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東アジアの水管理に学ぶ / 三重大学大学院 生物資源学研究科教授

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東アジアの水管理に学ぶ / 三重大学大学院 生物資源学研究科教授
特集
特集・対談
三重大学大学院 生物資源学研究科教授
水資源機構 副理事長
春山 成子さん
中條 康朗
東アジアの水管理に学ぶ
4
●
浅草生まれで洪水を体験
いします。
中條 毎年、8 月 1 日は「水の日」
であり、この日から
が。
1 週間は「水の週間」
として、全国各地で様々な行事が
春山 私は浅草の生まれです。昔、永井荷風などいろ
実施されます。水資源機構ではこれに合わせて、毎年、
んな文士が住んでいましたし、近くに旧吉原があったり
広報誌『水とともに』
の企画として水問題に取り組んで
して、そういう意味では文化的ですが、同時に住民同
おられる各界の著名な方をお招きして、お話をお伺い
士が気易く交わる庶民の町でもあったのかなと思いま
しております。
す。ともかく1 月から 12 月まで、各月に何かしらお祭り
今回は、東南アジアの水問題について研究されてい
がある。お年寄りの方々などはお祭りのひと月前くらい
る、地理学者の春山成子先生をお招きしました。水資
から集まってくる。祭りのときは無礼講で、各地から来
源機構も東南アジアでは NARBO(Network of Asian
る人に、お酒も食事もふるまう、そういうムードが浅草
River Basin Organizations:アジア河川流域機関ネッ
にはありました。そういうごちゃごちゃした感じで割合コ
トワーク)
を通じた活動を行っているところですが、春山
ミュニケーションもうまく行っていたと思います。その意
先生には、フィールドワークで得られた様々な話をお聞
味では下町は昔の農村社会と同じでしたね。両親はそ
かせいただければと考えております。
どうぞよろしくお願
んな環境を心配して私を墨田区では一番山の手寄り
水とともに 水がささえる豊かな社会
ところで先生は下町のご出身とお伺いしております
東アジアの水管理に学ぶ
の小学校へ通わせました(笑)
。私としては逆にそんな
ル地帯にあり、玄関も引き戸でしたから、両親が玄関入
小学校の奪囲気はカルチャーショックでしたが(笑)
。
口に新聞や畳を一生懸命立てていた記憶があります。
自宅は隅田川までは自転車で10 分位の場所でした。
洪水を防ぐためにはどうしたらいいか、原体験としてそ
子どもの頃は家族で川べりを散歩しましたが、かなり汚
ういうものがありますね。水不足の記憶はないのです
かった思い出があります。今は調布に住んでいますが、
が、洪水体験は強烈でした。
昔は、多摩川もかなり汚かった。昭和 47 年頃から目に
見えてだんだんきれいになってきて、最近はアユも随
分遡上しているとか。
洪水に対する考え方はいろいろ
中條 昭和 30 年代、東京オリンピックの前は水不足
中條 その昔、JICA(国際協力機構)
の開発調査で、
もひどかったし、隅田川では水もかなり汚かったようで
ケニアのビクトリア湖に注いでいる河川に多目的ダム
すね。ご存じかもしれませんが、水資源機構の前身で
を造る計画がありました。下流の家の方に「洪水が来
ある水資源開発公団時代に埼玉県の中央部に武蔵水
たらどうしているの ?」
と聞いたら、
「山へ逃げる」
、
「
(椰子
路を建設し、都民へ水道用水を供給するとともに隅田
の葉でできた家なので)
洪水が引いたら、戻ってきてま
川へ浄化用水の供給を開始しました。ちょうど東京オリ
た家を建てる」
ということで、財産を保全するために洪
ンピックの直前です。このことで都内の水不足は解消さ
れ、昭和 40 年の中頃に隅田川の水質も大分良くなり
ました。昭和 56 年からは隅田川でレガッタも開催され
るようになりました。
春山 レガッタが出来るほどきれいになったのですか。
ところで、
水に関する思い出としては、
狩野川台風(昭
和 33 年)
の記憶が強いです。自宅が低地のゼロメート
昭和 30 年代の隅田川
