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越境するメディアと日本社会
町村, 敬志
一橋論叢, 110(2): 255-273
1993-08-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/10915
Right
Hitotsubashi University Repository
(1) 越境するメディアと日本杜会
越境するメディアと日本社会
町 村
敬 志
1をもつ先進資本制国家のメディア・センターから発
情報は、容易に国境を越えて移動する。これは、人
民衆文化・伝統文化をほりくずし、他方、先進国起源
て送り込まれる。こうした情報は、一方で途上国内の
展途上諸国へと、大量の情報が多様なメディアを通じ
間や物財、資本などと比べた場合に情報がもつ、もっ
の夫衆文化や犬量消費型生活様式を途上国杜会に移植
1 あいまい化するメディアの国境
とも重要な特徴のひとつである。以下、この小論では、
越えていくかを見ていくことにしたい。はたして人の
情報とそれを運ぶメディアが、いかにたやすく国境を
しかし、現代における情報の流れは、先進国から発
動を加速化する役割を果たす。
を実現したいという欲求は、しぱしぱ国際的な人の移
する役割を果たす。そして、より一層高度の消費生活
︵1︶
越境は、いかなる情報環境を新しく作りだしているの
展途上国へという向きだけでは理解できない。反対の
最近の各種テクノロジーの進歩やコストダウンにより、
か。これが、基本的な問いである。
向き、すなわち発展途上国から先進国への情報移動が、
人の移動と並行して起きていること、これが現代の犬
たとえぱ、従来のひとつの有力な見方として、メデ
ィア帝国主義という考え方がある。文化的なヘゲモニ
妬5
第110巻第2号 平成5年(1993年)8月号 (2〕
一橋論叢
ら研究が進められてきた。しかし、人の移動の多様化、
れるメディアについては、移民メディアとして古くか
きな特徴といってよいだろう。人の移動とともに生ま
中問には、エスニヅク・グループとさまざまな関わり
商品として消費されていくことになる。そして両老の
見られる。そこではしばしぱ、﹁エスニシティ﹂自体が
が登場しているという事実、そしてテクノロジーの進
をもった多様なメディアの海が広がっている。
手であることが多かった先進諸国のメディア状況にも、
歩も手伝ってメディアの製作過程がトランスナシ;ナ
日本の現状を考えた場合、今のところ、外国人向け
多くの変化をもたらす。エスニヅク・メディアとは、
ルな性格をもつようになっているという事実は、改め
メディアの変容、そしてそれらを条件づける経済的杜
実はこうした新しいメディア状況を表現するためのキ
て確認しておいてよい。この意味で、情報はまさに人
い。しかし、増加する外国人をめぐって各種メディア
ーワードだといえるだろう。その一方の極には、支配
問よりもいち早く容易に国境を越えつつある。
メディアのインバクトを過大に評価することはできな
的文化によって支えられたマス・メディアに対抗して
この小論では、最近の調査を踏まえて、このことを
会的条件が大きく変化するなかで、こうしたメディア
︵2︶
は、エスニック・メディアとして多様化している。
自らのアイデンティティを主張する﹁エスニック・マ
具体的に検証してみよう。まず初めに、現在目本に居
情報の流れの多元化は、これまで情報の一方的送り
イノリティ・メディア﹂が存在する。文化的マイノリ
住する外国人の情報環境の実態について概観する。次
︵3︶
ティの立場に置かれた移民や先住民族による自己主張
に、メディアのタイプ、ことに、最近の変化をまとめて
いこう。
^4︶
の手段としてのメディアは、ときとして道具的価値よ
りも表出的価値に重点が置かれる。しかし他方の極に
は、支配的な文化産業の側がエスニヅク・グループを
ターゲットにしてっくるメディァやプログラムが多数
256
{3〕 越境するメディアと日本杜会
問題とは質.量とも犬きく異なっていることは、繰り
返すまでもない。
しかし、今回の増加できわめて特徴的なのは、その
2 外国人住民とその情報環境
一九八○年代半ば以降、外国人住民の増加によって、
出身地がきわめて多様化する傾向にあることである。
中国や韓国、欧米、東南アジア、南アジァ、イラン、
日本杜会はさまざまな面で、変動を経験するようにな
ってきた。ふつう、こうした変化は、たとえば外国人
九四〇年には二二〇・四万人へと激しい増加を示して
は四七・八万人へ、さらに強制連行が始まっていた一
みると、一九二〇年の七・八万人から、一九三〇年に
て、在日朝鮮人の渡日が本格化し始めた時期の数字を
二万人増加している。ちなみに同じく国勢調査によっ
六・八万人から一九九〇年の八八・六万人へと、約二
ようだが−の増加の様子をみると、一九八○年の六
