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対テロ戦争と平和

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対テロ戦争と平和
いま変わりつつある社会
対テロ戦争と平和
地 理
東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 飯塚正人
アフガニスタンでの戦争
もっとも、その後のイラクの混乱は周知のとおり
であり、米軍の度重なる増派にもかかわらず治安は
2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を受けて
いっこうに回復しない。イラクにおける対テロ戦争
翌月から始まった「対テロ戦争」は、開戦後わずか
もまた、テロ撲滅という所期の目的に照らして考え
6週間で、アフガニスタンを実効支配していたタリ
れば成功したとは言えないだろう。それどころかイ
バン政権を駆逐し、オサマ・ビンラディン率いる国
ラク戦争後にはマドリッドやバリ島、ロンドンでも
際テロ組織アルカイダにも致命的な打撃を与えた。
大規模なテロ事件が起きている。すなわち米国主導
テロが犯罪である以上、あくまでも犯罪として国際
の対テロ戦争はテロを撲滅するよりはむしろテロを
法廷で裁くべしとの意見も一部に見られたものの、
誘発する結果となっているようにさえ見受けられる
同時多発テロ事件の黒幕とされたビンラディンの引
のである。
渡しを、証拠不十分を理由にタリバン政権が拒んだ
ことから、国際社会は「戦争もやむなし」と認め、
テロリスト側の論理
米国に協力したのである。
それにしても、なぜアルカイダは反米テロに走る
こうして始まったアフガニスタンでの対テロ戦争
のか。ビンラディン自身は「ムスリムは世界中で追
には今日なお多くの国々が派兵、協力しているが、
い詰められ攻撃され、虐殺されており、自分たちの
開戦当初にブッシュ米大統領が「テロリストをかく
身は自分たちで守らなければならない」と説いてい
まう者もまたテロリストだ」と述べて敵(テロリス
る。つまり、彼の言い分によればアルカイダもまた
ト)の範囲を拡大してしまった結果、各国はもとも
「自衛のための戦争」を行っているのである。この
と対米テロリストではなかったタリバンの地元ゲリ
主張が果たしてビンラディンの本心かどうかは不明
ラと果てしない死闘を繰り広げざるを得なくなり、
だが、重要なのはむしろ、一般のムスリムが彼の主
いまも苦戦が続いている。
張に共感している事実であろう。少なくともビンラ
イラク戦争
歴 史
公 民
地 図
社会科
ディンのもとに集まった義勇兵は「自衛戦争」と信
じてアルカイダに加わっている。9・11事件直後に
ところが、米国はこのように不安定なアフガニス
発売された『ニューズウィーク』は、欧米各国の裁
タン情勢を見誤ったのか、2003年3月、大量破壊兵
判資料や同誌が行なったビンラディンの元同志との
器の極秘開発やアルカイダとの関係を疑われたイラ
インタビューを通して明らかになった「イスラム教
クへの全面攻撃に踏み切った。大量破壊兵器が反米
徒の若者がテロリストに変身していく過程」を報じ
テロリストの手に渡れば、米国内で100万人を超え
ているが、それによれば「テロリストへの道は自宅
る犠牲者を出す巨大テロが起こりかねない危険を考
のテレビから始まる・・・若者たちはテレビ画面に
え、
「自衛」の思想を拡大解釈して先手必勝の対テロ
映し出された光景を見て、イスラム教徒が世界各地
戦争に打って出たのである。この新たな対テロ戦争
で追い詰められ、虐殺されていると確信する」とい
には仏独露中などが強く反対したものの、米英を中
う。要するに、ムスリムの若者がアルカイダに加わ
心とする有志連合軍とイラク軍との戦力差は覆いが
る理由は、彼らが「敵」と戦わないかぎり同胞が虐
たく、開戦後およそ2ヶ月でフセイン政権は崩壊し
殺され続けると信じているからに他ならない。自爆
た。
にまで至る対イスラエル/対米テロはこの想いの延
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長線上で理解されなくてはならないだろう。9・11
つける。両者間の憎しみはエスカレートするばかり
