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その 12 第 二 章 宿 の 街 / 過 渡
その 第二章 ●宿の街/過渡 格式高い要人の定宿 オーラたなびく昔日 ポジティブ思考 初版発行:2010 年 5 月 14 日 NEXT 12 格式高い要人の定宿 エレベーターの表示が「12」で止まった。 二〇〇八年一月三十一日 そこから右手に四十歩。廊下のカーペットがフカフカに感じるの は、庶民の自分だけだろうか。ルーム番号は「1251」とある。 TOP に戻る 34 レトロなシャンデリ アの下には調度品が 並ぶ。杉乃井ホテル Hana館の贅を尽 くした貴賓室は皇室 御用達でもある 2 【別府恋歌】 第2章●宿の街/過渡 p. 従業員がカチャリと部屋のキーを差し込んだ。 「ここが当ホテルHana館の、VIPをもてなす貴賓室です」 次の言葉に、のけぞった。「食事別で一泊十四万円です」 ● 杉 乃 井 ホ テ ル( 観 海 寺 ) は、 言 わ ず と 知 れ た 九 州 屈 指 の 大 型 リ ゾートホテルである。高台に鉄筋コンクリートの高層施設がそびえ た一九五〇―六〇年代以降、「要人」たちの定宿になっている。 東の角部屋「1251」は洋室だ。入って正面に五、六人掛けの ソファセット。ミニバーの前に八脚のテーブルセットをあつらえ、 別室にはキング、シングル両サイズのツインベッド。トイレは二つ ある。皇族、大物政治家、各国首脳クラス…。一九九七年の日韓首 TOP に戻る 脳会談では金泳三大統領(当時)が泊まった。 ● 静かに部屋を出た。再び、エレベーター前から歩測を開始する。 同 じ フ ロ ア を 今 度 は 左 手( 西 側 ) に 六 十 歩。 も う 一 つ の 貴 賓 室 「1263」は和洋折衷タイプになっている。入り口右側に「控え の間」(三畳)。ふすまを開けると床の間と和室(十畳)が広がり、 左を向くと、応接用のテーブルセットとソファセット。その向こう にツインのベッドルームがある。今の皇太子殿下が宿泊された。 双方の部屋とも広々としたクロゼットを完備。バスルームに温泉 は出ないが、もちろん、窓は防弾ガラスだ。眺望は申し分ない。 ● 同 ホ テ ル い わ く、「 年 間 稼 働 率 は ― % ぐ ら い で す。 普 段 は、 生活にゆとりがある方がお泊まりになられます」 。 25 モダンなスイートルームはほかにある。流行にとらわれず、昭和 の格式を重んじた空間。それが「貴賓室」である。 20 3 【別府恋歌】 第2章●宿の街/過渡 p. オーラたなびく昔日 襟 の 大 き い 白 い シ ャ ツ の 上 に、 紺 色 の セ ー ターを着こ な し て い た 。 細身のジーパン。ブラウン管や銀幕で見る以 上に脚が長 か っ た 。 ピンク色のパラソルが三つ並んだテラスの上 から、池のコイを眺めながら「なかなか、いい ホテルだな」と、その青年は言った。 ) = 駅 前 町 = は、 二〇〇八年二月一日 TOP に戻る 亀の井ホテルの元 営 業 部 長・ 星 野 昌 令 ( 映画のワン シ ー ン の よ うに記憶し て い る 。 「 何 と も 言 え ん オ ー ラがありま し た よ 、 石 原裕次郎は … 。 あ の 日 は桂小金治 と 一 緒 に 泊 まってまし た 」 一九六〇 年 代 半 ば の ことだ。 ● 宿の街・ 別 府 に は 過 去、頻繁に ビ ッ グ ネ ー ムが訪れた 。 亀の井ホテル本社(大分市西鶴崎)に保管さ れている芳名帳。昭和の名士たちが、宿の思 い出を記している 35 81 4 【別府恋歌】 第2章●宿の街/過渡 p. 「別府に泊まる」 興行、撮影、静養、お忍び…。高度経済成長期、 ことはステータスでもあった。 名前を挙げれば切りがない。 亀の井ホテルには芦田均、嵐寛寿郎、中村鴈治郎、市川小太夫、 火野葦平…。城山三郎は色紙に「こんこんと 根性出して 根気よ く ~別府にて」としたためた。 星野は「女優の池内淳子が来た際、世の中にはこんな美人がいる のか…とみんなで驚いた」。 ● 杉乃井ホテルの大劇場には、数多くのスターが立った。 61 TOP に戻る 美空ひばり、勝新太郎、森進一、小林旭、杉良太郎、細川たかし、 桂銀淑、小 泉 今 日 子 … 。 歌手のほかには力道山、岡本太郎、田中角栄、柴田錬三郎、夏目 雅子らも宿泊し、大山康晴と加藤一二三の名人戦(将棋)も開かれ た。 「部屋はみんなスイートか貴賓室。紅白常連組は毎回、付き人や 楽団など数十人を引き連れて来た」と元執行取締役の市議・野口哲 男( )。 ● 会長の牧野哲朗( )は懐古する。 「昔の別府には勢いがあった。