この数字は実際の人口よりもかなり少なめにでている
きたか、ということよりも、出身地や民族、ことに、い
すなわち、興味深いのは、いかに巨犬なメディアがで
エスニック関達メディアの場合にも同じ事が言える。
族的文化的多様化ということになるだろう。
ば、やはり単なる量的増犬ということよりも、まず民
きな数字ではある。しかし現在の特徴をあえて挙げれ
で約一五万人以上の増加を記録した。これは確かに犬
の外国人登録者数を見ても、一九八八年からの五年間
系ラテンアメリカ人で、ブラジルとベルーに限ってそ
日系ラテンアメリカ人など、出身地はきわめて多岐に
いる。数字だけを比ぺても、増加の勢いは戦前の方が
かに多様なメディアが生まれているか、また、メディ
人口の増大という形で、量的に表現されることが多い。
はるかに激しい。植民地とその統治国という基本的な
ア接触の形がいかに異なっているか、ということであ
わたる。この中で、短期間にもっとも増大したのは日
関係の重みを考えに入れれぱ、戦前期日本において在
る。その意味で、エスニック・メディアとはこうだ、
一例をあげてみよう。国勢調査による外国人人ロー
日朝鮮人が直面した問題が、現在の外国人が直面する
257
平成5年(1993年)8月号 (4
第110巻第2号
橋論叢
というような形の一般化は、まだここでは目的としな
レビニフジオや知り合いと並んで、﹁日本︵語︶以外の
さて、個別のタ小プについてふれるまえに、外国人
近隣の厚木市で発行されており、郵送のほか、本国物
トガル語週刊新聞が刊行された。そのうちの一つは、
急増した一九九一年に入って、日本では2種類のポル
新聞、雑誌、本﹂の比率が高いことである。日系人が
のメディア接触のようすについて確認しておこう。表
産店や民族料理店などを通して流通している。調査の
い。
ーは、最近筆老が関わって実施された川崎市外国籍市
こうした多様なメディア接触を支えているのが、各
ディアを活用している様子が、表からうかがわれる。
ルなネットワークを基盤に、比較的豊富な各種英字メ
日本人・日本人以外の知り合いや職場などのバーソナ
そして第三に、欧米・オセアニア系市民の場合には、
結果は、これらを反映しているものと思われる。
民意識調査のなかの、﹁生活上の情報源﹂を問う設問へ
^5︶
の回答を要約して示したものである。これによると、
いわゆる外国人といっても、国籍や滞在年数によって、
その情報環境にはかなりの差があることがわかる。簡
単に国籍別の特徴をみていこう。
第一に、韓国や中国・香港・台湾などの東アジア地
種のエスニヅク関連メディアである。以下順に、その
域の出身老の場合、ニューカマーの人々を含めて、テ
レビニフジオや日本語の出版物など、日本語のマス.
現状を要約していこう。
れだけに、次に述べる放送メディアと比較すると、﹁越
もっとも伝統があり、またその中心を占めてきた。そ
活字メディアは、エスニック・メディアのなかでも
3 多様化する活字メディア
メディアに犬きく依存している。これは、日本語の能
力の高さと深い関係がある。同じアジア系といっても
フィリピンの場合には、テレビ・ラジオと並び、日本
役割を占めていることがわかる。
人・外国人を含めた友人・知人ネットワークが犬きな
第二に、中南米系市民の場合に特徴的なことは、テ
妬8
(5) 越境するメディアと日本杜会
轟.①
蟹﹄
諦蔑戴
回糾>θ書o巾τ
蟹﹄
四針>眞車θ杏oφ
‘■
皿斜︵醐︶θ鞘囲一誰
騨斜
曽﹄
蝪−
1﹄=昂卦甫甫享囲識嵜用一
肝諦トθ武誰壺︵囲鵡曽︶
−畠ω舟−泣−
廿囲・瑚鵡
○呵、
︷θさ
男米・
廿蟄米
亀−司
竃−o
畠﹄
︵−お︶ ︵竃︶
斗︷、い、
窒﹄
︵胃︶
Nv、
蟹.①
竃lo
︵↓o。︶
畠.o
畠﹄
Nへ
戯灘回蝋.灘冊痒訳.嘗“い︸扉>灘.
撞囲・盤報
・吐鵡
蜆oo.N
︵8o。︶
N9㊤
墨.−
墨.o
ミ.岨
宣.−
畠﹄
雷.司
覇.oo
oo﹄
ol司
彗−
トN
ω.−
ω■
−oo−o
oo.N
sも
蜆一N
■.ω
卜olN
胃.oo
ω.ω
お.N
oo﹄
竃’ω
Hド㊤
HH.蜆
畠−
ド﹃
HH.蜆
ミ﹄
9ω
↓ド0
ぎb
呂−①
﹄.o
8.oo
oo−o
畠−ω
崖−−
︵ωミ︶
詣昌o廿洪議 議昌o令違ト
︵o.o︶
ムoo.oo
塞−ω
㎝O0100
ζ.蜆
↓oo.oo
蜆.o
−1岨
ξ﹄
−−oo
窒1㎝
■.①
−.ω
s一蜆
5﹄
o
o
囚斜︵醐︶員車θ鞘革
N﹄
窒.司
畠.oo
蜆
諜騨料
¶v∫ “v斗
刺﹁﹄θ武趨斗1∼メ
︵副跳峠1π、 X ︶
皿ヰθ選蟻一回喜一
沃“、、べ、簡露
−−.oo
0Hω杜
→oo司一
﹄=扇嵜θ詣ロカ旨萬
ムo』ω
ωω01Ur
俳尊
①﹄
崖.↓
ゲω
ド①
Nω一〇
’一〇、ム
蹴
片瘤爵惑側爵
︷θさ
>鼎甘爵法㌶ラ
一〇0N
ωOO01
一﹂=扇卦コ一藪劃享囲詞卦用輔鯉籾爵濁踏挟喜糖翠﹄一68曲.