プロフィール・春山 成子(はるやましげこ)
さん
三重大学大学院 生物資源学研究科教授。農学博士。
東京生まれ。早稲田大学教育学部を卒業後、同大学
理工学総合研究所客員研究員を経て、1992 年東京
大学大学院農学系研究科農業工学専攻博士課程を
修了。早稲田大学教育学部専任講師、助教授、東京
大学大学院新領域創成科学研究科准教授を経て、
2007 年 9 月より現職。東南アジア地域研究、河川地
理学、自然災害と防災科学が専門。
現在の隅田川。レガッタ競技ができる程に改善された
特集/東アジアの水管理に学ぶ
●
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特集
水調節の必要性を説くのは難しいなという感じでした。
春山 私が 20 年近く前初めてカンボジアに行った時
N
も、荷車やら牛車やらがやって来るのが見えたのです。
何を積んでいるのかと見たら、家ごとそっくり積んでい
る。便利だな !と思いましたね(笑)
。
初めての海外調査の経験はアフガニスタン(学生の
頃)
で、偶然こんな乾燥地にも雨が降るんだという程の
中国
インド
土砂降りに出会いました。見ている前で家が流されて
いたのです。その後、どうやって建て直すのかと思って
いたら、日干しレンガを、数人が並んで、リレーしなが
ら置いている。1 日で家が建ってしまう。それで暮らし
ていけたのですね。
ミャンマー
ベトナム
ハノイ
また、同じアフガニスタンでもかなり北に行くと、パオ
ラオス
(包)
の形式になります。折り畳んで次の土地へ行くわ
けですから。ヒツジやヤギを連れて。
洪水の防御という考え方には財産の集積が大きく影
タイ
響しているということですね。近代的なライフスタイル
になって守りたいものがたくさん出来てくる。
カンボジア
6 か国を流れる国際河川・メコン川
プノン
ペン
中條 御著書「メコンデルタ」
を読ませていただきまし
た。メコン川の上流側半分は中国を流れているのです
ね。
メコン流域全体
春山 源流はチベット高原で万年雪が残っている標高
6000m の氷河地帯です。昔、中国側からラオスにかけ
中條 メコン川はインドシナ半島の重要な国際河川と
てリバークルーズしようということで、地元の貨物船に
いうことで、関係各国や国際関係機関により各種の開
乗せてもらったことがありますが、中国国内の景観は山
発援助が行われていると聞きますが。
水画の世界みたいでした。また、地図上は山間狭窄部
のように見えますが、中国側の山の上には工業地域が
あり、所々、自然林は無くなり、畑に変わっています。一
方、
これがラオスに入ると開発は非常に遅れている感じ
になります。
つまり、今、工業ないし経済発展が著しいのは中国
の内陸部です。それと一番南のベトナム側のメコンデル
タ。ここは非常に活性化していて、開発が進んでいる感
じです。カンボジアのプノンペンのあたりは、開発しよう
と思えばできる所だったと思いますが、なかなかうまく
行っていません。ラオスはゆったり、ゆっくり進んでいる
感じがします。
6
●
水とともに 水がささえる豊かな社会
メコンの日暮れ
(カンボジア領内)
東アジアの水管理に学ぶ
春山 水資源の観点から言うとメコン川の流域は 6 か
春山 マンボは暗渠になっていて、かつては、野菜を
国に跨っています。関係各国が持っている資源をどう
洗ったり、
家々に水を引いてきて使えるようにしていたよ
活用しようか、ラウンドテーブルで各国が一同に集まっ
うですが、この間学生を連れて行って話を聞いたら、
「昔
て協議をしながら進めたほうがいいと、1950 年代から
と比べると水質が悪いので、使い方を考えています」
と
「メコン委員会」
が動き始めています。ラオスから南側の
言われました。
国々に加え、日本や国連などもいろいろ流域国間の調
中條 昔は生活のためにいろいろな施設を造ったと思
整等に関与してきているのですが、中国はなかなか出
うのですが、生活が変わった後、施設だけ残っている
てきませんでした。
事例が増えてきているようです。その一例として、
「円筒
分水工」
を掲げたいと思います。東京の近くにも円筒分
水管理の技術
(カナート、マンボ)
水工があるのを知っておられますか ?
