 住 宅 な 2.1.1.3
どの恒久
へ の 移 行 が 進 む 中 、新 し い 恒 久 住 宅 に お け る 自 立 支 援 が 中 心 課 題 。コ ミ
第住3 宅
期(自立支援期)
ュ ニ テ ィ づ く り 、 災害公営住宅などの恒久住宅への移行が進む中、新しい恒久住宅における自立支援が中心課題。
地 域 見 守 り な ど の 対 策 が 求 め ら れ た 。 1999 年 12 月 20 日 に す べ て の 仮 設 住 宅 入 居 者
が ゼ ロ と な り 解 消 コミュニティづくり、地域見守りなどの対策が求められた。1999年12月20日にすべての仮設住宅入
した。
居者がゼロとなり解消した。
本 稿 、「 生 活 再 建
の取組み」では、第2期から第3期において、神戸市が、被災者の生活再建への道
「生活再建の取組み」では、第
3 期において、神戸市が、被災者の生活再建へ
筋 を つ け る た め に 本稿、
いかに取
組 ん で き た か を 中 心 に 取 り 上 げ2る期から第
。
の道筋をつけるためにいかに取組んできたかを中心に取り上げる。
.1.2 生 活 再 建 の 方 向 づ け
2.1.2 生活再建の方向づけ
.1.2.1
2.1.2.1 生活再建本部の設置
生活再建本部の設置
震災直後からの災害救助・復旧は神戸市全体の災害対策本部が設置され、各部局が分担して任務
震 災 直 後 か ら の 災 害 救 助・復 旧 は 神 戸 市 全 体
に当たった。災害救助の窓口は、民生局が担当した。
の 災 害 対 策 本 部 が 設 置 さ れ 、各 部 局 が 分 担 し て
1995年 4 月から民生局に臨時のプロジェクト組織として、「民生局災害復旧部」を設置し、避難
任 務 に 当 た っ た 。災
害 救 助 の 窓 口 は 、民 生 局 が
所、応急仮設住宅、給付金など被災者支援にあたってきた。
担当した。
184
1995 年 4 月 か ら
民生局に臨時のプロジェク
ト組織として、
「 民 生 局 災 害 復 旧 部 」を 設 置 し 、
避 難 所 、応 急 仮 設 住 宅 、給 付 金 な ど 被 災 者 支 援
設住宅などに移
8,140 人
1999
12.20
1995
8.20
1995 年 8 月 20 日
消 し た 。 一 方 で 約 30,000 世 帯 が 仮 設 住 宅 に 入 居 し た 。
期(生活支援期)
ら 恒 久 住 宅 へ の 移 行 期 。仮 設 住 宅 に お け る 生 活 支 援 と 、恒 久 住 宅 へ の 円 滑 な 移 行 を 支 援 す
課 題 と な っ た 震災から
。
1 年 3 か月を経過した1996年 4 月、民生局災害復旧部を引き継ぐ、独立した組織として
生活再建本部が設置された。
期(自立支援
期)
宅 な ど の 恒 久 生活再建本部の設置の目的は、被災者の生活再建の全般的な調整にあった。その背景として、仮
住 宅 へ の 移 行 が 進 む 中 、新 し い 恒 久 住 宅 に お け る 自 立 支 援 が 中 心 課 題 。コ ミ
り 、 地 域 見 守設住宅への入居がほぼ完了し、仮設住宅における生活見守りや、恒久住宅への移転支援が本格化す
り な ど の 対 策 が 求 め ら れ た 。 1999 年 12 月 20 日 に す べ て の 仮 設 住 宅 入 居 者
解消した。
ることになった。しかし、生活再建に関する神戸市の組織体制が必ずしも明確ではなかったため、
明確な責任体制のもとに、全市的施策を調整しながら進める必要があり、従来の組織とは独立した
再建の取組み」では、第2期から第3期において、神戸市が、被災者の生活再建への道
組織として設置された。
めにいかに取組んできたかを中心に取り上げる。
体制としては本部長以下50人のメンバーでスタートした。同時に、各区生活再建担当スタッフを
配置し、仮設住宅入居者等の被災者支援を、それぞれの区の福祉部門(福祉部)、健康対策部門
建の方向づけ
(保健部)と連携して、直接担当することとした。
その後、給付事業の拡充、仮設住宅の入居状況や支援策の展開を踏まえて、人員の増強と組織の
再建本部の設
置
再編が図られ、1998年10月のピーク時で、市職員100人、嘱託職員等200人の300人体制で被災者の
ら の 災 害 救 助・復
旧は神戸市全体
生活再建に取り組んでいった。
部 が 設 置 さ れ 、各 部 局 が 分 担 し て
た 。災 害 救 助 の 窓 口 は 、民 生 局 が
から民生局に臨時のプロジェク
、
「 民 生 局 災 害 復 旧 部 」を 設 置 し 、
仮 設 住 宅 、給 付 金 な ど 被 災 者 支 援
た。
年 3 か 月 を 経 過 し た 1996 年 4 月 、
1
図2 生活再建本部の設置
2.1.2.2 すまいの再生懇談会
被災者の生活再建に向けて生活再建本部を設置し、行政組織体制を強化するとともに、生活再建
に関する施策を展開するため、市民や学識経験者の方々から様々な観点からの意見をいただき施策
に反映するため「すまいの再生懇談会」を設置した。
同時に、この懇談会からの提言を受けて施策を決定・実施していく機関として市長を委員長とす
る、「すまいの再生推進委員会」を設けた。
くらしを復興するための住宅整備計画については、1995年 7 月に82,000戸の住宅供給が計画され
た。しかしこれは住宅建設のハード面に関するものである。家賃対策、高齢者のケアの問題、コ
ミュニティなどのソフト面、特に仮設住宅から恒久住宅への移転や、仮設住宅で生活する上で発生
する様々な課題に対応する施策が必要となった。
懇談会は、これらの課題に対して被災者を支援する視点から提言を得る場とした。
懇談会の場は、結論を求めるものではなく、被災者が生活再建を果たすまで間、生活再建を支援
する方策を検討し、その時点で生じている問題を議論し、行政への適宜適切な助言を行っていくこ
とを目的とした。
委員構成としては、福祉関係、住宅関係の学識経験者 8 名、仮設住宅代表 2 名、住民組織の代表
3 名、ボランティア代表 3 名の合計16名に加えて神戸市から 8 名のオブザーバーが参加した。
1996年 6 月から1999年 3 月 9 日の第11回懇談会で最終提言をするまで、32項目もの政策提言を
行ってきた。これらにより、実現された提言として次のようなものが挙げられる。
公営住宅募集相談会の開催、シルバーハウジングの実現、コレクティブアウジングの実現、仮設
185
同時に、この懇談会からの提言を受けて施策を決定・実施していく機関として市長
「すまいの再生推進委員会」を設けた。
くらしを復興するための住宅整
は 、 1995 年 7 月 に 82,000 戸 の 住
た 。し か し こ れ は 住 宅 建 設 の ハ ー
で あ る 。家 賃 対 策 、高 齢 者 の ケ ア
テ ィ な ど の ソ フ ト 面 、特 に 仮 設 住
の 移 転 や 、仮 設 住 宅 で 生 活 す る 上
課題に対応する施策が必要となっ
懇 談 会 は 、こ れ ら の 課 題 に 対 し
る視点から提言を得る場とした。
図3 すまいの再生懇談会
懇 談 会 の 場 は 、結 論 を 求 め る も の で は な く 、被 災 者 が 生 活 再 建 を 果 た す ま で 間 、生
住宅入居者の見守り活動、巡回健康相談、被災中高年恒久住宅自立支援制度など
方 策 を 検 討 し 、そ の 時 点 で 生 じ て い る 問 題 を 議 論 し 、行 政 へ の 適 宜 適 切 な 助 言 を 行 っ
とした。
2.1.2.3 生活再建支援プランの策定
委 員 構 成 と し て は 、福 祉 関 係 、住 宅 関 係 の 学 識 経 験 者 8 名 、仮 設 住 宅 代 表 2 名 、住 民
神戸市では、震災から 2 年を経過した1997年 1 月に「生活再建支援プラン」を策定した。これ
ボ ラ ン テ ィ ア 代 表 3 名 の 合 計 16 名 に 加 え て 神 戸 市 か ら 8 名 の オ ブ ザ ー バ ー が 参 加 し た
は、被災者の生活再建に向けてのグランドデザインを示すものである。
① 支援プラン策定の経緯
1996 年 6 月 か ら 1999 年 3 月 9 日 の 第 11 回 懇 談 会 で 最 終 提 言 を す る ま で 、 32 項 目
ってきた。これらにより、実現された提言として次のようなものが挙げられる。
被災者支援の重点が、緊急応急的な支援から、くらしの復興に移行する中で、これまで実施され
公 営 住 宅 募 集 相 談 会 の 開 催 、シ ル バ ー ハ ウ ジ ン グ の 実 現 、コ レ ク テ ィ ブ ア ウ ジ ン グ
てきた被災者支援の現状を踏まえ、今後の課題に対応していくために、施策の基本方向を展望しな
入居者の見守り活動、巡回健康相談、被災中高年恒久住宅自立支援制度など
がら必要な対策を講じていくことが求められた。