259
煮回蝋
糞・・
ω
ω
一一二〇ム
①o,oo」o
■怜
ま甫
①
o、べ
ωo
N一ムor
Nト『;o
↓窮⋮責灘−貫↓誰 両滋N芦怜董[司固闘ヰ滋↓温∼ψq.
瑚熊
第110巻第2号 平成5年(1993年)8月号 {6〕
一橋論叢
境﹂とはほど遠いようにみえる。もともと移民達は、
では、出身国と移住先の間のこうした﹁境界﹂は、き
るメディアによって代替されていった。しかし、近年
ことが多かったが、まもなくそれは移住先で発行され
場合、出身国情報に対する関心は、日本に対する関心
特に日本入国から日が浅いエスニヅク・グループの
編集・印刷するケース
②出身国からの記事の配信・電送を受けて日本国内で
程で、以下のようなヴァリェーシ目ンが生まれてくる。
わめてあいまいになってしまった。なぜなら、電話や
以上に強い。このため、刊行物を編集する場合にも、
出身地から持ち込まれる新聞などを通じて情報を得る
ファクシミリ、情報通信、国際宅配便など、国境を越
出身国に関する記事が欠かせないことになる。したが
のメディアを利用しているのが通例だといってよい。
って、どのようなメディアも、多かれ少なかれ、本国
える通信ネヅトワークの発達が、エスニヅク・メディ
アの製作形態をきわめて多様なものにしてしまったか
らである。具体的な例をみていこう。
日系人と関わりをもつブロー力ーや旅行杜などは比較
的早い時期に、母国の新聞記事切り抜きからなるリー
ィアのかなりは依然としてこのカテゴリーに入る。外
が生まれてくる。なかでももっとも大規模なものは、
新聞杜と契約をして本格的に編集を行うというケース
こうした形態がさらに進むと、出身国等の通信杜、
フレットを作成、配布していたが、これなどもそうし
国語のエスニック・メディアを日本国内で編集・発行
在日韓国・朝鮮人がつくる新聞・雑誌、また各種の
①完全に日本国内で編集.印刷するケース
するためには、財政上の制約、情報収集上の制約、言
巨o屋−甲霧ω﹄︵一九九一年刊行︶である。聴き取りに
先にも触れたブラジル日系人向けの新聞﹃ぎ8﹃§・
た例といえるだろう。
語処理上の制約、編集・印刷技術上の制約など、いく
英字メディアを始め、日本国内のエスニヅク関連メデ
つかの越えるべき障害がある。これらの乗り越えの過
260
7) 越境するメディアと日本杜会
参考にしながら紙面を構成している。なお、印刷は、
新聞記者経験のある日系人などがそれらを加工したり、
ピューターのネヅトワークを通じて蓄積されるので、
通信杜東京支杜からの情報を得ている。いずれもコン
杜からブラジルニュースの配信を受け、またスペイン
よると、この週刊紙は、エスタード、ブラジル両通信
に近くなる可能性がある。
には、日本印刷とはいっても、内容は限りなく現地紙
する、というのが当初の製作方法であった。この場合
本に送る。日本では、これに写真などを加え、印刷を
とに基本的な編集を行い、印刷原版を国際宅配便で日
内の協力老が、現地の新聞や通信杜から得た情報をも
なり広いスペースを毎週埋めるという、やっかいな作
るということだった。ブランケット判ニハ頁というか
するケース
集・印刷した上で、名目上の刊行地だけを日本国内と
④日本から送られた記事を出身国内で付け加え、編
近隣にある日本の大手新聞杜印刷センターで行ってい
業も、こうしたテクノロジーの上で可能になっている。
﹁日本版﹂である。こうした形態がうまれる理由のひ
このケースのもっとも典型は、韓国国内系新聞の
九九二年刊行︶のように、在日本のブラジル日系紙支
とつは、日本の第三種郵便認可を獲得し郵送コストを
このほか、KDDの週刊広報紙﹃−まo昌旨巨き﹄︵一
局︵たとえぱ﹃サンバウロ新聞﹄︶が編集に関わるとい
削減するためだと、担当者は語っていた。このほか、
るだろう。
集・発行することの技術的制約も、あわせて指摘でき
それほどコストがかからないこと、また日本国内で編
韓国が日本にきわめて近く、刷り上がりを輸送しても
うケースも増えている。
③出身国で編集・作成された原版を輸送し、日本国内
で 印刷するケース
同じく日系ブラジル人向けの週刊新聞弓o−曽>
昌02昌>■﹄︵一九九一年刊行︶の場合、ブラジル国
261
木県三人、群馬県・神奈川県・東京都各二人となって
深かった。また、目本国内の住所は、千葉県四人、栃
を輸入販売するケー ス
おり、首都圏を中心に読老が広がっていることがわか
⑤出身国または他の夫量移住国で刊行されるメディア
エスニック・メディアを、自前でつくるか、それと
る。
4 放送メディァの模索
も出身国やその他の諸国から輸入するか。これは、も
っばらコストの問題と受け手の志向で決まってくる。
マーケットが限られている場合、わざわざ自前のメデ
アの形態が、電波系を中心とする放送メディアである
とりわけ将来を見据えた場合、もっとも重要なメディ
メディアの越境を考える際、現状において、そして
内のイラン人のケースについていえば、一九九二年の
ということには、おそらく異論が出ないであろう。文
ィアをつくることは割に合わない。たとえぱ、日本国
ィアに出合うことはなかった。その代わり、イラン国
調査期間中、ついに日本国内で発行された本格的メデ
シア語の雑誌・新聞、CDやビデオを露店などで見か
しかしながら、これまで目本国内では、外国語放送
が、本来の形だからである。
字どおり、電波には国境がない。したがって越境こそ
けることが多かった。ちなみに、筆者がたまたま購入
や外国人向け放送は、FENなどを除き、きわめて限
内やアメリカ合衆国、イギリスなどで発行されたペル
