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自殺の統計的研究ノート (其二) (自殺統計について)

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自殺の統計的研究ノート (其二) (自殺統計について)
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
自殺の統計的研究ノート (其二) (自殺統計について)
Author(s)
塚原, 仁
Citation
経営と経済, 33(1), pp.61-79; 1953
Issue Date
1953-09-25
URL
http://hdl.handle.net/10069/27332
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
塚原仁
自殺の統計的研究ノート︵其二︶
︵自殺統計について︶
ニー一
自殺に関する統計の蒐集方法としては、次の如きも切が考へらるゝ。︵こ死亡の際に於ける戸籍夏への届出、︵二︶
′
警察的記録、︵三︶裁判所の判決等である。今日何れの文明国に於ても人口動態調査の一として死亡調査を行ってゐ
る.C従て死亡に際しては身分登記即ち戸籍法によって之旦戸籍役場に届出でねばならないが、その届出に基いて死亡
調査が行はる1のである。而してその調査事項の一として死因があるので、自殺も死亡の一原因として病死に対する
’
自設に仮装さる⊥おそれがあるので、変死についてはそれが頁に自殺であるか、単なる事故死であるか、叉は犯罪で
変死即ち事故死のl一に数へられ一てゐる。次に自殺は変死として犯罪に関聯を持つ場合があるので、換言すれば殺人が
あるか、その責の死亡原因を確定する必要があるので警察又は検察関係に於て、自殺死体の検視を行ふ必要がある︰
ことがある。従てそこに自殺の資料が作らるゝことになる。以上述べた様に自殺統計は各種の機関に於てその蒐集が
更に自殺を以て犯罪行為なりとする酉班牙、英吉利、琉典等に於ては、裁判所がかゝる自殺に対して干渉的立場に立つ
可能であるが、以上の源泉による統計が一国に於て総て作成発表されてゐる訳ではない。例へば我国に於て些戸籍法
六一
ノ
に基く届出によるもの、並に犯罪統計規程に基き全国各警察が報告したものをまとめ、国警本部に於いて作成するも
自殺の統計的研究ノート
経営と経済
のとがある。(之は従来警察調茶による内務報告として報告せられたものである。)かやうに二ク以上の源泉によクて
統計が集められ'る時、その結果が互に一致しないのが常である。(註一)それは云ム迄もなく調査方法の相違に基く
もので、当然予想さる ふ
t ところであるが、出来ればその一を基本的たるものとし、他を以て疑はしき事例は之を補正す
る乙とが望ましい訳である。ノ実際プロシアでは幹祭に於ける調売禁と戸籍役場への届出とを比較する方法を取ってゐ
る。何れの方法によるにもせよ、自殺は届出又は検侃によクて確められたものだけが、自殺とたるのであるから、把
握される自殺の数と実際に行はれた数とは一致するものではない。調査された結果が実際よりもどれだけ少いかは、
L死因統計と警察の
結局一般大衆並に官庁等之を観察する機関に於ける自殺に対する考へ方や態度並に調査技術の如何に因る。
註(己我国に於ける自殺に関する官庁資料には、前にも述べた様に、戸籍法に基く死亡屈によって作らる
同一六年
昭和一五年
一
O、 五 六 二 人 入 、 七 入 四 人
一 て 四O 六 人 九 、 コ 一 九 三 人
一一、入二五人九、七一三人
一二、二二三人九、入七七人
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取調べに係はる自殺統計とがあるが、両自殺数を比較すれば常に後者が前者よりも大であることは既に財部静治博士の指摘せら
九、五九対人
O、六三O人
O、一 O 一人
O人 九 、 二 五 四 人
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人
警察調査'統計局調査
れてゐる所である。即ち同博士の引用せられた統計を掲ぐれば次の如くである
同六年一一、二入
大 E 五年¥-一、七九レ
間七年三一、六二四人一
間九年二=、三四七人一
間入、年一二、四三一人九、九二四人