中條 ところで、世界の乾燥地帯では、山の斜面のな
中條 実は、近くは神奈川県川崎市にもあるようです。
かにトンネルを掘って、
「カナート」
という地中水路みた
川崎市の農地は減りましたが、企業局が昔の二ケ領用
いなものを造って蒸発散などを防いだり、湧き水を集
水久地円筒分水工を惜しんでそのまま保存していると
めたりしているようですね。
いうことです。感慨い深いものがあります、そんな時代
春山 「カレーズ」
、
「カナート」
と言われるものが、中国
になったのかなと。
のタクラマカンやアフガニスタンにありますし、イランに
ところで、メコン川では治水対策とか進んでいるので
もたくさんあります。三重県にもあるんですよ。
すか。
中條 「マンボ」
ですね。
春山 1996 年に大洪水があって、カンボジアから流
春山 三重県にあるものは、日本のカナートと呼んでい
れてくる水をせき止めようと、ベトナム側に巨大な堤防
ます。鈴鹿市から津市のあたりにいくつかあります。比
を築き、所々にラバーダム(注 : ゴム引布製起伏堰)
を
較的有名なのは大安町の「片樋のマンボ」
で、大安町
建設したのです。雨季になると空気で堤体(ラバー)
を
文化遺産として登録されています。
ふくらませて水を貯め、水が欲しい時に少し空気を抜
中條 文化遺産ですか。
き凹ませて水を流すというように操作し、結構、自国の
春山 東京周辺ですか ?
農業にうまく合うように使っているという印象でした。
中條 ベトナムのハノイの近傍にはホン川(紅川)
とい
うのがありますね。
春山 私は濃尾平野みたいだと思いました。輪中があ
るからなんです。堤防が環状になり家々を取り囲んでい
片樋のマンボ
ラバーダム
(湯ノ小屋取水堰)
特集/東アジアの水管理に学ぶ
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特集
春山 いろんな川を見ていると、水の使い方のステー
ジは 1 つ 1 つみんな違うと思います。北ベトナムは乾
季と雨季の変化が激しく、降水量の違いがあるので、い
くつかの水利用上の対策が必要です。さっきは洪水対
策でしたが、それとは別に水資源機構に似たような組
織をつくって水需要に対応しながらやっている。
中條 我が国と同じような問題を抱えているわけです
ね。
春山 それとベトナム北部地域では、農業地域の人口
が減り、都市が非常に膨張してきています。特にハノイ
ボーリング調査を手伝うカンボジアスタッフ
周辺が。それにつれて水をもっと使いたいというように
なってきている。結局、都市化の進行につれて水利用
るんですね。そういう意味で濃尾平野にとてもよく似て
の仕方がちょっとずつ変ってきているということでしょう
いると思いました。
ね。
その後、足かけ 5 年くらいベトナムに通い、ベトナム
中條 都市化が進むと、水利用、中でも水質が問題に
語のわかる日本人や日本語のわかるベトナム人と一緒
なりますね。
に、立地条件や洪水の状況について聞き取り調査も行
春山 メコン川の流域は、大小の河川が複雑に入り組
いました。
んでいますが、各地の生活は水を介して密接に関係し
面白かったのは、堤防が壊れたときにどうやって補
ています。やはり、流域全体で水質をどうやって確保す
修するのかです。彼らの家にはちゃんと土のうが用意さ
るかが重要です。個別には、ラオスあたりで下水道を少
れている。人力車のような車に、その土のうを積んで、
し考え始めているようですが、全域でやっているわけで
破堤した所に詰めていくという話も聞きました。
はないので、効果というとなかなか難しいですね。比較
また、
「洪水で水が出たらどうするんですか ?」
と聞い
的汚れた水なのですが、農民達はそれなりに水浴びも
ても、
「待つしかないですね」
「知り合いを訪ねて泊め
すれば、水田に引き入れたりして使っています。どこの
てもらう」
とか、そんな答えで自衛手段はあまりない。
国でも水質汚染は大きな問題になっています。
中條 日本でも、江戸時代は昔から水防だとか護岸工
中條 都市の人達は、水がどこから来て、どこへ行くの
事などは、幕府がやる場合もありますが、必ずその土
かにあまり関心がないから、対応が難しいですね。
地にリーダーがいて、農家や集落の長など、彼らが私