したアメリカ印刷のベルシア語雑誌︵﹃−><>2>2
っきりする。たとえぱ、多くの移民から成り立つアメ
られていた。これは、諸外国と比較すると、非常には
リカ合衆国の場合には、外国語専門のFM局やケーブ
幸■向穴[く竃>o>N量向﹄一九九二年一〇月三〇日
内訳をみると、日本一四人、アメリカ一〇人、他にド
ている。
^6︶
ルテレビの外国語チャンネルが、各都市に多数存在し
なっており、世界的な流通の様子がうかがわれて興味
イツ、オーストラリア、スウェーデン、カナダなどと
号︶の読者欄には、三二人の名前があった。国籍別の
第110巻第2号 平成5年(1993年)8月号 {8〕
一橋論叢
262
(9) 越境するメディアと日本杜会
国内向けAM放送︵フランス国際放送︶のなかで、ア
番組の放送が行われている。たとえぱ、フランスでは、
国内の移民や在住外国人労働老、観光客向けに外国語
また、これほどではないが、ヨーロヅバ諸国でも、
の利用が広がっていること、などである。
に、ケーブルテレビの普及によって外国語チャンネル
視聴することが可能になりつつあること、そして第五
ること、第四に、衛星放送によって海外の番組を直接
これらと比較してみると、日本の外国語・外国人向
組が用意されている。
トナム語、フランス語︵旧仏領アフリカ人向け︶の番
セルボ・ク回アチア語、スペイン語、トルコ語、ヴェ
場するようになってきた。これらは、FM東京などの
るなかで、一九八八年頃から続々と新しいFM局が登
郵政省による各都道府県、ことのFM局認可が増加す
FMラジオの﹁英語化﹂
ラビア語、カンプチア語、ラオス語、ポルトガル語、
け放送がいかに限られたものであるかがわかる。その
ら番組の供給を受けられないこともあって、当初から、
先発局がつくっていたネットワーク︵JFN系列︶か
海外製作番組や外国語DJ番組を編成の中心に据えて
︵7︺
理由のひとつは、国内に外国人が比較的少なかったこ
とによる。しかし同時に、郵政省など放送を所轄する
いた。たとえぱ、一九八九年末の調査によると、Jl
送時間一六五時間中、海外製作番組が二〇時間︵全体
WAVE︵FMジャバン︶︵一九八八年開局︶で、週放
官庁の動きが非常に鈍いことも、 一因として挙げられ
る。
それでも、近年、次第に変化が起こりつつある。第
外製作番組が増えてきたこと、第二に、国内の特定外
八・八%︶を占める。そのほか、海外製作番組と外国
%︶で、合計九七時間にのぽり、全放送時間の過半︵五
比一二・一%︶、外国語DJ番組七七時問︵同四六・七
国人を念頭においた外国語番組が生まれたこと、第三
語DJ番組の合計放送時間の比率だけをみると、FM
一に、FM局のプログラムの中に外国語DJ番組や海
に、外国人向けミニFM局成立の可能性が生まれてい
263
%、FM大阪で一七・五%なのと比べると、その比率
M局の場合、同じ時点の数字が、FM東京で一二・二
八九年開局︶で五〇・三%などとなっている。先発F
阪、一九八九年開局︶で四四・二%、FM千葉︵一九
横浜︵一九八九年開局︶で四六・六%、FM802︵大
これらは、エスニヅク関連メディアという点では、
それをまとめたのが、表2である。
のAM・FM局によって作られるようになってきた。
国人集団そ念頭においた番組が、一九九一年から既存
さらに、これらを一歩進める形で、国内の特定の外
メディァ環境のグローバルな同質化、より正確には
ているであろうことは、想像に難くない。とはいえ、
ッセージとしてよりはBGMの一部として聞き流され
がって、言語としての外国語︵特に英語︶もまた、メ
うした番組の聴取老のほとんどは日本人である。した
作コストの低減にもつながる。ただし、現実には、こ
て、海外の番組ソ7トの利用が容易であり、これは製
音楽番組が中心のFM局では、他のメディアと比べ
メディアの発達を支えるという構図がここで見られる。
を促進したといってよい。あるメディアの発達が別の
広げられた激しい企業問鏡争が、こうした番組の成立
がきわめて大きい。国際通話のシェアをめぐって繰り
て、国際電話会杜︵KDD,ITJ,IDC︶の存在
第一に、番組製作を財政的に支えるスポンサーとし
で説明できないことがわかる。
これら番組の成立が、単に外国人リスナーの増加だけ
ただし、実際に番組製作者にヒアリングをしてみると、
新しい段階を画するものということができるだろう。
﹁アメリカ化﹂とでもいえる動きが、街角にあふれたヲ
第二に、基本的に音楽番組であることから、音楽産業
の古同さがわかる。
︵8︶
ジオからまず始まっていくことの意味は、決して無視
が盛んでソフト入手の容易な国でなければ、番組が構
はこうした点で有利であったといえるだろう。第三に、
成しにくいという事情がある。ブラジルやフィリピン
できない。
外国人向けプロクラムの登場
第2号 平成5年(1993年)8月号 (10〕
一橋論叢 第110巻
264
(11) 越境するメディアと日本杜会
表2日本の放送局による主な外国人向け番組
製作局
番組名
スタート時期
当初の放送
時間
クルーべ・ド・ブ
FM東京
1991年4月
ラジル
日曜朝
言語
主な番組
(日本語以外)
スポンサー
ポルトガル語
ITJ
タガログ語
IDC
ポルトガル語
IDC
KDD
朝6時半
マブハイ・ビリビ
FM東京
1991年10月
静岡放送
1991年10月
金曜深夜
2時半
ナス
サウジ!マルシア
(AM)
オラ・アミーゴス
1991年10月
ラジオ目本
(AM)
我が故郷は朝の国
1991年10月
ラジオ日本
(AM)
ビバ・シズオカ
日曜夜
夜8時
目曜
ポルトガル語・
夜10時半.