同一七年
国警調査統計局調査
而して此事実は現在に於ても然りであることは次掲の如くである。
同一入年
1) 財部静治、社会統計諭綱、 494
頁
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同一一一一年一回、九一五人二一、二六二人
同一一一一一年一五、入四一人一二、九一一一人
序ながら、昭和十五年より同十入年に自殺者数が減ったのは、戦争の影響である白
自殺統計の国際的並に年次的比較に当つては、先づ統計の比較性にづいて考察するを要する。殊に歴史的危比較を
行ふに当り、自殺の劫向を過去一世紀位に渉って考察するととが望ましいのであるが、我々はかふる長期間に渉づて
各国にその資料を求めるととは出来ない口スエ1ヂシ、ブイシ一フシ下を除いてその他の欧羅巴諸国について見るもそ
の期間に或は領土の変更がありべ又自殺の数字もその全国土に及ばないものもある。例へばオ一フγグの如きは、過去
計が把握される様にたクた如きである白叉アメリカ合衆国の如きも周知の如く人口動態調査が行はる
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様にたったの
'数十年来只都市のみに就て調査が行はれたるが如き、又デ γ マ1クの如きも一九一 O年 に 至 っ て 漸 く 全 国 的 な 自 殺 統
は一九O 一年来のととで、而もそれは全国的たものでは伝く、登録地区が漸次拡張されて全国的調空を見る様になっ
たのは、漸く一九三三年のととである。従てアメりカ合衆国に於ける自殺勤向の比較に当クて、登録地区の拡張が自
の減少は現実的条件の改善によるものであると一式ふよりは、むしろ長期聞に自殺の少い諾州が登録地区に加はクた為
殺率に全く影叩科するととが泣かクたか否かにクいて検討す.る必要がある。事実ブリネイは一九一六年以降始った自殺
K、自殺が少くたったのではたいだらうかとの疑問を提起し、一九一 O l二O年 に か け て 自 殺 の 少 い 南 部 諸 州 が 登 録
地区に加へられた事実を指摘してゐる口勾但し米国の此期間の自殺減少が只かふる形式的川理由のみに図るものでたい
とと一一一口ふ迄も紅いが、一言附言して置く。以上の如き事情の下に在クては自殺統計の統一的立場に於てその絶対数に
於ては勿論相対数に於てもその正確たる比較を行引い符たい訳である。,
更に亦吾えが注意したければならぬ乙とは、自殺の国際的時間的比較に当って、資料の蒐集方法や自殺に対する社会
的 、 法 律 的 態 度 如 何 に ま ク て そ の 数 字 が 具 り 、 又 は そ の 価 値 が 左 右 さ Lるととである口例へば英吉利の自殺率は甚だ
低いが、之は同国に於ては自殺未遂は刑法上の罪として処罰され、又一八八二年迄は自殺者の埋葬さへもが特別取扱
六
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一
に注クてねた為である口その後自殺者の埋葬にも宗教的儀式が認めらる・ -A
様にもなクたが、今日でも英吉利では多くの
自殺の統計的研究ノ 1 ト
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経営口と経済
六四
自殺が不慮の事故として、,総ての自殺が把握されてゐない為であるととは疑を入れない。ウシグルシ・シユテル γベ
ルクは英士口利の自殺統計は国際統計の比較にはまるで役に立たねと酷評したがめ英国の自殺統計の不信についてはそ
ルセリも前世紀に於て次の如く述べてゐる口﹁英吉利の自殺統計は犬伝る正路さを以ては集めちれてゐたい。事故
死 の 届 出 は 外 の 国 と 造 り 方 が 具 つ て ゐ る 。 多 く の 自 殺 は ﹁ 精 神 錯 乱 ﹂ 怠 る 絡 院 に 入 っ て ゐ る 。 之 は 少 く と も パ ロ J卿
の意見によれば、役は数年前自殺は少なからや当局の不注意により、叉は水死者をその死亡が事故死か自殺かの調査
を行はたいで坦葬する慣習によるものであると一式クてゐる。﹂と云クてゐる。のヂユ'ルケ 1 ム も 亦 そ の ﹁ 自 殺 論 ﹂ に 於
て同様のととを述べてゐる。日く﹁英吉利の自殺統計が大して正確なものでたいととは真実である。自殺に認せられ
た刑罰の為に、事故宛として届出でられてゐる事例が多い。但し此不正確さだけでは此固と独逸との若しい陥りを説
