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【 第 七 章 】 文 化 の 香 り 漂 う 竹 田 に
大分合同新聞社 那賀 泰彦 著 【第七章】 文化の香り漂う 竹田に 初版発行/二〇〇九年五月八日 NEXT 人柄を見込まれ指導陣に 復活の竹田へ転任 新 採 用 以 来、 年 間 に わ た っ て 指 導 し て き た 大 分 商 を 離 れ、 1978(昭和 )年春、松田監督は竹田高に転任した。滝廉太 野球部は関係者の熱意が実って前年秋、 年ぶりに軟式から 硬式に切り替わったばかり。復活戦の秋の九州地区大会県予選 と思うが、自分の場合はプラスだった」ともいう。 た」と振り返る。そして「転任は人それぞれに受け止め方は違う 新しい気持ちで頑張ろうという思いが強かった。貴重な経験だっ た。竹田高もまた進学主体の普通科高。松田監督は「すべてが新鮮。 郎や荒城の月などで知られる竹田には文化的な雰囲気が漂ってい 53 16 うな態度があったら野球部には指一本ふれさせない―と固く心に 足立監督は「松田監督が自分は名監督だ」という肩で風を切るよ しかし、野球部を復活させたのは自分たちだという自負もあった。 胸を張って野球部に乗り込んでくるという警戒感を持っていた。 足立一馬監督だった。2人とも〝古豪の監督〟が、当然のように た。こんなフレッシュなチームを指導していたのは工藤了部長と 大分商とは雰囲気が異なる学校に松田監督は赴任したが、大分 商とは違った意味で「ひたむきに一生懸命にやっている」と感じ 園を夢見て練習に励んでいた。 生9人のほとんどは軟式からの転向。1年生 人を加え、甲子 は守備力だった。新学年の4月、部員のうち3年生2人、2年 では別府商に0―9の七回コールドで敗れた。大差がついたの 25 14 TOP に戻る 2 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 「転任は貴重な経験だった」と振り返る松田監督 決めていた。工藤部長の思いも同じだった。 ところが実際にやってきたのは想像とは違う物静かな紳士。 そして、「私でよければ野球部のお手伝いをさせてください」と、 言葉遣いも含めてあくまで低姿勢。2人には「想像とはちょっ と違うな」という戸惑いもあったが、 すぐに副部長に決まった。 こうして3人態勢での指導が始まったが、足立さん(県教育次 長)は「大分商の監督をしていたようには見えなかった。強い チームの指導者はもっとあらましで激しい人かと思っていた が、あまりにも丁寧。何もいうことはなかった。いや、本当に まいりました」 と、 苦笑しながら当時を振り返った。工藤さん (県 立盲学校長)も「すごく頭 が低くてびっくりした。他 の先生に対しても丁寧。そ れでいて野球にかんしては 妥協しなかったが、あれだ け選手を引きつけたのには 驚いた。それに若い人を大 事にしている姿は勉強にな りました」という。 2人しかいない3年生の 衛 藤 投 手、 故 渡 辺 捕 手 の バッテリーを中心に精いっ ぱい頑張ったが、春の九州 地区大会県予選は大分に6 ―9で負けた。夏の全国選 TOP に戻る 3 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 手権大分大会ではこの年の県代表となった日田林工と対戦し た。衛藤悦郎さん(穂高ビューホテル常務取締役)は「先生が 一 番 強 い と こ ろ を 引 い て き ま し た が、 復 活 の 竹 田 に と っ て は で敗れた。だが、王者に対して5安 ちょうどいい。何の不足もない相手と話していた」と回顧。試 合は六回コールドの1― 打を放ち、1点を奪う健闘。その1点をたたき出したのは2人 の3年生の意地だった。 衛藤さんはこの試合のことをよく覚えている。 「一回表に1 点取られた後、すぐに先頭打者が四球で出塁。2番が送って3 番の渡辺が中前打。