この対策を検討するため、市長を委員長とする「すまいの再生推進委員会」を設けるとともに、
新しく設置された生活再建本部が総括局と連携しながら生活再建支援施策の総合調整を行うことと
2.1.2.3 生 活 再 建 支 援 プ ラ ン の 策 定
した。
再建に向けてのグ
ラ ン ド デ ザ イ ン を 示 す も の神
で戸
あ市
るで
。は 、 震 災 か ら 2 年 を 経 過 し た 1997 年 1 月 に 「 生 活 再 建 支 援 プ ラ ン 」 を 策
その検討の中で、今後の政策課題として、恒久住宅入居後の生活支援、地域コミュニティの再
2
生、高齢者、障害者等自立困難者への保健・福祉サービスの拡充による自立支援を重要項目とし
の 重 点 が 、緊 急 応 急 的 な 支 援 か ら 、く ら し の 復 興 に 移 行 す る 中 で 、こ れ ま で 実 施 さ れ て き
策定の経緯
た。
の 現 状 を 踏 ま え 、今 後 の 課 題 に 対 応 し て い く た め に 、施 策 の 基 本 方 向 を 展 望 し な が ら 必 要
② 国の財政支援が不可欠
ていくことが求められた。
各支援策は、神戸市独自で実施できるものではなく、国の財政支援が不可欠であった。国(総理
検 討 す る た め 、市 長 を 委 員 長 と す る「 す ま い の 再 生 推 進 委 員 会 」を 設 け る と と も に 、新 し
府・阪神淡路復興対策本部)と協議を重ねながら検討を進めた。
生活再建本部が総括局と連携しながら生活再建支援施策の総合調整を行うこととした。
国との協議の中心は、既存の施策で対応できない被災者の「特別の状況」をいかに国に理解して
中 で 、今 後 の 政 策 課 題 と し て 、恒 久 住 宅 入 居 後 の 生 活 支 援 、地 域 コ ミ ュ ニ テ ィ の 再 生 、高
もらうかにあった。被災者の生活実態を説明しながら、現場の声を直接届けることで理解を求め、
等自立困難者への
保健・福祉サービスの拡充による自立支援を重要項目とした。
既存施策の量的拡大、質的拡充で対応できるもの、新規施策が必要とされるものに整理しながら国
援が不可欠
との協議を進めていった。こうした努力もあって支援策のほとんどについて国の支援が得られる見
、神 戸 市 独 自 で 実
施 で き る も の で は な く 、国 の 財 政 支 援 が 不 可 欠 で あ っ た 。国( 総 理 府 ・
通しとなった。
③ 策定プロセス
対策本部)と協議
を重ねながら検討を進めた。
の 中 心 は 、既 存 の 1996年12月末に、国との協議が調ったことを受けて「生活再建支援プラン」として成案をまと
施策で対応できない
別 の 状 況 」を い か に 国 に 理 解 し て も ら
。被災者の生活実態を説明しながら、
接 届 け る こ と で 理 解 を 求 め 、既 存 施 策
質 的 拡 充 で 対 応 で き る も の 、新 規 施 策
れるものに整理しながら国との協議を
。こ う し た 努 力 も あ っ て 支 援 策 の ほ と
国の支援が得られる見通しとなった。
ス
図4 生活再建の重要課題
月末に、国との協議が調ったことを受けて「生活再建支援プラン」として成案をまとめ、
186
日 に 、す ま い の 再 生 推 進 委 員 会 で 計 画 を 決 定 し 、直 ち に 市 長 が 国 の 関 係 省 庁 に 対 し て「 支
示 し 財 政 支 援 の 要 望 を 行 っ た 。 国 は こ の 要 望 を 受 け て 1 月 16 日 に 支 援 を 決 定 し た 。
状 況 」を い か に 国 に 理 解 し て も ら
災者の生活実態を説明しながら、
け る こ と で 理 解 を 求 め 、既 存 施 策
拡 充 で 対 応 で き る も の 、新 規 施 策
のに整理しながら国との協議を
め、1997年 1 月 8 日に、すまいの再生推進委員会で計画を決定し、直ちに市長が国の関係省庁に対
う し た 努 力 もして「支援プラン」を示し財政支援の要望を行った。国はこの要望を受けて
あって支援策のほと
1 月16日に支援を決定
支 援 が 得 ら れした。
る見通しとなった。
に 、 国 と の 協2.1.2.4
議 が 調生活再建支援プランの位置づけ
ったことを受けて「生活再建支援プラン」として成案をまとめ、
「生活再建支援プラン」では、被災者の生活再建に向けてのグランドデザインを描きつつ、先に
、す ま い の 再 生
推 進 委 員 会 で 計 画 を 決 定 し 、直 ち に 市 長 が 国 の 関 係 省 庁 に 対 し て「 支
財 政 支 援 の 要策定された「すまいの復興プラン」の家賃低減化対策を含むハード面の施策に引き続き、地域コ
望 を 行 っ た 。 国 は こ の 要 望 を 受 け て 1 月 16 日 に 支 援 を 決 定 し た 。
ミュニティづくりやいきがい就労を含めた被災者の健康確保や保健・福祉サービスの拡充に重点を
置いて施策を盛り込んだ。
建支援プランの位置づけ
プ ラ ン 」で は 、被 災 者 の 生 活 再 建 に 向 け て の グ ラ ン ド デ ザ イ ン を 描 き つ つ 、先 に 策 定
2.1.2.5 生活再建支援プランの概要
復 興 プ ラ ン 」の 家 賃 低 減 化 対 策 を 含 む ハ ー ド 面 の 施 策 に 引 き 続 き 、地 域 コ ミ ュ ニ テ ィ
「生活再建支援プラン」は、仮設住宅から恒久住宅への本格的な移行に伴い、地域コミュニティ
就 労 を 含 め た 被 災 者 の 健 康 確 保 や 保 健・福 祉 サ ー ビ ス の 拡 充 に 重 点 を 置 い て 施 策 を 盛
づくり、健康づくり、高齢者の安心づくり、児童・青少年対策、生きがい就労・生活支援を柱とし
て施策を展開している。
この「生活再建支援プラン」は、震災によって顕在化した超高齢社会への対応など、先導的・実
建支援プランの
概要
験的な施策も取り入れるとともに、個人補償に踏み込んだともいわれる「被災高齢者世帯等生活再
建支援金」も盛り込んだ。
プ ラ ン 」は 、仮
設 住 宅 か ら 恒 久 住 宅 へ の 本 格 的 な 移 行 に 伴 い 、地 域 コ ミ ュ ニ テ ィ づ く
高 齢 者 の 安 心 さらに、雇用問題については、市で実施できる生きがい就労だけでは限界があり、県など労働行
づくり、児童・青少年
労 ・ 生 活 支 援政機関に働きかけ、基金事業として新たな施策の実現に至った。
を柱として施策を展開
支援プラン」は、震災によって顕在
への対応など、先導的・実験的な施
ともに、個人補償に踏み込んだとも
図5 生活再建支援プランの位置づけ
齢者世帯等生活再建支援金」も盛り込んだ。
3
2.1.2.6 予算化とガイドブック配布
神戸市では、生活再建支援プランにもとづき、多様な支援策を総合的に推進するため、1997年度
予算において、生活再建支援プラン関係施策の実施で852億円、関連事業費を含めると2,005億円の
予算を計上し、被災者の生活再建支援を最優先に取り組むこととした。
その後、1997年度から1999年度の 3 か年で、545事業、5,543億円の事業費が計上された。
また、生活再建支援施策が被災者に十分周知されるよう、すべての支援策をわかりやすく解説
し、各種相談窓口の紹介なども盛り込んだ「生活元気アップガイド」として冊子にまとめ、すべて
の仮設住宅入居世帯に配布するとともに、区役所等で無償配布し、生活再建の手引書として提供し
た。
2.1.3 復興基金(支援事業の財源)
2.1.3.1 基金制度の活用
被災者のくらしを復興していくための支援事業には多額の財源が必要となる。今回の震災に対し
て、1,7921億円(2000年 1 月 3 日現在)という多額の義援金が寄せられた。しかし、被災者の数が
多く、一人あたりに換算すると生活復興に十分な額とはならなかった。
また、補助金等による従来の制度では、公平性、公共性の確保や個人補償はできないといった制
約を受けた。既存の法体系と財政制度の隙間を埋める形で、独自の施策を展開できるような制度が
187
.1.3
復興基金(支援事業の財源)
1.3.1
基金制度の活用
被災者のくらしを復興していくための支
事業には多額の財源が必要となる。今回
震 災 に 対 し て 、1,7921 億 円( 2000 年 1 月
日 現 在 )と い う 多 額 の 義 援 金 が 寄 せ ら れ た 。
かし、被災者の数が多く、一人あたりに
算すると生活復興に十分な額とはならな
った。
また、補助金等による従来の制度では、
平性、公共性の確保や個人補償はできな
といった制約を受けた。既存の法体系と
政制度の隙間を埋める形で、独自の施策
図6 復興基金の仕組み
展開できるような制度が求められた。ここで生み出されたのが基金制度の活用であった。
兵 庫 県 と 神 戸 市 が 求められた。ここで生み出されたのが基金制度の活用であった。
