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第七章
i労 働 争 議 の 理 論 ハ そ の 2)li
ストライキにおける統制と連帯
ー
労働市場に沿ける統制力の発動
げて闘争を組織する場合もありうる。その極限的なものが、政治的・革命的ストとか右翼反動ク
だといっても、階級闘争たる契機をふくむのである。だが、後者の契機をとくに意識的にとりあ
労使の紛争は取引たる側面と、階級闘争たる側面とをふくむ。いかに経済取引的なストライキ
つわけであり、さらに 資本 制生産の総行程 の中で、階級として資本家階級と対立するのである。
働者は労働市場において、商品 H労働力の担い手として資本家と対向するという一般的関係にた
なわれることは、すでにみたとおりである。だが、職場のように眼にみえるわけではないが 、労
げしい対立を内在せしめているのである。職場から紛争がおこり、職場をめぐって争議行為も行
生産過程ーー こそ、搾取の場でもあるわけで、労使はもっとも具体的にむすびっくと同時に、は
赤の他人のあいだには紛争はおこらない。生産点 │ │生産手段と労働力とがむすびついている
問題の焦点
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1
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ー デ グ lに対する反抗ストといったものだろうが、この種の行動は労働法制の視野の外にはみで
るだろう。労働法制においては、争議行為は労使関係の場の取引手段たる側面においてとらえら
れる。だからといって、闘争の様相が生じても、それが、労働者の団結の機能たるかぎりは、原
則 と し て 法 認 せ ら れ て い る と い う べ き で あ ろ う 。 け だ し 、 そ れ は 労 働 市 場 に お い て 、資 本 家 と 相
対 向 す る 社 会 集 団 と し て の 労 働者 集 団 の 行 動 法 則 だ か ら で あ る 。 だ が 、 こ こ で は 労 使 の 対 立 の 基
商品所有者として││、取引の相手をもとめ
111
盤が職場という資本の生産過程ーーー価値増殖過程ーーーの行われる場、すなわち所有権のつくる秩
序なのではなく、労使いずれも所有権者として
る 市 場 に ほ か な ら ぬ 。 ス ト ラ イ キ の 本 義 は 、 職 場 を す て 労 働 市 場 に か え り 、 労 働 者 陣 営 の 統 制l
ー団結ーーーによって取引するところにある。もともと、団結は、労働市場において形成せられた
ものである。使用者との個別的交渉をやめて、交渉の窓口を代表者だけにしぼり、団交で話合い
が つ く ま で は 、 組 合員 は 働 ら か な い と い う 意 味 の 行 為 が ス ト ラ イ キ で あ り 、 団 結 で も あ る 。 法 は
かかる団結によって交渉することに法的価値を承認して、団結する権利や争議権を保障するもの
と い っ て よ い 。 だ と す る と 、 か か る 団 結 の 統制 を み だ す よ う な ス ト ラ イ キ は 、 果 し て 正 当 な も の
として法認せられるのかどうか。いわゆる山猫ストの問題が生ずる。
統制ある組織としての団結の活動をみとめる場合に、次に問題になるのは、要求をもって団交
しストをなしている労働者の範囲における統制をこえて、争議団はどのていどまで、労働者仲間
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ストライキにおける統制と連帯
第七章
の団結に連帯支援活動を期待してよいか。 一長 からいえば、
一般に組合は争議団とどのような関係
のある場合に、そのストライキを支援して自己の団結力を発動し、その結果、第三者に不便や損
害を与えることが法認せられるかという問題である。労働市 場 に お け る 労 働 者 の 連 帯 的 な 関 係
が、どのていどまで個人の自由を制限することの理由として承認せられうるか、すなわち第二次
的ストライキ、同情ストの問題である 。
第 三 に 、 労 組 は 労 働 市 場 に お い て 、 相 互 の 争議 を 支 援 か つ 利 用 し つ つ 成 果 を あ げ る 方 式 ハ 地 域
闘争)や、市場をより広い範囲において統制する団結のもとでの統一闘争(大手プロック・ストや産
業別統一闘 争)などを組織する 場 合、あるいは 重 点スト、拠点地域ストなどの方式をとる 場 合にお
こる問題、すなわち通常の 単 位 組 合 による企 業人 トと 具 って、より広い連帯性の観点にたってな
さ れ る ス ト ラ イ キ が 、 通 常 の ス ト 形 態 を 予 想 し た 秩序 と の 摩 さ つ を 生 ず る 場 合 の問題がある。か
統制無視のス卜
d について
か る ス ト に お い て は 、 他 組 合 の ス ト ラ イ キ 応 援活 動が附ずいすることに も なる。
︺
いわゆるグ山猫スト
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1
組 合 は 、 そ の 統 制 す る 労 働 者 の 全 力 を あ げ て ス ト ラ イ キ を 打 つ の が 通 常 の 事態 で あ り 、 ま た そ
れは一般に 賢明 で あ ろ う 。 だ が 、 現実 にはいろんな 事情 か らi l多 く は 組 合 幹 部 の 保 守 性 の ゆ え
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に 1 1部分集団がス トに入ることがある。組合のス ト中に部分集団(脱市者集団)が就労するの と
は正 に反 対 の 意 味 を も ち な が ら 、現象的には統制違反として共通しているともいえる。
g寸浮巳自の訳語 ーー と い う 用 語 は 、 か な ら ず し も 厳 密 な 意
山猫ス ト ││アメリカでいうdEE
'
せん
味 を も つ わ け で は な く 、自 然 発 生 的 な 統 制 を は み で た ス ト だ と 思 え ば よ い 。 自 然 発 生 的 な 形 を よ
そお いながら 、ひそかにオルガナイザ ーが 煽 動 し て や ら せ る よ う な 場 合 も あ る よ う だ が 、 そ う い
うのは不純正山猫ス トとよばれたりする。ス トを打つのについて 、規約上 、上 部 団 体 な い し 中 央
機関の公認を要することになっている場合に(西欧諸国はこれが普通であるてその公認をえないで
下部団結がストをやる場合ハかかる場合には中央のス ト基金からス トライキ・ベニフィッ トの支給はない )
ωEE- と い わ れ る 。 非 公 認 ス ト かならずしも山猫ス ト と い う
は、非公認スト │ │ g OBOE-'
べ き で は な い が 、 組 合 の 組 織 単 位 た る 下 部 団 体 の ス ト ライキについて 、 公 認 制 が は っ き り し な い
、 かならず し も 両
ような場合に 、そし て 争 議 団 の 維 持 す る 秩 序 の 強 弱 も 相 対 的 な も の だ と す る と
味をもっと
者 を 区 別 し な け れ ば な ら ぬ わ け で も あ る ま い 。 い ず れ に せ よ 、連帯と統制とを破る音 ω
ころ に問題の 一端 が あ る 。 同 時 に そ れ が 集 団 現 象 で あ り 、連 帯 と 統 制 そ の も の の 中 か ら 生 ず る 現
組合規約とスト規定││スト公認制につい
τ
象│ │しかも 一般 に は そ れ が 生 ず る だ け の 理 由 が あ り 、批 判 的 な 勢 力 に よ っ て 担 わ れ る 場 合 も 多
︺
い・
ーー であるところに 、問題の 他 の 一端がある。
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スト ライ キ に お け る 統 制 と 連 帯
第 七章
スト決議とスト指令とがどのような単位においてみとめられているかは、だいたい団結の統制
範囲を示すものである。 企業別組合を基礎として産業別組織(全国単産)を結成するわが国では、
上部団体によるストライキ公認という規約上の制度は確立し℃いない。鉄鋼労連の規約では、加
)0
一般に規約には単産としてのス ト決議 についての
盟組合が罷業権行使の決定をしなければ、鉄連は白からスト決議をしていても、指令を発しえな
いことになっている(規約四八 条、四九条 参照
規定はあっても、下部組合のストについて統制を加えるような趣旨の規定はあまりみつからな