4番の私が中前タイムリーを打ってすかさ ず追いついた。しかし、ここまでだったですね。この試合はリ リーフ登板したんですが、林工の攻撃を止められなかった。力 の差はすごかった」という。 渡辺さんは昨年1月に亡くなったが、衛藤さんも渡辺さんも 硬式に転向した時、進学のことなどもあって野球はやめるつも りだった。しかし、足立監督の「お前がやるんなら渡辺もやる といっている」との言葉で野球部に残った。あとでわかったこ とだが、足立監督は渡辺さんにも同じことを言っていた。 「結 局は足立先生の作戦だったと思うが、硬式野球をやってよかっ たと思う。野球は今までの人生の宝です。帰郷すれば必ずたっ た1人の同期の渡辺のお墓参りをします」と衛藤さん。 松田監督とは3年生の4月からわずか4カ月間の野球部生活 だったが、 「初日からきつかった。基本の守備とバント練習が 中心。これが松田野球だった。でも〝鬼〟に教えてもらってよ かった」と懐かしそうに思い出を語った。 TOP に戻る 12 4 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 竹田でも監督に 猛練習で記念の1勝目 復活後初めての夏の甲子園大分大会で日田林工に敗れた 1978(昭和 )年夏、足立一馬監督(現県教育次長)は県 あまりニヤニヤしないように」と呼びかけた。2回戦で柳ケ浦 後、 大喜びのナインに向かって松田監督は「うれしいだろうが、 誓をしており、勝利は一段と華やかなものとなった。試合終了 全員安打での快勝に加えてこの大会では山村昌雄主将が選手宣 支部大会で勝ったことはあった。しかし、県大会では初勝利。 方工の3チームで新たに県選手権豊肥支部予選が始まり、この 勝目を記録した。この年の春、竹田が加わったことで三重、緒 こうして迎えた秋の九州地区大会県予選1回戦で竹田は臼杵 を八回コールド8―1で破り、県春日浦球場で復活後記念の1 い」と気持ちを新たにし、指導にも一段と熱気が加わった。 命に鍛えてきたが、「若いチームが強くなるには練習以外にはな 早くベスト8に入ろう」と決心して船出した。今までも一生懸 かった。松田監督は「多くの人に竹田を知ってもらうためにも、 人に監督として認められたわけで、責任は重いがやはりうれし すでに心は決まっていたのだろうか。秋から足立部長、工藤 了 副 部 長( 現 県 立 盲 学 校 長 ) 、松田監督での指導が始まった。2 とわざわざ松田監督の名前を挙げてコメントした。 春日浦球場で「松田監督もきたし、守備を鍛えて出直します」 53 に1―3で惜しくも敗れたが、柳ケ浦はこの大会でも準優勝し TOP に戻る 5 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. たほどの実力校。復活してわずか1年、竹田が実力をつけてき たことを証明した大会でもあった。 〝1回戦ボーイ〟から見事 この初勝利をきっかけに竹田は、 に脱出したが、それは厳しい練習のたまものでもあった。古沢 智幸さん(朝地町役場農業委員会係長)は「ひまをもてあまし ていたし、青春のあかしとして何かやってみたかった」と、松 田監督が竹田に赴任すると同時に2年生の春から野球部に入っ た。しかし、練習は想像以上。 「鍛えられた。『3年計画でチー ムをつくる』と話しており、ついていくのがやっと。松田先生 とは帰りの方向が同じだったので車で送ってもらっていたが、 帰ったら風呂に入ってご飯を食べてバタンです。次の日も同じ カバンを持って学校に行くような状態。でも野球部はよかった。 最後まで続けた。大分商の岡崎郁選手(元巨人)らプロに行く 竹田高でも心身両面にわたる鍛錬をした松田監督 TOP に戻る 6 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 来年こその決意を胸に球場を去る竹田ナイン ような人とも試合をやりましたよ」と思い出。 年春の九州地区大会県予選でも1勝。夏の甲子園大分大会 でも高専に6―5と競り勝ってうれしい夏の初勝利。 