2: 1 の 比 率 で 200 億 円 を 出 資 し て 、 1995 年 4 月 に 「 財 団 法 人 阪 神 淡 路 大 震 災 復 興
兵庫県と神戸市が2:1の比率で200億円を出資して、1995年
金」が設立された。
4 月に「財団法人阪神淡路大震災復
興基金」が設立された。
1.3.2
復興基金運用のしくみ
2.1.3.2
興基金のスキームで
あ る が復興基金運用のしくみ
、 復 興 基 金 と し て 追 加 分 を 含 め 、 9,000 億 円 の 規 模 に な っ た 。
復興基金のスキームであるが、復興基金として追加分を含め、9,000億円の規模になった。
まず兵庫県と神戸市
が 金 融 機 関 か ら 資 金 8,8 00 億 円 を 借 入 、 こ れ を 復 興 基 金 に 無 利 子 で 貸 し 付 け る 。
まず兵庫県と神戸市が金融機関から資金8,800億円を借入、これを復興基金に無利子で貸し付け
基 金 は 、 200 億 円 の
基 本 財 産 と 合 わ せ て 9,000 億 円 を 金 融 機 関 に 預 託 し 資 金 運 用 す る 。 こ れ に 対 す る
用 収 益 が 10 年 間 でる。
、 3,589 億 円 が 得 ら れ 、 こ れ を 財 源 に 基 金 事 業 が 実 施 さ れ た 。
基金は、200億円の基本財産と合わせて9,000億円を金融機関に預託し資金運用する。これに対す
兵庫県と神戸市は、
金 融 機 関 か ら 借 り 入 れ た 8,800 億 円 の 利 子 負 担 と し て 、 3,420 億 円 を 金 融 機 関 に
払う。
る運用収益が10年間で、3,589億円が得られ、これを財源に基金事業が実施された。
兵庫県と神戸市は、金融機関から借り入れた8,800億円の利子負担として、3,420億円を金融機関
兵 庫 県 、神 戸 市 が 行
う 利 子 支 払 の 財 政 負 担 を 軽 減 す る た め 、国 は 2,593.5 億 円 を 交 付 税 と し て 補 填 し
。
に支払う。
兵庫県、神戸市が行う利子支払の財政負担を軽減するため、国は2,593.5億円を交付税として補填
4
した。
2.1.4 生活再建の取り組み
2.1.4.1 仮設住宅の見守り、生活支援
① 生活支援アドバイザーの派遣
1996年 8 月から生活支援アドバイザーを45人でスタートした。その後、1997年10月には97人に増
員された。アドバイザイーの主な業務は、恒久住宅確保に係る情報提供や相談・支援、生活支援の
ための情報提供や関係機関との連絡調整などである。生活支援アドバイザーは、恒久住宅の確保支
援、入居者ニーズの吸上げ、要援護者のケア、仮設住宅の適正管理などの役割を果たした。
② 見守り体制の展開
仮設住宅での見守り活動は、民生委員・児童委員と友愛訪問グループを中心とした訪問活動から
スタートした。1995年 8 月から「すれあい推進員」や「ふれあいセンター」が設置され入居者相互
の見守り活動が展開された。
一方、行政は、区の福祉部・保健部のケースワーカー、保健婦、精神保健福祉相談員等がそれぞ
れ立場で入居者のケアを進めた。各区ごとに「生活支援連絡会」を設置し、情報を交換しながら対
策を議論し実行に移された。
「地域による見守り」と「行政による見守り」が連携し、これに「ボランティアによる見守り」
が加わる形で、見守り体制が確立されていった。
188
③ 訪問健康調査
仮設住宅入居から 1 年をこえ長期化するにつれ、入居者の心身両面にわたる健康状態の悪化が懸
念された。このため、1996年11月から12月にかけて、全入居者(49,033人)を訪問して健康状態を
調査した。
調査項目は、本人の健康状態、通院や健康診査の受診状況、生活や仕事の状況等である。
調査の結果、健康状態の非常に悪いと回答した人などを対象に保健婦が個別訪問し状況把握を行
い必要な対応を行った。
④ こころのケアセンター事業
被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の予防と情報提供、被災者のこころのケアを図るた
め、1995年度から1999年度までの 5 年間、10か所設置された。
相談活動と出会いづくり、ボランティア等支援者のこころのケア(コンサルテーション)、アル
コール依存症問題等への対応(ピアカウンセリング)を実施した。
⑤ 巡回健康体操などの支援事業
ふれあいセンターで実施。神戸市体育指導委員、神戸市スポーツ相談員と保健所が連携して実施
した。
⑥ 生きがい「しごと」づくり事業
震災で内職などによる収入や地域とのつながりを失った高齢者等に、手芸や大工仕事など技術や
知識を生かした製品づくりを通してコミュニティを育むとともに、小遣い程度の現金収入を得るこ
とで、生きがいをもって自立した生活を取り戻してもらえるよう取組んだ。
2.1.4.2 恒久住宅等への移転支援
① 入居促進センターの設置(1998年 4 月)
1998年 4 月に、仮設住宅から恒久住宅への移行をより一層進めるため、生活再建本部の事務所を
移転して、「神戸市入居促進センター」を開設した。
1998年 4 月現在での仮設住宅入居者は15,895世帯、そのうち移転先未決定世帯は約5,000世帯であ
り、当面、移転先の住宅を決めることが最大の課題とされた。
② 恒久住宅への移転支援のための取り組み
・公営住宅の供給と家賃低減対策
1996年 2 月実施の仮設住宅入居者調査の結果、公的借家を希望する世帯が全体の74%、高齢者
世帯42%、年収300万円未満の世帯70%という厳しい状況であった。このため①低所得者向けの
公営住宅の供給増、②公営住宅等のさらなる家賃の低減化が図られた。
・民間賃貸住宅家賃負担軽減事業(1996年10月~)
民間賃貸住宅等に入居した被災者に対して、家賃の初期負担を軽減することにより、生活再建
の促進を図るため、1996年10月、復興基金を活用した「民間賃貸住宅家賃負担軽減制度」を創設
した。その後の制度改正があり最終的には2001年度まで最高で162万円の補助を行った。
・公営住宅入居待機者支援制度(1998年 5 月~)
公営住宅の完成待ちの間(最も遅い完成住宅:2000年 5 月)、一時的に兵庫県住宅供給公社が
民間住宅を借り上げて提供するもので、1 日も早く落ち着いた生活をしていただくための制度で
ある。
家賃助成限度:月額 7 万円 最長 2 年間(2001年 3 月末まで)。
・持家再建待機者等支援制度(1998年 7 月~)
持家等の完成待ちの間、一時的に入居する民間賃貸住宅の家賃の一定額を助成する制度であ
189
る。
家賃助成限度額:月額 3 万円(引越し費用 5 万円加算) 最長 3 年間(2001年 3 月末まで)。
・公営住宅募集相談会・バス見学会
仮設住宅ごとに募集相談会を開催した。市職員が、公営住宅の申込みに関する質問や記載指導
等に応じた。また市職員、生活支援アドバイザーが個別訪問し面談相談を行った。郊外に建設さ
れた災害公営住宅への応募を促進するため、バスをチャーターし住宅や周辺の利便施設を案内す
る住宅見学会を開催した。
・住宅再建相談所の運営
西部地域での住宅再建が遅れていたため長田区に住宅再建相談所を設置し相談に応じるととも
に、住宅再建ヘルパーの派遣を行った。
・引っ越しボランティア
高齢の単身者や障害者等で自力で仮設住宅から恒久住宅への引越しが困難な世帯の転居を支援
するため、ボランティア団体や民間企業等が連携して1997年 4 月に「市民版ひっこしプロジェク
トネットワーク」が発足し、各区のボランティアセンターと連携しながら、引越し支援のボラン
ティア活動を展開した。
2.1.4.3 恒久住宅移転後の生活支援
① 恒久住宅生活支援プロジェクトチームの設置
災害復興住宅は、全戸が新規の入居者で、コミュニティづくりは一からのスタートであった。高
齢者世帯の割合が高いため、地域での見守りをサポートする必要があった。
1997年 7 月、被災者の恒久住宅移転後の生活支援策を強化するため、各区役所に区長をリーダー
とする「恒久住宅生活支援プロジェクトチーム」を設置した。
被災者の恒久住宅移転後の生活支援策を強化するため、地域見守りや健康相談等の生活支援事業
の推進と、ウエルカム運動を展開している「元気アップ神戸」市民運動との連携強化を図った。
② 様々な支援員の配置
・生活復興相談員の配置(1997年 1 月~)
恒久住宅入居時に巡回訪問し、設備等の使い方の説明を中心に見守り活動を行った。
・高齢世帯支援員の派遣(1997年 5 月~)
原則として、65歳以上の高齢単身者と若年障害者を対象に巡回訪問活動を行った。
入居後、概ね 2 年間、社会福祉施設の職員を派遣した。
・生活援助員(LSA)の配置
シルバーハウジング入居者を対象に、社会福祉施設から生活援助員を派遣し、巡回による入居
者の安否確認、生活相談、緊急対応の実施、コミュニティづくりに重点を置いて活動した。