い。争議公認制をしめす規定はあまりないようである。ただ、全損保の規約では、支部がスト決
定をした場合には、中央執行委員会に報告しなければならず、中執はただちに中央委員会にはか
りその承認をえて単独罷業を許可し(緊急の場合中執専断、規約八O粂)、争議対策委員会を設け(八
一条)、本部役 員を派遣し財政上組織上の援助をする(八二条)こ とになってい るのが注目されるむ
炭労の規約では、支部の争議発生・終了を中央本部に通知、中執は﹁できうる範囲の一さいの指
導と対策﹂を行う旨(規約五四条、五五条)の規定がある。この規定には事実上統制的意味もふくま
れるのかもしれないが、基本線は支援という考え方であり、わが国の普遍的な労働者意識を表明
する考え方だといえよう(以上の規約は昭三 O年一月刊﹁全国組合最新の規約及規則集﹂il労働省労政局
編、日刊 労働通信社 ー
ー
ー によったので古すぎるかもしれないが、全国単産の規約だから簡単にはかわるまい)。
ストの公認制がはっきりしているのは海 員 組 合 で あ る 。 参 考 の た め そ の 争 議 規 定 を 次 に 示 し て
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おく(昭和三四年一一月全日程発行の規約集による
第八四条罷業の決定及び終結の手続
)0
一、総罷業は全国大会において出席者の無 記名投票 による三分の二以上の賛成によって決定する。
- 争 議に当 り罷業を行うには一件毎に各号に定める手続を経なければならない。
以上の賛成を必要とする。
ご、全 国 評 議 会 が 決 定 し た 総 罷 業 を 開 始 す る た め に は 、 組 合 員 の 一 般 投 票 に よ り 有 効 投 票 の 三 分 の ニ
評議 会 に お い て 、 参 加 者 が 組 合 員 数 の 三 分 の 一 以 下 の 組 合 員 の 範 囲 に 限 ら れ る 場 合 は 、 中 央 執 行
三一、総罷業以外の罷業は、その参加者の他聞が組合員数の三分の一を超える組合員に及ぶ場合は全国
に限定され、事件の規模が小さいと認められる罷業であって臨機の措置を必要とするときは、組
委員会においてそれぞれ決定する。但し一地区内または一企業体もしくは一企業団体或いは一般
合長の判断で決定することができる。
象 と な る 組 合 員 の 一 般 投 廷 に よ り 有 効 投 票 数 の 三 分 の 二 以 上の 賛 成 を 必 要 と す る 。
四 、 前号 の 規 定 に 工 る 何 れ の 場 合 に お い て も 、 決 定 さ れ た 罷業 を 開 始 す る た め に は 罷 業 を 行 う べ き 対
項第三号'に規定する罷業決定の手続が採られ機関決定により公認されない限り、その罷業を開始す
2 、 罷 業 開 始 に 対 す る 組 合 員 の 一 般 投 誤 が 先 行 し 前 項 第 四 号 に 定 め る 必 要 賛 成 数 を 満 した 場 合 で も 、 前
ることはできない。
3、 罷 業 終 結 の 手 続 は そ れ ぞ れ 決 定 権 を 有 す る 機 関 の 予 め 定 め る と こ ろ に よ る o
m
m八 五 条 争 議 金 庫 ︿ 一 環 及 五 項 略 ﹀
源にあてる。
2、 納 入 さ れ た 総 組 合 授 の う ち 、 そ の 百 分 の 十 五 を 争 議 金 庫 繰 入 金 と し て 差 引 き 、 こ れ を 争 議 金 庫 の 財
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;t.トライキにおける統 1
!
I
Uと連帯
第七章
争議金庫は解放され支出額に対する制限をしない。その他の争議に対する争議金庫よりの支出額は
3、 総 罷 業 の 揚 合 、 ま た は 全 国 評 議 会 に お い て 総 罷 業 に 準 ず る 大 争 議 と 認 め ら れ た 罷 業 の 場 合 に 限 り 、
別に定める基準により一定の制限をうける。
4 、 争 議 金 庫 の 会 計 は 、これを特別会計とする。
全国的単一組織である全日海のような争議規定は、かならずしも連合体たる他産業の全国単産
においてとり入れられるようなものではない 。連合体 においては、ストライキ権の 実質的主体が
企業別組織であることは否定しえない事実だろう。スト権集約という形で単産本部がスト指令権
をにぎり││それでさえ﹁パイプがつまる﹂現象が闘争力ある組織でもみられるのであるl l、
たんに代議員の構成する単産総会の決議があったというだけで 、当 然 に 傘 下 各 単 組 に 対 す る 中
央闘争委員会のスト指令権が確立するともかぎらず、総会の前あるいは後における企業別組織の
大会決定が条件となるようである。規約の解釈上は疑わしい場合があっても、現実は企業別組織
ー ー単組、企業連ーーが 、ストライキを自主的に決意しないかぎり 、単産はこれをス トに突入さ
せることは困難である。それでは企業連の中はどうかというと、これも単組の決意が核となる。
各地に事業場を有する企業別単一組織といわれるものでも、本部の多数決だけでは、ストに賛成
しない 事業場をス トに突入させるには 事実上不 十分だろう。スト指令権が確立しない範囲では 、
スト公認制は生ずるはずもないのである。
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4 とよばれているのは、単位組合の内部における部分集団のストであ
規約違反のストライキの法理
山猫スト
HH
組合のスト開始に関する規約に 違反する ことになるl l、それ も組織実態の差 、たとえ
わが国で普通
って
ぱ工 場や事務所ごとに組合ができて 、 やがて企業別単 一化を 実現し 、支部の独自性の依然 として
一応 規 約 を 作 っ
4 といえない 場 合 も あ り う る 。 つ ま
強い場合や、本部の統制の確立している場合、あるいは一事業場一単位組合の場合などの差にて
らしてみないと、支部 単独のス トかならずし も グ山猫スト
り、規約違反といっても、従来の慣行によって規約の運営に弾力性があったり、
た段階だったりするわけで、同じように 考えにく い場合もあろう。
しかし、一般に みて規約に違反してなされる部分集団のス トは、はたして労組 法上 (一条二項、
八条、七条一号との関係で﹀ 正当な争議行為といえるかどうか。団結の統制ある行動に価値l l団
グ山猫スト
dも 労 働 者
体としてのなっとくの上に秩序を形成する機能の評価│ーを見いだして、それを保障しているの
だとすると、反統制的行動を保障する根拠はないようにみ払える。しかし、
のモラルにてらして団体行動たる性格をもつかぎりは、それを個別的労働契約の違反の角度から
とらえるべき 事象ではあるま い。また、 差別待遇をもって使用者が介入するとなれば 、組 合の自
律統制作用を 、外から妨 害することにな り、団 結の 自主性ーーー団 結規範の自主執行および統制の
自由がふくまれるーーを保障する法旨にかえって矛盾するというべきだろう。ただ、かかる山猫
2
0
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ストライキにおける統制と連帯
停七章
ストがいつまでも無統制に放置 されているようならば 、使用者は山猫スト団を独立の団体として
認めーーーなお組合の部分集団であっても││、これと の団交によって事態を解決する自由をもっ
d と同じように組合規約違反であっても、組合長あるいは中央執行委員会が、規約
11 緊急避難的な意味で七条三口すから解放される │ │と解すべきだろうと思う。
山猫スト
HH
上 の 手 続を経ないでス ト指令を 発する場合に 、そ の 指 令 の 下 に 行 わ れ る ス ト ラ イ キ は グ 山 猫 ス
一般には組合 員を拘束しないと いってよい。だから組 合員に して指令に従わなく
トグといわない。 客観的に緊急やむをえな い場合 には、かかる越 権の指令も組合員を拘束する と
解すべきだが、
ても、組合は彼を除 名 にはできないだろう。それでは組 合法上 、民事刑事の免責をうけ 、七 条 一
号によって使用者の差別待遇からまもられるに足るような正当な争議行為だといえるだろうか。
労働者のモラルにてらして団体行動たる性格のない場合、たとえば組合長の私的ないし徒党的な
理由によるような場合には、指令者およびその一党は不法行為責任をまぬがれまいし、差別待遇
を甘受しなければなるまい。ただ、事情を知らずに指令にしたがった組合員については、期待可
能性の観点から使用者はストの責任を追及しえないと解すべきであろう。しかし労働者的団体行
動たるかぎり、規約違反の責任は組合大会において問われればよい(戦術論もふくめて)のであ っ
て、使用者の介入を許容すべき関係ではあるまい。