安打を て い ま し た。 エ ラ ー し た ら 最 初 か ら や り 直 し。 本ノックが りも練習のイメージの方が強い。それまでと練習の仕方が違っ 放った板井逸朗さん(緒方町役場産業振興課係長)は「試合よ まさに猛練習でつかんだ1勝だった。先頭打者として2安打を 放ちながらつながりを欠いて苦戦したが、 九回にサヨナラ勝ち。 12 は厳しかった。試合の時もびびって、へまをやってユニホーム もありました。 『1点取って守り抜け』というのが口癖で練習 ぎりのところに打ってくるんです。手袋で捕球の練習というの 100本くらいにすぐなりました。しかも捕れるかどうかぎり 10 を脱いで座らされましたが、野球部にいたことはプラスになっ TOP に戻る 79 7 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. ている」という。 2安打2打点の今沢盛治さん(竹田市役所建設課副主幹)も 「軟式の時は大会の1週間か2週間前から練習していたが、硬 式になってからは正月に1日だけ休み。文字通り盆も正月もな か っ た。 2 年 の 時 は 大 会 前 と い う こ と で 修 学 旅 行 に も 行 か な かった。夏の大会では三塁の頭上を抜くタイムリーを放ったの を覚えています。礼儀やしつけにもやかましく、あいさつの仕 方やユニホームの着方にもうるさかったです。でも勝てるよう になったのはいろいろなことを乗り越えて頑張ったからだと思 初戦の2回戦で中津北と対戦した竹田は凄絶(せいぜつ)な 打撃戦を制して ― で打ち勝った。一回と四回にビッグイニ 記念すべき出来事が起こった。 に力をつけ、1勝はできるチームに育っていたが、この大会で 学した選手が主力となっていた。ここまで復活して2年。徐々 54 14 12 TOP に戻る います」と振り返った。 松田監督の心身両面にわたる鍛錬で復活の野球部は徐々に変 ぼうし始めた。 目標の8強入り 花開いた「ひたむきな心」 年秋の九州地区大会県予選。竹田の新チー (昭和 ) 1979 ムは硬式野球部が復活して3代目。松田監督が赴任した年に入 8 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 厳しい練習で竹田野球部を鍛え上げた松田監督 ングをつくり、5点、6点と大量点を入れ、終盤の七回に1点、 八回に2点と勝負強く得点して決着。意気上がる竹田は続く3 回戦で桜丘(現楊志館)と当たった。一回に1点を許した竹田 は必死に追いかけ、八回に同点とし、九回に1点を入れてサヨ ナラ勝ち。姫野選手、後藤投手のしぶとい打撃が光った。こう して初の8強入りを果たし、ナインの胸は躍った。 準々決勝では名門津久見と対戦。1安打に完封されたが、復 活したときからの当面の目標だった〝エイト〟に初めて届き、 竹田野球部は学校内外でその存在をはっきりと認められた。「早 くベスト8に入りたい」と練習に打ち込んでいた松田監督の胸 にもつかの間の充実感が漂った。 中心打者だった阿南哲 也さん(竹田中教)は「初 め て の 8 強 入 り だ っ た。 無我夢中でした。一つ下 はよかったんですが、自 分たちは特に目立った選 手もいなかった。でもピ リ ピ リ し な が ら 練 習 し、 ミスをすると気合を入れ られ、座らされ、走って 帰らされるなどしながら 頑 張 っ て き た 成 果 で す。 松田先生と一緒に入った ので実質的な1期生。『捨 TOP に戻る 9 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. て石の役目をしなければいかん』 といつもいわれていましたが、 そんなひたむきな気持ちがよかったのではないでしょうか。松 田先生のおかげで強い学校と合宿をしたり、練習試合ができた のも戦力アップにつながったと思います。ふだん松田先生は野 球部員にとっては〝鬼〟でしたが、一般の生徒には〝仏〟でし た。 