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新 田 舎 宣 言

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新 田 舎 宣 言
新 ◆田 舎 宣 言
第7部
共生ネットワーク
・・・地 域 社 会 再 生 へ の ア プ ロ ー チ
(文:浅野 総一、写真:椎原 新二)
1 活性化へ都市とスクラム
“ 緑 ” のメッセージ/親せき並みの扱い/町もバックアップ
4 農業見直すきっかけに
「嫁の仕事」が役に/ツクシもノビルも/主役は女性たち…
2農家にも戦える “ 武器 ” を
5消費者との距離縮めたい
話す時間も惜しい/学校5日制に期待/連帯感をはぐくむ
鳥の声で目覚ます/物産展の直販拡大/ファン定着に役割
3先進地ヨーロッパに学ぶ
6 脱サラし新天地へ/農家の役割に誇り
長期休暇は農村で/ワイナリーを核に/行政の姿勢に変化
新聞販売店と兼業/プラス思考に転換
初版発行:2 0 0 8 年 1 1 月 2 1 日
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
はじめに 今、地方はひん死の状態にある。
過疎化と高齢化の波がムラを次々にのみ込んでいる。
p.
2
●デジタル版「新田舎宣言」について
「新田舎宣言―地域社会再生へのアプローチ」
は、大分合同新聞が 1999 年 10 月 17 日から
翌 2000 年 7 月 1 日にかけて掲載した全9部
高度経済成長の階段を駆け上り始めた 1960 年代以降、
56 篇の連載記事。今回、連載当時の記事と写
日本社会は全国津々浦々から
真を原則そのままに、デジタルブックとして再
数知れないムラ人たちを、
構成しました。登場人物の年齢をはじめ文中の
都会へ、都会へ、と駆り立てていった。
記述内容は、連載時点のものです。
人がいなくなったムラには、荒れた田畑や山林が残され、 2008 年 10 月 10 日 NAN-NAN 事務局
集落の崩壊、消滅がじわじわと進行している。
その一方では、
新天地を求めて都会からムラへ移り住む「新田舎人」たちの姿も目立つ。
過疎市町村の比率が全国一高い過疎大県・大分の
Index
今と明日を見つめながら、地域社会再生への道を探る
1999 年 10 月 17 日
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
1 活性化へ都市とスクラム
p.
3
2000 年 5 月 25 日
■ “ 縁のメッセージ ”
「 http://www.coara.or.jp/~ajimu/ 」
。イン
ターネットのホームページを開くと、
「とな
りのトトロ」のメロディーが聞こえてきた。
画面には、ブドウ園で結婚式を挙げる若い
カップルの写真。草のにおいが、鼻の奥によ
みがえってくるような錯覚を覚える。
作成したのは大分県の安心院町グリーン
ツーリズム研究会。
インターネットを通じて、
都会人に送り届ける農村からの “ 緑のメッ
セージ ” だ。
ブドウ、スッポン、鏝(こて)絵などで知
られる安心院町は、人口約 8700 人。福岡県
と大分県を結ぶ東九州自動車道(宇佐・別府
道路)で、大分市から一時間足らずのところ
にある。
町名の「あじむ」は、
「沼沢地で葦(アシ)
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
p.
4
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由布岳(後方中央)を望む安心院盆地。田植えを前に水
田では代かき作業が始まっていた(安心院町上荘地区)
Next
大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
がたくさん生い茂っていたため、古く葦生(ア
ちが農村で “ 心の洗濯 ” ができる町づくりを目
シブ)と呼ばれたのが起源だともいわれている」
指す。宮田さんたちの思いだ。
(大分合同新聞社発行・大分の伝説)
。のどかな
5
研究会の会員は約 270 人。うち地元の農家
盆地には水田とブドウ畑が広がり、
「西日本一」
は約 50 人。ほかに公務員、教員 OB、町を好
といわれたブドウの産地。秋のシーズンはブド
きになって住みついた工芸家などメンバーは多
ウ狩りの観光客でにぎわう。
彩。県内外から農村体験に訪れた人たちは全員
安心院町グリーンツーリズム研究会は 1996
会員になる。
(平成 8)年、町内のブドウ農家・宮田静一さ
p.