明するには足りない。﹂と。め併し如斯ととは独り芙士口利のみが批判さるべきととではたい。⋮校洲に於ても宣誓者は出
来 る だ け 自 殺 を 事 故 死 に す る 傾 向 子 強 く 、 之 が 同 国 に 於 け る 自 殺 の 少 い 原 閃 の 一 説 明 と な る 口 一 八 九 九 年 ザ ク セ Yに
が三九あクた。叉海岸線の長いヂシマ 1ク で 、 海 辺 に 打 上 げ ら れ た 死 体 中 そ の 限 界 に あ る も の は 相 当 あ る 。 一 八 九 九
於て自殺数一、一一一二の外に、恐らく自殺と思はる L死 体 が 二 五 、 支 に 事 故 死 、 自 殺 、 他 殺 何 れ と も 判 明 し た い も の
れば溺死者を自殺か事故かの区別をするととが困難である正のととである。句実際水死人の場合遺書又は目撃者によ
年自殺四八五、事故死六五九であクたが、その中一六九は疑はしいものであった。海のない伯林に於てもベツクによ
ってはっきり自殺と認め得る場合はよいが、然らざる場合は免倒である。陀眠剤を服用して死んだ場合にも、その分
れないものもある口例へば自動車事故で自殺せるもの、叉は自殺せんとして玄傷を受けたものが、その傷や又は併発
量を誤まったのか、又は自殺かの区別が不明たる場合もある。更に又自殺であクて而もそれが殆ど自殺として届出ら
的病毒感染によって数週又は数ヶ月後に死亡せるものは、自殺として屈出でらる L ととはない。之を要するに、自殺
統計の正確性従て信頼性に影轡すべきととに就て述べたととは大なり小なりの程度に於て総ての国に妥当する所であ
る。併しながら、自殺を隠蔽せんとする風潮は六、七十年前の回合に於けるが如く訟互がよく知り合クてゐるもの同志
である場合には容易にその目的を達し得るであらうが、故近に於てはかふる自殺は漸次減少し、自殺者自身がその自
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. 578.
殺の意図を知らしめたい様に注意する場合とか、宗教的叉は家族の名誉を守ると云ふ様た配慮からの自殺の隠蔽等の
少数の例に限局されてゐる様であるロ序でたがらかえる自殺統計の不正確性不完全性に基く不信頼性を強調するの余
﹁統計浜料のラちで死産に関するもの程誤りの多いものはない。併し、ながら或比率関係が甚だ狭い限界内に於て変り
りに、之を以て無用たりとする!が如きは正しくない口かつてグ T レーは死産統計陪ついて次の如く述べたととがある。
がなく、而もその資料が呉れる行政の下で蒐集せられたもので,ある時は、それ比真実より殆ど手離せるものでないと、
﹁・::此問題(自殺﹀の科学的評価に当クて、此等資料を無用のものとして放棄するととも認めらるγ﹂と云ふとと
﹂
と
、η 此グ T レ 1の一一一ロは自殺統計にもそのま L妥当する所であクて、ジルボールグの如く
考ふべき充分注理由がある c
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には賛同するを符たい。町命之は国際的比較には関係のたいととだが、国内的の地方別比較に当つては、自殺統計の蒐
集方法が問題と怠る。例へば我国の入口動態調査に於て自殺は従来その本籍地に於て調査するととになってゐて、本
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絡のないものや本絡が明ならざる者に付ては届出地即ち事件発生地・に於て調査する乙とにたってゐたが、 昭和二十一
年 之 を 改 め て 総 て 事 件 発 生 地 を 届 出 地 と す る 様 に 改 め ら る L とと Lた っ た 。 か や う た 届 出 地 の 変 更 は 地 方 的 自 殺 統 計
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乙とになり、自殺名所を有せる府県は自然自殺数が多くか仏る
に相当の影特を与へる乙とがある。例へば旅行者の死亡はその居住地又は本籍地でたくその死古地で届出でるととに
たクてゐるので、自殺者も亦当然自殺地で届出でらる
我えは自殺統計を通とて自殺性向の強度やその動向を知らんとするに在るのであるが、之が為にほ唯単に完遂され
乙とが予想される口