春山 ラオスでも中国でも上流の山の上のほう、特に
財を投げ打って取り組む。みんながそれについていく。
農業地域に住んでいる方は、水をどう使うとどうなるか
この民族性は貴重です。
ということを体験的に知っているじゃないですか。逆に、
春山 たしかに、ちょっと先を見るリーダーシップがな
都市の人達はどこかから来るきれいな水を使っている
いと地域はまとまりませんね。そういう指示ができる人
わけですから、出てきた所と流れていく所、最末流を考
がいることによって農村が守られている。
えずにジャブジャブ使うということがあって、都市化した
所から出てくる水が汚染につながるということがあるの
水需要の増大が水利用の変化をも
たらす
8
●
ではないでしょうか。
ラオスのジャール平原に 1 度調査に行ったことがあ
るのですが、昔の日本でかつてあったきれいな水を筧
中條 メコン川はこれだけ大きな河川ですからどうや
に流すようなことを所々でやっている。農業を自分の生
って水を使うか、国によって、あるいは地域によって使
業としてやっている方が、焼畑だったらこうした方がい
い方に違いがあるのでしょうね。
いだろうとか、水の使い方はこんな風にしたほうがいい
水とともに 水がささえる豊かな社会
東アジアの水管理に学ぶ
とか、いわゆる伝統的な技術、その地の独特なものを、
比較的うまく守っていることが見受けられます。北部の
サパーという、ちょうど元陽(中国雲南省)
から続いてく
る道にある大きな棚田の地域でも、水をとても丁寧に
使っていましたね。土水路ですけれど。
ところが、ハノイ
に来るとどうしようもない。市内を流れる汚れた河川も、
少しずつ浄化をしようとしていますが、川の中に土砂も
捨てればゴミも捨てるという、どうしようもない状況にな
っている。日本も、JICA を通じて、水質をきれいにしよ
うというプロジェクトに関わっていたと思いましたが。
水で生活が支えられている
春山 私は JICA の仕事で、タンザニアのキリマンジャ
ロの山麓のあたりに 1 か月ほど行ったことがあります。
中條副理事長
そのときに、面白い経験をしたのです。日本で準備し
ていたときには、すべて日本式のものを持ち込んでも
あると、あんな風にやれば生活が豊かになるんだとい
現地の人たちがそれに対応できるような組織力だとか
う思いがあって、多分それがそういう秩序を維持してい
技術力は絶対無いのではないか、あってもどうせお粗
る原因だと思いますね。成功体験がないとなかなかう
末なものだろうと思っていました。しかし、行ってみると
まく行かないでしょうね。
土壌表面の均平化もきれいにピシッと決まっているし、
農村社会では、取水してから各田畑へ配分する作業
をやっている。
水もちゃんと入れてイリゲーション(灌漑)
のときに、集落の各家の役割がみんな決まっていると
伝統的な灌漑は日本にしか無いと私はずっと思ってい
いいます。昔はまず、ムラのリーダーが必ず水口のとこ
ましたが、山麓のところで水を使いながら農作業をして
ろを押さえ、一番新しく来た人は末端のところを任され
いるムラがあり、そういった所では誰かがリーダーとな
たようです。それがムラ社会の秩序を形成していて、お
るようなチームワークがあるのでしょうね。日本とはまた
祭りやお祝い事があると、御膳の並べ方などもみんな
違った形のものがあって、
そういう人達が入植した所は、
決まっていた。一番上座に座るのは誰かというと、水を
収量がずっとよくて、うまくいっているので、びっくりしま
司る人。社会がそういうのを支えていたのだと。基本的
した。
には、水で生活が支えられているということがあったの
中條 そういう伝統というものがあるのと無いのでは
ではないかと思うのです。
技術協力を受けた後の発展の仕方が違いますよね。そ
春山 特にバリ島なんかそんな気がしますよね。バリ
ういった基本的な役割分担を関係者達が覚えるのは
島はお祭りが大好きですけれども、やっぱりお祭りを支
大変なことですからね。
えているということ、村落を支えるということと水を管理
春山 同じようにインドネシアでもカリマンタン島の南
するということが、同一のような気がします。
のところの開発、それから初期のころのスマトラ島のメ
やっぱりムラというのは都市とは違うんですよ。人々