一度でも町内の農家に泊まった人は「遠く
ん(50)=知野地区=の呼び掛けで結成された。
の親せき」。会員を飛び越えて、一族並みの扱
農村と都市の結び付きを強め、農産物の産地
いだ。
直売や農家民泊などで農家の経営の足腰を強
研究会ができた背景には、基幹産業である農
くする ― 民間主導による一石二鳥の地域づく
業の厳しい現実がある。安心院町のブドウ栽培
り運動。
は、65 年から始まった国営駅館川総合開発パ
イロット事業で本格化した。山林、原野を開墾
■親せき並みの扱い
し、500 ヘクタールの大ブドウ団地を造成す
研究会の存続期間は今年までの 5 年間に限
る計画だった。
定されている。
ピークの 85 年当時、町内の栽培農家は 391
「5 年後からは、研究会を脱皮して、グリー
戸。栽培面積はデラウエアを中心に 306 ヘク
ンツーリズムのプロになりたい」
。都会の人た
タール、販売額は 10 億 9600 万円に達した。
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
■町もバックアップ
会の人たち。
全国に先がけて町も
「グリーンツー
だが、消費者のし好は移ろいやすい。次第に
リズム推進宣言」を出し、農家の取り組みを後
大粒の巨峰などに好みが移った。品種更新の遅
押しする姿勢を示した。
p.
6
れ、生産者の高齢化、そして台風被害が追い打
ちをかけた。ブドウ団地に荒廃園が目立ち始め
た。14 年後の 99 年には栽培農家は 270 戸、
過疎化と高齢化の進行、後継者不足。息絶え
栽培面積は 195 ヘクタールにまで減った。
絶えの農村にあって、そこに踏みとどまって新
「強い直球(生産農家)とフォークボール(グ
しい農業・農村の可能性を見つめ、模索する人
リーンツーリズム)の組み合わせにこそ、新し
たちがいる。
い農村形態の流れを見る」
。
キーワードは「都市と農村の共生」
。農家主
米大リーグを席けんした野茂投手の投球術に
導の安心院町グリーンツーリズム研究会に集う
ならって、経営安定と農村の再生を目指す研究
人たちを通じて、農村活性化の “ 実験 ” を見る。
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
2 農家にも戦える “ 武器 ” を
p.
7
2000 年 5 月 26 日
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「グリーンツーリズムの原点は農業」と語る宮田さん。
家族とともにブドウの摘果作業(安心院町知野地区)
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
■話す時間も惜しい
デラウエア。巨峰は農協の取り扱い品種に入っ
「グリーンツーリズムの原点は農業」― 安心
てなかった。自ら市場を訪れて、販売ルート開
院町グリーンツーリズム研究会の会長で、ブド
拓に歩き回った。
ウ農家宮田静一さん(50)は、そう確信して
「借金を背負い、人と話す時間も惜しいほど
いる。
ブドウに集中した」と宮田さん。
p.
8
「町づくりの優等生」といわれる湯布院町に
学びながらも、“ 純農村 ” である安心院との特
■学校 5 日制に期待
性の違いを意識している。
町内知野の幹線道路沿いに、ブドウの直売所
「農村の暮らしと仕事は変えない。おいしい
を開店したのは 10 年前だった。市場出荷一本
農産物があってこそ、人を受け入れられる」
。
やりだった宮田さんは、
自分が作ったブドウに、
宮田さんは宇佐市長洲の養鶏農家出身。日本
初めて自分で値段を付けて販売した。
「市場任
獣医畜産大学 3 年の時に、安心院町がブドウ
せにしない農業は、こんなに利益が出るものな
生産者を募集していることを知った。当時、国
のか」と驚いた。
営パイロット事業で大規模なブドウ団地が造成
「農家が弱いのは、自分で作ったものに自分
されていた。
で値段を付けられないからだ」
。こんな思いが、
「10 ヘクタールもの広い土地を自分の思うよ
都市との交流を通じて農村の活性化を目指すグ
うにできる、一生に一度のチャンス」
。宮田さ
リーンツーリズム運動に、宮田さんたちを駆り
んは巨峰栽培に取り組む決意をした。
立てる。
当時のブドウ栽培の主流は、収量が安定した
ヨーロッパでは、グリーンツーリズムによる
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「いい思い出ができた」。音楽物語で
大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」- p.