大学、 社会人となって松田先生の教えが少しずつ実感となっ てわかっています」と振り返った。 この8強で野球部に対する期待は大きく盛り上がったが、 年春の九州地区大会県予選は1回戦で青山に無念の1点差負 け。 期待された夏も初戦の2回戦で大分工に0―5の完封負け。 主将だった副田今朝美さん(NTTネオメイト九州)は「夏は 好投手といわれていた大分工の油布投手にやられた。残念だっ たですけど、今となってはいい思い出です。1年の時、腰を痛 めたが、 野球が好きでやめませんでした。練習も厳しかったが、 日 ご ろ の 行 動 に も 厳 し か っ た。 『野球部は生徒の模範になれ』 と訓示をされて、いつもごみ拾いなどをやっていました。最後 まで野球部に残ったのは人数が少なかったことによる使命感で す」と思い出深そうに語った。松田監督は「期待していたが、 油布君にやられてしもうた」と苦笑しながら振り返った。 プロ野球の名門球団に「紳士たれ」という教訓があるが、松 田監督らしく竹田もそのような雰囲気を漂わせるチームづく りであった。植松英次さん(書道講師)の思い出も尽きない。 前 年 夏 の 2 年 生 の 時、 初 め て 夏 の 1 勝 を 挙 げ た が、 植 松 さ ん は サ ヨ ナ ラ の 投 ゴ ロ を 打 っ た 選 手。 そ の 後、 心 臓 疾 患 で 手 術 をしたが、また野球部に復帰した。「投ゴロは結果はどうであ TOP に戻る 80 10 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 2回戦【竹田―大工】1回裏大工無死満塁、由布の右犠飛で三走の貞富ホームイン、先取点。捕手石田(新大分球場) TOP に戻る 11 れ、自分が打って決めたんだから印象深いです。野球部には青 春をおう歌しようとあこがれて入った。心臓の病気の時、ふつ うならやめるんでしょうが、松田先生と同じで野球と書道が大 好き。みんなが『よく帰ってきた』と言ってくれてうれしかっ た。1年の時から三塁、遊撃、二塁と回ってきましたが、最後 の試合で〝4―6―3〟のゲッツーを決めたときは練習の成果 が出た感じがしてうれしかった。基礎づくりの時で〝縁の下の 力持ち〟のような存在。でも野球ではかけがえのない友達がで きました」と明るい声を響かせた。 校の出場。初 11 しかし、勝ち抜いたチームだけに与えられる県選手権に出場 健闘むなしく3―8で敗れた。 戦の準々決勝で中津南と対戦。張り切って力の限り戦ったが、 当時は県内6支部予選を勝ち抜いた強豪ばかり を制し、復活後初めて県選手権(日田市で開催)に出場した。 55 TOP に戻る ベスト8といううたげの後は寂しい結果だったが、松田監督 の教え通り、この学年の〝捨て石〟の精神は後輩たちの大爆発 につながった。 快進撃のベスト4 津久見と互角に渡り合う 1980(昭和 )年秋、竹田は新チームがスタートした。 最初の公式戦・県選手権豊肥支部予選で緒方工、三重との接戦 12 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 第 63 回全国高校野球 大分大会 第 8 日 コイのぼりが舞う竹田高応援席 した意義は大きく、ナイン の心には自信と誇りが芽生 えてきた。投手だった後藤 英樹さん(緒方町役場総務 課係長)は「ちょっと違っ 復活間もない竹田ナインを率い、 1981 年の夏の大会でベスト4の 快挙を成し遂げた松田監督 た雰囲気の大会に出て、自 分たちも県内の強豪と対等 に試合ができるということがわかった。試合には負 けたが、大きな収穫でした」と振り返った。 年春の県選手権にも連続 夏の前哨戦といわれる 出場。着々と戦力を整えていった。そして本番の夏。 初戦(2回戦)の相手は硬式に切り替わったばかり の日田商(現藤蔭) 。 