た自殺だけでなく、その目的達成がその中途に於て阻止され又は失敗に終れるもの、即ち自殺未遂をも併せ観察する
必要がある。けだし自殺未遂はその原因論的立場ーよりは完遂された自殺と何等兵るととろはないからである口併しな
の数を正確に把握する乙とは、自殺の場合よりも一同困難である。況やイギリスの如く自殺未遂を犯罪としたるが如
がらか Lる統計を獲得する乙とは頗る困難とするととろであり、叉それが符られたる場合に於ても、一昨謂.狂言自殺が
介 入 す る 可 能 性 が あ る の み な ら や 、 自 殺 未 遂 の 場 合 に は 近 親 者 そ の 他 に よ ク て 之 が 極 力 隠 蔽 さ る L とと Lたって、そ
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き国民於ては尚一史のととである。読者はチヤヅプリ γ主演映画﹁一フイム一フイ T﹂の最初の方の一場面を想起され度い。
自殺の統計的研究ノ 1 ト
五
経告と経街
六六
但じ国によって之を調査してゐる。我国の国均一河本部刑事調奈統計者の犯罪統計者に於ては自殺を既遂と未遂とに分ク
て発表してゐるが、(註一一)之については上述せる可能性の存在を忘れてはたら左い。
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七一四人七六四八
一八三人
一一一一人
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五六六人,ム八十一四人
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年年年年年年年年年年年
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(ニ)我国に於ける最近の自殺未遂者数を掲ぐれば次の通りである。
問問問問問同同向同同同昭
五四年以降自殺に関する数字がある。之に対しノ1ルウエ勾は一八二六!一ニO年 が 最 初 で 、 ヂ Y マークも一八三六年
に 於 け る 自 殺 統 計 に づ い て 問 者 述 す る と と に す る 。 ス エ 1デ γは 云 は ば 生 死 統 計 の 祖 国 的 地 位 に 立 つ も の で 、 既 に 一 七
式的にも、内容的にも甚だ具り、比較を困難たらしめてゐる事情に就ては前に述べた所である。(註一一一)次に主要国
各国の自殺統計が何時ま,で遡り得るかは、その国際比較を為すに当って犬切訟ととであるが、それが国によクて形
註
-i四O年 よ り あ る 。 ィ ギ Y ス で は 死 因 統 計 が 出 さ れ る 様 に た ク た の は 一 八 五 六 年 で 、 ア イ ル ラ シ ド は 一 八 六 四 年 、 ス
コツ t ラY Vは そ の 一 年 後 で あ る ロ ド イ ツ が 全 国 的 な 統 計 を 発 表 す る 様 に な ク た の は 、 一 八 七 一 年 の ド イ ツ 帝 国 成 立
よ り 十 年 後 で あ ク た 。 但 し 各 聯 邦 に は 古 く か ら 資 料 が あ り 、 プ ロ シ ア は 一 八 一 六 年 よ り 、 ザ ク セ シ は 一 八 三O年 よ り
死閃の分類を行ひ、スバイエルシにクいても一八四四年に遡る乙とが出米る。ブ一フシスは一八二七年に遡る。オ一フジ
グ 、 ベ ル ギ ー 、 ス イ ス の 三 国 中 ベ ル ギ ー が 最 も 早 く 一 八 三 六 年 で 、 ス イ ス は 一 八 六 五 年 、 オ ラ γダ は 一 八 七 五 年 来 死
因 の 発 去 を し て ゐ る 。 ス ベ イ シ は 一 八 八O年 、 イ グ リ ー で は ヴ エ ネ チ ヤ や ロ シ パ ル 昇 イ ア 地 方 は 一 八 三 七 年 に 発 表 し
てゐるが、会イグリーとしては一八六四牛以降である。向日本は前世紀八十年代よりである。句
註(三)十入北紀以前に於ける自殺数については断片的な資料があるにすぎない。一六八六i九O年ロンドンでは,入九の自殺が
あった。此数は五年毎に増加して、一七二六 l 三O年にはこ六四人となった。一六八六l -七五八年の全期間に於て自殺数は
二、六二O人となってーゐるが、死体となって発見されたもの一一、一一一一一一一人は之に含まれてゐないが、その大部分は自殺と推定さ