・健康アドバイザーの配置(1997年10月~)
新たな環境のもとで生活する被災者に健康支援を図ることを目的に、各区保健部の保健婦と共
同して、訪問活動を展開した。
③ 入居後の支援事業の展開
・見守り活動の充実
従来からの、民生委員・児童委員や友愛訪問グループによる見守り活動を強化した。
・保健婦による巡回健康相談
保健婦による全戸訪問による巡回健康相談を行い、仮設住宅で保健指導を行っていた人や新た
に対象として把握された人を含めて、必要な人に継続的な訪問指導を行った。
(継続件数:1999
190
年10月末で、3,773人)
・コミュニティの再生
各区に地域福祉コーディネーターを配置し、さまざまな支援員や地元団体の協力を得ながら、
あらたなコミュニティづくりを支援する活動を展開した。
・小地域での見守りネットワークの推進
各区レベルで「地域見守り推進会議(サポーター会議)」を開催し、関係者間で役割分担や情
報の共有化、支援活動の調整を行った。さらに住宅単位で、その住宅の支援に携わっている関係
者で連絡会を開催し、生活支援に関する情報交換を行った。
2.1.4.4 生活支援
① 生活再建支援金の実現
被災者の生活再建を支援する上で、最も大きな課題は、生活の支援、生活費の支援であった。恒
久住宅移転後、自立した生活を取り戻していくためには、当面の生活資金の助成が不可欠である。
被災者からも「直接現金給付」の要望が強くなっていった。
「個人補償はできない」とする国の考え方がある中で、国との協議の結果、1996年12月に復興基
金に3,000億円を積み増しすることにより生活再建支援金制度が実現した。
② 支援金制度の拡充
・被災高齢者世帯等生活再建支援金(1997年 4 月~)
恒久住宅に移転した、低所得の高齢者(65歳以上)や障害者等要援護者が対象とされた。
支給金額 月額 2 万円(単身世帯は 1 万 5 千円) 支給期間 5 年間
・被災中高年恒久住宅自立支援金(1997年12月~)
その後、制度の拡充が図られ、被災による経済的負担が重く、恒久住宅移転の伴う諸経費負担
の大きい中高年にも拡大された。
対象者 恒久住宅に移転した、年間総所得507万円以下の45歳以上の世帯
支給金額 月額 2 万円(単身世帯は 1 万 5 千円) 支給期間 2 年間支給
・被災者自立支援金(1998年 7 月~)
上記の制度を一本化
対象者 恒久住宅に移転した世帯
所得要件 世帯全員の所得が346万以下、45歳以上世帯510万円以下、60歳以上世帯600万円以
下
支給金額 100万円(所得が346万円を超える世帯は半額)
2.1.4.5 被災者生活再建支援法(1998年 5 月)
基金事業による、被災高齢者世帯等生活再建支援金や被災中高年恒久住宅自立支援金では被災者
の救済には不十分であるとして、災害時の公的支援を求める国民的な運動が全国的に繰り広げられ
た。この結果、1998年 5 月に「被災者生活再建支援法」が国会で成立した。
(概要) 支給金額 支援金 100万円(使徒限定)
2007年改正 使途制限なし 付加支援金追加 50万円~ 200万円
しかし、この法律は、法律の施行後の災害にのみ適用されることとなったが、国会における付帯
決議で、阪神淡路大震災の被災者に対しては、法と同等の行政措置を講ずることとされ、上記
2.1.4.4②の被災者自立支援金として実施された。
被災者生活再建支援法は、その後の全国で起きた災害に適用され、2009年10月現在で約17,700世
191
帯、228億円が支給されている。
2.1.4.6 仮設住宅の完全解消
① 仮設住宅完全解消プログラムの策定
・恒久住宅移行プログラムの策定(1998年 8 月)
1998年 6 月末で約11,000世帯が入居していた。1999年 3 月末までを仮設住宅の入居期限として
目標をたて、入居者の自立のめどにより類型化し対応方針を立てて、それぞれ移転支援策を活用
して恒久住宅への移転を支援した。
・仮設住宅完全解消プログラムの策定(1999年 8 月)
1999年 6 月末で543世帯となった段階で、1999年 8 月「仮設住宅完全解消プログラム」を策定
した。
目標として、1999年 9 月末で「めどなし世帯」をゼロに、さらに1999年12月入居者ゼロが掲げ
られた。
② きめ細かい移転支援
・入居類型別の移転支援
公営住宅階層で住宅未決定、公営住宅階層の若年者、非公営住宅階層でめどなし、自立困難世
帯
世帯ごとの異なった自立への方策を的確に把握し検討しながら、きめ細かい移転支援に努めた。
・神戸市自立支援委員会
93世帯の自立困難世帯の支援について、行政の
対応だけでなく学識経験者やボランティア等専門
的な立場から意見・アドバイスをいただき、問題
解決への糸口を探り移転支援に役立てるために設
置した。
特に困難な20事例を集中審議して意見・アドバ
イスを受け職員が問題解決にあたりすべての事例
が解決した。
③ 仮設住宅の完全解消
公営住宅の個別あっせん、民間賃貸住宅等への誘
導に総力をあげ、困難事例は自立支援委員会の意見
をもとに、担当職員のチーム替えも行いながら解決
の糸口を探った。この結果、1999年 9 月末でめどな
し世帯がゼロとなった。あと引っ越しの応援に生活
写真1 台湾への仮設住宅輸送風景
(平成11年10月2日撮影)
再建本部100人にスタッフが総動員してあたった。
これらの取組により、目標の1999年12月20日に仮設住宅入居者がゼロとなった。
④ 海外再利用
撤去後の仮設住宅の有効利用を図るため多くの仮設住宅が、国外の災害援助のために提供され
た。
中華人民共和国、フィリッピン共和国、インドネシア共和国、トルコ共和国、バヌアツ共和国を
はじめ12,624戸が再利用された。
192
2.1.4.7 地域見守りの一般施策化
① 超高齢社会を先取り
・高齢者の集住
阪神淡路大震災では、震災前から神戸市の中でも高齢化の進んだ市街地が被災した。このた
め、仮設住宅や移転後の災害公営住宅での高齢化率が他の地域に比べ高くなった。
1995年12月の仮設住宅の調査では65歳以上の高齢者の割合が31.2%で、1995年10月の神戸市全
体の高齢者の割合、13.5%と比較して倍以上の高さであった。
また、移転後の災害公営住宅についてみると、2001年12月末現在で43.2%であり、1 年前の
2000年10月現在の全市16.9%に比べて極めて高い数字になっている。
・超高齢社会を先取り
被災者が入居した仮設住宅、災害公営住宅において展開された見守り活動は、この超高齢社会
における地域見守り活動のモデル的意味をもっていたといえる。
・全市的展開
神戸市全体での高齢化は2005年10月で20.0%に達し超高齢社会を迎える。被災者支援のために
展開されてきた地域見守りが一般施策化され、全市的に展開している。
② 地域見守りの全市的取り組み
・見守り推進員
具体的にみると、仮設住宅、災害復興住宅で実施してきた様々な臨時的支援策が一般施策化さ
れ、従来の民生委員・児童委員や友愛訪問グループによる見守り活動に加え、2001年度から、あ
んしんすこやかセンター(地域包括支援センター)に見守り推進員が配置され、民生委員・児童
委員、友愛訪問グループと連携・協力して、地域住民による見守りができるよう支援している。
また、災害復興住宅を中心に見守り推進員が高齢者の安否確認のため訪問活動を行っている。
・小地域見守り連絡会
小地域で、民生委員・児童委員、友愛訪問グループ、見守り推進員、関係行政機関等が参加し
て、小地域見守り連絡会を開催し、情報や意見交換を通じて地域見守り活動の充実を図ってい
る。
2.1.5 生活再建の重要なポイント
2.1.5.1 時間の経過と問題状況の変化
第 2 期のはじまる1996年 4 月ごろには約30,000世帯の被災者が仮設住宅に入居していた。1996年
6 月に「すまいの復興プラン」を策定し、公営住宅の供給と家賃の低減化を明確にし、被災者のす
まいへの展望と安心感を与えることができた。
しかし、被災者の生活の状況を見るとすまいだけの問題ではなかった。暮らしを復興するために
は経済基盤の復興、まちづくりの整備等、長期間にわたり取り組まざるを得ないものがあった。
また、被災者の抱える問題も時間の経過の中で個別化・細分化しつつあった。震災直後からの混
乱から長引く避難生活によって被災者全般に疲労が見え始め、ストレスやアルコールに起因する健
康問題も深刻化するとともに、被災者間の格差も広がりを見せつつあった。
2.1.5.2 大都市災害ときめ細やかな支援策の要請
生活再建を困難とする要因に、様々な問題が相乗していることにある。被災者の抱える問題に
は、震災による直接的な要因によるものと、大都市の抱える諸問題が顕在化した潜在的な要因によ
るものがある。
193
仮設住宅自体に係る問題(住みにくさ、被災地から遠距離といったロケーションの問題)、これ
まで住んでいた地域のコミュニティが崩壊したことによる不安、情報の不足による不安や混乱、資
産(ストック)の滅失・低減による将来への不安、職場の滅失、失業等による収入(フロー)の減