事件の動機はいまだ不明だが、多くのパレスチナ人
だろう。こうした状況を打開し、21世紀の地球に真
の命を奪っているイスラエルを一方的に支援し、湾
の平和をもたらすために必要なことは、実は過去に
岸戦争後に100万人の子どもの命を奪ったとも言わ
「平和の条件」として語られてきたこととあまり変
れる対イラク経済制裁を主導したアメリカに対する
わらないのかもしれない。武力で脅しても戦争やテ
怒りが引き起こした可能性は高い。
ロはなくならない。戦争当事者の間に信頼関係を築
アルカイダの変容とムスリムの被害者意識
もちろんムスリムとアメリカ対テロ戦争の当事者
2001年末のアフガニスタン戦争でビンラディンの
の間に信頼関係を醸成することは容易ではない。と
アルカイダはほぼ壊滅させられた。だが、これに代
もに相手を悪と決めつけ、自分たちは自衛のために
わって登場したのは新型の反米テロ組織「自称アル
やむなく戦っていると信じ込んでいるのだから。だ
カイダ」である。そこでは、過去にまったくテロと
いたい自衛の概念は「平和を望まぬ敵からのいわれ
関係のなかった若者が自由意志で集まり、自前の攻
なき攻撃」を前提に成立する、不信の思想でもある。
撃を敢行している。彼らはビンラディンを象徴的指
まずはテロも戦争もともに罪なき人びとを傷つける
導者と仰ぎ、アルカイダのスタイルで活動している
所業であり、いかなる理由があれそうした悪事に携
が、彼らをつなぐものは「戦争屋の西側がイスラム
わってきた以上、アメリカもムスリムも互いに加害
世界を辱め、分裂させ、支配しようとしている」と
者の側面を持っているという認識から始めるべきだ
いう共通感覚だけである。
ろう。さらに歴史を遡りって「自衛」の正当性につ
一方、2005年7月のロンドン同時多発テロ事件直
いて考え直してみる必要もある。大半のアメリカ国
後に『ガーディアン』紙が英国在住のムスリムを対
民にとって、すべては「9・11」から始まった。ゆ
象に実施したアンケート調査では、
「実行犯の気持ち
えために対テロ戦争は自衛のための戦いと見なされ
が理解できるか」という問いに対し、回答者の75%
ている。ところが、多くのムスリムにとって問題の
が「理解できる」と答えた。この数字は、ビンラデ
始まりは「9・11」ではない。
「9・11」は過剰防衛
ィンが言うように「追い詰められ攻撃されている」
だったかもしれないが、ムスリムを苦しめてきたア
と感じるムスリムが中東に限らず世界に広がってい
メリカへの自衛行動だったと思われている。とはい
ることを示している。そして、多くのムスリムが
え、アメリカが最初に手を出したと決めつけること
「攻撃されている」と感じれば、そのことによって
もできない。要は双方とも自分が被害者となった事
「自衛」の論理はいよいよ正当化されていくのであ
件しかよくは覚えていないのである。
る。
だがこれでは決して平和は訪れない。自衛戦争と
自衛戦争という罠を逃れるためにどうするのか?
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くことが肝要である。
いう罠を逃れ、平和への道を切り開くためには、相
手だけが悪いのではなく、自分にも責任があるので
これまで見てきたように、対テロ戦争の大きな特
はないか、と謙虚に反省してみる必要があるだろう。
色は、テロリストも、対テロ戦争を主導する米国も、
そうした方向に両者を導くきっかけとなりそうなの
ともに自らを一方的な被害者と考え、自衛のための
がアメリカに住むおよそ1000万人のムスリムである。
戦争をやむなく戦っていると信じている点にある。
アメリカとムスリム、双方の論理を熟知している彼
さらに両者は、自衛のためなら無関係の一般市民を
らが架け橋となって、両者がそれぞれ相手の立場を
巻き込むのもやむを得ないと考える点でも一致して
理解できるようになれば不毛な対テロ戦争は終わり
いる。だが一般市民を巻き込む無差別テロが世界を
を告げる。もっとも、そうでなければ人類は、13億
憤らせるのと同様、一般市民の犠牲をいとわない軍
のムスリムとアメリカが際限なく殺し合う21世紀を
事行動もまた、被害者となるムスリムの怒りに火を
生きることになりかねないのだが。
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