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参加学生感想レポート

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参加学生感想レポート
陸前高田 9 期感想
福祉学科4年
私は今回で 3 回目の陸前高田の活動でした。前回、前々回の活動は視察が主だったので、
今回は「現地の人とたくさん交流すること」
「陸前高田の現状と人々の思いを知ること」を
目標に活動にのぞみました。そして目標どおりモビリア仮設の方たちとたくさん交流しお
話を聴くことができ、現地の現状を自分の目で見て、さらにその中で多くのことを感じ、
考えることができました。
*傾聴ボランティアの在り方について~あるおばあちゃんのお話から
私は 28 日の午後のモビリアの活動で TN さんとチラシ配りを行いました。地図を見なが
ら一戸一戸チラシを配って歩くこの活動は、自然にモビリアの地理を把握することができ、
またチラシ配布を名目に仮設住宅の方と交流することができるとても良い活動だなと感じ
ました。
本当に多くの人と交流できて、学んだことがたくさんあるのですが、その中でも特に印
象に残っている、いろいろなことを考えるきっかけをくださったあるおばあちゃんとの出
逢いがありました。
TN さんと 2 人で「こんにちはー!」と声をかけるとそのおばあちゃんはゆっくり玄関に
出てきてくださりました。私達がチラシの説明をすると、
「○集会所は遠いからいけないよ。
坂があるから。車があればいいけど車もないし。
」と話されました(方言で早口でところど
ころ聞き取れなかったのでそのままの言葉ではありません)
。私は言葉や表情から少し拒否
されているようにも感じました。そのおばあちゃんは 28 日に踊りを踊っていた方だったの
で私は踊りのことからお話をしてみました。おばあちゃんは「1 日じゃできない。たくさん
練習しないとだめ。
」と言っていました。そしてそのあとも話を聴いているとそのおばあち
ゃんは、震災前は広田に住んでいて、50 歳までは大船渡の港で魚を冷蔵庫に運ぶ仕事をし
ていたこと、腰を痛めて仕事をやめたことなどがわかりました。
おばあちゃんは、
「今でも波のことを思い出すと涙が出る。忘れたくても忘れられない。」
と自ら震災について話し始めました。その日おばあちゃんはスーパーで買い物をしていて、
すごい揺れでしゃがみこみ、立てなくなってしまったそうです。もう死ぬのかと覚悟した
けれど、だれかが外に運んでくれたそうです。足元まで波が来たと言っていました。
また、おばあちゃんは私たちに「あなたたちも資格を持っているんでしょ?」と尋ねま
した。どうやら臨床心理士やソーシャルワーカーなど話を聴く職種の資格のことらしく、
私は、私たちは資格を持っていない学生であると伝えました。そしておばあちゃんは「あ
の日から毎日女の子が 2、3 人で来て、
「なんで生きたの」って訊かれた。私もたくさん泣
いて、みんなも泣いた。みんな感情が移って、同情してかわいそうだって泣くんでしょ?」
と話しました。
私は毎日被災した状況を訊かれたということにとても驚きました。それは実際には毎日
ではなくおばあちゃんの感覚の中での「毎日」ということかもしれません。でもおばあち
ゃんはそのことを負担に感じていたのだと感じました。おばあちゃんはそもそも私たちの
ような「話を聴いてくる人、傾聴ボランティアの人」に不信感を持っていたような気もし
ました。もしかしたら資格がないと聞いて少し安心したかもしれません。おばあちゃんは
「あなたたちもその話を聞きに来たんでしょう」というふうに思っていたのではないでし
ょうか。だから自ら震災の話をして、資格を持っているか尋ねたのではないかと思います。
たしかに全く違うわけではないのだけれど、私は今純粋におばあちゃんといろいろなお話
をして仲良くなりたい、そのことを通していつか力になりたいと思っていることなどをど
のように伝えたらいいのかな、と少し歯がゆい思いになりました。
たしかに被災者の心のケアのために話を聴くことは大切だと思います。しかしそれはそ
の人のペースに合わせなければなりません。そうでなければそれは援助者の一方的なもの
であり、逆にその人の負担になってしまいます。このおばあちゃんのお話を通して、どん
な資格を持っていても、知識を持っていても、目の前のこの人と向き合い、その人のペー
スに合わせるということは決して忘れてはいけないことだと思いました。
また、1 度来て話を聴いてすぐ帰ってまた別の人が来て…という支援のあり方の限界も感
じました。現状の傾聴ボランティアでは、被災という本当に辛い経験を、無理やり思い出
させて、何度も語らせて、より深くその経験を刻み付けてしまうようなことになってしま
っているのではないでしょうか。心のケアにためには、
「話したいときに、話せる誰かがそ
ばにいる」という環境を作ることが必要であり、これからはその方法を考えていく必要が
あると感じました。そしてこの陸前高田はそういう意図を持った活動なのだと思います。
また、援助者の感情のコントロールや表現についても考えさせられました。震災の話を