合唱を買って出た阿南ヒサコさん
民泊が農家の大きな収入源になっている。ヨー
式場に選んだのは 2 人の職場になるブドウ
ロッパに比べて日本は、民宿経営に法律上の制
園。約 250 人の仲間が後継者の門出を祝福し
約がまだ多い。
た。結婚式のようすは、研究会のホームページ
宮田さんは「農家にも戦える武器を与えてほ
に写真付きで紹介。田舎から都市へ、さわやか
しい」と願う。そして 2002 年度から実施され
なメッセージとなって伝わった。
る学校週 5 日制が、「グリーンツーリズムを加
安心院町は大分県内に 44 ある過疎市町村の
速させる」と期待している。
一つ。人口減少が続き、高齢化率は 32%を超
9
えた。町民一人ひとりの顔が見える田舎にあっ
■連帯感をはぐくむ
て、
「人の足を引っ張るのではなく、お互いが
宮田さんの長男宗武さん(25)は昨年春、
ともに手を引いて歩いていく」
。そんな連帯感
安心院町に帰ってきてブドウ園を継いだ。宗武
をはぐくむことが、研究会のモットーにもなっ
さんは東京農業大学大学院でバイオテクノロ
ている。
ジーを研究していた。
「農業の研究は進んでも、農業の現場は衰退
していく矛盾がある。地に足を着けて生きてい
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こうと思った」。父の背中を見つめ続けてきた
宗武さんの選択だった。
昨年 5 月には、大学の同窓生で神奈川県出
身の綾子さん(22)と結婚した。
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
3 先進地ヨーロッパに学ぶ
p.
10
2000 年 5 月 27 日
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レンゲ畑が広がる安心院盆地(若林地区で)
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
■長期休暇は農村で
1997(平成 9)年 3 月、安心院町は全国に
先がけて「グリーンツーリズム推進宣言」をし
た。ブドウ農家を主体に結成したグリーンツー
p.
11
安心院は鏝(こて)
絵のある町として
も 知 ら れ て い る。
古い民家の屋根に
色どりもあざやか
に(舟板地区)
リズム研究会には、高田文義町長も一会員とし
て加わっている。
研究会の会員は交代で毎年、グリーンツーリ
ズムの先進地ヨーロッパへ視察旅行に出かけ
る。旅費は会員みんなで積み立てる “ 無尽講 ”
方式。町長も 97 年に参加。30 年の歴史があ
るドイツのグリーンツーリズム運動を見た。
農家民泊で泊まったのは、人口 800 人ほど
の村アッカレン。
6 対 4。ヨーロッパでは、長期休暇を農村で過
三方をブドウ畑に囲まれた谷間にある村。
ごす習慣が定着しており、大部分の農家が民泊
120 戸の大部分が農家だ。現地では「ブドウ
を受け入れていた。
畑が 6 ヘクタールなければ経営が成り立たな
「農家に泊まり、食事は村のレストランです
い」といわれるが、泊まった農家のブドウ畑は
る。レストランは、料理に使う野菜などを地元
3 ヘクタール。収入を補うために奥さんが農家
の農家から買うシステムが出来上がっている。
民泊を始めた。ブドウ栽培と民泊の収入割合は
村全体がグリーンツーリズム運動にかかわって
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
いる。街にはゴミもなく、人も親切だった」
。
p.
12
ブドウ園は作り手が減り、荒れていく。これ以
上、荒廃園を増やさないために、安心院産のブ
■ワイナリーを核に
ドウを原料に使ってもらおうとワイナリーを誘
整っているのは村の受け入れ態勢だけでな
致した」
。ワイナリーをグリーンツーリズムの
い。ブドウ農家が自家製ワインをつくって販売
“ 核施設 ” にしたい。高田町長の期待はふくらむ。
することもできる。法の規制も緩やかで、農家
経営の自立を支援するシステムが整っていると
■行政の姿勢に変化
いう。「ブドウが高値の時は、ブドウだけでも
生産条件が不利な中山間地域の農地で耕作を
年間 700 万円から 800 万円の収入があった」
続ける農家を対象に、国は 2000 年度から直接
(高田町長)という安心院町の農業。しかし生
支払い制度をスタートさせる。食料生産や環境
産者の高齢化や後継者不足で、ブドウの栽培面
保全などの面で、農村がもつ多面的機能が見直
積は最盛期の 3 分の 2 以下になった。
されている。農家所得の一部を国が補償するこ
町は昨年 8 月に、宇佐市の三和酒類とワイ
とで、農村のよさ、環境を守っていくのが狙い
ン醸造所(ワイナリー)を建設する立地協定を
だ。本当の意味で農村を顧みることのなかった
結んだ。場所は家族旅行村安心院の隣接地。来
行政の姿勢も、少しずつだが変わり始めた。
年秋から安心院ブドウを使って仕込みを始め
だが、グリーンツーリズムに取り組む農家に
る。オープンは 2002 年春の予定。
対しては、助成や融資制度は全国的にもほとん
「市場価格が高い大粒種の巨峰やピオーネの
どない。ヨーロッパを源流とするグリーンツー
ハウス栽培は守っていけるが、ベリー A などの
リズムは、日本ではまだ緒に就いたばかりだ。
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
4 農業見直すきっかけに
p.