トロ地区の開発、やっぱり入植はジャワの人達がたくさ
の日々の営みの仕方、付き合い方、それが農業という
ん、自分達の技術を持って入ってきているのでしょうが、
ものと結びついていて、土地を耕すのは個人であって
伝統的な技術というのが連綿として養われてきたもの
も、個人で補えない部分がたくさんある、それを理解し
の上に立っているのだなと思いました。
ながら、農村の生活をしている。
中條 うまく水を使うと収量が上がるという成功体験が
実は、私は東京生まれですが、親は愛知県の安城生
完成予想図
特集/東アジアの水管理に学ぶ
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特集
まれです。そこには明治用水が流れている。農村で子
ルというものを考えたほうがいいのではないかというこ
供の頃に田植えを手伝った記憶もあるんですよ。農村
とですね。
の生活と都会の生活では、やっぱり結びつきの持ち方、
春山 都市と農村の違いは、都市というのはスプロー
リーダーシップの取り方が違うというのは、経験からな
ルして行ってしまうものですが、農村というのは連綿とし
んとなく分かります。
て農村であって、メガビレッジのような形として残ってい
く場合に、洪水と付き合わなければならないわけです。
リモートセンシングで洪水を防御
●
川の最下流のデルタ地域ではなかなか難しい問題で
中條 メコン川下流のいわゆるメコンデルタの洪水対
すね。ベトナム南部地域では、早目にある程度の洪水
策にどのように取り組まれたのですか。
を予測し、ラバーダムを使いながら避けたりするという
春山 衛星や航空機などから撮影した写真等を用い
ことをやり始めている所があります。ただし、それでも、
るリモートセンシングの技術を活用しています。という
救えない所がありますけどね。
のは、これは非常に使い勝手の良いものだからです。メ
こういう考え方を発展させていくと、政策転換をして、
コンデルタの洪水予報では、Jers-1(地球資源衛星:
ここの地域だったら、こういう土地利用をしたほうがい
ふよう1 号)
の画像を利用しています。
いのではないかということが出てきますね。例えば、1
私が本の中で紹介したのは、
リモートセンシングを使
年一期作でもいいからゆっくり作っていく、その代わり
う手法ですが、メコンデルタのような巨大地域の洪水に
人々が過度に入植しないようにするというやり方もある
よる浸水等の影響は、衛星等からの巨視的視点からの
でしょうし、カンボジアのほうは自然の flood(洪水)
に任
分析がわかりやすく、使い勝手のよいものと言えます。
せている地域が多いので、結果として 1 年一期作とい
リモートセンシングというのは非常に機能的で、1 日
うところが多いですね。
に何度か上空を通過する衛星の画像を分析すること
二期作、三期作が出来るところは、ある程度水が利
で、洪水が広がっていく所をある程度追うことができる
用できたり、地盤がちょっと高かったりしてコントロール
し、この後に洪水がどこにどういう風に広がっていくの
できる所なんです。土地利用体系をある程度、提案し
かという予報もできるのではないかと考えています。
たほうが、より最適な形で農業経営が出来るのかなと
中條 雨が降ると、短時間のうちに一面に水が広がっ
思いますが、いかがでしょう。
洪水時の高床式の家での生活。
ベトナム、ドンタップにて
10
洪水を全部防ぐというのはメコンのような大きな河
水とともに 水がささえる豊かな社会
ていき、乾 期
中條 これは日本の遊水地の話ですが、堤防で洪水を
だと水面が縮
押し止めるのは、場所によってはいかんともしがたいこ
小していくとい
とから、意図的に堤防外の土地が湛水するのはある程
う。そういうも
度は仕方がないという発想が出ています。でも現実に
のを十分考慮
適用しようとすると、こういう土地利用は、とても厳しい
した土地利用
ですね。遊水する、水を誘導しようとする地域は一等地
というもの を
なんですよ。土地のオーナーが、自ら一等地の水没を
考えることが
許可するかというと、補償の話が出てくると思いますし、
できるのでは
土地に対する執着心があったりして、洪水によって土地
な い か。つま
利用を変えるという手法自体を受け入れることは容易