るべきものであった D ベルリンでは一七五入i七四年に四五人の自殺があったが、別に水死人が九O人ゐた。尚同市でプ也入入
l九六年五七人の自殺があり、別に水死人が五七人ゐた Dパりでは革命当時自殺者が甚だ多く、グ一ブグイエ 1ル、グア一プジ、ド・
プリヱン、コンドルセ 1の如きはギロチンより自殺を選んだロ一七九三年にはメリ及びザエルサイユで一三O O人の自殺があっ
たと云はれる。 m,
自殺の国際的並に時間的比較に当クて絶対数が大切であるととは云ふ迄もたいが、より重要な乙とは自殺率であるつ
けだし絶対数によっては/人口状態 K於 け る 相 違 が 現 は れ な い と と に 怠 る か ら で あ る 。 而 も 必 要 注 と と は 各 国 が そ れ
之が自殺率(粗自殺率)である。人口百万人、又は十万人に付何人と計算するのが普通である。
A¥も ク と こ ろ の 自 殺 性 向 の 強 度 を 知 る 乙 と で あ る が 、 之 は 自 殺 数 と 人 口 数 と の 比 例 数 と し て 計 算 す る 乙 と が 出 来 る 。
次掲去を一覧するととによクて、自殺率が国によクて甚だ兵り、叉同一国にクいて云ふも自殺率が相当の変化を示
してゐる乙とを知るのであるが、われ/¥は此等の数字をその額面通りに受取り直にそれ等の数字の比較検討する乙
六七
とには、一応戒心を要する。と一式ふのは、前節に述べた様、な形式的た理由の外に、ブ一フシスやスエ 1ヂ ン 等 の 如 く 長 期
自殺の統計的研究ノ 1 ト
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経営と経済
六入
に 渉 ク て 既 に 出 生 減 退 が あ ク て ゐ る 国 に 於 て は 、 比 較 的 に 十 五 才 未 満 の 幼 少 年 階 級 の 割 合 が 、 例 へ ば 心 グ リ 1等 に 比
して少くなクてゐるのであるが、元来自殺は幼少年階級に於ては甚だ少︿、老年者階級に多いのが普通であるから、
老年者階級を多数擁する所謂老人国に於て自殺率は高からざるを得泣い訳である。又同様にして同一固に就て年次的
比較を行ム場合にも、特に大戦争によクナ九 そ
f の年令構成に大たる変化を生じたるが如き場合には、そのことにづいて
注意が肝要である口例へばドイツの如く第一次世界大戦の前に於てはその年令構成は正常的ピラミッドを示現してゐ
た が 、 戦 後 は 一 躍 所 諮 査 型 構 成 へ 突λ せ る が 如 き と こ ろ に 於 て は 、 常 兵 的 た 出 生 減 退 と 共 に 成 年 及 老 年 階 級 の 割 合 が
著しく増大し、ー幼少年階級の割合が大い比減少したととが、戦後に於ける独逸の自殺率の増大に寄与せることは想像
J
に抑制くない。だからと一式クて此年令桔成の推移のみが自殺率上昇の原因であるとは云へ怠い乙とは云ふ迄もない。る。
唯かずうた形式的な年令桔成の推移も亦自殺率の動向に或四%げを与へるものであることは否定し得たいととろであ
影響することも考へらるもよのであクて、.自殺率の比較に当クては此種の形式的要因に於ける褒化をあ適当に之を考慮
年令桔成は只その一例として挙げたのであるが、叉自殺は男女にヱクても具り、従て男女性比に於ける変動が自殺に
るを要する。かやうにして粗自殺率には右の如き欠陥を伴ふものであるから自殺性向の強度の正確たる測度として
7
・4
適当とは一式へない。十才又は十五才未満の所謂幼少年者の自殺も時に伝へられ、稀有なるものではないが、その殺は
極めて少いのが常であるから、此等の自殺者の少い幼少年階級を除いた自殺能力ある十才又は十五才以上のものにク
き、叉その男女別にクいての特殊自殺率や、又は体性桔成や年令梢成民於ける相遣を揚棄して計算せる標準自殺率を
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計算する乙とが望一学しいが、之が為には長期に渉クでの体性別並に年令別の詳細なる自殺並に人口に関する食料が必
要であるが、此等の資料を得る乙とは頗る困難で怠るのと、その計算が免倒である為に、今日迄その国際的比較に当
一
つては主相自殺率が用ひられずりがる。
二入九人の学童が自殺し、叉フランスの旧い統計だが一入三五l 一入問O年に於ける自殺総数中五才のもの一人、九才のもの二人