聴いて、聴き手も辛くなり涙が出てしまうのはしかたのないことなのかもしれません。し
かし聴き手が泣くことで本人をさらに傷つけたり、話しづらくしたりしてしまうこともあ
るのではないかと感じました。人と人との関係を作る上では素直に反応することも大切で
すが、援助者としては慎重に考え、適切に反応することが必要なのではないかと思いまし
た。
*関係の作り方について
おばあちゃんとお別れして他の仮設住宅をまわった後、またベンチで休んでいたおばあ
ちゃんに再会しました。その時は最初に会った時よりも柔らかい表情で、笑顔でお話して
くれました。他にも活動の中で仮設の方や八起プロジェクトの方とも何度か顔を合わせる
うちにだんだん良い関係になっているなぁと感じられることがありました。このような出
来事から私は「関係作りは長さではなく回数」という松山先生の言葉を実感しました。こ
れからワーカーとして働く中でも、短い時間でも患者さんや家族に会いに行き顔を見せる
ことや言葉を交わすことを大切にしたいです。
また今回の活動では「視察」と「交流」という二つの活動は別々ではなく、相互につな
がり合っているものであるということがわかりました。被災状況を見てその悲惨さを実感
することでその人の話す被災状況がより理解しやすくなり、またその逆もあります。また
地域を知っていることによってより深い話をしてくれることにもつながります。関係を作
り、話を聴く上での、その人の背景を知ろうとすることの大切さ、事前の情報収集の大切
さを学びました。
*学生だからこそできる支援
今回の活動では「学生だからこそできる支援がある」ということも強く感じました。学
生の強みの 1 つは、援助者と被災者という関係ではなく、もっと自然な人と人とのつなが
りを作りやすいということです。その人と人のつながりは、これからの復興支援にとても
大切な力だと思います。また、特におじいちゃんおばあちゃん世代にとって私たち学生は
孫の世代であり、それだけでとてもあたたかく、優しい気持ちで迎えてくれているという
のを感じることもありました。若い学生が会いに来ることで少しでも喜んでもらえるなら、
それもひとつの「学生だからできる支援」なのではないかと思います。
そしてもう 1 つの強みは、立教生として活動を繋げていけるということです。これは
前回の活動でも感じたことですが、毎回同じ学生が来られなくても、今の代の学生が卒業
してしまっても、また次の代の学生が 0 からではなく今築いている関係を継続して活動で
きるということは本当に大きな強みだと思います。まだまだ導入部分で手探り状態の活動
ではありますが、ぜひこれからも活動を継続して様々な方向からアプローチをして少しず
つ陸前高田の皆さんの力になっていってほしいですし、私もどうしたらこの活動を繋げて
いけるのか考え、協力していきたいと思います。そして私自身陸前高田の皆さんと繋がり
続けていきたいと思います。
*最後に
今回の活動ではモビリアのたくさんの人からあたたかい気持ちをたくさんいただきまし
た。本当に感謝しています。その気持ちに応え、これからしっかり返していかなくてはな
らないと感じています。
今回の活動は学ぶことがとても多く、本当に良い経験になりました。そして本当に楽し
かったです。後輩のみんながとても明るくて元気いっぱいで素直で優しくて本当にいい子
たちで、心から楽しむことができ、たくさん刺激ももらいました。一緒に活動してくれた
みんな、活動を支えてくださった片山さん、松山先生、八起プロジェクトの皆さんには感
謝でいっぱいです。ありがとうございました。
陸前高田 9 期に参加して
福祉学科 3 年
今回の活動ではたくさんの現地の方々と触れ合うことができた。色々な人の色々な表情、
姿を見ることができた。流しそうめんを一緒にしている時の子供たちの楽しそうな表情、
踊りを踊っている時のお母さん、お父さん方の柔らかくも、さりげなく見せる笑顔、一緒
に学習したり、外で遊んでいる時の子供たちが心から笑っている顔やいろいろなものに純
粋に反応する素直な心、富男さんの大工魂と人間味あふれるお言葉、したぼさんのエンタ
ーテイナーとも言える明るさ、素敵な笑顔、すべてが温かく私の心に焼き付いている。活
動が始まる前は何か自分の中で、被災地の人々は特別な存在であると感じるところがあっ
た。そのためどのように触れ合ったらよいのか、どう関わっていったらよいのかと考え、
不安になり、戸惑いを感じていた。しかし動き始めると、人と人との心と心が向き合うこ
とには特別なことはないのだと感じた。実際に触れ合ってみて、こんなにも自分自身が温
かい気持ちになれるとは思ってもいなかった。人と人とが触れ合うことがこんなにも温か
いものであったのかと、自分自身が気づかされた。最終日に富雄さんご夫婦が見送りに来
てくださった時の別れ際、ご夫婦共に手を握ってくださり、固く握手をしながらお別れを
した。このことは今も自分の手のぬくもりとして残っている。私はその時、握手、人と人
が体温を感じて触れ合うことが心の触れ合いにつながっているのではないかと思った。こ
んなにも素晴らしいものであるとは思わなかった。人間味あふれるこのようなことが人と
人とをつなぐ大切なキーになっているのではないかとさえ思われた。