スペイン語
日曜夜
朝鮮語
KDD
日曜夜
ポルトガル語
静岡県
○時35分
スペイン語・
夜11時
静岡放送
1992年4月
(AM)
タガログ語・
中国語・英語
一 1 − 1 ■ 一 一 ’ ‘ 1 1 ’ 1 1 1 1 ■
スタンダード日本
NHK教育
199ユ年4月
ラジオたん
1992年7月
TV
語講座
簡単日本語講座
‘ 1 1 l 1 1 1 l
ぱ(短波)
資料一嘔際人流』1992年2月号10∼13頁およぴ,各杜からの聴き取りにようて作成.
るイらはノレで海
L、
とア情メ1あ外興
い問報デベるの味
う の を
イL 。ラ深
構ネ仕
図 ツ入
が ト れ
こ ワ て
こ 1 し、
ア は F ジ い
・ ブMオ の
ネ ラ東局は
ツジ京と ’
ト ルの の こ
ワの番交う
1ラ組流し
み情い
クジ製がた
ら 報 う
のオ作役番
れ の こ
で ク る
も が と
1 「 て に
マ る
C い お
L た ブ と
を 。
B 、 る い
支メ
ノ、
え ア
かL ク と も
265
o
りかうたのジ米本クー
rら側’とと語人流九
日の面雰同しのの行八
本ヒが囲様て音二の○
人アあ気にの楽1な年
向リるを’意番ズか代
けン。作こ味組がで後
Lグ実りれをに高’半
をに際上らもおま欧以
強よ’げ番たけつ米来
くれこる組なるた系の
意ぱう記にいrこ以ワ
識’し号お単語と外1
しこたでけなりがのノレ
A日老に組 てれFしるるL挙音ド
作らMかr記がげ楽・
。越だ B系に立作
S よつ成
境 つ
る r と
つ
Nイrこて
つ番番な語号’らにミ
て組組いりでメれ対ユ
いも製’Lあツるす1
るや作ともっセ。るジ
とは老いまた1欧日ヅ
を一九九二年二一月から実施している。生野区及ぴそ
の周辺に住む在日韓国人や日本人によって運営されて
を主な対象としている。また番組ソフトは、自前で作
外国人向けFM局の可能性
この新しい可能性を開くものとして注目を集めている
成するほか、韓国の番組ソフトも利用されている。上
おり、主要杢言語は韓国語で、定住韓国・朝鮮人のほ
のが、一九九一年末に郵政省によって制度化された
でのべたプログラムがいずれもいわばマジ目リティの
ここからさらに進んで、外国人向け番組をメインに
﹁コミュニティ放送﹂︵FM︶である。これは、一ワヅ
側の放送機関が用意したものであったのに対し、定住
か結婚や就労のために韓国からやってくる﹁新一世﹂
ト以下の出力︵平地で半径一〇キロメートル程度のエ
韓国・朝鮮人と来日韓国人が集住する生野区で生まれ
るミニFMは、文字どおりのエスニック・メディアと
﹁FMサラン・ステーシ目ン﹂と名づけられたこの局
の試みは、初の本格的な試みとして注目に値する。
る。なかでも、大阪市生野区における外国語ミニFM
また、これよりも出力の小さなミニFMの試みもあ
では外国人向けプログラムの検討も進められている。
ディアとすることは難しいが、しかし外国人多住地域
な受信施設によって、受信可能だが、しかしサービス
上波系の放送の廷長線上に位置づけられている。安価
このうち、BS系の衛星放送は、現在のところ、地
けられる。
送衛星︵BS︶系と通信衛星︵CS︶系とに大きく分
衛星放送は現在のところ、衛星の種類によって、放
衛星放送による﹁越境﹂の拡夫
︵9︶
しての特徴をもつといってよい。
は、電波法の認可を必要としない徴弱電波による放送
局という限定があるため、完全に外国人住民専用のメ
実現が図られつつある。現在のところ、一自治体に一
る。一九九二年から北海道の一部を皮切りに、順次、
リア︶で、市町村を単位として開設されるFM局であ
据えたようなFM局形成の可能性はないであろうか。
第110巻第2号 平碑5年(1993年)8月号 {12
橋論叢
266
(13) 越境するメディアと日本杜会
スピルオーバーは起こり、本来のサービスエリア以外
エリアは比較的限られた範囲になる。とはいえ、当然
ース、映画などの四チャンネル、中国語の一チャンネ
対象に、英語のスポーツ、音楽︵MTV︶、BBCニュ
BSとくらべてかなり広い範囲での受信が可能なこと
用しているため、受信設備が高価にはなるが、しかし