註(四)介イヨ・スミスは幼少年者に於ける自殺はあるが、稀であるど述ベ、﹁一入入三年より一入入九年にかけてプロシアでお
十才のもの二人、十二才のもの六人
λ十三才のもの七人、十四才のもの二人が自殺した﹂と一去ってゐる白川ブリネィによるも
米国に於て、-九一一lニO年の十ヶ年に於ける幼少年者の自殺はめったになく、五才乃至九才の男児四人、女児二名が自殺し
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たるに過ぎない o之に反し十才乃至十四才になると男児一八五人、女児一四五人が自殺してゐるロマイアも亦十才末摘の小児の
自殺は極めて碕で、従って十五才迄の自殺率の計算に当って殆ど一広ぶに足らない、換言すれば幼少年者の自殺率は主としてf 一
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歩調を取クてゐる訳ではなく、或は常に上昇の一途を辿クてゐる国もあれば、或所までは上昇し、その後は却て減退
明国に於て増大してゐる乙とであるロ併したがらその動向を細かく各国別に見る怠らば、必宇しも総ての国が同一の
向と一式ム様伝'甚だ興味ある問題にぶククかる訳であるが、今は此問題にクいては述ベね口英二は自殺率が大多数の文
明するものであるが、決してそれだけではその大なる開きを説明する乙とは出来ない。刊紙に民族とか国民性と自殺性
と で あ る 。 而 し て 之 は 前 に 述 べ た 様 な 自 殺 統 計 の 蒐 集 方 法 や そ れ 自 身 に 於P る 正 確 皮 の 相 違 も 亦 そ の 理 由 の 一 半 を 説
右掲去によクてわれわれは次のニクの事実を指摘する乙とが出来る口共一は国によクて自殺率が甚だ具クてゐるこ¥
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五 年 の 期 間 に ク き 、 ハ 一 ﹀ 常 に 増 加 せ る グ 1 ルプに属する国、(二)最近は減退 K転じた増加せるグ 1 ルプ、(三)
自殺率 K動揺あるも結局は増加せるグ 1 ル‘プ、(四)動揺あるも結局は減少せるもの、(五)最近は.増加してぬるが
減退せるグループ、(ムハ﹀動揺あるも明白怠る増加叉は減退たきグループに分けてゐる口小川キヤずプ γも亦同様にい
くつかのグループに令類して次の如く述べてゐる。﹁アメリカ合衆国の傾向は上昇的であるどとは、ベルギー、スイス、
フ一フシス、イグリーと同様である。下イツの(自殺)率は戦争中一寸下ったが、叉戦前 'r一等しくたクてゐる。従て次
の十ヶ年間に於て自殺率は再び上向きとなり、長期的危見透しとしては戦争は一時的注視乱と見られるべきものであ
らう。即ち自殺の動向は事実戦前の動向であると考へる乙とが出来る。一九一四年には資料を求め得るアメリカ合衆
国、スエ 1JTY、フイ γラ以下、オラ γグ¥オ 1 スTリ 1、ハ γ ガり 1、ベルギー、ブラシス、スペイシ、イグリ 1
等 の 諸 国 に 於 て 自 殺 率 は 急 激 に 増 加 し て ゐ た 。 更 に ド イ ツ 及 ス イ ス は 甚 だ 高 い 自 殺 率l 世界最高に入る!を維持して
ゐ る が 、 上 下 の 明 か た 傾 向 は 認 め ら れ た い 。 ノ 1 ルウェイとスェ 1 ヂ γとは戦前下降的傾向を示してゐた口東洋諸国
忙 ク い て は 自 殺 率 は 容 易 K入 手 し 得 注 い が 、 日 本 は 過 去 五 十 ヶ 年 に 渉 り ア メ リ カ 合 衆 国 の 率 を 越 え 、 ヨ ー ロ ッ パ の 最
高率に近扱する高い率佐持ちクどけた。しい町之は一・九二四年頃までの状態について云ったのであるが、かやろに自殺率
の動向が国によクて必宇しも同一でたいととは、其後も亦同様であり、叉マイアやキヤヴアγの指摘した諸国の動向
が決定的のものであクてその後に於て何等の変動が起り得たいものであるとは一式仏得たいとと勿論であるロ事実各国
の自殺率の勤向は必歩しも規則的な動向を示してゐるとは云へ怠いからである。併しながら吾えは統計の示す所によ
クて金般的に一式仏得ることは自殺率が増加の傾向に在ると云ふ事実であるロ特に最近に於て然りであると云でる。。十
九世紀に於ても自殺の増加の事実にクいては既に、モルセロリもブ一フ γ ス、ザクセ y、イグリーその他ヨ 1 ロツぷ諸国