それでは、労働協約において平和条項ないし争議条項を協定し、使用者がとくに労働組合の統
2
04
制ある行 動 に期待しうべき位置にある場合ーーその位置は組合じたいが協約で 承認 しているわけ
であるllは、協約及び規約違反に よって生じたストライキについてどう考えるぺきか。私はか
かる場合は組合が使用者によって否認され、団交拒否をうけることがあってもやむをえまいと
思っている。そのことを理由にして、組合幹部の解雇をしたり、幹部交代を組合に要求したりあ
るいは組合員に主張したりすることは使用者はできないが(不当労働行為)、団交拒否は可能であ
り、長い時聞をまたないで山猫スト団と交渉して事態を収束することはできるといわねばなるま
τ
い。つ まり 、組合が自 己の 統制力につ いて、とくに使用者に期待させるような協定を結んでい
H
そのグ言葉山 を守らなければ、使用者から無視されるのは当然だということである。
同情スト、支援スト、第二次スト
同情ストは、労働者の連帯意識が高く ないと行われない。けだし、自分の労働条件を直接にき
めるための行動 でもないのに、 賃金を棒 にふってストライキをなすわけだからである。また、同
情ス トは、 連帯意識を高め 、産業別組織を発展させる組織手段にもなりうるわけで、昭和二九年
に海員組合が全繊同盟綿紡ストを 支援す るために積荷拒否の同情ストを宣言ハ実行に至らず綿紡ス
4を打ったのも、炭労、わけでも大手プロッグの統
ト桝決﹀したのも、 全労会議強化という組織目的をもっていたとみてよい。 また昭和三二年に炭
労が杵島炭鉱のストを支援すべくグ連帯スト
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ストライキにおける統制と連帯
第七章
一性の 強 化とい う組織目的がふくまれて いたことは見 のがすわけにはゆくま い。十九世紀の八O
)0
HY
ス
年代のイ ギリスに おこる新労働組合主義は 、同情ス トをテロと して 産 業 別 最 低 賃 金 を 獲 得 し、そ
第五章を参照
れ を普遍化しつつ産業別組織を確立して行っ たようで ある (G・D ・H・コ 1ル、林仙訳 、イギ
労働運劫史 E
だが、同情ストがそのような述帯意識の存在をしめし、さらにそれを高めるものであるだけに、
産 業 別 横 断 組 織 の 強 化 を喜こばない支配階級には 、 おさえておきたいス トである。イギ リスやド
イツ のように職業別組合の伝統があり 、組 合による労働市場の横断的な統制が行われて しる国で
は、同情ストも悪いことだともせられないし、合法性もはっきりしているハイギリス一九O六年法、
11t
いう。つまり 、 ストは 要 求 貫 徹 の 手 段 と し
一
九O三年のラ イヒ 最高裁判決以来の ドイツ﹀のだが、 わが国では、 労働省は違法 だ と ! │ 炭 労の連
帯ス トについ て(これは後述の如く同情ス トでない﹀
ての み保障されているのに 、自己の 要求の ない 組合が他の組合のス トを支援するため にストを行
うのは、使用者に対して手の打ちょうのない状態に追いこみ、そば杖を食わすものであり、スト
一応はもっ
権 の 濫 用 で あ る か ら 、組 合 法 の 保 障 を う け る よ う な 正 当 な 争 議 行 為 とはいえない、という考 え万
なので あ る 。 無 関 係 な 使 用 者 に そ ば 杖 を く わ せ る よ う な ス トは 権利活用だと いうと、
とものようだが 、 もともとスト権 とい う も の は 労 働 者 側 の 連 帯 関 係 1 1 事 実 的 な も の で あ っ て 法
律的なものでな い
l!の存在を直視 したところから 法認せられる権 利で ある。スト ライキをもっ
2
0
6
て支援する必要があると労働者側で意識 する範 囲の連帯関係は││特殊な場合もあろうが││、
一般には経済的あるいは組織的に密接な 場合であ って、それに関連して 多 くは使用者相互も市場
的にはかなり深い関係││取引関係・競争関係・協力関係など多様だがーーをもつのである。か
かる労使!ll経済的・社会的対抗者ーーのとり結んでいる諸関係はもちろん事実上のものである
が、かかる動かしがたい 事実の 中で、労働者が団結の力によって利益防衛をなすことが、法価値
を実現するものとして保障されるとみられる。そして、団結の力の発動のもっとも自然な形がス
トライキなのである。第二次スト、支援スト、連帯スト、同情ストなどはいくらかづっ異った形
Q
ストライキには目的を論ずる必要がなく、 いかなる理由からであれ
ではあるが、右のようにスト権の基礎をとらえて考えれば、原則として保障されるストライキ権
にふくまれると考えてよい
同盟して作業を放棄するということじたいが正当なのだという考え方は、刑・民事の免責をもっ
てスト権を保障ーーたんに放任でなく!ーーしている法旨との関係ではかならずしも調和しうる
とはいえないのであって、保障の根拠にまでさかのぼってゆかないと明らかにならない。すなわ
ち、労働良識上承認すべき連帯関係の存在こそが、スト権保障の理念を実現する条件だというこ
となのである。そこで問題は、労働良識上どの範囲までがスト権保障を認むべき連帯関係だと解
しうるかということになる。それは労働者階級が経済的・組織的連帯の意味から、ストをなすの
も当然だと意識している範閤だといってよいだろう o たんに階級連帯を誇示するためのデモとし
2
(
f
I
ストライキにおける統制と連帯
第七章
て、たとえばイギリスの金属労働者のストに同情する日本金属産業労組のストといった形になれ
昨日同ぬけ円の
H
ω丹江}円。 という言葉も、はっきりした定義があるわけではな
ば、労組法の視野をはみだすだろう。
もともと同情スト 々日ロ何
同情ストハ自己の要求をとくに提出
い。かりにある私鉄会社において運転手組合の労働者がストをやっているのを支援すべく、車掌
組合のメンパ 1が何も要求をださないでストをやるとすれば、
しない場合を純粋な同情ストとよんでおく﹀であり、 全国に系統会社をもっ私鉄会社の企業別組合が
どこかの系統会社に対する企業別組合のストを支援して、何も要求を出さないでストをやるの
も、純粋な同情ストである。また私鉄のストを支援して、併行線を走るパス会社の労働組合が、
自己の要求をださずに同情ストをやるのも同様である。しかし、何も要求をださなくても、この
範囲では要求はわかりきっているわけである。デモンストレ 1 ショシとしてのストでもないかぎ
り、しかほど純粋な同情ストはおこらない。
しかし反面に、それぞれ自己の要求の貫徹を目的としながら、同時に友誼組合とか、同一組織
内の他組合のストを支援することを目的として(ないしは支援の意識をもって)ストをうつ場合も多
いわけで、このようなストは、たとい同情支援の目的をもっていても、かならずしも同情ストと
は呼ばないだろう。客観的に連帯関係が存在しておれば、意識すると否とを問わず、その連帯関
係の範囲内の諸組合が自己目的をもってストをやれば、呼応する意味をもつのは当然であり客観
2
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8
的に存在するものは、闘争する組合の問では通常は意識せられるものである。また、連帯関係の
構造によっては、どこかの企業において組合が要求貫徹に成功すれば、たいていは他の企業でも
その水準までは到 達できるのである。アメ リカでホイップソ 1 ・ストというのは、かかる関係を
とらえて、計画的にやるストだが、わが国でも 炭労などの一社重点ストと いう戦術はこの 類型で
ある。かかる関係があれば、たとえば、 A 企業での α組合のストに対してβ 組合が純粋同情スト
をやるのも、 B企業主に対して αのストと同一の要求をかがげてストをやるのも、またB に対し
A に出の要求を早く受諾するように働きかけるハたとえば取引を中止するとか、 Aの製品を取扱わない
とかいう圧力を加えてーーかかる場合が慎二次ストとよばれる)ことを要求してストをやるのも、期す
る成果は同 じものであり、ストの効果もほぼ似たものであろう。いずれの場合でも、 B はβ 組 合
からそば杖をくわされているともいえるし、 A の頑固さのそば杖を食らっているともいえるわけ
だが、労働者側については、このぐらいの連帯活動は保障されていると解すべきである o さりと
て、連帯的活動が生存権的要請とはならない使用者側に、同情的あるいは第二次的ロッグアウト
が保障されるとは解しえない。ただ、同情スト体制を組合がとる場合に、使用者はそれに対応す
る範囲のロッグアウトをなしてよい。
同情スト、支援ス ト、第二次ストなどの闘争方式は、今後、産 業別交渉にすすむようなことに
なると、活用される可能性は多いだろう。また、地域組織が強化されると、地域的な支援ストも
e
:
.
?