これに対して、CS系の衛星放送は、通信衛星を利
視聴されていることが指摘されている
送WOWOWのBSデコーダが韓国や台湾に流出して、
に受信設備の取り付けの申し込みがかなりきていると
ることによって日本全土で受信可能となっており、現
ではない。しかし、現実にはバラボラアンテナをたて
給サービス業であり、一般の視聴をねらった衛星放送
サットを利用したケーブルテレビ事業老向けの番組供
スターTVは本来、通信衛星︵CS︶であるアジア
ルを提供するところからスタートした。
︵n︶
が特色である。このため、メディアの越境は事実上避
いう。スターTV自体は、まだまだ実験の段階を出る
でも視聴が可能になることが多い。たとえば、衛星放
けられない。このCSを使った番組送信には、直接個
ものではないが、しかし放送のスピルオーバーによっ
︵10︶
人が受信することを前提としたCS衛星放送と、ケー
て、アジア共通のメディアがいつのまにか出来上がっ
ケープルテレピの外国語チャンネル
てしまう可能性を示したという点で、注目に値する。
^12︶
ブルテレビ事業老やマンションなどの共同受信施設向
けに番組︵チャンネル︶を提供するサテライト・ケー
CS系の衛星放送を通して実際に外国メディアが越
ケーブルテレビの中の外国語チャンネルは、欧米系
ブル・ネヅトワークの二種類がある。
境してきた事例として有名なのが、香港のスターTV
る。しかし、,こく一般の視聴老がこうした番組を視聴
外国人の多いホテル向けなどを中心に歴史をもってい
ある。一九九一年八月から本放送を開始した■スターT
できる体制ができるた一めには、まず第一にケーブルテ
︵ω斗①⋮①↓①−①まωざコ>ω迂目宛①o自ざ目=昌岸①oTV︶で
Vは、東アジアから東南アジアにかけての広い地域を
267
平成5年(1993年)8月号 (14〕
第110巻第2号
一橋論叢
発揮しているのが、やはり通信衛星の活用である。こ
た。このうち、特に後老の課題の解決に当たって力を
ル︶を配給するシステムが整うことが、不可欠であっ
してケーブルテレピ局向けに外国語番組︵チャンネ
レビ局自体が都市部を含めて全国に普及すること、そ
からの発信分数である。これらの年が、日本国内に流
にずれていくことがわかる。増加しているのは、日本
とんど同一であった両老の数字が、八九年頃から次第
めたものである。これをみると、一九八八年頃までほ
とする、国際電話の発信分数と着信分数の推移をまと
ここに興味深いデータがある。図1は、日本を起点
思い至る。
の通信衛星を介した番組の供給︵サテヲイト・ケーブ
そこで、実際に、発信分数の伸び率が上位の通話先
入する外国人が急増しはじめる時期と重なることから、
主なものを挙げれぱ、一九八九年七月配給開始の﹁C
地点を調べてみると、この類推が正しいことが明らか
ル・ネヅトワーク︶により、日本でも外国語チャンネ
NN﹂︵日本ケーブルテレビジ目ン︶、 一九九〇年八月
両者には関係があるのではないか、ということにすぐ
開始の﹁ワンワールドニアレビジ目ン﹂︵ワンワールド
になる。表3によると、一九九〇年度、九一年度はと
ルが各ケーブルテレビ局に登場するようになっている。
プ回ダクシ目ン︶などがある。
︵13︶
もに、上位がイラン、ペルー、ブヲジルによって占め
情報交換、母国や他の諸国に住む家族や恋人、友人と。
電話だといってまちがいないだろう。国内の友人との
日本に住む外国人にとって最大のメディア、これは
もう一点、興味深いのは、一発信通話当たりの平均
であることは、すでに述べてきたとおりである。
ここ数年急に多くの人々を日本に送り出してきた国々
ジアの諸国が並んでいる。これらの諸国がいずれも、
られている。またその下の方にも、東南アジア・南ア
の連絡などに、電話︵ファクシミリを含む︶はもはや
通話時間の数字である︵表4︶。国別にみた場合上位
5 電話がつなぐネヅトワーク
欠かせないものとなっている。
268
(15〕 越境するメディアと日本杜会
一]9畠5∼1991年一
日.6
o.7
日、4
O.5
0,2
回.3
轍
1鰯 1螂 1997 一㈱ 1999 一㎜ 199一
一斜言分叡“・讐書分政
罧年・度.