子どもたちの学習支援の際、一日が終わると「明日はいつ来るの?」と尋ねてきた。さ
らに家まで送っていくと、私たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。私は子
どもたちが私たちの活動で楽しんでいてくれていることを知り、とても嬉しくなった。実
際に子どもたちと接している中では、最初の内はなかなか心を開いてくれない子どもも居
た。どうしたらこの子は心を開いてくれるのだろうかと考えながら、次の日に再会すると、
前日とは打って変わって明るい表情を見せてくれ、話しかけてきてくれた。得体の知れぬ
人が急に来ても、そう簡単に心を開くことは難しいことは当然のことだと思った。何度も
顔を見せ、子どもたちが安心できる存在であることを身をもって感じてもらうことが必要
だと思った。子どもと接しながら、子どもはとても正直だと感じた。勉強も、遊びも夢中
で取り組み、無邪気に笑い、素直に反応し、態度に示す子どもたち。しかし、そんな子供
たちが何気ない会話の中でふとした瞬間にこぼす一言があった。
「お兄ちゃんは津波で死ん
じゃったんだけどね、それで…」
、
「お家流されちゃったんだよ。
」これらの言葉が突然飛び
出してきた時、私は少し戸惑ってしまった。何気なく会話を続けたが、子どもたちが心に
抱える傷に触れた感覚を覚えた。明るい表情で楽しげに話す中で出てきた言葉たちであっ
たが、私にはそれが子どもたちが何か特別なものとして心に抱いているもののように思わ
れた。人を失う悲しみは計り知れないほど奥深く傷をつけると思う。周りでは、分かり切
っていることのようで、忘れてしまうものである。人が抱える傷を同じように感じること
は決してできないけれど、せめてその傷の存在を忘れないことが私たちに求められるのだ
と考える。
今回は人と人との交流が多かったが、その中でも思わぬ出会いがあったことが印象的だ
った。銭湯での仲間内での他愛もない会話から生まれた出会いだった。見ず知らずの私た
ちに色々な体験談を話してくださった。普通では考えられないような出会いがあったのが
今回参加して面白いと感じられた所でもあった。その方は、私たちが「被災地」に来てい
ることを理解した上でたくさんのお話をしてくださったのだと思う。私たちがその場にい
たのは、東日本大震災によって甚大な被害を受けた地があったからであることは間違いな
い。これは表現の仕方として不適切かもしれないが、震災がなければ出会うはずのなかっ
た、結ばれるはずのなかったつながりである。素敵な出会いであることは確かである。ま
た、さまざまな作業を通して触れ合った方々も多く居た。ただ面と向かって触れ合うより
も体を動かしながら触れ合うことにより、お互いにより表情が表れて、心が通じやすかっ
たようにも感じた。しかし一方で、各家庭にチラシの配布に行った際、全く在宅の気配が
ない家庭が多かったが、明らかに在宅の気配がありながらも応答のない方々もいた。テレ
ビの音も聞こえていたり、玄関が大きく開いていたりもしたが、お返事はなかった。動く
のが億劫なのかもしれない。具合がわるいのかもしれない。私たちのような者を迷惑に思
っているのかもしれない。さまざまなことが頭をよぎりながらもチラシの配布に回ってい
た。このような方々と交流するにはどうしたらよいのか。何度も訪ねることで認識、認め
てもらうことが必要なのかと考えていた。直接顔を見せてくださった方々は私たちのこと
を気遣ってくださり、
「ごくろうさま」とねぎらいのお言葉をかけてくださった。人と人と
のつながりはとても素晴らしいことだけれど、それを築き上げるための家庭が非常に重要
だと感じた。今回非常にお世話になった、富男さん、したぼさんにおいても今までの活動
を通したつながりの形成があってこその、素敵な交流ができたのだと痛感している。今後、
このようなつながりが広まっていければと思う。そのつながり作りに自分も少しでも多く
関わっていきたいと思う。
陸前高田での生活は非常に充実し、幸せを感じられるものであった。都会での生活とは
正反対であり、時間がゆっくりと流れていた。便利な都会での生活もよいのかもしれない
が、こんなに素敵な環境に恵まれながら、さまざまな人とつながり、幸せを感じられると
うのは格別なものであると感じる。今回の活動で、この短期間で初めて出会った人、何人
と交流したのだろうか。人は一人では生きていけないけれど、今回の活動を通して、人と
人とがつながることがこんなにも素敵なものであったのかと改めて感じた。都会での生活
に慣れてしまっていると忘れてしまいがちな人間らしい部分を取り戻させてくれた活動で
もあったように思う。自分が学ばせてもらう場であった。視察を通して、被災した痕跡と
して残っているものが少しずつ片付いていくという事実を知った。それは復興に向けた一
歩であると同時に過去の事実が忘れられてしまうことになる不安も生じさせるものである
と思った。復興に向けて一歩一歩進んでいくにあたり、私は事実を忘れずに未来への一歩
一歩に何らかの形で関わっていけたらと思う。
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