13
2000 年 5 月 28 日
■「嫁の仕事」が役に
みんな役に立つ。ここに嫁いで 40 年になりま
周りは萌葱(もえぎ)色の山。途絶えること
すが、今が一番幸せ」
。ミヤ子さんの言葉から
のないツバメのさえずりが、耳に飛び込んでく
自信が伝わってくる。
る。
親の決めた縁談に従って、21 歳で結婚した。
大型連休中の 5 月 4 日。安心院町舟板の農
数日後には地下足袋を履いて畑に立っていた。
業中山文弘さん(68)の家には、草木染体験
農家の嫁の大変さ」を知った。ミソや豆腐、コ
ツアーの女性たちが訪れていた。
ンニャクも手づくり、染物も覚えた。ありふれ
安心院町グリーンツーリズム研究会が募集し
た農村の暮らしで身に付けたものが、いま都会
たもの。大分市や津久見市、遠くは北九州市か
の人たちを引きつける。
らの参加者も。
染めたスカーフやバンダナは、家の横を流れ
中山さんの自宅は、昔ながらのたたずまいが
る井手の水で洗い、
余分な染料を落として干す。
残っている。土にわらを練り込んだ粗壁(あら
その間、文弘さんは参加者が掘ったタケノコを
かべ)
。納屋の壁には、牛馬に引かせて田の土
ゆでたり、
ヨモギもちをつく準備をしたり。
ゆっ
を起こす、使い込まれたスキが掛かっている。
たりした時間が流れる。
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中庭で草木染を教えているのは、中山さんの
妻ミヤ子さん(61)
。
■ツクシもノビルも
「自分が農家の嫁としてやってきたことが、
「何もない町だと思っていたんですが、
『ツク
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
p.
14
シもあればノビルもあるじゃないですか』と逆
に都会の人に教えられた」
。都会の人たちとの
何気ないやりとりが、いま住んでいる地域をあ
らためて見直すきっかけになることも。
北九州市小倉北区から参加した原田和美さん
(37)には、夫の和明さん(40)も同行した。
菜の花やアザミが咲く中山さんの畑を、和明さ
んがクワで耕していた。
化学関係の企業に勤めるサラリーマン。これ
から週末を利用して安心院を訪れ、ナスやトマ
トを栽培するという。
「会社の森から見える景色は煙突だらけの灰
色と黒の世界。ここには四季の景色がある」
。
都会暮らしをしばし離れて、自然のサイクルに
沿った生活に浸るひとときが、原田さん夫妻の
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心をいやす。
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中山さん(左側の中央)の指導であい染めを楽しむ体験ツアー
の人たち(安心院町舟板地区)
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
■主役は女性たち…
表情を輝かせた。
小学校長を退職して町内で暮らす矢野俊彦さ
グリーンツーリズムを支える主役は、農村女
ん(69)
、英子さん(64)夫妻=上内河野地区
性だ。
=。築後 70 年の大きな家に住み、庭には「竜
3 人の子供はそれぞれ独立。うち 2 人は福岡
泉」と名付けたわき水も。2 人そろってグリー
県にいる。息子たちは時々申し合わせて里帰り
ンツーリズム研究会の会員だ。農村体験に訪れ
し、好きな川釣りにいそいそと出かけて行く。
る人を受け入れている。
俊彦さんは「ここに 2 日ぐらい泊まると、疲
「先頭に立ってみんなを引っ張る年ではない
れた息子の顔が元気な表情に変わるのが分か
が、安心院に生まれた者として、会員の活動を
る」と話す。
できるだけバックアップしたい」と俊彦さん。
田舎が、故郷が、人に元気を与えてくれる。
英子さんは「自分の子供と同じ年代の会員に頼
安らぎを求めて農村を訪れる都会の人たちの姿
りにされていると思うと、うれしいですよ」と
が、
息子の姿と二重映しになるのかもしれない。
p.
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
5 消費者との距離縮めたい
p.