資科:黎政省田気通個局『国原遍僑の現状』平成2、
るだろう。しかし、同時に、遠い祖国の親・祖父母、
友人.知人、兄弟・姉妹、配偶者、恋人などとの間の、
断ち切り難い心情を、こうした数字の裏側に感じると
いえば、やや感傷的に過ぎるであろうか。
一九九二年初めのある新聞記事によると、ホテルや
空港などを除く一般の公衆電話で、もっとも国際通話
が多いのは、東京.新宿にあるNTT夫久保営業所前
の二二台の電話だという。多い日には一台で一〇〇通
話を越える日もある。一九九二年一月のある夜の記録
によれぱ、午後八時からの四時問で一八人が利用した。
通話先はタイ、マレーシア、フィリビンなどで、通話
相手は、一四人が父母、二人が妻、二人が友人であっ
たという。
︵14︶
多い諸国となる。これは何を意味するのであろうか。
いくことだろう。
とするメディアの世界は、これからもさらに広がって
国など︶向けのダイヤルΨサービスなど、電話を媒介
その理由のひとつとしては、一般に通話時問が短いビ
ィリピン、ベルー、イヲンといった、出稼ぎ労働老が
外国人をターゲットとした国際電話会杜による激し
o.9
套
a8
い競争、外国人︵フィリビン、ブラジル、イラン、中
…
にくるのが、やはり、バングラデシュやブラジル、フ
12
ジネス通話が、これらの国では少ないことがあげられ
269
図1 国際電話の膣通借分敏
一橋論叢
第110巻
第2号 平成5年(1993年)8月号 (16)
表3国際自動通話の対地別発信総分数伸ぴ率上位10地点
1990年度
第1位 イラン
第2位 ペノレー
第3位 ブラジル
第4位 パングラデシュ
第5位 バキスタン
第6位 フィリヒ.ン
第7位 中国
第8位 マレーシァ
第9位 タイ
第10位
カナダ
1991年度
伸び率(%)
地点名
伸ぴ率(%)
地点名
779.89
イラン
450.84
295.00
ペノレー
170.96
232.90
フフジノレ
108.94
196.85
マレーシア
75.20
142.36
タイ
61.30
102.43
中国
56.87
91.17
バングラデシュ
56.43
82.90
ニュージーランド
35.57
65.88
メキシ]
32.87
44.42
バキスタン
32.02
資料:郵政省電気通信局
『国際通僑の現状』平成2,3年度
衰4 国際自動通話の平均発信通話分数の上位10地点
人
の
移
動
1990年度
6
を
メ
国
ア
境
イ
を
ア
境
の
に
越
境
コ
ン
ト
ロ
ノレ
す
る
人
の
越
境
地点名
第1位 フフジノレ
第2位 フィリヒ.ン
第3位 ペルー
第4位 バングラテ.シュ
第5位 バキスタン
第6位 ハワイ
第7位 米国
第8位 イラン
第9位 中国
第10位
カナダ
1991年度
分数(分)
地点名
分数(分)
7,19 バングラデシュ
8,35
6,45 フフジル
8,24
6,41
イラン
6,95
6,18
フィリヒ■ン
6,29
5,39 ベノレー
6,12
5,32 バキスタン
5,49
5,23
カナダ
5,43
5,16 中国
5,40
5,13 米国
5,38
4.93 ’・ワイ
5.36
資料:郵政省昆気通信局
『国際通僑の現状』平成2,3年度
制
度
的
営
み
270
(17〕 越境するメディアと日本杜会
として、出入国管理がある。これと比べれぱ、国境を
情報バザールの形は多様だ。
前における出版検閲はともかく、現在ではメディアの
た。約一年後の一九九一年一二月、久々に訪れた代々
ているという程度で、固定的な施設等は見られなかっ
越える情報やメディアの移動を管理する営みは、それ
越境に対して日本杜会は一貫した態度を取っているわ
木公園は、状況がかなり変わっていた。集まる人の数
に訪れたとき、イラン人の小さなグループが散らばっ
けでもない。しかし、人の移動が国家政策の一定の許
が単に増えただけでなく、その群集そのものを相手に
一九九〇年一一月のある日曜日、筆老が最初に観察
容範囲を逸脱し、支配的な利害に低触するようになる
する人々が見られるようになった。札束を抱えて何や
ほど明確に制度化されているわけではない。また、戦
とき、それと付随したメディアの越境も管理の対象と
既存のマスメディアのルートにあまり依存できない
ろう。
繰り広げられたイラン人の情報バザールのケースであ
印象的な事例は、代々木公園を舞台として毎日曜日に
て、いろいろと歩き回るボランティア、﹁不法滞在﹂外
ペルシア語と日本語の対訳がついたコピーの束を抱え
ラとティヅシュペーバーを配るバイトの日本人学生、
ているイラン人、国際電話会杜の電話番号がついたビ
1ら話し込んでいるブロー力−風のイラン人、食品やペ
ルシア語新聞を詰めた段ボール箱を運びこんでは売っ
して浮上することになる。たとえぱ、最近のもっとも
外国人を中心に、情報バザールとでもいうぺき空間が、
国人摘発に反対するベルシア語のビラを配る運動家な
さらに一年後の一九九二年一一月、風景は、さらに
日本のあちこちに姿を現してきた。直接足を運ぴ、対
とを、ここでは仮に﹁情報バザール﹂と呼ぷことにし
一変していた。数えたところ二〇以上の露店が並ぴ、