OJ
:
ストライキに お け る 統 制 と 連 帯
第七章
おこりうるだろう。今日、地域ぐるみ闘争とよばれていても、スト団の家族や、他組合のピケッ
テイング応援、デモ 参加(抗議集会 、示威行進等)、 いスト資金のカンパなどによる支援を統一的計画
的にやる以上は、地域の組合の支援ストや同情ストを組織するところまではかならずしもゆかな
ぃ。だが、このような支援活動も、就業時間中のカジパとか、抗議集会やピケへの参加にともな
う残業拒否や部分ストをともないやすく、同情的争議行為として考察さるべき問題を生ずる。
ゼネラル・ストライキ
ゼネ・ストの適法性
モをなしても││否、多数が 集 まれば集るほど│ll、 危険はありえないハそこに理性が働くことを
!ー独裁専制と結びつく ││の中にあり、民主的に政治が行われているかぎりは、国民が全部ヂ
に展開する可能性をもつことも否定できないだろう。しかし、暴力革命的行動の可能性は、悪政
かーl 情勢の変化や指導のいかんによってはll政治的性格を表面にだし、はては革命的な行動
力な手段の一っともなりうる。また、たとい経済的な要求から行われたにしても、どの瞬間から
どのように利用するかは別としてーーとなることはいうまでもない。それは極限的には革命の有
家、資本制生産社会ないし.ブルジョア国家に対する打撃ーーその打撃をどのような目的のため 、
諸産業にわたり多数の全国的組織が参加して行うゼネラル ・スト ライキが 、階 級と しての 資 本
四
2
1
0
労働法の基礎理論
)o
だから、ゼ、不
前提として)というのが真実であり、この真実を承認するところに、戦後の民主主義思想ハ憲法息
想)の歴史的意味があることはすでにのべた如くである(第一章
ストについても、他のいかなるストライキとも区別なく、それとしては合秩序的なものとしてと
ちえられることになる。
ゼネ・ストは、同一要求のための各組合の闘争を計画的に集中的スト(大規模の波状ストでも同
じように考えてよい)として展開するにせよ、ある単産の産業別ゼネストを支援して行うにせよ、社
会的には個別闘争の集合や同情ストの集合につくせない意味をもっ現象であるにちがいない。ま
た安保闘争のような場合には、大政治的デモと不可分のゼネ・ストがふくまれた。ゼネ・ストで
はないが、総評の春季闘争のようないわゆるスケジュール闘争も、労働運動のうねりをおこしそ
の全体的蛇行行進の中で、個別的組合の要求貫徹とともに、同時に全体としての賃金相場を高め
ることが計画される点で、たんに企業別ストの連鎖反応的現象とは異る。しかし、どのような規
模において、どのような要求をからませて、ストライキ計画が立てられようと、そのことがスト
に違法の熔印を打刻するわけではない。もともと、国家独占資本が大きな経済的影響力をもっ段
階においては、労働者階級の利益を守るためには、ゼ、不・ストや大示威行進が必要なのである。
一般には、その解決には政治的な手がうたれなければならないだろう。そ
諸産業にわたるゼネ・ストは、たとい経済要求をかかげていても高度に政治的な意味をもっこ
とはいうまでもなく、
2
1
1
ス ト ラ イ キ に お け る 統1
;1]と連帯
第七章
れは労使聞の争議法の問題であるよりは、国家と階級との関係の問題であることが多いだろう。
ところが一産業の中での、しかも一 産業 別組織の行う全面スト!l産業 別ゼネ・ストll ともな
ると、労働法の視野にあらわれうる性格をもっ。原則として 、中労委の調整対象たりうる争議が
背景となって布われるといえよう。ところが、企業別組合の連合体たる全国単産がゼネ・ストを
政治ゼネ・ストでないかぎりli、要求との関係においては 、企業別団交から
行うとすると 1 11
生ずる争議の手段としてのストライキたる意味が重視せられ 、そのかぎり、単産のストというよ
りは、産業別の統一闘争ということになり 、 し か も 統 一 団 交 も 共 同 交 渉 も 行 わ れ な い こ と も 多
︺
緊急調整制度
い。だが、もとよりそのような形をとったからといって 、 ストが違法になるものではない。
︹
2
ゼネ・ストは、全国的であれ、地域的(地域ゼネスト﹀であれ、産業的であれ、要求などにてらし
労委の働きで調整できる性格のものである かぎり、労調法はこれを緊急調整の手続によって、す
なわち、五0 日間ストライキを冷却し、 その問に中労委が全力をそそいで解決をはかる方法︿労
)o
昭和二六年秋に誹和を目途として企てられていたゼ、不・スト禁止法の制定│ │治安立
制法第四章の二・第三八条、罰ー四O条﹀によって、 対処することを内閣総理大臣に認めているつ
主条の二
訟の性格をもったーーが、労働組合の反対によって葬りさられ、その土の中から労働法的紛飾を
つけてあらわれたのが、この 緊急調整制度なのである。だが、労調法の中の制度であるから 、同
2
1
2
法の予想しない政治ストに適用されるわけではないし、争議抑圧ではなくて争議調整の観点から
運営せられねばならない。だからたとえば、退職金、年金制の樹立をめざす産業別ゼネ・スト立
ネ・ストにいたらなくても、大手プロック統一ストにも 適則される可能性はある)について、 緊急調整が決
定された 場合 に、単産が別に 産業別最低賃金 制要求のためにゼネ・ストを決定するにいたりゼネ
ストに入ったとしても、これは退職 金争議とは別個の争議 というべきであり、退職金争議 につい
ての 緊急調整の決定にはなんら拘束されな いから、適法だというべきことになる。政府が最賃制
ストについても冷却して調整する必要があると思えば、中労委の意見をきくなどの手続を新たに
運んで、緊急調整の決定をなすほかはない。中労委が退職金ストには冷却すべきだとする意見を
示したからといって、 最賃ス トについてはストを 冷却することが必要でな いとか適切でないとい
う意見を表示しないものでもない。この緊急調整制度は昭和二七年秋冬、六三日にわたる炭労ス
ト(保 安要員引揚ス トを指令するにいたった段階で)に対して適用されようとした以外には、使われて
︺
ゼネ・ストと企業単位の協約
いないが、制 度の存在じたいが産業別ゼネ ・ストをけん制していることは 否定しえないだろう o
︹
3
ゼネ・ストにせよ統一闘争にせよ、規模が大きいからといって、法理上企業別のストの場合と
区別されることはない。ところが、実践的にみると、超企業的なスケールでのストライキである
ことから、企 業別組織と使用者との間の協約 との関係で問題を生ずる可能性がある。すなわち、
2
1
3
ストライキにおける統制と連帯
第七章
企業別交渉
H協約がかならずしも単産の統制下において行われていないのと、企業単位の協約の
ほかに産業単位の協約があって共通的な事項l l賃金、労働時間のごときーーがそこで決められ
るという慣行もないので、単産傘下の各単組は、賃金その他の労働条件について具った協約基準
をもっており、その上争議開始に関して異った協定をなしている。協約の改訂期もばらばらであ
る。だから、たとえば週四0時間労働制を要求してゼネストをやるとすると、それよりも長時間
労働を規定している企業単位の協約があり、 いまだ改訂期に入っていないとなれば、その協約の
平和義務と矛盾することになりそうである。また協約と別に賃金協定があって、これには期間の
定めがないような場合とか、協約改訂期に入っているという場合には、平和義務違反の問題はお
こらないが、それぞれの協約における平和条項や争議条項がまちまちであれば││ストの二四時
間前に通知規定をもつもの、労委の調停をまってからストを行う規定をもつものなどil、単産
が足なみそろえてストに突入するかぎり、協約違反の 責任を問われる可能性が生ずるようにみえ
一般に協約違反の責任とはどのようなものなのかはあとでふれる機会もあろうが、ここで
O
ところで、わが国の企業別交渉によって締結される労働協約においては、当事 者 ははたして上部
協約は、その当事者および関与者たる組合員を、当事者の合意の内容にしたがって拘束する。
ついて考えてみたい。
は、ゼネストや統一闘争の場合に、企業別組合は協約によって拘束をうけるものなのかどうかに
る
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1
4
団体の支部としての組合の行動を予想しているだろうか。おそらくふつうは、独立組織としての
企業別組合を予想しているといわねばなるまい。かかる予想のもとに組合の意思によるストライ
キについて、その開始手 続等を規定して いるといってよい 。だから 、上 部団体の指令によるス ト
