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「平和を考える」(パワーポイント・スライド)
平和を考える ―平和学習のための教養の力― 教育学部教養ゼミA(2009) チューター 樋口聡 ホロコースト記念館(福山市御幸町) 1995年(戦後50年の節目の年)に開館 2007年、新ホロコースト記念館、開館 「ホロコースト」(ナチスによる大虐殺)を知っても らうために日本で最初に作られた、子どもたちの 学びの場。(Holocaust Education Center Japan) ホロコースト記念館ガイドブックより ホロコーストの犠牲者 ヨーロッパに住んでいたユダヤ人、8,011,000 人のうち、5,722,760人が殺された(71.4%)。 その中に150万人の子どもたちがいた。 ユダヤ人の悲劇の歴史の始まり ☆ユダヤ民族。紀元前1000年に、ダビデがエル サレムを首都としたダビデ王国を確立。ダビデの 子ソロモンの死後、王国は分裂。侵略を受け、ユ ダヤ人の追放と離散が始まる。 ☆紀元324年、キリスト教がローマの国教となり、 キリスト教が確立。キリスト教指導者たちの教え と時の権力が複雑に絡み合い、「ユダヤ人はキ リスト殺し」との偏見。ユダヤ人に対する憎しみ がヨーロッパ社会に浸透。 ユダヤ人の解放 ☆1789年に起こったフランス革命によって、ユダ ヤ人に平等の権利。 ☆ユダヤ人は文化・芸術・思想・科学の分野で、 目覚しい活躍。メンデルスゾーン、ハイネ、アイン シュタインなど。 ☆しかし、差別意識がなくなったわけではない。 嵐の前ぶれ ☆第一次世界大戦を処理したベルサイユ条約 (1919年)。敗戦国ドイツの復興の望みが断たれ るような一方的な決議(植民地の没収、領地の 割譲、多額の賠償金)。不平等条約。 ⇒ナチズムとヒトラーの出現を招く一因となった。 ☆第一次大戦後のドイツ。ワイマール共和国 (1919~33年)。理想的なワイマール憲法(男女 平等、婦人参政権等)。現実は、多額の負債を抱 え、国民の不満はつのる一方。ミュンヘン一揆 (1923年)。 世界恐慌(1929年) ☆大戦後、つかの間の安定期。産業の復興。 しかし、過剰な生産の反動として、ニューヨーク で株価が大暴落。ドイツにとって、この恐慌の嵐 は決定的な痛手。 ヒトラーの台頭 ☆1933年1月にヒトラーが首相に選ばれる。 ナチ党の勢力変遷。 1928年5月(2.6%) 1930年9月(18.2%) 1932年7月(37.3%) 1933年3月(43.9%) ※全権委任法の成立 (ヒトラー独裁体制) 1933年11月(99.7%) 焚書 ☆1933年5月10日、何千人というナチス支持の 学生、教授が、ドイツの30都市の大学、図書館、 書店にあった書物を焼き払った。 ⇒アインシュタイン、フロイト、シュテファン・ツ ヴァイク。トーマス・マン。ヘミングウェー、マ ルクス、トロツキー。ヘレン・ケラー。 ☆「本を焼く人は、やがて人をも焼いてしまう」 (ハインリッヒ・ハイネ) 差別の始まり ☆1935年、ニュルンベルク法。帝国公民法(ドイ ツ人の血と名誉のための法律)。ユダヤ人差別 の法律。ユダヤ人は市民としての権利を奪われ、 劣った民族と見なされる。5歳以上のユダヤ人 の服の左胸に黄色いダビデの星をつけさせる。 「ユダヤ民族は我々の最大の敵だ!」 水晶の夜事件(1938年11月9~10日) ☆ユダヤ人襲撃。商店のガラスが破壊され、ガラ スが飛び散り、水晶のように輝いた。 諸外国の無関心 ☆ホロコーストは、事実を知っていた諸外国が 無関心を装ったことから広がった、と言われて いる。1939年のセントルイス号航海事件。 ☆ベルリン・オリンピック。期間中、反ユダヤ主義 の看板を取り外した。近隣諸国は、その事実を 知っていても知らぬ態度を取った。 ☆エヴィアン会議(1938年)、ミュンヘン会議 (1938年)、バミューダ会議(1943年)、等。 第二次世界大戦(1939年9月~) ☆1939年8月にナチス・ドイツはソ連と不可侵条 約を結び、その後すぐに、ポーランド侵攻。 ゲットー(ユダヤ人特別地区) ☆ワルシャワ・ゲットーほか。 ☆抵抗運動 ・白バラ。ミュンヘン大学の学生たちの活動。 ・エーデルヴァイス。子どもたちの抵抗グループ。 ヴァンゼー会議(1942年) ☆ユダヤ人問題の最終解決。東方移送・殺害。 ☆アウシュヴィッツ強制収容所。 信じがたい人間の狂気!! 解放の時(1945年) 「遂に解放の時が来ました。多くの人々の叫び、 嘆き、そして絶望のうちに倒れていった人々。わ けても何も知らずにガス室の階段を疑わずに降 りていった子どもたちの姿を忘れることはできま せん。」(エリー 15歳) 正義の人々 ☆ユダヤ人を死や絶滅収容所への移送の脅威 から救出した人々。 ☆日本人1名=杉原千畝(1900~1986年) リトアニア領事代理。1940年7月から一ヶ月間、 2139通のビザを発給。約6000人の命を助けた。 記念館の展示品 ☆マイダネク収容所に残されていた15cmの子ど ものくつ。 ☆アンネ・フランク(1929~1945年)の隠れ家。 ☆アンネの銅像とバラ園 ☆150万人の命のビーズ ☆蝶のステンドグラス