ど、出会いは次第に多様化していった。
ようqレンタル・ビデオ屋、食料品などの物産店、レ
まさにバザール状況になっている。歩道からみて奥の
面的な関係で情報を交換したり購入するための場のこ
ストラン・食堂、バブ・スナック、教会、公園など、
271
平成5年(1993年)8月号 {18〕
第110巻第2号
一橋論叢
を現す仮設的な空問のケースもある。
ランの人々の場合のように、週に一度、日曜日だけ姿
常設化して﹁街﹂となりつつあるケースもあれば、イ
ル・ビデオやCD、雑誌、雑貨、おもちゃ、グリーテ
方にランチや食料品を売る店、手前の方には、レンタ
ィング・力ードなどを売る店が並ぷ。その前には、昨
越境するメディアと越境する人間、これらが出会う
しかし、バザールはその姿をまったく消していた。
くらい少数だが、依然としてイラン人が集まっていた。
五月初めに訪れた公園には、以前とは比較にならない
は、植栽工事を理由に東京都によって突然閉鎖された。
報バザールを繰り広げていた代々木公園前のスペース
ところが一九九三年四月末、毎日曜日にイラン人が晴
雑踏のせいか、もはやすぐにはわからない。
をなす。前年には目についた日本人の姿も、あまりの
スニヅク・メディア研究のもうひとつの課題がここに
のもつエスニヅクな特質であったといえるだろう。エ
通じてみえてくるのは、じつは、日本という杜会自体
い。エスニヅク・メディアの成立、そしてその処遇を
現在の日本はその懐の深さが試されているといってよ
会のあり方に大きく依存している。この点において、
の居場所を見つけだしていけるかどうかは、ホスト杜
ク﹂が都市の支配的な空間的・時間的秩序の中で自ら
かかっている。しかし同時に、こうした﹁ネットワー
か。これは基本的には、越境してくる外国人の戦略に
こうした﹁ネヅトワーク﹂がいかにして形成される
ところには、越境を支える杜会的ネットワークが生み
ある。
年とは比較にならないくらいの密度のイラン人が群衆
出される。このネットワークは、コミュニティや広場
ともある。また、空間的形態をとる場合でも、たとえ
会関係の中に埋もれてまったく可視的にはならないこ
なく文化帝国主義という表現の方が実態により見合っ
がってこのことを重視すれぱ、メディア帝国主義では
︵1︶ 変容するのはメディアの内容だけでなく、メディ
アを含めた文化やその社会的経済的基盤である。した
といった空間的な形態をとることもあれば、既存の杜
ぱ、中国や韓国の人々の場合のように、空間が次第に
272
§§§一−oま昌一雲鼻昌、=;穿雪9岩旨・︵片岡信訳
↓o;−易opoミ§§∼喜“き淳§㌧㌧o辻尋§、§ぎ一
ている。この点については、次の文献を参照。旨巨
ω3昌昌甲霞印q阻易一&−一、きミo§§、営きき一
葦①9窪尋2彗ぎ寿寄①q一旨U邑轟亭O−湯Oω..一
旨巨冒戸oo冬邑目o日一、.ω寝邑争・−彗管鍔①峯&ぎぎ
き、貧9§§§∼撃導ぎくO=Oら戸。。−−H09−竃。。1
︵2︶ この点については、町村敬志﹁エスニック・メデ
︵一橋大学助教授︶
年︶によっている。
付記 本研究は、トヨタ財団研究助成金︵一九九一−二
︵14︶ ﹃朝日新聞﹄一九九二年一月二四日。
ア状況を読む﹄大月書店、一九九二年、二八−三〇頁。
︵13︶松平垣、中森謹重、須藤春夫、服部考章﹃多メディ
想﹄八一七号、一九九二年。
︵12︶隈元信一﹁衛星が変えるアジアの放送文化﹂﹃思
杜、一九九二年、第四章。
︵u︶ 志賀信夫﹃BS・CS衛星放送新時代﹄電波新聞
︵10︶ ﹃朝日新聞﹄一九九一年一二月二一日。
の聴き取りによる。
︵9︶ FMサランのメンバーのひとりホン・オミ氏から
ル﹄一九九〇年三月号、六四−六五頁。
︵8︶山本行雄﹁進むFM番組の国際化﹂﹃放送ジャーナ
金助成研究報告書︶一九八九年、第七章。
報入手の実態調査と改善のための提言﹄︵放送文化基
︵7︶在日外国人向けメディア研究会﹃在日外国人の情
z①考ぎq霊Hζω鍔9畠竃.を参照。
﹃文化帝国主義﹄青土杜、一九九三年︶
ィア研究序説﹂﹃一橋論叢﹄一〇九巻二号、一九九三年
︵3︶ω冨昌8声雲o目o目募一①︸向§ミhき§、曹
を参照。
∼胃τω凹回目ρ岩竃1
きき㌧トミぎ詩§ミき§、き慧sき“一2①峯げ弓く
︵4︶ 以下、とくに参考文献等を挙げていない場合には、
一九九二年中に筆者及ぴ一橋大学町村ゼミナールによ
って実施されたメディァ製作老からのヒァリングや資
による。
料収集による。したがって、内容は基本的に調査時点
︵5︶ 本調査は、川崎市内在住の外国人登録をしている
外国人市民を対象としたサンプル調査で、郵送法によ
り一九九三年一月に実施された。使用言語は、日本語
のほか、英語、中国語、ハングル、ポルトガル語であ
筆部分によっている。
る。なお、表ならびに以下の分析は、報告書の筆者執
︵6︶たとえば、≦薫冒霊まき。。Oo昌昌旨ξ寄昌o
ぎ乎①∈o〇一夢①望昌o目o目斥ざ﹃凶U①昌g屋巨o呂①9⋮、一
〃3
越境するメディアと日本社会
(19〕
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