少などは、震災によって直接もたらされた問題である。
一方、高齢化の進んだ地域、零細地場産業の集中する地域が被災したことにより潜在的問題が顕
在化した。核家族化により高齢者のみ世帯の割合が極めて高いなか、こうした高齢者が仮設住宅や
公営住宅に大量入居したことにより超高齢社会における様々な問題が生じた。それに不況といった
経済環境に加えケミカルシューズなど零細地場産業の集中する地域が被災したことにより、もとも
と抱えていた構造的問題が顕在化した。
これらの要因が相乗する形で被災者のくらしに影響していた。このため生活再建のためには、被
災者の生活全般にわたるきめ細やかな支援策が要請された。
2.1.5.3 復興基金の意義
復興基金による支援事業の財源創出の仕組みは、阪神淡路大震災以降の災害にも、被災自治体
が、既存の法体系や財政制度の隙間を埋めながら、機動性・弾力性をもって迅速に、支援事業を実
施するための仕組みのモデルとして生かされている。
2.1.6 評価
今後の生活再建を考える上で参考とするため、震災から 5 年目の検証で明らかにされた生活再建
における重要な要素と国の制度上の課題を指摘しておく。
2.1.6.1 生活再建の 7 要素
震災 5 周年を機に行われた震災復興の総括・検証において「市民による草の根ワークショップ」
が開催された。このワークショップで出された市民の生活実感にもとづく生活再建の実態に関する
意見から、生活再建に関しては、すまい、つながり、まち、そなえ、こころとからだ、くらしむ
き、行政とのかかわりの 7 つの要素が浮かびあがった。
人々の生活基盤となる「すまい」が最も多いのは当然として、「つながり」が「すまい」と並ん
で多いことが注目される。これは被災者の生活再建を支えるうえでコミュニティづくり、人間関係
づくりが大切であることを示唆している。
2.1.6.2 災害救助法と大震災
① 現物給付と金券給付
日本における災害救助法は、応急的、一時的な救助を前提としており、食事の提供、避難所の設
置、応急仮設住宅の供与など現物給付が原則となっている。しかし、この現物給付の原則は、阪神
淡路大震災のような大災害に適用するには多くの問題があった。
② 自力仮設住宅への補助の問題
自力で用地を確保し仮設住宅を建てようとする方や、被災地で営業を続けるために店舗付きの仮
設住宅を必要とする被災者もいた。こうした自力での仮設住宅建設に補助が可能であれば、元の居
住地に住みたいという被災者の要望に応えることができ、自営業者の経済的救済、被災地のコミュ
ニティ維持にも一定の寄与ができると期待された。しかし、個人補償はできないという原則に抵触
するとの理由で認められなかった。
194
③ 食品供与での金券方式導入の問題
震災直後のガス、水道などライフラインが遮断されている中では弁当による食事の提供には有効
であった。しかしライフラインの復旧に伴い、食料品店や飲食店も徐々に再開してきたことから、
被災者のニーズに柔軟に対応し、同時に被災地の食料品店や飲食店の振興にも寄与する金券方式導
入を国に要望したが、災害救助法の理念から認められなかった。
④ 政令指定都市と権限のあり方
災害救助法による応急救助の実施主体は都道府県知事で、市長村長はこれを補助することになっ
ている。政令指定都市(大都市)は、通常時の福祉行政では国と直接折衝しており、また行政能力
も十分ある。
住民と最も身近な行政主体である政令指定都市に県と同じような権限を与えることにより、住民
ニーズに直結した迅速、的確な救助の実施を図る必要がある。
これについては神戸市の提言を受け国の災害救助研究会では、今後の検討課題とされた。
2.1.7 結論
被災者が、震災によって失なったものは、すまいだけでなく仕事、家族をも失った方々も多い。
また生活を支える地域コミュニティも崩壊した。また都市基盤も大きな打撃を受けた。加えて長引
く避難生活によって被災者自身の健康にも影響を及ぼすこととなった。被災者の生活再建を支援し
ていくためには、被災者が直面しているくらし全般にわたる重層的な諸問題に対応していく必要が
ある。
被災者の生活再建にあたっては、避難所、応急仮設住宅そして恒久住宅へとその生活基盤として
の住まいの確保をはかりつつ、生活再建のための実施体制として生活再建本部を立ち上げるととも
に、生活再建支援プランにより、被災者の生活再建に向けた「医」「職」「住」にわたる総合的なき
め細やかな支援施策を展開してきた。
都市基盤、経済基盤の復興には長期の年月を要するものの、震災から5年を経ずして全ての仮設
住宅入居者が恒久住宅へと移行できたことは、神戸市が取り組んできた生活再建支援の取り組みが
一定の成果をあげたものと言える。
また、仮設住宅、災害復興住宅で実施してきた地域見守り活動が全市域に拡大していることは、
生活再建支援施策が超高齢社会における施策を先取りし有効性を実証できたことを示すものであ
る。
これらは、行政の取り組みだけでなく、NPO、ボランティアをはじめ被災者を支える人々のパー
トナーシップがあってはじめて成し遂げられたものである。「つながり」の大切さをふりかえりつ
つ結語としたい。
2.2 阪神・淡路大震災後の神戸市における高齢者・障害者に対する支援
2.2.1 テーマの背景
阪神・淡路大震災の直後から15年を経た今日に至るまでの、被災高齢者・障害者を対象に神戸市
が行った二つの事業の実践報告である。この事業の特徴は、仮設住宅や復興住宅において、地域住
人どうしによる助け合いや、地域からの支援を得るコミュニティづくりめざし、コミュニティワー
クの技術を基盤に展開実践していったことである。
はじめに、高齢者障害者向地域型仮設住宅1)(以下、地域型仮設住宅)の取り組みについて報告
する。
阪神・淡路大震災により家屋を失った被災者は、学校の教室や公民館などの避難所で暮らした。
195
兵庫県・神戸市は被災者を対象に急ピッチで仮設住宅を建設した。この仮設住宅は台所、トイレ、
風呂付の一室または二室の平屋建て住宅であり、建設には広大な土地を要した。神戸市では北区や
西区または神戸港の埋め立て地など広い土地が確保できる地域に建設していった。多大な被害をう
けた被災地は、古くから開かれた神戸市の南部の町であり、高齢者が多く住む地域であった。大量
に建設された遠方の仮設住宅には、高齢者や障害者は日常の買い物や医療機関に通院できなくなる
と危惧して転居することができずに、避難所に残り生活を続ける人が多かった。極寒の時期であ
り、空き教室に雑魚寝状態の共同生活であったために体調を崩していく人が多かった。
神戸市は、被災高齢者と障害者を対象に、1,500戸の高齢者障害者向地域型仮設住宅1)(以下、地
域型仮設住宅)を建設した。地域型仮設住宅は、プレハブの2階建ての寮形式で、一棟に50室程度
の部屋があり、台所・風呂・トイレは共有であった。高齢者が多く住む市街地の21か所の児童公園
に、総数84棟を建設した。
この地域型仮設住宅の入居対象者は、重度の知的障害者・身体障害者・精神障害者と高齢者のみ
であった。三障害と高齢者が同居の地域型仮設住宅は、日本では(世界的に見ても)未経験の分野
であり、すべての入居者が、福祉サービスの対象者であった。個人を対象にケアプランをたてる
と、ホームヘルパーやディサービス、移送サービス等多くのサービスが必要となる。単一の障害者
や高齢者が生活する入所型施設よりも、多くのスタッフが必要であると予想された。
しかし、震災直後の地域の福祉施設は被害をうけており、スタッフも被災者が多く、地域の福祉
施設の力を借りるのは無理な状態であった。(当時、日本では介護保険開始前であり、個人に対し
てサービスを組むケアマネジャーはいない状況であった。)
この時のテーマは、震災直後のスタッフ体制が整わない中で、一棟・50世帯に一人の割合で配置
された生活援助員(ライフサポートアドバイザー以下LSA)がどのように支援を行ったかである。
次に、震災復興住宅の中に高齢者向住宅として建設されたシルバーハウジング事業の取り組み2)
について報告する。
震災の数年後、神戸市は28,000戸の復興住宅を建設した。自宅を再建することができた被災者は
自宅に戻ったが、高齢者にとって自宅再建は経済的にも困難であり復興住宅への転居者が多かっ
た。復興住宅の中に、被災高齢者のための特別な住宅としてシルバーハウジングを2,000戸以上建
設した。この事業は地域型仮設住宅で培ったLSA業務マニュアルを踏襲し、地域住人の助け合い、
コミュニティワークを重視した。
震災から15年たった現在、シルバーハウジングの入居者の平均年齢80歳に近くなり、一人暮らし
の高齢者が 4 分の 3 以上の住宅となっている。入居当初と比べて、入居者のニーズも変化してい
る。
筆者たちが考えている、現在のテーマは、わが国において近未来に必ずくる少子高齢社会を見据
えて、シルバーハウジング事業を組み立てることである。
2.2.2 テーマの概要と重要なポイント
2.2.2.1 地域型仮設住宅事業のテーマの概要