「コールドでやっつけろ」のげ きの通り一回に5点、二回に3点を奪って大量リー TOP に戻る 81 13 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 第 63 回全国高校野球 大分大会 第 10 日【竹田―大分】の熱戦 ド。しかし、試合は九回まで行き、9―3での勝利。ふつうな ら コ ー ル ド 勝 ち し た 方 が い い に 決 ま っ て い る が、 こ の 試 合 に 限って九回までやったことで全選手がリズムをつかむという効 果をもたらした。3回戦の上野丘には投打のバランスががっち りとかみ合って5―0で快勝。チームは勢いにも乗ってきた。 準々決勝の相手は大分。屈指の本格派・上野投手を擁し、打 線もうるさく強かった。竹田は練習試合なども含めてこれまで 大分に勝ったことはなかった。だが、大一番では2年生の後藤 投手の好投と打線のつながりで8―0の鮮やかな七回コールド 勝ちを収めた。最も盛り上がる夏の大会で初めてベスト4に進 出。竹田の商店街は人通りがなくなるほどテレビにくぎ付けと なったそうだ。 そして準決勝の相手は津久見。闘志を燃やしてぶつかった故 TOP に戻る 14 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 第 63 回全国高校野球 大分大会 第 11 日 【津久見―竹田】竹田のスクイズ成功 小嶋仁八郎監督に今度は竹田を率いて松田監督はぶつかった。 4強に残り、しかも津久見と当たることに心は躍り、大きな喜 びも覚えた。 〝両雄〟対決を祝福するかのように試合も波乱の展開となっ た。津久見が一回表、二村選手の先頭打者ランニング本塁打な ど で 3 点 を 取 っ た 時 に は、 「 さ す が に 津 久 見。 こ れ で 決 ま り 」 と思われた。しかし、竹田はその裏、野仲選手の走者一掃の三 塁打などで一挙5点を奪って逆転。二回、三回にも1点ずつを で敗れた。 加えて一時は7―3とリードした。流れは竹田と思われたが、 中盤に津久見の猛打を浴び、最終的には7― せっかくのチャンスを逃した松田監督は無念さでいっぱい。 後藤投手に「お前は3年生に申し訳ないと思わんのか」と思わ TOP に戻る 14 15 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. ず大声。これを見ていた主将らが「先生、もういいです。後藤 も一生懸命投げたんですから」と言ってきたが、それでも松田 監督は「こんなチャンスは何度もあるものではない。おれはあ きらめきれん」となおも悔しがった。 後藤さんは「松田監督から思い切り気合を入れられた。ベス ト4は竹田にとっては快挙かもしれないが、個人的には勝てる と思っていた試合に負けたのであまりいい印象ではない。点を 取ってくれて舞い上がったのかもしれません。やはりかなり体 力が落ちていたのでしょう」と話した。 3安打3打点の野仲芳尊さん(竹田市教委総務課)は「ひょっ としたら勝てるんではないかと思ったが、守りのリズムが崩れ TOP に戻る た。でもベスト4は信じられなかった。気持ちのいい思い出で す。いつでもあの時に戻れるし、誇りにもなっている。今は審 判員をしているが、新大分球場でジャッジをしたときは懐かし かった。あれがあって今がある。これもピリピリしながら鍛え られたおかげ」と振り返った。 先頭打者だった井上孝さん(トキハ婦人雑貨部バイヤー)は 「はじめは打線がよくつながり大量点を挙げた。しかし、もし かしたらと思ったとたんに逆転された。津久見とは打球の勢い が 違 っ て い ま し た。 ベ ス ト 4 に 入 っ た の は 霜 柱 が 音 を た て て 凍ってくる中、素手でのノックなどを必死に練習したおかげ。 年余り前に戻った。 最終試合では必ずスタンドのごみ拾いをして帰った。それらの 成果だと思います」と 復活間もない学校が見事に4強入り。松田監督の評価はまた 上がった。 