及びアメリ力合衆国の自殺統計の検討によクて指摘せる所であって、彼は次の如く結論してゐる。﹁欧米文明国全
体として自殺率は均等なる漸増的増加を示し、その結果自殺は十九世紀初以来増加し、人口や死亡率の幾何的増加以
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上に急速たる増加を続けてゐる。﹂と。明叉メイヨ・スミスも亦此等総ての国に於て統計が 初 め て 集 め ら れ て 以 来 自 殺
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て 減 少 を 示 し て ゐ る ロ 此 ノ 1 ルウェイの自殺が他国に対して・少く、叉前世紀四、五十年代に比して低下してゐるとと
の 穴 増 加 が あ っ た と 、 此 事 実 を 認 識 し て ゐ る 。 何 併 し 友 が ら 例 外 が な い 訳 で な く 、 ノ ー ル ウ ェ イ や ヂ Y マ1クは却ク
七
多くの文明諸国に自殺が増大してゐる事実は、之を絶対数を以て補完する時に一一回明かとなる。第一次欧羅巴大戦
ゐる。川、
前後にクいで若干の国の自殺数を掲げよう。先づ独逸について見るに、
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過去一世紀と一民ふ様な長期間に渉クて自殺の動向を見る時、既に述べた様に多くの国に於て自殺の増加の事実を見
原因に基くものであるかと一式ム様た点にクいては、叉後で触れる乙とふしたい。
れでも国によっては女性の自殺が甚だ高︿、叉相対的に女性の割合が増加してゐる傾向が見らるふが、それが如何ゐ
ふととに就ては古くより学者の注目する所であクた。男性に比して女性の自殺が少いととは明かなととであるが、そ
八人、一九コ二年五、四九一入、一九三二年五、八一八人となった。自殺が性別に上って如何たる相違を示すかと一式
年戦争中だが四、コ二 Oλ であった J戦 後 絶 対 数 は 次 第 に 減 少 し て 行 ク た P 一九二0年 四 、 六 八 二 人 、 一 九 一 二 年 四
、O 七 一 人 、 一 九 二 二 年 四 、 二 三 四 人 。 然 る に 三 十 年 代 近 く か ち は 、 次 突 に 増 加 に 転 じ た D即ち一九三O年五、︺一O
此乙とは女性自殺の実数を目ぬれば更に明かとなる。即ち一九一三年独逸の女性自殺数は三、九六八人で、一九一六
九九九九九九九 九九九九九
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均従て統計調査の完整化が自殺数を増大せしめる一原悶たり得る乙とは認めねばならぬが、それはそうU
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とである
軍隊、鉄道、鉱山等の報告と対比する様になり、之によって一八八三年の自殺数が二三・八%の増加を示したとのと
は一式へないロメイヨ.・スミスの云ム所に工れば、一八八三年以降プロシアでは死亡報告中に於ける自殺報告を警察、
ヂルマが一式った様に統計官庁に於ける死因に関する調査が厳主正確になった乙とが自殺統計に全く影響が注かクたと
するととにクいてウ γグル γ ・シユテル Yベルクは全く一式ばれたきものであると云ふべきであるとしてゐる。均併し
る所で、之については後で述べる乙と Lす る が 、 少 く と も 自 殺 統 計 の 正 確 性 の 増 大 を 以 て 現 実 的 な 自 殺 の 増 加 を 否 定
す る と と も 亦 無 批 判 に は 之 を 受 け 入 る Lと と は 出 来 た い 。 自 殺 の 増 加 を 文 明 に 帰 す る と と の 当 否 に ク い て は 批 判 の あ
るものであり、ー又、或不明た仕方で文明が我々の内に於ける自殺性向を助長すると云ふと止が、全くの誤解であると
殺の理念、神話、卓越せる技術を有したるその祖先の人々に比して劣クてゐる。﹂均自殺率が文明の発展と共に増加す
文 化 水 準 が 低 く け れ ば 低 い 程 、 自 殺 的 街 勤 は 益 三 間 く 根 ざ せ る が 如 く 考 へ ら る λ。・::自殺に関する限り現代人は自
反対してゐる。即ち自殺は明かに﹁人類とその古さを共にし、恐らく殺人や普通死と同様に古いものである口民放の