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2000 年 5 月 29 日
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高江さん(右端)の工房で竹かごづくりを
体験する人たち(安心院町萱籠地区)
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
■鳥の声で目覚ます
府市中心部からわずか 30 分の場所に、これだ
別府市との境界に近い安心院町萱籠(かやご
けの自然環境に恵まれた土地があることが驚き
もり)。
だった」
。
山中に、二棟のログハウスが建っている。竹
山と緑の木々に囲まれた生活。朝は鳥の声で
工芸の伝統工芸士、高江雅人さん(44)が開
目を覚ます「何気ない自然が財産。ほかの土地
いた竹工房「オンセ」と自宅。高江さんを慕い、
から来た人間だから余計に良さが分かる」
。高
全国から集まった 14 人の弟子たちが働いてい
江さんが安心院町に住み着いた理由だ。
p.
17
る。
高江さんは名古屋市出身。20 代のころは、
■物産展の直販拡大
全国チェーンのファミリーレストラン店長だっ
職業訓練校から、別府産業工芸試験所の中堅
た。早朝から深夜まで、がむしゃらに働き続け
技術者養成コースへ。87 年からは広島県の竹
た。
原高等技術専門校の講師として 7 年間、教え
1985(昭和 60)年、
「機械の部品のような
る立場に回った。その後は工房での制作に専念
サラリーマン生活」に終止符を打ち、当時の別
した。
府高等職業訓練校竹工芸科に入校。現在地に約
竹工芸を始めてから 13 年、高江さんに “ 春 ”
2300 平方メートルの土地を買い、自分でログ
が訪れる。98 年の全国伝統的工芸品展で「竹
ハウスを建てた。
のハンドバッグ」が伝統技術活用・研究賞を受
「地元の人は『こんな辺ぴな所に』と思うだ
賞した。今年 2 月には、通産大臣から伝統工
ろうが、都会人は田舎に引きつけられる。別
芸士にも認定された。
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
「安心院町グリーンツーリズム研究会」の発
が家通信」を発行している。家族や竹工房の近
足当時からの会員でもある。会長の宮田静一さ
況をつづって、知人や夫の製品を買ってくれた
んから「農家ばかりでなく、違う発想の意見を
人たちに送っている。消費者の目に見える生産
聞きたい」と請われて、副会長も 4 年間した。
者でありたい。悦子さんなりの思い入れが込め
高江さんはいま、製品の販売ルートを変えよ
られている
うと模索している。
これまでの卸販売主体から、
都会のデパートで開く展示会や物産展での直販
■ファン定着に役割
を拡大。卸と直販へ、半々の割合に持っていく
大型連休中の 5 月 4 日。高江さんは、グリー
考えだ。
ンツーリズム研究会が募集した農村体験の希望
「自分の製品は自分で値段を決めたい。消費
者を受け入れた。
者と生産者の距離が近くなれば、消費者は良い
東京や北九州、大分などから 8 人。工房で
物が安く手に入るし、生産者も収入が増える」
。
花器づくりを指導した。編み上がった竹の花器
高江さんの生産者としての思いは、農家の宮田
を染料につけて天日に干す。製作に熱中する参
さんと相通じるものがある。
加者。その時、近くの林からウグイスの鳴き声
今 年 4 月、 九 州 各 県 の 竹、 ガ ラ ス、 陶 器、
が聞こえた「ああ、いいなあ」
。作業の手を止
建具などの工芸家がグループ「南の風のリビン
めた中年の男性は、鳴き声の先をを目で追いな
グ」を設立。高江さんも加わった。
がら、思わずつぶやいた。町に定住した高江さ
各地のデパートで作品展を開催していくとい
んも、安心院のファンづくりに大きな役割を果
う。妻の悦子さん(41)は、手づくりの「わ
たしている。
p.
18
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
6 脱サラし新天地へ
p.