については、 協約の平和義務も平和条項も関与して いないと解した方が 当事者意思にそくしてい
dする(グ返上
かかる合意は単産の団結自
というともっともらしい が、これ は指令不服従で
ると忠われる。もし、当事者が上部団体のスト指令であっても、協約に規定した手続によりがた
い場合には 、そのスト指令をグ返上
d
あり、統制素乱、規約違反である)という趣旨で合意されたにしても、
治に対する使用者の支配介入を導き入れる下部団結との合意であり、無効と解するほかはないも
のであろう。だから、 単産のゼネ ・ストにせよ統一闘争にせよ、それは 単位組合のもつ協約の平
和義務や平 和条項の拘束をうけな いと解してよい。 もとより 、それは 法理 的にそうだということ
であって、現実の組織体制のもとでは、企業別組織に対して、その協約を破ってストに入れ、と
めんつ
UH
たて
を無視すれば、単産の組 織ががたつく可能性もあるからである。かかる組織の体質改善
いいきれる段階ではないようである。というのは、企 業別組織の独立性がなお強く 、その組 織の
グ面子
ができれば、法的には、下部の協約を楯にして使用者からいじめられる筋ではない。使用者の方
が、本当に安定した企業平和をえたいと思えば、単産そのものと団 交すればよいわけである。そ
うなれば、単産との団交によって何をきめ、単位組合との企業単位の交渉によって何を決定すべ
2
1
5
ストライキにおける統制と連帯
第七章
きかも、白から分けられることになろう o問題はやはり単産じたいの組織強化にあるのである。
しかし、実際的には、過程として賃金、労働時間などの共通的事項の基準をそろえるようにし
たり、協約改訂期を一斉にしたり、ストライキ条項を画一化したりして、単位組合がスムースに
単産の組織分肢としての活動に入れるようにすること、また共同交渉とか統一交渉といった団
交 方 式 を と る 方 向 へ 指 導 すること(たとえば静一歩として、団交の際にはかならず本部の執行雲員とか
d拒否
商品市場
オルグに団交委員を委嘱する慣行をつくるなど﹀に注意をはらわねばならぬ。
労働組合
汚れた製品
HH
と
に完成品を作るのであり、製品は彼の労働と別のところから生じたわけではない。かかる事実は
ほどはっきりしてくる。もはや、労働者個人は自分の手で完成品を作らない。だが、仲間と一緒
は、機械施設と不熟練工の結びつきによって生産が││大 量的に ll!なされるようになればなる
労働者は職業人としては、商品生産者である。なるほど労働者の製品は資本の生産物となること
る。商品 H労働力の取引の手段としてストライキが正攻法であることはいうまで もない。だが、
ストライキは、労働市場において使用者に労働力を買わせないようにボイコットする戦術であ
ユニオン・レィベルと
2
2
1
6
労働契約の背後にかくされてしまっているが、作業仲間としての労働者集団に、製作者としての
使用者に対する発言力を与える意味をもつことは否定できない。職業別組合の場合はもっと熟練
と製品との密着性が意識されることになる。だから、グラフト・ユニオンでは仲間の作った商品
への関心の範囲は深い。アメリカのような雑然たる労働市場において職業人の利益を守るために
)0
組合はこれによって組合
ユニオン・レィベル ││ 一 定 の 組 合 員 の 手 に な る 製 品 た る こ と を し め す 標 識 で あ る │ │ の 慣 行 が
生れた条件である(経営者の社会における公正競争のモラルが媒介される
定 の 使 用 者 の 製 品 の 不 買 を 訴 え る も の で は な く 、労 働 力 の 不 売 が 手 段 と な っ て い る 。 こ の 方 法 は
に着眼した側面がふくまれていよう。ス ト の 形 を と る か ら 同 情 ス ト に ち が い な い が 、 性 格 と し て
になる製品││ グ 汚 れ た
EEamoo含 と か ブ ラ ッ ク
・グ ッ グ と か い わ れ る ー ー を 取 り あ
d製 品 を ボ イ コ ッ ト す る と い う こ と に よ っ て 、 オ ル グ の た め の 争 議 な
4製 品
っかわない 、 つまりグ黒い
どを支援することもある。 一九四二年にルイス島のドッグ労働者が低賃金で仕立てた衣類の輸出
品やその原料たるつむぎ糸の輸入品を取扱うことを拒否したのは、そのような事例であも。さき
にのぺたように 、全 日 海 が 綿 紡 ス ト 支 援 の た め 積 荷 拒 否 を 宣 言 し た の に も 、 い く ら か 同 様 な 契 機
は商品市場における製品ボイコットの系譜でとらえられよう。しかし、単に商品市場に対して一
2
1
7
員の雇用や賃上げに間接に役だたしめようとする。しかしまた、かかる製品を媒介とする仲間意
ス トラ イ キ に お け る 統 制 と 連 帯
識は、労働組合の争議手岐の中にも浸透する。同情ストの一種でもあるだろうが、非組合員の手
第七章
グ汚れた
HH
製品たる
たとえばスト中脱落者集団の手による製品などの取扱拒否として、活用の道を考えてみてよい。
た と え ば 三 池 炭 鉱 の ス ト 中 に 第 二組合が就労したが、大牟田地区の労組が、
三一池炭を取りあつかわないという形で支援することもできたかもしれない。小さな商品市 場に し
か流れない製品を作る使用者に対しては有力であろう。ことに、地域的にオルグ活動をすすめる
グ汚れた製品
4 と い っ た 観 念 │ │ こ の 観 念 は 封 鎖 的 排 他 的 職 人 意 識 に根をもつ
ものであ っ
上にはかなりいい手段となるだろう。よかれ悪しかれ、クラフト・ユニオンの伝統がないところ
品、
V︺ 辛 ,
て、大量生産時代の広い階級連帯意識とはかならずしも結びつくまいーーーは生じないだろうか
ち、労働者の規範意識に定着した戦術にはなりにくいかもしれない。ことに、それによって現実
に苦しむ 労 働 者 が 生 ず る 公 算 も あ り 、 そ れ は 階 級 的 規 範 と し て は ゆ る し が た い 場 合 も あ ろ う か ら
である。その辺を十分に検討する必要はあろう。
不買同盟・第二次ボイコット
労働者階級は大きな購買力をもっ社会集団であり、今日では、その中でも総じて賃金の高い労
働者が組織せられている。もとより、商品市場にあらわれるかぎりでは、労働者も消費者大衆の
一員にほかならぬ。だが、生活基盤においてむすばれている労働組合のメンパーはもとより、未
組織労働者においても、階級連帯意識はあるていど生活感情となっていることは事実であり、そ
2
1
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れが市民としての消費生活をなにほどか規定することは否定しえない。だとすれば、労働組合が
商品市場に対しても事実上ある種の規制力をもつことはあきらかである。 一定の商品の不 買や
定のサlrスの不利用によって、なんらかの要求や主張を一定の経営者に押しつけるということ
一般にはストライキの補強策と理併せられ
が可能である。労働争議の手段としてもかかる方法がとられる。ふつうボイコット戦術といわれ
るものである。この戦術は、独立にも行われうるが、
ているといえよう。労働市場における取引について商品市 場 での戦術を用いるのは、例外的な 事
態であるのが自然というものである。のみならず、この戦術は、下手をすると雇主を商品市 場 主
孤立させ、経営不振をもたらし、組合にはね返る危険をふくむ。それはよほど労働力需要が旺盛
d だろう。
であるか、組合が雇用を保障してくれることにでもなっていないかぎり、その企業に働く労働者
としてはあまり歓迎できまい。わが国のような企業別組合では、もちろんグ最後の手段
野田醤油のストのときに苦しまぎれに総同盟はキッコーマン醤油のボイコットをアッピールした
が、そのような 場合 で あ ろ う 。 し か し 、 計 画 的 に 一 定 期 間 一 定 の 条 件 の も と に 、 た と え ば 地 評 傘
下だけでーーしたがって解除もやりやすいーーーボイコット戦術を用いることは考えてみてよい。
ボイコットについて、組合は組合員に対して拘束力あるボイコット指令をだしうるものかどう
か、が一つの問題である。争議当事 者 た る 組 合 に お いては、組合 員はボイ コット指令に拘 束 さ れ
るかもしれないし、上部団体が支援のために傘下に指令する場合も、下部団体はその趣旨を組
.