20 16 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 第 63 回全国高校野球 大分大会 第 11 日【津久見―竹田】竹田高校応援団 TOP に戻る 17 竹田高最後の夏の指導で、惜しくも津久見との対戦を逃がした松田監督 小嶋監督の引退 無念…最後の挑戦を逃す 竹 田 に 赴 任 し て 早 く も 5 年 目。 教 員 の 異 動 は 3 年 た て ば〝 務 め〟を果たしたことになる。だから大分市に戻りたいと希望を出 してもよかった。さらに大分商を甲子園に導き、竹田でも着々と 実績を築いている松田監督ゆえに、他の学校からもその動向は注 目されていた。水面下では「うちに来てくれんやろか」という打 )年も竹田に残り、最後の指揮を執った。 診や誘いもあった。だが、特別な理由があったわけではないが、 1982(昭和 た。九州地区大会予選は秋も春も初戦敗退。連続出場を続けて 手権には出場したが、初戦の準々決勝で中津工に1―5で敗れ 身に集めていた。しかし、成績はさえなかった。前年秋の県選 前年夏にベスト4入り。原動力となった後藤英樹投手(緒方 町役場総務課係長)らが残っており、野球部は地域の期待を一 57 いた県選手権も、 春は支部予選で敗退。原因は〝小さな大投手〟 の 後 藤 投 手 の 不 調 だ っ た。 左腕特有の大きなカーブの 切れがいまひとつだったこ とと、前年夏に大活躍した ことですっかり覚えられて しまったことだった。後藤 さんは「カーブの出し入れ が身上だったが、それがき TOP に戻る 18 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. かなくなった」という。主将の松井宏之さん(大分富士見が丘 郵便局)も「県外の強豪は抑えるのに県内のチームからは打た れる。研究され尽くしていた」と話した。 こんな状況で迎えた夏の大会では初戦の2回戦で同じ豊肥地 区の三重と対戦。いつも負けていたが、この試合は後藤投手が 4安打に抑えて3―0で見事に完封勝ちした。「実をいうと調 子はあまりよくなかった。練習試合でも得意のカーブを打たれ ていたので開き直って直球で勝負した。日ごろと違う投球だっ たので三重も面食らったのでしょう」と後藤さん。続く3回戦 では大分工と対戦。試合は竹田ペースで進み、6―3とリード して九回裏を迎えた。 ここまでくれば勝利は竹田のものと思われたが、3四球に不 運な当たりも加わって一挙4点を与え、サヨナラ負け。後藤さ んは「最後はストライクが入らなくてどうしようもなかった。 松田先生が仁王立ちしていたのを覚えています。前年同様、自 分さえしっかりしていれば勝てた試合。ものすごく責任を感じ ま し た が、 結 局 は あ れ が 自 分 の レ ベ ル だ っ た の で は な い か と 思っています。でも野球は人生を大きく変え、その後の生き方 にいい経験となりました」と振り返った。 まさかのサヨナラ負けにナインはむなしさでいっぱいだっ た。大分工に勝っていれば準々決勝に進み、相手は津久見。2 年連続8強以上に入り、津久見に前年の雪辱―など竹田ナイン にとっては心がわきたつような準々決勝になるはずだった。し かし、その夢ははかなく消えた。工藤央彦さん(雄城台高野球 部長)は「戦力はそろっていたのに結果を出せなかった。しか TOP に戻る 19 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. ぎまでかかっていたので、松田監督がそれから大分市の自宅に 間に合わなくて松田監督から送ってもらっていた。夜の9時す う。松井さんは1年生の時、打撃投手をやっていたが、列車に 「サヨナラ負けの打球がきたが、処理しきれなかっ 松井さんは た。非常に残念。もう一つ勝って津久見とやりたかった」とい く日常生活が大切なのだということも教えています」と話した。 た勝負に勝つことと、そこに行き着くにはグラウンドだけでな ますが、選手に後悔だけはさせたくない。松田先生に教えられ も最後に屈辱的な敗戦。