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2000 年 5 月 30 日
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ブドウの花切りをする耕智浩さん夫妻
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
■新聞販売店と兼業 ウ園を買い取った。今は 86 ヘクタールで巨峰、
安心院町の耕智浩さん(39)=広連地区=
デラウエアなどを栽培している。市場出荷と直
は、
脱サラの新規就農者。有徳原(うとくばる)
販が半々。
のブドウ団地で観光農園を経営している。この
「安心院町グリーンツーリズム研究会」にも
10 年間に町が受け入れた新規就農者 16 人の
入っている。アグリ(農業)部会に所属、農村
うちの一人だ。
景観づくりのためにカキの苗を植える運動に取
愛媛県松山市の生まれ。大学ではロボット工
り組んでいる。
学を専攻。自動車メーカーに就職して、生産ラ
「安心院は観光地化していない、いい意味で
インの設計をしていた。
の田舎。都会人には “ 癒
(いや)
しの湯 ” と映る」
兄の病気のため松山市に帰って、書店に再就
と耕智さん。
職。店長として早朝から深夜まで、休日もない
農業で得る収入は、サラリーマン時代よりダ
ような勤務が続いた。
ウン。
昨年の台風ではブドウ園が被害を受けた。
「時間は、お金には代えられない」と、通算
経営を安定させるために、2 月から新聞販売店
12 年間のサラリーマン生活にピリオドを打つ
も始めた。それでも、妻の千寿さん(35)と
決心をした。
ハウスの中で働く耕智さんの表情は、おおらか
書店勤務のころから有機農業に興味があっ
に見える。
た。
「自分の食べる物くらいは自分で作りたい」
と考えてもいた。大分県の新規就農者募集に応
■プラス思考に転換
募し、1996(平成 8)年 1 月、安心院のブド
グリーンツーリズム研究会事務局長の荷宮英
p.
20
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
p.
21
二さん(41)=松本地区=。大学卒業後、父
親の跡を継いで農業へ。登山家としても知られ
る。
大型連休の間は一人、メロンを植え付ける畑
の土起こしに汗を流した。連休中の農村体験者
の募集もした。体験メニューはほかの会員と
違って、7 日間連続して農作業というシビアな
もの。「相当きついよ」― 問い合わせがあった
大学生にズバリ説明した。
結局、
応募はゼロだっ
た。
「光が当たるところだけではなく、農家のつ
らい部分も含めて農業そのものを見てほしい」
。
ハードな農村体験を計画した荷宮さんの考え
だ。
「グリーンツーリズムの歴史が長いヨーロッ
パでは、山奥に人が住んでいるから森や水が守
「田舎だからできることがある」。メロンの植え付けに備えて
土を起こす荷宮さん
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
られ、都市で人が暮らしているという意識が定
ることがある』というプラス思考に変わった」
着している。農業の果たす役割をもっと理解し
と言う。会員たちは今、研究会のこれからの方
てほしい」
。農山村が都市住民の暮らしを支え
向性を模索している。
p.
22
ている。
荷宮さんの農園では、
完全無農薬でイチゴを、
減農薬でメロンをつくっている。大分市のアイ
スクリーム会社が使うイチゴは、荷宮さんの農
園で栽培したものだ。
妻のみち恵さん(40)は「私たちは命を守
る食をつくっている。私たちの誇りを知っても
らい、その価値を理解する人に、私たちが作っ
たものを食べてほしい」と言う。
手づくりの「家族通信」で農園や家族の情報
を産直会員や知人に送る。都会人とのネット
ワークを広げている。
安心院町グリーンツーリズム研究会は、5 年
目の “ 発展的解散 ” の年を迎えた。
荷宮さんは「4 年間の活動で、会員の意識は
『田舎は何もない』ではなく、
『田舎だからでき
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大分合同新聞社 ● 新田舎宣言「第 7 部:共生ネットワーク」-
■オオイタデジタルブックとは
追加情報を受けながら逐次、改訂して充実発展を
オオイタデジタルブックは、大分合同新聞社と
図っていきたいと願っています。情報があれば、
学校法人別府大学が、大分の文化振興の一助とな
ぜひ NAN-NAN 事務局にお寄せください。
ることを願って立ち上げたインターネット活用プ
NAN-NAN では、この「新田舎宣言」以外にも
ロジェクト「NAN-NAN(なんなん)」の一環です。
デジタルブック等をホームページで公開していま
NAN-NAN では、大分の文化と歴史を伝承して
す。インターネットに接続のうえ下のボタンをク
いくうえで重要な、さまざまな文書や資料をデジ
リックすると、ホームページが立ち上がります。
タル化して公開します。そして、読者からの指摘・
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大分 合同新聞社
「新田舎宣言 ― 地域社会再生のアプローチ」
p.
23
別 府 大 学
第7部●共生ネットワーク
文:浅野 総一、写真:椎原 新二
初出掲載媒体 大分合同新聞(2000 年5月 25 日~ 5 月 30 日)
《デジタル版》
2008 年 11 月 21 日初版発行
編集 大分合同新聞社
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制作 別府大学メディア教育・研究センター 地域連携部
発行 NAN-NAN 事務局(〒 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社総合企画部内)
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