'
Z1
9
ストライキにおける統制と連帯
第七辛
合員に徹底する義務をおうだろうが、ある組合が同情的に友誼組合のためにボイコット指令をだ
す場合には、その組合のメンパ lははたして指令に拘束されるかどうか、かなり疑わしい問題で
ある。というのは、市民的消費生活に対してまでも組合は拘束できないだろうからである。拘束
しうるには、かなり特別な条件││たとえば争議の勝敗によって直接に影響をうけるような関係
にあって、ボイコットの必要が大会の 支 持 を う け る よ う な 場 合 ー ー が 存 在 し て い な け れ ば な る ま
、
。
一般にはボイコットは執行部の呼びかけという形になり、組合 員の仲間意識 にゆだねるのが
'
h
v
ふさわしい。
次に、争議団が使用者の製品をボイコットさせるために第三者に訴えることは、営業妨害にな
ら な い か 、 と い う 問 題 が お こ る 。 一 般 の 市 民 団 体 で も 牛 乳 値 下 げ 、 風 呂 賃値下げを叫んで近所 の
牛乳屋や浴場のボイコットをよびかけても、それだけでは市民としての言論の自由の範囲をこえ
ないだろう 。私的利益と関連 しながら も、社会運動的意味をもつからである。私怨からある風呂
屋なり牛乳屋のボイ コットをよびかければ、 営業権の侵害であろう。争議手段として行う場合も
私的利益のために行われるものであることは否定しえないが、労働者団結の利益と階級的利益l
ーそれの主張じたいが生存権理 念を実現する意味をも っ
l!との連帯的関係のゆえに、社会運動
たる性格を もつのみならず 、労働 者が自己の生産物や自己の仕事について主張しているという意
味をもつかぎり、自由だといえよう。だが、組織外に対しては呼びかけの自由以上に、とくに争
2
2
0
議行為として保障されるものとはいえまい 。
争議の当事者たる使用者A との間に取引のある使用者B に対して 、A の製品の取扱いーーー加工
販売等l ーを止めるように要求して、拒否されればストを行う(第二次スト﹀のは 、労働力の売買
について、組 合員を コントロールする組合の行動としては是認される こ と は す で に の ぺ た 。だ
が、このストの性格はボイコット的である。現に、ストライキではなく、 BがA の製品取扱拒否
要求を拒否すれば、 Bをもボイコッ トする(第二次ボイコット)という手段もとられるのである。
横断的組織があって、組合員の企業エゴイズムが強くなければ、そして使用者団体が組合に対峠
するようになれば、ゃれない戦術ではない。しかし、わが国のような組織実態ではなかなかゃれ
ないし、また、イヂ庁官ギ 1的な指導者は、組合が商品市場で活動することに 11l
腐敗とも 縁が
あるかもしれないという直感もあって│
│ あまりのり気にならないだろうと思われる。だが、第
二次ボイコットは、同情ストと同様の連帯関係のある範四では、違法ではないと解してよい。
2
2
1
ストライキにおける統制と連帯
第 七主
鈴葉艮 との対話
ー 第七章の た めに l
一九六二年(昭和三七年)の元旦も 、私は例年のよ
うに早起き し た。わが家の元旦行事f│新 聞 や 年 賀 状
をよみ客人と酌むという庶民の行事ー ーをひとわたり
おえて 、 ぼんやりした冬の陽ざ し の中で 、唐 詩 や 無 門
関を読みながら 、書初めの文句などをみつけていると
ころへ 、鈴葉良があらわれた。
民主三説法学と労働法学
〉
、
丹
ド
し
、
手/F hvAU
鈴護
のど
それでも日本酒までは排除できないだろう。法の支配 とい うものは 、解釈によってゆがめてみ
V
。
と ころが争議権ともなると 、軟骨みた いなもので 、権力の舌さきであ し らわれて しまうの じゃ
ても 、やはり 、権 力 の咽に刺 った骨みたいなものが残るところに値打ちがあるというものだよ。
沼田
専門家だろう。
。 これは 君の方が
﹁酒﹂はウイスキ ー に非ず 、ピ l ルに非ず 、ただ日本酒のみを指すと い った具合 にね
ないし、 いわんやわが子孫おや 、 だ。憲法九条は ﹁自衛のための軍隊﹂は拠棄する趣旨に非ず 、禁 酒 の
鈴 藁 い く ら ﹁ 禁 泊 ﹂ と 書 い て お い て も 、 立 法 者 で あ る 我 輩 が 政 府 流 の 解 釈 を や り は じ め る か も しれ
つづきをやりにきたわけさ。だが 、まず一献といかないかい。
沼田 どうだね 、君も筆太に﹁禁酒﹂ とでも書いて 、君の子孫のために表装しておいては :・:
公は 、酒ぴたりと い った調子で松の内は思考を失うだろうから 、元E早々に 、淡路島対談(第五章﹀の
鈴 藁 二 日 目 ぐ ら い か ら は 、闘士 、論客 、碁天狗、学生と客はかわれども 、紋付袴の前期的なる主人
八
2
2
2
鈴葉良との対話一一第七章のために
沼田そうでもないよ。使用者の方から考えてごらん。働くという約束できている労働者が だよ。み
んなで同盟して、﹁賃金を 上げろ、いやだというなら働らかない﹂とひら きなおる ことが権利だとされ
るのだからね。﹁働くのがいやなら会社をやめろ﹂というと、不当労働行為だというわけだろう。そこま
では、どんな裁判所へもっていっても、労働委員会へ もって行っても、労働者側のいいぶんが通るわけ
だろう。おまけに、働らきたいといって働らきにくる労働者を 、ピケをはって就労させないばかりか、
いうのだが、この法律論は、実際にはほとんど役に立っていないのだね。だって、ストライキのときに
部課長がやってきてさえピケ・ライ γは容易に通れない。 最高裁 は、平和的説得まではピケは正当だと
で逮捕でもしてごらんよ。それこそ弾圧もひどすぎると非難され、裁判所だって労働者側を支持して無
将療が 平和的説得という概念を 厳格 に適用して、説得されないスキャッブを一時間もピケしたというの
罪にするだろうし、最高裁も有名な三友炭鉱事件(昭コ二・二一・一一﹀のように、そのていどでは威
カではなく平和的説得の範囲をでないというだろう。だから、 実際 に事件になるのは、相当すごいピケの
場合だということになる。それですら労働法学者は正当だという場合が多いときているのだから、使用
とっていやな行動だろう。だから、政府は違法だとしきりに強調するのだけれど、使用者は政治ストだ
者にしてみれば、争議権が世の中をまかり通っているように思うだろうじゃないか。政治ストは権力に
からって組合幹部を首にすれぽ、首切り反対闘争でもう一度ストをやられそうだし、天下国家のことは
経営には関係がないから、一日や半日のストを辛棒して従業員と喧嘩をしない方が賢明だから、政府の
違法論をきき流してしまう。さりとて、政府は政治ストを刑罰で抑えるわけにはゆかない。だって政治
ストも争議権の行使だという法解釈が、労働者の規範意識によって支えられている。少くも集会示威の
のど
ると、解釈によってねじまげられてみても、争議権のミニマムの内容は資本側の晒に刺さった骨だよ。
自由だと解釈されている。しかもそれは、どの裁判所でも承認されることははっきりしている。だとす
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2
3
沼田人民のための法律学といってもよいし、民主主義法学だといってもよいだろう。
鈴 藁 そ こ で 君 は そ の 骨 を い く ら か 太 く し よ う と 考えて いるわけか i -
鈴 葉 と こ ろ が 、 骨 の 中 で も 一 番 硬 い は ず の 最 低 限 の 権 利ll京準法は刑罰をもってそれを保障して
いるのだがねーーー、それが骨ぬきされているのだからね。いくら骨を太くしてみても、 骨がぬかれて し
のだが、実際には行われていない。それは労働者の団結が弱いから、あるいは使用者が啓蒙されていな
まうとおしまいだね。民主主義法学者の悲哀というわけか。だから、労働法の学者は、解釈はそうなる
義憤をもって しゃべっている人もい るかも しれないし、 労働法の理論的把握の上に必要だから
いから、といった話をして自ら慰めているわけだね。
沼田
訴す人もいるだろう。
鈴 葉 そ の 理 論 的 把 握 と い う の だ が ね 。 一 体 、 法 律 学 の 前 説で 、その 法律が実際 には守られていない
などというのはおかしいじゃないかい。行われていようが行 われまいが 、学者の 知ったことじゃない、
というのが法律学というものじゃないのかい。民法だって 突際には 、金も力もない庶民にはかならずし
も利用されちゃいないぜ。借金のふみ倒しなんかざらにあ る刻象だろう し 、 お 隣 の 庭 へ ち ょ っ と ば か
りはみだして、塀を作るような心臓の強い野郎も少くないぜ 。そんなところをみれば 、民法なんか守ら
れていない法かもしない。しかし、民法学者は民法が守られていない事実や 、なぜ守られないか、とい
ちれればその法律はいらないし、その法律の解釈もいらないだろう。法律はつねに破られるものだよ。
うようなよけいな話はしないじゃないか。多かれ少なかれ、刑法だって商法だってそ うだよ。 完全に守
る。我設が労基法は守られないというのならば、それは当然だがね。なんとなれば、実践の立場にたっ
ひとり労働法のみならんやだ。しかるに、民主的 労働法学者ひとり 、労働法の行われざる ことにこだわ