後悔しました。今は指導する立場にい 高校野球 県予選 【竹田―三重】 TOP に戻る 20 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. と出てきていた。ニックネームは〝鬼〟から〝じいさん〟に変 わっていたが、松井さんは3年生の時、腰を痛めて大分市の整 体師を訪ねた。その夜は松田監督の家に宿泊。 「奥さんの手料 理をいただいて寝たんですが、夜中に松田先生が布団をかけに きてくれた。心から温かみを感じました」と話した。 この年は大雨により竹田の試合が延期されるなど大会運営が 大変だった。夏の甲子園は2年連続、津久見が出場。故小嶋仁 八郎監督最後の年。甲子園でも見事に8強入りし、鮮やかに引 退の花道を飾った。見果てぬ夢に終わったが、松田監督は大分 工に勝って、闘志を燃やし続けた小嶋監督に最後の挑戦をした い気持ちでいっぱいだった。 「小嶋監督がある時、若造の私を 好敵手といって紹介してくれてうれしかった。あの人がいたか ら私も頑張れた」と遠くを見つめた。 TOP に戻る 帰って寝るのは〝午前さま〟 。しかし、早朝練習にはきっちり 第 64 回全国高校野球 大分大会 降りしきる雨の中、天 を仰ぎながら試合開始を待つ竹田チーム 昭和 57 年 7 月 21 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 竹田高校の快進撃を支えた松田監督 置き土産は準優勝 基本に忠実、運も味方に 1983(昭和 )年春の九州地区大会県予選。新設校の大 分南への転任が決まっていた松田監督の〝お別れ大会〟となっ 年春になって竹田の戦いぶりは快調その エース工藤投手らが頑張り、打撃陣も田崎、高橋、藤内、新 もの。 の成果が出たのか、 みには岡城下で初めて合宿をし、強化に励んだほどだった。そ いわれたと口をそろえる。新チームがスタートした前年の夏休 新チーム発足当初はそれほど強くはなかった。ナインは松田 監督から「竹田始まって以来の弱いチーム。だから鍛える」と し、 〝有終の美〟を飾りたいと心に決めていた。 が続いていた。だが、松田監督は竹田でも最後まで立派に指導 2日、午前中は大分南、午後から竹田に行くという忙しい生活 た。すでに2月中旬には辞令が出て、開校準備委員として週に 58 83 TOP に戻る 22 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 2年生4番の内川、佐藤、阿南、山崎、後藤各選手らが活躍。 初戦の2回戦で鶴崎を7―1で下し、3回戦では投打に充実し ていたシードの別府商に3―2で競り勝ってベスト8入り。さ らに準々決勝では強豪豊南に2―1で逆転勝ち。快進撃はとど まるところを知らず、準決勝でも日田を8―3で倒し、あこが れの決勝に進出した。相手は高田。張り切って臨んだが、近藤 投手に4安打に抑えられ、善戦むなしく0―4で敗れた。 しかし、念願の頂点こそ逃しはしたが、決勝進出は見事。松 田監督が一貫して教えてきた基本に忠実な野球が最後の大会で 花開き、転任に大きな華を添えた。 主将の阿南輝明さん(竹田市役所社会教育課福利厚生担当) は「松田先生が大分南に転任することは知っていました。グラ ウンドの内外で非常に厳しい先生で、人間として当たり前のこ とはきっちりとさせられました。 同様に野球でも1番には1番、 2番には2番というようにそれぞれの〝仕事〟があり、きっち りやらなければならなかった。失敗すると気合を入れられまし た。最後の大会はみんな〝仕事〟をしようと頑張ったが、けっ こう運もありました」という。 最大の幸運は準々 勝負では「運も実力のうち」といわれるが、 決勝の豊南戦で挙げた決勝の2点だろう。ここは当事者に語っ てもらおう。佐藤正見さん(荻町役場総務企画課係長)は「豊 南の染矢投手は県内屈指の好投手。簡単には打てなかったが、 六回に一死二、三塁のチャンス。松田先生から案の定スクイズ のサインが出ました。