して以外には説明し符ない﹂と口町併し左がら、自殺の増加も文明に帰する乙とについては、ジルポルグは次の様に
具にする諸国について、かくも大なるととは、我えの所謂文明なる名称を与ふべき彼の普遁的旦複雑なる力の結果と
い。数字の確実性と自殺増加の規則性とは、統計が集めらる L様 に な っ て か ら 、 今 日 に 至 る ま で 人 種 、 宗 教 、 人 口 を
一的となり、同一の法律に支配さか、而も一定の地域と人口とが対朱とたってゐるのであるから、如斯は事実ではな
ふ反対は、自殺が現在より五確に記録さる L様 に た っ た こ と に 基 礎 づ け ら る Lが、之は昔の乙とであづて、登録が統
乙とにクいては既にモルゼリも亦認めてゐたとろで、﹁自殺の増加は現実的手なものでなく、見かけのものに過ぎぬと云
く自殺の増加はなく、只調査官庁に於け.る操作方法が完整した為に過ぎないと云ふものがある。如斯主張を見るべき
七
自殺は男女によクて異るのみでなく、地方的にも甚だ異ってゐる。都郡による入口密集度の相違と云ム様た形式的
ら、その後に於ける統計の完整による以上の自殺の増加をも否定する乙とは正しく友い口
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われ/¥は前節に説明せると乙ろによって、自殺が多くの西欧文明国に於で過去百年聞に増加じたる明白なる事実
一
一
陀就ては更に後に於て論及するであらう。
ってしまった為に嘗めねば注ら-なかった経済的資窮の結果たるととは明白である。備此老年者に於ける自殺率の上昇
ゐる。イ Yプレイシヨ Y時代ハ一九一一一一l 一九二三年﹀に於ける自殺率の上昇は多数の老年者がその貯蓄や年金を失
も男は一九一一一年主り一九一一一一年にかけて九八・八より一三0 ・九、女は三九・二より四六・七ど自殺率は上昇して
り、又女では二九・こよりそれんLI三九・ごと四六・七とその上昇を認める乙とが出来る
八O 才以上の男では一一一九・八三 0 0、000人中﹀工り一九二二年は一五六・六、一九二三年には一六一・ごとな
て自殺が片つけてしまクた為と忠はる Lと云ってゐるロ均実際一九一一一年を一九一一一一年や一九二三年と比較すれば、
てはゐたい。之についてシユデルシベルクは一九一一一一年一九二三年に於て自殺的性向を僅かでも持ってゐたものは総
それ程大きくは怠い。プロシヤに於ては戦前ニヶ年と一九二八!こ九年と比較しても此現象はそれ程明瞭には現はれ
階放では二倍以上となり、七五才以上では凡そ三倍と怠ってゐる。勿論その他の年令階絞にが、ても増加はしてゐるが
右掲表によって吾々は特にスェ 1 ヂ γについて老年階級に於て自殺が増加してゐる乙とに気付く口即ち前世紀六0
年代以降のスエ 1JTYの統計によれば、五五l 六五才の老年階級で自殺率が約六十年間にこ倍となり、六五l 七五才
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を知るのであるが、問題は何故にか・・ふる増加を見るに至ったか、その原肉を究明する乙とに在る。何故人は自殺する
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七
か、又如何なる遺伝的素質を有するものが自殺に宿命づけられてゐるかと一式ふ様な乙とは、自殺が自殺する個人の問
するのはそう一式ふ自殺の生成に関することからは離れて、此百年聞に自殺が増加した原因左検討せんとするものであ
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-、の+訟に取扱はんと
題 で あ る 以 上 心 理 学 的 、 精 神 病 学 的 立 場 に よ る と ζ ろ の 考 察 を 必 要 と す る も の で あ る が 、 わ れf
クて、一試はど社会盆物学的、精神史的た問題として取扱はんとするに在る。而して此問題の重要性はわれ/¥が単に
現在に於ても自.殺の増加を体験した文化時代に生存してゐると一五ふ乙とだけではなく、更に自殺率の上昇が将来期待
さるべき理由が存する点に在る。依て私は次稲に於て此問題にクいて論及する乙とにする。
自殺の統計的研究 J 1ト
七
九
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