我輩にとって、法解釈ははじめから闘争的実践の中で、労働者側がいかに行動すれば、国家や資本家が
2
2
4
鈴葉良との対話一一第七章のために
いかなる態度をとるであろうか 、その際に労働法はどのように活用されうるか、また労働法が行われて
いないとすればどこにその理由があり、労働組合はいかにその実態のもとで労働条件の向上をはかりう
るか、という問題意識と結びついているのだよ。だから、組合員に話すときに、最低基準さえ守られて
d
型組合幹部││ ホワイトカラー組合に多いがね1 1に活を入れ
いない点をパクロしたり、団結権や争議権が保障されているからといって、その解釈論ばかりやって、
るときには、団結力がないといかに権利が空虚なものかを話すわけだよ。ところが、法律学者がなぜ理
団結力の強化をサボリがちなグ勉強家
沼田労働法学者だって別にこだわっているわけじゃないよ。ただね、法社会学的考察を加えている
論的な視点から労働法の行われないことにこだわるのかね。
だけのことさ。もともと労働法という法は、市民法秩序の中から、その法が行われない事実││行われ
ないのは行為規純であって裁判規範ではない、などという議論はここでは敬遠しておくがねーーその行
われない事実を媒介として生れた法なのだ。みてごらん、ストライキは雇用契約違反、不法行為などの
法違反とされたし、しばしば営業妨害罪や共謀罪に擬せられた。しかし、ストライキはおさえがたい事
したということは、その力の構造を承認することによって、ストを 法内 在 化 し た と い う こ と だ よ 。 労 働
実であり、力であったし、おさえがたい正当性意識をもっ行動だった。法がかかる行動を自由なものと
基準の定立にしてもそうだ。契約自由に放置しておくことから生ずる社会悪 1 1総資本的立場からみれ
の知らない社会的事実なのだよ。この社会的事実を意識して労働保護法が立法せられる。つまり、労働
ば、不合理性でもあることは君にいうまでもないだろう。それは社会的矛盾の発現だが、矛盾は市民法
していなくとも、 生れえな い法なのだね。法規の怠味内容としてはIl 一応法解釈学の対象だがね1
1i
法は市民法の妥当について法社会学的考察なしには、たといそれとして学問的反省を資本家や政治家が
労働法は市民法に対する特別法の位置にあるわけだから、市民法理に接着しつつ修正ずる関係になると
2
2
5
いうだけだ が、労働 法の存在理由は 、社会 的矛盾にそれがいかに対処 しているか。 論理的 にとら えられ
る内容が 、いかに 資 本 家 や 政 治 権 力 1l│
立法とそれを適用するという こととは政治的には同一物 ではな
るための諸条件はなにか、といった歴史的社会の法則的運動の中で批判してゆくことによってはじめて
いことは 君も 知 る通りだ ーーと の力関係の中でゆがめられ、ないしは無視されているか。それを克服す
明らかになる。 新 しい 法形態である労働法は 、そ の存在理由に立ちかえりながら 、そ の規範的意味内容
を明らかにしなければ、解釈の正当性を充分には明らかにしがたい。だから労働法を理論的に深く出併
するには、イデオロギー的批判を媒介としつつ、法内在的立場の可能性を明らかにし、法理の解釈論を
の学者とちがって、 労働法学者は 、彼の世界観なり法律観なりが鋭く 問われ るの だろうね。もっと も今
根拠づけるということが要請せられているのだ、とぼくは考えているんだ。だから行政法とか民法刑法
日では、既存の 法学にお いても、古典的法的価何観ω動揺はさけがたく 、凡庸な学者でないかぎり 、既
成の解釈学に対して方法論的な反省を加えているがね。労働法の場合は、社会的には存在拘束をうける
階級的人間集団の対立関係を前提とし、そこに妥当するだけに、法がいかなる規範的意味をもって妥当
る。つまり力関係の変動を通じ、国家権力への働きかけを通じていかに妥当せしむべきか、という問題
してい るかは 、 つねにいかなる規範 的意 味 において妥当せ しむべきか ということと不可分の聞い方にな
そんなやっかいな発想で労働法山論をたてようとするから 、進歩的学者は立法論をや ってい る
は
、 省 略 で き な い だ ろ う じ ゃ な い か 。 その辺が理論的には決定的に重要なところだよ 。
だよ。そのた め には、い かなる力が 作用し て、法の実効性や規制的怠味を規定 して い る か の 分 析 批 判
・鈴葉
などとい われるんだろう。判例でも沢 山ならべたり 、 アメ リカやドイツの学説をひいたり 、と きには氏
商法の規定ゃあるいは労働省の通達、解釈例規、学説などをひっぱって、﹁ここに法あり、ここに踊れ﹂
せき
のアカデミッ クな前義をやると 、い くらか碩学みた いに みえてくるぜ。だが 、今日は 、第 一回 の誹座の
究2
o
鈴葉良との対話一一第七章のために
の考え方は 、 い く らかわかったような気もするよ。かならずしも行われざる法の解釈学をやる気じゃ な
さいに我輩の質問に対して、﹁解放期の労働法原理は存在しているといいたいのだ﹂といったときの君
沼固
まあね 、行わ れざる法の解釈学と いう 皮 肉 な 学 問 を や っ て いるよう にも、凡眼にはみ え る か も
いこと がね。
一生かかって何を やったかわからなくなるよ。ことに 、い ま は 産 業 資 本 主 義 時 代 の よ う に 法 世 界 観 が 安
、
しれないよ 。だが 、がっ ちり法理を組みたてたようにみえても 、その基礎となる法律観がウィ ー クだ と
実践的にみると 、 労働法の理論など 、多少プ ロ・レ iパ l的だとかいってみても、大したこと
お互 に試験答案にはむかん方だよ 。
定した時代でない からね。
沼田
鈴葉
でもないかもしれんね 。権力をにぎ る支配勢 力 からみれば 、 ﹁ やせ蛙負けるな 一茶ここにあり﹂の 感 懐
しゃく
かもしれんね。それよ りは 、安 保 闘 争 は 正 当 な 人 民 の 抵 抗 権 だ と か 、政暴 法 案 は 危 険 千 万 だ か ら 国 民 は
うにした くなるだろうと思うよ。その点では 、 労 働 者 の 権 利 の骨を いくら太く し て み た っ て 、 労 働 者 を
断じて葬りさるために闘うべきである、などという学者や知識人の方が小癒にさわり、戸も出せないよ
中 心 と す る 人 民の叛骨を太くするに しかずか。ど う や ら 君 の 方 が 、法の支配を 根底で支え て い る 背 骨の
A
平和に生活する権利といってもよいが、この辺になると、自然法とか
安 保 を ど う 考 え る か と か、政暴 法 案 が 国 民 の 生 活 と 平 和 1 1文化的 用語で気に入らな けり ゃ 、
役目をしているみたいだね。
鈴襲
法律用語で基本的人権、生存権
のを 言う ことは、 労働法学者のやってならないことみたいに思ってもらっちゃ困るよ。国民の 一人、学
神の 法 と か の 用 語 に 近 い が ね 。 ま あ 、国 民 の 運 動 に ど の よ う な 影 響 を お よ ぼ す か に つ い て 考 え 、 か つ も
者の一人、ことに法律学者の一人、いやまさに民主主義法学者の一人であれば、ここで要領よく沈黙し
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てはならないと思うね。労働法学者だから国民に訴えろとはいわないが、民主主義法学者ならば、ニセ
だよ。もっとも君にいってるわけじゃないが、いまの話をきいてると、労働法における法社会学派の殻
から
物でなくホツ物の民主主義者だというのならばだ、なんとかはっきり社会的発言をすべきだということ
にとじこもりそ うな気がしてね。
争議と地域的連帯活動
〉
よじん
製紙苫小牧の闘争だが、このときも道炭労が同じようなマス・ピケで支援した。王子苫小牧の場合は、
オルグがでかけて指揮にあたったとはいえ、道炭労の肩の入れ方は大したものだったね。その次は王子
者をかかえて就労闘争をつづけてゆくうちに、強化されたわけだ。総評からは炭労出身の高野実直系の
だったが、 道炭労や富士鉄室蘭労組を中 心に地域組織が組まれ 、三鉱連の一一三日の闘争方式で被解雇
鈴 藁 我 輩はあの争議で感 心したのは、 道炭労の支援だがね。日銅室蘭の組合は、ス ト前は弱い組合
たよ。
ーーいろい ろ話したし 、警察署長や 市会、新聞社、商工会議所その他を回ったのでずいぶん忙がしかっ
やったので、その辺からも聴くことがあったし、社宅の主婦にも││赤組の主婦も青組の主婦にもだよ
合っていてね。富士鉄の組合や道炭労、わけでも三井三山がこの闘争を支えて、献身的にピケやデモを
沼 田 ス ト が 終ってからだ。それでもまだ余煙消えやらずの感があり、第一組合と第二組合とがはり
だったね。ストが 終ってから行ったのかい。
主観においては同じようなものじゃないか。少くもアメリカ社会学の影響のあるまではね。まあ学派論
はとり下げ るが 、君たちは争議調査を四 、五 年前にやってたね。日鋼室闘争議に大挙してでかけたはず
鈴 葉 と き に 、 君 た ち 法 社会学派││妙な顔をするなよ 。唯物史観法学派でもいいさ 。日本の学者の
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鈴葉良との対話一一一第七章のために