① 地域型仮設住宅の概要
地域型仮設住宅の第 1 号は、神戸市中央区の東川崎公園に建設された。プレハブの2階建で、工
事関係の事務所のような仮設住宅であった。入居は震災の年の 4 月27日から始まった。地域型仮設
住宅の募集要項によると、この仮設住宅の入居対象者は、身体的・精神的に虚弱な状況にある等の
理由により避難所での生活が困難と認められた人であった。具体的には身体障害、知的障害、精神
障害者の手帳保持者で、障害の程度が重度と認定された人であった。一般の仮設住宅の入居選考が
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抽選であったのに対して、地域型仮設住宅では、行政が選考して決定していった。重度な障害者や
年齢の高い高齢者にポイント加点をして、高い得点の人から入居決定をする方法で選考したのであ
る。
② LSA配置と課題
神戸市は、シルバーハウジングのLSAを参考に、50世帯に 1 名のLSAを配置して、この事業の展
開を試みた。同様の事業に対して、24時間三交代勤務で配置した他市もあった。神戸市では、被災
人口が多く、地域型仮設住宅を大量に建設しており、LSAの勤務は月曜日から金曜日の午前 9 時か
ら午後 5 時であった。
神戸市はこの事業を、神戸市の福祉関係の外郭団体である財団法人こうべ市民福祉振興協会(以
下、振興協会)に委託を決めていたが、急なことであったので専任のLSA確保ができなかったため
に、筆者等職員がこの事業をモデル事業と位置づけて担うことになった。
毎日、避難所から地域型仮設住宅に数名ずつ転居してきた。簡単な台所用品、食器、米、やぐら
炬燵等の生活に最低限必要な物の支給があった。筆者たちは日常業務があったため、ローテーショ
ンで勤務した。勤務者は転居してきた入居者に対して、この仮設住宅の使用方法やごみの出し方、
近所の買い物できる店や病院など日常生活に必要な情報を伝えた。近隣には市場や店舗もあった
が、被災して閉めている店も多かった。避難所では、三食の弁当の支給があったが、仮設住宅では
なかったため食事の確保は重要なことであった。
急造の仮設住宅のため、建てつけは悪く、薄い板壁のため、近隣の音の漏れ、生活習慣や時間の
差によって起こるトラブル等共同生活に馴れず、苛立っている入居者が多かった。個別支援では、
LSAは入居者の苦情を聞くのみで解決には結びつかなかった。生活を見ていると、震災で親しい家
族や友人を失い、財産家屋を失い、知人もいない仮設住宅で部屋に閉じこもっている人が多かっ
た。台所を使用しないで、時々で弁当を買ってくる人が多いように見受けられた。寂しいからと
LSA室に来る人もいたが、寂しさの中に沈んでいるようであった。
部屋が狭いため、車椅子を共有の廊下に置くと視力障害の人が移動時に車椅子ぶっつかる、精神
障害の人が夜毎隣室をドアノックする、障害のため入浴できないなどの課題もあった。
2.2.2.2 地域型仮設住宅のLSA事業の重要なポイント
① LSAはソーシャルワーカー
この事業を担当した筆者たちは、個別支援のみでは、生活リズムの違いによる苦情や共有部分使
用の苦情などは解決しないと感じた。まず、住人どうしの話し合いが必要だと感じた。この話し合
いを通じて、この住宅で元気に暮らしていくためには、入居者の持つ力を出し合い支えあうことが
重要であると感じた。障害や高齢に注目するのではなく、入居者の持つ強い部分に着目すると、
サービスの受け手ではなく、他者を援助できる人であることがわかってきた。LSAは、入居者の得
意な分野をみつけて、その力をコミュニティづくりに活かしてもらえるように心がけた。
重度障害者と高齢者のみの地域型仮設住宅では、地域の支援を得ることが重要であることに気づ
き、地域に対するコミュニティワークの展開を試みた。重複する部分もあるが、3 つの技術で分け
ると次のようになる。
② 三つのソーシャルワーク技術
・ケースワーク=個人に対する支援
個別の相談に関しては、ケースワーク技術を用いて相談に応じた。プライバシーをまもるため
に、開設当初は、LSA室のドアノブに「面接中」の札をかけていたが、長続きはしなかった。生
活の場で面接という言葉は馴染まなかったからである。震災により生活に困窮している人も多
197
く、生活保護などを紹介して課題解決をしていった。
神戸市が配置したLSAは特別養護老人ホームのベテランの介護職で、ホームヘルパーの経験者
であった。高齢者の心身状況の把握や予防的ケアの視点があり、個別の相談にのりながら、個別
ケアができたこともこの事業の成果に結びついた。
・グループワーク=集団に対する支援
高齢者、障害者のみの共同生活はさまざまなトラブルがあった。地域型仮設住宅は 2 階建てで
あったのでLSAはワンフロアーごとの話し合いを提案した。そこで、廊下ごとの世話役を決め、
入居者主体で共同生活の課題を解決していった。台所や風呂トイレは共有であったためトラブル
も多かった。これも、話し合いをするこにより、使い方や掃除の仕方を決めていきトラブルを解
消していった。高熱水費は共同使用で人数割であったため、電気代を節約しようと廊下の電気を
消して回る人がいる一方、視力が衰えて暗いと見えない人はつけて回っていた。これも、グルー
プで話し合い、神戸市に高熱水費は一定額にするよう申し入れてトラブルが解消した。生活上の
トラブルもグループで話し合うことにより、一方に偏ることなく解決していった。筆者たちは、
グループ力学が解決を導き出すことを実感した。
また、お茶会の企画も行った。入居者は支給された湯飲みをもって集まった。児童公園に建設
した建物なので、敷物持参で周りの木々を眺め、空を眺めた。自然の恵みの中で久しぶりに開放
感を味わい、自己紹介ゲーム等で仲間意識が芽生えていった。後には、入居者自身がお茶会や食
事会を企画していった。グループの話し合いで企画し、案内のポスター担当、買い物担当、ゲー
ム担当、会計担当等々を決めていった。
高齢女性は大人数の調理が得意であり調理担当、精神障害者は会計担当、知的障害者は買い物
の荷物もち担当など役割を決めていった。この事業に関しては、LSAは裏方で目立たないように
心がけた。LSAの行ったことは障害の部分に目を向けるのでなく、その人の持っている力に目を
向けて、力を出してもらうように声かけをしたことである。
この活動のなかで、近隣の助け合いが生まれていった。
・コミュニティワーク=地域に対する支援
被災高齢者と障害者のみの仮設住宅は地域住人の支援が不可欠である。地元の自治会・老人
会・婦人会・民生委員に呼びかけて外からの支援を得ていった。
火事が起きたら逃げることもできない集団である。地域と消防所の協力を得て火災時の避難訓
練を実施した。車椅子の入居者や視力障害の入居者は地域の人が助け出すことができるように扉
に目印のシールを貼った。LSAが勤務していない夜間・土日は近所の住人が見守りをしてくれて
いた。
弁当や食料を配達してくれる店、往診してくれる医師も重要な社会資源であった。地域の人と
顔なじみになることで、守られてきた部分は大きい。
親族とのつながりは、入居者がほとんど一人暮らしであったため連絡先としても重要であっ
た。入居者本人の了解を得てLSAは親族と連絡を取るようにしていった。親族にイベントの参加
を呼びかけることにより、近所どうしの親族の協力も生まれていった。
③ 少なかった外部からのサービス
開設当初は、重度の障害者と高齢者のみの地域型仮設住宅入居者が生活するためには、多くの外
部からのサービス導入が必要と予測していた。結果としては、入居者どうしが力を出し合い支え
あったことと、地域から支援をうけることにより、地域型仮設住宅においては外部からのサービス
導入は最小であったといえよう。
198
④ 神戸市の特徴
他市の24時間ケアつきの地域型仮設住宅を訪問すると入居者の表情は穏やかであった。一人の入
居者に一人の職員が世話をしているようであった。比べて神戸市の地域型仮設住宅の入居者は寒風
の中、足を引きずって食料を買いに出かけていた。時には隣人の分まで買っていた。その表情は厳
しいが人の助けを借りず、助ける喜びもあったように感じている。
一人配置のLSAが多かったが、LSA活動を支えたのは統括責任を委託されているこうべ市民福祉
振興協会である。各地に分散して活動をしているLSAに対して、月 1 回の研修会や情報交換会を
もった。LSAは各分野の専門の講師から講義や指導を受けることにより、専門的な知識と技術を
もって対応できるようになり、課題を解決していくことができるようになった。こうべ市民振興協
会は相談窓口として専任担当(筆者)をおき、業務マニュアルを作成して業務の基準を統一したこ
とも、LSAのみに負担をかけず事業の成功につながったと感じている。
⑤ 地域型仮設住宅から発信したコミュニティワーク
自宅再建や復興住宅の入居により、震災後 3 年を経て、地域型仮設事業は終了した。しかし、コ
ミュニティづくりが大切とする事業の方針は、復興住宅に転居した高齢者・障害者を支える高齢世