自分ではしっかりやったつもりですが、 キャッチャーフライになった。ところが相手捕手が併殺を狙っ TOP に戻る 23 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. て三塁に送球した球が走者のヘルメットに当たってレフト線へ 転がった。三塁走者どころか二塁走者までかえって2点。これ が決勝点でした」と振り返った。仮にスクイズが決まっていて も1点で同点。それが勝ち越し点まで入ったのだから結果オー ライ。 松田監督は許さなかった。「ベンチ裏で真剣おこられた」 だが、 と佐藤さん。 竹 田 で 初 め て の 準 優 勝。 別 れ に こ れ ほ ど の 晴 れ 姿 は な い と いってもいいが、これも日ごろから細心の注意をはらってチー ムづくりをしてきたたまもの。 阿南さんは「練習でも試合でもおこられました。結果も大切 ですが、松田監督はそれまでの過程を大切にし、常に一人ひと りの行動をチェックしていた。いつもピリピリした緊張感の中 でやっていました」という。 この準優勝が竹田にもたらした意義は計り知れないものが あった。その後の野球部に大きな自信を植え付けた。佐藤さん は「田舎チームが決勝戦に出た。勝ち残ったものだけしか味わ うことのできない晴れ舞台の雰囲気を経験できたのは大きな財 産。今も心に残っています。野球と学校生活を結びつけた教え。 なにかにつけて思い出します」と結んだ。 5年前、松田監督が大分商を離れたときも、そして竹田を離 れる今回もともに準優勝。プロ野球の世界では今年、シーズン 途中での監督の〝解任劇〟が話題となったが、松田監督の場合 は転任を惜しむかのように大分商も竹田も辞令がおりた後の4 月上旬までチームに残り、大会終了まで指揮を執った。 TOP に戻る 24 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. 「闘将物語…松田瑞雄」第七章●文化の香り漂う竹田に p. ■オオイタデジタルブックとは 追加情報を受けながら逐次、改訂して充実発展を オオイタデジタルブックは、大分合同新聞社と 図っていきたいと願っています。情報があれば、 学校法人別府大学が、大分の文化振興の一助とな ぜひ NAN-NAN 事務局にお寄せください。 ることを願って立ち上げたインターネット活用プ NAN-NAN では、この「闘将物語…松田瑞雄」 ロジェクト「NAN-NAN(なんなん)」の一環です。 以外にもデジタルブック等をホームページで公開 NAN-NAN では、大分の文化と歴史を伝承して しています。インターネットに接続のうえ下のボ いくうえで重要な、さまざまな文書や資料をデジ タンをクリックすると、ホームページが立ち上が タル化して公開します。そして、読者からの指摘・ ります。まずは、クリック!!! 大分合同新聞社 別 府 大 学 「闘将物語…松田瑞雄」 第七章●文化の香り漂う竹田に ●デジタル版「闘将物語 松田瑞雄」について 著者 那賀 泰彦 初出掲載媒体 大分合同新聞夕刊(2002 年 9 月 21 日~ 2004 年 9 月 4 日) 《デジタル版》 2009 年 5 月八 8 日初版発行 編集 大分合同新聞社 制作 別府大学メディア教育・研究センター 地域連携部 発行 NAN-NAN 事務局 (〒 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社 総合企画部内) ⓒ 大分合同新聞社 TOP に戻る 「闘将物語 松田瑞雄」は、2002 年 9 月 21 日か ら 2004 年 9 月 4 日までの 2 年間「私とスポーツ 闘将物語 松田瑞雄」として松田瑞雄元大分商業 高校野球部監督を取材執筆、大分合同新聞夕刊に 70 回にわたり連載された記事です。これをデジ タルブックに再構成しました。登場人物の年齢を はじめ文中の記述内容は当時のものです。 2009 年 2 月 20 日 NAN-NAN 事務局 25