ほとんど典型的なカンパニー・タウンの闘争だったが、道炭労はじめ国労その他からの支援は大したも
のだった。このときにも総評からは炭 労出身の太田 燕直系のオルグがでかけて指揮に当った。王子の組
ストじたいは王子の 場合、組合側が勝った。日銅と王子の北海道における代表的な大ストライキをみて
合はスト前から相当強い組合だったと忠われるが、それでも第二組合ができてくるしくなった。だが、
北海道の連帯性を感ずるね。道炭労が柱になっているようにみえるが、公労協もしっかりしている。国
はじめるのは、地域共闘を重視したいからなんだがね。 室関にせよ、苫小牧にせよ、三池のストにせよ、
鉄、全逓もそうだが、林野の北見地本だとか、一斉学力テストをけった日教組とかね。 実 はこんな話を
総評が指導し力をかたむけ、その下に地域組織も組まれ、三池ストのごときは全国のオルグが集まって
ピケ・ラインを守った。それは戦前にはみられない大きな力だったし、総評の組織力の成果でもある。
沼田しかし、地域闘争が弱いといいたいのかね。北海道の二大ストをほめていたようだが、道炭労
それは決定的に重要だと思うね。
鈴藁そんなことじゃないのだよ。いくらか弱いということにも関連するだろうがね。上部団体の統
だけをほめてあとがいけない:::。
制があり、戦術もあるからにはちがいないが、なんというか、一般には地域的なストの連鎖反応をまき
沼田ロンドン労働組合協議会円。ロ守口 43仕 の
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は一八六O年以来 の伝統をもっ組織だが、
おこすという、野性的連帯意識といった も のに欠けてやしないか、ということだがね。
あれはたしか九時間労働を要求してロンドンの建築工がストライキをやり、親方団体はロックアウトを
もって報復して、 多く の非組合員 をふくむ二万四千人の大工 や煉瓦工石工などを二百余の工 場 からしめ
口 g同と労働者がよんだ黄犬契約で
dOQZ5 門守g
Fいまいましい証書
せまった。それがきっかけで他の職業の組合も結集してカンバをやり│l全国的に、大陸からさえ支援
だしたんだがね。その上、例の
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があってね││、ストライキ委員会のよびかけで協議会結成へと進んでいったわけだがね。このように
ll外国でも地下労働者は
連帯的闘争から組織が結成せられたのではなくてだね、一挙に上から全国組織の結成をみた、そして下
部は常用工の企業別組合だというわが国の実態なのだからね。炭労のような
強いがね 1 1組織ならばあるていどはやるだろうが、一般にはまだ自発的に支援スト、同情ストには入
鈴藁その通りだがね。しかし、日本にだって米騒動みたいな大連鎖反抗もあったんだよ。もっとも
りきらんだろうね。
あのときは指導がなくてつぶれたがね。またいまは大正七年の米価値上りの時期ほどひどい生活状態に
はないから、あんな風にはなるまいけど:::。だが、大正十年の川崎、一二菱両造船所のストライキのと
きは、このスト自体が大阪の藤永田、住友などのストにつづいたのだが、とにかく神戸市内のほとんど
沼田
d
の要求││今日の共同交渉とか統一団交の要求みたいじゃな
友愛会神戸連合会などが主催して労働者大会をひらいて 、大阪 のス ト支援を決議したり 、さら
全工場をス トに まきこんで 、尼崎播陪地区にまで波及したのだからね。
に F横断組合を背景として団交権の独得
いか、 全鉱や合化では中労委へ出したね。それから 、 ヱ産業民主の精神により労働組合を基調とする工
とを決議して波をおこしてゆく。そして三菱内燃機から、八時間労働制、賃上げとともに団結承認を要
場委員制の実現の要求dlーーこ れも何か事前協議制を要求 してい る近頃の組合を思わせるぜ。こんな こ
d
に備えて 警備したり、憲兵隊も(│東京態兵司令部から副官甘粕中尉がきて
求してストの口火がきられ、三 菱 、川崎両造船所、神戸製鋼などへとストが連鎖してゆくんだ。しかも、
はじめから 警察 がグ万一
指揮したんだよ、知らなかったね。それから歩兵第三九連隊の軍隊や師団参謀ま でが万一に備えている
中でだよ。何しろ、馬車賃値下げ反対のために馬丁一 OO名までがストに入って値下げを取消させてい
るのだからね。たしかに 、君を感激させそうな地域共闘だと思うよ。純粋な同情ス トはなかったが、相
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鈴葉良との対話一一第七章のために
互に同情連帯意識が流れていたように思うね。この争議は、幸いに兵庫県労働運動史編さん室で貴重な
d がひらひらしてさ。
資料を集めて公表してくれているので、組合幹部講習会あたりで君が話すのにはいい種本となるぜ。ボ
イ ヤlの ﹁アメリカ労働運動の歴史﹂ (雪山訳﹀は迫力があり 、組合幹部は一読すべきだが 、 な に ぷ ん
学
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鈴 葉 い や 我 輩 も 兵 庫 労 研 の ﹁ 労 働 研 究﹂ ハ 一九五八年二月号 │ │ 一二O 号﹁│ー から数回)で 、 その
アメリカのことだから 、あまりふりまわすと組合員には嫌がられるよ、
争議資料をよんで、どうして三池ストのときに 、少くも大牟田地区の全組織をあげて、三池スト支援と、
自己固有の要求とを重ねたストの波が起らなかったのか 、 ということに考えさせられたのだよ。あれだ
け密接に結びついている地域的産業社会で 、地域ゼネ ・ストの形で 、あるいは地域波状ストの形で 、 共
闘が組織せられたとすれば 、あんなに大きなピケ動員も必要がなかったかもしれまいし 、 し た が っ て 笹
はストの波はおさまらなくなり 、分裂者が地域的にボイコッ トされれば無力化 するだろうし 、 そもそも
察 沙 汰 も 少 な か っ た か も し れ ま い 。 ま た 分 裂 第 二 組 合 が で き て 就 労 し て も 、第 二 組 合 が 就 労 し て い る 間
脱落や分裂もおこらなかったかもしれない。まったく仮説であり、仮空の戦術であるといわれるだろう
が 、 な ん と か そ の よ う な 方 向 へ の 努 力 が あ っ て よ い よ う な 気 が す る の だ よ 。 こ と に 、 これからコンビナ
ート が作られるようになれば 、どうしたってこの方式の再検討を要すると思うなあ。いままでも 、 重 点
ー ルの中で上から組
地域を定めて春闘をやる と いった形の闘争はなされたことはあるが 、春闘スケジ ュ
まれるのでなく、日常的なオルグ活動によって、地域的連帯が固められた上で、重要な ││l三池ス ト は
り 、最 低 賃 金 協 定 の た め の 全 国 労 組 の 闘 争 と い っ た も の に つ い て も 必 要 性 は あ る だ ろ う 。 そ う い う 、 重
全労働者の問題だとされたが 、その上一層直接的に地域の全組織の問題だった。ああいう場合はもと よ
要なス トがおこ ったときには 、地域ストがおこる。そ し て単産本部や総評は 、そ れ を 公 認 し 支 援 す る と
いっ た形のものがでてこなけりゃいけないのじゃないか。まさか 、 こういう形で地域ス トが行われ た 場
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ちね。使用者が解雇などしたらますます争議が悪化するだけだろう。不当労働行為の救済をもとめるに
警察がでてくる理由はあるまい。いかにプロ ・
合に 、
キャピタルの争訴訟迎によってもね。法治凶家だか
沼田どのくらいの厚みをもつかにもよるが、君のえがく仮説的地域共闘ならば、使用者も訴力団の
もおよばないかもしれないね。
つれこみはむづかしいだろうし、いかに政府でも、地域ストに緊急調整を発動するわけにはゆくまいか
らね。緊急調整発動の要件には該当しないよ。もっとも官公労が参加すると、日教組の勤評闘争や学力
テスト拒否に対してやったように、また三五年春闘のとき全逓の闘争に対してやったように、 警察 をく
りださないともかぎらないがね。民間労組だけなら警察はでないよ。使用者団体が強くなって、一斉ロ
鈴葉それが横断的組織への道だね。その段階までくると、全国単産を承認して、これと団交をやり
ックアウトにでもでて対抗するというノーマル念形になるだろうし、それが労働法の想定する図だよ。
平和条項をとりつけておかないと、使用者側も安心できなくなるだろうよ。組合は自分のもっているス
沼田うまく利用しはじめたら、おさえるかもしれないよ。
トライキ権をもっとうまく利用しないともったいないね。
鈴 葉 そ う か も し れ な い 、 な に し ろ 、 右 翼 の グ lデターなどが共謀される時期だからね。あんなとき
沼 田 元 E早々だからか、総評からの贈物のウイスキーの回りでもよかったのか、いやに 気焔があ が
に抗議ゼネ・ストがまき起ってもよさそうなものだがね。
るね。
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