帯支援員事業に受け継がれた。この事業は後に、介護保険サービスの地域の拠点である地域包括支
援センター(中学校区に一ケ所開設)において神戸市独自事業でコミュニティづくりを専門とする
見守り推進員としての配置となった。高齢化が進む集合住宅の拠点として空き住宅を利用して展開
している、あんしんすこやかルームの見守り推進員事業にも引き継がれている。
2.2.2.3 シルバーハウジング事業のテーマの概要
シルバーハウジングは、国がシルバーハウジングプロジェクトを立ち上げ、住宅政策と福祉政策
が連携をもって取り組んできた住宅である。バリアフリーの住宅であり、緊急通報装置を設置して
いるとともにLSAを配置している。震災前から神戸市は 3 住宅建設していたが、震災復興住宅とし
て大量に建設、結果的には神戸市全域に38住宅2,341戸となった。当時、神戸市の建設戸数は全国
のシルバーハウジングの 4 分の 1 となり、ここに50名のLSAが配置された。地域型仮設住宅は、シ
ルバーハウジングのLSAをモデルに配置したが、神戸市においては、地域型仮設住宅で培ったLSA
事業を踏襲して、シルバーハウジングの事業を展開した。
国が決めているシルバーハウジングのLSA業務は個別支援であるが、神戸市では入居者どうしの
支えあいによる街づくり、コミュニティワークを取り入れたことが特徴である。
① 入居当初の様子とLSAの働き
復興住宅は被災者にとっては、恒久住宅であった。震災により住み慣れた地域から離れ、短期間
の間に避難所・仮設住宅と転居して、たどり着いた先は知人縁者のいない復興住宅であった。シル
バーハウジングでは、人とのつながりがないため住宅内に閉じこもる人が多く、アルコール依存症
になった人や、心の病になった人、認知症等で体調を壊す人が多かった。
高価な布団、換気扇のフィルター、浄水器等を売りつける悪徳商法が横行していた。ボランティ
アと称して、他家に入り込み高齢者の金品を搾取するなどの被害も続出していた。シルバーハウジ
ングのLSAは、地域住人に情報提供して悪徳商法の被害を食い止めることに努力をした。住人どう
しのつながりを作るために、ラジオ体操やお茶会等を企画していった。地域型仮設住宅は薄い壁一
枚で仕切られていたため騒音には悩まされたが、復興住宅は鉄筋コンクリート建ての住宅であり、
玄関の戸を閉めると中の物音が聞こえない。閉じこもったままの孤独死が問題になってきていた。
復興住宅は新設の地域が多く、人々がいっせいに転居した住宅地であった。当然ながら既存の住
人による組織のない地域であった。LSAは自治会、老人会等地域住人の組織作りにも側面的な支援
199
をしていった。
復興住宅が建設された当初は、阪神・淡路大震災復興基金からの助成金もあり、住人も元気でボ
ランティアの支援もあったので、LSAは側面的に支援することで、コミュニティづくりが成功して
いた。LSAはイベント等の情報を把握して入居に伝え、閉じこもることないように支援をしていっ
た。その後、助成金も廃止になり、住人の高齢化が進みボランティアの支援も減少してきた。
LSAが地域づくりの推進役を求められる状況になってきた。課題として、LSAには、コミュニ
ティ作りでお茶会等の企画をしたくても、集会室を借りる予算もなく準備のための予算もなかっ
た。予算をつけてほしいのが念願の希望であった。
② コミュニティづくりに予算がつくことの効果
2006年度にコミュニティ支援を行う事業「コミュニティサポート育成事業」が実施され、LSAは
年間約 5 万円の助成金で、生きがいや人の輪をつなぐ事業の展開をすることができるようになっ
た。LSAは喫茶・食事会・映画会・栄養教室・健康教室・季節ごとのイベントなど多彩な企画を、
各住宅において展開していった。LSAは福祉施設職員で行事企画は得意であったが、この事業は行
事企画の段階から、住人の力を得ること、それぞれの力を出してもらうことを目指した。企画・実
施・評価を住人とともにすることで、コミュニティの輪が広がっていった。住人にとって、世話を
されるより自分の力を出して人の世話をするほうが元気になれる。それぞれ持っている力を持ち寄
ることの喜びは、地域型仮設住宅で得たものであった。
③ 入居者調査からの検証
振興協会(後に社会福祉協議会)は、入居者の客観的な状況やニーズ把握をして、LSA研修や今
後の事業計画に役立てるためにシルバーハウジングの入居者に対する実態調査を行っている。
入居当初の1999年と2006年の比較をすると次のとおりとなっている。
入居人数と平均年齢は1999年では男性908名・71.2歳、女性は1,381名・73.3歳であり、男女合わ
せた平均年齢は72.6歳である。2006年では、男性942名・74.5歳、女性1,546名・76.4歳であり、男女
合わせた平均年齢は75.7歳である。1999年と比較して3.1歳高齢化が進んでいる。単身高齢世帯が全
体の 8 割弱であり、平均年齢は76.7歳である。
2 つの調査を比較すると、外出の回数、行事参加は 7 年を経た調査であるがほとんど変わってい
ない。炊事・洗濯・買い物・掃除の家事能力は、8 割以上の人ができるとしている。これもほとん
ど変わっていない。統計から見ると、シルバーハウジングの入居者は、元気に年を重ねている人が
多いという嬉しい結果を得ることができた。
入居当初多かったアルコール依存症やうつ病統合失調症は減り、認知症が 1 割と増えてきてい
る。介護保険の認定を受けている入居者が 3 割である。
この調査統計結果から見て、今後のシルバーハウジングの重要な課題は、一人暮らしの高齢者が
安心して元気に住宅に住み続けることとした。
一人暮らしの高齢者が多い集団である。緊急時にどのようにするのか、してほしいのかを入居者
自身が決めていくために「わたしのあんしんノート」作成も課題としている。
④ 2009年度の新しい企画
シルバーハウジング入居者の持つ課題も変化していることを把握して。2009年度は、コミュニ
ティサポート育成事業の中に次の二つのプログラムを入れるようLSAとともに準備を重ねていっ
た。
・認知症サポーター 100万人キャラバン研修
高齢化がすすむにつれて、どの住宅でも一割以上の認知症の住人が住んでおり、徘徊して帰れ
ない等の課題がでてきた。認知症の住人に対して、周りの住人がサポートしてうまく生活できて
200
いる場合もあるが、火でも出されたら困ると排除の動きになる住宅もあった。LSAに対しては、
認知症の研修を行い、LSA等周りの人の接し方が大切なことを教育していった。その後、「認知
症になっても安心してすみ続けられるシルバーハウジング」を目指して、入居者を対象に「認知
症サポーター 100万人キャラバンの研修」を実施している。2009年度は全シルバーハウジングで
この研修を実施し、認知症になっても支えあえる近隣関係をつくることを目標としている。認知
症は周りの理解と支援があれば、住み慣れた住宅で住み続けることができる。周りの見守りや声
かけや見守りが大切である。
・わたしの安心ノート(エンディングノート)
最期までシルバーハウジングで暮らすことを目指している事業であるが、入居者は多くの病気
をもっており体調の急変は避けられない。LSAはコミュニティサポート育成事業の中で、入居者
が体調不良で病院に運ばれる場面を想定した劇をするなど、緊急時に準備をしておくべきものを
入居者とともに考えて、日常から備えるよう助言をしている。
高齢単身者の入居者の中には、震災で身寄りの亡くした人や、あっても疎遠で連絡もとってな
い人も多い。緊急時の備えは、入居者自身がすることである。そのために、「わたしの安心ノー
ト」を、LSAとともに作成した。入居者はそれに記入して、健康保険証書と一緒に持つことをす
すめている。
⑤ 地域エコマップ3)
エコマップはAハートマンによって社会福祉実践用に考案されたものである。本人を中心として
家族や周りの人々や各社会資源の間に見られる課題の改善にむけてある解決の手がかりを提供して
くれる図式である。LSA業務においては、地域の社会資源との連携は重要であるが、LSAが個人的
に結びついたものは、人事異動でLSAの交代時に引き継がれないで、交代したLSAが一から作らな
ければならない状況があった。この課題解決のためにエコマップを利用した地域エコマップの作成
を 3 年前から試みている。地域の社会資源は貼りやすいように工夫したシールにあらかじめ印刷し
ておき、LSAを中心としたエコマップに貼り付け、関係性を把握していくのである。1 年に 1 回同
時期にLSAは地域エコマップ作成をして、担当のシルバーハウジングを取り巻く環境の地域診断を
している。また、同時に地域の特徴・課題、前年度に地域の課題としてあげたもの、これに対する
今までの取り組み、解決できたこと・未解決なこと、今回の地域エコマップを作成して見えてきた
もの、今後の取り組みを時系列的に記入するシートに書き込みしている。
地域エコマップを作成することで、一年間のLSAや入居者によるコミュニティワークの成果を診