ホント、いい時代でしたよ」 ジャンボ尾崎、ゲーリー・プレーヤーらも部屋から別府湾を眺めた。 石原軍団は映画ロケで四十連泊し、長嶋茂雄はチェックアウト後 の一週間後に婚約を発表。大平正芳、夏樹陽子、ザ・ドリフターズ、 武者小路実篤がひいきにしていたのは別府ホテル清風だ。今でも アントニオ猪木が定宿にしている。 63 5 【別府恋歌】 第2章●宿の街/過渡 p. ポジティブ思考 「総合消費会社」。そ う呼ぶ人も い る 。 食材、電 気 、 施 設 メ ンテナンス 、 ク リ ー ニ ング、清掃 、 温 泉 管 理 …。一つの 旅 館 ・ ホ テ ルには少な く と も 五 十 二〇〇八年二月二日 TOP に戻る 社以上が出 入 り す る 。 「 各 取 引 業 者 の 従 業 員や家族も含めれば …」。老舗ホテルのオー ナーは試算 す る 。 「 別 府 市 民 の 六 割 ほ どは、何ら か の 形 で こ の業界に関 係 し て る ん じゃなかろ う か 」 観光都市・別府が「宿 の街」たる ゆ え ん で も ある。 ● 頂点は一九七六年 だった。ア フ リ カ ン サ フ ァ リ の〝 開 園 特 需 〟 現在、別府市旅館ホテル組合連合会には 125 軒が加盟する。これも時代の流れなのか…。12 年前よりも 100 軒ほど減少している 36 6 【別府恋歌】 第2章●宿の街/過渡 p. に沸いたこの年、約六百十三万人が泉都で朝を迎えた。観光客数も 唯一の千三百万人台を突破した。 そこから、別府は長い下り坂のトンネルに迷い込む。 車社会が 到 来 。 旅行形態は団体から個人、国内から海外へとシフトし、交通網の 発達は人々を山間部の温泉場へと向かわせた。 温泉は格段、 掘削技術の進歩で全国津々浦々に天然湯がわく時代。 珍しくもな く な っ た 。 二〇〇四年、ついに宿泊客は四百万人を割り込んだ。 ● 泉都の「夜明け」はいつになったら訪れるのか―。 (文・首藤康、写真・杉山和也=別府支社) TOP に戻る 別府は雑多すぎて統一感や個性が何もない、と人は言う。確かに そうだろう 。 「だけどね、その言葉を裏返せば『別府は何でもある』という意 味にもなる」。 市旅館ホテル組合連合会理事長の上月敬一郎( )=おにやまホ テル社長= は プ ラ ス 思 考 だ 。 以上に焦る こ と は な い 」 六〇年代後半、旅館・ホテルは市内に八百軒ほど存在した。その 数は現在、 三 百 軒 余 り 。 ● 〝宿のデパート〟 「別府は別府らしく、小さな専門店がまねできない としての総合力を生かせばいい。危機感を忘れちゃいかんが、必要 安い湯治宿から一泊数万円の高級宿、さらにはビジネスタイプや 大型リゾー ト ホ テ ル も あ る 。 60 7 【別府恋歌】 第2章●宿の街/過渡 p. 【別府恋歌】 第2章●宿の街/過渡 p. ■オオイタデジタルブックとは 追加情報を受けながら逐次、改訂して充実発展を オオイタデジタルブックは、大分合同新聞社と 図っていきたいと願っています。情報があれば、 学校法人別府大学が、大分の文化振興の一助とな ぜひ NAN-NAN 事務局にお寄せください。 ることを願って立ち上げたインターネット活用プ NAN-NAN では、この「別府恋歌」以外にもデ ロジェクト「NAN-NAN(なんなん)」の一環です。 ジタルブック等をホームページで公開していま NAN-NAN では、大分の文化と歴史を伝承して す。インターネットに接続のうえ下のボタンをク いくうえで重要な、さまざまな文書や資料をデジ リックすると、ホームページが立ち上がります。 タル化して公開します。そして、読者からの指摘・ まずは、クリック!!! 大分合同新聞社 別 府 大 学 デジタル版「別府恋歌」 その 12 編集 大分合同新聞社 初出掲載媒体 大分合同新聞(2007 年 10 月 22 日~ 2009 年 3 月 14 日) 《デジタル版》 2010 年 5 月 14 日初版発行 編集 大分合同新聞社 制作 別府大学メディア教育・研究センター 地域連携部/川村研究室 発行 NAN-NAN 事務局 (〒 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社 企画調査部内) ⓒ 大分合同新聞社 TOP に戻る ●デジタル版「別府恋歌」について 「別府恋歌」は、大分合同新聞社が 2007 年 10 月 から翌 2009 年 3 月まで、同紙夕刊に掲載した連載 記事。今回、デジタルブックとして再構成し、公開 する。登場人物の年齢をはじめ文中の記述内容は、 新聞連載時のもの。 2010 年 2 月 26 日 NAN-NAN 事務局 8