り、洪 水 予 報
ではないというふうに思いますね。
を考慮に入れ
春山 日本の場合、いくつかの防災調整地というか渡
た最適な土地
良瀬遊水地のような遊水地が川のすぐ近くにできてい
利 用とか、水
ますね。利根川には田中遊水地(調節池)
などが出来
のコントロー
ていますが、ある程度、減免措置が適用されていて、そ
東アジアの水管理に学ぶ
こは使ってもいいけど、洪水の際には浸かりますよ、と
とも思います。高齢化で地域に人がいなくなっても、
「そ
いう感じでやっているんですよね。
こは水田にしておくべきなの」
と言っても、それはそれで
中條 河川管理者が河川の一部として取り込んでしま
農業経営が成り立たない状況の中ではやはり困る話で
うということですね。
しょうから。すべてではなく、ある部分、部分を確保しな
春山 農地を持っている立場の方からみたら難しいか
がら、守るところが増えていってもいいのではないでし
もしれませんね。何を一番の優先順位として取り上げ
ょうか。
なければならないかという話もその中にはあるでしょう
中條 水資源機構は、全国のうち 7 つの流域で水資
しね。例えば東京の場合、中部地方の場合、あるいは
源管理をやっていますが、流域の水資源管理を行う時
北海道の場合というふうに、地域が違うとそこで何を優
に環境を保全するという観点も加えています。その際
先順位として高くしたいのかが違いますね。
に、水を使うユーザーがどう考えられるかということ、ユ
土地利用をどういう風に決めるのか、どうカテゴライ
ーザーとのコンセンサスづくりも大切だと思っています。
ズしていくかというときに、アメリカの場合、日本と比べ
春山 最後はどうなるかということを住民ないし末端
たら人口の潜在圧力というものが非常に小さいので、
のユーザーに伝えなければいけない時代性というもの
あなたのところは洪水に遭いやすいですよ、住むのは
があるんでしょうね。
構いませんが、洪水ないしは地すべりの可能性があり
うまく切り盛りをしていけば、とても良い方向に、住民
ます、こちらのほうへ移った方がいいじゃないですか、
の人達が水利用に対して理解を示してくれるようなも
という対応の仕方をしているところがあります。
のに育っていく。そういう可能性を秘めながら、水資源
日本の場合はこれだけ稠密化してきて、地方での潜
機構が動いていかれることを期待しています。
在的人口圧力、農村あるいは都市での潜在的人口圧
中條 本日は、春山先生から地理学者のお立場から、
力が、アメリカとは全然比べ物にならないし、今、実際
国内はもちろん、メコン川など海外の事例や御経験も
に土地が人々によって既に、集中的に活用されている
含め、幅広いお話を伺いました。そのどれもが、大変貴
という現実があります。
重なお話、そして大変楽しい話題を御提供いただいた
と思います。今後の私たちの業務に反映できることも
コンセンサスの形成のあり方
多々ございました。
春山 もう一つだけ、私が地理学者という立場から言
本日は大変楽しく、実り多い対談になりました。先生に
っておきたいのは、干潟や湿地などの保全の重要性で、
はこれを契機に今後ともご指導を賜りますことをお願い
特別にバイオロジー的に価値の高い場合には、何か違
し、最後に、今一度心から感謝申しあげ、この場を閉じ
う見方でゾーニングしていくことが重要なのだろうと言
させていただきたいと思います。どうもありがとうござい
うことです。
ました。
お話は尽きないですが、そろそろ時間でございます。
ちなみに 1992 年あたりから、私は棚田学会、棚田
保全の活動に参加しています。これは私の趣味ですけ
れども、すべての棚田を残したいと思っているわけでは
ないのです。都市の人達が若干手伝いに来て、楽しみ
ながら、農村の人達とディスカッションしながら、残した
い所に関しては、サポートしていきたいという思いなの
です。どこそこは残しておいたほうがいいとか、あるい
は、どこそこは放棄してもしょうがないとか、ある程度の
選択肢があるんですね。ですから、逆に保全することに
こだわるあまりに、棚田全部を一緒に扱っては良くない
対談風景
特集/東アジアの水管理に学ぶ
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