断することができ、課題も明確にすることができる。また、前年にたてた課題に対する取り組みや
新しい課題も明確に把握することができる。また、LSAの交代時に社会資源を引き継ぐことも可能
になっている。
2.2.2.4 シルバーハウジングLSA事業の重要なポイント
① 超高齢社会の先取りと対策
シルバーハウジングは一人暮らし高齢者が 8 割近い住宅であり、超高齢社会の先取り住宅であ
る。
少子高齢社会は今後のわが国の重点課題である。1950年には総人口の 5 %未満であったが、2015
年高齢化率が25.2%となり 4 人に 1 人が高齢者となる。75歳以上の人口は2017年には75歳以下の高
齢者より増加しその後も増加していくと予想している。高齢化率は上昇するのに比して生産人口で
ある層は低下していく。高齢者が増えるにつれて介護を要する高齢者や認知症高齢者も増加が見込
まれる。
201
このような未来社会がシルバーハウジングでは、今到来しているのである。この事業の担当者
は、未来社会を見越して、シルバーハウジング事業を組み立てることを試みている。
「いつまでもお元気で、おとなり近所が助け合う暮らし」このシルバーハウジングの標語をもと
に、隣近所が気配りあい、助け合う暮らしを目指している。他から多くのサービスを導入するので
なく、入居者の持つ力を集めて助け合い支えあうことは、入居者の喜びと生きがいになっている。
震災後の高齢者障害者向仮設住宅の事業は、走りながら業務内容を決めていったのに対して、シ
ルバーハウジングは恒久事業である。入居者支援のためには必要なニーズ把握は、LSAが日常業務
必要と感じている情報を提供しあうことや、対応困難事例の学習や検討、ニーズ把握の調査等の方
法で行っている。課題解決のため、情報収集して、プランをたて実行している。未経験の分野であ
り、現場情報を把握が重要である。
② 意識してつくるコミュニティ
また、コミュニティは意識を持たなければ、見落としてしまう社会資源である。これを見える形
にした地域エコマップと、時系列の取り組み表は、LSAの意識の中に地域を社会資源として顕在化
させることに成功している。この二枚のシートによって、LSAは意識した形で地域の社会資源と連
携をとっていくことができるようになった。同時に、専門職としての視点でかかわりを深めること
が可能となっている。LSA交代時にも引き継いでいくことが可能であり、コミュニティワークの一
技法として有用であると感じている。虐待や孤立死や社会的サービスが届かないのは、孤立した状
況で起こるといわれている。認知症高齢者は、地域の見守りや良い対応があれば地域で暮らすこと
ができるが、見守りがなければ暮らすことができない。となり近所や地域の見守りは不可欠であ
る。LSAは地域の人に声をかけ、入居者を支える輪に入ってもらうことを依頼していくことも業務
としている。コミュニティワークは意識してつくり、意識して継続させる社会資源である。
2.2.3 評価(もし、もう一度同じことを繰り返すことなったら、そのときはこうする)
筆者は、与えられた福祉現場において、現場の課題をアセスメントして、課題解決のプランをた
て、それを実行可能にするための方策をたて、組織を動かし、実行していくことがソーシャルワー
カーの役割であると考えている。震災直後の同じ福祉現場であり、同じ一担当の立場で仕事をする
のであれば、同じ取り組みをするのではないかと思う。理解のある上司や同僚、LSAに恵まれたこ
ともこの事業の成功につながっている。
LSA業務が困難と感じた点に次のことがあった。新しい住宅に転居した入居者に対するふれあい
事業として、仮設住宅においてはふれあいセンター運営補助事業、復興住宅においては、コミュニ
ティプラザ運営事業があった。これらの事業に対しては、阪神淡路復興基金から助成金が支給され
た。この助成金を得て、地域住人はお茶会等のイベントを活発に行い、新しい地域で住人のつなが
りができていった。反面、100万円、200万円と多額の助成であったため、住人どうしのトラブルの
種になったところも多かった。自治組織が育っていれば、住人に渡す助成金は有効であるが、助成
金をめぐって自称自治会長の不正があり、また住人どうしが助成金の取り合いをしたのも事実もあ
る。
コミュニティ支援を心がけていたLSAはこの事業に協力していたが、トラブルに巻き込まれそう
になることもあった。同じ状況になるなら、地域のLSA等ソーシャルワーカーをメンバーに入れて
ほしいと感じている。
2.2.4 結論
LSAは住人と共に、喫茶・食事会・映画会・栄養教室・健康教室・季節ごとのイベントなど多彩
202
な行事を企画して、各住宅を展開している。これらの行事は、参加する人のための楽しみや生きが
いのためのみにあるのではない。地域で行事をする場合、調査結果から見ると参加者は多くて住人
の半数である。人と交わるのが好きな人もいれば、苦手な人もいる。心身の状態が悪くて参加でき
ない人もいる。コミュニティワークの重要な目的は、地域住人の助け合い見守りにある。具体的に
は隣近所に対する気配りや助け合いである。これをつくるための仕掛けが、楽しみの企画である。
LSAは、目的をもってコミュニティワークを行っている。
今後の日本社会は少子高齢社会の課題があり、国債大量発行のつけと、企業体質の弱体化による
財政難、生産人口の減少による人材不足など、非常に厳しい状況が予測される。日本は世界一の長
寿国であるが、介護を要する人も多く認知症の人も激増することが予測される。
このような状況にあって、個人を対象とした個別支援計画を立てると、財源的にも人材面から見
ても対応できない状況が来ることは明らかである。
介護保険のケアプランの立て方を見ていると、ケアプランは個別プランであり、自発的に能力を
活かすのでなくケアプランの中に組み込まれた受身的な能力活用に見受けられる。地域型仮設住宅
で体験したように、80 ~ 90歳の高齢であっても、重度の障害があっても、人の世話をして「あり
がとう」と感謝されることが、生きがいにつながり、いつまでも元気で生活することができるので
ある。認知症も激増する日本社会を予測するとき、人と人のつながり、近隣の助け合いは必要不可
欠である。
重度の知的障害・身体障害・精神障害の人と高齢者のみの地域型仮設住宅において、入居者同士
の助け合いや外部からの支援をえることができた背景には黒子のような見えない形ではあるが、
LSAの働きがあった。
入居者の 8 割が高齢単身者で、心身ともに病弱な入居者が多いシルバーハウジングにおいても、
病院や施設でなく最期まで住宅ですみ続けたいとの願いが適うのも、ご近所同士の支えあいがある
からである。シルバーハウジングでは、認知症高齢者も増えてきており、地域住人やLSAは認知症
住人をどのように支えるかの課題に対して、認知症の研修を受け、試行錯誤しながらともに住み続
ける道を探っている。徘徊で道に迷う人に対しての、住宅を取り巻く地域の人の協力は欠かせな
い。LSAはコミュニティエコマップを作成して地域の社会資源に気づき、挨拶をして関係をもって
いくことにより、シルバーハウジング入居者の支援者の輪を広げている。
ここまで書いて気づいたことは、筆者たちは住人をクライエントと見ていなかったことである。
ワーカーとクライエントの関係であれば、支援する側と受ける側に分かれて役割は固定する。固定
するとワーカーが、クライエントの力を引き出す立場になる。対等な立場であれば、力を持ち寄る
に代わる。クライエントは一方的に支援を受ける立場になってしまう。
地域型仮設住宅とシルバーハウジングの事業において、お互いに見守り助け合う住人はいるが、
クライエントはいないのである。介護保険等では、利用者増大を危惧してサービス量の削減を試み
ているが、地域で助け合うことによりサービス量は減り、人を助けることでお互いに元気になるの
ではないかとも思う。
阪神・淡路大震災により、被災高齢者のために建設されたシルバーハウジングの事業が今後の高
齢社会の有用なモデル事業となるように願っている。
註
1 )江間治 地域型仮設住宅は阪神淡路大震災から生まれた新しい住まいのかたち 3 頁
阪神淡路大震災地域型仮設住宅生活支援員の記録(おとしよりと障害のある方の助け合い) 1997年 3 月 財
203
団法人こうべ市民福祉振興協会
この報告集は地域型仮設住宅に係わったLSA、神戸市職員、振興協会職員の記録である。
2 )重野妙実 高齢者障害者向仮設住宅から高齢世帯支援員事業・シルバーハウジング生活援助員事業-合言葉
はコミュニティワーク- 14頁
神戸発 3 つのLSA事業 2000年 3 月 財団法人こうべ市民福祉振興協会
この報告集は、地域型仮設住宅、高齢世帯支援員事業、シルバーハウジング事業に係わった担当者の記録であ
る。
3 )重野妙実 神戸市社会福祉協議会が開発した「地域エコマップ」 73頁
2009年 3 月 福祉臨床学科紀要 神戸親和女子大学
204
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